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直接に手を下したのは、少数の人間であるが、その背後にイスラエルの建国にまつわる戦後の歴史があることは確かである。今日のアラブとユダヤの対立は、2000年の歴史を持つという神話がある。しかし、この神話は、イスラム世界でユダヤ人が常に迫害されてきたという前提が証明されない限り成り立たない。イスラム世界が全盛をきわめていたころ、その中でユダヤ人はマイノリティではあったが、決して迫害の対象ではなく、今日のスペインに生まれエジプトで死んだイブン・マイムーン(マイモニデス)のようなエリートも多かった。彼らは単に異教徒とみられるだけで、ひどい差別を受けていたわけではない。「左手にコーラン、右手に剣」という、中世ヨーロッパに成立し,、近代ヨーロッパが世界中に広めた神話とは逆に、イスラム教は異教に対して寛容な宗教であったのである。 これに対して、ヨーロッパのキリスト教社会におけるユダヤ人は、長い迫害の歴史を持っており、しばしばキリスト教徒の襲撃をうけ、大虐殺の被害者となることも多かった。ナチスによるホロコーストは、このような歴史の延長線上にあるもので、近代科学の成果を受けて、きわめて効率的に行われた。キリスト教世界で迫害を受けたユダヤ人が、迫害のない自分たちの国家を作りたいと考えたのは、ヨ _ヤ人が、迫害のない自分たちの国家を作りたいさ義だとも言える。間違いは、新国家を、このようなキリスト教世界の歴史とは無縁のイスラム世界に作ろうとしたことである。そして、新国家の建設地は、2000年も前にユダヤ人の先祖が住んでいたということで、パレスチナに設定された。古代ローマ人(当時はイスラム教などなく、アラビア語はまだアラビア半島でのみ話される局地的な言語であった)に追われたユダヤ人が2000年前に住んでいた人の末裔だとしても、パレスチナのアラブ人はその後2000年もの間、先祖代々この地に住み続けてきたのである。先祖が2000年前に住んでいたから、それ以後の住民は全部出てゆけなどということが世界中で実行に移されたなら、収拾のつかないことになることは言うまでもない。 アッバース朝やウマイヤ朝といったイスラム国家の全盛期には、イスラム法に定められた人頭税(ジズヤ)をイスラム教徒同様に払いさえすれば、ユダヤ教に限らず、異教徒の信仰の自由は保障されていた。このような寛容さがあったからこそ、ピラミッドもスフィンクスも今日に残っているし、バーミヤンの大仏もごく最近まで健在であった。今日、イスラム世界がイスラエルに対して強硬でユダヤ人を敵視するのは、ヨーロッパから来て、自分たちを追い出した人間たちだからである。イスラム世界の中にあるエルサレムは、ユダヤ教徒ばかりではなくキリスト教徒にとっても聖地なのだが、代々のイスラム国家は、この町を決してイスラムだけの町とはしなかった。そのため、ユダヤ人の聖地である「嘆きの壁」もちゃんと残っている。イスラエルが建国される前には、先祖の土地に憧れてヨーロッパから移住してきたヨーロッパのユダヤ人は、アラブ人たちと親しくつきあえていたのである。その数はナチス時代になって増えたが、爆発的に増えたのは、もちろんイスラエルの建国後のことである。イスラム世界に住んでいたユダヤ人も多数この国に移住した。その後のイスラムとの対立の中でその数はさらに増えた。イスラム世界から移住したユダヤ人のイスラエル社会での地位は、ヨーロッパからの移住者より低い。彼らもまた、戦後の歴史の被害者ということができる。
大阪の小学校で、自分に反撃してこない小さい子供を、身勝手な私情からつぎつぎと刺し殺した男とは異なり、テロの実行者は、我が身を犠牲にして自分の信じる大義のために確実にその場で死んだ。世界中で10数億を数えるイスラム教徒のうち、彼らと行動をともにするのはごく一部に過ぎないが、その行動が心情的には共感を集めるのも、このような歴史が今も続いているからである。無辜の市民を多数死に追いやった責任を彼らだけ帰していいかどうかは疑問であり、アメリカには、イスラエル建国後の中東政策の再検討が求められている。反省なき報復が、さらに多数の無辜の市民を死に追いやることになる可能性も決して小さくはない。
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