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訓よみは必要か?
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おアズケイレ おヒキダシ
おフリコミ
通帳ゴ記入 残ダカ照会 |
上は、近所の銀行でとった写真。本稿に
あわせて表記すると、中段のようになる。
できれば、公衆相手の表示では、
敬語をつかわないようにしたい。 |
もう力のある主張とはいえないが、漢字廃止論というものがある。それには反対であることは、漢字は廃止できるか?にかいたので、未読の方はそちらをさきにおよみいただきたい。その上で、ここでは訓よみの問題を考えてみたい。かなのなかったころの日本では、日本語も漢字であらわさなければならないから、訓よみが必要だったのだろうが、かなが発明された時点で、訓よみは役目をおえたともかんがえることができる。
私が漢字の廃止に反対するのは、音よみの語の場合、中国から漢字とともにはいってきた言葉だからである。今日の和製英語にあたる和製漢語もふくめて、漢字でしめすのは当然のことである。中国でさまざまな音声で区別されていた語が、音韻体系の簡潔な日本語では、同音語をたくさん生じてしまう。そのため、それを区別して語の由来を正確につたえるためには、漢字は不可欠のものである。漢字による体系的な造語力を日本語の中でもいかし、ゆたかな語彙をもつためにも、漢字は不可欠のものであった。
しかし、訓よみについては、わたしはその存在意義に疑問を感じている。訓読みであらわされる和語(やまとことば)は、日本語が漢字をうけいれる以前からこの日本列島においてはなされていた言葉であり、漢字のたすけをかりる必要はとぼしい。それに文字には語の由来を正確につたえる役わりがある。しかし、訓よみは、この役わりをはたさないどころか、それとは逆の役わりをはたすことが少なくない。
「物騒」「大根」は、もともと「ものさはがし」「おほね」という純然たるやまとことばであったが、音よみされることで、あたかも漢語であるかのようにおもわれている。「傾く(←片向く)」「鏡(←影見)」など、漢字が語源をわかりにくくしている例も多い。これでは、語の由来を正確につたえるどころではない。このようなことは、固有名詞において、いっそう顕著なのだが、その点についての詳細は別稿にゆずりたい。
訓よみのつぎの問題点は、おなじ和語が漢字となると別々の字にかかれることがすくなくないことである。たとえば「足」とか「早い」とかいう漢字をおぼえたこどもにとっては、「あの子は足が早い」とかいてはならず、「脚が速い」とかけといわれるのは、ひどくストレスのたまることであるにちがいない。おくりがなの問題もある。活用語尾からつけろといわれても、低学年のこにはぴんとこないにちがいない。この原則を適用すれば、「まがる」は「曲る」、「まげる」は「曲げる」とかくはずだが、戦後は漢字の部分のよみを一定にしようという妙な表音原則がたてられ、「まがる」は「曲がる」とかくことになっている。「つく」という和語動詞については、「付く」「就く」「着く」「点く」「憑く」などさまざまな漢字表記がある。「突く」「衝く」「撞く」「搗く」などの別系統の「つく」も、同様にかきわけがおおい。かきわけにあたっては、「就職」「点灯」などという漢語をおもいうかべたうえで、「職に就く」「電灯が点く」とかくというまわりくどいことがおこなわれている。これでは、和語が漢語の枠にしばられ、本来の自由さをうしなってしまったといわざるをえない。
こういったことから、私は訓よみを廃止することができないか、ということをかんがえてみた。まず、対象となるのは、動詞の漢字表記の廃止であろう。これによりおくりがなになやまされることはなくなる。しかし、これもそんなに簡単な問題ではない。「葉書」とか「申し込み」といった語の表記をどうするのかという問題がおこる。そういったことをかんがえると、訓よみを廃止するのなら、一挙にすべての訓よみを廃止したほうがかえってわかりやすい。その際には、和語の名詞を動詞起源のものもふくめてすべてカタカナ書きにしないと、きれめがわかりづらいなどさまざまな問題がおこってしまう。和語のサ変動詞や形容動詞の語幹、擬音語や擬態語もカタカナがきにする。こうすれば、「葉書」「申し込み」も「ハガキ」「モーシコミ」でよいということになる。なお、私は、長音の表記はすべて「ー」に統一するのがのぞましいとかんがえている。名詞のカタカナ表記は、和語だけでなく、「挨拶」のような、字の応用がほかにあまりきかない漢語にもおよぼしてもよい。「重箱」のような和漢混交語についても、「重バコ」とすれば、きれ目がわかりづらいということはなくなる。「曜日」や「手本」などの場合は、「ヨウビ」「テホン」とすべてカタカナがきにする。ただし、「お花」の「お」のような接頭語はひらがなのままのこすなどのこまかい工夫は必要である。固有名詞はすべてカタカナがきにし、人名の場合は姓と名の間に「・」をいれることにすればよいとかんがえるが、固有名詞については、他の漢字文化圏の人名表記の問題など、いろいろと問題がおおいので、別稿でまた論じてみたい。
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李朝時代の小説
「思母曲」の一節。
切手シートより。 |
和語はかな、漢語は漢字というかきわけの先例は、朝鮮半島にある。漢字ハングルまじり文は、ハングルの創製のときからあり、固有語はハングル、漢語は漢字というかきわけがおこなわれた。しかし、朝鮮語の場合、漢字一字はハングルでもかならず一字でしめされるため、一部の漢語までハングルでかかれるようになり、ハングル専用(わたしはこれには反対である)へのみちがひらかれたが、日本の音よみは最大3文字にもなるので、かな専用は得策とはおもえない。今日のハングル専用文ではわかちがきがおこなわれているが、かなに2種類ある日本語では、名詞などをカタカナ表記しさえすれば、余計なスペースをもうける必要はない。ローマ字のような音素文字とはことなり、かなやハングルのような音節文字では、わかちがきは必要ではない。現に平安朝のかな文学は連綿とかなをつづっていたし、朝鮮王朝時代の小説も、わかちがきすることなくハングルだけでかかれていた。そういったことをかんがえると、名詞などをいちいちカタカナにせずとも、新聞記事程度のおとなむけの文章なら、和語はすべてひらがなでもすみそうである。まぎらわしいときには、読点(、)を多用すればいいというかんがえかたもできる。なお、私は、句点(。)のうちかたについては、はっきししたきまりができるものの、読点(、)についてはそれは不可能とおもう。「花、が」のように、うってはいけない例をしめすだけで、あとのうち方は個々人にまかせたらいいとおもう。なお、最近、句読点研究会というサイトがあることを発見した。興味のあるかたはのぞいていただきたい。
こまかい検討課題はいろいろあるだろうが、訓よみの廃止は、わたしは可能だとかんがえる。しかし、同時に字音語(漢語+和製漢語)については、今後も漢字表記を維持してゆくべきだとかんがえる。呉音と漢音といった音よみ同士でのよみかたが一定しないという問題ものこるが、訓よみを廃止するなら、この程度のよみ方のゆれは大したものではない。和語と漢語の表記を別々にすることによって、日本人は自分たちの言語のなりたちにより敏感になり、和語、漢語、洋語をいままで以上に上手につかいわけることが可能になるとかんがえる。
ただ、すこしはりをもとにもどすが、一部の訓よみは、むしろのこしたほうがいい。訓よみをのこすのは、和語が単独でもちいられるときにかぎる。つまり、「やま」とか「おとこ」とかかくときには「山」「男」と漢字をもちいるが、「やまおとこ」のような複合語の場合には「ヤマオトコ」とすべてカタカナがきにするのである。複合語の訓よみをみとめると、「牧場(まきば・ぼくじょう)」のように、音訓のいずれでよむのかという問題がおこってしまうが、単独の場合は、「サン」「ダン」とよむことはないので混乱はおきない。混乱がおきそうな場合は、「カネ」「ナサケ」「など」と「金(きん)」「情(じょう)」「等(とう)」をかきわければいい。「ひにあててかわかす」のようなばあいは、「火」と「日」のかきわけがどうしても必要になるだろう。ただ、このような訓よみはそんなにかずがおおくなくてよい。小学校の低学年でならうような字や、漢字の部首となる字ぐらいに限定すればいい。そして、「あし」はつねに「足」とかき、「脚」とはかかないなどの一貫性も必要である。文章表記において訓よみをおこなわなかった朝鮮半島でも、漢字をおぼえる際には、「ハヌル・チョン(あめ・テン)」「タ・ヂ(つち・チ)」ととなえて「天」「地」という漢字をおぼえた。漢字の意味をこうしてみにつけたのである。複合語でない和語の訓よみをのこすことは、同様のことが自然にこどもたちのみにつくようにするためである。漢字が意味をもつ文字であることがわかることで、こどもたちの漢字への関心をたかめることもできる。
訓よみの原則的廃止には、コンピュータでの入力を容易にする効果もある。その際には、連文節変換ははたして便利か?にも書いたJETの変換方式が再評価されるべきだとおもう。この記事には、コンピュータ辞書のありかたについての提言もある。辞書の負担がへった分をさらに変換効率をあげる方向に利用する努力がおこなわれなければならない。言語というものは、法令ひとつで容易に操作できるようなものではないのだが、学校教育やメディアを通じて改革の意図を浸透させていく必要がある。変換ソフトを改革の意図にあわせることは、ITを改革の強力な武器にする意味で不可欠である。「向日葵(ひまわり)」「紫陽花(あじさい)」のような、クイズ番組ぐらいでしか役にたたない表記は、変換ソフトからは追放すべきだろう。最後に、本稿の意図にもとづいて文章を表記したらどうなるかを、こちらにしめしたので、御参照ねがいたい。 なお、この記事では、漢語起源のもの、および説明上必要なものをのぞいて、訓よみを一切おこなわないということを実践してみた。漢語と和語の複合語のばあいは、全体をかながきした。「ひにち」「でだし」を漢字でかくのはむずかしい。 |