「切手に見る世界の言葉」
(その2)東アジア・
東南アジア・南アジア編

インド パキスタン

 ここに取り上げた地域について語るには、まずインドから始めなければならない。日本の言語は日本語だと思っている日本人は、インドの言葉は「インド語」だと思っている。しかし、そんな言葉はどこにもない。インド政府の中には、最も多くの州で話されるヒンディー語を普及させたいという考えも根強いが、まず州ごとに言語が違うと考えてよい。というより、州の境界自体が、言語によって決められている。戦前のインドはイギリスの植民地であった。イギリス人が設置した統治機構と伝統的な藩王国が複雑に分布していた。独立後それを州へと再編するにあたり、言語に基づく区分を求める声が高まり、しばしば流血の混乱をともなって今日の州区分に落ち着いている。

バングラデシュ
ネパール

 州の違いは言語の違いばかりではない。非印欧語族のドラビダ語族の言語を話す南部四州のほか、グジャラーティ、オリッサ州ではそれぞれその州だけの文字が用いられる。西ベンガル州で用いられるベンガル文字は隣のアッサム州、さらには国境を越えてバングラデシュでも用いられる。一方、デーバナーガリー文字は、ヒンディー語とは異なるマラーティ語を話すマハラシュトラ州でも用いられ、国境を越えてネパールでも用いられる。こういったインドの状態は、少しも異常なことではない。インドを中心とするインド亜大陸はヨーロッパ全体に匹敵する広さを持っている。ヨーロッパが一つの文明圏であるのと同じ意味で、インド亜大陸は一つの文明圏である。それが現代においてどのように国家に分割されているかという違いがあるだけの話である。

 インドの文字は多様だが、基本的には互いによく似ている。使用法の面でも、子音字を単独で表記したときには「ア」の母音をともない、子音がその他の母音と結びつくときには、補助記号を用いるという点は同じである。インドの文明の歴史は長いだけにその影響は近隣の地域にも波及している。スリランカ、ミャンマー(ビルマ)、タイ、カンボジア、ラオスといった国々は、いずれもその国だけの文字を持っている。しかし、言語の系統はさまざまだが、これらの文字は、すべてインドの文字の流れに属している。このうち、ラオス文字とタイ文字はきわめて近い。タイの東北部には、ラオス国民の中核をなすラオ族の同属が住んでいる。中国の一部となっているチベットの文字もインド系であり、ブータンはチベット文字を用いる唯一の独立国である。

ラオス ミャンマー
(ビルマ)
カンボジア
スリランカ タイ ブータン

 一方、東アジアにおける文字の歴史は、漢字に始まる。中国語の方言は多様であり、耳で聞いたのでは互いにまったく話が通じない。しかし、これが漢字という表語文字で表記されたため、会話はできなくとも、文字での意思疎通は容易であった。そのため、古来から一つの文明圏としての一体性を保ちえたことが、南アジア世界との大きな違いである。漢字は、朝鮮半島、日本、ベトナムにも広まったが、それぞれの地域で固有の言語を示す文字としてのハングル、仮名、チュノムが作られることになる。しかし、近代に入ると、ベトナムはローマ字を採用して、漢字文化圏から外れた。第二次大戦後、中国では簡体字が作られ、日本でも新字体が作られた。しかし、台湾や香港などでは、昔のままの漢字が用いられてきた。朝鮮半島では、北では漢字が全廃され、南でも日常はハングル専用が普通である。こうして、文字の面からの漢字文化圏のまとまりは失われた。なお、韓国でも、漢字を用いるときは、昔ながらの漢字が用いられる。漢字自体が3種類になっているのである。台湾の切手が右から左へ書かれているのが目立つ。

中国 韓国 日本
台湾 北朝鮮 ベトナム

インドネシア
ブルネイ・
ダルサラーム
モルディブ
モンゴル

 漢字とインド系の文字が対峙するこの地域に、一石を投じたのが、インド洋を内海とするほどのイスラム教の浸透であった。その結果、今日のインドネシア、マレーシアに当たる地域や南アジアのイスラム社会ではアラビア文字が用いられることになった。今日ではインドネシアがローマ字にかえたため、アラビア文字を用いる独立国は、今日ではパキスタンとモルディブ(簡略化されている)に限られている。パキスタンの公用語であるウルドゥー語は、会話が可能であるという意味ではヒンディー語と同言語とみてもよいが、文字表記は異なる。また、パキスタンで用いられている文字は、基本的にはアラビア文字だが、字体が独特である上、アラビア文字にない字が加えられているため、ウルドゥー文字として、アラビア文字とは別の文字とすることもある。アラビア文字はウイグル族など、中国のイスラム教徒の間でも用いられており、ブルネイの切手にもアラビア文字が見える。モンゴル文字は、アラビア文字を縦書きに変えたような文字だが、行を左から右へと移すという点で独特である。アラビア文字との間に直接のつながりはないが、遠く源流を共有している。

 アラビア文字に遅れて、この地域に一石を投じたのはローマ字である。この地域でローマ字を用いる独立国には、インドネシアなどアラビア文字から転じた国々のほか、漢字とチュノムを混用していたベトナムがある。島国のフィリピンでローマ字が用いられるのは、これとは事情が異なり、漢字の影響もインド系文字の影響もあまり及ばぬうちにヨーロッパの進出の時代を迎えたためである。国内の言語分布も錯綜しており、そのため英語が共通語として重宝され、英語が話せる人口はこの地域では際立って高い。

フィリピン マレーシア シンガポール

東ティモール

 この地域で最も新しい独立国は、東ティモールである。小さな島がオランダ領とポルトガル領に分割されたこと自体異常なことだが、その状態が何百年も続くと、別の歴史ができてくる。この国の公用語はまだ決まっていないが、ポルトガル語とする案もある。ただ、住民の大半がキリスト教徒とはいえ、ポルトガル語が話せるのは2割程度で、ふだんはインドネシア領の西ティモールと同じテトゥン語を話している。さいきんまで幅を利かせてきたインドネシア語は、自然発生的に生まれた交易用の共通語で、特定の民族に根を持たない。多くの島々からなるインドネシアには、同じアウストロネシア語族に属するとはいえ、たがいに話の通じない言語が無数にある。その中でとびぬけて話し手の多いジャワ語をインドネシア政府が公用語にしなかったのは、多民族国家としての配慮があったからである。

 この地域の大陸部についても、今まで述べてきたことは、それぞれの国(インドの場合は州)で優勢な言語についてだけであることに注意されたい。この地域には、さまざまな言語系統に属する少数民族が多く、その多くが山地に住んでいる。たとえば、ミャオ族などは、中国から東南アジアにかけての広範な地域のある高度以上のところに分布するため、「雲の上の国」を形成していると言われる。こういった少数民族の多くがローマ字によって自分たちの言語を表記しているが、中には、他のどの系統にも属さない独特の文字を用いる民族も存在する。

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