生徒に書かせた文章の中に、"私は「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という言葉が大嫌いだ"という一節があった。その子の家は、ともに同居している祖母が曽祖母を介助するという典型的な老老介護の家庭だが、本人はそれを当然のこととして受け入れている。
たしかに、「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という言葉には、高齢者や障碍者を排除するような響きがある。ナチズムの臭いを感じる人もいるだろう。
この言葉の出典は、古代ローマのユウェナーリスという風刺詩人の詩の一節にあるらしい。ところが、ユウェナーリスの原詩は「健全なる肉体に健全なる精神が宿るように祈りなさい」というものである。当時、ローマは爛熟期を迎えており、上流の人々はひたすら美しい肉体を求めることに熱中していた。ユウェナーリスは、このような風潮を快く思わず、そんなことは滅多にないでしょうけどという皮肉を込めながら、それならせいぜい健全なる肉体に健全なる精神が宿るように神に祈りなさいと言ったというのが本当のところだという。
ユウェナーリスが2000年の時を超えて現代の日本に現れ、エステや整形外科を訪れたなら、自分の言葉が自分の意図とはまるで逆の意味に用いられていることに驚くとともに、自分の時代と変わりがないではないかと苦笑したかも知れない。
まもなくトリノ五輪が開かれる。覇権や記録をめざして身体を鍛える選手たちにはエールを送りたい。しかし、それならば、歩くとか物を持つとかいったごく日常的な機能を取り戻すためにリハビリに励む人にも同様のエールを送らなければおかしいと思う。肉体を鍛える意志を貫くことで、精神がより健全なものになるということはあるだろう。しかし、老いや病でそのような意志を持つことすら不可能な人もたくさんいるのである。
今年に入ってようやく最初の記事を載せることができた。今年は私にとっては還暦の年である。昔ならもう十分生きたといっていい年である。しかし、私にはその実感はない。よく言えばいまだに発展途上人であり、悪く言えば20年も前に達しているべき不惑の境地にも達せず、毎日惑い続けている。
