よしなしごと2005年6月

  一枚岩の国   宝塚線の運転再開


2005.06.19  日曜日  宝塚線の運転再開  

 大事故の起きたJR宝塚線の運行が再開された。宝塚線とは、福知山線の一部である。昔は田園風景の続く線路だったのに、急速に郊外化が進んだのが今回の事故の発端であった。
 今日、大阪市内からJRの尼ヶ崎駅で乗り換えて宝塚線を北へと通勤している人に出会った。やっと元通り便利になったと喜んでいた。北から尼ヶ崎駅に入るのと違って、南から徐々にスピードを上げながら例のカーブに入るので、あのような事故に遭う心配はないと言っていた。


2005.06.05  日曜日  一枚岩の国  
 暖房も冷房もなく、雨も少ない快適な季節だが、日本の周辺がなにやら騒がしい。中国も韓国も日本との関係を悪くすることが国益に反することは重々承知しているはずである。
 こういう問題に接すると、日本が一枚岩の国と思われているのではないか、という心配をしたくなる。一枚岩の国とは、国民の考えがみんな同じ国ということである。先進国であると途上国であるとを問わず、世界のどの国でもデモのニュースを聞くが、この国では言葉自体が死語になりかかっている。中国の「反日」デモが官製であるとしても、デモであることに間違いはない。究極の一枚岩の国と思われている北朝鮮ですら、イランを相手とするW杯予選で警官と争う観客の姿がテレビに映し出された。そういう中で、選挙を何遍行っても政権交代が起こらないこの国は、たいへんな一枚岩の国に映っているに違いない。こういう状態では、今年も靖国神社に行くという小泉首相の考えが日本人の総意ではないということが伝わりにくい。
 靖国神社は宗教施設である。どこかの神社の神主がその身分を添えて記帳するのはよしとしても、内閣総理大臣などという世俗の肩書きを添えて記帳するのは、宗教の側から見ても政治の側から見てもおかしなことと思う。中国や韓国の抗議を「内政干渉」という前に、そのことが日本人の民意を反映しているかどうか、民主主義の原則に照らしての是非、この問題を考えるにあたって前提となる知識が普及しているのかどうかなどをこそ、まず日本人は考えるべきである。日本人がみんな同じと考えられることは、決して国益に資するものではないのだが、そう思われるようになっているのなら、その責任は一握りの政治家ではなく、日本国民の一人一人が等しく負うべきものだろう。