よしなしごと2005年4月


  ニアス島の大地震   視力検査   新米


2005.04.29  金曜日  新米  
 「新米」という言葉は語源になった米に関しては、ほめ言葉である。しかし、人間に関しては未熟で信用できないという意味になる。
 JR西日本が信じられない大事故を起こした。自らも死亡した運転士はまだ23歳、運転歴はやっと1年に達しようとする程度だったという。いわゆる「新米」であるが、「新米」に運転させてはいけないというわけにはいかない。運転士に限らず、誰だって初めは「新米」だからである。
 私は、事故の起きた兵庫県に住んでいる。大事故の起きた路線ではないが、別の路線で通勤している。退勤時に電車に乗るまで、この事故の存在すら知らず、駅での「脱線事故のため、福知山線は不通です。復旧の見通しは立っておりません。阪急線を御利用ください」という、あまり緊張感のないアナウンスによって、ようやく事故の存在を知った。しかし、それが近年聞いたことがないほどの大惨事であることを知ったのは、家に帰ってからのことであった。

 事故の起きた福知山線は、近年まで旧国鉄にとってはお荷物路線だった。しかし近年、宝塚、三田(さんだ)などの宅地化が進むにつれ、大阪への通勤動脈に変わっている。宝塚から大阪に出るには私鉄の阪急のほうが先輩であり、実績も信用もJRを上回る。この競合地区では、料金がより安い阪急に対抗するため、JRはスピードに賭けていた。スピード第一という、無言の圧力が絶えず乗務員にかかっていたことは十分に考えられる。
 事故を起こした運転士は、小さいころからこの職業にあこがれていたようである。晴れてその職についたものの、意欲が空回りして失敗を重ね、激しく叱責されることが何度もあったようだ。
 もうずいぶん昔のことだが、日本航空の機長が、着陸寸前に、着陸後に急速にスピードを緩めるための逆噴射を故意に空中でして、飛行機を墜落させ、犠牲者を多数出したことがあった。この機長の場合は、操縦技術が優秀でとんとん拍子で出世し、次の目標が見出せなかったということで、今回の運転士とは状況がかなり違うように思う。しかし、一人で多数の人命を預かるという点は同じである。
 今回の大事故について、JRにしみついた旧国鉄以来の親方日の丸意識を指摘する人は多い。しかし、JRに採用された新米の運転士にそのような意識があるとは、私には思えない。親方日の丸意識から抜けられずにいるのは、経営陣だけではないのかとも思う。私鉄との競合が最も厳しく、一分一秒の遅れが問題とされる路線に、オーバーランの前歴のある運転士を配備したことが不思議である。乗客の安全など無視した上で、乗務員へのしごき、あるいはいじめが行われていたことにも原因があるのではないか、という疑いを私はぬぐい切れずにいる。

2005.04.03 日曜日 視力検査  

 新学期が始まると、まもなく学校保健法で規定された健康診断がはじまる。法的には「健康診断」だが、私が小さいころは「身体検査」と呼ばれていたし、むかし勤めていた学校では「発育測定」と呼ばれていた記憶もある。

 健康診断があると、授業がつぶれる。養護教諭だけでは手が足りないので、他の教師が手伝うのが常である。だいたい、つぶれる授業の担当者が当てられることが多い。

 私が小さいころに普通に行われていた「胸囲」が測られることは、最近ではほとんどない。残る「身長」「座高」「体重」も子供にとってはいやなものである。身長では背を伸ばす、座高では腰を前に出すなどして、ごまかそうとする。最もいやがられる体重が、このようなごまかしようがないことが皮肉である。

 視力検査もよく行われる。だいぶ昔のことだが、その手伝いに私があたったことがある。私が子供のころにはかなが普通だったが、近頃はランドル環で行われるのが普通である。丸のどこが切れているかというあれである。

 ある生徒の順番が回ってきた。すらすらとよく読む。その生徒の視力が弱いことを知っていた私は不審を抱いた。今なら手もとのボタンを押して聞くのだが、当時は黒板に貼った紙を棒でさして聞いていた。どこを指そうかと迷うときに、生徒に背を向けるためにそこに隙ができる。意外な生徒がすらすら答えたのは、その隙に、横で見ていた生徒が人差し指を立てて指示をしていたからである。それに気づいた私が、指示をしていた生徒を追い掛け回したために、視力検査はしばらく中断した。

 生徒を対象とする検査は、数字の良し悪しこそあれ、深刻な事態につながることは少ない。しかし、自分の身体を調べられることが、老若を問わずいやなことであることは、言うまでもない。

2005.04.01  金曜日  ニアス島の大地震  
 昨年末に大地震が起こったスマトラ沖で、前回に勝るとも劣らぬ大地震が再び起こったことに驚いた。もしも、今日のことだったら、たちの悪い April fool ではないかと疑ったところである。今回は、スマトラ沖のメンダワイ諸島で最大の島であるニアス島が最大の被害を蒙ったようだ。
 私がニアス島のことを最初に知ったのは、1979年に平凡社から出された「世界の民族」の第10巻「東南アジア島嶼部」を読んだときである。それによれば、ニアス島の広さは128km×48kmというから、かなり大きい島のようである。住民はインドネシアでは平均身長(当時150cm)が低いこと、独特の巨石文明を持っていること、男には勇猛さが求められ、石でできた高さ230cmの跳び箱を跳び越さなければ一人前の男としては認められないこと、インドの極東部に住むナガ族から分化したらしい、などといったことが、その本には書かれている。しかし、人間が長い歴史を紡いできても、自然の猛威の前には一たまりもない。
 インド洋海域は地震が少ないことで知られていたが、そこで大地震が起こったことに驚いた。私自身の60年近い記憶の中に、これほど大きい自然災害の記憶はない。
 10年ほど前、私は阪神淡路大震災に遭遇した。それを上回る大地震の危機が伝えられている。しかし、この地震列島では、いつどこで大地震が起こるかは分からない。静岡や高知といった危険とされる地域より、思いがけないところで起こるかもしれない。現に大地震が起こった兵庫、新潟、福岡といった地域は、どれもあまり地震など起こりそうにないと言われていた地域である。
 私の母は津軽海峡で米軍の艦砲射撃を受けたことがあるという。上空に飛行機が見える空襲以上に、どこから飛んでくるか分からない艦砲射撃は怖かったという。唯一身の安全を求めるとしたら、一度落ちたところにとどまるぐらいしか思いつかなかったらしい。同じところに二回も落ちるとは思わなかったという。そういう意味では、兵庫は地震に関しては日本一安全なところとも思えるが、スマトラ沖のようなこともあるので、油断してもいいという自信は私にはない。ただ、あんな経験は二度としたくないとは思っている。