駅前の放置自転車がよく問題にされる。しかし、実は問題にすべきなのは、自転車を十分に受け入れられる駐輪場がないことではないだろうか? 盗難自転車でもない限り、まだ乗れる自転車を放置する人がそんなに多いとも思えない。駅前といえば、その地域の一等地である。そういう所で広い土地を確保するのは難しいだろう。駐車場と違ってあまり高い金も取れないということで、駐輪場を設置するのはもっぱら自治体である。
私も通勤に自転車を用いている。しかし、駐輪場は常に満杯で、新たに申し込む人は何ヶ月も待たなければならないのが実状である。そのため、しびれを切らして乗った自転車が放置自転車として撤去される事例が多い。
利用する側から言えば、自転車は、駐輪場代を払うとしても、公共交通機関やタクシー、駐車場を利用するより遥かに安上がりである。待つ時間も少なくてすむ。個々の人の快適さや健康からみても、地球環境にとっても最良の乗り物である。しかし、経済効果から見れば邪魔者ということになるのだろう。
このことは、自転車だけの問題ではない。経済総体ばかりが問題にされて、個々の人の快適さが無視される時代の流れが好ましいものとは思えない。自転車通勤者としては、無料で止められるスペースを確保してほしいのだが、今の時代では無理だとあきらめている。
「関東」といい、「関西」という。同じ関所を境にした言葉ではない。「関東」は箱根の関より東、「関西」は不破の関あるいは鈴鹿の関より西ということである。それならば青森も関東だし、鹿児島も関西ということになりそうなものだが、実際にはそれぞれもっと範囲が限定されているのは周知の通りである。
「関西」と同じような意味で、「上方」とか「近畿」という言葉がある。「上方」も「近畿」も、ともに本来は京都(皇室の所在地)を中心とした概念である。皇室の所在地だからこそ「上」なのであり、都に近いから「近畿」なのである。「畿」の字の意味は、要するに、「近い」という意味である。「畿」と似た字に「幾」という字があるが、「幾」の字も時に「畿」と同じ意味で用いられることがある。第二次大戦の時、降伏に反対して切腹した陸軍大臣は阿南維幾(あなみ・これちか)といった。「畿」という漢字は、「畿内」などの歴史的な言葉を除けば、現代では「近畿」以外には用いらない。今日では、「上方」も「近畿」も「関西」も大阪を中心とするように思われている。しかし、あまりにも漠然とした「関西」を別として、「上方」も「近畿」も、本来は大阪ではなく京都を中心とした概念なのだが、今日ではともに大阪を中心にするように思われている。とくに、「上方」については、「上方落語」などの影響もあり、ほぼ大阪と同義のように思われている気配がある。「近畿」と「関西」の違いはといえば、私には三重県を含むかどうかの違いであるような気がする。「近畿」といえば三重県を含み、場合によっては福井や徳島を含めていうこともありそうだが、「関西」といえば、普通は京都・大阪の2府と、兵庫・滋賀・奈良・和歌山の4県とに限られる。
隣の韓国には、「京畿道(キョンギド)」という行政区画がある。文字通り都(ソウル)に近い地域ということである。今の日本でいえば、神奈川県東部、埼玉県南部、千葉県西部を併せたような地域である。
私自身は、神奈川県東部の横浜に生まれ育ち、京都で暮らした経験を持ち、今では神戸に住んでいる。ずっと関東の首都圏に住んでいたなら、そもそもこんな問題意識を持つこともなく、東京に近づく列車を「上り」と呼ぶことに違和感をおぼえることも無いままだったに違いない。
先日、退勤時に乗り換えの電車を待っていたときのことである。若い男が私の顔をのぞきこみ、「信太先生ではないですか?」と訊く。顔を見てもすぐには分からなかったので、「誰だったっけな?」と訊くと、「卒業生の○○です」と言う。その途端にいろいろな思い出が蘇ってきた。3年間もほぼ毎日顔を合わせていた昔の生徒である。
私の頭の中には、その卒業生のイメージが今でもしっかりとある。「イメージ」という言葉は幅が広すぎるので、厳密に言えば「心の中の絵」とでも言えばよいのだが、それを一言で言う言葉が「面影」以外に思い浮かばない。昔のままの顔をして制服姿なら瞬時に思い出せる自信はあったのだが、そんなことはありえなかった。すぐに名前が出なかったことに、申し訳ない気もした。そんなに古い卒業生ではないからである。
それより何十年も古い記憶のある町を歩いていたとき、ある曲がり角である友人が出てくるような気がした。その町のたたずまいが昔とさほど変わっていなかったせいもあるかも知れない。こういう気持ちは、先日会った若い卒業生には、私の年齢になるまで、理解はできても「分からない」のではないかと思う。
横浜で育った私が京都の大学に入るころ、住民票を移す手続きのために区役所に行ったことがある。手続きのためには、戸籍謄本も必要なのだが、出された謄本を見て驚いた。戸籍全体の見出しこそ正しく「信太」となっていたが、個々人の欄の随所で「信太」が「信田」となっている。さらに筆頭者である祖父(昌訓)の父の名が「鶴治」ではなく「鶴吉」となっている。右の画像は、そのうち私の欄のコピーである。
訂正を申し出たところ、応対に当たった中年女性は、「もとの戸籍を調べてからね」と言う。相手が若いと思ってなめている感じのその口調にカチンときたが、とりあえず結果を待つことにした。今よりずっと「お上」意識の強かった時代のことである。
さんざん待たされた挙句、やはり先方の間違いだということが確認され、祖父の欄には「過誤(いったい誰の?)につき信太昌訓原戸籍により昭和四拾壱年四月六日父欄中父(私の曽祖父)の名訂正」、私の欄には「過誤につき信太昌訓原戸籍により昭和四拾壱年四月六日母欄中母の氏養父欄中養父の氏縁組事項中届出人母の氏訂正」とある。先方からの謝罪はなかったが、訂正が認められたので文句も言わずに退出した。幸い、一つ前の戸籍が残っていたからよいようなものの、残っていなかったら、先方の(「区役所の」と明記してほしいところだが……)過誤でそのままとなっていたかも知れない。
私の両親は、私が2歳を超えたばかりのころ離婚した。明治生まれの母方の祖父昌訓は、子供に戸籍上父がないのはいけないと考えたのか、養子縁組という手続きをして私を自分の戸籍に入れた。それまでの私は、旧民法下で生まれたため、父方の祖父の戸籍に「孫」として入っていた。「婦(よめ)」として同じ戸籍に入っていた母も、父昌訓の戸籍に復帰した。戸籍上、母は私の義理の姉ということにもなる。
国民を家族単位で登録する「戸籍」というものは、世界的に見ると少数派であり、日本とかつて日本の支配下にあった韓国と台湾にしかないとも聞く。たいていの国では、登録は個人単位の出生証明書で、父母の名前しか分からず、家族間のつながりはそれを手がかりにしていくつもの出生証明書を参照しなければならないという話もある。また、日本のように、役所の側から「あなたの名前や家族関係はこうなっています」と言われて言われた側が引き下がる国も少なく、個人の側からの「私の名前や家族関係はこうなっています」という説明に役所の方がすぐに応じるという国の方が世界的にみれば遥かに多い。
広島の女児殺害事件で逮捕された容疑者の名前がくるくる変わっている。そのことに日本人は驚くが、実は世界的に見れば珍しいことではないらしい。国家からすれば、日本の戸籍は国民を管理する上で便利だろうが、これを世界的に普及させようとすれば、至る所で抵抗を受けるに違いない。
この事件の場合は、容疑者がたまたま外国人であったのだが、常人に理解のできない行動をとる人間はどこにでもいるのだから、入国審査を厳しくしたってしょうがない。子供たちの登下校時への配慮をその地域でより細やかにする以外、あのような悲しい事件がこれ以上増えることを防ぐ方法はない。