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2004/09/11 土曜日 福井県のミナカミベン 大学時代、福井市出身のKという友人がいた。ひどく言葉が分かりにくかったのを思い出す。福井市は、東西のアクセントの接点であり、アクセントの決まりがなくなった地域である。しかし、このような現象は、県都の福井市周辺に限られ、他の福井県は基本的に関西型のアクセントである。 2004/09/04 土曜日 ソ連 「ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)」とは、1991年まで存在していたもう一つの超大国だった。当時、45にもなっていた私にとっては、物心ついたころから知っていて、なくなることなどありえない存在だった。もう復活することなどありえないのだから、「旧ソ連」という言い方はやめ、そろそろ歴史的呼称として「ソ連」といってもよさそうに思う。 今日、「共和国」はすべて独立し、「ロシア」だけが「連邦」の名を残した。「自治共和国」から昇格した「共和国」を今もたくさん含んでいるからである。そのうちの一つが「チェチェン」なのだが、「ソ連」時代には隣のイングーシ共和国とともに、「チェチェノ・イングーシ自治共和国」を形成していた。別々の民族を一つにまとめたのは、ロシアの統治上の都合でしかなかったように思う。 チェチェンの隣のイングーシのさらに隣の北オセチア共和国(キリスト教が多数派)で学校占拠事件が起こり、おびただしい犠牲者が出た。ただでさえ暑い時に、始業式ということで狭い体育館に保護者まで加わり、人いきれは相当のものだっただろう。子供のほとんどが裸だったのは、衝撃である。 武装集団は、治安部隊の突入後、逃げ惑う裸の子供たちに銃を乱射したという。事実とすれば許されないことである。しかし、治安部隊の使命は、あくまでも秩序の維持にあり、具体的にはグループを殺害または捕捉することにあった。子供たちは放置され、結局、大半が銃撃戦をかいくぐって学校の中に跳び込んだ父親によって助け出されたのではないだろうか? 報道写真を見る限り、抱く大人と抱かれる子供はたいていよく似ていた。 アメリカにせよ、ロシアにせよ、自分とは違う大義を受け止め、取り入れるだけの余裕はまだない。その未熟さのゆえに未来のある多くの命をこれ以上たくさん犠牲にしないよう、自戒を求めたい。2004/09/02 木曜日 「とぶ」 今となっては、遠い昔のことだが、日本語の「とぶ」という言葉のあいまいさをたたいた文章があった。渡り鳥のように、地球の引力を振りきって長時間空中を漂うことは "fly" であり、引力の範囲内で瞬間的に遠くに移動することは "jump" であり、こんなに明らかに違うものを同じ「とぶ」という言葉で表現するのは、日本語のあいまいさの表れであるというような文面であった。 今にして思えば、こんな文章を書く人は、言語というものがどういうものであるかが全く分かっていない人だったのだと思う。短い時間に瞬時に判断しなければならない生き物の一種として、言葉だけに頼らない能力が人間には要求されている。たとえば、夜中に「火事だ!」という声を聞いて、瞬時に逃げる方向を判断する能力である。 「言葉だけですべてが伝えられる」というのは、妄想である。言葉こそ手に入れたものの、しょせん生物に過ぎない人間にとって、理屈などぬきに自分がどうすれば助かるかを判断するには、言葉なんかにたよっていてはいけないのに……。 遠い昔のことなので、中学生だったか、高校生だったか思い出せないのだが、英語の "fall" に「倒れる」という意味もあるということを知って驚いたことがある。それまで、私は、"fall" という英語を、日本語の「落ちる」と同じ意味だと思っていたからである。それまで立っていた人が立てなくなることと、人間にはできない「飛ぶ」ということができる鳥や、もともと高い枝にある木の実が「落ちる」のと、「倒れる」のとでは明らかに違う。 「鳥はとぶものだよ」と聞いて、蛙のようにジャンプするものだと思う日本人も、"He fell down to the ground." と聞いてスカイダイビングのパラシュートが開かなかったと思う英語国民もともにいない。どんな言語を話そうと、人間は言葉だけで自分の行動を選択するほど馬鹿な生物ではない。どんな言葉を話そうと、それがどういうことなのかを瞬時にとらえられる判断力を備えていることこそ、人間のしなやかさなのである。 2004/09/01 水曜日 激やせの理由 むかし勤めていた学校で、新年度に新任の教師が入ってきた。当時の私よりずっと若い男性だが、大学を出たばかりというほどは若く見えなかった。何よりひどく痩せていることが気になった。 |