よしなしごと2004年7月


  小坪トンネル  カネ、カネ、キンコ  1リーグ制私案
かささぎの渡せる橋  曽我/Jenkins一家の再会に思う
身元確認  参議院選挙の結果  「ぼく」


2004/07/22  木曜日  「ぼく」  

 男の子だけの自称として、「ぼく」という言葉がある。しかし、これは本来「しもべ(奴隷)」を意味する。自分を大げさに引き下げる表現として、私の知っている限り西暦でいえば紀元前の司馬遷の名文にも用例がある。
 昔の生徒で、学年できわだって背が低い男の子が、高校生になっても街を歩くと「ぼく、ぼく」と呼ばれるといって憤慨していた。背が低い上にかわいらしい童顔だからいいじゃないかと私は思ったが、それは大人の考えである。その生徒よりやや身長が高い男の子がクラス日誌に書いていた。「このままじゃ、Sにも抜かれる。誰か、背が伸びる方法、教えてくれ!」
 その後、S君はぐんぐん身長がのび、卒業時には、学年の中でも最も高い一人になっていた。クラス日誌で愚痴を書いた生徒はまったく伸びなかった。
 ある日曜日、東京のテレビ・チームが日本の田舎を取材する番組を、何気なく見ていた。たまたま見かけた小学校低学年ぐらいの子に、スタッフが「ぼく、ぼく」と呼びかけたのだが、その子は振り向きもしない。聞こえてないのか、聞こえないふりをしているのか、私自身もなぜだか不思議だった。しかし、スタッフがしつこく「ぼく、ぼく」を繰り返したところ、ついに、その子が振り向いて叫んだ。「『ぼく』じゃない!」……その子は女の子だった。その後、スタッフがその子に謝罪したかどうかは、番組中に明らかにされなかった。

2004/07/13  火曜日  参議院選挙の結果  

 民主50、自民49、公明11、共産4、社民2、無所属5で全121議席が確定した。全国一括の比例代表制で行われていたら、民主46、自民36、公明19、共産10、社民6、女性党2、みどりの会議2となっていたはずだから、選挙制度による差は大きい。
  前回 今回
自 民 40.9 30.0
民 主 24.1 37.8
公 明 15.0 15.4
共 産 7.9 7.8
社 民 7.3 5.4
 主要5党について、前回(2001)と今回の得票率を比べて見よう。前回の比例区における政党別の得票率は、こちらのページによる。前回よりだいぶ政党が減っているため、右の表の前回の部分では、自民党に保守党、民主党に自由党、社民党に新社会党を加えている。

 こうして見ると、自民と民主の間の逆転は歴然としている。公明、共産は得票率にあまり差はないが、共産党の議席が激減したのは、衆議院での小選挙区制の導入で自分の票が死票になることを恐れるようになった投票傾向のために、選挙区での現有議席をすべて失ったためである。社民は、前回より得票率を減らしているが、前回衆院選の比例区よりは、得票率を増やしている。全体の規模が小さくなればなるほど小さい政党には不利である。参議院の場合、衆議院より定数がずっと少ない上に、3年ごとの半数改選制により、1回の選挙で選ばれる議席数はさらに少なくなる。こう考えると、共社両党の議席減は、支持が減っているというよりは、選挙制度によるものであると考えたほうが、私にはよりよく理解できる。

 選挙制度を問題にせず、結果として表れた議席しか報じないメディアの報道姿勢には問題があると思う。小選挙区制の導入で、第一党が不当に多くの議席を占め、選挙区が細分化されたためにますます小さな地域利害を代表するようになった衆議院に対して、その選挙制度が変わらないのだとすれば、せめて参議院は比例代表制一本にすることで、政党の得票率が議席配分に比例し、地域利害から遠ざかるところに独自性を見出すべきだと思う。政党化の進んだ今、良識の府などというのは、実現性がない。

 なお、参議院でも無所属が立候補できるようにすることは簡単である。一人一党として比例配分に加えれば済むことである。選挙制度に関心のある方には、下記の拙稿をお読みいただきたい。

http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/election.htm

2004/07/11  日曜日  身元確認  
 参議院選挙の投票に行ってきた。「何月生まれですか?」という身元確認の問いに、今までの習慣で、思わず「月日」まで答えてしまったのだが、そのあとで「えっ、月だけでいいの?」と聞き返すと、係の人が笑っていた。
 身元確認のため、誕生月日を聞くのはどこでも行われていることだが、京都市の選管だけは月日まで聞いていた。それでトシがばれるからかなわんという女性の新聞投稿が関西のメディアで取り上げられ、もっともだということになって、京都市選管も月日だけにするようにしたという。しかし、月だけでいいというのは予想していなかった、私の前にいた四、五十代の女性は、「何月ですか?」と聞かれて生年月日まで答えていた。京都から引っ越してきた人かも知れない。
 鍵をなくす心配がないと思って、3桁の番号を合わせる自転車の鍵を買ったことがある。しかし、暗い中で番号を合わせようとすると、実に面倒くさいのでやめてしまった。1桁だけの番号を合わせる鍵なら、不安に感じて誰も買わないだろう。選挙での身元確認にしても、月日までの確認なら1/365.25の精度があるが、月だけだと1/12にしかならないのが不安である。「何日ですか?」なら、まぐれ当たりの確率は、おおむね1/30まで下がる。
追記 選挙速報に興味が無いわけではないが、テレビの浮わついた報道がいやなのでインターネットで見ている。テレビではオールスターを見ているのだが、その中にもいちいち選挙の話が入るのでわずらわしい。
2004/07/10  土曜日  曽我/Jenkins一家の再会に思う  
 待望の家族再会が実現した。夫妻の二人の娘が予想もできなかった大騒ぎに「とまどっている」と言う。私は、そんななまやさしいものではなく、ほとんど「おびえている」のではないかと想像している。
 どうして、日本のメディアは一家をそっと会わせることができないのだろうか? 肝心の人たちへの配慮が、もう少しあってもいいはずだと思う。
 明日は、参議院選挙。人の不幸を利用するという点では、日本も北朝鮮も、為政者は同じようなものだと思う。

2004/07/07  水曜日  かささぎの渡せる橋  
 @ かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける
 A 心あてに折らばや折らむ初霜の置き惑わせる白菊の花

春香伝の舞台である南原にある
烏鵲橋。筆者撮影。
 ともに百人一首にある霜の歌である。@(大伴家持)は宮中にあるきざはしを七夕伝説にある天上の橋にたとえ、そこに降りた霜の白さに夜がふけたことを感じている。A(凡河内躬恒)は一面に降りた初霜のために、白菊の花がどこにあるか分からなくなり、あてずっぽうに摘むほかはないという歌である。正岡子規は、「歌よみに与ふる書」で、Aのもっともらしい嘘をこきおろし、嘘をつくなら誰にでも嘘と分かる壮大な嘘をつけといって@の歌を対照させた。
 かささぎは、日本では北九州地方だけに住む鳥だが、大陸ではありふれた鳥であり、魏志倭人伝でも、牛、馬、虎、豹、羊とならんで鵲(かささぎ)がいないことを日本の特徴としている。

 かささぎは、七夕の夜、天の川に群がって翼をひろげて橋をつくり、織女と牽牛の年に一度の逢瀬を確かなものとすると伝えられている。七夕伝説は、漢字文化圏に広く分布しているが、かささぎの果たす役割を含め、地域によりかなりの変異があるようだ。
http://enkan.fc2web.com/minwa/seisin/9_02.html
http://enkan.fc2web.com/minwa/seisin/9_01.html

 朝鮮半島では、からすがかささぎと力を合わせて橋をかける。誰知らぬ者のいない悲恋物語春香伝での二人の出合いの橋も、烏鵲橋という名である。今夜は七夕、天の川の天気もかささぎが必死に活躍するほど悪くはなさそうである。

2004/07/06  火曜日  1リーグ制私案  
 1リーグ制で8球団だというなら、日本の各地域に一つずつ配置したらいい。オーナーの資金力や地域による観客動員力の差があるので、各球団に利益を再配分し、球団間での給料の格差を縮めるようなシステムを工夫すべきだ。愛称は仮のものであり、( )内は本拠地である。

@ 北海道フライヤーズ(札幌ドーム)
A 東北オリオンズ(仙台球場をドーム化)
B 関東ジャイアンツ(東京ドーム)
C 中部ドラゴンズ(名古屋ドーム)
D 近畿タイガース(大阪ドーム)
E 中国カープ(広島球場をドーム化)
F 四国(愛称は四国内で公募。四国中央市にドーム球場新設)
G 九州ライオンズ(福岡ドーム)

 甲子園球場はプロ野球を離れ、春夏の高校選手権、大学選手権、都市対抗野球など、アマチュアの全国大会のメッカとする。炎熱の中でプレーしてこそ高校野球などというのは大人の勝手なロマンチシズムである。選手の健康管理のためにも、雨天順延をなくして遠方からの応援団の旅費を軽減するためにも、ドーム化すべきである。
2004/07/04  日曜日  カネ、カネ、キンコ  
 むかし勤めていた学校で、当時流行だったスキーの修学旅行についていったことがある。そのころはスキーというものがまだ珍しく、大半の生徒が未経験だったのでそれなりに喜ばれた。教師にしてみれば、昼間はインストラクターに任せておけばよく、夜は疲れてよく眠ってくれるという利点があったのだろう。
 そのとき、教師も未経験者が多かったので、教師だけの班がつくられ、インストラクターの指導を受けた。インストラクターは、一人一人の変な滑り方を真似して見せ、どこを直せばよいか教えてくれた。そのとき、上手な人は下手のまねもうまいのだなあと妙なところに感心したものである。これに対して、下手が上手の真似をするのは容易なことではない。
 最近、カタコトの日本語を使う強盗が押し入ったというような報道をよく聞く。そのたびに外国人犯罪が増えているという印象を与えるのだが、考えてみれば、日本語の上手な日本人が下手な日本語の真似をするのは、簡単なことである。長々と話せばぼろが出ることは確かだが、「カネ、カネ、キンコ」程度の長さなら、動転している被害者をだますのは容易だろう。
 ここで、私を暗然たる気持ちにさせるのは、「外国人風」と報じられた事件のその後が報じられる際に、メディアが責任を持って、「外国人風というのは誤りでした」というお詫びをしたという話を聞いたことがない、ということである。

 私は、いまメディアが自明の事実であるかのように報じる外国人犯罪の急増というのは、単なる幻だと思う。そのような幻を意図的にばらまく者がいること、それにやすやすと乗せられる日本人が多いことが残念である。

 そもそも、犯罪に外国人も日本人もない。犯罪の中で来日外国人(年間600万人もいる)や不法残留者が占める比率は、5%程度にすぎない。

 「外国人犯罪」を問題にするのであれば、それよりも95%以上を占める日本人犯罪をこそ問題にすべきだと思うというのは、言い過ぎとしても、そもそも犯罪をこのように分類するのがおかしいのである。犯罪に気をつけなければいけないというのは当たり前のことだが、相手が日本人だろうと外国人だろうと、対策は同じことであり、特に外国人犯罪に気をつけろという理屈が私には理解できない。外国人とはつきあうな、外国人がいたらすぐ警察に連絡しろとでも言うのだろうか?
 この問題について、参考になるページをいくつか紹介しておきたい。

http://www.nanzo.net/henkyo/hrmedia/jcr03.html
http://www.geocities.jp/kumstak/eto.html
http://www.debito.org/TheCommunity/crimestats.html

2004/07/01  木曜日  小坪トンネル  
 私の叔父は鎌倉と逗子の境目に住んでいる。そこからほど近いところに、小坪トンネルがあり、心霊スポットとして知られているらしい。何度か歩いてくぐったことはあるのだが、幽霊に出会ったことはない。

 私たちの頭の中には無数の人の顔がイメージとして蓄積されている。親しい人なら、様々な表情まで蓄積されているだろう。そのイメージはかなり正確なものだと思う。絵の上手な人なら、本人が目の前にいなくとも、そっくりの絵を描けるだろう。

 私たちは、人に出会ったとき、無意識のうちに頭の中のイメージと目の前の人を照合して誰であるかを知るのではないだろうか? まれに照合をしそこなって、人違いを起こすことがあるが、それは、特にその人に遭いたいとか遭いたくないとかいう、特殊な心理状態にある場合が多いように思う。一種の錯視と言っていいだろう。

 さて、どんなトンネルにも水が染み出したりして、あちこちにしみがあるに違いない。三つのしみが三角形をなしている場合、人間は無意識のうちに、人間の顔を思い浮かべるようだ。それがある種の心理状態のもとで、幽霊に見えるのだろう。そう考えると、私たちの頭の中には、幽霊の材料が無数にあるように思う。

 幽霊を見た経験のある人は少ないが、夢を見たことのない人はいない。夢の中で見知らぬ人に出会ったことはあるだろうか? 初対面の人のように思えても、実際は覚醒時に、テレビや本などで見た人の顔がもとになっているのではないだろうか?

 三角形のしみが幽霊に見えるとしたら、それは、あまりにも単純な形であるがゆえに、さまざまな顔を思い浮かべられるからというに過ぎない。単純な予言が当たるように思われるのと、理屈は同じだと思う。

追記 今日から7月、背景の花は、ムジナモという食虫植物の花である。