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2004/05/20 木曜日 金田一春彦氏を悼む 金田一春彦氏が91歳で亡くなった。父の京助氏ともども長命だったのは遺伝なのだろうか? 「金田一」という珍しい苗字は、今では岩手県二戸市に合併された金田一村に由来し、岩手では珍しくない。京助氏は、盛岡の富裕な銀行家の息子だった。盛岡中学在学中に、その下級生に石川一という男がいた。のちの啄木である。ぼんぼんで人のよいこの先輩は、石川にとっては、絶好の金づるだった。借金を頼むと断れないのにつけこんで、だいぶ踏み倒しを重ねたという。 春彦氏は、子供のころ、両親が「また石川が来ている」と話しているのをよく聞いていた。「私は石川五右衛門の子孫かと思っていました」と語っているのをテレビで見たことがある。 京助氏は「言語学者」であり、アイヌ語が専門であった。しかし、息子の春彦氏には、言語学の需要は少ないので、「国語学者」になることを勧め、春彦氏はそれに従った。春彦氏は東京育ちだが、父の東北なまりに関心をもったせいか、日本語アクセントの大家となった。連日報道された誘拐事件(吉展ちゃん事件)で脅迫電話の声から、犯人の出身地を特定したのも春彦氏だったと記憶している。 私が日本語に興味を持つようになったのは、高校生のころ、春彦氏の書いた『日本語』(岩波新書 1957初版)を読んだことがきっかけだった。のちに増補版が出て今もロングセラーとなっている。いろいろな分野で日本語を興味深く、かつ分かりやすく書かれているので、未読の方には勧めたいが、若い世代にはぴんとこなくなっている記述も多い。 『日本語』を読んで残念に思うことは、「未開社会の言語」という言葉がよく出てくることである。言語に未開も既開もない。今日通用している言語というものは、等しくそれぞれの論理と体系を持っているのだが、「進歩」ということが至上命題だった時代に生きた春彦氏としてはやむをえないことだったのかも知れない。2004/05/14 金曜日 宗教とならわし むかし、何かで読んだことだが、ある放送局のチームがある日本の田舎を訪れたという。その村にすむおばあさんが、どこから来たのかと聞いた。「東京から」だと答えると、おばあさんは「それなら、この村から東京に行った○○を知っているだろう」と言う。「知らない」と言うと、「東京から来たというのは嘘だな」と言われたという話であった。おばあさんは、「とうきょう」というのは、どこか遠くにある村で、自分の村と同様、村人がすべて顔見知りである土地だと思っていたようである。2004/05/06 木曜日 横浜の変貌 横浜に住む母と電話で話したとき、連休に帰れるかと言っていたので帰った。まず、東横線の変貌に驚いた。横浜〜桜木町間が廃止され、代わりに「みなとみらい線」というものができて東横線直通で「元町・中華街」まで運転されていた。廃止された東横線の横浜〜桜木町間のガードは取り壊されて然るべきだが、ガード下が若者たちの自由な落書き空間になっていたので、しばらくは残されるようである。 経済発展は「ふるさと」を奪う。帰りに横浜駅から東横線に乗ろうとしたとき、地下5階まで潜らなければならなくなっていることに驚いた。2004/05/01 土曜日 よい子、わるい子、ふつうの子 今はむかし、「よい子、わるい子、ふつうの子」という歌のトリオがあった。とかく教師は子供を「よい子」と「わるい子」に分類したがる。そこに「ふつうの子」という第三の範疇を加えたところが命名の味噌であった。 |