よしなしごと2004年12月


  火のないところに煙は立たぬ  一宮町議選  魚沼
千里万里  信太市


2004/12/21  火曜日  信太市  

 市町村の合併がさかんである。茨城県では、阿見(あみ)町と美浦(みほ)村との合併により、信太(しだ)市が誕生する可能性もありそうだ。この地には、日本史研究者の間では有名な信太庄(しだのしょう)があった。

 信太(しだ)という苗字を名のる者として、これで自分の苗字も少しは正しく読んでくれる人が増えるのではないかと期待した。

 昨今の風潮としては、地名を商品名と間違えている例が多いことに暗澹たる気分になる。山梨県では「南アルプス」市、愛媛県では「四国中央」市が登場した。「南アルプス」市は、「中巨摩」郡、「四国中央」市は「宇摩」郡(新居浜市に編入された別子山村を除く)と、もとは宇摩郡に所属していた(旧)川之江、伊予三島両市の領域が全域合併して、あらたに「市」となった。合併に関わった市町村に「中巨摩」「宇摩」と名のる市町村はない、それなら、どの市町村の名も受け継がれず、対等合併ということになるのだから、こんなしょうもない新市名をつくる必要はなかったのではないかと思う。

 阿見町に近い江戸崎町を中心とする3町1村の合併では、稲敷市という新市名が確定した。地名をひらがなにするのが普通の時代に、「あえて」漢字を残したのは、一面の稲穂を訴えたかったせいなのだろうか?

 稲敷郡は明治になって、信太郡と河内郡が合併してできた。江戸崎町などが稲敷市を選んだのは、稲敷郡庁が江戸崎にあったためらしいが、江戸崎も歴史のある地名であり、稲敷郡全体が合併するわけではないのだから、江戸崎市でもよかったとも思う。


 福井県では、新たに「越前市」「越前町」「南越前町」が誕生するそうである。そのため、「武生(たけふ)」などの古い地名が公的には用いられなくなるようだ。

http://www.asahi.com/politics/update/1219/006.html



(その後) 阿見町と美浦町との合併は、下記の通り、御破算になったようである。

http://www.town.ami.ibaraki.jp/kakuka/tyoutyoukoushitsu
/kikakuka/gappei/gappei.htm


 合併が実現していたところで、「あみほ市」になりそうだと思っていた。万一「信太」という古い地名がが採用されたとしても、今の風潮では、「しだ市」になっていたと思う。それでは、「信太(しだ)」という苗字を名のる者にとっては、何のメリットもない。地名は、日本全体の財産であり、地元(の政治家)だけで決めていいものだとは、私は思わない。このままでは、ニッポンじゅうに、「緑ヶ丘」市や「朝日ヶ丘」市のような「市」があふれることになりかねない。

2004/12/14  火曜日  千里万里  

 まだ今年の仕事は終わっていないのだが、年末は忘年会が多い。ある二次会でカラオケとなり、私は十九の春(そのときは「那覇市」が「コザ市」になっていた)を歌った。カラオケでは、白い字が青い字に変わるにつれ歌うことになっているが、私はこれが苦手である。若いころには、歌詞をすぐ覚えていたが、今では画面の助けを借りないと歌詞が出てこない。
 さて、「十九の春」の画面に「千里万里」という句が出てきた。画面にはルビもついているのだが、そのルビが「せんりまんり」となっているのに驚いた。私の記憶では「万里」は「ばんり」としか読めない。「万里の長城」を「まんりのちょうじょう」などと読んだら笑われるに違いない。
 一昔前、大阪で漫才をしていた海原千里・万里という姉妹がいた。妹の「千里」は現在、本名の「上沼恵美子」で独立している。この姉妹コンビも「「せんり・まり」であって、決して「せんり・まんり」ではない。IMEで「まんり」と入れても「万里」と変換されるのだが、これは、「じょうおう」を「女王」、「ふいんき」を「雰囲気」と変換するのと同レベルの邪道(若者への迎合)と思う。

 今、日本語がおろそかにされていることが腹立たしい。


2004/12/05  日曜日  魚沼  
 「魚沼(うおぬま)」という地名は、「コシヒカリ」のおかげで、全国的に知られている。新潟県中部の山間部であり、世界でも有数の豪雪地帯として知られている。この地域より遥かに寒い地域は、南極だの、シベリアだのを探せば、世界にはいくらでもある。しかし、降る雪の多さからいえば、世界一といっても言い過ぎではない地域である。

 先日の新潟県中越地震で、この地域は甚大な被害を受けたが、全村避難となった山古志村は「魚沼」には含まれず、まもなく長岡市に合併されるはずである。「魚沼」にある唯一の市は十日町市だけである。
 昨今の市町村合併は、この地域にも及んでいる。魚沼郡が「北魚沼、中魚沼、南魚沼」の3郡に分割されたのは、明治以降のことなのだが、このうち北魚沼郡だけが全郡合併して「魚沼市」となり、南魚沼郡のうち、六日町と大和町とが合併して「南魚沼市」となることになった。
 よそ者の私が言うのも何だし、地震の被害から回復していないときに不謹慎という気もするのだが、せめて新「魚沼」市には、「北魚沼市」と名のるだけの自制を求めたい。新「南魚沼」市についても、たった2町が合併するだけで旧郡名をそのまま受け継ぐと言うのは考え直してほしいと言いたい気がする。どちらかが「越光」市と名のったわけではないので、山梨県の「南アルプス市」や愛媛県の「四国中央市」のようなけったいな宣伝臭が感じられないのがせめてもの救いなのだが……。

 「南アルプス市」や「四国中央市」については、全郡合併である上に、郡名を名のる町村もなかったのだから、それぞれ「中巨摩(なかこま)市」、「宇摩(うま)市」とするのが当然であろう。中央への宣伝ばかり考えず、地元の長い歴史をこそ誇りにしてほしいと思う。

2004/12/03  金曜日  一宮町議選
  

 兵庫県には自治体としての一宮町が二つある。一つは岡山県に近い山間部にあり、もう一つは淡路島の北部にある。ともに合併を控えており、前者は宍粟(しそう)市、後者は淡路市の一部となる予定である。最近、宍粟市となるほうの一宮町で最後の町議選が行われた。定数14名のところ、立候補者が13名しかなかったため、選挙もなしで全員当選となった。あと1人多くても結果は同じだっただろう。

 立候補者が少なかったのは、最後と言うことで盛りあがりに欠けたせいかもしれない。しかし、合併後に市になったとき、元の町議は自動的に新市議になると思う。そう考えると、無投票当選者の中に1人でもとんでもないトラブルメーカーがいたら困るのではないかと心配になる。

 たとえ、たった1人が落選するに過ぎないとしても、やはり選挙は行われたほうがいいと私は思う。

2004/12/01  水曜日  火のないところに煙は立たぬ  

 30をかなり過ぎた同僚の教師がまもなく結婚するという噂が立ったことがある。誰か、情報源になった生徒がいたようである。本人は打ち消しに躍起だったが、まもなく本当に結婚した。こういうことを、日本のことわざでは、「火のないところに煙は立たぬ」という。
 ここで注意してほしいことは、決して「火のないところに煙は立たない」とは言わないことである。仮にこういうとした場合、「火のない」の「ない」は形容詞、「立たない」の「ない」は、(動詞を打ち消す)助動詞であるということに注意されたい。助動詞の「ない」は、西日本の日常会話ではめったに用いられず、代りに「ん」が使われる。「立たない」とは言わず「立たん」という。「立たん」は「立たぬ」がより簡易に発音されるようになったものである。
 動詞を打ち消す「ない」は、もともと東日本の方言である。万葉集にも現れる「なふ」が起源であり、それがのちに形容詞の「ない」との混同から「ない」となったというのが、今のところ通説となっている。
 東日本の方言が「標準語」となったのは、明治以降のことである。江戸時代には、かなり後まで、上方の言葉が標準とされていた。ことわざは「標準語」より歴史が古いので、打ち消しの助動詞に「ない」ではなく、「ぬ」を用いるのが普通で、「ない」を用いるのはほとんど思いつかない。「蒔かぬ種は生えぬ」「ならぬ堪忍するが堪忍」「捕らぬ狸の皮算用」「知らぬが仏」「隣の口には戸がたてられぬ」など挙げれば切りがない。

 「くだらない」の語源については、古代の日本に大きな影響を与えた百済にないからつまらないものだという「百済(に)ない」説や、江戸時代に上方が江戸より優位だった時代に、(よい製品の多い)上方製でないということで「下らない」と言ったとかいう俗説がある。

 しかし、文献上に現れるのは、「下らない」より「下らぬ」のほうが古い。文章の中のここのところが「下らぬ」という用例である。つまり、「(すっきり)腑に落ちない」「(買おうとするものが)気に入らない」ということだという語源説のほうが私には納得できる。私の住む関西では、話し言葉では今も「下らん」という。「下らない」を関西人が「下らぬ」と言い換えたのではなく、関東人が「下らぬ」を「下らない」と言い換えたのである。言葉は常に変化する。現代語だけで語源を考えることは、厳に慎まなければならない。