よしなしごと2004年10月


 天動説と日本語  フィンランドの野球  米洗ふ前
インターネット心中  南野と田路  円山川と豊岡市  余震


2004/10/27  水曜日  余震  
 神戸に住む私は、10年近く前に大地震に遭ったことがある。就寝中にまず強い縦揺れがきて、「エクソシスト」のリンダ・ブレアのように水平に寝た姿のまま浮き上がり、そのまま布団に着地して目が醒めた(のだと思う)。寝ぼけまなこでまだ暗いあたりを見渡し、いったい何事が起こったのかといぶかしがっていた。そこに横揺れである。「うわぁ〜、これは地震だ!」とようやく気がついた。立ち上がって家族のところに行こうとしたが、這うことしかできない。キッチンの上の観音開きの棚から、食器が滝のように落下するのを見て驚いたが、揺れはまもなく収まった。
 さいわい、家族は怪我人もなかったが、家の中は何がどこにあるのか、分からない状態になっていた。夜が明け、10時ごろ、近くのスーパーが営業しているという情報が入った。妻が家の中を片付けるから、水などを買いに行ってくれと行ってくれというので、長い行列に並んだ。
 営業を始めたスーパーの従業員の中には、片道4時間もかけて自宅から歩いてきた人もいたそうである。シャッターを下ろしたまま、その隙間越しに販売していたのが、今にして思えば珍しい。掠奪をおそれたのだろうか?
 長い行列はなかなか前に進まなかった。買物ができるまでに、何度か余震が襲ってきた。しかし、その震度は3〜4程度で、本震を体験した私たちは、あまり怖いとは思わなかった。
 今度の新潟の地震の横揺れは、私たちが体験した以上の激しいものだったらしい。それにしては死者が少なかったのは幸いだが、阪神淡路大震災の場合、直下型地震の真上が大都市だったことが災いしたのかも知れない。
 新潟の地震で、震度6クラスの余震が続いていることに驚いている。震度3〜4程度の余震だったからこそ、私たちは落ち着いていられた。家の被害も軽かったので、余震で崩壊するとも思わなかった。しかし、今回の地震は、本震に匹敵するほどの余震が相次いでいる。阪神のあの本震など、二度と体験したくないと思ったのだが、新潟の被災者たちはそれに耐えているわけである。
 私たちの体験した地震は、夜明け方に起こり、まもなく明るくなった。しかし、今回の地震の場合、夕暮れ時に起こり、停電した暗闇の中で、被災者たちは、度重なる強い余震の中で不安な一夜を過ごしたのだろう。たまったもんじゃないと思う。
 今度の被災地は世界に冠たる豪雪地帯と思う。豪雪に耐えるために柱が太かったことが幸いしたのかとも思うが、真冬にあんな地震が起きたなら、家から逃げ出したものの、凍死する人が相次いでいたかも知れない。
 私たちは、地球の恩恵を受けて生きている。地震は地球の生理現象に過ぎない。それを防ぐことはできないが、最悪の条件下で起きた場合にどう備えるか、事前に知恵をしぼってほしいと思っている。


2004/10/22  金曜日  円山川と豊岡市  

 日本海に面する兵庫県の北部は、むかし「但馬(たじま)の国」と呼ばれた。神戸や阪神間と違ってかなりの田舎である。町らしい町は豊岡市しかない。その豊岡の市街地の9割が、台風23号によって冠水し、家々が島のように見える映像が連日テレビで映されている。但馬の6割は豊岡の街中を流れる円山川とその支流の流域なのだが、その円山川が豪雨で氾濫したのである。
 豊岡に行ったことが5回ある。すべて仕事で行った。初めて行ったとき、円山川の悠然たる流れに驚いた。水上スキーや競技用のボートの姿を見た。新幹線の車窓から見る広い河川敷に僅かな水しか流れていない川々とはたいへんな違いである。思うにこういう気息奄々たる川々は、上流にダムが多いために、下流に水が回ってこないのだろう。
 円山川は短い川である。長い川は鹿の角のように枝分かれを繰り返し、子川、孫川、ひまご川……から少しずつ水を集めて肥え太る。しかし、円山川は、ほとんど子川しかない。太平洋側から北上すると、最初に見える円山川は、都会の街中にもありそうな小さな川である。それが子川の水をつぎつぎと集め、急速に川幅を増す。
 川幅を増した円山川は美しい川である。湖かと思うほど広く、流れは目に見えぬほどゆったりしている。そのため、海から逆流する水も混ざるらしく、なめてみるとほのかに塩辛い。写真はこの夏に撮ったものである。天候が悪かったため、川の美しさは伝えられないが、広さはお分かり頂けるだろう。
 さて、このような但馬に、一時に多量の雨が降るとどうなるだろうか? 子川の水を短時間につぎつぎと集めた円山川は、ただでさえ水量が多いのだから、たちまち氾濫を起こしてしまう。それならば、他の川以上に高い堤防を築けばいいではないかという考えも納得できるが、それではこの川の美しさを破壊してしまう。一方、高い堤防は、必ずしも水害を防ぐのにも役立たない。川から離れた土地に降った雨が川に流れ込めなくなり、堤防の外で溢れかえってしまうからである。

 但馬の地形は大昔から変わらない。豊岡市街の冠水は、戦後も何度も繰り返されているし、今後も予想される。それならば、この地域にふさわしい防災対策をしっかりと立てなければならない。それにはお金が必要である。しかし、お金を出す行政側は、地域の状況を細かく検討することを嫌う。そんなことをするより、全国一律の基準だけを定めるにとどめるほうが、手間もお金も節約できるからなのかも知れない。


2004/10/21  木曜日  南野と田路  

 南野新法務大臣が国会で「いじめ」に遭っている。他にもっと追及されるべき大臣のための防波堤として、小泉首相が任命したというのは考えすぎだろうか?
 それはさておき、新法相は、「南野」と書いて「のおの」と読む。「南野」姓は関西には多く、むかし同じ学年に同じ字で「なんの」と「みなみの」が一人ずついたことがあるが、「のおの」というのは初耳である。
 「南」という漢字は、日本に漢字が伝わったころには、当時の中国の発音に忠実に[nam]のように発音することが求められ、しばしば「なむ」と表記されていた。しかし、「む」は「み」とともに、「ん」や「う」になりやすい。そのような例は、ヤマトコトバでしばしば見られる。「神社の領地」を意味する「神戸」は本来「かむべ」だったと思われるが、地名の大半が「かんべ」となった。今では大都市となった兵庫県の「かうべ」のように、「こうべ」となったのは少数派である。苗字の場合も、大半は「かんべ」と読むように思われる。新法相の「南野」の場合、漢語に由来する「なむ」が「かうべ→こうべ」と同様の変化をたどり、「なむの」から「なうの」「のうの」となり、これが「のおの」と表記されるようになったのだと思う。

 兵庫県には「田路」という苗字がけっこういる。これで「とうじ」と読む。これは、恐らく、「たみち」→「たうち」→「とうじ」という経過をたどったものと思う。しかし、首都圏などに他の土地に移住すると、さらに「たじ」と読みかえる例が多いようだ。


 私のサイト内で飛びぬけて多くのアクセスを下記のページに頂いている。「南野」も「田路」もこれに載っており、決して珍しい苗字ではない。
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/bunpu.htm


2004/10/17  日曜日  インターネット心中  
 青森から佐賀まで住む所もばらばらで、インターネットで知り合った男女7人が埼玉県で集団心中したというニュースが報じられた。人生これからという若い人たちばかりであったことが痛ましい。自殺、それも特に若い人の自殺が相次いだ時期は過去にもあった。私の学生時代など、奥浩平とか高野悦子といった自殺した人の手記がベストセラーとなっていたし、友人の中からも自殺者が出た。1933(昭和8)年は、伊豆大島の三原山の火口に、1年間に千人近くもの人が身投げするという異様な1年だったという。
 しかし、今回のような場合は、いっしょに死ぬ人間が簡単に見つかる時代になったという点に問題がある。死ぬにしても生きるにしても、一人ではなかなかできないという人が増えていることが問題なのだろう。インターネットは、いっしょに死んでくれる仲間を簡単に探し出してくれる。インターネット自体が自殺をあおるのではないが、最後の引き金を引きやすくしてしまうということは言えると思う。
 とはいえ、自殺サイトを根絶することはできない。命の電話のようなサイトをウェブ上に開き、彼らを引きとめられる人材を配置する以外に方法はないと思う。インターネットは、日常接する範囲ではめったに出会わない同じ志向の人を簡単に集められる。日常じかに接する人とのつながりを大切にし、自分とは違う人とのつきあいをも大事にした上で利用するのでなければ、どこまで行ってしまうか分からないという恐ろしさを、インターネット心中は端的に教えてくれると思う。ウェブがすべてということになってはいけないのである。


2004/10/12  火曜日  米洗ふ前  
 だいぶ前に掲示板で書いた覚えがあることを繰り返す。俳句の初心者が「米洗ふ前蛍が二つ三つ」という句を作った。兄弟子が「『前』では蛍が死んでいる。『前』とすれば動きが出る」と忠告した。そこに師匠が通りかかり、「前」ならもっといいと断じたという。

 この話を授業でしたところ、「前
」と「前」については、「『前』なら、蛍がずっとそこにいる。『前』なら、どこかから飛んできた」と生徒が答えた。そこに「動き」が生じることが分かっている。

 しかし、「前
」と「前」がどう違うかと聞くと、予期していない答が返ってきた。私は、「蛍が目の前を飛びまわる」という感じで、ますます動きが出ると解釈していたのだが、生徒たちは、「目の前を通り過ぎる」と解釈したのである。

 生徒たちの解釈は、さすがに日本語で育っただけに、日本語の解釈として間違ってはいない。しかし、俳句となると、「正しい」だけでは不足であり、そこに詩情があることが求められる。その点で、私は「通り過ぎる」より「飛び回る」をとる。

 ところで、俳句となるためには「蛍が二つ三つ」でなければならないとも思う。「米洗ふ前
男が二、三人」では、「に」を「へ」にかえようが「を」にかえようが、俳句にならない点ではかわらない。「米洗ふ前男が二、三人」なら、目の前を男たちが通り過ぎたと解釈するのが自然である。男たちがうろうろしているという解釈も成り立つが面白くもおかしくもない解釈である。

2004/10/06  水曜日  フィンランドの野球  
 特定の国々だけで盛んなスポーツであるということで、つぎの北京五輪の種目に野球が残るかどうかが話題になっている。しかし、日本との通商に熱心な中国が舞台であるだけに残るのではないかと私は思っている。
 遠いフィンランドにも野球があるという話を聞いたのは、だいぶ昔のことである。しかし、それは野球とは似て非なるもので、フィンランド語で pesapallo という子供の遊びらしい。野球との決定的な違いは、打者のそばに味方チームの一人が捕手のように坐ってトスを放り上げ、それを打者が打つということである。
 打者の多くはトスをしてくれる味方選手の左側に立つ。言うまでもなく、人間の多くが右利きだからである。左利きなら右側でトスしてもらえばいいのだが、それでは打ってから走るのに不利である。なぜなら pesapallo では、野球と逆に三塁方向に走らなければならないからである。打つときに身体が回転した方向にそのまま走るのが有利なことは言うまでも無い。
 pesapallo は、野球より子供に分かりやすいかも知れない。野球の盛んな日本でも、打者より後ろにいるキャッチャーが味方ではなく敵であるということが、なかなか理解できない子供もいるらしい。
 野球の場合、打てなかった打者は、敵の投手に脱帽すればいい。しかし、pesapallo の場合は、味方の「投手」を怨むことになるのではないだろうか? なお、pesapallo には「捕手」はないらしい。


2004/10/03  日曜日  天動説と日本語  

 先日、小学校4〜6年生の実に4割が「太陽が地球の周りを回っている」と思っているという調査結果が、「学力低下もここまできたか」という慨嘆を含みながらメディアに取り上げられていた。
 このようなことになったのは、もう常識だから教えなくたって大丈夫だろうという油断があったからだと思う。油断といえば、もっと深刻なのは日本語の問題である。生徒たちの語彙が年々乏しくなっていくのを、教育現場にいるものとして感じている。これも、日本で育ち、日本で暮らしているのだからという油断がもとだと思う。
 日本で育ち、日本で暮らしているから日本語が身につけられるというのには、条件があった。3世代同居の家が多く、忙しい父母より祖父母から言葉を受け継ぎやすかったこと。親戚づきあいや近所づきあいが盛んでさまざまな大人に接すること。自動販売機もコンビニもない時代に物を買うには必ず人と会話が必要だったこと。友達と連絡をとるには必ず(電話でも)親を通さなければならなかったこと……。こういった条件は、今日ではどんどん失われてきている。

 そんな時代に、日本の学校では日本語の基礎がきちんと教えられず、妙な規範意識や文学趣味の強い「国語」教育が千年一日のごとく行われている。子供はまだ日本(語)人ではないのだという現実から出発する教育へのコペルニクス的転回が今こそ求められているのではないだろうか?