よしなしごと2003年8月

  子供から大人へ  ガスガラ  戦争体験を語り継ぐ
分離手術  言語籍  広島  美女軍団とチャンスン
早慶戦番外編


2003/08/30  早慶戦番外編  土曜日  
 一昨日の日記に書いたことだが、焼かれた千羽鶴の代わりの千羽鶴がガラスケースに入れられ監視カメラまでついていた話を勤め先でした。焼いた学生は関西学院の学生だったので、あれで関学も志願者が減るんじゃないかという話が出たが、学生の不祥事と言えば、早稲田のほうが深刻ではないかという話も出てもっともだということになった。組織的にレイプを繰り返していたとすれば、たしかにより深刻である。しかし、その黒幕的存在がライバルの慶応の学生らしいという話も報道されたので、早稲田の当局も少しはホッとしたかも知れないが、不謹慎な話なので公言はできないであろう。
 関学の学長は広島まで出向いて市長に頭を下げたが、学生の不祥事に大学当局がどこまで責任を負うべきかという点には疑問が残る。大学生にまで中高生なみに監視が行き届くというのも考え物である。今の大学生だって、あそこまでやるのは一握りだし、特定の大学の教育が悪いから非行に走るというものでもなく、責任は本人が負うべきだと思う。関学の場合、学生サークルの多くが代わりの千羽鶴を折って広島に贈ったという。
 それにしても、今の大学生は社会的な関心が低すぎるという気持ちはぬぐいきれない。あそこまで行くのは一握りだとしても、もっと勉強に関心を持つ雰囲気が大学にあったなら、少しはああいう事件も減るだろうと自分のときのことは棚に上げて思っている。
2003/08/29  美女軍団とチャンスン  金曜日  
 韓国の大邱(テグ)で行なわれているユニバーシアードで話題の北朝鮮の美女軍団が南の金前大統領と金総書記が握手している写真が雨ざらしになっていることに涙の抗議をした。北では、紙幣に描かれた肖像を折らないように折ることに気を使っていると聞く。
 横断幕を掲げたのは、韓国の地元住民である。文面は「北の皆さん、ようこそ。今度は一緒になって会いましょう」というもので、要するに歓迎するつもりで掲げたものであり、それゆえ目立つ所に掲げたために軍団の目にも止まったものらしい。

 韓国の男性の中には、美女軍団にメロメロになった人が少なからずいた。日本女性に負けず劣らず厚化粧の韓国女性に嫌気がさしたために「素朴」な北の女性に憧れたのだろうと、同じ男性として共感する。しかし、あの軍団が素朴だとは、私は思わない。南よりは薄いにしても、化粧をしていることに変わりはない。まったくのすっぴんだったら、もっときれいだったろうと思う。まして、あの涙には熱のさめた韓国男性も多かったのではないかと同情する。
 軍団が抗議した理由の一つに、あんな「カカシ」の間に横断幕を掲げるなんてということもあったという。「カカシ」とは「チャンスン」のことである。日本のメディアは「韓国では村の守り神」と紹介していたが、「韓国では」どころか、古くから南北を問わず、ちょっとした村の入り口には必ずといってよいほど掲げられていた神像であり、日本の植民地時代にも広く見られたのがチャンスンである。

チャンスン。韓国民俗村で筆者撮影。

 現人神が唯一の神である彼女らは、チャンスンが古い神様であることを教えられていなかったのだろう。泣きながら抗議するその一人から「ホスアビ」という言葉が聞こえた。まさしく「カカシ」ということである。
2003/08/28  広島  木曜日  
筆者撮影
 久しぶりに広島に行ってきた。毎回平和公園に行くのだが、前回平和公園内になかった韓国人被爆者慰霊碑が公園内に移築されていた。平和資料館には、「加害展示」が加えられていた。就職活動の不調にいらだっていた心ない大学生に焼かれた千羽鶴の代わりに各地から新しく贈られた千羽鶴は、錠つきのガラスケースに入れられ仮展示とされていた。
筆者撮影 学生時代によく乗った京都市電を久しぶりに見た。広島の路面電車は、廃止された各地の路面電車を引き取っている。バスガイドが間違えて「大阪市電」と説明していた。同行した中に京都出身の人がいたが、物心ついたときにはすでに市電が廃止されていたので、私が一目見て分かる京都市電を知らなかった。しかし、電車の横腹に京都市章があるのを見て納得していた。

2003/08/20  言語籍  水曜日  
 今の世界には国籍というものがある。どこで生まれたか、親がどこの国籍かなど、国籍を得る基準は国家によって違う。しかし、ある言語を話すことを国籍の要件にしている国家があるという話は聞かない。国籍とは別に「言語籍」というものを設けて、世界中の国家がそれに応じた対応をとりあうという体制はできないものかと思うことがある。
 むかし勤めていた学校と同じ市内にある小学校の先生と話す機会があった。その人のクラスに、日本語があまり上手でなく、どうしてもみんなから離れがちになってしまう女の子がいるという。父親は日本人で、母親は韓国から来た韓国人であって在日ではないが、子供の国籍は、父親と同じ日本である。父親はずっと世界中を飛びまわる仕事をしているのだが、韓国に行ったとき、何かの縁があってその子の母親と結婚し、日本で一緒に暮らすことになり、その子が生まれた。ところが、その子が生まれてからも、父親は相変わらず世界中を飛びまわる毎日で、日本で家族と過ごす時間はきわめて乏しい。そのため、その子は生まれてこのかた、ほとんど母親とだけ暮らしているという。日本語の不自由な母親は、あまり外に出る機会がなく、その子が自分の気持ちをいちばんよく表わせる言語は韓国語である。
 「どうしたもんでしょう?」とその先生は言っていた。もちろん、それなりの努力や工夫はしている人である。私としては、「それはやはり、お父さんにもっと事態を詳しく説明して考えてもらわなければ……」と答えるほか無かった。

 だいぶ前に新聞で読んだ記事でうろ覚えなのだが、日本で何かの犯罪の嫌疑をかけられたフィリピン人がいた。フィリピンは多言語国家であり、そのために共通語として英語が話せる人が多い。しかし、そのフィリピン人は英語が上手ではなく、日本語はいうまでもない。裁判にはフィリピンの公用語であるタガログ語の通訳がついたが、有罪になった。こういう場でフォローされる言語の中では、被告がいちばん自分の意思を伝えられる言語はタガログ語ではあるが、肝心のところで意思の疎通がうまくいかなかったとして、母語の通訳をつける(二重通訳になるかも知れない)という条件をつけて控訴をしたというような記事であった。その後どうなったかは知らないが、裁判が一生を左右することもあると思う。身に覚えがない麻薬の嫌疑でオーストラリアで何年も投獄されていた日本人もいるというから、この問題は日本人にとっても他人事ではない。
 裁判が一生を左右することに負けず劣らず、小さいころの周囲との関係が一生を左右することは言うまでもない。

2003/08/15  分離手術  金曜日  
 先日、頭部のつながったイラン人の双子の姉妹の分離手術が行なわれた。世界中から一流の医者を集めたにもかかわらず失敗に終わり、二人とも亡くなった。それだけ難しい手術だったということだろう。
 姉妹の脳は完全に分離しており、二人は全く別々の人格である。二人が小さいころ、ほぼ同時に別々の方向へ駆け出そうとしてあまりの痛みに二人で泣いたという話がある。このとき二人が泣いたのは、単に痛かったからだけなのだろうか? 自分の思いが果たせない悔しさ、このようなことがこれからもずっと続くことへの絶望などなど、無数の思いがそれぞれの脳裏に去来したに違いない。その気持ちが最もよく理解できたのは、この姉妹たち自身をおいてほかにない。二人は、手術が難しいことを知っていた。それほどの危険を冒してまで成功に賭けようという気持ちを二人は共有できた。
 では、二人の気持ちは、二人にしか分からないものだろうか? 完全にということであれば、誰にだって分からない。二人の気持ちだって完全には一体ではない。しかし二人に日常的に接する人は、他の人より二人の気持ちが分かっているだろう。自分とは違う現実を生きている二人の言葉に耳を傾けようとする人なら、二人の気持ちに近づくことができるだろう。そして、その中で二人との間に良好な関係をつくることもできるようになるに違いない。このことは、何も相手がこの二人であるときに限らない。
 終戦の翌年に生まれた私には、戦争を体験した人の気持ちは完全には分からない。しかし、その言葉に耳を傾けることで、少しでもその気持ちに近づきたいと思う。最初に挙げた姉妹の話に戻って言うならば、単に「痛かったから泣いた」などという程度の認識にとどまりたくはないと思う。

2003/08/14  戦争体験を語り継ぐ  木曜日  
 インターネットをしている人の中で、私のように50代後半という人は少ないだろう。それから歳が上になるにつれ、その率はますます下がるものと思う。そのため、ウェブ上で若い人たちが戦争を論じているのを見ると、戦争のことをよく知らないのだなあと感じることが多い。
 かく言う私は終戦の翌年の生まれで、物心ついて間もないころから、周りの大人たちが日常的に戦争の話をしているのを聞いて育った。また、戦争を題材にした映画やテレビ番組などもよく見た。しかし、自分自身の記憶としては、戦争は皆無である。そのため、戦争について語るときには、どうしても気が引けてしまうところがある。
 大学生の7割以上がインターネットをすると聞く。また、小中学生でインターネットを見る子も少なくない。それだけに、戦争をじかに体験した人がウェブ上にあまり登場しないのを残念に思っていた。ところが、よく調べればそういうサイトが意外にたくさんあり、。同じ兵庫県に住む西羽潔さんという人が、そういったサイトを集めたリンク集を作っておられることを最近になってテレビで知った。私自身もこれを読んで勉強したいと思っているが、ほとんど戦争のことを知らない若い世代にこそ、読んでもらいたいと思い、下記にそのURLを紹介しておく。
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/
2003/08/08  ガスガラ  金曜日  
 しつけは漢字で「躾」と書く、身を美しくすると書くのだから、見た目をきちんとしろということだということは、それこそ耳にタコができるほど聞いた話である。そして、「しつけ」とは、ほとんど「禁止」の同義語だと日本の子供たちは感じている。

よいこのアニメーションより。 先日、詩人の谷川俊太郎の「大人の中の子ども(草思社刊 『「ん」まであるく」』所収)という文章を読んだ。その中にこんな一節があった。「路傍の一本の野草にも名があるのだと教えること、それもまたしつけのひとつだろう」。

 「ひとつ」どころか、それがすべてであるはずだと私は思う。谷川の父は、法政大学の総長も務めた谷川徹三という高名な哲学者であったが、俊太郎に「〜してはいけない」ということはあまりなく、自分が楽しいと思うことにつきあわさせるような感じで、自由に育てた。その息子ならではの言葉だと思う。自分の子供に、自分が楽しんでいる様をどれだけ見せてきたかと問われると、私はあまり自信はない。

 私が子供のころ、近所に「ガスガラ」という空き地があった。石炭を燃やしてできる「コークス」を敷き詰めた空き地のことである。そこでよく遊んだ覚えがあるので覚えているのだが、初めのころには有棘鉄線(鉄条網)が張り巡らされていた覚えがある。しかし、子供たちがそれをくぐって勝手に遊ぶので、危ないということで有棘鉄線は取り払われ、自由に遊ぶことができるようになった。横浜の中心部にも空き地はたくさんあったのだが、グループ間の取り合いがあるので、大人が禁じた所まで、子供たちは利用しようとしたのであった。

 高度経済成長が始まると、「ドラえもん」に出てくるような土管があったりする空き地はどんどんなくなった。そして、大人たちは、競争社会の中で、子供たちに勉強を命じるばかりで自由に遊ばせなくなった。「子供が遊ぶのは当たり前」というコンセンサスがなくなり、遊ぶ場すら物理的に失われた中に育つのが現在の日本の子供たちである。

 子供たちは、子供だけで集れる場所がないため、大人が支配する場所で遊ぼうとする。小さいうちは初めてだから何でも楽しいのだが、かなり大きくなってもそれを続ける子供たちは、遊び方を教えられていないだけに、どう遊べば大人たちが怒るのか、言いかえるなら社会から許されないのかをわきまえないままに、大人の遊びを自分勝手に解釈して派手に遊ぼうとする。その延長線上に、現代日本の少年犯罪があるのだと思う。

 しかし、少年犯罪は決して増えてはいない。私たちの時代に比べると、むしろ減っている。ただ、昔はほとんどなかったような理解に苦しむような凶悪な少年犯罪が増えていることは確かだろう。それは、いま昔は生まれなかったような子供たちが生まれるからではなく、子供がその中で育つ大人の社会が昔とはすっかり変わっているからだろう。大人になってからも発展させることが可能な「遊び方」を小さいころから教えることに大人たちがもっと真剣になってもいいのではないかと、私は思う。
2003/08/01  子供から大人へ  金曜日   
 子供から大人へといっても、人間の場合は、オタマジャクシがカエルになるように、子供が似ても似つかない大人の身体になって、水中から陸上に進出するということではない。ヒトは、性差も個体差も年齢差も少ない一様な生物である。子供と大人の違いは、ほどんどヒトにしかない「心」の問題である。

 子供は、自分が大人であるということを自ら意識することによって、大人への歩みを始める。しかし、そのような自覚は、決して子供の中から生まれるものではない。大人たちの間で形成されている社会が、お前は大人だというから大人だと思うだけである。あるいは、大人にならなければならないと思うからである。

 子供は初め、自分がやがて大人になるとは思っていない。大人というのは、自分とは別種の生物だと思い、子供として満ち足りた毎日を過ごしている。自分が周囲の子供と特に違うところがなければ、大人からも子供からも文句を言われることはない。比較の対象は、常に自分と同じ子供であるから、大きな落差を感じることもない。

 大人であることを期待される年齢に達すると、子供たちの満ち足りた生活は終わる。子供たち自身が自分を大人と比べ始める。そして、そこに大きな落差を感じ、大人としての自分の力の無さ、知識の無さに絶望的な気分になったりもする。そして、その落差を一気に解消しようとする。

 落差の解消は不可能ではないのだが、一気に解消することは不可能といってよい。だから、今までの子供のままで、少しずつ解消していけばよいのだが、子供は、それにかかる時間を限りもなく長いものと感じやすい。その時間が、僅かな年月に過ぎないということが分かるのは、もっとずっとあとのことである。時間に余裕のある子供の方がせっかちであるというのは、皮肉な話である。

 このような子供の悩みは、大人たちにとっても他人事ではない。大人が子供と違うところは、社会にかかわるすべを、大人として期待される生き方をするうちにいつのまにか身につけてきたということに過ぎないからである。そういう経験の集積が、子供と同じ中身のまわりにこびりついていることだけが、大人と子供の違いと言えば違いと言えるだろう。