よしなしごと2003年2月

 幻の巨大魚  今は昔  マウスを買いかえる
趣味と欲望(幸田露伴) 貸本屋  こそあど

2003/02/25  火曜日  こそあど  

 去年の4月以来、高校3年生を教えてきたが、北海道の大学を受ける生徒がいる。旅立つ前日に学校で「『あ』っちへ行ってから、『こ』んな寒いとこいやだ、なんて思うなよ」と言うと、「『そ』れは覚悟している」と笑いながら言う。こちら関西でもまだ春は来ていないのだから、北海道はまださぞかし寒いことだろう。ちなみに、私は北海道には夏にしか行ったことがない。内陸部では、風呂場につららが下がっているとか、外にだしておくと缶ジュースなどは破裂するため冷蔵庫(温蔵庫?)に入れておくとかいう話を聞くと、私はまだ本当に北海道には行ったことがないのだと思ってしまう。

 その生徒がその大学に受かるかどうかはまだ分かっていない。入学当時は小学生かと思うほど小さかったのが、年相応なのだから当たり前だが、今は見違えるほど大きくなっている。いずれ「ど」こかの大学に入るだろうが、できれば、寒い思いをしてほしいものだと思っている。「こそあど」については、下記の記事に書いたことがあるので、御参照願いたい。

http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/daimeisi.htm

2003/02/24  月曜日  貸本屋  
 今ではめったに見かけない商売だと思うが、祖父が事業に失敗したころ、亡き祖母が貸本屋をしていたことがある。零細な有料私設図書館とでもいえば、分かりやすいかも知れない。横浜の弘明寺(ぐみょうじ)という下町での零細図書館なのだから、小難しい本を置いたって商売にはならない。大人向けには小説、子供向けには漫画を期間を限って貸し出し、返却が遅れたときには延滞料をとるという具合で、今のレンタルビデオが本になっていたと思えばよい。

 祖母が貸本屋を始めたころ、私は小5だったと思うが、そのころ、祖父母の家に行くと、貸本屋の店番をさせられることがあった。「させられる」と書いたが、私にとっては、いやなことではなかった。客の相手をときどきするとき以外は、山ほどある漫画が読み放題だったからである。

 祖母の貸本屋は、私が中2のときになくなった。祖父が突然に世を去り、祖母が我が家に来ることになったからである。その際、商品だった本は二束三文で売り払われた。今にして思えば、実にもったいないことで、今なら鑑定団ものの漫画がたくさんあったかも知れない。しかし、当時は漫画本が将来高値で取引されるなどということは、誰にとっても思いもかけないことだった。

 昔の漫画本が高値で取引されるのは、そのころの子供が、当時の大人とは桁違いに懐具合に余裕のある大人になっているからだろう。私にも、機会があれば昔の漫画を改めて読んでみたいという気はある。しかし、それを大枚をはたいてまで我が物にしたいという気は、私にはない。
2003/02/17  月曜日  趣味と欲望(幸田露伴)  
 今年、傘寿(80歳)を迎える母から、女学校時代の思い出をだいぶ昔に聞いたことがある。「つぎの作家のうち、今も健在である人に○をつけよ」という問題が国語の試験に出たという。その中に、幸田露伴という名前があったとのことだが、○をつけた生徒は皆無に近かったらしい。幸田露伴は明治維新の直前の慶応年間に生まれ、明治20年代に、尾崎紅葉とともに、「紅露時代」を築いた有名作家だった。その当時、自分の両親(私の祖父母)も生まれていなかった母の世代の生徒が○をつけなかったのは無理もない。幸田露伴は、昭和22年に亡くなった。母の息子である私とも1年あまり、地上での時間が重なっている。享年80歳は、今では珍しくもないが、当時は長生きだったに違いない。

 幸田露伴については、娘の幸田文が随筆でその人間像を残している。とにかく、かんしゃくもちだったらしい。一面、ものすごく新しいもの好きな面もあり、「レタス」を「ラッテュース」、「マヨネーズ」を「マイオネット・ソース」と呼んでいたらしい。しかし、明治20年代に、露伴の名を高めた『五重塔』などの作品は文語体であり、今の高校生などには容易に読めない。

 先日、たまたま、露伴の書いた文章を目にする機会があったので、以下、かなりの長文になるが、紹介しておきたい。持って生まれた健康や美などまで、金ごときで買ったりつくりかえたりできると思いこんでいる今の世相の中では、露伴はとても生きられない人間であるに違いない。

インプレス素材


 趣味は人の嗜好なり、見識なり、気品なり、性情なり。性情は淘汰せざるべからず、気品は須く清高なるべし。思想は汚下ならざるを要す、嗜好は一節ありたし。趣味の無下に低く浅きは口惜しきことあり。自ら培ひ、自ら養ひ、自ら生(おほ)したてゝ、我がおのづからなる心の色の花となり出づべき趣味をば、秀で栄えしむべきなり。

 目覚むるやうなるを好むあり、心締まるやうなるを悦ぶあり、淡きを好しとするあり、濃きをいとしといふあり、艶やかに美しきをめづるあり、沈みて銹(さび)あるを望むあり。人の趣味は、人の面の形の異なり、声の色の殊なるが如くに、千差なり、万別なり。おのれを以て他を律すべからず、彼に従ひて之を枉(ま)げんも亦難し、趣味は人々の心の花のおのづからなる色なればなり。花を染めて本の色ならぬ色をなし、花を洗ひて本の色ならぬ色となさんとするとも、誠に夫れ何の甲斐あらん。されどもそれそれの花は培ひ養ひ、よくよく生したてゝ、その自然の色を春秋の天(そら)の下に心ゆくばかり豊かに放ちのばしむべし。人々の趣味は、培ひ、養ひ、よくよく生したてゝ、その自然の色を春秋の天の下に心ゆくばかり豊かに放ちのばしむべし。人々の趣味は、培ひ、養ひ、よくよく生したてゝ、その自然に基づく趣味のにほひをおほどかに世にはなち薫らしむべし。

 足らざることを知るは、満つるに到るの路なり、至らざるを悟るとは上(かみ)に向かふの途なり。吾が趣味の猶足らざるを知り、猶至らざるを悟る者は幸ひなり、其の人の趣味、将に漸く進み漸く長ぜんとす。吾が趣味の幼きをも省みで、我が善しとするものを、必ず善しとし、我がをかしとするものを、いつもをかしとして、高きに遷り、卑きを改むることをせぬ者は幸ひ無し。其の人の心の花、既に石となりて、生命を失ひ居ればなり。

 簪(かざし)の必ず黄金ならんことを欲し、衣の必ず縮緬(ちりめん)ならんことを欲するは、欲望といふものなり。趣味といふものにはあらず、欲望は我を桎梏す。自在無し。趣味は我を継縛せず、自由あり、趣味低く、欲望強ければ、其の欲するところの物を得ざるに当っては、苦悩千万端ならん。趣味高く、欲望淡くば、其の欲するところの物を得ざるをも、適楽一ニ様のみならじ。鶏児腸(よめな)の花の幽なるを箸にすとも、棣棠(やまぶき)の花のかをりなきを箸にすとも、薔薇の一輪の白く含めるを箸にすとも、落霜紅(うめもどき)の数顆の紅なるを箸にすとも、其の人の趣味より見て善しと為さんには、木の端竹の片(きれ)を箸にすとも、亦復満足と喜悦(よろこび)とは有るべし。時に応じ所に従ひて、何の時にも、那(なん)のところにも、よろこびの情を見出し得るは、趣味のなすところなり。其の物を得ざれば苦しみ、其の願を遂げざれば悩み、吾が心を外の物の奴婢(しもべ)として、その使役するところとなるは、欲望の然らしむるなり。欲望は人をくるしめ、趣味は人を活かす。趣味饒(ゆたか)なる人は幸ひなるかな。

 おのれに得ること有りて、人に待つこと無き、之を徳と云ふ。心に怡(たの)しむことありて、物に累(わづら)はさるゝことなき、之を趣と云ふ。いやしくもよく趣味を存するや、荒涼凄寒の境に在るも、亦以て楽しむべし。培ふべし、生したつべし。人の趣味性。
2003/02/12  水曜日  マウスを買いかえる  
 だいぶ前から、ボール式のマウスに埃がたまるようになった。専用の耳かきで掃除しても、すぐに滑りが悪くなるので、光学式のマウスに買いかえた。実に快適だが、一つ不安なことがある。PC本体の電源を切っても、コンセントからコードを抜かない限り、マウスは赤々と光っているのである。熱がたまって火事になることはなく、その程度の待機電力は知れたものらしいが、四六時中光り続けるというのには、どうにも抵抗を感じてしまう。こういう貧乏性の人間には、やはりボール式のマウスが似合っているのかも知れない。

 なお、使い終わったボール式のマウスは、猫のおもちゃとして再利用している。コードをもって引きずると、目の色をかえて跳びついてくる。まさにマウスである。
2003/02/08  土曜日  今は昔  
 今昔物語は、多くの話の書き出しが「今は昔」で始まることから、この名がついている。「今は昔」の意味は、たいていの受験参考書に「今から思えば昔のことだが」と説明されている。しかし、これは、過去・現在・未来という西欧(それも近代の)式の分類に慣れた近代日本人の誤解であり、ほんとうは、「今は昔だと思って話を聞け」ということなのだという説がある。私は、この説に賛成する。「昔話」という言葉自体が、近代の発想での命名にすぎず、本来は単なる「お話」なのである。「お話」に誰より耳を傾けるのは子供たちであり、そういう子供たちを喜ばせるために、あることないこと脚色して語るのは、昔は、おじいさん、おばあさんであっただろう。「そんなことあるわけない」と言われたときの予防線として、「今は昔」という言葉があったのだろうということは、下記の記事に書いた。子供に昔も今もない。ただ、話が面白ければそれでいいのである。昔を語る資格は、親にはなく、祖父母にしかない。

http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/toragatabakowo.htm

 50を過ぎて、親子というものが、ほとんど同世代なのだということに気がついた。昔の教え子の子供が、すでに高校を卒業していたりするからである。自分が子供のころにそれに気がつかなかったのは、子供だったせいもあるが、私たちの世代の場合、戦争を体験したかどうかということで、世代の間に大きな溝ができ、わずかな時間の経過が遠い昔のように思われたからである。親子ほどの歳の差がなくても、戦後が落ち着いてから物心ついた私などは、小さかったためにおぼろげではあれ空襲の記憶のある、わずかに年上の世代を遥かな兄さん、姉さんと感じて育ったように思う。

 本サイトの掲示板で、若い人から「信太さんのように焼け跡を見た世代」という投稿があって驚くとともに苦笑した。焼け跡の時代に、私はすでに生まれていた。たしかに焼け跡をこの目で見たに違いない。しかし、その記憶はまったくない。まだ物心がついていなかったからである。私が広範囲の焼け跡を見、それを記憶にとどめたのは、もういい歳になってからの阪神淡路大震災のときが生まれて初めてのことであった。しかし、焼け跡が消えるのに一年もかからなかった。経済の苦しい時代なら、復興は多少は遅れたかも知れないが、終戦の翌年に生まれた私が物心つくころには、もう4〜5年はたっているのであるから、焼け跡など、私の記憶にあるはずもないのである。こういうことが若い世代には分からないらしい。
2003/02/02  日曜日  幻の巨大魚    
 作家の開高健が中国奥地の湖に釣りに行くテレビ番組を見たことがある。その湖には巨大な魚が住んでいるという噂が広まっていた。しかし、その目撃談には、奇妙な共通点があった。目撃する位置も、目撃される場所も、時刻もみんな同じだったのである。ある日、開高健は、ボートに乗って、巨大魚が目撃される地点に向かう。湖の上からもそれらしき姿が見える。しかし、いざその場所に近づいてみると、一羽の水鳥が飛び立ち、巨大魚の姿はたちまち消えた。巨大魚の正体は、泳ぐ水鳥の航跡に過ぎなかったのである。それが特定の時刻の光線の加減で、ある地点から見ると、巨大な魚のように見えたのであった。同じものを見るにも、場所をかえ、時をかえて見なければならないという戒めとなりそうな話である。