|
よしなしごと2003年11月 2003/11/26 水曜日 おっさん 今朝の出勤電車のなかで、風変わりな「おっさん」を見た。スーツをきちんと着こなしているのだが、口元を見ると、針金を口にくわえ、降りるまでずっと舌で器用にくるくる回し続けていた。 授業の冒頭でその話をしたのだが、「おっさんが」と言いかけたとたんに、「先生もおっさん」という生徒がいた。思わず「ほっといてくれ」と応じたのだが、完全に出鼻をくじかれた。 下記の記事に書いたことだが、若いころ、在日韓国・朝鮮人一世の女性が大半を占める夜間中学で非常勤講師をしたことがある。文字と無縁で過ごしてきた人が高齢になって初めて文字を覚える学校である。それだけに文字を覚えた喜びは人一倍大きい。 もう退職した人だが、かつての同僚に見事に光る頭の持ち主がいた。英語の授業中に生徒に突然「ハゲってどんな漢字を書くのか?」と聞かれて、思わず「知るか、国語で訊け!」と応じたという。いまどきの若い生徒はなかなか手ごわい。2003/11/24 月曜日 フルネーム 高校生のとき、東京の駅で、「埼玉県のヤマモトさん、サイトウさんがお待ちですので、待合室にお越し下さい」というアナウンスを聞いて、いったい何人のヤマモトさんが待合室に詰めかけただろうかと思ったことがある。銀行や役所、病院などの窓口では、「タナカさん、タナカコウイチさん」というような呼び出しをよく聞くが、私は苗字が珍しいせいか、あまりそういう機会はない。 新聞によれば、先日、福岡の中学校で講師を取り違える事件があった。ある公立中学が数学者の秋山仁(じん)氏を呼んで講演会を開こうとしたが、仲介した県の職員がこれをプロ野球の強打者だった秋山幸二氏と取り違えた。学校との間に「秋山さんの了承がとれました」というような電話のやりとりがあったのだろうが、当日になって幸二氏が現れるまで誰も間違いに気づかなかったという。所も九州であり、幸二氏の顔は誰もが知っているだけに、校長は青ざめ、生徒は歓声をあげた。結局、校長が改めて講演を依頼し、「数学者 秋山仁氏」と書かれた垂れ幕を外した会場で、幸二氏は一時間半熱弁をふるったという。それにしても、二人がまったくの畑違いだから笑い話で済んだものの、これが松井秀喜のつもりで松井稼頭央が来たなどということなら、笑いごとでは済まなかったかも知れない。 電話連絡のとき、フルネームを言っていれば、このような珍事は避けられたのだが、それだけ、フルネームを呼ぶというのは日常的ではない。勤め先にも同姓の同僚が何組かいるが、本人にフルネームで呼びかけることはあまりない。 さて、来るはずだった秋山仁氏であるが、私はその講演を聞いたことがある。それも、勤め先の講演会でである。数学者というイメージとは違う語り口が評判となって引っ張りだこの仁氏だが、そのとき、「どこの学校でもいちばん意地が悪いのは現国(現代国語)の教師」と言った。最も教師席に近かった学年の生徒に一斉に顔を見られたのには参った。 私怨もあったのかも知れないが、秋山仁氏のいうことには、なるほどと思う面もある。私が高校生だったときの現国の教師は、生徒の答えに対してああいえばこういうという人だった。教科の性格上どうしてもそうなることは今では分かるが、その口調が一々皮肉っぽかったのである。フルネームもしっかり覚えているのだが、もう故人だということも聞いていることもあって、ここでは書かない。 2003/11/15 土曜日 趙蕊蕊 北海道のオホーツク海沿いの内陸に「留辺蕊」という町がある。「るべしべ」と読む。横浜市と川崎市を合わせたぐらいの面積のところに、1万人強の人口しかない。しかし、その人口の半数は中心部の市街地に住んでいて、あとの半数が広大な土地に散らばっている。 「蘂」を「しべ」と読むのはさほど難しくない。「雄蘂」「雌蘂」は「おしべ」「めしべ」と読む。植物学会では、これを音読みして「ゆうずい」「しずい」と読むこともあるらしい。 今晩、Wカップバレー(女子)の日中戦を見た。日本選手もよく頑張ったのだが、力の差は歴然としていた。中国の197pのエースは「趙蘂蘂」という。中継では「チョー・ヌイ・ヌイ」という妙な読み方をしていた。趙選手の背中にR.R.Zhao と書かれていたのだから、中国語読みなら「チャオ・ルイ・ルイ」と読むべきだろう。中継では、趙選手以外の中国選手をみな日本語で音読みしていた。それなら趙選手のことも「ちょうずいずい」と読むべきである。 2003/11/12 木曜日 草gと倍賞 私自身の「信太(しだ)」もそうだが、秋田県に目立って多い苗字というものがある。しかし、IMEで出せない苗字というのは珍しい。SMAPにクサナギ・ツヨシといういメンバーがいる「クサ」は「草」だが、「ナギ」は「弓」へんに「剪」という字で、IMEでは出せない。この苗字は、私の調査では、秋田の田沢湖周辺に固まっている。この地方には、読み方の同じ「草薙」姓も多い。三種の神器の「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」で知られているせいか、「草薙」はちゃんと変換もされる。 秋田の十和田湖周辺には、「倍賞」という珍しい苗字が固まる。フーテンの寅さんの妹を演じた倍賞千恵子、アントニオ猪木の夫人だった倍賞美津子の姉妹で全国的にも有名になったが、そうでなければ「賠償」と書き間違えそうである。 私の調査では、秋田県で目立つ苗字には、他に「小助川(こすけがわ)、小番(こつがい)、尾留川(びるかわ)」などがある。江戸時代の北前船が日本海を北まで通っていたせいか、「京谷、若狭谷、越前谷、加賀谷、能登谷、越中谷、越後谷」といった苗字が秋田にそろっている。特に、「加賀谷」は、きわめてありふれた苗字である。「谷」はすべて「たに」ではなく、「や」と読む。 2003/11/03 月曜日 「ことば」の課外授業 西江雅之氏の「『ことば』の課外授業」(洋泉社新書)という本を読んだ。文法や音韻などのこまごましたことばかりの言語の勉強では物足りず、もっと広い視野からの話を聞きたいという声に応えた授業の実践記録である。その意味で「課外授業」と称しているのだが、言葉に関心を持つ人が、言語学の基本的なものの考え方を学ぶ上で、これほど分かりやすい本は珍しい。「はじめに」にもあるように、学説の紹介や名著の引用がない分、誰にでもとっつきやすい。 この本の中に、こんな例が挙げられている。ある人がある外国語を学んで一千語ぐらい覚えたところで、やめてしまった。そして別の外国語を学び、それも一千語ぐらいでやめてしまった。それならば、最初に学んだ外国語を続けていたら二千語ぐらいのレベルには達していただろうにと思われやすい。しかし、そうはいかないと西江氏はいう。人は自分の手持ちの語彙の範囲内でしか語を覚えられない、千語しか知らない人が外国語を学んで、その外国語だけ一万語などということはありえないというのである。 テレビで、ある趣味にはまった人が「これはディープな世界」だといっていた。ある法案について意見を聞かれた人が「ウェルカムだ」と答えていた。このような誰でも知っているような英語を使うのは、実はあまり格好のいいことではない。英語が身についていないことを暴露するとともに、日本語でもその程度の語彙しか持っていないことをさらけ出しているに過ぎない。このような場面での表現の仕方は、日本語でも英語でも、もっと多彩であるはずだ。母語を多彩に使いこなせる者こそ、非母語をも多彩に話せるようになるのである。2003/11/01 土曜日 さしちがえ 相撲で行司の誤審のことを「さしちがえ」という。この場合は「差し違え」と書くのだろうが、むかし、「刺し違え」に冷や汗をかいたことがある。学校の演劇大会で、私はある劇の指導を担当していた。戦争中のこととて、かなり重い劇である。その中で、薮の中にひそんでいた者が飛び出して人を刺す場面があった。肝心の場面である。 |