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よしなしごと2003年10月 先日の毎日新聞に、20〜30代の間であまりにも早過ぎる痴呆症状が増えているという記事が載っていた。患者には、パソコンの画面をよく見る人が多いという。調べたいことがあればインターネット、伝えたいことがあればメールの毎日で、あまり考えることがないせいだろうというようなことが書かれてあった。 しかし、私はこれはITの使い方次第だと思う。若者や子供の活字離れが憂慮されている昨今だが、インターネットの主力は活字情報だから、インターネットはむしろ活字離れを食いとめているのではないかという気もしている。もっとも、IT技術がさらに進歩し、映像や音声が主力のサイトばかりになったら、私のような活字世代は出番がなくなることだろう。 楽しみでインターネットをしている若者には、むしろITぼけは少ないのではないかと私は思う。患者は仕事でパソコンの画面を毎日見ている人が多いらしい。進んで見ている画面でないだけに、そこからの逃避願望が痴呆症状をもたらすようである。老人性の痴呆と異なり、環境を変えればすぐに回復するというから、さほど深刻なぼけではないのではないかと思った。 私は、むしろ、インターネットのもたらす仲間さがし能力にこそ危惧を感じている。きわめて限定された嗜好や思考の持ち主でも、いくらでも同志を集められる。じかにつきあう人が多い環境なら、それがバーチャルだという認識を持て、自分の嗜好や思考がかなり珍しいものだという自覚が持てる。ところが、じかにつきあう人が少ない者がネットにのめりこむと恐ろしい。その最悪の結果が、昨今ときどき聞くネット心中なのではないかと思う。 2003/10/26 日曜日 笑う演技 笑う演技は泣いたり怒ったりする演技より遥かに難しい。演技は役者でなくても誰でもするものだから、そのことは、誰にでも覚えのあることではないかと思う。葬儀に参列した人がおのずと悲しい表情を浮かべるのや、プロ野球の選手が乱闘場面で全員飛び出して行くのは、そんなときに一人ニヤニヤしていたり、ベンチで座り続けていたりしたのでは、罰金どころではすまないと思うからだろう。つまり泣くことや怒ることは、普通は社会的に認められる場面でしか許されない感情表現である。そういうものだからこそ、私たちは、泣くまねや怒るまねをしようと思えば、比較的容易に演技することができる。 しかし、笑う演技は難しい。顔で笑って心で泣いてというように笑みを浮かべるのは容易だが、大声で笑う演技は難しい。教師の冗談にしても、生徒は本当に面白いと思う冗談にしか笑わない。寒いしゃれを言ったら、笑うことは笑うが、教師が期待する笑いとは全く違う笑いになってしまう。 泣くことや怒ることは、社会的に求められるためにすることが多いが、笑うことは、自分の内側でおかしいと思わないとできることではない。思いきり笑いたいと思う人が多いのもそのためである。今日の食べ物もままならない飢餓の時代にも、寄席の前には長蛇の列ができた。もっとも、思いきり泣きたいと思う人も少なくはなく、今のテレビドラマにいたるまで悲劇は大昔から一定の人気がある。しかし、思いきり怒りたいと思う人は、ほとんどいないのではないだろうか? 思いきり怒るということは、思いきり不愉快な目に会うということである。そこまで不愉快な目に会いたいと思う人は、ほとんどいないのではないかと思う。思いきり笑ったり泣いたりしたあとにはすっきりした気分になることが多いが、思い切り怒ったあとには、ますますいやな気分になることが多い。 2003/10/23 木曜日 八十五歳の抵抗 石川達三の「四十八歳の抵抗」を逆転させ、「八十四歳の抵抗」としたかったところだが、八十四歳の宮沢氏は抵抗せず、一つ年上の中曽根氏が抵抗している。私は、何歳だろうと有権者の審判を経るのであれば、続投の機会を奪うべきではないと思う。ところが、比例区では中曽根氏個人への有権者の審判は出来ない。抵抗が実を結ばなければ、中曽根氏には定年のない小選挙区で無所属で立つ以外の選択肢はないが、それでは福田康夫氏や小渕優子氏とかちあうので、問題が多いという。一人しか当選できない小選挙区で無所属候補が当選できる可能性はきわめて低い。まして、中曽根氏は高齢である。 この問題を解決するには、どうすればいいか? 私は、小選挙区を廃止し、すべての議席をブロック別の完全非拘束式(すべて個人名で投票し、得票順に当選者を決める)の比例代表制で選ぶよう、選挙制度を変えればいいと思う。現行の比例代表制と異なり、無所属での立候補も一人一党として認めればいい。しかし無所属候補の票は政党の票にはならない。自民党としても中曽根氏の得票を党の得票に加えることができ、めでたしめでたしとなる。 私は、中曽根氏の政見には全く反対である。しかし、高齢でも元気であるかどうかを含めて、中曽根氏を支持する有権者が一定程度いるのなら、議席を維持することは、有権者の選択として認めるべきであり、有権者と無縁の所で政党が事前に候補者を選ぶべきではない。 小選挙区での選挙は有権者の選択肢をひどく狭める。衆議院議員定数をすべて比例区で80も削減しようとする民主党は、その名に値しないと私は思っている。日本の半分ぐらいしか人口のないイギリスやイタリアの議員定数は、現行の日本の議員定数より多い。私が、それ以外にも議員定数の削減に反対する理由は、下記に示したとおりである。 2003/10/17 金曜日 宇宙旅行
中国が有人宇宙飛行に成功した。街の声を収めた中国のテレビの内容を日本のテレビが再放送していた。「火薬を発明したのは中国人だから当たり前」という若い男性など、喜びの声が多い中で、小学生ぐらいの女の子が言っていた。「人間は地球に住めるのに、なぜ宇宙になんか行くの?」 私は宇宙旅行をしたいと思ったことはない。今までに実現した宇宙旅行は月面が最高で、普通は地球を回る軌道に乗るだけのことである。無重力状態を体験したいという気持ちはあるが、地球の重力を突破する際の加速度に耐える訓練などまっぴらである。 高校生のころ、スウェーデンの旅行家スヴェン・ヘディンの『さまよえる湖』という本を読んだことがある。舞台は今の中国の新疆ウイグル自治区にあるタクラマカン砂漠である。砂、砂、砂の連続で、本の間から砂がこぼれおちるような気がした。アメリカでグランド・キャニョンに行ったことがある。日本では見られない風景だったが、あまりの荒涼さに、5分も見れば、もう十分だという気がした。しかし、砂漠でも南極でも地球の上なら生き物がいるだけ宇宙よりはましである。2003/10/16 木曜日 ソニン ソニンという歌手の名前を何となく聞いていたが、先日「在日」であることを知った。生徒に聞いてみると、在日であることも含めてみんなよく知っていた。公式サイトには明記されていないが、たいていのファンサイトではそのことに触れており、本名が成膳任(ソン・ソニム)であることを知った。アルファベット表記が Sonim になっているのも、そのためである。 神戸朝鮮高級学校2年のとき、英語スピーチの全国コンテストで優勝したこともあるらしい。 かつてアメリカ南部で、バスの座席が人種別に分かれていたころ、アフリカから来た黒人は、お客として白人の席に座ることができたという。今の日本の状況もこれと五十歩百歩と思えてくる。ソニンがどんな歌を歌っているのか、全く知らないが、ソニンやその若いファンたちに、このような状況に風穴を開けてほしいと願っている。2003/10/15 水曜日 第一印象 卒業生を送り出し、新入生を迎えるとき、どれが誰かも分からない生徒を教えることが周期的にある。そんなとき、新入生をみて、ふと、「あいつ、そっくり!」と思うことがある。それが確かに卒業生の弟妹であるということが、何度もあった。事前に誰の弟妹がいるということを知らずにそう思うのである。しかし、新入生の名前を覚え、顔を見なれてくると、「なんで、あのとき似ていると思ったんだろう?」とあとになって思うことも多い。兄弟姉妹とはいっても、中身がまるで違うことも多い。最初に「似ている!」と思うのは、外見だけで見るからなのかも知れない。外見にしても、見なれるにつれ、次第に違いがわかってくるせいもあるだろう。 赤ちゃんのころにしか会ったことのない知人の子供に久しぶりに会うこともある。初対面に等しい。そんなときにも、思わず「(親に)似ている!」と思う。事前に誰の子供か知っているせいもあるが、大きくなるにつれ、目鼻立ちに特徴が出てくるせいもあるのかも知れない。 2003/10/05 日曜日 リベンジとマニフェスト ダイエーの優勝がまだ決まる直前、阪神の星野監督がインタビューを受けているのをテレビで見た。日本シリーズに向けての抱負を聞かれると、「王さんには一度やられているからリベンジです」と答えていた。星野監督は中日時代に一度日本シリーズでダイエーに敗れている。 「リベンジ」という言葉は、まだ耳新しい。なぜこのような言葉が日本語に入ってきたのかを考えてみた。「仕返し」や「復讐」では、相手に対して恨みがあるような感じがある。「雪辱」では、自分の心の問題となり、相手が消えてしまう。「恩返し」は、両監督の関係には当てはまらない。こう考えてくると、「リベンジ」のニュアンスにいちばん近い日本語の表現は、「借りを返す」であろうが、ここでは名詞的に表現したい、ということで、リベンジという言葉が用いられるようになったのだと思う。 しかし、英語の revenge には、当然「復讐」とか「報復」という意味もある。「ストロー」のもとになった straw が本来は「わら」のことであることを知っている日本人は少ないだろう。このように、さまざまな英語が限定された意味で日本語に入ってくることは、英語の学習にとっても好ましいものとは思えない。「リベンジ」の場合、私は単に「お返し」と言えば十分だと考えている。 選挙が近いということで、「マニフェスト(政権公約)」という言葉もよく聞くようになった。「景気を回復する」「福祉を増進する」といった抽象的な「公約」ではなく、予算の裏づけを含めて具体的に何をするかを示すものということらしい。「政権公約」ではやはり「公約」という語が入るということでか、「マニフェスト」「マニフェスト」とかまびすしいが、いっそ「見取り図」とでも言ったほうが、その内容が伝わりやすいのではないかと思う。言いたいことを言葉の後光なしに、分かりやすく伝えることも、政党の仕事の一つだと思う。なお、「マニフェスト」というイタリア語は、もとは単に「はっきり示すこと」という意味ではなかったかと私は記憶している。 この消費社会では、イメージや見かけを前面に出した売り込み方がよく行なわれる。横文字の商品名が氾濫するのも、そのせいであろう。これに対して、消費者の側としては、商品の中身についてじっくり吟味することで、自分の主体性を保つことを心がけたい。政治においても、生産者にはなれなくても、少なくともより賢い消費者であることを目指したいと思う。 2003/10/01 水曜日 St. Paul's will shine tonight. 表題は、立教大学の第二応援歌である。ミッション・スクールである立教は、St. Paul's Univeisity という英語名を持っており、それゆえに英語の応援歌もある。その歌詞とメロディは下記にある。 |