|
よしなしごと2002年8月
★テッドさんの思い出 金時草 伝わらなかった歴史 残暑見舞い
顔の記憶 こわいものみたさ 秋田美人 盆休み バリアフリー
戦死と戦没 元ちとせ 不幸の手紙(デマメールに御用心!)
サザエさんといじわるばあさん 流し目 男の日傘
動物化するポストモダン 2002/08/28 水曜日 動物化するポストモダン 
「動物化するポストモダン」(講談社現代新書)という本が売れているらしい。著者は東浩紀(アズマ・ヒロキ)という、30を越えたばかりの人である。これからの人間は、みんな(?)動物化するというのだから、おだやかならぬ題名である。著者によれば、人間とは、「大きな物語」を持ち、その中で自分の位置を築いていく存在だという。旧家の当主などはその典型と言えるかも知れない。大きな物語を持つ人間は「欲望」を持つ。「欲望」とは、人との関係を前提とした欲である。人にうらやましがられるようなことを望むのが人間的欲望ということになるようだ。自分に合わない仕事だと思いながらも、人にうらやましがられる大企業の一員としてがんばる社員や、尻に敷かれっぱなしなのに、美人の奥さんのもとで我慢している旦那などは、欲望の実現に熱心な人ということになる。ぶっ倒れそうになりながらも頑張るマラソン・ランナーを支えているのは「欲望」である。こんなことを競走馬にやらせようと思っても、しんどくなったらやめてしまうだろう。馬にとっては、優勝によって与えられる名誉など、馬耳東風だからである。
東氏が、ポストモダンの人間は、「欲望」を持たず、「欲求」しか持たないという。欲求なら動物も持っている。腹が減った狼は人間の家畜でも襲うし、湘南海岸のとんびは海水浴客の弁当をかっさらう。昔の若者は、自分を実現する社会を変えようなどという夜郎自大な夢をもっていた。今の若者はそんな夢はもたない。ただ、空腹をとりあえず満たすものを社会の中から探し出し、自分のものとすることで満足している。動物との違いは、それが食べ物とは限らないということだけである。ウェブなどは、そのための強力な武器となる。どんなアイドルが好きかとかいうような、ごく部分的なところで一致する人を探し出すことで、若者の「欲求」は満足される。「欲求」は短期的なものだから、その場で満たされれば十分である。ほかのアイドルが好きになれば、つぎの欲求を満たせばいいだけのことだ。
こういう若者が今の若者のすべてではないという反論は十分に予想される。そんなのは、一握りの「オタク」に過ぎないではないかという反論である。それは、そのとおりだと私も思う。しかし、今の若者には、自分の一生をこれで通すのだというほどこだわる大きな物語が、私たちのときよりずっと乏しいように、私は思っている。東氏によれば、大きな物語が消えたあとに残っているものは、何の脈絡もなく膨大な量として蓄えられたデータベースなんだそうである。
「動物化するポストモダン」の著者は、みずから「オタク」と称しているようだ。ただ、自分が「オタク」だということを知っている人だから、社会とも十分に折り合っていける賢い人である。この本には、話を分かりやすくするために、ガンダムやエヴァンゲリオンがさかんに引用されている。それを知っている人には具体的で分かりやすいのだろうが、ガンダムもエヴァンゲリオンも名前を知っているだけで内容をまったく知らない私などには、そういう具体的な部分がいちばん分かりにくい。理屈がそのまま出ている部分を拾い読みして、まあなかなか面白い本だと思っただけである。ガンダムやエヴァンゲリオンにくわしい人なら、もっと面白く読めるのかも知れない。
2002/08/26 月曜日 男の日傘
電車に乗った。座ろうとした席に傘がある。発車まで余裕がないので、ドアのところまで持っていって「かさ、かさ!」と叫んだ。振り向いたのは男ばかりで、だれも該当者がなかった。落ち着いて見ると日傘である。今日はいい天気だったので、雨傘であるわけはない。
その話を家に帰ってしたところ、妻が「むかし、日傘さしてるおじさんがいた」という。ハッとしたが、私にもかすかにいたような記憶がある。ウェブで調べたところ、江戸時代に男が日傘をさすことを禁止したことがあったようだ。下記のページの文化年間(1804−1818)にそれが載っている。
http://www.linkclub.or.jp/~murasawa/r&b/edokinrei.html
2002/08/23 金曜日 流し目
もう20年以上も前、教師ばかりの団体で中国に行ったときのことである。私はある年輩の漢文の先生と二人で早めに食堂に入り、夕食前の時間をつぶしていた。そのとき、一人の女性服務員(ウェートレス)がしきりとこちらの方を流し目でうかがい、ニコッと笑うのである。笑ってみせると、今度は視線をくるっと一回りさせて、また別の角度から流し目を送り、またニコッと笑うのである。そのとき、漢文の先生ひざを叩いて曰く、「わかった。白楽天の長恨歌にある『眸(ひとみ)をめぐらして一笑すれば百の媚生じ』というのはあれですな!」もし、この先生の発見が正しいとすれば、このウィンクよりさりげない目の動きは、楊貴妃以来最低千二百年の歴史を持つことになる。この先生も言っていた通り、顔を動かすことなく、右に左にと流れる目の動きは、たしかに前日に見た越劇(京劇に代表される中国古典劇の江南地方版)の女優の目の動きによく似ていた。
漢の武帝の時、宮廷に仕えていた芸人が、自分の妹を側室として売り込もうとして作った即興詩に、
北方に佳人あり 世に絶(すぐ)れて独り立つ
一の顧(ながしめ)は人の城を傾け 二の顧は人の国を傾く
城を傾け国を傾くとはよく知れど あはれ佳人はまたと得がたし
というのがある。このたった一つの詩から、「絶世」「傾城」「傾国」という美女に対する最高の形容が生まれてきたのだが、ここにもまた「ながしめ」が出てくる。そうなると、流し目の歴史はさらに七百年、あわせて二千年近くもさかのぼることになる。
伝統と言うものは恐ろしいもので、こんな些細なことでも末永く伝承される。外来思想と土着の伝統とでは、力は比べようもない。中華人民共和国もやはり中国なのだという具合に、話をどんどん飛躍させることもできるのだが、私にとっての本当の大問題は、あの流し目が、われわれ二人のどちらに送られたものだったのかということであった。
当時の私は三十を越えたばかり、漢文の先生は今の私ぐらいだった。機会があれば、またお会いしたいと思う。
2002/08/18 日曜日 サザエさんといじわるばあさん
テレビ界で「お化け番組」と言われるほどの長寿を保っている番組にアニメの「サザエさん」がある。1946年生まれの私は小さいころからこの漫画に親しんでおり、まだ九州の地方紙「フクニチ」に載っていたころを含め、初期のサザエさんの顔(右の切手)が、いま若者にも知られている顔とはだいぶ違っていたことも覚えている。カツオ君もワカメちゃんも、私より年上である。長谷川
町子がそれまでのイメージには合わない、「いじわるばあさん」なる漫画を描きだしたのは、私がだいぶ大きくなってからのことと思う。祖母がゲラゲラ笑いながら読んでいたのを思い出す。その一例を今でも覚えている。昔のことなので、細部は違っているかも知れない。
いじわるばあさんがデパートに御中元のため買物にくる。発送係がアルバイト学生だということを見破ったいじわるばあさんが言う。「先方はね、最初の字は縦に三本棒を引くのよ。次の字は口の中に十を書くの」。アルバイト学生はムッとして、「川田ぐらい、書けますよ」という。いじわるばあさんは、すました顔で、「あら、そ〜ォ? 最近の学生さんは字を知らないと聞いたもんだから」と答えてその場を去る。その後ろで、バイト学生がカンカンに怒っているというものであった。
明るいサザエさんで知られた作者が、こんな漫画を描き始めたのは、「ばあさん」というほどではないにしても年をとったせいもあるらしい。加えて、カツオ君やワカメちゃんのモデルになった甥や姪が成人して、すべてを想像で考えるのに疲れたという理由もあった。長谷川町子の死は、死後だいぶたってから公表された。いじわるばあさんの作者らしい死に方だと思った。常に〆切に追われる生活を続け、一生独身を通した作者の、妹の漫画の出版に尽力した姉が、「漫画にとりつかれた気の毒な一生だった」とその死後に語っていたのをテレビで見たことがある。
2002/08/17 土曜日 不幸の手紙(デマメールに御用心!) 
知人からウィルスに感染したのを知らずにメールを送ったらしいというメールがきた。ノートンでも検出できないが、2週間潜伏してシステムを荒らすという。感染しているかどうかチェックして削除してほしいとの内容だった。スタートメニューから検索でjdbgmar.exeというファイルを探し、削除すれば大丈夫だという。検出された場合、テディベアのアイコンは絶対に開かないことという注意が添えてあった。検索してみると確かにテディベアのついたファイルが検出されたので削除した。届いたメールのうち、知人の文章は冒頭だけで、あとは引用だった。そこには、削除したら、そのむねアドレス帳に記載されているすべての人にこの文章をコピーして送れとある。何か変な気がして迷っているうち、第二のメールがとどき、さっきのはデマだったという。つまり、昔の不幸の手紙のようなチェーンメールの効果をねらったものだったのである。
こういうデマ情報をHOAXというらしい。
考えてみたら、アドレス帳にある人すべてに送れというのが怪しい。テディベアつきのファイルは、まったくの正常ファイルである。削除しても実害はないとMicrosoft社が言っているので実害はないらしいが、あるかも知れないと書いてあるサイトもあったので、削除しないほうがいい。まして、人にメールを送るのは論外である。知人からの第二のメールには、無知とはいえ、今後気をつけますと書いてあった。
中学・高校時代に、「不幸の手紙」が何度か来た覚えがある。同じ内容の手紙(葉書)を五枚以上書かないとあなたは不幸になるという内容だったが、まったく黙殺した。その後、きわだって不幸になったとは思っていない。そのとき黙殺したのは、こういうオカルト的なものを信じていなかったからだが、今度の場合は、一見科学的なのでだまされやすい。しかもあまり手間もかけずにたくさんの人を巻き込める。最初にこんなプログラムをつくってニヤニヤしているのは、どんな人間なのだろうか?
私の場合は、復元ができない状況になっていたので、Microsoft社を信じてあきらめることにした。しかし、もっと重要なプログラムだったらどうなるのだろう? 今後、似たようなメールがあらわれたときには、削除せよといわれたファイル名を検索エンジンで調べて、情報を確かめることにする。googleなら、日本語サイトにしぼって検索することもできる。くれぐれも御注意を!
2002/08/16 金曜日 元ちとせ
奄美の島歌をポップスにアレンジした「ワダツミの木」が売れている。私は、奄美の歌は沖縄の歌と同じと思っていたのだが、この歌を聴くかぎり、まるで違う。何より裏声を多用するのが印象的だが、このような歌い方は沖縄にはないという。言葉の面では、奄美方言は確かに琉球方言の一部である。風土も近く、文化的な共通点も多い。琉球王朝の支配下に奄美が入ったこともある。しかし、江戸時代に入って間もない17世紀初頭に、薩摩藩が南西諸島に侵攻して以来、奄美と沖縄の歴史は分かれた。薩摩は、王朝の存在を認めて沖縄を間接統治する一方で、奄美を直接統治のもとにおき、奄美の黒糖を藩の重要な財源とした。その結果、明治に入ってからも、奄美は鹿児島県に所属することになった。
沖縄の歌の特徴は、何よりその独特な5音階にある。5音階は本土も同じだが、音の構成が違う。本土の音階はファとシがない。「ドレミソラド、ドラソミレド」と歌ってみただけでも、「赤とんぼ」に似ている感じがする。ところが、沖縄の音階にはファとシがある。その代わりにレとラがない。「ドミファソシド、ドシソファミド」と歌ってみただけでも、珊瑚礁の海の波音が聞こえるような気がする。ところが、奄美の音階は、本土と同じくファとシを欠き、レとラのある5音階だという。それは、やはり長い本土支配の影響と考えられている。
「ワダツミの木」を歌っている元ちとせは、「はじめ・ちとせ」とよむ。「もと・ちとせ」ではない。奄美には一字姓が多く三字姓がほとんどない。沖縄はこれと正反対で三字姓(仲宗根、具志堅など)が多く、王家の尚(しょう)氏を除けば一字姓がほとんどいない。奄美の一字姓には、「豊(ゆたか)」とか「進(すすむ)」とか、姓というより男性の個人名のような姓が多い。「元(はじめ)」もその一つである。奄美や沖縄の姓が独特なのは、薩摩藩が統治の都合上、区別をしやすくしたためだといわれる。
私の知人に、本人は関西だが、両親が奄美出身という人がいる。二字姓だが、本来は一字姓だったという。奄美の人の中には、本土からの差別を避けるため、姓を二字に変えた例が多い。奄美や沖縄への差別は、さほど遠い昔のことではない。それが、大阪市の大正区のような、沖縄出身者の集住地域ができた一因ともなっている。「ワダツミの木」のヒットを機会に、奄美や沖縄の歴史、文化への関心が高まってほしいものである。学校でも積極的に教えることが自然にできる時代になっているのではないかと思う。
本日、「ことばの散歩道」に、地名・人名のカナ表記専用は可能か?を新たにアップした。
2002/08/15 木曜日 戦死と戦没
今日は終戦の日である。戦争を特集したテレビ番組は昔に比べればずいぶん減ったが、知らない人が増えていることを考えるなら、もっと放映されるべきだと思う。高校生のとき、「戦死」を英語で何と言うのかと調べたところ、be
killed in the war 、つまり「戦争で殺された」というのしか出てこなかった。これは、日本語の「戦死」よりずっと意味が広いと思う。空襲で亡くなった一般市民は「戦死」とは言わない。軍人でも、戦病死は戦死と区別される。「戦死する」という表現には能動性が感じられるが、望んで死んだ人は少ないだろう。「玉砕」という言葉もあった。「瓦全」の反対である。「瓦として(命を)全うするより玉となって砕けろ」というのである。
「戦死」に対して「戦没」という言葉がある。「戦没者」には、広く戦争が原因となって死んだ人が含まれる。戦後半世紀以上たったいま、「戦死」と「戦没」とを区別する意味があるのだろうか? 戦死者に対してだけではなく、広く戦没者に対して、黙祷をささげたいと思う。
2002/08/14 水曜日 バリアフリー
盆休みの期間をみはからってということなのだろう、近所で道路工事をしていた。歩道と車道の境目にアスファルトを盛り、車輪がなめらかに通れるようにしている。私はよく自転車に乗るので分かるのだが、車輪はわずかな高低差にも敏感である。自動車ではもちろん、歩いていてもよく分からない高低差が、自転車なら自然によく分かる。歩道は車道より一段高いのが普通である。間にブロックの仕切りを設けるのなら、このような高低差は無用と思う。横断歩道のところだけ勾配をつけて車椅子や乳母車が通りやすくしているのだが、もともと高低差があるから、それでも通りにくい。
日本中の歩道と車道との間に高低差をなくそうとしたら、膨大な量の工事が必要となるだろう。しかし、無用な高速道路を作れるぐらいなら、それぐらいはできそうな気もする。建設業界も、大口の注文はなくなるだろうが、小口の注文をこまめにこなすことで活路を見出すことができる。老人には脚を揚げて歩くことが難しい人が多い。いわゆるすり足である。家の中の小さな段差でさえ転んで大怪我をする人もいる。そんな段差を越えなければいけないことは、昔は少なかったに違いない。例外といえば、お寺の山門が思い浮かぶが、めったにない段差を越えることで、気を引き締めたのではないかと思う。
バリアフリーという英語は、もうすっかり普及した。障碍がないということである。高度成長の時代には、子供や老人には目が行き届かなかった。高層住宅が普及し始めたころには、大人を基準にベランダの柵の隙間が決められていたために、乳幼児がそこから転落する事故が頻発したという。
ただ、私の近所の場合は、事情がさらに複雑である。震災で道路にゆがみが生じているのである。かつてはまっすぐだった道が不規則に浮沈していることが珍しくない。こういう工事がときどき行われるのもそのためである。
2002/08/13 火曜日 盆休み
今日から盆休みに入った店が多い。正月三が日と並んで買物には最も不便な時期である。日本の商店は勤勉でこんな時期でもなければめったに店を閉めないが、イギリスでは日曜日がいつも盆や正月のようらしい。みんな退屈なのでスポーツにはげむ。イギリスのサッカーが強いのはそのせいだなどという話もある。
盆は旧暦の七月十五日に行うのが本来の姿で、新暦に合わせて八月に行うようになったらしい。ご先祖の霊を迎え、送り出す仏教の行事に由来する。きゅうりの馬は、ご先祖にはやく来てもらうため、なすの牛はゆっくり帰ってもらうためというが、そういうものを供える家は最近では少ない。これでは、ご先祖は徒歩でくるほかはなく、十三日から十六日までの限られた期間内に往復するのは難しいかもしれない。
2002/08/11 日曜日 秋田美人
性格俳優の殿山泰司がむかし、「日本海岸一県おきの法則」なるものを唱えたことがある。日本海に沿って、一県おきに美人の多い県と少ない県があるというのである。美人の多い県は秋田、新潟、石川、京都、鳥取、山口、少ない県は青森、山形、富山、福井、兵庫、島根ということになる。この「法則」は、九州までは適用されないらしい。当然、喜ぶ人と怒る人がいると思うが、よく○○美人というのに合致する県が「美人の多い県」とされているのが、偶然の一致にしても面白い。常陸(茨城)の武将だった佐竹氏が徳川によって秋田にお国替えさせられたとき、茨城中の美女をみんな秋田に連れていったから茨城には美人が少ないなどという話も聞いたことがあるが、私は、どこにでも美人も不美人もいるという、ひどく夢のない考えを持っている。
「○○美人」の中に地名を入れるとして、とくによく入れられるのは秋田であるようだ。都道府県別に見て、もっとも肌の白色度が高いのも、もっとも日照時間が短いのも秋田だという化粧品会社の調査もあるという。私の母方の祖父母はともに秋田育ちであり、小さいころは、親戚に限らず同郷の人が家に訪ねてくることが多かった。色白の美人という人もいたが、まったくそのイメージに当てはまらない人もいた。
大学時代、秋田県出身の女子学生がいた。たしかに色白の美人であった。四国出身の男が、夏休み中に東北旅行をし、ちょっと会いたいと思って、彼女の家に電話をかけた。「いま、風呂に入っているので、かけなおしてください」と言われて、脳貧血を起こしかけたという。せっかく遠くから来たのだからということで、一晩泊めてもらったそうだが、その後、二人が特別な関係になったという話は聞いていない。秋田出身の色白の美人をみると、「秋田人らしい」という人がいるが、私は、せめて「秋田人によく見られる」程度にとめてほしいと思う。札幌生まれの横浜育ちながら「血統」的には純秋田人(私は半分紀州人)である私の母(今年79歳になった)は、とくに色白ではない。
秋田の人の色の白さは、日照時間のほか、「人種」の違いのせいだと思っている人もいる。白人種の血が入っているのだというのである。世界史の勉強をやり直してもらいたいと思う。ロシア人がウラル山脈を越えて東に進んだのはやっと16世紀の末ごろで、アムール川に到達するまでにはそれからさらに百年もかかっており、そのころには日本ももう江戸時代に入っている。そこからさらに北海道、東北と南下したという話は聞いたことがない。秋田出身というのが定説のようになっている小野小町は9世紀の人間である。秋田美人の歴史はそんなに新しいものではない。じゃあ、アイヌは白人だろうという人もいるかも知れないが、それは遺伝子解析のない時代にひろまり、日独同盟のために作られたという話もある俗説にすぎない。遺伝子解析の結果は、日本人の遺伝子は北から南まで著しい同質性を示しているというサイトがこちらにある。だいたい人種という概念がきわめて相対的なものであることは、「人種と民族は果たして違うのか?」にも書いた。日本国内に限らず、東アジアや東南アジアの人を日本人でないと一目で必ず見分けられるなどということはありえない。
とはいえ、秋田に限らず、東北人に多いという顔のイメージが私にはある。面長なイメージであり、岩手出身の昔の歌手、藤圭子(宇多田ヒカルの母)がそれによくあてはまる。私が秋田と関係があったのは、祖父母の世代が健在のときまでだったし、関西に移住した私はとくに切れるのが早かった。いま、秋田とのつながりを残すのは、秋田に多い信太という苗字だけである。
2002/08/10 土曜日 こわいものみたさ
小学生のころ、交通事故の恐ろしさを啓発するために、警察が街頭に写真パネルを並べて展示しているのを何度も見た記憶がある。横転したトラックの下で重みでつぶされた運転手の血だらけの頭がモロに写っていた。今なら一部の写真週刊誌に載ることがある程度で、警察がこんなことをしたら世論の袋叩きにあうことだろう。警察としては事故を減らすことが自分たちの成績に直結するので、これは効果的な方法だったのだろうが、今にして思えば、まだ「お上」という感覚が強く残っていた時代だからできたことなのだろう。そういうパネルに群がるのは、子供や若者が多かった。私もその一人で、しばらくしげしげと見ていたものである。しかし、歳をとるにつれ、そういうものを見たいという気持ちは薄らいできている。
いま、大阪で、「新・人体の不思議展」なるものが開かれている。通勤の車内でもよくポスターをみかけるのだが、人体を上から下まで真一文字に切った断面などが載せられていて、「あんな気持ちの悪いもの、誰が見に行くんだろう?」と思わせる。ところがこの展覧会は、こちらの新聞やテレビでけっこうよく取り上げられる。なんと連日大入りだという。若い客が多く、しかも7割までが女性だという。あるテレビ・ニュースで、女性が多いのは出産などで男性より人体への関心が強いからではないか、などといっていた。新聞には、ガールフレンドに誘われてきたという男性の「もうイヤ、とてもつきあいきれない!」という声が載っていた。若い女性がそういう人体に群がって触りながら(これは自由)、キャッキャッと騒いでいるのを見てショックを受けたという評論も新聞に載っていた。こわいものが好きなのは女性に多いようだ。男なら目をつぶった上で目をそむけるものでも、女性は悲鳴をあげながら、顔を覆った指の隙間からのぞいているなどというし、ホラー映画のファンも圧倒的に女性に多い。
この展覧会の盛況を、命への実感の薄れた現代特有の社会現象と見る人もいる。しかし、昔みた交通事故のパネル写真を思い出すと、いつの時代にもみられる若い世代の好奇心の反映なのかとも思う。私は2002/02/25の日記に書いたことからも分かるとおり今後とも見に行く気はない。ここまで生々しくてもやはりみんな行くのだろうかと思うイラストがこちらにあるが、これは覚悟を決めた上でクリックされたい。
2002/08/09 金曜日 顔の記憶
いまどきGSといって分かる若者がどれほどいるだろう。グループ・サウンズのことである。今でもテレビに顔を出す人もいるが、その多くは忘れられている。ビレッジ・シンガーズのボーカル、清水道夫もその一人であった。先日、長野県御代田町で、その偽者が現れた。一年も前から同町に住んで清水道夫と称し、町内ののど自慢の審査委員長を務めたというのだから、まさに役者である。歌もうまかったが、偽者にとって不運だったのは、たまたま本物とむかし交流があった人が、ひさびさに再会しようとしてその場に来ていたことであった。いくら何十年ぶりといっても、あんなに顔が変わるはずがないということで、化けの皮がはがれたのである。
御代田町にも昔ジャケットを集めていたファンもいるだろうに、一年もみんなだまされていたというのが面白い。ジャケットの写真を見ていた程度では、何十年も時間がたったとなると、顔が変わるものかなあと思ってしまうらしい。やはり話をしたりして、表情の一つ一つの記憶のある人でないと見破れないということなのだろうか? テレビにはなぜか本物の清水氏は現れなかった。今の同僚の女性がのど自慢で歌っている偽者を見て、「全然似ていない。本物はもっとかっこいいですよ」と笑っていただけであった。たしかに昔の本物の写真と今度の偽者を見比べると、いくらなんでもという感じであった。清水氏とちょうど同い年の私としては、もうそんなに時間がたったのかと感無量のものがある。清水氏がテレビに出なかったのは、やはり本人が出たがらなかったからなのだろう。「亜麻色の髪の乙女」は、もう自分の歌ではないと思ったのかも知れない。(8/10記 この記事を書いた翌日、何気なくチャンネルを回していると、御本人が昔の仲間とともに出演し歌っていた。たしかになかなかかっこよかったが、やっぱりおじさんだったので安心した。)
2002/08/07 水曜日 残暑見舞い
暑中見舞いと残暑見舞いの境目はいつかということがよく問題になる。立秋の前日までは暑中見舞い、立秋からは残暑見舞いというのが答えである。太陽暦では、だいたい今日あたりが立秋ということだが、毎年日付が変わるので右往左往する人が多くなる。ただ、そんなに大きくは変わらないので、7月中に暑中見舞いを出せば間違いなく、今ごろになったら残暑見舞いにするのが無難である。
それにしても、今は「残暑」という実感にはほど遠い。まさに暑さの盛りではないかと思う。ところが、昔の考え方では、まさに暑さの盛りだからこそ「立秋」なのである。今を盛りとしてこれからだんだん涼しくなってゆく。つまり、秋の気が活動を始めるということで「秋立つ」というらしい。そして、「夏」とは、「立夏」から「立秋」までの期間をさすことになっていた。
「春めく」とか「秋めく」という言葉がある。日本人は季節の盛りよりも季節の変わり目に強く季節感を感じたのだといわれる。たしかに、季節の変わり目を歌った歌は多い。秋からは立秋という考え方は、いま待ち望まれている「景気の底入れ」ということを考えれば分かる。底入れしたら、もう好況ということになる。むかし、「25歳はお肌の曲がり角」という化粧品のCMがあった。これからは衰えてゆくから化粧品を使いなさいということだったのだが、近ごろでは自然にまかせていたらよいときから、やたらに化粧品を使う人が多い。
2002/08/06 火曜日 伝わらなかった歴史
今日は広島の原爆忌、朝、平和式典をテレビで見た。平和宣言の中に「忘れられた歴史は繰り返す」という言葉があった。私が小さいころ、大人たちは戦争の時代をみんな体験していた。あの戦争を声高に非難する人は少数だったが、それを賛美する人はさらにずっと少数だった。大多数の人は忘れたい記憶として胸のうちにしまい、何も語らなかった。しかし、戦争を題材にした映画や劇、ラジオやテレビはよく見聞きした。今の北朝鮮のアナウンスにも似た大時代な大本営発表の声の調子に何か異様なものを感じた。戦後生まれの私は、戦争を経験したわけではない。しかし、こういった記憶がある点では、今の若者とはまるで違う世代に属している。
広島市長は「忘れられた歴史」と言ったが、今の若者は決して歴史を忘れたわけではない。伝えられていないだけである。そして、ついに伝わらなかったということにならないようにする責任は、私たちの世代にもあると思う。「核」については、よく「抑止力」ということが語られる。本当に核戦争が起きたら人類の破滅だからということで、戦争がしにくくなるということで、核兵器の保有を正当化する論理である。しかし、核戦争に限らず、戦争自体、人々を不幸に突き落とすものである。できる限り避けなければならないということは、万人の共通認識とならなければならない。軍備を持つことを主張するのなら、せめて「抑止力」として主張してほしいのだが、昨今は、それがあたかもすばらしいことであるかのように言う論調が増えていることに強い不安を感じずにはいられない。
永世中立国スイスが、一面で重武装の国であることは知られている。自宅に銃器を保有することを義務づけてさえいるという。しかし、その銃器を用いた凶悪犯罪が増加しているため、銃器保有義務の見直しの声があがっているという。スイスは重武装をする以上の努力を外交に払って戦争を回避してきた。ドイツから逃げてきたユダヤ人を送り返すこともしたというから、永世中立国といっても必ずしもきれいなものではないが、地に足のついた政策であったことは言えるだろう。この点ぐらいは見習ってほしいと思う政治家が日本には多すぎるように私には思われる。原爆忌のことは、去年の今日の日記にも書いたので、お読みいただきたい。
2002/08/04 日曜日 金時草
「利家とまつ」ブームに乗ったわけではないが、所用で金沢に行ってきた。観光客は多く、欧米人や台湾の観光団もよく見かけた。そのくせ、観光名所の尾山神社(右の切手)が改装中だったのに驚いた。せっかくのブーム中になぜ改装するのだろうと思った。
市内で立ち食いそばに入った。「いなりそば」というメニューがあった。「そば」に「いなりずし」がつくのかと期待したが、うすあげが入ったそばが出てきただけだった。関東でいう「きつねそば」である。関西ではあげの入ったうどんは「きつねうどん」だが、そばの場合は「たぬきそば」という。また、「いなりずし」のことを「しのだずし」ともいう。「信太(しだ)は珍姓か?」に書いた信太(しのだ)の森のきつね伝説に由来する。「いなり」というのも、稲荷神社の神様がきつねであることによるものだろう。むかし、きつねがとんびとともに、人間の食べ物である油揚げをよく失敬したので、きつねの好物ということで油揚げを「しのだ」とか「いなり」とかいうようになったらしい。
深夜の人気番組「探偵ナイト・スクープ」で、東のバカと西のアホの境界はどこかという問題が出され、これにはまった松本ディレクターが『全国アホ・バカ分布考』という本を出した。最初は太田出版から出たが、今は新潮文庫に入っている。この本によれば、日本には「バカ」「アホ」だけでなく「ホンジナシ」「タワケ」「ダラ」「ダボ」「アンゴウ」「フリムン」など、さまざまな同義語がある。北陸には「ダラ」が広く分布しているが、旅館の仲居さんによれば、金沢ではまったくの日常語だという。
金沢最大の食材市場である近江町で「金時草」という野菜を売っていた。ほうれん草に似ているが、やや赤っぽい。赤いことで坂田金時にちなんでついた名前かと思って「キントキソウ、ください」と言って笑われた。「キンジソウ」と読むのだそうである。野菜なのに海藻そっくりの味と食感で、不思議な野菜だと思った。ねばねばしていることではモロヘイヤにも似ている。金沢以外では見たことがない。帰宅後、ウェブでさがしたところ、こちらにくわしく載っていた。
2002/08/03 土曜日 テッドさんの思い出 
中学生のころ、母はまだ喫茶店をやっていた。その常連にテッドさんというアメリカ人男性がいた。当時の黒人にはかなり珍しかったのではないかと思うが、米軍の将校だった。早稲田大学の学生がテッドさんを囲んでする英会話教室の会場が母の喫茶店になっていたのである。
英語を始めて間もない私を英語に耳だけでもなれさせようということで、母がそのグループに頼んで、私をその席に加えてもらった。たいてい黙って横に座っているだけだった。しかし、この集まりは、少しも英語の勉強にならなかった。学生たちの英語の上達より、テッドさんの日本語の上達のほうがはるかに速かったからである。やがて、テッドさんも含めてみんな日本語でだべる会のようになってしまった。
そのテッドさんが、あるとき、本当に不思議そうな顔をして持ち出した話に学生たちが爆笑していた。「いい男だねえ」というのが褒め言葉だということを覚えたテッドさんが、日本女性に「いい女だねえ」と言ってカンカンに怒られたという話であった。中学生だった私は、何がそんなにおかしいのか、よく分からなかった。アメリカに一時帰国したテッドさんから、手紙をもらったことがある。書き出しには、"Dear
Boyat" とあった。一時帰国中、英語を話しているときに、しきりに"ne"
という語尾をつけるので、みんなに不思議がられたという。言うまでもなく、「そうですよね」というときなどの日本語の「ね」である。米軍仲間のクリスマス・パーティーに呼んでもらったこともある。
英語の勉強にはほとんどならなかったが、テッドさんの人柄で集まりは続いていた。私の英語の勉強にもあまりならなかったが、黒人を見ても、別に構えもせずに話ができるようになったという点では私に大きな財産を残してくれたように思う。テッドさんがいま健在なら70代前半だろう。シオドア・ナントカ・カントカというフルネームがあるのだろうが、テッドさんとしか覚えていない。
|