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よしなしごと2002年7月
★ 改姓・改名の基準 ブラジル人の名前
寄席 川の水 5増5減案と小選挙区制
誤字 著作権 お磨きする 都道府県
よろこびとたのしみ 泳ぐ 夏バテ 手袋を履く 離岸流
トランジスター・グラマー レタス言葉
2002/07/31 水曜日 レタス言葉 
ら抜き言葉というのはよく聞くが、レタス言葉というのもある。「読める」「書ける」を「読めれる」「書けれる」などである。驚いたことに、このうち「読めれる」は一発で変換された。いわゆる「ら抜き言葉」には、「ら抜き言葉」とは何か?にも書いたとおり、私は一定の合理性を認めるが、このレタス言葉には単に「れ」が余計なだけという感じがしてひどく抵抗を感じる。むかしの日本語は、同じ地域でも身分や階層によって細かく分かれていた。互いの交流があまりなかったからである。そのことが、現代では、どうも世代間で起こっているようだ。本を読まずとも、年長者と話す機会がある程度はあれば、このような表現が生まれることは避けられるのではないだろうか? 単なる言葉の問題ではなく、社会的な問題でもあるように思う。
斎藤孝氏の『声に出して読みたい日本語』以来、日本語ブームが起こっていると言われる。斎藤氏の意図は、古今の名文を暗誦させることで、日本語の美しさを若い世代に知ってもらうことにあるようだ。しかし、問題は、そうして暗誦した名文を自分の言語生活に結びつける力を養うことである。それなしでは、これも一時の流行に終わるような気がする。美しい日本語を覚えさせれば、自然と洗練された日本語を用いるようになるだろうという楽観論には私は立てない。
あえて言うのなら、当面「美しい日本語」はいらない。まず「ちゃんとした日本語」を広めることである。何がちゃんとした日本語かを伝えられないままで、美しい日本語を使えといわれても、そうそう簡単に出来るものとは思わない。私は、小学校からの国語教育の中で、もっと言語教育の比重を高める必要があると思う。そのためには、外国人相手の日本語教育の経験がもっと活かされていいと思う。英語とか、フランス語とかいう言語は、それを母語としない人たちに教える方法論が古くから確立されている。それに対して、日本語は、日本人なら日本語ぐらい自然に話せるだろうという甘えの上に、そのような方法論の確立を怠ってきたのではないだろうか?
まずは、一つ一つの日本語の表現の意味を学校で考えさせることである。その具体的なイメージは、外国人への日本語教育からつかめそうである。そこで問題にされているようなことをもっと多くの人が考えるようになることが、私の期待する日本語ブームであり、昨今のブームはそれとはだいぶずれている感じがする。私が、「ことばの散歩道」の中で書いているようなことは、現在の国語教育ではあまり扱われることがない。私が、こういうサイトを開く気になったのも、実はそのことが動機となっているのである。
2002/07/30 火曜日 トランジスター・グラマー
痩身効果があると称する中国製の健康食品を食べて肝不全で死亡する事件が相次いだ。はためには肥満というにはほど遠く、せいぜいぽっちゃりという程度の人までダイエットに熱を上げている。私が小学生のころだったろうか、「トランジスター・グラマー」という言葉があった。ちょっとした誉め言葉であったと思う。「グラマー」とは身体の凹凸の多い女性のことであり、「トランジスター・グラマー」といえば、小柄ながらグラマーな女性のことだった。今日のハイテク日本の基礎は、当時日本の輸出の花形になっていたトランジスターから築かれた。トランジスターを用いて、日本はラジオなど小型の電器製品を次々と生み出していた。「トランジスター」というのは、何でも小さいことをさす流行語であった。
人にはいろいろな体型がある。理想とされる体型の人はきわめて珍しく、語弊を恐れずにいうなら異常である。それなのに、テレビで現代の理想の体型をしきりに目にする時代にあって、大半の人が自分が異常であるように思い込んでいる。一人一人の体型は、何のパターンにも属さないその人だけのかけがえのないものである。無理な変形をする暇があったなら、それ以上の熱意で、自分の内面を磨いてほしいと私は思う。美容整形、ヘアカラー、美白ブーム、いずれも私にはうそ寒いものとしか思えない。そこから生まれるおびただしい商品によって経済は活性化するのかも知れないが、これからは地球環境の問題もあり、できるだけモノを使わない時代になってほしいと私は願っている。
2002/07/28 日曜日 離岸流
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| 2001年、日本の秋田で開かれたマイナー・スポーツの祭典ワールド・ゲームズでは、ライフ・セービングも種目の一つだった。 |
「リガンリュウ」と聞いて、すぐその意味が分かる人はほとんどいないだろう。私もつい数日前までは知らなかった。ある日、何気なしに適当なテレビをみていたところ、この言葉が出てきた。海水浴場で働いているライフ・セーバーが「離岸流」と書くのだと言っていた。普通は沖からやってくる海の流れが浜から沖へと逆転している部分をさす。
遠浅の海岸は、普通は、沖から浜に海水が流れる。しかし、浜から沖へという流れが、発生することも、ライフ・セーバーの立場からすれば珍しくないらしい。しかし、離岸流が発生したのを確認した日は海水浴場を閉鎖するというから、普通の感覚ではそうそうあることではないらしい。どこで離岸流が起こっているかを見分けるのは、素人でもさほど難しくはない。波頭の立っていないところを疑えばいいわけである。
海水浴で水死する人の多くが、この離岸流の犠牲者だという。その流れは最高で秒速2mという。これほど速いのはめったにないらしいが、こんなのに巻き込まれたら、たとえイアン・ソープだって生きて環れる保障はない。初めは波頭が立っていたところに入っても、そこで離岸流が起きないという保障もどこにもない。では、運悪く離岸流に巻き込まれたら、どうすればいいのだろうか? 答は簡単で浜に向かって泳がないことだという。どんなに水泳の上手な人でも、これではまず離岸流にはかなわない。私も流れるプールで逆に泳いだ経験があるので、そう思う。では、どうすれば助かるのだろうか?
答は意外と簡単で、浜に向かって横に泳ぐことだという。浜と平行に泳ぐことは当然不可能で、かなり沖に流されるが、そのまま離岸流の中にいるよりは、遥かに浜に近いという。こうして、離岸流を脱したら、あとは浜に向かって打ち寄せる波に乗って、のんびり平泳ぎでもしていたらいい。離岸流の幅は、過去に確認された限り、最大でも30m程度だという。
泳げど泳げど前に進まないという状況に陥ったら誰だって焦る。こんなときには、タテとヨコを入れ替えたらいいのである。しかし、こんな判断がとっさにできるためには、予備知識が不可欠であることは、言うまでもない。
2002/07/27 土曜日 手袋を履く 
人類の衣装は、大きく分けるとワンピースとツーピースに分かれる。日本のキモノ(女性の和服という意味)やアラブの衣装はワンピースであり、洋服はツーピースである。和服でも、羽織袴などはツーピースである。
日本語では、なぜかツーピースの服を身につける場合、「きる」と「はく」の区別がある。羽織は着るものであり、袴は履くものである。羽織の場合、より正確には「はおる」というべきかも知れないが、洋服が一般化した今になっても、ツーピースの上は「着る」ものであり、下は「履く」ものであるという伝統は残っている。シャツは着るものであり、ズボンは履くものである。「きる」と「はく」を比べると、普遍性の高いのは「着る」のほうである。ワンピースの場合、必ず「着る」といって「履く」とは言わない。「はく」というのは、ツーピースの場合に、下の衣類を身につける場合に限られる。「はく」ものと言って、私たちが思い浮かべるのは、靴、靴下、パンツ、ズボン、ステテコなど、下半身の衣類に限られる。このような区別をする言語は珍しいようで、英語ならいずれも、
wear か put on で済むであろう。つい隣の朝鮮半島の伝統的な衣服はツーピースである。上に着るものは、男女によって形状はかなり異なるがともに「チョゴリ」と呼ばれる。下に履くものは、男性のズボンの場合は「パヂ」(関西で言う「パッチ」の語源)、女性のスカートの場合は「チマ」というのだが、朝鮮語では、パヂもチマも、身につける場合は、チョゴリと同じく
ipta という動詞を用いる。
身につけるものを上下でわける言語というのは珍しいという話を、授業でしたことがある。最初から上下と言わず、「きる」と「はく」はどう違うかと聞いてみた。すると、生徒から、予期しない答えが返ってきた。「その形にあわせてすべりこませるのが『はく』だ」というのである。思わず「なるほど!」と思ってしまった。そう言えば、私自身は「はめる」というのだが、手袋の場合は「はく」という人がかなり多い。「きる」と「はく」は上半身か下半身かで分けられるという仮説は、ここに崩壊する。しかし、私は、「手袋を履く」というのは、たぶん靴下などの連想からきた例外であり、やはり「きる」と「はく」とは上半身か下半身かで分けられるのではないかと強弁した。そういえば、ドイツ語では、手袋のことを
Handschuh (手の靴)という。
少なくとも、「形にあわせてすべりこませる」のなら、Tシャツなどは、まさに「はく」というべきだろう。しかし、Tシャツの場合、その意味を生かそうとするなら、「かぶる」というほかはない。そして、「Tシャツを着る」という言い方にはだれも違和感を感じないだろうが、「Tシャツをはく」といったら、奇妙な感じがするなどという例を挙げて、私は上半身なら「きる」、下半身なら「はく」だという当初の自説を貫いた。しかし、チャイムが鳴ったとき、まだ半信半疑な顔をしていた生徒も、残念ながら決して少なくはなかった。
日本語で「シャツをはく」とか「ズボンをきる」という表現は絶対に許されない。これは、日本人が下半身を上半身より低く見ているということのあらわれだという説をどこかで読んだことがある。上半身と下半身を峻別する思想はヨーロッパにはないらしい。両手に荷物を持った修道士に道をたずねたとき足をあげて教えたとか、二本のワインを運んできたギャルソン(給仕)が一本を股の間にはさんだまま、もう一本の栓をぬいてグラスについだという話も、その本には書いてあった。
2002/07/25 木曜日 夏バテ
梅雨があけて猛暑が続いている。頭がボーッとしていたのか、ばかばかしい勘違いをした。恥をしのんで顛末を報告する。発端は、読者から下記のようなメールが届いたことである。
ちょいと国文法的なことに関して質問したいことがあります。新聞を読んでいたらふとわいてきた疑問です。
『ミズノと味の素は、人の体を構成している蛋白質の成分であるアミノ酸を、化学反応で繊維に【結合させた】布地「アミノヴェール」を共同開発したと発表した。』
『「ブロードバンド時代における放送の将来像に関する懇談会」(総務相の私的懇談会)は、五―十年後の放送の姿を【展望した】中間論点整理を片山総務相に提出した。』 上の文章において【】でくくった【結合させた】【展望した】のはいったい誰でしょうか。考えれば考えるほど訳が分からなくなってしまいます。
是非お答えいただきたく思います。
私は、なぜか、これを記事に【 】という記号が書かれていて、その記号の意味を聞いているのだと勘違いした。出典が読売新聞ということなので、読売までメールで問い合わせまでしたが(あとで考えれば当然だが)返事がこない。誰か心当たりの人がいないかと、自分の掲示板に投稿したあとになって、ふと最初のメールを読み返して、自分の誤解に気がついた。投稿者は、単に「主語」のことを聞いているのであり、【 】は、単に動詞部分を強調するために投稿者がつけたものに過ぎないことにやっと気がついた。そそっかしさをわびて下記のようなメールを出した。夏バテとしか言いようがない。冷や汗が出て少し涼しくなった。掲示板への投稿は削除した。
御質問の要旨は、「結合させた」「展望した」のは誰かということですね。これは誰ともとれると思います。英語などの主語に当たるものを考えておられるのだと思います。
このような文章の場合、誰が結合させたのか、展望したのかということは明示する必要はもともとありません。いずれも英語ならtheyを使うでしょう。ではtheyとは誰かというと、前の記事の場合は、英語でも特定できません。ただ漠然と誰かがということをさすだけです。後の記事の場合は、懇談会の人たちということになるでしょう。
現在の日本人は、英語などのヨーロッパ語の文法になれさせられてしまっています。しかし、日本語では、いわゆる主語は必要なときだけ表示すればいいのであって、文をつくる上では必須のものではありません。
たとえば、残業してくれるかと上司に言われた場合を考えてみましょう。この場合は「やります」と答えればいいのです。これは決して「私は」というのを「省略」したのではありません。わざわざ「私は」をつけると、「他の人は知らないけど私は」という意味になります。「私がやります」というと、俺にまかせとけ、他のやつはいらないという意味になってしまいます。
このように、日本語の文法の場合、ヨーロッパ語的な意味での「主語」という概念は不要だと私は考えています。英語の場合は、theyという主語が形式としてつきますが、主語のない日本語の文と同様、誰がということを明示しているわけではないのです。
では、なぜ英語などでは、こういう場合にtheyを用いるのか、というと、ヨーロッパの言葉は主語が誰であるかによって、am,are,isという具合に、動詞の形が変わるからです。英語はこのような変化が衰えた言語ですから、be動詞以外は3人称単数現在だけの変化になりますが、他のヨーロッパ語では、すべての動詞がbe動詞と同じように、動詞の形が違ってきます。日本語なら「春です」ですむのですが、英語ではis
springとだけいうことはできません。形式だけでも主語が必要になってくるので、It
is spring.というのですが、このitは単に文法的な形式を整えただけで、まったく何の意味もないのです。
2002/07/24 水曜日 泳ぐ
およぐひとのからだはななめにのびる、
二本の手はながくそろえてひきのばされる、
およぐひとの心臓(こころ)はくらげのようにすきとおる、
およぐひとの瞳はつりがねのひびきをききつつ、
およぐひとのたましいは水のうえの月を見る。(萩原朔太郎)
小さいころ、毎年夏になると、曽祖母が逗子海岸で海の家を開いていた。曽祖母といっても、曽祖母が祖母を生んだのが17歳、祖母が母を生んだのが20歳、母が私を生んだのが23歳のときだから、そのころはまだ大した年齢ではなかった。大人に連れられて夏になると浮き輪つきで訪れるという年が何年か続いた。ある年、浅いところで浮き輪もなく泳いでいるとき、とつぜん体が浮いた。やがて平泳ぎなら、浮き輪なしで泳げるようになった。
今なら、つぎはクロールだ、バタフライだということになるのだろうが、当時の私はともかくも泳げるようになったことに満足して、それ以上の挑戦をしようとしなかった。中学校でクロールもできるようになったが、左右のバランスが悪いのと息継ぎが下手なのとで、あまり得意ではなかった。高校にはプールがあって、放課後一定時間、自由に泳ぐことができた。それまでプールの端につくと立って一休みしていたのだが、ふとどれぐらい続くか試してみたくなった。足をつけずに平泳ぎで300m泳いだ。
25m泳げればいくらでも泳げる、という話は、水泳の得意な人からはよく聞いた。しかし、海で沖にでる気にはなれずにいた。教師になって臨海学校に行き、生徒とともに初めて1q泳いだ。船が伴走し、その上で打ち鳴らす太鼓に合わせて全員で声を上げながら泳いだ。終わったとき、まだ十分に余力があった。もう終わりかという気さえした。しかし、これはみんなでやったことだからこそできたという気がする。
最近は夏になっても泳がなくなった。冷房のないころには、暑さから逃れようと思えば、水に入るのが最高の方法だった。しかし、冷房になれきった今では、ついつい億劫になってしまう。去年はついに一夏泳がなかった。今年は久しぶりに泳いでみたいと思う。
2002/07/22 月曜日 よろこびとたのしみ
「喜怒哀楽」という言葉には、今も違和感がある。「喜」と「楽」とはどう違うのだろうかと考え込んでしまうのである。中国語の「喜」と「楽」の違いが日本語の「よろこび」と「たのしみ」の違いに一致するのかどうかについては自信がないが、「歓喜」「安楽」という言葉を考えるとだいたい一致するのではないかと思う。
中国の四字熟語は二字ずつ対になることが多い。「喜怒」はいずれも一時の激しい感情であり、「哀楽」は、激しさこそないがいつまでも持続する情緒である。「悲」ではなく「哀」であるところに謎をとく鍵がありそうだ。「悲喜こもごも」とはいうが、「哀喜こもごも」とは言わない。そう考えると、「哀」とは、「悲」よりも「苦」に近い感じがしてくる。
豊かな時代の若者に、「たのしみ」はあっても「よろこび」はあるのだろうか、と考えることがある。「悲喜」とは「哀楽(苦楽)」が入れ替わるときの感情である。哀楽の底が深ければ深いほど悲喜は激しい。20世紀に入るまで、人類の大半は世界中どこでも「苦」を日常として生きてきた。「楽」の中にある者から見れば、何が生きがいなのだろうと思うような一生を送るのが普通であった。しかし、苦が深ければ深いほど、ときおり訪れる「よろこび」は激しいものだったに違いない。それを生きがいとして無数の先祖たちが生きてきたからこそ、今の私たちが存在しているように思う。
「たのしみ」に恵まれた今の若者に「よろこび」は少ない。「哀」の底が浅く、それを乗り越えたという手応えが乏しいからである。言いかえれば、「よろこび」の質が低いのだといえる。そのために、常に「何かいいことないか」「ほんとうのよろこびを味わいたい」という欲求不満の中にあり、たえずいらいらしている若者が多いのかも知れない。
21世紀に入っても、「苦」を日常としなくなった人は、グローバルに見れば少数派であり、南北問題はますます深刻化している。「楽」を日常とする若者が「よろこび」を味わうには、「苦」の中にいる人たちに思いをはせることも必要だろうが、身近なところでは、何らかの価値のあるものであれば、進んで「苦」を選ぶことも時には必要だろう。人間関係のわずらわしさを避けて自室に引きこもったり、働くことのしんどさを嫌っていつまでもフリーターでいるなら、いらだちから解放され、「よろこび」を味わう機会はいつまでも訪れない。

こう考えてくると、「喜怒哀楽」という言葉には、やはりまだ違和感がある。「悲喜哀楽」なら分かるのだが、「喜怒」が対になる理由がよく分からない。もしも一時の強い感情を四つ並べるとしたら、私なら「悲喜怒羞」と表現する。「羞」とは「はじらい」であり、自分を責めるという意味で「怒」の対極にある。
2002/07/21 日曜日 都道府県
現在の都道府県の区割りが完成していた明治21(1888)年の都道府県別人口統計がこちら(国土交通省北陸地方整備局のサイト内)にある。上位10位までしか載っていないが、エクセルが搭載されているパソコンではデータファイルのところをクリックすれば、全都道府県の人口がわかる。今の都道府県の人口分布と大きく異なるのに驚く。平成7(1997)年現在、47都道府県の人口は、1200万近い最多の東京都と約60万で大きい市ぐらいの最少の鳥取県との間で約19.2倍の開きがある。しかし、明治21年当時は最多の新潟県と最少の北海道との間で、わずかに約5.4倍に過ぎなかった。当時の東京府は4位、大阪府は6位であり、飛びぬけて目立つ存在ではなかったが、面積の小ささを考えれば、当時でも人口が集中した地域であったことが分かる。現在人口3位であり、まもなく大阪府を抜くと思われる神奈川県は、明治21年には16位に過ぎなかった。
面積からいえば、日本全土の約22%をも占める広大な北海道が最下位というのも、今からは不思議な気がする。しかし、狩猟生活を営んでいた先住のアイヌ人の人口は少なく、植民もまだ始まったばかりであった。つぎに少ないのが沖縄県、そのつぎが鳥取県である。先日、テレビで日本一お寺の多い都道府県はどこかというクイズをやっていたが、正解は新潟県であった。寺の大半が明治以前に建てられたものであることを考えれば、面積が広く豊かな稲作地帯で人口が最も多かった県が寺の数で日本一なのは当然であろう。
都道府県のうち、「道」が当初は植民地であった北海道のみであり、「都」が戦後になって東京府から改称した東京都だけであることは分かるとしても、当初は東京、大阪、京都の三つに限られていた「府」とは何であろうか?
江戸時代、江戸は人口100万を超える世界一の大都市であり、大阪と京都も50万ほどの人口を持ち、明治維新の時点では飛びぬけた大都市であった。それに次ぐものは名古屋ではなく金沢であるが、人口はせいぜい5万ぐらいだったらしい。「県」とは別に「府」という名称を設けたのは、このように地域の実情に大きな違いがあったためだろう。東京都と大阪府は現在も都道府県別人口の一、二位だが、京都府は明治21年で22位、平成7年で13位にすぎない。私は学生時代を京都で過ごしたが、当時、知事選に出馬した中央官僚が演説で「県政、県政」といって「府民」の失笑を買い、落選したことを覚えている。しかし、都道府県は同レベルの地方公共団体であり、違うのは名称だけである。
現在、市町村合併が進行している。合併するのならそれぞれの自治の実質を高めるとともに、呼称の面での差別をなくすようにしてほしい。すなわち、すべて「市」にすればいいのである。市町村という呼称が地域の実情を反映しなくなって久しく、そのことは合併が進むとますますはっきりしてくるだろう。そういえば、「市」なら「役所」、「町」や「村」なら「役場」というのもおかしい。この呼称の違いには法的な根拠はなく、戦後成立した地方自治法にも、単に「従前の例による」と記されているに過ぎない。 私がまだ十代だったころ、横浜市役所が当時としてはえらく立派な建物に移転して「市庁」と名を改めたことをぼんやりと覚えている。しかし、同じ心意気で「村役所(そんやくしょ)」と名乗る自治体があったという話は聞かない。なお、西日本には、「むら」ではなく「そん」と読む自治体が多い。村議選では、「わがそんは」と演説しているようである。
2002/07/20 土曜日 お磨きする
「お取りになる」といえば尊敬語、「お取りする」といえば謙譲語である。「お〜になる」の「〜」のところには、和語の動詞でさえあれば、だいたいの動詞が入りうる。ただ、なにしろ尊敬語であるから、「お盗みになる」のように、尊敬に値しない意味のある動詞を入れるのはおかしい。しかし、「お盗みになる」は、文法的に誤りとは言えない。これを変だと感じるのは、「盗む」という動詞の意味の問題である。
「お〜する」という謙譲表現の場合は、「〜」に入る動詞の種類は、さらに限られる。「お笑いになる」はいいが、「お笑いする」は変である。「お前が笑おうが笑うまいが俺の知ったことか!」と言われそうである。「お〜する」という表現は、相手に何らかの意味で恩恵をほどこす場合に限られるようである。恩恵をほどこすのなら、他に「〜て差し上げる」という表現もある。しかし、「取って差し上げましょうか?」では、あまりに恩着せがましい。そういうとき、「お取りする」という表現は便利である。
しかし、相手に恩恵をほどこしさえすれば、どんな動詞でも用いるというわけにもいかない。「靴をお磨きします」は、どこかおかしい。「靴」を「お靴」と言い換えても同じことである。しかし、「お靴、お磨きしましょうか?」なら、さほど抵抗感はない。「お靴、お磨きします」と違い、相手に諾否の選択の余地を与えているからかも知れない。この「お磨きします」の場合も、私には文法的な間違いとは思えない。
「お磨きします」は、「お盗みになる」とは違い、意味の面でも間違いとは思えない。しかし、表現の上手下手という面で、変な感じがするのではないだろうか? 言うならば、文法の問題ではなく、レトリックの問題であるように思う。「お食べになる」という表現は、文法的にはおかしいとは思わない。しかし、この場合は、他に「召し上がる」という尊敬を示す動詞が別にあるために、下手な言葉遣いということになるのだろう。
2002/07/16 火曜日 著作権
日曜日のNHKスペシャルで著作権の問題を扱っていた。アメリカでは1970年代に著作権の期限が75年に延長されていたが、それが最近になってさらに20年延長されたという。話の発端は一人の男性がこの延長措置が憲法違反だと訴訟を起こしたことであった。その男性は、子供たちに良い文章を読ませたいと思い、すでに著作権の切れた文章を集めたウェブサイトを開いていた。それがこの延長措置により、かなりの部分を削らなければならないことになり、訴訟に踏み切ったのである。
著作権の大切さを説く全米テレビ協会の会長と、インターネットの発展などのために著作権を制限すべきだという大学教授との公開討論の場面もあった。放映された場面での会長の主張は次のようなものだった。著作権は私有財産であり、アメリカは私有財産の上に成り立っている国であるから、著作権を守ることは当然だ。著作権はアメリカの国家財産であり、経済戦略の要だというようなものだった。会長がここで問題にしている著作権は企業の手にある。著作権は、会長のいうとおり、現に私有財産として売買されるものとなっている。これに対して教授の主張は、著作権を文化の発展の足かせにしてはならないというものだった。これではまったくすれ違いである。
私の素朴な考えでは、著作権というものは作家や画家や作曲家が持つべきものだと思う。著作権の意義は、創作者に創作の報酬を確保し、創作の意欲をかきたてることにあるはずである。しかし、企業のもつ著作権が新たな創作の活力を生むとは考えにくい。著作権が必要なことはもちろんだが、その効力は創作者の死とともに消滅するのが自然であり、創作者以外の者の手に渡すべきではないと思う。アメリカにおける著作権の延長には、肝心の創作者(日本の坂本龍一などミュージシャンが登場していた)からも反対の声が上がっている。創作といっても、ゼロから生まれるものではない。創作のためには、自由に利用できる過去の創作群(パブリック・ドメイン)の存在が不可欠と創作者たち自身が考えている。
ところが、創作物といっても、映画とかコンピューター・ソフトなど、企業のもとで多数の人が力を合わせなければならないものの場合、著作権を個人に帰することは難しい。このようなものの場合、企業が一定期間著作権を持つことはやむをえないところもあるだろう。しかし、明らかに個人の手に帰することのできる著作権まで、企業の独占物としていいかどうかは疑問である。テレビ協会の会長が率直に(露骨に?)言っているように、著作権を国家戦略の要のように見るのは文化に対する冒涜であり、大国の横暴という感じもしてくる。特許権の問題にしてもそうだが、文化の発展ということを第一にして、著作権のあり方についてはより緻密な規定を設け、国際的な基準をつくりあげる必要があるように思われた。
2002/07/15 月曜日 誤字
期末試験の採点を終え、生徒の誤字をいくつか紹介する。まず、「撮影」を「撮映」と書く者が非常に多い。これは、「影を撮る」という語の成り立ちが理解できていないためだろう。考えてみたら、「撮影」以外に「撮」の字を用いた語というのは少ない。「空撮」「盗撮」というのはあるが、これはいずれも「撮影」を「撮」一字で略したものだ。どうしても身近な字に引きずられる例は、「精神」でも見られる。これを「精心」と書く例が多い。「心神」「神経」「失神」など同様の意味での「神」の字の用例に注意を喚起したい。「変容」については、「変様」と書く者が多い。これは語の成り立ちは理解しているが、「ありさま、すがた」という意味での「容」をすぐ思いつかないということだろう。これも、「容姿」「容貌」「内容」など、字の他の用例を思い起こさせたい。「掲載」の「掲」の字のつくりが覚えにくいのか、「提載」というのも見られる。この字のつくりについては、旧字体で書く者がときどきいる。常用漢字外の字の場合、つくりの下の部分を旧字体で書く影響だろう。「艦隊」を「鑑隊」と書く者が意外に多い。これは、平和の中で「艦隊」そのものが縁遠いものになっているからだろう。「生殖」という字を書き取りに出したのは、「生植」と書かないかと思ったためだが、「殖」の字は間違えないのに「性殖」と書くのが目立つ。生徒のとしごろを考えたら無理もないのかも知れない。
2002/07/12 金曜日 5増5減案と小選挙区制
衆議院小選挙区の5増5減案で、国会がもめている。自分に影響のある議員は反対を唱え、あまり影響のない議員は賛成を唱える。でも、そんな選ぶ側のばかばかしいことはどうでもよい。「選挙区が大きく変わる議員に配慮してほしい」だって? そんなことは知ったことではない。肝心なのは、選挙区間での1票の重みの格差を小さくするという選ぶ側の権利の平等である。
○増○減案という言葉は、中選挙区制の時代にもあった。中選挙区制での是正は容易なはずであった。何しろ、選挙区はそのままで定数だけを増減すればよく、選挙区の改編が行う必要が生じることはあまりなかった。ところが、こんな簡単な是正すら、議員たちは自分の議席に影響するとして先延ばしにした。その結果、ついに最高裁も、3倍以上は違憲という歯止めをかけるにいたった。
3倍を遥かに超える格差が放置されたのは、中選挙区制のせいではない。実は、中選挙区制では、格差を2倍以内どころか、1.5倍以内にすることすら、いとも容易にできるのである。格差が放置されたのは、自分の選挙区にわずかな変動も嫌う議員のエゴでサボタージュが行われたからに過ぎない。小選挙区制の導入にあたっては、格差是正もその理由に挙げられていたが、これは噴飯物である。小選挙区制では、最初の区割りの段階から2倍以内に収めることすら、至難のわざなのである。区割りをともなう選挙制度案を提案するときは、必ず区割り案を添えることが必須の条件である。自ら区割りをしようとしない人が、小選挙区制での区割りがいかに難しいかをも知らぬまま、小選挙区制を成立させたことが、今日の5増5減案さわぎのそもそもの原因なのだが、メディアはそのことを少しも報道しようとはしない。
今度の場合、5増5減というと簡単そうに聞こえるが、選挙区定数の増減員という是正手段を持たない小選挙区制の場合、是正は必ず選挙区の再編をともなう。今回は、埼玉、千葉、神奈川といった大県が対象に入ったために、300の小選挙区のうち実に68もの選挙区を再編しなければならないことになった。。こんなことは、私には小選挙区制導入のときから分かっていたことであった。いま進められている市町村の合併が一段落つくまでといって5増5減すら先延ばしにしようとする動きさえある。中選挙区制下でさえあれほど拡大した1票の重みの格差が、小選挙区制のもとではどこまで拡大するか、空恐ろしいほどである。そのようなことにならないために、今なすべきことは、小選挙区制を廃止し、選挙区人口の変動にも市町村合併にもあまり影響を受けない中選挙区制か、ほとんど影響を受けない比例代表制に選挙制度そのものをかえることである。
小選挙区制下で1票の重みの格差が最初の区割りの段階から2倍を超える理由は、小選挙区制で格差2倍以内は可能か?に書いた。そして、小選挙区制のもたらす不公平は、選挙区間の格差だけの問題ではない。政党の規模の大小によって、何十倍もの格差をしょっちゅう生じるということが、小選挙区制の最大の欠陥なのである。
私は、細川内閣誕生に先立つ「政治改革」騒ぎのころから、小選挙区制には大反対だった。このHPでも、開設当初から小選挙区制の廃止を訴え、それに代わる私案をいくつか提案している。5増5減騒ぎを機会に、今まで読んだことのなかった読者にも、選挙制度の話をぜひ読んでいただきたい。
2002/07/11 木曜日 川の水
私たちは、日ごろ水の恩恵を受けて生きている。第一、私たちの身体の大半は水である。水が洪水という形で私たちにわざわいをもたらすこともあるが、「失」より「得」のほうが遥かに大きいことは、改めていうまでもない。とすれば、自然に存在する水は、川にせよ海にせよ、できる限り自然のままにしておくことが原則であると私は思う。
水は交通の障碍になることもある。静岡県を流れる大井川は、江戸時代に「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と歌われた。交通が発達しすぎて支配の安定が損なわれることを嫌った徳川幕府はこの川に橋を架けることを許さなかった。旅人は人足の肩や輦台に乗ってこの川を越さなければならず、交通量はおのずから制限された。ちょっとした雨で川が増水すると、川を渡ることは不可能となり、旅人は島田か金谷の宿で何日も何週間も足止めを食うことになった。
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| 今日の大井川。開かない新幹線の窓ごしにとったため、私の手が写っている。 |
しかし、今の大井川の流量はひどく少ない。私はよく東海道新幹線にのるのだが、車窓から見る限り、広大な河川敷の中で、水はところどころに気息奄奄と流れているに過ぎない。大井川全体も歩いて渡れるのではないかと思うほどである。大井川の推量が昔とは比較にならないほど減ったのは、いうまでもなく、電源開発や治水などの目的で上流にいくつも築かれたダムのためである。大井川は静岡県内に源を発する短い川だが、それでも、昔は豊かな水をたたえていた。それほど、昔の日本の川は活力があったのである。
いま、ダムをめぐって長野県が大揺れに揺れている。折しも台風6号がこの列島を通過中である。もし、この台風が長野県を直撃し、甚大な被害を出したなら、脱ダムを唱える田中康夫知事の立場は急速に悪くなったかも知れない。そのようなことが起こったとしても、長年人類のみならず多くの生命に恩恵を与え続けてきた自然の水のありようをむやみにいじくることに対しては、私は容易に賛成する気にはなれない。
ここで少し話題を変えてみる。飛行機はときには落ち、惨事をもたらす。しかし、だからといって飛行機をなくそうという声は聞かない。自動車は、毎年たくさんの人命を奪っている。しかし、自動車社会のありようを人間は容易に変えようとはしない。これに対して、川があふれた場合には、人間はすぐ川をいじろうとする。飛行機や車と川の水の違いは何なのだろうか? 「経済効果」というものもあるのだろうが、自分たちの創り出したものには甘く、自分たちを生み出した自然に対しては容赦ないというのは、著しく平衡を失する。洪水によって人命が失われるようなことがあってはならないことはもちろんであるが、川の現状を保全したままでも、対策はほかにもあるのではないだろうか?
日本は山国である。とりわけ信州は山国である。日本は降水量の多いことでは世界でも指折りの国だが、険しい地形のために降った雨の大半は、そのまま海に流れ込んでしまう。梅雨という時期がありながら、夏になると水の供給が問題になるのもそのためである。日本より雨量の遥かに少ない国でも、大陸にあれば、無数の支流を飲み込んだ大河はたえず満々たる水をたたえて流れている。ヨーロッパ人に言わせれば、日本の川はみんな滝であるそうだ。
韓国に行ったとき、百済の古都扶余で満々と水をたたえた白馬江の流れ(左の写真)を見た。広々とした砂浜のある「河水浴場」でたくさんの人が泳いでいた。朝鮮半島は、ちょうど38度線を境に南は標高差が小さい。今の韓国で最も高い山は、なんと離島の済州島にある。上流にダムが少ないためではないかと思う。昔は日本中の川がこれと同じだったのではないかと思う。
長野県の田中知事には、すでに差し止めることが難しい段階に入った工事の差し止め方などに強引な面があったかのも知れない。しかし、その「脱ダム」の理想は、県議会もいつかは受け入れるべきではないだろうか? 世代が代わっても、川は流れつづけ、信州人は生き続けるはずだと思うからである。他県人をひきつける信州の美しい自然を残すことは、将来の信州人が快適に暮らすためにも必要なことだと思う。
2002/07/10 水曜日 寄席
子供のころ、大人たちに連れられて横浜で寄席を見にいった記憶がある。林家三平が出ていた。今はその奥さんや子供たちがタレントとして売り出しているが、当時人気絶頂の落語家だった。落語家といえば、座布団に座ったまま噺(はなし)をするものと思っていた当時、立ちあがって舞台せましと走り回ることで人気があった。伝統に忠実な落語家たちからは、邪道とさげすまれていた。そのときは、後ろにアコーディオンの伴奏がついた。ところが、そのアコーディオンを弾く人が、何かというと三平を軽蔑のまなざしでにらみつける。それについてあれこれと弁解しながら三平の噺はすすんでいった。
一番の前座(つまり下っぱ)として出てきた古今亭朝太(ここんていちょうた)が「こんにゃく問答」をやっていた。ある道楽者が日ごろの暮らしぶりを見かねたこんにゃく屋の世話でお寺の住職になる。そこに本物の坊さんが禅問答をふっかけにきた。何を言っているのか分からないものだから、だんまりを決め込むほかはない。すると相手は、「無言の行ですか」ということで、身振りで禅問答をふっかけてくる。どう答えていいか分からないままに、相手の身振りをちょっと変えてみせたり、目をひんむいたり、後ろにのけぞったりというでたらめな応対をする。すると、相手は突然、「恐れ入りました」といって、道楽者がでたらめにやった動作を逐一禅的に解釈して引き下がる、というような筋であった。朝太の「こんにゃく問答」は、表情や動作が面白いということで大受けだったが、なにしろ途中から言葉が全然なくなるのだから、ラジオなどでやったらさっぱり訳の分からない噺である。朝太は、当時押しも押されぬ古今亭志ん生(右の切手)の息子であり、のちに芸名を志ん朝と改めたが、先日まだ大した年齢でもないのに亡くなった。
むかしの「サザエさん」に、カツオ君が家族とともに落語をきいてげらげら笑っていたところ、父の波平さんに「今の落語が分かるとはなにごとだ!」と怒られる場面があった。かなりエッチな落語だったからである。ラジオ時代からテレビ時代にかけて、落語を聞いた覚えが私にはある。
桂三枝がテレビでぼやいていたことがある。タクシーに乗ったところ、運転手が三枝と知ってか知らずしてか、「松鶴さんの落語を聞きましたけど、やっぱりホンマモンは違いまんなあ」と言ったというのである。「私はニセモンでっか?」と三枝は怒っていた。若い女の子に、「あら、三枝さんて、落語もするのォ!」と言われたこともあるという。
結婚して間もないころ横浜に帰省したとき、関西育ちの妻には珍しいだろうということで、江戸落語をやる東京の寄席に一緒に行ったことがある。あまり前に座ると芸人にいびられることもあるので、後ろの席に座った。名前は忘れたが、当時ときどきテレビにも出ていてけっこう名の知れた古参の落語家がぼやいていた。しばらくテレビに出ないでいて、人にあったところ、「病気だったんですか?」と言われたという。「あたしゃ、毎日高座に上がっています!」と憤慨していた。そして、「近頃は、テレビが出来てから落語が出来たと思っている人が多いんですよね」とやっていた。
ふと聞きたいと思って、ときどき寄席にやってくる客を相手にする昔の落語家とちがい、毎日のようにテレビに出ている今のタレントは毎日のように新しいネタを考えなければならないから大変である。日本でラジオ放送が始まったころ、初めて落語をテレビでやることになった。ところが、呼んできたベテランは江戸時代生まれの芸人(職人)である。マイクを見たとたんにつむじを曲げ、こんなふざけたもの相手に噺ができるか、客を呼んでこなければ帰るとごねた。放送局中をかけまわって局員をあつめ、何とか説得して始めてもらった。落語なのだからおかしいのは当たり前だが、当時は笑い声を電波に載せてはいけないという感覚があったらしく、局員たちは、座布団をかぶって笑い声を立てないようにして、苦しそうに聞いていたという。
2002/07/07 日曜日 ブラジル人の名前
2002年のW杯で優勝したブラジルのフォワードにロナウド、リバウド、ロナウジーニョの「3R」がいた。しかし、その背中には、Ronald,Rivaldo,Ronaldinhoと書かれていた。なぜ、このような読み方になるのかを調べたところ、ブラジルのポルトガル語では、語中のLが「ウ」に変化すること、di が口蓋化により「ジ」と変化することを知った。ポルトガルのポルトガル語には、このようなことがなく、Ronaldinho
は「ロナルディーニョ」と読むそうだ。ブラジルという国名自体、ブラジルでは「ブラジウ」というそうだ。
ブラジル人の個人名にも変わったものが多い。Jリーグにいたブラジル選手に「ビスマルク」と「エジソン」がいた。それより古いスターには、「ソクラテス」という選手もいた。たまたま、見ていたブラジルを舞台にしたドキュメンタリーには「ジェームス・ディーン」という名前の青年が出ていた。どうも、ブラジルでは、国内外の有名人の名前を子供につけることがよく行われているようである。
日本の戸籍では、子供の名前は漢字、ひらがな、カタカナのいずれかで届け出ることになっている。「マサナオ」という名前の男性にあったことがあるが、これが戸籍名だというから珍しいと思った。しかし、子供に「デビッド(ベッカム)」だの「オリバー(カーン)」だのとつける人は、今回のW杯ぐらいでは現れないものと思われる。なお、ブラジル人のサッカー選手の登録名は、姓であることも個人名であることも愛称であることもある。「アルトゥール・アントゥネス・コインブラ」と言われても誰のことか分からないが、「ジーコ」と言えば日本でも誰でも知っている。
本日、「ことばの散歩道」に「漢字は廃止できるか?」という記事を新たにアップした。
2002/07/05 金曜日 改姓・改名の基準
日本で戸籍上の名前を変えるのは難しい。姓名判断などで名前を変えたという人はよくいるが、それは単なる通称に過ぎない。 姓(氏)を変えるのはさらに難しい。改姓が許可になる「やむを得ない事由」の認定基準は、つぎのようなものである。
(1)文字が難解・難読で、社会生活上著しく困惑と不便とを自他ともにこうむる場合。
(2)文字自体により、他から著しく嘲笑侮蔑を受けるような意味やひびきをもっている場合。
(3)その他、やむを得ない事由と解するに足る理由がある場合。
以上は、単なる目安であり、どういう場合が上記3項に該当するかどうかは、家庭裁判所の判断による。
(1)については、「信太」程度では認められない。普通の漢和辞典に載っていないようなまれな漢字を使用した場合でないと難しい。名前の場合は、戦後生まれの大半は最初からそんな文字を用いていないので、文字がもとになった審査はほとんどは改姓に限られる。
(2)については、金玉(キンギョク)という姓の改姓が認められた例がある。
(3)については、「外国人とまぎらわしい」「帰化した者がより日本風に改める」というのが家裁で認められたことがある。これでは、差別の存在を前提にしたようなもので問題である。
改名については、もっといろいろなケースがある。●営業上の目的からの襲名、●神官・僧侶となったため、あるいはやめたための改名、●近所に同姓同名がいる、●「悪魔」のような珍奇な名前、●異性とまぎらわしい名前、●鈴木花子さんが山田太郎さんと結婚したら太郎さんの母親が花子さんだったような場合、●社会的に通名を長年使用している場合(この場合、かなり条件がきつい)、●「かの子」という女性が「大場」という姓の人と結婚したような場合。
以上の記述にあたっては、佐久間英『日本人の姓』(六藝書房)を参考にした。 
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