よしなしごと2002年6月

  A組担任さんに会う  人口から見たW杯  会社員
火の国・パタゴニア  さわり  ロシア国歌
公共空間  夢は少しずつ  温泉町の決議
トーナメント  ルービック・キューブ  ベッカムの十字架
ナンバ歩き  差別はなくならない?  「私の中では」

2002/06/29  土曜日  「私の中では」  

 前々から気になっていた最近の表現に、「私の中では」というのがある。「私の中では納得してるんですけどね」という具合である。それなら単に「私は」で十分ではないかと「私の中では」思う。「は」の語源は「刃」であるという説がある。他とすっぱり切り離して取り上げるというところに「刃」の意味が生きているのだという。しかし、単に「私は納得してるんですけどね」では、「他の人は知らないが、私は」という意味が十分に表されないから「私の中では」と言うのかも知れないと考えてみる。とすると、この表現は、自己主張をいっそう強めたもののようにも思える。

 いっぽう、私は高校生の作文をよく添削する。「私なりに考えてみた」という表現がけっこうよく見られる。そのたび、こんな表現はいらない。限られた字数なんだから、他にも書くことがあるはずでもったいないと口をすっぱくして言っている。「私なりに」という意味で「私の中では」というのなら、自己主張を強めたのではなく、最近の若者の中にも謙譲の美徳が生きているという解釈もできる。あるいは、日本語に伝統的な婉曲表現の一環のようにも思える。「大阪に行って洋服を買いました」を「大阪のほうに行って洋服とか買いました」というときの「のほう」や「とか」の同類という気もする。

 話は変わるが、私が子供のころ、相撲取りといえば無口なものと決まっていた。取り組み後にインタビューを受けても一言も話さないアナウンサー泣かせの力士が多かった。そのくせ、引退して親方になるとぺらぺらしゃべり出すのだから不思議であった。今の力士は現役時代からよくしゃべる。かろうじて口を開いた昔の力士がよく言う言葉に、「やっぱり」というのがあった。これは、「私などに意見はありません。他の人たちが言うとおりだと思います」という謙遜の意味だったように思う。「やっぱり」というときには、誰の意見かを明示していない。これに対して、今の若者が「私の中では」というときには、表向き謙遜をしているようでいて、ちゃっかり自己主張をしているような響きもある。「私的(わたしてき)には」というバリエーションとはどんな違いがあるのだろうか?

 ウェブ上で他にこの表現を取り上げているところがないかどうか調べてみた。さすがに、飯間浩明氏の「ことばをめぐるひとりごと」では、すでに3年前に取り上げていた。飯間氏によれば、「私の中では」という表現は、文学者の文章の中ではかなり古くから見られるそうである。しかし、今の話し言葉としての「私の中では」は、このような文章の中での用法とはかなり違う使われ方をされているという。私にも、文章を読む中から生まれた表現とは思えない。「私の中では」という表現を一概に排撃する気は私にはないが、一人一人が考えて最適の表現と思って用いるのならともかく、みんなが使っているから使うというのなら、「私の中では」単に耳障りな物言いにしか聞こえない。
2002/06/28  金曜日  差別はなくならない?    
 差別は人間の本質に根ざしているから、なくなることはないという人がいる。そのとおりかも知れない。しかし、だからといって放置しておけばいいということにはならない。「石川や浜の真砂は尽きるともよに盗人の種はつきまじ」という歌が秀吉時代の大泥棒であった石川五右衛門の辞世として伝えられている。犯罪も人間の本質に根ざしているから、なくなることは永遠になくならないであろう。だからといって放置しておけばいいという人が果たしているだろうか?

 では、差別と犯罪の違いは何だろうか? それは、犯罪は誰が被害者になるかも分からないから、誰もが関心を持つ。しかし、差別は差別される人が黙っている限り、差別する人は当然と考え、差別されない人は気がつかない。「差別はなくならない」という言い方は、実は差別される人が黙って我慢していれば何の問題もないということを言っているにすぎないのだから、差別される人が納得するはずもない。社会は、犯罪の被害をできるだけ少なくするのと同じ熱意で、差別の被害をできるだけ少なくしなければならない。そして、それはよくないことだと言い続けなければならない。差別される人に差別に負けない強さが必要なことは確かだが、差別する人、差別されない人、差別を知らない人が、我が身を省みないままで、あるいは相手をもっと知ろうとしないままで、差別される人にそれを迫るのは不遜である。
2002/06/27  木曜日  ナンバ歩き  
 人力車に乗った経験は、四国の松山で一回あるだけである。これは、そのときもらった手帳の表紙。
  日本で昔から変わらないと考えられているものが、意外と新しく、古くても明治以来のものであるということがよくある。しかし、歩き方など昔から同じではないかと思われそうである。ところが、右足を出すときに左手を出し、左足を出すときに右手を出すという、今日普通の歩き方も明治以来のものである。国民皆兵となって行進をするために導入されたもので、小学校からその準備がされたために普及した。

 では、江戸時代以前の日本人がどう歩いていたのかというと、右足を出すときに右手を出し、左足を出すときに左手を出して歩いていたのである。こういう歩き方をナンバとかナンバ歩きという。当然、「肩で風を切る」歩き方になり、それを誇張すると肩をいからして人を威圧する歩き方になる。今のような歩き方に慣れた日本人には歩きにくそうな感じがするが、それも単なる慣れの問題に過ぎないようだ。

 実は、むかしの日本人の歩き方にとって、どっちの手を前に出すかということは、大した問題ではなく、踏み出す足と残る足のどちらに重心を置くかということが大事なのである。踏み出す足と同じ側の手を前に出すのは、強いて手を振ろうとしない限り、自然なことであるからに過ぎない。残る足に重心をかける今の歩き方では、前へ進む力を一歩ごとに後ろに引き戻していることになってしまう。

 幕末に日本に来た西洋人は、日本人の歩く速さに驚いている。東海道五十三次を2週間ほどで歩いたのだから、速かったに違いない。高校生を募って東京の日本橋から京都の三条大橋まで歩かせてみたところ、たちまち足にマメをつくりそれをつぶして、ほとんどが途中でリタイアしてしまったという話を、むかし週刊誌で読んだ記憶がある。

 明治になっても、人力車夫などは、踏み出す足に重心をかけるナンバ歩きをしていたと思われる。人力車は、梶棒を下に押さえつける力を前に進む力に生かして進むようだ。とすれば、その力をそがないためには、ナンバ歩きが欠かせない。現代風の走り方では、客もろとも後ろにひっくり返ってしまうのではないかと思われる。
2002/06/24  月曜日  ベッカムの十字架  
 W杯でイングランドがブラジルに敗れたとき、ベッカムがユニフォームを脱いだ。そのとき、背中に十字架を負ったキリストの入れ墨が入っていた。欧米では、入れ墨が日本よりは許容されているらしい。学生時代にアメリカ旅行をしたとき、警官が入れ墨していたのに驚いた。しかし、当時アメリカに住んでいた叔父夫婦によれば、いとこたちの通う小学校の校長も入れ墨をしているし、牧師が入れ墨をしているのを見たこともあるという。

 昔の日本でも、入れ墨即やくざというわけではなく、江戸の鳶や火消しなどで男気を示すために入れ墨をしていた例も多いときく。ただ、その場合は「入れ墨」とは言わず「彫り物」と言ったようだ。「入れ墨」というのは、本来、刑罰として墨を入れることをさすためである。子供のころ、家によく来た豆腐屋のじいさんが彫り物をしていたのを思い出す。模様はもう判別できないほどになっていた。

 4年前のフランス大会のとき、ベッカムが短気を起こして退場処分を食い、イングランドは敗れた。ベッカムは敗戦の責任を問われ、メディアにさんざんにたたかれた。キリストの入れ墨をしたのも、そのためであるらしい。汚名返上をめざした今大会でも、ベッカムは怪我が治りきっておらず、十分な活躍ができなかったが、ベッカム現象とでも呼ぶべき騒ぎを引き起こしたのは周知のとおりである。

 英語で入れ墨のことを tattoo というが、これは taboo とともに元はポリネシアの言葉であるらしい。魏志倭人伝に倭人たちがあまねく文身(入れ墨)をしていることが書かれているように、入れ墨の歴史はこの日本でも古いらしい。それだけに、刑罰に用いるという発想も生まれたのであろう。それに対して歴史の浅いヨーロッパでは、単なるファッションとして気軽に受け入れられたのかも知れない。ベッカムが去ってから、その髪型を真似る若者が急増しているというが、何を真似するかは、文化の違いを考えて選んでほしいものである。イングランドではベッカムは等身大のヒーローなのだろうが、この日本では簡単に神様になってしまう。
2002/06/23  日曜日  ルービック・キューブ  
 むかし、ルービック・キューブなるものに凝ったことがある。立方体の6面を同じ色にそろえればいいのだが、その組み合わせは何と4325京あまりという天文学的数字である。発明者はハンガリーのエルノー・ルービックという数学者で、1980年代前半に世界的に大流行した。当時のハンガリーはまだ社会主義国だったが、今であればルービック教授は大富豪になったことであろう。日本ではツクダから売り出されたが、「キュービック・ルーブ」などと名前を変え、色や色の配置を変えた偽物がだいぶ出回っていた。これに夢中になるのは、なぜか男性が多かった。熱中して他をかえりみないため、離婚騒ぎに発展した例もよくあったという。

 こういう複雑なものでも、筋道を立てて考えれば解法は見つかる。まず気づかなければならないのは、各面の中央のキューブは一色であり、動かないということである。それに気づけば、どこにどのキューブを持ってくればいいかが分かる。しかし、考え方の筋道を間違えるといつまでも正解には達しない。よく1面、2面、3面……という具合に一面ずつ完成させてゆき、6面までいたると考えている人がいたが、そんなことは不可能である。少なくとも5面がそろってあと1面がバラバラという状態がありえないことは誰にでも分かる。

 実際にはまず一面をそろえ、それを上に向ける。次に上面を崩さぬようにして側面の上から一段目、二段目の順にそろえる。ここまでは、自分で考えて何とか解法が見つかった。しかし、最後に下面をそろえる方法はとても複雑で、本を読んで覚えた。こうしてどうにか1分前後で6面をそろえられるようになったが、ブームはあっという間に過ぎ去ってしまった。しかし、せっかく覚えたのだからということで、ルービック・キューブはまだ手元にあり、忘れないようにたまにやってみることがある。
2002/06/22  土曜日  トーナメント  
 W杯もトーナメントの段階に入った。トーナメントの語源は、中世ヨーロッパで行われた馬上槍試合である。それぞれのコーナーから馬を走らせ、長い槍で相手を突く殺すか殺されるかの勝負であり、そこから一度負けたら終わりという意味に転じた可能性もある。しかし、実際には甲冑を着て行う実戦訓練であり、命を落とすことは少なく、今日のK1のようなショーであったようである。

 中世ヨーロッパの騎士というのは、文武両道を求められなかった。国家の創業にあたっては「武」が求められるが、細かい戦争が絶えず行われていた当時、守成のための「文」を磨く余裕はなかったようである。
2002/06/21  金曜日  温泉町の決議   
 兵庫県に温泉町がある。「おんせんまち」など、どこにでもあるではないかと思われるかも知れないが、これは「おんせんちょう」と読む自治体のことである。吉永小百合主演の「夢千代日記」で有名になった「湯村温泉」で知られる美方郡温泉町は、兵庫県の日本海側にあり、鳥取県に接している。

 昔の若い同僚に温泉町出身の人がいた。人口の少ない過疎地で豊富な湯量があるため、全戸に温泉が引かれているという話を聞いて、なんと贅沢なと思ったものである。どうも都会暮らしになじめなかったらしく、希望を出して出身地に転勤していった。

 昨日、その温泉町の町議会が「W杯共催国の韓国の優勝を願う」という決議をあげたという話が、こちらの新聞に小さく載っている。おそらく全国的にはほとんど知られていないニュースだろう。韓国-イタリア戦を見て感動した議員が提案し、別に反対する理由もないということで、全会一致で決まったということらしい。
2002/06/19  水曜日  夢は少しずつ  
 W杯での日本の夢が散った。ドーハの悲劇の次は初出場、今回は初の勝ち点だけでも前進だったのだから、健闘というほかはない。欲をいえばトルコ戦も可能性はあったと思うが、実力伯仲で争う今のW杯でそんなことを言っていたら切りがない。

 トーナメントは一回負ければ終わりだが、私の母校である神奈川県立湘南高校は、戦後まもなくのころに予選からトーナメント方式の夏の甲子園で全国優勝をしたことがある。それ以前もそれ以後も出場の経験すらない。当時の選手にはのちに阪急ブレーブズで活躍した衆樹(もろき)やプロ野球ニュースの初代キャスターを務めた佐々木信也がいた。しかし、1960年代に高校生活を送った私たちのころには、すでにそんなことは遠い伝説となっていた。そのころも公立としては強かったのだが、私学の強い大都市部では法政二高や鎌倉学園が全盛で、甲子園出場は夢のまた夢だった。それでも、私も応援に行った県予選で、法政二高に7-9と健闘したことがある。

 陸上や水泳やスキーのような個人競技では、一度のチャンスを逃がしたら挽回は難しい。不運にもオリンピックで優勝できなかった荻原健司は限界まで頑張ったが、ついに取り戻せなかった。サッカーのような団体競技でも、個々の選手にとっては一度のチャンスであろうが、日本のサッカーとしては、今後いくらでもチャンスがある。韓国は日本より一歩先んじたが、W杯では先輩なのだから、順当と言える。となり同士で切磋琢磨して、4年後のドイツでは、ともに今回以上の成績をあげてほしいものである。一度で優勝したのでは、つぎの目標がなくなってしまう。
2002/06/16  日曜日  公共空間  
 中国に「円楼」と呼ばれる建物がある。「客家(ハッカ)」と呼ばれる人たちの集合住宅であり、野球場ほどの広さの丸い壁の中に数百人が住んでいる。中央の庭には祖先を祭る祠などがあり、公共空間となっている。円楼全体が一族の住居であり、住民は同じ姓を名乗っている。
 兵庫県の芦屋市に、「芦屋浜シーサイドタウン」と呼ばれる埋立地がある。30階近くもある高層マンションが林立しているが、五階おきに人が住まない空白階があるという、不思議な構造になっている。このような空白階が設けられたのは、さまざまな公共の催し物のためであった。
 円楼の公共空間の使い方は、もう何百年も前から、伝統によって決まっている。しかし、芦屋浜の高層マンションの空白階を使いこなすには、住民自身が知恵を出し合わなければならない。さもないと、ホームレスが寝泊りしたり、若者がたむろしてシンナーを吸ったりなどということにもなりかねない。

 現代は、「公共」ということが成り立つのが難しい時代である。公共の役割を演じる自治体などが、ともすればイベントなどに依存しようとすることにも、それは表れている。その安易さを批判するのはたやすいが、「公共」というものは、市民の一人一人が意欲をもって作り上げるべきものである。お上に与えてもらうことばかりを期待していたのでは、息苦しい時代に道をひらくことにもなりかねない。
2002/06/10  月曜日  ロシア国歌   
 前からその動きがあることは聞いていたが、ロシアの国歌が旧ソ連の国歌にかわったのを今度のW杯で知って驚いた。私たちの世代にはオリンピックなどで聞きなれた曲である。初めはスターリン賛歌だったのを、ソ連国歌になるときにだいぶ歌詞を変えたとのことなので、今回の復活にあたっても、だいぶ歌詞が変えられているのではないかと思う。昔のソ連は圧倒的なスポーツ大国で、ソ連国歌には強烈な威圧感があったものだが、今回はそれほどのすごみは感じられなかった。

 ソ連をCCCPと書くことは、日本人の多くも知っていたが、これを「シー・シー・シー・ピー」だと思っている人が多かった。しかし、これはキリル文字とローマ字の字形がたまたま一致しただけで、ローマ字風に書けばSSSRとなる。英語でソ連は The Union of Soviet Socialist Republics(USSR、ソビエト社会主義共和国連邦)といったが、ロシア語では union (連邦あるいは同盟)の部分が宇宙船で有名な「ソユーズ」という言葉になる。「ソビエト」とはロシア革命のときに労働者や兵士の間で組織された会議のことである。

 15の共和国の対等な同盟であることを建前としたソ連の国歌をロシアが受け継ぐというのは、筋からいうとおかしな話である。今回のソ連国歌の復活は、かつてのソ連の体制が実質的にはロシアによる異民族支配だったことを事後的に認めた形になる。

 国歌には、大きく分けると儀式風なのと行進曲風なのがある。ロシア国歌として復活したショスタコービッチ作曲の旧ソ連国歌は、どちらかというと行進曲風で勇壮であり、スポーツの場にはよく似合う。ソ連崩壊後の最初のロシア国歌が何か沈んだ感じの曲だったのも、復活の一因かも知れない。メロディには、歌詞をはるかに上回る魔力があり、一度身にしみつくと、なかなか忘れられない。今回の旧ソ連国歌の復活も、かつての超大国への郷愁からばかりではなさそうである。
2002/06/09  日曜日  さわり  
 「さわる」という言葉は、今日普通「触る」と書く。「障る」と書くのはほぼ「差し障る」と書くときに限られる。しかし、「さはる」という言葉は、本来はこの「差し障る」の意味であった。要するに、「邪魔になる」ということである。「障る」が「触る」の意味に転じたことについて、『岩波古語辞典』(大野晋ほか編)で、「さはり」(この辞書は、動詞を連用形で引く)を引くと、「行くてをさえぎるものに引っかかって行き悩むのが原義。転じてものごとに持続的に接触する意』と説明している。

 一方で、歌が最高潮に盛り上がるところをさす「さわり」という言葉がある。これを「歌い出し」と誤解している人も多い。「さはる」という言葉の原義を考えると不思議な気がする。「邪魔になる部分」どころか、最も必要な部分ではないか!

 再び「さはり」で『岩波古語辞典』を引いてみる。「義太夫節以外の音曲の節を取り入れた部分」とある。「他の音曲にさわる意」ともある。この場合の「さはり」は明らかに「触り」であり、「さはり」が江戸時代にはすでに「障り」より「触り」の意味になっていたことを示している。曲の感じががらっと変わることから、「聞かせどころ」という意味が生まれたらしい。

 むかし、勤めていた学校に二人のセールスマンがなにやら音楽を吹き込んだテープを売りに来た。クラシックの名曲の「さわり」の部分だけを集めたテープである。放課後だったので、興味のある教師は会議室に集まった。2〜3分間隔で、曲目が脈絡もなく入れ替わる。二人のうちの一人はなかなか話術が上手で、ときどき、みんなを沸かせていた。そのころ、テレビでイントロ・クイズなるものがあった。出場者は若い子ばかりで、ヒット中の曲名を最初の「ジャン」で当てていた。「何であんなことができると思いますか?」とセールスマンが言うと、「しょっちゅう聞いてるから」と答えた人がいて、みんなまた沸いた。結局買った人はほとんどいなかったようで、みんなを沸かせた割には、商売は失敗だったようである。「あっ、これはメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲ホ短調だ」などと得意そうに言う人もいたが、クイズの練習にはなっても、音楽を鑑賞したことにはなりそうもない。

 武田鉄矢が歌っていた「贈る言葉」という曲がある。その最初の「暮れなずむ」という言葉の意味を知って歌っていた人は少ない。「なずむ」とは、(泥にはまったように)「なかなか先に進まない」ということであり、「暮れなずむ」というのは、「日がくれそうでくれない」ということである。「泥む」と書いて「なずむ」と読む。たまたま、「泥」一文字で「なずみ」という苗字の人に会ったこともある。「さわる」も、もともとは、「なずむ」に近い意味であったようだ。
2002/06/06  木曜日  火の国・パタゴニア  
 駐アルゼンチン大使を務めた津田正夫氏の書いた「火の国・パタゴニア」(中公新書)という本をむかし読んだ覚えがある。これほど荒涼とした土地が世界にはあるのかと思ったものである。ネットで調べてみると1973年の発行となっていた。パタゴニアとはアルゼンチン南部の広大な地域であり、「火の国」とは、スペイン語の「ティエラ・デル・フエゴ」の直訳であり、アルゼンチンとチリにまたがる、南極大陸に向き合った島の名前である。北半球に住んでいるわれわれには理屈でしか理解できないが、南半球では「今日は南風が吹いて寒いですねえ」という会話が日常的に交わされる。南極に近いパタゴニアや火の国は、当然寒いところである。しかも、常に強風の吹きすさぶという過酷な自然環境にある。風が強いと体感温度が格段に下がることは言うまでもない。

 パタゴニアとは、「巨人の国」という意味らしい。巨大な靴を履く先住民の足跡を巨人の足跡と見誤ったともいう。南極に近い寒い島に「火の国」という名がついたのは、住民たちの焚く火がマゼラン海峡を通るときに見えたからだという説明も、津田氏の本だったかどうかは定かではないが、どこかで読んだ記憶がある。人間の身体の適応能力に驚くことだが、この地域の住民たちは、これほど寒い土地で裸体の上にビクーニャ(野生のリャマ)の毛皮を羽織るだけで暮らしていたという。

 南北アメリカ大陸の先住民は、コロンブスの「発見」以後、急激に人口を減らした。その最大の原因は、白人たちの持ち込んださまざまな病原体への免疫を持たなかったことである。一万年前にベーリング海峡を超えたモンゴロイドの子孫は、コロンブスが到達するはるか以前に、南米の南端にまで達していた。「火の国」に住んでいたヤーガン族という民族は、今や高齢の姉妹しかいないらしい。ヤーガン語は、この二人の間で今も交わされているようだが、姉妹のどちらかが死んだときに、ヤーガン語も死語になるのではないかと思う。一人だけが知っている言語は、もはや生きた言語とは言えないのではないかと思う。この姉妹には子孫もいるのだが、混血のため、顔立ちは白人的であり、スペイン語しか話せない子孫たちである。

2002/06/05  水曜日  会社員  

 「会」も「社」も、「志を同じくする対等な者の集まり」ということである。それを組み合わせた「会社」という言葉も同様であるはずである。しかし、今日ではこのような意味が残るのは、「会」だけであり、さまざまな「つくる会」「考える会」がある。「社」というと、一般には「会社」の略語と考えられている。「員」の字をつけても、このちがいは同様である。「会員」は他の会員と同等だが、「社員」「会社員」となると、実際には「従業員」という意味で用いられることが多い。対等な資格で「(会)社」を構成するメンバーたちに雇われている人という意味である。本来の意味から言えば、「(会)社員」とは言えない。

 本来の意味から言えば、株式会社の場合、「(会)社員」といえるのは、株主ということになる。しかし、株を買っただけで、その会社の仕事に携わっていない人を、今日では普通「(会)社員」とは言わない。

 英語の company は、本来「仲間」ということである。「会社」という熟語は、本来その訳語として新たに創られた。仲間という意味での「会」や「社」は中国にも古くからあった。今日の日本では、「会」の場合は別として、「(会)社」という言葉は本来の意味を失っている。明治六年に福沢諭吉らによって創られた言論団体に「明六社」というのがあった。そのころまでは、「社」という言葉も「仲間」という意味を残していたわけである。明治の初めのころには、「会社」というのは、まさに company の訳語としてふさわしかったのだが、こんにちの会社の多くは、大きくなればなるほど上意下達の機関となっている。なお、英語の会社名には、 Ben Johnson & company (ベン・ジョンソンとその仲間)という表記があり、日本の「太平洋商会」が英語名を The Pacific & company などとする例があるが、これでは太平洋が社長ということになってしまうというのを、むかし『英語に強くなる本』(岩田一男著)という本で読んだ覚えがある。

 今日の日本で新聞の社会面に名前が載るとき、飛びぬけて多い肩書きは「会社員」である。しかし、これでは、いったい何をする人なのか分からない。保険会社の人なら「保険業」、建築会社の人なら「建築業」とすれば、少しはイメージが湧くのだが、このような表記は経営者でなければ用いられない。しがない雇い人のことでどこの会社か詮索されるのを会社が嫌うからなのだろうか? 一方で公務員の場合は、部局名まで新聞に載ることが多いのだから不思議である。

2002/06/04  火曜日  人口から見たW杯  

 今回のW杯に出場している32ヶ国のうち、人口が1億を超えているのは、中国、ロシア、アメリカ、ブラジル、日本、ナイジェリアの6ヶ国だけである。人口が最も少ないのはスロベニアの200万人で、名古屋市が世界を相手に戦っているようなものである。公称12億の中国を破ったコスタリカも、わずかに400万人しかいない。日本と引き分けたベルギーも、人口は1000万人ぐらいで東京都よりも少ない。韓国は4700万人あまりで、日本の3分の1ほどである。

 これほどの人口差がある国同士が、どうして白熱した戦いができるのだろうか? 一つ目の理由は、バックの人口の如何にかかわらず、戦うのが双方11人ずつにすぎないことである。二つ目の理由は、あれほどのトップレベルの選手となると、その差が紙一重だということであり、大国も小国も23人ぐらいならそろえられるということである。そして三つ目の理由は、サッカーが団体競技だということである。個々の選手の力量に劣らず、チームワークが大事だということだろう。

 個人の力量が紙一重なら、プラスαとなるものがあれば、スポーツの世界では小国が大国に対抗できる。かつて人口1700万程度で北朝鮮よりもすくなかった旧東ドイツがアメリカやソ連とメダル数を争ったのがその例である。薬物使用などの疑惑もあるが、東ドイツの場合は個人競技でも強かったのだから、トップアスリートの力は紙一重だということだろう。一方で、9億もの人口を持つインドがオリンピックでほとんどメダルが取れないのも不思議な気がする。

 クウェートがイラクの侵攻に堪えられなかったように、戦争となると人口のすべてが関わるのだから、人口差が極端に開いたときには勝つことは難しい。そういう意味でスポーツは、戦争よりは国の大小に関わる不公平が格段に少ない。スポーツにおけるナショナリズムが問題になることもあるが、この程度でナショナリズムが発散されるのなら、よしとしなければならない。今月はせいぜいW杯を楽しむことにしたい。

2002/06/02  日曜日  A組担任さんに会う  

 先週末、たきさんと矢玉さんに会ったのに続いて、昨晩は「おちゃらけ学園」のA組担任さんに会った。ネットが結ぶ縁である。すでにHPや掲示板でのやりとりを通じて互いにどういう人かを知って会うのだから、安心感がある。ラガーマンのA組担任さんは、予想どおり大柄で、快活で、エネルギッシュな人であった。そのHPを読んで驚くのは、その教員体験がたったの一年間だったということである。よほど濃密で充実した一年間だったのだろうと思わずにはいられない。30年近くも自分は何をしてきたのかと思ってしまう。

 A組担任さんは、ときどき当時の教え子を訪ね歩くのだという。しっかり働いているのを見届けることほど嬉しいことはないという。HPの中に登場する生徒のその後をいくつか聞かせていただいた。これほどの情熱があるのなら、なぜ一年間でやめてしまったのだろうと思ったものだが、教員採用の不明朗さを聞いて、人に縛られてまでするものか、と思ってやめたのだという。

 いま、教育現場に新風を吹き込むということで、さまざまな経歴を持つ社会人を教員に採用するということが進められている。そのこと自体に異を唱える気はないが、それ以前に、あるいはそれ以上になすべきことはないのか、という気もしてくる。それは、第一に教員採用のあり方を検討すること、第二に社会人をあてにする前に、教師がそれぞれの個性をのびのび発揮できる環境を整えることだと私は考えている。生徒にとっても、一人一人の教師がちがって見えたほうが楽しい学校生活となることは言うまでもない。