よしなしごと2002年5月

 井目風鈴中四目 夜目遠目笠のうち 監督責任  別荘
ブレンダー 
スペイン語系の苗字 まぜがきを排す
メディア・リテラシー 民主主義 瀋陽事件に思う 宦官とメディア
おやじギャグ  朝鮮人民共和国  歴史を学ぶ
ものの値段 ピウスツキ マークシート

2002/05/31  金曜日  マークシート  

 私が大学を受けたころ、記号による選択はあったが、マークシートなる言葉はなかった。まして、すべてが五者択一や六者択二で記号だけで答えるセンター試験などなかった。マークシートは、決して楽な試験ではない。文章表記とちがって中間点というものがないからである。出す側からいえば、採点があっという間に済むという点では楽だが、自分で問題を作ろうと思えば、うその選択肢を考えるのに採点の楽さを帳消しにする以上の時間がかかる。一度、定期試験をすべて自分でつくったマークシートで出題したことがあるが、予想外の低い平均点になってしまった。教師の平均点予想が外れると、手心の加えようもない。マークシートは客観的と言われるが、選択肢は出題者の主観によって作られるので、そうでもないときもある。大学進学率が私たちのころよりずっと高まった今、膨大な数の受験生を選別するために、マークシートは、ますます頻繁に用いられるようになった。

2002/05/29  水曜日  ピウスツキ  

 アイヌ研究で知られるポーランドの民族学者ピウスツキ(「履歴」のところにその生涯が概略が記されている)のことを知ったのは、NHKのテレビ番組でであった。アイヌ女性と結婚して2児を設けた。その番組には、いま北海道に暮らしている子孫も出演していた。子孫たちは、もちろんピウスツキのことを知っていたが、自分たちは、もっぱらアイヌとして生活してきたと述べていた。2児をサハリンに残してヨーロッパに帰ったピウスツキは、パリで自殺した。ときに51歳、今の私よりも若いが、その生涯は桁違いに波乱万丈である。ピウスツキは、初めからアイヌ研究のためにはるばる東へとやってきたのではない。帝政ロシアに対する独立運動の中で捕えられ、サハリンに流刑となり、そこでアイヌを知ったのである。アイヌの運命に強い関心を抱いたのも、同じ被抑圧民族としての連帯意識からであったようだ。1918年、ポーランドは独立を達成したが、その初代大統領の名もピウスツキという。彼の弟である。ポーランドの初代大統領の兄の子孫が北海道に今も住みつづけていることを知る日本人は少ない。ユーラシア大陸の北辺につながる多様で広大な地域の歴史を日本人はほとんど知らない。そのことを日本人につきつける最も印象的な人物として、ピウスツキの名を忘れることはできない。大統領を務めたその弟については、こちらを参照されたい。なお、ポーランドの初代大統領をピアニストのパデレフスキだとしているサイトもあったが、パデレフスキは、初代大統領ではなく、初代首相である。
2002/05/28  火曜日  ものの値段  
 むかし、壷なら壷を作って売っている職人は、壷の役割を果たす壷さえ作っていれば、生計が成り立っただろう。人々の生活圏は狭く、少しぐらいできのよい壷だからといって、遠くまで買いに行く人はいなかった。やがて、交通が発達すると、壷職人は競争にさらされた。割れにくいとか扱いやすいとかいう機能による競争である。腕の悪い者は値段を安くして対抗した。高校時代、同級生が車に乗った男に呼び止められ、えらく安いブレザーを買った。しかし、一週間も着ないうちに、袖がすっぽりと抜けてしまった。まさに、「安物買いの銭失い」である。さすがに、最近はこれほどの粗悪品は見かけない。

 ちかごろ、ものの値段の基準が分からない。機能といったら似たり寄ったりという場合が多い。あるとき、みかけた自動販売機に、まったく同じ種類のジュースで大きさの違うものがまったく同じ値段で売られていた。たくさん飲みたい気分の人と、ちょっとだけ飲みたい気分の人とに対象を分けているとしか思えない。ちかごろのものの値段は、買い手の気分に合うかどうかで決まるものなのかも知れない。そして、そういう気分を作り出すのが膨大な量の宣伝である。買い手はものよりもイメージを買っている。ブランドもイメージの一種である。本物も偽物も機能に差がないことが多い。見かけもそっくりで商標を仔細に点検するぐらいしか見分ける方法がない。

2002/05/23  木曜日  歴史を学ぶ  

 大学受験生の間では歴史は暗記物ということになっているが、歴史は覚えるものではなく、考えるものである。いま起こっていること(中国での亡命事件、鈴木某のこと、看護婦グループによる殺人事件など)でさえ、確かなことは分からないのに、50年前、100年前、1000年前のことが完璧に解明されるはずもない。しかし、確実でないことは書いてはいけないというのなら、歴史の本は全ページが真っ白になってしまう。今の段階で入手できる証拠(古い時代ほどそれ以上増えることは難しい)に基づく限りは、こう考えるのがもっとも妥当ということが書かれているのが歴史の本である。従って、新しい証拠が見つかれば、それまでの歴史記述が根底からくつがえることもざらにある。

 人類の歴史にはさまざまな局面がある。その一局面だけを人類のすべてと考えるところから人種・民族間の偏見が生まれるし、人類そのものに対する理解にも時代的制約がかかる。歴史学習が必要なのは、こういった地理的歴史的偏見から自由になるためだと思う。

 日本の新聞は週刊誌と違って、噂の段階で記事にすることが少ない。しかし、香港には噂をぼんぼん報道する新聞が多いと聞く。こういう新聞を何種類か持ち寄って、事実はどうなのかという議論をすることが香港市民は好きらしい。こういう能力を身につけるのが歴史を学ぶ意義である。歴史は決して暗記物ではない。

2002/05/20  月曜日  朝鮮人民共和国  

「人共」成立直後に開かれた在日朝鮮人の集会と思われる写真。
養父のアルバムにあったが、はっきりした記憶はないという。
 その名が実態にふさわしいかどうかは別にして、北朝鮮の正式の国名は「朝鮮民主主義人民共和国」である。何事にせよ、ネット上では不正確な表記が横行するものだが、「北朝鮮人民共和国」でも、「朝鮮人民共和国」でもない。「北朝鮮人民共和国」は論外である。「朝鮮」にせよ「韓」にせよ、それぞれ唯一の正統政府と自任して称しているのであるから、北だの南だのという字をつけるはずもない。韓国では北朝鮮を「北韓」とよび、北朝鮮では韓国を「南朝鮮」と呼んでいるのである。1984年のロスアンジェルス五輪の閉会式では、次期開催地の国歌が演奏されるとき、"The national anthem of the Republic of South Korea"というアナウンスが流されたが、韓国がなぜ抗議しないのかと思ったものである。

 「朝鮮人民共和国」というと、これは別の国になってしまう。日本が戦争に敗れた1945年の9月6日から、アメリカ軍によって10月10日に解散を命じられるまでの僅か1ヶ月ちょっとの期間ではあったが、そういう名前の国は朝鮮半島南部に、確かに実在したのである。この国家の運営の実質上の中心となったのは民族主義者呂運亨(ヨ・ウニョン)であったが、彼は、日本の植民地支配が終わって朝鮮人が主人公になった今、朝鮮人のあらゆる政治潮流をこの政権に加えようとしていた。自らは副主席となり、主席には李承晩、人民委員長には金日成を予定していた。しかし、アメリカ軍政は、左派が主導権を握ったこの政権を嫌い、一切の交渉を拒否して解散を命じたのであった。

 日本の「領土」であった朝鮮半島は、解放後まもなく、北緯38度腺を境に米ソ両軍によって分割占領されることになった。しかし、「朝鮮人民共和国(人共)」は、その前身であった「建国準備委員会(建準)」と合わせれば、2ヶ月の間にわたって、朝鮮半島南部を実効支配したのである。治安の維持にも努めた。敗戦時、最低70万人もいた日本人が、無事に帰国できたのも、建準、人共の力によるところが大きい。のちに、北朝鮮で成立した政権が国号に「民主主義」の4字を加えたのも、この人共と区別するためであっただろう。

李承晩政権を倒した「四・一九革命」
一周年を記念する韓国の切手。
 「朝鮮人民共和国」がその後も存続した可能性は少なかったであろう。早くも本格化した米ソの冷戦もさることながら、あまりにも雑多な政治潮流を一つにまとめることは至難のわざであった。しかし、「人共」は、朝鮮民族が自らの運命の主人公であるという気概を示したという点で、歴史上重要な意味を持っている。

 いま、中国の日本総領事館に亡命を求めて駆け込んだ北朝鮮住民のことが、連日メディアでトップ・ニュースとして報じられている。この事件の主人公は、当然この5人であって、日本政府でも中国政府でもない。半世紀あまり前、朝鮮半島は、ようやく自分たちが主人公になれる喜びに湧き上がる人々の住む土地であった。しかし、アメリカもソ連もそれを単なる領土としか思わず、朝鮮民族が主人公であるなどという認識を持たなかった。

 なお、のちにアメリカの後押しで成立した李承晩政権は、韓国民にはひどく評判が悪く、1960年4月19日、学生を中心とした大衆行動で倒された。そのころまでの北朝鮮は安定していて、韓国より経済も好調だった。これも、在日朝鮮人の北への帰国運動が起こった理由の一つである。

 人間は、自分がふだん知らない土地、関心を持たない土地にも、同じ人間が生きていることを忘れがちである。幼児も含めたその姿をなまなましい映像として見るまで、日本から間近な国に、必死に生きている人々がいることに気づかないようでは話にならない。なお、「人共」および「建準」については、大阪産業大学の藤永壮氏のHP「ナルゲ」の中のこちらこちらに、その概略の説明がある。
2002/05/17  金曜日  おやじギャグ  
 同僚の教師に、夏でも「寒い」と言われる人がいる。しゃれを乱発するのである。日本人がしゃれが好きなのは、ユーモアのセンスがないからだという酷評があるが、しゃれは、世界中どこにでもあり、高校時代の授業で英語のしゃれを習った記憶もある。日本でしゃれが盛んなのは、日本語の音韻構造が単純でつくりやすいからにすぎない。しゃれの効用は、それをきっかけに思わぬ方向に話が転換することである。そこに笑いが生まれ、その場の雰囲気をやわらげる。

 昔の歌人は、しゃれを大いに活用し、歌のイメージを膨らませた。「難波潟みじかき芦のふしの間も会はでこのよを過ぐしてよとや」という歌が百人一首にある。歌の本体は下の句であり、「会わないままで私たちの仲を続けろというの?!」という恨みの歌である。上の句は「よ」という言葉を引き出すための序である。「よ」の表の意味は「世」であり、これには男女の仲という意味もある。そして同音語に竹などの節と節の間の部分をさす「よ」という言葉があった。昔の大阪湾には芦原が多かったらしい。この序をつけたことで、聞き手の脳裏には一面の芦原がひろがる。当時の感覚では不毛な土地であろう。この序がなければ、この歌も単なる愚痴に終ってしまう。

 つまらないしゃれを駄じゃれという。それを最近「おやじギャグ」という。「しゃれ=ギャグ」とすれば、「駄=おやじ」ということになるなどと考えるのはひがみだろうか? おやじギャグが満載のサイトがこちらにあった。

2002/05/16  木曜日  宦官とメディア  

 むかし、中国の宮廷に宦官とよばれる男たちがいたこと、女官の多い後宮に仕えるがゆえに男性としての機能を奪われていたことは、よく知られている。宦官は、外戚とともに中国の政治の宿弊と言われ、悪役のイメージが強いが、紙の発明者である蔡倫や大船団を組んでアフリカにまで航海した鄭和など、歴史上高く評価される人もいる。肥大化した後宮の中で、宦官にはさまざまな仕事があったが、その最大の役割は、後宮の外と皇帝とを結ぶことであり、この任に当たった宦官は、絶大な権力を手にすることが多かった。

 宦官という風習は、中国だけではなく、西はギリシャ・ローマから東は朝鮮まで広く分布していた。インドやイスラム世界でも行われていた。ユーラシア大陸でこの風習がなかったのは、日本とアルプス以北のヨーロッパぐらいのものである。それを神道やキリスト教のおかげとして賞賛する向きもあるが、実は、ともに世界の辺境であり伝達すべき情報量が乏しかったからに過ぎない。中国の宦官がとりわけ有名になったのも、宮廷の権力がそれだけ広範な地域に君臨したからだろう。

 メディアmediaという言葉は、ラテン語で「なかだち」を意味するmediumの複数形である。今日の先進国を支配するメディアも、宦官と同様、本来の役割は媒介することであった。情報が通るからっぽの通路であるはずだが、その通路の役割を生身の人間が演じるのだから、当然権力への欲求が生まれてくる。情報量が膨大になると、中国の皇帝が宦官にたよったように、人々はメディアにたよるようになりやすい。メディアは単なる通路ではなく、「第三の権力」と呼ばれるようになり、さらにイタリアでメディア王が政権の座についたように、「第一の権力」をめざすようになる。

 どちらがどちらを吸収するにせよ、第一と第三の権力の融合は好ましくない。第二の権力であるべきわれわれ一般民衆がたよるメディアといえば、まだ空っぽの通路という性格の強いインターネットぐらいしかなくなってくる。しかし、肥大化した権力も、この空っぽの通路をも自分の支配下に置こうとするであろう。

 なお、宦官については、「簡単宦官講座」というサイトに手際よくまとめられている。

2002/05/13  月曜日  瀋陽事件に思う  

 中国にある日本総領事館にかけこんだ北朝鮮の住民を中国の警察が連行した。これが大変な事件であることは言うまでもないが、連日の報道の中で、二つの論点が十分に尽くされているのかどうか、不安を感じている。第一は、日本に中国の姿勢を見て、「人のふりみて我がふり直す」気があるのかどうか、ということである。

 中国が、北朝鮮からの難民を認めず、その後の難民の流入を恐れて北朝鮮の体制の崩壊を望んでいないのは、明らかに中国の国家エゴであろう。しかし、今回の亡命者がアメリカへの亡命を希望しているからいいようなものの、もし日本への亡命を求めたら、日本政府はどのように対応するのだろうか? 日本の難民の受け入れ実績が、フランス大統領選挙のルペン候補が賞賛したほど僅かなものであることはよく知られている。1960年ごろ、9万人を超える在日朝鮮人が(その97%にとって)故郷ではない北朝鮮へ帰国していった.。それまでの日本の処遇に問題があったことが、その大きな理由になっていることは確かと思う。私も、中国官憲の行動に理があるとは思わない。しかし、それを批判する上で、治外法権が侵されたというだけでは、世界に対する説得力があるとは思えない。

 第二の論点は、日本政府に隣国外交について、一貫した戦略があるのかということである。少なくとも、過去の戦争や植民地支配を肯定するような言動が、政府与党の関係者から繰り返されているうちは、そのような戦略は立てられないと思う。外交の舞台で、「内輪」の話だという言い訳は通用しない。そのような外交戦略が確立されないまま、戦争を想定した法整備だけ進めることには、強い危惧を感じずにはいられない。国家が国民に対して果たすべき第一の務めは戦争を事前に回避することである。今回の事件を単に国家の威信の問題とだけとらえることは危険である。

2002/05/10  金曜日  民主主義  

 橋爪大三郎氏の「(陳腐で凡庸で過酷で抑圧的な)民主主義は(人類が生み出した)最高の政治制度である」という文章をよんだことがある。現代書館からでている同名の本のなかに再録されている。このなかで「なるほど!」とおもったのは、民主主義でないとかならず民主化運動がおきるから、民主主義はもっとも安定した政治制度であるという主張であった。

 あらゆるひとの主張を平等にあつかい、とりあえずだれもがうけいれられる解決策がきまるのなら、民主主義は理想的に機能しているといえるだろう。うけいれるといっても、しぶしぶうけいれるひともいるのが民主主義というものとおもう。しかし、民主主義というものは、しぶしぶながらもうけいれるひとにも、いきるうえで不自由のないゆたかな国家でないと機能することがむずかしい。妥協をすればいきていけないひとがいるほど貧富の格差のある国家で、民主主義はにわかには実現できないようにおもう。

2002/05/09  木曜日  メディア・リテラシー  

 学校時代に歴史をまなんでいたころ、実際にその時代にいってひとびとがどうくらしているかをめにしてみたいものだとおもっていた。最近になって、そのねがいがすこしかなうようになった。コンピュータ・グラフィックスのおかげである。NHKの「四大文明」シリーズでは、屋内でのひとびとの生活の様子などが実写のようにえがかれていた。これだけの情報量を映像によらず文章からえようとおもってもなかなかむずかしい。ただ、映像も文章とおなじく構成されたものであることはわすれてはならない。

 映像が氾濫する今日、文章のよしあしや真偽をみわける能力におとらず、映像のよしあしや真偽をみわける能力が必要とされている。リテラシー(識字能力)ということばにならって、そういう能力をメディア・リテラシーというようだ。

 今日の学校では、メディア・リテラシーをそだてる教育はおこなわれていない。文章をよめば映像をみるめも自然にやしなわれるとでもかんがえられているようである。しかし、それは楽観的にすぎるようにおもう。学校でもビデオなどの視聴覚教材がもちいられることはある。しかし、それは、なにかをつたえるためにもちいられる補助的な教材にすぎず、映像のみかた自体がおしえられることはない。勉強をあまりしないこどもはテレビをよくみるため、無批判にその影響をうけやすい。一方、勉強をよくするこどもは、テレビをみる機会がかぎられ、みるときにはいきぬきになるものしかみない。ともにメディア・リテラシーをなかなかみにつけられずにいる。

2002/05/08  水曜日  まぜがきを排す  

 まえまえからかいていることだが、わたしはとくに漢語を漢字かなまじりにするのには反対である。小学校の教科書で「水どう」だの「悪ま」だのという表記をみると、あまりにもこどもをばかにしているという印象を受ける。「水道」「悪魔」のように、おとなが漢字でかかないとはずかしいことばは、こどもにもそのとおりしめすべきであり、ちいさいこどもがよむのがむずかしいばあいにはルビをつければいいのである。ただ、ルビをうった漢字はこどもにかくことをもとめず、したがってかきとりの試験にも出題しないことを小学校の先生に徹底させたらいい。ただ、自然によみなれるようにしむけたらいいのである。漢字をルビでおぼえることは、こどもたちにとって、のちに学年が進んでその漢字をかくことをもとめられるときにも、おおいにたすけになることとおもう。

 「悪魔」の「魔」の字は字画がおおいので、かなり学年がすすまないとかくのがむずかしいため、低学年の教科書にはでてこない。しかし、「あくま」ということばは、インパクトの強いことばだから、小学校低学年のこどもでもしっている。こどもむけの漫画では、とうのむかしから、おとながかく漢字はそのままかき、こどもにむずかしい漢字にはルビをふるという方針が実践されている。その実例を"「濁る」「濁らない」とはどういうことか?"に画像としていれた。「あ゛」という表記の実例としていれた画像だが、この点でも役にたった。文部科学省には、いまは、こどもが学校教育以外のところでも、どんどん漢字をおぼえる時代であることをすこしはかんがえてほしいとおもう。

2002/05/07  火曜日  スペイン語系の苗字  

 1970年代にアメリカを訪れ、西海岸でスペイン語を英語に併記した表示が多いのに驚いたことがある。1972年にElsdon.C.Smithという著者の"American surnames"(アメリカ人の苗字)という本がアメリカで出版された。それにはアメリカ人の姓が上位2000位までランキングされている。そのランキングを私は、木村正史著『英米人の姓名』(鷹書房弓プレス)という本への転載で読んだが、スペイン語系の苗字が多いことに驚いた。

 スペイン語系の苗字は、日本のプロ野球の外国選手に加え、近ごろでは日本でのテレビ放映の増えた大リーグの選手や急激に人気の出たサッカーの選手などによって、日本人にも聞きなれたものとなっている。そういう中で、私はスペイン語系の苗字がかなり特定のものに固まっているのではないか、という印象を受けている。前述のランキングでは、1000位までに明らかにスペイン語系(ポルトガル語系も含むかも知れない)と思われる苗字が私がそう思っただけでも、つぎのとおりたくさんあった。見落としがあったり、逆に他の出自の苗字をスペイン語系と見誤ったものもあったりするかも知れない。

Rodriguez,Garcia,Gonzalez,Lopez,Rivera,Martinez,Hernandez,
Perez,Sanchez,Ortiz,Ramirez,Ramos,Diaz,Gomez,Santiago,
Gonzales,Fernandez,Gutierrez,Ruiz,Russo,Romero,Alvalez,
Chavez,Castro,Vazquez,Figueroa,Moreno,Castillo,Maldonado,
Santos,Jimenez,Vasquez,Costello,Delgado,Soto,Herrera,
Vargas,Mendez,Mendoza,Vega,Padilla,Velez,Marino,Valdez,
Mayo,Muñoz,Salazar,Molina

 なにしろ今から30年あまりも前のランキングである。今では中南米からの移民の急増により、スペイン語系の苗字を名乗るアメリカ人の数が、当時とは比較にならないほど多いことは確実である。また、このランキングでは東洋系と思われる名前が1000位までに全くというほど見当たらない。少なくともKimがない。80年代に入ってから急増した韓国系移民はすでに200万人を超えている。そのうち2割が「金」さんだとすれば、40万人という数は全米50位にも入りうる数である。また、60万人の在日韓国・朝鮮人のすべてが本名を名乗ったなら、「金」姓は日本全国に住む人の苗字の200傑に入るし、大阪府ではベストテンに入る可能性もある。

2002/05/06  月曜日  ブレンダー  

 JTに専売公社時代から「ブレンダー」と呼ばれる人たちが働いている。その仕事は、一日中タバコを吸い続けることである。製品の味を保持し、ときには新製品を開発するためなのだが、一日に軽く百本以上のタバコを口にする。仕事場に立ち込める副流煙だけでも半端ではないだろう。こんなところで仕事をするのだから、当然服に臭いが染み付く。そのため、ブレンダーたちは出勤するとまずロッカーで仕事着に着替える。

 さて、面白いのは仕事が終ったあとである。ロッカーに戻って着替えるのだが、そのときの一番の楽しみが、ポケットから自分のタバコを出して一服することだというから驚く。仕事と余暇とは別だということだろう。ブレンダーが肺がんになったら、まちがいなく労災だろうが、ブレンダーで肺がんになった人はあまりいないらしい。

 私は喫煙者である。年を追って肩身が狭くなっている。なぜか国語の教師には喫煙者が多い。「たばこくさき国語教師のいうときに万葉集は最も悲しき」という歌があるという。たしか寺山修司ではなかったかと思う。

2002/05/05  日曜日  別荘  

 瀬戸内の田舎に別荘を建てたという人と話をした。私より少し年上で、子供はすでに独立し、5歳を頭に孫もいる。別荘を建てた動機は、子供の一家が帰ってきたとき、家では狭すぎてかわいそうだということであった。別荘の写真も見せてもらった。木造の二階建てで地下室もあるという。これなら、孫たちも喜ぶと思った。隠れんぼなどいくらでもできることだろう。しかし、5歳の孫も、中学に入るころまでには、興味を失うことだろう。それまで僅か7年に過ぎない。

 ところが、この僅か7年が孫たちにとってはとてつもなく長い。他に未婚の子供もいるということだから、それだけでもこの別荘は価値がある。大人たちがあっという間という期間に、子供たちが心に蓄える財産の量は莫大である。

 もっとも、孫たちを喜ばせるために別荘を使う期間は一年のうちごく僅かである。いい漁場が近く釣り三昧の生活が日常的にできるということの方がおじいちゃんの本音らしい。むかし、「別荘」を持っていると言えば、たいへんな金持ちであった。しかし、今ではとくに金持ちというわけではなくとも、多少の無理をすれば別荘が持てないわけではない。私と話をした人もとくに金持ちというわけではない。

 「テレビ、冷蔵庫、洗濯機」が三種の神器と呼ばれた時代、自家用車(car)とルーム・クーラー(これは和製英語でair conditioner)とカラー・テレビが3Cと呼ばれた時代は、私の記憶にしっかりとある。しかし、狭い日本では絶対に3P時代は来ないという話を聞いた覚えがある。3Pの一つ目は自家用機(plane)、二つ目は自家用プール(pool)、三つ目は農場(place)らしい。
2002/05/04  土曜日  監督責任  
 公務員の不祥事で上司が監督責任を問われ処分を受けた。自分がその部下の上司になったのはたった半月前のことで、しかもその不祥事をしでかしたときは自分の部下ではなかったのだから、処分を受けるのはおかしいと、その上司は訴訟を起こした。そのニュースを、私は出勤前にテレビで見た。コメンテーターは、「それがいやなら役人になんかなるな!」と吠えていたが、私の意見は少し違う。

 教師が生徒の行為について監督責任を問われることがある。そのことに私は異議を唱える気はない。成功したかどうかはともかく、精一杯の指導を常々してきたぐらいのことは、最低限示さなければならないだろう。しかし、この事例の場合、不始末をしでかしたのはれっきとした大人である。極端な場合、59歳の上司が58歳の部下の行為で責任を問われるシステムがよく分からない。年齢が逆転している例も多いだろう。上司の指示が不徹底で仕事上のミスが起きたというのなら分かるのだが、たとえば部下が万引きや痴漢をしたとき、なぜ上司が責任を問われなければならないのだろうか? 「信頼していた部下に裏切られて残念だ」と上司が言い、世間もそれに同情するというほうが、よほど健全な社会ではないだろうか? 部下は上司の全人格的支配のもとにあるはずだという時代遅れな感覚が監督責任が問われるケースの多くにあてはまるように思う。

 不始末をしでかしたのが公務員なら波風はきつい。しかし、これには多少のやっかみが感じられる。よく公務員の待遇(民間よりいいかどうかはよく分からないが)を民間並みに引き下げよというような論調を耳にする。しかし、そんなことをして民間で働く人が何の得になるのだろうか? 言うのなら、我々の待遇を公務員なみに引き上げよというべきだと思う。

2002/05/02  木曜日  夜目遠目笠のうち  

 女性が美しく見える三つの状況を示したことわざに「夜目遠目笠のうち」という言葉がある。一つ目は夜に見ること、二つ目は遠くから見ること、三つ目は笠をかぶって鼻から下しか見えない場合をさす。欠点が隠れるからという意地の悪い解釈が有力なようだが、私はすべての女性に美しいところがあるという意味にとりたい。

 現代は遠目の時代ともいえる。テレビ写りというのも遠目の一種であろう。いつでもテレビに出られるというメークが上手な女性が増えているが、近くでみるときには、できるだけ自然に近いほうがいいというのが、私の率直な感想である。美容商品やサービスにばかり頼らず、誰にも美しいところがあるということに、もっと自信を持ってほしいと(おっさんが言うのもなんか変やけど)願う昨今である。

2002/05/01  水曜日  井目風鈴中四目  

筆者撮影 「せいもくふうりんなかしもく」と読む。碁盤の上には九つの星があり、真中の星を「天元」という。腕前の違う者同士で碁をするときのハンディの最高のものがこの井目風鈴中四目である。「井目」とは九つの星のすべてに黒石を置かせてもらうこと、「風鈴」とは「天元」を除く「井目」のすべての横にもう一つずつ石を置かせてもらうこと、「中四目」とは「井目」で出来た四つの四角形の真中に一つずつ石を置かせてもらうことである。結局、「井目風鈴中四目」とは、以上に述べたような配置で21もの黒石を置かせてもらったところからのスタートということである。

 私は学生時代にこの「井目風鈴中四目」のハンディというよりアドバンテージをもらってあっけなく負けたことがあり、それ以来碁をする気になれないでいる。それよりは麻雀の方が性に合っているようである。運の要素が入る上に四人でやる麻雀からは、広い範囲で交友関係ができる。しかし、実力がすべての碁や将棋では、力の拮抗した者とではないと面白くないので、交友関係はおのずから限られる。しかし、それだけに碁や将棋のライバル同士の仲は深いようである。

 碁は要するに陣取り合戦であり、ルールらしいルールといえば「コウ」ぐらいしかないと聞いたことがある。しかし、駒の動きが決められている将棋と異なり、ルールが少ないだけに展開は複雑であるような気がする。同様の理由で、漢字文化圏の中での変異も少ないらしい。一方、将棋の発祥地はインドであり、古代インダス文明にまで遡る可能性もある。それが広くユーラシアにひろがり、西のヨーロッパのチェスから、日本将棋までさまざまな変種を生んだ。その中で日本将棋は取った相手の駒を使えるという点で他に類例がない。隣の朝鮮将棋も取られた駒はそれっきりという点でチェスと同じである。チェスの世界チャンピオンがコンピューターに負けて久しいが、張り駒のある日本将棋でコンピューターが勝つのはまだ難しいということである。