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よしなしごと2002年2月
★ ステテコ 巻寿司の丸かぶり 十年一昔 キセル
御丁寧な話 割れちゃった 代名詞 日本語は非論理的か?
モロゾフとコスモポリタン 左利き 夫婦別姓法案
二人のヤン・ヤン スター オットット互助球
フィンランド人の苗字 採点 抵抗勢力?
人生一度の選択 国境 万年筆 味覚の基礎
2002/02/28 木曜日 味覚の基礎 
子供のころ、偏食があった。とくに野菜が苦手だった。偏食が直ったのは、親元を離れて下宿したためである。金を払って食べたものを残すのはもったいないという気持ちが、それまで食べなかったものへの挑戦を可能にした。それを繰り返すと、なんでこんなうまいものを食べなかったのだろうかと不思議になることが多かった。下宿生活は栄養が偏る。何かが食べたいと思うと、そればかり食べる日が続く。これでは栄養が偏ってよくないが、そういう特定のものを食べたいという気持ちは、しばらくたつとなくなった。食事に変化がないとたまらなくなるのである。いま、若者の食の好みが問題になっている。ポテトチップスを粉砕してごはんにかけたり、納豆に砂糖をかけたりするという。自分の体験からすると、それも時がくれば収まるのではないかと楽観したくなる。しかし、考えてみると、今の若者には、小さいころから、孤食に慣れた者が多いことを考えると、そのような楽観ができるかどうか分からない。
小さいころ、野菜が苦手だった私は、ときどき出るサラダに添えられていたマヨネーズも嫌いだった。今ではサラダは大好きなのに、マヨネーズは今も苦手である。外食で出てきたときには仕方なく食べるが、自宅で食べることは今もない。それだけに、何にでもマヨネーズをかける若者を見ると不思議な気持ちがする。ケチャップやソースもあまり好きではない。とんかつにも醤油をかける。外食でとんかつに醤油をかけると、店の人に「それ、醤油ですよ」と言われることがある。小さいころの食事は、今の時代からみればだいぶ和風だった。やはり、味覚の基礎は小さいうちにできるものなのかも知れない。
2002/02/27 水曜日 万年筆 
授業の教材に「万年筆」が出てきた。ボールペン時代に育った今の高校生は万年筆など使ったことがないのではないか、と思って聞いたところ、やはりほとんどいなかった。「日本の万年筆の二大メーカーを知っているか?」と聞いても、パイロットもセーラーも出てこない。まして、「パーカー」「モンブラン」「ペリカン」「英雄」など、知る由もないようだ。
小学生のころ、大人につきあって区役所にいったことがある。そのとき、「ボールペンで書いたものは認められない」という趣旨の掲示を目にした。ボールペンは意外と精密工業である。ボールが大きすぎるとインクが出なくなる。小さすぎるとインクがべとっと出て紙をひどく汚す。当時のボールペンは、後者の例が多かったので、あのような掲示があったのだと思う。漢字やかなをボールペンで書くと、ひどく味わいのない字になってしまう。左払い、右払い、はねなども幅の一定な線でしか書けない。そのため、文字を手書きする人には、今も万年筆党が多い。私も万年筆を使わなくなったが、それはキーボードに親しみすぎたからである。私が万年筆を使っていたころには、ブルーブラックのインクが一般的だった。青インクが黒インクにとって代わられたのは、おそらくコピー機が普及したからであろう。
それにしても、「万年筆」とは大きく出たものである。李白の詩にある「白髪三千丈」と大差がない。中国では、「万年筆」は「自来水筆」と書く。「自来水」とは、水道のことである。朝鮮半島では、日本で作られた「万年筆」をそのまま朝鮮漢字音で「マンニョンピル」と呼んでいる。
2002/02/26 火曜日 国境 
学生時代、京都の山科に下宿していたことがある。山科は京都市内だが、東山を挟んで京都盆地とは別の盆地にある。そこから山を隔てて滋賀県になるものと私は思っていた。ところが、散歩をしているときに、滋賀県が山科盆地の中にまで入り込んでいることを知って驚いた。一本の道を挟んで片側が京都市、片側が滋賀県大津市というところがある。自然の地形から見ると、どう考えても不自然である。この近くに府県境にまたがる家があって、両方から税金を取られるので、裁判を起こして勝訴したという話を聞いた覚えもある。
先日、イギリス軍が自国領土であるジブラルタルと間違えて、軍事演習中スペイン領に侵攻したという珍事があった。ジブラルタルはヨーロッパの大陸部に残る唯一の植民地である。かつてイギリスが七つの海に君臨した時代に、地中海の出入口に当たるこの地を占拠した名残であり、どうみてもスペイン領であって当然という位置にある。地中海にはマヨルカ(マホルカ、マジョルカ)などの島々からなるバレアレス諸島があり、スペイン領であるが、ここもむかしイギリス領だった時代があった。
海峡を越えてアフリカ大陸に入るとモロッコになる。ところが、モロッコ領であって当然という位置に、セウタとメリジャという二つのスペイン領の町がある。セウタはジブラルタルの対岸にあるのだが、メリジャはセウタからもかなり離れている。
およそ境界というものは人間が決めるものである。京都市と大津市の境界ならさほどの問題は起こらないが、近代国家における所属が異なると、ことはそんなに簡単にはすまない。アルゼンチンが自国の沖合いに浮ぶイギリス領フォークランドに侵攻したが、イギリスの反撃であっけなく撤退したこともあった。フォークランドとイギリス本国との距離は、大西洋を挟んでいるのだから、ジブラルタルの比ではない。しかし、無人島だったこの島は、イギリスからの農業移住者の子孫が住む島である。島の生活はもう何百年も英語で成り立っている。入植以前には無人島だったらしい。しかし、位置から見ればどう見ても自国領であるのが自然だと考えるアルゼンチンは、この島々をマルビナス諸島と呼んで、今も返還を求めている。
2002/02/25 月曜日 人生一度の選択 
文学部の学生だったころ、なぜか医学部の友人が多かった。医学部の地下には、死体置場があるという。死体といっても、ホルマリンに何年も漬けられた古い死体ばかりで、学生の解剖実習に用いられる。一見きれいな真新しい死体は、さまざまな病原体が生きているため、解剖する側が危険にさらされるので、用いられないという。ある日、医学部の友人の一人に、一緒に死体置場に行かないかと誘われたことがある。白衣さえ着ていれば疑われることはないと言う。しかし、どうもその気になれずに断った。友人としては、自分たちが日ごろこういう所にいるのだということを見せたかったのだと思う。めったに行ける所ではないので、行ってみてもよかったかなと、今にして思うときもある。ひょっとしたら、人生観が根本から変っていたかも知れない。しかし、このような選択をする機会は、あの時を逃がした以上、もう二度とないことだろう。夜に医学部の近くを通ると実験用の犬の鳴き声がかしましかったのを思い出す。
2002/02/24 日曜日 抵抗勢力? 
田中真紀子前外相が、小泉首相のことを「抵抗勢力になった」と評したことが話題になっている。「抵抗」とは、何に対する抵抗なのだろうか? どうやら「改革」に対する抵抗勢力ということらしい。しかし、小泉氏の考える「改革」と田中氏の考える「改革」とは、同じものだったのだろうか? 少なくとも、小泉氏の考える改革とは経済のあり方に、田中氏の考える改革とは政治のあり方に主眼があるという違いはあると思う。およそ質の違う改革を改革の名で一括する根拠は何なのだろうか? こういった疑問にメディアはあまり答えてくれない。小泉氏と田中氏が割れたことで、「改革派と抵抗勢力」などという単純な二分法はもはや成り立たなくなったと思う。 「抵抗勢力」というのも、変な言葉である。このように一括された人々の中のにも、さまざまな考え方があるはずで、抵抗することだけがその政治信念であるはずもない。
今回の外務省のような問題は、分かりやすく面白い。しかし、経済の問題となると、ことはもっと複雑で分かりにくい。小泉氏の唱える構造改革が、日本経済の再建に、引いてはこの国に住む一人一人の幸福にどのように寄与するのかしないのか、もっと緻密に考えなければならないだろう。そのような手がかりを私たちに提供してくれるのがメディアであるはずだが、そのような報道をメディアが十分にしているとは思えない。そういった中身を抜きに、政界の動向をどう面白おかしく報道するかということばかりに夢中になっているように思われる。「改革」についても、個々の内容を明らかにした上で是々非々で臨むべきときに、メディアが社会の木鐸の役割を果たしているとは思えない。
メディアのこのような偏向には「前科」がある。それは宮沢内閣が倒れたときに言われた「政治改革」のときである。今の「抵抗勢力」にあたる「守旧派」なる言葉も用いられていた。つまり、報道姿勢が当時も今も変っていないのである。掛け声ばかりかしましかった「政治改革」があとに残したものは、どこに取り柄のあるのか分からない小選挙区制を軸にした選挙制度の改悪だけだった。それ以外、何の「政治改革」もなかったことを、今回の事態は余すところなく示している。
なお、政治改革の結末を、「選挙制度の問題に矮小化し……」と評する向きもあるが、これもとんでもない勘違いである。選挙制度が、民主主義にとって、単なる技術的な問題ではなく、その根幹に関わる本質的な問題であることについては、本サイトの中の「選挙制度の話」を参照されたい。これを単なる技術の問題のように報じた点についても、メディアの責任は重い。
2002/02/23 土曜日 採点 
例年より早く梅の季節がやってきて、また採点をしなければならない。年間の成績は、5〜6回も試験を繰り返すのだから、力の差ははっきりと出るが、一回の試験での点数というものは、基準の如何で上下の逆転は避けられない。答案を見せ合って1点差で勝った負けたと騒ぐ生徒を見ると、胸が痛むときもあるが、教師は審判なのだから、学校のルールとしてその程度の差は、やむをえない。ただ、めったにそんな教師はいないと思うが、えこひいきは論外である。
フィギュア・スケートなど、普通の人間が見れば「すごい!」の一語に尽きる選手の間で順位を決めなければならない。家庭教師のCMにある「模試で全国百位」などというのではなく、全世界の選りすぐりの選手の中で、1番刻みで順位をつけなければいけないのだから大変だ。今回の女子フィギュアでは、審判ごとにどんな順位をつけたかが新聞に載っているが、けっこう一人一人違うのに驚く。順位は複数の審判の点数の合計で決まるのだから、公平だともいえるが、えこひいきをする審判が何人もいるのでは、公平は損なわれる。
1984年のロスアンジェルス五輪の体操競技では10点満点が乱発された。アメリカの審判が自国選手とそれよりよい演技をした選手に等しく10点をつけたせいだとも言われる。そして、今回のソルトレーク五輪である。もしも、こんな場でえこひいきをしているのだとすれば、アメリカには世界のリーダーの資格はない。アメリカだけを排除するわけにはいかないから、オリンピックでは開催国人を審判に加えないというようなルール改正も考えられる。
ショートトラックの男子1500mで韓国の金東聖(キム・ドンソン)が走路妨害で失格とされ、アメリカのオーノが金メダルとなった。団子になっての競り合いがショートトラックの見せ場なのかも知れないが、こんなことや集団での転倒があいつぐのでは、かえって競技自体の人気がなくなってしまうだろう。普通のリンクですら同時に走るのが2人に過ぎないのに、あの狭いトラックで4〜5人も同時に滑るのは考え直した方がいいのではないか?
金東聖の失格には私も納得できないのだが、韓国ではもっと世論が沸騰している。ただ、その一方で、優勝を信じてウィニングスケーティングをしようとした金が、失格を知ったとき、太極旗(韓国国旗)を投げ捨てたのか、単に落としただけなのかということが韓国では問題となっているようだ。投げ捨てたとすれば、確かに問題だろう。かといって、オーノから星条旗を奪い取って投げ捨てたらもっと大変なことになるだろう。スポーツを見る上で、ナショナリズムというものはわずらわしい。
2002/02/20 水曜日 フィンランド人の苗字 
日本人の苗字は、30万種あるという。ただし、これは、たとえば漢字表記で「中島」「中嶋」「中嶌」「仲島」「仲嶋」、読み方で「なかじま」と「なかしま」をすべて別々の苗字と数えた場合の数字である。これだけで5×2=10種類になるし、他にも名嘉島などの苗字もある。しかし、明治以後に新しく作られた苗字が多いせいもあるだろう。しかし、日本人の大半が明治以降作られた苗字を名乗っているというのは、まったくの俗説であり(江戸時代の庶民に苗字はなかったか?参照)、多い苗字のほとんどは江戸時代以前からある苗字である。その証拠に、日本の場合、初耳という苗字の人に出会う確率は1割にも満たない。30万種といっても、多い苗字と少ない苗字の格差がものすごいからである。ただし、世界一苗字の種類の多い国は日本ではなく、USAであり、その種類は百万単位で数えられる。移民で成り立つ国であり、世界中から来た人が先祖の苗字をそのまま名乗っているからである。
ヨーロッパでは、フィンランドが苗字の種類の多い国として有名で5万種ほどあるらしい。人口が兵庫県程度(500万人あまり)の国であることを考えれば、この数は際立つ。しかし、多い苗字と少ない苗字の格差は小さいので、けっこう多い苗字というのもあるようだ。フィンランドには少数派としてのスウェーデン人、さらに少数派としてのサーメ(ラップ)人も住むが、フィンランド国民の多数派であるスオミ民族の苗字の過半数が「〜ネン」で終る。むかしのスキー・ジャンプのスター選手にニッカネンというのがいた。若い世代には、F1レーサーのハッキネンを例に挙げたほうが通じがいい。
フィンランドは、大統領と首相の両方がいる国である。むかし、大統領がケッコネン、首相がカルヤライネンというときがあったと記憶している。カルヤライネンというのは、何となくきれいだが、ケッコネンというのは滑稽な印象があった。しかし、今も現役のスキー・ジャンパーには、日本人にとってはよりインパクトの強いアホネンという選手がいる。ちなみに、今のフィンランドの首相はアホというらしい。新聞で読んだ話だが、アホとかアホネンという苗字は、フィンランドには結構あるそうである。アホカイネンというのもあるが、アホヤネンというのはないそうだ。こういうのは、日本姓の「イイヌマ」が韓国では「この野郎!」と聞こえるというのと同じ程度の笑い話にすぎない。
ヨーロッパで非インド・ヨーロッパ語族の言語を公用語としているのは、フィンランドとハンガリーだけである。フィンランド語やハンガリー語は、昔はウラル・アルタイ語族と称して日本語や朝鮮語と同語族とされた時期もある。それほどの親族関係は今日では否定されているが、ヨーロッパの言語よりは日本語に近いことは確かと思う。しかし、それを話すフィンランド人は、北欧だけに金髪碧眼の人が多く、我々から最も遠い人種にしか見えない。人の数だけ湖がある国であることやサウナの発祥地であることは有名だが、本場ではサウナに入ったあと雪の中を転げまわるということを繰り返すというから驚く。
大橋巨泉氏の辞職にともない、参議院議員に繰り上げ当選となったツルネン・マルティ氏はフィンランド生まれの元宣教師である。今は日本国籍であり、戸籍上は「弦念丸呈」となっているらしい。首相にまでなれるとは思わないが、この日本社会の閉鎖性に少しは風穴を開けてほしいものと思う。
2002/02/19 火曜日 オットット互助球 
学生時代、たしか奈良のあたりで電車に乗っていたときのことである。ひとりの老人が何やらビラを乗客に配っている。私も渡されて読み始めた。たこ焼き器のような窪みの並んだ卓球のラケットのようなものの絵が描いてある。説明には、勝ち負けばかりのスポーツはでは潤いがないから、互いに助け合うスポーツを考案したとある。ラケットの窪みに合うピンポン玉大のボールを入れて投げ、受ける方は「オットット」と言いながらそれを受け止めるのだという。二人以上何人でもいいからチームを組み、相手の取りやすい球を投げて受け止めた回数の記録を増やし親睦を深めようというのが、この「オットット互助球」の趣旨であった。
それ以来、30年あまり、オットット互助球が普及したという話は残念ながら聞かない。しかし、老人の精神には学ぶところもあるのではないかという気がする。テレビの音声多重放送が始まったころ、関西のあるテレビ局が、阪神の出る野球中継で、一方的に阪神を応援する放送を副音声で流したことがあるが、あまり聴く人もいなかったようで、いつの間にかなくなった。ちょうどいま冬季五輪が開かれているが、この副音声のような放送を聞いていると、国と国の争いばかりがスポーツではないと思う私などは白けてしまう。もっと別のスポーツの楽しみ方はないものだろうか?
ブッシュ大統領が日本にやってきた。「世界第二の経済大国」の日本の立ち直りを信じると言って小泉首相にエールを送っていた。オリンピックのUSAコールにも示されるように、アメリカというのは、何でも世界一でないと気がすまない国である。日本がナンバー2であることばかりを追求していては、いつまでも小型のUSAでしかないのではないかと思う。考えてみれば、日本がナンバー2たりうるのは、人口が多いからである。スイスやスウェーデンのように、人口が千万人にも満たない国が第二の経済大国になることはありえないだろう。あったとしたら、アメリカが世界の富の4分の1を占めている今以上にいびつな世界ということになる。日本の経済が好調であるに越したことはないが、それ以上にこの国に住む一人一人が自分で納得のできる生涯を送れる国にしてほしいと思う。
始まったばかりの21世紀は、人類の間に互助の気持ちがなければ、どこの人間にとっても不幸な世紀になる危うさをはらんでいるように思う。
2002/02/18 月曜日 スター 
最近「スター」というと、錦野旦(にしきのあきら)をさす固有名詞になりかかっているように思われる。錦野については、野村マサキとともに筋力番組でも頑張っており、われわれ中年の希望の星だと思っている。「スター」に代わって広く普及した言葉に「アイドル」がある。私たちの世代は、上の世代が憧れた「スター」に憧れた。しかし、今の若者はオジンやオバンのスターにあまり興味はない。それよりは、同世代の「アイドル」に憧れているというより、身近なものとして欲しがっているように思う。若者が上の世代のことを知りたいと思わない社会に未来があるのだろうかと思うときもある。もちろん、これは、若者に魅力のない大人社会を作っている大人たちの責任でもある。
私たちの世代は、これでもけっこう過渡期の存在である。少年サンデーや少年マガジン(ジャンプは後発)が創刊されたとき、私は中学に入ったばかりだった。中学生にもなって当時はまだまだ子供のものとされていた漫画を読むのには気が引けたので、定期的に買うということはしていない。しかし、私より二、三歳若い人たちには、定期購読していた人が多いのではないだろうか? 大学生が電車の中で漫画を読んでいると言われたのも、私たちの世代に始まる。私自身も漫画を読んで育ったので、大学生になっても、ときどき漫画を読むことがあった。しかし、同時に私たちの世代には大人たちに負けたくないという気持ちがあって、分かりもしない難しい本を読んで青臭い議論をするという面もあった。そのことに疲れたとき、漫画を読んで精神のバランスを保っていたのであり、決して漫画ばかり読んでいたわけではない。
大学生の間でジーパンが流行ったのも、私たちの世代である。最近の若者はあまりジーパンを履かなくなり、代わりにジーパンを履いている年寄りを見かける。これは年寄りがジーパンを履くようになったからではなく、ジーパンを履いていた世代が年寄りになったからに過ぎない。
2002/02/17 日曜日 二人のヤン・ヤン 
いま開催中のソルトレーク五輪の女子ショート・トラックに、ともにヤン・ヤンという名の二人の中国選手が出ている。漢字で書けば一人は楊揚、もう一人は楊陽で区別がつくが、日本語読みすればともに「ようよう」、アルファベット表記では、ともに"Yang
Yang"となって区別がつかない。このような場合、中国語では四声(声の上げ下げ)で区別がつくことも多いのだが、この二人の場合はそれも同じである。漢字圏以外では、楊揚が8月、楊陽が9月生まれだということで、アルファベット表記では、"Yang(A)Yang"と"Yang(S)Yang"として区別しているようだ。こういう場合、私たち日本人は二人をどう呼べばいいのだろうか? 「手へんのようよう」「こざとへんのようよう」という区別の仕方もありそうに思う。今日のアナウンサーは、二人に共通の姓を「楊貴妃の楊」と紹介していた。
いま、中学校の地理の教科書では、外国の地名は現地音主義で教えられている。ヨーロッパの水の都は、英語のベニス(Venice)ではなく、イタリア語のベネチア(Venezia)という具合だ。中国や韓国・朝鮮の地名もすべて現地音によるカタカナ表記で教えられ、漢字表記は教えられていない。しかし、これは、内実を欠く形式主義のように思われる。たとえばベニスをベネチアと呼ぶのは、日本人が英語世界とは違うつながりをそれぞれの土地と結ぼうという精神の現われだと私は思う。それならば、漢字文化圏の場合、漢字を媒介とし、たがいにそれぞれの漢字音で呼び合う方が、むしろこの精神にかなうようにも思われる。ただ、朝鮮半島やベトナムの固有名詞については、中国とは別に考えなければならない面もある。このことについては、下記の記事に詳しく書いたので参照されたい。
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/gention.htm
漢字文化圏の固有名詞のカタカナ表記に対して、私は古くからのつながりに目をふさいだ軽薄さを感じてしまうのである。イギリスに長く支配された香港では、適当な英語名をジャッキー・チェンとかアグネス・チャンというように名乗る例が多く、中国への返還後もこの習慣は続いている。しかし、やはり香港では、ジャッキーはジャッキー・チェンである以前に「成龍」であり、アグネス・チャンは「陳美齢」なのである。とすれば、日本においては、どちらの呼び方をしたらいいのか? 少なくとも何も考えず当たり前のようにジャッキーとかアグネスと呼ぶのは考え直した方がいいのではないか、という気もしてくる。それにしても、英語の個人名は種類が少なく、中国語の姓は種類が少ない。この二つを組み合わせたら、おびただしい同姓同名ができそうである。日本語のカタカナ表記となると、さらに「譚(Tan)」と「湯(Tang)」がともに「タン」となったりしてさらに混乱が起きる。そのうち、二人のYang
Yangは、Mary Yang YangとElizabeth Yang
Yangというような形で区別されるようになるのだろうか? 日本には、日本の哲学や戦略があっていいと思う。
本日、"「長靴」と「長い靴」はどう違うか?"という記事を「ことばの散歩道」にアップした。
2002/02/16 土曜日 夫婦別姓法案 
夫婦別姓法案がなかなか成立しない。要するに、夫婦が同姓か別姓かを自由に選択できるようにする法案であって、夫婦が必ず別々の苗字を名乗るようにするという法案ではない。私などには、すぐにでも通っていいと思われるこの法案に反対する議員の石頭ぶりには驚かざるをえない。夫婦が同姓を名乗ることで初めて家族としての一体感が生まれると信じ込んでいるようだ。このような考えのために、離婚の多い現代にあって、苦しむ子供が多くなることには思いも及ばない。それなら、親が離婚しなければいいと思うのかも知れないが、そんなことを親に強制できるはずもないし、まして子供には何の責任もない。
ある夫婦の夫が失踪した。生死が3年以上不明であれば離婚はできる。失踪していても死亡が確認できなければ、さらに4年間離婚できない。しかし、その期間内に妻は別の男性と同棲を始め、二人の間に子供が生まれた。その子供が、自分とは血のつながりもない失踪中の夫の苗字を名乗ることになる。母親が今も夫の戸籍に入っているからである。母親が未婚であれば、父の欄を空白にして出生届を出すことができる。しかし、この場合は、母親が既婚であるため、そのような形はとれない。失踪中の夫の子供として届け出ない限り、戸籍に入ることすらできない。7年後、母親の離婚は成立し、一家は同姓になった。しかし、戸籍上、子供の父親は別人のままになっている。夫婦は裁判を起こして、子供の父を実父に書き換え、苗字も変えることを求めた。これは認められたが、裁判により父と苗字を変更したことが新たに戸籍に記載された。
上に書いたことは、作り話ではない。そのような戸籍謄本を見て、その夫婦から私がじかに聞いた話なのである。戸籍には、個人のプライバシーがことこまかに記録される。そのため、人権意識の高まった最近では進学や就職にあたって、戸籍謄本の提出を求められることは少なくなったが、結婚となるとそうはいかないことも多い。子供が小さいうちから、戸籍を見せないように苦心をする親も多いであろう。
出生登録のようなものは、どこにでもあるのだが、現実の家族と別に観念の上での家族を「氏」として登録する「戸籍」は、日本のほか、韓国と台湾にしかないと聞く。かつての植民地支配の名残であろう。出生登録にあたっては、父の姓名と母の結婚前の姓名だけを記す例が世界的には多い。このような方法なら、例として挙げた子供の場合も、ほかの子と何のかわりもなく、国家に登録されることになっていただろう。父は小川、母は信太という戸籍にこれからもつきあわなければならない私にとってもありがたい。
さきに述べた夫婦の例のような場合、国家の制度からみれば、「特殊」な夫婦のように思われるかも知れない。しかし、現実には「普通」の夫婦であり、実質をいうなら、普通以上にうまくいっている夫婦である。国家の制度からは模範的な夫婦の場合でも、実質的には夫婦の体をなしていない例はいくらでもある。日本の戸籍制度は、明治になって作られたものに過ぎない。それ以前は、嫁などに自分たちの苗字を名乗らせられるかというのが、むしろ日本の伝統であった。今は、両性の平等の証として、せめて別姓も選択できる制度にしたらいいのにと思っている。
2002/02/15 金曜日 左利き 
私がもう若くなくなったころ、「私の彼は左利き」という歌が流行ったことがある。歌っていた麻丘めぐみがJRの「ナイス・ミディ・パス」のポスターに出てきたとき、「あれがミディなら、俺は何なんだ?」と思ったものである。愚痴はさておき、中学のとき初めて受けた握力測定で左が右より5sほど強かったのに驚いたことがある。握力が強い方が本来の利き腕だという話も聞いた。ちょうどそのころ、腕相撲がクラスで流行っていた。みんな当たり前のように右腕で勝負する。握力測定で「ひょっとしたら?」と思った私は、負けた相手に「じゃあ、左でやろう」といって、勝ったり、善戦したりしたことが何回かあった。
むかし、左利きのことを「ぎっちょ」といった。左利きであることを、さも異常なようにいう言葉として、今では普通使われない。握力の強いほうが本来の利き腕かどうかは分からないが、左利きを矯正されて辛かったという話は、何度か聞いたことがある。私自身は、「茶碗は左手、箸は右手」とか、「鉛筆は右手」というのを疑うことなく育ったので、右利きである。麻丘めぐみの歌のように、「私の右利き治せない」と逆の辛い体験をしたことはない。先天的にも右利きが多数派のようだが、社会的にその差がさらに拡大されてきたということも言えそうに思う。
今の生徒を見ると、私たちのころよりは、左利きが多いように思う。漢字もかなもアルファベットも右利き向きにできた文字なのに、字の上手な左利きの生徒もいる。そういう生徒を見ると、左手をぐっと傾け、右利きの人が書くのと同じような傾斜(鉛筆が左に傾く)にして書いていることが多い。文字に限らず、世の中の道具が右利き向きに出来ている例は他にもありそうだが、それをつぎつぎと指摘することは、私のような右利きで育ってきた人間にはできない。
2002/02/14 木曜日 モロゾフとコスモポリタン 
ともに神戸に本社を置くチョコレート菓子メーカーにモロゾフとコスモポリタンがある。どちらも有名な会社でそれぞれ全国に支店を展開している。モロゾフは日本人の経営だが、コスモポリタンはモロゾフというロシア人の経営だというからややこしい。ところが、モロゾフの創業者は、ワレンティン・モロゾフという白系ロシア人だというからさらにややこしい。白系ロシア人とは、1917年のロシア革命を逃れて亡命してきたロシア人のことであり、その名は「赤(共産主義者)」に対して皇帝派を「白」と呼んだことに由来する。戦前に大活躍したプロ野球選手ビクトル・スタルヒンも白系ロシア人だ。
日本に渡ってきたワレンティン・モロゾフは、大正年間に神戸でモロゾフ洋菓子店を開いた。しかし、その経営権は、いつしか日本人の手に渡り、創業者のモロゾフ家は、商標としてのモロゾフの名を使えなくなった。そのため、「コスモポリタン」という別のチョコレート菓子メーカーを開くことになったのである。イタリアのグッチ家が自ら創業したグッチから追われ、「グッチ」という名で営業ができなくなったという話を思い出させる。
モロゾフ家が新たな会社名を「コスモポリタン」としたのは、一家が「無国籍」だったことに由来するらしい。無国籍だったのは、根っからの皇帝(ツァーリ)派であり、それゆえにこそ亡命したモロゾフ家がソ連の国籍を取るはずもなく、日本国籍をも取らずにきたからである。日本国籍を取らなかったのは、「モロゾフ」のままで「帰化」することが事実上出来なかったせいもあるらしい。ソ連崩壊後、日本に来てから何世代もたつその子孫がロシア国籍をとったのか、もう日本国籍なのかは、私は知らない。なお、日本でのモロゾフ家の初代の名は、「ワレンティン」であるが、この名を英語風にいうと「バレンタイン」となる。なお、神戸にはゴンチャロフという会社もあるが、これも白系ロシア人の創業のようだ。
2002/02/12 火曜日 日本語は非論理的か? 
政界のスッタモンダが続いている。鈴木さんや田中さんや川口さんや野上さんや(民間の)大西さんがどう言ったかこう言ったかということに、私は逐一というほどには関心のない人間だが、有権者の一人として政界の動向に無関心ではないので、ときどきテレビ討論を見ることがある。その中で、誰がどう言ったかということについて、「日本の言葉というのははっきりしないから、よく分からない」と言った政治家がいた。私としては、これを「日本語は非論理的」という、日本人の間で広まっている迷信のあらわれと考えている。
「日本語は非論理的である」という命題を証明するためには、少なくとも、つぎの二つの作業を行わなければならない。
(1)そもそも「論理」とは何かということを明示すること。
(2)「論理」が定義されたとして、それがある言語では可能だが、ある言語では不可能ということを証明すること。
以上の(1)(2)が証明されたとして、別に(3)「そのように定義された論理が人類の幸福に役立つか?」という、より根本的な問題提起もされてよいと思う。
以上に示した難問に全部答える力は私にはない。しかし、「日本の言葉というのは、はっきりしないから」などと論証困難な形でものを言う人に対しては、「この人は言語とか論理とかいうものについてしっかり考えたことがあるのか?」という疑いをついつい抱いてしまう。ことを言語のせいにするのなら、はっきりものを言わない政治家を、言い換えれば、意識的か無意識的かを問わず言葉を論理的に用いない政治家を、きちんと追及することすら、できなくなってしまうではないかと思ってしまう。責任を言語になすりつけてはならないのである。こういうときは、簡単に「日本の政治家は、はっきりものを言わないから」と言えばそれで済むことである。
私は、日本語が他の言語より論理的であると主張するつもりはない。そんなことを検証する意欲も能力ない。しかし、「日本語は論理的である」という命題以上に検証困難な「日本語は非論理的である」という命題を、あたかも証明されたかのように自信たっぷりに言う人があまりにも多いことが、私には不思議でならない。私に言わせれば、言語などというものは、もともと論理のために作られたものではないし、ありていに言えば世界中のすべての言語は非論理的である。その中で、言語に基づいた論理学(証明の手順)を樹立する努力がたまたま近代西欧において西欧諸語を材料にして最初行われたということにすぎない。それが果たして普遍的なものかどうかは、いくらでも検討の余地がある。
「非論理的だ」という証明は、「論理的だ」という証明より遥かに難しい。「すべてのクレタ人は嘘つきだ」という命題は、文字通りすべてのクレタ人を知っていなければ論証不可能であるのに対して、それを否定するにはたった一人の正直なクレタ人の存在を示せばいい。
私も、英語を学び始めたころ、「時制」の煩雑さに悩まされた。「行った」「行く」「行くだろう」の言い分けぐらいはまだ納得できたのだが、「彼はスミスさんが大工だと言っていた」を訳せという英文和訳の問題に対して、"He
said that Mr.Smith is a carpenter."と書いて×をつけられたころから英語が嫌いになった。isはwasにしなければいけない。いわゆる時制の一致である。「彼はスミスさんが大工だったと言っていた」と言いたければ、さらにwasをhad
beenにしなければならないという。
さんざん「時制」を言っておきながら、英語では「地球は太陽の周りをまわる」を、
"The earth goes around the sun."といい、このような場合の現在形は、不変の真理を示すから例外だなどとはぐらかされる。"The
earth goes around the sun."を日本語に訳すなら「地球が太陽の周りをまわる」と訳すことも可能である。しかし、これでは、日本語の場合、「コアラがユーカリの葉を食べる」とう、目の前の事実を述べたものと受け取られてしまう。これを、「コアラはユーカリの葉を食べる」といえば、コアラの食性についての普遍的真理を述べたものであるということが、英語などの西欧語よりは明確である。
コアラの例は、私としては、ある言語で明瞭に表現できることが、他の言語ではあいまいである例として挙げたつもりである。決して日本語が英語より常に論理的であるなどという普遍的な真理をこの例だけから主張するつもりはない。逆の例を挙げることも、いくらでも可能であろう。この点ではこの言語が便利、あの点ではあの言語が便利と考える文化(←言語)相対主義こそが健全な感覚だと私は思う。
私が腹立たしく思うのは、「日本語は英語(など)より常に非論理的である」という証明困難な命題を、頭から信じ込んでいる日本人が多いことである。こんな思い込みに基づいて非論理的にしゃべる政治家に、この国を動かしてほしくないものだと常々思っている。たぶん、政治についても、一度思い込んだ前提を疑わないということが多いことであろう。
2002/02/11 月曜日 代名詞 
代名詞という言葉がある。pronounの訳語である。西洋にあるものは、何でも日本にもあるのだという見栄で明治時代に作られた言葉である。I
know the girl. She is very pretty.のsheのようなのをpronounというらしい。この例文を自然な日本語ではつぎのように言う。「その子、知ってるよ、めっちゃ可愛い」。これを日本の中学英語で言うと、「私はその少女を知っています。彼女はとても可愛いです。」小学校のとき、いい作文を書いていた子が中学校に入るととたんに変な文章を書き始めるのは、このような英語教育のせいだという説がある。
「代名詞」という訳語も、適当かどうか分からない。「代名詞」という以上は、「人絹」が絹の、あるいは「模造紙」が和紙の代用品だというのと同じ意味で、名詞の代用品ということらしい。しかし、人類の祖先が、自分の取れないものをを取ってほしいときに最初に発した言葉は何だったのだろうか? おそらく、今の「あれ!」とか{それ!」に当たる言葉だったに違いない。チームで鹿を狩っていた狩人の間で、「あれ!」とか「それ!」とかいう言葉が最初に作られ、それを仕留めた狩人が誇らしげにいう言葉が「これ!」だったのかも知れない。
うまく仕留められたときは、鹿を持って帰れば留守を守っていた女たちに説明はいらないが、もうあと一歩で獲物を逃がしたときには、「あれ」では通じない。「あれ!」「あれ!」と連呼するだけでは、女たちは、惜しいところで逃がしたことは分かっても、獲物が鹿なのか猪なのか雉なのか、さっぱり分からない。そこで、男と女の間に成立した約束事として、「名詞」というものが成立したように思う。こう考えてみれば、「名詞」とは、本来、「代名詞」の代用品に過ぎなかったのである。
こんな大昔のことは、想像するだけで、検証ができない。そのため、言語学会で言語の起源を扱わないという合意ができてから久しい。私の想像こそが正しいのだと主張し続ける気持ちは、私にはない。しかし、その代わり、「代名詞」が「名詞」の代用品だということを自明の前提と信じ込んでいる人には、「ホンマにそれでええのん?」と突っ込みを入れたくなる。なお、名詞と代名詞が区別できるかどうかは、意味の問題ではなく、文法の問題だと思う。"Stand
up the target."と"Stand it
up."のように目的語の位置に違いを生じない日本語では、代名詞なるものを設定する必要はないと私は思っている。
欧米語にあるものが日本語にあるとは限らないということをすんなり認めてこそ、日本語にあるものが欧米語にないことも堂々と主張できる。建国して2600年以上といい、明治以降だけでも100年以上も経っているのに、いまだにそんな簡単なことができないでいる近代日本の変りようのなさを、日本人として情けなく思っている。
2002/02/08 金曜日 割れちゃった 
「〜てしまう」という言葉は関西では「〜てまう」「〜てもうた」というのが伝統だが、今では関東風の「〜ちゃう」「〜ちゃった」がけっこう普及している。だいぶ前のことだが、虫歯がひどく痛んだときがあった。珍しく予約なしで診てもらえる歯医者があったので飛び込んだ。治療が始まってまもなく、医者が「あっ、割れちゃった」と言った。割れた以上は抜かなければならないということで、痛みのもととなった歯は抜かれた。その部分は今ではブリッジになっている。
「できちゃった婚」という言葉もあるように、「〜ちゃった」というのは、何かが自分の意思によらずに取り返しのつかないことになったときに使われる言葉のように思われる。なくなった歯のことはあっさり諦めたのだが、もし、あのとき医者が「割れちゃった」ではなく、「割っちゃった」と言ったのなら、私も黙っていなかったかも知れない。それ以来、予約なしで診てもらえる歯医者には行かないことにしている。
2002/02/07 木曜日 御丁寧な話
何にでも「お」をつけることが流行った時期があった。しかし、それも今は下火という感じがする。おビールはすっかり定着したが、おワインとかおカクテルというところまでは広がらない。地名に「お」をつけたのは「江戸」ぐらいだというが、「奈良」につけるわけにはいかない。ばか丁寧なのが嫌われる時代に入っているようだ。
「お」のような美化語としては、他に「み」を挙げることが出来る。神戸には「御影」という地名があり「みかげ」と読む。地名としての御影は御影石の原産地であり、御影という言葉は「おすがた」という意味である。しかし、美化語としての「み」は、現代語としてはあまり使われない。「お」「み」という美化語を重ねた表現としての「おみくじ」や「おみこし」に痕跡を残すぐらいである。
「お」や「み」は、和語につく美化語だが、漢語には用いられない。「お住所」などと言ったら笑われるだけで、「御住所」と言わなければならない。しかし、中国語にこのような美化語はないので、「御」という漢字には当然別の意味がある。「御」の字の意味は、本来「コントロールする」「あやつる」ということである。「制御」「御者」という言葉にその意味が表れている。このように、「御」の字本来の意味で用いられる場合に、呉音の「ご」ではなく、漢音の「ぎょ」で読むのは面白い。在日中国人作家の陳舜臣氏は、中国人が「御婦人用」などという字面をみたら、あらぬ妄想を掻き立てられるのではないかと書いていた。なお、「防御」の「御」は戦後の漢字制限で「禦」の代用とされたものであって、「制御」の「御」とは異なる。「禦」は「ふせぐ」という意味で、「あやつる」という意味ではない。「防禦」は、「金銭」や「河川」のように同じような意味の漢字を連ねた用法である。「防いでコントロールする」という新たな意味を盛り込むのなら、「防御」という漢字表記もいいなとも思う。二酸化炭素の問題あたりに応用できそうではないか?
2002/02/06 水曜日 キセル 
さす対象がなくなった言葉は、死語として辞書に残る。その意味で、「きせる」という言葉は、すでに死語かも知れない。小さいころ、キセルでタバコを吸う大人をよく見かけた。「みのり」とか「ききょう」とかいうキセルタバコが売られていた。何でそんな銘柄の名前を覚えているのかというと、祖母がタバコ屋をしていて店番をさせられた覚えがあるからである。「キセル」という言葉は、もともとクメール語(カンボジアの公用語)であるが、すでに江戸時代に日本語になっていた。両端が金属で出来ているキセルの真中の部分は長い竹であり、これを「らう」と呼んでいた。「ラウ」の語源はカンボジアの隣国ラオスの国名であるらしい。「キセル」は李朝時代の朝鮮半島でも普及していたが、こちらは竹の部分が思いっきり長く、「タンベッテ(たばこ竹)」と呼ばれていた。火皿も日本のものよりずっと大きい。
喫煙具としてのキセルがなくなってから、この言葉の命脈は、電車の不正乗車に残された。最も近い駅までの切符を買って乗り、意図的に乗り越して定期の使えるところまでただ乗りする方法である。真中の長いところをカネを使っていないという意味でキセルと呼ばれた。しかし、この不正乗車の手段の意味という意味での「キセル」という言葉も、改札の機械化で命脈を絶たれようとしている。
自動改札の出現以前には、不正乗車の摘発は人間の勘にたよるほかなかった。キセルではないが、学生時代、私は起源の切れた定期で電車に乗ってつかまったことがある。初めから不正乗車をしようと思ったのではなく、期限切れに気づかなかったのである。しかし、往路は乗るときも降りるときも無事に通過した。復路も、乗るときは無事に通過した。自分でも知らないままだったからである。ところが帰りの車内で期限切れに気がついた。ままよと思ってそのまま出ようとしたら見事につかまった。後ろめたそうな様子を見破られたのに違いない。改札の自動化が進むにつれ、こういう眼力のある駅員は少なくなっていくのではないかと思う。
2002/02/04 月曜日 十年一昔 
「十年一昔」という言葉を覚えたのは、ずいぶん小さいころのことだった。私の祖父母はともに兄弟姉妹が多く、そのため、一人一人は「久しぶり」という親戚が家に来ることがけっこう日常的にあった。そういうとき、もうみんな故人となったあの世代が決まって交わす言葉が、「昔は十年一昔と言ったけど、最近は、2〜3年が一昔になってしまいましたものねえ。」というものだった。別に示し合わせたわけでもないのに、同じことを言うのが不思議だった。それだけ、戦後の変化は速かったということだろう。
「十年一昔」という言葉の意味は子供にも分かった。しかし、その意味を実感することはできなかった。子供にとって、十年とはとてつもなく長い期間だからである。そのことは、20歳になってもさほど変らない。20歳の青年にとっても、十年前といえば、一昔どころか大昔である。「十年一昔」という言葉の意味をどうにか実感できるようになるには、最低でも30歳を待たなければならない。
50を過ぎた私にとっては、「ついこの前」と思った出来事がもう10年も前のことだったということがよくある。ついこの前のつもりで話題に出すと、生徒がまったく知らないということもよく起こる。若者は、よく「そんなこと昔のことじゃないか!」という。10年を途方もなく長い期間と思っている若者には大人の気持ちがなかなか分からない。しかし、10年ぽっちでは、大人たちにとってはついこの前のことである。一度心に引っかかったことが忘れられるほど昔のことではない。それが強烈な体験であれば、40年でも50年でもついこの前のことである。若者には、自分たちが遥か昔の歴史上の出来事と思っていることであっても、それを鮮明な記憶として心に留めている人々の気持ちを含めて理解するために、もっと歴史を勉強してもらいたいと思う。その歴史の上に君たちがいるのだから……。
本日、「ことばの散歩道」に、「言葉は道具か?」という記事を新たにアップした。なお、昨日書いた巻寿司(太巻)の丸かぶりのことを今晩のニュース・ステーションでやっていた。当然関西だけの風習だと思っていたので横浜に住んでいる母などにも聞いたことはなかったが、最近、全国に波及したと聞いたので驚いていたが、やはり今でも関東ではほとんど知られていない風習らしい。ただ、東京を飛び越して北海道では普及していると言っていた。
2002/02/03 日曜日 巻寿司の丸かぶり 
今日は節分、暦の上では明日から春である。巻寿司を切らないまま、その年の恵方を向いて一挙に食べるとその一年間いいことが続くという話を知ってから、まだ20年ほどにしかならない。少なくとも関東で過ごした子供時代には記憶がない。ところが、この風習、今では全国に及んでいるという。驚いたことに、私と同世代の関西人も子供のころには記憶がないという。どうも、この風習は、1970年代に海苔業界が大阪で行ったパフォーマンスが一挙に全国に波及した新しい風習らしい。もっともそれ以前に関西か東海のどこかに局地的に分布していた可能性はある。なお、今年の恵方は北北西だとのことである。
海苔業界が潤ってから10日ほどたつとチョコレート業界が潤う。そういえば、夏の土用の丑の日にうなぎを食べるという習慣も、創案者は、かの平賀源内だという。たくましい商魂が新たな風習をつくるということが、江戸時代にすでに始まっていたということは面白い。そういえば、つい一ヶ月ほど前のことだが、年越しそばが始まったのはいつからなのだろう?
2002/02/01 金曜日 ステテコ 
季節はずれな話題だが、むかし夏になるとステテコをはいて町を歩くおじさんをよく見かけた。本来は下着であるから、当時から行儀が悪いと思われていたことは確かである。私も世が世であればステテコをはいてもかまわない年齢になっているのだが、あの真似をする気にはなれない。それに、町自体がそんなものを着て歩ける雰囲気ではなくなっている。
ステテコとまぎらわしいものにモモヒキがあるが、こちらは冬にズボンの下にはく下着であり、昨今の若者はめったに着用しない。そのため、それにあたる若者語をなんというか知らない。ただ、関西では老若を問わずパッチという。年寄りのことをパッチはきといってからかう。パッチの語源は、朝鮮語の「パヂ」であることは確実だが、朝鮮半島では、「パヂ」はれっきとしたズボンであり、下着などではない。男性が着用するもので、女性の場合は「チマ」というくるぶしまで伸びる特大のスカートをはく。
私は、真冬でもモモヒキ(パッチ)をはかない。おしゃれだからではなく、面倒くさいからに過ぎない。膝から下を北風にさらすスカートをはく女性のことを思えば、男性はズボンだけで満足しなければならない。
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