よしなしごと2002年10月

 余計な一言   性善説と性悪説  信号  一部の拉致報道を憂う
二人のノーベル賞  つとに  夢の材料
インターネットと読書  呼び出し電話

2002/10/30  水曜日  呼び出し電話  

 高校生時代の名簿に、電話の欄があった。そこに(呼)と書いてあるのがけっこう多かった。電話番号のあとに、別の苗字が書いてある。これは、その家に電話がないので、近所の人の家に電話をかけ、「恐れ入りますが、○○さんのところの○○さんをお願いします」というのである。もちろん、呼び出してもらう家は、相手の家の了解を得た上で名簿に載せているのである。すぐ近所とは限らず、「ちょっと待ってください。一っ走りしてきますから」といわれてだいぶ待たされることもあるが、文句を言う気など到底起こらない。大学に入ってからも、下宿の自室に電話などなく、大家さんの電話を借りるのも気が引けるので、外に出て公衆電話を利用するのが普通だった。

 こんな話を今の高校生にすると驚く。何に驚くのかというと、わざわざ近所の人を呼び出すために動く人がいることが信じられないからである。電話ならしょっちゅう動かなければならないと思っているせいもある。しかし、当時は、電話はそんなにしょっちゅうかけるものではなく、かけても用件だけというのが普通だった。子供が長電話をするなどというのは許されない時代だった。携帯電話を当たり前と思っている世代にはピンとこない話かもしれない。私にしてみれば、つい昨日のことのように思われるが、近所のつながりが薄くなり、家庭の中での子供へのチェックが甘くなった今とはずいぶん違う時代だったのだろうと思う。
2002/10/26  土曜日  インターネットと読書  
 大学に行っている卒業生からメールが来た。近況報告のあとにクイズがついていた。三善英史、関根勤、ジュディ・オング、美川憲一を生年月日順に並べろといういうのである。それぞれの名前に「生年月日」と添えて検索したところ、容易に正解を出すことが出来た。こんなことは、どんな大きな百科事典を調べても載っていない。それに、インターネットは場所をとらない。これでは、出版不況はますます進むだろう。

 私が学生だったころ、文学全集は、出版社のドル箱だった。○○文庫の百冊などと言われると、それをすべて読まないと恥だなどという意識もまだあった。今なら、短編の名作なら、作者の死後50年を経ていれば、ネット上でけっこう読むことができる。長編をウェブに載せているのは見かけないが、著作権が切れていれば、法的には何も問題はないだろう。読者にとってはありがたいが、出版社にとってはとんでもないことだろう。

 インターネットは確かに便利である。しかし、いい加減なサイトもきわめて多い。本にしてもトンデモ本というのはかなりあるのだが、ウェブほどではない。しかし、インターネットでも、一つのサイトを読んで信用するのではなく、いくつものサイトを検索して多数決に従えば、間違いは最小限に食い止められる。もっとも、世の中に流布している俗説も多いのだから、いつも多数決が有効とは限らない。膨大な情報の真偽を見分け、ウェブを大いに活用するためには、やはり読書との二本立てが必要だと思う。

 大学の定期試験のころ、ときどき言葉についての質問がメールで来る。私は分からないことは分からないとはっきり答え、心当たりの本があれば紹介している。論文にウェブサイトなど引用したら、教授から大目玉をくらう場合もあるだろう。もっとも、台湾の大学では、ウェブサイトの引用も認められているというメールを頂いたこともある。
2002/10/20  日曜日  夢の材料  
 夜中に何か夢を見て目をさました。うつらうつらしながら、この夢は覚えておこうと思ったのだが、今ではまったく覚えていない。夢というものは、非現実的(夢のよう)でありながら、どこかなまなましい。それは、夢全体としては非現実的であっても、部分部分には、どこか覚えがあるからだろう。私たちは、切れ切れの記憶を系統的に結び付け、自分という人格を維持して生きている。それと同じことを夢の中でもしているのだろうが、やはり起きているときには思いもつかない結び付け方をするので、目をさましたときに「わけがわからない」という印象をもつようだ。

 年をとったり病気になったりすると、夢の中でしていたことを起きているときにも、するようになる。そして記憶の結び付け方を自分だと感じて維持しようとし、他の人にも認めてもらおうとする。しかし、周りの人間は夢のような話が理解できず、あの人はぼけたなどと言う。しかし、ぼけた人の言うことでも、一つ一つの記憶の材料は案外正確なのだから、しっかり耳を傾けていれば、夢の材料から、その人の来し方を想像することはできそうである。しかし、どんな人でも、身近な家族すら知らない夢の材料を持っているのだから、この作業はやはり難しい。

 タイピングをしていると、誤変換が多い。「私は自分に『じしん』がない」の「じしん」を平気で「地震」などと変換する。機械は、インプットされた夢の材料しか知らない。変換に正確さを期するために、前後にどういう語が現われたら、どの選択肢を優先させるかを改めてインプットするという試みもある程度は有効だろうが、人間の思い通りにはなかなかならない。機械は、しょせん無生物に過ぎない。私が子供のころ読んだ『鉄腕アトム』には、今なら当たり前になっているモノが夢のようなものとして描かれていた例が多いと思う。しかし、肝心のアトムは、まだ実現のメドすら立っていない。2003年4月7日のアトムの誕生日まであと半年であるが、アトムの誕生は、永遠の夢物語なのではないかと思う。
2002/10/16  水曜日  つとに  
 文化庁が行った慣用句などの世論調査がある。今年1月、全国の16歳以上の2200人から得た回答の集計である。以下、その言葉を「使わないし意味もわからない」と答えた人のパーセンテージを以下に示す。( )内は、そのうち、10代のパーセンテージである。

 つとに 52(85)、けんもほろろ 25(78)、よんどころない 18(65)、言わずもがな 38(63)、ゆゆしき 27(53)、とみに 24(53)、水ももらさぬ 14(37)、いたたまれない 6(31)、心もとない 8(31)、おもむろに 5(11)。

 全体に文章では用いるが会話では用いない語が多い。比較的よく知られている言葉は、会話で用いてもおかしくない。10代が本を読んでいないこと、年長者とあまり話をしていないことが丸わかりである。
2002/10/14  月曜日  二人のノーベル賞  
 今年は日本人がノーベル賞を二人受けた。ノーベル賞は個人への賞なのだから、たまたま二人が日本人だったということに意味はなく、授賞式では、ダンス・パーティーこそあれ、オリンピックのように国旗国歌をともなう儀式があるわけでもない。それにしても受賞した二人はあまりに対照的だった。スーパー・カミオカンデで業績をあげた一人はいつかもらえるものと確信しており、もう一人は寝耳に水でドッキリカメラではないかと疑いながら、会社の作業着のまま記者会見に出てきた。地位も名前も平凡である。日本としては、日本人同年二人受賞などといって喜んでいるときではない。ノーベル賞は、選考の権限を与えられた人の中に推薦人がいなければ受賞は不可能らしい。化学賞に決定した田中氏を最初に推薦したのが誰かは50年後まで発表を禁じられているということだが、日本人でないことは確かだろう。日本に人を見る目がなかったということになるのだから、「日本人二人受賞」などと喜んでいる時ではない。

 物理学賞を受けた76歳の小柴氏の記事を最初に見たとき、今も85歳で健在の養父にそっくりなのに驚いた。きっと老い方がそっくりなのであろう。小柴氏に受賞の可能性が生じたのはもう15年も前のことと聞くが、そのころ受賞していたら、決して「似ている」とは思わなかったに違いない。私の身近な年寄りを見ても、昔は似ているなどとはとても思わなかった人同士が、老後はそっくりになっている例をいくつも知っている。もっとも、そう見えるのは、私がまだ50代であって、70代、80代の人を異邦人のように見ているせいだろう。みんな髪が白くなった本人たちにしてみれば、どこが似ているのかと怒ることであろう。その気持ちが分かるまで、私もさほどの年月を必要としてはいない。

 これ以下は蛇足だが、小さい頃、「フーテンの寅さん」のようなタンカバイをときどき聞いた。タンカバイをしている人が、この(商品の)発明で、俺はノーベル賞とスターリン賞を両方あわせた「ノータリン賞」をもらったと言って、人だかりから喝采を受けていたのを覚えている。「スターリン賞」などという言葉を思い出すと、冷戦がもう遠い昔話になったことを実感する。

 (注)ノータリン……たぶん、「脳足りん」が語源。私の子供時代にはよく聞いた言葉である。
2002/10/09  水曜日  一部の拉致報道を憂う  
 北朝鮮に拉致された日本人は数十名に及ぶという報道が一部の雑誌でなされている。私も、その可能性を否定するわけではないが、さしたる証拠もなく行方不明者のすべてを拉致に結び付け、雑誌を売ろうという姿勢には慄然とするものを感じる。行方不明者は、日本にもかなり多い。拉致に結び付けられやすい新潟県でも、小学生の女の子が引きこもりの青年にほとんど成人するまで監禁された事件があった。単に行方不明というだけでなく、他によほど確度の高い証拠がある場合に限って報道するぐらいの自制をこういった雑誌には求めたい。

 こういう無責任な報道により日朝交渉がこじれた場合、第一に被害を受けるのは、北朝鮮の発表での生存死亡を問わず、拉致された本人やその家族である。北朝鮮による拉致は自分の都合によるまったく身勝手なものであるが、売らんかなという意図がうかがわれるこのような無責任な報道の身勝手さも、それと何の違いもないと思う。
2002/10/04  金曜日  信号  
 テレビのニュースで見たことである。塾から自転車で帰る途中、横断歩道で車にはねられて死んだ中学生の親が、加害者が不起訴になったことに納得できず、そのとき、車にとって赤信号だったことを地道な独自調査で実証した。加害者の車に先行する車が、黄信号で横断歩道を渡り、後続車がそれに続いて進入したとき、自転車と激突したという。先行車に法的責任はなく、「つられた」と言ったところで後続車の罪が軽くなるはずもないが、先行車のドライバーが事情を知ったなら、あまりいい気分はしないことだろう。交通強者であるドライバーには、信号に対して神経質でありすぎるということはないと思う。

 赤は止まれ、青は進めということは、小さい子供でも知っている。しかし、子供たちには、信号を教えるだけでなく、信号を守らない人間もいるのだということを、もっと小さい時から、同時に教えるべきではないのかとも思った。この場合、責任が加害者側にあることは明らかだが、身を守るために、青信号でも注意して渡る習慣をつけたいものである。

 盲導犬は、信号をもこなす。危ないと思えば止まり、安全だと思えば飼い主を先導する。しかし、犬はモノクロの世界を見ているのであり、信号が赤か青かは見分けられない。信号の明暗ぐらいは分かるだろうが、それ以上に、あたりの雰囲気で判断しており、信号だけで安全を判断しているわけではないらしい。

 なぜ「ん」で始まる言葉がないのか?の背景を変えた。画像提供元のサイトも訪問されたい。
2002/10/03  木曜日  性善説と性悪  
 高校生のころ、社会科の問題集で、とんでもない問題を見かけたことがある。マルクス、フロイト、ペスタロッチなどの名が挙げられていて、性善説か性悪説かに分類せよというのである。古代中国思想で近代西欧思想を分類せよというのだから無茶な問題だと思うが、頭の体操としては面白いかも知れない。

 一般に性善説は慈愛に満ちた徳治政治を生み、性悪説は過酷な法治政治を生むように考えられているが、考えようによっては、法治政治は法さえ守れば多少の悪は大目に見るのに対して、徳知政治は、その建前を守るために、少しでもお上に逆らうことも許さないという過酷な政治に転じる可能性もある。

 「渡る世間に鬼はない」ということわざを裏返した「渡る世間は鬼ばかり」というドラマがある。要は、どちらを普通と考えるかということだろう。最近、「精神分裂病」が「統合失調症」と呼びかえられたが、これも、一つの人格にまとまっているのが初めから当たり前と考えるかどうかということだろう。世の中鬼ばかりだと思っていると仏ばかり見えてくる。仏ばかりだと思っていると鬼ばかり見えてくるということだろう。

 さまざまな犯罪のニュースを聞くたびに、自分も心の中では、同じことを考えたことがないだろうかと自問してみる。心の中で罪なことを考えたことのある人は、意外に多いと思う。だとすれば、世間の人間の大半が、それを身体で表さずにいることが、すばらしいことのように思えてくる。

 貧しい時代には、人間の情が深かったという人がいる。しかし、「おしん」などを見ると、けなげな子供をいじめる鬼が今からは考えられないほど多い。みんなが生きることだけで必死だった時代には、鬼と仏の落差が大きかったということではないだろうか? それに対して、現代の日本は、鬼でも仏でもないただの人ばかりなのかも知れない。それだけに、人と人との結びつきが薄くなっているということは言えると思う。
2002/10/01  火曜日  余計な一言  
 「橋」というドイツ映画をずいぶん昔に見た記憶がある。当時、外国映画といえばアメリカ、イギリス、フランス、イタリアのどれかであって、ドイツというのは珍しかった。1959年制作ということだから、私が中学生のときである。15歳前後の7人のドイツの少年兵が橋を敵の攻撃から守る命令を受ける。しかし、仲間は一人二人と死んでゆく。その映画の中で私が忘れられないシーンがある。絶体絶命というべきところで、一人のアメリカ兵が飛び出してきて、英語で叫ぶ。つぎのような内容だったように記憶している。「子供と戦争する気はない。ここはお前たちの来るところではない。学校へ帰れ!」。ところがそのいかにも人のよさそうなアメリカ兵は一言余計なことを言ってしまった。「幼稚園へ帰れ!」と言ってしまったのである。

 シュワルツェネッガー主演の「キンダーガーテン・コップ」でも有名になったが、英語で幼稚園のことをKindergarten(子供の庭)という。ドイツ語からの借用語である。幼稚園という制度は、ドイツ人フレーベルが始めたものであるため、英語でもドイツ語のまま呼ばれることになったのである。

 「学校へ帰れ!」までなら少年兵たちにとって、何やら分からない英語を叫んでいるで済んだのだろうが、Kindergartenは分かってしまった。それまでに仲間を失って敵意をつのらせていた少年兵の一人が、侮辱されたと感じて、アメリカ兵に機関銃弾を浴びせる。腹部を撃たれたアメリカ兵は、悶え苦しんで絶命する。言葉が通じたための悲劇というべきか、通じなかったための悲劇というべきか迷う。ドイツ語にせよ、英語にせよ、日本語の字幕で理解していたので、そのときは何とも思わなかったが、英語のkindergartenがドイツ語から入った言葉だということを知り、なぜあのときアメリカ兵が撃たれたのかが分かったのは、だいぶのちのことである。