よしなしごと2001年7月

  参院選  冷房  「金がいいですゥ」  全員一致は無効?
能率と幸福  七夕  古舘伊知郎  篠山市  13日の金曜
赤ペン  江戸と東京  世界水泳を見ながら   車より人
ケアレス・ミス  開票速報はインターネットで  特攻

2001/07/30  月曜日  特攻  

 参院選の圧勝を受けて小泉首相が靖国神社公式参拝に対し、慎重姿勢に転じたという。小泉氏が参拝にこだわるのは、特攻隊への思い入れがあるようである。特攻隊の出撃基地となった鹿児島県知覧町の知覧特攻平和会館に展示されている写真を添えるが、当時十代だった特攻隊員たちであり、朝日新聞西部本社編『空のかなたに』(葦書房)よりスキャンした。この本によれば、右端の千田伍長は19歳で出撃して帰らぬ人となった。他の人たちの消息はこの本では分からない。多くは千田伍長と同様だったと思うが、今も健在でも不思議はない年齢である。小泉氏は国を思う純粋さに打たれたようだが、私は一目見て、その「若い」というより「幼い」という印象に衝撃を受けた。この人たちが国を守るべき「英霊」たちだったのだろうか? 私には、むしろ、国に守られるべき子供たちにしか見えない。特攻の悲劇を二度と繰り返さないよう、万全の策を立てることを政治の長である小泉氏には求めたい。

 私の母の弟である信太正道は、特攻隊員だった。18歳のとき、茨城県の百里基地で訓練を受け、北海道の千歳航空隊から出撃に備えて列車で移動する途中で8月15日を迎えた。戦後は民間機の機長を努め、定年退職後の今も健在である。叔父が特攻隊員だったことを、私は子供のころから聞いていた。しかし、「戦争中、もうすぐ死ぬからといって、あの食糧難の時代にしっかり食べていたから、戦後がきつかった」などという程度の軽い話しか聞いていなかった。特攻隊員になった経緯やそのころの心境について、私が詳しく知ったのは、叔父が最近出した『最後の特攻隊員 2度目の遺書』(高文研)という本を読んだときが初めてであった。

2001/07/29  日曜日  開票速報はインターネットで  

 参議院選挙に行ってきた。兵庫県では県知事選挙も同時に行われ、県議補選が行われたところもある。投票した以上は、結果が気になる。開票速報をみたいが、テレビでは見たくない。とくに、テレ朝系列の「選挙ステーション」は御免こうむる。けたたましくて品がないし、コメンテーターにも変なくせのある人物が多い。民放にとっては、選挙といえども視聴率が大事なのかもしれないが、あまりにも軽薄である。テレビで見るならNHKで見る。それよりもっといいのは、インターネットで見ることだ。いつでも自分の気になるところがみられるし、更新の速さもテレビには負けない。何より自分でじっくり経過、結果を考える上で変な雑音がないのが好ましい。

2001/07/27  金曜日  ケアレス・ミス  

 期末考査を返すときに添えた模範解答に、模範「回答」と書いてしまった。これでは試験ではなくてアンケートである。生徒が気づく前に、こういう間違いがあるから、書き取りは必ず見直せと先手を打って訂正した。実際、生徒にとっても、答案が返ってきて、こんな書き取りなんで間違えたと思うことがよくあるようだ。キーボードを打つときには、変換をよく確認しなかったことによる、手書きでは考えられない間違いがよくある。

 六月の後半から掲示板への投稿が急増した。自分の投稿についても、人の投稿についても、誤字や明らかな文章の間違いをよく見つける。それを訂正して投稿しなおすと、投稿時間がずれてしまう。投稿時間もそのままで、管理人以外の人も簡単に訂正のできる掲示板をご存知の方がおられたらお知らせいただきたい。
後日撮影した写真。この狭くて短い橋の上に、なん
と6500人(1平方メートルあたり13〜15人)もの人
がいたというから、事故が起きないほうが不思議。
2001/07/24  火曜日 車より人  
 8人の子供と2人のお年寄りが犠牲になった将棋倒し事故のあった明石市朝霧の歩道橋を電車の中から見た。狭い橋である。あんな狭い橋に人が殺到したら事故が起きるのも当然だという印象を受けた。しかも、問題の橋は、階段部分が橋の部分の半分の幅しかないといういびつな構造をしていた。

 誰もが無駄と思う道路工事が多いことが問題になっている。人の安全を守る工事は一つ一つは規模が小さく、道路工事ほど儲からないかも知れない。しかし、その気でさがせば、その数はたいへんなものになると思う。人と車とどちらが大事かと聞けば、誰の答も同じであるはずである。この事故を大きな教訓としてほしい。
2001/07/23  月曜日  世界水泳を見ながら  
 福岡で開かれている世界水泳をテレ朝系列(関西では6チャンネル)で見ながらこの原稿を書いている。テレビ中継が日本選手に焦点を当てすぎているようなのが気になる。私とて日本選手を応援しているのだが、余りに興奮ぎみになると白けることも多い。

 子供のころ、世界の水泳は三極時代だった。アメリカとオーストラリア、そして日本であった。それが今ではヨーロッパや中国の抬頭でだいぶ様変わりしている。そのころの日本のヒーローに山中毅(つよし)がいた。200Mから1500Mまでの自由形で、世界でもトップを争うスイマーであった。山中の第一のライバルはオーストラリアのマレー・ローズ(ベジタリアンでナッツが主食という不思議な食生活をしていた)だった。記録ではさほどでもないのに勝負の駆け引きが上手で、山中はそれにしてやられることが多かった。あるとき、1500Mでのこの二人の争いにローズと同じオーストラリアの10代のコンラッズが加わり、山中は屈辱的な3位に甘んじた。その翌日の400Mで、山中は最初から飛ばし、当時の世界記録を15秒ほども縮める驚異的世界新記録で優勝した。

 そんな時代の名残りは、私の高校時代まで続いていた。生徒会が作った校内水泳大会の案内に、「世界新記録が出ても公認されません」とあったのを覚えている。高校のプールは25Mだったからである。

 古川勝という平泳ぎの選手もいた。スタートすると折り返すまで潜水しっぱなしの潜水泳法で何度も世界のトップに立った。それがずるいということで潜水泳法は禁止となり、古川は世界から姿を消した。今日の平泳ぎが不自然に頭を上下させるようになったのは、潜水泳法の禁止に端を発している。今日の世界大会のヒーローであるイアン・ソープが偉大なスイマーであることにけちをつける気は毛頭ないが、あの真っ黒な鮫肌のスイミング・スーツは好きになれない。あのような用具の良し悪しで争うよりは、古川のように泳法で勝負するほうがまだ正々堂々としているように思うからである。冬季オリンピックで一時はあれほど強かった日本のジャンプ陣が調子を崩している。板の長さの規定が背の低い選手に不利になるように改められたからである。こういうことについて、なぜ日本のスポーツ界がもっと抗議しようとしないのかが私には不思議でならない。この点では、同じく身体の小さい選手の多い韓国や中国とも共同歩調をとることも可能であろうに、と思ってしまう。

 ゴルフという競技は、なぜあんなに多様なクラブを使うのだろうか? なぜ一本のクラブを使い分ける技術を内にたくわえようとしないのだろうか? いかにもヨーロッパ的スポーツという気がする。用具を用いず、ひたすら身体をきたえる空手などは、いかにも東洋のスポーツという気がする。モノを作りすぎるのは、これからの地球にとってはあまりいいことではないと思うのだが……。
2001/07/22  日曜日  江戸と東京  
 伝説または神話のような話で、真偽のほどは保証できないが、巨人の長嶋監督は、立教大学時代、野球に明け暮れていた。たまに英語の授業に出たとき、教官も事情は知っているので、「長嶋さん、I live in Tokyo.を過去形に直しなさい」と思い切り易しい発問をした。長嶋はしばらく考えて、I live in Edo.と答えたという。

 「入り江の入り口」という意味の自然地名に基づいた「江戸」が「東京」などという無粋な名前に改められたのは明治維新のときだった。「上方のゼイロクどもがやってきてトンキョーなどと江戸を名づけり」という狂歌が当時詠まれたという。「ゼイロク」とは、江戸っ子による関西人への蔑称である。京都に対して東京という、自分たちとは無縁のところでの命名にチャキチャキの江戸っ子が反発したのも無理はない。なお、明治初期には、「東京」はむしろ「トウケイ」と読まれることのほうが多かったらしい。

 中国には北京や南京がある。このように、為政者の勝手でつけられる地名はどこかむなしい。しかし、東洋では個人の名前を地名にする伝統があまりないだけまだ救われる。欧米では個人名に基づく地名が多い。アメリカの首都はワシントンだし、帝政ロシアを倒して成立したソビエト政権は、ピョートル大帝にちなむ首都「ペトログラード」を革命の指導者にちなんで「レニングラード」と改名した。旧ソ連は、古来の都市名をどんどん個人名に基づく地名に変えたが、それが今ではつぎつぎと旧名に復しているのは喜ばしい。これを教訓として、地名をいじくり回すのはやめてほしいと思う。

2001/07/16  月曜日  赤ペン  

 教師という仕事がら、採点や添削で赤ペンを使う機会が多い。私の場合、むしろ黒ペンよりずっと減り方が速い。赤ペンをこんなにたくさん使う仕事は珍しいのではないだろうか? いっぽう、黒ペンはメモ程度にしか使わず、たいていのことはPCを使って済ませてしまう。

 地が白という前提の上で二色刷というと、黒と赤ということになる。なぜ、赤なのだろうか? それは、赤が最も彩度(鮮やかさ)の高い色だからである。彩度は、メラニン色素の多さという単一の基準で計れる明度とはことなる。明度でいえば、赤はかなり暗い色であるらしい。そのことは、白黒写真に撮ってみるとよく分かることである。

 意外なことに、哺乳類は私たちサルの仲間など一部の例外を除けば色覚がない。犬や猫はモノクロの世界を生きている。それどころか、哺乳類は視覚自体が目立って強いわけではないらしい。犬などは視覚より嗅覚からずっと多くの情報を得ている。至近距離からエアガンで撃たれて失明した犬のニュースが流されたが、人間よりはまだあとに残るものが多い。しかし、野生の状態で失明したら、それはすなわち死を意味していただろう。

 私たちの世代は、生物を「高等」「下等」で分ける理科教育のもとで育ってきた。そのような発想でいうと、哺乳類より「下等」な動物はすべて色覚がないように思われるのだが、昆虫にはちゃんと色覚がある。ただ、見える色は人間とはずれていて、人間に見える色が見えなかったり人間に見えない色が見えたりする。私たちが真っ赤とか真っ白とか思っている花も、蝶や蜂の眼には蜜のある部分だけが違う色に見えるらしい。花は私たち人間に見せようとして彩りを競っているわけではない。花粉を媒介してくれる蝶や蜂にこそ見せようと思って咲いているのである。そう考えて見ると、蝶や蜂が見る色こそが、その花のほんとうの色だということができるだろう。

2001/07/13  金曜日  13日の金曜日  

 生徒に読ませる本をさがそうと「本をさがす」というサイトにアクセスすると、Site hacked by Crime Lordz(lords?).と赤字で書かれた真っ黒い画面が出てきた。HOHOHOHOHOなどとも書いてある。今日は13日の金曜日。もとより西洋の迷信に過ぎないが、それに便乗してこういう悪さをする輩がいるのは腹立たしい。アクセスしただけで何か害があるのではと心配したが、今のところ何もない。しかし、しばらくはアクセスしない方が無難であろう。はじめ、こんなことしている奴がいるというつもりで、このサイトにリンクしたが、人を巻き込むことにならないかと思い、書き直した(後日、すぐに復旧)。

 あすは14日である。これを日本語では「じゅうよっか」と読む。意識している人は少ないが、日付で「〜にち」と読まずに「〜か」と読むのは、二日から十日までと十四日、二十日、二十四日だけである。とりわけ十四日と二十四日の読み方は変則的に思えるが、これは「死」につながる「四(し)」という読み方を徹底的に避けた結果である。「四」を「し」より「よん」と読むほうが多いのもそのためであり、「よん」は漢語ではなく和語系統の数詞である。数に神秘性を感じるのは、洋の東西を問わないものらしい。

2001/07/12  木曜日  篠山市  

1999年4月、兵庫県の多紀郡の篠山町など4町が合併して篠山(ささやま)市が誕生した。このように、合併前の一つの自治体の名前が全体の名前になるのは、ほかの自治体からの抵抗があるため、むしろ珍しい。篠山市の場合は、「でかんしょ節」による全国的知名度により、ほかの3町の同意が得られたということだろう。

 地名は文化遺産であり、合併にともない安易な命名が行われているのは好ましくない。東京都大田区は「大森区」と「蒲田区」の合併により、両者から1字ずつとって「大田」としたものだが、このような例は全国各地にみられる。「三和」という町名も各地に見られるが、これは3つの自治体が合併し、仲良くやっていこうということでつけられたものである。傑作なのは山梨県の「清哲町」(現在は韮崎市に合併)の例で、これは、水上、青木、折居、樋口の4ヶ村の名前の一部を二つの漢字にまとめたものである。「東大阪市」「東広島市」なども何とかならないか、という気がする。「備前市」や「日向市」のように、旧国名を使うのも、本来の地域からすれば狭くなりすぎる。篠山市の例や、古い郡名を復活させた横浜市都筑区のような例は好ましい。自分のところの名前が消えて、ほかのところの名前が残るのがしゃくにさわる気持ちも分かるが、改めて地名は文化遺産という認識に立ち、せめてその一つは残すなり、ほかの名前を付けるにしても、もう少し工夫するなりしてほしいと思う。

2001/07/09  月曜日  古舘伊知郎  

 古舘伊知郎というタレントがいる。とにかくよくしゃべる。アナウンサーの出身で、プロレスや競馬の中継で名を売った。アナウンサーの中でも、スポーツアナウンサーはひときわ早口を要求される。古舘のアナウンサー時代、テレビ局に抗議電話が殺到したことがあった。「古舘がうるさい。少し黙らせろ」という内容であった。ところが、この古舘、子供のころはひどく無口な大人しい子だったという。そういう自分がいやで無口を直そうと思ってアナウンサーになったのだが、少し直しすぎたようである。

 スポーツアナウンサーには選手並みの瞬発力が要求される。一人一人打席に入る野球の中継はまだ楽そうに思われるのだが、絶えず動き回り、選手が入り乱れるサッカーの中継はもっと難しそうである。先日のキリン・カップの日本・ユーゴスラビア戦を見たが、ユーゴスラビアの選手のほとんどは、ストイコビッチをはじめとして名前に「ビッチ」がついていた。入り乱れる前から選手の配置に気を配り、何ビッチかを間違えずに中継できるまでには、アナウンサーもかなりの修練を積まなければならないのではないかと思う。

2001/07/07  土曜日  七夕  

インプレス・グループの市販素材集より 「岩波古語辞典」によれば、「たなばた」とは本来「たな(横板)」のある「はた(機)」のことであり、「たなばたひめ」の略語としても用いられ、「たなばたひめ」を主役とする伝説の日へと意味が広がったようである。「たなばたひめ」の伝説は中国から入ったものであり、「七夕」という漢字表記を「たなばた」と読むときは、このうちの伝説の日という意味に限られる。古来中国では奇数が「陽」として重んじられていた。そのため、一月一日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日は、いずれも同じ奇数が重なるという意味で、「重陽」の佳節であり、縁起のよい日とされた。しかし、中国で「重陽」というと、普通は九月九日のことである。九月九日は日本でも昔は「菊の節句」として祝われたのだが、今ではすっかり忘れられている。中国では今も盛大に祝うようだが、その代わり七夕は本家の中国ではほとんど忘れられているらしい。

 今日、結婚式を挙げる若い知人がいる。単に土曜日だということで選んだようで、七夕だということは意識していないようだ。一年に一回しか会えない夫婦にならないよう祈る。

2001/07/06  金曜日  能率と幸福  

 店の前に自動販売機がある。ジュースを買いたいとき、人間から買うか販売機で買うかと聞くと、ほとんどの生徒が販売機と答える。その方が能率がいいし、言葉を交わさなくても済むからである。若者はほとんど手紙を書かず、電話で済ます。電話で言いにくいときには、ファックスやEメールという手段も現われた。

 何の本で読んだのか、記憶が定かでないのだが、外国のある老婦人の日常を描いた場面があった。ある日、ふと誰かに手紙を出したいと思いつく。誰に出すかを考える。それが決まると何を書くかを考える。それから切手と封筒と便箋を買いに行く。買ってきてから改めて文案を練る。書き始めてからも何度も書き直す。おもむろに封筒に入れ、封をして切手を貼る。出そうか出すまいか考える。意を決して外出し、投函する。これで老婦人の一日が過ぎる。

 手紙に比べるとEメールは遥かに能率がいい。最近、私は出せる相手にはEメールで済ますことが多くなっているのだが、それ以前にさかんに手紙を書いていた時期がある。Eメールでは、字は読めれば十分で、正確に書けなくても出せる。私は職業柄、黒板に字を書かなければならないから、字の書き方を忘れるわけにはいかない。初めからEメールというのでは困った問題も出てくるのではないか、という気もする。

 前述の老婦人にEメールを勧めてみよう。しかし、その能率を説くだけではとうてい納得させることはできないだろうし、納得できないことを身につけようともしないであろう。老婦人は手間隙かけて手紙を出すことによってこそ、生の充実感を得ているのである。企業や政党など、明確な目的を持った組織は能率を追求する。しかし、個人が求めるのは生を充実させることによって得られる幸福であって、能率などではない。あるじと客が顔なじみの下町の商店街での買い物になれた人にとっては、自動販売機での買い物も、耐えがたいほど味気ないものであろう。

2001/07/05  木曜日  全員一致は無効?   

 むかし、「日本人とユダヤ人」という本がベストセラーになった。著者は滞日生活の長い「イザヤ・ベンダサン」なるユダヤ人で、自ら日本語で書いたという触れ込みだった。しかし、今では著者が「山本七平」という日本人だということが明らかになっている。その証拠に、この悪書は、今も文藝春秋から「ベンダサン,I.(イザヤ)・山本七平」著として出ている。

 専門のヘブライ学者である浅見定雄氏が怒って「にせユダヤ人と日本人」という本を書いたが、こちらは「日本人とユダヤ人」ほど売れなかった。しかし、今も朝日文庫の一冊として出ている。山本氏はユダヤ人の会議では全員一致で賛成というのは一時の感情に流されていない限りありえないから無効になると書いたが、浅見氏はうろ覚えにすぎないとしてきちんとそれに反論しており、その方が説得力があった。

 もっとも全員一致は無効というのは面白い。小泉内閣の支持率はいまや9割に迫っている。本当に有権者が一人一人考えているのなら、こんな高いパーセンテージはないのではないかと思う。せめて3割ぐらいの不支持率があるのが、健全な民主主義社会ではないか? メディアの悪影響もあるかも知れない。「週刊朝日」が小泉は好き、自民(抵抗勢力)は嫌いという人に「賢い選択」を教えるという特集を組んでいる。小泉が嫌いな人は「馬鹿」なのだろうか?

2001/07/04  水曜日  「金がいいですゥ」  

 シドニー五輪の女子水泳400m個人メドレーで銀メダルをとった田島寧子選手が引退する。「めっちゃくやしい」「金がいいですゥ」と言った彼女である。まだ20歳ということで年齢の限界ということはない。次の五輪も狙えるだろう。それなのに引退するのは、太りやすい体質であるため、体重調整がうまくいかないのにいやけがさしたせいかも知れない。スポーツはいつまでも続けられるものではないからということで、芸能界への転進を考えていたこともあるらしい。芸能界も役によっては、減量の必要があるだろうが、さまざまな役があるので、絶対必要ということもない。

 ひと昔前の五輪選手には、インタビューへのあんな返事は許されなかった。次の五輪への国民の期待を重圧と感じて自殺した円谷幸吉選手のこと(ある日走ったそのあとで参照)を思えば、隔世の感がある。子供のころ、よく相撲を見たのだが、よく「アナウンサー泣かせ」の力士がいた。何を聞いてもしゃべらないのである。あの世代のことだから、本当にしゃべれなかった人もいるのだろうが、親方になるとよくしゃべるのだから、しゃべらなかった、あるいはしゃべることを許されなかったということだったのだろうと思う。今の日本は、選手に重圧をかけることで成績を上げられる社会状況にはない。保守的と言われたスポーツ界も、ようやくそのことに気がついてきたような気がする。
 
 なお、関東人の「です」は、ほぼ完全な"des"だが、関西人の「です」は"desu"ですゥ。がんばれ、ヤッチン!

2001/07/03  火曜日  冷房  

 ひさびさにタクシーに乗った。乗るなり、運転手が「暑いねえ!」という。そちらはずっと冷房の中だから仕事を終わるとき辛いのではないかというと、まったくその通りでなかなか眠れないという。いま、授業中の教室には最近までなかった冷房が入っている。職員室にだけ冷房があるという時期があって、生徒が文句をいっていたのは、もっと最近のことである。冷房が贅沢品ではないということが、浸透してきたように思う。しかし、冷房に慣れてしまうと、暑さに弱くなる。私は暑さより寒さが苦手だったのだが、ちかごろはどちらとも言いがたい。

 学生時代、北海道出身の学生が京都の冬は寒いといっていたのを思い出す。ちびちびとしか暖房をしないからである。寒い北海道では当然のことのように徹底的に暖房するから、こういうことになるらしい。人工的な環境のもとで、われわれの体は次第に適応力をうしなっているようだ。

2001/07/01  日曜日  参院選  

 7月になった。参院選で盛り上がることだろう。一応投票には行くが、支持したい政党がないので、結果に興味はない。一つだけ注目しているのは、定数1の選挙区でどれだけ自民党が勝つかということである。1人区とは、小選挙区制ということである。そこで、どれだけ自民党が独占するかを、有権者は中選挙区(定数2以上の選挙区)や比例区の結果と切り離して注目してほしい。そして、衆議院選挙がすべて小選挙区制で行われたら、どういう事態になるかを考えてほしい。

 小選挙区制は最低の選挙制度である。比例区の非拘束式は、自民党の党派利害(の見込み)から導入されたが、私は今までのような順位をつける方式よりこの方式のほうがいいと思う。自分たちの意思がどう議席に反映するかという重要な選挙制度の問題に対して、有権者の関心が低すぎるのがくやしい。