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よしなしごと2001年5月
★ こいのぼり バリトンの嘆き ドジな猫
ハングルのキーボード 手動のエレベーター
コンピュータが使いにくいわけ 一輪車 「おちゃらけ学園」の紹介
途中 今も昔も やっぱり高熱はこわい 読めそうで読めない人名
瞬発力と持久力 辞書は万能か? ゲンコクの採点 先輩後輩
職員会議 神戸高速 十和田湖を見る
2001/05/30 水曜日 十和田湖を見る 
「見る」ということは、人間にとって決定的な意味をもつらしく、日本語でもさまざまに応用されている。「ためしに〜する」ことを「〜してみる」という。「〜みたいな」という言葉は、明治のころには「〜見たような」というのが普通であった。「みっともない」という言葉は、「見たくもない→見とうもない」をへて成立した。平安文学で「みる」という言葉は、しばしば「一夜をともにする」という意味になる。
「百聞は一見に如かず」という言葉もある。写真というものの無い時代に出来たことばである。人から話を聞いただけでは、それがどういうものか、ありのままに思い浮かべることは難しい。中学生のときじかに見た十和田湖を美しいと思った。それまで写真も見たことがなかったからである。今の日本は世界中の映像が氾濫している。そのため、地球上どこへ行っても、あらかじめ見ていた写真を確かめるだけみたいで感激がない。
十和田湖はカルデラ湖である。くねくねと曲がりくねった道をバスで登りつめたところに忽然と出現した。大昔、この山の上に湖などあると思わずに登った旅人は腰をぬかすほどに驚いたに違いない。時代が下って湖があることを知っていた人でも、自分で見るまではその姿を想像することは難しかったと思う。映像をあらかじめ見られるようになった技術の進歩は喜ばしいが、こういう意味では感動を奪ってしまったような気もする。
2001/05/29 火曜日 神戸高速
「神戸高速」という私鉄(最近は「民鉄」なる言葉もあるらしい)がある。電車が一輌もない。あるのは駅と線路だけで、駅員はいるが、運転手も車掌もいない。山と海が間近に迫った神戸には3本の電車が並行して走っている。北から、阪急、JR (いやな言葉だが、「民鉄」という言葉よりは普及したので使う)、阪神である。阪急から阪神まで歩いてもそれほど大したことはない。阪急は神戸の中心地三宮どまり、阪神はJRと並行してもう一つ西の元町まで駅を持っていた。一方、姫路に本社を置く準大手の山陽電鉄が元町よりだいぶ西の西代(にしだい)というところまで運行していた。この3本の私鉄をY字形に結んで、JRに対抗しようとしたのが、神戸高速というわけである。新会社は、3社と神戸市などの共同出資で設立され、駅や線路も作られた。
おかげでずいぶん便利になったのだが、短区間でも阪急(または阪神)、神戸高速、山陽電鉄を通して乗ると、3社に払うため、なんとJRよりも割高になる。いちいち乗り換えるわけではない。料金だけが高くなるのである。東京の方にこんな私鉄はあるのだろうか? ご存知の方はお知らせ願いたい。
2001/05/25 金曜日 職員会議 
教師はしゃべりたがりが多い。しゃべる職業なのだから当然といえば当然なのだが、度が過ぎていると感じるときもある。職員会議となると決まってよく発言する人がいた。その人が発言するとみんな「出た!」という感じになる。この問題についてはこうも考えられるし、ああも考えられるという話をいくつか並べて、みなさん議論してください、という調子である。自分でどれか一つに決めてからしゃべれとは、みんな思っているのだが、誰もそんなことは口に出しては言わない。
こんな調子だから学校の職員会議はとかく、時間がかかる。ある小学校で、卒業式の紅白饅頭にあんこを入れるか入れないかで2時間議論したという話を聞いたことがある。そんなことで2時間も持つのが不思議だが、最近、生徒に虫歯が多いなどと誰かが言い出せば、ありそうなことだと思う。「そんなこと、どっちでもいいじゃないか」と最初に言ったら顰蹙を買う。しかし、みんなが疲れた頃合を見計らって同じことを言うと歓迎される。
教師がしゃべりたがりであることに助けられることもある。研修会などの司会をするときである。レポートに基づき2時間ぐらい司会をしろと言われる。レポートに内容が乏しいときなど、どうやってこれで2時間も持たせろというのかと目の先が真っ暗になるのだが、不思議とみんなしゃべってくれるので、2時間ぐらいはすぐたってしまうのである。
2001/05/24 木曜日 先輩後輩 
大学時代、人を「〜氏(し)」と呼ぶことがあった。大学には現役もいれば浪人もいる。おまけに留年も多い。高校時代の同級生が大学で上の学年になっても、相変わらず呼び捨てで呼ぶ。しかし、大学に入ったときに上級生である人には、たとえ同い年でも年下でも呼び捨てにはしにくい。
「〜氏(し)」という文章語を会話に持ち込んだのも、このへんのところが確かめられない相手に対する呼び方であった。
考えてみれば不思議な話で、たかが同じ学生同士なのだから、英米人が「ジム」とか「ジャック」とか呼び合うように、互いに呼び捨てでもいいのではないかという気もする。うんと歳の離れた年配者に礼を尽くすことには賛成だが、こんな僅かな差で気を使いすぎるのは無駄なことのような気がする。しかし、今の生徒同士の間でも、先輩後輩の序列意識は、まだ消えてはいないし、見ようによっては、私たちのときより厳しくなっている面もある。。
2001/05/23 水曜日 ゲンコクの採点 
私は今「ゲンコク」を教えている。「現代国語」の略であるが、正式にはこういう名前の科目はもうない。学校時代に、漢字の書き取り以外のゲンコクの採点基準があいまいだという不満を感じていた人は多いことだろう。私も採点の細部について生徒に食い下がられることはある。たしかに、教師によって大きく評価の分かれる問題も少しはある。しかし、大半はどの教師が採点しても同じ問題だし、教師によって評価の分かれる問題が少しあっても、よほどえこひいきでもしない限り、別のところで逆になるので、ゲンコクの採点はけっきょく誰が採点してもほぼ同じ結果が出る。5〜6点の点差なら逆転するこもあるだろうが、それ以上の点差が逆転することはまずないと言ってよい。
2001/05/22 火曜日 辞書は万能か? 
中間試験の採点を終わってほっとした。「勅命を奉じて」を分かりやすく言い換えよという問に対して、「天皇の命令」と書いたのがかなりいた。日本の話ならこれでいいのだが、舞台は中国である。「天皇」は日本にしかいないということを知らないのだろうか?
大学時代の英書講読のとき、shrineを「神社」と訳した学生がいた。古代オリエントの話だから、それはおかしい、「神殿」じゃなきゃと他のみんなが言ったのだが、「辞書に載っている」といって譲らない。日本の神社をshrineと訳すのは常にいいが、日本の話でない限りshrineを神社と訳してはいけない。せんべいを英米人に分かるようにcookieというのはいいが、cookieをせんべいと訳してはおかしいのと同じことである。
2001/05/19 土曜日 瞬発力と持久力
暖かくなったので、バスに乗るのをやめ、駅まで自転車で通勤している。以前はゆうゆうと乗ったまま通過した上り坂を、降りて自転車を押す。筋力の衰えを感じる。ある日、立ちこぎもせず登っていく若者に振り向きざま、「大変ですね」と言われてむかついた。
筋肉には瞬発力を出す速筋と持久力を支える遅筋がある。この両方が人並み外れて発達しているという人はないらしい。オリンピックでも100mとマラソンの両方で優勝したという選手はいまだにいない。魚の場合、速筋は白身、遅筋は赤身だという。白身魚の多くは、沿岸部にいて敵に襲われるとさっと逃げ、一挙に振り切る。これに対して、大洋をゆうゆうと泳ぐマグロは赤身である。東日本では赤身の魚が、西日本では白身の魚が好まれるという傾向は、魚種別の売り上げの統計にもはっきり表れ、両方で暮らした私の実感とも一致している。
中学のとき、Y君というクラスメートがいた。人一倍背が低い上に細く、しかも童顔であった。ところが、このY君、長距離となるとめっぽう速い。運動会の種目には、校外に出ていくマラソンがあったが、Y君はもちろん選手に選ばれた。そして東京オリンピックのアベベのように、ぶっちぎりで優勝した。彼のゴールにかなり遅れて、二人が最後のスパートで2位を争った。体の大きいゴンタクレ同士で、何かと有名人だったが、二人とも完全に顎を出しながらのデッドヒートであった。
2001/05/18 金曜日 読めそうで読めない人名 
ニューヨークに住む上村(うえむら)さんのところに為替が届いた。しかし、ローマ字表記がKamimuraとなっていたため、支払いを拒否された。日本では同じ字を「かみ」とも「うえ」とも読むんだと言ったが、信じてもらえなかったそうである。アメリカでもReagan元大統領が初め「レーガン」ではなく、「リーガン」と読まれていたようなことはあるが、日本ほど極端なことは世界の他のどの地域にもないだろう。「角谷裕介」という人は何通りの読み方があるだろう?
誰でも読めそうなのが違うという例もある。「中本」で「あたりもと」(「的中」「命中」の「中」だ!)と読む人に会ったことがあるし、下の名前が「忠(きよし)」という知人もいる。ただ、「忠」の字のもとの意味は人に対する真心ということであり、主君によく仕えるという意味は後に発生したものというから、「きよし」の方がむしろ本来の意味に近いともいえる。
1932(昭和7)年、前の朝鮮総督の斎藤実が総理大臣になった。「実」という名前はそれまで「みのる」と読むのが普通で、「まこと」と読むのは珍しかったのだが、この年に生まれた子にはそれにあやかって「まこと」という名が多かった。作家の小田実氏もその一人である。今年生まれた子には「純一郎」という名が多くなるのだろうか?
2001/05/17 木曜日 やっぱり高熱はこわい 
40代のころ、真夏に高熱を出したことがある。なんと42度! 赤ん坊ならよくあるが、
いい歳した大人が出す熱ではない。近くの総合病院にタクシーで行ったところ、若い医者が「肺炎かも知れません。すぐ入院してもらわなければいけないかも」といいながらレントゲンをとり、解熱の注射をした。小一時間横になっていたら、普通の高熱になったので、家に帰された。翌日その病院に行くと総合病院だから昨日とは医者が代わって中年である。レントゲンを見ながら「なぁに、こんなのほっとけば治る、治る!!」という。最初「入院」という言葉を聞いたときには「ぎょっ!」としたが、今度は「ほっ」とした。若い医者はすぐうろたえるのかも知れないが、経験豊かな医者同士でも、診断がまるで違うこともよくある。そういう時は、細かい流儀はお任せすることにして、危険かどうかだけは見極めてくれよと患者としては言いたくなる。私の高熱は意外とあっけなくおさまった。あとで考えたら恐ろしいが、高熱を出している間はひたすら「ぼーっ」としていて恐ろしいと感じる能力も失われていた。
学生のころ、やはり高熱を出して下宿で一人で寝ていた。若いせいか、自分の健康には自信があって、医者に行こうとは思わなかった。そこにたまたま地元出身の友人が遊びに来て私の額にさわって驚き、自分の小さい頃からのかかりつけの医者のところへ連れていってくれた。「大丈夫、大丈夫」とうわごとのように繰り返したのだが、無理やりタクシーに押し込まれた。医者からは「もうちょっとで肺炎になるところだ」と脅かされた。
昭和天皇が亡くなった朝、私は喪服で町を歩いていた。前日の夕方、昔の教え子から突然電話がかかってきて、同級生が急死したと葬儀の場所を連絡してきていた。まだ26歳だった。年末に風邪をこじらせたようである。遠方に就職し、独身寮で暮らしていたが、とくに病弱なわけでもなかったので、若さへの過信で医者にかかるのが遅れたのかも知れない。年末ですでに病院の多くが休業になっていることも災いしたのだろう。両親はこらえていたが、おばあちゃんが泣き崩れて見てはいられなかった。やはり医者にはできるだけ早くかかるのが望ましい。
私の知っている年配の人が37度程度の微熱が続き、ただの風邪だと思って医者に行き、肺炎だと宣告されてちょっとだけ入院させられた。こんな低い熱なのにと不思議がったが、歳をとると熱も出せないのだと言われて、余計落ち込んでいた。
2001/05/16 水曜日 今も昔も 
九州から二人で上京して投身自殺をした女子高生は、人気グループ「野猿」の解散を悲観したのではないか、ということが新聞に「?」つきながら報道されている。弘化4(1847)年5月9日、江戸の永代橋の下の隅田川に商家の十代の娘3人の溺死体が浮いた。芝居見物のあと料理屋に寄り、帰りが遅くなったことを叱られることを恐れての心中だったという(毎日新聞社『幕末の素顔 日本異外史』による)。若い命は、大人から見れば些細な不安を、それまでで最大の不安だというだけの理由でどうにもならないものと思い込み、死に急ぐ。惜しい、痛ましい、何ともやりきれない。
2001/05/15 火曜日 途中 
今日は出張だった。いつも行く近くなのだが、たまたま発車時間と一致したために、乗ったことのないルートのバスに乗った。途中で幕末ぐらいのものではないかと思われるほど古い家を見た。ルートを変えると思わぬ発見があることがある。
滋賀県に「途中」という地名がある。今もあるかどうか分からないが、京都で学生生活を送っていたころには、京都市内から「途中」行きのバスが出ていた。どこか分からないところで無理やり降ろされるのではないかと思って、変な気がしたものである。
「旅」の醍醐味は「途中」にあるのだろうが、「旅行」はひたすら目的地と往復するだけである。旅行プランなどはいかに能率的に時間を使うかが勝負のようだ。旅行会社の人は、よく旅行プランを「商品」というが、今でもなじめない。
途上国でバスが立ち往生すると、乗客は思わぬ余暇が出来たと思って、見知らぬ人とのおしゃべりを楽しむという。日本人がいたらかっかするところだろうが、さいわいそんなところに行く日本人はめったにないだろう。昔の日本人はもっとのんびりしていたという小さいころの記憶が今もかすかに残っている。人生も旅だ。途中を楽しまなくってどうする?
2001/05/11 金曜日 「おちゃらけ学園」の紹介 
2001/05/10 木曜日 一輪車 
いい歳こいて子供につきあって一輪車に乗ろうと思ったことがある。子供はさっさと乗れたのに、私はまったくだめで、すぐあきらめた。どうしても恐怖心が先立ってしまう。スポーツ万能の友人も同様だったと聞いたので少し安心した。
私の子供のころ、一輪車はサーカスの出し物だった。当時はあんなどんな実用性があるのか分からないものが売れる時代ではなかったので、みんなすごい神業だと思っていたものである。
急坂を器用に上り下りする小学生(女の子が多い)を見ると、身につけられるときに身につけられなかったことは、一生身につかないのだなと思う。
2001/05/09 水曜日 コンピュータが使いにくいわけ 
本川達雄氏の「ゾウの時間 ネズミの時間」(中公新書)に、つぎのような一節がある。
「人間との相性ということからみれば、道具が、手や足や目や頭の、すなおな延長であれば、それに越したことはない。作動する原理が、道具と人間とで同じならば、相性はよくなる。残念ながら、コンピュータやエンジンは、脳や筋肉とはまったく違った原理で動いている。だから操作がむずかしいのである。自動車学校にみんなが行って免許をとらなければいけないこと自体、車というものが、まだまだ完成されていない技術だという証拠である。
本川氏は、他に車が未完成な技術である証拠として、速く走るために障害物や段差のない舗装道路をわざわざ作らなければならないことを挙げている。速く走るために脚の代わりに車輪を持つ動物がいてもよさそうなのに、そういう動物がいないのも、自然の世界には障害物や段差のない道などないからだという。なるほど!
この本を読んで、コンピュータが使いにくい道具である理由もよく分かった。人間とはまったく違った原理で動いているからである。パソコンをしていて、腹立たしいことは、操作の仕方を覚えても、マニュアル通りに反応してくれないことが、けっこう多いことである。しかし、コンピュータはコンピュータで一貫した論理で動いているのだという説明を同僚の理科教師から聞いたが、あまり理解できなかった。学校というところは、いろいろな専門の人がいるので、こういうときは便利である。われわれ人間としては、コンピュータの生理を把握しないと真に自分の脳のようには使えないと言うことだろうが、そこまで行けるのは一部の専門家だけであるように思う。
2001/05/08 火曜日 手動のエレベーター 
学生時代のこと。ニューヨークで安宿(たしかStrand Hotelとかいった)に泊まった。アメリカのホテルではだいたいバスとトイレが同じ部屋にあるのというのになじめなかったのだが、そこのバスはとくにひどかった。客が入る平均水位あたりに垢らしきもので一直線に仕切りが入り、そこから下に茶色っぽい部分がひろがっている。
そのホテルで最初に驚いたのは、実はチェックインしたときからである。部屋まで行こうとエレベーターに乗り込んだとたん、手でぐるぐるワイヤーを巻き上げる手動式であるのに驚いた。閉じ込められたらたまらないと思い、フロントに向かって動かしてくれ!!と叫んだところ、世話の焼ける奴だという顔をしながら、私の泊まる階まで上げてくれた。
日本がエレベーターを導入したのが、エレベーターのこういう開発時期を過ぎたあとだったために、私のように初めてこんなエレベーターを見て肝をつぶす日本人が出てくるということだったのだと今にして思う。30年も前のことなので、今では世界中どこに行っても、さすがにあんなエレベーターはもうないだろう。
2001/05/07 月曜日 ハングルのキーボード 
ハングルのキーボードは、左手で子音を右手で母音を打ち込む方式になっているので、覚えやすいし、能率的である。私は、日本語を打ち込むときには今もローマ字入力をしている。かな入力の場合、ローマ字の配列とはまるで関係なくかながキーボードに割り当てられている。私は、すでにローマ字でのブラインド・タッチができるようになっていたため、新たにかなの配列を覚える気にはなれなかった。ハングルの配列も、ローマ字の配列とはまるで無縁である。QWERTY配列が左右で子音と母音を分けているわけではない以上、当然のことである。
ハングルの配列は、辞書で用いられる「カナタラ……」という配列とも縁がない。かなの配列が「アカサタ……」という配列でないのと同じだが、ハングルの場合は、音の性質に配慮して決められている。さらに、かなの配列より楽そうなのは、ハングルが子音と母音に分けられる字であるために、かなと違って4段を使う必要がなく、ローマ字同様、文字入力については3段ですむということである。
かな入力には、たとえば、Aがかなでは「ち」という具合の互いに無縁な配列をうまく頭や指をを切り替えて使えるかどうかという不安がある。ハングルの場合は、この切り替えはより容易である。
2001/05/03 木曜日 バリトンの嘆き 
久しぶりにカラオケで歌った。私の声はバリトンだが、子供のころはキンキン気味のボーイソプラノだった。高校生のころ、クラスで合唱をしたことがある。すでに声変わりしていたので、私たちのパートは当然低音部だった。主役はもちろん高音部で、私たちは伴奏のような役割だった。ときどき声を出しては沈黙するという連続で、メロディを通して歌うという楽しみがまったくなかった。その記憶があるので、今でもカラオケでは無理して高音を出そうとするのだが、すぐ息切れしてしまう。オペラでも主役はソプラノとテノールである。どうも低音というのは、地味すぎる、と今でも思っている。
2001/05/01 火曜日 こいのぼり
こいのぼりの季節となった。こいのぼりは季節物だが、ドイツのある水族館では、こいのぼりが一年中空を泳いでいるという。館長が日本に来たとき、気に入って買って帰り、その水族館のシンボルとしたということだ。こういう文化の「誤訳」は楽しい。こいのぼりはやはり日本の五月の空でなければ似合わないなどというこだわりを持っていたら、日本は世界に対して何物も発信できない。考えてみたら日本人も他文化の産物をずいぶん違う文脈で受け入れている例が多いだろう。日本のこいのぼりは日本のこいのぼり、ドイツのこいのぼりはドイツのこいのぼりなのである。
しかし、外国人が日本のこいのぼりについて語るときには、やはり正確に理解してほしいと思う。『ティファニーで朝食を』というアメリカ映画には、若い男女がいちゃいちゃするのが気に食わないのか、しょっちゅう怒鳴り込んでくる日本人とおぼしき三枚目のおやじが出てくる。そのおやじはベッドの上に、なんと提灯を吊るして寝ているのである! 松田優作の出た『ブラックレイン』には、とても日本の村とは思えぬ風景が日本の村として出てくる。土も赤土で、東南アジアの山地民族の村のように見えた。もっとも、こちらもそう見えると言い切れるほど、山地民族の文化を知っているわけではない。それにしても、『ブラックレイン』には、日本の俳優もたくさん出ていたのに、誰も文句を言わなかったのだろうか? どうも不思議である。
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