よしなしごと2001年4月

  甲子園と沖縄  ダイヤ編成 医学部が難関でいいのか?
高所恐怖症  Do you live here in Atlanta?  大リーグの強み
夢の話 大きくなったら  中学生からのメール  中学生への返信
同窓会  明日があるさ  山月記

2001/04/29 日曜日  山月記  

 中島敦の『山月記』の授業を終えた。漱石の『こゝろ』、鴎外の『舞姫』、芥川の 『羅生門』と並ぶ高校の教科書の定番である。しかし、他の三つの作者がいずれも知らぬ者のない有名人なのに、わずか34歳で亡くなった中島の作品がなぜそれに伍しているのだろうか? しかも、掲載率は、ビッグネームを抑えて堂々の一位だという。

 『山月記』は、人間が虎に変身してしまうという中国唐代の伝奇小説『人虎伝』の設定を借りた中島敦の創作である。授業をするにあたって、「才能の有無を問わず人間は努力しなければだめだ」などというお説教のような話と受け取られないよう注意した。持病の喘息に苦しむ中島は、すでに20代のころから、自分の余命がいくばくもないことを自覚していた。『山月記』の主人公李徴は、外形は虎になりながら、まだ人間としての内面を保っているが、内面が人間にもどる時間が日に日に短くなっていくことに苦しむ。李徴は、自分に残された時間のほとんどないことに苦しんだ、作者中島敦の分身なのである。 授業のとき、中島の持病が喘息だというと、「喘息なんかで死ぬか?」という声が出た。新しい世代は、古い世代が教えない限り、自分たちの時代の常識しか知らない。 

2001/04/27 金曜日  明日があるさ  

 缶コーヒーのCMに始まった「明日があるさ」が大ヒットしている。言うまでもなくリバイバルソングである。リバイバルソング自体は年長者には懐かしく、若者には初めて聞くため新鮮に聞こえるということで、ちかごろ珍しくはなく、むしろ安易に濫用されているきらいがある。その中で、この歌がここまでブレイクするのは、やはり「あしたがある」という単純な繰り返しのためだろう。「あしたがある」といっても、その取り方は年齢により異なる。若者にとっては、楽しい今の続きとして「あしたがある」のだろうが、年長者にとっては、「あしたがある」とは、今がいやだということの裏返しの表現にすぎない。不景気風が吹いても、家の外壁が昔にくらべればだいぶしっかりしているので、その中に庇護されている若者まで震え上がらせることはない。

 「あしたがある」は坂本九のヒット曲だが、御巣鷹山に散った「キューちゃん」を若者は知らない。「キューちゃん」と聞いて思い浮かべるのは、高橋尚子かきゅうりの漬物ぐらいのものだろう。子供の頃、大人たちが昔のスターの話をしているのを聞いて、何が面白いのだろうと思っていたものである。化け猫映画でいつも化け猫の役を演じていた入江たか子という女優がいた。戦前は正統派の美人女優だったそうで、大人たちは気の毒がっていた。宇多田ヒカルの母親の藤圭子の話などを生徒にするときなど、昔の大人たちの気持ちが今更のように分かったような気になる昨今である。 

2001/04/25 水曜日  同窓会  

 同窓会というものがある。最長で小学校の6年、大学は4年、中学・高校は3年に過ぎない。そんな短い期間をともにしたからといって、どうして再会したがるのだろうか? それは、3〜6年という時間を長いと感じていた頃の仲間だからである。

 高校卒業後、35年ぶりに同窓会に参加した。それまでにもあったらしいのだが、関西に来た私は所在不明ということになっていたらしい。それがネットで私のサイトを見つけた同級生からの連絡で参加することになった。

 不思議なことに、顔を合わせてしばらく考えれば、みんな誰だか分かるし、会ったとたんに思い出す奴もいる。白髪頭をじっと見ていると、突然昔の顔と一致する。

 同級生の大半は今も関東に住んでいる。だから、駅などで久しぶりに再会する機会も多いらしい。年にせいぜい1週間程度しか関東にいない私は、そういう話題にはついていけない。

 今までの自分の道筋を考え直す機会として、同窓会は面白いと思った。新幹線代も惜しいとは思わなかったものである。

2001/04/24 火曜日 中学生への返信  

きのう来た中学生のメールを読み直し、急いで返事を出したため、質問の意図を誤解していたことに気づいた。下記のような新しい返事を送った。「選挙制度の話」を読んでメールを送ってきたものと思うが、こういうことにも答えることもあるとは予期していなかった。専門外のことなので、読者の中で「おかしい」と感じられた方は御教示いただきたい。

 ごめんなさい。前の返事はあわてて出したので、君の意図を誤解していたようですね。別に自分が総理大臣になりたいというわけじゃなかったね。僕は、専門家じゃないから、正確ではないかも知れないけど、分かる範囲で答えます。くわしいことは、本やネットで調べてください。(信太一郎)
 
 日本の場合、首相は国民が直接に選ぶのではなく、国会議員によって選ばれます。これを議員内閣制といいます。国会議員は政党に分かれていますから、政党ごとに自分のところの党首に投票します。単独で国会の過半数を占める政党があれば、その政党の党首がそのまま首相になります。日本では長く、自民党が国会の過半数を占めてきましたから、自民党内の選挙で選ばれた総裁が、首相になる時代が続いてきました。自民党の総裁選挙は、国会議員の票のほか、各都道府県連からの票を加えて争われます。都道府県の票が誰に回るかは、それぞれ党員による選挙で決められます。
 
 国会で選ばれた首相は、国会の制約を強く受けます。何かしようと思っても、法案が法律として成立しないと、政策は実現できません。そのため衆参両院で過半数の支持常に確保しておかなければならなくなります。
 
 いまの自民党は参議院では過半数をとれていません。このため、連立といって、公明党や保守党と手を組んでいるのです。しかし、首相は圧倒的に大きい自民党から選ぶことで了解ができていますから、今も自民党の総裁選挙が実質的に首相を決めています。
 
 自民党は、過半数を割ったことはあっても、国会での第一党の座を失ったことはありません。しかし。過半数を確保しない限り、いつも自分のところから首相を出せるとは限りません。共産党以外の中小政党が連立して日本新党の党首の細川さんを首相として、自民党を野党にしたこともあります。野党とはならないまでも、過半数確保のため、連立を組む社会党の村山さんに首相を譲ったこともあります。
 
 社会党はそれまでずっと自民党とは対立する政党だと考えられてきました。自民党と連立するために、それまでの主張の多くを180度変えたりしました。これは、社会党に投票した国民の意思ではありませんでしたから、「裏切られた」と感じた支持者の多くが離れていきました。議員内閣制では、このように政党間の取引で首相が決まるため、国民の意思とは反する結果が生まれることがあります。 首相を国民の直接選挙で選ぶ首相公選制が唱えられるようになったのも、このような経過があったからです。
 
 首相公選制を実現するには、憲法を改正しなければなりません。しかし、その際についでに憲法のほかの部分、とくに武力放棄を規定した第9条まで変えられるのではないかと警戒する人が多く、これが首相公選制実現を難しくしてきました。小泉さんは首相公選制の実現以外に憲法は変えないと言っているようですね。憲法の改正は、国会議員の3分の2以上が賛成し、国民投票で国民の過半数が賛成することが必要ですから、なかなかできないのです。首相公選制を実現するには、首相の権限をこれまでとどう変えるのか、あるいは変えないのかも含めて、広く支持を集められる内容にすることが前提となります。
 
 国を代表する人を「元首」といいます。元首としての大統領を国民投票で選ぶ国はたくさんありますが、首相を国民投票で選ぶ国はあまりありませんでした。しかし、 日本の場合、天皇が「元首」なのかという問題があります。憲法の規定では単なる「象徴」なのだから、首相を公選制にすることに何の差支えもないということで、首相公選制が現実味を帯びてきました。イスラエルが元首である大統領を実権のない名誉職とした上で、首相公選制を実現したことも追い風となっています。
 
 なお、総理大臣の「大臣」とは、「大きな臣(家来)」ということです。昔の憲法では日本の元首は国民の制約を受けない天皇でした。だから、「大臣」というと偉そうですが、「大きい」とはいえ「家来」であることに変わりはなかったのです。総理大臣の通称である「首相」の「相」にしても、「助ける」という意味がありますから、天皇を象徴とした今の憲法のもとでは、その呼び名を考えなおす必要もあると思います。

2001/04/23 月曜日 中学生からのメール  

 今日、下記のようなメールが届いた。Sのところに本名が書いてあったのだが、仮名とした。

「できればすぐにでも返事が欲しいです。自分は中3で名前はSといいます。今、社会で総理大臣に選ばれるまでの道順を調べているのですが、 わかりません。おしえてください。」

「う〜ん」と思って次のように返信した。

「総理大臣になる方法を知っていたら自分がなっていたかも知れません。というのは冗談で、なろうとあまり思わなかったので、総理大臣になる方法は知りません。だから、YAHOOの検索またはgoogleに「総理大臣(スペース)なる方法」と入力して調べてください。けっこうたくさん役に立つ情報が出てきます。
総理大臣になるのなら、つぎの二つのことを考えておいてください。
@威張りたいからなるのではなく、たくさんの人を幸福にすること。
A日本のためだけではなく、人類のためになることをすること。

21世紀をよい世紀にしてほしいと思います。(信太一郎)

2001/04/20 金曜日 大きくなった  

 子供が小さいとき、おばあちゃんに「○○ちゃんが大きくなったら何になるの?」と言われて 「かばになる」と答えたことがあった。おばあちゃんは、「じゃあ、動物園に会い に行くからね」と笑っていた。私も子供の言いたかったことが分からず、一緒になって笑っていた。

 大人の言う「大きくなったら」はいわば比喩的表現である。子供はそれを文字通 りの意味でとったのだろう。めだかが大きくなったらくじらになるというのと同じ発想である。小さい子供は、背の高さと年齢を混同することが多いという。「かばになる」と答えた子供は、今ではおばあちゃんよりはるかに背が高くなっている。

2001/04/18 水曜日 夢の話   

 朝起きて、理由も分からず気分が悪い時がある。そういう時は、何かいやな夢を見たのに、起きた時はその内容を忘れており、ただ悪夢を見たときのいやあな気分だけが残っているのだという話を聞いたことがある。なるほどと思わせる話である。覚えていたくない夢だから忘れるのかも知れない。うなされるような悪夢を見た記憶はないが、こんな夢を見たことがある。夏休みに入った初日のことで、なんと2学期が始まる夢であった。そんなばかな!夢も希望もない、と思った瞬間に目をさました。夢の中でこれは夢ではないかと思った瞬間に目をさますことが私には多い。

 夢はいい夢ばかりではない。最近私は夢を見なくなった。文字通りの夢のことである。あるいはただ物忘れがひどくなっただけのことかも知れない。

2001/04/17 火曜日 大リーグの強み  

 イチローも新庄も野茂も佐々木もいなくなって日本のプロ野球がつまらなくなった。大リーグの強みは、外国人枠がないことにある。王貞治や張本勲が大リーグに行っていたらどれほど活躍しただろう? もっとも、その場合は王(中国人)はWANG、張本(韓国人)はCHANGと背番号の上に書くことになっていたかも知れない。

2001/04/15 日曜日 Do you live here in Atlanta?  

 大学生時代にアメリカに行ったことがある。「グレイ・ハウンド」という長距離バスのネットワークに乗って大陸をかけめぐった。アトランタという町でバスを降りて歩き始めたばかりのとき、若い白人のGI(兵隊)がつかつかと私の方に近寄ってきた。当時の私は20代だったが、彼はどうみても10代で、軍服が全然似合っていなかった。"Do you live here in Atlanta ?" という。そのあと早口でごちゃごちゃ言うのだが聞き取れない。でも、「○○に行きたいのだが、どうすればいいのか?」ということであることは分かった。頭の中で受験勉強をやり直し、"I came here for the first time in my life !" と答えると、恐縮して立ち去った。今にして思えば、彼の感覚はすばらしい。道に迷って誰かに聞こうと思った時、たまたま最初に目に入ったのが私だったというだけのことだろう。どう見ても東洋人の私に聞くのがおかしいと感じた私の方が間違っていたように思う。

 今、日本で、外国人としか見えない人が切符売り場の前あたりでうろうろしていることがある。周りの日本人は誰も話し掛けようとしない。アメリカではこんなことは絶対になく、すぐに誰かが話し掛けてきて助けてくれた。そののち行った韓国でも、日本よりは遥かにましだった。道に迷っている外国人に日本ほど冷たい国はほかにない。言葉なんかできなくても、助ける方法はいくらでもある。


2001/04/10 火曜日 高所恐怖症  

 「高所恐怖症」という言葉がある。「症」とつく限り病気らしい。しかし、人間なら誰だって高い所はこわい。昔の生徒で26階建ての高層マンションの最上階に住んでいて、毎日通路の手すりにぶらさがって筋力を鍛えているという生徒がいた。こうなると、「高所平気症」だと言いたくなる。

 そのころの同僚に平屋に住んでいる人がいた。私の家(マンションの11階)に遊びにきたとき、下を見ると怖いといって、通路の壁に沿って蟹のように横歩きするのには驚いた。途中、メーターボックスが出っ張っているところがある。そこでは一歩前に出なければならない。「ヒーッ」と言って座り込んでしまった。こういうのが「高所恐怖症」なのだと思った。 当時すでにいい歳をしたおじさんである。

 私は「高所恐怖症」でも「高所平気症」でもない。観覧車やロープウェイはもちろん、飛行機も割と平気である。しかし、潜水艦だけには死んでも乗りたくない。「閉所恐怖症」なのである。「高所」が「閉所」でもあることを考えればおかしな話である。

2001/04/09 月曜日 医学部が難関でいいのか?  

 医学部は昔から難関だった。しかし、私が大学を受けたころには、さほど突出した難関ではなかった。それが今は他の学部を圧倒的に引き離している。もちろん人の命を預かる職業なのだから、あまりに不勉強なのになってもらっては困る。

 私がむかし住んでいた町に、とても評判の悪い救急病院があった。「あそこに運ばれたら生きて出られない」などと言われていたインプレス・グループの市販素材集より。あそこの医者は、手術で患者の腹を開けておいてから本を出して勉強するなどという噂さえあった。

 しかし、中には医者に向いていないのではないか、と思う医者もいる。私の子供が小さいころ、中耳炎で高熱を出した。ある耳鼻科医のところに連れて行くと泣き叫んだ。医者は露骨にいやな顔をして早く泣き止ませろとえらそうに命令した。その後、知人がやはり子供を病院に連れて行って、とんでもない偉そうな医者がいると言ってひどく憤慨していた。聞いてみると、私が連れて行ったところと同じところだし、まともに喧嘩したようだった。知識も技術もない医者も困るが、こういう医者も困る。今の医学部入試が難しすぎるために、意欲や適性のある人が医者になれていないのではないかという心配もしたくなる。「もう少し成績が上がったら医学部を受ける」などという受験生もいる。自分としての志がないのではないかと疑いたくもなる。

 今は、社会全体が志のない社会なのかも知れない。だから医者になるといっても、収入や名声が目当てという例が多い。しかし、医者というのは、なってみれば、意外と地味な職業だと思う。学生時代、医学部の友人がいたが、解剖実習が始まると、学校に出て来れなくなるのが、毎年一人二人はいると行っていた。その友人に解剖用の死体置き場を見に来ないかと誘われたことがある。白衣を着て入れば分かりゃしないというのだが、断った。見ていたら人生観も変わっていたかも知れない。そういう死体は古い死体ばかりで、「死にたて」のきれいな死体はない。真新しい死体はいろいろな病原菌が生きているので、解剖する側が危険にさらされるのだという。

 軍医として最高の出世をした森鴎外以来、医者でもある文学者というのは数多い。文学は余技で出来るのだが、あるいは医者にならなかったら、余技ではできないさまざまな分野で活躍できた人材もいるかも知れない。この社会は多様な人材を必要としている。優秀な人材があまりに医者志望に固まりすぎるのも、社会のためにいいことではないのではないかという心配もしたくなってくる。

2001/04/05 木曜日  ダイヤ編成  

 きのう横浜から帰ってくる新幹線が遅れた。浜松の手前では、先行するひかりに急病人が出て浜松に臨時停車、急遽病院に搬送したという。京都の手前でも、やはり先行するひかりが乗客をドアにはさんだとかで遅れた。しかし、その分飛ばしたらしく、ついたときにはさほどの遅れではなかった。

 学校では新学期になると時間割を組む。私も経験があるのだが、これがたいへんに難しい。しかし、列車のダイヤの編成は、一本の線だけの編成ではすまず、四方八方につながっている。さぞかし大変な仕事だろうと頭が下がるが、一歩間違えば人命にもかかわるだけに、うまくいって当然というふうにしか見られていない。

2001/04/01 日曜日 甲子園と沖縄  

 センバツで沖縄の宜野座高校がベスト8に進出した。とはいえ、今日の桐光学園戦は、 9回裏の猛反撃をかわしての勝利だった。こういうとき、昔の甲子園なら異様な雰囲気 になった。球場全体が沖縄の応援団に変わってしまうのである。とくに、復帰前に沖縄から参加していたときがそうだった。しかし、今では他の試合と雰囲気に何の違いもな い。相手チームのことを考えてもこのほうがいいに決まっている。沖縄を特別視しなくなったということだろう。沖縄の学校が強くなったせいもある。

 大阪市の大正区は沖縄出身の人がとくに多いことで知られる。差別の中で集住が進んだからである。こういう差別は国家自体が作り出していた。日本の軍隊は出身地別編成されていたのだが、沖縄出身の兵隊だけはばらばらにされて他県の軍隊に入れられていた。官選の知事にも沖縄出身者は任命されなかった。

 話は変わるが、出身地別に編成された軍隊では、九州の連隊は攻めるのに強く、東北の連隊は守るのに強いと言われた。守るも攻めるも弱かったのは都会の連隊で、「またも負けたか八連隊」といわれた大阪を筆頭に、逃げさえしなければ勲章ものといわれた京都、そして東京がそのあとに続いた。関西の方が上位(?)に来ているのは、代々の都会人が東京以上に多いためもあろうが、やはり文化の反映かも知れない。