よしなしごと2001年3月

逃げたいと思うと  法治国家  あいづち
落し物  アダルト・サイト  地震   読みにくい地名
上戸下戸  感覚の「優劣」

2001/03/30  金曜日   感覚の「優劣」  

 むかし『身辺の思想』という本を読んだことがある。著者はたしか多田道太郎氏だったと思う。この本では、人間の五感を優等感覚(視覚、触覚)と劣等感覚(嗅覚、味覚、触覚)とに分けて論じていた。分節化ができ、絵や音楽のように芸術の対象となるのが、優等感覚の特徴だという。いくつもの言語を話せると感心されるが、どこの料理でも食えるというと、ただの食いしん坊とみなされる。芥川龍之介は、随筆の中で、食にこだわる京阪あたりの人士を軽蔑するように書いていた。

 しかし、今は違う。「グルメ」という言葉はすっかり日本語の中に定着し、一時の流行ではなくなった。グルメ番組でもっともらしく講釈をたれているゲストがいると、本当に分かっているのかと疑いたくなる。不愉快なのは、「ゲテモノ」を食べるということでタレントなどが大騒ぎしている番組である。それも、そういうものを食べている国でやっているのだから失礼だ。味や匂いというものは、たしかに偏見の材料になりやすい。しかし、食も文化である。食べられるものを発見し、さらに食べやすいように作り変えることが人間の知恵であることは間違いない。いくつもの言語が話せる人が尊敬されるように、どこの料理でも食べられるという人も尊敬されていいように思う。
2001/03/29  木曜日  上戸下戸  
 卒業生が2浪の上、志望校に合格した。私は名前の通り「1浪」の経験しかないが、 嬉しかったことはよく分かる。職員室では、彼は日本酒を飲みながら受験勉強をして いるという噂があった。20歳過ぎているのだから文句をいう筋合いはない。しか し、最近メールをやりとりする卒業生(現役で進学)からのメールによれば、彼は、 「顔に似合わず」、まったくの下戸で、卒業生同士で飲みに行ってもビールをちょび ちょびやるだけで、日本酒なんか飲んだらぶっ倒れるという。ウォツカなど飲んだら死ぬかも知れない。それより一見飲めそう に見えない(と私も思う)卒業生が、「鬼のように」飲むそうで、「あのままではドクタ ー・ストップがかかる」と心配していた。

 飲めるかどうかは見かけでは分からない。高倉健がまったくの下戸で大のコーヒー党であることはよく知られているが、俳優で飲めそうで飲めない人には(古い人ばかりで恐縮だが)故若山富三郎や小沢昭一がいる。小沢昭一は酔っ払いの演技が上手な ことで知られているが、考えてみれば、自分が酔っ払ったのでは、観察する余裕はないだろう。小沢昭一は、つぎの公演の打ち合わせのために劇団員を集めるときには、よく甘党喫茶を利用するそうだが、そのたび劇団員たちは白けたという話を彼の劇団 にいたことのある人に聞いたことがある。

 われわれ東洋人には、アルコールを分解する酵素を生成できない体質の人(白人や黒人にはいないとか)が4分の1ほどいるそうだ。幸か不幸か、私はどうも4分の3の方に入るらしく、飲める方である。

2001/03/26  月曜日  読みにくい地名  

 どこにでもあるのだろうが、私の住む兵庫県もけっこう変わった読み方を する地名が多い。変わった読み方といっても、島根県にある十六島(うっぷるい)ほど変わっているわけではなく、誰でも読めそうでちょっと違うという例が多い。阪神電鉄に「青木」という駅がある。「おおぎ」と読む。 阪急電鉄には「小林」があるが「おばやし」である。  

 比較的長距離のバスの発着場に「三田、篠山、柏原」方面とある。遊び に来た中学時代の同級生に読んでみろというと、予期した通り、「みた、 しのやま、かしわばら」と読んだ。正解は「さんだ、ささやま、かいばら」 である。デカンショ節で有名な篠山ぐらいは読んでほしいが、他は知らな くても無理はない。「かいばら」は「かしはら」が音便化したものであろ う。

 柏原は、信長の直系ではないが、代々織田氏が藩主をつとめた小城下町である。神戸電鉄というローカル私鉄には「二郎」という駅があり、「にろう」と読む。「麻生(あそう)」「桐生(きりゅう)」などある種の植物の群落のあるところに「生」の字のつく地名が多いが、これはおそらくもとは「韮生(にらふ→にらう→にろう」となって、あとで当て字したものと思う。神戸市内には「板宿(いたやど)」という地名があるが、全国ニュースで「いたじゅく」と読んでいた。たぶん、東京のアナウンサーであろう。

2001/03/25  日曜日  地震  

 きのう子供と話をしていたときに、久しぶりに揺れた。地震である。 すぐテレビをつけると、震源は広島県らしい。最大震度の熊野町では震度6弱だったという。こういう数字が私にはよく分からない。

 私自身が体験した阪神・淡路大震災では、震度6強の地域でも甚大な被害が出た。震度の基準が大震災を契機に見直されたと聞くが、 どうにも分かりにくい。

 私の家では昨日の地震は震度3だった。久しぶりに揺れて、しかも長い時間続いた。震災のときには、眠っていたので、長いと感じ なかっただけかも知れないが……。震度3はかなり気持ち悪い。子供も震災を体験しているだけに、ゆったり構えていた。震災直後に は震度3程度の余震が頻繁に起こり、「またきた」ぐらいにしか思わなかったのを思い出す。

 震度が1増えると、たいへんなことらしい。足し算では なく、掛け算または累乗で揺れがひどくなるらしい。地震学会の基準は、どうも素人にわかりにくい。気持ち悪いかどうか、深刻な被害をもたらすかどうかで震度を設定してほしい。マグニチュードという客観的な基準があるのだから、震度はもっと生活に密着した基準にすべきだと思う。  震度3程度は、外を歩いている人は、普通気づかない。つれあい は、私が話題に出すまで、きのう地震があったことを知らなかった。 

2001/03/24  土曜日  アダルト・サイト  

 勤め先でネットをしていたとき、検索エンジンの「グー」を出そうと 思い、多分こうだろうと思うアドレスを打ち込んで出したら、アダル ト・サイトが出てきたので驚いた。その2日後、新聞にそのことが載っていた。「グー」のアドレスは、 http://www.goo.ne.jp/ なのだが、私はこのうち、neをcoと打ち込んだのだった。新聞には、本物の「グー」がまぎらわしい上にイメージを落とすということで、アドレスを変えろと訴訟を起こし、勝訴したことが載っていた。公益性の高いサイトということで勝訴につながったらしい。今日そのことを思い出して、co で打った ところ、まだ元のままだったのに驚いた。あのとき、後ろに生徒でも いたら災難である。こういう悪ふざけはやめてもらいたい。

2001/03/21  水曜日  落し物  

 半年前、3人の生徒が通学路で2万円を拾って私のところに持ってきた。生徒の財布に普通はそんな大金があるとは思えないが、通学路なので、数回校内放送をかけ、心当たりのあ る者は名乗り出るように言ったが、誰も名乗り出ない。通学路とはいえ、校外なので、 警察に届けた。半年後まで落とし主が現れなかったら取りにくるようにということで書類を渡された。うっかり、3人の住所を控えてこなかったので、先生が拾ったことにして、 あとで渡してくれと言われた。落とし主が現れたら連絡するが、現れなければ何の連絡もしないし、期日がきても連絡しないという。2ヶ月間の受け取り期間に取りにこなかったら国庫に入るとのことだった。 

 その後警察からは何の音沙汰もなく、2万円を受け取りにいった。2万円は 3で割り切れないので、大岡さばきに倣って私が千円を出し、3人に7千円ずつ渡すつもりでいたところ、その3人が拾ったのは自分たちだが、ほかに気づいたのがもう2人いるという。5なら割り切れるから、4千円ずつでいいかというと、それでいいという。結局、5人に4千円ずつ渡した。親にはそのむね連絡をしておいた。

 半年間、書類をなくしたり、受け取り期間を忘れないように心がけていたのでホッとした。拾い主が私ということになっている以上、生徒に渡して勝手に受け取りに行けというわけにはいかなかった。半年というのは、意外と長い期間だったし、人の金を預かるというのは気が重いことであった。

2001/03/18  日曜日  あいづち  

 最近、中国人をよく見かける。日本人でないことがすぐ分かるのは、主に表情のせい である。日本人なら何とも思わないものに、好奇の目を向けるからだ。一人一人でいたなら、分からないこともあるだろうが、集団で入ると、その共通性が目につくので、すぐに分かる。日本人も外に行けば同じように見えると思えばいい。

  学生時代にアメリカ旅行をしたとき、日本人の女性は遠くからでもすぐに分かった。 あいづちを動作で示すからである。「うん、うん、そうね」という具合に、しきりに 首をたてに振るのである。日本にいると当たり前のことなので、それまであまり意識 したことがなかった。日本人の私でさえ、おやっと思うぐらいだから、外国人の目にはどう映っているのだろう?

2001/03/14  水曜日  法治国家  

 ワイドショーで、凶悪犯罪を犯した少年に対し、「日本が法治国家である」ことを知らせるために、厳罰にしなければならないと司会者が言っていた。「法治」とは、中国の百家争鳴の時代に、「徳治」を唱える儒家に対して法家が唱えたことで、「法で治める」ということである。だから、誰よりもまずこの言葉を拳拳服膺すべきは、霞ヶ関のえらいさんや永田町の先生方であり、何の社会的な力もない子供などではない。

 「日本は法治国家である」などということをえらそうに言うことはない。今や世界中のほとんどの国が、貧富の差こそあれ、法治国家である。凶悪犯罪を犯した少年に対して言うべきことは、法に触れるからいけないなどということではなく、人の道に反するから許されないということであるはずだ。

2001/03/05  月曜日  逃げたいと思うと   

 期末試験の問題を完成させた。あとは実施と採点を待つばかりである。なぜか、こういうときにHPのアイデアがつぎつぎと湧いてくる。期限までにしなければならないことがあると、「逃げたい」と思う気持ちが他のことを考えさせるような気がする。