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よしなしごと2001年10月
★ かんなづき むかついたあとで 地を這う者 じぶん
ある小学校教師の怒り 『トルコのものさし 日本のものさし』
ノーベル数学賞 萩と荻 戒律
白い粉 30年あまり前の学生の衣食住 家電リサイクル法
三井住友銀行 富士山君の死 津々浦々 スープの文化
「行」の字の読み方 円環の時間 選挙制度の問題点
インベーダー やましさ ベトナム人の名前
2001/10/31 水曜日 ベトナム人の名前 
今年の夏の甲子園にベトナム国籍の「グエン・トラン・フォック・アン」という投手が登板した。日本ではあまり知られていないが、ベトナムが日本以上の漢字文化圏であり、朝鮮半島同様、人名や地名まで中国式になっていることは、ベトナム人にはなぜ「グエン」が多いか?に書いた。アン投手の名前のうち、グエンは漢字では「阮」、トランは「陳」である。下の名前が1文字であることも2文字であることもあるのは中国や朝鮮半島と同じであるが、アン投手の場合、不思議なのは、苗字が二つ重なっていることであった。
アン投手は、兵庫県の東洋大姫路の選手である。私も兵庫に住んでいるので、地元の新聞で、彼のお父さんが「陳」姓、お母さんが「阮」姓であることを知った。さらに不思議だったのは、お兄さんが「陳」のみを姓とし、アン投手のように、両親の姓を併記していないことであった。
先日、7歳のときにベトナムを離れた在日ベトナム人に、この疑問を質す機会があった。日本語は日本人と区別できないほどだし、あまり関係ない話だが、20代前半の美人である。その説明によれば、ベトナムでは、姓は父方だけ、母方だけというパターンに加え、父方母方の順に並べたり母方父方の順に並べたりするのであり、兄弟でも姓の表現が違うことがよくあるのだという。彼女の姓名は、漢字にして5文字になる。父母両系の姓に加え、下の名前が2文字である上、女性の場合は姓のあとに「氏」の漢字音である「ティ」を加えるためである。
東洋大姫路のアン投手は、最後の文字で表現されている。これは、ベトナムの姓の種類が少ない上に、名前の1文字目もかなりパターンが決まっているためである。アン投手は、1年生であり、そのため、エースではなかった。エースは当然3年生であった。今年の甲子園で敗退したとき、東洋大姫路の選手が甲子園の砂を集め始めたとき、突然起ち上がって砂をとることをやめた選手が一人だけいたが、それがアン投手であった。1年生なのだからあと2回もチャンスがあるから、今度は自分がエースとして帰ってくるつもりだったらしい。しかも、地元兵庫の代表である。兵庫県では、県予選の一回戦が甲子園球場で行われることがある。私がむかし勤めていた学校も、そういうことで甲子園に出たことがある。これは、兵庫県の球児だけの特権と言ってよい。
2001/10/30 火曜日 やましさ 
だいぶ前のことだが、関西のある有名企業が、脅迫を受けたという事件があった。堅実な業種だけに意外な感じがした。どんな脅迫かというと、単に「お前のところ、やましいことがあるやろ」というだけの内容であった。脅す側は、具体的なことは一切言わず、思わせぶりな言葉ばかりだったらしいが、何か思い当たることがあったらしく、金を払った。脅す側の演技力に感心したものである。
『孟子』に「君子に三楽あり」という一節がある。三つの楽しみの一つとして、「仰ぎて天に愧ぢず俯して人に、は(「りっしんべんに乍」という漢字)ぢざるは二楽なり」とある。一楽としては、父母ともに健在で兄弟も無事であること、三楽としては、英才を教育することが挙げられている。そして、王となって権力を握ることなどどうでもいいことだと言っている。徹底的に我が身を省みればやましいことが一つもないという人は一人もいないだろうし、「君子」や、まして「聖人」など永遠の理想に過ぎないとも言えるが、人並み以上にやましいことが特にないというのは、確かに楽しみといっていいだろう。ただ、なりわいによって、あるいは組織の一員として、自ら望まぬうちに、心にやましさを負わなければならないということも、とくに現代においては多いに違いない。
2001/10/29 月曜日 インベーダー 
1979(昭和54)年、インベーダーゲームが流行った。今からみればチャチなゲームだが、それまで落ち着いた雰囲気で人と話したり、静かに本を読んでいた喫茶店もシューシューピコピコいう音に包まれるようになった。私の親の世代は、あんなもの長続きするはずがないと言っていた。しかし、インベーダーを流行らせた人たちにとって、そんなことは先刻承知のことであり、流行っているうちに稼げるだけ稼げばいいのである。
10代の若い歌手がどんどん出てきたのもこのころである。親の世代は、「歌が下手だ。すぐに落ち目になる」と言っていた。歌の上手下手などどうでもいいことだということは、親の世代には通じない。歌手までも使い捨ての時代が到来した。それからしばらくたってパソコンが普及しはじめ、学校にも多数導入されるようになった。しかし、バージョンアップが激しく、古くなったパソコンは捨てられた。年配の教師は、「まだ使えるものをもったいない」と憤慨していた。新しいソフトが適合しなければ、ただの箱なのだという話をしたって聞く耳を持たなかった。
ケインズという経済学者の唱えた有効需要という言葉を学生時代に聞いたことがある。無駄遣いすればするほど経済は活性化するという。大きな穴を掘り、それを元通りに埋め戻すことでも、経済には大いに貢献するのだという。私たちの世代ですら、当時はぴんとこなかったし、そのような考え方にはついてゆけないという感覚はあったのだから、親の世代にとっては、許せない考え方だったに違いない。それが今では常識となっており、若い世代はそれ以外の考え方を知らない。
リサイクルなどという言葉が無かったころから、日本人はリサイクルに努めてきた。同じ紙に何度も重ね書きをし、それ以上書くことができなくなってようやく風呂の炊きつけにするというような生活を続けてきた。今にしてみれば、インベーダーゲームは、何十世代にもわたって培われてきた生活意識を破壊するインベーダー(侵略者)に他ならなかったのである。。
2001/10/28 日曜日 選挙制度の問題
神戸市長選挙は、予想通り前助役の当選で終った。5人の候補者中、当選者以外はすべて神戸空港に反対の立場であり、4人の得票合計が当選者を上回ることを考えるなら、割り切れない思いが残る。首長選挙はいうまでもなく当選者は1人だけだが、議員選挙まで同じ方式、つまり小選挙区制で行うのはおかしい。宮城と滋賀で行われた衆議院の補欠選挙では、ともに自民党の候補者が当選した。この調子で総選挙が行われたらどういう事態になるかは、火を見るより明らかである。首長選挙にしても、トップが過半数を得られなかったときは、上位2人による決戦投票を行うなり、第二、第三の投票欄を設けて票の委譲を行うなりして、過半数の獲得を当選の条件とする必要がある。
国会では、選挙制度論議が再燃している。与党の改革案が党利党略によるものであることは言うまでもない。大半の選挙区を定数1としたままで、都市部だけで複数区を設定するのであるから、自民党としては、小選挙区で得票率以上の議席を確保した上で、比較的弱い都市部で議席を上乗せできる。公明党にとっても、複数区で当選の可能性が生まれるということであろう。しかし、だからといって、それに反対するだけでいいのだろうか? 問題は、衆議院の議席の大勢を決める小選挙区制にこそある。詳しくは、本サイトの中の選挙制度の話を参照されたい。
2001/10/26 金曜日 円環の時間 
いわゆる近代人は、時間とは無限の過去から無限の未来へと不可逆的に流れるものだと思っている。しかし、このような時間感覚は、人類の歴史の中では比較的新しい。自然に依拠した生活がすべてだった時代には、時間は円環をなすものと考えられていた。種を蒔いたら、また田植えをするという具合に、今が過ぎれば過去に戻るという時間感覚である。地球の南北の人口比を考えるなら、近代に入って久しい今も、円環の時間感覚で生きている人の方が、いまだに多いのかも知れない。しかし、都会で店を開くなら、売り上げを伸ばし、その土地の限度に達すれば、別の土地に支店を開くという具合に、たえず、未来を設定しないと、いわゆる近代人は生きていけない。円環の繰り返しには耐えられないという感覚にすっかり洗脳されてしまっているのである。
ひるがえって教師という仕事を考えてみる。近代人には珍しく円環の時間の中に生きているのではないかと思うときがある。生徒は3年たてば卒業していく。卒業と同時に新しい生徒が入ってくる。ときたま、古い卒業生が訪ねてくることがある。「あいつはどうしている?」と聞くとけげんな顔をされる。相手を覚えてはいるのだが、学年を混同しているのである。同時に学校にいたことのない者の消息を聞かれて、けげんな顔をするのは無理もない。古い卒業生は、在学中からは想像もつかないほど変っている。そういうとき、円環の時間に生きている私たちは、彼らは一直線の時間を生きているのだなあと実感するのである。
2001/10/25 木曜日 「行」の字の読み方 
中学時代、「行方」という同級生がいた。よく「ゆくえ」と読まれていたが、「なめかた」と読む。卒業してから茨城県に行方(なめかた)郡があることを知った。「行」の字の読み方は、音読みとしては「ギョウ(呉音)」「コウ(漢音)」「アン(唐音)」があり、訓読みとしては「ゆ(い)く」「おこなう」があるが、なぜ「なめ」と読めるのだろうか? 古語に「なむ」という動詞があった。これを四段に活用させると「並ぶ」、下二段に活用させると「並べる」という意味であった。「人並み」というときの「並み」は、四段のほうの「なむ」の名残であり、「行方」の「なめ」は、下二段のほうの「なむ」の名残である。「行」の字には「行列」という言葉もあるとおり、「列」という意味もある。「行」を「なめ」とも読めるのも、このためである。父の楠木正成の「大楠公」に対して「小楠公」と呼ばれた楠木正行という南北朝時代の人物がいる。「正行」は「まさつら」と読む。「つら」は、「つらなる」という言葉にその名残をとどめている。訓読みというものは、意味的な連関がありさえすればいいわけだから、調べれば意外な読み方がいろいろ発掘できるものである。
2001/10/23 火曜日 スープの文化 
英語では、「スープを飲む」ということをeat
soupといい、drink soupとは言わない。日本語には「スープ」に当たる言葉がない。汁物という言葉はあるが、スープとは異なり、それだけで十分に栄養を取れるほどの中身が入ったものではない。日本にスープの文化があまり発達しなかったのは、匙(スプーン)を食事に使わず、箸だけで食事をする習慣が定着したこと(本サイトの中の似ているからこそ違うんだ参照)と関係がありそうだ。箸だけで汁物を食べようとすれば、器を持ち上げて「飲む」必要が生じる。そのため、器をあまり大きくすることはできない。「一汁一菜」という言葉があるように、汁物はどうしても補助的な位置に甘んずるほかなかったのである。これに対して、匙をよく使う中国や朝鮮半島では、ヨーロッパ同様、スープの料理が発達した。韓国で大きな器で「クッ(スープ」を食べたとき、汲めども汲めども中身がなかなか尽きないのに驚いたものである。
ヨーロッパ人はスプーンを前から口に押し込むように構えてスープを「流し込む」。これに対して、日本人はスープを「飲む」とき、スプーンを横に構えてすすり上げることが多い。音を立ててすすることに抵抗感がない代わりに、「流し込む」ような飲み方は行儀が悪いと感じるためであろう。この点では、中国人や韓国人のスープの飲み方も、日本人に似ているように思われる。
2001/10/22 月曜日 津々浦々 
日本語では「至る所」ということを「津々浦々」という。「津」とか「浦」という字は、地名や人名でよく知られているが、その意味を知っている人は少ない。「津」とは、海岸線のところで海が急に深くなっているところであり、「浦」とは遠浅の海岸だと思えばいい。したがって、「津」は大きな船が入るのに便利なところであり、そのため、「港」という意味にもなった。三重県の津や滋賀県の大津という地名はここから来ている。「今津」という地名は各地に見られるが、これを現代風に言えば「新港」ということになる。これに対して、遠浅の海岸である「浦」は、漁村となることが多い。小舟で海に行き来するのに便利だからである。
朝鮮語で、津々浦々に当たる表現は「坊坊曲曲(パンバンコクコク)」である。中国の表現を受け継いでいるのかも知れない。「坊」は町、「曲」は村と考えてよい。「坊」とは東西南北の四つの通りに囲まれたブロックのことである。平安京が創建されたとき、各ブロックには純中国式の名前がついていた。いま、京都の公立小学校には、「有済」「淳風」「崇仁」「光徳」「陶化」「銅陀」といった名前が目立つが、これは昔の坊名を用いたものである。「曲」については古代日本にあった「部曲(かきべ)」という制度を思い出されたい。
一般に「津」は賑やかな都会となり、「浦」は静かな漁村となる。「町でも村でも」という意味では、「津々浦々」も「坊坊曲曲」も同じ発想なのだが、それを海に結び付けて表現しているのが、いかにも島国日本らしい。
2001/10/21 日曜日 富士山君の死 
宇和島水産高校2年生の坂嶋富士山君(17)らの遺体がえひめ丸から引き揚げられた。富士山(としや)君は、その名前からしても、誕生を喜ばれた子供だったと思う。えひめ丸の事故のそもそもの原因は、潜水艦の急浮上を民間人に体験させようというショーに過ぎなかったと聞く。それを民間の船の通行の激しいところでする神経が分からない。遺体は、半年以上もの間、海の底にいたのだから、そうとう損傷が激しいに違いない。しかし、一人一人が遺体として上がってきているだけ、まだ僅かに救われる。
一方、ニューヨークのツインタワーの遺体は、遅々として収容が進まない。衝突、爆発、ビルの崩壊で、一人一人がそのままの遺体として確認されることはまず望めまい。改めて、テロは許されてはならないと思う。しかし、大事なことは、どうすればえひめ丸やツインタワーのような悲劇が最小限に食い止められるのかを考えることである。
えひめ丸の場合は、簡単である。その簡単なことにさえ想像力が及ばなかったアメリカ海軍の責任は重い。しかし、ツインタワーのようなことが起こらないようにするのは、それほど簡単ではない。私は、テロの根本原因は、同じ人類の間に生まれた著しい生活水準の格差にあると思う。南北問題を一気に解決することは無理としても、少しずつ解消に近づけていく道筋を示さなければ、短期的にはともかく、長期的な解決は望めない。アメリカはもちろん、世界中が知恵を絞らなければならない問題である。
今朝、ヤンキースとマリナーズの試合を見た。試合の途中でGod
bless Americaの歌が流された。あまりにも思い入れの強すぎる歌い方で、抵抗を感じた。マリナーズの優勝決定の瞬間に、選手たちがマウンド付近にうずくまったのは、抑制がきいていてよかったと思う。今朝の試合も、観客を含めた静かな黙祷だけで十分なのではないかと思った。大切なのは、テロの防止であり、アメリカの威信の回復などではない。アフガニスタンの行方を世界中が見守る必要がある。
2001/10/20 土曜日 三井住友銀行 
最近、銀行の名前がくるくる変わる。「みなと銀行」に口座を解約に行ったとき、通帳がその前身の「みどり銀行」、カードがそのまた前身の「兵庫銀行」だったために、ずいぶん待たされた。これは「地銀」の話だが、合併は「都銀」でも盛んである。「三井住友銀行」という名前の銀行ができた。「三井住友銀行」は、「さくら銀行」と「住友銀行」の合併で生まれた。「さくら銀行」の旧称は「太陽神戸三井銀行」といい、「太陽神戸三井銀行」は、「太陽神戸銀行」と「三井銀行」の合併で生まれた。さらに、「太陽神戸銀行」は東京に本社を置く「太陽銀行」と神戸に本社を置く「神戸銀行」の合併で生まれた。「太陽神戸」創設時は、神戸銀行の方が大きく主導権を握っていたようだが、「神戸太陽」では「地銀」のようなので「太陽神戸」にしたらしい。
「さくら銀行」と「住友銀行」が合併するとき、「三井」が復活した代わりに、「太陽」も「神戸」も消えてしまった。「さくら銀行」は東京と神戸に本社機能を分けており、「住友銀行」は大阪に本社があったが、「三井住友銀行」は本社を東京に移した。「三井住友銀行」の英語名はSumitomo
Mitsui Banking Corporation(SMBC)といい、日本語名とは「三井」と「住友」が逆転していて、両者の均衡を図ったということらしい。でも、我々には、そんなことはどうでもいい。銀行がますます縁遠いものになっていく気がする。庶民としては時代の趨勢に従うほかないのかも知れないが、せめて、旧財閥の名前を二つも重ねた無粋なおどろおどろしい名前はやめてもらいたい。「太陽神戸三井銀行」が「さくら銀行」と改名したのは、今にして思えば早まったことだったと思う。
2001/10/19 金曜日 家電リサイクル法 
神戸港にロシア船が入港すると、一団のロシア人が列をなして「元町高架下」という商店街に向う時期があった。「元町高架下」は、JRの線路の下にあり、戦後期の闇市の流れを汲んでいる。ここにはあらゆる古物があり、たとえば、テレビが今でも3千円程度で買える。船の吃水線がぐんと下がるほど、中古車や冷蔵庫を満載して出港するロシア船もあった。つい数年前のことであるが、最近はあまりこのような光景を見かけない。
家電リサイクル法が成立した。3千円で買ったテレビを引き取ってもらうのに、それ以上かかるようになったことに割り切れない気持ちになる。元町高架下で買ったものにアフターサービスがないのは言うまでもないが、仮に他の電器屋に修理に持っていくと、一目見てもらうだけで5千円はかかる。捨てることもできずに壊れたテレビを置いたままにしている家も多いだろう。
昨日の記事にも書いたとおり、私の学生時代には、古道具屋がいくらもあった。リサイクルという言葉が広まったのは最近のことだが、それはむしろ、リサイクルが広く行われなくなったためだろう。今も途上国ではリサイクルは常識である。こんな方法もあるのかと思う知恵や職人芸をよく見かけるようだ。家電リサイクル法についても、メーカー自身が引き取った家電をちょっとだけ修理して販売し、消費者もそれを買うというふうにでも意識を変えなければ、その趣旨を十分に生かせないのではないか、という気がする。それでは、経済が活性化しないというのなら、経済そのものの仕組みをより根本的に考え直す必要がある。
2001/10/18 木曜日 30年あまり前の学生の衣食住 
大学に入って初めて一人暮らしを始めたとき、買った家具は机とスタンドだけだった。当時はいくらもあった古道具屋で買った。蒲団は横浜から「チッキ」(鉄道小荷物)で送ってもらった。当時は宅配便のようなものはなかった。洗濯は初め、大家さんの家のたらいと洗濯板を借りてしていたが、やがて洗濯機を貸してくれるようになった。今の学生ならテレビや冷蔵庫は最低限必要だろうが、当時の大学生の下宿にあったものはこの程度で、真っ赤なニクロム線の電気コンロやポット、トースターなどあれば気が利いたほうだった。そのほか、京都の冬は「底冷え」するのでので暖房器具は不可欠である。電気ごたつや石油ストーブが普通だった。買い替えの必要が生じたときには、卒業していく学生のものを貰い受けるという方法もあった。
衣食住の順で言うと、「衣」に関しては男の学生はあまり洗濯をしない。帰省が近づくとためこんで、「チッキ」で親元に送ることが多かった。翌年受験する高校の後輩を下宿に泊めた友人の言っていたことだが、その後輩は、たらいの中で洗濯物をつまんでぐるぐる回していたそうである。男の学生は「食」にもまめではない。食事を出してくれる下宿もまだ多く、寮なら食堂があるが、まかないのつかない下宿にいる学生は安い外食をさがしまわっていた。自炊をする学生は少数派だったと思う。京都は学生の多い町なので、安い食堂はたくさんあり、私もその常連の一人だった。同じ下宿に、型崩れしたインスタントラーメンを工場が二束三文で売っているのを買ってきて、一日三食そればかり食べているのがいた。
下宿生活を始めたばかりのころ、一度だけ祖母が泊まりに来たことがある。私が授業に出ている間に、何と鰹節削りを買ってきた。その後一度も使わなかったことは言うまでもない。住についても京都は恵まれていた。戦災を経験していないので、戦前の家が多く、すでに始まっていた核家族化で部屋が余っている家が多かった。おおむね一ヶ月の下宿代が一畳千円と割安だった。
学生なので、衣食住のほかに本代もかかった。お金に困ると本を売ったが、当時の古本屋はどんな本でもけっこう高値で引き取ってくれた。本箱には、みかん箱がよく使われた。当時はダンボールが普及しておらず、みかんなどは木箱で運ばれることが多かった。いつも同じ古本屋に本を売りに行く友人がいて、ついにそこの娘と結婚した。「嫁さんも『読んだ』といって売るんじゃないか」などという悪口をいう者もいた。今の学生から見れば貧しい私たちの学生生活も、戦後まもなく学生生活を送った叔父たちから見れば天国のようだった。なにしろ、叔父たちのころは、食べ物を確保するのが精一杯だったという。
2001/10/17 水曜日 白い粉 
だいぶ時間が経っているので、正確ではないかも知れないが、神戸の税関に「通しません黒い銃器と白い粉」という標語がかかっていたように思う。「白い粉」とは麻薬や覚醒剤のことであるが、それよりもっと恐ろしい白い粉で世界中が大騒ぎをしている。電子郵便をあけても、たかがPCが壊れる程度だが、本物の郵便をうっかり開けると命が危ないのだから恐ろしい。こんなときに、電車の中に白い粉をまくというような、冗談ではすまされない悪ふざけをする連中がいるのは腹立たしい。「白い粉」で大騒ぎをしたあげく、鑑定してみたらウドン粉だったりする。
炭疽菌の入った白い粉は肺まで吸い込むと致死率がきわめて高いという。病原菌には、放射能とちがって半減期などというものはない。逆に殖えるという意味では放射能より恐ろしい。黒い銃器のように、見るからに恐ろしいものは避ければいいが、白い粉などどこにでもあるのだから、いちいち気にしていたら切りがない。私もよく白い粉をズボンにつけて電車に乗るが、単なるチョークの粉なので、安心していただきたい。
2001/10/15 月曜日 戒律 
私は食べるが、日本人はふつうパセリを食べない。単に飾りと思うからなのだろうが、欧米のレストランでは、パセリを食べないのは日本の宗教的戒律によるものと思われているという話を聞いたことがある。宗教に戒律はつきものである。食や性のような人間の生理にかかわる戒律が特に多い。中でも、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった西アジアに発生した宗教の戒律は体系立っていて、われわれにはなじみにくい。戒律に従う生活というのは、さぞかし、辛いものだろうと思いがちである。
しかし、考えようによっては、戒律に従う生活というのは、楽なものなのかも知れない。何より、それに従って生きている限り、自分は決して根っからの悪人ではないという安心感が得られるのが戒律の何よりの効用であろう。
ラマダーンは、イスラムの断食月として知られているが、断食しなければいけないのは、日の出から日没までの間で、夜間はいくら食べてもいいという。だいたい本当に一ヶ月も何も食べなかったら死んでしまう。夜間に食べたいだけ食べるため、ラマダーンが終ると太る人も珍しくないらしい。
2001/10/12 金曜日 メディアと隣人 
いまどき、何をのんきなと怒られるかも知れないと思いながら書く。すでに50年を超えた人生で、知人が殺人事件の被害者になったのは2件に過ぎない。詳細を書くのは、差し支えがあるかも知れないから控える。なお、「知人」というのは単に知り合いという意味で、とくに親しかったというわけではない。いっぽう、知人が加害者になったというのは全くない。私がたまたま幸運だったのだろうか? あなたの場合はどうなのだろうか?
いま、私たちは毎日テレビや新聞でニュースを見たり読んだりしている。そのため、殺人事件が日常茶飯事のように思っている。しかし、もし、メディアがなかったなら、果たして同じような感覚を持っただろうか? 身近なところも含めて、世の中何が起こるか分からないという警戒心は必要であるが、身近な感覚というのも失ってはならないとも思う。隣人よりメディアを身近と感じてはならないのである。
2001/10/11 木曜日 ノーベル数学賞 
去年に引き続き、今年もノーベル化学賞を日本人が受賞する。私は文科系なので、受賞者が受賞に値するかどうかはさっぱり分からないが、今回の受賞者は、薬の副作用をできるだけ取り除くという実用的な研究をしていた人のように思った。ノーベル賞のうち、ぜひ廃止してほしいと思うのは平和賞と文学賞である。平和賞はそのときどきの政治情勢に左右されるし、文学賞は人によって好みが違う。要するに素人でもあれこれ批評できるのである。そのため、ノルウェー(他のノーベル賞はスウェーデンの管轄)の平和賞選考委員会で、日本の佐藤栄作元首相に与えたのは間違いだったのではないかという議論がでていると聞く。あとで新設された経済学賞も廃止し、ノーベル賞は理科系に限るべきだと思う。
平和賞やら文学賞を廃止する代わりに、ぜひ設けてほしいと思うのは「数学賞」である。フィールズ賞というのが、ノーベル賞級の数学者に与えられるらしいが、ノーベルはなぜ数学賞を設けなかったのだろうか? 虫の好かない数学者がいて、数学賞を設けたら受賞確実という話を聞いたノーベルが、「あんな奴に賞を与えるのはケッタクソ悪い」と思って数学賞を設けなかったとのだという話をどこかで聞いたことがある。真偽のほどは分からないが、こういう話を聞くと、ノーベルも人間臭くて親しみやすくなる反面、たった一人のために、世界中の数学者がノーベル賞を受けられないというのは気の毒なことだとも思う。
2001/10/10 水曜日 『トルコのものさし 日本のものさし』 
今年78歳の母は、この夏話したとき、歳をとればとるほどよその子供がかわいくなって、目があうと思わずにこっと笑ってしまうと言っていた。しかし、そういうとき、急に表情をこわばらせる子がけっこう多くて悲しくなると言う。親からよその人と話したらだめと言われているんじゃないかと言っていた。
内藤正典という人の「トルコのものさし 日本のものさし」という本によれば、大家族制度の残るトルコでは、親戚の子の面倒を日ごろ見ているせいか、高校生(すでにひげ面)ぐらいの男の子が内藤氏の小さい娘に近寄ってきて頬擦りすることがあったという。日本なら親が震え上がるところだと書いてあったが、私もそう思う。
2001/10/09 火曜日 ある小学校教師の怒り 
私の友人に大阪の小学校教師がいる。以下は、その人から5、6年前に聞いた話である。ある日の午前、女の子の間で多数対一人の対立が起こった。それを「いじめ」と判断した彼は、一人の側に立って多数と喧嘩した。その日の午後の授業に行って、一人を除く女の子が誰もいないことに驚いたという。「事件」と無縁な男の子は全員がいた。意図的なボイコットである。
その日の放課後、何人かの女の子たちの母親が学校にやってきた。「子供たち反省しているから許してやってください」と言うのである。彼は「切れ」た。「悪かったと思うなら、本人たちに来させてくださいよ。だいたい、授業をさぼっておいて『反省』もへったくれもあるか!」と吠えたらしい。しかし、母親たちは、すぐには納得せず、逆に反発を強めた人もいたらしく、それから長い話し合いが続いて、どっと疲れたということである。
2001/10/07 日曜日 じぶん 
半世紀以上も人間をしていると、あのときこうしていたらとかああしていたらと思うこともある。たとえば仮に20歳のときの自分に戻れたとする。問題は戻り方である。以後30年あまりの記憶を持ったまま戻るのなら、20歳のときの自分を自分と思えないだろう。記憶を捨てて戻るのなら、以後の30年あまりを捨てることになり、今の自分は死んでしまうのだから、とてもそんな気にはなれない。
わがままな夫に泣かされつづけた妻が、夫の葬儀の席で生まれ変わってもやっぱりあの人と一緒にということがある。決して、人前で建前を言っているのではない。そういう条件のもとで苦労してきた歴史が自分だからにすぎない。
「じぶん」とは何か? それは、それぞれの人が生きてきた記憶の総体でしかない。だからこそ、大人たちには、子供たちのために、よりよい記憶を残せる環境を提供する責任があるのだと思う。
2001/10/04 木曜日 地を這う者 
アメリカの同時多発テロは、科学技術の進歩だけでは人類の幸福が築けないことを示した。人類相互の関係を良好に保つことにもっと真剣に取り組まなければ、科学技術の進歩は、かつては考えられなかったほどの規模の悲劇を招いてしまう。雲をも突き破るさらなる高層化の計画がまであるようだが、その第一の前提が平和であることを、今回のテロは余すところなく証明した。超高層ビルには、膨大なエネルギーを消費するという批判が前からあったが、改めて検討されてもいいと思う。
飛行機に乗り、超高層ビルを日常的に利用する人々は、自分たちが「地を這う者」であることを忘れていた。テロの直後、予定されていた「ダイハード3」の放映が中止されたが、最近の映画には、このように3次元で人間が動くものが多い。時代劇や西部劇など、昔の映画が「地を這う」動きばかりで成り立っていたのと対照的である。人間の住む環境は変わっても、人間自身はそんなに急には変われない。地表に沿って移動を繰り返すアフガニスタンの遊牧民も、超高層ビルに起居するニューヨーカーも、ともに「地を這う者」であることを忘れてはならない。
2001/10/03 水曜日 むかついたあとで 
今日、電車に乗っていたときのことである。私は二人がけの窓際の席に乗っていた。通路側の席では40代ぐらいの女性がぐっすり眠っていた。途中の駅で老夫婦と小学校の3〜4年ぐらいとおぼしき男の子とその母親という4人組が乗ってきた。平日だというのに、みんななぜかリュックサックを背負っている。私が降りる駅が来たが、隣の女性がぐっすり眠っているので、またいで通路に出ようとしたが、男の子が邪魔でうまく出られない。下がってほしいのに、大人たちは注意しない。
隙間を見つけてお隣を起こすことなく、通路に着地した。その間、大人たちは席が空くことにばかり注目していたらしく、そこに男の子を座らせた。隣の女性はそのために起こされた。通路から出口に出ようとしているとき、おばあさんのリュックが邪魔で出られない。ただ単に「すみません」と言えばいいものを、「さっきから通りたいんですけれど」というと「すみません」という返事が返ってきて通してもらえた。しかし、私も修行が足りない。やっぱり「すみません」ですますべきだったかとも思うし、私のあとに誰かが座るのならどうせ隣の人は起こされることになるのだし、私が最初から隣の人に「すみません」というべきだったと後になって思ったものである。
2001/10/02 火曜日 かんなづき 
昨日から十月である。十月の古称「かんなづき」は、一般に「神無月」と書かれるため、「神のいない月」と解釈され、日本中の神々が出雲にあつまるからだという語源説がゆきわたっている。そのため、出雲では「かみありづき」というのだというおまけまでついている。しかし、「かんなづき」の「な」は、「無し」という意味ではなく、「の」の意味であると考えられる。「の」と「な」のように、母音が入れ替わる例は古代には多い。
「の」の意味での「な」は、「たなごころ(手の心)」「まなじり(目の尻)」などに見られる。ここで注意すべきことは、「な」の前が「た」「ま」のように「被覆形」になっていることである。「神」の被覆形は「かむ」であるから、「かんなづき」も「かみなづき」より「かむなづき」から変化したと考える方が自然である。「みなづき(六月)」についても、「みなと(水の門)」「みなかみ」などの例から考えて、「水の月」と考えるのが自然である。では、なぜ「水の月」であり、「神の月」なのか? 前者については田に水を張ること、後者については秋祭りがよく行われることを理由とする説があるが、確かなことは分からない。「な」が非鼻音化して「だ」となることもある。「けだもの」「くだもの」は、それぞれ「毛のもの」「木のもの」という意味だと考えられる。

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