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よしなしごと2001年1月
★ 思えば遠くに来たもんだ 選挙制度 言葉づかい 偽善
新大久保駅の事故
2001/01/30 火曜日 新大久保駅の事故 
東京の新大久保駅で人がプラットフォームから転落し、助けようとした二人と合わせて三人が亡くなった。助けようとした一人がたまたま26歳の韓国人留学生だったことから、森首相が葬儀に参列したが、何かちょっと違う気がする。どこの人間だろうと、そういうとき飛び込む人は飛び込むし、飛び込まない人は飛び込まない。
亡くなった李さんの母親が韓国からかけつけ、言っていたことが新聞に載っていた。「あの子は運動神経がいいから、助けられると思って飛び込んだに違いない。だけど、なぜプラットフォームの下に逃げる所がなかったのか?」 こっちの方がよほど問題だという気がする。亡くなった三人の冥福を祈りたい。
2001/01/28 日曜日 偽善 
若いころ、私は「偽善」が嫌いであった。「偽善」が嫌いなら、「悪」への一切の妥協を排して常に喧嘩腰になるか、「偽善」への努力をやめて「悪」になろうとも構わないと腹を据えるかどちらかだ。人間は誰しも善悪がないまぜになった存在なのだから、「偽善」への努力は必要である。世間でいう偽善とは、すぐ偽善であることがばれてしまうようなものを言うのだが、私は一生ばれない偽善者であることを追求したい。
ちかごろ、偽善を批判するポーズをして悪を肯定するような論調がよく見られるようになったような気がする。その本音は、社会の風潮に乗れば楽だという怠惰にすぎないと私は思っている。「偽善者」は当然いろいろな無理をしているのだから、その揚げ足を取るのは容易だろう。しかし、それはあまりに品のないことではないかと思う。「偽善」への努力を否定する者の論法に、禁欲性に乏しい若者の中に、「偽善」を嫌うがゆえに乗せられている者がかなりいることに、私は危惧を感じている。
2001/01/25 木曜日 言葉づかい 
ちかごろ、若い店員の言葉づかいがていねいすぎて「気持ち悪い」と感じるときがある。小さい子供にまで敬語を使う。これは、その場、その場で、自分としての対応をせず、言い換えれば客を一人一人違う人間として見ずに、
マニュアル通りに対応していることのあらわれではないだろうか? 掲示板に私が小学生のころ通っていた金魚屋(金魚すくいをよくした)の御主人の兄弟の孫という人が投稿してきたことがあった。内容を読むと「あそこ」に間違いがなかった。あそこのおばさんは子供には言葉遣いが乱暴で私たち子供には評判が悪かった。大人の客が来ると、とたんに言葉遣いが丁寧になるので、さらに評判が悪かった。しかし、今にして思えば、あのほうが正しいんじゃないだろうか?
2001/01/13 土曜日 選挙制度 
またぞろ選挙制度が浮上している。私はとりあえず中選挙区制を復活させるべきだと思う。「政治改革」のころには諸悪の根源のように言われた制度だが、小選挙区制に比べれば絶対的に善である。あのころのマスコミ報道は異様であった。
2001/01/07 日曜日 思えば遠くに来たもんだ 
正月に横浜に帰った。養父も母も遊びに来ていた叔父もみんな耳が遠くなっているので、叫ぶように会話しなければならなかった。帰りの新幹線が関ヶ原の雪で僅かながら遅れた。本当に久しぶりのことで、温暖化が懸念される現在むしろほっとした。雪景色が京都まで続くかと思ったら、米原を過ぎてすぐあとかたもなくなった。京都は関西では雪が多い。いろいろな思い出がよみがえる。「降る雪や明治は遠くなりにけり」という中村草田男の有名な句は、自分の卒業した小学校を訪れ、雪に埋もれた校庭を見て詠んだ句だと聞いている。

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