むかし、ゴダイゴの歌う"Every child has a beautiful nameという明るい感じの歌が流行った。国際児童年に合わせて作られたという。歌詞に「名前、それは燃える生命 ひとつの地球にひとりずつひとつ」とあった。たしかに、どの子も美しい名前を一つ持っている。子供は、姓を通じて自分がどんな人々の子孫として生まれてきたのかを知り、名を通じて親の自分にこめた願いを知る。しかし、この中の「一つ」という何気ない言葉が、私にはひどく気になるときがある。それは、在日の韓国・朝鮮人の子供たちのことを考えたときである。在日韓国・朝鮮人の実に9割前後は、日本名を通名として生活している。これは実は異常なことである。外国に住む朝鮮民族は中国でも、ロシアでも、アメリカでも、みんな民族の出自を示す本名を名のって生活しているし、在日外国人の中で日本名を名のるのは、韓国・朝鮮人以外には珍しい。

 「在日」の日本名の起源は、日本による朝鮮の植民地支配にさかのぼる。しかし、これは本国ではとうに過去のことである。それなのに、「在日」が日本名を名のり続けるのは、戦後になってもしばらく、朝鮮民族への差別偏見が戦前に劣らないほど強かったためである。朝鮮生まれの誇り高い一世たちも、生活のために日本名を名のらざるをえなかった。彼らには、これは仮の名だという意識がはっきりあった。しかし、二世以下の世代は違う。物心つくころから、この仮の名を自分の名前と思って育つ。それとは別に本名があるのだから、「一つの地球に一人ずつ一つ」ではなく、「一人ずつ二つ」なのである。そしてある時期から、自分が周りの子と何か違うことを知る。それもいいことで違うのではなく、何かいやなことで違うと感じる。そしてもう一つの自分の名前である本名を隠すべきものと認識する。心がまだ弱々しい子供のころに自分の名前が二つあるということは、人格の分裂をも招きかねない大変なことなのである。

 日本人の多くは、名前など個人を識別するための記号にすぎないと思っている。そして、無邪気にそれならなぜ帰化しないのか、という。差別の厳しい時代には、帰化したところで、受ける待遇に大差はないということも、想像してみようとしない。というより、そこまで考える想像力がない。帰化にあたってプライバシーが徹底的に調べられることも知らない。しかも、帰化の許可はなかなかでない。犯罪歴があることはまだしもとして、「十分な資産がない」ということも帰化を拒む理由とされた。ここには、差別があるからこそ資産がないということへの想像力はかけらもない。そして、何より、帰化は日本名を名のることが条件とされていた。条文に規定があるわけではないが、帰化を認めるかどうかは、当局の一存できまり、異議を申し立てることもできないのだから、いったん帰化を考えた以上、実現のためには、当局側の意向にできるだけ逆らわないようにする。こういういわば踏絵を踏まされる屈辱が帰化にはともなっていたのである。

 今日、在日への差別は、たしかにかつてよりは大幅に減少した。少なくとも大っぴらにできることではなくなった。官庁や大会社の中でぬくぬくという道は在日にはなかったので、みんなしゃにむに働くほかなかった。そして、日本の高度経済成長を経て、かつては一様に貧しかった在日の中にも貧富の大きな格差が生じてきている。ビル・ゲイツと世界一の金持ちの座を争ったこともあるソフトバンクの創業者、孫正義氏は在日である。日本に帰化しているが、「孫」という本名のままで帰化している。孫の場合、策略をめぐらして本名での帰化を認めさせたのだが、今では希望すれば本名での帰化も容易になっている。これも時代の変化を物語っているが、在日の場合、本名での帰化は今もきわめて少ない。帰化しても、本名のままでは差別が続くのではないかという不安があるからである。しかし、日本が豊かになるとさまざまな国の人がやってくるようになり、その中から帰化する人も出てくる。「ラモス瑠偉」や「呂比須ワグナー」、「蔵上人智有(クロード・チアリ)」や「弦念丸呈(ツルネン・マルティ)を認めて、「金」や「李」を認めないというわけにはいかなくなってきている。

 在日が本名を名のれる条件は整ってきたのであるが、最終的に本名を名のるのは在日自身の決断にかかっている。日本で最大の在日人口を抱える大阪では、公立の学校で、在日の子供たちに本名を名のることを促す教育実践が行われている。しかし、子供たちはなかなか本名には踏み切れない。彼らの最大の不安材料は、本名を名のった場合、周りの日本人の子が今までどおりつきあってくれるだろうかということである。子供は友達を失うことを何より恐れる。それではそんな無理なことをさせなくてもと思う向きもあるだろうが、相手が在日であることに触れず、周りにも隠しておいてあげることが、本当の親切なのだろうか? 在日も日本人と同じく人間である。人間である限りは誇りを求める。子供たちだって、自分が周りと違う立場であることを知ったのなら、それがいやなことでなくて、誇らしいことであってほしいという願いを無意識にでも持っている。その思いに応えて、その通り、誇らしいことなのだ、あるいは少なくとも恥ずかしいことではないのだと伝えることこそ、本当の親切というものだろう。「隠しておいてあげる」では、やはり「あれ」は隠さなければいけないほどのことなのか、と思わせるばかりである。

戦後日本有数のヒーローだった力道山は、本名を金信洛という朝鮮人だが、「百田光浩」なる名で架空の「力道山物語」が映画化された。中国人の王貞治の場合とは対照的。

 在日人口の多い関西で教師をしていると、通名の子が多い中で本名を名のる子にもしばしば会う。そういうとき感じるのは、彼らが通名を名のる子よりずっと明るいということである。そして、通名から本名に代えた子は当然明るくなる。「本名を名のってから人の心が分かるようになりました」と、ある小学校5年の女の子が作文で書いている。子供たちは、友達を失うことを恐れている。たしかに本名を名のって離れていく友達も少しはいるだろう。しかし、それは本当に友達だったのだろうか? 私の経験では周りの日本人の子も本名にはすぐになれてしまう。乗り遅れるのは、むしろ引き続き通名で呼ぶ一部の教師のほうである。本名は、言葉が適当かどうかは別として、敵味方をはっきりさせる。得られるのは味方のほうがずっと多い。通名で暮らしている間は、周囲が全員潜在的な敵である。そこまで言っては極端なら、「敵になるかも知れない」という不安に常に在日の子はとらわれているのである。このような不安もわだかまりもなくつきあえる友達をこそ彼らは求めているのである。日本人の中には本名を名のるということを、日本人への挑戦のように誤解する向きも一部にはあるかも知れないが、実は本名を名のる在日こそ、日本人との深いつきあいを求めているのだということを知ってほしい。

 最後に、日本人の立場で考えてみよう。通名を名のっている人とつきあうと、その秘密を共有することになり、場面場面で対応を変えなければならず、気を使うことが多い。その人とのつきあいの深さを維持したままで、さらにつきあいの輪をひろげることも至難のわざである。周囲の誰ともわだかまりなくつきあいたいと思う気持ちは日本人だって同じであるはずである。世界がボーダーレスの時代に入って、日本人が何らかの意味で「国際化」することに異議を唱える人は少ない。しかし、相手が「金」とか「李」とか名のると一瞬動揺する日本人のほうがまだまだ多い。こんなとき、当然のように「ああ、在日の人なんだな」と思って、自然に応対できるようになることこそ、単に語学を学ぶこと以上に大切な国際化の条件なのではないだろうか? こういう名前を聞きなれないのも、通名が多いからである。在日の誰もが本名を名のるようになったなら、「金」や「李」や「朴」という姓は、日本人の誰もが身近に一人は知っていて不思議はないほどの人口を持っているのである。