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石原発言の何が問題か?
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「太陽族」を描いた20世紀
デザイン切手。その名は、
石原氏の芥川賞受賞作
『太陽の季節』による。 |
東京都の石原慎太郎知事が自衛隊の式典で、地震などの災害に乗じて予想される「三国人」の暴動に対し、自衛隊に治安維持の役割を期待するという内容の、驚くべき発言を行った。このような発言に最も敏感に反応する韓国が総選挙を目前とし、南北会談の話題で持ちきりだったのは、石原氏にとって当面はさいわいであった。韓国の一部には、「今も根強い日本人の差別意識を代弁するものである」との論調もあって悲しい思いをしたが、「韓日関係がかつてないほど親密なときに、このような狂信者の発言は腹立たしいというよりあわれである」との論調も多く、韓国も余裕が出てきたなと思ったものである。
「三国人」という言葉がなぜいけないのかを「言語学的に」説明せよと石原氏は言うのだが、そんなことは言語学の仕事ではなく、常識があれば十分である。まず、「三国人」という言葉は、そう呼ばれた在日韓国・朝鮮人や中国人自身が使い始めたものではない。さらに、この言葉は徹底的に日本人の主観だけから生まれた表現である。戦後の日本はアメリカの占領下に置かれた。占領する側でもされる側でもない第三国の人間という意味で、「第三国人」「三国人」という言葉が使われたのである。といっても、実際にそう呼ばれたのは、それまで日本の植民地の人間として、祖国を持たなかった朝鮮人や台湾の中国人に限られていた。そして、日本人が占領軍(当時は進駐軍とよんだ)から受けた規制を受けないことをいいことに好き勝手なことをしている連中というニュアンスが含まれていた。植民地時代に受けた受難と屈辱の反動として、混乱の時代に日本人に対して威張り散らす旧植民地人が相当数いたことは確かである。しかし、それをあたかも旧植民地人のすべてであるかのように見なして、戦前戦中の差別意識そのままに、旧植民地人を罵倒する蔑称として、「三国人」という言葉が用いられたのである。その際、日本人が彼らに対してなしてきたことへの反省など、かけらほども行われることはなかった。
とくに悪意がなくても、自分が使わない言葉で自分が呼ばれるのは不愉快なものである。関西の教師の間には、「在朝(ざいちょう)」という言葉を使う人がいる。「在日朝鮮人」の略称であり、確かにとくに悪意はないのだが、呼ばれる側はあまりいい気持ちはしないのだから、使うべきではない。まして、「三国人」という言葉は、明白な差別意識の反映であり、罵倒の言葉として用いられた歴史を持つのだから、絶対に使ってはならない。幸いにも、この言葉はとうに死語となり、いわば砂山に埋もれた真っ赤に錆びたナイフなのだが、それをわざわざ掘り起こして使う石原氏に、差別的な意図はないのだろうか? 私は1946年の生まれであり、「三国人」という言葉が盛んに使われていたころすでに生まれていたのだが、物心ついたころには、この言葉の使用は峠を過ぎていた。しかし、石原氏は私よりかなり年長である。子供心にもこの言葉の持つ響きを十分に認識して育ったと思われる。差別語をそれと知らずに使った人にはそのことを指摘するだけで十分であり、かさにかかって責め立てるようなやり方は私は好きではないのだが、石原氏がその意味をまったく知らなかったとは、どうしても考えにくく、相手への打撃を計算に入れて意図的に使っているのではないかという疑念を拭えない。

つぎに、地震のときに外国人が暴動を起こすなどというのは、単なる憶測にすぎない。私は、阪神淡路大震災を体験し、さいわい自分自身の被害は軽微だったものの、ここに添えた3葉の写真(筆者撮影)のような光景を毎日見ながら片道一時間半かけて自転車通勤し、生活の上でしばらく不自由をこうむった。憶測に対しては事実をもって答えたいと思う。まず、暴動のかげなどまったくなく、ごく一部に崩れた家から物を持ち出すコソ泥がいた程度である。日本人住民が朝鮮学校に避難し、それまで近所に住みながら付き合いがなかったのを、これを機会に親交を深めた事例もあった。デマに踊らされた日本人によって6000名(阪神淡路大震災の犠牲者とほぼ同数!)もの朝鮮人が殺された関東大震災とは比較にならない。日本が成熟したまともな社会になった証拠だとうれしく思ったものである。それだけに、今回の石原発言は悲しく腹立たしい。
阪神・淡路大震災のときには、自衛隊をもっと早く出動させるべきだったという声が聞かれた。人命を少しでも多く救うために役立つものならば、どんどん利用すべきであろう。しかし、今回の石原発言は、その裏に潜む別の意図を浮かび上がらせた。人命救助より治安出動をさせたいというのが本音だったのだろうか? あるいは、日本人に自衛隊をもっと認知させたい、見慣れさせたいというところに真意があるようにも思われる。人命救助に行くのなら、何も迷彩服で行くことはない。遠くからでも目立つ原色の服にしたほうが、目的をよく果たせるはずだし、現に外国のレスキュー隊はそのような服装をしていた。さきごろ自衛隊が購入した防弾チョッキが不良品で億単位の金が無駄になったという記事が新聞に載ったが、災害出動用の服が、防弾チョッキよりはるかに安いことはいうまでもない。服装への配慮を含め、災害救助と治安出動をきちんと分けるというような措置も講じないままでは、どの自治体もおいそれと自衛隊に出動要請をするわけにはいかなかったのである。災害救助が自衛隊の本務でないことを忘れてはならない。
もう一つ、忘れられているのは、日本のどこで災害が起きても、情報がすぐに政府に届くという体制ができていなかったということである。神戸市選出の高見裕一代議士(さきがけ)は身近に目にした惨状を電話で何度も報告したのに、「関西で地震が起きるわけがない」と思いこんでいる東京の政府当局者はまともに取り合わなかったという。このため、時間がたつにつれ、犠牲者の数が多いことが知られるようになった。関東大震災の犠牲者のほとんどは焼死であったが、阪神・淡路大震災では、犠牲者のほとんどは圧死であり、地震発生後15分以内に息を引き取ったということが専門家の調査で明らかになっている。自衛隊の出動が遅れたがゆえに、多くの生きていた人がつぎつぎと死んでいったわけではない。一人でも多くの人命を救うべきであることはもちろんだが、このような情報収集体制の不備(デマに振りまわされる恐れもある)を棚に上げて、自衛隊にばかりこだわるのには、別の意図を感じずにはいられない。
関東大震災のときも、朝鮮人暴動はまったくのデマであった。デマによってせっかく天災を生き延びた多数の命がむざむざ失われた。その中には、朝鮮人と誤認された日本人もかなり含まれていたのである。私の体験では人を差別せずに襲いかかる地震のとき、人は暴動のような積極的な行動を起こす気にはなかなかなれないものだと思う。阪神・淡路大震災後、トルコ(クルド人の分離独立運動がある)や台湾でも大地震が起きたが、いずれも暴動など起きていない。デマこそが恐ろしいということは、過去の天災で実証されているのであり、そのようなデマへの対策を立て、それによる被害を最小限に食い止めることこそ、石原氏のように長の立場にある者の務めなのではないだろうか? 歌舞伎町が恐ろしいなど、知事でなくたって言えるようなことを言うのはなさけないと思う感性はないのだろうか?
震災の直後ごろから、週刊誌などが「東京で地震が起きたら」などという記事を載せていたのは、腹立たしいことであった。高見の見物というやつだが、石原知事もこの点では同じである。今回の有珠山の噴火では、中山国土庁長官が軽々しく洞爺湖温泉街の移転を口にしたために、地元では大変な波紋を引き起こしているという。長たるもの、熟慮の上に思いきったことを言うのはいいが、軽々しい発言は慎まなければならない。地震に乗じて悪いことをする者がいるとしても、それは外国人とは限らない。日本語の不自由な外国人は、天災のときには日本人以上の不安にとりつかれるので、無茶なことはしないと考えるほうが常識だと思うのだが、いかがだろうか? 悪いことをする輩がいた場合への対策を立てることは、長として当然のことだろうが、そんな対策は密かに立てるべきものであり、事前に公言し、しかも対象を外国人に限定するなど、信じられない神経だという気がする。阪神・淡路大震災のときには、飲み水は買えるし、量もさほど多くないのでよかったが、大量に使うトイレの水には困った。そこで、近所の中学校が防火用水として冬もいっぱいに張っていたプールの水を提供した。そのとき、インド人らしき男性(パキスタン人やスリランカ人かも知れない)が小さなペットボトルを持って、かけつけた。近所の奥さんたちが笑いながら日本語の不自由な男性に説明していた。まことに微笑ましい光景であった。
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錆びたナイフに
ならんでくれよ、兄貴ィ! |
地球規模の環境問題が明らかにしているように、今、どの国も自分たちだけで生き延びることはできない。日本にやってきた外国人を大事にせずに、外国に日本への好意を求めるのは虫がよすぎる。日本の出生率はわずか2世代で人口が半減するほどのレベルに落ち込んでおり、日本経済への先行きへの不安がささやかれている。高齢化社会への対応として、介護労働に限って外国人の単純労働力を導入することが政府部内で検討されているという。しかし、都合のよいときだけ使ってあとは使い捨てというような対応では、誰も日本にやってこなくなるであろう。外国人の力を借りるならば、その人権をきちんと保障しなければならない。ほんとうに恐ろしいのは外国人ではなく、偏見であり、差別である。たしかに外国人犯罪は増えているが、在日外国人の数が急増しているのだから、これは当然のことである。人間がたくさんいれば、中に不心得者もいるのは日本人だって同じことではないだろうか? 天災のときではない日常のときでも、外国人の場合、すぐに国外に追放されるという制約がある以上、日本人以上に自分の行動を律している面もあるはずである。外国人の犯罪率がほんとうに日本人より高いのかどうか、石原知事にはきちんとした数字を示してもらいたいものである。石原氏は自分の発言に対する支持の声にとまどいを感じ、鬱屈した心情の表現なら問題だ、などと述べているが、自分自身の心情は鬱屈していないのだろうか? よくよく考え直してもらいたいものである。
なお、若い世代の石原発言に対する反応は鈍い。一言でいって「三国人」などという言葉が初耳だったからである。若い世代が歴史を勉強していないことを責める以前に、大人たちがなすべきことは多い。
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