バーミヤンの
大仏の破壊に思う

 アフガニスタンのバーミヤンの大仏が破壊された。何かテレビを見たせいで、中学校ごろから私の脳裏に残っていた大仏である。足元に人が歩いていて、奈良や鎌倉はもちろん、敦煌や龍門や雲崗の大仏も真っ青の、その大きさがよく分かったことと、顔がそがれていたことが、覚えている理由であろう。

タリバン政権をとめるのに、「世界文化遺産(上でリンクしたサイトによると申請中だったらしい。文化遺産への指定が著しく西欧に偏っていることの表れ。)だから」などという西欧に発した「身勝手」な理屈は通用しない。他のイスラム諸国は、つぎの2点で説得を試みたが失敗した。

(1)他の宗教に対する寛容はイスラムの伝統である。

(2)大仏は観光資源としてアフガニスタンの復興に役立つ。

第二の点は誰でも分かることだが、第一の点は、「左手にコーラン、右手に剣」という西欧発の偏見に染まった日本人には知られていないが、事実である。イスラム帝国(西欧人のいうサラセン帝国)では、ジズヤ(人頭税)さえ払えば、自分の信仰についてあれこれ言われることはなかった。そのために、首都のバグダッドなどには、さまざまな文化を背負った人々が集まり、中国の長安と並ぶ繁栄を謳歌した。

イスラムが不寛容な宗教ではない証拠は、バーミヤンの大仏よりはるかに古いエジプトなどの遺跡が今日もちゃんと残っていることである。バーミヤンの大仏自体、顔こそそがれているにせよ、今日まで残っていた。むしろ十字軍のような愚行を犯したキリスト教こそ、不寛容だった時代が長かった。

今回のような破壊をしようとした不寛容なムスリムは、過去にもいたに違いない。しかし、彼らは強力な爆薬を持たず、せいぜい顔をそぐことしかできなかった。当時の技術力では、顔をそぐのにさえ、たいへんな労力を費やしたに違いない。

近代の西欧は、戦争のための武力を開発する「科学」を手に入れることで、それまでの貧しい辺境から脱したばかりでなく、それまでの人類の歴史にはなかった空前の力で全世界を支配した。そのため、非西欧圏では、一切の外来の要素を排除することで、伝統を守ろうとする動きが生じてきた。

 しかし、何もアフガニスタンに限らず、あらゆる文化の伝統とは、有用なものならどんどん取り入れ、自然とそれまでの文化と調和させてゆくということではなかったのだろうか? こういう見方をするならば、自分たちだけの勝手な伝統の解釈は、伝統の力を弱め、伝統の死滅に道を拓くものとなる可能性が高い。

 ともあれ、壊された大仏は元には戻らない。長い歳月を生き抜いた文化遺産でも、破壊は一瞬のうちに終わる。とはいえ、豊かな国がアフガニスタンの現政権を非難するだけでいいというわけではない。タリバン政権が言う「西欧はアフガニスタンの飢えた民より『ただの石』に興味があるらしい」という皮肉にも、少しは耳を傾ける必要はあると私は考える。