掲示板過去ログ2001年7月

なぜ「い」抜き言葉を問題にしないのか? 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月31日(火)17時59分39秒

 私も「いてる」の語源解釈については、川口さんと同意見です。「北極圏ではオーロラが見られる」を「見れる」というのが問題にされていますが、それなら、「今なにしているの?」を「今なにしてるの?」という「い」抜き言葉も問題にされていいはずです。「している」が「してる」になったのと同様に、「いている」が「いてる」になったのではないかと思っています。「ら」抜き言葉を問題にするのなら、「い」抜き言葉も問題にしてしかるべきです。
 若いところでは俵真智さんも入ったようですが、国語審議会はおおむね年寄りが多く、それぞれの主観的な老いの一徹に左右されることが多いようです。
 現代語の「た」は本来は進行相と思います。「竹取の翁」がいつものように竹を切ったところ、かぐや姫が「いとうつくしうてゐたり」とありますが、これは「とても可愛くすわっている」としか解釈できません。完了と過去の区別はいろいろと悩ましいので、もう少し考えさせてください。
 関西弁の「おる」と「いてる」については、私は「おる」はややぞんざいな表現ではないか、という印象を持っています。

最後の特攻隊員 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月31日(火)17時52分45秒

日記に書かれていた、叔父様の投稿文読ませていただきました。著書「最後の特攻隊員」には書かれておられなかった赤裸々な思いが語られていて、感無量です。今まで何枚も何枚もの鎧の下に守ってこられた本当の思いを、ようやく語り始められたのではないでしょうか?

矢玉さんへ 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月31日(火)12時24分53秒

「はれときどきぶた」でしたね。大事な作品名を間違えてすみません。

夏来たりなば秋遠からじ 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月31日(火)12時18分48秒

昨日、アキアカネを見ました。青田の上をスイスイと飛んでいました。「夏は汗をかいて体じゅうの毒を出す季節」と、漢方薬局でもらったパンフレットに書いてありました。夏が行ってしまわないうちに、いっぱい汗をかいておかねば・・・
 娘の「よるごはん」にも、息子の「ゆうめし、ばんめし」にも、いつも違和感を感じているので咄嗟に出てくるのです。いつまでも使うのでしょうか?家庭を持って親になっても?
 矢玉さん、息子も「晴れときどきブタ」の大ファンでした。私は、昨年から、読み聞かせグループの仲間に入れてもらっています。「晴れときどきブタ」も、少しずつに分けてでも、読みたいと思います。こどもたちとゲラゲラ笑いたいので。
 「鉛筆のてんぷら」にはゲーゲー吐きそうになりながら?

はじめまして。 投稿者:NT  投稿日:07月31日(火)10時37分26秒

はじめまして。
ソシュール関係を調べていたらここを見つけました。 なんというか、関心領域(朝鮮、言語)が似ている(失礼だったらごめんなさい)気がしたので思わず引きこまれました。
 プロフィールを読ませていただいたところ、私の故郷、京都で学ばれたとのこと、またご著作は大学時代に読んだ覚えがあります(あ、歳がばれますね。そうです。きっと親子くらいの差があります)。
 卒業論文に「明治維新期における日本人の朝鮮観の変遷」(できはひどかったのですが)というのを書いて以来、自分のなかで朝鮮熱はさめつつあったのですが、またがんばってみようかと思います。
 私のサイトは少々不真面目ですが・・・よければのぞいてください。

http://page.freett.com/ntsite01/

いろはと五十音図 投稿者:波江究一  投稿日:07月31日(火)06時20分46秒

掲示板は初めてですがリンク頂いて居る者です このほどいろは歌と五十音図の相関について論考を追加致しましたので案内申し上げます 
http://www5a.biglobe.ne.jp/~namie/sub12a.html#iroha
親に貰ひし名を書き崩してポスターでにやつくやうな心がけの連中に到底景気が回復出来るとは思へません 急がば廻れ まづは日本人が己の判断力の基盤から見直してかかるべきと時機でせう

http://www5a.biglobe.ne.jp/~namie/

口語の形容動詞について 投稿者:田中洸人  投稿日:07月31日(火)01時05分03秒

文語の形容動詞には「なり活用」(に+あり)と「たり活用」(と+あり)がありますが口語の形容動詞はこれら2つのどれにも相当しません。強いて言うなら「だり活用」(で+あり)であると考えれます。なぜ「なり活用」(に+あり)と「たり活用」(と+あり)が滅んだのですか。教えてください。

「いてる、いてる」 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月31日(火)00時57分29秒

 「ごっついきれいな脚」には冷や汗を流さずにはいられません。たとえ女性ボディビルダーの鍛え抜かれた脚を見たとしても、こういう表現はしないと思います。『ごっつい』の意味がはっきりわかってすっきりしました。

 『いてる』が又面白いです。ナインティナインの矢部さんのファンなので(何で矢部さんなのかは関係ないので触れません)、彼が使う言葉には結構神経を使って聞いているのですが、確かに『いてる』を使います。これはたぶん『いている』が縮まったのだと思いますが、『いる』が二つ重なっているという事でしょうか。

 確か先生のHPにも関係した内容がありましたが、以前日本語の完了形を分解していた時に、『た』は『てある』から来たもので、本来完了を表すが、過去にも借用されている。進行や結果などを表すために、既に『・ている』がついている動詞に『た』が追加された場合、『・ていた』になるが、異なる『相』が二つ重なるのはおかしいので、この場合の後ろの『た』は決して完了にはならず、必ず過去になる。というような仮説を立てた事があります。真偽の程はさておき。
 この『・ていた』を無理やり元に戻すと『・ていてある』になりますが、はっきり言ってこれは感覚的にも理論的にも無理があります。過去の『た』は完了の『てある』が『た』に変化した後に借用されたので、過去の意味のままでは『てある』に戻す事が出来ません。つまり『・ていてある』のような存在詞の連用などありえないというわけです。

 ここで漸く『いてる』に戻りますが、これは別に『相』や『時制』とは関係なく、ただの『いる』と同義なんですよね。一体なんで又同じ意味を重ねたりするんでしょうか。同じ『いる』という意味である『おる』と『いてる』には何か違いが潜んでいるんでしょうか。

 それにしても、和歌山大学というのは留学生にごっつい問題を出すものですね。『露出形』『被覆形』ですか。いや、ごっついわー。

中国の方ですか? 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月30日(月)18時18分51秒

 陳さんは中国の方とお見受けしました。「陳」の字は日本語では「ちん」と読み、韓国・朝鮮語でも「チン」と読みます。朝鮮半島にも「陳」さんはいますが、まれとまではいえなくても、比較的珍しいようです。でも中国にはたくさんいますね。「李、張、王」のつぎぐらいではないでしょうか?
 中国で「陳」は普通話(北京語)では「チェン」と読むようですが、香港などでは「チャン」と読みますね? 日本で有名なアグネス・チャンは、本名が「陳美齢」だったと記憶しています。ジャッキー・チェンは、香港では「成龍」の名で知られていますが、国際名の「チェン」は本名の「陳」ではなかったでしょうか? 「陳」姓は、漢字文化圏だったベトナムではTranと書いて「チャン」と読むと聞きました。中国の南方の音に似ていますね。
 このHPがお役に立てて何よりです。もし、このHPのとおり書いて×にされたらどうしようという心配もしておりますが……。
 なお、被覆形、露出形についての記事は、下記のとおりです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/sakaya.htm

ごっついきれいな脚 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月30日(月)17時32分20秒

 関西に来たばかりのころ、「ごっついきれいな脚」という表現を聞いて頭がくらくらしたことがあります。すらりと伸びた女性の脚のことですが、「ごつい」といえば、ひどく男性的な顔などを連想する関東人としては、形容矛盾のように思われたのです。川口さんも私とほぼ同じ言語圏と思いますので、同感できるのではないでしょうか? 関西で「ごっつい」といえば、単に「すごい(very)ということに過ぎません。
 関西では「いる」より「おる」が使われることが多いようです。「おる」は、古典文法のラ行変格活用の「あり、をり、はべり、いまそかり」の「をり」の子孫です。とくに、兵庫県では「何しとう(←しとる)?」という言い方をよく聞きますが、京都や大阪ではまず聞きません。また、関西では、「いる」ことを、下一段活用で「いてる」といいます。「いてはりますか?」「いてます」という具合です。

今回の選挙結果を苦々しく受け止めていますが、いずれ潮流が変ることでしょう。

びっくりしました 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月30日(月)17時19分28秒

田中さんは奈良県に住んでおられるんですよね? 道州制は地方分権とのセットでこれから論議されなければならず、区割りはそれからのことですが、私は都道府県の境界は変更せずに合併で行われると思っていたので驚きました。京都府の相楽郡域は、私も九体寺(浄瑠璃寺)に奈良から行ったことがあります。三重県の伊賀地方は、大阪の通勤圏ですね。この二つについては検討してもよいと思いますが、他は抵抗を感じる人が多いのではないでしょうか?

http://www.sikasenbey.or.jp/~alphakun/kamo/kyotoC8.html

ありがとう 投稿者:陳楽  投稿日:07月30日(月)12時17分52秒

私は和歌山大学の留学生です。明日は、日本語の歴史というテストがあります。「被覆形」と「露出形」についての問題が出てくるそうですが、これについての資料を見つかりませんでした。悩んでいるところに、このHPを発見!!助かりました。本当にありがとうございました。明日の試験を負けないように、頑張っています。

「居る」 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月30日(月)00時39分04秒

 静岡県でも知事選挙が同日だったのですが、空港建設推進派の現職が通ってしまい、額を押さえています。大赤字になるのが分かっているのに、わざわざ茶畑の山を削り、谷を埋めて滑走路を作ろうというのですから、呆れ果ててしまいます。住民投票が検討されていますが、この調子では中止に持ち込めるかどうか分かったものではありません。

 『行住坐臥』を読みました。こういう様々な知識はどうやって集めるのですか ? やはり膨大な量の読書ですか ? 一体どういう風に時間をやりくりされているのか、実に不思議です。
 ついでに行書のリンクも読みました。まずまず一理あるとは思いましたが、実現するとなるとどうでしょう。言語関連のアイデアはいくつもあります。たとえば日本語で擬態語を書く時にはハングルを使い、擬声語を書く時にはキリル文字を使うようにすれば、隣国の二つの文字体系を自然に覚えられるとか。しかし、この種の案が実現する事はまずあり得ないと思います。

 『いる』については苦い思い出があります。七年ほど前、原付バイクで山陽山陰を回ったのですが、沼津を朝三時に出て国一国二と走り継ぎ、神戸を過ぎて明石海岸に差し掛かったのが夕方の六時頃、ぶっ通しで走ってきたため疲労と眠さで頭が朦朧としていて、とうとう信号無視をやってしまいました。しかもパトカーが先頭で信号待ちをしていたその横でです。当然直ぐに止められてパトカーの中に招待されました。
 沼津から50ccで来たというと「ごっついわー」を連発されましたが、これは「きつい」という意味なのか「すごい」という意味なのか今でも分かりません。問題はその後で、違反の書類を作るにあたり、会社の所在地を『裾野』だと答えたのですが、二人の警官が二人ともこの『裾』という字を知らないらしいのです。やむなく分解して「衣偏に『居る』です」と教えたのですが、まだ分からないようです。
「いる ?  それはあれか ?  要るという字か ?  要求するの要か」
「いえ、居るの居るです」
「わからんなぁ」
「だから、ここに居るとかそこに居るとか言う時の居るです」すると二人で顔を見合わせ「ああ、『おる』の事か。それならそうと・・・」
 分かってもらえたのは嬉しかったのですが、疲労、睡眠不足、違反のショックに加え、自分の言葉が通じないというカルチャーショックまで受け、心身ともに打ちのめされてしまいました。実際問題、あそこまで通じないものなのでしょうか。

道州制について 投稿者:田中洸人  投稿日:07月29日(日)17時42分01秒

10年ほど前に「道州制」なる制度が真面目に論議されたことがあります。この中で、奈良県、三重県、和歌山県、大阪府南河内・和泉地区、京都府相楽郡域を合併して「大和州」とする案も出されました。私はもちろんこの案に賛成です。なぜなら、「大和」には現在の奈良県のみならず「日本」という意味もあるので三重県民や和歌山県民からも同意が得られやすいからです。

やさしい言葉ほどむずかしい 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月29日(日)17時28分23秒

 escalateやAmericanizeという動詞とgetやmakeといった動詞とどちらが難しいかという話があります。短い簡単なはずの動詞のほうが遥かに難しいことは言うまでもありません。一見難しそうな言葉は意味が限定されるのに対して、簡単そうな言葉は意味に大きなひろがりがあるからです。助詞のたぐいは、この意味でもっとも難しい語だといえるでしょう。ちかごろスーパーなどで聞く「千円からお預かりします」などという新しい言い方がつぎつぎと出て来ますから、万全の説明ができたと思ったとたんに、指の間から砂がこぼれおちるようなことがつぎつぎと起こってきます。

 なお、選挙について、「日記」にちょっと思うことを書きました。また、「ことばの散歩道」に、「『行住坐臥』とは何か?」という新規の記事を書きました。ぜひ、御笑覧ください。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/gyoujuuzaga.htm

地名は文化遺産 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月29日(日)17時10分37秒

 北九州市は、小倉、門司のほか、八幡、戸畑、若松の五市が合併して誕生しました。四大工業地帯の一つとして北九州の名が定着しているとの判断があったようですが、やはり無機的な感じがします。いま、日本中の地名が「田舎くさい」などの理由にもならないような理由でつぎつぎと「〜ヶ丘」「〜台」といった不動産屋の商品名のような名前にかえられています。地名は文化遺産という自覚をもっと地方行政の担当者に持ってほしいと思います。
 都道府県名は県庁などが置かれたところの地名に由来しますから、当然もとはより小さい地名です。神奈川県横浜市神奈川区、兵庫県神戸市兵庫区というのがありますが、神奈川区、兵庫区の範囲が本来の神奈川であり、兵庫です。

考え中 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月29日(日)09時26分19秒

 余りにも様々なパターンがあるため、「自動詞他動詞の区別はその動詞だけではなく主語や目的語との意味関係も含めて考えないとはっきりしない」という説が真理を突いているような気がしてきました。もっともこれらとの組み合わせを個別に考えるとなると対象が無限に増えてしまうので、結局はその中から法則を探すという所に戻って来てしまいます。弱音を吐くようですが、このあたりが個人研究の限界でしょうか。ただ『を』の機能の正体を追及すれば結構いい線まで追い詰められるような気もしています。『把』と比較するのは大変興味深いので、今後是非取り組んで見ようと思っています。
 『を』の分析方法を『に』にも適用してみようと思い、昨日一日頭を回して見ましたが、こちらは寄り合い所帯なのでまずその見分けから始めなければならず、更に厄介なようです。これまで、英語の間接目的語に使われる『に』は、『へ』に言い換えが利く物だと漠然と思っていたのですが、どうやら名詞が場所を表す時だけしか成り立たないらしいという事が分かったのが唯一の収穫です。補語の『に』に到ってはそもそも自分が英語の補語の正体を見極めていない事を再認識してしまい、『で』や『と』との関連も分からぬ始末。中島文雄著『英語の構造』(変形生成文法に拠る分析)にすがって見たら、あろう事かこの本では五文型を否定していて、『補語』という言葉が出ては来るものの、前置詞句も含めたもっと広い意味で用いているようで、どちらを信じていいのか分からず、母語話者でない辛さを身にしみて感じています。

 頭の痛い話はこれくらいにして、『よるごはん』にはびっくりしました。こういう言葉が使われているとは知りませんでした。全国的に広まっているとすると、テレビの影響が一番に考えられますが、やはりドラマをまめに見ていないと駄目でしょうか。びっくり中なので感想も何もないのですが、『夜ごはん』を口にする人達は、たぶん『晩ごはん』も知っているはずなので、どういう心理で使い分けているか、聞き取り調査をして見ると面白いと思います。使用者の年代から考えて流行語である事は間違いないと思いますが、希薄ながら新概念を含んでいるので、時と共に消え去るか、はたまた定着するかはなんともいえません。

 では、そろそろ選挙に行って来ます。今回は日本人の『中庸度』が測れる面白い選挙になると思います。

日記を読んで 投稿者:田中洸人  投稿日:07月28日(土)23時36分23秒

市町村名のつけ方は実にいいかげんなのですね。日記の例以外でも、小倉市と門司市などが合併して「北九州市」になった例などがあるのですが、この市の名前のつけ方もやはり無機的です。また、都道府県名のつけ方もやはりいいかげんです。たとえば、「香川県」の由来は高松市が元来「香川郡」に属していたからみたいです。また、「奈良」、「京都」、「大阪」、「和歌山」をそれぞれ、「奈良県」、「京都府」、「大阪府」、「和歌山県」の意味で使うケースなど皆無です。つまり、都道府県名と同じ市町村名がある場合には1つの例外もなく市町村名のほうがオリジナルです。したがって、都道府県名はほとんど地域名としては使われていないみたいです。

いろいろ発展しそうです 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月28日(土)23時18分59秒

 矢玉さん、面白い話題を提供して頂きありがとうございます。うーちゃんママさん、家族のみんながどんな言葉遣いをしているか、とっさに出てくるところがすごいですね。向井さん、「夜食」から「よるごはん」が派生したかどうかはよく分かりません。
 朝晩といいましたが、より古くは朝夕だったと思います。夕刊などという言葉があって、「ゆう」を音読みと思っている人が多いのですが、これは訓読みで、音読みは「セキ」ですね。本来は「朝」「夕」のことだった「あした」「ゆふべ」という言葉が「明日」「昨晩」という意味に変ったのはなぜか、一日三食が一般化したのはいつからか、などいろいろと面白いテーマがありそうです。

文法教育のあり方 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月28日(土)23時05分03秒

文法教育は、文法用語を暗記することというこれまでのイメージを一新し、言葉についての発見を楽しませることに主眼をおくべきだと考えます。日本語文法が文語文法から出発し、文語文法が体系的に整っているということを考えるなら、文語文法を中心にという考え方も大いに検討されてよいと思います。古文の学習のためという動機付けもありますから、生徒の側にも抵抗感は少ないようです。

夕餉・晩餐・夜飯 投稿者:向井未来  投稿日:07月28日(土)16時55分55秒

 晩めし、夜めしのお話、面白いですね。
むかし習いました古文の中で、朝餉、昼餉、夕餉などが出てきたことを思い出しながら読ませていただきました。古文ではないですが、晩餐(最後の晩餐、晩餐会など)の言葉もありますね。信太さんがいつも主張なされております、「言葉は生き物」で、時代によって表現が違ってくる、まさにそうではないでしょうか?
 さて、24時間、どこかの国が起きている(分野を問わず学者によれば、太古からそうだったということですが)ことが認識されるのは、ネット通信の発達によってとなりますでしょうが、夜食(受験に関する用語?)の語がまず出来て、「夜飯」に発展した?、派生的にそうなった?のでしょうか?

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/kotoba.htm

ばんめし 投稿者:矢玉四郎  投稿日:07月28日(土)13時34分14秒

信太さん、さすがです。ありがとうございます。うーちゃんママ、こういう情報がもっとほしいですね。「よるごはん」がどうしてひろまったのか?じっくり研究しましょう。

http://village.infoweb.ne.jp/~harebuta/

よるごはん、ばんごはん、四人四様 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月28日(土)01時59分40秒

娘(中2)は「よるごはん」、息子(大学四年)は「ゆうめし、ばんめし」、夫(50代半ば)「夕飯、ばんごはん」、私「夕飯、夕ごはん、ばんごはん、」四人四様です。

両者を包含する文法…文語文法 投稿者:田中洸人  投稿日:07月27日(金)23時32分20秒

両者を包含する文法とはつまり文語文法そのものです。つまり、文語文法を少し修正すればこれは現にも適用できるのです。したがって、私は文法教育は文語文法を中心にやるべきだと考えています。

「朝晩」と「昼夜」 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月27日(金)22時36分02秒

 よるごはんという言葉には私も違和感があり、辞書にもほとんど載っていないと思いますが、今ではけっこう使われているようですね。しかし、「よるごはん」という若者でも、それが「夕食」であって「夜食」ではないという認識は持っていることでしょう。
 問題は、「晩」と「夜」とがどう違うかということに帰着すると思いますが、この二つは、系列を異にする語のような気がします。「朝晩」「昼夜」という言葉があるように、晩は朝、夜は昼と対になる言葉でしょう。昼と夜とは24時間全体を日の出、日の入りで区分しますが、朝と晩とはそのうち人間が起きている時間の始まりと終わりを示しています。しかし、朝と晩の間には長い時間がありますから、昼という言葉は、24時間全体の中で夜との二分法の一部をなすとともに、人間の起きている時間の中で朝晩とともに三分法の一部をなしているように思います。
 このように、晩と夜とが別の系列に属する言葉であるために、いつまでが晩でいつからが夜という境界がないため、同じ食事を「ばんごはん」とも「よるごはん」とも呼ぶようになったものと思われます。それに、「晩」には、「三日三晩」というときのように、「昼夜」というときの「夜」に近い使われ方をするときもあります。
 それに、「よるごはん」という表現の登場は、照明の発達とともに、人々が宵っ張りになってきたこととも関係があるように思います。暗くなってから食べることが多いために、「よるごはん」といったほうが実感がもてるせいもあるのかも知れません。

同じ「この」でも 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月27日(金)22時18分58秒

 私は古語は古語、現代語は現代語として文法を考えようという立場であり、田中さんは両者を包含する文法を考えようという立場ですから、噛み合わないところがありますが、一応私の考えは下記のとおりです。
 補助活用は短縮形の一種というお説は、古語については説得力をもちますが、現代語についてはどうでしょうか。現代語の文法では未然形はたとえば「高かろ」という形しか認められておらず、古語の補助活用のように、「あり」を切り離すことがこんなんです。同じ「この」でも、古語では「こはいかに」というような用法があるために2語と考えられていますが、現代語では連体詞として1語と考えるように、古語と現代語で文法上の扱いが異なることはたくさんあります。私はそれで納得しているのですが、田中さんはまさにそこが我慢できないのでしょう。

よるごはん、ばんごはん 投稿者:矢玉四郎  投稿日:07月27日(金)20時28分11秒

よるごはんに違和感があるというメールをもらいましたが、私の手にあまります。検索するとばんごはんが多いのですが、けっこうよるごはんも出てきます。あさひるばんが、あさひるよるに移りつつあるような気も。ばんごはん危うしです。研究をお願いします。

http://village.infoweb.ne.jp/~harebuta/

形容詞には未然形が存在しない 投稿者:田中洸人  投稿日:07月27日(金)18時40分46秒

やはり私の説のとおり形容詞には未然形が存在しないのですね。なぜなら、形容詞の否定には以前は「〜くあらず」およびその短縮形である「〜からず」が用いられていたが現在では「〜くない」を使うのが普通になっています。このように、昔も今も形容詞の否定には補助動詞や補助形容詞を用いてきたので形容詞自体に未然形が存在しなくてもまったく不便でなかったのです。したがって、私の説では補助活用は短縮形の一種なので2つの単語です。

米洗ふ前を蛍が二つ三つ 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月27日(金)18時19分23秒

 出典を記憶していないのですが、俳句を作る人の間で有名な話があります。弟弟子が「米洗ふ前に蛍が二つ三つ」という句を作りました。兄弟子がそれでは蛍が死んでいる、「前へ」とすべきだと言いました。二人の会話を聞いていた師匠が、それは「前を」とすべきだと言いました。二人の弟子は、さすがは師匠だと感嘆したというのです。
 確かに、「前を」というと、蛍が人間の目の前を自由自在に飛び交っているように思えます。この自由自在さが、対象を我がものとするという意味で、「を」の意味の核であるのかも知れません。「空を飛ぶ」というとき、空は飛ぶ上でもはや何の障碍にもなっていない印象を受けます。「橋を渡る」というのも、橋全体を通り抜けて初めて使える表現です。中国語では、対格(目的格)は多くは語順のみによって示されますが、ときに「把」という前置詞を用いることがありますね。これも「とらえる」という意味の字でなのではないでしょうか? 私は国語学者ではありませんので、私自身の体系などというものは持っておりません。しかし、これから追求していきたいと思っています。

再び「〜からず」について 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月27日(金)18時02分39秒

 最近生徒の作文に「夕食も取らず勉強していた」の「取らず」を「取らなく」と書くのをよくみかけます。しかし、その生徒も、会話のときには、このような言い方をしないと思います。関西弁をよく話す生徒なら「取らんと」というでしょうが、今では関西では「取らないで」というのが多数派と思います。「〜からぬ」「〜からしめる」「〜かろう(からう)」は終止形が古語の「〜からず」「〜からしむ」「〜からむ」とは異なっていますが、少なくとも文語的表現であることは間違いないでしょう。Made in Japan が「安かろう悪かろう」と言われたのはもう昔話ですが、今では「安いだろう」「悪いだろう」というのが普通になってきていて、このような口語表現があったということも昔話になりそうです。
 私には、田中さんほど言語に「法則」を求めようという情熱がありません。ただ、分かりやすく能率的な説明の方法は求めたいと思っています。普遍文法というものの追求が流行したことがありました。しかし、すべての言語の深層は同じであり、だから違う言語の間で翻訳が成り立ち、意思が通じるのだという発想には私はなじめません。言語というのは永遠に不完全な伝達手段であり、意思が通じるのは、同じような身体を持ち、同じような生活をしている人間同士が、その都度解釈によってこの不完全さを補うから意思が通じるのだと考えています。

『を』 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月27日(金)10時40分30秒

 非常に頭の痛い問題なのですが、この後中国語の動賓関係を解明する事を目標にしているので、日本語の自動詞他動詞の問題は避けて通れません。先生の新しい書き込みを読んで些か勢いが削がれてしまったのですが、昨夜一晩考えた結論としては、『を』はやはり一つの意味で捉えた方がよいというものでした。後の祭りの感はありますが、参考程度に読んで見てください。ただ国語辞典の記述を否定しているので、先生に国語学の立場をとられると非常に弱ります。その場合は無視して下さっても差し支えありません。

 長年の疑問だった『飛鳥路を行く』を的確に説明していたので、通過点を表す『を』をわりに素直に受け入れていたのですが、その一方で『を』のように日本語の骨格を成す代表的な格助詞が二つ以上の意味を持っているという点が、どうにも引っ掛かっていました。そこで視点を変え、英語にして見る事にしました。『空を飛ぶ』『海を泳ぐ』『街を歩く』の三つです。すると前二者は『fly in the sky』『swim in the sea』とそれぞれ前置詞句を取る自動詞であるのに、『街を歩く』だけは『walk the street』と目的語を取れる事を知りました。和英辞典の記述によると、この場合の『walk』は他動詞だとありました。ただし『walk along the street』とすると自動詞になります。いずれの場合も意味は『歩く』です。『歩かせる』の意味もありますが、その場合は目的語の位置には場所ではなく、歩かされる対象物(犬など)が入ります。しかし、この『街を歩く』の例だけでは余りにも説得力に欠けます。そこで前二者に着目してみました。前二者を日本語に逐語訳すれば『空で飛ぶ』『海で泳ぐ』になり、『空を飛ぶ』『海を泳ぐ』とは意味が幾分異なります。便宜的にそれぞれを『で型』、『を型』と呼びます。この二つのどちらが先に生まれたのかと考えてみると、やはり『で型』の方だと思われます。その方が文の組み立てに無理がないからです。英語ではこちらの方が多いようですし、日本語でも『海』の場合など『海を泳ぐ』よりも『海で泳ぐ』の方がまだ耳になじむような気がします。では、なぜ『で型』だけでは足りず『を型』必要としたのか。入れ替えが利くほど近いなら何も二通りの表現は必要ありません。『を型』が生まれたのは『で』型では出来ない表現が可能だったからだと思われます。両者の違いは何か。それは『で型』では『空』や『海』が単に動作が行われる場所を表しているだけなのに対し、『を型』では『空』や『海』を動作の対象として捉えているという一点に尽きます。

『鳥が空を飛ぶ』『魚が海を泳ぐ』『人が街を歩く』

 どうやら、動作を行うのが、主語である人・動物自身で、対象が場所である時にのみ、元来自動詞だった動詞が『を』を取るという、このパターンが成立するようです。前に出した『橋を渡る』『得意先を回る』もこの枠に収まります。

 問題はこの場合の『を』が付く名詞を目的語と考えていいかどうかです。私は動作の対象を表すという点で目的語と同じだと考えたいのですが、結論を急ぐ事に恐れも感じています。もし目的語と考えてよいとするなら、動詞は他動詞という事になりますが、前提に完全な自信がもてないので、強弁する気にはなれません。又前述した通り、国語学の埒外に踏み出しているので、先生に同意を求めるつもりもありません。御意見をいただければ幸いです。

「〜からず」について 投稿者:田中洸人  投稿日:07月26日(木)23時16分14秒

信太さんは「〜からず」は文語の借用であると考えているのですか。では「〜かろう」(文法での扱いは「〜からう」あるいは「〜からむ」となる)はやはり文語的表現なのですか。ところで、私は奈良に住んでいるので文語文法のほうがよくわかります。というよりも文語文法は日本語のすべての方言の文法に適用でき、その例として口語文法(標準語の文法)をふくんでいるいう表現が適切です。したがって、信太さんの説では方言はすべて文語的表現となるのでしょうか。教えてください。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/chap1.htm

やっぱり同じ「を」 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月26日(木)21時08分11秒

 「を」自体に対象を示す「を」と通過点を示す「を」があるとは、私は考えていません。動作が行われる条件を示すという点ではどちらも同じと思います。ただ、文の中に入ることにより、他の語との関係で二つに分けられることになるのでしょう。「橋を渡る」と「橋を渡す」の両者の「を」の違いを生んでいるのは後続の「渡る」と「渡す」の違いです。
 自動詞と他動詞が同形という動詞には「吹く」があります。「風が吹く」の場合は自動詞、「笛を吹く」の場合は他動詞です。この場合、「吹く」が自動詞か他動詞かは逆に「を」が決めていることになります。
 それ自体は同じである語を文の中での役割により区別することが正しいのかどうか、私には確信がありません。学校文法では、「花と蝶」というように名詞を並べるときの「と」は格助詞、「君が笑うと僕は嬉しい」の「と」は接続助詞として、別の語とされていますが、これを英語にして、flower and butterfly、You smile and I am happyとすれば、どちらも同じandでしょう。

『を』 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月26日(木)16時57分13秒

 ようやく『飛鳥路を行く』の謎が解けました。説明されれば直ぐわかるのに、我ながら知らないというのは救いようが無い事だと思います。
 『を』と動詞、目的語の関係が何となくわかりかけてきたのでぞくぞくしています。

塚田さん、選挙権行使は初めてですか? 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月26日(木)16時52分34秒

 私は、どの外国の選挙制度ももう一つという気がしています。自分では自分の提案がいちばんよいと思っています(理由も書いてあります)ので、私のサイトの中の「選挙制度の話」の中にある提案を読んでください。
 投票率については、選ぶ側としては、自分が行くという形でしか責任を果たせません。投票率を上げる責任の多くはやはり選ばれる側にあり、それは多くの争点を提示するという形で実行すべきです。今度の選挙は、小泉氏が提示した争点以外に、ほかの争点を提供できる野党がない、ほかの争点を取り上げる姿勢がメディアにない、ということが問題です。有権者の側からの投票率を上げる運動というのも、一応は考えられますが、それもやはり、「こういう問題があるから選挙に行こう」という形でしか実を結ばないのではないでしょうか?
 ただ「選挙に行こう」だけでは誰も動かないように思います

遺伝子(なおりんさんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月26日(木)16時30分33秒

 先日、潮騒が絶えず聞こえる浜辺の宿に泊まりました。去年は蝉の発生が異常に少なかったのですが、今年は例年どおりです。波の音にせよ、蝉の声にせよ、絶え間ないのに、なぜうるさいと感じないのでしょうか? おそらくは自然の音だからであり、私たちの遺伝子も生の自然の中にいたころの記憶を今に受け継いでいるのでしょう。ペットを飼うと安らぐのもそのためでしょうね。
 「秋田おばこ」が踊れるというのはすごいですね。日本の篠笛にせよ、南米のケーナにせよ、穴をあけてあっても、アナログな楽器で、歌うのに近いのではないでしょうか?

(無題) 投稿者:塚田  投稿日:07月26日(木)12時46分35秒

政治学を学ぶ大学生です。お聞きしたいのですが日本に導入するとしたらどの国の選挙制度が望ましいか教えてください。理由も知りたいです。また今週は参議院選挙の投票日ですが投票率はどうしたらあがると思いますか?何か具体的な方法があれば教えてください。色々と質問ばかりすいません。とても関心があるので是非回答お願い致します
 

足跡 投稿者:なおりん  投稿日:07月26日(木)00時16分47秒

文法の話題には参加できないので・・・

私は「秋田おばこ」、踊れますよ〜。

http://sasurai.gaiax.com/home/naollin

私の説では… 投稿者:田中洸人  投稿日:07月25日(水)23時58分10秒

 私の説は信太さんの説とは全然違います。つまり私の説では@連用形は副詞A形容詞を言いきる場合には動詞「ある」が省略されているB補助活用は2つの単語ということになります。なぜなら、文法は語種に関係なく共通のものであり、したがって文法には「国際基準」なるものが存在すると私は考えているからです。
 特に@については動詞はその連用形が名詞として用いられること(例:勝つ⇒勝ち)を知っていますね。しかしその単語を見たのでは動詞の連用形なのか動詞が名詞に転成したものなのか区別できませんね。このように決して「活用」と「転成」は別のものではなく、その活用形を見方によって「活用」にも「転成」にもとれるのです。したがってこの場合は国際基準に基づいて連用形が動詞を修飾している場合(補語の場合を除く)にはその品詞を副詞と見なすべきです。
 また、Bについては英語でも例えばis notをisn'tに短縮したりすること(短縮形)を知っていますね。この場合文法学では短縮形は1つではなく複数の単語であると見なします。なぜなら、もちろん短縮形の意味はもとの単語群の意味と同じだからです。したがって、もちろん補助活用は一種の「短縮形」(kuariからuが抜けてkariとなる)なので2つの単語と考えるべきです。

平凡ですが 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月25日(水)23時09分18秒

 結論から言えば、@「高く」などは形容詞、A形容詞は単独で述語になれる、B補助活用は1つの単語ということになります。文法には体系があり、体系全体を考え直すほどの域に達していない私としては、既存の学校文法の枠内でその論理で考えるほかはありません。すると、学校文法の説明は、@「山は高く、海は深い」の「高く」を形容詞、「高く飛ぶ」の「高く」を副詞と分けるのは不自然、A「高く」「高い」「高けれ」の「く」「い」「けれ」に独立性を認めるのは困難である。B「高からず」のような文語の借用と思われる表現以外、いわゆる「かり活用」は現代語では「高かった」の「高かっ」の形以外にはないので、これを2語と分けるのは無理、という点で納得できます。

形容詞についての考え方 投稿者:田中洸人  投稿日:07月25日(水)21時03分18秒

信太さんの形容詞についての考え方(形容詞には動詞を修飾する機能があるか否か(連用形は形容詞かそれとも副詞か)、形容詞は単独で述語になれるか否か、補助活用は1つの単語かそれとも2つの単語か)を詳しく教えてください。

慣れの問題かもしれませんね 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月25日(水)20時48分47秒

 メートル法に賛成する以上、サイズの統一には賛成せざるをえません。しかし、個人的にはA4には抵抗はないのですが、A3はかさばりすぎて嫌いです。もっとも、これは慣れの問題に過ぎないのかも知れません。ただ、A版とB版のどちらが合理的ということもいえないわけで、単なる力関係にすぎないでしょう。

 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月25日(水)20時39分29秒

 「橋を渡る」などの「を」は対格(目的格)を示す「を」ではなく、通過点を示す「を」として、別の助詞とするのが普通です。従って、「渡る」などを自動詞と考えるのに差し支えはありません。このように考えないと「空を飛ぶ」の「飛ぶ」も他動詞ということになってしまい、「飛ばす」との区別がつきません。

長州閥 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月25日(水)20時25分16秒

 山口県では、伊藤博文は「伊藤公」、乃木希典は「乃木将軍」といわなければならないと聞いています。萩を旅行したとき、何の変哲もない公園に、田中義一という今ではもう忘れられている戦前の首相の堂々たる銅像が立っているのに驚きました。長州閥の伝統でしょうね。

朝鮮語の形容詞 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月25日(水)20時23分53秒

 朝鮮語の形容詞は、動詞ときわめてよく似ています。例えば「ッスダ」(苦い)という形容詞は、辞書に載っている形としては「使う」「書く」「かぶる」といった動詞と同じです。しかし、現実の発話では「苦い」は辞書形のまま「ッスダ」、「使う」などは「ッスンダ」となります。「苦い果実」というような冠形詞形(連体形)の場合には、「ッスン」となりますが、「使う」の場合、冠形詞形は「ッスヌン」となり、「苦い」と同じ「ッスン」となると「使った」という過去形となります。しかし、これは、動詞と形容詞の区別のあるときを挙げたまでで、むしろ両者は区別のつかないほうが多く、「ッソッタ」といえば「苦かった」とも「使った」ともとれ、「ッスムニダ」だと「苦いです」とも「使います」とも取れます。朝鮮語の場合も、形容詞も動詞同様、単独で述語となれます。
 日本語や朝鮮語とはまったく別系統の中国語でも、形容詞は単独で述語になれます。be動詞をともなうのが国際基準とは思いません。
 ちかごろ、あきれたときにいう「まったく」を略した「ったく」という表記を日本語で見かけますが、朝鮮語の「ッスダ」の発音はこれに似ています。

狭軌・広軌 投稿者:向井未来  投稿日:07月25日(水)19時11分50秒

A版とB版のお話をありがとうございました。
B版が日本起源とは知りませんでした。「B」とローマ字ですから、アメリカ版とイギリス版の違いかな、ぐらいにしか思っていませんでした。
列車は高速に都合がよいように広軌になりました。狭軌道はイギリスが狭軌で、最初に取り入れたとき「イギリスを手本としたので、日本は狭軌になった」と記憶しています。さすがのイギリス人も、列車のスピードがこれほど速くなるとは予想もしなかったのでしょうか。
A版導入はお役所の音頭で始まったと思われますが、キャビネットもA版に合わせて総入れ替えされたものです。経験があります。(ただ、外国との交渉が深かった民間企業は、やむをえず早くからA版に移行していたとの話も聞いています。)
そのとき一時的に内需景気が少し進んだと思いますが、「少しの間」だったことでしょう。
 サイズはどちらに合わせるにしろ、世界共通が理想と思います。切り替えの無駄(またまた合理的考えになりますが)がなくなりますから。3.5インチのフロッピー・ディスクは、ヤードポンド法のアメリカがコンピュータ分野で飛びぬけて先行したのでそうなってしまったということですが・・・。余程のことがおこらないかぎり、10センチフロッピーは誰も作らないことは確かです。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/kyojinzoku7.htm

耳から煙が出ました 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月25日(水)15時32分35秒

凄く正直な感想ですが、「うーちゃんママさん」が戻って来てくれて、肩の力が一気に抜けるほど安心しました。なるほど、あなたのような人がいないとこういうサロンは成り立たないのだと痛感した次第です。ありがたや、ありがたや・・・。静岡の場合、『来静』というか考えて見たのですが、はっきり分かりません。使われても分からない事は無いですが、あまり聞かないような気がします。

 これでサロンも安泰なので、早速趣味へ走らせていただきます。
 信太先生が「田中さん」への返事の中でさらっと書いていた『自動詞、他動詞のセットで、語尾が「る」「す」で終わり、共に五段活用』という問題の事ですが、参った、参った、昨夜夜勤の仕事中ずっとその件で振り回されました。上の空で何回人とぶつかりそうになったかわかリません。おそろしや、おそろしや・・・。
 最初は直ぐ見つけられると思って始めたのです。二つばかり見つけて形態上の法則を発見し、「なるほど、『る・す』の直前までの字並びが同じであれば全て成立するんだな」とご満悦、「学校の問題ならテストだとしても五つくらい挙げればいいだろう」と勝手に決め、下の五つを選びました。
『戻る・戻す』『帰る・帰す』『渡る・渡す』『移る・移す』『回る・回す』
 回答例である『回る・回す』が入っているのは、何せ仕事中に頭の中だけで考えている事ですので、回答例を忘れてしまっていたのです。
 さて、五つ出た。これで何とか合格だなと思ったのですが、どうも何かが引っ掛かる。特に『渡る・渡す』が引っ掛かる。二三年前に『渡る』について変な言葉だと思い、いろいろ考えたような記憶だけあるのですが、何が変だったのか思い出せない。そんなこんなでなんと五時間も経過してしまい、漸く思い出しました。
 「『渡る』は自動詞ではない ! 」
 『渡す』は間違いなく他動詞で目的語を取れますが、『渡る』も目的語を取れます。『橋を渡る』『太平洋を渡る』 これでは自動詞とはいえません。背筋がぞっと寒くなり、直ぐに上に挙げた五例について検証して見たところ、『今来た道を戻る』『通学路を帰る』『橋を渡る』『席を移る』『得意先を回る』 凄い、よりにもよって全滅だ。このまま引き下がっては名折れとばかり、すぐに他を探し始めました。
『燈る・燈す』『来たる・来たす』『直る・直す』『なる・なす』『写る・写す』
 ううん、何とか揃ったか。それにしても何て難しい問題なんだ。これを生徒さんに出す? まあ、面白いといえば抜群に面白いけど・・・。
 これで、決着しそうだったのですが、まだ引っ掛かっているのに気づきます。何か思い違いをしているのではないかと。そう思わせるのが『うつる・うつす』の組です。これは間違えていた方にも違う意味で入っています。『移る・移す』の時は駄目で、『写る・写す』の時はよいというのは奇妙だ。もしかしたら、自動詞・他動詞を分類する時には、形態と意味を完全に分けて考えなければならないのかも知れない。同じ形態であっても意味が違うものを組には出来ないのではないかと。そう考えれば最初に没にした『渡る・渡す』も救えます。『渡す』を『舟を渡す』の意味に絞れば、対応する自動詞は『舟が渡る』になり、『橋を渡る』の時とは動詞の意味が違うので問題なく成立します。『回る・回す』も同様、『回す』の意味を『コマを回す』に絞れば、対応する自動詞は『コマが回る』になり、『得意先を回る』とは全然使われ方が違うのでやはり問題ないという事になります。 やれやれ、何とか問題の本質にたどり着いたか。
 それにしても、この問題は難しい。一見簡単そうに見えるから尚更始末が悪い。繰り返すようですが、これを生徒さんに出す!? いやいや、もしかしたら面白いかも知れません。まず形の上では自動詞に見える『渡る』や『回る』が目的語を取れる事を指摘してくる子がいたら実に面白いし、形態と意味の違いを見抜く子がいたら、これはもう素晴らしい。是非言語の世界へ誘ってやるべきでしょう。正解に到るまでに八時間もかかった私としてはいささか気分が悪いですが。

もう、よそ者ではない? 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月25日(水)01時09分51秒

実は、初めは「来日」と書こうと思ったのですが、いやいや待てよ、「山口に来た」のだから、やっぱり「来山」だ、と思ったのです。こちらではそう書くのが普通です。もっと傑作なのは、「らいさん」と打って、なんの迷いもなく、変換キーを押したことです。それどころか、これまたなんの迷いもなく、変換キーを何度も押したのです!カタカナや、ローマ字しか出て来なくなって初めて、事態を理解したのです。何十年住んでも、よそ者意識がぬけないのに、他県の方から見られると、もう、すっかり、山口県民になってしまっているのでしょうか?明治維新を担ったこと、7人の首相を出したことで、プライドの高い山口県民に・・・来てくれたのは、チュンチョン(春川)市の舞踊団です。

わかりました 投稿者:田中洸人  投稿日:07月24日(火)23時49分59秒

前にもおっしゃったとおり、文語文法は口語文法よりもはるかに一般的な文法です。なぜなら、口語文法ではあまり使われない活用形が省略されているからです。また、形容詞や形容動詞の補助活用は1つではなく2つの単語(形容詞、形容動詞の本活用+動詞「ある」)であると考えたほうがはるかに適切です。なぜなら、国際基準では形容詞には名詞を修飾するか(限定用法)それとも不完全動詞の補語となるか(叙述用法)2種類の用法しか存在しないからです。したがって、形容詞を言い切りの形で使うケースは国際基準では英語でいうbeに相当する動詞(動詞「ある」のこと)が省略されていることになり、助動詞に接続するケースになるとここで省略されていた「ある」が姿を現わし、これがいわゆる「補助活用」となるのです。

〜からへん(田中さんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月24日(火)21時58分55秒

 「高かった」というときの「高かっ」は、おっしゃる通り、古語の補助活用の流れをくむものと思います。しかし、「高かって」という言い方は関西ではよく聞きますが、関東ではもちいません。「たかかった」は一発で変換されますが、「たかかって」は変換されません。また、私も関西に住んでいますが、「〜からへん」という言い方はあまり聞きませんね。たとえば「高からへん」とは言わず、「たこ(う)ない」というのが普通のように思うのですが、いかがでしょうか?

お元気ですか?(なおりんさんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月24日(火)21時38分00秒

「子離れ」の記事、拝読しました。小学校高学年からの子供の変化は信じられないほど速く、親はなかなかついていけません。気を抜かずに見守る必要がありそうです。むかし、秋田の親戚の子が来て、「秋田おばこ」を歌ったことがありましたが、五線譜に乗らない歌で、とても真似できないと思いました。ヨーロッパのようなデジタルな音楽は世界では少数派だったのでしょうが、私などは五線譜の範囲でしか歌を歌えません。

形容詞の補助活用について(つづき) 投稿者:田中洸人  投稿日:07月24日(火)19時30分13秒

現代語でも形容詞の補助活用が使われることが少なからずあります。このケースは、〜からぬ、〜からず(未然形)および〜かった、〜かって(連用形)です。その他に、まれなケースとして、〜からしめる(未然形)、〜かるべし(連用形)および関西弁で〜からへん(未然形、意味は「〜くない」と同じ)があります。

お久しぶりです 投稿者:なおりん  投稿日:07月24日(火)18時45分14秒

日記を拝見しました。
西洋と東洋の技能追求の態度について、興味深く拝見しました。
私も学生時代フルートを吹いていて、成人してから日本の篠笛に触れる機会がありました。
そのときに、同じようなことを感じていました。

http://sasurai.gaiax.com/home/naollin

今は楽観しつつも(うーちゃんママさんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月24日(火)18時30分16秒

 意外と思う日本人が多いでしょうが、韓国は普段は我慢をしているのです。隣国同士、関係を絶つわけにはいかないということは、お互い様です。こういうことが表立って問題になる発端は、いつも決まって日本の側にあります。日本政府関係者の「妄言」で日韓の間で紛糾したことは過去に何度もありました。今回の問題は、例の教科書の採択状況により、終結することでしょう。しかし、こういう問題がないに越したことはありません。日本政府が、当面はそれでおさまるということに甘えて、いつまでも長期的な対応を考えないからこういうことが繰り返されるのだと思っています。
 山口きらら博はこちらでもポスターを見かけます。山口県にとっては、県運を賭けた事業でしょうから、韓国もそれに配慮したのでしょう。
 それにしても「来山」というのは面白いですね。山形県や山梨県ではなんと言うのでしょうか? 福井県の地元新聞に「来福」という見出しが出ることがあるという話を聞いたことがありますが、福島県や福岡県ではなんというのでしょう。それぞれの地元で通じればいいことですから、とやかく言うことはありませんが……。こちらでは、神戸に来るということで「来神」というのを見かけることはありますが、「来兵」というのは見たことがありません。こういう場合は「来県」というようです。

文法教育というより(田中さんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月24日(火)18時29分08秒

 今は、国語(まず教科名を「日本語」とすべきですが)教育自体を考え直すべきときに来ていると思います。長年教師をしていて、生徒の言語能力が年々低下しているのを感じています。しかし、教材はそれほど変りません。国語教育の主流は解釈と鑑賞です。基礎的な言語能力が落ちた(字を知らない、言葉を知らない)生徒に、その上に成り立つ解釈と鑑賞ばかりを求めるのでは、国語はますます不人気な教科となっていきます。
 私はHPの中で、英語の第二公用語化に反対しています。これは、日本人の英語能力が低下しているとの危惧から出た考えなのでしょうが、実はそれ以前の問題として、言語能力(とくに読み書き)自体の低下がある、という認識がこういうことを言う人にはありません。では、どうすればいいのかという問題については、「ことばの散歩道」にまとまった記事を書きたいと思っています。まだ、7月は毎日出勤していますので、8月の課題としたいと思っています。
 文法は一応学校で教えられますが、古語文法はともかく、現代語文法が入試で出題されることはきわめてまれです。いきなり暗記物として教えるのが良くないのでしょう。それより、たとえば自動詞と他動詞のセットで「回る」と「回す」のように、「る」と「す」が入れ替わり、ともに五段活用であるような例を挙げよというような問題をやらせて、文法的発見に親しませるというような方法のほうがベターだと思っています。
 田中さんのHP、いろいろと身近な話題が出てくるのが面白いですね。

韓国舞踊団来山 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月24日(火)16時17分19秒

山口県で開かれている「山口きらら博」に、予定どうり、韓国の舞踊団がきてくれました! 朝日新聞西部本社版、35面に出ています。カラーのきれいな写真が出ているのですが、のPC技術が未熟なため、写真をお送りできないのが残念です。本当に美しい舞で、こんな大変なときに・・・と思って涙がでます。団長の方のメッセージがあります。「(来日に際し)難しいことがいっぱいあった。こうしたことを振り切ってでも来なければと思った。理解は、交流することで生まれる。」

文法教育について 投稿者:田中洸人  投稿日:07月24日(火)07時11分06秒

私は中学、高校のとき一般に国語は苦手でしたが文法のところだけはきわめて得意でした。しかし、中学や高校(小学校でもそうではあるが)での国語の授業ではほとんど文法をやっていません。このことが私が国語を苦手とした理由の一つです。また、私は英語はわりと得意だったのですがその理由が最近になってやっとわかりました。つまり、英語は国語と比べて文法の比率が大きかったから私が英語が得意だったみたいです。つまり、文法は言語の中でも最も共通性が高い要素の一つです。それなのに実際の学校教育でははじめに語種ありきでその「語種」ごとに文法を教えています。このような杜撰な学校教育を一刻も早く改めてもらいたいものです。

もうすぐ完成します 投稿者:田中洸人  投稿日:07月24日(火)06時55分28秒

もうすぐHP「間違いだらけの科学法則」が完成します。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/mat51.htm

グローバル化について(向井さんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月23日(月)21時34分48秒

 常識を疑うというのはとても大事なことで、数の表記が10進法でなければならないという理由は何もありませんね。でも、能率的というのとなじんだ文化を守るということとは別のような気がしています。文化を客観的に見る目さえ持てればいいわけで、能率だけで決めることはないのではないでしょうか?
 先日家庭用のコピー機を買いました。学校のプリントはほとんどB4ですから、B4が使えるのが望ましかったのですが、手ごろな値段なのはA4どまりで、B4が使えるのは高い上にかさばるのであきらめました。ところで、このB版というのは日本独自のサイズで、A版はグローバルサイズです。B版の起源は菊版など、江戸時代の和本にあるそうですね。
 何事もグローバル化ということで、役所の文書などもA版に統一されてきているようですが、学校ではB版が最後まで残りそうです。B版は日本の文化なのだから守りたいと私は思います。海外の書類も含めて閉じるのにサイズが違うと不便で能率が悪いというのが、A版化の理由だそうですが、場合によっては国内外が一目で見分けられるのも便利という気がします。
 グローバル化を推進しているのがヤード・ポンド法に固執するアメリカであるというのも皮肉な話です。遠い未来に、ユニバーサル化ということをETに迫られたとしても、人類は十進法を守るべきだと思います。

恥ずかしながら(匿@匿さんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月23日(月)20時59分08秒

 学生時代の第二外国語はドイツ語でした。当時としてはいちばん一般的な選択肢を選んだだけのことで、はっきりいって苦手でした。英語と違って綴りをみれば発音がすぐ分かるのはよかったのですが、強変化、弱変化、混合変化などに泣かされました。分離動詞はそれほどでもなかったのですが、私がとくに苦手にしていたのは、sich 〜enという再帰動詞なるものでしたね。ドイツ語はほとんど忘れましたが、英語を知っているだけではヨーロッパ語というものを理解することはできませんから、その点は収穫があったと思います。Mein privates Deutschland たいへん勉強になります。「壁」の崩壊以前のドイツをご存知の人というのはこれからますます貴重になっていくのではないかと思います。

8進法 投稿者:向井未来  投稿日:07月23日(月)18時56分45秒

いつも稔りある(小生にとりまして)コメントをありがとうございます。小生の物語(物語のときのペンネームは「東冬彦」に変わるのですが)では当分の間、8進法で進んでみます。爬虫類の祖先の指算(ゆびざん):3×2=6は、今後の推考にたいへん参考となります。ありがとうございました。記数法とは別に、計算のとき基準を何に置くか。指の長さか足の長さか。これが大事と思います。宇宙の原理に基を置きますと、私は8進法は捨てたものではないな、と考えますが。イギリスのポンド:16は2の4乗と8進法表記にピッタリで、たまたまの偶然とも言い切れませんが・・・。たとえば「光の速さ」:1秒間に30万キロメートルでしたか?・・・。1メートルを何によってそう決めたかにより、「30万」の数値は変わってくると思いますが。「基」の決め方によっては、ヤード・ポンド法も8進法にピタッと合ってきそうな気もします。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/kyojinzoku7.htm

分離動詞マトリクス 投稿者:匿@匿  投稿日:07月23日(月)17時30分00秒

ROMさせて頂いております。様々な意見に対する信太さんの懐深いレスには正直に感動しております。先般の資本主義と社会主義の記述などは思わず拍手でしたね、ほんと。勉強になります。

最近の、掲示板の流れとは違って恐縮ですが、ドイツ語の分離動詞のマトリクスを作ってアップしてみました。ご興味のある方、覗いてみてください

http://www.din.or.jp/~a_ohno/

言語における法則とは(田中さんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月23日(月)17時08分00秒

  日本語文法は、江戸時代の国学者などの文法研究に、明治以後導入された西洋文法がかぶさり、折衷して生まれてきました。その中で、形容詞が独立の研究対象として取り上げられたのは、比較的おそく、そのため、学会でも論争が今も絶えないようです。
 形容詞の本活用とは、命令形を欠く「高く、高く、高し、高き、高けれ」という活用、補助活用(カリ活用)とは本活用の連用形に「あり」という動詞が接続して成立した活用ですね。助詞、助動詞に接続するときには、「高からず」「高かりき」のように、このカリ活用が用いられます。日本語の文法研究は本来文語から始まりましたが、文語の場合、本活用、補助活用ともに一通りそろっていたのに対し、口語では、本活用、補助活用ともに体系的には残らず、それぞれ一部が残ったためにごっちゃに教えられることになったのでしょう。文語と口語での扱いが違うというより、むしろ、文語と口語を同じ論理で処理しようとした結果が分かりにくさを生んでいる面もあります。
 それと、日本語の文法は、音節(かな)単位で組み立てられていますが、これを単音(アルファベット)単位にすれば、ずいぶん記述が単純化されることが多いように思います。
しかし、日本人に「単音」観念があるかどうかは疑問なので、複雑になっても音節単位で論じることになります。
 言語学も田中さんの分類では生命科学ですよね。折衷による傾向の整理が文法ということであり、物理学のような厳密な法則を求めることは不可能なのではないでしょうか? この問題に関しては、私ももう少し勉強して「ことばの散歩道」に記事を書く必要を感じました。

北京の55日(川口さんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月23日(月)16時33分08秒

 北京の55日が中国人にとって不愉快な映画であることはいうまでもありません。私は、高校生のころ、封切中に見た記憶があったのですが、調べてみるとはたして1963年の映画でした。さほど登場人物に感情移入して見た記憶はないのですが、西太后や中国の皇子、将軍がイギリスの俳優で英語を話すのにひどく違和感を覚えたものです。
 当時は、まだ、いわゆるインディアンを悪役とする西部劇が上映されていたと思います。テレビでは、「未開」民族の「奇習」をいかにもげてもの仕立てで大げさに伝えるルポ番組がたくさん作られていました。学術書にしても、無表情な「未開」民族の写真が「標本」のように掲載されていました。そういったことを考えると、今はずいぶんましな時代になっていると思います。前にA組担任さんが、ある掲示板への二人の投稿者の発言を日本人の大半の考えと書いておられたのに対してそうは思わないむねの返事をしたのも、このような時代の変化を考えたからです。実は、A組担任さんがあのように書かれたことに対して、日本人はまだ本質的には変っていないという意味で、共感する気持ちも私にはあります。ただ、それが大っぴらには言えなくなった時代の変化を精一杯利用していくべきではないか、という考えからあのようなことを書きました。
 わりあい最近つくられた「王様と私」なども、タイでは上映禁止と聞いています。世界中の人がアメリカ映画をそのまま見ている中で、アメリカ人は自分中心の映画でないと満足できないところがあります。最初の「ゴジラ」がアメリカで封切られたときには、アメリカ人の特派員がいろいろと解説する場面を挿入したとか……。しかし、日本人がそれを批判しようとするときには、自分自身に対する厳しい目を持った上で言うのでなければ、なんの説得力もありません。ともかく、映画というものは、映像の力で観衆を一定の立場に引きずり込む魔力があるから気をつけなければなりません。

形容詞の補助活用について 投稿者:田中洸人  投稿日:07月23日(月)02時58分21秒

文語の文法では形容詞の活用は「本活用」と「補助活用」の2本立てになっていると教えられています。一方、口語の文法では形容詞の活用は「本活用」と「補助活用」がごっちゃになっていると教えられています。(このことが私が口語文法を嫌いになった理由の一つであるが)なぜ同じ日本語なのに文語文法と口語文法の考え方がこんなにも違うのでしょうか。教えてください。

夢の無い話題で申し訳ない。 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月23日(月)00時49分23秒

 米国人に好きになれない部分があるというのは同感です。それはともかく、『北京の55日』には、ぎくっとしました。私の場合テレビで見たのですが、その頃既に中国好きだったので、この映画には強烈な憤りと恐れを感じたのを覚えています。憤りの方は中国史を読んだ人なら誰でも感じると思いますが、恐れというのは、この映画が一応史実を忠実に再現しているという点にあります。客観的に見れば八ヶ国連合軍の方が侵略者である事は明々白々なのに、視点をそちら側に置いているというだけで、清朝や義和団の方が悪人にされてしまっているのが恐ろしかったのです。しかもこの映画が、スター俳優を起用し、巨大なセットを組んで作った、かなりの「大作」だったというのですから驚きます。『史上最大の作戦』や『トラトラトラ』のように、まず客観性を優先させ、その国の場面はその国の映画人が担当するといった徹底した配慮を行った作品がある一方で、ほとんど同じ時代にこういう映画を作っているのは非常に奇妙な事だと思います。
 この題名を目にして、何故ぎくっとしたかは又別でして、実はかつて某中国語の専門学校を受験した折、面接の席でこの題名をぽろっと口に出してしまったのです。面接係は日本人と中国人の女性二人で、質問は「『ラストエンペラー』をどう思うか?」でした。ちょうどその頃封切られていたのでタイムリーな質問でしたが、こちらはずっとまともな作品ですから、誉めるべきか貶すべきか、一体相手がどんな答えを期待しているのかがわからないのです。そこで出たのが「『北京の55日』よりはよく出来ていると思いますが・・・」という苦し紛れの言葉だったのですが、言ってしまった後で青くなりました。『北京の55日』を見て、憤激しない中国人がいるとは思えませんから。幸い、この映画の事は知らなかったようで、二人とも何の反応も無く、事なきを得ましたが、こちらは汗びっしょりでした。
 今『パールハーバー』が話題になっていますが、朝日新聞の映画評では「やくたいもない駄作」だそうで、さすがに封切中にここまでこき下ろされるのも気の毒な気がしますが、もしかしたら、似たような欠点があるのかも知れません。

いいですねえ(田中さんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月22日(日)18時01分46秒

 蒸し暑い地球のこの一角を忘れ、私も宇宙をのぞいてみたい気がします。火星が大接近していることは新聞で読みました。あと20年ぐらいで、人類が火星に立つという予測記事も読みました。
 私は(地球から見て)宇宙の果てにある星雲は別に見たくありません。かつては海があった火星には地下に大量の水が蓄えられているという話を聞きましたが、田中さんは火星に生物がいる、またはいたと思いますか? 
 小学生のころ、一等星の名前を全部おぼえたことがありましたが、ほとんど忘れました。

観望会について 投稿者:田中洸人  投稿日:07月22日(日)13時32分31秒

昨日加茂町プラネタリウム館で観望会があったので私はこの観望会に行ってきました。この観望会ではもちろんメインは地球に接近中の火星の観測で、火星の模様、欠けている姿などが見えました。(使用望遠鏡 20cm反射、そのときの火星の視直径 18.4秒角)

私は十進法でいいと思います(向井さんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月21日(土)20時25分11秒

 8進法にすると、重さの1ポンドが16オンスだったり、ハーフインチ、クォーターインチという長さの単位をよく用いるイギリス人が喜ぶことでしょう。私は人類の指がいわゆる人種の別なく5×2=10本なのだから、人類の用いる数は十進法でいいと思っています。それに私たちは、elevenやtwelveなどという言葉がなく十進法で徹底した漢語式の数詞を使い慣れています。
 むかし、爬虫類は原始的だというイメージがありましたが、カナダのラッセルという古生物学者は、恐竜の絶滅がなかったなら、知能の高い小型肉食恐竜であるトロオドン(旧称ステノニコサウルス)から、人類並みの知能を持つ生物が現われた可能性があるという説を唱えています。彼らの指は3×2=6本ですから、私たちとはだいぶ違う数の数え方をすることになっていたことでしょう。

言語の骨格(田中さんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月21日(土)19時53分54秒

 いわゆる主語が重要な位置を占めるヨーロッパ諸語の文法は、ヨーロッパでさまざまな思想が発達するよりはるか以前に成立したものと考えます。言語の基本的な骨格は思想以前に成立しているのですから、のちにできた思想によって変えることは容易にできないと私は思っています。
 なお、川口さんへの返信でも書いたとおり、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉は旧約聖書の言葉であり、ヨーロッパ経由で東洋にも近代になって入った言葉であるようです。

個の尊厳(川口さんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月21日(土)19時48分14秒

 私の言う「日本人の誇り」とは、日本の経済力とは別に関係はなく、それに左右されるものでもありません。第一、そんなことは個人の価値とは何の関わりもありません。要は自分が自分であることを素直に受け入れられるのかどうかという問題です。そして自分を成り立たせた条件をすべて自分のものとして引き受けるという以上のものではありません。私たちがたまたま日本人だから「日本人の誇り」と書いたまでで、それ以上のものではありません。
 国や民族の優劣の上に立つ誇りなるものは、人の誇りを認めません。そのような誇りは無用だと私は思っています。たとえば、アメリカ人には世界一でなければ気が済まないというタイプの誇りを持つ人が多いようです。ハリウッド映画ではいろいろな人がいる中で一番かっこいいのは、(古い映画で恐縮ですが「大脱走」や「北京の55日」)常にアメリカ人です。個人個人は人なつこくて嫌いではありませんが、こういう建前があるため、私はアメリカという国家が好きになれません。何も世界一でなくたっていい、普通の国であれば十分ではないか、と私は思っています。
 諺は世界中のどの民族も持っています。朝鮮半島では「ソクタム(漢字で書けば「俗談」)といいます。インド人の書く英語は絢爛豪華といいますが、これは諺を散りばめるインド文学の伝統だそうです。日本人のほとんど知らないマダガスカル人は日常会話に諺を多用すると聞きました。「ラテン語の諺」云々は、単に別の文化圏の人だからしらないのではという配慮だったのかも知れないと思います。それを高飛車と受け取るのは、あるいは受け取る側のひがみかも知れません。
 それにしても、中国の諺の多様さは群を抜いていると思います。ラテン語など足元にも及ばないでしょう。日本の漫画は、いましきりに中国語に訳されていますが、「どらえもん」の中国語版では、「おちこぼれ」のはずののび太君が四字熟語を頻繁にしゃべっているそうです。ただ、これは、漢文化を支える人口の膨大さと歴史の長さのためであり、一つ一つの漢民族の諺が、ほかの民族の諺より気が利いているわけではないと思っております。

日本は10進法を継承すべきか否や 投稿者:向井未来  投稿日:07月21日(土)18時43分01秒

10進法や2進法は、現代の最高記数法か? 提言を少しばかり!!
(ただし、工事中なので申し訳けありません) 

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/kyojinzoku7.htm

「罪を憎んで人を憎まず」とは… 投稿者:田中洸人  投稿日:07月21日(土)17時07分45秒

 「罪を憎んで人を憎まず」の意味は要するに「動詞を憎んでその主語を憎まず」なのである。このことに信太さんは気付きましたか。
 また、私も気になっていたことですが西洋にも「罪を憎んで人を憎まず」と同じ意味のことわざがあるのでしょうか。もしこのようなことわざが西洋にもあれば西洋諸語の主語が不当にのさばっている文法は生まれなかったはずですが、教えてください。

日本人の誇りですか? 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月21日(土)01時59分27秒

 「日本人としての誇り」と聞いて少し考えてみたのですが、日常生活に必要でないせいか、普段ほとんど感じた事が無いのに気づきました。バブル崩壊以前なら「工業製品の性能や品質が世界一だ」などと聞くと何となく誇らしかったですが、これはここ十年くらいの間に周辺諸国にどんどん抜かれてしまい、すっかり色褪せてしまいました。特にパソコンは開発でも生産でも結局一度もトップに立てずに終わりました。今メイド・イン・チャイナのコンパックPCでこの文を打っていて、何だか苦笑いしています。
 今でも日本人としての誇りを感じるといえば、やっぱりアニメでしょうか。海外で放映されて大人気だと聞くと、自分が製作に携わっている訳でもないのに何となく誇らしいです。あれは別にこちらから売り込んでいる訳ではなく、向こうから買いに来るのですから、実力は本物でしょう。最近はあまり話題になる作品が出ていないようですけど。
 他には・・・無いですね。私の場合。そう思うと「つくる会」がいう「日本人としての誇り」というのは一体何なんでしょうか。「侵略などした過去は無い」と国内だけで言い張っても、一歩外へ出れば、たちまち大嘘だとばれてしまうのですから、それが如何に無意味か、子供の意固地じゃないんだから、分かりそうなものですが。何か全然別の利益があるんでしょうか?
 ああ、そういえば、「日本人としての誇り」を感じたことがもう一つありました。これは外国と比較してというわけではないのですが、諺が1セットあることです。随分前ですが、とある欧州の識者が来日して、日本の新聞記者のインタビューに答えた記事を読みました。その中に「あなた方日本人は知らないと思うが、ラテン語にはこういう諺があり・・・」云々の発言があり、思わずカチンと来て「そういう言い方は無いだろう。それじゃああんたは漢文の諺を一つでも知っているのか」と独り呟いたのですが、その直後「あれ、何で今、漢文を引き合いに出したんだろう。諺なら日本独特のも一揃えあるぞ」と気づきました。その時に感じたのが確か「誇り」でした。漢語の助けが無いと複雑な事が言い表せない日本語ですが、諺はちゃんとそろっていました。先祖が一つ一つ作ってきた珠玉の名作が。そう思って改めて見れば「犬も歩けば棒に当たる」なんていうのも、とても愛すべき言葉だと思えてきます。
 でも、諺を口語生活で使おうと思うとなぜか浮いてしまうんですよ。「それこそまさに『犬も歩けば棒に当たる』を地で行ってるじゃないか」といったように、他の言葉で包んでやらないと、何となく恥ずかしくて、とても口に出せません。「誇り」なのに! こういう事情は外国でもそうなんでしょうか。

ごちそうさまでした 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月21日(土)00時25分18秒

 チャル・モゴッスミダ。ずいぶんいろいろな食材を使っていておいしそうですね。韓国を旅行したときには、町中の食堂でよく食事をしましたが、メニューをみると、ハングルで「ウドン」「オデン」「オムライス」などと書いてあるのを見て、これは日本語から入った言葉だなと思いました。「ウドン」を食べましたが、とうがらしがたっぷり入っているのに驚きました。日本人は(夏はとくに)あっさりしたものを好みますが、ソウメンやザルソバは韓国の人には物足りないのではないかと思います。ある在日一世から、日本に来たばかりのころ、ザルソバの食べ方がわからず、汁をかけたら底から下へもるのでびっくりしたという話を聞いたことがあります。ああいう食べ方をする料理は韓国にはないのでしょうか?

↓下の画像の横のハングルの訳です 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月20日(金)20時29分01秒

(だいぶ辞書を引きました。誤訳があればお知らせください。)
 アンヨンハセヨ、信太先生。今日は梅雨時らしく、にわか雨が降ったりやんだりして、変りやすい天気です。今は雨がやんで、ミンミンという蝉の声がしきりに聞こえています。冷たいmulkooksuを信太先生にご馳走したいのですが、そういうわけにもいきませんので、絵でだけでもお送りすることにしました。
 これがmulkooksuです。一見すると横にある平壌冷麺(ムルネンミョン)と似て見えますが、味はずいぶん違います。牛肉のスープに入れ、きんしたまご、きゅうり、煮込んだ牛肉をのせて食べたり、イワシからとったスープに小ねぎ、にんにくの漬物、とうがらし、ごまなどを加えた味付け醤油(ヤンニョムチャン)を少し入れ、軽くかきまぜてずるずる食べたりします。
 これはピビンネンミョンです。いろいろな具をのせ、コチジャン(とうがらしみそ)を入れ、かきまぜて食べます。どれも、夏に簡単に作れ、食欲のないとき食べるのによい珍味(ピョルミ=別味)といえます。日本のそばのようなものでしょう。
 では、暑い日、身体にお気をつけください。今日はこれで筆をおかせて頂きます。2001.7.20 チェ・ミンギョン敬具

mulkooksu 投稿者:みんぎょん  投稿日:07月20日(金)18時59分07秒

しださん. こんにちは.きのうmailをおくったんですが,化けなかったでしょうか.私の長い文を全部うちなおしてくださるとは,おどろきました.ずいぶん時間がかかったでしょう.
 mulkooksuというのは 小麥粉,そば粉,じゃがいもの澱粉などをこねて薄くのばしてから,細く切るか,「kooksu」の型にいれて,メンにしたものを汁にいれて食べるか,藥味でまぜて食べる物を全部「kooksu」といいます.メンの固有語といってもいいでしょう.ですから,「ネンミョン」も「ムルネンミョン」と「ビビムネンミョン」(「ネンミョン」は[ 平壤冷麺−ムルネンミョン]と[咸興冷麺−ビビムネンミョン]と區別します.)があるし一種の「kooksu」なんですけど,私がいっている「mulkooksu」とは,汁のだしと,メンがちがいますね.私がいっていた「mulkooksu」とは,日本の素麺と同じ麺をゆでて,いわしなどをだしにした汁に入れてしょうゆにねぎ(小さいの)や ごま,とうがらしなどの藥味を入れて食べるものです. 素麺と同じメンですから,メンがよく切れない「ネンミョン」にくらべて,食べやすいですね.

 冷麺と「kooksu」はたしかに季節商品ですが,冬にドンチミ(大根のkimchiの一種)に入れて食べる冷麺は格別だといわれています.


罪を憎んで人を憎まず(川口さんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月20日(金)18時01分11秒

この言葉が日本にも韓国にもあるということは、中国の古典あたりに出典があるのではないかと思いました。インターネットとは便利なもので、「罪を憎んで人を憎まず 出典」でgoogle検索をしてみると、下記のページが出てきました。出典は旧約聖書であるようです。
 「つくる会」が確信犯であること、今は少数派でもあなどってはいけないこと、全面的に賛成です。私は気が短いので、川口さんのように彼らを「諭す」相手としてみなすことがなかなかできません。「日本人としての誇り」を盛んに言う彼らこそ、西欧に対するいわれなき劣等感のかたまりであり、それを近隣諸国に対するいわれなき優越感で代償させようとしているのです。
 植民地支配の先輩はいくらでもいるのですから、日本が植民地支配を正当化しようとすれば、西欧の論理をそのまま受け売りしようとするほかはないのです。これでは、西欧の帝国主義を批判し、それを乗り越えることなどできないし、日本人としての誇りを取り戻すことなど永遠に不可能だと思っております。

http://www2.ocn.ne.jp/~kgw/lk2332-43.htm

蜜柑の小枝 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月20日(金)00時00分30秒

 みんぎょんさん、ありがとうございます。人に慰められるのがこんなに胸を打つ事だとは、随分長い間忘れていました。思わず目頭が熱くなってしまい、いささか動揺しています。私が背負っている業が1gでも軽くなったわけではありませんが、一時とても気が楽になりました。日本にも「罪を憎んで人を憎まず」という諺があります。ほとんど同じですね。昨今の日本では殺伐とした事件が目白押しで、このの効力はだいぶ薄くなってしまいました。そんな社会に住んでいるのが何だか怖いです。

 信太先生。何だか引っ掻き回してしまってすいません。あまり言語に偏るのもどうかと思い、掲示板の趣旨に沿って何か書こうと思ったのですが、私は韓国朝鮮の事を考える時、この業の問題をを避ける事が出来ないのです。
 言語から離れる話題なので、幾分先生と意見が違ってきますが、こんな考えもあるぐらいに思って下さい。私は二国間の友好に尽力している人達を心底尊敬しています。思いついたくらいで出来る事ではないですし、もし関係が悪化した時には社会的に不利な立場に追い込まれてしまうのを承知の上で努力しているのですから、並大抵の熱意では続かないと思います。しかし、今回の教科書の一件で、韓国側が民間交流を閉ざし始めたのには充分な理由があると思うのです。日本に対して有効な政治的経済的カードを多く持っていない韓国側が、日本に警告する為に、出来る限りの事をしようとしているのだと思うと、その心情は察するに余ります。彼らだってせっかく生み出した絆を断ち切りたいとは望んでいないでしょうから。事は日本人の想像を超えるほど重大なのだと思います。この問題が騒がれ出した頃、中国の江沢民主席が韓国のキムデヂュン大統領とある席で会談した折、江主席が中韓両国で協同して日本に抗議しようと持ちかけたのを、キム大統領が韓日二国間で話し合うからといって断りました。おそらくその時、キム大統領は日本とは新しい信頼関係が出来ているので話せば分かってくれると期待していたのではないかと思います。ところが結果はこれです。これでは日本が信頼されないのは当たり前です。あらゆる手段を使って抗議するのは無理からぬ事です。そして私はそれは必要な事だと思います。私には「つくる会」や文科省が歴史に無知だからこういう教科書を世に出したとは思えません。全部知っていて、その上で歴史を自分に都合よく改竄しようとしているのです。こういう邪まな考えを持って事を起こす人間は必ずや諸外国の反発に怯えているはずです。抗議が激しくなればなるほど、恐ろしくて表に出るのも気が進まなくなるほど竦み上がると思うのです。逆にこういう人間に少しでも妥協したら、今度は一転して自分の考え方に自信を持ち「韓国は揺さぶれば思い通りになる」と思い込むでしょう。次は何を企むか分かったものではない。悪い芽は出る端から摘まなければなりません。大木に育って二度あった事が三度目になってしまっては民間交流どころの話ではありません。
 ここまで読んで、日本人の方は「おいおい、あまり物騒な事は言うなよ」と思うでしょうが、歴史が動く時には民間の力だけではどうにもならないようなことが起きます。江戸時代は両国関係は史上最も良好でした。朝鮮通信使の書記、申維翰の宿舎に、日本の漢詩愛好家達が、蜜柑の小枝を手土産にして、野越え山越えやってきた。その日本人達の交流を求める心には一点の邪まさも無かった。それが維新を経た途端いきなり『征韓論』です。交流はとても尊い。しかし、それだけでは危機を避けられない。間違えようとしている相手はあらゆる手段を使ってでも諭さなければならない。そして、こちらもそれを妨げてはよくないと思うのです。どうでしょうか。

ムルクッス?(みんぎょんさんへ) 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月19日(木)21時18分20秒

 直訳すれば「水麺」だということは分かるのですが、「ムルクッス」という言葉を私は知りません。「ネンミョン(冷麺)」と同じものと考えていいのでしょうか? 韓国風の冷麺は日本でもずいぶん普及しました。近所のスーパーでも売っています。ただ、日本では季節商品と考えられていて、夏が過ぎるとなくなってしまい、専門の店に行かなければ買えません。韓国では真冬も含めて一年中食べるものですよね?
 7年前、岩手県の盛岡に行きましたが、盛岡冷麺というものが名物としてどの土産物屋でも売られていました。食べてみると、まさに韓国冷麺です。在日の人がきわめて少ない東北地方の盛岡で、なぜこれが名物となったのか、不思議です。「ムルクッス」と「ネンミョン」が同じなのか違うのか教えて下さい。なお、韓国語のカタカナ表記は難しいときがありますね。私なら「ククス」と書きます。

うーちゃんママさんへ 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月19日(木)21時01分13秒

 こちら兵庫県でも同じようなことがあります。韓国の馬山市と姉妹都市となっている姫路市は、去年馬山の中学生を受け入れ、この夏は10人の中学生を馬山に送る予定でした。10人は、すでにホームステイ先も決まり、韓国語の勉強もしていたそうです。三田(さんだ)市には、済州島の北済州郡から「教科書問題の解決に向けて行動してほしい」というメッセージが届きました。交流の中止には触れていないところが馬山市との違いです。三田市としては、自治体の場でそこまでできないと困惑しているとのことです。韓国側としては、問題の教科書の不採用を求め、万一採用した場合は交流を見直すという程度の申し入れでよかったのではないかと、私は思っています。

A組担任さんへ 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月19日(木)20時47分44秒

 投稿人A、返信人Bのような考えが「日本人の大多数の意見」とは、私は思いません。一方で隣の国とは仲良くしたらいいんじゃないのという考えが、少なくとも表向きは多数派と思います。このような考え方に多分にムード的なもので、少し自分が面倒と感じたときには、妙な方向に流れる危うさをもっていることは確かでしょう。だからこそ、韓国側には、もっと慎重な対応をしてほしいと思っています。
 A、Bのような投稿は、無責任な掲示板ではいやというほど見かけます。へどが出るような投稿がたくさんあります。しかし、それは、匿名の掲示板だからこそというのが今の日本ではないでしょうか? 戦後まもなくのひどい差別があった時代に朝鮮人と再婚した母は、「あるころからふっと周りの空気が楽になった」と言っておりますし、私も体験的にそれに同感できるところがあります。
 ところで、日本の政府当局者が外交下手だとすれば、それは近隣諸国との関係をきちんとできていないからです。その実績の上でこそ、欧米とも対等に渡りあえるはずです。近隣諸国との関係をきちんとできないのは、知ろうともしないために、いつまでも何も知らないからです。日本政府当局者がこんな簡単なことにいつまでも気づかないからこそ、いつまでも同じことを繰り返しているのです。
 

Gartさんへ 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月19日(木)20時21分40秒

 重いばかりが日韓関係ではないと思います。日本の若い世代には、韓国映画や韓国のポップグループや食文化には興味を示しながら、「重い」問題には拒否反応を示すという人がけっこういるようです。隣の国への関心の持ち方は人さまざまであっていいと思います。黒田福美という韓国通の女優さんがいますが、きっかけは姜萬守という韓国のバレーボール選手のファンになったことだそうです。でも、つい前の世代にたいへんなことがあったのですから、まったくの無関心ではいけないとは思います。
 私自身は、第二の父が在日の人だったということで、子供の頃のなぞがとけることが面白くて、隣の国についての勉強を始めました。PROFILEとあわせ、下記の記事をお読み頂ければ幸いです。


http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/ruijitosoui.htm

川口さんへ 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月19日(木)20時08分12秒

 川口さんの御投稿のうち、いちばん大事な論点は3だと思います。ミンギョンさんが答えられていることに賛成します。「許してもらえるなら謝る」と池田小学校事件の容疑者に言われて許す親がいるとは思えません。許すかどうかは相手が決めることだと思います。
 今回は日本政府は単に教科書を検定しただけで、責は教科書をつくった民間のグループにあるといういいわけもできますが、これまで日韓の間の関係がこじれるときには、だいたい閣僚の発言がもとになることが多かったのです。謝罪をしたから、一方でそれを裏切る発言が出てバランスをとろうとするのでしょうが、これでは向こうは誠意のある謝罪とは受け取らないでしょう。今回も含めて先に仕掛けているのが常に日本の政府関係者だということは忘れてはなりません。ただ、民間の交流まで自分の側から(一旦とはいえ)絶つ韓国側のやり方には賛成できません。責める相手は、問題を引き起こした当事者に絞るべきで、こんなやり方では敵を利することを知ってほしいと思っています。仁川空港で「汚れた歴史観を洗い流してください」と言って日本人観光客にタオルを配っている団体があると聞きました。詳しいことは分かりませんが、言い方によっては、私なら怒るかも知れません。
 なお、ドイツの戦後処理については、下記のサイトが勉強になります。今度、日韓の間で起こった教科書問題も取り上げています。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6729/index.html

西部本社の記事より 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月19日(木)20時03分55秒

私自身の意見はまだ、まとまりませんが、こちらの朝日新聞西部本社(福岡発)の記事を(見出しのみですが)紹介したいと思います。

 教科書問題には負けぬ 日韓交流実現へ
    児童訪韓、一転実現へ  
    佐賀・肥前町  民泊交流の成果 
    中止の動きはねのける

 「絆は損なわずに」 山口知事が韓国側へ

 「採択しないで」熊本知事へ親書 韓国の知事から
 
また、残念な記事も・・・

  「韓国慶尚南道・山口県サッカー交流大会」中止
  
  「スポーツ交流 宗像市も中止」  
  

↓下の投稿について 投稿者:信太(しだ)  投稿日:07月19日(木)19時27分45秒

 下のミンギョンさんの投稿は、何度も繰り返し試みられたようですが、文字化けを重ねていました。文字化けした投稿は削除しました。前にうまくいったとおり、フォントを韓国語にして出てきた日本語をワードにコピーアンドペイストし、それをこの投稿欄に貼り付け(プチョノッキ)して大丈夫と思ったら、なんと文字化けしてしまいましたので、ワードで保存したのを打ち出し、それを見て打ち直しました。前にうまくいったことが今度はなぜだめだったのか分かりません。ミンギョンさんもワードを使って試みられたようですが、同じ理由だとは思うのですが。
 なお、文中にある「アプチャンソダ」は「お先棒をかついだ」ではどうかなと思いました。「ピロソ」は「初めて」ですが、ミンギョンさんがこの程度の日本語を知らないはずはありません。韓国語で考えながら急いで打たれたため、とっさに出なかったのではないでしょうか? 「親美勢力」は日本なら「親米勢力」と書きます。韓国では中国と同様、アメリカのことを「美国」と書きます。韓国の新聞の英会話学校の宣伝文句に「美人講師」とあるのを見たことがありますが、これは「アメリカ人講師」ということで、「美人」が出てくると思っているとヒゲ男が出てきたりします。イワンヨン、イスンマンはそれぞれ漢字では「李完用」「李承晩」と書きます。

 ミンギョンさん、私もテクにはさほど強くないので、今回の事態がよく呑みこめません。ネットを通すとややこしいのかもしれませんから、ワードで打たれた原稿をメールで添付ファイルとして送っていただき、私が代りに投稿するという形も考えられますね。打ち直すとだいぶ時間がかかりますので、その方法も御検討ください。

管理人が打ち直しました 投稿者:チェ・ミンギョン  投稿日:07月19日(木)17時50分09秒

 また、A組担任さんのご投稿よませていただきました。 こんにちは^^。そうですね。私は投稿人Aと返信人Bの投稿をよんで、ますますこのように意見を話しあえるサイトがどんなに必要かとおもいしらされます。ただ、残念なのは、上手く表現しきれない未熟な私の日本語と、あさい歴史知識ですね。haha.
 まず韓国の教科書なんですけど、卒業してずいぶんたちますからくわしい文章はかけませんが でも、私が学校でならった事は、士農工商やヤンバンをささえる性理学の矛盾と実学の迫害、日帝侵略以前の国・政勢が分裂され、ちがう党派がはげしくあらそって、国の基礎を弱め侵略の口実をあたえたこと。代表的にイワンヨンなどの親日派や親日文筆家、学者、財産家などが韓日合邦に積極的にとりくんだこと(アプチャンソダをなんといえばいいでしょうか)。そして、解放され分裂された国を親美勢力のイスンマンが大統領になっておさめた事、クーデターで大統領になって人の口をふさぐためのあらゆる蛮行など、そして最近になって(ピロソ)言論の自由が保障され、残酷な民間虐殺など政府を批判できるようになった事などなどです。これらの出来事は違うようにみえても、実はすべて関連があります。
 このように過去は無くなるものではなく現実と未来につねにかかわりをもつものだと思います。韓国内の脆弱点があったとしても、日本が戦争を起こした事は無くなりません。「した事は無視されて、イギリスのように一方的な搾取をしたとねつ造されているそうです」の事なんですが、鉄道や道路などは日本の利益のためであり、それを使って、軍部隊移送や、たくさんの労役者や、米や資源などを運搬し軍需品として使い、大陸進出の基盤として使ったというのは、当時の教科書や教育内容、方法などでわかると思います。私はイギリスとインドの歴史はよく知りませんが、たとえ、イギリスがインドからとれた物資輸送のためにインドの老弱者まで動員し多くの死傷者を出してまでもつくった鉄道などが、はたしてどれだけインドのためになって、また、インドのためにつくったかは疑問です。

 しださん、今日は「ムルクッス」を食べました。日本にいって間もない時、母が「クッス」をかってきなさいとおつかいをさせた事があります。いくらスーパーでさがしてもらしきものはみあたりませんでした。同じクラスの河合さんという子が私に声をかけてくれたんですが、私は「クッス」にあたる日本語をしらなかったから、ひたすら麺をgestureで表現しながら(結局gestureではわかってもらえませんでした。T-T)「クッス、クッス」と言っていました。河合さんは私といっしょに「クッス、クッス」といいながら1時間以上さがしたあとやっと「素麺」にたどりつき、二人で大笑いしながら喜んだ事があります。その時、私は「素メン」という日本語を知ったし、彼女は「クッス」という韓国語を知り、中学校にあがってもわすれませんでした。今は連絡がとだえたけど、「クッス」を食べる時はいつも彼女をおもいだします。

日本語入力の方法 投稿者:テグ生  投稿日:07月19日(木)16時40分26秒

みんぎょんさん、下記のweb-siteから「 Global IME for Japanese with language pack」をdownloadした後、shift+ altを押してみてください。右下にソフトが立ち上がりますからその中の「全角ひらがな」を選んで下さい。これで自由に日本語入力ができます。
MS wordがらプチョノッキする場合は字体を「Ms gothic」に変換しなくてはいけません。ブラウザを再確認してください。Netscapeではだめですよ。必ずInternet Explorerを使ってください。出来ればMS社から最新versionをdownloadしてください。私はTaeguの専門大で講師をしています。分からないことがあったらMailを送ってください。

http://www.microsoft.com/windows/ie_intl/ja/ime.htm

變ですね.  投稿者:みんぎょん  投稿日:07月19日(木)15時10分07秒

變ですね. まず他の所でためしてからやったんですけど,なにがまちがったんでしょうか.
先ほどとまったく同じやりかたでしたのに.今度は化けるなんておかしいですね.
投稿するたびに心臟がどきどきします.(^−^)おねがいだから化けないでといのってますね.haha

今日もいい天氣ですね. 投稿者:みんぎょん  投稿日:07月19日(木)14時44分18秒

 答えはMicro Soft Wordでしたね.友達からかりてきたかいがありました.adviceしてくださったテグ生さんと,しださん,どうもありがとうございます.(^^)こんにちは.「掲示板過去 ログ」 の 中の 「2001年 7 月」を拜見しました. どうもありがとうございます.(^−^)

 私は,戰爭ははおこしたほうも侵略されたほうもどちらも被害者だと思っています.中國や韓國が莫大な精神的, 物質的被害をうけたのは事實です. そして,日本も戰爭にかりだされ,子を亡くした母もいたでしょうし,戰爭で手足をなくしたひともいるでしょうし,精神的被害をうけたひとが今でも,たくさんいると思います.戰爭はだれかまわず悲しみだけをあたえるものだと思います.

 川口さんのおっしゃる通りかも知れません. しかし「罪はにくんでも,人はにくむな」という言葉がありますよね.(韓國だけですか? ^^) 私は,罪というのはいつかは,かならずゆるされるものだと信じています.しかし,時間がたてばゆるされるとはおもっていません. 
 川口さんのおっしゃるように,「日本は 心から 反省すべきだ」 と 主張しながら,「自分自身は 反省しているから 免罪されているはずだ」とまた,「謝罪と 賠償を行えば, 過去の 蠻行を 無かった 事にしてもらえる」 と 考えている面があるから,いつまでもこのような問題が出てくるんじゃないでしょうか.
 たとえば,よくTVなどで,自分の子や親を殺した犯人をゆるす人がいますよね.でも,最近死刑になったamericaの爆破犯は遺族たちにゆるされませんでした.(極端的な?ですみません)私は,國と國の關係は大きくみれば人と人との關係とにていると思っています.

こんにちは. 投稿者:こんにちは.  投稿日:07月19日(木)14時37分58秒

さっき日本語入力機を使ってみたら,他の所でちゃんとでたからやった−と思いさっそくためしてみたら,,,だめでした. こんどはMicro Soft  Wordを使ってみます. 他の日本のsiteでは ちゃんと出たんですが.

はじめまして。 投稿者:A組担任  投稿日:07月19日(木)08時44分56秒

私は、信太先生のHPに相互リンクさせてもらっています。「おちゃらけ学園」というサイトを運営しているものです。

在日3世で、元日本の中学校で体育教師として1年ほど講師をしていました。以下はある掲示板に書き込みがあったのものです。日本人の大多数の意見かなと思います。

投稿人A

日本の教科書に韓国が文句言ってますが、そんなに、日本人にばっかり過去の事ばっかり言う前に、自分たちの国の教科書はどうなってるんでしょうか? きちんと、韓国の一部の財閥が、第2次大戦の時日本人に上手く取り入った人達や、朝鮮戦争でアメリカにうまい事取り入った人達により、発生、発展していったことを教えてるんですかね? 自分の国の人たちを、虐待した人達についてどのように教えてるんですかね? きっと知らされて無い人達も多いんじゃないのかなと思います。

若い世代の交流をぶち壊している年老いた人々に、韓国の若い人たちは疑問が起こらないですかね? もちろん、外交下手の日本の老人たちにはむかっ腹たててますけど。

返信人B

聞いた話だと、かなり、客観性には問題(と言うかねつ造)があるようです。第二次世界大戦(って言うか対日本)の部分にかなりのページ数が裂かれているそうです。でも、日本が、韓国や台湾に鉄道を引いたり、大学を建てたり(韓国人も入れた)した事は無視されて、イギリスのように一方的な搾取をしたとねつ造されているそうです。台湾が親日的なのは、その辺をキチンと評価しているからだそうです。他国も、例えばアメリカやイギリスが自分たちの過去を教科書にキチンと載せているとも思えません。その辺を調べて上手い事、反撃するのが外務省の仕事だと思うんですけどねー。役人は税金を着服するわ、外務大臣はウソと役人イジメしかしないわ。まあ、外交が下手なのは、江戸自体からの伝統なので、仕方がないですね。

そういえば、草の根の交流にも問題が出ているようです。韓国側が姉妹都市やサッカーの交流などを一方的にキャンセルしているとか。問題の教科書を読んでの判断とは思えないのですが。

まあ、良くある『ガス抜き』ですよね。国内の問題から国民の目を逸らすために、国外に敵を作り、国民の不満を吐き出させると。外交下手で、幾らでも謝る日本は絶好のターゲットなわけです。相手がアメリカだったら、同じ手は使えません。中国がイギリスの教科書に対して、香港侵略の責任問題について抗議をするのでしょうか?

重厚な内容に脂汗・・・ 投稿者:ガルト  投稿日:07月19日(木)03時24分24秒

私も大筋で川口様と同様な気分で、貴HPを読ませて頂いております。あまり書き込みはできないですが、ちょこちょこ訪れてどんな意見があるのか関心持ってます。

http://www.hello.co.jp/~gart4869/8600.html

心臓がざらざらしています。 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月19日(木)00時09分06秒

 韓国から参加されている方がいらっしゃるようなので、以前から知りたかったことを質問させていただきます。非常に重苦しい内容ですが、出来る限り率直に答えていただけると嬉しいです。

1 豊臣秀吉の侵略も含めて、過去に日本があなた方の国に対して行った蛮行は、日本が何らかの方法で償えば許される種類の罪だと思っていますか? 私としては人を一人殺しただけでも決して永遠に許されない罪だと思いますが、どうでしょうか?

2 これはよく感じる事なのですが、日本人の中には、特にこの種の問題に強い興味を持っている若者の中には、「日本は心から反省すべきだ」と主張しながら、「自分自身は反省しているから免罪されているはずだ」と勝手に思い込んでいる者が多いのですが、あなた方は反省さえすれば免罪されると思いますか?
 自分が手を汚していない者ほど謝罪は気楽なのですが、そういう世代による謝罪を受け入れられますか?

3 ドイツの戦後処理を引き合いに出す日本人の中には、「謝罪と賠償を行えば、過去の蛮行を無かった事にしてもらえる」と考えている者がいると思うのですが、これはどうでしょうか? もし、無かった事にしてもらえないなら反省も謝罪も賠償もしないという態度を取られたら、どう対応しますか?

 私はとても苦しいです。10代の終わりの頃、何とか答えは出ないかと悩んでいた日々がありました。しかし結局分からなかった。無残に殺された人、犯された人、故郷を追われた人、一人一人の気持ちになってみると、到底償えるような罪ではないと思いました。もし、自分が殺されたとしたら決して殺した相手を許さないだろうと思いました。殺された自分に断りも無く後世の者達が殺人犯の謝罪を受け入れたとしたら、悔しくて悔しくて、あの世でもう一度死ぬでしょう。
 こういう絶望的な考え方は何の未来も産まないと言う人がいると思います。しかし日本人にはそれを言う資格は無いです。だから私も何も言えないのです。
 私は今これを書いて、誤解を受けるのを最も恐れています。私のこの考え方は日本人一般のそれとは大きく掛け離れています。だから決して私に同情などしないでください。私にはただ日本人であるというだけでも、周囲の日本人が無知無関心である事に責任があります。ただ私には周りの日本人にこの苦しさを分け与えて回る勇気が無い。「永遠の業なのだ」といったら誰も共感してくれないでしょう。私はこの超難問に対して自分自身納得が行く答えを出す事ができないのです。

What do you do?(信太さんへ) 投稿者:ななこ  投稿日:07月18日(水)22時53分39秒

と聞かれてI'm fine, thank you.という答えはどう考えてもおかしいと思います。How do you do?と聞き間違えられたという風になら考えられますが・・・What do you do?はここでも、職業を聞いていることになります。ちなみに私は中学で習った記憶ありますけど、塾だったかな? I'm walkingは今読んだから笑ってしまいましたが、私も以前はよくそんな間違いをしたと思い出しました。

苦痛を分かち合う心 投稿者:テグ生  投稿日:07月18日(水)22時07分26秒

教科書問題の事実関係の再確認だとか自己を振り返るということにはほとんど関心は持たれないと思います。そして神経症的でどこか的外れな抗議はこれからも永遠に続くとも思います。こんなことは簡単に言えることではないのですが、過去日本に国権を奪われたり不法占領された国々は言ってみれば「心的外傷後ストレス障害」を抱えていると私は思います。過度の恐怖心と反発、相互不信や不安感、そして終わりのない無力感に今も社会が苦しんでいることはそこで暮らしてみれば分かることです。これは日本人が教養書的な理屈をいくらこねたところでどうにもならない問題だとも思います。常に原点に戻って、どうすれば他者の苦痛を分かってあげられるのか、日本はそこに集中すべきだと思います。

チェ・ミンギョンさんへ 投稿者:しだ  投稿日:07月18日(水)21時54分56秒

 私の言いたいところをお汲み取りいただき、ありがとうございます。さて、日本語での投稿については、前にテグ生さんが勧めておられた、「ワード」という日本語ワープロソフトを間に挟んで「プチョノッキ」する方法がいいのではないかと思います。今回のように画像で投稿される場合は、<IMG src="http://………">で出ます。
 前にハングルで頂いた手紙を下記の「掲示板過去ログ」の中の「2001年7月」に載せましたがよろしかったでしょうか? 今回の御投稿の趣旨には私も大賛成です。ミンギョンさんの御意見について、他の投稿者の方からの投稿を私からもお願いします。

http://members.tripod.co.jp/route46/kakolog.htm

What do you do? (ななこさんへ) 投稿者:しだ  投稿日:07月18日(水)20時20分21秒

 学生時代、アメリカを旅行したとき、よく、What do you do? と聞かれました。そんな表現を中学・高校で学んだ記憶がなかったのでまごつきました。はじめのうち、I'm walking.などというとんちんかんな返事をして、向こうをまごつかせました。
 What do you do?とは「どんな仕事をしているのか?」ということですよね。オーストラリアでも同じですか? 私が変な返事をしたため、I mean your job.と言った人がいたので分かりました。
 グレイハウンドバスで香港から来た人と隣合わせになりました。向こうが話し掛けてきたので、今度は私から What do you do? と聞きました。すると何と I'm fine,thank you.と答えたので、日本だけじゃないんだと思って少し安心しました。香港もそうなのかも知れませんが、日本の英語教育は実用性がありませんね。 

猫の毛色(田中さんへ) 投稿者:しだ  投稿日:07月18日(水)20時07分28秒

 生物の中では分子生物学的な部分が苦手でした。遺伝ではいい点数をとれていたと思います。今も印象に残っているのは、黒猫のメスが少なく、三毛猫のオスがさらに少ないのはなぜかということについての授業です。たしか、致死遺伝子で説明していました。田中さんにとっては問題のある学説だったのではないでしょうか?
 去年死にましたが、黒猫を飼っていました。メスでした。珍しいメスの黒猫? と思いきや、近くで見るとかなりはっきりした縞模様が入っていますから、実は黒猫ではないのかも知れません。同じときに同じ母親から生まれた虎猫のオスは今も健在です。

プロマイド(うーちゃんママさんへ) 投稿者:しだ  投稿日:07月18日(水)19時56分58秒

 もう死語となっている言葉に「プロマイド」という言葉があります。正しい英語では「ブロマイド」というようですが、当時はみんな「プロマイド」と言っていました。「プロマイド」とは、今でいうアイドルの写真のことですが、単なる顔写真で白黒でした。そんなものでも、私たちの世代はひどく恥ずかしがって買ったものです。そんなもの買っていることがばれたら、家によっては怒られました。今で言えば、変な雑誌が見つかったようなものだったのでしょう。そんな団塊世代だから、自分の子供にはやさしいのかも知れませんね。なお、こちらでは、ちゃんと「母のない子」で出ていますよ。ブラウザの違いなのでしょうか? カルメン・マキは今どうしているのでしょうね。

チェ・ミンギョンさんの投稿です 投稿者:しだ  投稿日:07月18日(水)19時45分27秒

ちょっとのずれ(川口さんへ) 投稿者:しだ  投稿日:07月18日(水)18時41分19秒

 中国語のピンインは、アルファベット26文字を実に能率的に使っていると思います。bやdなどの表記は有声音ではなく有気音表記ですね。中国語の有気音も無気音も、語頭の場合、ともに日本人には無声音(清音)に聞こえ区別がつきません。しかし、語中にある無気音は、有声音(濁音)に聞こえます。
 韓国(朝鮮)語にも、中国語と似たような区別があります。中国語の無気音は韓国語の平音、有気音は「激音」とよばれるアスピレーションをともなう音に近いようです。ところが、両者の境界は微妙に違うようです。大雑把にいうと、韓国語の場合、平音も少しアスピレートしていて、中国人には有気音に聞こえるようなのです。このへんのことは、文字に書いただけでは十分に伝えきれません。アスピレーションについては、下記に少し書いております。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/onin.htm

訂正 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月18日(水)17時47分09秒

「母のないqになったなら」は、「母のない子になったなら」の間違いです。読み苦しくてすみません。」

please.erase below 投稿者:min kyung  投稿日:07月18日(水)16時01分22秒

<a href="http://members.tripod.lycos.co.kr/mktrans/letter.gif" target="_blank">http://members.tripod.lycos.co.kr/mktrans/letter.gif

ひえー 投稿者:ななこ  投稿日:07月18日(水)14時37分33秒

川口さん!そんなご迷惑だなんて! 私の書き込みの仕方が悪かったのでしょうか。私の方こそ、誤解を招くような書き込みの仕方をしてしまって申し訳ありません。頭を抱えて悩んでいたのは、川口さんのご質問の内容が難しかったからでした。そんなこと、考えたことなかったなぁと思っていたのです。私も川口さんの書き込み、興味深く読ませていただいていました。私は大学で言語学が専攻(Minorは韓国語言語学と中国語でした)でしたし、今は日本語教育の勉強をしています。「ビギナークラスで英語を使わないで日本語を教えるにはどうすればいいか」など、オーストラリアの中学・高校での日本語教育は、
日本での英語教育と驚くほど違って、おもしろいです。

ところで信太さん、誕生日をどんなパスワードにするのはもともと危険なので、私は一切していません。ご心配ありがとうございました。

教科書問題による韓国人、日本人の仲がとても心配です。個人同士には関係ないはずなのに、ニュースをみていると個人同士にも関係してきてしまうような。そのうち、韓国人とつきあっている日本人がフラれたとかいうニュースが出てきたらどうしよう・・・・・

遺伝について 投稿者:田中洸人  投稿日:07月18日(水)07時00分19秒

信太さんは生物が得意だったのですね。ところで、信太さんは遺伝のところは得意だったのでしょうか。教えてください。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/mat43.htm

団塊ジュニア PART2 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月18日(水)04時02分24秒

「時には母のない子のように」という歌が、1960年代の終わりに流行りました。「母のない子になったなら 誰にも愛を話せない」という歌詞に、とてもびっくりしました。当時の若者で、親に、異性のことを話す人はとても少なかったと思います。けれど、団塊世代は、とにかく、子供の心に耳を傾けることを第一に子育てをしてきました。そして、その姿勢をいつも貫いていれば、どんなときも子供の心の支えになることができると思っています。異性との関係に有頂天になりすぎている時も、あまりうまくいかない時も。愛を話せる親を持つ団塊ジュニアは幸せで、また、自分達が受けて育った優しさを、他者にも分け与えることのできる優しい世代ではないでしょうか?

川口さんへ
 投稿、とても興味深く読ませていただいてます。実は大学では外国文学を専攻しました。また文法談義にも参加させていただきます。どうぞ、「偏向」などと気になされませんように!

なんてもったいない事なんだ。 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月17日(火)23時14分25秒

 昨日は残業が長引いてダウンしましたが、今日は逆に早く終わったので、HPの方でまだ読んでいなかった所を読んでいました。もっぱら「日本語の音韻」の各ページです。なぜここを飛ばしていたかというと、もう十五年も前の事ですが、中国語を始めた頃に発音が全くわからず、それこそ全身全霊を傾けて勉強したので、音韻にはちょっと自信があり、読むにしても後でいいやとたかを括っていたのです。しかし、さっき一通り読んで見てたまげました。これは深い! また広い! 一体どういう読み手を想定して書いているのか分からない。全く脱帽で、太平洋に泳ぎ出た蛙の気分です。特に初めて知って衝撃を受けたのは、韓国朝鮮語や中国語でどういう場合に濁音化するかという所です。説明されて見れば全然難しい事ではないのに、今まで全く気づかず、法則不明で済ませて来たのです。何て馬鹿なんでしょうか、私は。それにしても何てもったいない事なのでしょう。今中国語を習っている人達がこれを読めば、必ずや大いに得るところがあるのに、彼らはこのサイトの存在を知らないのです。私は英語や中国語と文法比較をするのが目的で、言語、日本語、と経由検索してここへ辿り着きましたが、彼らは「日本語に用は無い」という姿勢を決めこんでますから、まずここへ来れないでしょう。たとえ偶然通りかかっても、「中国語有りマス」の看板が無いから、店に入らず素通りしてしまうに違いありません。何てもったいない! 彼らの哀れさを知っていますか? ピンインのローマ字に騙されて無気音を全部濁音で発音しているんですよ。その汚さといったら耳を覆わんばかり。ああ、この世にこんな理不尽があっていいものか。

 ところで「ななこ」さん、私の個人的な知識欲から出た質問でご迷惑をかけてしまい、大変申し訳ないと思っています。私としては信太先生の意見が聞きたい一心でここへお邪魔したので、他の方に迷惑をかけるつもりはなかったのです。もしかしたら、こういう言語だけに偏向した話題が出る事に不愉快さを感じる人がいるかもしれないとは思ったのですが、知識欲に勝てませんでした。悪意は微塵も無いのでどうか勘弁してください。

オーストラリアに行くのなら(ななこさんへ) 投稿者:しだ  投稿日:07月17日(火)22時00分01秒

 日本が冬でそちらが夏のときに行きたいですね。荷物も少なくて済みますし、気分も開放的になります。
 もう誕生日を祝わなくなって久しくなります。よろしかったら少し歳をお分けしたいと思います。でも、誕生会はみんなが集まる絶好の機会になりますね。でも、掲示板で自分の誕生日を公開していいんでしょうか? パスワード、暗証番号などに誕生日を用いてないのならかまわないでしょうけれど。
 語学学習の問題については、文法を暗記物として教えるのには反対ですが、文法的に考える習慣を養うことは大事だと思っているということだけ申し上げておきたいと思います。
 

ヤマンバについて(うーちゃんママさんへ) 投稿者:しだ  投稿日:07月17日(火)21時52分13秒

 ガングロの彼女たちはヤマンバなんて知っているのでしょうか? 幼いころ見ていた「ニッポン昔ばなし」ぐらいで知っているかもしれません。「ヤマンバ」で姨捨てにあったおばあさんたちでしょう。山道を歩いていて痩せさらばえたおばあさんが出てきてぎょっとする、怖いというより罪の意識があのような伝説を生んだのだと思います。ガングロの彼女たちにとっては、ほんとうに「ニッポン昔ばなし」だと思います。
 それにしても、団塊ジュニアが「大人」なら、私たち団塊世代は何になるんでしょうね? 「お客様は神様です」と言っていた人も亡くなりましたね。

教科書問題(テグ生さんへ) 投稿者:しだ  投稿日:07月17日(火)21時45分42秒

 教科書問題でいちばん責を負うべきなのは、やはり日本の文部科学省でしょう。やはり、あのような教科書は、検定制度がある限り、通すべきではなかったと思います。韓国側の対応にも問題を感じてはいますが、それはやり方が悪いということで、していること自体は悪くありませんから、お互いさまということには絶対になりません。
 以下、韓国の対応のまずさについて思うところを書きます。まず修正要求はよくありません。あの教科書のいちばんの問題点は変なことを書いてあるということではなく、書くべきことを書いていないところにあると思います。合格させたこと自体を問題にするという姿勢を崩すべきではないと思います。次に日本文化の開放を取引の材料にするのは筋違いです。一昔前ならともかく、韓国ももう自国の大衆文化に自信をもっていいはずで、開放を遅らせているのは少しも韓国のためにはならないと思います。自治体間の交流は、こんなときにこそ、韓国がイニシアチブをとって積極的に進めるべきです。
 テグ生さんがおっしゃる通り、こんな問題があっても、日韓の個人同士が交流する妨げには少しもならないと思います。問題は政治のレベルにあり、韓国の人も建前としては守らなければならないところが多いのでしょう。今後の交流について、私は少しも悲観的にはなっていません。
 ところで、韓国は国定教科書ですよね。すべての日本の中学生があの教科書で勉強することになるわけではないことを、韓国の人はどれぐらい知っているのでしょうか? 当面、あの教科書の採用はごく一部にとどまりますが、一部だからといって容認はできません。検定制度を前提とする限り、不合格にすべきだったというのが、いちばん大事なことです。
 韓国はファナティック、日本は思考停止というのは、面白い御指摘だと思いました。 

理数系について(田中さんへ) 投稿者:しだ  投稿日:07月17日(火)21時25分21秒

 大昔の古傷であまり触れてほしくありませんが(^^;)、たしかに理数系は苦手でしたね。もっとも生物は大の得意だったし、化学もさほど苦手ではありませんでした。しかし、数学と物理とは、私にとって天敵でした。受験に際しては、理科では生物と化学をとればいいので物理は取らずに済みますが、数学はそうはいきません。受験でイチローしたのも、数学のせいです。浪人中に少しは克服しましたが、やっぱり付け焼刃で受験が済むと剥げ落ちてしまいました。
 経済学には苦手意識はあります。とくに数式の多い経済学書には身震いします(少し大げさかな?)が、経済に苦手意識があるのは、数学に弱いということより、国語教師という職業柄、経済の中心にいないという負い目のようなものがあることの方が大きな理由になっているのだと思います。

ブルブル・・・寒いです 投稿者:ななこ  投稿日:07月17日(火)20時58分01秒

割り勘ネタ(古いですかね)のことで、思い出したことがありました。明後日私の誕生日なのですが、(23歳になってしまう)そういえば誕生日パーティーをする際、韓国社会では、誕生日をむかえた本人が全部払いますよね? 日本社会では、みんなで割り勘して、誕生日会の主役はタダ飯食べれますけど。だから韓国人の誕生日会は節操もなくやたら出席してしまったりしたこともありました。けど自分が誕生日を迎えるとなると、お金なかったら祝えない・・・そういう韓国人はどうするんでしょう。

英語のbe動詞についてのやりとり、頭抱えて悩んでしまいました。日本の中学での英語教育は、私には謎ばかりです。文法についての言語学的な知識は身につきましたが、英語が話せたかというとまったくそうではないですものね。こっちの中学での日本語学習や、私が英語を身につけた方法とは、かなり違うと感じます。こっちの学生は「動詞」が何か、「形容詞」の役割は何か、なんて知りませんが、meaningfulな語学学習をしてると思います。どっちがいいかっていうのは、またおもしろい議論になりそうですね。

団塊ジュニア 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月17日(火)18時55分22秒

「ヤマンバ消え大人の渋谷復活」という、朝刊の見出しはとても新鮮でした。「ヤマンバ」ってなに?「大人」って誰?と解らないことだらけだったからです。「ヤマンバ」が「ガングロ」の人たち、「大人」とは、「団塊ジュニア」のことでした。「大人」になった、とは、社会人になったという意味でした。つまり、しばらく、ガングロの人たちの溜まり場で、街が荒れていた渋谷が、社会人になって少し経財力を持つようになった団塊ジュニアのおかげで、百貨店や専門店が売上げを伸ばす、大人の街に復活しつつある、ということでした。とかく、悪く言われることの多い団塊世代、そして団塊ジュニアなのですが、経済力を持ち始めたとたんに、神様にされているとは・・・

ビデオを見て 投稿者:テグ生  投稿日:07月17日(火)15時18分40秒

私はノ・テウ、キム・ヨンサム、そして今のキム・デジュンの政権下の韓国を経験してきましたが、どの政権もその末期にはどこかファナチックになる傾向があるようです。大干ばつと大水害、言論税務非理、キム・ジョンイル答訪問題、そして教科書・・・妄想が白熱して徐々にヒステリー状態に入ってゆく。もちろんファナチックなのは政治と言論だけで庶民たちの斜に構えた姿勢はあまり変わらないことは言うまでもありません。妹があるメーカーの幹部秘書をしていて、プロジェクトXというそのメーカーを扱った番組を録画して送ってくれました。日本の製造業賛歌のような内容でした。日本については日本にいないので良く分かりませんが、韓国が常に観念に興奮しているのに比べ、日本は苦しくなればなるほど思考を停止して物神主義に凝り固まって行くなという感慨を持ちました。

信太さんへ…(つづき) 投稿者:田中洸人  投稿日:07月17日(火)00時44分01秒

信太さんは理数系に弱かったのですね。ところで、信太さんは生命科学は得意だったのでしょうか。私は中学や高校では一般に生物学は苦手だったのですが、遺伝のところだけはきわめて得意でした。また、社会科学でも経済学は数学をたくさん使いますよね。それで信太さんは経済学は苦手だったのでしょうか。教えてください。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/chap1.htm

田中さんへ 投稿者:しだ  投稿日:07月16日(月)20時25分56秒

 前にcapitalismを資本「主義」と訳すのは誤訳だと書きましたが、これは単に言葉の問題ではありません。「主義」というから社会主義と同じ次元にあるものと考えられ、ソ連の崩壊などで資本「主義」の優位が証明されたかのように考える人が多いことが問題だと思います。capitalismは経済の自然発生的な状態であり、そのまま放置すれば貧富の格差は拡大し、路頭に迷う人が続出するものであるからこそ、その矛盾を緩和するために社会主義ならずとも何らかの主義が必要なことはいうまでもありません。
 ソ連などの崩壊により、資本「主義」の矛盾を放置することはむしろますます許されなくなりました。社会主義があんなひどい状態だから、その程度の矛盾はかまわないのだという論法が成り立たなくなったからです。ところが、この日本ではその認識が欠けており、矛盾を緩和する自前の主義を考えようとする政治家がひどく乏しいように思えてなりません。
 たとえば、日本ではすっかり「首切り」の意味になってしまった「リストラ」などは、資本「主義」が牙をむいている状態だと思います。この状態を何とかしようともせず、逆に当然のことのようにいう政治家が多すぎます。景気の回復をはかるのはもちろんのことですが、この課題を忘れてはいけないはずです。それは、単に弱者を守るということではなく、長期的には日本経済の構造改革へとつながっていくはずのものではないでしょうか? 構造改革の一環として内需拡大ということが言われることがありますが、いつ失業するか分からないという気持ちがある限り、消費者の財布の紐は緩みません。内需はいつまでも拡大せず、輸出依存型の経済が続く結果になるのではないでしょうか?
 アダム・スミスの記事、あんなに短いはずはありませんね。NEXTを押しても次のページが出てきませんでしたが、どう見たらいいのでしょうか?

川口さんへ 投稿者:しだ  投稿日:07月16日(月)19時56分13秒

 英語はヨーロッパ諸語の中で語形変化が最も衰えた言語であり、動詞の自他の別どころか、loveのように動詞と名詞が同形である例もたくさんあります。こういう特徴は中国語のような孤立語に似ています。よく中国語が(文法的に)英語に似ているという人がいますが、正しくは、英語が中国語に似ている、または似てきたというべきでしょう。この点については、下記の記事を御参照いただけたら幸いです。
 同じstopでも、He stopped to smoke.の場合は自動詞で、「彼はタバコを吸うために立ち止まった」であり、He stopped smoking.の場合は他動詞で「彼はタバコをやめた」になるということは、受験時代の記憶として残っています。「止まれ!」というときは、Stop! だけでよく、「止めろ!」というときはStop it!ですね。この場合のitは何かを受けているというわけではないと思います。
 
 7年前、20数年ぶりに秋田に行きました。前に行ったときに当然のように耳にした東北弁があまり聞けませんでした。帰りによった盛岡をレンタサイクルで走っていたとき道に迷い、お年寄りに聞いたところ、強い東北なまりで何度か聞き返しました。その話をすると、若い人に聞けばいいのにと言われますが、私はむしろ東北にきた実感が湧いてうれしくなりました。小さい頃、家に出入りしていた親戚の東北弁への懐かしさもあるのだと思います。何事も便利さが優先される御時世ですが、それよりも大事なものも多いと思います。沖縄の石垣島で問題になったことですが、珊瑚礁を見にくる観光客を迎える空港をつくるために肝心の珊瑚礁をつぶしたのでは何にもならない気がします。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/gojun.htm

アダム・スミスの学説の誤り 投稿者:田中洸人  投稿日:07月16日(月)06時54分04秒

このことについて詳しくは下記のHPを更新したので見てください。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/mat46.htm

面白い! 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月15日(日)23時44分48秒

何が面白いかというと、一枚ジグソーパズルが完成したからです。もちろんこれは比喩です。私、直ぐに答えが分からない事は取り敢えず放っておいて、先へ進むという方針でやっているのですが、これを続けていると出来掛けのパズルがたくさん溜まって来ます。半分くらい埋まっているのもあれば、枠しか出来ていないというのもあり、又最後の十個だけ残ってしまったというのも出てきます。その内の一つが、ついさっき先生の文を検討していて、パタパタっと出来てしまったのです。いやその、こういう経験はどなたもお持ちと思うので、察していただきたいのですが、今ちょっと興奮状態にありまして、その内容をうまく書けるかどうか分かりません。しかし書かずにもいられない気分なので、顰蹙を承知で書きます。
 ヒントになったのは、「親に死なれた」という文が「自動詞の受身」で、欧州言語では不自然だという一節です。私は研究が浅いので本当に不自然かどうかは分からないのですが、もし「自動詞の受身」自体が使われないと仮定すると、英語の動詞に、全く同じ形でありながら自動詞と他動詞を兼ねる型が異様なほどに多い理由が何となく分かってきます。たとえば「break」の意味が「こわす。こわれる。」などと書いてあると、日本語人としては「一体どっちなんだ」と当惑してしまいます。日本語にも同形で双方を兼ねる動詞が無いことはありませんが、「開く」「解散する」など、探すのに苦労するほど少ないので、英語動詞の同形だらけには驚かずにはいられません。「surprise (おどろかす)」のように他動詞型しか存在せず、自動詞「おどろく」を表すには、受動態にして「おどろかされる」をつくり「おどろく」とほぼ同じ意味にして代用するという手法があり、これはこれで「そういう手もあるのか」と感心しましたが、「break」のように、それだけで「こわれる」の意味が出せるのに、臆面も無く「The desk was broken」などという文が出てくるので頭にきます。「その机は壊れられた」? そんなのありか? 一体この文は「The desk broke」とどう違うのか?
 ややこしいので混乱していただけなのかもしれませんが、これがはっきり分からず後回しにして放っておいたのです。しかし、もし「自動詞の受身は使わない」が正しいなら、すぱっと説明できるではありませんか! つまり「The desk was broken」のときの「break」は受動態であるが故に自動詞にはなりえず、必ず他動詞だという事になります。つまりこの文の意味は「その机は壊された」であって、「The desk broke」の「その机は壊れた」とは表している意味がはっきり異なり、双方が存在しても全然おかしくない事になります。おお、すっきりした! もっとも、これも仮説の上に成り立っているので危ういといえば危ういのですが。

 それから、多様性を尊重すべきだという考え方には全面的に賛成です。卑近な事例で恐縮ですが、私はバイクで本州以南の海岸線を回った事があります。緯度や高度の違いで植物などが変わり、景色に変化が見られる事はありましたが、人の住んでいる街の風景は日本中どこへ行ってもほとんど違いが見出せず、何の為に苦労して遠くまで来たんだろうと虚しくなくなる事が何度もありました。方言を聞くと小躍りして喜んだものですが、その土地の人はこちらがよそ者だと分かると直ぐスイッチしてしまうので、あまりそういう機会には恵まれませんでした。どこへ行っても言葉に不自由しないというのは便利な事なのですが、そのために地方の文化が磨り潰されてしまったと思うと大変残念です。

スポーツカーとインターネット 投稿者:しだ  投稿日:07月15日(日)11時26分11秒

 人間には個性があります。そのため、「期待される人間像」を設定し、領民をその鋳型にはめ込もうとした政権はことごとく失敗しました。先天的なものなのか、ある年齢までに核として形成されたのかは別として、人間の個性というものはかなり若いときから一生変らないもののようですね。あとは、それを基盤として、もっというなら財産として、どうその上に自分を意識的に築いていくのか、ということだと思います。
 ブラジルはセナを国葬で送ったのではなかったでしょうか? スピードへの憧れは、多くの人に共通するようです。どこにでも行けるという全能感を満たしてくれるからだと岸田秀とかいう人が書いていました。全能感を満たすツールがどんどん開発されているのが現代ですね。
 アラン・シリトーという労働者階級の生活を描くイギリス作家の「自転車」「魔法の箱」という小説を読んだことがあります。「自転車」は若者がかっこいい自転車(当時は高価)を手に入れるのに夢中になる話で、「魔法の箱」は、夫がアマチュア無線(ハム)にのめりこむ夫婦の危機を描いた小説です。それが、今では自転車はスポーツカーになり、アマチュア無線はインターネットとなりました。居ながらにして世界中に行ける気持ちになるという意味では、インターネットもスポーツカーに似たところがありますね。
 息子さんにとっては「命と同じく大切な車」なんでしょうか? あるいは「命より大切な車」かも知れません。脳内興奮物質の分泌の衰えた私などとは、別の人生を生きておられるように思います。時がたてば、車が基底にあることに変りはないとしても、二人の仲も質が変っていくことでしょう。それにしても、息子さんが彼女にぞっこんなのが、車を介してだというのは、お母さんにとっては幸いかもしれません。もし、最初から彼女にぞっこんだったなら、心中おだやかならぬものがあるのではないでしょうか?

「アイルトン・セナ」は神様! 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月15日(日)03時51分11秒

 息子の言うには、若い時スポーツカーにはまる族(やから)というのは、家庭を持ってからも、スポーツカータイプの乗用車を選ぶのだそうです。若い時にオーディオにはまっていた人は、何歳になってもそれにこだわり続けるのと同じく、若い時、車にこだわる人は生涯車にこだわるようです。          
 最近、50代、60代のライダー(バイク乗り)が多いんですよ! 近所の30代後半の県庁マンも1000ccのバイクで通勤です。県庁は、マイカー通勤禁止ということもあって。
 校区内の公立中学校が荒れていたこともあって、一学年わずか30人弱という私立の中学校に息子を通わせましたが、関西への修学旅行の際、鈴鹿サーキット場をコースに入れるという、粋な計らいを学校がしてくれました。男の子は13人でしたが、みな、F1ファンで、アイルトン・セナは彼らの神様でした。そんな息子の最終目標は、速度制限なしのドイツのアウトバーンをスポーツカーの最高級車「ポルシェ」で走ることのようです。全く恐れしらず、スピード感の大好きな彼女も大張り切りでついて行くでしょう。彼らの関係はこうです。彼女は息子の車にぞっこん、命と同じく大切な車をそんなにも気に入ってくれる彼女に息子がぞっこん、そしてそんなにも自分を気に入ってくれる息子に彼女もまたぞっこん!
スポーツカーをこれほど気に入る女子学生はやはり少数派のようですから。車のことをあまり知らない、クラスメイトの女の子が引越し荷物をすこし運んでくれないかとTELしてきた時、「俺の車で引越し?ええよおー」と、皮肉たっぷりに息子が受けていたのが傑作でした。                                           

川口さんへ 投稿者:しだ  投稿日:07月14日(土)23時12分58秒

 私としては、意表を衝かれた問いかけに対して、あれこれと感想を並べただけで、体系的な答になったとは思っておりません。私にもさまざまな疑問があります。たとえば、「親に死なれた」のような、日本語の自動詞の受身(いわゆる迷惑の受身)は、ヨーロッパ文法からは特殊なもののように思われますが果たしてそうかとか、日本語の場合、受身の反対は能動文ではなくむしろ使役でないのか、といった疑問です。
 英語に対する私の気持ちは、one of them になってほしいということです。多様な生物がいることで自然の豊かさと活気が生まれるのと同様、多様な文化(その基盤には言語があります)があってこそ、人類は元気に暮せるのだと考えています。言語は役に立つとか立たないとかいうことで評価されるべきではなく、どの言語もそれぞれ固有の価値をもっているはずです。なお、私は英語の第二公用語化に反対する記事を書きました。日本人の英語力が低下していると言われますが、私は言語能力自体が低下しているのではないか、と考えています。いま何より大事なのは、日本語(国語)教育の見直しなのではないでしょうか。

回答のお礼 投稿者:川口 宣幸  投稿日:07月14日(土)22時06分04秒

 「知恵を貸して」いただいた者です。
 投稿するにあたり最も恐れていたのは門前払いを食らう事だったので、非常に真面目に応えていただいて、心から感謝しています。白状すると、先生の反応を試してみたいと言う邪心が無かったといえば嘘になります。HPの内容から推して相当の使い手である事が予想され、私自身で答えが分かっているような問題では却って失礼にあたると思い、私が現在抱え込んでいる第一級の難問をぶつけて見たと言うのが真相です。失礼をお許しください。
 回答の内容ですが、残念ながら、私が求めていたような解答そのものズバリだったとはいえません。しかし、私自身がこの問題について長い間考え続けてきたからこそ、直感的に分かるのですが、大変示唆に富んだ内容であると思っています。私は脳の回転が遅いので、これだけの回答を直ぐに返せる人間が実在すると言う事のほうが信じられません。今、先生の回答内容についてじっくり腰を据えて検討を始めたところです。全く「分からない事は人に聞け」とはよく言った物です。もし、この問題について新しく気づく事があったら、お手数だとは思いますが、是非又教えてください。ヒントに飢えているのです。私としては、受動態にbe動詞が使われている理由について、英語に対して全く興味を持っていない中学生が聞いても「ああ、語順は違うけど、使っている材料は日本語と同じなんだな」とすんなり納得が行くような説明に到達するのが最終的な目標です。
 私の英語に対する考え方について、誤解を受けている可能性があるので、触れておきますと、私の英語に対する評価は、先生のそれに勝るとも劣らず辛いです。
 死蔵していた英語参考書の埃を払ったのは三年程前ですが、その動機は英語の衰退をほぼ確信したからです。これはあくまで私見ですが、言語の勢力はそれを使っている社会の経済力が世界一になるか否かによって決まると考えています。もしこれが正しければ、中国が米国を経済力で抜くのは時間の問題なので、英語はやがて中国語に追い落とされてしまいます。EUの共通語にでもなれば事情は変わりますが、EUの設立理由の一つには米ソに対抗できる勢力になって両国の影響力を排除したいという本音があったと思いますから、米国の言語を共通語にしてわざわざ従属しようとは考えないでしょう。これが私が英語の未来は暗いと考える理由です。衰退を確信したからこそ、安心して習い始めたというわけです。純粋に言語比較の対象として。
 ちょっと調子に乗って書き過ぎました。上の論理ですが、英語嫌いの人達には耳に心地よいと思いますが、その実、仮説の上に仮説を立てている非常に危うい論理ですので、鵜呑みにしないでください。

田中さんに質問です 投稿者:しだ  投稿日:07月14日(土)20時37分55秒

 田中さんの言われる「顕性」「潜性」とは、不適切な用語と私も思いますが、世間でいう「優性」「劣性」と考えてよろしいのでしょうか? 私たちの世代が習い、今も学校で教えられている遺伝の説明が間違っているという内容については、私はつぎのように理解しました。「顕性」にせよ、「潜性」にせよ、遺伝子はいずれも親から子へ伝えられ、その相互作用で表現型が決まるのが、これまで遺伝といわれていたものの正体だというふうにです。そして、他の科学でいうような意味での「法則」など存在しないという意味で、さらには社会を作るのが生命だという意味で、社会科学も生命科学の一環なのだというふうに理解しました。この理解は田中さんのお考えと一致するのでしょうか?
 もう一つ田中さんにお尋ねしたいことは、「生命科学」という用語を用いておられるということは、他の科学と違いはあるにせよ、何らかの意味で、「科学」としての共通性があると見ておられると考えてよろしいのか、ということです。「法則」という名で呼ぶのは適当でないとしても、それに近い意味での「傾向」なり「趨勢」を探し求めるなど、社会科学にも、なんらかの意味での科学性が必要だと私は考えています。最近、「歴史は科学ではない」という主張がよく聞かれますが、この場合の「科学」という言葉の定義をきちんとしておかないと、不毛な議論が繰り返されることになると思います。

生命科学に「法則」など存在しない 投稿者:田中洸人  投稿日:07月14日(土)19時51分23秒

「法則」と名がつく限りはよほどのことがない限り「例外」など存在してはならないのである。こういう意味では、生命科学に「法則」など存在しないことになる。このことについて詳しくは下記のHPを見てください。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/mat41.htm

納得できます 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月14日(土)02時39分15秒

いろいろなご意見を聞かせて頂いて、韓国の「おごり」のことが、だいぶんイメージできるようになりました。割り勘はあとくされがなくてすっきりしますけれど、おごりは、おごりで、その都度誰かに花を持たせてあげることになるので、場が盛り上がるでしょう!

遠藤周作のことです 投稿者:しだ  投稿日:07月14日(土)00時18分21秒

「狐狸庵」とは、作家遠藤周作のことです。韓国での号(春園李光洙の春園)のようなものとでも言ったらいいでしょうか。キツネとタヌキは人間を化かす動物とされていますから、怪しげなことを言う奴の住むいおりという意味になります。このような自嘲的な名前をつけるのは、江戸時代に文学者の地位が芸人と同様に公には低いものとされていたからです。そのため、文学は「戯作(げさく)」つまりおふざけとされ、ペンネームも自嘲的なものをつける場合がよくありました。だから、「号」とはだいぶ違うでしょうね。遠藤周作の「狐狸庵」も戯作名の伝統を引くものです。辞書を引いても乗っていないのも無理はないわけです。それにたぶんKoreanを連想するからまごつかれたことでしょう。この場合は「わし(私)」というような意味合いです。
 御投稿のタイトルは韓国語フォントにしても読み取れませんでした。画像でハングルのお便りも読みましたが、こちらとしては、たいした手間ではないので、あまり気にして頂かなくてもかまいません。文字化けしたら、下のような形で紹介しますので、どんどん投稿してください。
 ハングルのお便りによれば、そちらはだいぶ雨が降っているようですね。こちらは、あまり雨が降らず、いわゆる空梅雨(からつゆ)で、夏の水ききんが心配なほどです。あじさいは日本では六月の花として有名ですが、韓国ではあまり栽培されていないようですね。
あじさいを「水菊」というのは初めて知りました。
 

Dear mr.Shida 投稿者:Choi Min-kyung  投稿日:07月13日(金)23時27分37秒

http://members.tripod.lycos.co.kr/mktrans/letter.jpg

 指定されたURLに行ってみると、つぎような内容の手紙が出てきました。(しだ)

(信太訳)

信太先生へ

こんにちは。チェ・ミンギョンです。毎回ご迷惑をおかけして申し訳ない気持ちでおります。今日、気になることがあって手紙を出しましたが、またもやエラーが出ました。日本語フォントも使っていろいろな方法を使ってみましたが、結局は……(^-^)しかし、信太先生は大目に見てくださいましたのでしょうね?

今こちらは梅雨が盛りだけあって暑くて雨もたくさん降っています。日本も今梅雨でしょう? 日本にいたとき、あじさい(水菊)がほんとうにたくさん咲いていると思いました。わが国ではあまり見ることができないのにです。

今日はこれぐらいにしておきます。次もまたご迷惑をおかけすることになりそうで…かわいらしいと思って見てください。(*^0^*)にっこり

↓チェ・ミンギョンさんの投稿です 投稿者:しだ  投稿日:07月13日(金)23時22分05秒

"この女は嘘つき,嘘つきでないかを見極める方法を狐狸庵(コリアン),ヘ示いたそうか(中略)だが,狐狸庵が感心したのはこの時の彼女の態度であった."という文を讀みました. 狐狸庵(コリアン)とは なんですか. いくら辭書をひいてもわかりませんでした.よかったらおしえてくださいませんか.(*^0^*)

ちなみに私は割り勘が好きなほうです.もちろん1円,十円まで割り勘するのはちょっとあれですけど,,,韓國でも若い人たちの間では割り勘(dutch−pay)にする傾向がつよくなってますね.でも ななこさん(^^)のいうとおり韓國式割り勘が壓倒的に多いですね.

(↑上記参照)亨≫ロ(・・・・) 投稿者:min-kyung  投稿日:07月13日(金)23時03分49秒

"ェウェホメウェマニェトェュ」ャニェトェュェヌェハェ、ェォェフクミソェ皙・ーロェマラ砌ン(ォウォ・「ォ・」ャホ鈬ニェ、ェソェスェヲェォ(鰈ヤ)ェタェャ」ャマラ砌ンェャハ・ェキェソェホェマェウェホ翆ェホィメウェホセモェヌェ「ェテェソ."ェネェ、ェヲルェヤチェ゚ェ゙ェキェソ」ョ マラ砌ン(ォウォ・「ォ・ェネェマ ェハェェヌェケェォ」ョ ェ、ェッェ鰰゚ェェメェ、ェニェ・br> ェ・ォェ・゙ェサェェヌェキェソ」ョ ェ隱ォェテェソェ鬪ェェキェィェニェッェタェオェ、ェ゙ェサェェォ」ョ(*^0^*)

ェチェハェ゚ェビ遯マワェ・・ャソェュェハェロェヲェヌェケ」ョェ筱チェニ・褶,茯褶ェ゙ェヌワェ・・ケェ・ホェマェチェ遯テェネェ「ェ・ヌェケェアェノ」ャ」ャ」ャロマミェヌェ粢エェ、・ェソェチェホハ爼ヌェマワェ・・dutch」ュpay)ェヒェケェ・ヒセェャェトェ隱ッェハェテェニェ゙ェケェヘ」ョェヌェ・ェハェハェウェオェ・^^)ェホェ、ェヲェネェェェ・ロマミ耡ワェ・・ャ葢モ・ワェヒメェ、ェヌェケェヘ」ョ

私もめまいがします。 投稿者:しだ  投稿日:07月13日(金)22時09分19秒

 豊かな時代になったものです。でも、若さがいつまでも続くものではないと思うと、そのあとはなどと考えるのは「年寄り」の考えなのでしょうか? 今の若い人たちには、「そういうものと決まっているんだ」では説得力がありません。当たり前と思うことがなぜなのかを考えて話すことが「年寄り」に求められているようです。
 それはさておき、彼女がぞっこんなのは、車じゃなくて、息子さんでしょ? 

女の子もスポーツカー 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月13日(金)18時21分29秒

男女平等ということで、「時代が変わったなあー」と、思っていることがあります。2年前から、スポーツカーに乗っている息子が、自分の彼女にも、スポーツカーを薦め、2台連ねて走らせていることです。彼女は抜群の運動神経の持ち主で、息子の乗っているスポーツカーにぞっこんということを思えば当然なのかもしれないのですが、それにしても・・・ 2台連なって走っている様を想像する度に、めまいがします!!!格好いいスポーツカーを、運転しているのは女の子で、助手席に男の子が乗っていたりするのも、最近では、よく見かけます。   

う〜む! 投稿者:しだ  投稿日:07月13日(金)17時43分17秒

 「知恵を貸してください」さん(呼びにくいのでHN変えて頂けるとありがたいです)、意表を突かれた感じで表題のとおり唸っています。
 私がまず考えたことは、分詞には形容詞的な性格があるのではないかということです。そして、現在分詞の場合はその状態が動作が継続中の状態であり、過去分詞の場合は動作が完了した状態であるように思います。たとえば、形容詞として扱われるcharmingやinterestingの場合は、そののが人を魅了したり関心を引きつけたりしつづけている状態を示し、「学のある」という形容詞であるlearnedの場合は、その人がもう十分にlearnした状態にあることを示すという具合です。learnedもそうですが、-edをはっきり[id]と読むのが気になります。wickedやnakedもそうですね。
 さて、問題の受動態の場合ですが、これもなにかある動作が完了した状態であるということなのではないでしょうか。その例として真っ先に思いつくのがI was born.という表現です。この場合、英語でもわざわざ by my mother なんてつけませんよね。でも、英語の受動態は一般的には by 以下で動作主を示すことが多いように思います。これと似たところもあるのですが、日本語の受身をも示す「れる、られる」には、他に自発、尊敬、可能という意味もあります。このうち、最も古いのは今ではいちばん影の薄い「自発」の用例と考えられています。「自発」とは、「秋になると亡き母が偲ばれる」のように、「自然に〜してしまう」という用例のことです。「受身」の用例であることがはっきり分かるのは、「花子は太郎にキスされた」のように、「〜に」という表現が入ったときです。こう考えてみると、「〜が原因となって〜は〜という動作が完了した状態である」という意味で、英語と日本語の受身表現は似ているような気がします。
 ここまで書いてきて、何か「知恵を貸してください」さんのペースに乗せられているような気がしました。でも、本来は存在を示す動詞を応用して表現を豊かにしてきた道筋が、英語と日本語で似ているのは面白いと思います。
 学生時代、ドイツ語をもう少し真剣に勉強しておけばよかったと思っているのですが、ドイツ語の受動態では、英語のbe動詞にあたるseinではなく、「成る」にあたるwerdenを用いるようです。英語のbe動詞が、本来存在を示す動詞であることは確かで、「我思う、ゆえに我あり(Cogito ergo sum.)」というデカルトの有名な言葉は、英語では"I think, therefore I am."というようですね。でも、これは古めかしい言い方で、このように、「存在する」という意味のときには、existというのが一般的なのではないでしょうか?
 私は英語やドイツ語の専門家ではありませんので、完璧な答など期待しないでください。もっと詳しい方の御投稿を頂けたら幸いです。

受動態のbe動詞 投稿者:知恵を貸してください  投稿日:07月13日(金)09時30分39秒

 どうしても分からない事があって長年煩っています。是非知恵を貸してください。英語のbe動詞は存在を表す言葉で「いる、ある、おる」等の日本語に相当するという事を以前に知りました。「This is a pen」は「これはペンで『ある』」ですし、「I am eating」は「ing」を動詞の連用形と考えれば「私は食べて『いる』」ですから、割合すんなり納得できます。間に挟まっている「で」や「て」はたぶん、接続助詞なので英語では使わないというだけなのだと思います。問題は受動態にもbe動詞を使うということなのです。日本語では動詞の未然形に「れる、られる」がつくか、さもなければ「----する事をされる」のように動詞部分を一旦名詞句にしてから「される」の目的語にするという形になりますが、いずれにしろ「いる、ある、おる」等の存在詞は含まれていません。なぜ受動態だけが日本語と英語で一致しないのかが分かりません。それに関連してもう一つ。現在分詞が日本語の動詞連用形に相当するとしたら、過去分詞は一体何なのでしょうか。全く見ず知らずの方にこんな面倒な事を考えていただくのは大変心苦しいのですが、私一人で考えていると寿命が尽きるまでに納得が行く解答にたどり着けないような気がするのです。是非知恵を貸してください。

割り勘の起源 投稿者:しだ  投稿日:07月13日(金)00時02分41秒

テグ生さんの御指摘を受け、日本で割り勘がいつから一般化したのか調べる必要を感じましたが、私には手がかりがありません。韓国との比較ということでなしに、何か手がかりをお持ちの方の御投稿をお待ちしております。
 なお、この掲示板はテーマを限定しません。議論の流れを必要以上に気にされず、どんどん投稿していただければ幸いです。ななこさんの出された男女平等(不平等?)の問題も大きなテーマですね。

社会主義について 投稿者:しだ  投稿日:07月12日(木)23時50分47秒

 私は社会主義というものをもっと広義に資本「主義」を批判し、平等を求める思想だと捉えたいと思います。コミンテルンなどというものができて、これが「正統な」社会主義だなどと主張しだしてからおかしくなったのです。「マルクス・レーニン主義」などというのは、マルクスが死んだとき、レーニンは14歳ぐらいでしたし、環境も違う両者の思想がまったく同じであるはずがありません。「マルクス・レーニン主義」というのは、要するに「レーニン主義」なのです。
 社会主義の理想は、社会保障などの形で社会主義国でなくてもある程度実現されていますし、マルクスの資本「主義」批判は、今日でも耳を傾けるべきところが多いと思います。ただ、資本「主義」自体を解消しようとした試みは、豊かさの共有ではなく、貧しさの共有となったという意味で、失敗に終わったといっていいでしょう。
 私は、資本「主義」という表現はおかしいと思っています。これはギリシャ語の-ismosに由来する抽象名詞形成語尾である-ismを一律に「主義」ととらえcapitalismにあてはめた「誤訳」ではないでしょうか? capitalismとは、主義ではなく自然発生的な状態であり、「資本にまつわるもろもろの事柄の総体」であり、強いていうなら「資本経済」とでも訳すべきものでしょう。「資本経済」は放置すれば、貧富の差をとめどなく拡大するもので、グローバルにみれば、今日の南北問題がそれを証明していると思います。
 おっしゃる通り、「社会主義」を「真理」とみなす考え方が、「資本経済」以上の矛盾や不幸をもたらすことは明らかになりました。しかし、「資本経済」が自然発生的な状態である以上、その矛盾を緩和する意識的な「主義」は必要です。そういう主義の最大のものとして、社会主義的な発想はまだ役割を終えていないと私は考えています。

割り勘 投稿者:ななこ  投稿日:07月12日(木)22時54分10秒

韓国人の友達はDutch Payといいますが、英語でもこれは割り勘という意味です。とくに恋人同士では、男が払うのは当たり前と思っている男の子も、女の子もまだまだ多いですね。けど、これはシンガポールにいた時も同じでした。男の子と映画を見に行って払おうと思ったらすごく気分悪くされたようでした。けど、韓国人の割り勘のシステム、私は好きです。例えば4人で一緒にご飯食べにいって、一人が「俺が払う」と言い、そこは彼が払って次のバーは他の人が払い、そしてまた次のカラオケではまた違う人が。結局割り勘になってるのに、そこがなんだかとても新鮮で私は好きです。恋人同士で男が全部払うっていうのは、悪くないですが、(女とすれば)日本に遊びに来た韓国人の男友達が、「うわ、高ぇ!悪いけど、割り勘でいいかな?」と突然割り勘制度に・・・・やっぱり物価かしら? でも、韓国社会では男女平等っていうのはあってないようなもののような気もします。大体女が外でたばこ吸っちゃいけないなんて、びっくりでしたよ。知らないでタクシー待ちながら吸ってたら、友達が血相変えて「ダメダメ!」話それましたが、これもやっぱり人それぞれですよね。

割り勘 投稿者:テグ生  投稿日:07月12日(木)21時16分44秒

うーちゃんママさんへ
私は赤坂生まれで二十代の後半まで東京・横浜を転々としながら過ごしました。すし屋で勘定をするとき仲間同志がま口を出し合って小銭まで数えながら割り勘をする人たちを見て、私の父が「大人になっても男ならああいう野暮ったいことすんなよ。」と私に言ったことがあります。韓国の人たちに割り勘を例にとって「日本人はせこい、粋じゃない、野暮だ」とよく言われますが、常に私はどうも納得できない思いをします。割り勘というのは明治の後、または戦後になってアメリカ人の習慣をまねしたものではないでしょうか? 私は個人的に割り勘というのはどうも美意識に反するという感覚が抜けません。

社会主義は最悪の不平等社会 投稿者:田中洸人  投稿日:07月12日(木)20時35分03秒

以前は社会主義は階級がなく平等で資本家による民衆への搾取もない「理想の体制」であると信じられてきたが、社会主義国家の実態が明らかになるにつれて社会主義はわれわれの通説とは裏腹に一握りの国家の指導者だけが並外れて豊かでそれ以外の民衆はきわめて貧しいという「最悪の不平等社会」であることがわかりました。このように、生命科学(「社会科学」も「生命科学」の一分野である)には絶対真理が存在しないのです。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/mat46.htm

韓国人は割り勘は嫌い 投稿者:しだ  投稿日:07月12日(木)20時06分20秒

 両方が自分が払うといって争うこともしばしばあるようで、私も韓国旅行中に見かけました。「姉妹」というのは、ヨーロッパ諸語で土地を女性名詞として捉えることが多いのと関係があるのではないでしょうか? ただ、中国との場合は、姉妹都市とはいわず友好都市というようです。どっちが姉でどっちが妹かという話になるのを避けるためとのことで、さすがに「文字の国」ですね。

田中さんへ 投稿者:しだ  投稿日:07月12日(木)20時01分25秒

 いわゆる景気循環が経験則に過ぎないという点は納得できました。「法則」という語を社会の分析に用いるには慎重でなければならないと思います。ただ、社会科学が生命科学の一環かどうかについては、私は深く考えたことがないので、よく分かりません。

黒川さんへ 投稿者:しだ  投稿日:07月12日(木)19時57分08秒

黒川さんが京都の御出身だということはHPで読みました。京都は古都でありながら、新しいものがほかの土地に先駆けてつぎつぎと生まれる土地ですね。音楽に関しては、私たちの世代はフォーククルセダーズを思い出します。
 「響都」というタイトル、日本語としてたいへん素敵だと思います。中国語や韓国・朝鮮語でも同じタイトルでいいと思いますが、どちらでも「響」と「京」の字は別々の音ですので、この点は一応考慮に入れられたほうがいいと思います。また、あたらしい曲をアップされましたら、お知らせください。楽しみにしております。

姉妹校 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月12日(木)16時29分11秒

チェ・ミンギョンさんの投稿に始まる一連の韓国談議をとても興味深く読ませていただいておりました。本州の西の端の当地では、韓国の学校との姉妹校(それにしてもなぜこういう時は、兄弟校とは言わないのでしょう?)が多く、五戸町のような話はたくさんあります。とても、心配していましたが、少し受け取り方が、変わってきました。テレビの韓国語講座をのぞいた時、グループで食事に行って、ある一人の男性が「今日は私が・・・」と言って全部払っていたので、随分びっくりしました。韓国への旅行者は増えていますが、ツアーで行ったのではこのへんのことに触れることは出来ませんでしょうね。
         

「コンドラチェフ循環」の謎 投稿者:田中洸人  投稿日:07月12日(木)00時31分46秒

「コンドラチェフ循環」については長い間その原因が「技術革新」にあると考えられてきた。しかし言うまでもなくこの「技術革新」なる現象は突発的な現象であり、したがって当然のことながらこの「技術革新」は周期性をもたないのである。すなわち、過去において偶然「技術革新」なる現象が50年ごとに現れたからこの「技術革新」を原動力として生じる景気循環は50年という周期をもっていると信じられてきたにすぎないのである。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/mat45.htm

少しお邪魔致します。 投稿者:黒川治基  投稿日:07月11日(水)20時07分30秒

しださん、よく私が京都の人間だと分かりましたね。
そうです。響都は京都を表現した曲です。でもなんとなくアジアンテイストと感じる曲ですので、ハングルと中国語に訳しました。なつかしいけど、ただ感傷的になるのではなく未来へと続いていこう、という事をテーマにしています。また宜しければインターネットライブでたくさん曲が聴けますのでどうぞ。では失礼致します。

http://homepage2.nifty.com/AH-music_room2001/

田中さんへ 投稿者:信太一郎  投稿日:07月09日(月)20時15分45秒

 同感です。「この文章はなっていない」といえばいいものを、「主語と述語がはっきりしない」という言い方をする人がよくいます。明治から百年あまりの間に、いかに西欧を基準とした思考法が染み付いてしまったかを物語っています。
 「出たぁ!」といえばお化けだということは分かるのであって、主格(主語とは言いません)表現は要らないと私も思います。

感情的になって当然 投稿者:信太一郎  投稿日:07月09日(月)19時59分39秒

すでに仲良くなっている人のことを、その人個人のこととは別のところで何のかの言われたら怒るのが当然です。そういうことをいう人は、自分の思い込んだ国なり民族なりにたよろうとする気持ちが強いから、世界中の人がみんな自分と同じだと思うのでしょう。weかtheyかで迷う人には、今までの自分を修正しようとする気があるのですから、つきあう価値はあると思います。
 生身の人間を目の前にしながら先入観でものを考える人には、その考えを変える契機がありません。観念があるからつきあおうともしないし、言葉を交わしても自分の思い込みでしか解釈できないからです。こういう人を説得することはとても難しいと思います。

当たり前のことを表現する言葉はない? 投稿者:信太一郎  投稿日:07月09日(月)19時22分24秒

 相手に強く出られると黙ってしまうのは、一般的な日本人の美点とも欠点とも言えると思います。ただ、黙るなら黙る、文句があるならけんかする、のどっちかにすべきで、黙りながら、自分が黙ったことを相手のせいにして陰でこそこそ言うのは私は嫌いです。
 「ショー」は英語ですし、何か「かます」とは違う感じがします。昔の日本人がよくかましたから、今も日本語に「かます」という言葉があるのでしょう。朝鮮半島にもそういう言葉があるはずと思ったのですが、かの地の人は「かます」のが当たり前だからそんな言葉がとくにないのかも知れないと思いました。
 「幕末太陽伝」は昔みました。左平次が侍に向かって「お前ら、わしらのおかげで勤王だの佐幕だの気楽なもんだ」とタンカを切る場面があったように覚えています。そのタンカをにやにやしながら聞き流す侍の役を演じていたのは石原裕次郎ではなかったでしょうか? もう一度見てみたいと思いました。

「主語」も「修飾語」の一種である 投稿者:田中洸人  投稿日:07月09日(月)19時00分39秒

主語の役目はは動詞を修飾することです。したがって、主語も修飾語の一種にすぎません。それなのに、ヨーロッパ諸国の言語では主語が語頭に来て、そのうえ被修飾語である動詞が修飾語にすぎない主語によってその形を変えられています。このように、主語が不当にのさばっているのがヨーロッパ諸国の言語の最大の欠陥です。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/

びっくり! 投稿者:ななこ  投稿日:07月08日(日)23時49分02秒

 私の発言からとんでもなく盛り上がってしまっていて、ちょっと驚いています。あの書き込みはちょっと感情的になりすぎたかなって少し反省しています。私は私の意見を言ったまでですし、(と部外者さんに言いますってこうして名前が出てきてるあたり部外者じゃなくなってますけど)
 こうして韓国でも日本でもないところから両国をみて、さらに韓国でも日本でもないところで韓国人と親密な関係になった・・・そんな経験のある日本人は私と同じことを言います。そんな経験のない日本人にはわからない気持ちかもしれません。その割りにassertive過ぎたかな、と少し反省しています。
 「パフォーマンス」についてですが、まったくこれも人それぞれで、私の出会った韓国人は「韓国には反日がたくさんいるんだ」と、自分を含まないような言い方をします。ちょっと他人事っぽく。We ではなく Theyといいます。私も同じような言い方をします。
でも、まさにそうじゃないですか?人それぞれですものね。
 私も正直色々勉強不足なので、あまり口を挟まないことにしますー! 今日も韓国人の友達とシドニーで楽しくテジカルビ食べてきました。仲良くやってます!

ショーハンダ 投稿者:テグ生  投稿日:07月08日(日)21時48分10秒

 ほんとにおっしゃる通りだと思います。日本人はいつの頃から反権力の民衆精神を失ったように思うのですがどうでしょうか。この間、NHK・BSで「幕末太陽伝」を見ました。どうして日本人は皆フランキー堺演じる居残り左平次のようなしぶとい庶民根性を忘れて、内にこもるようになったんだろうかと考えさせられました。
 パフォーマンスですが、例えば最近は北朝鮮のテレビ放送がよく放送されますが、その中で例の調子で「首領さまの恩恵により我々人民は・・」などとアナウンサーが感動の面持ちで叫んでいるのを見ながら韓国人は、「チャードウリ ット ショーハネ」(連中またショーやってやがらあ)などと言います。ショー(Show)ハンダというのは結構感じが出てると思いますが。

かまし 投稿者:信太一郎  投稿日:07月08日(日)20時17分14秒

 テグ生さん、「パーフォーマンス」をこの場合、「かまし」と訳してもいいでしょうか? 韓国語では何というのでしょうか? 五戸町の場合、「国とわしらと何の関係があるんじゃ、さんざん準備させといてなんじゃい!」(関西弁御免)とかなんとか言えばいいのでしょうが、日本人はすぐうろたえてしまってだめですね。自治体だろうと国だろうと同じことです。ただその前に、「当町としては、問題の教科書を今後とも採用しない」ぐらいは言わなければだめでしょう。

響都 投稿者:信太一郎  投稿日:07月08日(日)20時08分44秒

 黒川さん、京都の御出身なんですね。私も学生時代を京都で過ごしたので、「響都」を懐かしく拝聴しました。音楽とスポーツはこれからますます世界の共通語となっていくと思います。教科書問題などうっとうしい話ですが、無視することはできません。私も韓国が日本文化を開放する日を待っています。韓国の音楽や映画が日本にどんどん入ってきていますから、実現の日も早くなるのではないでしょうか。

愛国心 投稿者:テグ生  投稿日:07月08日(日)17時09分56秒

「ウェアンドエ?」(何か問題ある?)という調子で、そのウェグクソンニム(外国人のお客さん)を乗せて上機嫌でぶっ飛ばしはじめると思います。あげくの果てには「大阪にコモ(おばさん)がいるんだけど・・日本は暮らしがいいそうじゃない?」などという話をおっぱじめて、「ウリナラ(我が国)もぺウルケヌンペウオヤドエンダ(学ぶべきことは学ばなきゃ)」などと独りで納得するでしょう。しかしだからといってこの人に愛国心がないのではない。日本人の持っている愛国心と種類が違うだけです。こういう人たちがお上に逆らって逃げ惑う義士をかくまい、古ぼけた鳥打銃一丁だけもって智異山だの南満州の密林に立てこもって戦って来たことを、日本人は知らなければいけないと思います。

少しお邪魔致します。有り難うございます。 投稿者:黒川治基  投稿日:07月08日(日)12時26分22秒

信太一郎さん、レス有り難うございます。また色々書かせて頂きます。教科書問題など興味深いです。皆さん読ませて頂いております。

チェ・ミンギョンさん、はじめまして。曲を聴いて頂き有り難うございます。韓国の方に聞いて頂くのはひとつの目標でしたので嬉しいです。発音は日本語との細かな違いはまだ理解していないと思います。がんばって勉強します。今後も宜しくお願いします。

http://homepage2.nifty.com/AH-music_room2001/

テグ生さん、ななこさん、質問です 投稿者:信太一郎  投稿日:07月08日(日)06時08分56秒

 (テグ生さんへ)1980年代に起きた教科書問題のときには、「日本人お断り」というステッカーを貼ったタクシーが走っていたと聞きました。そのとき、そのタクシーに、「日本人だけど、乗せてもらっていい?」と朝鮮語で聞いたら、どんな反応が返ってきたと思いますか?
 (ななこさんへ)テグ生さんのいう「パフォーマンス」を韓国人とのつきあいの中で
感じることはありますか?

パフォーマンス 投稿者:テグ生  投稿日:07月08日(日)00時28分50秒

こういうことを日本人がいうべきではないのですが、その沃川の例もある種のパフォーマンスである可能性が考えられないこともないと思います。親孝行と分け合い精神、そして反日はパフォーマンスの最高の材料であることの例を余りに多く見てきました。売名とか受けねらいのためならそれ以上の材料はない。日本人が「仕事だ」と厳粛ぶって言えば何でも許されることとたいして変わりありません。金科玉条のようなものです。だからと言ってそこに真実がないというのではありません、大人の事情を察して差し引いて考えたほうが良いということです。そういうニュースを見ながら、「チャルランチェハジマラ、チョム」(ええカッコすんなって)と言って皮肉っぽく笑う人が実に多いのです、この国には。作家の李浩哲氏によればこういうすべての権威や偽善に与せず笑い飛ばすことが「朝鮮民衆の本質」らしいですが、私にはなんとも難しすぎる問題のようで・・・。

韓国側の対応について 投稿者:信太一郎  投稿日:07月07日(土)23時09分44秒

 こちらの「ニュースステーション」でやっていたことですが、青森県に五戸(ごのへ)というところがあります。同じく林檎の産地だということで、韓国の沃川というところと交流を重ねており、五戸の中学生が昨年韓国を訪れ、今年は沃川の中学生を迎えるつもりでいたところに、教科書問題が発生し、「これが解決するまで見合わせる」という連絡が入ったとのことです。こういうときこそ、交流を重ね、観念ではなく生身の相手を知るべきだと私は思います。
 日本の政治家に進んで韓国・朝鮮を理解しようとする人があまりに乏しいことが同じことを繰り返すもとになっていると思っています。

大陸と島の関係 投稿者:テグ生  投稿日:07月07日(土)22時57分45秒

 教科書「歪曲」問題ですが、庶民感覚では「まだやってんの?」という雰囲気です。ニュースでは千島での操業の問題とともにまた日本が「カブンダ」(ふざけてやがる)という調子でちらっと流される程度です。日本で例の教科書がベストセラーになったことが報道されたき、テレビを見ていた妻が憤然として「日本人は何を考えてるの!」と言って私の顔を見ました。ああ、こりゃ誤解してるな。「韓国だの中国だのでぎゃーぎゃー言うから、逆に関心が高まっちゃったんじゃないの、日本の人たちはまじめだから。」私がそう言うと「あ、そうか」という調子で彼女は納得してしまいました。日本留学12年の彼女でさえ一瞬ですが誤解してしまうのです。そして韓国人にとって日本とは結局その程度のものなのです。韓国にとって日本は本質的にOne of themだと思います。数あるコルチッコリ(頭痛の元)の一つに過ぎないんです。もちろん日本はまじめに対処すべきですが、あまり自意識過剰になってまじになると肩透かしを食うこともありえるかも知れません。

お忙しい中失礼しました! 投稿者:ななこ  投稿日:07月07日(土)20時43分04秒

 私がマレーシアに住んでいた時、現地のお年寄りの方には日本人をひどく嫌う人がいると聞いて、正直何故だかわかりませんでした。当時日本人学校で観せられたビデオによってようやく日本が戦争中にしたひどい仕打ちを目の当たりにしたのです。子供の頃自分の親が日本兵士に目の前で殺されたんだ、と涙を流して語るその人の声が今でも耳によく残っています。
 オーストラリアに来て、韓国人の友達がたくさんできました。韓国人の男の子と付き合ったこともありました。恥ずかしながら、その時も私は何も知らなかったのです。「日本人と結婚するなんて親に言えないな・・・」とつぶやいた彼に、私は憤慨しました。ヒドイ!差別だ!なんでだ!?と。それから必死で勉強して、大韓民国と日本の関係の裏側を知ったのです。
 しかし、今思えば私は日本の教育機関が憎いです。どうして何も教えてくれなかったのか。日本で一生暮らしていれば必要のないことだからなのか。さんざんグローバル化だの騒ぐのはいいけど、基本的なことを忘れていないか。戦争を知らないで育った私たちは、日本人を「嫌う」韓国人の話を聞いても、「そんなこと私達に言われても困るわ」で終わってしまうかもしれない。でも、せめて教育機関で、日本人がなぜ「嫌われる」のか、教えてほしかった。だってそれは事実なのだから。謝罪するとか、そういったことより、まず日本人は知っておくべきではないでしょうか。海外にいる日本人と韓国人はとても仲がいいです。その時恥をかくのは日本人です。無知な日本人です。長々と失礼しました!

詳しい説明はもう少し待ってください 投稿者:信太一郎  投稿日:07月07日(土)20時31分14秒

 テグ生さんへの返信にも書いたとおり、教科書問題については、近くまとまった文章を書きたいと思っていますが、今は余裕がありませんので、詳しい考えについては、もう少し待ってください。結論的に言えば、私は日本と韓国(朝鮮)とは、仲良くすることがお互いの幸福のためだと思っています。
 とりあえず、「新しい教科書をつくる会」の作った教科書の一節を引用しますが、これだけでも、彼らがどういう人たちかが大体分かるでしょう。
 「東アジアの地図を見てみよう。日本はユーラシア大陸から少し離れて、海に浮かぶ島国である。この日本に向けて大陸から一本の腕が突き出ている。それが朝鮮半島だ。朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば、日本を攻撃する格好の基地となり、後背地をもたない島国の日本は、自国の防衛が困難となる。この意味で、朝鮮半島は日本に絶えず突きつけられている凶器となりかねない位置関係にあった。」
 さすがに検定では、「困難となると考えられていた」と書き換えさせられ、「凶器」という表現は削られたものの、それは言葉を削っただけのことで、全体を貫く基調に大きな変化はありません。
 日本と隣の国が仲良くする第一歩は、お互い相手の国にも自分の国と同様いろいろな人がいることを認め合うことです。その意味で、ななこさんには韓国の生徒さんと自然なつきあいを深めていってほしいと思います。
 チェ・ミンギョンさんとの歌についてのやりとりを読んでいるとめまいを感じてしまいます。ひょっとしたら、日韓の若者の差は、それぞれの国での若者と「年寄り」との差よりずっと小さいのかも知れません。

Hello! 投稿者:Nanako  投稿日:07月07日(土)00時45分21秒

お久しぶりです。シドニーはすっかり冬でとっても寒いです!!!!

信太さん、「つくる会」って何ですか? この教科書問題については私も興味があります。ちょっと前の日韓OR韓日でもありましたが、こういうことが起こると胸が痛いのです。(なぜか)

チェ・ミンギョンさんはじめまして。SESのつつみ込むように・・・は歌詞が全くの直訳になっていますよね。違う言葉なのによく直訳で歌えたなぁというくらい。ところがPositionのI love youは歌詞の意味が尾崎豊バージョンとは違います。Positionの前のBlue Dayという歌も、浜田省吾という人のカバーですが、意味は違います。色々考えてみても、つつみ込むように・・・だけじゃないですか? 話それましたが、翻案という言葉はやっぱり日本語ではこういった時使わないと思います。カバーした、でいいと思いますよ。どうでしょう?

どうもすみません. 投稿者:チェ・ミンギョン  投稿日:07月06日(金)23時26分10秒

いつもごめいわくをおかけしませて どうもすみません.めいわくをおかけするんじゃないかと一時は投稿をひかえようかとおもいなやみました.會社にdownloadしたのはlycos版で,家にダウンロ-ドしたのは,Micro Soft社のです.インコ−ドを日本語にしたままハングル97でかいたものをペ-ストします.最近Pasitic friendという雜誌に出た寫眞と記事をみてからYAKUSHIMAというところにとても興味があります. 一度かならず行ってみたいところです.

テグ生さんへ 投稿者:信太一郎  投稿日:07月06日(金)20時09分41秒

 チェさんへのアドバイスありがとうございます。「つくる会」の教科書問題は、韓国で身近に感じられるところではどうなのでしょうか? この問題については、近く記事を書きたいと思っていますが、今は学期末なので少し先になります。市販本を買い、検定前のコピーを人からもらいました。正直いって読むのが苦痛でした。谷沢栄一という人がこの教科書をぼろくそにけなす本を書いています。「つくる会」のグループだったはずの人ですが、仲間割れでしょうか? この教科書が広く採用されることはしばらくはまずないと思います。

新しい歌はどうも…… 投稿者:信太一郎  投稿日:07月06日(金)20時04分10秒

 おじさんですので、新しい歌はリズム感が違うのか歌えませんし、知りません。ただ、SESについては、小耳にはさんだことがあり、下記の記事で紹介しています。日本での韓国芸能人の活躍ぶりについて詳しい方の御投稿をお願いします。キム・ヨンジャや桂銀淑なら少しは知っているのですが……。
 日本語では翻案というと、メロディーだけ残して歌詞の内容をまったく変えてしまう印象をうけます。「吹き替え」とでも言えばいいのでしょうか? これも自信がありません。
 チェさんが日本で過ごしたことがあると聞いて少しほっとしました。日本に住んだことのない人がこんなに日本語が上手なら、自分の韓国語は何だろうと思っていたからです。小4〜中1というのは、いちばんいいときにいましたね。それより小さかったらすぐ覚える代わりにすぐ忘れたでしょうし、それより大きかったら、母国語が確立していますから、なかなか覚えられなかったのではないでしょうか?

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/beautifulname.htm

チェ・ミンギョンさんの投稿です 投稿者:信太一郎  投稿日:07月06日(金)19時53分56秒

文字化けしていたのを、韓国語フォントにして出た日本語をワードにコピーアンドペーストし、それをここにコピーアンドペーストしたものです。文字化けしていたもとの御投稿は削除しましたが、英語での御投稿はテグ生さんの御投稿もあり、経緯を明らかにするため残しました。

 こんにちは.返事がおそくなってすみません.きのうやっと會社のパソコンにも日本語のfontを設置しました
 今ここはつゆに入ったので毎日雨がふったりやんだりしています.私は86年から89年まで(小學校4-中學1年1學期まで)3年間日本に住んでいました. 父が岡山の韓國民團院長として赴任したからです.その時に近くに外國人學ヘがなかったので普通の日本人學校にひらがなもしらずに入りました.でもとてもすばらしい先生達のおかげでなんとか日本語の讀み書きができるようになりました.それから大學校で日本語を副專攻にうけました.日本語は勉強すればするほどむずかしいし,とてもおいつけないほど日本語が上手い年輩の方がたくさんいますね.?
 私が日本語で一番むずかしいのは,やはり敬語です. 會社に日本人のbuyerがくるときがありますけど,敬語の事でいつも頭もなやませています.haha(^-^)

 K川さんのすばらしい曲を拜聽しました.韓國人好みのしずかでやさしい曲ですね.發音も私が知っている日本人の友達よりもずっといいですね.(^−^) まわりの友達にもきいてもらいました.けっこういい反應でした.もうすこしはっきりとした發音だったらもっとよかったとおもいます.
 最近韓國では,日本の歌をリメイクとか,韓國語になおしてうたう(韓國では飜案といいますが日本語ではなんというんでしょうか)のがブ−ムになってます.
たとえば,ses? 「misiaさんつつみ翔むように」を歌ったし,country kko-kkoがチェ-カズ の「ジュリアに傷心」という曲を「Oh! My Julia」というタイトルで歌いましたしposition?「I Love You」を大ヒットさせました.それにY2Kは日本人と韓國人が組んだグル−プです. 日本ではdoggy bagという名で活動しているとききました.
 日本にも何人か韓國の歌手や俳優が進出していますね.かれらの日本での活動はどうですか.

日本語でのコミュニケーション 投稿者:テグ生  投稿日:07月06日(金)18時12分34秒

Choiさんへ。
Windowsの韓国語版なら、Micro Soft社のGlobal IME for Japanese with language packをダウンロード(無料)すれば、Internet Explorerのブラウザを使用していれば、完璧に日本語入力ができますよ。(ただこれはローマ字入力ですが。)ワープロは、ハングル97や815国際版はだめです。Micro Soft Word2000が本屋に売ってますので(1万Wonぐらい)、それで文書作成すれば、ブラウザ内でプチョノッキできますよ。私はこの方法でずっとやってますが何の不自由もありませんよ。

SORRY 投稿者:CHOI MIN-KYUNG  投稿日:07月06日(金)11時34分09秒

I'm sorry. I failed to leave a message,again.
l have no idea why text was broken.
tune the incoding in korean,or deleate my writing please.

クーデンホーフ 投稿者:信太一郎  投稿日:07月03日(火)18時57分31秒

 改めてリヒャルトについて調べようとして、googleでKudenhofとRichardと打ち込んだのですが、検索結果はゼロでした。日本語サイトに戻って「クーデンホーフ」で調べて、初めてその綴りがCoudenhoveだということを知りました。なんかフランス風ですね。
 Coudenhoveで検索して出てきたのが下の結果です。リヒャルトは要するに思想家であり、ラズロのような闘士ではなかったと思いますので、ラズロのモデルがリヒャルトだというのも一つの解釈かも知れません。また、リヒャルトの父はオーストリア・ハンガリー二重帝国が大国だったころに日本に外交官として来てリヒャルトの母と出会いました。多民族国家としてのこの国の行く末を見届けたことが、母が日本人であること以上にリヒャルトにとっては大きかったのかも知れません。

http://google.yahoo.com/bin/query?p=Coudenhove+Richard&hc=0&hs=0

RE・RE・「カサブランカ」 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月03日(火)16時00分43秒

ラズロのモデルがいた!しかも今日のEUの父!・・・・・と知ってあの映画に対する思いが、まるで違ってきました。
 植民地が舞台ということも考えながら、いつかまた、ゆっくりと見てみたいと思います。        

RE:「カサブランカ」 投稿者:信太一郎  投稿日:07月03日(火)00時01分45秒

 いつか見たテレビの「知ってるつもり」によれば、「カサブランカ」でボギーが逃がしたレジスタンスの闘士のモデルは、パン・ヨーロッパ主義を唱え今日のEUの父とも言うリヒャルト・クーデンホーフだということです。クーデンホーフの父はオーストリア貴族、母は江戸の町娘青山光子という話は知っていたましたが、ラズロのモデルだというのは、この番組を見るまで知りませんでした。
 リヒャルトにすれば、母が日本人だということで、ヨーロッパなどみな同じという考えを持つようになったのかも知れません。なお、カサブランカという町の名は、「白い家」を意味するスペイン語で、モロッコではまったく別のアラビア語名で呼ばれているようです。モロッコ人があの映画をどう見ているのかが気になります。アルジェリアを舞台にしたカミュの「異邦人」と同様、自分たちの歴史とは無縁と思っているかもしれません

「カサブランカ」 投稿者:うーちゃんママ  投稿日:07月02日(月)23時36分37秒

いろんな分野の方が登場して益々楽しくなりますね!キャサリン・ヘップバーン、イングリッド・バーグマン・・・懐かしい名前が登場しましたね!「なにか面白い映画ない?」と言う息子に、「カサブランカ」を送ったのを思いだしました。昨秋のこと。「絶対返してね!」と言ったのに、まだ返してもらってないことも

名づけの問題かも知れません 投稿者:信太一郎  投稿日:07月02日(月)20時10分52秒

 ヨーロッパ語文法の機能に「風が強く吹く」の「強く」の機能をあてはめれば、「副詞」であることに私も異議はありません。でも、「巨人は強く、阪神は弱い」の「強く」はヨーロッパ語文法では形容詞ということになるのではないでしょうか。
>動作主がわかっている場合にわざわざ受動態にすることはないのです。
まったく同感です。 

黒川さんへ 投稿者:信太一郎  投稿日:07月02日(月)20時06分06秒

 はじめまして。One Korea Festivalを主宰している鄭甲寿さんとは面識があります。「少年の日」を拝聴しました。残念ながら私は朝鮮語の native speakerではないので、本国の人にどう聞こえるかを論評することはできません。でも、発音の基礎的な違いを勉強されている方だということは分かりました。今後ともよろしくお願いします。

受動態はどんな場合に使うか 投稿者:田中洸人  投稿日:07月02日(月)19時07分06秒

受動態は主語が不明なときに用いられるものです。したがって、受動態でその動作主(能動態での主語)が省略されるのはごく当然のことです。つまり、動作主がわかっている場合にわざわざ受動態にすることはないのです。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422

「活用」と「転成」の違い 投稿者:田中洸人  投稿日:07月02日(月)18時58分45秒

「風が強く吹く」の「強く」という語は「強い」が転成して副詞となったものです。しかし、中学校での文法教育では間違って「強く」は「強い」が「転成」ではなく「活用」したものであると教えられています。

なお、「活用」と「転成」の違いを言うと「活用」ではその語の品詞が変わらないが「転成」になるとその語の品詞が変わります。したがって、「風が強く吹く」の「強く」という語は形容詞ではなく副詞となります。

初めまして!お邪魔致します 投稿者:黒川治基  投稿日:07月02日(月)00時58分40秒

初めまして、私は無名のシンガーソングライター黒川治基といいます。2年前に大阪のレコード会社からデビューしまして現在はソウルが本社のインターネット会社よりCDを販売しております。

会社の関係からコリアに興味を持ち(と言うかハマってしまい)ついにはオリジナル曲のハングル朝鮮語版を作りました。HPのトップページで試聴できます。ハングル学習1年の初心者で拙い発音ですが是非聞いてみて下さい。普段はNHKのテレビ、ラジオ講座を視聴しております。とにかくハングルは日本語ととても良く似ているのが分かってきてビックリしています。

在日の方も含めて日韓の歴史には深い興味があります。ワンコリアフェスティバルやハナマテユリにも参加しました。みなさん色んな事を教えて下さい。そしてなんらかの形で私の創作活動に還元したいです。宜しくお願い致します。

http://homepage2.nifty.com/AH-music_room2001/

「強く」のほかの用例 投稿者:信太一郎  投稿日:07月01日(日)17時40分31秒

 「強く」吹くの「強く」が形容詞か副詞かということについてですが、「強く吹く」の場合は、たしかに形容詞adjectiveではなく副詞adverbとしたほうが自然と思います。しかし、「あの子は英語が強く、数学が弱い」の場合の「強く」は形容詞としたほうが自然と思います。文法には簡潔さが求められるところがあり、「強く吹く」の「強く」と「英語が強く」の「強く」を片方は副詞、片方は形容詞とするのは、かえって煩雑になりそうな気もします。
 主語がなければ文章が作れないヨーロッパ諸語の窮屈さについてのお説には賛成です。

形容詞説と副詞説 投稿者:田中洸人  投稿日:07月01日(日)15時20分18秒

日本語では「風が強く吹く」の「強く」の部分は形容詞であると考えられている。しかし、英語ではこの「強く」という語は副詞であると考えられている。しかも、国際的にはこのように「強く」の類の語は形容詞が転成して副詞になったものであるという説が一般的な説なのである。つまり、名詞を修飾するのは形容詞であり、動詞を修飾するのは副詞であるという考え方が万国共通の考え方であり、したがって形容詞は名詞も動詞も修飾するという説は間違いなのである。

日本語の長所、英語の欠点 投稿者:田中洸人  投稿日:07月01日(日)15時04分02秒

英語に受動態が多いのは主語がなければ文が作れないからであるという話を聞いたことがあります。もしそうならば、主語がなくともちゃんと文章が作れる日本語は英語よりもずっと優れた言語だということになります。こうした意外に知られざる日本語の長所を外国人にもっと宣伝してもらいたいものです。

Bergman 投稿者:信太一郎  投稿日:07月01日(日)13時30分27秒

 ハリウッド女優といえば、スウェーデン出身のイングリッド・バーグマンがいます。アメリカに移住して英語読みでバーグマンになりましたが、もとはベルイマンでした。スウェーデンのイングマール・ベルイマン監督の映画で主演したとき、カタカナでは「ベルイマン」「バーグマン」と書かれていましたが、スペリングはともにBergmanでした。そういえば、スウェーデンからアメリカに移ったテニス選手に「エドベリ」とも「エドバーグ」とも読まれているEdbergがいました。
 私が英語圏に移住すれば、ほとんどの人がShidaを「シャイダ」と読むことでしょう。「シダ」と読んでほしければスペリングをShiddaとすべきでしょうね。Hepburnの問題はアルファベットを使わない国でどう聞き取られるかという問題ですが、Bergmanの問題は、同じローマ字圏でのそれぞれの読み方が違うという意味で、だいぶ質の違う問題だとは思いますけれども……。

Re:キャサリン・ヘップバーンはヘボンの孫ですか。 投稿者:ノーバート  投稿日:07月01日(日)10時30分47秒

>ヘボン博士(James Curtis Hepburn)は1815年、女優のキャサリン(Katharine Hepburn)>は1907年の生まれですから、孫にしても離れすぎており、..............お返事有難うございました。
 ヘボン博士については明治学院大が多数資料を公開しているので、評記の件が事実とすれば出ているはずと思いましたが、見当たらなかったので質問させていただいたわけです。また、教えていただいた本「横浜のヘボン先生」も早速読んでみたいと思います。お世話になり有難うございました。