第九話:加賀壬さん購入す

 

von:秋澤 弘

第一章

 一章をまるまる読み上げ終えた加賀壬は本から顔を上げ、香土岐を見た。
 「ふむ。まだブとヴェの区別が付いてないな。それとミャーフキィジナークが強い。もう一段柔らかく読め。
 よし、時間だな。今日はここまでだ。後は自分で練習しろ」
 香土岐がそう告げると、加賀壬はふぁーっと安堵の息をもらして机に突っ伏した。さすがに朝からずっとはつらかった。一気にずいぶん進んだけど。ああ、やっと終わったぁ・・・。
 かたんという音に加賀壬が顔を上げると、香土岐が椅子から立ち上がり、司書室に向かって歩き出したところだった。今日はワンピースだ。もちろん色は漆黒。まるで光りを反射しない闇の様な黒だ。当然その背中は大きく開いているのだが、今日のは特にすごい。腰のくびれはもちろん、尻のふくよかな丸みの裾まで見えている。
 そういえばいつもはないレッグリングもあった。化粧も濃い。多分今日はオフ仕様なのだろう。加賀壬はぼけーとその姿に見入っていたが、はっと気づいて大慌てで荷物をまとめだした。先生に置いて行かれたらイヤだ。ずいぶんこの図書室にも慣れはしたが、さすがに一人でここにいるのはちょっと勘弁してほしい。加賀壬は辞書とペンケースをショルダーバックに詰め込み、教材の本をバックの背部に付いている大きな雑誌用のポケットに差し込んだ。
 隣の椅子に置いていた上着に袖を通していると、すぐに先生が外出仕様になって司書室を出てきた。もう日差しも強く、時には汗さえかくほどなのに、香土岐はコートを羽織っている。その生地は随分薄そうではあるが、さすがに暑いのでは・・・。
 その思考波を受け、ハンドバックを持ちながら香土岐が答える。
 「気温などどうとでもなる。ちなみに私は真夏でもこの姿だぞ」
 うっげぇ、見ただけで暑そう・・・。でもそれってすっごく目立つんじゃ・・・
 「愚か者。術者でもない者に気にされる様なドジは踏まん。お前とは違う」
 ああ、言い切られた・・・。分かってるけど、哀しいよぅ。
 「今日は私は忙しい。お前と遊んでいる暇はない」
 香土岐はさっさと扉に向かった。すっと独りでに開くその戸。加賀壬は大慌てでダッシュすると、室内の灯りを消し、その戸が閉まる前にそこを出ようとした。その時である。蛍光灯が消えたはずの室内。その奥で何か明るい場所があった。はっとして振り向く加賀壬。それは一瞬だった。しかし、確かに一番右奥の書棚が光っていた。なにやらぼんやりと。
 次の瞬間、周囲が真っ暗になった。戸が閉まり、廊下からの光りが差し込まなくなったのだ。
 きゃーっ!!
 加賀壬はそれこそ転げださんばかりの勢いで戸に体当たりをかけた。いやかけようとした。その戸は素早く加賀壬を吐き出すと、そのまま何事も無かったかの様に閉まった。
 「ハァハァ・・・」
 荒い息を吐く加賀壬。その目の前で香土岐が腕組みをした姿勢で彼女を睨んでいる。
 「まだそんな状態か? そんな事では図書室の留守番は任せられんな」
 「え、ええっ! 留守番! ひ、ひょっとして、それって、ひ、一人で・・・」
 香土岐の髪型は左右で極端に長さが違う。左半面は襟元にすら届かない程のショートカットだが、右は肩まで隠れる長さで、その結果、彼女の右目は前髪のすだれ越しにちらりと見える程度に過ぎない。香土岐はその前髪をすっとなでつけ、両目でしっかりと加賀壬を見た。相手を注視するときの癖だ。それを知っている加賀壬はさらに馬鹿にされると思ったので、必死に弁解した。
 「あ、あの、先生、い、今ですね、部屋の一番右奥が、本棚が光ってたんです! 電気、消したら、そこだけ、ぼーっと」
 「ぼーっとしとるのはお前の十八番だろうが。変な奴だな、普段は目の前を使い魔が横切っても気付きもせんくせに、あんなささいなものに気が付くのか?」
 え? 加賀壬はきょとんとした。今の先生の言葉。先生は、あの光りの正体を知っている?
 加賀壬は香土岐の目を見つめた。すでに図書室という香土岐の結界を出ている以上、加賀壬の思考波は香土岐にも読めない。だが、今の彼女の表情は術者ならぬ只人でも十分に読みとれるほど明白だった。
 「ずっと光っていたぞ。お前が来た時からな。何かお前と縁(えにし)があるのだろうよ。だが、今はまだその時ではない。気にするな加賀壬。そのうちイヤでも目の当たりにすることになる。あれをな」と、語りながら、立ちすくむ加賀壬を残し、カツカツとヒールを鳴り響かせて香土岐は階段に消えた。一人、ぽつんと取り残された加賀壬は怖々後ろの図書室のドアを横目で見つめた。

 あ、あれ・・・って、いったい・・・?


第二章

 加賀壬が待ち合わせを思いだし、ばたばたと生徒会室の前を過ぎて階段を駆け下り始めた時。
 その生徒会室では八人の生徒がじっと押し黙っていた。今日は土曜日。学校はお休みである。休日でも登校時は制服着用が生徒手帳に明記してある以上、皆その姿だが、ブラウスがピンクだったり、派手なソックスだったりと、多少の色っ気がある格好だ。
 もう黙して数分になる。場を取り仕切る生徒会長の近藤がもう一度全員を見た。
 ここに八人もいると、さすがに狭い。くるっと首を少し動かしただけで、この場に集う各部の責任者の顔が見渡せてしまう。
 「やはり、名案は出ないようだなぁ」
 近藤が机に肘を付いた。ここにいるのは皆気心のしれたメンバーだ。彼以外は生徒会の役員ではない。皆それぞれの部活連合のリーダー格である。その一人、運動部連絡会の代表で陸上部の副部長、小野寺松三郎がつぶやいた。
 「もうインターハイに向けてどの部も全力疾走中だぜ、近藤。確かに地区予選一回戦止まりの方がうちは多い。でも、だからって、お前等はやったって駄目だから諦めろとは言えないだろ?」
 頷いたのは研究会体育系連合の前田ゆかりだ。彼女はきりっとした眉を潜めて言葉をつないだ。
 「入会したての頃ならともかく、もう一月近く経ったわ。どこの会も既に会員のつながりが出来ちゃってる。
 無理ね、今から人員を割くのは」
 「協力はもちろんするさ。だけど、常時ってことになるとな。意志が強くて使える奴なんてそうはいない。そうなるように鍛えるのが部活動だからな。そんな中で超常研に回すってことになると部の方がやばくなる。ましてや怪我でもされたら、総てがパーだ。
 臨時っていうか、一回や二回の作戦に協力するのはなんとかする。でも、ずっと参加してないと、パーティとしてはまとまらないだろ?」
 「小野寺に賛成ね。助っ人なら何人か出す様に相談するわ。いざとなったらあたしが行ってもいい。でも、ずっとは無理」
 前田はきっちりと言い切った。
 「こっちもさぁ」
 頬杖を突きながらそう言い出したのは愛好会相互理解の会代表、DJ愛好会の小沢藍子。彼女はちゃらちゃら鳴る腕輪で一杯の片手をひらひらと舞わせた。休日ということで知らん顔して校則違反である。
 「おたく等と違って人数少ないぢゃん? 一人欠けただけで超大変なのよねぇー。確かにさぁ、美咲んとこが大変っつーことは、あたし等みんなが大変っつー理屈は分かるんだけどさ。無い人材は回せないっつーこと。部の方が一杯いるじゃん。サッカー部なんか第二グラウンド埋めるくらいいるしさ。二軍のを回したら?」
 「なんだと! お前に二軍部員の気持ちが分かるか! みんな、なんとかレギュラーになろうと必死なんだぞ! それを・・・」
 「あら、二軍の気持ち? わっかるわよー。だってあんたら部の連中は、いっつもあたしら愛好会を二軍扱いして見てるぢゃん?」
 「なんだと、いつ俺が・・・」
 小野寺と小沢の間に手をすっとかざしたのは文化部連合の紀野瀬。二人の火花を散らす視線を手で塞ぎ、交互にその顔を見た。目を反らす小野寺。ふっと何喰わぬ顔で天井を見つめる小沢。紀野瀬優はため息をついた。
 「ふぅ・・・。やっぱり無理ですねぇ、これじゃぁ。もうどこのクラブも手すきのメンバーなんていないですよ、近藤君。先週も理科系三部連合会でもめたばっかりです。もしもそんな余裕があったとしても、到底即戦力にはならないです」
 近藤は両手で顔を覆ってうめいた。そのとうりなのだ。 
 こうなってくると良く分かる。去年の三年がいかにすごいメンツだったのかが。彼等はそれぞれのクラブの主力でありながら、なおかつ超常研に可能な限り時間、予算、人材を費やした。もちろん、それは彼等の代が魔性の被害を直接受けており、その駆除に必死だったからではある。だが、非凡な存在が本当にたくさん集まっていた。今事実を認識させた紀野瀬のいる化学部にも天才薬剤師、箕輪先輩がいた。清めの塩玉の開発者だ。三部連合の残り、科学部には佐倉井部長が、物理部には精進部長が。三部連合に所属しない唯一の理科系、地学部にはアウトローながら地道な調査を得意とする一ノ戸先輩のチームが。その下にいた今の三年は彼等の後を引き継ぐには凡人すぎた。己への部員なり会員なりからの期待に応えるのが精一杯なのだ。それは生徒会長職を引き継いだ近藤自身が一番良く知っていた。
 
 結局話の進展がないまま、内密の会議は終了した。
 後に一人残った近藤は椅子の背もたれによりかかりながらぼーっとしていた。
 あの旧三年生たち。激しい個性の集合、もはや混沌といってよい彼等を束ねていた本条前生徒会長。彼女のすごさにいまさらながら驚嘆している近藤だった。近藤個人からすれば、去年は彼女にひどい目にあった。同性には背中が寒くなるくらいに優しく、その半面、異性を人間だと思っていないかのような本条の人使いの荒さに、何度生徒会を辞めようと思った事か。それ故、近藤は人としての本条を素直に尊敬できない。しかし、それでも長としての本条、特にその驚嘆すべきカリスマ性については改めて尊敬せざるをえなかった。
 さて、美咲への連絡をどうするか。近藤は困っていた。


第三章

 図書室から普通校舎の屋上までは直線距離なら大したことはない。しかし、実際には一度三階から地上に降り、特殊棟を通過して再び階段を四階分登らなくてはならない。これは学校をほぼ横断する距離に相当する。加賀壬は一生懸命渡り廊下を走っていた。今日は先生はほとんど登校していない。いたとしても部活の指導でこの辺にはいないはずである。故に校則を無視して全力疾走していたのだが、特殊教室棟に入った途端、前方に私服の女性が見えて、どきりとした。その瞬間である。
 「加賀壬さん!」
 ひょえー、先生に見つかったぁ!
 加賀壬は木曜日にも渡り廊下を走っていて田辺先生にどなられたばっかりだった。
 うはぁ、また見つかったぁ・・・。
 強行突破するわけにもいかず、急に立ち止まった加賀壬は心臓が苦しくてぜーぜー言うことになった。
 ああ、どうしよう、見つかっちゃったぁ・・・。
 「本当に忙しい子ね。今日はどうしたの? 超常研はお休みでしょ?」
 超常研? 加賀壬はその先生を見た。どっかで見たことがある。だから先生だろう。でもずいぶん若いなぁ・・・
 そのきょとんとした顔に怪訝そうな表情になると、彼女はああ、とつぶやいて眼鏡を外し、長い髪を後ろにゆわくように片手でまとめて見せた。
 「これなら分かる?」
 あ、分かる!
 「先輩!」
 加賀壬は思いだした。あの中学で疲れ切った彼女達を救助に来てくれた人だ。確か科学部のOGの、えっと・・・
 「香坂よ、頑張りっこちゃん」と香坂麻紀は眼鏡を戻しながら微笑んだ。
 彼女は去年物理部の副部長だった。卒業後は大学の研究室に参加しており、超常研OB会のメンバーである。
 「こんにちは、香坂先輩! 今日はクラブに来たんですか?」
 加賀壬はまだちょっと苦しいのを我慢して聞いてみた。
 「ええそうよ。加賀壬さん、会室から走ってきたの?」
 「あ、いえ、図書室からです」
 それを聞いて香坂と、その隣にいるすっごく背の低い女生徒が目を丸くする。
 あ、これはまずいな。そう反射的に悟った彼女は慌ててフォローした。
 「わ、わたし図書室委員なんです。でも今日は香土岐先生に、えっと、その勉強会で、マンツーマンのスパルタだったんで、その・・・」
 全然フォローになってない。香坂も、その女生徒もさらに目を丸くした。図書室委員。そういえば加賀壬は生徒会の腕章をしている。そしてあの香土岐先生と。しかも一対一で。
 「た、大変ね、あなたも・・・」
 香坂はやっとそれだけ言った。と、そこで隣にいる後輩に気が付いて、改めて紹介することにした。
 「加賀壬さん、この子もあなたと同じ一年よ。神宮司つばささん。物理部の新入生。
 つばさちゃん、こちらが超常研の加賀壬さん。精進室長のお気に入りの頑張りっこ」
 精進室長。加賀壬はそう言われて、その小柄で華奢で、無精ひげだらけで、牛乳瓶底眼鏡で、よれよれの白衣で・・・、とにかく、一度見たら忘れられないその姿をありありと思い出した。と同時にちょっと背筋が寒くなった。
 この前の探索の後、中学の裏門の脇で、開口一番彼に言われたのだ。
 「じ、じ、実験台にならないか?」
 すぐに香坂先輩が彼の口を押さえ、お嬢様が加賀壬をひったくるように連れ出してくれたので詳細は分からなかったが、マッドサイエンティストを絵に描いたような精進の口から出た言葉は衝撃的だった。あの夜、夢に見たほどだ。
 「ど、どうも、加賀壬です」
 ぺこりと頭を下げるが、相手は睨み付けるようにこちらを見ているだけだ。あら? 私なんかした? 
 加賀壬がいぶかしげな表情になった時、やっとその白衣の一年生が口を開いた。
 「知性も運動神経も並以下。流されやすそうな性格。どこといって特徴のない、中の下の、その他大勢の構成員にしか見えません。これのどこが精進さんの注目を集めたのか、皆目見当も付きませんね」
 神宮司の言葉は香坂に向けられたものだ。加賀壬はかちんときた。「これのどこが」の「これ」が自分の事だと分かったからである。初対面で「これ」。物扱いか、このチビ。眼鏡の奥で、加賀壬の目が三白眼になった。
 「さらに短絡思考ときています。全く研究対象にもなりませんね、これは」
 むかっ! こいつ、サイッテー! 加賀壬のつばさに対する第一印象はこうだった。それに気づいて慌ててフォローに入る香坂。
 「加賀壬さん、ごめんね、この子、周り中の総てが<対象>に見えちゃうの。いっつもこうだから、先輩や先生に対してもこうだから、気にしないで、ね?」
 「香坂先輩。その言葉には同意しかねます。私は尊敬に値する人にはそれなりの敬意を表します。例えジャンルが違えども、その功績が評価されるべき人物に対してはそれなりの態度で接します。周り中総てに同じ態度であるのではありません。ただ、コレが尊敬に値しない、なんの価値もないその他大勢に属すると評価したにすぎません」
 加賀壬は怒りを飛び越えて、もう呆れていた。うーん、知り合いにならない方がよさそうだ。
 「あ、すみません先輩、私これから愛姫(いつき)先輩の治療講習を受けに行くんです」
 「あ、それで走ってたのね、ごめんごめん、呼び止めちゃって。
 じゃ、加賀壬さん、頑張ってね。あ、これはあなたに言う必要のない言葉だったわね」
 「え? そうですか? みんな私に言いますよ、頑張れって・・・」
 香坂はふっと気になったので聞いてみた。
 「そう。で、どう? そう言われて」
 「はい、頑張れって言われると、よし、頑張るぞって思います・・・」
 加賀壬は言ってからしまったと思った。つばさの目が下等生物を見るように細くなったからだ。
 ああ、確かにあたし、知性ないかも・・・
 だが香坂は真剣な表情だった。
 「あ、あの・・・先輩?」
 「あ・・・
 ゴメンね、加賀壬さん。さ、股す・・・、じゃなかった、昆が待ってるわよ」
 加賀壬はぺこりと香坂におじぎをし、つばさを無視して再び走り出した。
 その背をじっと見つめる香坂麻紀。
 なるほど。精進室長の言うとおりだ・・・。
 「香坂先輩?」
 「あ、何でもないわ。
 でもつばさちゃん、あの態度は良くないわよ。考察したいのなら、せめて挨拶くらいは返してからになさい」
 「しかし先輩、あの程度のレベルの人間にいちいち挨拶していたら・・・」
 「それが私の知り合いでも?」
 尊敬する先輩にぴしゃりとそう言われ、つばさは真っ赤になった。
 「い、いえ、その・・・。室長のおっしゃり様ではどんなにすごい人なのかと思ってたのに、あまりに想像と離れてましたから、つい、その」
 香坂は強ばりかけた表情を元に戻して語りかけた。
 「つばさちゃん。あなたは研究者としては確かに一流。でも、人としてはまだまだ未熟。注意なさい。どんなに天才でも、人の輪がサポートしてくれなければ空回り。忘れないで。よい研究者は常によい支援者を持っているという事を」
 つばさはそう言う香坂が天才、つまり精進のための輪作りに日夜奔走していることをよく知っていた。
 「すみません、先輩。これから気を付けます」
 「それにね、多分あなたは見逃しているわ」
 香坂はそう言いながら、何か考察する目つきで加賀壬の立ち去った方を見た。その視線に彼女の深い思考を見て取り、驚きに目を見張るつばさ。左右に分けた髪を揺らし、彼女もその方向を見つめた。もう加賀壬の姿はなかったが。
 「何を、ですか、先輩・・・」
 つばさの声は不安に満ちていた。何を見逃していたのか、と。
 「正直言って、私にも良く分からないわ。でもね、室長の言うとおり、あの頑張りっこには何かあるわね。さっき言ったでしょ、よし頑張るぞって。あの瞬間、多分あの子のMPは通常の倍くらいまで跳ね上がってたわ」
 「え? メンタルパワーが、ですか? そ、そんなこと・・・」
 「良く分からないって言ったでしょ? 室長も、今度あの子が探索に出るときに脳波測定器を付けたがってるくらいだから、多分まだ推測の段階なんでしょうね。どうしてあの子のMPが変化するのか、データが欲しいのよ、きっと」
 「・・・。アレに何かあるんですか、本当に・・・」
 「この問題は室長にお任せしましょ」
 考え込みそうなつばさを促して香坂は物理部のある特殊棟に向かっていった。


第四章

 「す、すみません、はぁはぁ。
 遅れ・・・はぁはぁ、ましたぁ、ぜーぜー」
 屋上で。昆と北村、そして榎本はよれよれの加賀壬の姿に唖然とした。いかにもここまで全力疾走でしたーという様子だったから。
 「宏子ちゃん、図書室からここまで駆けてきたの?」
 ぷるぷると首を振る加賀壬。何か言いたそうだが、肺がそれを許さない様だ。
 「まあ、大変。さ、横になって」と昆愛姫(こん いつき)がそばにあったシートをばさっと広げると、加賀壬を座らせ、そのまま寝かせた。
 青空がまぶしい。そう思って加賀壬は片手を持ち上げて目の上に腕を乗せた。
 「はい、じゃ、榎本さん。さっき説明した手順でこの子の容態を確認してみて」
 加賀壬はぎょっとした。「宏子ちゃん」ではなく、「この子」。昆にそう言われて、自分の立場を理解したのである。あたしは訓練用の人形?
 起き上がろうとしたが、北村に肩を押さえつけられてそれもできない。と、榎本が加賀壬のベストのボタンを外し始めた。
 ち、ちょっとタンマー!
 だが、その時、榎本の真剣な表情が目に映った。

 美津紀さん・・・

 榎本美津紀は北村と中学時代の同級だ。超常研の初チャレンジでは真っ先にミミックに倒された第三波に所属していた。その時の仲間でまだ入院中の生徒もいる。
 この前超常研の会室で昆先輩からファーストエイドを習い始めた時、そばにいた彼女が「私にも教えて貰えませんか」と、告げてきたのだ。真剣な表情で。前に北村に聞いたことがある。二人の通っていた中学で起きた忌まわしい事件。北村はこう言っていた。

 あの時何もできなかったから。あの頃には戻りたくない。みんなそう思ってるよ。

 榎本の真剣な横顔がその言葉を思い出させた。
 美津紀さん、必死なんだ。役に立ちたくて。何かをしたくって。仲間が入院している今のうちに出来るだけのことをしたくって。
 そう思った加賀壬は諦めてなすがままになった。さすがにブラウスをはだけられ、外気にさらされた時には恥ずかしかったが。
 ああ、解剖される蛙の気持ちが分かる・・・。あんまり分かりたくなかったけど・・・。

 「うむぅうう」
 一時間ほどして。加賀壬は包帯相手に悪戦苦闘していた。教わったとおりに巻いているはずなのに。なぜ怪奇ミイラ娘になるんだろう。
 「うむむむむむ・・・」。これは加賀壬。
 「むー、むむー、むぅうー」。これは練習台の北村。
 「うーむ。だめだ、やり直し!」と加賀壬は北村の顔を覆った包帯を解きだした。やっと呼吸が確保され、その怪奇ミイラ娘は苦しさに口をぱくぱくしていた。金魚の様に。
 「なーんでだろーなー」
 加賀壬の声に、その怪奇ミイラ金魚娘が怒鳴った。
 「ちゃんとやりなさい! あー、死ぬかと思った・・・」
 「やってるよ! でもちゃんとなってないけど」
 怪ミ金娘はがっくりとうなだれた。とはいえ、首も固定されているので少し顎が下がっただけだが。

 結局、今日の講習は加賀壬の不器用さを露呈したにすぎない感があった。
 「順番に覚えていけばいいわ。ね」
 そう昆に言われたが、ショックは隠せない加賀壬。
 「私って愚か者で知性がなくって、そんで不器用。とほほ」


第五章

 次の約束の時間が近付いてきた。昆と榎本と別れ、加賀壬と北村は学校を出て、駅に向かう大通りを歩いていた。
 「うーむむむ」
 隣でうなる加賀壬に北村が呆れ顔を向ける。
 「なーに、まーだ悩んでるの、あんた。仕方ないでしょ、人には向き不向きってのがあるの」
 その言葉は、すでに加賀壬には包帯巻きは無理と断定しているかのようだ。
 「えー、そのうち出来るように・・・」
 「ならん」
 きっぱりと切り返す北村。
 「ど、どうしてそんな事。そのうち出来るかもしれないでしょ。分かるわけ無いじゃない」
 むくれる加賀壬に北村はぴしゃりと言い切った。
 「分かるわよ。巻かれたのは私なんだから。宏子には出来ないわ」
 「そ、そんなことないよ、いつか・・・」
 「Someday is never come」
 がーん・・・

 二人は駅前に着いた。約束の場所は駅の反対側である。加賀壬は定期があるので改札を通り抜けて行けばすぐなのだが、今日は北村が一緒なので地下横断通路の方に歩いていた。
 「お腹空いた・・・」
 加賀壬の言葉にびっくりする北村。あれから落ち込んでずっと黙ってたかと思えば、これだ。
 「宏子、お昼は?」
 「食べてない」
 「どーして!」
 「香土岐先生」と短い答え。
 そうか。例のスパルタ語学講座があったんだ。北村は腕時計を見た。少しなら遅れてもいいだろう。どうせ向こうも遅れるに決まってるから。
 「よし、サハラ行こう!」
 急に加賀壬の腕を取り、隣のビルの一階にあるサテンに向かう北村。
 「だ、だめだったら、遅れちゃうよ!」
 加賀壬は足を踏ん張ってみた。だが、空腹で力が入らない。
 「お店についてからお腹ぐーぐー鳴って恥かくの、あんただよ。いいの、それでも」
 「うー」
 うなりながらも加賀壬は北村にひきづられ、そのサテンに入った。
 このお店は店内一面砂色だ。壁面には砂漠の大きな絵があり、夏場には絶対来たくない造りである。駅前の一等地にあるにも関わらず、ここが込んでいるのを見たことがないという先輩の噂だ。
 愛想のないウェイトレスがコップを置いた。ここではお水が貴重品なのか、半分も入っていないし、氷の一かけらもない。
 「チキンピラフの紅茶セット一つとパンケーキセット、ホットコーヒーで」
 北村が注文するが、そのウェイトレスはメモをとりも復唱もせずにさっさと奥に消えた。
 「ここ、なんか怪しいよね・・・」
 「そう? あたしはいつも期待しちゃうけど。一体何が出てくるかなって」
 どーも茉莉ちゃんの思考は分からない。加賀壬はそう思いながら気が滅入る店内を見るのをやめ、一面のガラス窓に見える駅前の光景を眺めた。この街には前にはほとんど来たことがない。電車の乗り換えで利用する程度だったから、ここで降りたことはあっても駅の外に出たことはなかった。中学生の頃はさほど電車にも乗らなかったので、結果として加賀壬はこの街を一月前に知りだしたところだ。
 しかし、その一月でも、ここが大きく変わっている途中なのが分かる。
 大きなビルにはさまれた平屋の呉服店。屋根が瓦なのがとても目立つ。このギャップがこの街だ。こっちのロータリーは普通の公衆電話が並んでいたが、先週、根こそぎ取り壊され、今、反対側のロータリーにあるのと同じ、奇怪な形状のボックスに取り替えている所だ。
 加賀壬の真正面に交番がある。銀色のまるでロボットアニメに出てくるなんとか研究所を小さくしたような妙な建物。二階部分一面にKOBANと大書きされていなければ、なんだか分からないビルだ。その前に立っているお巡りさんが恥ずかしそうにしているのは目の錯覚だろうか。

 この街は今大きくうねっている。その歪みが魔性。加賀壬は眉を潜めた。流れているジャズに心を奪われていた北村は、そんな加賀壬の横顔を見てふと思った。この子に、この街は守る価値があるように見えるだろうか、と。

 紅茶は出しすぎでまずかった。が、チキンピラフは見本から想像していたのとは随分違い、暖め物ではなく、なかなかいい味だった。喫茶店レベルでは最高と言ってもいいだろう。量が少ないので人気がないかもしれないが、本来小食の加賀壬には丁度良かった。ただ、ピーマンが多すぎたが。
 北村の方は遅れて来た、数分前までパンケーキだった物をおいしそうに食べていた。すでにそれはシロップづけ小麦粉焼きと化していたが。加賀壬はその皿の隣にある大きなピッチャーを呆然と見つめた。たっぷり三人分は入っていたメープルシロップ。今は跡形もない。ぴちゃぴちゃとシロップの海にそれをつけてよくからめながら口に運ぶ北村。
 茉莉ちゃん、よく太らないなぁ。加賀壬はそう思った。


第五章

 食事が終わり、二人はそれぞれにまずまずの満足感で店を出た。そこからまた地下通路に向かい、反対側のロータリーに抜けたとき、駅前の地下鉄工事現場にたくさんの人だかりがあるのが見えた。事故? 一瞬そう思ったが、どうやらやじ馬らしい私服の人は少ない。そのほとんどがスーツ姿のおじさんたちだ。
 「何だろうね」
 「また取材かな?」
 今、この地下鉄工事はこのあたりでの一番大きな建築現場だ。そのため、新聞の地方版などで時々特集が組まれていた。
 深く気にせずにロータリーを回るコースに入りかけた加賀壬は、隣にいたはずの北村がいないので立ち止まった。きょろきょろと周囲を見回すが、彼女の身長では人ごみの向こうは見えない。仕方なく、今来た道を戻ると、探していた姿を道の反対側に見つけてぎょっとした。北村は三人のスーツ姿の男に囲まれていたのだ。
 ど、どうしたんだろう。
 恐怖と不安が這い上がってくるのを押さえつけ、加賀壬は走った。この辺は工事の大型車が出入りするので、臨時の交通規制がしかれている。ちょうど車が止められていた時だったので、思い切って車道を横断し、一気に北村の元に走った。
 「いーじゃない、別に。それとも何か秘密でも?」
 駆け寄る加賀壬に北村の声が聞こえた。どうやら周囲の男たちは冷静で、熱くなっているのは北村の方らしい。
 「茉莉ちゃん!」
 やじ馬をくぐり抜け、加賀壬は北村の側に行った。
 「どうしたの?」
 心配する加賀壬を余所に、北村は平然とした顔で振り向いた。
 「このケチンボたちが入れてくれないのよ」
 入れてくれない?
 加賀壬は北村越しに奥を見た。そっちは工事現場の入り口で、関係者以外立入禁止のロープが張られている。北村はそのすぐ側でダークスーツにサングラスの大男たちに囲まれていたのだ。
 つまり、この人たちはガードマン? そう思ったのは北村の手にカメラがあったからだ。ああ、茉莉ちゃん、また・・・
 「す、すみません!」
 加賀壬は咄嗟に男たちに謝った。
 「宏子?」
 きょとんとする北村の腕を掴み、引っ張る加賀壬。
 「ちょ、ちょっと宏子!」
 「また何かいらないことしようとしたんでしょ! 立入禁止って書いてあるじゃない!
 すみません、この子、えっと、好奇心旺盛で・・・」
 スーツの男たちが顔を見合わせた。どうしようかと思っているらしい。その一人、一番奥にいた男が口を開く。
 「すでに禁止地域に入っていた以上、このままではすまないのです、学生さん。事務所まで来て貰いましょう」
 その声は優しかったが、有無を言わさぬ迫力があった。
 ど、どうしよう・・・。加賀壬はびびった。彼女の鞄にはマチェットナイフが入っている。これが見つかったら・・・
 加賀壬の思考回路のパニックゲージがレッドゾーンに突入したその時、スーツの男の背後から声がかけられた。
 「どうかなされましたか、加賀壬様」
 急に呼ばれ、びくっと身をすくめる加賀壬。男も驚いたのかもしれないが、その気配を微塵も見せず、その声の主に振り向いた。男の向きが変わったので、加賀壬の前に視界が開けた。
 向こうから来たのは場にそぐわないメイド姿の女性。その胸と腰を強調した妙なメイド服。アンミラの制服を白黒にして、スカートを長くしたような、ひらひらりんのその服装には見覚えがあった。その女性の顔にも。
 「うちのガードマンが何かしでかしましたでしょうか、加賀美様」
 深々と頭を下げる彼女。名前は知らないが、お部屋に行くといつもお茶を出してくれる人だ。
 「あ、いえ、その、えっと・・・」
 「誠に申し訳御座いませんが、お嬢様はただ今市長様と地下の現場に降りておいでです。後二時間はかかるかと存じます。お越し頂きましたのに、申し訳御座いません」
 そう言ってメイドはまた深々とおじぎする。
 「あ、いえ、いいんです。立ち寄っただけですから、本当にいいんです」と新たなパニックに陥って、両手を目の前で振ってみせる加賀壬。
 「左様で御座いますか。ではお嬢様にご伝言が御座いましたらこの宮崎にお申し付け下さいませ」
 メイドの宮崎はすっくと立ちながら、ご用をお聞きします、の体勢になった。
 「あ、本当にちょっと寄っただけです。こ、ここの電車が出来ると、私も便利になるので。
 わ、私、嘉木のに住んでるんです。これができると一直線で、乗り換え無しですし。
 ちょっと進行がどーかなー、なんて気になっただけで、ははは・・・」
 空しい笑いを作る加賀壬。しかし、宮崎は表情も変えずに答えた。
 「かしこまりました。加賀美様が当地下鉄工事の進行にお気遣い下さいますことを必ずお伝えさせていただきます」
 ど、どーしてそーなるんだろー?
 加賀壬はとりあえず、話が一段落したと思い、話が見えずに凍り付いている北村をがっしと掴むと「それじゃ」と会話を濁らしてそそくさと立ち去った。
 やじ馬の中に紛れ、急いでこの場を離れる加賀壬。
 「ちょっと、宏子、ちょっと!」
 駅前に戻ると、加賀壬はやっと牽引を止めた。振り向くその顔。興奮で真っ赤だ。
 「どーして茉莉ちゃんはいつもそうなの! またなんかしたんでしょ!」
 「別に何もしてないよ。珍しくあの大扉が開いてたからさ、写真撮ろうと思っただけだよ」
 「で、ロープ越えたの!?」
 「だってあそこからじゃ35ミリじゃつらいもの。85ミリなら良かったんだけどね。仕方ないから中入って・・・」
 「入ったのね!」
 加賀壬は両手を腰に置き、北村に詰め寄った。その形相に思わず腰を引く茉莉香。
 「う、うん・・・」
 加賀壬はその答えを聞いて急に泣きそうな顔になった。
 「もう止めて。ただでさえ、みんな忙しいのに。もうもめ事はだめ。ね、言って。もうあのロープは越えないって。何があっても。
 工事が終わって、普通のお客さんで地下鉄に乗れるようになるまで、絶対にロープは越えないって。お願い!」
 北村は困ってしまった。たかが立入禁止のロープ一つでどうしてここまで気にするんだろう。あのすっ飛んできたガードマンといい。まぁ、今日はVIPが視察に来てたらしいから仕方ないかもしれないけど、どうして宏子がこんなに・・・。
 「お願い、言って!」
 「わ、分かったわよ。地下鉄ができるまで、あのロープは越えない。
 これでいい?」
 「うん」
 加賀壬はやっと微笑んだ。北村はどうして加賀壬がここまでムキになるのか分からなかった。
 「でも、どうして? ただ歩いてただけなのに・・・」
 加賀壬の笑顔は一瞬にして消えた。きっと見つめるその瞳。
 「え?!」
 「立入禁止を無視するのは、もう超常だよ。この街ではどこに<場>があるか分からない。何が起こるか分からない。まだ私たちは先輩のサポートなしでは何にも出来ないんだよ。いい? ほんの小さな超常の積み重ねが呼ぶんだよ、大きな事件を」
 北村もやっと分かった。加賀壬はただ北村の身を案じていただけなのだ。些細な事件から大変なもめ事に巻き込まれることを恐れて。その案じ方が大げさではあったが。
 ここ数回の魔性退治で加賀壬は悟っていた。どんな魔性も人の心の闇に付け入る。そしてその闇は本当にささいな事から沸き起こって来るという事を。小島の様に大事な仲間をもう失いたくないだけだった。それが分かって、北村は加賀壬の頬に手を添えた。
 「心配する程の事じゃなかったのに。でも心配させてゴメン。分かったわ、工事が終わるまでもうあのロープは越えないから。約束する。だから安心して」
 加賀壬は顔を寄せて北村の掌に自分の頬を預けた。子犬のように嬉しそうな表情で目をつむる。一瞬、北村は不安を感じた。まさか宏子、あっちの人になったんじゃ。最近、よくこうやって身をすり寄せてくるし。本条お嬢様の噂、本当だったんじゃ・・・

 この時、二人はまだ知らなかった。この約束は破られる定めにあることを。その結果起きる忌まわしい出来事を。



第六章

 寄り道に次ぐ寄り道の結果、約束の場所、掲示板の前に着いたのは20分以上遅れてだった。
 「遅い!」
 不機嫌そうに佐伯が言う。山崎もやっと来たかとつぶやいた。
 「ごっめーん、向こうの地下鉄工事現場に本条先輩が来てるって聞いたから。もう地下に降りちゃってて結局会えなかったんだけどね」
 そうしれっと説明する北村に、遅刻してごめんなさいと頭を下げかけていた加賀壬は舌を巻いた。
 「本条先輩が? ああ、そうか、一条電鉄って本条家んところだったっけな」
 前生徒会長の名前が出て、すでに二人は遅刻の追求を忘れてしまったようだ。
 「あれ? そういえば先輩は?」
 加賀壬はきょときょとと周囲を見回した。
 「まだだ」
 山崎がいつもながら短く答えた。
 「そっか」
 加賀壬は多分地下通路から来るだろう先輩がすぐに見えるように、掲示板の台座に乗ってみた。しかし、それでも山崎の視線よりも低い。見張り役は諦めて降りる加賀壬。うーん、山崎君、背高いなぁ。しかもまだまだ伸びるんだよなぁ。入学したときは佐伯君の方が高かったのに・・・。この前、確か185だって言ってたっけ。あたしは152だから、その差は・・・うっ! 33センチィ!
 加賀壬は改めて思った。
 私って愚か者で知性がなくって、不器用で心配性でおまけにちび。がーん・・・

 先輩たちは結局30分遅れでやって来た。
 「あはは、すまん、遅れちった。ごめん!」
 いつものように手で拝むかっこになり、謝る美咲美由美。むくれてその美由美にぶーたれている美咲真由美。
 「だからゲーセンなんか寄るの止めようって言ったのにぃ。みゆみったらぁ。ぜーったい時間かかるんだからぁ・・・
 ごめんなさい、みんな」

 六人は美由美の案内でお店に向かった。駅のこちら側はかつては畑だったらしい。急激に開発されたこの周辺は地図があっても全く役に立たない。先頭に立つ美由美は美由美でどんどん近道を進むので、3分も歩くともうどっちが北だかも分からなくなった。開けた場所なら美咲の御山が見えるのだが、この辺にはそんな空き地はない。ビルもみな5階立て以上ばかりだ。
 そういったビルの一つ。なにやら暗い入り口に入る。
 「ここ、マンションじゃ・・・」
 北村の声に平気で頷く美由美。エレベーターもあるが小さすぎ、六人は乗れないらしい。そこで狭い階段を上がる一行。
 やっと七階に着いた。
 「ふー、ふー・・・」
 加賀壬と姫が疲れ果て、壁に身を寄せるのも気づかず、美由美はつかつかと歩み寄ると、一つのドアを開けた。なんの看板も表示もないそのドア。佐伯がちょっと不安になって表札の小さなパネルを見ると、確かにここだ。

 セルフ・ディフェンス・ショップ ヤマキ

 話には聞いていたが、本当に何の掲示もない。とりあえず美由美先輩が消えたその中をのぞく。
 目の前にCの字がベースらしい模様がある大きな赤いポスターがあった。そのコルトのポスターの下に並ぶスリッパ。どうやら靴を脱ぐらしい。まぁ、マンションなのだから当然だが。
 玄関を抜け、スリッパ履きで右手のドアを抜けると、そこは確かにガンショップだった。目の前に山と積まれた段ボール。輸入貨物らしく、さまざまな張り紙がべたべたとある。皆英語だろう。その脇に大きなガラスケースがあり、銃やホルスターが並んでいた。その陳列に張られている大小さまざまな張り紙。
  <新製品> <奉仕品20%OFF> <セットで¥25,800> <お奨め品。取り付け加工賃サービス>
 それを見て、新入生はほっとした。お店らしく思えたからだ。

 「あ、マスター、これ<ワ>に付く?」
 「イモネジだから締め付けちゃえば大丈夫だろ、多分」
 「スライド重くなんない、締めると」
 「裏板かなにか、調節はいるな」
 既に美由美はお店のオーナーと盛り上がっていた。ここには店員は一人だけらしい。
 佐伯はきょろきょろ店内を見回していたが、山崎がじっと見入っているショーケースに剣があるのを見て、その隣に立った。
 「なんか、随分バランス違いそうだな、これは」とソードを見つめる佐伯。
 「うむ。重いぞ、刀より」
 北村はずらりと並んだホルスターとハーネスに見入っていた。その目は真剣だ。と、その一つに目が止まる。じっと品定めをする顔はマニアっぽい。
 「うーん、三万四千円かぁ。高すぎ。でもいいなぁ。うーむ・・・」
 だが、その実、セコニックのスポットメーターを入れるのに丁度いいと、別のジャンルのマニアの目だったが。
 しばらくして姫と肩を寄せ合い、助け合って加賀壬が来た。
 加賀壬は物珍しそうに周囲を見回す。
 「うわぁ、すごい。姫さん、この銃本物?」
 一瞬店内がしんとする。しかし、すぐに無視してそれぞれの続きを始めた。
 「みぃんなモデルガンとかぁ、ガスガンとかだよ。だからあたしたちでも買えるの」
 実は18才以上用なので違うのだが。
 「ほら、これだよ、みゆみが勧めてたの。小さいでしょ?」
 姫が棚の一角を示す。確かに側にあるのよりは少し小さそうだ。でも加賀壬の目には五十歩百歩に見えたが。
 「姫さんの持ってるのはあります?」と、加賀壬はとりあえず身近な人のを参考にしようとしたらしい。だが、姫は首を振った。
 「わたしは救急箱の運搬係だから。持ってないの」
 そうか。そういえば愛姫先輩もいらないって言ってたっけ。うーん。どうしようかなぁ・・・

 「みゆみぃ。みゆみったらぁ。みんなの、見てあげるんじゃなかったの!」
 姫にそう言われ、美由美はやっと自分の目的を思い出した。
 「ああ、そだっけ。マスター、ちょっと見繕ってくんない? みんな新入生なんだ」
 チョコチップ迷彩のズボンにODカラーのTシャツ、そしてバンダナをG.I.カットの頭に巻いた体格のいいマスターが立ち上がり、カウンターを回ってこっちに来た。
 北村がこっちを向いたので、まずは彼女のからだ。
 「この子はMP戦はOKだから、HP戦用かな」
 そう言われ、マスターはすっと手を出した。ちょっとびっくりするが、握手をするのがこの店の流儀なのかと思い、その手を握る。
 「右利きだよね」とマスター。
 「はい」
 「じゃ力一杯握ってみて」
 「はぁ?」
 「力一杯」
 とまどうが、マスターはそのまま促したので、仕方なく、手に力を込める。
 「もっと」
 そう言われるがもう限界だ。北村は真っ赤になって力を込めた。
 「OK」と言い、手を離すマスター。
 「割と握力はあるね。本当はMP戦向きなんだね。そうだねぇ、それなら護身用を兼ねて、警棒がいいかな?
 この子の力なら多分大丈夫だよ。短いナイフ系よりも向くと思う。防御もできるからね」
 そう言いながらガラスケースの中から何段かに伸びる警棒を出した。
 「持ってごらん」
 北村はそれを握った。思ったよりも軽かったが、それでもずしりという感触はある。
 「振って」
 言われるままに振ってみる。
 「もう少し重くても大丈夫だね。こっちを持ってごらん」
 今度はもっと太いものだ。その分長さもある。
 「重い・・・」
 北村はそのどっしりした握りを持ち、また振ってみた。
 「うん、すぐに慣れるよ。大丈夫だ、これなら。
 四万八千円。ところで予算は?」
 「ごめんなさい、北村さんは三万円以内なの」
 そう答えたのは姫。超常研の会計である彼女がみんなの軍資金を持っているのだ。
 アタックチームに払われる報奨金は必要経費を差し引くとあまり残らない。だが、前回は救出された生徒もたくさんいたし、連戦だったこともあり、一人頭かなりの額にはなった。とはいえ、やはり高い物は高い。
 超常研では基本的に各人に報奨金を現金で支払うことはない。金額は姫が預かり、生徒会の金庫にしまってある。各人の装備費など、会の活動用の購入費がそれに充てられるのだ。さらに基本的に個人負担はしないことになっている。会の活動で得た金額で装備を調えるのが基本なのだ。まあ、あくまで基本にすぎないが。
 「三万円か。じゃ、こっちにするか、あるいは次まで貯めるかだね。どうする?」
 マスターに言われ、少し考え込んでいた時、棚に並ぶ商品に気が付いた。
 「あ、あの、これは懐中電灯ですか?」
 マスターはそれを出した。
 「こっちがライトね。で、ここを出すと警棒になる。ま、便利だけど、どっちつかずってとこ」
 「私、ライト係なんです。だから必ず片手は懐中電灯で。で、もう一方はカメラ持ってるんで・・・」
 「そうか。うーん、じゃ、これかな」
 マスターは隣の棚から立てかけてある警棒を出し、北村に持たせた。随分大きく、L字型の取っ手も付いている。
 「これは伸びない。この長さのままだ。で、ここにマグライトが仕込んである。ね、これが中身。つまりは単なる筒なんだ。ま、防御のみなら、十分だけどね。さっきのより短いけど、ここにフォアグリップが付くからね。これね。このねじの太さ見て。丈夫だよ。トンファー風にも使えるから防御にはいいよ。そっちの伸縮式のよりずっと丈夫だし。向こうでは夜勤のガードマンがよく使ってるよ。
 マグライトが六千八百円で、それ込みで三万でいいよ」
 「税込みですかぁ?」
 すかさず突っ込む姫。
 「OK、OK。税込みね」
 「ちょっと貸してみそ!」
 美由美が北村からそれを受け取り、両手でもって重心を図ろうとすると、マスターが電池を持ってきた。それを入れて実際の重さを計る美由美。次いでフォアグリップのリストバンドを止めて振ってみる。ついで今度はひゅんひゅんと音を鳴らしてそれを振り回した。狭い店内で周囲に人がいるにも関わらず、だ。しかし、美由美はその隙間をすらりとすり抜ける感じで警棒を振り回した。最後に脇の下に挟み込み、びしっとポーズを付ける。
 「ん、いいんじゃん。照らしながら、咄嗟に攻撃交わすくらいはできそう」
 そう言われ、また北村はその警棒兼ライトを持った。
 重いけど、今持ってる懐中電灯では防御できないしなぁ。折角買ったばっかりだから、あれはバックに入れて置いて、もし乱暴にしてこれが壊れたら、あれを使えばいいか。そうすれば無駄がないかも・・・
 「ん、これにしよ」
 北村が決まると、次は剣道部員の方だ。
 「なんかいいのあった?」と美由美。
 「いや・・・、俺達には木刀の方がいいみたいです、先輩」
 それを聞き、マスターが尋ねてきた。
 「君等は剣道部? 相原君のとこかな?」
 急に部長の名前を出され、驚く二人。
 「そうです。剣道部です」と佐伯。
 「はい」。これは山崎。
 「そうか。じゃ、ちょっと違うね、うちのとは。日本刀はないからね。洋刀ばっかりだから。そうだね、刀ならちょっと離れてるけど、幸町の方に古武術品商があるよ。山崎商会っての。車で行った方がいいかな」
 「それ、うちです」と山崎。
 「えっ!」
 びっくりしたのは美由美だ。
 「あんたの山崎って山崎商会の山崎ィ?
 じゃ、うち知ってる? 道場があってさぁうち」
 「はい。お得意様です。納品に行ってます、何度も」
 北村はその会話を聞いて納得した。山崎が模擬刀やら鎖帷子やら、すごいのを持っているわけが分かったのだ。
 「じゃ、他のにしたら、山崎君たち。ガスガン、いいんじゃない? MP戦に参加できるよ」
 そう言われ、二人は顔を見合わせた。少し困った顔で。
 「小手してるから、いつも」
 そうか、そうだった。あれじゃ銃は持てないな。北村は考え込んでしまった。
 「じゃ、あれかな。MP戦にも使えるナイフ・・・」
 マスターはカウンターに戻り、木箱を持ってきた。
 「これ、小手して持てるかな」
 そう言ってそこから出したのは奇怪な形をしたナイフだ。刃渡りは短いが、刃が二本に分かれ、螺旋状になっている。
 「柄が長いから、多分」
 「そうか、それならいいかな。これはヴェノムナイフとか、アサシンピックとか言う奴でね、本当は暗殺専用なんだ」
 暗殺? みんなが凍り付いた。
 「そ、それって毒を流す奴ですか?」
 声に振り向く美由美たちは目を丸くして驚いている加賀壬を見た。彼女は近寄ってきてそれをしげしげと見た。
 「なるほどー。この二本の隙間から毒が出るんですね。この柄に入ってるんですか、ビンは」
 「うん。これ全体が蓋でね」といいつつ、柄を回転させ、すぽりと抜くと、そこに鈍く光る筒があった。
 「で、刃がここまで下がると、押された圧力で吹き出すんだ」
 加賀壬は眼鏡を押さえてじっと見入った。
 「すごい・・・。本では読みましたけど、本物、始めて見ました。これなら傷口えぐるわけだし、刺さっただけでも、死んじゃいますね。
 うーん、人間ってやっぱり怖いなぁ・・・」
 加賀壬の目は怖々とそのナイフを見ている。
 「でも、入れるのは毒じゃないから。清めの塩、水で溶いて入れれば・・・」
 「切るとそれが流れる、と。でも相手がMP体では切っても仕掛けがおきないですよ、多分」
 加賀壬がそう言うと、にこりとマスターが笑った。
 「大丈夫。毒じゃないんだからさ、斬りつける前に一回、自分の防具なり小手なりで押しちゃえばいいんだよ。そうして斬りつければ・・・」
 「遠心力で塩水がばらまかれる、と。ホーリーウォーター・スプリンクラーみたいなのですね」
 「はっはっは。妙なの知ってるね。随分違うんだけど。ま言葉のイメージ的にはそうかな。
 どうだろう、うまくいくかな?」
 加賀壬は考えた。
 「何回くらい出せます?」
 「押しつけ方次第だね。ぎゅーっと押してれば全部出ちゃう。少しづつなら、そうだね十回は行けるよ」
 加賀壬はさらに考えた。
 「この先端、刃つぶしても使えますか?」
 「ええっ! 潰しちゃうの! これは珍品だよ!」
 「暗殺用はいりません。それより、人助けです」
 そう言い切られ、肩をすくめるマスター。
 「うーん、隙間を埋めずにうまく潰せば大丈夫だと思うけど・・・」
 「じゃ、片手でこれを木刀に押しつければ・・・」
 「ん? なるほど。そうすれば木刀も同じ使い方ができるね。で、もう一回押しておけば、二刀流もできるな」
 二刀流はちょっと。佐伯も山崎も困惑した。しかし、木刀に塩水を巻くのはいいかもしれない。
 「これ、圧力加えられますか?」と加賀壬。もう彼女は別のアイディアに入っているらしい。
 「圧力?」
 「ガスガンみたいに、吹き出すように。ほら、よく時代劇であるじゃないですか、酒飛沫(さけしぶき)、ですか、ぶぁーって刀に吹き付ける奴。あれみたいに木刀全体に吹き付ければ・・・」
 「・・・。
 二段式にすればいいかな。少し押すとちょろっと出る。で、ぐっと押すとトリガーが入って吹き出す。
 うん、できるよ」
 「それに再補充するのは大変ですか?」
 「いや、ガスも塩水も入れるだけだからね。簡単だよ。ガスは炭酸ボンベの方がいいかな、小さいし」
 加賀壬はまた考え込んだ。佐伯たちも、美由美でさえもただ待っている。加賀壬の思考が答えを出すのを。
 しばしの沈黙。数分して、やっと加賀壬が口を開いた。
 「佐伯君は面をしてるから、いざとなったら頭の天辺に押しつければ塩水のシャワーになるかな。そうすれば、MP体も触らないんじゃ・・・」
 「防御か。そうだね、うん、できるよ。出口のノズルを別にして刃の脇にすればいい。二段目に押した時はそっちになるようにね。それなら一気に吹き出す。そうしないとこの口は狭いからね、そんなにうまくは吹き出さない」
 マスターはにこにこして言った。この貴重な武器を壊すのはしのびない。でもそれでもっと珍しい武器ができるなら。マスターはそう考えていた。
 加賀壬はまた考え込んでいた。今のマスターの言葉にキーワードを見つけたのだ。ノズル。その言葉に。
 「あの、マスター、いっそのこと向き、逆に出来ません?」
 「逆?」
 マスターはついに加賀壬の思考に付いて行けなくなった。逆?
 「ノズルです。逆にして、この柄を押しつけると柄の方から吹き出すように。普通に使うなら刃の方に流れるのでいいんですが、いざという時には柄を押しつけるんです。その方が・・・」
 「どこでも押せるし、ナイフもこのまま、だね。柄だけ改造すればいいのか。うん、その方が早いかな」
 「あ、それなら・・・」と今まで黙っていた佐伯が口を開いた。
 「もう少し柄を伸ばして貰えませんか? そうしてくれれば・・・」
 「小手付きでも抜刀しやすい、と。OK、OK。出来るよ」
 そう肯くマスターに姫が困った顔を向けた。
 「でも、あのぅ、予算が・・・」
 「幾ら?」
 「佐伯君は三万五千円、山崎君は二万八千円です」
 「三万五千ならできるよ。ボンベとかは僕のジャンクボックスから使うから。ノズルとか他のパーツもOK。ボール盤がいるかな。ま、それはこっちでできるから、そうだね、うん、全部僕一人でできる。ナイフ代だけで三万五千円でいいよ」
 「え、そんなに安いんですか? 本当に?」
 姫は困った。無理しているんじゃ、と。ここにはいつもいろいろお世話になっているから。
 「相原君の後輩でしょ、いいよ、サービスしとく。ま、次は定価でもらうよ。それにさ、こっちのお嬢ちゃんの言うとおりだ。
 これは珍品なんでつい仕入れちゃったんだけどね。まあレプリカだから本当に人を殺したことはないけど、考えてみればうちの店はもともと専守防衛を念頭にしてたから。セルフ・ディフェンスが目的なんだから暗殺はいらないね。そういうのは博物館に任せとくよ。うちはあくまで命を守るツールを売る店。その方がうちらしい。
 いいよ、美咲のお嬢ちゃん。三万五千。あ、消費税込みね」
 姫は先に言われて照れ笑いを浮かべた。

 実際にどうするかをマスターと佐伯で話し込む。システムを理解した美由美も一緒にアイディアを練っていた。北村は姫と買うのを決めた長いライトをどうやって持ち運ぶかを相談していた。もうホルスターを買う予算は残ってないからだ。
 その間に山崎があちこち見ていると、加賀壬と目があった。
 「決まったのか?」
 「うーん、ちょっと考えてるのがあるんだけど。
 それより山崎君の方は?」
 「いや、特に」
 加賀壬は考え込んだ。
 「これ、ノクトプラズマビジョンだよね。四万円かぁ。やっぱり高いね。お金足したり、貸し借りできたらいいのにね」
 超常研ではそれは禁止されているのだ。
 「うむ。一番高いな」
 そのとおりだった。他の物で13万もするのがあったが、これは何やら箱型でいろいろごてごて付いている。そういった物を除けば、単品で一番高いのがこれだった。実は前回の報奨金が丸ごと残っていれば購入できたのだ。しかし、加賀壬も山崎も救急箱と精神安定剤という必需品を購入した結果、高値の華になってしまったのである。
 「欲しいよね」
 「うむ。見えない敵が見えるからな」
 「特に山崎君は」
 「?」
 加賀壬を見下ろす山崎。なぜ俺に?
 「だって、だって山崎君・・・。後ろだから一番不意打ちされちゃうし。いっつも見張り役だし」
 「・・・」
 加賀壬が山崎を見上げた。二人の視線がからまる。

 心配・・・

 すまん・・・

 すぐに俯く加賀壬。こうなると山崎には彼女の脳天と首筋しか見えない。ブラウスの襟から見えるそのうなじは本当に細い。山崎の手首よりももっと。と、その背中にブラの紐がちらりと見えているのが分かり、山崎はあわてて視線を逸らした。
 「そうだな。うむ。貯めてこれを買おう」
 降り仰ぐ加賀壬。
 「いいの? 今何か買っておけば、次から使えるのに・・・」
 「お前に心配かけたくない」
 その言葉に加賀壬は両手を口元に当てた。一瞬涙が出そうになる。だが、ぐっとこらえた。ありがとう。その言葉は声にはならなかった。

 その時、マスターが頷いて図面をしまった。
 「うーん、そうだね、三日。水曜までには仕上げとくよ。それでいいかい?」
 「はい、お願いします」
 これで佐伯も決まった。次は加賀壬だった。またマスターがカウンターから出てきて、希望を聞いた。
 「えっと、私はMP用の武器はいいです。それよりもHP戦の武器が。今、ピッケル使ってます。それと、これ」
 加賀壬が鞄からマチェットを出した。
 「ふーん。もうこれがあるならいいんじゃないかな。これ、刃が安物じゃないからね、買うと随分するよ。大人でも理由なく所有してると警察に没収されちゃう長さだね、これは」
 やっぱりそうか。お父さんの言ってたとおりだ。
 「あの、この刃、潰せますか?」
 「潰す? そりゃできないことじゃないけど。君の力じゃ、不利になるよ」と、マスターが断言する。北村の様にチェックする必要もないらしい。それはそうだ。加賀壬の腕はすごく細いから。
 「そうですか。
 じゃ、ピッケルの代わりになる警棒がいいです。今使ってるピッケルだと、突き刺さったら大変なので」
 「ふーん。そっか」と加賀壬の希望を真っ先に理解したのは美由美だ。
 「マスター、探索中だとさ、操られた生徒、多いんだよ。ピッケルじゃ殺しかねないからね。刃とか尖ったのがないのが欲しいんだよ、この子。戦闘不能にすればいいんだからね」
 「そうなんです」
 マスターは考え込んだ。
 「難しいね、その選択肢は。お嬢ちゃんは腕力が無さ過ぎる。ただ殴っただけじゃ、全然効果ないよ。それに、多分身をかばうこともできない。なにせ威嚇もできないからね。そっちのお嬢ちゃんくらいは腕力がないと。
 刃物にした方がいいよ」
 そう言いきられ、加賀壬はがっかりした。やっぱりそうか。
 「ガスガンにしたら? 誰も持ってないんでしょ? 一丁あると便利だよ、飛び道具」
 加賀壬はさらに困った。MP戦。意志のないものならともかく、霊を倒すのは抵抗が残る。できれば説得して成仏させてあげたかったから。
 その思考を読んだか、北村が言った。
 「意識のないザコも多いよ。確かに一丁あると便利」
 でも・・・。加賀壬は思った。銃はやっぱり怖い、と。単にイメージの問題なのだが。
 「あの、HP戦用の飛び道具、ないですか? 支援とか、あるいは遠方の敵の足止めに使えるの」
 「そりゃ電動ガンで普通の玉打つのが一番早いよ。着弾修正すればいいんだから、お嬢ちゃんの腕でも大丈夫だ」
 やっぱり銃か・・・。
 「銃以外にはないですか?」
 「手裏剣とか投げナイフだね。でもお嬢ちゃんの嫌いな刃物になるよ。それに命中させるのは至難の業だし、何しろ使い捨てだ。長期戦になるかもしれない探索にはちょっとね・・・。
 ん、待てよ」
 マスターは何か思いつき、奥の部屋に消えた。だが、すぐに箱を抱えて出てきた。
 「前に仕入れてね、とりあえず売れなかったからしまっちゃってたんだけどさ。
 これ、どう?」
 箱を開けるとそれは警棒だった。でも片方の端はネジが切ってある。すぐにマスターは中にパッキン代わりに詰め込んであった英語の新聞紙をどかし、何やら曲がった音叉の様な物を底の方から出した。加賀壬たちが見守る中、数分で形が完成する。
 「何これ・・・。パチンコ?」
 「茉莉香ちゃん、スリングショットって言って! ま、同じだけどね」と美由美。
 それは棍棒の片側にスリングが付いている物だ。マスターが使い方を説明する。
 「普段はこうやって閉めておいて、ここを持って警棒にするんだ。で、このハンドストラップがあるから手を離してもぶら下がるからね、今度はこっちを持って、この柄を曲げる。で、このバーを外すと・・・」
 ばちん、と音を立ててスリング、つまりパチンコが出来た。あまりに妙な武器なので、美由美は笑いを堪えていたが、加賀壬はその仕掛けにびっくりしていた。
 「でも、このゴム、引っ張るの大変なんじゃ・・・」
 私は力ないから。そう言おうとしたとき。マスターがにやっと笑った。
 「やってごらん。まずコレを手首に通す。で、そう、一旦しっかり脇の下で止めて・・・。もっとはさんで、そうそう。
 長さを合わせるからね、そのまま。んっと、この辺かな。ちょっと待ってて、今締めるからね。
 よしっと。これで固定できた。で、これが玉だ。ま、今は良いけどね。ここに玉をはさむんだけど、そうここ持って。もっとしっかり。うん、いいよ」
 マスターは加賀壬の右手にゴムの中心を持たせた
 「いいね、そのままの姿勢で。さ、腰を落とす感じで。あ、曲げちゃ駄目だ。そうそう、で、左手ごと持ち上げて。
はい、つぎは右手をこの辺に添える。
 はい、いいよ。その姿勢を維持したまま、左手を下げて右手はそのまま」
 マスターに肩を押さえられ、ぐいと左腕をまっすぐに戻された。
 「きゃぁ!」
 手首が落ちるかと思うほどの衝撃。
 「ああ、肩だけで動かすと痛いよ。ちょっと練習すればすぐ出来るようになるけど。
 で、ここまで引っ張れたでしょ、一瞬だったけど」
 そう言われれば、右手が引っ張られる前には随分ゴムが伸びたような気がする。
 「右手の力でゴムを引っ張るんじゃなくて、体全部を使って、左手を降ろす動作で伸ばすんだ。さ、もう一度だ」
 マスターは加賀壬の背に周り、その両手を外側から包んだ。
 「うーん、やっぱり少しお嬢ちゃんには長いかな。ま、これは後で調節するよ。2センチってとこだな」
 マスターは加賀壬の左腕をまた上げさせ、右手でゴムを持たせた。
 そしてすっと手を下げさせて右手を素早く左腕に添えさせた。
 「よし、そのままで。手を離すよ」
 マスターがそっと右手を離す。加賀壬は一生懸命になってゴムを押さえ続けた。
 「こ、これでいいんですか?」
 「うん、そのまま。よし、いいよ。じゃ離してごらん」
 言われて右手を離す。
 突然の衝撃。がつん、というよりもどっかーんといった感じの衝撃に加賀壬は倒れそうになった。
 「びっくりしたー!」
 加賀壬の目は見ていた。ゴムが一気に縮んで前に伸びたのを。その次の瞬間、つむってしまったが。
 「威力はBB弾の比じゃないよ。ただし連射は無理だ。それに玉も重いからね、あんまりたくさんは持てないだろうね」
 そう説明していたマスターは、またこの子が何か考えているのを見て黙った。
 さて、今度は何を思いつくんだ、このお嬢ちゃんは。
 マスターは嬉しそうにしていた。
 「あの・・・。みゆみ先輩。
 この玉の大きさの塩玉、作れませんか?」
 「塩玉? うーんそりゃできるけど、衝撃でこなごなになっちゃうよ」
 「それでいいんです。塩の煙幕ができないかな、と」
 「は、はっはっは! こりゃいいや、塩玉ライアットだね! うん、MP体びびらせるにゃいいよ!」
 「あ、それだけじゃなくて・・・。
 MP体の楯になってくれる人、その人が突入する前に撃っちゃえば、シールドになるでしょ。
 それに霊体の動きって早すぎて追いつけないから、先にこれを撃っておくと。地面に。そこには潜れなくなるでしょ。<安地>できるかな、と。それに・・・」
 発射の衝撃が加賀壬にアイディアをどっさり生んだようだ。
 姫は聞きながらこれが加賀壬の予算内であってほしいと思っていた。加賀壬は前回ずいぶん仕事料が入っていたので、治癒アイテムを購入しても三万以上残っていた。スッタフスリングは二万五千円也。本当はその倍するらしいのだが、売れなかったので半額になっていた。次のセールスで出す予定だったらしい。そこで即座に購入を決めた。弾、というか玉は通常のスリングのが使えるというので12発買っておいた。
 最後に残った山崎は希望を聞かれて首を振った。
 「貯めてプラズマビジョン、買いに来ます」
 「そうか。ま、それも選択肢だから。じゃ、これで決まりかな? お会計、いい?」
 姫が鞄から封筒を引っぱり出して、レジの前に立った。
 みんなぺちゃくちゃと今買ったアイテムの話をしているうちに支払いは終わったらしい。調節のいらないアイテムは北村のだけなので、紙袋は一つだけだ。別れ際にマスターは新顔のみんなにバンダナを1枚づつくれた。何も購入しなかった山崎にも、「お金貯まったら早速買いに来て」と渡してくれた。美由美はやっと自分の買い物ができるのでにこにこしながら帰って行く新入生を見送った。姫もみゆみに捕まっていたので、店を出たのは加賀壬たち一年生だけだ。
 店を出てから北村がつぶやいた。
 「貸し切りだったよね」
 「はやってるのかなぁ」と佐伯が首をひねる。
 「カウンターの奥に、鎖がかかってた棚あったでしょ、ライフル立てかけてあったとこ」
 「ああ。あれは実銃なのかなぁ。あそこだけ鍵かかってたもんな。狩猟用だろうね。そっちの方で食べてるのかな?」
 「ひょっとするとさ、実はこのマンションのオーナーの息子かなんかで、道楽でやってるのかもね」
 「あ、それだったら実はオーナー本人でさ、税金対策で赤字作ってたりしてな。
 まあ、なんにせよ、趣味でやってる店だよな、絶対」
 加賀壬も二人の意見にうなづいた。どう見ても収入が仕入れに追いついているようには見えないから。
 彼等は姫に教わった道順で帰路に着いた。遠回りにはなるが、すぐに加賀壬以外には馴染みのある大通りに出たので安堵する一行。そこに沿って駅に着くと、みんなはハンバーガーショップに行く事になった。だが、加賀壬は次の約束があるので別れた。今夜は鮎川の家で宿題である地域経済のレポートを作ることになっていた。
 その背を見送りながら、佐伯がつぶやいた。
 「本当に忙しそうだよな、加賀壬は」
 「うむ」
 「体壊さないといいけどね」
 三人は駅前のハンバーガーショップへ歩いていった。


 一方、店内では買い物を終えた美由美がマスターに楽しそうに話しかけていた。
 「んでさぁ、もうちょい、ホントもーちょいキックあったらぜってー割れるよ、スライド。ギリギリだよね」
 「初期ロッドの使ったら間違いないね」
 「でしょでしょ? だからさ、これならアルミにしても動作大丈夫じゃん」
 二人の会話に姫がぶーぶー口を挟む。
 「ちょっとぉ、みゆみぃ。おうちの仕事もしないとぉ、また忘れて由美ねぇさんに怒られても知らないからね!」
 「おおっとぉ、そだった」
 美由美はベルトポーチのジッパーを開けてごそごそと小さな包みを出した。そのままカウンターの上に置く。コトンという硬い音。マスターがそれをめくると、鈍く光る小さな金属の固まりがあった。弾丸である。もちろん実銃の。
 「9ミリショートらしいんだけどさ、また頼むわ」と美由美。その声は低くなっていた。
 「ん・・・。ほとんど壊れてないね。水にでも当たったのかい?」
 「ははは、そいつは聞かないで。とにかく出所を知りたいんだ。いつもながら大急ぎなんだけど・・・」
 「OK、OK。これなら弾道検査も簡単だ・・・そうだな、二日くれないか。最近はデータハッキングもなかなか厳しくてね、チェックが」と、マスターが肩をすくめた。
 「あのね、これに撃たれた奴が言うにはね、アジア系じゃないらしい。多分白人。で、訓練受けてるらしい。いつもより参照範囲広げてくんない?」
 美由美の言葉に考え込むマスター。
 「じゃ、まずはFBIの犯罪記録からかな。うん分かった。でもそれじゃ少し時間かかるかもしれないよ」
 首を振る美由美。
 「急いでんだ。わけ有りでね。色付けるから。五割り増し。だからマスターの同業者で手分けしてチェックしてみてくんない? これ撃った奴、まだ諦めてないらしい。日本にいるかもしんないんだ」
 「情報漏れするかもしれないよ」とマスターが確認を取る。
 「あ、それは大丈夫だってさ。美咲本家がマジになってるってのが分かった方がいいんだってさ。牽制になるからって。別にわざとリークすることもないけどね」
 「OK。そっちに詳しいの、二、三人声かけてみるよ」
 そう言うとマスターはその包みを元に戻し、店の奥に消えていった。しばらくして戻ってくる彼に、美由美がさっきまでの明るい口調で話しかける。
 「なかなかよさげなのが入ったっしょ、今年は」
 マスターはカウンターの奥でマルボロに火を付けながらうなづいた。
 「うん・・・
  大抵はね、お金があるとあるだけ使うモンだよ。それも攻撃力重視でね。
 あの子たちはまず防御を考えてた。それに自分らの特性も把握してるみたいだしね。
 まだ三回って言ってたよね、昨日。それにしてはよくまとまってるねぇ」
 ふぅーと煙を吐くマスター。
 「どうやら余程の修羅場をくぐったみたいだねぇ、その三回で」
 今度は姫がうなづいた。
 「お友達が退会しちゃったり、全滅しかけたり、全滅したパーティを救出したり。いろいろしたの。
 だからなの、みんな一生懸命なのは」
 ふーん、とマスターが納得する。
 「多分今日の子たちはお得意さまになってくれそうだ。それに何しろ面白いよ、あの眼鏡の子」
 マスターがにやっと笑んだ。
 「発想がすごいや。面白い。
 あの子、うちでバイトしてくんないかなぁ」
 「そりゃ無理っしょ」と美由美。
 「宏子ちゃんはみんなに期待されてっからね、いっつも走り回ってるよ、急がしそうにさ」
 「そうか。あの子になら表も裏も任せられそうなんだけどな。
 そいつは残念」
 マスターはたばこをくゆらせながらつぶやいた。



つづく