第七話:加賀壬さん再戦す

von:秋澤 弘

 第一章

 小島が自分の後ろを通り過ぎた事も気づかずに加賀壬は黙々と掃除を続けていた。何かする事がある方が良かった。考えなくて済むから。しかし、その時間も過ぎてしまった。みんな決められた量を終えて集まっていたのだ。いつまでも自分だけ、ゴミもない階段を掃いているわけにはいかない。そこで仕方なく彼女も集合した。
 「じゃおしまいね」と、級友の一人が宣言した。
 加賀壬が掃除用具を片づけ、重い足取りで教室に戻ると、不意に腕をぎゅっとつかまれた。ぎょっとして振り向く加賀壬。彼女にウィンクするのは北村だった。
 「何その顔。らしくないなぁ。元気出しなよ、宏子ちゃん!」
 加賀壬は北村の顔に見入ってしまった。その笑顔に。彼女は全然変わっていなかったのだ。

 「昨日はゴメン。さすがにまいっちゃって。帰って一日ずーっと寝てたんだ。寝過ぎて体が痛くなっちゃった」
 「元気になって良かったね」
 屋上で話し込む二人。
 「でも良かった。加賀壬さんたちもみんな無事で」
 北村の言葉に、無事とはいえないと心の中で返事する加賀壬。もうみんなばらばらだから。
 「絶対勝とうね、次は」
 「つぎ?」
 加賀壬は悟った。昨日休んだ彼女は何も知らないのだと。
 「まりちゃん。多分、もう次はないよ」
 加賀壬はぽつんと言った。北村は不思議な表情で加賀壬を見る。
 「どうして?」
 加賀壬はうつむいたまま語った。小島が辞める事。昨日の佐伯の話。加賀壬自身が空回りしていたという事。
 話しながら悲しくなったが、もう涙は出なかった。諦めていたから。
 北村は黙り込んだ。しばらく考えてから、加賀壬の肩をつかんで顔を向けさせる。
 「そんなのおかしいよ」
 北村の表情はさっきまでの穏やかなものから豹変し、真剣な顔つきになった。
 「絶対おかしい! みんなが出来るだけの事をして、みんなで頑張る。それでいいじゃない。誰か一人が突出したなら、みんなで追いつく。誰か一人が調子悪いなら、みんなでフォローして引っ張り上げる。それが当然じゃない。宏子ちゃんは空回りなんてしてない」
 そう言われても加賀壬の心は揺るがない。自分のせいだと思いこんでいたからだ。
 早急な説得は無理だ。北村はそう悟って、深呼吸をし、いつもの口調に戻って口を開いた。
 「焦ったのは仕方ないよ。私も随分焦ったもの。宏子ちゃんに追いつこうってさ。だからだよ、天使隊の先輩に頼んでいろいろ教えて貰ったの。私に出来ることを増やしたくて」
 ああ、そうだったのか。加賀壬は思った。まりちゃんはいつも前向きだから。でも、私はだめ。前なんか見えない。
 そんな加賀壬に気づいてか気づかずにか、北村は空を見上げながら語っていた。
 「私のいた中学でね、ひどい事件があったの。すっごくいやーな感じになってね、学校中。大抵の子が休んだ程。集団インフルエンザって事になってるけどね。何人も行方不明になって。靴だけ見つかって。しかも焼却炉から。私ね、怖くって震えてた。それでも学校に行かなくちゃっていう強迫観念っていうの? 今思うと魔性の波動に操られていたのね。それに縛られて。先生も上の空。出てきてる生徒もただ震えているだけ。今度は誰だろう。私じゃないように。誰か他の人にしてって、ひどいこと考えながら。
 私もそうだった。私以外なら誰でもいい。他の誰かにして。私だけは助けてって。そう一生懸命願ってた」
 加賀壬はびっくりした。北村がそんなこと。信じられなかった。加賀壬はいつの間にか真剣に彼女の声を聞いていた。
 「それがね、ある朝、学校に着いたら何か違うの。まるで学校全体が立て替えられたみたいに。校舎もグラウンドも、まるでペンキを塗り替えたみたいに。校門に立っている先生まで新鮮なの。
 教室でもみんなで噂してた。昨日までは誰とも口をきかなかったのに。放送が入って、全員体育館に集められたわ。校長先生がね、そこで言ったの。いろいろあったけど全部終わったって。ああ、そうなのか。そう思ったわ。助かった。私の番が来る前に終わって助かったって。それまでに友達がずいぶん姿を消してたのにね。私ったら自分が助かったことに安堵して泣いたわ。
 次の日から行方不明になってた子もだんだん出てくるようになった。その頃ね、噂が流れたの。彼等を助けたのは高校生だって。ここの超常研だって。前から噂に聞いていた仕事人が来てくれたんだって。
 私、考えた。その人たちと私とどこが違うんだろうって。そう思ってたらね、体育館に張り紙が出来たの。

 生を信じる心が闇を駆逐する

 そう書いてあった。みんなが言うには仕事人たちが書いたんだって。私たちが卒業する時にレリーフにして記念に残すことになったんだけどね、その言葉を読んで分かったの。ただ震えていた私。もうあの時には負けていたんだって。
 小島君たちの東中でも同じ様だったみたい。だからね、私も小島君たちの事も分かるの。焦った理由もね。
 宏子ちゃんは他の町の人。超常現象に会ったこともない人。怒んないでね、あのね、宏子ちゃんって気が強そうには見えないでしょ。それに運動ができるようにも見えないし。勉強できるガリ勉タイプでもない。宏子ちゃんって外見だと、何て言うのかな、いかにも普通の生徒、みたいなんだよね。真っ先に魔性の波動に飲み込まれちゃう様な。
 本当に怒らないでね、私、口悪いから。それに今、本音で話しているから。だから怒らないで最後まで聞いて」
 加賀壬は黙ったままうなづいた。それを目の端で確認して、また北村が話を続けた。
 「そんなあなたが一番頑張った。私や佐伯君からしたら、そりゃ焦るわよ。だって、もう震えているだけの自分には戻りたくないもの。自分だけ助かれば他の人がいなくなってもいい、なんて思いたくないもの。
 だからね、宏子ちゃん。焦って空回りしたのはこっち。私も佐伯君も殿下先輩の前で冷静さを失ってた。なんとか決着を付けようとね。焦りまくってたわ。宏子ちゃんの言うとおりだった。あんなんで勝てるわけない。だって目標がすり替わってたんだもの。
 一番大事なこと。私たちが闘う理由。それを忘れてた。
 うーん、本当は宏子ちゃんに謝らなきゃいけないんだろうけど、今は止めとくね」
 北村は振り返って加賀壬の前に身を寄せた。
 「今はこれだけ言わせて。
 次は絶対頑張る。自分を見失ったりしない。絶対に宏子ちゃんと並んでみせる。
 だから、ね、次がないなんて言わないで。私にチャンスをちょうだい。私、なりたいの。新しい私に」
 北村は真剣に加賀壬の瞳に見入った。
 「無理だよ、もう。みんなバラバラだから。もうパーティなんて組めないよ・・・」
 加賀壬の情けない声に北村が答える。
 「大丈夫! みんな一度は何もできなかったんだから。それを知ってるから。あの頃には戻りたくない。みんなそう思ってるよ。絶対にね!
 さ、みんなを探そう! もう一度頑張ろうって。励まし合おうよ。
 だって仲間でしょ?」
 北村はそう言って加賀壬を抱え込むようにして立たせた。スカートについた埃をぱんぱんと叩いて落とす。
 「さ、行こう!」


第二章

 B組に戻ると山崎の姿はなかった。だがまだ生徒の姿はある。と、見回す北村の目に金居がベランダの手すりにつかまって歩行訓練をしているのが見えた。その脇に彼の松葉杖がある。超常研の仲間である彼は最初のチャレンジで右足の筋を痛めていた。通常の歩行には支障がないのだが、階段の上り下りには時間がかかるし、ましてや走ることはまだできない。そこで彼は完全復帰を目指し、わずかな時間を見つけてはこうして努力していた。
 加賀壬はその姿に頭が下がった。みんな頑張っているんだ、と。
 北村は立ち止まった加賀壬を残し、小走りで窓際まで駆けていった。
 「金居君! 山崎君、もう帰った?」
 「え? いや、見てないよ。でもまだ学校にいるだろ?」
 金居は北村に山崎の机を指さして答えた。彼の机の横には鞄がまだかかったままだったのだ。
 「そっか。じゃ、佐伯君のとこかな? サンクス! 頑張って金居君、復帰待ってるから!」
 「おお!」
 金居は元気に答えると、また手すりにつかまって足を大きく屈伸させて歩き出す。その様子を見守っている友達が北村の事でひやかすのが聞こえた。なにしろ北村の美貌は有名だったから。
 今度はC組に行くと、北村はまだ残っておしゃべりをしていた男子生徒に声を掛けた。「佐伯君はもう帰っちゃった?」と北村が聞くと彼は目を輝かせた。
 「あー、キタさんも佐伯狙ってるンだぁ! モテるよなぁ、佐伯のやつー!
 キタさん、あいつ狙うンならライバル多いみたいだゾっと」
 「違うって。探してるの。ただそれだけよ」
 呆れて両手を広げる北村に、その男子生徒はケラケラ笑った。
 「あっはっは。分かってるって。キタさんの趣味は知ってるよ。
 佐伯なら部活行ったよ」
 「そっか。剣道部だったよね」
 「うん。多分剣道場でしょ? そー言えばさーあいつの胴着姿って格好いいって女子の噂だぜ。キタさん、趣味変わるかもな、今日が新しい目覚めってやつ。はっはっは!」
 「黙れポチ! 勝手に人のプライバシー捏造(ねつぞう)すんじゃないの! ったくぅ、高校生なんだからさぁ、少しは年齢らしくしなって。あたしが惚れちゃうくらいにさぁ!」
 ポチと呼ばれた戌井はまたげらげら笑った。北村の理想の男性像は彼の姿とは似ても似つかぬ事が良く分かっていたからだ。
 「無理無理! DNA段階からして無理だって。僕にゃキタさんの嗜好は満足させられませーん!」
 「こいつは! で、小島君は?」
 「こじま? げっ! キタさん、佐伯のことは前振りでひょっとして小島が本命? ホントに趣味変わったねぇ」
 「な! ぐ! る! わ! よ!」と歯を食いしばったまま不気味に宣言する北村。
 「冗談だって。あいつならさっき帰ったよ。なんか暗い顔してさ。とぼとぼと」
 「んー、そっか。んじゃ情報サンクス。あんたも馬鹿ばっか言ってないでちゃんと彼女探しなよ、ポチ」
 戌井に別れを告げて二人は剣道場に向かった。
 「友達?」と加賀壬。
 「あ、ポチ? あいつも西中。なーんかここ、各クラスに何人かづついるんだよね、知り合いが」
 「で? キタさんの嗜好って?」
 「ぎっくぅ! あ、ま、いいからさ、気にしない気にしない! さ、剣道場行こ!」
 北村は手をぶんぶん振ってごまかした。加賀壬はとても気になったが、とりあえず今は追求は諦めた。他にすることがあったから。

 体育館の脇にそれはある。まず柔道場の入り口を越えて剣道場に着く加賀壬と北村。中に入るかどうか悩んでいたが、ふとここから隣の柔道場で稽古する姿が見えることに気が付いた。こっち側の壁には通気を良くするために格子窓がずらっと着いていたのだ。
 「どーせ同じ造りよね。じゃ、隣の卓球場の方から見えるのかも」
 北村に連れられて奥の方に回り込む。土足になるのに一瞬加賀壬は躊躇したが、北村は全く意に介さずに芝生を踏みしめて進んでいく。待っているわけにもいかずに後を追うと、思った通りに格子があり、中の様子が見えた。
 どうやら一対一で向き合って練習しているようだ。ずらりと部員が並び、片側が一斉に竹刀を振っている。
 面を着けた状態では良く分からない。佐伯君も山崎君も、どこにいるんだろう。そう思ってきょろきょろしている時だ。北村が加賀壬の袖を引っ張った。
 「ほら、向こうの隅! 廊下の所!」
 見ると二人がいた。びっくりする加賀壬。佐伯と山崎は面を取った状態なのですぐに分かった。しかし、二人とも正座している。しかも廊下に。目をつむり、じっとしている。握った両手を正座した足の上に乗せたまま。
 「どうしたのかな? 怒られてるみたい」
 確かに今、座っているのは二人だけだ。みんな彼等を無視して練習している様に見える。
 きっと怒られたんだ。加賀壬は思った。私みたいにぼーっとしてて、先輩に怒られて、それであそこに・・・。
 加賀壬は目を反らした。全部私のせいだ。私の・・・
 落ち込んでいると、北村が歩き出した。振り向くと、剣道場の入り口の方に彼女は戻って行く。とまどいながらも着いて行く加賀壬は北村が剣道場に入ろうとするのを見てびっくりした。
 「ちょ、ちょっとまりちゃん!」
 加賀壬が止めようとした時、後ろから声が掛けられた。びくっと身をすくめる加賀壬。振り向いてその声の主を見る北村。
 「今日は男子の練習日よ。何か用? 女子部なら体育館よ」
 そう言うのは二年を示す青いラインの入ったジャージ姿の女子だ。厳しい目で加賀壬たちを睨んでいる。
 「用がないなら帰って。練習の邪魔!」
 「聞きたいことがあって。あの、マネージャーさんですか?」と北村。先輩は無言で頷いた。
 「あたし1年B組なんですけど、クラスメートの山崎君を探してまして・・・」
 北村はしれっと言ってのけた。まりちゃん、A組なのに。そう加賀壬は思ったが、黙ったまま北村に任せた。
 「昨日貸した古文のノートを返して貰う事になってたんですけど、掃除が長引いちゃって。先生にやり直しさせられてたんです。で、クラスに戻ったら山崎君、いなくて。鞄があったんですけど、勝手に開けるのも・・・」
 北村はそうべらべらと勝手な事を言い始めた。うーん、まりちゃん、すごい。加賀壬は思った。ひょっとしたら才能かも。
 「残念ね。あと、えっと20分程で多分一回休憩が入るけど、彼はずっと出てこないと思うわよ。黙想してるから」とマネージャーが答えた。
 「黙想、ですか?」と北村が知らん顔をして、まるで初めて知ったように言う。
 「そう。佐伯と二人でね、部長にお願いして今日は一日そうしてたいって。
 実力はあるんだけどね、まだ新人だから。多分何か壁にぶつかったのね、高校のレベルと中学じゃ違うから仕方ないけど。
 今はきっと考えたいのよ。何て言うのかな、見つめ直したいんでしょ、自分を。だから今日はだめ。そっとしておいて。いい?」
 「そうですか・・・」
 「ここにいると、いろいろ噂の元になるわよ一年生。さ、帰った帰った!」
 マネージャーに追い立てられるように二人は校舎に戻っていった。

 佐伯は考えていた。この二回の戦いを。一つ一つ思い出していた。選択肢に誤りはなかったか。どこかで小島の心を知る手だてはなかったのか、と。ずっと考え込んでいた。
 その隣で山崎は何も考えずにただじっとしていた。心を空にする。今彼の思考は組んだ手の親指。付くか付かないかというぎりぎりの距離に保たれたその指の間にある小さな空間にあった。己の総てをそこに閉じこめ、空にしていたのである。
 佐伯も山崎も手段こそ違えど、同じ事を目指していた。より高みにある自分。そこに到達すべく。


 加賀壬たちが体育館を抜けてそのまま会室に行くと、張り紙があった。今日は会議があって新入生はお休みらしい。しかし、会室の鍵は開いていた。そこで二人は灯りを点けて椅子に座った。
 「佐伯君たち、闘ってるんだね」
 ぽつりと北村が言った。加賀壬は無言で頷いた。
 「大丈夫だよ、あの二人は。小島君の事は今はそっとしとこ。あたしらよりも佐伯君たちの方が親しいんだから。ここで初めて会ったあたしらよりもね」
 北村は加賀壬を元気づけるように、にこっと笑った。つられて微笑む加賀壬。
 「んー、それそれ。宏子ちゃんはその顔が似合ってる。そうやって元気にしてて。大丈夫だよ。だから安心して」
 「でも、また空回りしちゃうかも、私。私は周りが見えなくなっちゃうから・・・」
 そう言ってうつむきかけると、ばん、と肩を叩かれた。
 「空回り結構。それは宏子ちゃんが頑張って回ってるからだモン。
 空回りっていうのはね、周りのギアがくっついてないからだよ。周りが自分を見失って、それで縮こまって手を伸ばせなくなっちゃうからだよ。だから周りが頑張ればいいの。加賀壬に負けるかってね。
 何度も言うけどね、宏子ちゃん、私、絶対負けないからね、あなたに。覚えといてよ。次は、ぜぇーったい頑張って、あなたと一緒に笑うからね。
 私、負けるの嫌いだからね。何も出来ないのはもっと嫌いだからね。
 だから、一緒に頑張ろう!」
 加賀壬は涙が溢れてくるのを感じた。でも、この涙はイヤじゃない。そう思った。涙を流しながら加賀壬は微笑んだ。そして北村の肩に顔をうずめた。


 第三章

 美咲たちが会議を終えて会室に戻って来た時、二人は超常研のファイルを色々と引っぱり出し、過去の事例を調べていた。戦闘や魔性毎の特製を研究していたのである。
 「あれ、加賀壬さんたち・・・」
 無人だとばっかり思っていた会室の机一杯にファイルを広げていた二人を見て、先輩たちはびっくりした様だ。一人、美咲会長は新入生の会釈に肯き返すと無言で会長室に入っていった。だが残りのメンバーは適当に座り込み、懐かしいファイルを見ながらわいわいと騒ぎ始めた。
 「あー! これこれ、なっつかしー! 最初のガスガンじゃん! 試作品だよ」
 「おい、クリスマス事件のがあるぜ」
 「うわぁ見ろ見ろ! スキンヘッドの権田先輩だぁ!」
 皆それぞれに目の前にあるファイルに見入っている。「あ、すみません、後で片しますから」という加賀壬の声も聞こえていないようだ。二、三年生は実働していないメンバーも含めて随分たくさんいるのだが、今日の会議は非実働メンバーも加わって行われたようだ。見たことのない先輩が何人もいる。その顔をきょろきょろと見ていると、シュンと共に副会長を勤めるサー先輩が二人に声を掛けた。
 「君たちは今日はお休みのはずだよ。体を休めるのも大事な仕事だ」
 その声に非難の色はなかった。それはいたわりの声だった。
 「す、すみません、一度見てみたかったので・・・」と北村が謝りかけた時、姫、こと美咲真由美がサーに向かって声を掛けた。
 「今はねぇ、この子たちはこうしておしゃべりしてるのが、一番いいんだよぉ。回復ってゆぅのはぁ、元気になることでしょ? 今は一人じゃだめなの。こうして二人で仲良くしているのが一番元気になれるんだよぉ!」
 とても背の低い姫は、長身のサーを見上げながらそうにこやかに言った。
 加賀壬と北村は顔を見合わせた。そうか。きっとそうなんだ。二人は喜んだ。分かってくれる先輩がいる事に。その光景を黙って見ていたシュンは加賀壬と目が合うと肯いた。加賀壬も肯き返す。
 「ありがとうございます姫さん。そうなんです、今、すごく元気が出てるとこなんです」
 北村がそう言って姫に笑顔を向けた時、会長が戻って来た。
 「北村さん、加賀壬さん」
 「はい」と二人。先輩たちは会長の言葉を邪魔しないようにみな静かになった。
 「先ほどまでの会議はパーティ再編が議題でした。負傷者も多いですし、退会者も多数出ていますので。
 あなた方のパーティはそのまま存続する予定ですが、他のメンバーの回復状況はどうですか?」
 美咲は二人の新入生にその厳しい眼差しを向けた。北村がその視線にびびるが、既に加賀壬は慣れっこになっていた。美咲会長は真剣に何かを話すときにはこういう表情になるのだと知っていたから。だから、加賀壬は動ぜずにいつもどおりに答えた。
 「佐伯君と山崎君は部活に出ています。今日は二人で練習を抜けて剣道場の廊下で正座していました。小島君には今日は会っていないので分かりません」
 その答えに頷いて何か考え込む美咲由美。書記の朝臣が二人に声を掛けた。
 「正座って? まだHPの損害が直ってないのかなぁ。見学しなきゃいけない程・・・」
 「あ、マネージャーの先輩が言うには、自分を見つめ直しているんだそうです」
 加賀壬がそう朝臣に答えた。
 「うーん、まだ悩んでいるのか・・・」と朝臣は困った顔になった。しかし、その朝臣の言葉を、がっはっはと部屋を揺るがす程の声で笑い飛ばした者。元帥だ。今日は部活を休んだのかその姿は柔道着ではなく制服のままだった。
 「何を言っとるんだ、朝臣。吹っ切れたんだろ。だから瞑想してるんだ。座禅みたいなもんだ。
 もしもまだ悩みがあるなら、そんな事していられるか。体が疲れてくたくたになるまで稽古しまくるだろうよ。荒れてるな、とか部長に言われながらな」
 それを受けてサーが続きを話す。
 「そのとおりだよ。僕も経験あるからね。あの時は一晩中スイングしてたよ。他に何も手につかなくてね。
 静かに正座しているのなら大丈夫だ。先が見えたんだよ。きっと」
 「そうそう。んで、雑念を払って、自分を高めようとしてるんだろ。相原部長が付いてるんだ、剣道部に任せておけ」
 にやりと笑う元帥。朝臣は何かぶつぶつ言いかけたが、美咲会長が口を開こうとしたのを見て黙った。
 「北村さん、加賀壬さん。残念ですが小島君はリタイヤです。退会届が出されました」
 その声に二人は口をあんぐりと開けるほどびっくりした。しかし、周りの先輩たちは俯いただけだった。予想が付いていたからだ。
 「そこで代理要員として補充を検討していたのですが、今日運良く欠員が補充できました。丁度よいので紹介しておきましょう」
 美咲はそう言って部屋の隅を向いた。そこにたむろしていた数名の先輩の中から一人の女生徒が前に出てきた。はにかみながら頭を下げるその人。咄嗟に返礼しながら見ると、上履きのラインは赤だった。
 三年生? 
 ちょっと面くらいながら加賀壬はその先輩を見た。整った顔立ちは綺麗というよりかわいい感じだ。髪はセミロング風だが、前髪は右に流している。背格好は確かに先輩らしく成長しているが、その顔立ちはなんだか同じ歳くらいの印象だった。
 「え、昆先輩?」
 北村が素っ頓狂な声を上げた。加賀壬が振り向くと、丁度立ち上がった北村の顔がぱっと喜びに満ちたのが見えた。
 「じゃ、じゃあ別館、決まったんですか!」
 昆、と呼ばれた三年生が嬉しそうに頷いた。
 「予定通り来年6月にオープンになったの。それで私は卒業したらそこに務めることに決まったの。だから、来たのよ。まだ会員募集しているか不安だったんだけど・・・」
 「よかったぁ! 
 宏子ちゃん、この人ね、天使隊の人で、私にファーストエイドを教えてくれた先輩なの!
 昆先輩、一緒に行けるんですね! 嬉しいです!」
 北村は本当に嬉しそうだった。ややあって美咲会長が三人を向かい合わせた。
 「改めて紹介します。昆さん、この二人があなたのチームメイト、加賀壬宏子さんと北村茉莉香さん。彼等はMP戦メンバーで、他に剣道部の一年生、HP戦メンバーが二人います。
 で、こちらが昆愛姫(こん いつき)さん。三年生ですが、今日入会したばかりの新入会員ですので、あなたたちと組んで貰います。
 昆さんのお家はホテルを経営されています。卒業後にそこに就職が決まりましたので、早速今日、兼ねて念願だった超常研に入ってくれました。昆さんは新入会員ではありますが天使隊として長く活躍された方。当会のバックアップメンバーに勝るとも劣らない経験を持っていますし、彼女によって救われた命もたくさんあります。危険を省みずに献身的に奉仕する姿は創設者の殿下先輩に感銘を与えた程です。
 ここだけの話ですが。昆さんは殿下先輩が唯一、個人識別出来た天使隊のメンバーです。あの人は後輩の顔と名前を覚えるのがとても苦手な人でしたから」
 どっと笑いが起きる。そう言われた昆は、殿下の付けたあだ名を思い出して真っ赤になっていた。「股すり」である。戦闘中に敵の股間をくぐり抜け、倒れた仲間を救い出したから付いた名だ。当然本人は夢中だったのでそんな事は覚えていないし、他の人もどうしてそのあだ名が付いたのか教えてくれなかった。辞書で調べてみたら、「股すり」の異名を持つ猫の様な妖怪がいた。よく彼女は犬型だと言われている。それなのに、なぜ猫の妖怪なのだろう。全然意味が分からなかった。結果、殿下が素直にその勇気を褒め称えて付けたあだ名は、彼女には赤面の基でしかなかったのだ。
 「昆さんはMP戦も担当しますが、基本的にはファーストエイドと通信を受け持って貰います。二人とも良い機会ですから、先輩に技術指導してもらいとよいでしょう」
 会長の言葉に加賀壬は思い出した。自分も応急処置を習おうと思っていたことを。そうだ、まりちゃんと一緒に教えて貰おう。
 「あ、あの先輩、私にも教えて貰えますか、救命措置!」
 「はい、喜んで」と答えて、昆は嬉しそうに笑った。
 そうか、この人、自分が頼りにされるのが嬉しいんだ。加賀壬はそう悟った。すっごく内気そうなのに、お願いしたらとっても嬉しそうだから。
 ああ、いいなぁ。こういう笑顔。いいなぁ。
 加賀壬は昆の笑顔に見とれながらも、自分も笑顔になっていた。


第四章

 家に帰りお風呂から部屋に戻ると、お嬢様から加賀壬宛のメッセージがあった。びっくりしてその番号に掛けるとメイドだという女性が出た。わたわたしながら名前を名乗ると、案ずるよりもあっさりと取り次いでくれたのに吃驚する加賀壬。なにしろ彼女の名前が本条総本家のVIPリストに新規登録されているなどとは知らないから。
 緊張の中、電話から本条百合恵の涼やかな声が響く。
 「今晩は宏子さん。お電話頂けて光栄ですわ。お話ししたい事が御座いましたの」
 「は、はい! な、なんでしょうか、先輩!」
 加賀壬の声は1オクターブは上がっている。その声にくすっと笑む本条。
 「そう堅くならないで下さいまし。先にお電話差し上げたのはわたくしですから。
 実はですね、宏子さんが愛姫(いつき)さんとパーティを組まれたとお聞きしましたのよ。わたくし、嬉しくてついお祝いの言葉を申し上げたくなりましたの」
 加賀壬はほっした。その内容なら彼女の理解の範囲内だったからだ。
 「あ、ありがとうございます先輩! わ、私も嬉しいです!」
 「あら、お気に召しまして?」
 その言い方ではまるで昆が本条のものの様だ。だが加賀壬は気づかずに素直に答えた。
 「はい! とっても優しそうで、それで、えっと・・・、何だかすごく一生懸命な方だと感じました!
 まだお会いしたばかりですが、うまくやって行けそうです!」
 その声に本条は細い目をさらに細めて喜んだ。
 「そうだと思いましたのよ。わたくし、愛姫さんの事はあの方が一年の頃から良く存じ上げておりますの。何というのかしら、宏子さんと似ていらっしゃるんですのよ。お二人とも頑張り屋さんですもの」
 そうか、本条先輩にそう言われるとなんだかもっと自信が出てきた。加賀壬はしっかりと電話を握って答えた。
 「はい! 先輩のご期待に沿うように、一生懸命頑張ります! そ、それとお花、ありがとうございました!」
 本条はパジャマ姿の加賀壬がそう言いながら頭を下げている姿を思い浮かべてまた目を細めた。
 電話を切った後、百合恵はまたふっと微笑んだ。「先輩」、か。いつ「お姉さま」になるのかしら、と。

 次いで今度は昆に電話を掛ける。彼女はお姉さまからの電話に舞い上がっていた。
 「宏子さんは必ず超常研の中核になる方。これからはぜひお側で守って差し上げて下さいましね」
 お姉さまにそう言われ、昆もか細いながら声を張り上げて「頑張り宣言」をした。きっと真っ赤になっているのだろう。興奮と恥じらいで。電話を切った本条にはその表情まで手に取るように分かっていた。

 昆は本条にとってかわいい妹の様な存在だ。真面目で一生懸命で、そしてとってもシャイで。だが、ただかわいいだけの飾っておく花ではない。昆はいざという時にとても頼りになる、天使隊の中核だった。絶対に諦めない。そしていつも最後まで、倒れるまで懸命に救命活動をしていたのを生徒会長だった本条は知っている。だからこそ、常に一番重要と思われる部署を任せていた。そして昆は常にその期待に応えてくれた。あの気まぐれな殿下でさえ、困難な任務のバックアップには必ず指名していた程だ。本条も知っていた。殿下が認識している天使隊の子は昆ただ一人だと。
 愛姫ならきっと宏子さんを守ってくれる。そして、あの子の念願だった超常研参加を、きっと宏子さんがサポートしてくれる。一石二鳥かつ適材適所とはこういう事だ。本条は己の思惑どおりに事が進んだのを知って満足そうに笑んだ。
 メイドに入浴を命じ、支度を待っている間も本条は上機嫌だった。今度の投資はうまく行った。もちろんその成果は業務実績によっても上げねばならない。彼女は個人的理由だけで本条総本家を動かす事はしない。一条家に付け入る隙を与えるからだ。
 一条雅臣。見ていなさい。わたくしは今度のホテルへの出資でさらに利潤を生んで見せます。あなたが予想だにしていなかった安定収入を。
 百合恵は最近お気に入りの美耶子というスレンダーなメイドに体を洗わせながら、静かな闘志を燃やしていた。

 その日の夜。朝臣からの電話でリトライの予定が加賀壬に告げられた。佐伯と山崎のOKが出たというのだ。新メンバーによる初チャレンジは、私立星ヶ崗中学。因縁の中学への再挑戦である。


第五章

 人気の絶えた星ヶ崗中の裏門の側で。アタックチームが全員完全装備で立っていた。ここは既にペンタグラムも崩れている。そこで今回は変則的に2パーティが準備されていた。まず第一パーティが第四の魔性を倒し、その乱れに乗じて第二パーティが突入、第五の魔性、ゲートキーパーそして魔王まで一気に蹴散らすのだ。
 露払いを務める第一パーティは新入生隊。佐伯をリーダーに、山崎、北村、加賀壬。そして三年ながら新入会員の昆。
 本隊たる第二パーティはシュンをリーダーにサー、元帥、美由美、姫。両チーム共にバックアップは連絡役が朝臣、そして指揮は美咲会長本人が取り仕切る。新生超常研最強メンバーである。
 「では作戦を開始します。第一パーティ<アタックチーム1>、出撃して下さい!」
 朝臣の声に合わせ、先頭の佐伯が前進し校庭に入っていった。次いで北村、加賀壬、昆。最後がしんがりの山崎。
 第二パーティは皆手を振って再会を約束した。

 校舎はあの時と全く変わっていないようだった。
 佐伯は木刀を構えたまま、油断なく周囲を警戒する。
 「こちらアタックチーム1。ベース聞こえますか?」
 昆が無線に話しかけると、前回同様に雑音の中かすかな声が聞こえる。それに進行開始を宣言する昆。
 「うーむ。全然変わってないようだな」
 佐伯の声に北村がうなづいた。
 「ってゆーか、なんか向こうはここ数日何してたんだろうね。ま、こっちには好都合だけどね」
 北村はもちろん、メンバーの全員が知らなかった。昨夜まで、ここをOBが守り抜いていたことを。

 佐伯が前進し、校舎に入った。今回は姿は消えない。まだ空間は捻れていないようだ。
 「毎回侵入する度に迷路みたいに変わるっていうからな。用心して行こうぜ」
 「でも、あれだけ迷ったから、ほとんど一回は行ったもの。知らない場所がないはずだから、なんだか気が楽ね」
 加賀壬がそう言うと、佐伯が前方を確認しながら反論する。
 「加賀壬ィ、気ぃ抜くなよ! 場所が分かってても、そこに何がいるのかは行ってみなくちゃ分からないんだから」
 「でもさぁ、宏子ちゃんの言葉も分かるよね。なんかこの前より、安心できる」
 「北村、お前もかぁ」
 佐伯が立ち止まって困った声を出す。しかし、そこに昆のおどおどした声がした。
 「あ、あのぅ、それでいいと思います。
 え、えと、緊張しすぎて硬くなるよりは、その方が」
 そりゃ確かにそうだが。佐伯は気を抜くなと注意したいのだが、相手が三年なので躊躇した。その沈黙の中で昆が続けて言う。
 「見て下さい佐伯さん。佐伯さんが振り向いたら、北村さんは前を、山崎さんは後ろを警戒しています。
 宏子さんはすぐにライトを強く出来るようにレバーに手をかけていますし」
 昆にそう言われ、加賀壬は無意識の内にメットの前に当てていた手に気が付いた。そういえばそうだ。
 「ね? 皆さん、気が楽とおっしゃいながら、ちゃんと緊張感は保ってます。
 あの、私はアタックチームには初参加なんですが、バックアップでいろんなパーティ、見てきました。その経験からなんですが・・・
 このチーム、すごくいい状態です。私、こんないい所に入れて、皆さんとご一緒できて嬉しい・・・です」
 最後の方は感極まったように途切れた。佐伯は仲間を見た。そうだな。最初の時は無我夢中だった。二回目は不安で一杯。でも、今は違う。
 「そうですね、昆先輩。分かりました」
 佐伯の言葉に昆はふるふると首を振った。
 「あ、あの、私も新入会員ですし、初チャレンジですから、先輩は・・・皆さんの方・・・です」
 「い、いや、しかし、自分たちもまだ三度目ですから」
 「ゼロと1の差は、1と10の差よりも大きいです。皆さんこそ先輩で・・・」
 佐伯はあわてて手を振って答えた。
 「自分たちは一年です。そして昆先輩は三年。それにアタックチームこそ初めてでも、天使隊でずっと活躍されていた方ですから、先輩です」
 「活躍なんて・・・そんな・・・」
 真っ赤になるその顔にくすっと加賀壬が笑った。かわいい人だ。本当に。
 うむ。確かに良い状態だ。困り果てる昆の後ろで山崎はそう一人で納得し、頷いていた。

 彼等の前進は続いた。
 先頭の佐伯はいつもながら剣道の防具に木刀だ。しかし、前回、中学時代の防具は壊れていたので、今回のは高校指定のものだ。左胸と前垂れに「1−C佐伯」と真新しい白文字で入っている。さらに木刀の刃の根本にライトが縛り付けてあった。これで構えながら前を確認できる。二年のみゆみ先輩がスイッチも木刀の握りに固定してくれた。小手で握りしめるだけで点灯する様にしてくれたのだ。
 最後尾の山崎も同じ装備である。ただ、彼は佐伯と違い、面を外していた。その代わりに戦国時代にあった様な額と耳を守る簡単な防具を付けている。彼は後方警戒が多いので視界を保ち、尚かつすぐに振り向けるようにこれを選んだのだ。また今回は背中を守るために胴着の下に鎖帷子を着込んで来た。家にあったもので一番薄い物とはいえ、それでも十分に重いが、山崎の体力は佐伯を遙かに凌駕する。特に足腰の強さは中学時代ライバル校の剣道部でも定評があった。粘りぬいて長期戦に持ち込み、双方共に疲労した段階でさえ、なおも数メートルを一気に飛び、面を取る。試合では何度もそれをやってのけ、この地域では有名だったのだ。あいつには開始早々速攻で一本取らないとまずい。他校の生徒たちにはそう噂になっていた。その体力に物を言わせ、ちゃらちゃらと音を立てながら、いつもどおりの歩調で歩む山崎。
 山崎と佐伯はそれぞれデイパックとバックパックを背負っている。北村がそれなに? と聞くと、彼等は食い物と飲み物だ、と答えた。そう言われてみると、歩くたびにちゃぷちゃぷとペットボトルが揺れるような音がしていた。佐伯が言った。長期戦に備えて用意してきた、と。長期戦。その言葉を聞いて瞬時北村の顔が歪むが、「休憩は何時ですか」と真顔で聞く昆に思わず吹き出していた。
 その北村は加賀壬同様、いつもの装備だ。ただ照灯係の小島がいなくなったので、北村は購買で大きな懐中電灯を買って来ていた。予備の電池もバックに入っている。彼女も実は長期戦覚悟で来ていたのだ。その分装備が重くなったので、軽量化を図り、思い切って貯金を降ろしてカメラを新調したのだが誰もそれに気づかなかった。それが北村には悲しかった。とーっても。この前までのはモードラとコマ間データパックが下部に付いていた。全金属製ですこぶる重い。でも今日は買ったばかりのモードラ内装型だ。大きいのだが外装がプラ成形なので、前のよりは十分に軽い。外観もつるんとしている。一目で違いが分かるだろうに。わざわざ写真雑誌の後ろに付いていた広告を調べ、東京は高輪まで行って一番安い中古の掘り出し物を見つけて来たのに。どーしてみんな分かんないのかなぁ。北村は悲しく思った。
 一方、加賀壬は制服にヘッドライト付きのヘルメット、ミレーのバックといういつもの装備だ。武器はもう手に馴染んでいるピッケル。そして予備のナイフも胸にある。今回は右のポケットにビニール袋を仕込み、先輩に貰った清めの塩を一杯詰めてきた。
 初参加の昆も制服のままだ。しかし、米軍式の幅広ベルトを付けていた。色が黒なので警察用だろう。そこに両サイド、そして後ろと三つの黒いポーチを下げている。ポーチの間には銀色に鈍く光る大きな乾電池の様な筒状の物体が三本挿してあった。それが何なのかはチームの誰も分からなかったが。さらに京都の市澤帆布から通販で買った薄手のショルダーバックを背負っている。そして右手にはシュアファイアーの短いライト。それをフィンガーレスタイプの手袋の外側、甲の部分にテープで無理矢理固定している。そのスイッチは佐伯達のと違い、一回押したら常時点灯になるようにしてあった。もう一本、単四型のとても小さなマグライトを首から下げていたがこれは予備のようだ。頭部には通話用ヘッドセットを付けている。無線機本体は市澤帆布のバックの中らしく、スパイラルコードがそこに伸びていた。昆の装備には外見上武器らしい物は見えなかった。戦闘ではなく治癒専門なのだろう。仲間はそう思っていたので別に聞かなかったが。


第五章

 階段に到着した彼等は一旦歩みを止めた。一塊りになってから、ザイルの順番どおりに前進を開始する。
 佐伯が思った通りに姿を消した後、すぐにそれを追って北村が、加賀壬が続く。
 四番手は昆愛姫。どきどきしながらそぉーっと足を伸ばす。でも、やっぱり一瞬躊躇する。それはそうだ。彼女は<跳ぶ>のは初めてだったのだ。昆は興奮していた。話には聞いていたが、ついに自分にもその時が来たか、と。緊張しながらその数センチを味わう昆は、視線を感じてはっと後ろを振り向いた。そこには困った顔の山崎がいた。
 あ、そうか、いそがないと。
 「ではお先に」
 深々と頭を下げる昆につい連られてお辞儀をする山崎。彼が顔を上げると、もうそこには昆の姿は無かった。
 ちょっととまどいながら、歩みを進める山崎も消えた。

 出た所は校庭だった。
 真正面で、佐伯が操られた生徒に斬りかかっていた。山崎はすぐさま前に飛び出して構えた。生徒は佐伯の渾身の一撃を食らい、バランスを失った。
 「北村今だ!」 
 北村が飛びかかる。男子生徒が咄嗟に右手で彼女をなぎ払おうとした途端、北村の左手にあるストロボが光った。びくっと動きを止める生徒。
 「加賀壬! 腹を!」
 佐伯の声に答えて北村の影から飛び出した加賀壬が上下逆にした状態で両手に握ったピッケルをフルスイングした。気配を察した生徒が避けようとするが、腹は動きが遅い。どんっという手応え。生徒はどさりと倒れた。
 「一本! それまで!」
 佐伯がそう言った時、すでに昆は走っていた。その顔は口をきっと結び、目も鋭い。思わず北村は脇にどいて彼女のために道を開けた程の迫力だ。昆はそのまま駆け寄り、倒れた中学生のベルトを外し、ワイシャツの裾を引き抜く。ついで首から下げたペンライトを口にくわえ、腹部を調べた後で下に着込んでいたTシャツと一緒にワイシャツをたくし上げ、佐伯の一撃を受けた胸を確認する。最後にペンライトを片手に持ち直し、生徒の瞳孔をじっと調べた。
 その行動は澱みが無くなめらかだった。みなが見とれるほどに。
 昆はチェックを終えると、ほーっとため息をついた。その顔はもういつもの穏やかな表情に戻っていた。
 「骨、内臓共に異常ないようです。内出血だけですね。信じられないくらい丈夫です」
 報告しながら右のポーチから湿布薬を出す昆に北村が声を掛けた。
 「魔性に操られてる生徒はその間、すごく強くなるんですって。でもそれも潜在能力を引き出しているだけだから、快復にずいぶん時間がかかるらしいんですよ、先輩」
 「そうですか。つまり寿命を削っているようなものですね・・・
 ・・・許せません」
 昆が手際よく中学生の手当を終え、その体を抱えようとした時、しゃがみ込んだ山崎が手を貸し、結局彼がそばの植え込みに生徒を横たわらせた。
 「操っている魔性を倒せばいいんですね。そうすれば・・・」
 昆の言葉に無言で頷く山崎。

 「よし、行くぞ!」
 佐伯の言葉にまた全員が歩み始めた。

 校舎に入ると、彼等は屋上にいた。一気に地上から舞い上がった事になる。ここは憩いの場なのだろうか、花の植えられたプランターがベンチと一緒に並んでいた。しかし、魔性に支配された今、その花はしおれ、枯れている。
 「なんだこの臭い・・・」
 佐伯は顔をしかめた。何か腐ったような、それでいて甘ったるい臭い・・・。周囲にはそれが満ちていた。自然と円陣を組み身構えるパーティ。出口は屋上の反対側にある。ゆっくりと移動するが、その臭いは徐々に強くなる。胸が悪くなる臭い。
 「お、おい・・・」
 目の前にゆっくりと形造る物を見て、佐伯は言葉を失った。
 それはプランターからにゅるにゅると出てきた植物の根の様なモノだ。鞭みたいな姿だが、根腐れしている。ぐじゅぐじゅいいながら伸びる根が集まり、人の形になった。身の丈2メートルは優に越すサイズだったが。
 「えーと、シャンブリングマウンドとか言う奴かな? アメリカの民間伝承にある沼人かな? は・・・はは・・・」
 加賀壬がひきつった顔でそうつぶやく。と、そいつは思いの外、素早く動き出した。右手がびゅんとうなりをあげてパーティを襲う。避け損ね、足をもつれさせた昆がどさりと倒れた。それを助けようとした山崎が触手の直撃を受ける。
 がしっという音と共に屋上の床に叩きつけられる山崎。佐伯が救援に行こうとした時、山崎の声が響いた。
 「今だ!」
 はっとしてよく見ると、山崎は植物の伸びた根を木刀でしっかりと床のタイルに押さえつけていた。弾かれながら身をかわし、逆に全体重をかけ、それを固定していたのだ。
 「りー・・・
 っりゃ!」
 片腕の自由を失った化け物に佐伯が斬りかかる。しかし、実は失っていたのは片腕だけではなかった。こいつは蔓の様な根っこの集合体だ。だから左右の腕はカッパの様に繋がっていたのである。だからこそ、3メートルも伸びたのだが、それを押さえられた今、もう片方の腕は全長15センチ程しかない。木刀を避けることもできずに直撃を受ける怪奇植物がっぱ。続いて北村が蹴りをいれるがそれも避けることが出来ない。だが、さすがは植物。損傷を他の蔦でカバーし、すぐに立ち直る。まずい、と佐伯は思った。山崎もいつまで押さえられるか分からない。すぐに勝負を付けないと・・・。
 その時、気の抜ける声が聞こえた。「そーれっ」というお昼の屋上バレーボールの様な掛け声。
 間違いない。いつものことだ。加賀壬だな。
 振り向く佐伯の目に化け物の向こう側にいる加賀壬がちらりと見えた。昆も一緒だ。何をしてるんだ、この非常時に。と思った時だ。びくびくっと光合成がっぱが揺れた。
 「はぁ?」
 加賀壬と昆が何かきゃあきゃあやっている。そのたびにびくっと揺れる敵。すると、見る見るそいつは小さくなって行く。しおれていくのだ。その背丈が人間並になって、佐伯はやっと分かった。二人はプランターからこいつに伸びる根を切っていたのだ。
 「あ、先輩、そっち太いの残ってます!」
 「え、きゃあ、びくびく動いてるぅ! えい! こいつめ! えい!」
 二分後。かっぱは異臭を放つ、しおれた草の固まりになった。
 佐伯は手を貸して山崎を立ち上がらせた。
 「無事か?」
 「うむ」
 「背中の荷物は・・・」
 そう言われ、山崎は少し離れた所に置いてきたバックをあごで示した。
 「大丈夫だ。少し揺すったが。大したことはないだろう」
 「そうか。大事な荷物だ。頼むぞ。俺も注意して運ぶから」
 二人は肯き合った。
 「ああっ、愛姫(いつき)先輩! やっぱりありましたよ、根っこの下に!」
 加賀壬が掌程の大きさの素焼きの壺を掲げた。その壺には奇妙な文字の記された封印がしてあった。霊水である。
 「こ、これが・・・。霊水・・・」
 昆は目を見開いてそれを見つめていた。
 「はい先輩!」
 「え?」
 「愛姫先輩がとどめを刺したんです。だから先輩のものですよ。はい!」
 「え? そんな・・・。こんな大事な物を・・・」
 「いいじゃないですか。倒した人が所有権を持つんですし、愛姫先輩が持っていた方が確実です。先輩が、霊水を必要とする人を見つけるのが一番うまいはずです。誰かが倒れたら、それでお願いしますね」
 そう加賀壬が言いながら霊水を渡した。昆は宝物を持つかのようにそれを受け取った。
 そう、彼女にとってこれは宝物に違いないのだ。天使隊がどんなに手を尽くしても守れない命。それをこれが救うのを何度も見てきたのだから。そして、これが無かったが為に、苦しげなうめき声を上げながら、担架で運ばれていく大勢の生徒の事も。昆は今でも夜うなされることがある。生徒たちの苦しげなうめき声に。そうだ。これさえあれば。あの時、これがあったなら・・・あの人たちは・・・。
 気づかない内に昆は涙を流していた。びっくりして先輩を見つめる加賀壬。どこか怪我したのかと思い、昆の体を見回す。
 昆の気持ちを察していた北村は加賀壬の肩に手を置いて首を振った。

 階下に降りるはずの階段は直接職員室に通じていた。前回、下敷きに強襲された場所だ。だが、今回の待ち伏せは操られた生徒だった。しかし、どうやら生徒にも個人差があるらしい。のっそりとしたこの生徒は折角不意打ちで最後尾の山崎を狙ったのに、なぎ払われた木刀の一撃で気絶してしまったのだ。
 昆がその中学生の傷を確認しに前に出た時、急に声を上げたのでみんなびっくりした。
 「こ、この子!」
 昆が大慌てで背中のポーチから銀色に光るケースの様な物を出した。
 「本当はお注射なんて免状も持っていない私がしてはいけないんですけど、とにかく早急に・・・。間に合うといいけど・・・」
 また口にライトをくわえ、手元を明るくしながら慎重にアンプルを注射器に移し、生徒に打った。
 その後で神妙な顔でライトを持ち直し、手慣れた手付きで瞳孔と口内、唇の色と見て、続いて全身を調べだした。
 「どうしたんですか、先輩?」
 「この子は・・・
 この子は大上裕太君。先天性の循環器疾患を持っているんです。行方不明になって一番生死を案じられていた子。どうやら症状は出ていないみたいだけど、本来ならとっくにお薬が切れているはず。
 多分魔性の影響かしら。でも・・・。戻ったらとても危険な状態のはず・・・。すぐに透析しないと・・・」
 加賀壬はびっくりしていた。そういえばアタック前に渡された資料に、行方不明者全員の詳細なリストがあった。ざっと目を通して置いたはずだが。昆先輩はその全員を覚えているのかもしれない。なにせ、彼女が参加する理由は行方不明者を救出するためなのだから。そのリストを総て記憶していてもおかしくないのだ。いや、彼女なら絶対に覚えているだろう。総ての行方不明者とその健康状態を。
 「愛姫先輩・・・。
 前回、先輩がいてくれたら、私たち、見失わないで済んだかもしれません・・・」
 加賀壬のかすかな声は、治療に夢中になっている昆には聞こえなかった。しかし、仲間の耳に、心には届いていた。
 救出。命を大切にすること。この先輩と一緒ならそれを忘れることはないだろう。もう二度と。

 彼女が治療を終え、大上君をカーテンでこしらえた即席ベッドに寝かせた後、また一団となって前進するパーティ。北側に当たる戸を開け、佐伯が廊下に出る。どうやらこの戸は<跳ぶ>ものではないらしい。五人は廊下に立った。
 右手には通路が伸び、突き当たりに階段が見える。左手はすぐに階段があり、通路はさらに先に伸びている。
 「さて、どっちだろうな」
 そう佐伯が言いかけた時、山崎が左手を挙げて声を遮った。彼がそのまま周囲に視線を向けると同時に、全員に緊張が走る。佐伯がそちらを見ているのに気づいて、北村が代わりに右の階段へ警戒の目を向け、残りのメンバーが周囲を確認した。
 「どうした?」
 「音が・・・」
 またか! 昆を除く全員が例の目玉を思い出した。周囲に走る懐中電灯の光り。
 その時。北村は見た。壁に伸びる影を。
 「窓!」
 彼女の叫びに一斉に振り向くメンバーの目が恐怖に見開いた。触手のような白く細く、ゆらめくもの。それが窓の外にいた。蛇のようにうねうねとするその先端には間違いなく人間の手が付いている。しかし、その長く細い指にも骨が無いようで、一本一本が触手のごとくに自在に、そして無秩序に動いていた。手に手に武器を持って身構えるメンバー。と、その注視の中で真っ白い指先の爪が伸び、そして窓を外側からひっかいた!

 きぃいいいぃぃいいぃ・・・

 「ぎゃぁーっ!」
 耳をつんざく嫌な音に全員が顔をしかめ、加賀壬の悲鳴がそこにだぶった。

 きぃぃぃぃいいいいぃいぃ・・・

 音は止まらない。それどころか腕がいつの間にか二本に増えているではないか! 窓の外の上下から伸びたその腕が不協和音を上げて音響攻撃を加えている。その音は耳を塞いでも全身に染みるように轟き、佐伯たち全員の体は振動に翻弄された。どんどん大きくなる波動。すでにガラス板は限界に近付いており、まるでプリズムの様にニュートンラインを発し、七色に光っている。その光りの揺れがどんどん強くなって行き、ついにはガラス全面が真っ白に光るまでに至った。音が、光りが、振動が彼等を襲う。
 まずい。どこかに隠れる場所は? 佐伯が左右を見回そうとした時、誰かが飛び出すのが見えた。光るガラスに向かって。
 加賀壬だ。
 「やめろ!」
 ガラスは間違いなく限界寸前だ。あれを割れば音は消えるだろう。しかし、それと同時にこなごなになったガラスが雨の様に、いや、突き刺さる滝の様に彼等を襲う。止めろ加賀壬! 割るな!
 佐伯が後を追って飛び出そうとした時、もう加賀壬は窓枠の下にある手すりを掴んでいた。間に合わない! そう佐伯が思った時、加賀壬は予想外の行動に出た。片足で体重を支え、もう一方の足を思いっきり持ち上げたのだ。足で割る気か? だが、佐伯の予想はまたしても覆された。加賀壬は右足でふんばり、手すりを掴んだ手でバランスを保ちながら、ぴたっと左足を、正確にはその靴底をガラスに押しつけたのだ。まるでガラスを踏むようなその姿。と、その瞬間音がくぐもった。白く光っていたガラスも元に戻っている。
 まだ音はしている。しかし、さっきの様に我慢できない程ではなかった。それを悟り、ガラスの外にいた手は音波攻撃を諦めたのか、爪をひっこめると、まるでじたんだを踏むかのように大きく揺らめいた。
 「ふーっ」と深呼吸する加賀壬。一旦目を閉じる。そしてふっと開いた時、その目には決意が浮かんでいた。
 「うるさかったぞぉ! ったく! でもたいしたことないよねー。
 やーいやーい、たったゴム一枚で止められてやンの!
 安全靴、重かったんだよ! 電気も通さないし、物を落としても痛くないっていうからつま先に詰め物入れて我慢して履いてたけど。耐振動、耐熱、耐衝撃用の何とかいう特許製法のゴムでできてンだよ、この靴。高いらしいよ、父さんのだからよく知らないけど。
 どーだ! びっくりしたろー!」
 加賀壬はその姿勢のまま窓の外の手にあざけりの声を掛ける。彼女の顎は細い。いきおい、口もすごく小さいのだが、今、その口をめいっぱい開いてあざ笑いの表情をしてるのが、ガラスに映って見えた。
 「宏子ちゃん、なんか怖い」とあっけにとられた北村がぽつりと言う。
 「悔しかったらここまでおいでーだ、へへーん!」
 加賀壬の挑発は続く。と、その瞬間、ガラスが溶け、加賀壬の左足を飲み込んだ。
 「きゃぁ!」
 悲鳴を挙げた加賀壬は左足を窓枠の中に吸い込まれ、体勢を崩した。
 「加賀壬!」
 飛び込む佐伯と山崎。しかし、加賀壬の左足を掴んでいるだろう何者かを攻撃しようと木刀を突きだした途端、その木刀も万力の様な力で釘付けにされてしまった。
 「くっ!」
 必死の形相で引き抜こうとする二人。しかし、全くびくともしない。
 加賀壬の方はすでに天地逆の状態で剣道部員に挟まれてきゃあきゃあ叫びながら暴れていた。と、その時、彼女の目はとまどう昆と北村の背の向こう、廊下の壁に映る影を見た。
 加賀壬の姿は窓枠に逆さにぶら下がっているので影は左足だけだ。だが反対側、職員室とを隔てる壁に映っていたのは足だけではなかった。そこにあったのは、加賀壬の足をしっかりと抱え込む二本の腕。その影はまるで立体物の様にリアルだった。ヘッドライトを浴びせるが、その影はそのままそこにあった。そうか、あれか!
 「壁の影! あれが正体!」
 その声に山崎が振り向きざまに木刀を離し、瞬時身を屈めると加賀壬が胸に挿していたナイフを引き抜き、走った。
 あ!
 逆さになっていたのでナイフは鞘から抜けかけていた。そのため、山崎の手は今、ぷにっと加賀壬の胸をかすめたのだ。
 う・・・。あたし胸小さいから・・・。山崎君気付かなかったのかな・・・。でもやっぱり・・・恥ずかしいよう!
 加賀壬が両手で顔を覆った時、山崎が気合いと共に切り込んで、壁の影はまっぷたつになった。

 ふしゅぅぅるるぅうぅ・・・

 風船から空気が抜ける様な音。影は弾け飛んだ。と、次の瞬間、加賀壬はがくんと揺れ、頭を壁に思い切りぶつけた。ヘルメットが響いて痛かったが、これがなかったら気絶していたかもしれない。でも、なぜか姿勢はそのままだ。加賀壬の足はいつのまにか飴細工の様にねじ曲がったアルミサッシにからめられていたのだ。
 「無事か、加賀・・・」
 佐伯の声は途中で止まった。「?」と加賀壬が顎を引いて彼を見ようとした時、山崎が凍り付くように動きを止めたのが見えた。
 「え?」
 きょとんとする加賀壬。その視線の中で山崎が困った様にうつむいて後ろを向いた。

 まさか・・・

 加賀壬はもちろん制服だ。ブラウス、ネクタイ、ベストに上着。そして下半身は当然プリーツスカートである。で、この体勢だ。
 「み、見えた?」
 震える声で聞く加賀壬。それに答えたのは昆だ。
 「というか、今も・・・見えてます、黄色のストライプ」
 頭に血が上っているところで、さらに羞恥で真っ赤になる加賀壬。
 「きゃぁぁぁぁぁ!」
 北村がなんとか暴れる彼女を降ろすまで、その悲鳴は続いた。


第六章

 加賀壬の機嫌は直らなかった。山崎が頭を下げながらナイフを返すが、恥ずかしさで顔を向けることもできない。でも怒ってもいたので、加賀壬自身どうしていいか分からない状況だ。
 ここでも霊水が出た。とどめを刺したのは確かに山崎だが、これはどうみても加賀壬のものだ。彼は無言でそれを差し出したが、加賀壬は意地になって受け取らなかった。
 ああ、どうして今日はこんなに子供っぽいの、してきちゃったんだろう。うさぎじゃないだけよかったけど。先週買ったあの赤のだったら、まだ良かったのに・・・って、ちがーう! よくなーい!
 加賀壬はバーストしていた。
 佐伯は困り果て、周囲を見回した。ここの場を預かる妨害者を倒した以上、移動してくる生徒たち以外は出てこないだろう。他は自縛霊の様に固定されて、魔性の指示した場を守っているはずだから。佐伯の考えを見て取ったのか、山崎が一旦背負った背中のバックを降ろした。
 「うむ」
 「よし、休憩しよう。ここなら周囲の見晴らしもいいからな」
 「休憩ですか? そうですね、疲れましたし、ね」
 そう言って笑う昆。それが素直にそう思っている笑顔なのか、加賀壬のためを思っているのかは誰にも分からなかったが。
 佐伯の荷物からは紙コップと紙のお皿、そしてプラ製のフォークが出てきた。そして数本のペットボトルも。
 「宏子ちゃーん、借りるよ」と言いつつ北村が、加賀壬の背負っていた保温シートをピクニックシート代わりに広げた。山崎は見張り役として木刀を下げたまま、周囲を警戒している。彼の背負っていた荷物を開けるのは昆だ。
 一方、加賀壬はみんなに背を向けたまま膝を抱えてしゃがみ込んでいた。もう自分でも泣けばいいのか怒ればいいのか分からない状況だったのだ。ただ恥ずかしさだけはどうしようもなかった。うつむいた顔を膝に埋め、加賀壬がさらに身を縮こませた時、昆の嬉しそうな声が後ろから聞こえた。
 「まぁ、ミヨシヤの箱ですね?」
 ミヨシヤ? 加賀壬はふっと顔を上げた。
 「少し揺らしましたが、中は大丈夫でしたか、先輩」
 「えっと、はい、大丈夫ですわ。あら、ツィトローネ! 懐かしいですね、子供の頃、好きでしたわ」
 え?!
 加賀壬は左手を付いて上体の向きを変えた。眼鏡の奥の大きな瞳を見開いて見つめる。昆が箱からその黄色い、タルト風のお菓子を出して、北村が差し出す紙の皿に乗せていた。
 あれが・・・、ツィトローネンクーヘン・・・。
 「みよしやの、ちとろね? えらく甘い、いや、酸っぱいつーか、とにかくえらく味の濃いのを選んだわね?」
 北村の言葉に男子二人は無言だった。
 「あ、多分・・・」
 加賀壬が声を出す。振り向く北村。
 「ん?」
 「わ、私が食べてみたいって・・・。この前、そう言ったから・・・だと思う」
 北村は一瞬きょとんとしたが、すぐに気が付いたらしい。
 「そっか宏子ちゃん嘉木の市だったよね、おうち。だから食べたことないんだ! そっか、そんじゃ一回は食べないとね。
 飲み物は? 紅茶とスポーツ飲料があるけど。紅茶かな? で、食べてからきっとスポーツドリンク飲みたくなると思うけどね。なにせ、アッマーイからね、後味は!」
 北村は加賀壬の分をシートの上に置いた。のそのそとひざまづいて近付く宏子。それを見て佐伯がほっとした表情になる。
 「山崎君は?」と北村が彼の分をシートに置きながら聞いた。それに応えたのは佐伯だ。
 「俺は喰うの早いから、そしたら交代する」
 「そ。じゃ佐伯君に任せるね。
 そんじゃ、宏子ちゃんの初ちとろねを祝って!」
 こういう時にはすっかり中心人物になる北村が音頭をとって乾杯した。
 みんなの注目を浴びながら、加賀壬がプラフォークでそのレモンケーキを一口、ぱくっと口にした。
 全員の期待の眼差し。加賀壬はその期待に応えることになった。舌がしびれるかと思う程の酸っぱさに顔をしかめて。
 深夜の校舎で笑いがこだました。

 休憩が終わり、みんなは意気揚々と出発した。まずは右手の階段を試したが、職員室に逆戻りだった。今度は左の階段。出たのは無人の教室だった。その外の廊下でポルターガイストが強襲を掛けてきたが、佐伯の相手ではなかった。モップは一太刀でたたき落とされた。次ぎに跳んだのは体育館の奥にある用具置き場。開いている扉から体育館に入ろうとしたが、そこでまた跳び、今度は廊下に直接出た。
 「うーん。やっぱり迷路だな」
 そういう佐伯の声には疲労の色もない。佐伯自身も今は理解していた。ここに突入したときの先輩の言葉を。
 そうだよな。緊張とリラックス。両立させればいいんだ。
 パーティの誰もがそのバランスをなんとなく理解していた。そして、数十分後、その雰囲気のまま、ついに因縁のトイレ前に出たのである。



つづく