第五話:加賀壬さん敗退す

von:秋澤 弘

 第一章

 うーん、眠い。
 加賀壬は目覚ましをようやく止めてまたばたりとベッドに突っ伏した。
 ああ、今日はお休みしたい。あぁ・・・。
 しかし無情にもすぐに母の声がする。
 「ひろこー! おきなさーい!」
 しくしく。
 加賀壬はもっそりと起きあがった。鏡を見る。眼鏡がない状態でも、今日の自分が最悪の姿だということは分かった。
 眠い。でも起きなきゃなぁ。

 ここから学校までは電車で30分以上かかる。近くに下宿でもしたい。学校に寮があればいいのに。そうすれば少しでも寝れるのに。加賀壬はいつもは車内で読書に夢中になるのだが、今日は体を休めることにした。今夜、探索があるからだ。
 昨日はそのつもりで早く寝たのだが、全然寝付けなかった。あまりにいろんな事を頭に詰め込みすぎた、というか、正確には詰め込まれ過ぎたのだ。バーストしてる。許容量オーバーだ。加賀壬はそう思ったのもつかの間、ぐーぐー寝ていた。おかげであやうく乗り過ごすところだったが。
 駅前に出るとミヨシヤの看板が目に入って悲しくなった。ああ、みんな待っててくれたのに。昨日帰りに電話したら、みんなに同情されてしまった。怒られるかと思っていたのに。校内放送で呼び出しをくらったのはみんな知っていたのだ。
 「明日行こう!」
 みんなそう言ってくれた。でも、探索があるのだ。ごめん。みんなにそう謝った。ああ、なんでこんなに忙しいんだろう、あたし。

 授業中も眠かった。休み時間とお昼休みに仮眠を取る。ああ、情けない。我ながらそう思うが、探索で仲間に迷惑を掛けるわけには行かない。この際、世間体は置いておこう。加賀壬はそう決めて寝た。
 机に伏せてぐーすか眠る加賀壬に開田が上着をかけた。
 「しんどいんやね。可哀想に」
 鮎川が小声で言う。開田も頷いた。
 「随分忙しそうだからね。でも、同情しても仕方ないよね」
 「なんで? 冷たいんちゃう、それって」
 「だって、加賀壬が自分で望んでるんだよ。自分で頑張るって決めたんだよ。だから・・・」
 「応援するしかないのよね」
 そう言ったのは委員長の矢野。彼女も静かに寝入る加賀壬を見守っていた。

 教室の隅。入り口の側で同じように彼女を見守る者がいた。山崎と佐伯である。
 「なんとか、しないとな」
 「ああ。彼女にはこれ以上迷惑を掛けられないからな。これは俺たちの問題だ。
 とりあえずもう一度説得してみる」
 佐伯はそう言うとC組に帰っていった。

 放課後。今日も図書室で講義だ。今日は魔性について。講師は昨日同様に美咲と香土岐だが、今回はテーマ上、主に美咲が話していた。異世界のものについては世界中でも美咲家に並ぶ権威は少ないからだ。
 逆に言えばそれだけ講義内容は専門的という事でもある。美咲由美は可能な限り簡単な言葉を用いて説明しようとはしていたが、それでもなかなか一朝一夕で認識できることではない。加賀壬はその内容を理解するのは諦め、必死にそのまま飲み込もうとしていた。
 「・・・というように分類されます。
 簡単に言うとこの世界が現界。隣が二界になりますが、通例異界と呼ばれています。その奥が三界。その先に四界、五界までは確認されています。でもあまりに遠すぎてほとんど接触はありません。
 異界から来るものが<魔性>です。対して三界から来るのが<闇のもの>。つまり魔王。超常研ではそう呼んでいます。
 魔性は元々異界から体ごと来たものと、その精神や波動のみが来て、この世界に元から居たものに取り付いているものの二種があります。あなたが緑苑学院高等部で闘ったピアノは取り付いたもの。大抵はそうですが、ごく一部、体ごと来たものもいます。
 魔王はその実態も分かりません。私たちとはあまりに法則が違うからです。でも、魔王クラスになると体ごと、実体ごと来ているのでHPもMPもあります。しかし、彼等がその力を発揮できるのは彼等の結界の中だけ。故に彼等は魔性を操って結界を広げ、支配圏を広げようとしています」
 加賀壬は一生懸命ノートを取っていた。今は理解できなくても必ず役に立つだろうから。
 彼女の記入が追いついたのを見て、美咲は先を続けた。
 「こういった他の世界から来たものや、その影響を受けたものをまとめて妖(あやか)しと呼びます」
 これからが大事な所なのだが、加賀壬は眠気を堪えている。それを悟った香土岐は妖しの詳細を解説するのは次回に回し、今日は総括のみを終わらせようと考えた。そこで美咲からバトンタッチして全体論を開始した。
 「あやかし。ミスティックとも言うがな。これはこういった分類になる」
 香土岐は加賀壬のシャープペンを取るとノートの新しいページに書き込み始めた。

 ミスティッキン:魔性 異界より来るものども

 ミスティック:闇のもの(魔王) 三界より来るものども

 ハイミスティック:闇の王族 三界より来る支配者

 ミスティックロード:四界より来たりしものか?

 アーリミスティック:?

 「まずはミスティッキン。これは我らの分類では正確にはミスティックにはならない。亜種だ。波動の影響でこの世界のものが変化したものが多い。先のピアノは結界内ではミスティックとしての知性があったが、外に出ればキンにすぎん。
 こいつ等は欲望と衝動のみで動く。主として人の肉を喰らう。伝説で言う鬼とかオーガといったものだ。
 憑依と言っても良かろう。何らかの条件が重なった場合のみに魔性となるものも中にはいるが、大抵は完全に取り付かれ、元の己を失っている。これらは数が多い故に最も接触機会の多いものだ。が、その分階位は低い。低級だ。その殆どは意志というレベルのものは残っていない。存在維持のみを衝動的に求めている。本能のみだ。故に発見と排除もさ程困難ではない。
 だがより高位のものになると己の意志をこちらに持ち込む。それがミスティックだ。中位の妖しと呼ばれている。通例、ミスティックは人の魂を喰らう。魂を失った肉は従うキン共にやってしまう。食物が違うのでな、この二者はすぐに主従関係になる。
 このランクになっても発見は可能だ。キン共を追っていけば大抵ミスティックを見出せる。ま、排除はなかなか困難だがな。なにせ身を守る意志を持つ。さらにキン共を恐怖で統制するだけの力と狡猾さを持つのでな。
 この位になると、ミスティッキンの狩猟生活から牧畜になる。つまり、人間を飼うのだよ。学校の様に結界を作りやすい場所でな」
 加賀壬はぞっとした。じゃ、学校を襲うのは・・・
 「そうだ。そういったミスティックだ。強力な暗示をかけ、学校に行かねばならないと生徒に思い込ませる。そして、ゆっくりと結界を強め、生徒を喰らって成長するのだ」
 そんなこと・・・。そんなこと、許せない。加賀壬は震える手を握りしめた。喰らう・・・なんて・・・
 「憎いか? 怖ろしいか? だがな、それを呼び込んでいるのは人間だぞ。覚えておけ。一番怖ろしいのは人の心だ。
 魔性自体の力など、この世界全体にすれば大した影響力ではない。それだけ数が少ないからな。しかし、人の心が奴等を呼び込み、結果もっと怖ろしいモノを呼び込む場を作ってしまうのだ。
 いいか。忘れるな。最も怖ろしいのは人の心だ。魔性はそれを見出し、巣くうに過ぎん」
 その言葉は加賀壬の心に突き刺さった。本当に人は魔性よりも怖ろしいものなのだろうか。
 考え込む加賀壬を余所に、香土岐が話を戻した。
 「魔性は妖し全体からすれば下位のものだ。その上のもの、美咲風に言えば闇のもの、闇の王という存在がいる」
 その言霊を受け、美咲が眉を反らせた。ここは結界の中だ。故に言霊が外に広がることはないが、結界内に封じられている魔性たちの残滓が反応したのが分かったのである。
 「これはハイミスティックと呼ばれる。彼等は牧畜レベルではない。さらに農耕民族まで発展している。つまりな、人間を殺さないのだよ。
 魂も肉も喰わない。喰らうのは感情だ。恐怖、殺意、そして性感。そういった人間の感情の中でも主に激しい感情を喰らう。それ故に奴等は人をたくさん生かしたままで飼う。よく海外のホラー映画であるだろう? 古城に住む魔物。そして恐怖に怯えている麓の村。そういったシチュエーションが奴等の手だ。より餌を増やすために人を殺すことはない。それどころか繁殖を促しさえする。結果、他国を攻め滅ぼし、女子供を奴隷にする。実にいやな奴等だよ。数は数える程しか居ないのが不幸中の幸いだがな。
 しかし、まだその上が居る。ロードクラスだ。
 彼等は先ほど美咲が言った世界の四界もしくは五界からくるらしい。らしい、というのも、殆ど実例が判明していないからだ。なぜなら、その存在を完全に消した上、その餌たる人間にとってプラスに作用するので発見が非常に難しいからだ」
 加賀壬はきょとんとした。プラスに?
 「そうだ。奴等は人の静かな感情を喰らう。故にそういった感情になるように、家畜というか、僕(しもべ)というか、そういった者の住む環境を整えるのだ。
 静かな感情。安らぎ、安堵、幸福感。それを喰らうのだ。僕(しもべ)もそれを望む。ま、規模の大きな座敷童し、というところかな。その中にごく一部だが、不安といったものを喰うものもいる。ま、総てがプラスとは言えん。なにしろその周囲では発展がない。現状で満足してしまうのだ。もちろん他国を攻め滅ぼそうなどという考えもないがな。逆に他国が攻め入ったのならロードミスティックの痛烈なカウンターを食らうだろう。自分の<場>を守るからな。一種共生と言ってもよい。
 こういった特殊なミスティックはまずその存在が確認できない。過去にもほんの数例が記録されているだけだし、その排除も住民の抵抗にあってできるものではない。なにしろ住民自身が心からその状態を望むのでな、操られているのではなく。
 最後がアーリミスティック。ハイキングとも呼ばれる謎の存在。これは過去にミスティックたちの残した言葉や記録から存在が推測されているにすぎん。総ての時空を行き来し、時すらも越えるという、およそ無茶苦茶な存在だ。しかもここだけではなく、総ての平行宇宙で、全時空連続体でたった一体しかいないらしい。
 こいつはな、不死だ。ミスティックにも死はある。しかし、こいつは死なない。ま、ミスティックの想像が生み出した産物だという意見も多いがな。奴等の神のようなものだとな。しかし、各位階のミスティックがそれぞれにアーリの存在を信じている以上、何らかの実体があるのかもしれん。
 アーリを見抜くことは不可能だ。なぜなら、波動も存在も総てを自由に出来るからだ。美咲の術ですら多分見抜けないだろうな。
 身を隠しているミスティック共を発見するための一番の早道は、その存在付近に起きる歪みを見出すことだ。しかし、アーリは結界を必要としない。となると次の手段は後手に回るが犠牲者を見出すことだ。餌となった犠牲者をな。だがアーリにはこの方法も効かない。その餌が特殊すぎるのだ」
 香土岐はふうとため息をついた。過去何年もその存在を調査しているが未だに片鱗すら掴めていない。あまりに荒唐無稽な者。
 「アーリの餌は肉でも魂でも感情でもない。生命力そのものだ。母なる力というらしいがな。女が発する力というか、波動らしい。妊娠していない状態でも女の体からはごく微量にこの波動を発しているそうだ。命を育む力だな。アーリはそれをすする。女が本来なら我が子に送り込む力をな。その力は非妊娠期にはごく微量にはなるが、それでも僅かながらに発している。その世界に消えて行くはずの波動を吸収し、己の命を育むのだ。
 記録に拠れば女と肌を、手を合わせているだけでも生命力を爆発的に快復するらしい。さらにその一部を女に戻し、その者を心体共に健全成さしめるらしい。他の高位ミスティックが己の成長のためにより多くの僕(しもべ)を必要とするのに対し、こいつは一体しか僕を作らない。なにしろ成長のしようがない段階だからな。
 つまり、子を宿せるが、今は宿していない者が無為に周囲に流している力を受けて無限に生きる事になる。一人の女性、お前でも私でもいい。それを僕にすればいいのだ。これではどこにいるのかなど分かりはしない」
 香土岐の言葉が途切れた。加賀壬はもうすっかりぼけーとしていた。アーリって、一体何モン?
 「伝説の存在なんですか?」と加賀壬。異界の存在を信じている彼女にも、不死はおとぎ話の世界のようだからだ。
 「いえ、確かに存在します」
 美咲が答えた。
 「ミスティックのロードクラスにも死はありますが不老です。彼らを倒すことは大変難しいため、ほとんどイモータル、つまり不死です。神の一種と言ってもいいでしょう。しかし、その彼等が唯一恐怖するもの。それがアーリ。ロードを一撃で消滅させることのできる唯一の存在です。
 彼等にとって幸いと言うかどうかは分かりませんが、アーリは支配権を要求したりはしません。それどころか闇のものはおろか、下位の妖しにさえ干渉する気はないようです。攻撃さえしなければ反撃もありません。
 アーリは己にしか関心を持ちません。世界のどこで戦争が起き、どこでロードが暗躍して居ようとも基本的に意に介さないそうです。しかし、もしもロードが得た新しい贄(にえ)がアーリの僕(しもべ)であったのなら、ロードは確実に抹消されます。僕はアーリのものですから。僕だけがアーリの所有物ですから。それに危害を加える可能性があるというだけで、アーリは己が攻撃されたと判断するのだそうです。
 記録上にあるいかなる強大なロードも、アーリだけは恐れていることが分かっています。そのために彼等はアーリの目に付かないようにひっそりとその領域を広げているのです。それ故にロードを見つけるのも大変なのです。
 しかしながら架空の存在ではありません。過去にアーリによって抹消された闇の王がいます。また、強大な結界、もはや王国と言っても良いほどの己の世界を築きながらも、アーリの出現によって闇の王がこの世界から撤退した例もあります。
 アーリは確かに存在します。ミスティックにとっての究極の死に神として」
 加賀壬はぼーっと考えた。一体どんな姿なのだろうか。ひょっとして実は子供、赤ん坊の姿なのでは? 人の母が知らずに我が子として一生懸命育てているのかもしれない。
 「さぁ、今夜、お前は探索があるはずだな。今日はここまでだ。まっすぐ帰って体を休めておけ。良いな」
 香土岐先生が立ち上がってそう宣言した。加賀壬はミスティックという謎の存在に心を占領されながら、帰途に着いた。
 アーリ。そんなのが本当にいるんだろうか。彼女は電車に揺られながらうつらうつらしていた。この時の加賀壬はまさか自分が半年も経たずにそいつに出逢うとは思ってもみなかったが。


第二章

 その夜。加賀壬たちは二回目の探索に出発した。場所は車で30分程の私立中学。星ヶ崗というその中学はすでに三体目の魔性まで倒れている。今日は四番目が対象だ。その住処と推測される目的地は旧校舎二階隅にある男子トイレ。
 今回は通常通り、アタックチームは一パーティのみ。そのメンバーは前回と同じだ。剣道部の佐伯、山崎。そしてまだ水泳部への入部をきめかねている小島。この男子三名と写真部の北村。そして帰宅部の加賀壬という女子二名。合計五人のパーティである。
 前回の仕事料、つまり報奨金で救急箱と精神安定剤も購入してきた。山崎は模擬刀を失っていたので、今回は木刀だ。佐伯も同じく木刀。まだ片足を少しひきづっての参戦だが、佐伯のやる気は十分だった。他の三人の装備は前回と同じ。小島がゴルフクラブ、北村がストロボ、そして加賀壬がピッケルとナイフである。

 総じて今回は攻撃力が下がり、防御力が上がっている、というところか。しかし、魔性ですら倒すことが出来る。それを実感している彼等の経験点は大きく増えている。
 「じゃ、アタックチーム、Good Luck!」
 サポート役の副会長、シュンがマイクに向かって探索開始を宣言する。
 「頑張れよ!」
 「気を付けてね!」
 サポートチームの二年生の声援を受け、加賀壬たちは初の単独侵攻を開始した。

 「こちらアタックチーム。ベース、聞こえますか?」
 佐伯の声に答えるシュンの声は非常に聞き取りづらく、その上ノイズがひどかった。
 「・・・らベース。感度不良なるも・・・に支障無し。現在地は?」
 「えー、中庭北側に出ました。これから校舎に入ります。以上」
 「りょ・・・い・・・」
 今回は山崎が先頭になり、旧校舎に入る。ついで小島、北村、加賀壬、最後がまだ病み上がりの佐伯だ。
 校舎に入るとヘッドトーキーからは雑音のみが流れるようになった。佐伯がそれを小島に渡しながら言った。
 「多分校舎内では無理だ。でも、念のため、ずっと聞いていてくれ、小島」
 そう言われた小島はセットを受け取ると無言で身に付けた。今日は何か小島が静かだった。なんだろう。その光景を見守りながら、加賀壬はふと不安になった。

 校舎に入ってすぐ、お出迎えが現れた。入り口のすぐ脇に、一人の生徒が立っていたのだ。声を掛けようとする山崎に有無を言わさず殴りかかるその中学生。咄嗟に後ろに飛び、その右手を木刀ではらうとガッという音がする。ナイフだ。どこから持ってきたのだろうか、大きなナイフがその手に握られていた。
 「HP体!」
 「操られてるの?」
 パーティが瞬時にそれを理解する。と同時に山崎が仕掛けた。まだナイフを振り降ろしたままの妨害者に斬りかかる山崎。攻撃は戦闘無力化を狙って武器を持つ右肩だ。ずん、という手応え。しかし、痛みを感じていないのか、生徒は無表情のままだ。
 小島はためらっているようだ。なにしろ相手はここの生徒だ。助けるべき相手と闘うなど、ためらうのが当然。そう加賀壬が思い、すかさず声を掛けた。
 「倒して! そうしないと一生ここで操られる! 闘って小島君!」
 小島はクラブを握りしめたまま動かない。木刀の衝撃から立ち直った中学生はその真正面からとびかかった。小島は覚悟を決めたのか、クラブをふりかざして迎え撃つ。しかし、そのクラブの軌跡をゆらりと避けて、生徒がナイフを突きだした。鮮血が飛び散る。そのまま生徒は北村に迫る。しかし、彼女が放ったストロボの光りにぎょっとして瞬時動きを止めた。
 「ゴメン!」
 加賀壬が逆に持ったピッケルの柄で力一杯その生徒を殴ると、腹部を直撃した。すごい手応えに攻撃した加賀壬の方も弾かれる。そこへ佐伯が飛び出し、バランスを崩した生徒に突きを入れた。操られていた生徒はぐらりと揺れて倒れた。
 「あ、あ・・・」
 力無く崩れ落ちた生徒の姿に恐怖する加賀壬。すぐ佐伯が言った。
 「大丈夫だ。急所は外したからな。気絶しただけだ」
 良かった。ああ、良かった。加賀壬はつぶやいた。
 「やったぁ、宏子ちゃん、ラッキー!」
 北村が小瓶を振りかざして加賀壬に見せる。
 「え、あったの?」
 「うん、ラッキーね、また初っぱなから霊水!」
 山崎が警戒する中、北村と加賀壬はその小瓶を調べた。どうやらこの前の物と同じ封印のようだが、入れ物はラムネの瓶を短くしたようなものだ。ご丁寧にビー玉まで入っている。
 「なんだろ、本当に霊水かなぁ」
 「多分ね。小島君の傷はどう? 霊水使った方がいい?」
 二人の女子が振り向いて、傷を調べている佐伯に聞いた。
 「大丈夫だ。かすり傷だ。消毒はしておいた方がいいだろうけど」
 それを聞いて北村が背負ったバックから普通の消毒薬と包帯を出した。手早く小島の傷の処置を行う。その手際のよさに加賀壬は関心した。
 「すっごい、まりちゃん、本格的ーっ!」
 北村茉莉香は包帯をしまいながらにやりと笑った。
 「あたしだって頑張ってるもんねー! 宏子ちゃんに負けっ放しじゃ女がすたるってね」
 「北村は天使隊の先輩に救急処置の特訓を受けてたんだよ。ずっとね」
 生徒を草むらに寝かせていた佐伯がそう説明する。そうか、その手があったのか。でも私は委員会もあるから、時間あるかなぁ。加賀壬はちょっと考えたが、やっぱりチャレンジしてみようと決めた。
 「よし、行こうか」
 生徒を草陰に隠し、立ち上がった佐伯の声に、また木刀を構えて前進を開始する山崎。ここの左側。その突き当たりに階段があるはずだ。加賀壬は廊下が狭いことを知り、ピッケルをしまった。ここではナイフの方がいいだろう。そう思い、ナイフを手にした。父が言うには刃を上にして柄を地面に向けて止めておくらしかった。しかし、手に力のない加賀壬は柄が抜けないように付いている、その留め具を外すのに一苦労だ。これを借りた時、なんとか力一杯引っ張って取ったが、胸がすごく痛かったのだ。だからベルトの留め具を逆さにして、柄を上にしてナイフを入れている。それを抜き取って加賀壬は思った。やっぱり筋肉は少しはあった方がいいのかなぁ、と。
 ザイルでつながれたまま進む一行。
 山崎が警戒しながら進む。その手には木刀があるが、まるで重さなどないように軽々と持っている。加賀壬の目の前では北村が肩から大きなカメラ(一眼レフというらしい)にストロボを下げているが、この前持ってみて、その重さにびっくりした。やっぱり暇なときにちょっと運動しようかなぁ。そうは思うが、今の自分にいつ暇があるのだろうか。結局体力作りはしばらくおあずけになりそうだ。
 みんな元気だよな。スタミナあるよなぁ。そう思いながら前の三人を見ていたが、ふと気づくと小島の動きが鈍い。なんだかうつむいたままだ。彼は前を照らす係りなのだが、その懐中電灯は山崎の後方、自分の足元あたりを照らしている。ただし、この学校には随分常夜灯が多いので、それでも山崎は歩けるのだが。どうしたんだろう、小島君。この前の元気さがない。加賀壬はそう思った。
 それに気が付いたのか、校舎内を階段に向けて進みながら、すぐ後ろを歩く佐伯がそっと彼女につぶやいた。
 「ここ数日、ずっとあんな感じだ。何か落ち込んでいるようなのだが・・・」
 そうなんだ。小島君どうしたんだろう。明るい笑顔が似合うのに。
 加賀壬は芽生えていた不安が大きくなるのを感じて声を出した。
 「頑張ろうね、みんな。もう半分魔性は倒れてるからね。今日私たちが頑張れば、すぐに先輩達がこの学校も守ってくれるよ。
 ね、まりちゃん、山崎君」
 北村は歩きながら握った右手を挙げた。山崎も面をした頭を少し下げてうなづいたらしい。
 「ね、小島君、頑張ろう!」
 しかし、小島は無言のまま、足を引きづるようにして歩くだけだ。
 どうしたんだろう、一体。やっぱり、まだMPが回復しきってないのかなぁ。そんな事を考えているうちに山崎が立ち止まった。階段に着いたのだ。この直ぐ上が目的地。しかし、空間はねじくれている。どこに出るかは分からない。山崎は振り向いて佐伯を見た。
 チームリーダーのうなづきを確認し、山崎が最初の一歩を踏む。と、その瞬間、彼の姿はかき消えた。宙に浮かぶザイルを残して。
 やっぱり。北村はつぶやいた。ま、そんなに簡単に行けるわけないのよね。そう思いながら前に進もうとしたが、小島が動かない。
 「小島君、君の番」
 隣に並んで声を掛ける。しかし、小島はうつむいたままだ。不安な表情を浮かべて後ろの二人を見る北村。加賀壬も佐伯も困った顔だ。何かあるな。そう直感した北村は瞬時対応に悩んだ。しかし、山崎一人を先行させるわけにはいかない。すぐに追いつかねばならないのだ。
 北村は小島の背中をどん、と叩いた。
 「ほらほら、後ろがつかえてるよ、小島君。出発、出発!」
 小島は一歩前に出たが、そこでまた立ち止まる。
 「どうしたのよ! 山崎君、一人になっちゃうよ。さ、いこ!」
 北村の説得にも反応がない。加賀壬が声を掛けるよりも早く、北村が切れた。
 「何やってるの! みんなで一緒に闘うんでしょ! 全員にやる気がないと、チームがばらばらだと勝てる戦いも勝てなくなるでしょ!」
 声を張り上げる北村に、慌てて周囲を見回す加賀壬。近所の妨害者を呼び込みかねない程の大声だったのだ。索敵は加賀壬に任せ、佐伯が前に出る。そして小島に詰め寄ろうとした時、カチャリという金属音。
 小島がザイルを外したのだ。
 「な、なに?」
 「小島っ!」
 驚く二人。小島はきっと二人を睨んだ。
 「行けよ。行けよみんなで。
 僕は、僕はいい。もういやだ」
 「何言ってるの、小島君!?」
 北村は目を見張って小島を見つめる。佐伯もだ。
 「もういいって言ってるだろ! やっぱり、やっぱり僕には無理だったんだ! ぜんぜん攻撃なんか当たりゃしない。またやられて、お荷物になって、それで足引っ張るだけじゃんか! 
 やっぱり無理だったんだよ、佐伯ぃ!」
 その叫びに、佐伯が唇を噛むのが面越しに見えた。その表情を見て、北村は悟った。前回の探索以後、自信を失った小島を佐伯が説得し、なんとか連れてきたのだということを。けれど、早速出逢った敵にとまどい、何もできずに傷つくだけだったことを。
 「な、何言ってるの! 始まったばかりでしょ! あなたの出番はこれからじゃない!」
 北村はにらみつける小島の目に浮かぶ涙を見た。
 「大丈夫。みんな仲間だから。みんなが一緒になってこそ頑張れるのよ、小島君。この前は私もなんにもできなかった。あなたと同なじ。最後の、一番大事なところで、何も出来なかったわ。すごく悔しかった。悲しかった。
 でもね、でも私、今度は頑張るつもりよ。ね、ここまで来たんだから、行こ。進もう。もうちょっと頑張ってみようよ、みんなで」
 小島にそっと語りかけるその声。しかし、それは彼の心には届かなかった。
 「お前は、お前は僕とは違う。ただやられた僕とは違う。この前も、今も敵に隙を作ったのはお前じゃないか! 
 応急処置までちゃんと出来るのに、何にもできない僕と同じだって! そんなのウソだ!
 もうやめた!」
 バシンという音。北村が張り手を食らわしたのだ。
 「ばか! やりもしないで、死ぬ気で頑張りもしないで何弱音吐いてんだ!
 お前なんか、お前なんか・・・」
 いらない。その決定的な言葉を北村が発する寸前に佐伯が彼女の腕をつかんで叫んだ。
 「北村!」
 びくっと身をすくめる北村茉莉香。沈黙が流れる。その時だ。索敵に周囲を確認していた加賀壬の目が見開いた。次の瞬間、彼女は飛び出して小島にタックルをかませ、二人とも階段に飛び込んだ。ふっとかき消える二人。ぎょっとしながらもすぐに続いて階段に足をかける佐伯と北村。

 飛び出した場所は職員室のようだった。北村が目の前の光景に悲鳴を挙げる。山崎が、血塗れの山崎が立っていた。その剣道着は肩と足にざっくりと裂け目ができ、鮮血が床に貯まっていたのだ。
 と、続いて起きた悲鳴は小島だった。山崎に駆け寄ろうとした途端、すごい衝撃を足元に受け、横になぎ飛ばされたのだ。
 「何? 一体!」
 北村が咄嗟にストロボを焚く。ここも十分に明るかったが、GN50ものストロボの光量は一瞬真昼の様に周囲を照らした。そこに見えた。下敷きだ! 何枚もの下敷きが足元をびゅんびゅんと飛び交っていたのだ。瞬時に混戦になる。手に手に武器を持って闘う。北村もカメラを手放してそばにあったモップを拾い、なぎ払う。足元を高速で飛ぶ下敷きはもろく、命中しさえすればばりっと割れるのだが、とにかく素早い。なんとか総て倒すまでに、盾になっていた山崎は失神寸前だった。
 「山崎君! 山崎君!」
 佐伯と二人でその体を支えて床に寝かせて傷を確認する。無数の傷から出血がひどい。しかし、下敷きの自重が軽かったためか、あるいは木刀で守り続けたのか、その傷に骨まで達しているものはない。北村が超常研特製の救急箱を出し、すぐに手当を始めた。
 加賀壬は脇で座り込む小島に近づいた。
 「ご、ごめんなさい。怪我は、怪我は大丈夫?」
 小島はぼーっと床を見たまま、小さく首を振った。どうやら軽傷のようだ。
 「本当にごめんなさい。あ、あの、見えたの。ザイルがね、山崎君につながっているザイルがびくびく揺れてたの。それで、それでこっちで何かあったと思って。みんなで助けに行かなくちゃと思って。でも、目の前にあんなのがいたなんて」
 加賀壬は込み上げる嗚咽を押さえながら、小島に語りかけた。
 魔性の結界内は一方通行だ。一旦ワープしたら、戻ろうにも戻れない。後続が付いてこないので、山崎は耐え抜いたのだろう。ザイルに縛られている以上、逃げることもできなかった。それでも山崎はザイルをつけたままだった。ザイルこそ仲間のつながりだから。
 それを悟り、小島は何も言えなかった。僕には、僕にはその資格がないんだよ、山崎。彼は心の中でそうつぶやいていた。


第三章

 救急箱はさすがに特製だけのことはある。緑色のどろっとした液体を塗り、湿布薬のような奇妙な貼り薬で傷口を押さえていると、ものの数分で山崎は復活した。
 「遅くなって、ごめん」
 北村の声に首を軽く振る山崎。
 「来るのは分かっていた」
 そのつぶやきは小島の胸に突き刺さった。遅れたのは自分の責任だったから。もうだめだ。もう・・・
 佐伯は考えていた。何とか自信をつけさせようと無理矢理引っ張ってきたのが裏目になった。もうこうなっては小島を置いて行くしかないか。残った四人で頑張って魔性を倒し、結界を開いてから救出に来る。それしかない。佐伯はそう結論はしたが、実行する勇気がなかった。後込みする小島に無理強いしたのは自分なのだから。
 「行こう」と山崎。何が起きていたのかは彼にも大体想像できた。小島の様子がおかしいのは聞いていたし、彼だけザイルが取れているのは見て分かっていたからだ。
 無言のまま小島の腕をとり、立たせると、そのままそのベルトに付いた金具にザイルをつなぐ。小島に口を開く時間を与えず、引っ張るように歩き出す山崎。
 職員室を出ると、今度は理科室だった。そこにも妨害者がいた。漆黒に渦巻く怨念が。MP戦では北村と加賀壬の出番だ。かろうじてこれを倒すと、次の相手は音楽室に潜む亡霊だった。さらに操られた生徒を倒し、またポルターガイストを倒す。もう加賀壬たちはずっと無言のままだ。全員が傷つき、歩は乱れている。しかし、夜は終わらない。救急箱と精神安定剤を使い切り、残ったのはさっき、また出てきた霊水の計二本のみだった。
 小島は戦闘に全く参加しなかった。ただ殴られ、なぶられ続けていた。倒して欲しがっているかのように。結果、その身を守ろうとする山崎と北村はもうぼろぼろだった。佐伯と加賀壬が攻撃をずっと担当させられ、もうまっすぐ立っているのもつらい。
 あれから何時間経っただろう。夜は永遠のようだ。次々と現れる妨害者。戦い続け、五人は互いに体を支え合って、よろよろと進んだ。全員が満身創痍。霊水は二本。でも誰に使えばいいのか。目標の魔性はトイレに巣くう。ということは多分MP体であろう。加賀壬と北村を復活させるのが常套だろうが、操られている生徒が随分隠れている。突入前の話では行方不明者は20人を越えているというのだ。
 最後になったら。霊水の運搬係でもある北村はぼーとする頭で必死に考えていた。最後になったら、加賀壬さんと山崎君に飲ませて、総てを任せるしかない。HP戦は山崎君に一任。MP戦は加賀壬さん。それしかない。佐伯君は体力的に無理がある状態だから。
 その佐伯は、加賀壬と北村をなんとか守り抜き、トイレに着いたら二人に霊水を飲んでもらおう。そう考えていた。それがこの無限地獄を突破する唯一の方法だ、と。
 小島はただ歩いていた。もう何も考えられなかった。彼の傷ついた精神は、ここの結界内の波動でさいなまれていたのである。
 何もできない。
 僕なんか、誰も助けたりできやしない。
 魔性の波動が生む負の力は確実に小島の心を蝕んでいた。
 先頭を歩く山崎は何も考えない様にしていた。全神経を五感に回し、一瞬でも早く敵を捉え、戦いを有利にする。そして魔性を倒し、全員で生還する。それ以外、何も考えないでいた。みんなを前へ前へと牽引する。それだけを実行し続けた。
 五人の最後。加賀壬は悩んでいた。原因は確かに小島にあった。しかし、それ以上に最大の問題点は今夜の徹底的な迷路ばりの結界だ。もう何度目だろうか、飛び出した職員室を抜けながら加賀壬は悩んでいた。なんとかできないものか。この無限ワープを越える方法はないのか。
 全員の心が乱れていた。ただ一人、黙々と自分の任務を実行する山崎に牽きずられ、パーティはよたよたした歩みを進めた。

 不意に山崎が立ち止まった。小休止か。そう思った佐伯の目に、眼前の光景が映される。彼等の目の前。廊下の突き当たりにあるのは古ぼけたトイレであった。自分の目を疑う佐伯。
 「つ、着いたの?」
 北村の独り言のような声。山崎がうなづいた。
 「この学校で突き当たりにあるトイレは一つだけだ」
 全員がへたり込んだ。これから決戦だというのに。廊下の壁を背にして、五人がもたれかかる。
 残った霊水は二本。どう使うか。加賀壬が、北村が、佐伯が思案を巡らせていたその時、暗闇から声がした。
 「ずいぶんへばってるな、新入生」
 ぎょっとして、全員の目がその声の方を向く。小島までが驚愕と恐怖の目で。
 加賀壬のライトがまぶしかったのか、その男は腕で目を覆った。加賀壬は顔を逸らし、胸のライトでその姿を照らしながら横目で見た。
 黒いズボンに黒い上着。二の腕付近で上着と、その下に着込む白っぽい服を一緒にまくりあげている。足には中国の人がはいているような薄い靴。長髪の下にあるのは痩せた顔だ。口元はにやにやと笑っているが、その目には笑いはなく、鷹の様にするどい。加賀壬は恐怖というより畏怖を感じた。
 「だ、だれだ!」
 木刀を構えて佐伯が問う。
 「人に問う前に自分で名乗れ、新入生」
 「お、俺は佐伯! 超常研のアタックチーム・リーダーだ!」
 真剣な眼差しでそう叫ぶ佐伯。彼はこの男の前に盾になって立ちふさがり、時を稼ごうとしていた。霊水を使う時間を。
 「お前がリーダーか。
 俺は山口。山口京太郎。ま、美咲たちにゃ大抵<殿下>と呼ばれてるがな」
 男はそう言って腕組みしたまま彼等を見つめた。
 殿下? 皆の霧がかかったような思考にその名が浮かぶ。
 「じ、じゃあ、超常研を創った・・・」
 頷く殿下。
 「お前らの帰還があまりに遅いから眼鏡達が入ろうとしてたのでな。俺が止めた。あいつらは今の超常研の切り札だ。だから、まず俺が見に来たのさ」
 「たった、たった一人で・・・」
 佐伯は絶句した。どうやってここまで・・・。
 「俺は逃げ足が早いのが自慢でな。無駄な戦闘はしない主義だ。
 で、どうする。その戸の向こうが結界の中心だ。突っ込むか?」
 「それ以外に、方法がありません」
 北村のつぶやきに殿下が懐から一枚のお札(ふだ)の様な物を出した。
 「霊水四本。それと交換でこの札をやる」
 なんだろう。会話中でも索敵を続ける山崎を除く皆の視線が集まる。
 「これは俺の自信作でな。こいつを使えばお前らは皆無事に結界の外に出ることが出来る。霊水四本。それとなら交換してやる。
 どうする? 行くか、退くか」
 殿下の声に佐伯は力無く首を振った。
 「選択の余地がありません。自分たちは霊水を二本しか持っていませんから・・・」
 殿下の顔にちらりと変化があった。しかし、疲労困憊している彼等は気づかなかったが。
 「こんだけ暴れりゃ、仕事料は随分入るだろうよ。霊水二本と万札一枚にしといてやる。万札は天引きでな。姫から貰うさ。
 どうする、新入生。行くか、退くか」
 佐伯は考えた。ここまで来れば残り二本の霊水で女子二人を回復させ、突っ込んだ方が早い。もし、もしも今ここで撤退したのなら、一からやり直しだ。例え相打ちでも良い。魔性を倒せば明日には先輩のパーティが総て倒してくれるだろう。ケリを付けないと。そうしなければ、小島は二度と参加しないだろうから。しかし、しかし勝てるか? 女子二人はいいだろう。でも、もう俺たちにはMP戦では盾になる力もない。
 北村の心は決まっていた。終わりにするしかないのだ、と。彼女も小島の事だけを思っていた。ここで帰るわけには行かない。行くか退くか。それはそのままパーティとして存続できるか否かの選択なのだ、と。
 二人が意を決して仲間を見ようとした時、加賀壬がふらつく足取りで立ち上がった。壁に手を付きながら、倒れそうな体を支えて、やっとのことで口を開く加賀壬。
 「殿下先輩・・・。札をください」
 口をあんぐりと開けて加賀壬を見る佐伯と北村。なんだって?
 だが、彼等の困惑した目は捉えた。加賀壬の決心した横顔を。
 「今、私達たち・・・。自分のことしか考えていません。個人のこと。私達アタックチームのこと。私たちにとってそれしか考えられないのです。
 ついさっき、操り人形の様な生徒を倒しました。それに続いてポルターガイストを。
 その時、私、分かったんです。私たちは、生徒とポルターガイスト、その両方に同じ様な戦いをしました。HP戦。それしか考えずに」
 加賀壬は言葉を止めた。山崎は彼女の意する事に気づいて青ざめた。そうだ。確かにそうだった。
 加賀壬は乾いた唇をなめてから続きを語りだした。
 「助けるべき生徒。命のない騒霊現象。この天と地とも差のある二つを同一視してました。
 先輩、ごめんなさい。今の私達に、ここを救う力はありません。大事な、一番大事な事を忘れてしまってたんです・・・
 こんな状態で・・・。勝てるわけ、ないです・・・」
 加賀壬はそう語りながら大粒の涙をこぼしていた。ぼろぼろと。
 それを見つめる殿下。あの涙。悔しさか、恥ずかしさか。あるいは成長のための脱皮か。
 殿下は歩み寄ると北村がしっかりと握っていた二本の霊水を手にして懐に入れた。次いで佐伯に札を渡す。
 「裏に日本語で書いてある。読め」
 それだけ言うと、彼はきびすを帰し、来た時同様に足音もなく立ち去った。
 山崎が小島を抱えた。木刀を腰の帯に刺し、泣き伏す彼を右手でしっかりと抱きしめる。涙を拭おうともせず、闇に消えた殿下の背中をずっと見ている加賀壬を北村が抱きしめた。佐伯が彼等を近寄らせ、全員の首を抱くようにしながら手にした札を読む。
 「春のない冬はない。朝の来ない夜はない」
 その瞬間、札が真っ赤に燃えるようにして消えた。すると不意に朝日が校舎に満ちた。周囲の暗い印象はかき消え、彼等は無人の校舎に立っていた。窓のすぐ外にある木の梢ですずめが騒がしく鳴いている。加賀壬の嗚咽が北村に移り、泣き崩れそうになる女子を抱え、佐伯は自分も涙をこらえることができなかった。

 悪夢の夜は、終わった。



つづく