
von:秋澤 弘
第一章
「宏子ちゃんいるー?」
廊下側の窓から声がかかる。鮎川がその声に振り返ると、よく来る超常研の先輩だった。茶髪のふわふわロングヘアーがトレードマークの二年生。
確かみゆみ先輩言うっとったなぁ。
鮎川は立ち上がって先輩の注目を受け止めた。
「先ぱーい、加賀壬さんやったらおらんです。図書館行く言うとりましたが・・・」
美咲美由美は天を仰いだ。
「ほんま? せやったら行き違いかいなぁ! しゃーむな、戻ろ。手間ぁかけたなぁ」
美由美は鮎川の口調に合わせてそう答えると、姿を消した。鮎川は何事もなかったようにまた腰掛けて友達に借りた雑誌を読み始めた。放課後にまだ残っていた他のクラスメイトたちももう慣れっこになっていた。
入学してから半月ほどが過ぎた。既に山間のこのあたりでも桜の時期は終わりを迎え、葉がずいぶん緑の彩りを濃くしている。
加賀壬のいる一年B組にはちょくちょくこうして先輩たちが顔を出す。二年生が多いが、三年生が来ることもある。生徒会長までもが時折加賀壬に会いにやってくる。級友はなんだか自然と加賀壬の行方を覚えておく癖が付いていた。
その加賀壬は図書館で借りていた本を返却し、代わりに二冊、借り出そうとしているところだった。
「はい、お待たせ。入力終了!」と司書の斉藤がカードを加賀壬に手渡す。
「ありがとう、斉藤さん」
加賀壬がそれを定期入れに閉まっている間に斉藤がちらしをカウンターの引き出しから出した。
「まぁ、だめだろうけど、一応持っていって、加賀壬さん」
「?」
定期入れを仕舞い、そのB5の紙切れを見る。
図書委員になってみませんか?
大きな白抜きゴシック文字が目に入った。
「あ、そうかぁ、そういえば明日ですね、委員会選考。あ、私、もちろん立候補します、図書委員!」
加賀壬は嬉しそうにそう言って斉藤を見た。しかし、斉藤の表情は暗い。
「え? ひょっとして1−Bはもう誰か・・・」
委員会は各クラス、男女1名づつと決まっている。しまった、もう決まっちゃったのかな? 加賀壬は近頃の忙しさで希望申請書を書いていなかった事を悔やんだ。もちろん複数名が立候補してもいいのだが、先に誰かが名乗りを上げているのに割り込むのはちょっと。
加賀壬が困った表情になると、今度は斉藤が困ってしまった。
「あ、いやぁ、まだB組からは来てないんだけど・・・」
「?????」
加賀壬の顔にクエスチョンマークが並ぶ。頭をかいて言葉をつなぐ斉藤。
「聞いてない? 香土岐先生に。図書室委員の話」
へ? 図書室委員? 図書委員じゃなくて?
彼女の困惑が一層深まったのを見て、斉藤は加賀壬を手招きして司書室に向かった。大きなカウンターを迂回して斉藤に付いて行こうとする彼女に、図書委員の二年生が借り出した本を渡した。慌ててお礼を言って、それを抱き留めるようにしながら司書室に入る加賀壬。司書室には中央に大きな机があり、作業台になっている。その周囲に椅子があり、その一つを加賀壬に勧めながら斉藤も腰を降ろした。
「えっと、すぐに分かることだから先に伝えておくね。
ここには図書委員会と図書室委員会があるんだ。図書館担当と図書室担当ね。それで・・・」
「あ、あのぅ」と加賀壬が言葉を遮った。
「図書室委員会? そんなの、ありました? 先週委員会ガイダンスがあったんですけど、その時には何も・・・」
「うん。表だって公募してる組織じゃないんだ。唯一生徒会直属の委員会なんだよ。正確には生徒会の内部組織なんだ。
でも学校側には公認された委員会なんだけどね。構成員が生徒会で占められているんで、そうなってるんだよ」
生徒会の内部組織? そう言えば図書室は生徒会に所属してるんだっけ。超常研同様に。でも、それが私に何の関係が?
「その顔だとまだ聞いてないんだね。さっき香土岐先生のお使いで、美咲君が、二年生の方だけど、彼女が来てね、君を・・・」
その時、扉がばたん、と勢いよく開けられた。
「はっろー! ひーろっこちゃーん!」
戸口で敬礼をしているのはその美咲その人だった。
「みゆみ先輩?」
「美咲君!」
びっくりする二人に向かってにっと笑み、口を開く美由美。
「伝令! 超常研会員加賀壬宏子は速やかに図書室に出頭すべし! 命令者、香土岐亮子!」
きょとんとする加賀壬。図書室に? 速やかに? なんで?
「復唱!」
声を張り上げられて加賀壬がぎょっとして立ち上がる。
「は、はいっ! え、えと、超常研会員加賀壬はただちに図書室に向かいます!」
「うーん、それじゃ復唱にならん。ま、いっか。じゃ伝えたよーん!」と、美由美は苦笑いをしながらまたダッシュして出ていった。まだ空いている扉から、その声が聞こえる。
「おっじゃまっさーん!」
加賀壬はぼけーっと彼女の飛び出していった扉を見つめていた。敬礼の姿勢のままで。
「そう言うわけなんだよ、加賀壬さん。だから、君が図書委員になるのは無理なんだ。僕も残念なんだけどね」と、斉藤がしんみりとつぶやく。
どーしてそーなるんだろう。加賀壬は困惑したままだった。
第二章
ま、呼ばれたのを無視もできない。図書室に行こうと管理棟の三階に向かう加賀壬。途中で扉が開いたままの生徒会室の前を通りがかった。歩きながら目を向けると、正面の机で生徒会長が書記の二年生と何やら話をしていたらしいが、加賀壬の姿に気づくとこっちを見た。思わず立ち止まって会釈する加賀壬。
「あ、加賀壬君! 丁度良かった。君を呼びに行ってもらおうと思ってたんだ」
生徒会長、近藤李蔵がこちらへ来る。
「え、えと、私を、ですか?」
近藤は生徒会長という立場上、どこのクラブにも属していない。当然超常研のメンバーではないのだが、その超常研は生徒会の直属だ。いわば美咲会長の上司という事になる。加賀壬はどうもまだ生徒会長という肩書きを相手にするのに慣れていなかった。
「そう堅くならないで。書類にサインして欲しかったんだよ。さ、こっちに座って」
近藤が机の前に椅子を置き、にこやかに加賀壬を手招きする。なんか、今日はお呼ばれが多い日だ。そう思いながらそこに座る加賀壬。すぐに書記の二年生が一枚の紙を持ってやって来た。
「はい、これね。読んで一番下にクラスと名前を記入してちょうだい。印鑑がなければ拇印でいいわ。朱肉はここにあるから」
確か宮乃という名前だった書記の先輩は、加賀壬の前にその紙とサインペン、そして朱肉とちり紙を手早く並べた。
なんだろう。加賀壬はそのタイトル文字を見た。
生徒会執行部規約書
はぁ? なんだ、これ。
眼鏡の奥の、もともと大きな目を見張り、さらに大きくして読む。なになに、執行部員は校内での活動に際し、常に下記を念頭におかねばならない・・・。
黙々と読み、一旦首を傾げる加賀壬。また最初から読み直す。
二度目に読み終えてから、きょとんとした顔を生徒会長に向けた。
「これ・・・、あたし・・・が?」
「そう。君の同意書。さ、サインして」
・・・。ってことは・・・
「えっと、ひょっとして、私、生徒会に・・・」
「うん」
事もなげに頷く近藤と宮乃。サインをしろと笑顔のままで迫られているような、まるで開運の壺でも買わされてるような気になる加賀壬。
「役員は生徒総会での選挙で選出されるのだけど、実行委員は生徒会会長の指名で決まるのよ」
宮乃がにこやかに笑いながら極細サインペンを差し出した。
あ、あの、私、生徒会って一体何するところか分からないんですけど。それに私、超常研で頑張ってみようと思って、どこの部活にも入らずに・・・。え、ええと、それから・・・
加賀壬のぱにくった表情はすぐ分かる。気づいた近藤がちょっとあわてて解説した。
「あ、そんなに深刻になることはないよ。君には一年生の窓口になってほしいんだ。まだまだ入学早々で、一年生は僕らを見ると堅くなるからね。同じ緑タイの君になら相談も持ちかけやすいだろうと思ったんだよ」
近藤は加賀壬の前の椅子に座り、楽しそうに彼女を見た。
「学校にはいろんな生徒が集まっている。それぞれにしたい事、やりたい事は異なってるけど、僕らはできるだけそれを叶えたい。そのための潤滑剤なんだよ、生徒会はね。
まだ新入生には生徒会の意味が分かって貰えないみたいなんだ。生徒会はね、先生の下働きじゃない。生徒の上にいるのでもない。生徒会は生徒を代表して、その意見をまとめるのが仕事なんだ。学校を会社に例えるとね、先生達教職員は社長達経営者。生徒が社員。そして僕ら生徒会は労働組合になる。生徒の要望をまとめて学校側に交渉を持ち込んだり、逆に先生からの提案を生徒みんなに報告したりね。HRで進行役をするクラスの学級委員みたいなのさ。
僕らはあくまで生徒だ。みんな平等の、ね。でもまだ、特に新入生は僕らに対して、何て言うのか敬意を持ちすぎるというのか、とにかく身近には感じていないんだよ。
だからね、君に手伝ってもらいたいんだ」
近藤の解説というか演説にさらに困ってしまった。あたしがぁ? あたしが生徒会?
「え、えと、先輩、どうして私なんですか?」
私なんかじゃ勤まらないと思うんですけど。加賀壬はそう思った。
「君を選んだのは簡単だ。君がみんなに<頑張る>を配れるからだよ」
配る? 私が?
「君は気づいていないのか? そうか、でも、本当だよ。緑苑学院の時にそれは立証されているし、あれから僕等自身も君をこの目で評価した。その結果だよ。君ならできる。そう僕らは考えたんだ」
書記の宮乃弥生もうなづいた。近藤のお誘いはさらに続く。
「それにね、七月の生徒総会、つまり一学期末の総会以後、僕ら三年は事実上引退する。会長は三年から選ぶことになっているからそのまま継続ではあるけどね。夏休みからは副会長の篠木原君が事実上会長になる。僕はね、彼のために今から優秀なスタッフを集めておきたいんだ」
篠木原副会長。あの眼鏡のシュン先輩である。そうか、生徒会長になるのか。ま、選挙で決まるのだからどうなるのかは分からないけど。でも近藤会長はシュン先輩を推すんだろうな。選挙では多分対立候補と戦って、演説ではシュン先輩が「前会長の意志を継いで・・・」とか言って。なんだか退陣した首相が推す元大臣と、改革派が推す新人の戦いのような光景をふっと頭に浮かべ、加賀壬はさらに遠い世界であると悟った。
あたしには付いて行けないや、と。
「あ、あの、考えさせて貰えま・・・」
そう言いかけた時、近藤の瞳に驚きの色が走るのが見えた。次いで落胆の色が。
うーん、やっぱりやるしかないのかな? それに役員じゃないんだから、なんとかなるかも・・・。そう思った時である。耳を突き抜けるような鋭い声が響いた。
「その子は私のよ、近藤」
静かだが張りがあり、耳に、そして脳に直接触れるようなその声。振り向くと香土岐先生が入り口で仁王立ち状態だった。
今日は黒にいぶし銀という渋い配色だ。基本はいつもどおりに黒。だがタイツと襟が銀。ツートンカラーながらも、やっぱり喪服を思わせる服装であった。その服に包まれた肢体から強力なオーラでも発せられているかのように、香土岐の体は威圧的に見えた。
「遅いと思っていたら、こんなところでつかまって。
さ、加賀壬、来て」
言葉そのものは特に厳しいわけではないが、その有無をも言わさぬ口調。加賀壬はあわてて立ち上がると、身動きすらできずにいる近藤と宮乃に会釈してから先生に付いて廊下に出た。
「ご、ごめんなさい、先生、急いで行こうと思ってたんですが・・・」
それには答えず、ハイヒールをカッカッと鳴らして図書室に入る香土岐。先生、やっぱり今日も背中丸見え。そう思いながら加賀壬が続いて入ると、自然に扉が閉まる。もう加賀壬も慣れっこになっていたが。
室内には四人の生徒がファイルの入った段ボールを抱えて右往左往していた。
「今日は資料と書庫の整理。さ、それを付けて」
香土岐に言われて黒のエプロンをあわてて手にする加賀壬。そうか、掃除なんだ。ここは入れる生徒が少ないから、お手伝いが欲しかったんだな。そう加賀壬は納得した。そこにいたのはみんな超常研の先輩だ。一人だけ赤のネクタイなので三年で、残りは青、つまり二年生だ。名前を知っているのは書記の朝臣先輩と会計の姫さんだけ。他は見たことがあるという程度だった。
「何をしますか?」
ブラウス姿になり、エプロンをして腕まくりをし、用意が出来た加賀壬の声。香土岐が隅に置かれたバケツと雑巾を顎で示した。
「机と椅子を」
「はい!」
ファイルの整理はどうしていいのか分からない。分類法も知らないからだ。でもこれなら大丈夫。加賀壬は元気に答えると、早速雑巾を手にした。
机は一つを除いてみんな折り畳み式の会議テーブルだ。椅子は全部超常研のと同じパイプ椅子。まずはテーブルを拭き始める。側に噴霧式の液体クリーナーがあったので、簡単だった。ついで椅子。ところどころに大きな汚れがある。椅子は机と違い、曲面が多いのでちょっと苦労した。
加賀壬は掃除が嫌いだ。面倒だから。だが、不意に散らかりようが気になると一気に大掃除をするのが癖だった。特に読みたいと思った本がすぐに出てこないのが一番頭に来る。そのせいで彼女の部屋は「法」と「混沌」が交互に支配する場所になっていた。とにかくどんどん捨てる。それが一番手っ取り早い。捨てがたいものは日付を書いた段ボールにごちゃごちゃと詰めて押入に放り込む。郵便局で売っている郵パック用の一番大きな段ボール。あれが重い本を入れても丈夫だし、大きさを統一しておくと積みやすいので便利だ。押入が一杯になっていたら、日付の古いものから引っぱり出して再度吟味して量を減らす。それが彼女の大掃除だ。決められたゴミの日に合わせればいいのだが、いつも不意に始めるので、ゴミ袋の山を前に母に怒られるのも彼女の大掃除の習わしだった。
今回は拭き掃除だけだ。だから選別を考える必要もない。一生懸命磨く。綺麗になると単純にうれしくなった。どんなに綺麗になったのかを見比べたくて、一個だけ手を付けずに残しておきたくなったが、香土岐の視線が怖いので、大慌てでそれも終えた。
次は窓の鎧戸だった。埃はダスキンモップで落とす。その後で雑巾がけ。これは単調ながら大仕事だった。なにせ壁面一面、全部だ。平たい窓ならともかく、何段にもなっている鎧戸は一枚拭くだけで大仕事だ。幸いなことは部屋の反対側、もう片方の窓は書庫に埋もれていて見ることもできない事。だから今回は無視だ。
半分程進めた時に、加賀壬はふと窓の異常さに気づいた。
あれ? この窓、動かないぞ・・・?
鎧戸を拭き終えたらお水を代えて、窓ガラスを拭こうと思っていたのだが、ここの窓、開かない。総てがモルタルで埋め込まれている。注意してみると、窓枠と窓枠同士もモルタルで閉ざされている。
これじゃ窓にならないなぁ。そう加賀壬は思いながらも、この三階から身を乗り出して、外側を拭かずに済んだことを喜んだ。なにしろ彼女は高所恐怖症なのだから。
ここの校舎には外階段がある。その一番上でふと空を見上げたとき、周囲に空だけが見え、全く地上のものが見えなくなった瞬間、恐怖に身をすくめたのはつい先週のことだ。まるで自分が空から落ちているような、そんな恐怖心が一気に心を支配して思わずしゃがみこんでしまった。屋上で見上げる分には何とも思わなかったのに、外階段の下がなにもない空間という認識が加賀壬の心に作用したのだろう。
あの時は怖かったなぁ、もう絶対見ないぞ。
作業が単調故、そんな事をぼーっと考えながら掃除を続ける加賀壬だった。
窓も拭き終えた頃、先輩達の作業も一段落したようだ。その時に気づいた。いつの間にか美咲会長と、生徒会&超常研両方の副会長、シュン先輩がいた。掃除に夢中になっている時に来ていたらしい。二人ともエプロンを外して香土岐先生と話しをしている。
コンビニに買い出しに行っていた姫さん達が帰ってきて、コーヒーブレイクになった。全員一番大きなテーブルの側に座ってお菓子を食べ、お茶を飲む。
掃除で埃が舞い飛んでいるはずなのに、図書室はいつもながらの清浄な空気に戻っていた。この程度のことでは驚かなくなっていた加賀壬はちょっと自虐的な笑みを浮かべお茶うけを手にした。
「九字御法印は問題なく作用しています。五方と八方は再度かけ終えました」
「縁(えにし)はどう? 変わりはない?」
「はい、みぃんな静か。眠ってるみたいですよぉ」
香土岐先生は会長と姫さん、二人の美咲の言葉に満足したようだ。加賀壬にはちーっとも分からなかったが。多分結界とやらの話だろうと思い、気にしないことにした。そう決めた時、不意に香土岐が加賀壬を見つめた。
「それでは困る。早急に覚えてもらう」
「はぁ?」
びっくりしてぽたぽた焼きを落としそうになる加賀壬。
「ゆがみとひずみに気付く程度には覚えてもらう。委員になったからにはな」
ゆがみとひずみ? 何のこと?
「よし、では今日はここまで。後かたづけを頼む。私は時間だ。職員室に行く。
本年度第一回の図書室委員会、終了」
そう宣言して、香土岐はカウンターにかけてあった上着を手にすると、またカッカッとハイヒールを鳴らして出口に向かう。彼女の接近に合わせて独りでに開く観音扉。加賀壬はもう驚くこともなかった。自動ドアだと思えばなんでもないのだ。
でも。今、確か「第一回図書室委員会」とか言ったような。
「あのー、先輩?」
加賀壬はシュンに顔を向けた。
「図書室委員って、何です?」
第三章
翌日。1時間目はHRだ。議題は委員会について。学校生活に欠かせない各委員を自薦、推薦で決定して行く時間である。
黒板に各委員会が列記される。当然図書室委員会の名称はない。
まずは自薦、つまり立候補者が手を挙げて、それぞれの名称の下に名前が書かれて行く。しかし、その人数は少なく、ほとんどが空席のままだ。委員会の数は八個。それぞれ男女一名づつだから、計一六名が選ばれることになる。となればクラスの半分程度が責任逃れができるわけで、そうなるとみんな静かなままだ。既に決まっている学級委員長が他薦の募集を告げた。
しかし、ここで誰かを推薦すると、次ぎにお返しで自分が推薦されることになる。それを予期してか、数名の名前しか挙がらない。それでも保健委員、美化委員と続いて決まって行き、図書委員の番になった。
「図書館でのカウンター仕事と蔵書の整理など、司書の先生をサポートする委員会です。誰か推薦者はいませんか?」
クラスのほぼ全員が加賀壬を見た。なんで立候補しなかったのだろうという顔だ。
しかし、加賀壬は俯いたままだ。
「はい鮎川さん」と委員長。どうやら紫織が挙手したらしい。
「やっぱ図書委員やったら加賀壬さんちゃうの?」
クラスのあちこちから同意のつぶやきが起こる。
「加賀壬さん、推薦がありましたが、女子図書委員でいいですか?」
委員長の声も単に確認にすぎないようだ。加賀壬は申し訳なさそうに立ち上がった。
「すみません、私、図書委員にはなれません」
一斉に起こるざわめき。もちろん驚きの声もあるが、大抵は抗議の口調だ。
「何か理由はありますか?」
矢野さんひどい。保健も美化も、推薦された人にそんな事聞かなかったのに。加賀壬は委員長に文句を言いたかったが、その元気もなかった。
「あのー、知らないうちに決まってたんですけど。私、図書室委員になってたんです」
全員きょとんとする。なんだもう決まってたのか、という声は「室」という部分を聞き飛ばした生徒だろう。しかし、大半はとまどいの表情を見せていた。話の展開が見えなかったのだ。
「図書、室、委員会、に?」
そうとぎれとぎれに聞いたのは浦辺先生だ。ざわめきが広がったので、加賀壬が顔を上げてみると担任、副担任、共に複雑な表情になっている。
「はい。私も昨日知ったんですけど・・・」
それを聞いて加賀壬に同情の目を向ける栢野が言った。
「そうですか。それは大変でしたね。
でも、大事なお仕事ですから、頑張って下さいね加賀壬さん。あなたならきっと乗り切れますよ、三年間」
いやぁ、そう言われても。加賀壬はまた俯いた。
「先生! 図書室委員って何やの? 図書委員ちゃうの?」
鮎川の声だ。そうなの。全然違うの。そう思いながら加賀壬は席についた。
「あー、図書室と図書館があるのは知ってるな、鮎川。図書室委員というのは図書室専門の委員会だ。生徒会に所属していて、その、なんだ、あそこのファイルの保管とか、まぁ、いろいろやる委員だ」
なにそれ? あの血染めの図書室に? 知らないぞ、そんなの。
クラスメートたちのつぶやきが聞こえる。そうよね、私も知らなかったもの。加賀壬は身を縮こませた。
「じゃ、加賀壬さんは図書委員になれないんですか?」
「うむ。残念ながらそうなるな、開田。一人が二つの委員になることはできないからな。図書室委員は担当の香土岐先生の指名で、生徒会の中から任命される。随時、だ」
「でも、加賀壬さん、一年生が図書室委員に選ばれたのは多分あなたが初めてですよ。期待されてる証拠です。頑張って下さいね」
だから期待されてるのが重荷なんですよ栢野先生。加賀壬はそう思って哀しくなった。どうして私が・・・。
「先生、生徒会の中から選ぶのに、どうして加賀壬さんが・・・」
茜ちん、心配してくれてる。加賀壬はそう悟ると、落ち込んでいられない事を悟った。そうだ、もうどうしようもないことなんだ。それは昨日認識させられた。だったら。この話は一秒も早く終わって欲しい。
そう思った加賀壬は鞄を開けた。皆、何事かと加賀壬を見る。
昨日渡されたそれを制服の袖に付ける加賀壬。安全ピンを止めた時、もう戻れないと感じた。クラスの全員が見た。「生徒会」の腕章を。
立ち上がる加賀壬。無理に作った笑顔で語りだす。
「わ、私、昨日付けで生徒会参与員になりました。推薦者は香土岐先生、小島先生、近藤生徒会長、美咲超常研会長の四名です。臨時役員会で満場一致で決定しました。
ですから、私、生徒会実行委員ではありませんが、参与員として、図書室委員に任命されました。
えと、というわけなの茜ちん。でも心配しないで。大変そうだけど、頑張ってみるから、私」
彼女の笑顔は作り物というよりも凍り付いた様だった。その表情を見て困惑する生徒達。
「矢野さん、というわけで私、推薦を受けられません。他の人を選んで下さい」
加賀壬はようやくそう言うと着席した。
第四章
「えらい急な話で・・・」
語尾が下がる発言は鮎川紫織。
「断れないの?」
上がるのは開田茜。
加賀壬たちはいつもどおりに三人でお昼を食べていた。今日はグラウンドへの渡り廊下にあるベンチだ。
コロッケパンをちまちま食べながら加賀壬がうなづく。二人ともため息をついた。
「参与って何やの? 何するん?」
「うーん、良く分からないんだけど。
えっとね、まず生徒総会で任命されるのが三役。でも実際には七人いるけど、それが役員ね。で、生徒会長が任命して、生徒会のお仕事を実際に行うのが実行委員。ここまでが通常生徒会なの。でね、特別な事、例えば文化祭とか、創立祭とか、卒業式とかに臨時で協力するのが参与っていうんだって。だから期間限定、職業限定で生徒会の人になるの」
三色パンのクリームを先に食べ終え、次ぎにチョコに食いつこうとしていた鮎川がほっとした表情になった。
「期間限定? せやの、なら・・・」
「私の場合卒業まで」
ぐふっとむせる声。開田がハムサンドを喉につまらせかけ、あわててカフェオレのパックを手にしたのだ。
「そ、そ、そつぎょう? なんやの、それ。全然期間限定ちゃうやん」
鮎川が三色パン、正確には二色パンを振り回しながらどなる。周囲の注目を浴びるがかまわず続ける。
「限定ちゅーんわぁ、いついつまでって決まっとるもんやろ? 卒業までやったら、限定ちゃうで」
「ううん、生徒会はね、三年の途中で引退なの。でも私は図書室委員だから、卒業まで」
「せやったら限定やのうて、延長やん!」
「そうとも言うね」
それを聞き、復活した開田も鮎川と並んで、じと目になる。
「なんでそんなん了承したん?」
ひくーい声で加賀壬に問う鮎川。無言で同じ質問をじと目で送る開田。
「うーん。何でだろう」
その答えに二人がひっくり返った。
「だって、断れる状況じゃなかったんだもの。図書室の香土岐先生でしょ、生徒会長でしょ、私のいる超常研の会長に顧問の先生でしょ。この四人に推薦されて、どう断るの?
それが出来たならそうしてたよ、私だって」
「ちょっと待って加賀壬。じゃ、どうしてあなたなの?」
「うーん、それを聞きたいのはあたしだよぉ、あかねちん。
香土岐先生が言うにはね、図書室には一般の生徒は入れないの。というか、入ろうとしないようになるのよ、扉の前で。でも私には効かなかった。作用はしたんだけど、私を受け入れたんだって、その結界がね。だから入れる生徒が少ないんだから、私が手伝わないと人手不足なんだって。
超常研側ではね、次代を担う一年生に参加してもらうのは良いことだからって。今の一年で私が一番記録とか書籍に親しいから適任だって。
でね、生徒会長はね、私がみんなに<頑張る>を配れるからだって。
なんだかよく分からないんだけど、そんなこと言われているうちに、こりゃやるしかないのかなって」
鮎川は大きくため息をついた。
「騙されとるんちゃう? いいように使われて、ぼろ切れの様にされてポイ、ちゃう?」
「何それ、しおやん。あたし、女郎さん?」
「遠いけど、ある意味近いかもよ、それ」
「あかねちんまで。どーせ私はどんくさいから、うまくこなせなくてぼろぼろになりますよーだ」
「いや、そーいう意味じゃなくって・・・」
加賀壬は食べかけのコロッケパンを持つ手を下げて、二人の級友を見た。
「うん。分かってる。心配してくれてありがと。
でも、私決めたんだ、昨日。できるかどうか分からないけど、やってみるって。すっごく不安なんだけどね。
図書室委員ってあたしの他に六人なの。で、全員超常研の先輩。だから、実は超常研のお仕事の延長なのね。
それが分かったから、頑張ってみることにしたの。超常研で精一杯やってみるって決めてたから」
加賀壬が笑った。ちょっと照れくさそうに。その笑顔を見せられては応援に回る以外ない。そう二人は感じた。
「ほんまかもね、会長さんの言葉」
「え?」と聞き返す加賀壬。答えたのは鮎川ではなく、開田だった。
「あんたがガンバるを配るっていう話。本当かもね」
第五章
本日最後の休み時間。次の六時間目が終われば解放されるという生徒たちの顔も明るい。
加賀壬は開田たちと放課後の相談をしていた。今日は部活に顔を出して明日の予定を確認すれば後はフリーだ。そこでみんなで駅前のサテンというか、ケーキ屋というか、コンデトライ(カフェハウス)風のお店に行くことになった。お店の名前はミヨシヤ。昔は三好屋製菓処と言ったらしい。和菓子屋である。なんでも若旦那がウィーン修行から戻り、現在の欧風菓子&喫茶というお店にしたのだそうだ。ことに数年前にビルにして、三階を和生菓子、二階、一階をウィーン風のカフェハウスにしてから、特に繁盛している店らしい。
駅前の一等地にある大きな白いビル。加賀壬も毎日登校時に見ていたが、ここの近所の子供はみんなミヨシヤのケーキを一番のご馳走にして育ったらしい。特に素朴な味わいのケーゼクーヘン(チーズケーキ)とざらっとした舌触りのザッハートルテ(チョコケーキ)が有名で、雑誌にも良く載っているのだそうだ。しかし、地元では評価が違う。その一番の有名ケーキはなんと言っても発音しずらさと、こってりとした甘さ&舌がしびれそうなすっぱさのツィトローネンクーヘンだという。レモンケーキというかレモンパイというか、とにかくここらでこれを知らない子はモグリという程の知名度とか。級友で、自称食通の三宅さんが言うには、うまいまずいを飛び越えた味らしい。
「この街の子になるなら、ミヨシヤのチトロネは食べとかないとね」
開田にもそう言われ、一体どういうものかすごく興味が沸いた。
「今日行く?」
「もちろん!」
加賀壬は元気に答えた。
その放課後になった。意気揚々と、まずは掃除に行こうとしていた加賀壬は不意に響いた校内放送にぎょっとした。
「生徒会の加賀壬宏子! 速やかに出頭せよ」
スピーカーから聞こえた、低く、なおかつ威圧的な声。あんぐりと口を開ける間もなく、加賀壬は「ごめん」と三宅さんにモップを渡してダッシュして教室を出ていった。校内放送に目的地はなかったが、それは言わずもがな、だからである。
廊下に飛び出し、渡り廊下を疾駆するその姿をC組の窓から見ている男子生徒二人。佐伯と小島である。
「やっぱり。加賀壬さんだ」
「加賀壬さんが生徒会? あ、腕章付けてる」
佐伯は笑いながら答えた。
「本当だ。成る程な、どうりで最近良く近藤先輩が来てたわけだ。
彼女程の頑張り屋なら、ぜひ味方につけたくなるだろうな」
小島は黙っていた。
先輩からだけでなく、生徒会長からも一目置かれてるのか。そうだよな。僕とは違うんだ。
小島の表情は暗かった。佐伯はそれを知って知らずか、特殊棟に飛び込もうとしている加賀壬を見つめていた。
「あ、こけた」
膝が痛かった。あんなとこに段差があるなんて。
加賀壬は特殊棟を駆け抜け、管理棟に向かう。掃除中の生徒がいない外階段を駆け上がる。ここは嫌いなのだが、今は非常事態である。四の五の言ってられないので一気に駆け上がる。体ががくがく言っているが、それを無視して鉄扉を開けようと手を掛ける。しかし、ここの鉄扉は重い。ぎぎーっと嫌な音をたてて、やっと開いた。ここの突き当たりがゴール。つまり最後の直線だ。
と、生徒会室の入り口に誰か立っているのが見えた。ダッシュですれ違いざまに彼女がタオルを加賀壬に渡した。書記の宮乃先輩だった。
「風邪ひかないで!」
加賀壬は後ろから掛けられた声に礼を言いたかったが、それもできずに走る。と、目の前で図書室の扉が開いた。飛び込む加賀壬。
「遅い!」
いきなりそう怒鳴られた。ぜーはーと荒い息を吐き、右膝には血をにじませながら椅子にもたれる加賀壬。彼女に冷たい声を掛けたのは、当然香土岐だ。
「呼び出しを受けたらすぐに来い」
来ましたっ! 全力疾走でっ!
そうどなりたかったが肺が、心臓がそれを受け付けない。なんとか椅子に座り込み、机に突っ伏して休もうとしたが、その姿勢で逆に気分が悪くなった。
「き、きもち・・・わる・・・い」
つぶやいて動かなくなる加賀壬。
「何をさぼっている。さっさと起きろ。先輩を待たせてどうする!」
香土岐の声にへろへろと身を起こすと、机の真正面に座る女性が目に入った。
ぎょっとして背筋を伸ばし、眼鏡を取ると生徒会と書かれたタオルで顔をごしごし拭いてから挨拶をした。
「こ、こんにちは、会長!」
「大変ね加賀壬さん」
その声は超常研会長、美咲由美だった。
「美咲は忙しいのを無理して来ているんだ。さぁ、さっさと始めるぞ」と、香土岐の声が後ろからした。次の瞬間、加賀壬の頭越しにどさっと本の山が置かれた。加賀壬宏子はその量にぎょっとした。これだけの本を、今片手で持ってなかった? 先生は。
「さて、美咲。まずはどこからにする?」
「そうですね。初めはやはり基礎概念からがよいでしょう。加賀壬さんには術力はさほどありませんから。しかし、概念を理解すれば飲み込みは早そうですので」
「うむ。ではそれで行こう」
「まずは各種の分類からにしましょう」
「結界の種類からか?」
「いえ、それより前に、大系ごとに解説した方が宜しいかと」
目の前に座った美咲会長と、加賀壬のすぐ横で例によってテーブルに腰掛けて大胆に足を組む香土岐先生。二人は何かどんどん話しを進めているが、加賀壬には何だか全然分からなかった。しかし、多分自分も関係することだと思い、息を整えてから聞いてみた。
「あ、あのぅ。何が始まるんですか?」
言い終わらぬ内にすぱーんと頭の天辺が叩かれた。いたーい! どうして?
「美咲。本当にこいつの飲み込みが早いと思っているか? こんなに馬鹿だぞ」
そんなー。馬鹿はあんまりです、先生。本当に分からないんですから。
「だから馬鹿だと言っている。昨日の会話を忘れたか? お前には早速覚えて貰う」
覚える? ・・・。あ、まさかひずみがどーの、ゆがみがどーのって・・・
「そうだ。さ、まずは基礎からだな」
先生は本の山からごそごそと一冊の薄い本を出した。それを見ていて気が付いた。加賀壬は今までしゃべっていなかった事を。愕然として先生を見上げる。見下ろすその冷たい瞳に、瞬時あざけりの色が浮かんだのを加賀壬は見た。
「今頃気が付いたのか? お前は私の結界内にいる。言い換えれば私の体の中に居るのも同然。お前の考えている事などお見通しだ。特にお前の様に思っている事がそのまま出る単純な奴だとな」
宏子は理解できなかったが、何か馬鹿にされた事は分かった。先生から目を反らした瞬間、目の前に座る先輩の顔に笑いを押し殺す表情が見えた。一瞬だったが、今確かに。
ああ。なんであたし、ここにいるんだろう・・・。
「・・・と、これ等の分類は結局は術者がどのように世界を認識しているかという点で成されています。
言い換えれば世界をどう見るか、ですね。その視点によっての分類です」
美咲は言葉を切って加賀壬の顔を見た。講義が始まってからもう二時間近い。だが、加賀壬にはちんぷんかんぷんだ。
「黒魔術系は世界にそのままの姿で作用します。物理的、物質的な法則を見出し、それに作用します。さっき先生が言った様に、科学に一番近い大系。物理学と化け学など、ほぼ同様のアプローチをしています。
それに対して白魔術系は基本的に媒介する存在があります。高度な物になれば成る程。神とか天使といった存在がそれを介します。つまり、世界が法則によって出来ているのではなく、それらは高位の意志によってその形を成さしめられていると解釈するのです。
灰魔術系は原始宗教系と精霊系に分かれますが、基本的には同じです。世界の形を成しているのは別時空にある大いなる意志ではなく、私たちの身の回りにあるもの、つまりエレメンタルとかマニトウ等によって成されています。それらの結びつきをこちらの意図に合わせて代えるのがグレイマジックの基礎」
頭がスになりそうな加賀壬。もうノートは落書き帳に近い状態だ。
「しかし、問題はそれ等が密接に絡み合っている事だな」と、さらに香土岐が混乱に追い打ちを掛ける。
「精霊魔法の一部は白魔法にもあり、黒魔法にもある。一方、灰魔法の一部は見方によっては白魔法にも成り得る。
ま、要は大系というだけあって、非常に大雑把なのだ」
それじゃ、今までのは何の意味もないんじゃ、と思った途端、また叩かれた。うぇーん、思っただけなのにぃ。
「術者はそれぞれの大系に従って術を会得していく。それ故に敵対する術者の種類を見抜くのは非常に重要な事。その為には大系を総て認識しておく必要がある。特に魔性は必ず一種の魔法系に偏るからな」
そうなのか。高位の魔性。先輩たちが倒している諸悪の根元。近い将来、必ず私たちの前に立ちふさがる敵。
加賀壬は両手で顔をぱん、と叩き、必死に集中しようとした。
「世界がどうあるのか。それは言い換えればな、例えばこの本が何でこの姿なのか、と考えるという事。
科学的に見れば、パルプで出来ており、その上にインクで印刷されているな。黒魔法でも同様に考える。紙作りという技術と印刷という技術によって成された成型物だ。
白魔法の観点で見れば、これは人が記録を残す為に神が与え給うた賜り物だ。紙作りも印刷も、さっき説明したハイリゲンブリンガー、<文化を与える者>、つまり文化英雄によってもたらされた。人の生活をより良くし、神が望む世界へ一歩でも近付く手段としてな。故に本一冊取ってみても、神の意志によって与えられた物なのだ。
灰魔法の観点から言えば、これは木だ。姿を変えたに過ぎない。美咲が言ったとおり、灰魔法というのは白魔法でも黒魔法でもないその他の魔法を総てひっくるめた言い方。故に、同じ灰魔法でも、見方が違う物もある。例えば本とは、本の精霊が因り付いているから本なのだ、という考え方だな。山は山の精霊がそこにあるから山になる。川も生き物も皆それぞれの精霊がそこにあるからだ。
こういう考え方は白魔法に近い。一方、先ほどの本とは木だという見方は黒魔法に近くなる。
分かるか? いわば見方イコール世界観。それが魔法を分類しているのだ」
「こういう見方もあります。魔法は真理を見出してそれにアプローチするもの。黒魔法は知識によってそれを見出そうとし、白魔法は己を高め、神の領域に近づくことで見出そうとし、灰魔法は素直にそれを感じようとすることで見出そうとする、と。
結局はどうアプローチするかの区分に過ぎません」
「例を出してやろう。
私が急に、不意に今ここで姿を消したとしよう。どうやればそれが出来る?」
加賀壬は考えた。姿が消える。アリスのチェシャ猫みたいの? それはいなくなるということ? それとも見えなくなるということ?
「そうだ。見えなくなるか、移動するか。これが第一の分類だ。では移動はせずに、そこに居るのに見えない場合に限定するぞ。どういう方法がある?」
見えない。うーん、一番簡単なのはカメレオンかな? 背景と同じ色にしちゃうっての。
「よし。他には?」と香土岐。
あ、忍者みたいに背景と同じ絵を描いた紙を貼るってのもありかな?
「有りです。それは隠蔽術の基礎ですよ加賀壬さん。でもそれにも種類があります。分かりますか?」
うぇぇ、私先輩の様に頭良くないもの・・・。
えっと。紙を貼る。うーん。自分に直接絵を描いちゃうってのは・・・
「それではカメレオンと変わらん」と先生の冷たい声。
そっか。後は・・・。そうか、見ている私の目にその光景を直接焼き付けちゃうってのは?
「ふむ。多少違うが良しとしよう。
この場合、相手の目ではなく、視覚そのもの、つまり脳にその刺激を与えるのだ。ただし、これは非常に高度だがな。一方、さっきの紙を貼るという方法。これは単純な幻影だ。つまり両方とも相手に幻を見せるという事は同じだ。前者の場合、例えばビデオで録画していたら消えはしない。しかし、後者の場合にはビデオも騙される。同じ幻影でもここまで違うのだ。
よし、加賀壬。他の方法は? 考えてみろ」
そうだよなぁ。うーん。
加賀壬は自分のノートを見た。何かヒントがないかと思って。先輩も先生も無言のままそれを黙って見ている。
黒魔法で消すとしたら? うーん、科学的にか。おお、そうだ。プリズムとか鏡みたいなのを使えばいい。そうすれば何とかなるんじゃないかな? ふっと振り仰ぐと、先生が頷いている。良かった。当たりみたい。でももっとあるんだろうな。えっと。
「あの、移動してないんですよね」
「そうだ」
「じゃ、私と先生の間の空間を移動させちゃうってのはどうですか? 先生の後ろの空間をここに来させて。そうすれば・・・」
「ははははは。確かにそうでも良いか。だが、それは高度すぎる。どうせならずらす方が早いな。
では黒魔法以外を考えてみろ」
「はぁ」
加賀壬は次に白魔法を考えた。神の奇跡? うーん。自分を高めて姿を消す。神の力で・・・。
見えない天使に姿を包んでもらうってのは?
「違う。発想はいいがな。その場合、姿を消す力を持つ天使を身に宿すのだ。天使と同一になることでその力を得る。それも一つの手段だ。よかろう。今度はグレイマジック系を考えろ」
灰魔法、灰魔法、と。エレメンタルだとすると。見るというのは風かな? 光りかな? さっきの光りの屈折でできそう。あ、風みたいに見えないものを宿すのもありかな?
うーん。本の精霊がいるから本になる、か。じゃ、人間も人間の精霊がいるから? 人間の精霊を一旦どかせばいいのかなぁ。
「不可能ではない。しかし、多分、もう人間には戻れないぞ」
うわぁ、それじゃだめだ。えっと、じゃ、透明な人間の精霊を作れば・・・
「お前・・・、凄い事を考えるな。成る程な、お前の力はその突飛な発想かもしれんな。
まぁそこまでできればよかろう。
他にも幻影の一種だが、相手の心に直接作用して、見えていない様な状態、ま、催眠術だな、そんな状態を作る事もできる。目に見えない場を作り、その中に籠もるという方法もある。
つまりだ、姿を消すという事一つ取ってみても、物理的な幻影、視覚的な幻影、精神的な幻影、光りの屈折、色の変化、空間の湾曲、因り付き、憑依、その他様々な方法があるのだ。そして術者によってその方法が違う。
私ならば光りを屈折させるか、場その物を入れ替えるか、相手の精神に直接訴えて見えているのに見えないような気にさせるかだな。
美咲、お前ならばどうする?」
香土岐先生は会長を見て言った。彼女は事もなげに答えた。
「私は精霊魔法系ですから、光りの精霊に頼むか、あるいは闇の精霊で、私だけを消すかでしょうね。それともう一つ。多分余程のことがないと使わないでしょうが、時に訴える方法もあります」
香土岐は頷いた。
「成る程な。時間。そこになにも無かった時間を及ぼすのだな。美咲のお家芸、集団呪法とやらか。まぁ、確かにお前にとっては最後の手段だろうな。理(ことわり)を乱すからな。
加賀壬。今までの分類で言えばな、私は黒魔法だ。そして美咲は精霊系、つまり灰だ。
より正確に言えば、私は場を作るために物理法則と数字を用いる。美咲は精霊に訴える。そこまで根本的に違うがな、できる場そのものは大差ない」
加賀壬は先生の言う意味が分かった。
「この図書室がその<場>なんですね」
「そうだ。結界だ。ここには外界から隔離しておかねばならない物が多い。鬼退治の話しを聞いたことがあろう? 腕を取り返しに来るというやつだ。あの腕に当たる物がここには多数封印してある。私が数式にして閉じ込めたのだ。
故にここは核兵器の保管庫同様、テロリストから守らねばならない。少しでも結界に異常があれば大変な事になる」
そうか。それがゆがみとひずみなんだ。
「そういうことだ。お前は術者ではない。しかし、感じる心は誰にでもあるのだ。お前は今のこの図書室の状態を覚えるのだ。そして違和感として歪みを見出す。それが図書室委員としてのお前の仕事だ。良いな。
さて、美咲、随分付き合わせてしまったな。今日の所はここまでだ」
香土岐先生はそう言ってお開きを宣言した。ちらりと時計を見る加賀壬。ああ、もうミヨシヤ閉まっちゃったかなぁ。ああ・・・。
しかし、これでお終いではなかった。美咲先輩が帰った後、先生は新しい本をどさりと加賀壬の前に置いたのだ。
「さぁ二時限目だ」
「え?!」
加賀壬は本を見た。がーん、英語? いや、違う。何語? これ?
「日本での呪術の歴史は長い。しかし、昨今ではそれ以外の物も多いのだ。私の様にな。故にお前にはラテン系、ゲルマン系といった印欧語族とスラブ系を一通り覚えて貰う」
げぇっ! んな無茶な!
「大丈夫だ。まずは一つ覚えろ。そうすればその関連の物は大抵理解できるようになる。この図書室の中でならな。縁(えにし)によってだ。例えばノイホーホドイチェ、つまり現代高地ドイツ語を覚えたとしよう。その祖先である中世ドイツ語とか親戚のネーデルラント語といった関連語もここでなら読める。そういった場だからな」
「でも先生。私、英語ですら駄目です。赤点すれすれで・・・。ごめんなさい」
香土岐はその細く厳しい目に笑みを浮かべた。はっとする加賀壬。ああ、先生また何か企んでるんじゃ・・・
「お前、被害妄想の固まりだな。ひょっとして<いじめてちゃん>って奴か?
いいか。魔法というのは物理的な物と精神的な物総てをひっくるめていると最初に教えたはずだ。
例えば駅から学校までの距離は変わらない。しかし、テストの当日、学校に来るまでは長く感じ、終わってから帰るまでは短く感じる。学校で好きな男と会えるのならその通学路は短く感じ、嫌な奴と会うのなら長く感じる。
要はアプローチの仕方一つだ。
まずはその本を読んで見ろ。薄い方だ。で、これは辞書。で、これは初級の文法書だ。分かるな」
「せんせぃぃ、初級って言っても、これ、大学教材用って書いてありますぅ」
「良く聞け。要は心の持ち様だ。読みたい本なら、どんな事をしても読みたい。そうだな、加賀壬。ここの図書館を利用したくて、ずっと頑張って入学したお前だ。そうだろう?」
がーん、先生、知ってるんだ。あたしが中学で、ここは無理だ、己の成績をよく見ろって言われたの。ううっ、あたしを馬鹿呼ばわりするのはそのせいかぁ。
香土岐はそんな加賀壬の心を無視して早速アズブーカ、すなわちアルファベットを説明しだす。
「いいか加賀壬。外国語の最初の障壁は活字そのものだ。英語のABCならさほど違和感はないはず。しかし、それ以外の文字があると途端にパニックを起こす。最初の壁はそこだ。まず文字を全部覚えろ。単語の意味よりも音だ。文法よりも書いてある文字を読めるようになれ。意味なんか後で調べればいい。そのための辞書だ。まずは三週間我慢しろ。必ず読める様にしてやる。
教材はこれだ。著者の名がここにある。読めるか?」
「読めるわけないですぅ。なんです、この模様?」
「ここに英語表記との対応法がある。まずこれだ。Fだ。いいか」
加賀壬は先生がめくった初めの方のページを睨んで、一文字一文字ノートにかきつづった。まるで暗号解読だ。こんなの出来るわけない。私、馬鹿だから・・・
「全部書けたな。読んで見ろ」
「ふぇど・・・みは・・・うーん、分かりません!」
加賀壬は机に突っ伏した。もうだめ。お家に帰りたいよぉ。
「もう挫折か。
よし。じゃお前に一つ魔法を掛けてやろう。読みたくてしょうがなくなるような、な。
いいか、良く聞けよ。その音を読んでやる。これはな、こう読むのだ。
フョードル・ミハイロヴィチ・ダスタイェフスキィ」
加賀壬はがばっと身を起こした。さっき自分で書いた暗号を食い入るように見る。
「英語で言えばドストエフスキィだ。これはお前が前に読んでいた、やさしい女の原書だ。作家の日記の一部だよ。
三週間頑張れ。ロシア語の基礎と正確な発音が出来るようにしてやる。後は自分で文法書と辞書でやってみろ」
さっきまでは暗号みたいに無味乾燥に見えた本。でも今はそれが宝の地図に見えた。加賀壬は自分が魔法に掛かったことを知った。そうか。魔法ってこういうものなんだ。
その姿を香土岐はかすかに笑みながら見つめていた。
つづく