
von:秋澤 弘
第一章
漆黒。光のかけらすらない闇。
いやだ、こわい、たすけて、ゆるして、いや、いや・・・
震える手で頭を抱えてうずくまり、恐れおののく少女。ここには少女しかいない。少女以外、誰もいない。少女以外、何もない。
だが彼女は知っていた。この先に恐ろしいものがあることを。
こわい、いやっ、おねがい、だれか、たすけて!
少女は救いを求める。たくさんの顔が浮かぶ。助けてくれるかもしれない。ワラをも掴む思いですがるその顔は、差し出す指からすり抜けてこぼれていく。そうだ、この人たちは私にウソをついて裏切った人だった。助けてくれるはずなんか、ない。少女の心に絶望がにじみだした。そして、その中の一人の顔を見てしまった時、絶望は一気に心を埋め尽くす。それは自分が裏切ってしまった人。自分だけ生き残ってしまった。裏切り、見捨ててしまったひと。
ごめん、ごめんね・・・おかあさん・・・
もはや少女の心が漆黒に塗り潰されるのを止める術はない。切れ切れに浮かぶ顔に謝り続けるだけだ。ちらりと、別の顔がちらりと浮かんだ。今朝、少女を助けようと立ちはだかってくれたひと。でも、その人の差し伸べる手を振り払い、選択したのは自分自身。
もう何もない。何の気持ちも想いもない。みんな消えていく。
いやだ。それはいやだ、たすけて、だれか!
少女の奥底に沈みかけていた生への渇望が必死にもがいている。だが、絶望と恐怖に塗り込められてそれすらも消えていく。今朝助けてくれた人の姿も消えていく。あの時の光景が断片的に現れては消えて。そして最後に、落ちたガラスの様に今朝の光景が砕け散った。舞い散る最後の一片に写った人は。
たすけて・・・みやび君
「は〜い!」
不意に聞こえた声。振り仰ぐ少女の目に、立っている少年が写った。
「やっと決心ついたかな?」
何故? どうしてここに彼がいるの?
漆黒一色だった彼女の心に小さいが様々な色が走り出す。
「僕はいい飼い主だよ。君をちゃんと守ってあげる。だって、ペットが車道に飛び出すのをただ見ている飼い主はいないでしょ?
守ってあげる。だから君の生涯を僕に捧げて。どう? 僕のしもべになる?」
差し出された手。少女はそれをじっと見つめていたが、やがてこくんと頷いた。震える手を伸ばし、その指先に向けて自分の指を伸ばした。
触れる。
暖かな何かがそこに生まれた。凍えた手をストーブにかざしたように、ゆっくりと熱が染み渡っていく。
「じゃ、契約成立。今から君は僕のペット。僕は君の飼い主。
そんじゃ、早速だけど。ここ、何とかしちゃおう」
少年が言葉を終えるのと、その手がさっと動いたのは同時だった。少年は片手に持っていた日本刀を振り払ったのだ。それと共に闇が払われた。しかし光が満ちたという感じではない。切り落とされたカーテンの様に闇がばさりと落ち、そこに最初からあった窓が見えたような感触。だが、そこにあったのは窓ではない。ドアだ。
見覚えがある。そう少女は思った。ドアに埋め込まれた磨りガラスの位置も、ノブにも、そして幾つか付いた傷にさえ。
曇っていた少女の心が記憶を見いだした。それは少女の家のドアだった。そう、やっと少女は帰ってきたのだ。
だが。それを思い出した途端、彼女の体は震え、心は再び恐怖一色に彩られた。
いやだ、こわい、このむこうがこわい。たすけて!
感電でもしたかのようにがくがくと身を激しく震わせ、少女の自我が壊れていく。心のガラスにヒビが入り、また粉々に砕けていく。その時、肩にぽん、と置かれた手。暖かな何かが染みこんでくる感触。割れたガラスが熱で溶け、再び一枚に戻るかのように。少女の心は自分を取り戻した。
少女は少年を見つめた。片手にまだ抜き身の刀を持ったままの少年に恐れはしなかった。もっと恐ろしいものがすぐそばにあるのだから。
怖い。助けて。そんな想いが籠もった少女の目。しかし、少年は呆れて笑っていた。
「やれやれ、世話焼けるなぁ。まぁ最初は手がかかってもしつけ、ちゃんとしないと、いいペットにはならないよねぇ。
はいはい、よく耳を澄まして。泣いてるのは君? それともあの子?」
あの子? 少女は不思議に思った。誰だろう、と。その時、自分のすぐ隣から声が聞こえた。
「こわい・・・たすけて・・・。もういや・・・」
少女のすぐそばに。その子はいた。怯え、泣きじゃくり、ドアから離れようと後ずさる女の子。
「いやぁ・・・。もうやめて、おかぁさん」
おかぁさん。その言葉を耳にした途端、少女の心に女の顔が浮かんだ。生じる違和感。ビール瓶で少女に殴り付けてくる若い女性は母ではなかった。
そこで分かった。それは女の子の母親なのだと。同時に理解した。今まで恐れ、怖がっていたのは自分ではない。この女の子だったことを。
少女は、いや小野村は幼い頃の<門の繋ぎ手>の前に体を寄せた。その視界を遮り、震える頭を抱きかかえる。
「怖かったら見ないでいいんだよ。あの人もそう言ってたもの。怯えないでいいよ」
繋ぎ手は小野村を見上げた。震える口が何か伝えようとしている。本当に? そう動くのが見えた。
「うん。本当。だから、もうお帰り」
ぱっと女の子の顔に花のような笑顔が咲いた。
「うん」
立ち上がり、駆け出すその子は小野村に背を向けて数歩もいかないうちに、ふっとかき消えた。小野村はそれを見送った後で、再びドアに向かった。いつのまにか少年も消えていたが、小野村はそれを不思議には思わなかった。このドアの先に呼ばれているのは自分なのだから。
ノブに手を伸ばす。鍵がかかっているかも。ふとそう思ったのは母が地域活動のボランティアで忙しかったから。小野村の脳裏にちらりと浮かんだ疑念は杞憂に過ぎず、ノブは動いた。かちゃり、と玄関が開く。
「ただいま、お母さん」
それに応えるように。開いていくドアからほとばしる色と音、そして風。驚いて小野村は目をつむり、片手で顔を覆った。
第二章
目を開くと、そこは再び黒一色の世界だった。しかし、今度はそこに不安はない。恐怖も孤独もない。なぜならその「意思」は感情を知らなかったから。時を渡り、存在を渡り。そうやって「意思」は長い長い旅を続けていた。
今、「意思」はこれまでと異なる感触を得ていた。この「存在」には何か別の意思がある。他者というものを知らなかった「意思」は長い思考の末、そう結論した。自分というものが存在する以上、自分以外の意思が存在する可能性もあるのだから。だがそれが分かると次の疑問が生じた。別の意思は自分に似ているのだろうか。こうして「意思」は目を有した。
別の意思は一つではなかった。複数。その概念を「意思」は有した。彼らの思考を知りたくて、耳を有した。
こうやって、「意思」は別の意思の姿を模した肉体を有したのだった。
彼女は別の意思たちと直接接触した。「意思」は次世代を作る機能を有していたので女としてよかろう。彼女は複数の個々を認識する名前というものを知った。彼女には「ユウ」という音が記された。個々の集合体はこの存在の中を旅する者だった。彼女はアウタープレーンを旅するもの。場所の差こそあれ、彼女は彼らの旅に同行することにした。同じ旅人として。
ユウを見付け、育てていたイヘが活動を停止した後で、ユウはイヘの次世代、イサを特別な者とした。個々の集合体は単独同士で結びつくことで最低単位の集合体になる。それが幾つも重なって大きな集合体を形作っていたのだ。ユウはイサと共にさらに集合体の個体を増やした。
ユウは存在の方程式たる理(ことわり)を読む事ができたので、その占いは個々の注目を浴び、大事に扱われた。山の神の娘として。山人だった集合体は、ユウを聞き知った他の集合体(なんとそれはあちこちにあったのだ)から富を得、他の集合体、定着民よりもよい状態を維持できた。
ユウと最低単位を成したイサが活動を停止した時。ユウはまた新しいものを得た。悲しみと涙。そして孤独を。ユウとイサの第二世代は既に個体発展を遂げ、第三世代を派生させていた。ユウは知った。この集合体での自分の役目は終わり、死と呼ばれる活動停止に至るべきなのだ、と。
だが、ユウは死というものを理解できなかった。ユウは自己活動停止する術を知らない。そしてここの存在ではユウを強制活動停止させるだけのパワーがない。そこで分かった。とうとう去るべき時が来たのだ、と。
そう思い、ユウはある朝、大雪が降る中、集合体から離脱した。さまようユウ。肉体を有していてはプレーンシフトはできなかった。しかし、ユウはイサと第二世代たちとの繋がりである、この肉体を捨てきれなかったのだ。未練。それもユウは会得していた。
小川を渡り、山を越え。その場所に着いた時にはすでに初夏になっていた。
川のほとりに。しがみつくように自己保存活動を続けるささやかな集合体があった。川で戯れる小さな個体に、遠くに残してきた自分の第二世代を重ね、ユウは涙した。
そのままユウはその集落に住み着いた。しかし、今度は長く暮らすことはない。そう、彼女は知っていた。放浪の間、補給も休息も取っていなかったユウの肉体はもう耐用限度を越えかけていたから。
そうか。これが「死」なのか。
ユウは座してそれを待つことにした。
占いばばぁの噂はすぐに広がった。なにしろ本当に当たる予言しかなさないのだから。戦いが起こると近隣の豪族がその吉凶を占ってもらうため財宝を荷車に積んで来るほど、地位は高くなっていった。
戦いは大きな戦争になった。ユウが愛した川沿いの集落が焼き討ちに合い、みんな死んだ時。ユウは怒りを会得した。初めてその本当の力を使った。山は崩れ地脈はねじ狂い、川は大地に飲み込まれた。天変地異。
ユウは一人、後に美咲郷と呼ばれる小山にあった窪みにその身を横たえ、力を使ったことで一気に早めた「死」を待った。
その神通力から戦の勝者はユウの祟りを恐れた。山の中腹に祠を作り、供え物を捧げた。荒ぶる神の娘がいる。その噂は人々に伝わり、長い時を経て、彼女の安らかな眠りのために玄室を作り、土に封じ、やがて古墳と呼ばれるようになるほど、長きに渡って伝わった。
口と足しか情報伝達手段を持たぬ当時の人の間でもそれほどだったので、その噂は人以外にもすぐに伝わっていた。
ほとんど土と同化し、崩れかけていた肉体の脇に、少年が立った。
「やっぱりそうか。御同類だね」
ユウたる「意思」はその「旅するもの」を見つめた。
「もう出発する寸前か。ま、それじゃ見送ってあげるよ。こんなこと、お互い滅多にないしね」
ぺたんと座り込む少年の念話に、同じく思念で応える「意思」。
「頼みがある」
「んー。そうだね、聞くだけ聞くけど、叶えるかどうかは分からないよ」
「構わぬ。それでもよい」
「意思」は少年に思いを伝えた。出発を間近に迎えて初めて気が付いた不安。自分の血を分けた者の行く末。
「んー・・・。難しいなぁ。まぁそうだね、同じ旅人として一応お願い、頭には入れておくよ。ただ、手を貸すかどうかはその場次第だね。かわいい娘なら保護してもいいけど、むくつけきおっさんなら無視するよ。
あ、大丈夫、だ〜いじょ〜ぶ。僕は一度見た人は忘れないから。たとえ世代が変わって姿形が違ってても、ね。魂の色は見分けられるから」
それを聞き、「意思」は動かぬ唇で安堵の溜め息を漏らしてから語った。
「ユウは、ここから去る今になって初めて分かった。親と子という事が。イヘは何の見返りも望まず、ユウの親になった。イヘが死を実行した時、ユウは泣くことができなかった。知らなかったから、涙を。
今なら分かる。ユウはすべき事をしなかった。ユウはユウの後継個体にもっと親の心を実行すべきであった・・・」
腐敗しかけた彼女の顔に、眼球はもう残っていない。しかし、それでも総てを見ていた小野村には分かった。そこから涙が零れているのが。
灰色一色。白黒テレビを見ているような視界の中。小野村はユウの伏した姿を見ていた。既にそれは跡形もなく消え去っており、そこにあるのは残滓のみ。「意思」は肉体が滅んだ後、別時空へと旅立っていったのだから。それは遙けき昔の事。
この空間はユウと呼ばれた者、時空を旅する越時空者、ラ・ファイ、つまり「初界より至りし者」の残した遺志。彼女は多元宇宙の始まりの場所、初界から訪れた。そしてこの世界でさまざまな事を知り、また旅立っていった。この空間はラ・ファイの想いが形となった疑似空間だったのだ。
小野村は、ラ・ファイの呼び声に完全に応えることができるほど、彼女の血を濃く持った初めての個体だった。それまでにも呼ばれた者は多くいたが、そのほとんどが声をちゃんと聞き取る事ができず、聞き取れてもそれに応えられなかった。第二の姫巫女のように、呼び声に別のイメージを重ねてしまい、狂死に至った者も多い。それは呼び続けるラ・ファイの残滓にとって誠に皮肉な結果だったのだが。
小野村はラ・ファイの遺志に近づいた。その形無き口が何か告げていると知ったからだ。
絶対的な力の残滓。超常現象そのものたる遺骸の幻の傍らにひざまづき、耳を傾けても、怖くはなかった。小野村には分かっていたのだ。その存在感は母のものに近いと。
それはまるで、死の床にある母が娘に言い残したことがあるかのような印象だった。この空間に達した時、小野村の意識は薬物や催眠暗示を全て除去されていた。紛い物はゲートを通過できなかったのだ。故に思い出していた。父と母は借金を苦に死んだわけではない。娘を売り払うのを拒み、逃亡を試みて殺されていたのだ。自分のせいで父母が死んだ。それはつらい思い出。だが、今手を伸ばせば触れる所にいる亡骸は、母の印象を伝えるその亡骸は恨みなどもってはいない。
そこから伝わる想い。それはただ一つ。子供を守りたい。その遺志だけだった。
「なぁに? お母さん」
口元に耳を近づけ、はるかは尋ねた。じっと耳を澄ます。そこに、かすかに、本当にかすかに。長き時を経てようやくその呼び声が聞こえた。
「幸せかい?」
それを聞き小野村の目が見開かれる。涙が零れ、亡骸に滴った。
幸せとはとても言えない。でも、きっとこれから幸せになるんだ。だって今までが不幸の底にいたようなものだから。例えその「これから」がほんの瞬き一つの様な短い時間であったとしても。
「これから・・・。これからなるよ、幸せに。きっとなるよ」
亡骸が頷いてくれたようにはるかは思った。そしてまた声が聞こえた。
「望みを言ってごらん・・・」
びくっと身を震わす小野村。望み。それはありすぎて。お父さんお母さんが生きていてほしい。自分の前に立ちはだかってくれた彼女が生き残って欲しい。ゲートの球体が世界を壊さないで欲しい・・・。
想いがちりぢりに飛び交う中。何が一番の望みか分からなくなった小野村は、思わず心の奥底にある言葉を言った。
「力、こんな力、なければいいのに・・・
ごめんなさい。お母さんからもらったものだけど・・・。でも、私には重すぎる! 重すぎるよぉ」
幻のはずの亡骸にすがりつき、小野村は号泣した。朝、薬をもらいに行って。それからいろんな事が一度に起きた。もうわけ分からなくなった彼女はただ泣いた。小さな子供の様に泣いた。
「やっぱり。そうだと思ったから。あの時はそんな事気付きもしなかったの。気づいた時にはもう遅かった。もしそうなったらどうしようかと。そうならないといいって思ってたのだけど。やっぱりそうなっちゃったのね。
嫌な物を遺してしまったわね。許して、はるちゃん」
その言葉。それは小野村の母の声、母の呼び方。それはラ・ファイの念話をそのまま聞き取る能力がない小野村が、自分の記憶から同じ印象の言葉を引き出した結果だった。それが故に、ラ・ファイと母は完全に一つになった。はるかの心の中で。
「ううん、仕方なかった、仕方ないことだったんでしょ? わ、私、今見てて思ったの。全部見てたから。だから思ったの。昔ね、明治時代とかに、白人と日本人のハーフがいたら、きっと私みたいだったんじゃないかなって。目が青いとか金髪とかで苦労しただろうから。でも、でもそれはお父さんとお母さんが愛し合ったからでしょ? 全然悪い事じゃない。だから・・・。お母さんが悪いんじゃない!」
ラ・ファイの残滓は遠い記憶を呼び起こし、子供たちに囲まれたイサの朴とつとした顔を思い出した。あの頃は分からなかった。でも今なら分かる。自分はイサを愛していたのだと。そうなのだ。「意思」がユウとして得た最大のもの。自分という存在しか知らなかった彼女が、他者を知って初めて得たもの。それは愛だった。
「はるちゃんにプレゼントがあるのよ。受け取って」
亡骸がぱぁっと光に包まれた。涙をぬぐうことも忘れて、歪んだ視界にその光景を写す小野村。光が周囲に広がり、あたり一面が真っ白になる。そこに緑のリボンで飾られた純白の小箱が現れた。プレゼントという言葉で、明後日15歳の誕生日を迎えるはるかが無意識に選択した形。
リボンがぱっと踊るようにほどかれ、真っ白い箱が開いた。そして中から純白の箱よりももっと白い何かが溢れ、はるかの体を包み込んだ。
第三章
「だめーーーーっ!」
絶叫。
その時、引き金を引き絞ったハワードの手がいきなりはね除けられ、SIGから発射された9mm弾は<門の開き手>を大きく逸れて床に撃ち込まれた。
何が起きたのか分からないハワード。何か飛んできたわけではない。急に手が弾かれたのだ。だが、考察している暇はない。ハワードはもう一度第三の姫巫女に狙いを付けようとして、その視線に気が付いた。床に寝そべり、上体だけ起こした姿勢で天井のハッチにいる彼をにらみ付ける女性。それは第二の姫巫女だった。狂気に捕らわれ、言葉を失っていたはずの<門の繋ぎ手>。
「その子を撃たないで、やめて!」
その手が上に伸ばされ、まるでそこにハワードの腕があるかのように押しとどめるような形になった。
「PK?」
ハワードは驚いてそうつぶやいた。そう、彼女の力はそれだった。第一の姫巫女はゲートを呼び出す召喚系、第三の姫巫女は声に答える思念系。そして第二の姫巫女の能力はシャッテンのコアをゲートから引き出し、固定化するための物理操作系サイコキネシスだった。
「能動系エスパーか!」
シャッテンの出現に備えていたバウテカが舌打ちした。
バウテカの所属する東宮会では精神感応系のESP持ちも、物理操作系のPK、つまりサイコキネシス持ちも、総称してエスパーと呼び慣わしている。これはもともと複数の言語で独自に研究していたメンバーが、東宮会として結束した際、「異能者」の英訳として固定化してしまったためだ。
そういうわけでバウテカの様な超感覚者もPK持ちもエスパーとして一括されていたため、両者混合でエスパーチームを組んでいたため、PKの知識もあった彼には第二の姫巫女の弱点を予想するのに一秒もかからなかった。
彼は即座にハワードと並んでブローニングを第三の姫巫女、小野村に向けたのだ。
第二の姫巫女、岡崎は焦った。彼女の能力は真性PK持ちの中でも最高位にある。岡崎は目標が静体であろうと動体であろうと、さら物体であろうと生命体であろうと関係なく、念動を送ることができた。しかし複数の対象へ同時にアプローチするなどという訓練は受けていない。自分の目で見つめている物にしか念動を送れないのだ。バウテカとハワード。ブローニングとSIG。二丁の拳銃を同時に押しとどめようと夢中になった瞬間を狙って、ハワードの右手がバックアップ用のベレッタを抜き、即座に銃撃した。修羅場をかいくぐって生き延びてきたエージェントの勘が状況を認識したのである。
目標は動いていないし、上空から頭頂部を狙える位置だ。右手でも当たる。
左利きのハワードはそう思ったが、同じベレッタでも92Fならばともかく、M85の9mmショート弾では威力が心許ない。そこで立て続けに三度引き金を引いた。しかし、その銃弾は三発共、姫巫女に命中しなかった。いや、届かなかった。
今度は何だ?!
苛立つハワードの目に、立ち上がった眼鏡の少女が映った。彼女は両手を上に、つまりハワードたちに伸ばしている。その手に握られているのはなにか短い棒のようなもの。短剣の鞘だ。
加賀壬がやっと練り上げ終えた平面の結界はぎりぎりで間に合った。銃弾は、身動きはおろか心臓の鼓動すら止まっている小野村の頭骨まで2センチというところで宙に浮いていたが、すぐに推力を失って結界面を滑り落ち床に転げた。
「なんで?! なんで撃つの? この子はあんなに優しいのに! 止めて! 撃たないでっ!」
第二の姫巫女、岡崎美奈子があらん限りの声を放った。
「この子はゲートを恐れていない! この子なら、この子なら応えられる、呼び声に!」
バウテカは瞬時悩んだ。姫巫女同士何か分かるのだろうか。精神リンクしていた間の記憶があるのかもしれない。しかし、今を逃して<開き手>が弾かれてしまってからでは殺しても意味がない。撃つなら今だ。だが・・・
「何て言ってるんです? あの女」
ハワードも岡崎の真剣な表情にとまどっていた。あまりに早口だったので日本語を聞き取れてはいないが、その様子が尋常ではないと理解したのだ。
バウテカは眼下を見回した。白衣の連中はただおろおろするばかり。<開き手>を殺すと選択したはずの双子は苦悶の表情で動かない。<繋ぎ手>は必死で<開き手>の命を守ろうとしている。そしてバウテカの目だけに映る、前面のみに平坦なバリアーを張っている眼鏡の娘。その目は決意に燃えている。
その時になって初めてバウテカは鈍く光るもう一人の存在に気が付いた。おろらく彼にしか見えていない存在。眼鏡の女性と重なって立つ人影。それは日本古来の宗教様式の服装をした女性。光を屈折させるほどの霊力を持つ守護霊だろう。そう彼は考えた。おぼろな幻影なので、顔までは見えないが、長い髪をまとめてあるのがここからでも見えた。眼鏡の娘が突き出す鞘に力を与えているのはこの霊体だ。彼女は弓をつがえていた。しかし、それは天井に向けてではない。通路に、シャッテンが今にも出てくるだろう通路に向けられていたのだ。
なるほど、あちらさんの方が冷静みたいだな。そうバウテカは自嘲気味に思った。
「ストップだ、ハワード!」
二丁拳銃状態で、今にも天井から落ちそうなハワードは、バウテカの声に思わず視線を彼に向けた。
「なんですって?」
「<開き手>に任せるんだ。大丈夫、彼女が失敗しても、今なら<繋ぎ手>で再挑戦できる。それより、シャドウだ!」
バウテカは突入用に用意してあったケーブルワイヤーを降ろし、階下に降りていった。
この場にいる娘たち。その中心は眼鏡だと悟った彼は降りながら加賀壬に日本語で声をかけた。
「どんな弓かは知らないが、シャドウの・・・いや、シャッテンの魔法障壁、知ってるのか? 魔法は効かないぞ」
はぅ、この人、前原さん見えてるのか! びっくり。
ちょっと驚いた加賀壬だが、すぐに答えた。
「私もよく分かんないんだけど。もうすぐ先生・・・術者が来る。だから弓引いて待てって言われて・・・」
尻切れトンボになる加賀壬。彼女にしか聞こえない声で前原が鋭く突っ込んだ。
先生がそう言っている。信じるんだ加賀壬宏子
破邪の短刀、白令笙、朝霧。加賀壬と前原は少し前からその力で一体化していた。香土岐が闇の王を再封印し、学校の結界はもう解かれていたのだ。
バウテカの足が床に着いた時。とうとう最後まで抵抗していた最外部のシャッターが瓦礫と共にはじき飛ばされ、シャッテンがもうもうたる煙の中から出現した。粉塵の中、レーザーサイトが真っ赤なラインを走らせる。
「俺たちで囮になる。なんとかしろよ、眼鏡っ子」
右脇の大きな機械の影に入り、ハワードが日本語でそう言った。ついで英語に変える。
「まず俺が囮になる。お前はその後だ。
終わったらうまいテンプラ食いに行こうぜ。いい店知ってんだ」
「それは楽しみですね、Mr.バウテカ。でも、出来たらフグサシ&ヒレザケというのもお願いしますね。
では後ほど」
バウテカの決意を見て取ったハワードは別の点検ハッチに移動すべく姿を消した。今のポジションでは中央に近すぎ、囮になると娘たちの頭上に天井の破片をばらまくからだ。
加賀壬は動くことのできない小野村の体を守るべく、鞘を前にかざしたままで立ちふさがった。しずくとほむらはさっき隠れていた場所は勘弁してほしかったので、仕方なく小野村の足下にうずくまる。
「なーに? 私に守ってもらおうと?」
加賀壬の軽口につばさがキ〜〜〜〜ッとキレかけるが、どうやらそれに耐えたらしい。
「っはぁ・・・。いいこと! あたしは後方要員よ。あんたは前線要員でしょ? 守って当然でしょ!?」
「はいはい」
加賀壬は軽く答えているがそれは表層でしか会話をしていないからだ。その意識は前原とのより深いリンクに必死だった。
まず先手を切ったのはバウテカのブローニングだ。攻撃優先目標になるための射撃はチャンバーに入ったままだったホロゥポイント一発のみ。予備は2マガジン26発しかないので無駄弾は撃てない。そのうち一つはシャッテンには無意味に近い対人用弾だが、倒す事が目的でなくなった以上、攻撃意図を示し続けるには役立つだろう。
9ミリ弾の銃撃を受けたシャッテンはすぐに回避し、反撃に出た。7.63mm機銃が掃射され、バウテカの隠れている機械にがすがすと穴が開いていく。盾の役に立たなくなるのは時間の問題だ。バウテカは銃身だけシャッテンに向けて出し、応射する。攻撃意思を見せ続けねばならないからだ。
さっき撃った最初の一発は対人用弾のままだったが、その先は貫通力のある対装甲専用弾だ。連射の必要はない。攻撃優先目標になるだけの威力があるからだ。
射撃間隔を可能な限り伸ばしながら、その耳は騒音の中、シャッテンの発射弾数を数えつつ目指す音を必死で探していた。さっき所員を殺戮した時に聞こえた、がつんという低く短い音。彼の常人を超越した聴力がそれを再び捕らえた途端、彼は前方に走り、壁際にある予備コンソールの影に飛び込んだ。その間、銃撃はない。それもそのはず、シャッテンAusf.XIは弾倉交換をしていたのだ。
Ausf.XIの長く太い左腕に装備されたマガジンはドラム式で8つ。射撃と同時に薬莢は燃え尽きるため、排莢はない。外寸をずらしてある8個のマガジンは伸縮式のケースに収められており、撃ち尽くすと次が後ろから押し込まれる形だ。よってマガジンも外部放棄されることはない。バウテカの超常能力は次のマガジンを押し出す音を聞きつけていたのだ。
新たなマガジンから打ち出される銃弾。さすがにこれを1マガジン分全部しのぎ切るのは難しい。無照準射撃で打ち返すしかないバウテカの様子にハワードがシャッテンの斜め上、天井からベレッタを撃ちまくった。シャッテンの左腕が動くのを見ると、すぐに離れ、別のハッチに向かう。その動きはセンサーで悟られているはずだが、シャッテンの右肩が破損していたのをハワードは見て取っていた。バウテカ印のモロトフカクテルが爆発した時、丁度射撃体勢で防護カバーから出ていたソニックブラスター振動部が損傷を受けていたのである。ブラスターを失ったAusf.XIに射撃武器は一つしかない。装弾数に限界がある以上、二目標が離れていれば時間は稼げる。エージェント二人はそう確信した。
シャッテンは9ミリショート弾の命中予測地点を弾き出すと避けるまでもなくフード式の外郭装甲に任せ、7.63mm弾を撃ち返した。天井からばらばらと破片が落ちる。ハワードの移動方向に合わせて機銃の銃身が向けられている間に、バウテカは壁をよじ登り、穂甲斐がいたコンソールと同じ高さにある装置の影に隠れ、両手で構えたブローニングで正確な射撃を行った。
胸部装甲に向かう9ミリ弾に、今度は回避を行い反撃に出ようとするシャッテン。通路から飛び降り、加賀壬たちが立つ床をぐらりと揺らして足下をへこませた。旧型と違い、即座に体勢を立て直し、銃撃を継続するシャッテン。射角が変わり、装置と床との隙間に飛び込んだ一発が弾け飛び、バウテカの太股に散らばる破片が突き刺さった。衝撃に倒れるバウテカ。ハワードは次の発射地点にまだ到着していない。シャッテンの連射が装置を砕いていく。
その時、加賀壬に前原の声が響いた。
今だ
加賀壬は沈め、静めていた意識を一気に表層に現して叫んだ。
「討つ!」
高めに高めた言霊が、いや真言が弾かれるように飛び出し、前原が突如出現した。真言を浴び燦然と光を放つその姿。バウテカだけではなく、それは双子たちにもはっきりと見えるほどの力に満ちて。
鞘を両手に持ち、前に腕を伸ばす加賀壬。その横で和弓を満月の様に絞る巫女装束の前原。
「破ッ」
銃声を追い払うほどの弓鳴りが響き、光の矢が軌跡を残して飛んだ。と、その時、さっきまでハワードたちが覗き込んでいた配電用ハッチから小さな飛行体が垂直に落ちてきて、その軌跡に混じった。
その飛行体は香土岐の使い魔ぴーちゃんだった。桜中が怪しいとみた香土岐によって今朝から偵察に出されていたのだ。香土岐とのリンクが途絶えた後、体育館に避難していた桜中の女生徒に、かわいいかわいいともてはやされて遊んでいた。しかし、リンクが復帰した途端、地下六階まで潜れと有無を言わさずマスターに命じられたのだった。
だが、途中の全てのドアが閉まっており、可動物体に無条件で射撃してくるトラップあり、美咲の魔法使いを恐れ、鳥だろうとなんだろうと攻撃してくる兵士あり・・・。ぴーちゃんはセキセイインコの無力さに怒りさえ覚えながら、今、やっと辿り着いたのだった。
光の矢はシャッテンのアンチ・マジック・シェルに触れ、瞬時に中和されて消えた。しかし、その矢尻にしっかりと掴まっていたぴーちゃんは、与えられた光速に近い程の莫大な運動エナジーを失してはいない。シェル内に入り、ぴーちゃんにかかっていた全ての魔法が消えたが、そのままシャッテンに突っ込んだ。
近づく高エナジー体はシェルの効果で消え、同乗した飛翔体は驚異が低い。そう判断し、シャッテンは銃撃してくる二目標を優先攻撃目標に認定継続していた。
その判断が誤りであり、正すべきだと悟った時にはもう遅かった。巨大な物体が、本当に巨大な物体が突如現れたのだ!
全スラスターを吹かして回避しようとするAusf.XI。しかし、弓によって与えられたとは思えないほどの膨大な運動エナジーは、巨体の質量で消費されてもまだ有効であった。その結果シャッテンの回避性能を上回る速度で巨体が落ちながら飛来したのだ。
ズジャッという重い音と振動。飛び散る床板、潰れる機械。金属がひしゃげる不快な高音。
シャッテンがいた場所が、いやその周囲ごとが大きな物体に押しつぶされていた。
明るい銀色に輝く巨体。プラチナ色の鱗がきらめき、とんでもなくでかい半透明の翼が三つに折り畳まれた状態のまま上方に伸びる。鱗に覆われていても隆々とした筋肉が分かる巨大な後脚を踏ん張って上体を起こし、長い首を現すその姿。
竜だ。
加賀壬たちはその背を見ているので、背骨から突き出るシャンパンゴールドの棘が巨体の動きに合わせて揺れているのを見ている。その下端、車でも弾きそうな力強い尾が石倉の残骸の飛び散るベッドに振り下ろされ、ぐしゃりと台座は潰れた。機銃弾に耐えた台座がとうふの様にぐしゃりと。
バウテカは呆然とその鼻先をかすめた翼を見ていた。でかい。全くもってめちゃくちゃなでかさだった。バウテカの位置からは竜の前脚によって両腕ごと胴を掴まれたAusf.XIが見えた。脚部をばたつかせ、スラスターを全開にしているが、竜のがっしりとした前脚はびくともしていない。
ポリモーフが中和され、魔法が解けたぴーちゃん、いやピュラスは、竜王バハムートの直系たるプラチナドラゴンの本性を現した。その長く優美な首が持ち上げられ、頭部が通路の奥に向いた。獣性を現す凶悪な牙。知性を現す澄んだ瞳。神性を現す光輝く角。バウテカは息を飲んだ。
ピュラスの口が文字通り耳まで裂けた。そして思いのほか、高く、早い口調でこう告げた。
「レーベ・ヴォール」
ピュラスの後脚と尾ががっしりと床を押さえ、その胸が大きく膨らむ。背中の翼は壁にぶつかるまで左右に広げられ、長い首の中央が持ち上がった。
豪快な爆音を予想し、その場の全員がしゃがみこんで耳を押さえたその時。キンと耳鳴りが襲い、振動に全身が、内臓までもが揺さぶられた。
プシューーン。圧搾空気が一瞬ボンベから飛び出した様な音の後。全ての音が消えた。そして。大爆発。
通路の奥で待機していた最新にして最高性能のシャッテンAusf.XIIも、拘束されているAusf.XIもソニックブラスターを強化したリングボーイ。当然ながら自身が発する音響兵器の発射共鳴に耐えうる構造になっている。しかし、今、打ちつけられたソニックブラストは人の技術の限界を遙かに超えた最強の音響攻撃、ドラゴンブレス。シャッテンAusf.XIIのメインユニットは危機を察することもできなかった。狭い通路内では回避したところで無駄だったが。
爆風があたりに飛び交うがソニックブレスの圧力で、最大の爆発力は通路の奥に打ちつけられ、壁材が耐えきれずに出来た大穴から別フロアに爆散していた。よってピュラスの背後にいる加賀壬たちにはたいした被害はなかった。哀れにもバウテカは突風によって床まで叩きつけられたが。感知系エスパーである彼だけはドラゴンブレスの人には聞こえぬ発射音を聞き取ってしまい、気絶していたのである。
7.63mm機銃弾の誘爆が続く中でピュラスは無造作に、本当に無造作に、そう飲み終えた紙コップを潰すかのようにAusf.XIの胸部を握りつぶした。コアが潰されアンチ・マジック・シェルが消えた途端、中和されていたポリモーフが戻り、ピュラスはぴーちゃんに戻った。支えを失い、ズズン、と床に落ちるAusf.XI。だが既に原型を止めているのは下半身だけだった。
常識を越えた超常現象に慣れている者にとっても、あまりに予想外の事態。
しばし沈黙があたりに訪れた。
耳鳴りで何も聞こえなくなっていたつばさだが、真っ先に衝撃から立ち直ると、真の問題に思考を向けるべく漆黒の球体に目を戻した。そこで彼女の目は点になる。
ゲートは消えていた。
小野村は上げていた両腕を降ろしており、虚空に目を向けたまま、静かに涙をこぼしていた。
「な、なんで?」
キーンという耳鳴りの中、かろうじてそれを聞き取った加賀壬が振り返る。同時にこちらを向く小野村。口を歪めたかと思うと加賀壬の胸に飛び込んできた。慌てて腕を上げ、朝霧の鞘が小野村のおでこにぶつかるのを避けた加賀壬だが、衝突のショックでよろけ、後方にあったベッドの上に座り込んでしまった。あと3センチ右だったなら銃弾でめくれ上がった金属片にお尻を切り裂かれるところだったが、加賀壬は気づきもしない。
「消えた・・・。消えちゃったよ・・・」
<繋ぎ手>岡崎の声。彼女も呆然と虚空を、さっきまでゲートがあった場所を見つめていた。
「なんで? どうしてぇ!?」
再びつばさの声。もう信じらんない、という気持ちがありありと見える。
「よ、呼んでたのは・・・。私たちの、祖先。世界を旅する人。お母さん」
加賀壬の貧相な、失礼、発育途上の胸にすがりながら、泣きじゃくりつつはるかが告げる。
「子供たちが、いつか血の濃い子供たちが生まれちゃうことを心配して・・・心を残していったの。力を消すために」
加賀壬は鞘を持った手で万歳状態だったが、そのまま腕を降ろし、震えている中学生をしっかりと抱きかかえた。
「力消えたの? よかったね」
優しい声。加賀壬に頬をすり寄せながら小野村は小さく頷き続けた。
加賀壬の右肩にぴーちゃんが舞い降り、何事も無かったかのように毛繕いを始めた。ほむらが怪しい物を見るような目でそれを睨んでいる。というかハッキリとアヤシイのだが。それに気づいたぴーちゃんは、片目でほむらを見返したかと思うと、ほむらの方を向いてぱっとクチバシを開いてみせた。
「うはぁ!」
思わず後ずさるほむら。ぴーちゃんは満足げにククク、と笑うとまた毛繕いに専念しだした。
「あ・・・。私も・・・消えてる」
岡崎が両手を目の前で広げていた。呆然としたその顔。
「何も起きない。PK、消えてる!」
岡崎は跳ね上がって喜びを表現しようとしたが、長く寝たきりだった体はそれに応えることが出来ず、看護士に抱きかかえられた。
「それで? ゲートは? ゲートとあのとんでもないきしみはどうなっちゃったのよ!」
気になる点があるとそれしか眼中にないつばさは三度目の問いかけを発した。これ無視したらキレるぞ。そう思う加賀壬とほむらだったが、幸い、小野村の口が開き、その答えを告げた。
「行っちゃった。きしみ? あの力でお母さんの遺志が刻まれた世界を閉じて。ゲートも力もあの部屋も亡骸も。全部閉じて行っちゃった」
「行っ・・・ちゃっ・・・た?」
ぼけーーっという顔のつばさ。あれ? ひょっとしてそれじゃ、助かったのかな? そう思っているのが加賀壬とほむらには分かった。
会長がそちらに向かっている。まだ本条精機の本社で戦闘が続いているらしく、爆発が起きてるそうだ。
他にもテロリストがいるので、気を付けて公園側の出口まで逃げてくるように、との事だ。
加賀壬に告げられたその声ではない言葉は学校にいる前原から。光に変えた一矢に、溜め込んでいた気力の全てを乗せ、前原の幻影は消えていた。加賀壬と、意識を取り戻したバウテカにだけには前原の思念体が見えていたが。
「うん、分かった」と答えた加賀壬の返事はバウテカにさえ意味の分からないものだった。
私は戻ってこっちに集中する。結界は解けたが、まだ魔性が残っているのだ。だが、こっちは我々に任せてくれていい。
では加賀壬宏子。
「うん、前原さん。あ、あの・・・
ありがと」
うなづいて、二人にだけ見えていた思念体もかき消すように消えた。しかし、リンク状態は解けていないので、手にした鞘から前原の静かで力強い意思は伝わってくる。
加賀壬の独り言が理解できず看護士は周囲の反応を見た。と、生き残っていた研究者三人が怯え、体を振るわせながら固まっているのを見いだし、駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか、田宮教授。立てますか?」
「あ・・・あぁ・・・」
「い・・とうくん・・・」
看護士の伊藤は素早く彼らの外傷をチェックした。三人とも怪我はない。ただ事態の急変と死の恐怖に精神的には大怪我を負っているようだ。
「皆ンさん聞く! おねがい、ください! 私のにっぽん語大丈夫です、残念ですがァ、違います。故に、英語によるところの、Please」
聞こえた情けない声はいつのまに降りてきたのか、ハワードだった。怪我した脚を押さえながら近づくバウテカが簡単に英語でゲートの最後を伝えた直後、みしっという嫌な音が響いた。
「な、なに・・・今の・・・」
引きつった顔であたりを見回すつばさ。振り仰ぐバウテカの目には壁と天井に無数の歪みがニュートンラインとして走っているのが見えた。予期される衝撃に耐えうるよう、頑丈に作られたこの施設。ではあるが、人型ロボットとドラゴンの取っ組み合いまでは考慮されていなかったらしい。当然だ。
「天井、おちるぞ!」
「えぇぇええ!?」
マジヤバス。
ドアは全て塞がれており、ついでに防災用とは表向き、実はHIIとの戦闘を考慮した銃弾など寄せ付けない防御シャッターまで降りている。唯一開いた通路はシャッテンの爆発でまた閉ざされた。ここからでもハワードなら天井伝いで逃げ切るだろうが、バウテカは脚に怪我をしている。ましてや加賀壬やつばさがワイヤーロープを使って逃げられるとはとても思えない。
「竜は!?」とつばさ。
「マスターがここにいないから変身できない。ぴーちゃん、自分の意志じゃ戻れないんだよ」
加賀壬がそう答える間、ぴーちゃんはその肩の上で暢気にあくびをしていた。
「そんな・・・」と看護士。
ど、どうしよう。折角みんな助かったと思ったのに。どうしよう・・・。そう思い、再び小野村の目に涙が溢れた。思わず口に出た言葉。
「助けて・・・」
側にいたほむらでも聞き取れない程小さくかすかな声。バウテカもどこかに銃撃で突破口を作れないかと視力に神経を集中していたのでそれは聞き取れなかった。だが、それを確かに聞き取った者がいた。
突然、穂甲斐の血で赤黒く染まっていたドアの方で、どんという音が響いた。振り仰ぐと、そのドアを封じたシャッターのど真ん中から突き出ている刃が見えた。それは直刃も美しい日本刀。
唖然とする加賀壬たちが見つめる中、岡崎が恐怖の声を上げる。彼女の脳裏に上海で見た惨劇がフラッシュバックのように蘇ったのだ。おぞましい無数の化け物まで現れサムライと戦った。だがサムライはシャッテンも化け物もみな切り捨てて・・・。その刃が唸るたびに誰かが真っ二つになり、そして遂にそれは岡崎の目前に・・・
「あ、あれ、あれは・・・いやぁぁぁぁ」
咄嗟に駆け寄った看護士が彼女を抱きかかえ、静めようとする一方、バウテカもハワードも銃を構えた。
「まさか!」
「サムライソード!?」
ここに来て最凶の登場か。バウテカが、そしてつばさたちが注視する中、突き出た刀はまず真下に降り、右上に進み、左上に進み、最後に再び振り下ろされた。それをじっと見つめているぴーちゃんの目が異様に輝いているのに気づいた者はいない。
刀が引き抜かれ、見えなくなってすぐ、ゴン、という重い音と共に三角形に切り落とされたシャッターがドアと一緒に転がり落ちた。だが、そこから出てくる者を期待した眼差しは何も見つけだせないままだった。
「死体だけだ」
神経を集中させていたバウテカがそうつぶやく。ハワードがそれに応じ、階段を駆け上がってドアに着いた。その向こうに安全を確認に行った後、すぐに戻る。
「ほんとに。どうなってるのかは分かりませんが、とにかく、逃げましょう」
看護士はまた意識を失った岡崎を加賀壬と小野村に任せ、バウテカに肩を貸した。バウテカは一瞬耳を澄まし、がくがくと歯の根も合わない三人以外、スタッフの生存者がいないことを確認してから実験場を立ち去った。
ドアを越えると、そこに軍服を着た三人の死体があった。加賀壬のつま先のすぐ先に、MP7を握ったままの姿勢で下半身から切り落とされた上体が無造作に転がっていた。そのちょっと先にも一人。みな胴からまっぷたつに切断されている。
血の臭い。わき上がるおう吐に思わず立ち止まった加賀壬たちをバウテカが押し、ハワードが腕を掴んで急いで前進させた。
狭い通路のすぐ先が一階上への専用エレべーターだ。そこ以外にさっきの刀の持ち主が立ち去る道はないので、まず上階の安全を確認したかったが、その時間はない。岡崎を生き残ったスタッフ二人に運ばせ、神宮司双子が彼らをせき立てる様に狭い室内に入った。警戒のためハワードが先行組に加わり六人。エレベーターの定員表記は六人だが小野村ならまだ乗れるだろう。いつ崩れるか分からない以上バウテカはそうしようとしたが、彼女は加賀壬の背中から離れようとしなかった。その加賀壬はエレベーターを背に斜め上方に両手を伸ばし、天井と通路に向けて白令笙の最後の一振り、朝霧の鞘を水平に構えていた。
冷静な瞳でマジックアイテムを構え、肩にあのインコを乗せた少女の後ろ。そこは<開き手>にとって精神的に一番安心できる場所だが、物理的にも一番安全だろう。そうバウテカは思い、ハワードに目で合図して扉を閉じさせた。
エレベーターが戻るまでしばしの間。その間にも通路からみしみしという嫌な音と振動が伝わってくる。ブローニングを構えたリャン・バウテカの足下にひざまづき、怪我を見ようとする看護士を彼は制した。
「後でいい。下がってろ。さっきのサムライが天井から振ってくるかもしれん」
そう言われ、皮膚を裂くメスのごとく、分厚い金属をやすやすと切り裂いた刀を思い出し、看護士はおもわず後ずさった。
「あ・・・。だ、大丈夫だと、思います・・・けど」と、小野村がか細い声で告げるが、看護士はおどおどと視線を走らせるのを止めない。
ランプが点滅し、チン、という音と共にエレベーターが開いた。残っていた中年のスタッフがそこに転がるように入る。小野村を伴って加賀壬が入り、最後にバウテカに肩を貸した看護士が入った刹那、天井から粉塵が通路にどっと押し寄せてきた。
すかさず加賀壬が閉ボタンを押した。
ドアが閉まる瞬間、その声がした。
「じゃあまたね」
ぎょっとして目を見張る加賀壬。反射的に銃を向けたバウテカのESPでさえ一切気配を察知できなかったのに、その声は閉まる扉のすぐ向こうからした。看護士はエレべーターのドアにガスッと突き出る刀を予想しておもわず壁に背中を押し付けたが、それ以後、何事もなくエレベータは動き出した。
加賀壬はその声に聞き覚えがあった。まさか。違うよね。そう思い小野村を見る。動き出したエレベーターの中で、彼女は真っ赤になって困っていた。
じゃ・・・やっぱり・・・??
地下五階に着き、穂甲斐の研究室に入った。待っていたハワードは敵の姿がないことを素早い首振りで伝えた。バウテカが周囲を見て、ここは倒壊の危険がないと告げるとハワードと双子は先を争ってデータを漁りだした。
さて、どれからかかるか。そう考えて周囲を見たつばさは穂甲斐のデスクの上に加賀壬に渡した巾着袋とフレアが置かれているのを見付けた。ケースが開けられ、構造を見るためにか分解されている。しずくが閉じた物を開けた無礼者に一瞬怒りが沸いたが、丁度いいのでフレアの記憶媒体を抜き取り、それにデータをコピーする事にした。
一方、目ざとく救急箱を見付けた看護士は抵抗するバウテカに、今度こそ医療関係者としての誇りを持ってファーストエイドを強行した。幸い破片は骨には当たらず貫通していた。看護士は患部を消毒し、止血を終えてから、木製の高価そうな椅子の肘掛けを躊躇なく壊して添え木にした。姫巫女だった二人は加賀壬が抱きしめている。岡崎は意識がなく、小野村は岡崎を抱きしめた状態で加賀壬にその背を抱えられていた。
バウテカは応急処置が終わってすぐに、看護士に命じて生き残った研究者三名の手を包帯で拘束させた。計画の成功という絶頂から上司の裏切りで地獄を見た彼らは意気消沈している。同僚だった看護士伊藤は素直にその指示に従えなかった。
「見ての通りの状態です。抵抗もしないでしょうし、証拠隠滅とかも考えてないと・・・」
「上司の後を追わせるわけにもいかん」
「な、なるほど・・・」
看護士は彼らが馬鹿な真似をしないように説得しながら、研究者三人の腕をきつく縛り直した。
それが終わった時、データ漁りで喧嘩していた三人もすべきことを終えたようだ。
まだ警戒を解いておらず、銃を構えたままのエージェント二人の前に、すっくと立ったのはつばさ。足は肩幅、両手は腰。見上げていながらも見下した様な笑みを浮かべるその姿。どうやら完全復活したらしい。
「で!? あんたらどこの犬? シャオツェン?」
挑発的な英語で叩きつける様に問うつばさ。
「SENSCOMやEAAとかだったら、まずシャッテンのデータ探すわ。でもあんたはそっちには無関心だった。その情報はもう握ってるってことよね。そんなとこで、ライナとぶつかる度胸あるのはシャオツェンかGIEくらいでしょ。
で、使ってる銃はヨーロッパ製。
煙草はラッキーストライクにマールボロ、ビールはバドワイザーってお国至上主義のGIEならコルトかSWでしょ。だからシャオツェン以外ないわ。
取引しましょ。どうせフェイオン、来てるんでしょ。すぐに出して。ライナの残存ぶっつぶしてちょうだい。そのかわり、あたしの持ってる高密度LCSの英語圏以外でのワールドワイド販売権、米ドル30ミリオンで売ってあげるわ。英語圏のは製造元の契約した時HIIに売っちゃったんであしからず。
でも、中東とか買い手いくらでもいるでしょ。なにしろアジア圏、つまりあんたんとこのホームグラウンドじゃマージンなしで買えるし、売り先誤魔化すのも簡単。いい条件でしょ?
あ、そうだった、高速のIC付近にね、チーム16でこっち側についたのが残ってるらしいの。それは殺さないで。私に身柄ちょうだい。それも追加条件ね」
ハワードは感づいていたが、バウテカはまくし立てられた言葉で初めて事前調査データと、今目の前にいるツインテールの居丈高な小娘、いや、ガキとが結びついた。ツバサ・ジングウジだ、と。
「お受けしたいとこなんですがね、Mis.ジングウジ。残念ですが通信手段が・・・」
ハワードがいつものお手上げポーズになって言ったその言葉に、つばさの片眉がぐいっと上がった。
「あんた馬鹿? ゲート消えたのよ。シャッテンの動力供給もなくなったんだから、あのとんでもない電波障害も消えたに決まってるでしょ? よしんばライナのECMが生きてたとしても、この施設、そのライナの拠点なのよ? どうにかしてフェイオンに伝える通信設備の一つや二つ、あるに決まってるじゃない。よくそんなんでエージェント務まるわね。
さ、早く決めてちょうだい。私はすぐに研究に戻りたいの。私の邪魔するなんて、人類の進歩を邪魔するも同然よ。
それとも・・・。
シャオツェンもライナ程度の馬鹿なのかしら? ふぅ、呆れるわね」
ふっと馬鹿にしきった笑みを浮かべ、お手上げ状態のハワードの前で同じポーズになるつばさ。
こいつら、結構いいコンビかもしれん。そうバウテカは思ったが、もちろん口には出さなかった。
加賀壬は美咲会長の到着を待ち、簡単に報告した後、ここを会長に任せて高校に戻った。生徒会同士のつき合いがある開正大付属鳴綾学園の第一、第二両校から桂や柳、小田たち霊性会メンバーが多数支援に駆けつけており、魔性は根絶されていた。既に彼らの一部は篠木原隊と共に各地で起きた超常現象に対して救助隊として送り出されていた。一方、ぼろぼろの超常研メンバーは講堂で治療を受けていた。加賀壬の所属する佐伯隊は全員こっち。
先に合流した前原と共に講堂に入るやいなや、加賀壬は駆けだした。昆に包帯を巻かれている佐伯を飛び越えるようにして一直線に。
「山崎君、無事?」
その手前でぴたりと止まると彼の怪我を確認しだす加賀壬。
「大丈夫だ。骨折とかはないから。
そっちこそ無事・・・か?」
言いかけた声は加賀壬が振り仰いだ表情に止まってしまった。割れてヒビが入った眼鏡の奥。大きな瞳からぼろぼろ涙がこぼれてくる。
「じ、銃がばんばんって。トレーラーがどーんって。ロボットがばばばばって。ゲートも出て・・・。んでぴーちゃんまで・・・
うわ〜〜〜ん、怖かったよぉ〜〜〜」
急に泣きじゃくり出す加賀壬。もう子供だ。
山崎は佐伯に助けを求めるが、彼はしらんぷりしてそっぽを向いた。途方に暮れる山崎。治療を手伝っていた開田茜と鮎川紫織のコンビが左から、治療を受け終えていた北村茉莉香が右から無言で近寄ったかと思うと、山崎のわななく両腕を掴み、加賀壬の背中にぐいっと回した。
「あ・・・」
漏れる声は二人分。もちろん山崎と加賀壬だ。鮎川は持っていた包帯で山崎の腕を重ねたままぐるぐる巻きにした。すぐに開田妹がそれをバンソーコーでとめてしまう。
「んじゃお大事に」
口々にそう言い、女生徒三人は立ち去ってしまった。いや、彼女たちだけではない。山崎が気づくと、周囲にいた生徒はみなどっかに行ってしまった。今までそばにいた前原までも北村と昆にひきづられ去っていく。半径5メートルは誰もいない空間。そのど真ん中に。抱き合う格好の二人。
泣きじゃくりすすりあげる加賀壬。山崎は凍り付きながら、耳まで真っ赤になっていた。ちなみに、講堂にはまだまだ一般生徒も教職員もOBも一杯いた。ということで。
夏休みを目前にして、一年B組に学校公認カップルが誕生したのである。
その頃。ハワードとつばさとの取引により、シャオツェンの私兵フェイ・オン一個大隊が迅速に展開していた。彼らは事が起こる前から潜んでいたのだが、美咲郷に踏みいる禁忌を恐れ、市街地外周で待機状態だったのだ。取引が生み出す利益なら長老会を説得できる。そう確信したハワードが、ついに禁忌を無視することに決め、独断で指令を発していたのだ。
かくして参戦したプロの傭兵により、ライナがかき集めたアマチュア兵たちは夕刻までに全て排除された。
こうして長い一日が終わりを告げたのである。
第四章
あれから三日が過ぎた。事件は本条精機に侵入すべく災害を引き起こしたライナ・テックの犯罪という形で大々的に報道されていた。死者は百名を越し、怪我人は千人近い大惨事だった。丁度、天才少女として名高い神宮司との契約のため、シャオツェングループの要人が多数の保安要員を引き連れて来日していたのは幸いだった。対テロ活動を本職とする彼らのボランティアが無ければ、被害はますます増えたことだろう。そう新聞も雑誌も書き立てていた。
日本トップクラスの大企業体本条グループと、世界トップクラスのライナグループ。もともと世界規模の大事件だが、ライナ・テックが密かに運び込んでいた兵器の数々はそれに拍車を掛けた。初期の原爆に匹敵するほどの威力が想定される大量の新型爆弾。都市一つ分の人間を狂気に陥れる毒ガス用の原液。次々と発見された恐怖のアイテムは世界中に衝撃を与え、ライナの首脳陣はほぼ総辞任。同時にどこからか流出した極秘情報と内部告発により、ライナの過去から現在に至る犯罪行為が上海、ベルギー、マレーシアと世界各地で暴かれ、連鎖反応を起こしていた。
ライナが狙った機密とは一体何か。本条側は企業秘密で押し通した。様々な憶測が飛び交ったが、近々大きな動きがあるに違いないと踏んだ投資家によって本条グループの株は軒並み上がり、一方ライナの株は・・・。推して知るべし。
この事件はまだしばらくは新聞を賑わせ、その後も国際規模の犯罪として記録に残ることになる。
しかし、周到な隠蔽工作により、事件の幾つかの側面はしっかりと隠されていた。常識とはかけ離れた事件ではあったが、超常現象との関わりは一切無い、普通の犯罪ということで幕を降ろすことになる。
学生たる加賀壬たちには関係ないレベルでの取引が無数に行われたようだが、学生の本分は勉学である。一昨日休校になっただけで、昨日から学校は再開。といっても昨日は体育館で今後についての説明があっただけですぐ帰され、今日から授業が実施されることになっている。
で、その授業再開当日。加賀壬はHRの時間に引きつった笑みを浮かべていた。その理由は。
雅
は
る
か
司
黒板に書かれた文字。その横に立つ男女。水色の目立つことこの上ない制服姿。
「みやび、つかさ、だよ。こっちは従姉妹のはるか。
中学がなくなっちゃったんで、丁度いいからスキップしてきたんだよ。よろしくね」
「は・・・はるかです。よ、よろしく・・・」
小野村改め、雅はるかは避難中に受けた怪我という名目で頭部を包帯で包んでいる。もうすぐ夏休みなので、二学期までにはなんとか髪も見られる程度には揃うだろう。
二人を見て加賀壬はもう呆れかえった。どこがどうなっているのか。シュン先輩ですら「はるかちゃんは司君の従姉妹だよ。え? 小野村? 誰それ?」という状態。しずくに調べてもらったライナの資料でも「Mon
no Hirakite/Gate Opener:HARUKA MIYABI,S/Female,E/Black,H/Black,A/14
」となっていた。小野村の文字に検索該当なし。
確か以前聞いた話では雅家に来た居候は一人だったはずだ。雅家の全構成員はシュン先輩の婚約者とその母、祖父とその居候だけだったはず。ところが、ちゃっかり親戚、しかも二人きりで同居しているという。
味見・・・されちゃったろうなぁ・・・。
加賀壬はちょっと同情したが、はるか自身が同居を認めてしまっているので、他人が口だせる状態ではなかった。なにせシュン先輩すら何の違和感もなく、「親類なんだから一緒に暮らして助け合うべきだよ」だそうで。
桜中学はその母体たる郁優学園ごと解体されることになった。ルファン・シーレラ医療会も医大ごと。ライナからの依頼で新薬の人体実験を無許可で行なっていた事がばれたのだ。よって中学校から大学まで、あちこちで転校生が発生しているわけなのだが、中途スキップってのは加賀壬も考えていなかった。
ちなみに。どさくさに紛れてしずくもこの学校に編入になっていた。当然つばさと同じ1−Dに。神宮司はプライベートを話す様な人間ではなかったので、彼女が双子だったという衝撃は大きく、あっという間に全校に広まった。生物の某先生は「アレ」が二人になったと聞いて、担当替えを頼み込むべく校長のプレハブに飛び込んだという。涙をまき散らしながら。
ちなみついでに。ほむらはつばさの厳しい監視の元、しずくの中でぶつくさ言っているらしい。どういう折り合いを付けたのか、しずくはほむらと体を共用していたりする。二人とも目覚めているのだ。加賀壬は昨日双子の家にいたのだが、会話している時にいきなり入れ替わるのでちょっと困った。
「ねぇくーちゃん、このままでいいの?」
つばさがトイレに立った時にそう聞いてみた。
「時々記憶が曖昧になることあって。この体でしょ、お医者にも行けないし、ちょっと不安だったの。でも原因分かって安心した」
「あらら・・・。そういう反応か。でも困ってるなら・・・」
加賀壬の言葉を笑顔で遮るしずく。
「生き別れの兄弟に会えたのよ。喜ぶ以外、なにがあるの?」
にっこり笑むしずくに、加賀壬はもう何も言えなくなっていた。
休み時間になって、加賀壬は司を廊下に引っ張り出した。その休み時間を刻一刻と待っていた女子連が、超絶美少年を独り占めされてぎゃーぎゃー加賀壬に文句を付けるが無視。ついでに蟻にみっしり囲まれた砂糖菓子のごとく、男子に群がられていたはるかも救出して連れ出す。廊下のはじっこに行って三人で話しだすと、加賀壬が加わっているので「触らぬ神に祟りなし」ということか、一般生徒はこそこそ離れていく。
「で、どういうこと! あんたねぇ、県立高校にスキップって、何よそれ! これ以上はるかちゃん困らせるなら、あたしにも考えがあるわよ!」
「へぇ〜〜。どうするのかな?」
「う・・・」
加賀壬は困った。そういえば、こいつには何しても効果ないような気がする。どう考えても普通じゃない。
司が「サムライ」だと思う。その事は美咲会長と香土岐先生、そして三つ子にだけは話してある。精神のみの存在、神宮司ほむらもかなり特殊だが、「成仏しない娘さん」が闊歩している超常研にとってはまぁそんなんもアリ、ってところだ。しかし雅司はそんなレベルではない。なにか、とんでもない存在だ。会長も先生もなにやら深刻な顔をしてはいたが、「理(ことわり)に反するものではありません」と会長が答えただけで別段対策も指示もなかった。よって加賀壬としては対応保留のままだ。
桜中の地下での事は、ああいう場合だからいろいろ仕方ない事があったとは思う。思うが、ライナの私兵を斬り殺したのは間違いなくこいつだ。それは許せることではない。多分こいつ自身、雅家の親類ってのもウソだろう。この町で騒動が起きると知って潜入するのに使っただけだ。こいつは他人の記憶をだます術か何かを持っていて、一台のコンピュータだけでなく、ネット上総てのデータでも簡単に書き換えることができる奴で、戦いが仕事の兵隊を簡単に殺せる奴で・・・
となると・・・。うぅむ、困った。
「どうするのかな? ん〜〜?」
司は腰を曲げ、悩む加賀壬の顔を嬉しげにのぞきこんだ。
「う・・・う〜〜ん。そうだ、絶交! もう口きいてあげない!」
「え?」
驚くその声は小野村・・・じゃなかった雅はるか。彼女は泣き出しそうな顔で司を見た。今度困ったのは司だ。
「そうきたか・・・ずるいぞ宏子ちゃん。
でも、ここに来たのは僕が言い出したんじゃないよ。はるちゃんが宏子ちゃんと一緒にいたいって言うから。僕は温泉のある雪国に引っ越ししたかったのにさぁ。楽しみにしてたのに、新潟・・・」
「ありゃ? そだったの?」
こくん。はるかは頷いた。
その間の会話でなんとなく加賀壬は理解した。みんながこの二人の事でだまされている。それは司の超常能力なのだろう。そして自分だけそれに引っかかってないのは、多分はるかがそれを止めたのだろう。はるかにとって、加賀壬は姉のような存在になっているらしいから。ウソはつきたくない。そういうことだろう。
そしてもう一つ分かったことがある。どうやら司はそれなりにはるかを大事にしているらしい。彼女が強く言う意見には従うようだ。少なくとも聞く耳は持っている。もしかしたら随分歪んではいるが、この二人、当人同士にしか分からない特殊な信頼関係にあるのかもしれない。
「ふぅ・・・。ま、いっか。はるかちゃんの様子、毎日見られた方が安心するしね。
でも、いい? はるかちゃん泣かせたら・・・」
「毎晩あんあん鳴いて・・・」
「黙れ!」
加賀壬の一喝。
「あい」と返事するのは司。黙ってないじゃん。
「マジで前みたいに困らせたら、怒るかんね!」
「大丈夫だよ。はるちゃんが出来のいいペットしてるならね。僕はいい飼い主だよ」
「誰がペットか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
加賀壬の怒声は廊下中を揺るがし、一年全教室に響き渡った。それを聞き、E組の皆瀬樹がぽつんと一言。
「・・・なべてこの世は事も無し」
本条傘下のクェデユー電子本社は本条系列にしては珍しく東京湾沿いにある。元々外資系との共同でスタートしたのがその理由だ。100%本条精機の子会社になってからは美咲郷に業務のほとんどが移動しているが、本社ビルはまだ移転していないので今回の一件で被害を受けていなかった。そこで急遽、「危険物」の保管場所としてここの地下にある一室があてがわれた。
香土岐亮子による呪封陣に数字結界が掛けられ、その妹弟子たる風華も風陣結界を張って防御を固めていた。
丁寧にしまい込まれた「危険物」が再び静かな状態に戻ったのを確認してから、香土岐は風華が入れてくれたお茶を楽しむことにした。
香土岐は背の低い少女の様な風貌の妹弟子の前に座った。質素なチイパオにスニーカー。そしてエプロン。動きやすい様に髪は肩程度までしか伸ばしていないが、今のように左右にお団子を作るとすっかりチャイナドールである。ちと靴に違和感は残ったが。
「しかし、すまなかったな。いきなりあんな事になって。助かったよ、風華」
「いえ、あね様のお手伝いが出来たのなら嬉しいです。
はい、ぴーちゃんはこっちね」
セキセイインコもドラゴンも基本的に水は飲まないので、差し出された小皿には汁気の多い果実がちぎって入れてあった。
片足で体重を支え、もう片方でそれを掴み、クチバシで端っこをはみはみし始めるぴーちゃん。
「でも・・・」
水金亀茶の香りが広がる中、風華は言いたいが言えない言葉を飲み込んだ。
「うん。言いたいことは分かっているよ、風華。
でもね。お前にもミシュウにも手伝ってもらって、世界中あれだけお探しして見いだせなかったあの方。だが、驚いたことに結局向こうからやって来た。もし避けようとしても避けられない事だっただろう?
そういうさだめなのだよ」
「予定調和・・・ですか・・・」
「ああ。あの方が姫巫女を探していらしたのは予想外だった。人の姿でライナに巣くい、裏から穂甲斐一族を操っていたフォフクでさえ、まさかあの方が上海に来るとは思っていなかっただろう。我ら人はもちろん、フォフクの様なハイ・ミスティックにさえ予想外な出来事。しかし、あの方にとっては全てがそうなるべき事だったのだと思う。ラ・ファイと会った昔から決まっていた事だったのだ」
「二つ世のきしみを望んだ者にも予想外だったでしょうね・・・」
「だろうな。今回の実行者、穂甲斐の生き残りにも、その影にいたであろう裁定者にも、な。あのお方の行いは誰にも予想できない。だが成されたことを後で考えてみれば、それは当然の結果なのだ」
「本当に、風のようなお方ですものね・・・」
「うん・・・
お前にだから言うが、正直、あのお方にしもべがいないと聞いて、もしや、とも思っていたよ。でもそれも違った。新たなしもべと契約を成された以上、私は盾か矛になるようだな。まぁ、それも予想外の事に覆されるかもしれんが」
香土岐はゆっくりと水金亀の甘い味わいを楽しみながらそう言った。だが、風華は茶に手もつけず、俯いていた。
香土岐はそんな妹弟子に気遣いの目を向けた。だが、かける言葉は気休めしか浮かばない。そう、もうこうなってしまっては仕方のないことなのだ。
「まずピュラスとピュリアティスが目覚めた。次いで<終末の剣>が四たび現れ、<竜の牙>を打ち直した<七つの剣>の最後の一振りが世に出た。そして遂にあのお方まで。もう決まりだな。
ゲターデメルングはすぐそこなのだ。<原初の竜>はもはや目覚めていると見ていいだろう。
こうなってしまっては。この身のうちに事が起きるのは避けられまい」
「わた・・・しは・・・。神々の黄昏よりも、あね様があね様で無くなる日が、怖い・・・」
ぽたっと机に風華の涙が零れた。ぴーちゃんはその後の展開をちょっと期待して香土岐を見上げたが、彼のマスターはそういう気分ではないらしい。机に置かれた風華の指先に掌で触れ、香土岐はこう告げた。
「風華。覚えておいてほしい。この先、私が何になったとしても。今私はお前を愛している。それだけは忘れないでいてほしい。例え私がそれを忘れる日が来たとしても。お前にだけは覚えておいてほしい」
「あね・・・様・・・」
「あらかた片づいたか?」
いつもながら。殿下は挨拶もなく会長室に入り、椅子の背を回して逆向きに座り、背もたれに両腕を掛けて顎を乗せた。
「校内の方はほぼ完全に。ただ管理棟がないので大変みたいですね、先生方は」
机に向かい報告書を打っていた由美が返事をした。
「ちょうど夏休み寸前でよかったじゃねぇか」
「いえ、それが。期末テストの準備が全部やり直しだそうで。二学期制にせず三学期制のままだったのが仇になりましたね。
まぁこれを機に管理棟は一から再設計できますから、会としては安心ですが」
近隣一帯を襲っていた超常現象。それが根底から解決された。ひずみを生んでいたゲートは<終末の剣>によって無事消去されたのである。ゲートの核だった死霊とは魔王ではなく、ラ・ファイだった。彼女の遺志が消えた後でゲートはあとかたもなく消滅させられたのだ。
「ま、これでちったぁ静かになるか。しばらくは続くだろうけど、集中してここに発生することはなくなった。だよな?」
「はい。後は昔ながらの自然発生的な超常現象ですね」
由美はパソコンを終了し、モニタをぱたんと閉じた。
超常研の新旧会長二人が目を見つめ合う。沈黙がしばし会長室を包んだ。
「まぁそうだな・・・。潮時じゃないか」
「はい」
由美は一度目を閉じ、ゆっくりと語り出した。
「今回のことではっきりしました。講堂で防衛戦になった時。私は彼女の欠如で痛感しました。超常研の中心は彼女です。
これで最大の気がかりも解決できました」
由美の言葉を受け、殿下はゆっくりと頷いた。
「まぁな。そういうことだな」
殿下は立ち上がり、本条から頼まれていた書類を机の上にぽん、と置いた。
「俺はしばらくこっちにいるからよ。後の事は面倒みるさ」
ドアに向けて歩き出す殿下。
「二年間、楽しかったぜ。つき合ってくれてサンクス!」
由美を振り向くこともなく、右手を上げて殿下は去っていった。その背中に向けて由美は深く頭を下げたままだった。
それがこの二人の最後の遭遇となった。
「えぇ〜〜〜っ! あんまりじゃないよ〜〜〜〜!」
会長室に張られている由美の結界を抜けると、会室では大騒ぎになっていた。ロッカーの前で巨体が肩を落としてしゃがみこんでいる。その隣で怒り心頭という感じの生徒・・・いや元生徒・・・というか元人間というか・・・。
「成仏しない娘さん」こと白石春香だ。今回の大騒ぎの間中、自称愛人、ジェームズ権田の修行につき合って旅行していたので、白石は大不満である。TVのニュースで見てすっとんで、文字通りすっとんで来たのだが、山場は見損ねてしまった。しかも、権田が帰ってくると、彼が大事に集めてロッカーにしまっていた50円玉のコレクションが半分以上なくなっていたのだ。まぁ、会室にも魔性が走り回ったらしいので、遊び半分に持って行かれたらしい。
「Oh,my presious」
ジェームズの青い瞳からぽろぽろと零れる涙。それだけなら結構絵になるのかもしれないが、スモウレスラーたる巨体ではちょっと引いてしまう光景だ。つるっとしていた頭も、かろうじて髷を結えるくらいにはなっていたので、しゃがみこんだ姿を後ろから見ると異様な印象である。
「ちょっと、山口! 弁償しなさいよね! カンリフユキトドキよ!」
床上30センチくらいの高さをすーーーーっと水平移動してくる白石。さすがにもうここでは足を偽造するのもやめたらしい。人魂の様な尾が膝辺りから伸びたままで浮遊移動だ。
「卒業した俺に言うなよ。文句なら現在の総責任者に言ってくれ」
「う・・・」と、白石は苦虫を噛みつぶした様な顔で会長室を見た。
「つり目のねーさんか・・・うぅ・・・」
白石は美咲由美が大の苦手だった。幽霊と退魔士では合うはずがないが、もともと性格的にソリが合わないのだ。
「ま、災難だったな、ジム。んじゃ」
かつてのクラスメートを黙らせてさっさと逃げる殿下。白石は殿下を追いかけようとしたが、泣きじゃくる権田から離れるわけにはいかない。仕方なく、次の攻撃目標を求めるその目を、会員たちはうつむいて避けた。
紀国田病院は戦闘不能に陥った超常研メンバーがいつもお世話になる所だ。守秘については信頼できるので、今回の事件でもおおっぴらに出来ない怪我人が随分担ぎ込まれていた。というわけで猫の手も借りたい状態だったので、本条傘下の条斉製薬から内密に打診のあった看護士の就職に、院長は二つ返事でOKを出した。
彼は着任早々、大わらわの日々を過ごしていたが、それでもちょくちょくその病室に顔を出すようにしていた。今も移動の途中で立ち寄ったところだ。
狭いながら個室のその部屋には岡崎美奈子が静かに眠っていた。第二の姫巫女、<門の繋ぎ手>と呼ばれていた女性だ。本条サイドで調査した結果、横浜にあった彼女の実家は既にない。ライナが彼女を上海に移送する際に証拠隠滅を図って放火し焼き尽くしていたのだ。娘を恨み続けた未婚の母と共に。他に身よりも無し。
サイコキネシスの能力は完全に失われているが、薬物投与の影響で一時的精神錯乱になる事は当分続くだろう。もともと自閉症であり、体力的にも衰えが激しいのでリハビリは長くかかりそうだ。さらに、それが終わった後どうなるのか。それは岡崎本人にも看護士の伊藤にも分からない。
それでも状況は随分よくなった。眠る岡崎の顔色を見ながらそう伊藤は思った。なにしろここにいる白衣の先生は研究者と称する例の連中ではない。素直に「先生」と敬意を込めて呼べる本当の医者なのだ。いつか、あの笑顔が普段の表情になる日も来るだろう。彼はそう信じて、今日も窓一杯に飾られた花の世話をし始めた。
「いよぅ、元気か?」
「あ、はぁい、どうぞ」
ふすまがすっと開かれ、筧啓介があゆみの部屋に入ってきた。
慣れない七剣に、七魂斬振。あゆみは精神、肉体共にぼろぼろの状態だった。とはいえ、診断結果は過度の疲労。啓介の方がよっぽど重傷だった。
「筧様、出歩かれて大丈夫なのですか?」
左腕に胸までギプスをはめられ、松葉杖抱えた啓介。椅子がないあゆみの部屋では座るのも立ち上がるのも面倒なので立ったまま、壁に寄りかかっているのだ。尻まであった長髪はばっさりと切られている。筧の術者として当然のように伸ばしていたのだが、背中にくらった金属片、シャッテンの破片が髪を切り落としていたのだ。
丁度いい機会なんだろうな。
そう思った啓介は美咲の剣士に倣い、短髪に切り揃えたのだった。
「んー、まぁ動いてないと体がなまるからな。リハビリ、リハビリ。
で、どうだ宿題の方は」
啓介に言われてちらりと文机を見るあゆみ。師匠たる由美からの指示で静養中にも時術の基礎を学ばされているのだ。
「はぁ・・・。難しいですねぇ・・・。ふぅ」
溜め息を聞き、啓介は頭を掻いた。
「私、素質ないんじゃないでしょうか・・・」と、あゆみがぽつりと。
「んーむ・・・。どうだかなぁ・・・」
あるぞ、と言ってやれないのが啓介だ。正直、他人の素質など考えたこともないのだから。
「愚か者! あるとどうして言えん!」
女性の部屋に立ち入る以上、ふすまは開けっ放しにする事にしている啓介。まぁ、それは由美の指示というか命令なのだが。
その由美が、学校帰りの制服のまま開いていたふすまから入ってきた。慌てて居住まいを正す弟子。
「彼女に才能があるのは分かっているだろう?」
「はぁ? わっかんねぇよ。俺、そういうの苦手だからよ」
「お前、最初にテストした時にもいただろうが!」
啓介はちょっと考えた。そういえば白鳥あゆみと由美が最初に会った時。いきなり修練場で実力をテストしたっけ、と。
「あ、したなぁ、そういえば」
「七剣はもちろん、七魂斬振まで行けるのはすぐに分かっただろう? 何を言って・・・」
「なにぃ!?」
「きゃぁ」
啓介の大声にびっくりしてかわいい悲鳴を上げるあゆみ。
「あ、すまん、驚いたか。
あー相棒、よく分からないんだが。あのテストでななつたまなんたらまで行けるって、なんで分かるんだ? 俺ぁ実際に見てびっくりしたんだけどよ。なにせお前しか使えないって聞いてたから・・・」
由美は長い溜め息をついた。
「お前・・・。ふぅ・・・
いいか啓介、あの時、何をやった?」
「ん〜〜〜」と思い出す啓介。
「まず単精で七精霊の方陣、順番でやったよな・・・」
「はい・・・」とあゆみ。土精以外だめだめだったので、恥じ入っているようだ。
「それでどうして分からない! 時結界、張っただろうが」
「あぁ、張ってたな。ま、かろうじてって感じで・・・
あ・・・すまん」
「い、いえ・・・」とあゆみ。すっかり落ち込んでいる。
「いえあゆみさん、あれで十分です。本家の術者でもあそこまで出来る者はいませんよ」
ころっと口調を変えて由美がフォローに入った。
「いいか啓介」と、すぐに戻ったが。
「美咲流に時の精霊に直接訴える術はない。だからお前が呼ばれたんだろうが」
「そりゃ覚えてるさ。で、それが?」
「・・・
唯一の時とのつながり。それが七剣の状態。分かるか?」
「あぁ」
「なら! 七とせの呪法で既に時と契っていない限り、時が呼べるはずないだろう!
ましてや単精霊での時結界。単独で時と結べるのであれば七魂斬振も可能。観崎様方がそれを出来ないのは時単独と接触できないからだ」
「あ・・・」
「なるほど」
あゆみと啓介は一緒になって頷いた。
「愚か者! 貴様それでもかつては術者を名乗った者か!
あなたはもう少し体系的に学ぶ必要がありますね、あゆみさん」
「おい!」と珍しく啓介が突っ込む。
「お前いい加減にしろよな。そこまで分けることないだろ! なんで俺にはいっつもそんな話し方なんだよ!」
由美は無表情なまま。答えたのはあゆみだった。
「え? だって、それは・・・ねぇ」
と由美を見る。頷く由美。
「は? なんだよ、なんでだよ」
「ん〜〜〜。言えません」とあゆみがキッパリと。
「なんだよ、知ってるなら教えてくれたっていいだろ?」
「ダメですよぉ。だって、女はミステリアスな方がいいんですよ。ねぇお師匠」
「はい、そうですよ、あゆみさん」
啓介はふらふらと頭を揺らしながら出ていった。魂が抜けていたとも言う。
駅前に通じる昭和通りは例外のない、完璧な駐車規制がしかれていたので、その脇道は報道関係、建設関係、ガスに電気に電話敷設の車などなど、もう大混雑だ。一方、道路規制の結果、駅前ロータリーには身体障害者用送迎車などの特例を除き、バスのみ乗り入れ可能になっており、閑散としているべきだった。しかし、実際にはせかせか走り回る人々によって大混雑だ。地下街が閉鎖になっているのでみんな地表を歩いて移動しているのだ。
その人混みを見ながら、駅前の喫茶店で一人のウェイトレスが溜め息をついた。
どうせ流行ってもいない店だ、なにもあんな事があってすぐに営業再開せんでも。そうは思ったがオーナーの意思は堅く、昨日から営業している。みんな忙しいんだから、どうせ客なんて来やしない。そう思った従業員一同の予想は簡単に裏切られ、昨日は夜までに過労で死ぬかというほどだった。駅前近辺の飲食店が軒並み休みだったからだ。出来たばかりの地下街には立派なレストラン街があったし、近隣のビルでもかなりの数のテナントが飲食関係だ。で、それが地下街、あるいはビルごと閉鎖。となれば飢えた連中が開いている店に大挙するのは当然の結果だった。
今日は駅ビルが再開したし、コンビニの入っているビルも午後から動き出したので、なんとか今まで生きている。へろへろの従業員陣は臨時ボーナスの請求を真剣に相談していた。それだけが就業意欲をかろうじて維持させていたともいえる。
カランカラン・・・
ドアに付いたカウベルが鳴った。今ガス会社の飢えた団体が帰ったってのに、もう客か・・・。ウェイトレスは笑顔など昨夜ファウンデーションと一緒に洗い落としたかのような表情で、ドアに目を送る。入ってきたのは女学生数名と男子学生一人。
それを目にした途端。ウェイトレス、沼尻洋子の就業意欲インジケーターがぐぐっと動き、一気にレッドゾーンに突入した。
すげっ、美形! マジ? う、動いてるよ、うは、座ったよ! うわぁぁぁ、目の保養〜〜〜〜〜っ!!
彼女はエスプレッソマシンの調子を見ている同僚にかっさわられないように大慌てでトレイを手にした。
昨日が15歳の誕生日だった。そう聞いた加賀壬は雅はるかのお誕生会を急遽取り仕切ることにしたのだ。転校初日だし、歓迎会も兼ねてメンバーはクラスメイトだけに絞った。それでも下手するとクラス全員付いてきそうなので、厳選したメンバーだけにこっそりとメールで集合場所を知らせた。はるかの女友達としていろいろ助けてくれそうな世話好きばかり揃えたのは加賀壬の親心の様なものだった。
メンバーは主役の雅はるか。付属品の雅司(呼ばずに無視すると、後ではるかがいじめられそうだったので)、開田茜、鮎川紫織、矢野君江に加賀壬だ。三宅敏子も誘ったのだが、保険委員の彼女はプレハブの仮保健室への引っ越しを手伝うとやらで来られなかった。
六人揃って、じゃ行こう、となったところではるかが「双子は来ないのか」、と爆弾発言。
加賀壬がつばさと犬猿の仲なのは有名だったので、みんな引きつった笑いを浮かべ「神宮司さん、忙しいから・・・」と誤魔化そうとした。だが、はるかが心底残念そうだったので、仕方なく電話をかけることになった。しかし、加賀壬以外、つばさの携帯番号など知らないし、あいつはもともとイチゲンさんの電話なんかに出ないのだ。それで加賀壬の携帯を使ってはるかが誘おうか、という話しになったところで加賀壬は思い出した。しずくでもいいのだ、と。
「おぉ〜、同じ学校って、これは結構ラッキーかも。これからは急ぎの用事でも、陰険ちびに掛けなくてすむぞ」
うきうきしながらしずくの携帯にコールする加賀壬。
「なんか用?」
携帯から聞こえたその一言で加賀壬はがっくり肩をうなだれた。そうだった、しずくが出るとは限らないのだ。
「くーちゃんに伝えて・・・ってあんたでもいいか」
ほむらの件ははるかすら知らない。なのでその名は出さずに集合をかけた。99%来ないだろうと思っていたのだが、メンバーを伝えると二つ返事で来るという。どうやらつばさもほむらもサムライに大変興味があるらしい。
ちょっとみんなから離れ、こっそり小声で釘をさす加賀壬。
「いい? みんなには内緒なんだからね。いらんこと突いたり、聞いたりしないでよ」
「大丈夫大丈夫、おば研の連中じゃないんでしょ、他の子。その辺はうまくやるさ。ただ知人にはなっておこうと思ってね」
ほむらの大丈夫は絶対大丈夫じゃないに決まっている。しかし、はるかが双子に会いたがっているという事実に負け、加賀壬は承諾するしかなかった。
かくして八人の大所帯になった。予定していたミヨシヤは大混雑。第二候補の甘味屋は店員が入院したのでお休みという張り紙が。いつものファミレスはタンクローリーが突っ込んで爆発炎上、跡形もなし。もう一つあるファミレスはガス・水道が復旧してないとかでお休み。かくして彷徨ったあげく、駅前の喫茶店で丁度作業服の団体さんが去ったところに滑り込んだのだ。
はるかが双子に会いたがったのは詫びをするためだった。迷惑をかけた、と。あの大騒ぎの中、はるかが頭に怪我をした時、助けたのが加賀壬や双子だということになっていたので、級友に不信感はない。
「別に気にすることじゃないわ」
そう答えたのはつばさ。彼女ははるかがあの時、あの状況下でありながら正しい選択をした事に敬意を払っていたのである。はるかの方もつばさが言った「ごめん」という言葉で彼女を信頼していた。
「うん、君は被害者なんだから。私らに謝ることはないよ」と、しずく。
その時だけ、しずくではなく本当はほむらが答えたのに加賀壬は気付いたが、しずくはあの時気絶していたのだから当然だ。二人が見事に入れ替わっているのにちょっと舌をまいた加賀壬である。
簡単な自己紹介の後は早速ケーキとアイスティーでお誕生会だ。今日はお店もほとんどやってないのでプレゼントは後日ということになったが、はるかは今日おごりだというだけで大層恐縮していた。
わいわい馬鹿話しで盛り上がる中、加賀壬の心配を余所に、つばさにも司にも棘のある態度はなかった。転入生に学校のきまりや噂を開田たちが笑い交りに語っているのを聞いている。ほむらはさっき詫びに答えた時以外、しずくに任せたらしく、表には出てきていない。おおかた司の観察に忙しいのだろう。そう思った加賀壬である。
「そうなのよ、お裁縫関係は手芸部で、家庭部は調理専門なの」
「あ、いいですねぇ。お料理ならいいなぁ」
今の話題は部活動だ。はるかがクラブに入ることに司の反対はないらしい。
盛り上がってる同級生。興味なさげながらも話を聞いているつばさ。にこにこしながら時折質問を挟むしずく。楽しそうなはるかだけを見つめ、口元に微笑みを浮かべて黙っている司。
今、はるかも司も前の制服だが、すぐに高校の制服になるだろう。どうにも普通じゃないメンツだが、卒業までの二年半、きっとこのメンツでいろんな事があるのだろう。面倒なことや誤魔化さなきゃいけないこともあると思う。三つ子の寿命とか悲しいこともあるだろう。そしてきっと、みんなで大声出して笑えることも。
加賀壬は気を回すのをやめることにした。たくさんの悲しみがあった。たくさんの犠牲者がいた。
だからこそ、生きてることを楽しまなきゃ。少なくとも、今は笑う時だ。
そう納得すると加賀壬も会話に加わり、すぐにおしゃべりに夢中になった。
こうして超常研最大の戦い、「闇の姫巫女」事件は幕を降ろしたのだった。
エピローグ
「エクスキューズ・ミー、サー」
空港で入国審査を終えたバウテカは航空会社の制服を着た女性に呼び止められた。
「お預かり品がございますので」
カウンターに行くと小さめの花束を差し出された。ここ、シンガポールでは有名な高級生花店のビニールに包まれたままだ。
覚えのないバウテカだったが、彼の目と耳は危険を察知しなかった。花束本体は職員に持たせたままで、メッセージカードを抜き取った。
花束もなしで女性に会うのは紳士の仕事ではありません。
差出人の名はない。しかし、バウテカは気が付いた。この航空会社もシャオツェンの傘下だったな、と。
慣れない花束を持ち、バウテカはタクシーを拾った。バスだとかなり遠回りになる。その霊園はごく一部の者しか用がないからだ。
眼下に海が見える小高い丘。麓でタクシーを降りたバウテカは暑さにうだりながら、松葉杖をついて歩いていた。埋葬の時に来たきりだったので正直迷うかとも思ったのだが、霊園は時間の流れなどないかのように、あの時のままだった。
木立の間を抜け、その墓石が目に入った時、彼は立ち止まった。
やっと、ここに来た。
またゆっくりと歩き出す。
墓石は小さなものだ。特徴も何の変哲もない。刻まれた文字も必要最低限のものだけ。無理もない。そういう職業だったのだから。周囲にある墓石も似たり寄ったり。ここは東宮会のエージェントが眠る場所なのだ。
ひざまづき、バウテカは墓石に刻まれた名前を見つめていた。今はまだ祈る言葉も浮かばない。でも、ここにやっと来ることが出来た。いつかは彼女に声をかけることも出来るだろう。だが、それは今ではない。
しばらくそうしている内に思いがけず、その背に声が掛けられた。
「まぁ。あの子にも花束をくれる殿方がいたんですね」
ぎょっとするバウテカ。だが、同時に殺気が無いことにも気づいていた。バウテカほどのエスパーに気配も感じさせず背後に立つ者。そう、撃つ気なら、とっくに撃たれて死んでいただろう。一瞬、自嘲気味な笑みを浮かべてから振り向くバウテカ。
そこに立っていたのは黒のスーツを着込んだ、彼女と同年輩の東洋人。左腕を吊り、手にも首にも包帯を巻いている。頭の半分以上を覆った包帯と眼帯で顔は口元と右目までしか見えていない。実に痛々しげな姿だったが、その立ち姿が醸し出す雰囲気は彼女に似ていた。おそらく同業者だろう。
場所を譲ろうとして、どこぞのお節介焼きが用意していた花束をまだ抱えたままなことに気が付くバウテカ。それを墓前に捧げた時にふと思い出した。そう、この花は彼女が二人の家の庭で育てていたのと同じだと。情報収集に長けたお節介焼きに呆れると共に、ちょっとだけ感謝すると松葉杖を頼りに立ち上がった。
軽く会釈する女性。
「私はロンツァンでルームメイトだったんです」
ロンツァン・ブルームは表向きは全寮制ハイスクールだが、実は東宮会傘下の戦闘訓練校だ。世界トップレベルの講習内容なので、洋の東西を問わずあちこちのエージェント候補生や傭兵の師弟が集まる生え抜きの学校である。なるほど、それならこの女性と彼女が似た雰囲気なのも頷ける。会話をする気にもなれないバウテカは立ち去ろうとしたが、左腕を動かせない女性がハンドバックを開けるのに苦労しているのを見かね、手を貸した。
「ありがとう」
女性が出したのは紫色の布包み。日本のフロシキか? バウテカがそう思った時、彼女はそれをなんとかめくり終えた。そこにあったのは掌よりだいぶ小さい金属のプレート。なにやら花文字が彫り込まれている。エージェントとしての訓練がそれにちらりと注視を向けさせ、エスパーとしての視力がそれを読みとった。
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凍り付くバウテカ。それはシャッテンのコアに付けられていたネームプレートだったのだ。白鳥あゆみが奪い取ったものである。
女性はそのプレートを墓石の台座に乗せてつぶやいた。
「どうにか倒せたわ。仲間や友人たちのおかげでね。私は偶然とどめを刺しただけ。みんな仲間がやってくれたのよ。
あなたがこんな物もらっても嬉しくはないと思うけど。でも、これで分かるでしょ。もうこれに泣く人はいなくなる。だから安心して・・・眠ってちょうだい」
女性の目から涙がこぼれる。バウテカは一礼すると向きを変え、松葉杖を突きながら歩き出した。
そうだ。彼女は俺一人のものではない。家族も友人もいたのだろう。そして俺も。もう彼女のものでは・・・ない。そうならなくてはならないのだ。
大きな木立の影に入った時、後ろから再び声が掛けられた。
「ねぇ!」
松葉杖を突き、向きを変えるバウテカ。
「私はユミエ・ミサキ。まぁこの名前で商売は分かるわよね」
「俺は・・・あいつの同業だ。リャン・・・」
名乗りかけ、言葉を止める。
しばし後に名乗りをあげた。あれから一度も口にしていなかった名前で。
「オカファイ・ヨン・クーファンだ」
バウテカの時は終わりを告げ、今またクーファンの時間が動き出した。
加賀壬さん頑張る。第五部:完