<超かいき★くえすと>くえすたぁず

 

第三十一話:加賀壬さん横転す

 

von:秋澤 弘

第一章

 「どういう事ですか、これは!」
 激しく揺さぶられながら、本条百合恵はキッとその目を何も写っていない機内通話モニターに向け、詰問した。
 機長が蒼白になりながら必死に操縦桿を握る脇で、コパイが声を、いや悲鳴を上げ、ヘッドフォンからの質問に答えた。
 「わ、分かりません、操縦系統が突然狂って。機械系は動いている様ですが、計器のほとんどがやられました!
 く、空港まで戻れるかどうか・・・」
 本条総家の空中指揮所、ステアマンは不意にその制御を失い、錐もみで雷雲に突っ込んだのだった。ベテラン機長の操縦でなんとか姿勢は回復したものの、安全飛行はもはや望めない程、機体の状態は悪化していた。急降下で雲を貫通した衝撃で、今もぼろぼろと部品が落下している。特に垂直尾翼のダメージが大きく、左右エンジンの強弱で機体の向きを補正するしかない状態だった。
 また大きな揺れが機体をなぎ、斜めに傾いた時、窓から街が見えた。百合恵の細い目が大きく見開かれる。
 機長は必死に機体を立て直しつつ、市街地上空から離れようとしていた。落下物も危険だし、最悪の場合墜落するのが街中であってはならないからだ。百合恵の目前で、小刻みに揺れながら街の南西部の光景が窓を斜めに横切っていく。
 あちこちに黒煙が吹き出し、炎が出ている。零上川の支流にかかった橋梁から電車が落ちかけている。
 街が燃える。
 百合恵の心が恐怖に掴まれた。シートベルトがあるのも忘れ咄嗟に立ち上がり、悲鳴を上げかけたところで、その細い体がぐいっと力任せにシートに押し付けられた。機体の運動力ではない。がっしりとした腕が彼女の肩を鷲づかみにして、背もたれに押し付けたのだ。シートベルトもなしで百合恵の後ろに立ち、揺れに抵抗しているその男。百合恵付きのボディガード、本間政喜だ。
 百合恵がその強靱な意志力でパニックから回復したのを見てとった本間は腕を放し、短く詫びた。
 「失礼いたしました」
 「この揺れですので、少し・・・バランスを崩しました。ありがとう、本間」
 崩し掛けたのは体ではなく心だったのだが。
 百合恵の思考は回復するとすぐに事態を考察した。機械系は動く。計器はだめ。モニタはだめでも音声の機内通話は可能。本社ビルとはだめ。地上の混乱は局地的・・・
 状況を理解すると百合恵は操縦室に向けて指示を発した。
 「大規模な電波障害です。無線を使う物はカットなさい。地表にも影響が出ている以上、街を覆うスフェア型でしょう。南西に飛び、範囲から一旦抜けなさい!」
 「ラジャー!」


 繁華街の外れにあるさびれた喫茶店で、殿下の声があがった。
 「ちっ、またかよ、このポンコツ! 肝心な時に!」
 ドライバーを取り出し、無線機のカバーを外し始める殿下。その斜め前で美雪がじと目でそれを見守っている。
 「ちくしょう、どこがいかれた?」
 突如雑音を発し、それきり動かなくなった無線機の中に顔を突っ込まんばかりの勢いで視線を走らせる殿下。
 「あれ?」
 と突然テーブルに付く二人から声が漏れた。
 「圏外って・・・」
 「う、うん、私のも」
 携帯電話を手に?を顔に浮かべるOBたち。
 そんな物持っていない殿下は隣の席で困惑する田内を見た。
 「俺のもだ。ここ外部アンテナあるのに・・・」
 それは間違いなかった。ここは地下だが、ビルに各社のアンテナが付けられていたのだ。いつもここから携帯で通話していたのだから彼らの困惑も当然だった。
 その時、サテンのガラス戸が開かれた。「た、大変よ」と、まるで時代劇で岡っ引きの元に飛び込んでくるサンシタの様に現れたのは、OB会の井村加奈子。
 「そ、外、すごいことになってる!」

 そう、町中がすごいことになっていた。それはそれはすごいことに。


 「電子系が全てアウトです。ファーストウェーブで磁気異常もあり、AI系は丸ごとダウンしたと考えていいでしょう」
 「電車は強制停止したはずですが。陸路は信号の制御機能が停止し、事故が続発しているようです。経済上の被害はもちろんですが、病院では命に関わる状態かと。自動ドア、エレベーターなども・・・。被害は予想しようもありません」
 「地下街が心配ですが、その状況を知ることも今は無理です」
 「妨害範囲は分かりません。もう見渡す限り混乱で・・・。駅方向からも、三洋ホテル周辺からも大規模な火の手が上がっているようです」
 「機械室の火災は鎮火しました。本社からの信号が途絶えたので予備発電機が緊急駆動した後、コンピュータから冷却機能の開始信号が出なかったのでオーバーヒートしたのだと思われます」
 精進たちがベースにしているビルで。本条精機の科研主任、黒田凛翔(くろだ りんしょう)は部下からの報告に焦りを深めていた。
 「電波を使用せずに連絡を取るとなると・・・。困りましたね。寺久貴君のバイクに頼るしか」
 「地下ケーブルからの通信もダメです。物理的につながってはいますが、制御が電子化されてますので・・・」
 「光ファイバーも同じく・・・。夜なら発光信号や信号弾という手があるのですが」
 「後は・・・のろしは火災発生が多すぎてダメでしょう」
 一気に話し出す部下を制して黒田が右手を上げた。
 「はいはい、ストップ。現状、本社と連絡取るには走るしかないようですねぇ。伝書バトもありませんし、みんなで飛脚するしかないですね。でも町の混乱も大きいでしょう。車で避難してる人轢いちゃったら大変ですし、バイクか自転車ですかねぇ」
 その時ドアが開き、また二人の部下が飛び込んできた。
 「み、見てきました・・・はぁはぁ・・・
 とりあえず、き、近隣に手を貸す必要は、ない、みたいです」
 「はぁはぁ・・、ここの、一条重機の社員と・・・、第八工区の飯場の連中が、総掛かりで消火を・・・はぁはぁ、ほぼ鎮火し、今は救助者の手当を工区の医務課が、やってます。軽い火傷程度だそうです」
 「あぁ、それはよかった。じゃ僕らは僕らのお仕事、やっちゃいましょう。
 今のところ、電気、ガス、水道は全て確保しましたが、いつ遮断されるか分かりません。食料は災害時用の備蓄がありますから、そうですね、予備発電機の復旧、全館のガスのカット、水の用意から始めましょうか」

 黒田たちが緊急対策に集まっている一階下では精進のグループが大騒ぎになっていた。<くみちゃん3号>が稼働停止してしまったのだ。
 「飯沼ぁ! 発信クリスタル6番の予備どこだ?」
 「香坂さんしか知らないだろ? 探せ」
 「うわ、2.5inchしかないのか、どっかに変換アダプタあったよな?」
 「あ〜、マニュアル、マニュアル・・・ってしまった、オンラインマニュアル、打ち出しなんてしてねぇや」
 「あ、そこ触るな! 方位指示系、電源落とせねーんだよ、感電したら死ぬぞ!」
 「なぁ来須。これ・・・何だ?」
 「うわ、ワイドスカジーじゃん! IDEでどうしろと・・・」
 「香坂さん、どうしてこんな時にいないんだよ〜〜」
 もう大混乱。
 <くみちゃん3号>自体はスタンドアローンだったし、今のところ電源供給はなされているのだが、電波障害が発生した瞬間、あちこちでショート、破裂と大被害が起きたのである。
 「は、波動増幅しちゃってたから、かなぁ。だとすると、さ、さ、さっきのはジャミング・ボムじゃなくって、魔性? 波動発生?」
 精進は復旧作業には加わらず、傍らで何か考え込んでいた。チームのメンバーはこれ幸いと作業に専念しており、誰も精進には注視していない。
 「ハイ・ミスティック・クラスが、で、で、出た? い、いや、それならこんなに広域周波数のはずないし。と、突発、突発的に来たんだから、なにか別のだ・・・
 ゲートかな? で、でもゲートなら先に美咲たちが気づくだろう・・・
 美咲? ひ、ひょ、ひょっとしてあれかな、鏡。美咲の鏡返し・・・。あれでゲートをしまっちゃって、出せばこうな、なる、ぞ」
 精進の推測は真実に肉薄していた。しかし、今それを聞く者はいなかったが。


 それが起きた時。車体にだるま弁当と大きく書かれた仕出し屋のバンは桜中に向かう坂を見上げる路地に停車していた。病院からターゲットらしき人物を尾行して来たのである。二人の西洋人ボディガードを連れたその女性は尾行を警戒する節もなく、病院前で客待ちしていたタクシーに乗り込んだ。そしてその到着先がここだったのだ。
 「動きはないな・・・」とリャン・バウテカが双眼鏡で校舎を見ながらつぶやいた。
 「本当にさっきの女性だったのですか? あまりに素人ですよ。ハイヒールの女性は他にも・・・」
 桜中の情報を検索していたジョージ・ハワードの声はリャンによって鋭く遮られた。
 「体重からして、あの女だ」
 きっぱり言われてはジョージもそれ以上抗議できない。なにしろ足音を聞いたのはリャンなのだから。お決まりのお手上げポーズをしようと両手を上げかけた時、付けていたヘッドトーキーセットから凄まじい音量の雑音が響いた。
 「うっ」
 うめいたのはハワードではない。リャンだ。しかし、ハワードはリャンを気遣う余裕など無かった。目の前にあるコンピューターや通信器のメーター、インジケーターが一瞬異常な数値を示したかと思うと、ボムっという鈍い音と火花を立てたのだ。
 素早くメインの電源をカットした右手でヘッドセットを振り払う。その間にも左手は抜きはなったSIGを構えていた。
 「くそっ、やられた!」
 窓から車外の様子を見て襲撃は無い事を確認し、ハワードは携帯電話を取り出した。表示が圏外になっている。通信機が破壊されたのに、電話のディスプレイが通常通り表示されているのに一瞬首を傾げた。受信可能状態になっていた以上、待機電源は入っていたはずだ。なのに携帯は動いており、無線機はいかれた。何故だ?
 だが今はのんびり考察している場合ではない。うずくまったバウテカの両手は双眼鏡から離れ、頭を押さえたまま動かない。その体をまたぐように左の窓から坂上にある中学を凝視するハワード。その目に数本の煙が見えた。
 「バウテカさん、何か始まったみたいです!」
 その声はインターホンからだ。運転席と通じるその装置も壊れてはいないらしい。ハワードは右手を伸ばし、インターホンの送話ボタンを押した。
 「どうした?」
 「信号が止まってます! それに火事です、あちこちから」
 銃を握った左手を白衣のポケットに突っ込み、ハワードはバンの側面ドアを開け、路上に降り立った。車の前方にある交差点。そこの信号機は光を失っている。中学をもう一度凝視するハワードの目に、校門から逃げ出してゆく生徒の姿が映った。
 道路脇にある住宅から老女の悲鳴が漏れ、周囲のあちこちで煙が伸び、ビルでは窓から炎すら吹き出し始めた所もあった。ぐるっと見回す限り、かなり遠方からも煙は上がっている。美咲の御山からも数筋伸びる黒煙。
 右足で一度地面を悔しげに蹴ると、車内に取ってかえすハワードにリャンは苦痛に満ちた顔を向けた。
 「な、何が・・・」
 言いかけた言葉を止められたのは今度はバウテカだった。
 「無理に口を効かなくていいですから。私は幸運でしたよ、耳は人並みですからねぇ。
 攻撃モードタイプのECMレベルじゃ済まないので、ジャミング・ボムを使ったのかと思いましたが。それも違いますね。磁気式の重電子波を連続照射してるみたいな。原因は不明ですが、まぁ、結果は簡単です。街全体に影響するほどの電磁波か何かが飛び、電子系アイテムに多大な被害を与えました。精密機械であればあるほど、電圧が大きければ大きいほど、そして質量も大きければ大きいほどに影響は深刻なようですね。帯電磁式かもしれません。
 あ、私に詳しい説明を求めないでくださいよ、専門外ですから、そんなの」
 バウテカは一声うめくと、なんとか立ち上がろうとした。ハワードは彼を支えて席に座らせてからシートベルトを堅く固定した。
 「始まったとみていいでしょう。しかし銃声は聞こえない。シャドウのソニックブラストもね。あの学校に突入したいところですが、先に確認しなくちゃならない所があります。
 ミサキノオヤマからも煙、上がってるんですよ」
 バウテカは目を見張ったが、すぐにこの場はハワードに任せるしかないと悟った。今の自分では移動すら自力ではできないのだ。それほどのダメージだった。耳だけではない、全身の皮膚が震えるほどの衝撃だったのだ。感覚が戻るまでまだしばらくかかるだろう。
 「車を出して。動けますね? 昭和自然公園の南口まですっ飛ばして!」
 インターホンで運転席に告げるハワードは、その目を窓に向け、最後にもう一度中学を睨んでいた。 

 リャン・バウテカとジョージ・ハワードの乗ったバンは混雑が予想される大通りを避け、それと平行して伸びる道をまず東に進んだ。信号機は全く動いておらず、あちこちで火事が起きていた。炎上する車が突っ込んだパン屋の前では無秩序に走る人々をひき殺すところだったが、運転手は指示通りに車をすっ飛ばし続けた。
 「止めて!」
 突然インターホンから響く声に、急ブレーキのタイヤ音が答えた。横滑りしながらも速度が落ちた時、運転手も気が付いた。大型のビルでも新築予定なのか、丁度右手に広いさら地があり、その奥の道を車が疾走して行くのがちらりと見えたのだ。窓から身を乗り出す灰色っぽい服を着た男はヘルメットを被り、右手を伸ばしていた。一瞬しか見えなかったが、それは明らかに短機関銃だった。
 「Uターン!」
 インターホンから指示が来るより早く、運転手は反応していた。



 

第二章

 管理棟で爆音が響いた時。美咲由美は特殊棟越しに炎と黒煙を見た。その瞬間、最悪の事態が発生した事を悟った。図書室が襲撃された、と。弾かれるように廊下に出た時、超常研の1年が走ってくるのが見えた。
 「か、加賀壬が爆発前に気づいて。さ、佐伯隊、皆瀬樹隊は会室に装備を取りに行きました」
 「金居君、直ぐに会室に行って! みんなに管理棟周辺から待避するように伝えて。事態は大変深刻です」
 言うが早いか美咲はダッシュをかけた。金居もすぐにその後を追う。
 教室から飛び出してくる生徒の間をすり抜け、階段を駆け上がる美咲。金居は階段を通り越し、渡り廊下に走っていった。由美が二階に付いた途端、目の前に迫る人影。由美が立ち止まるより早く、その人影は片足を軸にくるりと半回転して由美を避けた。
 「美由美!」
 「由美ねぇ! 何が起きたの?!」
 焦る美由美の肩越しに元帥の頭がちらりと見えた。彼は真由美を抱きかかえたまま疾走して来たのだった。
 合流も束の間、あっという間に生徒たちがあふれ出してきた。一階にある3−Aの教室から出た生徒会長の近藤がパニックを納めようと怒鳴るが、扉のすぐ外にいたので、教室から逃げ出すクラスメートに押し倒されてしまった。騒乱を鎮めるための校内放送もなく、教師も状況を把握できない。校内全体が混沌の渦に飲み込まれていた。
 美咲たちは人波に押し流されるように普通棟と特殊棟の連絡通路に出た。爆発のあった管理棟に向かうには特殊棟を抜けた方が早いのだが、この状況では逆に時間が掛かる。由美は正門に逃げ出す生徒に混ざって中庭に走り出し、元帥等もその後を追った。
 逃げまどう生徒をかき分け、美咲由美は特殊棟を回りこみ、管理棟前の庭に飛び出した。管理棟の三階は火の海。二階にある職員室の窓から飛び降りる者。非常階段から転げ落ちる者。授業時間だったので管理棟にいた人数は少ないが、それでも被害甚大だ。図書室からは今も衝撃と炎が何度も舞い飛んでいる。既に封じられていた魔性が暴れ出しており、崩壊は時間の問題だ。
 状況把握のため、周囲を見回した由美の視界に校庭側の渡り廊下を走る一団がちらりと写った。1年のアタックチームだ。彼らは大荷物を抱え、管理棟を迂回して特殊棟に向けて走っている。
 由美は自分に付いてきた集団に振り向き、そこに美由美たちに混じってクラスメイトの大下を見付けた。彼は引退組だが超常研の仲間だった生徒だ。緊急事態発生を知り、手を貸すべく、美咲会長を追って来ていたのだ。
 「大下君、伝令をお願い。アタックチームは記念講堂で防衛を、と」
 由美が指さす先を見て、アタック装備を抱えて走る後輩を見付けた大下は無言で頷くと、先回りすべくきびすを返して駆けだした。
 「真由美以外の篠木原隊は逃げ遅れた生徒を講堂に誘導して! すぐに結界が出来る」
 由美がそう言った途端、どくん、と、まるで大気が鼓動するかのような衝撃波が襲いかかった。一瞬あたりが闇に閉ざされる。すぐにそれは消えたが、空気の重さ、粘り着いた様な感触で結界に閉じこめられた事をその場の全員が理解した。
 「くっ、遅かったか!
 篠木原隊、正門に駆け込む生徒を止めて! 生徒は結界を理解していない、圧死者が出るわ」
 美由美を先頭に疾駆し出す篠木原隊。一足遅れて到着した松下たち超常研の助っ人も生徒の誘導のために散った。美由美は走りながらスカートに隠していた多段ロッドを引き抜き、振り下ろして伸ばすと、それで生徒をかき分け始めた。その棒さばきは見事の一言。あっという間に暴走する生徒を分断していく。元帥とサーは美由美が開けた隙間に体を押し込んだ。校門で目に見えぬ結界を越えられず泣き叫ぶ生徒と、そこに押し寄せる波との間で壁になろうと両腕を伸ばす二人。それを悟ったサバゲー部の宮本や写真部の小宮山等助っ人たちが協力する。すぐ後ろで篠木原が大声で叫んでいるのも見えた。

 その場に残ったのは由美と真由美。二人は管理棟を見上げた。そこから黒いプレッシャーが広がるのが分かる。
 「管理棟内に逃げ遅れた職員は?」と由美が口早に質問した。真由美は既に恐怖に怯える思考を由見で探していたので、答えは即答だった。
 「教頭先生たちで最後だよ。もう一階も二階も、誰もいないよ」
 窓から落ちた望月先生を背負って教頭が走っていく。教頭の頭の上では以前から疑惑のあった頭髪がズレているが、右足が折れたらしい望月先生を背に、懸命に走る彼を笑える者はいないだろう。彼らが最後で既にみな逃げ出したらしい。
 「真由美さん、襲撃者は何人?」
 「影と兵隊さん10人くらいかな。もっといるかもだけどぉ、よくわかんない。なんかごちゃごちゃになってるから、ここ」
 「闇の王は目覚めてる?」
 由美が一番恐れているのが闇の王。魔王を遙かに越えた力の持ち主。
 「うん。兵隊さんが攻撃したの。で起きちゃった。撃った兵隊さんたち、反撃されて・・・死んじゃった。図書室外の結界を中和してた影は逃げたけど。室内の個別結界解いたら、自分も危ないって知ってたみたい」
 「闇のものはこっちに来ようとしてるけど。今、先生が張ってた最後の結界が実体化を防いでるよ。闇のものたちには特に厳重に結界張ってあったから。数枚しか張ってなかった魔性には結界が歪んだ時に逃げられちゃったみたい」
 図書室を見上げながら真由美と真由理が同時に答えた。
 「先生は?」
 「香土岐先生、影と戦ってるよ。ん〜、どうやら先生、妹さんと会いに図書室離れたところを狙われたんだね」
 「妹?」と由美は真由理の声に聞き返した。香土岐はプライベートな事はほとんど話さないので家族構成については何も知らない。
 「みたいな人」と真由美。
 「ウィッチだよ」
 そう真由理が付け加えた時、管理棟の裏側で大爆発が起きた。第二校庭のあたりだ。由美の胸に突如不安が走る。アンチ・マジック・シェルを装備したシャッテンが相手では、結界術者である香土岐は苦戦を強いられているに違いない。なにしろ切り札の結界はキャンセルされてしまうのだ。
 「先生、ぴーちゃんがいないの。ぴーちゃん、お使いに出てて、今結界の外だと思う。妹さんは手伝ってるけど。図書室の結界も闇の王をいつまで押さえられるか分からない。正直、今にも破られるかも」
 由美は頷くと素早く状況を把握した。
 戦闘は三カ所。
 1:図書室。香土岐の結界 VS 闇の王
 2:第二校庭。香土岐姉妹 VS シャッテン
 3:講堂。魔性 VS 超常研
 となれば。まず講堂で生徒の保護、次いで図書室、第二校庭の支援の順で解決すべきだ。最も恐るべきは闇の王だが、生徒の安全確保は最優先課題。必然、香土岐の支援は最後になる。
 しかし、問題は結界の外である。ここに送りこまれた敵戦力は少ない。これは陽動だ。美咲屋敷が、ゲートが危ない。
 由美は振り返り、美咲の御山を見上げた。結界の中故、それは残像に過ぎず、今の姿は見えなかった。そこに炎に包まれ、闇の波動を脈打たせる山の姿を重ねてしまう由美。
 「由美ねぇさんでもすぐには出られないと思うよ」
 驚いて真由美を見る。彼女は塀の方を見ていた。もちろんその目は結界の仕組みまでも見てとっているに違いない。
 「これ、図書室にいた魔王たちと闇の王が一斉に張った結界だから。もうごちゃごちゃだよ。これは解くの、大変だよぉ」
 「図書室全体が揺らいだ時、闇の王の一部がこぼれて実体化したの。それを核にして学校に結界張った。だから闇の王本体同様、かなり手強いよ。もちろんデリートしちゃうと王も消えちゃうし・・・」
 「ならばここの事態を収拾し、闇のものを再封印して結界を消すしかない・・・」
 唇を噛む由美。かすかなつぶやきが漏れる。
 「啓介・・・頼むぞ・・・」
 任せろ相棒。いつもの声は返ってこない。
 由美は苦しい選択を強いられた。非情に切り捨てるべきものと、死力を尽くすものとを選択せねばならない。ふと彼女の脳裏に殿下の背中が写った。会長専用椅子に逆向きに座り込み、考え込む背中を。その孤独と重責を由美は分かっていたつもりだった。でも、その理解はまだ浅かったようだ。
 由美は決断せねばならなかった。由美か真由美のどちらか一方が講堂で防戦し、一方が図書室を押さえねばならないだろう。もちろん、より激戦になるのは図書室だ。香土岐もいつまでシャッテンを押さえていられるか分からない。最悪、闇の王とシャッテンに挟撃される可能性もある。
 「真由美さん、真由理さん。闇のものを押さえて。私は講堂で魔性から生徒を守ります」
 そう、それしかなかった。
 真由美も真由理も防御陣や療術結界を張ることが出来ないのだ。超常研の戦力を指揮することも。
 闇の王。そして十体以上の魔王。<ジェネシス>が敵を消去して済めばいいのだが、奴らには封じておかねばならない理由がある。奴らが吸った人の魂を完全に取り出す事ができなかったのだ。そうするには手遅れだった。よって滅ぼせば救出した人々も死ぬ。だから封じてあったのだ、危険を知りつつも。
 奴らを消去せず、実体化を防ぐには真由理も全力を尽くさねばならない。そのためには真由美と一つである必要がある。そしてHP体に実体化できぬ以上、奴らの攻撃はMP系。精神攻撃の嵐になる。真由美自身は術が使えない。そして真由理が精神系防御を不得手とする以上、真由美に及ぶ危険は計り知れないのだ。
 由美はいつも自分自身が一番危険な場所に行った。それが当然だった。退魔師として、筆頭術者として。大事な者をそんな場所に送り込む事などできはしない。ましてや次期様を、など。
 しかし、ここは学校である。配下も撃手ではない。学生だ。
 「鬼狩り屋としてではなく、学校を愛する一人の学生として手を貸せ」
 あの夜の殿下の声が蘇る。そう、私は、美咲由美は超常現象研究会二代目会長なのだ。指揮者としての選択は、戦士としての選択とは違うのだ。
 由美の思いを真由美は理解していた。それは由見などに頼らなくとも分かるのだ。彼女も美咲家次期当主としての覚悟があったから。
 「うん、それが一番いいよ」
 「必ず行くから。生徒の安全を、確保したらすぐに行くから・・・か、かな・・・らず」
 由美の震える声に真由美と真由理の声が重なった。 
 「「うん」」と。
 ふわっと真由美の背から朱鷺色の翼が伸びる。そしてその右手に巨大な緋色の剣が握られた。翼が二度はばたき、真由美は舞い上がった。
 その姿を見ることもなく、由美は駆けだした。講堂で救いを、そして指示を求める仲間の下へと。


第三章

 タクシーを求めて大通りに向けて走る加賀壬と神宮司。二人とも運動という才能はどこかに置き忘れて成長していたので、その走りは遅い。ハッキリ言ってトロい。必死に走るのだが、元々遅い上に爆発を見、あるいは聞きつけて集まるやじ馬が邪魔な事この上ない。
 大通りの信号が見えて来た時、加賀壬はびくっと身をすくませた。一歩遅れていたつばさがその背にぶつかる。転がる二人。
 「な、なにやってんのよ、このどん亀!」
 いや、その亀に抜かれてたのはつばさ本人なのだが。
 「き、消えた。前原さんが、消えた。
 学校に結界が張られた・・・」
 つばさを背に乗せたまま、加賀壬は後ろを見た。しかし、歩道に片頬付けた視点ではもう学校は見えず、天に伸びる黒煙がその場所を示しているだけだ。
 「結界? 学校に? 美咲会長がやったの?」
 つばさも首を曲げ、黒煙を見る。彼女は美咲がミスティックを校外に出さぬように封じたのかと思ったのだ。しかし、加賀壬はそんな考えは持っていない。加賀壬は会長をよく知っている。会長だけならばともかく、他の生徒を闇のものと一緒に閉じこめたりはしない。
 「違う。図書室の奴らが目覚めたんだ! ど、どうしよう、そうだ、美咲屋敷に通報して・・・」
 その時だ、まだアスファルトに親亀子亀の二段重ねになっている二人のすぐ脇に車が突っ込んできたのだ。
 急ブレーキの音、ガードレールのきしみ、衝突音。つばさの悲鳴、加賀壬の怒声。
 反射的に避けようと転がった二人は、寝返りをうったように上下逆になっただけだった。ひっくり返った亀二段重ね。こうなると哀れなのは下になった子亀、つばさだ。加賀壬は中学生と間違われるほど小柄だが、つばさは小学生と間違われるほど超小柄なのだ。
 「お、おもひぃぃ」
 「重くね〜〜〜〜っ!
 って、はいぃいぃいい!?」
 仰向けになり、じたばたと手足をばた付かせるつばさだったが、加賀壬の素っ頓狂な声に、はっと目を開けると、そこには異様な光景が展開していた。地面に転がり、全天撮影視点のつばさ。加賀壬は中空に浮いていた。つばさの上空約1メートルのあたりで、手足をばたつかせたまま。いつの間にか彼女のそばに二人の男が立っていた。この視点では男の顔はよく見えないが、その服装は理解できた。ニュートラルグレーを基調にした迷彩模様のBDU。ケプラー地にブレストプレートを付けたごつい防弾ベスト。手にしているのはH&K、MP5SDだ。タクティカルホルスターからは大型ハンドガンの握りも見えていた。
 つばさの左側、車道側に立っていた巨漢の男が加賀壬を片腕で掴み、持ち上げていたかと思うと、ぽいっと投げ捨てた。その腕は今度はつばさに伸びてくる。屈み込んだ男は布マスクで顔を隠し、青い目だけを出していた。迷彩布で覆われたヘルメットの下から覗く、その青く無慈悲な目。
 「!」
 しまった! 学校襲撃のターゲットは、超絶天才であるこの私だったのか!
 つばさはその腕を払いのけ、逃げだそうとしたが、運動神経を忘れて育った彼女、呆気なく万力の様な腕にがっしりと腰を固定されてしまった。
 悲鳴を上げ、助けを呼ぼうとするより早く、彼女の口が押さえられた。迷彩模様の手袋に包まれたごつい手は、つばさの頭全体を鷲づかみできそうな大きさだ。地面から持ち上げられ、すぐ隣に急停車していたワゴン車に放り込まれようとしている。つばさは手足を猛然とばたつかせたが、その脱出成功率は、猫に押さえられたテントウ虫程もない。
 「つば公!」
 声と共に、さっきポイ捨てされた加賀壬が飛びかかってきた。男の指の間から見えるその必死の形相。かみつき、爪でひっかき。もう猿の喧嘩状態だ。神宮司つばさの心のどこかで、冷静にそれを見ている自分がいた。
 サブマシンガン持ったプロっぽい市街地迷彩の外人二人組。それ相手に、どうしてこいつは突っかかってこられるんだろう。知らないって事は恐ろしいなあ・・・
 もう一人の男が加賀壬の脇に立ち、その両腕を振った。構えていたMP5の銃床を加賀壬の腹に叩き込んだのだ。腹を押さえ、二つ折りになる加賀壬。吐瀉物が歩道に落ち、その足は崩れる寸前だが立っている以上、手加減はしてあったのだろう。さもなければ衝撃でワゴン車のドアに叩きつけられ、内臓破裂間違いなしだ。
 だが、加賀壬は崩れなかった。自分を殴りつけた男には目もくれず、彼女はつばさを抱えた男にまたしがみついた。
 やめなさい、この低脳! 今度こそ殺される!
 巨漢に顎をがっしり押さえられているつばさの声はうめき声にしかならない。つばさの目はMP5SDを持った男の手がセレクターを単射に切り替えたのを見た。SD、つまり消音器を付けたマシンガンの銃口が加賀壬の脇腹に向けられる。次の瞬間、その9ミリ弾が彼女を貫くだろう。
 ばかやろーーーーーーーっ
 つばさは声なき叫びと共に足を折り、巨漢の太股に靴底を付けて飛んだ。ワゴン車に向けて。巨漢はつばさが動いたのを利用して彼女を投げ込もうとしたが、抵抗ではなく、自ら車内に飛び込むとは思っていなかったので、予定外の勢いでその子供の様な体をほうり投げてしまった。シートを飛び越し、反対側のドアに叩きつけられるつばさ。
 「B2C!」
 トリガーを引き絞ろうとしていた男の口から低い声が漏れた瞬間、加賀壬は咄嗟に車内に飛び込み、よつんばいで這いながらつばさの体を抱え、起こし上げた。額から血を流し、ぐんにゃりとした人形の様なその体を。絶望に心を奪われた時、彼女の体はがくりと崩れた。とっくに現界を越えていた加賀壬も意識を失ったのだ。
 加賀壬に銃を向けた男がすぐさま手を車内に伸ばした。まるで猫を持ち上げる悪い見本の様に加賀壬を掴み、車外に放り出そうとしたその瞬間、男の体に衝撃が走り、加賀壬を落とした。甲高い金属音が鳴り響き、車のドアに、そしてガードレールに火花が飛び、5.56ミリ弾が立て続けに穴を穿った。
 「Hauptmann!」
 「Feind! C Gruppe komenn!」
 「Abfaere,shnell!」
 車内と外で叫びが飛び交い、二人の男は急発進するドアから飛び込んできた。加賀壬とつばさがシートの前に倒れ込んでいなかったら潰されていたかもしれない程の勢いで。


 う、う〜〜ん・・・。く、苦しい・・・。
 つばさの意識が戻った。ぼんやりと思考が鈍った状態。全身が気怠い。
 おかしいな。そうつばさは思った。
 目に映っているものが脳にしっかりと伝わった時、彼女は悲鳴を上げた。
 「くーちゃん!」
 姉がそこにいた。後ろ手に手錠をかけられ、長髪を乱してぐったりとシートに身を投げ出した姿で。
 つばさは姉に手を伸ばそうとしたが手首に激痛を感じただけで、どうしても姉を抱き起こすことができない。もがいているうちにバランスを崩し、シートから転げ落ちてしまった。そこで理解した。自分も拘束されているのだと。
 後ろ手に縛られているだけではない。両足首も一つに縛られていた。そのままで寝転がった体勢から立ち上がるのは至難の技だ。ましてや床は絶えず振動しており、左右に揺すられているのだから。
 つばさは無理な姿勢で可能な限り首を動かし、周囲を見た。車の中ではあったが、さっきのワゴン車ではない。もっと大きな車、多分トラックかトレーラーの中だ。そうつばさは判断した。
 壁面を背にシートが二列、向き合った形になっている。天井には蛍光灯が灯っている。進行方向と思しき方でマシンガンを構えた三人の男がこっちを無表情に見つめていた。床に転がったつばさに手を貸す紳士はいない。三人のうち、一人は包帯で左腕を吊っていたが止血が十分ではないのだろう、血がにじんでいるのが薄暗い車内でも見て取れた。さっき加賀壬に銃口を向けた男だ。つばさはそう思ったすぐ後で、慌てて加賀壬の姿を探した。自分は気を失っていたらしい。加賀壬は、あの低脳はどうなった?
 ぐるんと寝返りをうつ。手が邪魔でうまく転がれなかった上に、長いツインテールを体の下に巻き込んでしまい、髪が百本は抜けたかと思うほど痛かったが、加賀壬を見付けることは出来た。しずくが力無くもたれているのと同じ側のシートに寝かされていたのだ。
 大体状況が分かってきた。自分はしずくと加賀壬の真ん中にいたらしい。今は足下なのだが。
 「くーちゃん、しっかりして、くーちゃん!」
 しずくの投げ出された足にすり寄り、つばさは必死に姉を揺すった。思いが通じたのだろうか、つばさそっくりのその顔がかすかに震えた。
 「くーちゃん、大丈夫? くーちゃん、ねぇくーちゃん!」
 姉はゆっくりと二度まばたきをした後で、半分閉じかけながらも目を妹に向けた。
 「くーちゃん?」
 様子がおかしい。そうつばさは気が付いた。思考が鈍っている。自分同様に。どうやら私たちは薬を使われたらしい。そう判断したつばさは犯人たちをにらみ付けた。
 しずくも目覚めたのを見て、包帯の男がなにやら指示を発した。隣にいた男が足下のケースから何か分厚いノートパソコンの様な物を引き出し、つばさたちに近づいた。かなり初期のシンクパットを思い出したつばさ。小型のアタッシュケース並の分厚さだ。顔をマスクで覆ってはいるが明らかに欧米系のその男は、しずくが座ったシートにその箱を置き、蓋を開けた。それを見て、ECM防御のシーリングケースだと理解するつばさ。大げさな箱だが、遮断壁がそのほとんどだ。中身はそんなに大きな物ではない。B5ノートパソコン程度か。昔のIBM時代からLenovoの薄型ノートPCにつばさの印象は切り変わった。
 男が中をいじり終え、進行方向に少し移動すると、その背で遮られていた中身が見えた。ポータブルDVDプレイヤーだろうか。外部アンテナがつきそうなソケットが見えるので通信機かもしれない。市販品ならメーカーもシリーズ名も分かるはずのつばさでも、機種が断定できない以上、特殊な物なのだろう。
 10インチ程度しかないモニタに光が走った。つばさは凝視し、しずくはぼーっとその画面を見た。もう一人の捕らわれ人、加賀壬はまだ気絶している。
 画面に一人の男が現れた。白衣を着込み、細い銀縁眼鏡をした日本人。年の頃は40台後半か50くらい。神経質そうな顔立ちと瞳。
 その姿を見た双子はぎょっとした。よく知った人物だったからだ。
 「しずく。つばさ。まずお前たちが無事にこのビデオを見てくれることを祈っている。
 突然の事で驚いただろう。だが、大事な話があるのだ。よく聞いておくれ」
 走る車の騒音で聞き取りにくいが、その声ももちろん知った声だった。
 「お父さん・・・?」
 つばさは思わずつぶやいた。それは双子の父、神宮司博士だった。
 「お前たちが引っ越す事に、私たちがどれだけ反対したか覚えているね。私もエルシャもお前たちの望む人生を送ってほしいと願っている。それは信じて欲しい。それでも美咲郷に行くのだけは許可できなかったのだ。なぜなら、そこに危険があることを私たちは知っていたから。
 だが、その危険はもっと未来の事だと思っていた。それが唐突に迫った事を知った時には、もう時間がなかったのだ。
 驚かないでほしい。私とエルシャはスタッフのみんなと一緒に幽閉されている。ある計画の実行に断固反対したからだ。その計画が何なのかは言わないが、賢いお前たちには分かるだろう。あれは決して実行してはならないのだ。これ以上罪を重ねることはできない」
 父の言葉に聞き入るつばさ。しずくは興味なさげにしてはいるが、その目はモニタから離れていない。 
 「本社は私たちに協力させるため、お前たちを人質にする事を示唆した。お前たちはずっと監視されていたのだよ。私からの警告も奴らに妨害されお前たちに届きはしなかった。私もエルシャも、なんとかお前たちの安全を確保したかったのだが、監視が厳しくてなかなかそれは実現できなかった。
 そして、事態は急変した。兵器開発部が彼らの計画を前倒しに強行すると聞いた時、もう既に十分な準備期間は残っていなかった。
 美咲郷は戦場になる。私はある人物の協力を得、お前たちを救出する事にした。今お前たちを連れ出した者たちはその人の部下だ。お前たちの味方だよ。本社の目を逃れ、無事国外に脱出するまで護衛してくれる。
 利口なお前たちだ。隠しても無駄だろう。そう、お前たちの生存を条件に、私たちはもう一つの選択、あの計画に協力する。私たちはさらに罪を重ねることになるだろう。それをお前たちが許してくれるとは思っていない。ただ・・・。せめてお前たちにしてしまった罪だけは少しでも償いたいのだ。
 しずく。つばさ。お前たちの限られた時間をせめて私たちに守らせてほしい。最期の時まで自由に生きてくれ、生まれなかったほむらの分も」
 モニタの中の神宮司博士は一度言葉を切り、数秒目をつむってから語り続けた。
 「私たちは普通の親子にはなれなかった。親子ごっことつばさは言ったね。それでも、お前たちは私にとって、エルシャと同じく愛しい存在だったよ。家族だったのだ。愛している。心からそう言える存在だったよ。
 最後にエルシャからの伝言だ。私たちをお父さん、お母さんと呼んでくれた事に感謝している、と。
 さようなら・・・。しずく。つばさ。ほむら。さようなら」
 映像は途切れた。脇に控えていた男が装置の上に屈み込んだ。おそらくデータを抹消しているのだろう、何かの操作を終えると装置をしまい込み、さっきまでいた場所に戻っていった。
 沈黙していたつばさは怒りに肩を震わせていた。
 「本当に・・・勝手な奴ら・・・」
 「でも、どうする? このままおとなしくしてる?」
 しずくの問いかけにつばさは意識を目の前の現実に戻した。
 「どうするもこうするも。この状態じゃ抵抗しようもないでしょ」
 背中の後ろで手錠をがちゃがちゃ鳴らすつばさ。
 「そう。じゃ私だけでも逃げようかな」
 「え?」
 つばさは顔を曇らせた。なんだろう、何かおかしい。そうつばさは理解した。
 「どうしたの、くーちゃん」
 「だって。あいつ等の思いどうりになるなんて、むかつくよ」
 「くーちゃん どうしちゃったの?」
 しずくは妹の問いかけには答えず、加賀壬を見た。彼女は拘束されていない。それもそのはず。加賀壬に投与された薬は双子の倍以上だ。しばらくは意識を回復することはないのだから。
 しずくの目が加賀壬を見つめ続ける。その目は、つばさが見たこともないほどの冷たいものだった。 
 「ね、ねぇ、くーちゃん・・・。くーちゃん・・・」
 つばさが泣き出しそうな顔になった。今しずくが目に宿しているものは、姉から発せられているとは思えないものだったから。
 「くーちゃん! おかしいよ、くーちゃん!」
 とうとうつばさは叫びだした。違和感から端を発し、思考の結果行き着いたしずくの現状。それは「発狂」の二文字だった。それほどにしずくの瞳に感じるものは狂気に近かったのだ。
 と。突然しずくの首がかくんと揺れたかと思うと彼女の上体が力無く脇に倒れた。ソファに上半身を寝かせた格好になったのだ。
 つばさは恐れた。このまま姉が目覚めないのではないかと。でもそれを意識したくないので、つばさは体をしずくの足に寄せ、すがりついた。
 「ほんと、緊急事態に弱いね、つばさは。役に立たないなぁ」
 声は頭上からではない。つばさにかけられた侮蔑の声は加賀壬の口からだった。だがそれを認識してもつばさに浮かんだ感情は怒りではなかった。加賀壬の目が開き、つばさを見ていた。その目に宿るもの・・・。
 「くーちゃん?」
 もうつばさは何がなんだか分からなくなっていた。加賀壬の目。それはさっきまでしずくに感じていた物と同じ狂気を宿しているのだ。
 「黙ってて、気が散るから。こいつの記憶、結構大変」
 どういう意味だと聞こうとして、つばさは不意に耳に入った音に顔を上げた。
 「あれ・・・ここは・・・?」
 しずくの手錠が鳴る。
 「え?」
 困惑するつばさの声を聞き、しずくが足下を見た。
 「つーちゃん!」
 言うが早いか、膝を折り、飛び込むばかりの勢いで妹に身を寄せる。しかし、拘束された状態なのに気づいていないしずくは、つばさの上にどさりと落ちてしまった。車が丁度角を曲がったので、足の向きがずれたのだ。
 「う、い、痛い、つーちゃん」
 「どいてぇ、くーちゃん」
 双子の妙なスキンシップを見て、加賀壬の目に嘲りが浮かぶ。
 「ほんと、どうしてこうも出来が違うのかなぁ・・・」

 その時だ。車が大きく揺れ、双子も加賀壬も宙に舞い、反対側の壁に叩き付けられるほど激しく転がった。次の瞬間、もっと大きな衝撃が彼らを床から浮かせ、同時に爆発音が響き渡った。
 咄嗟に銃を構える兵隊らしき三人のうち、一人が運転席に繋がる連絡通路のドアに飛びつき、もう一人が負傷している仲間を即座に抱き留めた。そこに左側の壁を貫通して何発もの銃弾が浴びせられる。前に移動中だった兵は足を打ち抜かれて転げ、負傷者を抱えていた巨漢は背中から数発くらって倒れた。内側から装甲を施してあった壁面を貫通した高初速弾ではあったが、壁を突き抜けた後で巨漢の体を貫く速度は残っていなかった。装甲内での対人殺傷力を重視したその7.63mm弾は、壁面に命中した段階で弾頭が潰れ、胸装甲板を付けた巨漢の体内で四方に弾け飛んだので、彼にかばわれた形になった男に致命傷はなかった。
 「Feldwebel!」
 かばわれた男の叫びで、床に転がった兵にも事態は伝わった。だが彼は上官を助けに入ることは出来なかった。運転席は有線誘導弾の至近弾を受け、血の海だったからだ。彼はハンドルを握ったままの仲間をひきずり出し、自分がシートに座った。バックミラーも吹き飛び、防弾ガラスもひどい有様。敵の位置も数も分からない。それどころか前方すらまともには見えない。
 アウトバーンに出さえすれば少尉の隊と合流できる。それまで何とか・・・
 彼の思考はそこで途切れた。暴走するトレーラーの運転席に、それが飛び込んで来たからだ。歪んでまともに開くはずもないドアが力任せに引きちぎられたかと思うと、耳をつんざく高周波が運転席を、そして開け放たれたままの扉を通じてコンテナまでも混沌にたたき落とした。それは一瞬。だが間近でそれをくらった運転席の男は耳や目から血を吹き出しながらドアに叩きつけられ、新たな血だまりを作った。運転席の防弾ガラスは全て飛び散り、かなり離れていたはずの加賀壬の眼鏡にもヒビが入った。再び操縦者を失ったトレーラーはT字路を直進し、壁に激突。砕けたコンクリの壁を半分乗り越えた所でやっと動きを止めた。
 突如舞い戻る静寂。蛍光灯も全て割れ、前部座席との扉からの光が、もうもうと煙と埃を巻き起こすコンテナに差し込む。血と硝煙、焦げ、焼き付いた金属の不快な臭い。
 動かぬ巨漢の下で鼓膜を破かれ、肺も片方つぶれた男が、扉を睨んでいた。前部席との間にある隙間にそれは立っていた。逆光にシルエットが浮かび、その影がコンテナの床を暗く染める。身の丈は2メートルを越し、胸板は分厚いが肩幅は奇怪なほど狭い男の姿。頭からすっぽりと被っていたローブ型の外部装甲は裾のあちこちが引き裂かれていた。繊維状合金で出来たその装甲は攻撃を受けて裂けたのではない。持ち主のあまりの過剰運動に付いていけなかったのだ。
 ローブの影から四つの鈍い光がコンテナ内部を見つめている。その一つはレーザーサイトの照射のごとく巨漢とその下の男、加賀壬、双子と真っ赤なドットを走らせた。
 床に倒れた男が残った片肺から絞るような声を出した。
 「Schatten」
 声が途切れるのと同時に彼の頭はがくりと揺れて床にぶつかり、それきり動かなくなった。
 シャッテン Ausf.Xは全有驚異個体の行動停止を確認した後で、コンテナ奥に積み重なるように倒れている三人の個体に左手を、いや、手の場所に付いている銃口を向けた。全員意識はあり、こちらを見ている。
 センサーが外見をなぞり、装備及び固定武装を探す。可変周波走査器が個体内部の密度測定を行い、脳波センサーと波動センサーが同時に三人を内部から分析する。その間にも敵対行動に備え、射撃管制ユニットは3Dレーザーサイトで三人の額と心臓の位置及びそこまでの距離を正確に測定し、動体予測パターンも掌握した。
 シャッテンは自律思考型ではあるが、標的は起動前にインプットされた対象のみに限定される。敵対勢力による外部操作を防ぐため、電波障害を起こす機能があり、結果として有線以外、起動後の操作は受け付けなくなるのだ。
 対象の三個体を即座にデータベースと照合するシャッテン10型。
 第一目標:チーム16の反逆者8名及びその使用するビーグル。完遂条件・行動停止
 第二目標:ミサキメイジ及びその使用するビーグル。完遂条件・撃破
 第三目標:第一、第二目標に協力し攻撃に参加する個体及びその使用するビーグル。完遂条件・行動停止
 第四目標:神宮司双子。完遂条件・破壊。ただし頭部は残し、前頭葉ユニットを確保。ラボに輸送。
 今回の起動時に与えられた四種の目標を検索し、シャッテンは倒れている三個体、性別:女性への攻撃是非判定を瞬時に行った。
 第一、第二目標の個体データには該当なし。戦闘状態ではないため、第三目標にも該当せず。判定がごく僅かに遅れたのは第四目標への該当判定だった。
 三個体のうち二個体は外見が第四目標に90%以上の確率でヒットし、視覚センサーユニットは攻撃を肯定した。しかし精神思考パターンを読んだ波動センサーユニットは攻撃を100%否定した。三個体の思考パターンは同一卵から派生した事が確認されたのだ。ID4Bプランによる第四目標の発生・起動時から今回の作戦開始時点まで、そのデータは網羅されている。第四目標が本来のプランどおりに三つ子である確率は0%だ。それ故に遺棄されたのだから。
 第四目標は双子である。三つ子ではない。よってメインユニットによる総合攻撃是非判定は、Nein。否だ。
 シャッテンの胸部からピピピッという電子音がした。目覚ましの音をやけに甲高くした様な音。それに応じて四人の兵が運転席から敏捷な動きで乗り込んできた。シャッテンは彼らに場所を譲るかの如く、速やかに撤収した。気を失いかけて口も利けぬ双子と、じっと破壊者を見守る加賀壬を残して。
 乗り込んできた四人の一人、リーダー格らしい男がシュテアー・アーウーゲーを三人に向けた。彼は足下で動かぬ男たちと同じ市街地迷彩のBDU(バトル・ドレス・ユニフォーム:戦闘服)姿だ。残りの三人は黒のアメリカ式BDUを着ている。黒BDUの一人はすぐさま足下に倒れた二人に銃を向けながらチェックをし、残った二人がコンテナ奥に駆け寄り、双子と加賀壬を乱暴に担ぎ上げた。
 「くーちゃんに触るな!」
 暴れるつばさに黒BDUがすごみの効いた低い声を掛けた。
 「すぐに引火するぞ。一緒に吹っ飛びたいのか!? 捨てて行ってもいいんだぞ」
 引火と聞き、ぎょっとするつばさと加賀壬。男の言葉は綺麗な日本語だった。リーダーらしき迷彩BUDは西洋人のようだが、黒BDUは皆日本人なのだ。しずくを肩に背負ったもう一人の黒BDUもネイティブスピーカーならではの日本語でいらついた声を出した。
 「捕虜が抵抗するな! 今にも危ないんだ、こっちの身にもなれ!」


 兵たちが捕虜を連れだし、駆け足で道路の反対側にたどり付いた時、トレーラーが爆発した。
 それを西側2ブロック先の角に隠れ観察する男。ハワードである。左手にSIGを構えたままの彼は逃げまどう野次馬を押しのけて兵が車三台に分乗し、東に向けて発進して行くのを見届けてから、だるま弁当のバンに戻った。運転手に追跡を指示してから荷物室に入る。
 バウテカはまだ立ち上がれなかったが意識ははっきりした様だ。彼は、動き出す車に慌てるそぶりも見せず、乗り込んできたハワードへ冷静な表情を向けた。
 「町中でTOWぶっ放した大馬鹿者はどこのどいつだ?」
 後部シートに座り込み、銃を持ったまま後ろの窓を警戒し始めたジョージ・ハワードが答えた。
 「チーム16が二人。民間仕様のブラックBDU着込んだ東洋人が八人。おそらく車外に出なかったのがもう数名。そしてシャドウ一機」
 バウテカの顔が引きつった直後、彼の手は運転席との壁に固定してあったゴルフバック程のケースに伸びた。ベルトに手が掛かった時、ハワードが続けた。
 「"スレンダー"タイプでした。3rd・ジェネレーションですよ」
 目指す相手と機種世代が違う。それを知り、彼はバッグに伸ばした手を下ろした。わき上がる怒りを抑えながら、バウテカは彼の個人的事情をハワードがよく理解している事を認識した。
 「たとえそうでも、シャドウはシャドウだ」
 憎々しげにそう口に出すが、今の状態では仇もとれない事はバウテカも理解していた。
 「セダン二台にシャドウ用らしきコンテナ積んだ小型トラック一台、計三台に分乗。帰還中ってとこでしょう」と、ハワードはバウテカの事情には我関せず、とばかりに説明を続けた。
 「で、逃げてた方ですが。トレーラー組で確認できたのはチーム16が二名。一人は死体、もう一人は重傷ってとこでしょう。追っ手の方がその一人を担ぎ出して連れてっちゃいましたから死んではいないかと。死体は、おそらく車内にもっといたんでしょうけどトレーラーごと火葬です。ナムアミダブツ、でしたっけ日本では。
 他に捕虜が三名。全員ティーンエイジの女生徒です。さっきの中学の制服じゃなかったですよ。ブレザーだったし」
 会話が一度途切れた。バウテカはシートベルトに拘束された状態で、ゆっくり手足の指を動かし続けていたが、やがて吐き捨てる様につぶやいた。
 「HII重役の娘ってとこか。データ参照しようにもPCがいかれてちゃな・・・」
 後部と左右の窓から順番に外を確認しているハワードがそれを否定した。
 「いや、多分試験体でしょう」
 「試験?」
 「ID4ですよ。映画じゃない方の。
 あれ、試験体は決まって子供なんです。ま、工程上当たり前ですけどね」
 遺伝子研究を人体実験で行う。そのために強制的に成長を早めてまで。ハワードの言葉にバウテカも大筋を理解した。
 「なるほど。このドタバタに紛れて、さっきの病院でこっそり誰かが継続してた実験の試験体を盗み出そうとしたってことか」
 「シャドウがどっちに付いてるのかは分かりませんけどね。おそらく実験やってた誰かの側でしょう。あれだけの設備、維持するには大金が動かないと無理ですから。さっきのお薬、一回精製する値段はとんでもないですからね。一週間ちょっとしか持たないんです、そのくせ。
 おそらくマイセン本社の理事クラスがバックにいますね。そいつがこっそりスリーピングビューティープランを継続してた。シャドウ計画を推進した開発部と研究部系理事四人の誰か、あるいは全員ですかね。で、プラン漏洩を恐れて中止させた残りの六名の理事側が、継続の証拠として試験体をおさえようとした。
 もしくは・・・」
 「推進波の誰かがその成果を独り占めしようとしたか、だな。チーム16は二勢力から別の指示を受け、仲間割れで敵対してる、と」
 「何にしろ仲間割れは間違いないですね。ライナ理事会では日本に実験施設作らない事に決定してたはずですし」
 「ん? 産業スパイなら日本の方が多いだろうに」
 バウテカの問いかけに首を振るハワード。
 「いえいえ、ミサキが怖かったんですよ。彼らは人体実験なんかで寿命を縮めるの、怒りますから」
 「なるほど。コトワリに外れる事を正すってのは奴らの基本教義だったな」
 「でも、特殊遺伝子、特にミスティックの血を引く者は日本人に多い。なにしろここはハイレベルのミスティックに二回侵略されてます。その時ヒューマンと混ざったミスティックの血が、今でも急に目覚めるんですよ。
 他にも有名なのだと西欧で一件、東欧で二件、インドで一件あるんですが。西欧は支配確立前に侵略終了したので、混ざった量が少ない。東欧はジプシー連中だったので、今、血の継承者を捜すにはヨーロッパ中が対象地域です。インドは量が多いはずなんですが人種のるつぼ。混ざり過ぎちゃって血の発現率が低い。
 その点日本は島国。ほぼ単一民族でミスティックの血が発現しやすい。でも、ミサキが怖くって、日本で試験体を集めてから海外で研究してたってわけです」
 「海外、か。例えば、上海」
 ハワードはまたお手上げのポーズになった。左手には銃を持ったままだったが。
 「科学至上主義のライナとは思えないな」
 バウテカは座席の上で背筋を伸ばし、全身の神経が元通りに反応するのを確認しながら続けた。
 「ミスティックの血を求めたのか。それを何十年もやってる東宮会や何世紀もやってるシャオツェンですら出来ていないことに挑むとはな」
 「それが外的原因、って事で。それによってヒューマンの遺伝子に隠れていた因子が誘発されるって考えですよ」
 呆れた口調でバウテカが何か言いかけた時、インターホンから声がした。
 「目的地が予想できます。このまま行くと、さっきの中学校の裏手に出ます」
 バウテカの左手が即座に伸び、通話ボタンを押した。
 「裏手ってことは雑木林か?」
 「はい、その横にあった工事用の林道に入る以外、この先は昭和通りまで一本です」
 このあたりで一番の交通量の通りだ。事故続出で渋滞なのは間違いない。彼ら自身もそこを迂回しようとしていたのだから。ならば脇道に入る確率はかなり高いはずだ。バウテカは即座に決断した。
 「雑木林の側で止めろ。気取られるな」
 「はい」
 指示を終え、バウテカが振り向くと、既にハワードは白衣を脱ぎ捨てている所だった。
 「やれやれ、今度はハイキングですか。お弁当屋さんなのに、お弁当積んでないんですよねぇ、この車」


 第四章

 美咲屋敷への定時連絡から戻った剣士が海良(かいら)慎悟の下に駆け寄ってきた。
 「現時点で敷地内への侵入者はありません。次期様たちが隔離された学校に回す大仁木勢を増やすため、こちらへの火器隊支援は18時以降になると、ヤマキ様が申されておいででした」
 海良が頷くのを確認すると、剣士は森の中に消え、配置に戻っていった。
 少し後方にある陣に、このブロックの防衛責任者、美咲弓枝が立っていた。海良は配下からの報告を弓枝に告げ直す。
 海良慎悟は連絡から戻った剣士が属する撃手五剣撃隊の長である。そして弓枝は別の撃手隊、参の長。今回の緊急配置は訓練されていた物とは大きく異なってしまったので、指揮系統が混乱するのはやむをえない。
 美咲の退魔士といえば基本的に術者をそう呼ぶが、実戦では術者だけで戦うことは少ない。護衛として策敵員として、剣士の配備も各隊に行われている。それが剣撃隊だ。通例下位の家出身の男性が成るのだが、例外もある。美咲本家の血筋でありながら術力が全く目覚めなかった弓枝はその代表格だ。ゆみの音を名に持つ事から分かるように由見の力は出たのだが、術は全く使えない彼女、剣士として撃手参をまとめていた。
 彼女は海良より階位が二つ上になる。しかし、なにより由見である上に御主の血を引く者として、弓枝の方が階位の差以上に扱われている。今回も責任者になったのは弓枝なのだから配下は全て弓枝に報告するべきなのだが、海良の部下はやはり直属の上司に報告してしまうのだった。

 術の効かない敵に対し、剣撃隊を中心に防衛案を組んだのは当然なのだが、実際のところ、剣で銃に向かうとなると無理がある。増援予定だった銃に手慣れた者は事態の急転に伴い、配備が遅れている。よって、今ここに銃撃戦の経験者はいないのだ。
 美咲家へ応援に駆けつけた部隊の一つ、大仁木家は元々草、つまり下忍の元締めであり、魔導士の家系ではない。配下の者は隠密行動や剣はもちろん銃の訓練も受けたボディガードやエージェントだ。現代風忍者といったところか。大仁木家とは美咲家が関東に進出してきた頃から、つまり江戸の昔から親しい関係だった上、第二次世界大戦終戦の折り、時の当主同士で永世相互支援も約束していた。当時予想されていた米露の分割支配に抗するための約定であったがそれは現在も生きている。術戦に長けた美咲と火器戦に長けた大仁木。丁度補い合う関係だ。
 大仁木家の今の当主は大仁木源太。祖父から当主を受け継いでまださほど経たぬ、この家業ではかなり若い男だ。美咲からの支援要請に軍勢と呼んでいいほどの兵をトラックの列で送り込んだのは今後を考慮してのことだろう。貸しを作っておくに越したことはない相手なのだから。数はもとより、その練度もかなり高い手勢である。テロリスト対策に十分な経験のある指導者が指揮するこの手勢、銃撃に慣れぬ美咲の者が頼りにするのは当然だった。
 海良は陣の中央に立てられた卒塔婆のような呪板を見た。その真下に由美たちが見いだした疑似空間がある。
 陣の警備に就くのは美咲弓枝の撃手参。剣士が多いが術者もいる、接近戦仕様にバランス配分された退魔士隊だ。支援に付く海良たち撃手五剣撃隊は剣士のみ。午後になって追加配備された者は療術者三名に御主直属の結界術者、古村柚木恵と部下三名の結界呪法士。そして急遽古村の配下に付いた分美咲の結界師、白鳥あゆみ。この八名がここに追加配備されたのはシャッテンと共に侵入してくるであろうライナの私兵対策である。だが、シャッテンそのものに対すべき部隊は夕方まで来ない。ベテラン退魔士である海良でさえ、不安を感じるなと言われても無理な話だ。
 弓枝を見る。彼女は矛を帯び、美咲家伝家の神器である槍を左手にした勇ましい姿だ。剣士が着る忍び装束の下半身に術者が着る呪い着という妙な格好なのだが、これは仕方のないことだった。美咲の忍び装束を斬り込み着と呼ぶ。基本色は闇を模した暗い紺で、各所の紐の色によって所属する家名を示すのだが、これには本家の血筋を引く女性が着る色がないのだ。なにしろ本家である。下っぱと言ってもいい剣士になる者は珍しいのだ。
 一方術者用の呪い着は帯で色分けされており、当然本家を示す黒があるのだが、これは白兵戦にはおよそ不向きなもの。なにしろ裾は短いし下着はないし・・・。地面を這う時など、ほぼ下半身まっぱ。という事で弓枝は二種混合の服装で事に当たっていたのだ。
 余談だが、同じ悩みに直面した由美は、卒業したら弓枝叔母を真似るしかないか、と考えていた。

 「海良」
 弓枝につぶやくように名を呼ばれた彼は弓枝に倣い、小声で返した。
 「はっ、ここに」
 「私たちは時間を稼げばいいのよ。地下に潜れる者なんぞそうそういないからね。勝たなくてもいい。負けなければ」
 「そうですな」
 不安を読まれた海良は一度頷くと、様子を見回ってきます、と歩み去った。撃手五剣撃隊のメンバーを一巡してくるのだろう。部下の志気を維持するのは指揮官の仕事なのだから。

 美咲弓枝が疑似空間の防衛責任者を任されたのは、撃手参が元々術戦ではなく、接近戦仕様だったからだが、それには理由があった。弓枝は美咲での修行を終えた後、海外で対テロ活動の修行も積んでいたのである。実際に銃撃戦に参加したことはないが、撃手指揮官の中で唯一、近代戦、特に火器戦に関する知識を持っているのが彼女なのだ。よってその指揮する撃手参は対火器戦への訓練も行なっていたのである。
 弓枝は当年27才。結婚と共に引退する事の多い美咲の術者なら年長者に入るが、剣士としては年長とはいえない歳だ。だが、女性としてはそろそろ結婚も無視し続けられる年齢ではなくなってきていた。特に由見の血を有する者は血を残すべく、生涯独身というわけにはいかない。老齢に至っても独身&現役である本家のご意見番は例外中の例外と言えよう。しかし、弓枝は婚姻話を断り続けていた。撃手参は、撃手中唯一指揮官が剣士である弓枝に合わせて編成されていたので、隊長交代となると部下も総入れ替えになる。配下の者の今後が気になり、現役を続けていたのだ。術力が目覚めなかった故、剣士として仕える事に決めた時、やれるぎりぎりまで現役でいようと思った事も理由だった。美咲の名字でありながら呪文が使えない。これは彼女にとって大きなコンプレックスだった。御主との協議で30までには結婚し、引退する事に決まっていたが本心では体が動かなくなるまで現役として美咲に仕え続けたい、そう願っていた。
 彼女の配下も撃手参であることに誇りを持っていたので、この困難な任務にあたってもその志気は下がっていない。一方、海良の隊はいつもの撃手五呪術師隊と分離配置されていることもあり、志気の維持が困難になっていたのだ。
 弓枝は本陣に仁王立ちしながら配下の状況を脳裏に浮かべていた。さて、シャッテンとテロリストにどう充てるか。その戦術的素養と志気とを考慮し、案を練っていた弓枝。だがその思考は訪れた二人によって中断された。弓枝配下の剣士に案内されてきた白袴の新参者が前に出る。筧啓介だ。
 「よっ!」
 お気楽に右手を上げて挨拶する啓介に、弓枝は美咲流の目礼で答えた。
 「ピストル持った20人が遅れるから、その代理だそうだ。ま、刀一振りじゃ、ちぃっとばっかし差がありすぎるがな」
 苦笑しながら弓枝の目前に立つ啓介。案内してきた男は弓枝に目礼し、立ち去った。
 「我が戦場にようこそ、筧殿」
 弓枝は新たな戦友に笑みを向けた。
 彼らは術者の家系たる美咲家で、それなりの高位を与えられながら剣に生きる点で似たもの同士だ。剣士として修練場でちょくちょく顔を合わせる仲である。なにしろ御主一族とその近親者だけが使う奥の間で剣の腕を磨くのはこの二人だけ。よって、手合い形式の模擬戦も啓介 VS 弓枝が多かった。以前は御主の孫たる美由美も基礎トレに来ていたが、最近は剣道場として一般にも開放されている表の修練場に入り浸っている。「こっちのが広いじゃん」の一言で、御主直系の者との同席に焦る剣士たちを無視している美由美。暗黙の規律を気にしないのはさすがに母譲りだ。
 「さて、そんじゃ俺の持ち場、どこかな?」
 気軽な様子のまま問う筧。答える弓枝は先ほどまでの仁王立ちを崩し、困った表情になった。
 「んー、どうしましょうか・・・」
 啓介は愛刀、七つの剣に左手を添え、袂から伸ばした右手で無精髭が伸びる顎をさすった。どうやら弓枝が配置について思案していた事を悟り、軽く肩をすくめる。
 「あんたが本陣を守るなら、俺は遊撃かな? サッテンとやらには対応も浮かばねぇが、幸いこんだけ木が多いんだ、距離とって戦う分にはなんとかなるだろう」
 「しかし・・・」
 言いかけた言葉を飲み込む弓枝。なにしろ相手は弾丸である。剣士として相当な使い手、もう剣豪と言っていい腕だと筧の力を判断してはいるが、さすがにマシンガンやら手榴弾相手に戦えるとは思えない。当然の話しだ。
 「サッテンの、その魔法消すシェルとやらの外にいりゃ、俺に銃は効かねぇぜ」
 その言葉にきょとんとする弓枝。周囲には襲撃に備えて配下がいるというのに、滅多に部下に見せない表情を浮かべて聞き返す。
 「効かない?」
 「俺は美咲じゃ剣士だけどよ、筧では術者なんだぜ。ま、術って言っても実戦向きじゃねぇんだけどな」
 「時見の技で?」
 啓介は筧家に伝わる星見の術の一つ、時見の専門家だ。時間に直接アプローチする魔法である。これは大変珍しい系統だが、己を高め、時を感じるほどの使い手となると珍しいどころではない。超が付く珍獣扱いだ。啓介はその一人なのである。もともと美咲由美に時術を教えるために啓介はここに来た。そういう意味では筆頭術者由美の師匠とも言える存在なのだ。普段のいい加減さからはそんなものは全く感じられなかったが。
 ついでに言うと、今や由美の方が時術に精通している。師匠はすっかり弟子に抜かれていた。長年の経験故に実際に用いるには啓介の方に分があったが、そのアドバンテージを失するのも時間の問題なのは言わずもがな。
 啓介は愛刀を左手でぽん、と叩いた。
 「こいつは霊器じゃねぇ、神器だ。御神刀だよ。神を降ろしその器と化す。んであんたらにとってそれは風や光の精霊なんだろうが、俺にとってちゃ・・・」
 一瞬。いやその百分の一という早さで啓介が抜刀した。虚空に向けて。遅れて風が舞い起きる。その間はすなわち抜刀が風精の反応よりも早かったという事。それを目の当たりにし呆然とする本陣の者たちに視線を向けることもなく、啓介はゆっくりと刃を納めてから虚空に一礼した。
 「ってことで、だ」
 振り向いて、まだ呆けている撃手たちに目を向ける啓介。
 「ちと来るのに遅れちまったが、もうこいつには降ろして来たんだよ。時をな」
 それを聞き、弓枝が表情をいつものものに戻すと、すぐに啓介の配置を決定した。
 「筧殿には古村と共に本陣を守ってもらいましょう。私が遊撃を担当します。その方が合ってますから」
 弓枝はにやっと笑うと啓介の背を押し、片隅に控えた結界術者の方に押し出した。
 「ということで古村。筧殿をレンタルするわ」
 「延滞料は高そうですね、気を付けないと」
 シャッテンという謎の存在と対抗するには啓介一人では役不足だろう。しかし、志気を盛り上げたいという弓枝の意思を悟り、古村も明るく答えた。
 その時、古村のすぐ後ろにいた白鳥あゆみが突然「ひっ」と短い悲鳴を残し、胸を押さえてうずくまった。彼女を支えた結界術者も古村も即座に認識していた。その原因を。
 「弓枝様、北西より敵襲です」
 古村の命により配下の術者がそれぞれに方呪陣を組んでいた。警戒用の方陣だ。実際には何の効力もない程弱い陣であるが、その術者に侵入された事が即座に伝わるタイプ。今あゆみが担当していた北西の陣が破られたのだ。
 弓枝はすぐに迎撃体勢を北西に向けた。同時に彼らよりも一回り広い円陣を組むように配備されている海良隊に事態を知らせるべく、のろしが上げられた。無線封鎖を受けている現在、それが指示を伝える最良の方法だったのだ。
 のろしとは言うが、実際には花火の様なものだ。昔は使い捨ての竹筒に入れてあったが、今は再利用できる大きなバトンのような耐熱樹脂に入っている。発火は糸を引くだけのワンタッチ。色と発煙の仕方に様々なコンビネーションがあるのだが、今、打ち上げられたのは連続五色。発令弓枝、受令外円迎撃手、方位北西、中距離、迂回迎撃を示す物だ。
 木立の上に浮かんだその人口の雲を見て、海良はただちに隊を向かわせた。


 のろしは侵入者たちにも見えていた。美咲の敷地ぎりぎりの辺りに止めた小型のトラック。その脇に立ち、空を振り仰いだのは襲撃犯のリーダーだった。明暗激しい夏期森林迷彩のBDUを着た欧州人。その鈍い銀色の瞳がのろしを見付けると、すぐに指示が飛んだ。
 「Anlassen!」
 「Jawohl,Anfang des Prozess!」
 トラックの中から兵が答える。同時にその隣にいたスーツ姿の通訳が、緊張した声で告げた。
 「起動開始です」
 一斉に白衣の男たちがコンテナの中央に配された装置に取り付いた。すぐに低く重い機械音と甲高い電子音が一気に巻き上がった。
 指揮官は無駄とは知りつつもツァイス製の双眼鏡で木立に警戒の視線を送っていた。斥候隊が発見された以上、向こうから来るはずだ。シャッテンはその作戦行動時間が極端に短い。ぎりぎりまで起動させないため、起動前に押さえるのが最良の作戦なのだから。
 彼が送り込んだ斥候隊は四名。現地調達組はガードマンとしてはまずまずの練度だったが、所詮平和国日本の人間。兵としては三流だ。今頃すでに捕らわれているか死んでいるだろう。しかし、それは彼が気にすることではない。送り込んだ四人の任務は斥候よりも陽動なのだ。
 その予測は違わず、既に四人は催眠ガスで海良隊の捕虜になっていた。
 北側から進めた斥候に対応すべく動いたミサキの裏を付き、南から兵が攻める。そして敵戦力を分断したところにシャッテンを突入させる。今回の任務は制圧ではなく、客人たる科学者をXポイントまで護衛することなのだ。シャッテンの作動時間内で十分だろう。
 あのミサキ相手にしては簡単な任務だ。指揮官はそう思いながらも、やはり一抹の不安は拭えなかった。なにしろ彼の切り札はまだ開発中の兵器だ。新兵器と言えば聞こえはいいが、結局は実戦でテストしているに過ぎない。兵器である以上作動の信頼性が第一だ。高性能であっても、故障が多くては意味がない。本作戦の切り札に動作保証などはないのだ。それが彼を不安にさせていた。
 指揮官が双眼鏡を覗き込む間にも起動は進んでいく。オペレーター役の兵が進度を低く告げ続けている。かなり訛りの強いドイツ語だ。
 「Achtzig Prozent zum Anlassen!
 Funfundachtzig prozentig...
 Neunzig Prozent.
 Funfundneunzig Prozent.
 Vollendung!」
 報告に応え、指揮官が叫んだ。
 「Ausfuhrung Zwai,Stehe auf!」
 その声に対する復唱はない。代わりに命令受諾を示す短い電子音が一回鳴った。鈍い金属音と共にトラックが揺らいだ。続いてびしゃびしゃっという液体の音。シャッテンの関節部を守っていた液状緩衝剤が廃棄され床に落ちた音だ。
 腕時計を見る指揮官は秒針を睨んでいた。二分が経過した時、彼は顔を上げ、右手を振り上げた。
 「Schatten vor!」
 声に応える電子音が一つ。そして暗灰色の破壊者は走り出した。






 続く