<超かいき★くえすと>くえすたぁず

 

第二十五話:加賀壬さん共闘す

 

von:秋澤 弘

第一章

 地下工事現場は全所禁煙になっていた。これは喫煙の習性がない茂木(もてぎ)には別に気にならない規則だ。一緒にいる相手が喫煙家なら話のきっかけのために吸うことにしているので、煙草とライターを持ってはいるが、別段なくてもかまわない。しかし、彼には別の嗜好があった。どうも甘い物がないと考えがまとまらないのである。まぁ全所禁甘、というのは聞いたことがないが、飲食禁止は結構つらい。その対策で飴など、こっそり食べることが出来る物を常備しているというわけである。
 2区で入れる通路は一周し終えそろそろ甘味が切れてきたので、今は休憩所らしき場所で椅子に座り込んでいるところだ。場所が場所だけにいかにもレンタルというその椅子はあちこちへこみがあり、背もたれも一部はがれていた。そのへこんだフレームをコツコツと軽く叩きながら、彼は自分の脳裏に書き込んだ地図を見ていた。
 キャラメルの最後の一個を頬張ると、隣にあるゴミ箱に空箱を放り込む。その動作の中、ついゴミ箱の中も見てしまうのはいつもの習性だ。しかし、利用者が少ないのかこまめに掃除されているのか、ゴミはスナック菓子の袋が一つあるだけだった。
 収穫なし。そう思いながら、茂木は今夜予定していた侵入経路を脳内地図に書き込みだした。入り口は無数にある。しかし、問題はIDの入手だ。そのへんのロッカーからひょいっと、という訳にもいかない。IDは発信式の物ではなく、各入り口で読みとるタイプだ。ドアといわず通路といわず、天井と床に埋め込まれた細い黒枠がそうだろう。これを何とかすれば行けるのだろうか。バーコード式なら簡単に模造もできるが、IC式ではそうはいかない。それに、IDをそもそも持たない者の侵入を感知するために他の監視システムがあるだろう。カメラだけならいけるのだが。どうにかその方法を確認しなくては。そこで思考が途切れた。それが口の中のキャラメルがなくなった瞬間なのは偶然だろうか。
 茂木は脳内地図にある売店に向けて最短ルートを選ぶと歩き出した。
 二つ角を曲がると脇に警備員詰め所があり、その奥の頑丈な扉の向こうが監視センターになっている。そこを覗き込むことが出来れば。そうすればシステムの種類が分かる。ホテルに持ち込んでいるCCD搭載のマイクロラジコンで写すことができればいいのだが。そう考えながら角を曲がった時、警備員詰め所のガラス張りの向こうに見知った顔を発見した。おもわずしゃがんでガラスの下に隠れる茂木。自分の咄嗟の行動が人目を引いたかもと察し、靴ひもを直し始めた。
 今、警備員と奥のドアに入った人物。あれは警備主任の一人、本山田だ。昨日の取材で名刺交換をしていた人物である。今行動を起こすべきか、起こさざるべきか。茂木の手は緊張に震えた。ID没収になる危険性が高い。だがそれで侵入の安全が保証されるのであれば・・・。
 茂木は立ち上がり、ID入手に奔走した吉田に一言心の隅で詫びを入れてから、赤のプレートしかない警備員詰め所のドアを開けた。
 これで警報が反応する。奥の監視センターでそれを知った警備員がドアを開ける。その瞬間、飛び込むように中に入って監視機材を確認。本山田に声を掛け、昨日聞きそびれていたことを質問する。後は口八丁手八丁だ! 茂木の筋肉がその瞬間を待った。待った。待ったが・・・。
 おかしい。茂木は今来たドアを開け、通路に出た。なんだ? 何が起きた? いや、何が起きなかった?
 あそこは詰め所。その奥が警備の中枢。故障という可能性はかなり低い。ドアを開け、奥のドアの真ん前まで行った以上、ID感知はされているはず。なのに何故? もしや・・・。いや、まさか・・・。
 そのまま予定のコースを歩く茂木は売店、というよりも小さいコンビニの様な店でキャラメル4つに大きめのポテトチップ、男性誌とミルクシェイク、そして1.5リットルのウーロン茶を手早く選んだ。今夜、この店への搬入を装って侵入する可能性もある。本店の住所が書かれたレシートは財布にしっかりとしまいこんだ。外にあるベンチの前でシェイクを一気に飲み干す。さて、やるか。
 茂木はキャラメルの箱を3個、上着のポケットに詰め込んだ。そして残った一つを開けた。一粒口に放り込み腕時計を見る。午後二時五分前。よし、勝負に出てみよう。彼は本道に向かう最短のドアを目指した。赤白青のプレートのドアを開け、狭い通路に入っていく。



 そこから1ブロック先。資材搬入用リフトに付いている点検用の梯子を、おっかなびっくり降りていく姿。加賀壬である。
 携帯から伸びるハンドレス・トーキーセットのイヤフォンからしずくの声が聞こえている。
 「次のフロア前で一回止まって。人歩いてるみたいだから」
 加賀壬は口の中でうん、と答えた。騒音の中で意志を伝える戦車兵用の骨伝導マイクなのだ。騒がしい工事現場でも小声で済むようにと、しずくがいろいろかき集めて用意してくれた物の一つだ。神宮司の家。そのほとんどが倉庫に違いないと加賀壬は思ったほど、どんな物でも出てきた。
 しずくが全く大雑把に切って張ったような靴底のゴム。梯子の細い円柱にかかってもすべることもなく、足音もしない。加賀壬が探索に使っている安全靴と同じようなゴムなのだろう。手には同じゴムがべたべた張られた手袋をしている。これも接着剤で適当に張った様に加賀壬には見えたのだが、梯子を掴むと、間接ごとに計ってあるかの様に抵抗無く曲がり、しっかりと固定されている。
 くーちゃん、すごいなぁ。
 まぁ実際に今、この周囲の警戒システムを眠らせている双子のもう一方もすごいのかもしれないが、そっちを褒める気には全然ならない加賀壬だった。
 シフト交代に向かう作業員をやりすごし、加賀壬はさらに下に降りる。そのリフトに平行して作られている階段の踊り場に茂木がいた。監視カメラの死角になった事を確認しプレスパスを上着からYシャツに止め換え、上着の襟でさりげなく隠す。次いでバックをさっき貰った売店のビニール袋に放り込んだ。男性誌を差し込み、白い袋にバックが透けないように隠すとポテチを上に載せて買いだしを偽装した。その後で何食わぬ顔で階段を降りる。

 加賀壬はようやく梯子から開放されると、すぐに右のドアを開けた。資材の一時倉庫だとしずくは言っていたが、埃まみれでがらんとしたそこには何も置かれていなかった。すぐにしずくの指示が聞こえる。
 「東の壁、両開きドア」
 加賀壬は腕時計のベルト、その反対側にしずくが止めてくれたコンパスを見、北を確認した。東にあたる大きな扉をそっと押す。ぎぃ、とかすかな音をたてて加賀壬はどきっとしたが、その先の空間には誰もいなかった。そこを出ると言われたとおりに左に曲がる。途中に窓の様なものがあり、覗いてみると向こう側はもう側溝だった。
 茂木が鼻歌をくちずさみながら設計技師の一群とすれ違うとすぐ通路が終わり、側溝が左右に伸びていた。地図を思い出し、左に曲がる。
 加賀壬が窓から覗いた側溝は薄暗く、無数の支柱が立ち並び、彼女を圧倒した。そこから80メートル程先。既に側溝にいる茂木も似たような光景を目の当たりにしていたが、彼には何の感銘も与えなかった。
 時折作業員が歩いているが、みな本道を通っているようだ。茂木は監視カメラを探しながら、そして作業員は支柱の陰でやり過ごしながら足早に進んだ。支柱にあるプレートを見る。E2−1238。もうすぐだ。
 と、茂木は青っぽい緑のビニールが掛けられた工作機械を前方に見付けた。その周囲にある警察仕様の低い柵。ここか。周囲を見回し、近づいてみる。そこには鑑識が書いたのだろうチョークの跡も新しく、事件の現場であることを物語っていた。支柱を見る。E2−1229だった。確か現場は1224。柱を目で数え、場所を探すと本道にも柵がある。ここからでは柵はよく見えないが、中野雄哉が立っていたのならはっきりと見て取ることができただろう。
 茂木はあの手を思い出した。腹這いだったに違いない。工作機械の上に載せたのではない。下だ。
 そっとビニールをどかす。案の上、チョークの跡。左右のキャタピラの間は茂木の腹が潜り込むにはちと狭いが、小柄なカメラマンなら、女子高生なら入れるだろう。その頭部があった場所の先にしゃがみこみ、1224の現場を見る。頭を下げ、にらみつける茂木。ここだ、この角度から彼女は事件を見た。いや、記録したのだ。
 彼女の位置から300ミリの画角を想像する。いたはずの中野。そして向こうの闇。そう、その向こうは壁ではない。本道がゆるやかに曲がっており、彼女の画角からすればずっと本道が写っていたはずだ。茂木は左手を差し出し、右手を構えて同じ光景を脳裏に刻みつけた。コンティニアス・ローの遅延連続レリース音が聞こえたような気がした。
 茂木は数秒、無言のまま目をつむっていたが、やがて立ち上がり、決意も新たに1224の現場に向かった。ここからでは側溝から本道に行くにはパイルバンカーが邪魔している。しかし、少し先に本道へ渡る橋を見いだし、茂木はそこに向かった。現場に監視カメラが向いていないのはまず間違いないことだが、今日の午前中に設置されている危険性も高い。ええい、ままよ。覚悟を決めた彼は何気ないそぶりでそこを渡り、本道に乗った。
 1224の現場はより生々しかった。あちこちにあるチョークの跡が血染みを示している。中野は膝から両足を折り曲げて倒れていたようだ。走っていて? いや、立って? いや違うな、これは跪いていたのだ。茂木はその姿を思い浮かべ、さっき脳裏に記憶した画像に焼き込んだ。
 今度は反対側の側溝を見る。やはり、こっちにも、さっきの方にも、落下防止ネットに何も痕跡もない。落ちたという発表は偽装だ。
 再び先ほどの工作機械に戻った。警備員から隠れてここから撮影していたのなら。警備員が中野を殴り倒すのを見たのか? それを撮ったのか? 中野のあの出血なら気絶は当然だろう。しかし、こちらにはその跡がない。彼女は警備員に発見され、気絶させられた。薬か? 鈍器か?
 そこまで考えた時だ。がたっ。音がした。機械に身を隠す茂木。シートの下を少しめくり、音のしたと思われる方を見ると、人影があった。背に光を受けていたがすぐにその光は消えた。脇のドアを開けて誰か来たのだ。
 茂木は左右を見回した。近いぞ、やばい。仕方なく、彼はパイルバンカーの縁から片足を降ろした。みしっとかすかな音がしたが、ゆがみはさ程大きくはなかった。持っていたビニール袋をひじまでずり上げ、両腕で体重を支えると、すぐにバンカーに身を沈めた。
 足下のネットをたぐり、慎重に左にある支柱の陰に入る。その間にかすかな足音らしいものが聞こえた。息を凝らしてそのままやりすごそうとした茂木の耳に聞こえる新たな足音。彼は最悪の事態を予想した。左は多分一人、右の新手は3、4人。挟まれた!

 加賀壬は側溝へのドアを開け、そこに立った。左右に見渡す限りの支柱が立ち並び、その向こうに地下鉄が通るらしい広い道がある。その奥にもまた支柱があり、側溝が伸びている。
 「プレートがあるはず。柱に。1232って書いてない?」 
 うん、ある。そうささやくように答えると、「1224に行って」と告げられた。
 こっちか。ビニールシートで覆われた何か大きな物。その先らしい。加賀壬がそちらに歩き出してすぐだ。前方に懐中電灯のものらしい光が踊っているのが見えた。この先はカーブを描いており、支柱の間にそれがちらり、と見えたのだ。
 ひと!
 加賀壬のかすかな声にしずくの驚いた声が帰る。
 「え? ちょっと待って」
 どうやらしずくがチェックしていた監視カメラの死角から来たらしいその集団は四人。加賀壬はもう少しで、と唇を噛んだ。
 「溝に降りて」
 加賀壬が聞いたその声は多分つばさだろう。溝? 加賀壬はそれを見付けてぎょっとした。本道との間にある黒い陰。そこは溝だったのだ。
 む、むり
 「そこしかない! 戻ったらこっちに来てる別の警備員とぶつかる」
 万事休す。加賀壬はビニールシートの固まりに隠れながらおっかなびっくりその下の暗がりを覗こうとした。その時。その闇の中で目のようなものが見え、硬直した。
 ぬっと腕が伸び、加賀壬の口が押さえられた。次の瞬間、もう一本の腕が加賀壬の肩をつかみ、天地が逆転した。
 んん〜〜〜!
 おもわず出るうめき。音は漏れなかったが、それはマイクに拾われ、神宮司姉妹を蒼白にさせた。
 「加賀壬さん!」
 イヤホンからかすかに漏れる声。加賀壬の小柄な体を揺れるネットの上で押さえ込んだ茂木はすぐにその声に気づき、小声で告げた。
 「静かに! 見つかる」
 何が起きたのか分からず、目を見張る加賀壬。息を飲む双子。天に祈る心地で硬直する茂木。
 四人の足音はもうそこまで来ていた。
 「主任、ここでいいんじゃないですか?」
 頭上から声がする。
 「もうちょっと先の方がいいかな、まっすぐじゃないからねぇ」
 その声は本山田だ。そう茂木は察した。
 「じゃ1230で」
 足音はそのまま左に動いていく。加賀壬も茂木も動かない。自宅のマンションにいる神宮司姉妹も動かない。
 「ん、ここでいいね」
 「えっとそうすると次は38か9ですね」
 立ち止まっていた足音がまた鳴り出す。しばしの後、また何か確認している声がして、彼らは立ち去っていった。
 そのまましばらくじっとしてから安全を確認し、ふぅ、とため息をもらす茂木建造。しかし、こいつは一体何者だ? そう思い、そのきゃしゃな体をずらしてみると真っ青な顔が見えた。慌てて口を塞いでいた手をどける。その相手、少女は小柄すぎ、茂木の大きな手は彼女の鼻もおさえていたのだ。
 「ぶはーっ、ぜーぜー。はぁはぁ」
 荒い息を継ぐその姿。それを聞きつけてか、とれたイヤフォーンから他の少女の声がかすかに漏れた。
 「大丈夫? 加賀壬さん! 無事?」
 「さっきの四人はもう充分離れたよ」
 だぶって聞こえる声。どうやら複数いるようだ。
 加賀壬はまた大きく息を吸い、吐いた。
 「はぁ、し、しんだかと思った・・・はぁはぁ」
 そしてキッと眼前の男を睨んだ。
 「あんた誰だよぉ」



第二章


 さびれたビルの地下。ジャズのレコードががんがん流れる小汚い喫茶店。隅の席に陣取っているのは加賀壬と茂木だった。
 加賀壬の前には飲みかけのティーカップ。茂木の前には既に空になったプリンアラモードの器に食べかけのフルーツパフェアラシュー。そしてメロンソーダがある。
 「よく食うね、おっさん・・・」
 加賀壬は完全に呆れ顔だ。
 「体力と頭使ったからな。栄養補給だ」
 スプーンについた生クリームをなめ、茂木がさも当然そうに答えた。
 アラシューも食べ終わり、茂木はやっと人心地ついたらしい。ポケットからキャラメルの小箱を出し、一包みを解くとぽいっと口に放り込んだ。そのまま箱はテーブルの脇に置く。
 「まだ食うの?」
 加賀壬の声に「これはデザート」と答える。その後で口の中でまだ角のざりざり感が残るキャラメルを転がし、茂木は目の前の女子高生を見た。
 「お前、何知ってる?」
 数秒の沈黙の末、加賀壬は答えた。
 「おっさんが甘党だってことくらいかな」
 茂木はそれには反応せずに言葉を続けた。
 「かがみ、だったな。お前どっちの友達だ? 中野恵子か? 北村茉莉香か? 両方?」
 加賀壬は答えなかったが、茉莉香の名前を出され一瞬睨んでしまった。
 「北村か。ふむ」
 くそう。加賀壬は思った。負けないぞ。
 「おっさんこそ何者? 新聞記者か?」
 茂木は上着から名刺入れを取り出すと、一枚を手渡した。

 株式会社真声ネットワーク 主任記者 保木 建三 / Kenzou Motegi

 加賀壬はそれを机の上にぽいっと投げた。斜に構えた目で男を睨む。既にパニックからは立ち直っている。
 やっぱりマスコミだ。一番やばい奴とぶつかった。その認識はあるが、このおっさんも不法侵入していたのは自分がこの目で見ている。さらに工事現場からの帰り際、この男だけ写っている監視カメラの映像をつばさがこっそりと確保してある。いざとなったら出るところに出て・・・。今の加賀壬にはもうそれくらいしか対応策はなかった。
 「特ダネ探して地下まで? もぐら、ご苦労さん」
 「お互い様だな、そいつは」
 茂木はこの少女の背後にあるのが何だろうかと考えていた。彼のIDが感知されなかったのは間違いなく、この少女のチームが監視を錯乱させたからだろう。自分はそれに便乗したと言える。
 一条電鉄のバックボーンは本条精機だ。コンピューターはお家芸。その一条のシステムにハックするとは並ではない。ましてや今朝の事件で隙などあろうはずもない。さらに。この娘のチームは監視モニタまでも利用し、欺いていた。時間、空間共に限定ではあろうが、システム全域に手を加えていたのだろう。一条の誇るシステムに。一体何者だ? 
 本条グループ全体が新規に採用した基幹ネット。その雛形を作ったつばさ本人が侵入していたとは思いもしない茂木は、密かに首を捻った。
 バックは超すご腕だろう。しかし、侵入してきたこの娘本人。どう見ても「侵入」などという言葉が似合う者ではない。運動神経もお世辞にも並とすら言えないようだ。何故この娘が? もうちょっとマシなのはいないのか? 声からするとバックは少女。おそらく年齢は同程度、もしくは下だ。となると。
 茂木はこのチームが少女ばかりであり、全員電脳マニアタイプ、運動能力低し。そう読んだ。問題は事件との関連だ。中野にせよ、北村にせよ、コンピューターに特に詳しいという情報はない。このチームの一員だったのか、あるいは単なる友人か。もしや北村という娘、このチームで何度もあそこに潜入していたのか? 
 まだ情報が足りない。茂木は一旦考察を止めると、会話を主にすることにした。
 「今朝の事件。真相が隠蔽されてるな」
 加賀壬は斜に睨んだままだ。
 「パイルバンカーの溝、俺等が隠れたとこだ。あそこに落ちたってことになってるがな。その痕跡がない。俺が見たところ、分かったのは中野雄哉が出血多量の重傷で、北村茉莉香はそこから15メートルは離れた所で気絶した。出血はない」
 茂木はメロンソーダのストローをくわえながら娘の反応を見た。どうやら今与えた情報を処理しているようだ。しかも予想以上に冷静に。
 加賀壬は考えていた。HP体か、MP体かと。今の情報が確かなら、両方ということになる。しかし、中野は自分から現場に向かい、北村はそれを追ったという。ならば中野は操られていた? そして、そこで操られた生徒と同じく、肉体の現界を越えて暴れたのか? それなら敵は間違いなくMP体だろう。しかも精神を操る以上、魔性クラスだ。
 茂木は一瞬動きを止めそうになった。今、この少女は何かの確証を掴んだ。それが瞳に見えた。それは怒りを伴うもの。どうやら投げた餌は大物を釣ったらしい。
 「警察は何かを隠している。事件の真相だけじゃない、動機? あるいは警備員の暴行行為」
 これはどうだ? 茂木はソーダをすすりながら彼女を見守った。だが、その反応はない。完全に空振りだった。
 「中野に何が起きたのかは分からない。北村はそれを見た。それで警備員に薬剤、もしくは暴力で黙らされた。そういう可能性もある」
 この決定的な言葉。しかし、彼女の眉が一瞬つり上がっただけだった。その思考は動いていない。
 茂木はしばらく沈黙を守った。キャラメルをまた一つ、口に放り込む。舌で押さえ、波状の面が上あごにこすれる感触を楽しみながら、彼は確信に至った。この娘は、何が起きたのかを知っている。全部ではなく北村に関する一部だけかもしれない。あるいは単に予想かもしれない。あそこに侵入したのはその証拠を掴むため、あるいは証拠を隠滅するためだろう、と。同時にこうも思った。警備員の暴行説は捨てよう。
 そうなると北村が気絶した理由はまた不明になった。あれはただの意識不明なんてものじゃない。茂木の脳裏に、あの右手が浮かんだ。あの硬直は異常だ。死後硬直には早すぎたが本当に生きているのだろうか? 病院ではその証拠を得られなかった。完璧なまでの警備が張られていたのだ。しかし、病院にいることはハッキリしている。病院に張り付いている探偵、吉田が確保した人材が無能だという確率は低い。吉田は人脈的には大層高Lvな男だから。北村がいるのは病室か。あるいは霊安室か。それはまだ分からない。
 単なる事故であればあそこまではありえない。吉田から聞いた警察の状況も異常だ。そう、あまりに異常だ。情報があまりに少なすぎる。
 茂木はこれまでに得ていた断片を並べ、加賀壬の反応を見守ることにした。
 一方、加賀壬はこれが誘導尋問であると悟っていた。しかし、茂木の出す情報の断片は加賀壬が待ち望んでいたものだ。情報を聞けるだけ聞きたい。でも自分の反応でそこからヤバイ事を読まれるかもしれない。ジレンマに陥る加賀壬。ここから逃げるべきか。深入りしていいものか。なんとか隠し通しさえすれば・・・。
 そこで思い至った。隠せるかやってみよう、と。
 冷え切った紅茶をすすりながら思考を沈め、表層に別の言葉を思い浮かべる。こいつに尻尾をつかませないもの。そこから言霊を間違って拾ってしまっても秘密をばらすことのないもの・・・。なにかないかなぁ・・・
 カップをソーサーに戻した時。加賀壬の目はテーブルの一角に向いていた。
 キャラメル欲しい、キャラメル欲しい。お腹空いた。キャラメル食べたい・・・
 そう暗示し続けながら、加賀壬の思考は深く、静かに動いていた。
 「・・・とまぁ、中野雄哉の奇行はそんな程度だ。精神鑑定できる状態じゃないから今の状況は分からないがな。ノイローゼの原因もどうもあやふやだ。裏付けをとろうにも、同じ物しか出てこない。情報操作って奴だな」
 茂木は急に加賀壬の顔色が読みづらくなったと悟った。どうやら自分が嘘発見器にでもかかっている。そう判断したのであろう。
 「無駄な抵抗は止めた方がいいぞ、かがみ。こちとらお前の生きてきた年月以上、この商売やってんだからな」
 そう言い、余裕の笑みを浮かべ、またキャラメルを一つ取りだした。加賀壬はそれをじっと見ている。

 キャラメル欲しい・・・キャラメル欲しい・・・。


 香土岐のマンション。その奥の一室に大小無数の数字で組み上げられた魔法陣があった。その中心に、ローブ風で漆黒の古めかしい装束に身を固め、部屋の主が立っている。彼女の額にはティアラが輝き、その足は裸足。足だけではない、皮膚に直接幾つもの血数字を書き込んだ裸体に纏う布はローブ風の一枚のみなのだ。腰には細く禍々しいレイピアが、それに見合う怪しげな文様の入った剣帯で吊ってあった。いつもしている両手の手袋は外されて異形の手が晒されている。第一関節の付け根あたりから指先までも細身の甲冑を付けているかの様にすっぽりと覆っているもの。指にあわせしなやかに動かすことも、己の意志で甲羅のごとくに固めることもできるそれは爪から伸びていた。まるで手に五本の牙が生えたかのように。数字がびっしりと書き込まれたその爪は金属のように鈍く周囲の蝋燭の光を照り返していた。
 瞳を閉じたまま声を出す。
 「それで監視のつもりか?」
 静寂の中、かすかに土鈴の音がした。それに乗るように声が聞こえる。
 「訪問のつもりでしたが。呼び鈴が見つかりませんでしたので」
 物理的には遠く離れた美咲屋敷の片隅。修練場で美咲由美がそう答えた。彼女は制服姿。こちらも額に細いティアラ状の飾りを付け、緩められたブラウスの胸元から紫水晶が見えている。左手をまっすぐ伸ばし、その指にゆわき付けた短い組み紐の先にある土鈴をゆっくりと鳴らしている。
 香土岐も美咲も目をつむっているが、互いの姿はくっきりと見えていた。その姿は。共に臨戦態勢だ。
 結界魔法士の一族、香土岐の血と名を持ちながらマスマジック、すなわち数字魔法の使い手、香土岐亮子。今ウィッチ・シアーとしての正装に身を固めその力のただ中に立つ。
 対するは室町から続く退魔師、美咲一党の筆頭術者、美咲由美。今、その身に地水火風光闇時の七大精霊を宿し、美咲流練術最終奥義形態、<ななつのつるぎ>と化す。
 「お互い、この姿で会うのは久しぶりだな」
 「はい」
 香土岐は瞳を閉じたまま、かすかに笑んだ。
 「こうなるとなんだな、己の力を試してみたくなるものだなあ、美咲」
 「ご冗談を」と、今度は美咲が笑んだ。
 「ふふふ。まぁ今はちょっとこっちの分が悪いかな」
 「そうですね。先生は<翼>がないご様子・・・」
 「ぴーちゃんはちょっと野暮用でね」
 「そうでしたか」
 「お前の方もまだ<剣>がないようだな」
 「時至れば。自ずから」
 二人の声には抑揚が全くない。
 「本日伺いましたのは他でもない、本条家からの依頼に関してです」
 美咲は本題を切り出した。
 「賄賂も脅迫も効かぬ相手がいるとか。その者に最悪の場合、先生が出るとお聞きしました」
 「そうなるだろうね。私はそういう時のために飼われているのだから」
 「ならば・・・。私にお手伝いさせていただけませんでしょうか」
 「それは無理な相談だよ。お前たちに任せてはおけない。だから私が雇われた。そうだろ、美咲」
 香土岐にとって障害者の排除とはすなわち呪殺。
 美咲は人として殺人を見過ごせない。異界に力を求め、人たることを辞めた者でも無い限り。また理(ことわり)を守る者として、術で寿命を欺くことが許せない。それが短化であろうとも長化であろうとも、だ。排除せねばならないなら、それは記憶の封印か書き換えで、だ。
 今二人はこの場にいない茂木(もてぎ)を挟み、睨み合っているのである。それを知らぬ当の本人は、今まさに口に放り込もうとしたキャラメルをじ〜〜〜っと物欲しげに見つめられ、ちょっと焦っているだけだったが。
 「美咲。お前のやり方では同じ事が繰り返される。触れてはいけない禁忌。この後、その道を辿る愚か者に知らせねばならない。その末路を見せつけねば終わらない」
 「事象にそもそも終わりなどないのです。繰り返されたのなら、こちらも繰り返すだけですよ、先生」
 「・・・どうやら<翼>は手元にあった方がよさそうだな」
 「ご随意に」
 二人はそのまま対峙しあっている。香土岐の周囲では数値化された力が、その本来の姿を現す瞬間を待って。美咲の中では七大精霊が理(ことわり)を示す力をうねりに変えて。二人はそのまま動かない。
 しばしあって。
 「これで私にGoサインが出なかったら、結構間抜けじゃないか?」
 「そうなったら笑うしかありませんね。でもそうなるのではないか、と思っていますが」
 「妙なところで楽観的だなぁ美咲。普段は悲観的なのに実はその本性は性善説か?」
 「いえ、善でも悪でもありません。そして善にでも悪にでもなります。
 善も悪も人が定めたもの。主観によって異なるもの。理(ことわり)とはそういうものから離れていますから」
 「法にも混沌にも与せず、ただ理と共にある、か・・・
 そういえばさっき、加賀壬に面白い返事を聞いた」
 美咲が興味を持ったのを感じ、香土岐は加賀壬に問うた命題を語った。[法と混沌と王家の墓] である。
 「お前ならどうだ?」
 「そうですね。
 王命は何のためか。危険なので入るな、というのであれば子供はさらに危険。それを救うためならためらいません。
 王族の安らぎを守るため。そうであればその王の臣下の危機です。国たみの子は王の宝。それを失っては安らぎなどありえません。要はその法がいかなる視点によるかだと思います。
 私ならば子を救い、王の裁可を受けます。それが悪法であればそれを正す事を提言します」
 「ほほぉ」
 「先生は如何に?」
 「子を成したことがないので分からない。その時に至ったら考える。そう答えたよ。いや、本当だ」
 美咲はかすかに微笑んだ。
 「その場に居たかったです」
 「笑うな! 私も若かったんだ。
 弟子たちには王族に救いを求めるというのが一番多かったな。まあ我らウィッチは人の王など意に介さないが別の王、目に見えぬ王の法則に従っているから当然だろう。こっそり入ってこっそり逃げると言う者もいたがな。
 同期の一人はこう言った。その柵を越え、子供を王の追求から逃した後で、法の裁きを受けると。ウィッチマスターは、つまり師匠だが、その一つ一つの答えを吟味した。その弟子にはこう告げた。お前は他人のために命を落とす。よりよき人を選べ。人の値を見抜く目を得る為に修行を成せ、と。
 姉弟子の一人はこう答えた。その場で叫び続けると。10年20年経ってもと。悲しみが二度と起きぬよう、王の耳に入るよう、叫び続けるとな。
 師は言った。お前は世の警鐘になるだろう。より多くの耳を打つ様、マナを集めよ。その時の為に、と。
 師は私にはこう告げた。お前は己を賭けるものをまだ持っていない。しかし必ず変化(へんげ)する。変化の力は元の力から出される。倍加の呪をかけた場合、1を2倍にしても2にしかならない。しかし10を20倍したなら200となる。その身を高めれば元の数値が増えるだけでなく、それに比例して呪の効果も高まる。己を高めよ、より強き変化を成す為に、とね。
 そして今日。加賀壬はこう答えたよ」
 日差しががんがん照りつける中。加賀壬がベルトポーチの中のぴーちゃんに答えたのは。

 [助けます。その後でその子を勇者に育てて、お姫様と結婚させて王様にします。そうすれば母も子も王族でしょ? いつか自分も入る墓なんだから入ってもいいでしょ?]

 香土岐からそれを聞いた美咲は、思わず口を小さく開いて驚愕の表情を示した。鈴の音が乱れないのはさすがだが。しばし後、美咲は笑い出した。
 「ふっふっふ。全くあの子は・・・どこを・・・どうしたら・・・そんな答えが・・・ふふふふふ」
 「全くだ。我が師、キィハ師がこの答えをどう読むか聞きたいものだ、くっくっく」
 「法に殉ぜず。さりとて混沌にも染まらず・・・あの子の前では法も混沌も形無し・・・ふふふふふ」
 「くくく、あ、ある意味最も現実的だぞ、破天荒も過ぎると現実に戻るとは。あーはっはっは」
 「あはははは」
 遂に身をよじり、大声で笑い続ける二人。

 美咲の修練場で。由美を見守っていた長老や術者は呆然と立ちすくんだ。美咲本家の頭領=御主(みす)の孫。筆頭術者たる由美が笑うことなどついぞなかった。ましてや声を出して笑うなど。右手で脇腹を押さえて笑いころげるかのような美咲由美。隣に立つ彼女の相棒たる剣士は微動だにせず、目をつむり気配まで消して立ちつくしたままだ。そのアンバランスさは異様さをさらに倍加していた。あまりの状況に術者が二人、転がるように走りだす。御主に、長老会に異変を告げるため。



 そんな事はつゆ知らず。身の危険などこれっぽっちも感じていなかった茂木は加賀壬を見守りながら今までで得た情報を組み立てていた。
 <女子高生><ハッカー><カメラ>。ここから導き出されるのは情報漏洩系の愉快犯。だがそこに加賀壬が加わるとその線は一気に崩れる。
 <加賀壬><ハッカー><カメラ>・・・。どうも合わない。要は、加賀壬から犯罪の臭いがしないのだ。そしてどうやら脅迫などではなく、自分の意志で加賀壬とハッカーは共謀している。となるとハッカーにも犯罪の色を消した方がいい。
 ならばこうか?
 <加賀壬><プログラマー><カメラ>。これでは自分のブログに自慢のペット写真を貼って更新する少女だ。
 別の視点でいこう。
 <ノイローゼ><地下鉄工事><カメラ>。職場に放火する犯人を捉えるレンズ。うーむ。まぁ合うことは合うが。問題は1224現場と1229現場との距離だ。警備員による暴行でないなら、北村に何が起きた? 物理的には遠すぎる。音も離れすぎだ。そうなると・・・レンズごしの視覚要素? 催眠術? そんなものが実際にあるかどうかは知らないが、中野を押さえるために医療手段として睡眠暗示をかけた。それをレンズごしに見ていた北村。彼女は特に暗示にかかりやすい性質で昏睡に陥った。その結果体は痙攣し、麻痺・・・。催眠をかけた医者はそれに慌てて・・・。
 可能性はあるが、そんな話を吉田にしたら呆れられるだろう。証拠もなしに。
 加賀壬はずっとキャラメルの箱をにらんでいる。涎をこぼしそうな程の目つきで。これも自己暗示だろう。もしかして友人である北村も同じことをし慣れていた? 仲間内で暗示を遊びで。それが催眠術を異様に促進させた・・・。うぅむ。これも証拠がないな。
 だが大体の色分けはできてきた。<加賀壬&プログラマー>と<ノイローゼ&地下鉄工事>。この2グループは事件発生までおそらく関連がない。つなげたのが<カメラ>、すなわち北村茉莉香。
 <加賀壬&プログラマー> 友人 <北村> 撮影 <ノイローゼ&地下鉄工事> 隠蔽 <一条>。
 こういうつながりだろう。
 もしや・・・。この列はつながるのでは。加賀壬のチームはあまりに手際よすぎる。一条内部に密通者、あるいはチームの黒幕がいるのでは? 一条といえど一枚板ではない。内紛も・・・
 そこで茂木の読みはつながった。一つの円に。
 <加賀壬&プログラマー> 友人 <北村> 撮影 <ノイローゼ&地下鉄工事> 隠蔽 <一条> 疑惑 <本条> 依頼 <加賀壬&プログラマー>・・・
 そう、本条だ。本条急進派の実質的支配者、本条百合恵。彼女は北村の高校の生徒会長だったことがある。加賀壬も同じ学校だろう。プログラマーチームも本条の後輩、いやブレイン候補生・・・。
 茂木の手がキャラメルの箱を開けた。最後の一個を取り出して口に入れる。加賀壬の目はその箱を睨んでいた。茂木の顔を見つめていたなら、その表情の変化に気づいたかも知れないのだが。
 茂木の脳裏は今やクリアーになっていた。
 吉田の数ヶ月に渡るゆさぶりで、表だって一条を調査できない本条百合恵が後輩を使い内偵させていた。プログラマーチームにデータを探らせ、北村に証拠写真を撮らせていた。北村は友人である中野の父を動かし、工事現場での不正、手抜き工事、その他何か本条には見逃せない物を探らせていた。一条はそれに気づき、中野を遠ざけた。
 大まかなラインは見えた。ならば次はこの推理の裏付けと、不確定要素の確認だ。
 一:北村が通う本条の母校。二:中野雄哉の裏金。三:本条百合恵。
 裏金は吉田に頼もう。金の動きには滅法鼻が利く。
 よし、これで行こう。茂木はそう決心し、キャラメルの空箱を握りつぶした。それを見て泣きそうな表情になる加賀壬宏子。
 茂木の思考が素早く動く。加賀壬。本条百合恵の手下。その本条は多分吉田と同じ不正を見付けようとしている。向こうはそれを隠蔽すべく。こちらはそれを公表すべく。だが、その不正を見付けようとしている以上、百合恵一派には利用価値がある。それに・・・。どうも加賀壬には犯罪の臭いが乏しすぎる。本条にうまく使われているだけ。あるいは元々本条とは関わりなく、友人の不幸をきっかけに不正を暴こうと、事件の渦に飛び込んだ無謀な素人・・・。加賀壬が本条サイドの人間なら、警備員の暴行もまた可能性が出てくる。知っていたのであれば無反応であっても仕方ない。しかし。最初に北村茉莉香の名を出した時、加賀壬は鋭い反応を示した。後には怒りを。北村が警備員に何かされたのなら、加賀壬はそれを知らない、あるいはガセネタを掴まされているのだろう。
 要するに、この娘は北村への友情を本条百合恵に利用されている・・・。ならば。ハッカーチームはともかく、加賀壬は敵ではない。味方でもないかもしれないが、敵ではない。
 茂木は立ち上がりながら、机の上に放り出されたままの名刺を回収した。次いで別の名刺を取り出して加賀壬の前に置いた。本当の名前と自分の携帯電話番号の記された名刺を。

 フリーライター/カメラマン 茂木 建造  Kenzou Motegi
 
 文字を読み、あれ? と怪訝そうな顔になる加賀壬。
 「じゃな」と軽く手を振り、茂木はレシートをつかんで歩き出した。



第三章


 しずくが作ってくれた高菜チャーハンをばくばくと食べている加賀壬。つばさはれんげを持ったまま、その食べっぷりに呆れている。本来加賀壬の食は細い。しかし、考えてみると今日は朝から飲み物を採っただけだった。その状況で「キャラメル欲しい」。空腹の権化と化す加賀壬。
 小さなサイコロ状の焼き豚も一杯入っているチャーハン。菜っぱと焼き豚の食感もたまらない。添えてあるのは短めに切ったインゲン入りの玉子スープ。プチトマトが乗ったサラダの色映えも食欲を誘う。
 しずくはあまり暇がないので時間がかかる料理は作らない。でも栄養にだけは注意していた。毎回多めに料理を作り、小分けして冷凍保存しておく。バランスよい食事を短時間で用意するしずくのコツのようなものだ。不摂生を絵に描いたつばさが健康でいられるのもその努力の賜だ。
 「おもちくるんだの」
 声と共に小皿に乗った包子が食卓に置かれた。加賀壬の食べっぷりを見てか、彼女の皿だけ数が多い。小皿からはみ出しそうだ。
 食べながら加賀壬の説明は続く。つばさはあさっての方向を見ながらそれを聞いていたが、話が一段落したと理解すると立ち上がり、「ごちそうさま」と告げ電子戦の防衛強化を続けに立ち上がった。加賀壬が神宮司双子と組んだのはすぐに本条に知られるだろうから。
 「聞いてくれる?」と加賀壬は包子の皿に向かいながら二人に言った。背を向けかけていたつばさが立ち止まる。しずくもすっと加賀壬を見た。
 「本条、敵だと思うかもしれないよ、あんたたちを」
 「は?」と呆れ声はつばさ。
 「あんた今頃何言ってんの? 一条電鉄のシステムに潜り込んだ段階で・・・」
 つばさの言葉を最後まで待たずに加賀壬が言った。
 「あんたなら誤魔化せるでしょ? もしばれても私が美咲会長からの指示だと言ってたとかね。でもここから先はダメだよ。あんたがどう思うかは知らないけど、本条は敵だと思うよ。でも今ならまだ間に合う」
 「ばっかじゃない。いい、本条統括会があたしたちを敵にするはずないでしょ? この低脳!
 幾らでも替わりの効くあんたとは違うのよ、私たちは。敵にする? 冗談でしょ、この頭脳を手放せるはずないでしょ、本条が」
 誇らしげに言うつばさ。だがしずくがそこに口をはさむ。
 「でも、その頭脳が敵に回るなら殺した方がいいかも」
 ぎょっとする加賀壬、そしてつばさ。
 「いずれそうなるね。まずは電脳、私たちの目を潰し、次いで加賀壬さん、手足を潰す。最後に私たち殺せば終了」
 「ちょ、ちょっと、くーちゃん、何さらっと言ってるの! 言ってる意味分かってる?」
 「うん、分かってる。だから急ぐの。本条が覚悟を決める前に。
 ごちそうさま」
 しずくは二人を残し、部屋を出ていった。
 箸を持ったまま凍り付く加賀壬につばさが言う。
 「ま、そうなる前に片づけりゃいいんでしょ。簡単よ、私とくーちゃんがやるんだから。本条が私たちを敵だと思うなら、思いっきり後悔させてやるだけよ!」
 つばさはそう怒鳴りながらしずくの後を追った。
 「ちょっと待ってよ、いいの? 本当にいいの?!」
 加賀壬の焦りの混じった声に、ドアの前でつばさが立ち止まり、怒りも露わに振り返る。
 「なに弱気になってんのよ! この私には刃向かうくせに、本条ごときがそんなに怖い? 私はね、一度決めたこと撤回するの大嫌いなの! それは負けだからね! 
 よく聞きなさい、本条が本気になったら、そん時はそん時。こっちだってそうするだけよ。私たちを欲しがってるのは本条だけじゃない。CWSでもライナ・テックでもGIEでもシャオツェンでも! 私らが声かければ二つ返事。どんな条件だって飲むし、本条の手足くらい簡単に押さえてくれるわ。なにせ裏で軍につながってる。シャオツェンなんか傭兵の私設軍隊まで持ってるんだから。本条がやる気なら受けてたつわ、やってやろうじゃないの、戦争!」
 言い切ってから熱くなりすぎたと気づいたのか、つばさはそこで少しトーンダウンした。
 「ま、でもそこに至るまでまだ間がある。本条の小手先工作は私たちだけでなんとでも出来る。電脳戦なら負けるもんか! この家だって、スパイ対策の要塞みたいなもんよ。軍隊でも来ない限り負けやしない。
 ふふっ、ここは元々本条が精進さんのために作ったマンションだったんだけどね、室長、研究室に住み着いちゃったから空いてたの。で、私たちが越してきた。私とくーちゃんが安心して住める様、この半年、二人で思いっきりいじりまくったから、図面どおりのとこなんて残っちゃいないわ。かって知ったるでなめてかかったら大間違い。潜入だろうと爆破工作だろうと、仕掛けてきたら相当痛い目に遭わせてやる。
 だから危険なのは出歩くあんただけ。あんたの低脳でもこれで分かった?」
 つばさはふっとあざけりの笑みを浮かべた。
 対する加賀壬は困った顔をつばさに向けている。
 「でも、もし私のせいで・・・」
 「バカにしないで!
 あんたなんかに心配されるほど小物じゃないわよ、私は。あんたのせいで? なめてるんじゃないわよ! 私を誰だと思ってるの? あんたの小間使い? 舎弟? ぱしり?」
 つばさは加賀壬をにらみつけた。加賀壬は思わず立ち上がり泣き出しそうな顔になる。
 「で、でも、まりちゃんの事は元々私が頼んだことで・・・」
 「はっ、あんたごときの頼みを私が聞くとでも? 相っ当頭悪いわね、本当に。最初は私でしょ!」
 つばさは右手で自分の胸をばん、と叩いた。長いツインテールを震わせて。
 「私がフレアの再試用を提案した。あんたが交換条件を出した。違う? 本条と戦争になるとしても、それは私が、私自身が起こした事なの! あんたなんか中間要素に過ぎないの、ずにのるんじゃないわよ、この低脳!
 いい? あんたは余計な事考えるほど脳容量多くないんだから、せめてミスしないようにしてりゃいいの! 自分の身くらい自分で守りなさいよ。あんたが零上川に浮かぼうが沈もうが知ったことじゃないけど、それで私たちが負けるのは許さない!」
 ドアに怒りを叩きつけるようにしてつばさが出ていった。
 残された加賀壬はぺたん、と椅子に座るとテーブルに顔を伏せる。
 中間要素。今聞いたその言葉にふと香土岐の声を思い出した。1,2,3の2が12になったら、それは波及し11,12,13になる。つばさはそれを中間要素だと言うのだろうか? 加賀壬の行動で11にさせられたつばさはさらに21になり、加賀壬を22に押し上げようというのか。
 波及は互いに起こしあえる。私が一歩進んだら、つばさは対抗上一歩進む。そして追い越すべくもう一歩先に。あいつが先に進んだなら、こっちだって負けていられない。もう一歩進まないと・・・。
 世間ではその状態をライバルと呼ぶのだが、今現在、加賀壬にその認識はない。
 でも、と加賀壬は考えた。それは単なる対抗意識だけで成していい物ではない。それはさらなる波及を起こす覚悟と責任を伴う行為なのだから。進み過ぎた結果、本条と香土岐、そして美咲が敵となるのだから。
 加賀壬は箸を握り、残りの包子に向けた。食べないと。折角くーちゃんが作ってくれた物だ。それに、今食べておかないと、次いつ食事できるか分からないのだから。
 
 しばらくしてしずくが戻ってきた。食器を片し、お茶のセットの乗ったワゴンを食卓に近づけるしずく。どうやら食後のお茶のために戻ってきてくれたようだ。そう思い恐縮する加賀壬。実は妹の興奮した顔を見て何があったのかを悟り、作業の合間をみてやってきたとまでは気づいていない。
 「注意したほうがいいよ。本条だけに気をとられないで」
 しずくはジャスミンティーをいれながら唐突にそう言った。え? と聞き返す加賀壬に答える。
 「モテギって人。加賀壬さんの話からすると周辺は見せるけど、核は出してない。本当の望みを見せてない。そんな気する」
 「そだね。やっぱり、何て言うか、危ない人だと思う」
 ポットからジャスミンの香りが漂う。
 「学校とつーちゃん、目付けられたね」
 「え?」
 驚愕する加賀壬にしずくが告げる。
 「加賀壬さん。それに私たちの声。学生ってばれた。北村さん、本条コンツェルン副会長の後輩」
 青ざめる加賀壬。
 「あ・・・。じゃ本条先輩も・・・」
 「それは元々時間の問題だった。一条電鉄は本条グループ。被害者の一人が副会長と同じ高校。副会長がつながりだもの。
 でも加賀壬さんで確証与えた。結果つーちゃんもバレる。あの学校入ったのはすぐ分かるから。つーちゃん有名だもの」
 やってはいけない事をやってしまった。すかし入りの湯飲みを持ったまま、加賀壬は失意の底に沈んだ。
 「今は試合中」
 しずくの言葉はまた加賀壬には理解できない。無言のまま続きを待つ。
 「向こうが大きくリード。有効とられた。でもまだ負けてない。一本とっちゃえばいい。逆転できる」
 加賀壬は湯飲みを手にしたまま黙っていた。ややあって。
 「茉莉花茶」
 しずくが自分の湯飲みに口をつけながら言った。肩を落とす加賀壬に向けて。
 「まりか。北村さんの名前。きっと茉莉花(マツリカ)から来てる。ジャスミンのこと。茉莉の花の香。北村さんのお茶」
 加賀壬は茉莉花茶の香りを改めて嗅いだ。まりちゃん・・・。涙が溢れた。自分の無力さに。まりちゃん・・・。
 「忘れちゃだめ。一番大事なことは? 加賀壬さんが望んだことは?」としずくが少しだけ大きな声を出した。
 「・・・」
 「本条、モテギ。いろいろ出てきて混乱してる。対策を考えることは大事。でもそれは手段。手段のために目的を見失う。それが一番危険」
 「目的・・・」
 加賀壬の目は茉莉花茶を見つめた。
 「まりちゃん・・・助けたい。それが・・・目的」
 「うん、そうだよね。
 だったら。本条のことは私とつーちゃんに任せて。偽情報つかませて時間稼ぐの。情報戦はつーちゃん大得意。加賀壬さんはモテギって人に暴かれないうちに、北村さんを助ける。それだけ考えて。それでいいの」
 「うん・・・」
 静かに二人はお茶を飲んだ。茉莉花の香りの中で。やがて。
 「電話、しないの?」
 言いながら、しずくはさっきつばさが置いていったメモを加賀壬の前に差し出した。それは皆瀬樹が使っているデータ領域からつばさが拾い出した物。
 「ここからなら盗聴されない。向こうは多分本条でカバーしてる。本条には伝わるけど、モテギには聞こえない。携帯、アンテナ立つよ。
 つーちゃん手伝ってくる。ねずみ取り一杯仕掛けるの。こういう時にはシンプルなのが一番効く」
 しずくは加賀壬の湯飲みにお代わりを注ぐと足早にドアを開けて出ていった。
 ジャスミンの香りがまた新しく広がる中、加賀壬は中野恵子の番号をプッシュした。



 病院に用意された一室で。中野恵子はまた携帯が鳴り出すのを聞いてびくっと怯えた。どこから知ったのかTV局や新聞社から何度もかかってきていたのだ。困って電源を切った。でもそうしたら友達からの電話も受けられない。父も母もそしてキタさんもまだ意識が回復していない。兄はまだ来ていない。連絡すら付かない。警察が言うには事件を知り、どうやら隠れているようだ。しかも、ただ父が起こした事件に驚いてらしい。情けなくて涙が出た。
 叔父夫妻が従兄弟と駆けつけてくれたが、彼らは母ならともかく、恵子とはあまり面識もなかった。だから今、中野恵子を支えているのは友人だけだった。でも、自分のせいでキタさんをひどい目に遭わせてしまった。その自責の念が、こちらからかけることをためらわせていた。誰か、電話して。私とお話して。その思いが携帯の電源をまた入れたのだった。
 鳴り続ける電話に、出るかどうか悩んだ。ディスプレーに表示されたナンバーには見覚えがない。違う、友達じゃない。ならきっとTVとかだ。
 電話は七回コールされ、切れた。
 五分ほどして。また鳴った。さっきの番号だ。また七回鳴って切れた。
 これはTVとかじゃないかもしれない。そう恵子は思った。お昼過ぎからたて続けにかかってきた電話は何回でもコールをし続けた。20回でも30回でも。切れて諦めたのかと思うと、間髪を入れずまた鳴り出す。でも、さっきかかってきたのは七回で切れ、五分沈黙していた。
 もう一回鳴ったら・・・出よう。
 恵子はそう思い、携帯を見ていた。そしてまた五分ほどして。電話が鳴った。
 通話にし、耳を少し離して様子を見る中野。
 「もしもし。中野さんですか?」
 その声は若い女性だ。恵子はほっとため息をついた。しかし、誰だろう? 聞き覚えがない・・・
 加賀壬は電話が無音なのに少し焦った。本人ではないのかも。本条の方で誰か先読みして・・・。名乗っていいものか。偽名を使った方が安全かも・・・。しかし、すぐに覚悟を決めた。今ここで沈黙していて切られたら。もう二度と通じなくなるだろうから。
 「私、北村茉莉香さんの高校の友人で加賀壬宏子っていいます。はじめまして」
 息を飲む声が聞こえた。かすかだったが、若い声。多分本人だろう。加賀壬はそう推測した。茂木に伝わらないのであれば。加賀壬にはあいまいな言葉を選ぶ必要がない。本条にバレルのはもう仕方がない。それに臆しているよりもせねばならないことがあるのだ。
 「超常現象研究会、えっと北村さんや皆瀬樹さんと同じ所に所属してます。西中の人たちの言う、仕事人の所です。
 私、北村さん・・・まりちゃんとチームを組んでいました。入会してからずっと。最初からずっと一緒に魔性と戦ってました」
 嗚咽が聞こえる。間違いない、本人だ。加賀壬は言いたいこと、聞きたいことが山ほどあった。しかし、彼女の嗚咽を耳にして、今告げるべき事は一つしかない。そう悟った。声を大きくしてその言葉を読み上げるように言う。
 「生を信ずる心が闇を駆逐する」
 嗚咽は一瞬途切れた。
 「この言葉は昔、新潟で起きた超常現象を記録した本にあった言葉。超常研の創設者、殿下先輩がよく引用していた言葉。西中の人に伝えたのも多分殿下先輩だと思う。
 誰かを憎んだり、恨んだりしないで。ひとを責めちゃだめ。あなた自身も含めて。誰が悪いのでもない。悪いモノは別にいる。
 憎み、悔しむ心が闇を呼びよせるの。信じる心が闇を払う。
 よく聞いて。生を信ずる心が闇を駆逐する」
 加賀壬は自分に言い聞かせるようにそう告げた。電話の向こうの泣き声が大きくなった。隠そうとしていない。堪えるのを諦めたのだろう。そう加賀壬は思った。この泣き声の大きさなら、携帯は彼女の耳に押し付けられたままだ。
 「マスコミが動いていて、みんな、私も含めてみんな自由に行動できなくって。だから何があったのか分からないの。
 でも、私・・・。まりちゃんの仲間として、まりちゃんの意志をかなえたい。悪いモノを見付けて、まりちゃん、救いたいの。お願い、手伝って中野さん。私に手を貸して! まりちゃん、助けたい・・・」



第四章


 「だから言ったじゃない、もてっちゃん、あれ絶対普通じゃないって」
 吉田は大げさに肩をすくめてみせた。
 茂木は不機嫌そうに窓辺の椅子に座り、ヌガーの中にあったピーナツを噛んだ。ここは茂木の借りているホテル。学校から帰り際、装備を替えに一度戻る所で吉田と合流したのだ。ちなみに、平社員・樅塚は駅の反対側にある、吉田が借りたホテルの部屋で電話番である。
 「確かに普通じゃないな。本条の名が出るとすくみ上がる。怯えてるのは分かるんだが、本条に脅されてるんじゃない。逆に学校職員、みな本条に頼ってる感じだ。なんつぅかなぁ、なんか近くに酷いやーさんの組があって、みんな地元の本条組の組長を頼ってる。そんな感じだぜ」
 「現代版清水の次郎長かい、そりゃいいや」
 吉田の茶化す言葉を無視し、茂木は盗聴器を確認する。
 「北村がいた写真部の部長ってのがいたんだが。鼻の利く女だぜ、目があった途端に間髪入れず、不法侵入って警察呼びやがった」
 「うははは、もてっちゃんの偽装見破るなんて将来有望だよ。そいつ、うちで雇いたいねぇ」
 「まぁ神宮司が入学してたって分かっただけでよしとしておこう。これで背後が見えた」
 「じんぐうじ? 誰だっけ?」
 「ほら、例の本条の基幹ネット造りに参入した天才中学生。そいつがこの春入学してるのさ。親元を離れてこっちに越してきてまで、あの高校にご執着だ」
 吉田は去年だったか一昨年だったか、ニュースになったその天才少女の件を思い出し、あ、あれか、とつぶやいた。
 「ちと今夜、学校に行って来る。中野の金の動き、頼むぜ」と茂木。
 「完全には無理だと思うよ半日じゃ。週末だしさぁ。まぁやれるだけやってみるけどさ。で本条の方、どうするの?」
 「まだ集めたい情報があってな。んじゃ出るぞ」
 鍵を持ち立ち上がる茂木に吉田は慌てて鞄を持った。
 「うわぁ、もうあの暑い中に行くのか」
 「健康にいいぜ」
 灯りを消し、茂木は吉田と共に部屋を出た。




 「なんでそうなったのかは分からないけど。タイミングはそう」
 中野はベッドの上にぺたんと座り込み、電話を続けている。その相手、加賀壬の方は神宮司家のダイニングテーブルに手帳を広げ、ちまちま書き込みながらだ。
 「うーん・・・。まりちゃんの顔見て何か思い出したのかなぁ」
 「えっと、顔より、名前らしい。警察の人も名前が何かのきっかけになったって。お父さん、北村って叫んでたから。それがなんだかすごい声で・・・」
 加賀壬は首を捻りながら聞いた。
 「もしかして聞き覚えないような声? 他人みたいな?」
 「うん。んーでも、お布団で急がなきゃって言ってた時、あんな感じだったかな・・・」
 加賀壬は中野雄哉の事をもっと詳しく聞きたかったが、とりあえず脇道にそれた。
 「まりちゃんとはどれくらい面識あったの? お父さん」
 「多分一回か二回程度。うち、共働きで、父さん休日出勤ばっかりだったから。母さんも週末はパートでいなかったの、中学の頃。だからキタさんとか来るとお祖母ちゃんがお茶出したりしてたの」
 「お祖母さん亡くなったんだよね、確か」
 「うん。二月に。キタさんお祖母ちゃんの事聞いたら、ショック受けてた。後でお焼香するって・・・」
 「まりちゃんなついてたのかな」
 「うんそうかも。子供みたいな人だった。どこか行くってなると大はしゃぎで。亡くなる前、最後に言ったのもね、公園に・・・」
 「ん?」
 中野からの返事はない。
 「公園?」 
 「あ、ごめん、ちょっと別の事考えちゃって。えとね、公園に行きたかったって。口癖だったの」
 加賀壬は今の空白が気になった。今までのように感情で言葉に詰まる、という感じではなかったからだ。
 「公園ってどこの?」
 「う、うん・・・場所は知らないの。お祖母ちゃんが小さい頃、戦争終わる頃ね、みんなで行くはずだったんだって。でも結局戦争で行けなかったって。いつもぼやいてた。戦争は嫌だって。うんそれだけ」
 「その後行かなかったのかな? 戦争で無くなっちゃったのかも」と、加賀壬はその話題にしがみつく。さっきの空白、なにかある。
 「うん、そうかも。んと・・・」
 「ん?」と軽く促す加賀壬だが、耳はしっかりと受話器に押し付けた。
 「ちょっと思い出したんだけど。その公園・・・。確か北村公園って・・・」
 加賀壬はぴくっと眉を上げたが、驚く言葉は飲み込んだ。あえて普通に続けてみる。
 「北村公園・・・。知らないなぁ。私、嘉木の市なの。この辺にあるのかな、北村公園」
 「ううん、小学校まで水戸にいたの。でもそっちでも聞いたことないよ。お兄ちゃんも知らなかったし。お父さんも分かればみんなで一緒に行けるのにって言ってた。でもお祖母ちゃんもどこにあるのか知らないみたいだった。小さい時だっていうからずっと前だもの忘れちゃったみたい」
 「そか。で、まりちゃんもその話、聞いたことあったのかな?」
 小首を傾げ少し考えていたが、中野は分からない、と答えた。
 「まりちゃん、北村って聞いてなんか言ってたとか覚えてない?」
 「うん・・・。思い出してみたんだけど。覚えないの」
 「他に北村って名前、何か覚えてない? 親戚とか。あるいは駅の名前とか」
 「多分ない。うちで北村って言ったらキタさんの事だったもの。一年の時、中学のね、何度か来てたの、うちに」
 その時、ノックの音に振り返る中野。
 「あ、先生来た」
 「そなんだ。あ、もうこんな時間。ごめんね、長々と」
 「ううん、ごめんね急に。あ、あの・・・」
 「またかけていい?」
 中野は微笑んだ。
 「待ってるね。この番号は宏子さんの携帯?」
 「うん」
 「メモリー入れとくね。じゃ」
 「じゃまた」
 加賀壬は電話を切ると今の番号をメモリーに入れた。そして手帳を見返してみる。いろいろ書き込んだので6ページにもなっている。加賀壬はそれを不器用な手つきで切り取ると別のページに改めて書き取ってみた。あまりに殴り書きだったし、書き直すことで何か浮かぶかも、と思ったのだ。
 「んじゃ、しらみつぶしだな」


 「ただいま」
 疲れた声で帰宅したシュンをアキが出迎えた。二人で食卓に向う。
 「はい」と、アキが手渡したのはメモ用紙。留守中に来ていた電話を確認し、シュンはさらに疲れた顔になる。
 「何か手伝えることある?」
 アキの言葉に顔を上げ、軽く微笑むシュン。
 「コーヒー欲しいな」
 「今お湯沸かしてる」と、彼女が笑み返した。
 シュンは紅茶党だが、アイスティーよりはアイスコーヒーの方を好む。夕刻が迫ってもまだ暑さが残る中、歩き回っていた彼は椅子に深く座り込み、眼鏡を外した。コーヒーミルの音が止まってから口を開くシュン。
 「正直何がなんだか分からなくなってきたよ。何が正しいのか、何が間違っているのか」
 アキはそれには答えずに冷蔵庫から氷を出している。
 「新一年生の結束を高める。四月からずっとそうしてきたのが裏目に出たような気がするよ、こうなると。
 合同合宿の最中ってのもバッドタイミングすぎたしなぁ。あっちとこっちと分断されてるのが痛い」
 シュンのぼやきは手渡された冷たいグラスで途切られた。ミルクの白い筋が流れる褐色の液体を見つめ、シュンがため息をついた。
 「まぁ、写真部の方は部長がいてくれて助かったよ。大騒ぎするから心配だったんだけどね、最初は。なんか部長一人でみんなの不安をがっと掴んでまとめちゃってさ、北村が復帰する前に綺麗にしよう、とか言いだして。暗室の大掃除。この暑いのに」
 「うわ、まさか埃だらけ?」
 とアキが目を見張る。
 「いや、僕が着いた時には終わって休憩してたとこ。恨み言、みんなに言われまくったよ」
 「今頃来たって?」
 うなづくシュン。
 「北村さんのお友達、元気づけてきてあげた?」
 自分のグラスをテーブルに置き、アキも椅子に座った。シュンは片眉を上げた。曖昧な肯定らしい。
 「会長に言われたことを繰り返すだけさ。それしか出来ないところが情けないけどね、我ながら。北村君の中学時代の友人は魔性の被害にあってるからね、それを乗り越えて超常研に来た連中だ、僕らより自意識が格段に高い。納得はしてないけど理解はしてくれたよ」
 「でも丁度よかったじゃない、こっちにシュン、合宿所にサーって副会長がそれぞれにいて」
 シュンは今度は両眉を上げて少し目を開いた。これは完全な肯定だ。
 「後は会長が陣頭指揮とれたらよかったんだけどね。さすがに美咲の名を背負っている以上、屋敷にこもっているしかないからね」
 「でもあの人なら家にいてもあちこちに出没してそう」とアキはくすっと笑った。
 しかし、シュンは眉毛を下げて否定を示した。
 「いや。問題があるらしくてね、緊急事態ということで、僕らからも連絡とれない。僕はこっち、サーが合宿所、そして会長が加賀壬君担当、後は己の裁量で動け、って指示さ」
 アキはふぅ、とため息をついた。
 「怪我をした友人を見舞いにも行けない。つらいわね、みんな」
 「でも殿下会長たちが不在で結果的には良かったよ。話がややこしくなるから連絡もいれてないみたいだしね、OB会でも。今日明日は会長たち、新聞もTVも見ないだろうしねぇ」
 「オンリーイベントだっけ、お宝に夢中?」
 「そそ」とシュンはグラスを置いて両手を広げ、お手上げのジェスチャーだ。
 二人でしばらく冷たいコーヒーを飲んでいたが、やがてシュンがアキに詫びた。
 「君の家の方、手伝えなくってごめん。これから朝臣と手分けして電話しまくらないと」
 「ん、大丈夫。思ってたほど大変じゃないから」
 今事実上無人であるアキの家、シュンのお隣さんである雅家に居候が来る予定なので、この連休シュンはアキを手伝って掃除することになっていたのだ。親戚の子なのだがアキは会ったことがない。北欧を点々としていた祖父の姉が亡くなり、その唯一の家族である孫が帰国することになっていたのである。
 雅の家は華族であったためか、一族郎党挙げて芸術家肌が多かった。祖父は日本画家、叔父は山岳撮影家、祖父の姉は洋画家。皆揃いもそろって商いにはてんで才能がなかったので戦前には大層あった資産を簡単に食いつぶしたが、芸術家としてはそれなりの成功を収めた。そういう血筋からか、生涯独身の者が多く、明治時代にはかなりの大人数だった雅一族も、今やアキ、つまり菊子(あきこ)と母、祖父、そして居候に来る子だけになってしまった。
 「母さんが言うにはね、元々アトリエに借りてた家の離れに一人で住んでたみたいだから、片づけるだけで後は本人に任せなさいって。だから家具とかもそのままでいいみたいだし」
 「でも箪笥とかどかして掃除するだけでも大変だろ? んー、明日の午前中でも・・・」
 シュンの言葉を途中で遮り、アキの指先が彼の唇に触れた。
 「大丈夫。本当に」
 シュンは左手を上げ、アキの右手を包んだ。
 「ごめん」



 ラブラブな二人は放っておいて。
 その頃、加賀壬は市立図書館のコンピューターに向かっていた。神宮司の所の機械はいじり方が正直分からなかったのだ。キーボードはシンセサイザーの様に上下三段になってるし、英語しか書かれていないし、マウスもボタンが一杯ついてたし、なにしろOS自体見たこと無いものだったし・・・。まぁ、つばさが触らせてくれるとも思えなかったが。しずくに頼もうかとも思ったのだが、彼女は妹の隣で忙しそうにコードを抱え、配線に熱中していた。
 うん、考え事もしたいしな。自分でやろう。
 ということで図書館に移動し、考えながら検索をかけていたのである。

 北村公園という名称はあちこちにあった。あまりに多すぎ加賀壬は気が遠くなった。
 「うーん、こいつぁ参った」
 加賀壬は埋め尽くされたメモを呆然と眺めた。何といっても、そのどこがお祖母ちゃんの言っていたものかが分からないのだ。まずは振るい落としだ。戦争の頃にはあったというから古いものだろう。大阪や金沢では遠すぎる。戦争中だったのだ、茨城からそんな遠距離に行くというのは無理がある。そこでまずは昔住んでいたという水戸市に絞ってみた。
 「北村の一族に公園施設の関係者なんていないぞ」
 不意に背中にかけられた声。こ、この声は・・・!
 「見るな!」
 慌てて画面に上半身を寄せ、手でもカバーする。しかし、茂木(もてぎ)の見ていたのは加賀壬のメモの方だった。
 「うわぁ!」
 慌てて奪い返す。
 「な、なんだよおっさん!」
 「水戸ねぇ。中野の前の家か。何調べてるんだお前」
 加賀壬は怒りに真っ赤になった。「北村公園」のキーワードはもう知られてしまった。まさか盗み見してるとは。
 考えてしかるべきだった。そう加賀壬は悟った。このあたりの情報収集なら県の公共ネットにつながっているここが一番早いということを。
 「あんたねぇ、勝手に他人の・・・」
 「俺は今知りたいことがあるんだ。そのためになら手段は選ばない」
 その声は低く、凍えるように冷ややかだった。加賀壬は背筋に冷たいものを感じた。
 やばい、こいつ、やばい。くーちゃんの言うとおりだ、注意しなきゃいけなかったのに・・・。
 「くそぉ・・・」
 ひとしきり唸った後、思い出した言葉。後の祭り。しかたない、こうなったら利用しよう。
 「おっさん、北村公園で何か心当たり、ない?」
 茂木は隣の席にどさっと座り込んだ。このデータ閲覧室では1台の端末に二つ椅子が並んでいるのだ。
 こいつ、勝手に・・・と睨む加賀壬に、茂木は真面目な表情で答えた。
 「いや、大阪のは知ってるが。水戸がらみのは知らん。今回の事件がらみでも始めて聞いた」
 茂木が横目で観察する中、加賀壬は一瞬落胆の色を示した。どうやら確証があってのことではないらしい。そう茂木は理解した。
 「で、水戸ってことは関中軌道の水戸寮にいた頃だな。だとすると水戸市じゃないぞ、あそこは」
 「はぇ?」
 思わずすっとんきょうな声を出してしまった加賀壬。
 「水戸じゃない?」
 「関東中央軌道、水戸支所の寮なんで水戸寮。涸沼川の対岸だからな、住所的には水戸市じゃない」
 ぽかんと口を開ける加賀壬に追い打ちをかける茂木。
 「東京都の地図で東京ディズニーランド探すようなもんだよ、お前のしてたのは」
 茂木は椅子を加賀壬の方にぐっとずらすとキーボードの向きを変えた。
 「で、何を探すんだ」

 それからしばらく、加賀壬はメモを見ながら茂木の検索結果を書き込み、また検索を指定するという作業を続けていた。茂木のヒット率は異常に高い。というか、そもそも加賀壬はグーグルで一単語から検索する方法しか知らなかった。茂木のように公営の地域ネットに入ってから建設記録や住所録のデータを探すなど、思いつきもしなかったのだ。要するに比較にならない、というところだ。
 「お前、そんなんじゃ日が暮れるぞ。お前を手伝ってた女の子の方がよっぽど早いだろうに」
 そう言われても返す言葉がない。ぶつくさぼやきながら茂木の検索に頼るしかなかった。
 「うーん・・・。可能性あって東京・・・。東北方面ってのもありそう・・・でもやっぱ県内だと思うんだけどなぁ、戦時下だし・・・」
 その言葉を聞き、茂木が加賀壬の腕を掴んだ。
 「はぁ? 戦時下? おい、ちょっと待て、戦争って、第二次世界大戦か?」
 「た、多分」
 「ってことはこりゃ何か? 中野カナエがらみか?」という茂木の声は緊迫感がある。
 「えっと、恵子ちゃんのお祖母さん。二月に亡くなった・・・」
 「で、なんで水戸なんだよ! 水戸に移ったのは恵子が生まれる五年前だ。それより前は葛飾にいた。さらに戦争中ならなぁ、いいか、中野カナエ、旧姓二宮カナエは、ここ、この町に住んでたんだよ!」
 加賀壬はあんぐりと口を開いたままだった。
 「もともと、中野郁哉は戦時中、本条の移転と一緒に東京から来た男だ。こっちで知り合った床屋の娘二宮カナエと結婚した後、生家のあった葛飾で乾物屋を始めた。そこで生まれた雄哉は父のコネで一条関連の関中軌道に入社、郁哉が病死し、母子で水戸寮に入った。そこで雄哉は結婚、二子を設けた。で、こっちの工事があるんで三年前にここに戻った。
 Uターンって奴だ。ちと偶然がきつすぎる。カナエか郁哉、つまり雄哉の両親がらみで何かあるんじゃないかと睨んでたんだ、最初にな」
 茂木が一旦言葉を切っても、加賀壬は口を開けたままだった。
 「どんなネタなんだ?」
 こうなっては加賀壬は公園の話をするしかなかった。
 聞き終わると茂木は抱えていたバックに手を突っ込み、こっそりと何か菓子をほおばった。一応ここが飲食禁止というのは知っているらしい。
 「<公園><みんなで行く><戦争で中止>・・・。修学旅行? 遠足? なんかネタにしちゃスケール小さすぎねぇか?」
 「う、うん。そうは思うけど・・・。なんか、その、気になって」
 「大体口頭で聞いただけなんだろ? しかもばーさんの。漢字だって何をあてるか分からんし、そもそも音が記憶違いってこともあるぞ」
 「う・・・そかも・・・」
 「お前なぁ・・・。で、公園は間違いないんだな?」
 「えと・・・。分からない」
 「うーむ・・・」
 茂木は唸るとまた鞄に手を突っ込んで飴らしいものを口に放り込んだ。
 「なんで中止になったか、だな。戦争が始まったからか。戦局厳しくなったからか・・・。
 <みんなで行く><戦争で中止><キタムラコウエン>・・・」
 ふっと思い浮かぶ言葉があった。茂木はキーボードを叩き、単語を打ち込むと検索ボタンを押す。どんどんタブを新規に開き、同じ事を繰り返す。
 それを怪訝そうに見つめる加賀壬。観光地が羅列されている。スキー場? 温泉?
 「カナエは昭和11年生まれ。終戦当時小学生だ。<戦争><小学生><みんなで行く>ときたら<公園>じゃない、<高原>。疎開だ!」
 「あ・・・」
 加賀壬はその大きな目を思いっきり広げた。
 茂木は次々にクリックしながら自分の手帳にメモをとった。ついで新しく白紙の1枚を抜き取り、そこに別のメモを書き込んでいく。手帳に書き込まれた情報から必要なものを選び、次々と羅列していった。
 彼はその作業を続けながら、加賀壬に指示した。
 「俺の名刺あるな? そこにお前のから電話しろ」
 一瞬躊躇したが、加賀壬はその指示に従うことにした。恵子ちゃんも言っていた。携帯の番号TV局に知られた、と。この男がその気になれば、加賀壬の携帯番号くらいすぐにチェックするだろうから、抵抗しても無駄だ。
 「じゃ受けてグループ4に登録しとけ。お前の名前入れて」
 茂木は右手でメモを書き込みながら、左手で自分の携帯を加賀壬に渡した。
 ちくしょ〜、どうして私が・・・。よし、こいつのメモリー見てやろうか。加賀壬はそう思ったが、茂木が横目でチェックしている事に気が付いた。ちっ、こいつサトリか?
 「じゃ俺は高原の方調べる。お前はこれだ」
 茂木の差し出したのはメモ用紙だ。
 「ん? ミサト郷字幸本1丁目8番3号? ・・・ あ、そか!」
 「もうすぐ6時か、よし10時に電話する。そっちも何かあったら電話しろ、じゃ!」
 茂木が見た目に似合わぬ軽快さで携帯を奪い返し、飛び出していったすぐ後、閲覧室閉館のアナウンスが流れた。加賀壬は再び双子のマンションへと急いだ。


 つづく