<超かいき★くえすと>くえすたぁず

 

第二十二話:加賀壬さん訪問す

 

von:秋澤 弘

第一章

 駅前の大時計。そのデジタル表示が19:12になった。
 「参ったな、ちきしょ〜」とぼやくのは加賀壬。一旦家に帰ってしまうと出かける言い訳が面倒だし、往復の電車時間を考えると夕飯をとる間もなくとんぼ帰りしなくてはならない。そこで前原や山崎たち、合同合宿組の出発を見送ったのだが、その後はやることがない。会室に顔を出して装備の確認を手伝ったが、探索があるわけでもないので閉門時間に合わせてみんな帰ってしまった。以後、ヘルメットの入った紙袋を下げたまま、加賀壬はぼけ〜と時間を潰さざるをえなくなったのだ。
 フレアの本体とでも言うべき部分はすでに撤去されている。一番重かった外付け本体部分ももちろん。しかし、再度組み立てられるように固定軸やフレームはそのままになっていた。おかげで、ヘルメットとしては随分重い。
 時間つぶしに持っていた文庫本を読み始めてはみたが、どうも熱中できない。本屋で立ち読みもしてみたが、我ながら、心ここにあらずという感じだった。
 ふぅ、今日は香土岐先生の呼び出しがなくってよかったなぁ。もしこんな状態で講義受けたら、どんな目にあうことやら・・・。
 おなかもすいた。今月財布がピンチなのに何か食べて帰らないといけない。帰宅が遅くなることを誤魔化すため、「友達とご飯食べるからちょっと遅くなる」と家に電話した以上。
 そこまで考えた時、その「友達」とやらの正体に思い至り、くっら〜〜い気分になった。
 <お願い>
 いまだに自分の目が信じられない。その「友達」と<お願い>。天と地、水と油だ。
 さっきまで、神宮時つばさからのメッセージについてずっと考えていた。対策を練ろうとしたのだが、その目的が不明である以上、何も準備できるものではない。とりあえず「フレア」に関する何かだろう。ヘルメット持参、とあった以上それは間違いない。美咲会長の言葉もあるし、協力はしよう。それは仕方ない。
 しかし、何故香坂の目から隠れるような方法で? ましてや<お願い>。あのちびが加賀壬に放つ言葉として、これ以上意外なものがあるだろうか。<お願い>。
 異常だよ。まさしく超常現象だ・・・。もうこうなったら虎穴にいらずんば虎児を得ずってヤツ?。どうにでもなれ、と考えるのを止めた。止めたつもりだった。しかし、加賀壬は自分がまたあの<陰険ちび>に思い至っている事に気が付いてしまったのだ。
 えぇい、やめやめ。なんか他の事考えよう。そだ、明日からの連休どうしようかなぁ。んと、とりあえず予定ないんだよな。みんな合宿行っちゃうしな。

 来週半ばまで超常研のアタックは予定されていない。県民の日で出来た三連休を利用し、主立った体育会系の部活が合同合宿をするのである。本条先輩が去年から始めたこの合同強化合宿は、筋力開発だけでなく、体力測定、人間ドック並の健康診断に精神面でのケアまで含めた大規模なものだ。長野にある、本条家がらみのスポーツ施設を借り切って行われるという。
 「オリンピック出場選手対応って設備に医療施設だぜ、行かなきゃ損だって、がっはっは」 
 この前、会室でその話を加賀壬に教えてくれた元帥は割れんばかりの大音響で笑いを響かせていた。
 「そんだけ豪快に笑えるんなら問題なし。行ったって意味ないっしょ。はい、元帥は不参加ね」
 美由美が参加者名簿の大田原、つまり元帥の名前をサインペンで塗りつぶした。
 「馬鹿、やめろっ。己で健康だと思ってる時にこそ、注意が必要なんだ、俺たち武道家にはな!」
 「うわ、やめっ、離せ、このバカ力〜〜! 脳みそ筋肉〜〜〜」
 美由美をはがい締めにする元帥。じたばたと暴れる彼女をそのまま廊下に置き去りにしようとしている。
 「あ〜あ、せめて鉛筆にしてくれよ、美由美・・・」
 修正液のキャップを開けながら情けない声を出す朝臣。その脇で全く意に介さず、会員の参加予定を確認し続ける姫。
 「別に問題ないよぉ。元帥の参加は柔道部の方から来るんだしぃ。うちのは単に確認用だから。
 えっと、じゃ県大会予選で来られないとこ以外はみんな参加みたいね。
 あ、前原さん、弓道部から参加でしょ?」
 問われた前原が振り向く。彼女にしては珍しく困った顔で隣にいる加賀壬を見た。
 「?」と姫と加賀壬がその顔を見つめる。
 「お前は行かないのだよな、加賀壬宏子・・・」
 前原の声は心細げだ。ちょっと焦って加賀壬が答える。
 「あ、うん、私は帰宅部だから。おみやげに期待」
 「しかし・・・」
 向き合って立つ前原と加賀壬。周囲はしん、と静まりかえってしまった。その微妙な空間を切り裂いた、のほほん声。昆である。
 「あのぉ〜、前原さん、霊水のお世話になった事がある以上、ちゃ〜んと診断は受けた方がいいですよ。HP戦をなさる人は特にです。どこかに問題が残っているかもしれませんし。霊水の効果にも、個人差ありますからねぇ。
 あ、私も参加します。おねぇさまから招待状いただきましたもの。天使隊の皆さんとご一緒するんですよ。実習です」
 にっこりと微笑む愛姫。
 どこかに問題が。そのせいでいざという時に加賀壬を守れなくなるのでは・・・。前原は昆の言葉に抵抗する術もなく、参加が決まった。
 「ん〜、じゃ佐伯隊で残るのはあたしと宏子ちゃんだけ?」
 「準備期間と事後の調整期間も含め、探索はお休みだよ、北村君。その間、緊急時には臨時の隊を編成する。実働以外の予備からね」
 実戦力の少ない超常研において、予備といえば引退組の三年生だろう。<成仏しない娘さん>ともめた時助けてくれた先輩たち。あかねちんのお兄さん、開田隊長たちの事だろうな。そう加賀壬は思った。
 「そっか、じゃその間、あたしは思いっきり読書でも・・・」と言いかけて、香土岐の顔を思い出した。
 「できそうにないなぁ、とりあえず日本語の読書は・・・」
 そこに、いつのまに来ていたのか会長の指示がおりる。
 「加賀壬さんはその間、神宮司さんのチームとの協力をお願いします。フレア、難航しているらしいのです」

 駅前ロータリーのすぐそば。緑地帯との境目にある柵に座っていた加賀壬は、自分の想像が行き着いた場所に落ち込んだ。
 どうしてまたあの<陰険ちび>の顔を思い出さねばならんのだ〜〜〜〜。


第二章


 加賀壬の左後方百メートルほど。壁一面に砂漠が描かれた喫茶店で、ウェイトレスの沼尻洋子が立ち上がった。入店してきたのは男二人。おひやとおしぼりを用意してトレイに乗せた。
 「あの線は絶対いけますよ、社長!」
 「からめ手としてはいいかも、だけどねぇ」
 メニューとトレイを持ち、勝手に窓際の席に座り込んだ客に近づく洋子。二人ともジーンズにアロハシャツ。だささ爆発。ロン毛の若い方はつかいっぱそのものの印象だ。社長と呼ばれた方はひょろっと、というよりなよっとした感じ。お姉言葉でも使ったらいいのに。洋子はおひやを置きながら思った。ちったぁウェイトレスを楽しませる客、来ないのかなぁ・・・

 「もうなんて言うのかねぇ、ありゃ与党そのものだねぇ、もみちゃん」
 「は?」とロン毛の方、樅塚(もみつか)がきょとんとした。急に話題が飛ぶのが社長の欠点である。
 「普段は派閥争いで血なまぐさいことしてるのに、敵が現れると一瞬で団結。全員一丸となってってタイプだよ」
 どうやら社長の交渉は失敗したらしい。樅塚はそれを理解するとテ・オレを飲み出した。ちなみに彼が頼んだのはカフェ・オレだったのだが気づいていないのなら万事おっけい。自分のミスに後から気が付いた洋子はそう思った。
 「本条側から協力者を捜すのは無理だねぇ。あんだけ派手に喧嘩してるのに。一条は我がグループの一員ですから、じゃねぇよ、ったくよぉ!」
 真声ネット社長、吉田はさっきたばこ屋でもらったライターを振りかざしながら怒鳴った。
 「ですからね社長、とりあえず用地買収の一件は置いといて、幽霊騒ぎの方、ほっくりおこしましょうよ。うけますよ、絶対。さっき早速あたってみたんですけどね、あの情報マジっすよ」
 吉田は小脇に抱えていたバックからチェリーを取り出すと一本口にくわえ、火を付けた。
 「ふぅ〜。
 ん〜、そだねぇ、このまま手ぶらで渋谷帰るのもねぇ。ん〜、丁度夏だし。幽霊か・・・」
 「ね、心霊スポットマップにも載っけて。いけますよ、絶対」
 樅塚の絶対、は絶対あてにならない。吉田はそうは理解していたが、即座に「却下」と言うのはためらわれた。
 「ん〜、そだねぇ、その線から世間の注目浴びせて、わたわたしたとこで用地の件、探り入れるのも手ではあるねぇ」
 株式会社真声ネットワークはWEBなどでニュースを配信している。ジャンルは特になし。若者向けの奇をてらった企画が主だが、悪徳政治家のすっぱ抜きから、アイドルスクープまで、なんでもござれの報道ゲリラだ。社長はこの吉田書院。もちろんネット上でのいわゆるハンドルネームなのだが、彼の本名は従業員の樅塚すら知らなかった。吉田は大手新聞社で政治部にいた。記者クラブから議員の張り番まで、何でもしていたが、組織に限界を感じ、独立したのである。
 今、彼は本条家の総本山とも言えるこの地にご執心である。交通整備、環境整備、美観保護、教育機関への寄贈等々。本条サイドからの寄付・寄進・寄贈はかなりの額に登っていた。それは既に地域貢献の域を逸脱していると吉田は睨んでいたのだ。政治参入への舞台作り。足場堅めであろうと睨んだのは一昨年だったが、何故かいまだに立候補の気配すらない。奇妙に感じた末、気になることはほっくりかえす彼のいつもの行動にでた。この春から三ヶ月に渡る金銭調査の結果、たしかに表面上は問題ないのだが、どうも気になる点が多かった。金の流れが妙なのが一番気になった。不透明というわけではない。透明なのだが、その金額が不均一なのだ。一大学の一研究部門に大金を投資したり、最短距離ではなく、わざわざ迂回する道路を誘致したり。
 何かを隠している。それは彼のカンだった。現時点ではまだ本条と美咲の繋がりについては気が付いていない。戦争で疎開してきた際、当地最古の家系、豪族とも言える美咲の名を借りて、権威を後ろ盾にした。そこまでは読んでいるが、金の流れがない以上、今の吉田の調査ではそれ以上のつながりは見えなかったのだ。
 「どっかに切り込んで、金の流れをひっこぬく。世の中金だよ。悪いことして金を、それも自分じゃ一生かかっても稼げない大金を集めた奴がいるって聞けば、誰だって怒るわな。俺が欲しいのは怒りとか喜びとかの感情でさぁ、興味じゃないんだよ、もみちゃん。幽霊じゃ興味しかひけね〜ぞ」
 吉田は灰皿に灰を落とした。
 「ま、でもな。たしかに煙幕にはいいかもな」
 「そうでしょ、そうっすよね!」
 話の流れが希望に添ってきたのを知り、樅塚が興奮に顔を染めた。しかし、すぐにそれは消されてしまう。
 「んでも、もみちゃんじゃダメだろ。相手は一条んとこだぞ。無理むり、もみちゃんじゃ」
 「そ、そんな事ないっすよ、やってみせます、俺! 社長、お願いしますよ!」
 机に両手を付き、がばっと頭を下げる樅塚。
 「無理だって、だめだめ、他の線をあたるよ」
 「そこをなんとか! やらせてくださいよ、しゃっちょ〜〜〜ぉ!」

 な〜んか盛り上がってるじゃん、おっさんたち。レジ脇に座る洋子は週刊誌を読むふりをしながら聞き耳を立てていたが、からん、というドアに付いているカウベルの音に振り返った。来店者1名。少し小太りの30代の男。よれよれのYシャツに季節はずれの厚地ネクタイ。かつてはスーツの一部だったらしき小汚いズボン。妙につんつんしたぼさぼさ髪。多分水溶性のディップで止めてあったのが汗でばらけたのだろう。連れか・・・。洋子はそう判断した。既にいる二人と同じ印象だったのだ。
 「お〜、なんかもめてる?」
 新参者はやはり二人の席に向かった。
 「あ、もてっさん、どもっす」と樅塚が腰をあげ、席をつめる。
 「もてっちゃん、遅いよー。待っちゃったよ」
 茂木(もてぎ)は大事な商売道具の入ったカメラバックを肩から下ろし、樅塚の隣にどさっと座った。
 「クリームメロンソーダとバナナマフィンのアイス付きにブルーベリーヨーグルトパフェ」
 やってきた洋子は一瞬面くらったが、それでもいつもどうりにおひやとおしぼりを置いた。コップがテーブルに付くかつかないか、という時にその客の手が無造作に伸び、コップを奪うとおひやを一気に飲み干した。眉を潜める洋子だったが、仕方なく水差しを取りに戻った。
 「いやぁ暑いっすねぇ、もてっさん」と樅塚が愛想笑いを浮かべながら語りかける。その腰は茂木の鞄に触れないように壁際一杯にまで押し付けられていた。親しげな口調ながら、あからさまに緊張し、縮こまっているのがよく分かる。
 「んー」と茂木は返事なのか独り言なのかわからないような声を出し、右手を背もたれに伸ばした。自分の背中の奥に伸びたその手にさらに堅くなる樅塚。
 「どうだった、一条の印象は」と次のチェリーに火を付けながら吉田が聞くと、茂木は口をぬぐいながら短くこう答えた。
 「くわせモンだな」
 そう言った途端、茂木の口元が嘲りの笑みを浮かべた。それは一瞬。しかし、戻って来た沼尻洋子はぎょっとして水差しを落とし掛けた。この小太りの男からいやらしい下卑た笑みが出るのなら分かる。しかし、今の笑みは冷酷というか残酷なものだった。
 こいつ、やばい客だ!
 洋子は背筋を伸ばし、オーナーに教わってはいたが、そのまま記憶の彼方に追いやっていたはずの接客法で、茂木の斜め横から客たちの前を横切らないように水差しを差し出した。
 茂木の答えに吉田がにやりとする脇で、洋子は新しくおひやを三人のコップに注ぎ、一礼するとメニューを持って帰っていった。
 レジ脇を通り、店の奥に入る。そこでは調理役の工藤が居眠りこいていた。
 「工藤さん、注文入りました。クリーム・メロン・ソーダとアイス・バナナ・マフィン、ブルーベリー・ヨーグルト・パフェ各1です」
 沼尻は工藤の脳裏にしっかりとオーダーを焼き付けるかのように一語一語鋭く発音した。略称も使わずにである。ねぼけまなこの工藤。見るとウェイトレスの沼尻の様子が妙だ。
 「どした?」
 「なんかやばげな客。オーダー間違えないでくださいよ。なんつーか、なんかあったら怖そうな奴だから」
 工藤はレジの方に向かいながら小声で聞いた。
 「やーさん?」
 「そうじゃないけど。でも、な〜んかやばげ。切れたらどうしようって感じ」
 ウェイトレス歴2年の沼尻洋子。彼女の茂木に対するカンは正しかった。


第三章


 ホームの丸時計が7時45分になった。そろそろ行くか。加賀壬は立ち上がった。ホームから階段を下り、改札に向かう。
 駅前でうろうろしていると、警察やら不良やらに目つけられるんじゃ・・・。そう思った加賀壬が選んだ避難場所は駅のホームだったのだ。改札を抜け、定期入れをしまい、大通りに出る。待ち合わせの場所まではそう遠くない。ちょっと早く着いちゃうかなぁ。加賀壬はそう思って歩みを遅めた。
 指定時間は8時。早く着いてあいつを待つのもいやだし、待たせて怒鳴りゃがるのもシャクだし。そう思った加賀壬は8時ぴったりに着いてやろう。そう判断したのだった。
 この大通りは休日ならこの時間でも人の波にあふれるのだが、今はまばらである。通勤通学者はこの一つ隣、商店街のアーケードを歩くのが普通なのだ。そこならほとんど信号に邪魔されることはないのだから。そのため大通りに車はびゅんびゅん飛び交っているのだが、歩行者はさほど多くない。
 人がまばらな結果、楽器店の看板が見えてきた時、加賀壬の目はすぐに目標を発見した。シャッターによりかかる小さな姿を。
 なんかすごいとこにいるなぁ。そう加賀壬は思った。楽器店はすでに閉店している。しかし、灯りはまだこうこうと照らされており、店の前面、シャッターの支柱に背をもたれているその姿は目立つことこの上なかった。私なら恥ずかしくってあそこには立たんなぁ。そう加賀壬が思うほど、何本ものスポットライトを浴びながら、つばさが道を見ている。

 一度帰宅したのであろう彼女は私服だ。いつもは二つに分けた髪もストレートに戻してある。ツインテール状態ですらかなり長いその髪は、今や膝下どころかふくらはぎにまで届いている。元からつばさは小柄だが、ジャンパースカートに身を包み、髪もストレートになるとすっかり中学、いや、小学生だ。歩きながら見つめていると、向こうも気が付いたようだ。加賀壬を見返し、ちょっと小首をかしげたのは彼女が制服のままだったからだろうか。もともと地元生が多く、電車組は少ないのだ。彼等からすると、夜8時の待ち合わせは帰宅して食事を採ってから来る時間なのかもしれない。
 つばさに近づきながら加賀壬は向こうの動きを見守っていた。もう普通に声が届く距離だ。しかし、つばさはこちらを見たまま。今更挨拶なんかしたくもないが、多分向こうも同感なのだろう。しかし、ヘルメットを渡して、はいさよなら、というのは我慢できることではない。あのメッセージの謎を解明するまでは。あの<陰険ちび>に<お願い>とまで書かせた真意を。
 つばさが動き出す気配がないのを感じ、加賀壬は立ち止まった。その距離3メートルほど。向こうが発言する気がないのなら仕方ない、こんな所に呼び出して、とまずは文句を付けようと思った矢先。加賀壬の口元が開いたのを合図にするかのように、つばさがくるっと向きを変えた。そしてそのまま楽器店の角を曲がって歩いてゆく。
 なるほど。口をきく気もないってか。人を呼びだしといてそういう態度で来るのか。立ち止まったままの加賀壬はそのまま今来た道を引き返し、帰ろうと思った。こんなとこまでバカ正直にきたのが間違いだった。あの<陰険ちび>に関わったのがそもそも間違いだったのだ。
 その時、つばさが立ち止まり、こちらを見た。丁度いい、奴の視線の中で向きを変えて帰ってやれ。そう思ってふっと口元に嫌みな笑みを浮かべ、加賀壬が踵を返そうとした時だ。つばさがまたちょっと小首を傾げた。その姿は、なんというか無邪気そのもの。子猫を彷彿させる仕草だ。「どうしたの?」という声まで聞こえたような気がした。つばさは加賀壬がきょとん、とこちらに見とれているのを確認すると、また歩き出す。そして次の角を曲がった。
 視界から消えるつばさ。
 ふぅ。
 毒気を抜かれた加賀壬は小さくため息をついた。
 「分かった分かった、乗ってやるよ」
 肩をすくめて加賀壬はつばさの消えた方に歩いていった。
 つばさはその後は振り返る事もなく、すたすたと歩いている。歩道橋を渡り、繁華街を抜けて進む。加賀壬は頭の中で地図を思い描いてみた。このまま行くと南口ニュータウンの方向だろう。しかし、鉄道の架線があるはずなので、西にある立体交差を越えるのだろうか。だが、それなら待ち合わせは南口だったはずだ。さて、どこに行こうというんだろう。
 その時、つばさが急に右に曲がった。小さな階段を上り、建物に入っていくのだ。ふっとその建物を振り仰ぐ加賀壬。この辺には来たことがないが、電車から見える大きな薄紫色の高級マンションだと理解した。もしや、ここにつばさの家があるのだろうか。もしそうならつばさは、いや神宮司家は大層な資産家だ。電車から見える限り、ここが1,2を争う高級、いや、超高級マンションなのは間違いないからだ。
 植え込みの脇を回り、つばさが消えた門に入る。自動ドアが開き、その先に重おもしい扉がある。その脇に立ち、加賀壬を待っていたつばさがカードを差し込み、IDを打ち込むと扉がするするっと左右に開いた。すっとその奥、シャンデリアもまばゆいホールに進むつばさ。ここでとろさを路程したくない加賀壬は早足に扉を越えた。三階までぶち抜きらしいそのホールには10台ものエレベーターが奥に見えた。その一番手前のに進み、また壁面にあるリーダーにカードを差し込むつばさ。どうやらこれは居住者専用らしい。
 加賀壬がつばさの隣に来た時、丁度エレベーターの扉が開いた。無言のまま乗り込む二人。複雑な模様の施された小さな室内。アールヌーボー調っていうのかな。そう加賀壬が思い天井までの装飾を見ている間につばさが目的階のボタンを押した気配もないまま、エレベーターが動き出したらしい。
 空調のかすかな音がするだけで、実際には動いている感触はない。加賀壬は個室の奥に立ち、扉を見つめている。つばさも無言のまま、扉のすぐ横に立っている。数秒後。動き出した時同様に、微動だにしないまま目的階に到着した。
 エレベーターが開くと、そこも同じ装飾の成された小部屋に見えた。しかし、その正面には門扉があり、インターフォンにドアノッカーまで付いている。そう、そこは玄関だった。読みづらい字体ではあったが、神宮司と確かに書かれた表札を見いだした加賀壬は面くらった。
 つばさは今度は鍵を出した。その細長く四角い鍵には見覚えがある。生徒会室のものと同じセキュリティーシステムらしい。ここも本条関連の建物なのだろう。
 その扉は自動ドアではなく、普通に引いて開ける物だった。つばさが扉を支え、加賀壬を迎え入れる。中はすっかり普通の玄関だった。右手に靴箱があり、傘立てには数本傘がさしてあった。左手には大きな額縁に入った人物画。これもアールヌーボーだ。玄関の正面には廊下が伸びているがその幅は加賀壬の部屋より広い。その壁面に大きなきのこを模したランプが灯っていた。これは美術の教科書で見たことがある。フランスだかオーストリアだかの、有名な工房の物だ。こんなに大きかったのか。加賀壬がちょっと見とれているうちに、つばさがかがんで白いスリッパを加賀壬の前に差し出した。その行為に加賀壬はきょとんとなった。
 放っておくと土足で上がりそうだからね、これ履け、という感じではない。来客にスリッパを勧める。そんな、まるで普通の家人の対応だったからだ。ついでさらに困惑した。つばさがにこっと微笑んだ事で。そして追い打ちを掛ける台詞。
 「いらっしゃい、加賀壬さん」
 一瞬の後。加賀壬は全身に鳥肌がたったのを感じた。
 こ、こいつ、家族の前では猫被るタイプだったのか!
 唖然と言うか仰天というか。たちすくむ加賀壬を残し、つばさは廊下の奥に進む。んもう、どうにでもなれ! 加賀壬はあきれ顔になりスリッパに履き替えた。
 廊下を進むと左右に扉があり、つばさはその右のを開けた。その先はまた廊下。その間、左右に扉がある以上部屋なのだろう。その先、さらに廊下が続いているのを見て、加賀壬はやっと理解した。電車から見える薄紫色のばかでかい高級マンション。神宮司家はその1フロアそのままの大きさがある事に。
 ぺたぺたスリッパの音をたてながら進む加賀壬。音一つさせずに歩くつばさ。着いたのは廊下の突き当たりの部屋だった。つばさがその脇にあるコンソールにキーを差し込む。加賀壬は扉の前に立って笑い出したくなるのをこらえた。今までのは木製の普通の扉っぽかった。しかし、今加賀壬の前にはにぶい光沢を放つ、金属製の扉があった。ガコンという機械音と共に、真ん中から左右に開き、壁に消えるその姿は、すっかりエアロックか何かのようだった。
 「ただいま〜」とつばさが言い、中に入る。ほの暗い廊下から来た加賀壬には、室内は光の放流に見えた。ぱっと見、そこはかなり狭い部屋に見えた。だが中に一歩入った加賀壬はあまりに無数のラックに占領され、狭く見えるだけだということに気が付いた。多分12畳くらいはあるだろうその部屋は機械だらけのラックに占められ、4畳半程度しか人の動けるスペースがない。
 中に入ると正面の椅子に座っていた白衣のつばさが振り返った。無言のまま右手を差し出す。
 「は?」
 今日何度目かの思考停止に陥る加賀壬。自分のすぐ右にはストレートヘアで私服のつばさ。そして正面にはツインテールで白衣のつばさ。
 さ、さすがはマッドサイエンティスト。クローン? まさかメイドロボット?
 加賀壬が神宮司つばさをどう考えているのかは推して知るべし。彼女にはこの場を説明するごく普通のアイディア、双子というのは全く脳裏に浮かばなかったのだ。


第四章


 北村は自室のベッドに腰掛け、黙したままじっと考え込んでいた。あれはミスだった。超常現象の件はあくまで非公式な、いわば「裏」のもの。一般人に聞かれてよいものではない。誰がいるのかも分からない町中で相談を受けたのは失敗だった。なんというか、学校では黙認というか暗黙の了解があった。それが当たり前に、慣れっこになっていたのだろう。甘かった。
 もともと、喫茶店に入った時には超常がらみだという確証はなかった。けれでも、十分に予測できたことだし、その予感もあったのだ。それでもその場所に喫茶店を選んだのがミス。そして周囲の確認を徹底しなかったのは大ミスだった。
 会長に電話しようか。何度目かのその考えを、北村はまたうち消した。校内活動でもないし、なによりまだ実体もつかめていない。
 まずは事態を確認してから。北村はそう結論し、今夜持っていく装備を考えることにした。
 ちゃんとした探索でもなければ、なにより魔性の巣に行くわけでもない。あくまでも調査というか、この目で見、耳で聞く、そういう段階にすぎない。
 デジカメでいいかな。そう一旦は思ったが、やはりフィルムの一眼レフで行こうと考え直した。とはいえ、軽装でいいだろう。ストロボは探索に持って行くグリップ式の物ではなく、カメラのホットシューに直接付けるクリップオン式でよかろう。これで大幅に軽量化できる。昔使っていた方とは固定方法が違うので、買い換えたメイン機用のを引っ張り出した。グリップ式のよりは小さいが、カメラの上部に延びるため、かえってバランスがとりにくい。だが、まぁ折角買ったのだし、使ってみようかな。そんな気になった北村は単三アルカリの予備を机から出し、小さい方のドンケバックにしまった。
 ついでレンズだ。超広角一本、広角寄りの標準ズーム系一本、望遠ズーム一本。そう考えたが、ストロボ光量が低いのでF値の低いズームに不安が残る。撮影対象が何なのかも分かっていない以上、万能を考慮し、ズームにしたいところなのだが。そこでふっと考えてみた。何を撮ろうというのだろう、と。中野の父親? いや、まさかな。一度彼女の家で見かけただけのその人物にストロボを浴びせ、憑依霊をあぶり出す、なんてのはプロにしかできないことだ。よくよく考えてみると、一眼レフを持ち込む必要は何もない。重いだけ損だ、やはりデジカメに・・・。
 しばし熟考。結局、出た答えはこうだった。
 「カメラマンが愛機置いてっちゃダメっしょ」
 北村はデジカメをきっぱり諦め、フィルム一眼レフに絞り直した。
 「デジタル1眼、買うべきだったかなぁ・・・。ちょっとレンズにお金そそぎすぎたなぁ・・・」
 臨時収入に有頂天になり、「今欲しい物」を買いまくった結果がこれだ。「この先で必要な物」も考えるべきだった。ぼやきながら保湿ケースから出したのはノクトを中心に28/1.4、135/2の三本。明るさならこれでいいだろう。そうは思ったが、もうちょっと幅がほしかった。24/2.8、200/2.8。計5本だ。これにサブボディを入れると、ちょっとした撮影旅行セットになる。揃えてみると大業すぎる感がある。友人宅に行くのにこれはなぁ・・・。
 「やめやめ。バックに入るくらいにしよっと」
 ノクトをメインにするのを変更して大口径ズームにすれば選択も楽なのだが、やはり深夜出歩くにはノクトは手放せない。これはもう習性だった。ノクトは点光源からの邪魔な光の拡散を押さえた、いわば暗所専用レンズだ。小夜曲、ノクターンのノクト。超常研のノクト・プラズマ・ビジョンもそうだが、「夜」の名を持つレンズなのだ。
 このレンズはものすごくピントリングの移動幅が大きい。つまり、ごくごく微妙なピントが出せるのだ。左右に回すとあっというまに最短から無限まで移動する最新の標準レンズとは比較にならない信頼性。それがあるような気がしている北村には夜間撮影=ノクトの公式ができていた。考えた末、選んだのは28/1.4、ノクト、80−200/2.8の三本になった。これがよさそうだ。そうは思ったが、今一番のお気に入り、サンニッパも持ち込みたかった。そのばかでかいレンズは普通三脚なしに持ち歩くものではない。少なくとも彼女のような体力勝負からは遠い人間にとっては、だが。悩みに悩む北村。すでに今夜の問題も、先ほどの喫茶店でのミスも頭にないようだった。

 その頃。本条も悩んでいた。今夜からの合宿のため、彼女は既に宿泊地で一行を待っていたのだが、のんびりと待っているわけにはいかなくなりそうだった。部下に次々と電話して状況を確認する。盗聴を恐れ、専用の携帯電話で、だ。最後にまずかけたことのない番号を呼び出した。直接彼にかけたのは祖母の葬儀以来だろうか。挨拶を交わした後、辛辣な口調で話し出す本条百合恵。しかし、この相手には軽いジャブ程度の効果もなかったが。
 「なるほど。ではそちらはお任せしましょう。しかし、経理以外にからんでくると問題です」
 「大問題だね、それは」
 携帯でつながっている相手は本条の声に同意を示した。その相手。本条百合恵が目下、最大のライバルと認識している者。一条雅臣である。
 一条家は本条分家筋の代表格だ。両家はもともと販売と製造という分担で明治期には同格といってよかったのだが、製糸業から業務転換した際、精密機械から電子に向かった本条と、軽機械から重機械に向かった一条という選択で現在の力関係は決定された。
 本条総家の先代は百合恵の祖父である。没後、その息子、つまり百合恵の父が当主になった。しかし彼は堅実ではあるが際だった商才に欠けていたため、祖母が89歳で亡くなるまで舵を取り続けた。祖母の采配は世の動きを先読みし、攻撃的で野心的であり続けた。現当主は祖母の死後、大ハズレはないが大アタリもないという経営を続けている。おかげで重鎮たちからは疎んじられ「今の総家は本条にあらず」とまで陰口を叩かれている始末。実際、現当主自身、指導者としての腕を磨く機会を長く持たなかったこともあり、己を「中継役」と考えている節すらある。
 百合恵は若い頃の祖母に生き写しと言われている。見た目だけではなく、その非凡な才覚も、カリスマもである。そのため百合恵は本家期待のプリンセスと言えよう。結果、彼女は急進派であるが、総家の保守派たる重鎮の支持を得ている。急進を保守が指示するのも奇妙な話なのだが、「革新こそ本条」が保守派の座右の銘だったのだ。
 一方分家の勢力をまとめる一条は通常の意味での保守派といえよう。大きな博打を打つことはなく、今ある商いからどれだけ利益を増やせるか。それこそ雅臣の得意とする手法だ。その堅実な手腕は高く評価されており、分家筋にとってはまさにプリンスであった。
 一条のプリンスと、彼より5歳若い本条のプリンセス。幼少時から二人の婚姻による両家統合話があったのだが、それが二人の仲をこじらせた。
 「あいつにだけは負けられない」。
 事あるごとに親類から比較され続けてきた二人は互いにすぐ側にいるライバルとなり、結果、今や電話すら滅多にないという間柄となっていた。しかし。今百合恵が頭を悩ませている事態はその「滅多にない」事である。彼女は間接報告に満足せず、当の本人から情報を聞くしかないと結論したのだった。
 一条正臣はそのオフィスでファイルをめくりながら眉を潜めた。
 「帳簿だけなら何の心配もない。それにこれだけの工事だ、用地の件で波紋がでるのは覚悟の上だからね、その点での対応はやっていた。しかし今日来た記者、彼はまずいよ。今までのような一面的な見方じゃない。ああいう輩がしゃしゃり出てくると、いつか掴まれる」
 現在、一条電鉄の専務という職にある彼は、今回の地下鉄工事、環状線整備の責任者だ。特にもともと広報担当でもあるので、マスコミからのアポは山のようにある。その経験上、今日会った男があまりに危険だと確信していた。それゆえに、本条に至急報を送ったのだ。
 記者が嗅ぎ回っている。その通達は百合恵を悩ませた。そんなこと、一々報告する必要もないことだ。しかも探っているのは隠さねばならない事象でもない。なのに雅臣は至急報を送ってきた。来週の理事会までも待てない事ことだ、と。
 一条が見つめるファイルにはフリーライター兼カメラマン、茂木健造の写真がある。去年のクリスマス頃、赤丸急上昇中のアイドルが軽いむちうち症になった交通事故があった。その時ハンドルを握っていたのがマネージャーではなく、無免許のアイドル本人だったと暴いたのが茂木だ。六年前、時の大臣を退任に追い込んだスキャンダルも、三年前の大学学長の変死事件も彼が証拠を掴んだ。
 「困ったタイプだよ。買収、説得、脅迫。いずれも効かないね、あの手は。逆に反発するだろう。経済措置でじわじわやるしかない。しかも追いつめると窮鼠猫をってことになる。そんな奴だよ。
 そっちはどうだった?」
 「社長の方は、そうですね、ゲリラ的な報道屋。そういう感じだとか。百池の印象では隠蔽をあばく事だけが目的で、その結果起きる事象には興味なしというタイプだと。危険度としては低そうです。先月から百池、世島、大嶋たちの一派に接触していたのは真声ネットがらみと見て間違いないでしょう。かなり手広くあたってますね。例の盗聴器の件もおそらくそうでしょう」
 一条家に日頃敵対してる三人の名前を聞いて、携帯から苦笑が漏れる。
 「分家VS本家抗争バレバレだな。あの石頭たちの口から何も出てこないことを祈ろう」
 「何か出たとしたらそちらの責任です、雅臣。一条の問題を本条に飛び火させない事。これは本条からの指示です」
 「了解、従兄弟殿。
 だが、火が付くとしたらうちじゃない。そっちだよ。ああいう手合いは無秩序な情報からずばり、真相を引き出す。これまでのように政治的、金銭的対応ではすまないタイプだ」
 百合恵はその言葉を予期していたように即答した。
 「対処済みです。工事の様に目立つことさえなければ、元々目を付けられることも無かったのですから」
 その工期短縮を命じたのはそっちだろ、と一条は口元を歪め、あざ笑いの表情になる。しかし、出た言葉にあざけりの音は残っていない。
 「その点は認識しているつもりだよ」
 「工事から出る火種で一条が注目される。結果、一条と本条の火種が暴かれる。ここまではよしとしましょう。対策も可能です」
 「だが本条からあちらとつながるのは阻止せねばならない。その認識は双方合意だ」
 「それだけは本条、一条に限らず、世の全ての者が合意するでしょう。事実を知ったら、の話ですが」
 「うちから漏れることはない。僕が誓おう、僕の名に賭けてね」
 「一条程度の名では不本意ですが、その言は忘れませんよ、雅臣」
 「他に賭けるものを知らないのでね、分家風情では。じゃ報告は水曜にそちらで」
 「期待しています」
 一条雅臣は携帯をしまうとファイルをばさり、と閉じた。立ち上がり、背を伸ばすと壁面にかかっている環状線完成予想図を見つめた。
 一条家のみならず本条関連全ての中心である街。その周囲を二重の円を描くように建設中の地下鉄群。ここには書かれていないが、既に完成している国道はその円に螺旋を描くように重なっている。地図のとうり、北を上にしていては気づかないが、零上川上流に角度を会わせ、その支流、零途根川の用水も書き込めば、それはくっきりと姿を現す。一点を中心とした巨大な図形。美咲の山に眠る東洋で最大最悪のゲートを封じる魔封陣が。 
 「美咲一族と接触しすぎだよ、百合恵お嬢様。彼らとは付かず離れず、でないとねぇ・・・」


第四章


 「わりぃがやっぱりパスだなぁ」
 茂木(もてぎ)は窓の外を眺めながら答えた。
 「なんでだよ、もてっちゃん、なんか掴んだんだろ、一条で」
 三人はファミレスに場所を移していた。三階にあるここの窓から町並みを見つめる茂木。昔の精悍さは早くも始まった中年太りにかき消されたかのようだが、相変わらずのポーカーフェイスぶりでその表情からは何も伺えない。社長の吉田は憮然とした顔で説明を求めていた。一方、樅塚は茂木が断れば自分の出番があるかも、とジョッキを抱えながら期待のまなざしを隠せない。
 「なんつぅかさぁ・・・やる気起きないんだよね。そんだけ」
 呆れ顔になる吉田。ガラスに映ったその顔を無視して茂木が続ける。
 「確かになんかあるわな、あそこ。でも、お家騒動なんてモンどこにでもありそうだしさぁ。どうせ大ネタにはならないと思うよ」
 「そ、そんな事ないっすよ、絶対でかネタっす、絶対!」
 勢い込む樅塚を片手で制し、吉田が茂木に顔を近づける。
 「大ネタじゃなくってもいいんだよ。きっかけ、とっかかり。何でもいいんだ。定番のお家騒動だけじゃないよ、あそこ。別のなんかがあるよ。
 頼むよもてっちゃん、このとうりだ」
 「さなちゃんならやれるだろ?」と投げやり気味に言う茂木。
 佐名淑子の名を出され、吉田と樅塚は一瞬目を合わせ、困り顔になった。その後で吉田は首を振った。樅塚の先輩にあたる彼女は昨日、渋谷の事務所に戻されていたのだ。
 「盗聴器ばれちゃってさ、さなちゃん仕掛けたの。素性はバレてないと思うんだけどね、念のため帰したんだよ。この件ではもう動けないんだよね、あの子」
 茂木は無言のままだった。彼はその小さめな目で、地方都市特有の混沌と秩序が同居する町並みをぼーっと眺めていた。

 その視線の彼方。ビル街に視界を阻まれた先にあるマンションで。加賀壬は未だ困惑から立ち直っていなかった。
 白衣のつばさにヘルメットを手渡した後。私服と白衣は二人してその寸法を測り、ノートパソコン用の薄型HDのような物を内側に置きながら相談を繰り返していた。
 「これだけあれば楽勝ね、左右にも付けられそう」と白衣。軽く首を振って否定するのは私服だ。
 「だめだめ、このタイプはヘルメットを宙づりにしないとダメなの」
 「宙づり? 何それ?」
 「衝撃緩和のためにね、頭部とは接触させないの。そのための構造だから、隙間がいるの」
 私服は白衣の前にあるマウスを手にし、モニタに写っている3D画面にラインを引いた。
 「これくらいしか空かないよ。ぎりぎりね」
 「えぇ〜、いいよ、そんなの。そんな無駄あっても・・・」
 「だぁめ。頭部保護がヘルメットのお仕事だもん。
 二重にしちゃうともっと狭くなるから、そうね、ユニット削ってみるね、グラインダでぎりぎりまで」
 「無通電用のOS、RoMにするでしょ、それとは別にメモリ二本は欲しいから1.2でもつらいよ」
 つばさたちの会話を聞く限り、どうやら今の会話では白衣がソフト担当、私服がハード担当のようだ。
 と、不意に忘れ去られていた加賀壬に私服が振り返った。
 「こっち。頭部形状、スキャンするの」
 わけがわからず、隣の部屋に連行される加賀壬。髪の毛をシャワーキャップの様な物でまとめられ、レントゲン風の機械の前に座らされた。ちょっと不安だった加賀壬に私服が微笑みを向ける。<陰険ちび>の微笑み・・・。加賀壬の蘇りかけた思考は再び停止した。

 それがようやく復帰したのはオムライスを食べ終わった頃だった。ぐ〜っと加賀壬のお腹が鳴ったので私服が作ってくれたのだ。ルコラ草のサラダに鳥肉と野菜の炒め物、コンソメスープも添えられたその夕食は満足度・花丸付きだった。
 私服は作業の邪魔だったのか、その長い髪を一つに束ねていた。襟の後ろで白い大きめのリボンを使い、ゆったり風にまとめている。彼女はカフェオレボウルをテーブルに置くと、金属製のポットを両手に一つずつ掴み、徐々に高くかざしながら一緒に注いでいく。褐色と乳白色の液体が二本の見事なラインを描いて流れ、香りと共に混ざっていった。
 豊かに泡立つ液体を味わいながら、加賀壬は目の前に座っている私服を見つめていた。見た目は白衣とそっくりだったが、頬のあたりのラインが微妙に違うような気もした。まぁじっくりとつばさを観察したこともないし、する気ももちろんなかったので、あくまで「気がした」程度だが。しかし、その目は白衣とは全く違っている。それは確信できた。今目の前にいて、加賀壬の視線に気づいて微笑む彼女からは白眼視という感がないのだ。加賀壬は両手で支えていたカフェオレボウルを一旦置くと私服に尋ねてみた。
 「あなた、誰?」
 ちょっと目を開いて私服が答える。
 「しずく。神宮司しずく。つーちゃんの姉」
 そう答えてまた微笑むと、彼女はカフェオレを静かに味わっている。
 双子かな? 加賀壬はようやくそこにたどり着いた。つーちゃん=つばさの図式も浮かんだ。
 滴と翼。いい名前だな。そう加賀壬は思った。自分は宏子。なんだかどこにでもある名前だ。しずくとつばさ。単独ではちょっと軽い名前の印象も受けるが、二つ並べるとセットになっているのが面白い。水と空か。あ、じゃもしかして、と加賀壬は思いついた。
 「他には姉妹は?」
 「水はいないの」と私服、改めしずく。
 「水? それはしずくさんじゃ・・・」と、加賀壬は頭上におっきな?を出した状態。
 「翼は空を切り裂くもの。滴は大地を穿つもの。三つ子だったんだけど、一人生まれて来なかったから、水に挑むものはいないの」
 加賀壬は困ってしまった。名前の解釈も予想外だったし、生まれてこなかったとさらっと言われてしまったし。そんな加賀壬を置いて、しずくが続けた。
 「三人目の名前も付けてあったみたいだけど、教えてくれない。つーちゃんと予想してみたことあったけど。
 多分三文字で水に挑むんだから、モーゼとか筏とか。私は舳先だと思うの」
 「へさき? 神宮司へさき・・・はちょっと・・・」
 加賀壬がそう答えた時だ、唐突に背後から声がした。
 「くーちゃん、起動したよ」
 立ち上がるしずく。振り向く加賀壬。その声は壁に埋め込まれたスピーカーから流れたらしい。それを確認している間にしずくは食器をかたして戻ってきた。手伝えばよかったかと思う加賀壬に、しずくはまた微笑んでドアへと招く。
 二人が先ほどの部屋に戻ると、白衣、いやつばさが小型のHDを二つ繋げたような金属製の小箱を差し出した。
 「やってみて」
 しずくはうなづいて受け取ると、ヘルメットを持って退出した。
 ガコン、という機械音がし、扉が閉まると加賀壬はつばさと向かい合った。聞きたいことは山ほどある。しかし、まずはこれだ。
 「先輩に内緒なわけ?」
 その声は低く、部屋中に満ちるかすかな機械音にとけ込みそうだった。
 つばさは加賀壬を見た。座っている状態なので、見上げた、であろう。その上目使いは白眼視そのものだ。
 「あんたにはフレア、それも最新型のフレアMk.IVが支給される。私はデータを得る。それが不満?」
 ゆっくりと腕組みする加賀壬宏子。
 「不満はないよ。ただし、それが超常研の正規の取り決めなら、ね」
 「ふっ」と鼻で笑うつばさ。やはりそう来たか、と。しかし既にその説明も考案ずみだ。
 「もともとフレアの支給は精進室長の立案。超常研の会長に正式に依頼したもの。
 で、今回は私からの立案。二度目だからね、あんたに直、でもいいでしょ」
 これは一種のカマかけだ。話の方向を一方向に固定するための。
 「お断り」
 加賀壬が無表情のまま放つその言葉は、つばさには予想どおりの反応だった。
 「前回と今回。大きくその目的が異なるって、理解できてる? あんた」
 つばさは左手に持ったスタイラスペンをくるくるっと回した。
 「前回はフレアが得るデータの確認、つまり実用試験。今回はそのデータを基にした量産型の試用試験。簡単に言えば前回は精進室長のアイディアを具現化したもの。実用になると判明したところで終了なの。で、今回のはその応用ね」
 加賀壬はその言葉をじっくりと吟味するように、頭の中で反復してみた。どうやらそこには疑問の発生点がない。というより、その説明では最初の加賀壬の質問には答えていないと判断した。
 「何故先輩に内緒なわけ?」
 加賀壬が再びその問いを発した。
 つばさは大きく両手を広げるジェスチャーをしてみせた。内心笑い出しそうになるのをこらえながら。
 「分かんない? まぁ仕方ないかもね、あんたのおつむじゃ。
 実用可能が証明された。そこで室長たちにとってはフレアの実験は終了なの。なぜなら今はまだ開発段階にないから。今フレアを実用化しても意味がないからね、室長には」
 加賀壬の細い眉が微妙に動いた。
 「何故?」
 「室長にとってフレアは<くみちゃん>シリーズのオプションだからよ」
 今度は眼鏡の奥で加賀壬の目が少し細まった。それを見て取ったつばさはスタイラスペンをくるくると回しながら笑みを堪えた。これだから単細胞は誘導しやすい、と思いながら。
 「<くみちゃん3.5系>、これは特定波動測定装置。魔性の出現をいち早く発見する装置。でもこれはネットワークを組んでこそ意味のある物。守るべき場所に魔性が進入して、始めて対応開始では遅いんだから。今の測定装置はいわばサーバーの役割をするの。これを拠点に備え、無数の端末子機でその周囲を埋め尽くし、進入ではなく、接近を予測する早期警戒システムが本来の使用方法なのよ。でも端末では発見できても解析できない。さらに位置の特定も個体数の確認もね。範囲内に魔性の反応があるかないか。0か1かの判断、それしかできない。それ以上の機能をつけたら電源も大がかりになるし、なにより安価量産ができなくなるから。そこで波動以外、既存の方式でのオプションが企画されたわ。
 端末が反応関知した時。サーバーに通知するだけではなく、対象を発見し、モニタし、追尾する。それがフレアの仕事ってわけ。わかる? 耳にあたる端末からの信号を受け、全周を策敵、その姿を記録し追尾するまでをオートで行う、いわば目なのよ。それが室長の求めるフレアの機能。フレアは端末に組み込まれる一機能なの。だから端末の電圧もソケット、コネクタ、なによりフレームも未定な現段階でフレアの開発は意味がないの。
 だからね、だからフレアの開発は・・・中断になった」
 つばさはそこまで一気に告げ加賀壬の顔をみつめた。ついてきているかどうかは不明だが、その顔に混乱はみえない。そこでスタイラスペンをぽん、と机に投げ出し、なげやりな態度を見せつけた。
 「一時開発中止? 冗談じゃない! 全く分かってない。確かに室長は天才よ。でもフレアの価値が全然分かってない。そうでしょ!」
 ついでいらついた口調でしゃべるつばさ。ここで加賀壬を引き込まなければならないのだ。
 「<クミコちゃん>、つまり端末の完成なんか、待ってる必要ないのよ。今、現にすぐ利用できる。室長のフレアは待ち受ける目。でもそれだけじゃない、フレアは<くみちゃん>本体なしでも敵を見つけに行く目にもなりうる! 人間が持っていけばいいのよ、そうでしょ?
 実際、あんたたち全員の分量産できたら。そうしたらどれだけ有利になるか! それが・・・」
 「待って。そうしない理由は?」と加賀壬はつばさをさえぎって問いかけた。
 「理由? 簡単よ、コストの問題!」
 つばさは右手でほおづえをついた。やるせなさの演出だ。口調をゆっくりと替え、はきだすように告げる。
 「レンズとレーザー増幅器がね、既存のじゃダメなのよ。数十、数百の量じゃコストは下げられない。上がる一方。だから中止だって」
 加賀壬はしばし思考に入った。つばさも沈黙を守るが、苦虫をかみつぶした表情を作っていた。
 「先輩たちの実験が成功したからフレアは開発中断。あんたのフレアも量産不能な以上頓挫。で、なんで私に?」
 加賀壬のその問いかけは、つばさのそこまでの説明を信じた上でのものといえよう。そう判断したつばさは、また呆れ気味に両手を広げてみせた。
 「なんでそんな簡単な事、わかんないの? いい、開発は止めちゃったら、再度始める時には1から再スタート、じゃなくて0からなの! なぜなら状況は刻一刻と変わるから。試作品に使用したパーツ、再開時にあると思う? 記憶メディアだって数年先ではがらりと性能変わってるわ。時代の流れにあわせて対応するのは簡単。同時にどんどん安定化していく。でも一時代前のものを急遽現状にあわせるのは、新規で設計し直した方がいいの。結果、0からスタートになり、またテストを繰り返さないと完成品には至らない。
 でも今ならデータがある。得たデータがある! その信憑性の低いところをばっさり切り捨てても、次のステップに向かうには十分なデータが!
 一旦中止して、後から再開発なんてしてたら結果的に高くつくのよ、時間も資金も。そう資金。開発継続に資金がかかりすぎるならあたしがやるわ。あたしの口座から出して続けるわよ! プラズマ研究室の予算がないなら、あたしが出すわ!」
 「なんで? なんであんたがそこまでこだわるの、フレアに。香坂先輩に内緒にしてまで」
 加賀壬の言葉に唖然とするつばさ。わき上がる怒りを抑えるかのように目をそらし、大きくため息をつく。その行動の中でつばさは加賀壬の後方、ドアの上にあるサブモニタをちらりと見た。そこには被っていたヘルメットを脱ぎ、最終チェックを終えた姉が写っていた。そろそろかな? つばさは最後の畳みかけに入った。
 「理由? 理由!?
 簡単よ! データがあるからよ! ここにデータがあるからよ! 室長はデータがとれればOKだった。自分のアイディアが実用可能だって分かった事で満足だった。でも、それじゃデータは? データは生きてないでしょ!」
 右手でコンピューターを示す。
 「ここにあるの、私が準備して、あんたが取ってきたデータがあるの。どこを強化すべきだったか、何が不要だったか。どうしたら堅牢になるのか。そうした結果、完成に至る道。データがそれを示してる!
 それを生かさなくて、何が研究者よ! 室長のアイディアをまとめた<見回し君>、つまりフレアMk.Iは3Dデータ上の存在だった。それを既存のパーツで即実用化させたMk.IIは、あんたの使ったフレアはあくまで試作品。稼働をみるための試作品。混沌の固まり。でも私が設計したMk.IIIは<クミコちゃん>との連携を無視した。あくまでフレアの精度と確実動作を求めたから。そしてMk.IIの実戦データがある。それをフィードバックして、Mk.IIIはMk.IVになった! IIIはIIの発展。でもIVは、このフレアは違う。専用OSを乗せて自己制御する完全新設計。
 スイッチが入ったらデータとりっぱなし。スイッチが切れたら沈黙。そういう単なる道具じゃない。自分で調整するの。精進室長は物理の人。ハード的に問題を解決した。でも私は思いついた。フレアを管理するOSを! データを見て思いついたのよ、Mk.IVを!
 見なさい! これがフレア。私のMk.IV!」
 ドアが開き、入室してきたしずくが手にするヘルメットを指さすつばさ。
 加賀壬のヘルメットは前面にライトが付いている。彼女は登山用だと思っていたが、実際には父が若い頃鍾乳洞探検に使っていたものだ。
 今、手渡されたそれのライト部分は横長の長方形になっていた。そこに二個のライトらしい丸ガラス、そして別途小さな穴が空いていた。ライトハウジングの周囲には直径1センチ弱のロールバーが取り囲む様に固定されている。ヘルメットの頂点、左右に細長いでっぱりが伸びていた。そこも含め、全体が元の黄緑色に塗り直されている。まだ溶剤の臭いも少し残っていた。
 ひっくり返して内側を見る加賀壬。ヘルメットの頂点に二個の長方形の金属箱が宙づり状態でななめに固定されており、表面のでっぱりはその端に干渉しないための物だと分かった。その両側面から細くて短いコードが伸び、先端に半円を描く針金の様なものが付いていた。また箱の後方からはスパイラルコードが伸び、こっちの先端には見慣れたバッテリーソケットが付いていた。
 「は? こんだけ?」と思わず口を付く言葉。加賀壬の記憶にあるフレア、つまりMk.IIとやらはヘルメット外周にごてごてと箱やらコードやらがからみつき、フルフェイス状態だったはず。さらにコードも二本伸び、一方はランプのバッテリーに、もう一方はフレアのメインボックスと呼ばれていたメモリーやフレア用のバッテリーとつながっていた。
 「こんだけ? この先は?」
 そう言い、加賀壬はスパイラルコードをつまんで持ち上げた。
 「なかったけど」と、これはしずく。
 「え?」
 「あんた持ってきてなかったでしょ、バッテリー。ヘルメット用の。それに付けるに決まってるでしょ!」
 思わず素の呆れ声になってしまったのはつばさだ。
 「は? じゃこの先はあたしのバッテリーにつなげるだけ? 共有なの?」
 「あたりまえでしょ。分岐後、コード状の変圧器で調整してるの。だって電源二つ持ってく事自体、無駄だって思わない?」
 「あ、そかも。でもそれで持つの? 時間」
 にやりと笑むつばさ。
 「元から付いてた通常光のライトも前にあたしが設計した反射式のに換えたわ。カンデラは1.4倍に上がり、消費電力は逆に25%カットされる。で、フレア。MK.IVの稼働必要電圧はMk.IIの18%! 5分の1以下で稼働するのよ! 結果、一個のバッテリーで最初の状態よりも持続時間は上がってるの」
 つばさは立ち上がって加賀壬の手からメットを受け取った。
 「Mk.IIではモーター駆動部分が多すぎた。でも見て、今回、モーターは一個も使ってないわ。ミラーボックスで乱反射させていた光源システムは廃棄。かわりにあんたの策敵時の虹彩移動から取ったランダムパターンを照射する。拡散、収束の切り替えもレーザー振動部の移動ではなく、それぞれ専用に作った小型のを二種組み込むことで解決。ここね。
 大きさの方は常時データとり続けたのが問題点」
 つばさは言いながらメットをしずくに渡した。彼女はすぐにそれを加賀壬にかぶせると、自分のジャンパースカートのポケットに入れていた小さなバッテリーにソケットをつなげる。
 「MK.IVにはOSがある。各カウント内のデータを順次書き込むのではなく、メモリに一旦記憶させた変化量が3.2リット以内だった場合にはセーブせず、自動的に上書きする。それ以上だった場合に限りセーブするんだけど、それもフレーム単位での変化幅が0.2リット内だった場合、その変化量と持続時間を記憶することでデータを省略するの。毎フレーム毎に全データを記録するんじゃなく、前フレームからの変化量だけをね。これでデータは大幅に軽量化できる。これらの数値は前回のデータで得た誤差範囲から割り出したわ。
 あんたの脳みそで分かるように言えば、なんか見つけた時のデータだけ圧縮記憶して、それ以外は消していくの。OSの自己判断でね。おかげで記憶媒体も大幅に小型化できた。と同時に媒体に書き込む際の電圧もセーブできるってわけ」
 つばさが説明する間にも、しずくがセッティングを進めていく。あご紐が固定され、耳に針金状のセンサーがはめられた。最後にしずくが加賀壬の右手を持ち上げ、耳のセンサーに向けた。
 「これを押して」としずく。加賀壬はセンサーの端、耳たぶの後ろにある突起を押してみた。音もなく、正面、つばさの右の髪に赤い丸が浮かんだ。試しにその状態でじっとしてみるが全く作動音も振動もない。もしかしたら少しはあるのかもしれないが、前回のびりびりしびれる感触に比べたら、0と言っていい。
 「一点に注目して」と言いつつ、つばさが右手の人差し指を加賀壬から少し離して伸ばした。自然に指先を見る加賀壬。右手でヘルメットを押さえて微調整し、そこに光を当てるしずく。
 「じゃ辺りを見回して。策敵よ」
 言われてその姿勢のままきょろきょろと目を動かす。すぐに周囲全体がぼんやりと赤く染まりだした。4、50カ所はあるだろうか。拡散されたノクトプラズマビジョンのレーザードットが周囲に捲き散らかされているのだ。その一つ一つはつばさの指先を照らしていたほどの明るさではないが、この照明だらけの室内でも十分に紅点が分かるほどだった。
 「光量センサーもあるからね、暗い中では照射量は減り、明るいと増える。今は多分最大ね。それもOSにプログラムされてるわ」
 加賀壬はつばさの声を聞きながら、今度はまた彼女の指先に注目した。すぐに反応し、光点が一個に定まる。
 「この状態の方が光量強い?」と加賀壬。
 「拡散、収束それぞれ専用に組んだ照射装置だからね、遠距離に届く。有効照射程は延びて8メートル。拡散時にはMk.IIと同じ3メートルだけど、それで問題ないみたいだからね、データでは。ちなみにあんたの状況によっては両方同時照射する事もありうる。魔性を発見した後でまだ策敵を継続してる場合ね。Mk.IIでは絶対できない芸当よ」
 つばさの声は自信たっぷりだった。まぁ実際にははったりが半分以上だったのだが。確かにMk.IVはMk.IIに比較すると驚異的なまでに小型化が進んでいる。しかし、Mk.IIには各種の測定器がこっそり仕込まれていたのだ。実際、フレア本体はかなり小さいものだった。一方のMK.IVには前回、信憑性の低かった波動データしか記憶されない。しかし、そこは精進一派の秘密である。つばさは大げさに、自信たっぷりに小型化されたフレアを自慢することにしていた。
 「これならあんたの根性なしのへなちょこ体力でもいけるでしょ? どう? 私のMk.IVは!」
 首を振って左右を見回してから加賀壬はセンサーを外し、ヘルメットをとった。手に持つそれは軽い。さっきまで、ヘルメットには旧フレア固定用の支柱とかがついていたのだが、その状態より明らかに軽い。元の重さはもう感覚として覚えていないが、大差無かったのでは、と思うほどだった。
 「う〜ん・・・」
 加賀壬がうなる。この期に及んでまだか、とつばさは不機嫌になったがそれを押し隠した。黙って加賀壬の決断を待つ。
 「データを見てこれを思いついた。でもストップがかかった。んであんたは諦めきれずに思わず作っちゃったわけ?」
 「悪い? データを生かして悪い? 私が自腹で揃えた。OSも自分で組んだ。それが悪い?」
 「ん〜、そうじゃないけど。なんつぅか、あんたってそういう事からは程遠い奴っぽかったからね」
 加賀壬はそのヘルメットを見つめていたが、やがてくるっと振り返り、しずくにそれを手渡した。
 「遅いから帰るわ。終電なくなっちゃう」
 んじゃ、と鞄を背負う加賀壬。つばさは口をあんぐりと開けた。
 「ちょっと、待ちなさい」
 言葉と共に手を伸ばすが、加賀壬はそれを払いのけた。
 「フレア欲しいよ。これはすごくいい物だもん。でも超常研の活動に使用する以上、私が独断で決める事じゃない。副会長に相談してみる」
 きっぱりとした言葉。つばさはぎょっとしてたちすくんだ。
 「何故? これだけの物を見せられて、どうしてそうなるのよ、あんたの思考回路は!」
 その挑発的な言葉にも加賀壬の顔色は変わらない。
 「ちょっと考えてみただけ。あんたを私に置き換えてね。
 私がやってる何かを美咲会長が中止したとするね。そう副会長が私に告げたとして。もちろん私はそれに同意できない、として。
 それでも私は会長に逆らう気にはならない。そう思ったの。こっそり持続するんじゃなくて、個人で続けてもいいかって会長に聞くんじゃないかなって思った。
 だって私なんかには分からない理由を、知らない何かを会長が知ってるかもしれないでしょ? 続けるだけ無駄、あるいは続けるとやばいってなにかを」
 <未知の理由による未知の反応>・・・。香坂の台詞を思い出し、つばさは言葉を失った。
 しずくが扉を開け、加賀壬をマンションの入り口まで見送って帰ってきた。その時にもまだつばさは加賀壬の異常な思考に、いやその愚鈍さに怒りを収めることが出来ていなかった。
 「つーちゃん」
 声をかけられ、悔しさに唇をかみしめたつばさが顔を上げる。しずくはフレアを持ち上げ微笑みながら言った。
 「よかったね。褒められちゃった、いい物だって」
 「くーちゃん、あんたねぇ・・・」
 怒りが、そして力が一気に抜けた。
 



つづく