<超かいき★くえすと>くえすたぁず

 

第二十一話:加賀壬さん困惑す

 

von:秋澤 弘

第一章

 生徒会役員のシュンこと篠木原俊之。彼が生徒会室の鍵を掛けて廊下を歩き出した時、既に夕方というよりは夜に近かった。それも当然、少し前ならもう真っ暗、という時間だった。近く始まる運動部合同合宿の準備でどたばたしていた結果である。最後まで残って施設の使用順番を決めていたシュンが階段を降り掛ける。その時、部室棟の超常研会室に灯りがついているのが見えた。
 「誰かまだいるんだ。ひょっとしてこれからどこかに探索かな?」
 彼は超常研の副会長でもあるが事実上バックアップ役である。会の裏の仕事、魔性戦にも参加しているが、この春から微妙に立場が変わってきていたのだ。主力だった前三年生の卒業後、シュン率いるパーティ・篠木原隊が、事実上エース隊になってしまった。去年は新人王という感じだったのに、いきなりである。そのため、新入生チームを固めるのが先決となっており、篠木原隊は事実上温存状態なのだ。他校からの依頼に応え、出張するのは毎回彼らだが、去年、ぺ〜ぺ〜の仕事として、毎晩の様に地域の学校をパトロールしていたのに対すると、ほぼ後方勤務になったといえる。
 だからシュンは毎日の探索の詳細をあまり知らなかった。そっち方面への補佐はもう一人の副会長、サーがやっていたからだ。シュンの仕事は生徒会を通じ、各部活や学校側と交渉することにある。前生徒会長本条女史が超常研創設にからんでいたことと、近隣の学校の諸事件をあらかた解決したことで暗黙の内に学校側が認可していることもあり、その仕事はさほど難しくはなかった。しかし、通常の生徒会役員としての仕事もある。そのため、いつも帰りは遅いが、今日は特に遅くなってしまった。さっさと帰ろうと思っていたのだが、灯りを見てしまって知らんぷりというのは彼の性格に似合わない。
 受験勉強のため先に帰った生徒会長から預かっている管理棟の鍵で渡り廊下に出て、もう一度しっかりと鍵を降ろす。ここで右に曲がれば靴箱の並ぶ中央棟、左に曲がれば部室棟である。シュンは迷いもせずに左に曲がった。後で後悔することになる選択だったが。

 部室棟にはまだ人の気配があった。だが主に運動部棟の方で、シュンが入った文化部棟は静かだった。その静けさの中で彼は奇妙に思った。灯りが付いているのは間違いなかったから。誰か消し忘れたのだろうか。しかし文化部棟の鍵は開いていた。ふと立ち止まる。まさか。まさか超常現象? 先輩たちの活躍で、ここしばらくこの学校では起きていないはずだ。そう否定的な気持ちではあったが、鞄から殿下の札を出し、上着のポケットにしまう。
 近づいて扉をノックする。返事はなかった。ドアを開け、室内を覗くが無人だ。部屋の中はきちんと整理されていた。書記の朝臣こと宮原が率先し、一年生とこまめに掃除しているお陰である。ロッカー、会議机、畳まれて並んでいるパイプ椅子。一目で無人と分かる。真正面に窓ガラスに映った自分がいるのが唯一の人影である。部室棟は各部屋毎に鍵はかかるが、窓のカーテンは開けておくお約束になっていた。更衣室代わりにする時は別なのだが、文化部棟では大抵開けっ放しだ。外から煌々と蛍光灯がついているのがバレてしまう。このまま帰ったら始末書ものである。
 「誰だ、今日最後に帰ったのは」
 そうつぶやいて電気を消して鍵をかけようかと思った時、会長室の戸が閉まっているのに気が付いた。
 ここは昔写真部の部室で、突き当たりにあった暗室を会長室にしている。管理棟が新築された時、階段下という場所ではあったが新たに暗室ができ、写真部はそこに移動したのだ。狭い、暗いと言われてはいたが、写真部の先輩たちはクーラー完備という贅沢に大喜びで引っ越していったそうだ。シュンは研究会として超常研に参加しているが、部活としては写真部員である。暗室のクーラー確保に至る道のりにはOBの伝説まで出来ており、シュンたちにも伝わっている。

 「真夏の暗室作業は大変なんです!」
 「大変なのはどこも同じだろ? クーラーなんて・・・」
 「じゃ、先生、一度入ってみます? 6時間程。前日から締め切りの部屋に」
 「ばかもの! 先輩たちはみんなパンツ一丁で頑張ってたんだぞ」
 「現在部員は34名。うち女子部員は12名。オレンジの薄暗い作業灯の下、全員パンツ一丁で頑張れ、と。それが学校側の指示ですね。分かりました。そう伝えます」
 「・・・お前なぁ・・・」

 部室新造の審議を議題とした部活動委員会で行われた部長と学校側との対話はしばらく語りぐさになっていたらしい。
 こういった経緯で空いたこの部屋を、酢酸の臭いなどものともしない殿下たち、おば研の創設者連が水面下での交渉の末、奪い取ったのだ。新設会という欠点をものともせず。
 殿下会長が個室を欲しかっただけだろうな。そうシュンは思っていたが。
 その個室。もともと暗室だったので狭い。通気用に換気扇と開閉式の金属板(通称で窓と呼ばれていた)はあるが、基本的に密室だ。よく殿下はここで居眠りをしていたが、美咲会長の代になってから戸はいつも開けられている。それが閉まっているのだ。
 まさか。超常研会員の彼は超常現象よりも怖ろしい事を思い出した。5月頃、OB連中がここでこっそり飲み会をしていたのだ。後で判明し、大騒ぎになった。あれだけ美咲会長に怒られたら普通は二度としない。普通は。しかし、OBたちは普通じゃないし、懲りないことでも有名だ。
 いやーな予感を胸に秘め、シュンはその戸の側に近寄って耳を澄ませた。と、思いがけず機械音がする。パソコンのプリンターだ。そうか、誰か頑張って何かパンフでも作ってるのか。安心したシュンは扉をノックした。
 途端、ばたばたという音が響く。「隠せっ!」という声も。
 「何やってるんだ!」
 怒声と共に戸を開けたシュンは一瞬にしてその勢いを失った。そこには美雪先輩と唐崎先輩、そして殿下(前)会長という3人のOBが、散らかった紙を拾おうと右往左往していたのである。
 「な、何してるんですか、先輩。こんな遅くに」
 そう言った時、足元にある紙が目に付いた。これは・・・。
 「先輩、また勝手に備品で同人誌作ってましたね? 美咲会長に報告しますよ」
 「わーっ、そ、それはタンマ!」と唐崎。彼女は美咲とは全くソリが合わない。
 「だめです」
 「おい眼鏡。お前の発言には二カ所事実に反するとこがあるぞ」
 殿下は開き直ったのか立ち上がると腕組みをした。
 「まず備品というが、紙もインクもちゃんと買ってきてある。それにこのパソコンはもともと精進がいらなくなったのを俺がもらったんだ。だから備品にあたるのは、ま、電気代くらいだ。次にこれは同人誌じゃない。ゲームだ」
 シュンは去年の新入会員オリエンテーリングの時、もうここにいた程殿下とのつき合いも長い。故に殿下の説得も既に全く効果がなかった。
 「ではその二点は修正しましょう。
 先輩、また勝手に会室を私用で使ってましたね。会長に報告します」
 「うぬぅ・・・」
 「やっぱり無許可だったんですね?」
 「しまったぁ、きっぱり嘘つけばよかったぁ!」
 誘導尋問だったと気づいて天を見上げる殿下。呆れながらも困り顔という感じで肩をすくめる美雪。シュンも同じ顔になってため息をついた。
 「ふぅ。
 えっと、後どれくらいかかるんですか?」
 「ん? んーんと15分くらいかな」
 「そだね、もう後4枚だし」と美雪がモニターを見て言った。
 「なるほど。30分から45分ですね」
 「どーしてそーなる!」
 「どうしてだか僕が教えて欲しいです。先輩が1時間といえば、絶対2時間以上かかりますから」
 「・・・。なぁ眼鏡。お前、どんどん美咲化してないか?」と、殿下。
 「お褒めいただきありがとうございます」
 殿下はこの後輩には何を言っても効果がないことを改めて悟った。多分精神年齢は俺よりずっと上なのだろう。かわいげのない後輩だ。
 「よし、そこまで言われたら仕方ない。美雪、なつき、いいか、15分で終わらせるぞ」
 「ラジャー!」
 「楽勝じゃん!」

 作業が終了し、先輩たちを外に出して鍵をかけたのは45分後だった。
 「いやぁ、あそこまで行ってて2ページ目天地逆だったとは、ははは」
 「ふぅ」
 「いやぁ、すまん、眼鏡。助かったよ折り込み。ははは」。
 殿下はシュンの肩をぽんぽんと叩いた。
 「でも報告はしますよ。見てしまった以上」
 「ちゃんと<協力:篠木原>って入れといてあげるから、奥付に。怒んないでよ、篠木原」
 「丁重にお断りします、美雪先輩」
 「おう、眼鏡、俺たちファミレス行くけど、お前も来るか?」
 「おごるわよ〜食事くらい」と言いながらウィンクを送るのは元コギャル、今は謎のプロアルバイター唐崎なつき。
 「すみません、家で用意してると思いますので」
 などと言いつつも部室棟の鍵もかけ、外に出る。先輩たちは隠してあった靴をはきながらシュンに手を振った。
 「あ、そうだ、これ一個あげる。お礼だよ」
 仲田野美雪がぽん、と何か投げてよこした。受け止めるとそれはさっき組んだ小さい箱だった。
 「ああ、ありがとうございます、先輩」とシュンが言い終わらないうちに、唐崎が何か思いついたようだ。
 「あ、そだ、眼鏡君週末売り子手伝わない?」
 「運動部系合同合宿がありますから。生徒会の留守番役なんです。それに有明は遠すぎですよ」
 「んにゃ、今度のオンリーは浅草橋だ」と殿下。
 「訂正します。東京は遠すぎです」
 「じゃ9月のは大宮だから・・・」
 「ほらほら、無理強いしない! 三人で買い物は一人一時間、最初の人だけ45分! 順番は当日ダイス勝負。それでいいって!
 じゃ、手伝いありがと」と美雪が殿下と唐崎をひきづって歩き出した。
 「それじゃ、お休みなさい」
 そう言ってシュンは鞄にその箱をしまって帰路に着いた。


第二章

 先に電話を入れておいたので、帰宅するとダイニングでアキが夕食の準備を終えていた。
 「おかえり。おじさんたち、明日早いからってもう寝ちゃったよ」
 エプロン姿の彼女は電子レンジの扉を開けながらそう言った。シュンの両親は大学の研究室にいる。実験が始まると、帰宅すら珍しかったので平日は顔を合わせない日が多い。その分、暇な日は夫婦共々、家でごろごろしていたが。
 鞄を置いて着替えてくると、アキと二人で遅い夕食を摂る。遅れてすまないと言うと、アキは笑って言った。
 「先輩とのつき合いも大事よ、シュン」
 急須を傾けてお茶を入れながらアキは今日の先輩たちの話しを聞きたがった。
 アキ。雅菊子(みやび あきこ)はシュンのお隣さんだった。今でもそうだが、事実上シュンの家に住んでいるので過去形である。幼少時に父を失い、母が仕事で北欧に行ってから、しばらくは画家の祖父と二人で隣に住んでいた。だが、祖父の容態が悪化し、長期入院を余儀なくされ、結果、中学の頃から篠木原家に厄介になっていた。シュンの姉が丁度結婚したばかりで部屋も空いていたので、居候を始めたのだが、近所ではすでに「嫁」扱いだった。
 嫁はちょっと早いのだが、二人は結納も交わしている婚約者という仲だ。結婚は大学を卒業してからということになってはいたが、実際には本人たちだけで決めていた事がある。二人ともプロとしてやっていけるようになったら結婚しようと。
 シュンは作家志望だ。すでに雑誌にはエッセイなどのコラムを短いながら三本連載している。掲載のきっかけは叔父が出版社にいたためだが、連載が続いているのはシュン自身の努力が認められている証拠だ。自分で撮った写真を元に随筆を書くのがメインだが、エッセイも小説も書けることを目標にしている。
 一方、アキは幼い頃から祖父に師事し、絵を描いている。今構想を練っている大作が襲名の課題作だ。腰を痛め、入院を余儀なくされてはいるが、祖父は未だに筆を折ってはいない。さすがに体力が持たないので小物ばかりだが、現役の日本画家である。祖父の画号の一字を継げるかどうかが今度の大作に掛かっていた。それに高校も違うため、中学の頃と違い最近ではなかなか一緒の時間がなかった。
 今日の一件を話すと、アキはくすくすと笑った。
 「結局手伝ってきたのね、それで」
 「仕方ないよ、あのままじゃ帰れないから。鍵とか電気とか心配だしね」
 「美咲さんに報告するの?」
 またお茶をそそぎながら、アキが聞くと、シュンはきっぱりとうなづいた。
 「するよ。もし本当にばれるとやばいなら、先輩たちはもっとうまくやるよ。会室に灯りをつけてたりしないさ」
 アキは休日に時折行ったことのある会室を思いだし、ちょっと考えて言った。
 「でもあそこ電源一カ所でしょ? スイッチ全部まとめたって・・・」
 「うん。殿下会長がタコ足回線でコタツに入りながらゲームしててトースターでパン焼いて。コタツの脚にコントローラーゆわきつけてテレビも横倒しにして寝ながら一晩中ゲームしてたらしい。結局、ショート騒ぎになったんでね。暗室だからずいぶん容量あったのに、不思議な人だよ。だから会長が、美咲会長がこの前一個にまとめちゃったよ。蛍光灯もコンセントもつながってるからね、灯り落としたらコンセントも落ちる」
 「それなら仕方ないんじゃないの?」
 シュンはくすっと笑みながら言った。
 「殿下会長はね、証拠隠滅のためなら蛍光灯外すくらい平気でやっちゃうし、最後の手段で窓の外から別の校舎用の電源、引っ張ってきちゃう人なんだよ、必要ならね。そこまでしてなかったから、絶対まずい、じゃなくてバレたら困る、程度だと思う。だから報告するつもりだよ。強制的な口止めもされなかったしね」
 「シュンはなんだかんだ言って、すっかり溶け込んでるね、部活に」
 シュンは一瞬動きを止めて考えた。あの先輩たちに溶け込むのはちょっとタンマしたかった。しかし超常研そのものには愛着も、シュンなりの誇りもあった。
 「うん。そうだね」と、結局彼は素直に頷いた。アキがその手を握った。
 「人付き合いはどんどんしましょ。いろんな人と知り合いになって、いろんな体験をして。きっと作風に幅が出るし、なにより人間が大きくなるものね」
 アキはいつも先を見ている。そうシュンは思った。シュン自身は今が一番大事なのだが、アキはきっと老婆になっても先を見ているのだろう。シュンは彼女のそういう物の考え方に接すると、「エーヴィゲ シュトゥデント」、生涯学生という文豪の言葉をいつも思い出すのだ。
 僕らは一体どんな大人になるのだろう。先のことなど全く分からない。なにしろ明日ですら何が起こるか分からないのがシュンの日常だったから。
 風呂に入った後でしばらく二人で勉強していたが、やがておやすみなさいを言ってアキは自室に戻った。もう2時になろうとしていたのだ。
 明日の予習を終えたノートと教科書を並べていた時、先輩にもらったゲームが目に付いた。シュンはゲームファンである。特に電源使用・不使用に関わらず、およそRPGなら大抵手を付けるほどだ。またシミュレーションゲームも好きで一般人のサークルにも参加していたが、こっちはマルチゲームよりも二人対戦の戦術級専門だった。そのゲーム好きの虫が騒ぎ、中を見てみたかったが、今ルールを読めばきっと徹夜になる。過去の経験でそれを知っていた彼は、今日のところは机の引き出しに入れて封印した。
 ここが同じゲーマーでも、美咲美由美との違いである。
 

 数日して。夜、シュンは机の片づけをしていてこのゲームを見つけた。明日に迫った合同合宿の件で忙しく、すっかり忘れていたのだ。だがその準備は予定通り進行し、今日、シュンの手を離れていた。つまり少しは時間ができたといえる。
 「先輩、どんなゲームシステムにしたんだろう」
 ざっと話は聞いていたので予想はしていたのだが、思っていたよりルールは少なそうだ。「シンプルにしたからな!」とは言っていたが、殿下の言である。その比較対象が常人とは大きく事離れた彼の発言を、言葉通りに受け取る会員はいない。
 シュンは机に中身を広げた。ルールシート二枚、キャラシート等が1枚、シール、白い無地のダイス4つ、それにデザイナーズノートというかフリートークというかが一枚。
 キャラシートはコピーしなくてはできないようだ。使い切ってしまったらおしまいだから。階下に降りて電話兼用の普通紙FAXでコピーを取る。とりあえず2枚とっている時、居間から母とアキの声が聞こえた。また大学のパンフに使うイラストをアキに描かせるつもりらしい。いい加減に内輪を安く使うのはやめたら、と言いに行こうかとも思ったが、「内輪を使う」の最たるのが超常研である。シュンはちょっと諦め気味に首を振り、居間にはよらず部屋に戻った。
 さてゲームの準備だ。筆記具。これはすぐに出る。シートもコピーした。次いでダイスだ。無地ダイスにOPシート印刷の絵を張るのだが、準備ではこれが一番大変そうだ。
 「これを切るのか。うーん」
 まずはハサミを出す。しかし、やはり定規とカッターの方がいいだろう。カッターマットがないので、プラ板の切れ端を使ってみる。長辺をカッターで切り、短辺をハサミで切れば簡単だろう。そう思ったシュンは早速作業を始めた。
 切り終えてからOPシートの粘着面保護膜をはがす。ダイスなので一個に6面。それが4個。計24枚をはるわけだが、はること自体よりも保護シートをはがす方が大変だった。まぁ、この前買ったPDAの液晶保護シートよりは簡単だ。そう思うことにして作業を進めるシュン。
 「さて、と」
 準備が一段落し、冷めかけた紅茶を一口すする。紅茶をいれなおしてからじっくりやるか、という考えも浮かんだが、すでに手はルールシートを持っていた。

 二時間経過。

 「シュンー、お風呂入っちゃってよー」
 返事はない。
 「シュン? いないの?」
 シュンは机に突っ伏す様にしていた上体を起こし、入室してきたアキを見た。
 「ど、どうしたの?」
 アキはちょっと驚いて婚約者の顔を見つめた。焦燥感、いや、諦め? どう見ても悪い印象の表情だ。
 「あ、いや・・・」
 シュンの声は歯切れ悪く意味をなさない。
 状況を知ろうと机上を見たアキはダイスとキャラシートをみつけた。
 「またゲーム? 負けちゃったの?」
 アキの声は明るさを取り戻した。先月だったか、ネットゲームでチーム最下位になった時、シュンの落ち込みはひどかったが、今日のはそれほどではないらしい。勝てると思った勝負に負けたって程度かな。アキはそう思って笑い飛ばすことにした。
 「んもう、子供みたいだよシュン。さぁさぁ、お風呂入っちゃって! 気分転換しなよ」
 シュンははぁ、とため息をつくと椅子を回転させてアキに向きを変えた。
 「なんというか・・・。運のよしあしって、あるんだなぁ・・・」
 「はぁ?」
 呆れ顔のアキ。シュンは右手の肘を机に置き、あごをその手に乗せた。
 「でないんだよ、目的の目が。全然」
 「目? さいころ?」
 「16.666%。それが24回やっても出ない。24回だよ、もうこうなったら超常現象というしか・・・」
 そう言いながら左手でダイスを転がす。25回になっただけだった。
 「16? なにそれ」と言いながらアキが手をそのダイスに伸ばした。シュンが保有している無数のさいころは、点のうってある普通のではなく、数字が書いてあるものだ。それも6面体だけでなく、三角のやら、ゴルフボールみたいのやら、いろんな種類がある。それを知っていたアキだが、今手にしたさいころにはちょっと面くらった。見た目は6面体の普通のさいころ。しかし、そこには点でも数字でもなく、絵が描き込まれているのだ。
 「殿下先輩の絵?」
 「多分ね」
 「でも、違うっぽい。元だけ先輩で描いたのは他の人かな」
 そう言いながらアキがころっとダイスを転がす。これで出目が「音楽室」だったらお笑いだよな。そう思いながら止まったダイスを見つめるシュンは、笑うしかない自分を発見することになった。


第三章

 翌日の放課後。ゲームのせいで寝不足のシュンは久しぶりに暗室にいた。部長に手伝いを頼まれたからだ。うだるような暑さ故、彼にしては珍しくだらけた服装だ。ワイシャツのボタンをだらしなく外し、裾もズボンから引っ張り出している姿で部長の指示に従っているシュン。
 写真部は自主参加が基本である。今日出ているのは30名以上の部員中、七人だけだ。暗室作業は写真撮影の一部にすぎないので、今校庭やら近隣で撮影している最中の部員もいるのかもしれないが、暗室にはそれだけしかいない。まぁ、文化祭や新入生の証明写真撮影の時期でもなければ、いつもそんなものだ。
 今ここには3台のイーゼルがある。ついこの前まではもっとあったのだが、不幸な事件以来、実働は3台になってしまった。すなわち焼いているのは三人。残りのうち一人はフィルム現像、二人はお手伝い。一人が順番待ちだ。
 「上隅、ピンどうっす?」
 ランプハウスを90度回転させ、壁面を照らしている小宮山が聞いた。光を遮らないように椅子に乗り、脇から壁にへばりつくような格好で身を乗り出している部長、長瀬幸江が渋い声を返す。
 「だぁ〜め。まだかっちり来ちゃってるよぉこいつはぁ」
 「もう一冊はさみますね」とシュン。暗室に常備されている機材各社のカタログをまた一冊手に取る。その厚さは3センチほどもある。
 「薄いのにします?」
 「ん〜、それやってみて」と、そのままの姿勢の部長。左手でスカートを押さえ、右手で体を支えたその姿は、既にオブジェのようだった。
 小宮山がイーゼルスタンドの支柱を支え、傾けた隙間にカタログを差し込む。ちょっと角度が付きすぎたかな、と思ったシュンはすこし端に出し、微調節を試みた。
 すでに熱くなっているだろうランプハウスに触れないように、そっとイーゼルから手を離す小宮山。シュンが今度はネガホルダーを微調節し、主題である楡の梢にピントを合わせ直した。
 「ピンあま?」
 「どっすか?」と小宮山が部長を振り返る。
 「ん〜、ピントはいい。でもこれだと建物、アオっちゃってんのバレバレ」
 たしかに。シュンは壁面に写っている部長の作品を見てうなづいた。
 「印画紙曲げても後処理補正、無理かもですね」
 「シフト読み甘かったなぁ。こんなに上がうざくなるとはなぁ・・・」
 肩を落とす部長。小宮山が「上だけ覆い焼きして、ピンずらして二重にしたらどっすか」と声をかけるが、どうやら部長は諦めたようだ。
 「これ以上周囲にバウンス効かせまくるわけにもいかんだろ。
 真鍋〜、イーゼル空いたよ〜、つぅか、今空くぞ〜」
 部長は椅子から降りると順番待ちだった1年生にそう告げた。部長のお手伝いだった小宮山とシュンはちょっと顔を見合わせてから片づけに入る。ネガはホルダーごと部長が抜き去った。真鍋のカメラは部長の中版とは違い、普通の35ミリ版だったからだ。
 「コミ〜、一年フォローしてやってて〜。あたしあがるから」
 部長はだれた口調でそう言うと、暗室奥の薬剤庫の天板に座り込んだ。全紙三枚をつなぐ予定だった部長の大作は、再撮影という振り出しに戻ったのである。

 残りのイーゼルを使っていた部員も丁度流しに向かったのでシュンは部長と共に暗室を出ることにした。外に出ると、さすがにこの格好ではまずいと考え、ワイシャツのボタンを留め直すシュン。一方、部長はブラウスのボタン上三つは全開、ネクタイもとれる寸前というままで気にもしてない。
 「イーゼルってのは普通カンバスとか告知板とかを置く木枠の台のことだけどな、ここではこれ全体をそう呼ぶんだ。このでかいのがランプハウスで・・・」
 小宮山が真鍋に説明しているのを聞き取った部長が、鉄扉を閉めながら苦笑する。
 「コミ、真鍋が中学の写真部で部長してたって知らないん?」
 「えぇ、多分。真鍋君は自分の事、あまり話しませんからねぇ」
 二人で靴を履き替え、校門前の店でアイスを買おうと歩き出す。
 「ま、コミの方が腕は上だかんね、なんか一個でも吸収できりゃそれでえぇか」
 「中学じゃ、多分暗室作業あまりやってないでしょうからね。小宮山のテクは参考になるでしょう」
 普通校舎の脇を曲がり、校門に向かう。
 「今日は人少ないにゃ〜。がらんとしとるぞ」
 「今夜から合同合宿ですからね、体育会系は」
 「おぉ、そいやそうか、連休だもんなぁ。いやぁ県立でよかったにゃ〜〜。県民の日お休み〜〜。
 しっかしあんた、今日は眠そうじゃね〜か。うp板でも見とったか、うりゃ!」
 「いや、別件で」と、部長のチョップを避けながら短く応えるシュン。
 「おぉ〜、ゆんべ、例の彼女と張り切りすぎたか、このエロ少年!」
 「部長、イエローカード、セクハラです」
 「よいではないか、よいではないかぁ、部長といえばセクハラつきもの! セクハラは部長の枕ことばだぁ!」
 部長にからかわれながらも店に着き、レモンの輪切りの乗ったみぞれを選んだ。手伝い賃ということでアイスは部長のおごりだ。二人で店先にあるベンチに腰掛ける。日陰にあるとはいえ、かな〜り熱くなってはいたが、暗室で汗だくだった彼らは気にするのを止めていた。
 「そういやぁふぁ、ふーらーそろそろふぁいひんにふっか?」
 棒アイスを頬張りながら部長がつぶやく。
 「クーラーの解禁ですか。夏休みまでは待ったらどうです? 苦情また来ますよ? ただでさえ、電気、一杯使ってるんですから、うち」
 口の中にあったアイスを飲み込み、部長が渋い顔になる。
 「他のとこが使ってなさ過ぎ! 保湿庫と薬剤庫ぐらいじゃん常時使ってるの。うちだけが・・・」
 苦情を続けようとするその声を遮るシュン。
 「火曜の撮影会、カラー撮影ランプ、500W八灯構成でしたよね。合わせて4キロ。しかも結構長くかかりましたしね」
 「うは・・・。そだけ?」と部長はごまかしの体制に入った。
 「二本切れちゃうくらいですからねぇ。推して知るべし、ですね。水浸し事件もありましたし。生徒会では肩身狭いですよ、まじで」
 「す、スマソ・・・」
 しばらくして。棒をしゃぶりながら部長が結論を出した。
 「あたし、シュン、んでコミのうち、誰かが入ってる時に限り、作業効率を考えてクーラー使用許可ってことで、どよ?」
 空のカップをゴミ箱に投げ入れながらシュンがうなづいた。
 「そうしますか。また汗で全紙ダメにしたら馬鹿みたいですしね」
 「んじゃケテイ!」
 部長はスカートをひらりと翻しながら、ベンチから飛び上がって向きを変え、シュンに向き合った。
 「今日はサンクス。結果出せなくてスマソ!」
 「再撮したら言ってください。手伝いだしたからには水テープ張り終えるまで見せて貰いますからね、部長」
 「おう! じゃ、ノシ」

 部長と別れ、シュンはしばし考え込んだ。超常研に顔を出すか、生徒会室に行くか。
 考えながら校門に入ると声がかけられた。
 「副会長〜!」
 そう呼ぶのは超常研か生徒会関係者だ。両方の副会長だからである。写真部員なら副部長とは呼ばず、単に「シュン先輩」だ。これは写真部のオープンさからきているのかもしれない。部長以外の肩書きを気にしていないのだろう。
 ふっとそう思いながら振り向くと、予想に反し、写真部員だった。まぁ超常研の会員でもあるのだが。
 「やぁ・・・」
 と言いかけて、上げようとしていた手が止まる。その目が向く先を見て、にやりと笑む北村茉莉香(まりか)。
 「買ったのか!?」
 「えへへ〜〜」
 北村の肩にはいつもどうりに一眼レフが下がっているが、シュンが熱い視線を送っているのはでかくてなっが〜いレンズの方だ。
 「きたか、サンニッパ!」
 「はい〜。リモコンとインターバルタイマーも一緒に。結局〜〜」
 にこやかにカメラを構えてみせる北村。左手はその重いレンズを支えている。肩幅に開いた足、しまった腋となかなかどうして、堂にいった構えだった。
 「さては練習したな」と微笑むシュン。
 「はいな、鏡の前で〜。えへへへへ。でもまだまだですよ、1/125でやっとですよ。参っちゃう」
 「それは実践あるのみ、っていうかまぁ基本は三脚だろ。
 でもこの前カメラ買い換えて85〜200のニッパも買ったばかりだよね、すごいなぁ」
 二人は話しながら自然に暗室に足を向けていた。側を通る生徒を気にして小声になる北村。
 「魔性の消滅する連作、精進先輩のとこが買ってくれたんですけど。もうびっくり〜って値段で」
 「なるほど。あれはお手柄だった」
 職員用の玄関で靴を脱ぎ、本来は来客用のスリッパに履き替える。暗室に着くと、鉄扉を叩き時間を聞く。「5分待って〜」の声を受け、二人は日陰に立った。
 「内ドア、いつ直るんです? 出入り面倒ですよね〜」
 「派手にやったからねぇ。サッシ曲がっちゃったし。まったくどこのOB連もロクなことしない」
 待ちながら、シュンはやっとレンズではなく、その持ち主を見た。ドアの件でぶつくさ言いながらも、その内面からにじみでる嬉しさは隠しようもない。制服のポケットがふくらんでいるのを見て、試し撮りをしていたんだろうと思ってこう言った。 
 「カラー? モノ?」
 「あ、モノクロです。カラーの方、まだ修理上がってないんですよね?」
 「ん〜、多分。ごめん、僕は使わないから」
 「あ、そうですね、副会長はコダクロっしたね。しっかし、あの水道騒ぎは痛かったですよね〜」
 水道全開のまま放置された暗室。パットから流れ落ち、排水穴を塞いだ一枚のカビネ。先輩、正確にはOBが戻ってきた時には既に暗室は水タンクと化していた。OBの責任ということで写真部にはおとがめはなかったが、その分、修理がのばしにのばされている。
 「毎年、何かしらもめるんだよなぁ、うちは。まぁ、超常研ほどじゃないけどね」
 あははは、と北村が笑いだす。
 「うちみたいなとこ、二カ所もあったら、学校破産しますよ」
 シュンが言った「うち」は写真部。北村の言った「うち」はおば研だろう。自分同様、北村も他の会員も二足、三足のわらじを履いている。そうやって輪ができているのはいいことだ。しかし、シュンには悩みもあった。卒業まで会長が引退しない超常研とは違い、写真部では夏休み前で部長が交代になる。シュンが次期部長と言われているのだが、超常研では各サークルの「長」はいない。「副」はいても「長」は掛け持ちしないことになった。殿下の代ならみんなそれをやってのけていたのだが、今の現役生には「長」兼任は無理であろう。写真部部長となるのなら超常研と生徒会の副会長は辞退せねばなるまい。しかもだ。現生徒会長の近藤はシュンを次期生徒会長に、と公言している。写真部、超常研、生徒会。全ての「副」である今のままならいいのだが。
 嵐が来そうな予感。シュンはそれを感じていた。


第四章


 その頃。物理部の部室は既に嵐のまっただ中にあった。
 「なんでそんな事も覚えてないのよ、あんたは!」
 呆れ声は白衣姿の神宮司つばさ。物理部の新入生だが、中学時代からその天才ぶりを遺憾なく発揮し、今物理部、いや理科系三部連合でもつばさにタメ口を使える者はまずいない(含:教師)。
 その才能はプログラマーとして最初に注目された。特に本条精機が本社の次期ネットワークシステムに、まだ中二だった彼女の提言を採用したことで。しかし、彼女は電気、電器問わず機械に関してはほぼ総なめの天才肌だ。彼女が改良した火力発電用タービンブラシは海外にも多数導入されていたし、高密度LCSの特許は、その使用申請件数が一億件を越えたとも言われている。一方、一昨年の真仁亜出版主催、人力飛行機コンクール学生の部で、並み居る大学チームに大差をつけて優勝した中学チームの機体は、彼女が削った骨組みを組んだと言われていた。その記録は一般の部の優勝記録をもかる〜く超えていた。元々一般の部にエントリーしようとしたのを断られたといういわく付きだったため、対応について大もめにもめ、怒ったつばさが自機を破壊、結果メンバーリストから名前が抹消されたという尾ひれもついていた。
 とにかく、ソフト、ハード、弱電、強電問わず、その才能を見せつけまくっての高校入学だ。その天狗ぶりに誰も文句をつけられなかった。まぁ何事にも例外は存在する。今回の場合にはご〜くごく一部であるが。
 つばさは長い髪を飾り気まったくナシの黒ゴムで左右に分け、暑さのあまりブラウスもスカートも脱ぎ、下着の上に直接白衣を着ている。小学生と間違えられる程の小柄っぷりで、白衣の裾が余りまくっているつばさにしか出来ない芸当だ。
 そこまで無理して白衣着るなよ、と思いながら会話を無視し続けているのは加賀壬宏子。つばさに真っ向から文句をつける、ご〜くごく一部の一人だ。周囲には他にも何人か生徒がいたのだが、この二人の存在感の前には「かきわり」状態だ。
 「ここ、すっごく大事なんだからね! あんたのおつむじゃ分からないんでしょうけど。
 いい!? 警告音がしたかどうか、それだけよ! なんでそんな事も覚えてないのよ!」
 加賀壬は無言のまま、つばさが見せているLCDを見つめている。というか、眺めている? いや、目を向けているだけかも・・・
 「あんた、寝てるンじゃないでしょうね!」
 つばさはマウスを動かすとなにやら新しいウィンドウを開いた。加賀壬の前にある液晶ディスプレイはつばさのマシンと接続されている。加賀壬にはミラーリンクしたモニタだけ見せ、キーボードもマウスもいじらせるつもりのない、つばさの意志がこの方式をとった。ましてや二人なかよしこよしで並んで一つのモニターを見るなど思いつきもしなかったのだ。二人の数メートルある距離もつばさには自然な発想だった。向き合って座っているのもそうだ。あくまで自分は研究者。この低脳は研究対象にすぎないのだから。
 つばさが開いたウィンドウをぼ〜っと見ている加賀壬の目に、すごい勢いで英字がざざっと並び出す。ひとしきりコマンドを打ち込んだつばさは、手のひらを返してEnterキーを押した。
 その途端、「システムエラー、システムエラー、システム・・」というすごいボリュームの警告音が鳴り響く。
 加賀壬はぎょっとしながらも、すぐに右手をスピーカー付きのディスプレイに伸ばし、ミュートにした。
 「いくら探索中だったからって、この音量で鳴ったの、気づかないはず無いでしょ、あんた!」
 「あのさぁ」と加賀壬。
 きっと睨みつけるつばさの目をまた無視し、モニタを眺めたままの加賀壬が続けた。
 「これ、マジで今の音量なの?」
 「合わせて調節したからね、そのまんま鳴ったわよ!」
 「あんた・・・馬鹿?」
 「はぁ?」
 馬鹿。こいつに言われるとは。ついにつばさが金切り声を発した。
 「あんたにだけは言われたくないわよ、その言葉。そのままそっくりそっちに・・・」
 声を無視したまま、加賀壬がまた続けた。
 「探索中にこんな音出てみ。魔性、どわっと駆けつけるぞ。あんた、こんなの持たせてたの? 怒るよ、しまいにゃ・・・」
 う・・・。言われてみればそうだ。つばさは絶句してしまった。こ、この低脳に言い負かされるなんて!
 「こ、今後は考慮するわよ。でもいい? 今はこのデータの信憑性の確認が先決なの! あんたが三個目のメモリーぶち壊しさえしなければこんな事いちいち聞きゃしないわよ!
 で、どうなの? 自己診断ルーチンの警告、鳴ったの? 鳴らないの?」
 加賀壬はモニタから目をそらし、つばさを見た。
 「鳴ってないよ。私の意識のあるうちはね」
 「・・・・・・」と黙するつばさ。結局そこに帰するのか。彼女はうめいた。
 「そこが一番の問題ね」
 その声と共に入室してきたのは香坂だった。昨年卒業した彼女は、当時の物理部部長、精進徹(しょうじんとおる)と共に今は霊峰大学の一年生だ。現在、二校の文化交流という名目で共同研究が続いている事もあり、ちょくちょく母校に顔を出している。
 精進はつばさに輪をかけた天才だ。彼が当校在学中に着手した研究が今でも継続中で、なおかつそれが大臣奨励賞など取ってしまったので異例の公立高校&私立大学の共同研究が進行しているのである。
 つばさが入試の面接で試験官に「尊敬する人は」と聞かれ、即座に「霊峰大学プラズマ発電研究室、精進室長」と答えたのは有名だ。何故つばさが推薦された超有名私立高を足蹴にし、引っ越ししてまでここ程度の高校に入学したのかは推して知るべし。精進とはそれほどの天才だった。まぁ、アイディアだけ見たら、であるが。商業レベルで考えればつばさは既に巨万の富を成した。一方精進は巨万の資金を注ぎ込んでいるだけで回収は全くできていない。無数の特許、実用新案(申請中さらに多数)を握るつばさ。一つの完成にも至っていない精進。しかし、つばさは精進の限界を知らないかのような自由な発想に、自分を大きく越える器を見いだしていた。例を挙げるなら<くみちゃん>だ。
 <くみちゃんシリーズ>の開発は試行錯誤の連続だ。三歩進んで二歩下がるというのが実情。つばさは自分に任せてくれれば四半期で完成させる自信がある。目標を立て、最短距離でそこに到達するのは得意だった。しかし、精進にはその目標自体が存在していないのでは、とさえつばさには思えていた。<くみちゃん>は元々原子力に代わる安全な発電システムのはずだった。人類がまだ利用できていないエナジーを「くみあげる」もの、故に<くみちゃん>だ。しかし、そのエナジーの波形が魔性の発する波動に近い事に気が付いた精進はいきなり目標を変えたのだ。そして今も変え続けている。
 発電システム<くみちゃん1号>は魔性の存在を確認する<2号>となり、その測定器たる<3号>を経て、早期発見システム<3.5号>となった。さらに先日、魔性の波動を消去する<3.6号>に着手した。現在精進はさらに<4号>のアイディアを練っている。魔性の力を吸収したエナジーで、その源を遮断するという画期的な封印兵器だ。強大な魔性であればあるほど、強固な壁で一時的な封印を行える<4号>は既に発電機でも測定器ですらない。このように精進は開発中に受けたインスピレーションでどんどんその目的が変わっていく。つばさであれば、目標に到達するために不要だと切り捨てるもの。枝葉末節から次の存在を生み出す。精進のすごさはそこにあった。結果、つばさは精進に心からの尊敬を感じていたのである。
 そして彼が忘れたかのような途中派生系をスタッフで開発させ続けている副官役、香坂。つばさは彼女も尊敬していた。いかなる天才であっても身近で支えてくれる者無しでは何も進まない。つばさはそれを身をもってよく知っていた。
 つばさはツインテールを翻し入室してきた香坂に振り向いた。
 「室長はなんと?」
 香坂は室内のみんなに軽く会釈をすると、薄手のワンピースを揺らして手近な椅子に座り込んだ。
 「加賀壬さんが意識を失ったのは二枚目の1260から70カウントであるのは間違いないみたいよ。その時の衝撃がどこまでシステムを破壊したのかが分からない。以後のデータが正確なのか、なにかのトラブルなのか。
 けどね・・・。室長は正確、っていう説を採るみたい」
 「馬鹿な!」
 つばさは思わず立ち上がった。
 「意識を失ったのがたとえ、1270だったとして、以後のカウントの波動、どうやって説明するんですか? こいつは無意識で、昏睡状態で興奮し続けてたと?」
 香坂はそれには応えなかった。
 「奇跡の金曜日」。紆余曲折を越えてつばさと加賀壬が協力、というか利用しあった魔性戦からずいぶん経っているというのに、未だにフレアから得られたデータはその解析が進んでいない。正確にいうのであれば、解析は終了しているのであるが、その信憑性が疑われているのである。加賀壬は知らなかったのだが、実はフレアにはプラズマ探知機の他に脳波測定機に脈拍計、血圧計、小型CCDカメラ、ICレコーダー、その他もろもろの仕掛けが仕込まれていたのだ。もちろん、精進の指示でである。
 「頑張りっこには何かがある」。精進の執念が得た貴重なデータ。しかし・・・
 まぁ、早い話がMP0、すなわち気絶した後で加賀壬は前原に射撃指示を出していた。ありえな〜〜い、ってことだ。しかも気絶した後にこそ、加賀壬の思念は最大の波長を出していた。んな馬鹿な。つばさでなくてもそう叫びたくなるところだ。
 「あのさぁ・・・」と加賀壬がぼそっとつぶやく。加賀壬と向き合っているつばさは当然無視の体勢だったが、香坂が反応した。
 「ん?」
 「あ・・・。んと、帰っていいでしょうか?」と加賀壬。つばさに話しかけているつもりだったのが、相手が香坂になってしまったので、その口調は途中で変化した。
 「ちょっと待っててくれる? クールダウンさせないと、ね」
 香坂がそう言い、つばさを手で招きながら室外に退出する。
 憮然としているつばさを連れ、廊下を抜け、階段の脇で香坂は歩みを止めた。
 「先輩、わたしは冷静です! クールダウンさせるのはあの低脳の方で・・・」
 「あれは口実」と軽くつばさの抗議を流す香坂。
 「ちょっと加賀壬さんに聞かれたくない話だから。メモリー1のカウント800列と3600列、2の700列の件」
 つばさは小声で話すその内容に目を見開き、すっと先輩に近寄った。
 「やはり関連性が?」
 頷く香坂。ちらっと周囲に視線を送り、人気のない事を確認した上で、さらにひそひそと話を続ける。
 「3回ともパターンはほぼ同一だそうよ。魔性の波動を受け、彼女の思考は間違いなく鈍った。脳波も脈拍も低下。でも、その後で復帰した時、思考波以外のデータは正常に復帰してるわ。思考波に至っては逆に増している」
 考えこむつばさ。魔性の波動を受け、その日のうちどころか数分で回復している事自体おかしいのに、それによってマイナスの影響が出ていないのは全くありえないはずなのだ。魔性は人の神経をすり減らす。よしんば復帰したとしても感覚が鈍くなって当然なのだ。
 「よっぽど鈍感なんじゃないですか、あいつ。あれ以上減らないくらい」とつばさが呆れて肩をすくめる。
 「これは室長が言い出したことなんだけど」
 再び表情を引き締めるつばさ。
 「虹彩の動きなんだけど。波動を受けてしばらくはきょときょとと落ちつかなげに動くでしょ。それが室長の命名で<きょと期>。ついで一点を見つめだす。目標が変わることもあるのだけれど、見つめることに変わりはないわ。これが<じと期>。で、その後に再びすごい勢いで周囲を見だす。これが<あちこち期>」
 つばさは精進を心から尊敬してはいたが、「くみちゃん」シリーズ、「自爆君」、「見回し君」、「天然ちゃん」他、その発明品への命名センスにはどうもついていけなかった。今もそうだ。実を言うとあまりに多忙な精進の代打として「見回し君」を任された時、その拡散照射型全自動MP体発見追尾システムを、無理矢理「フレア」と改名したのは彼女だった。
 「<きょと期>と<あちこち期>には大きな違いがあるの。<きょと期>には視点すら固定されていない。まぁパニック状態ね。でも<あちこち期>には視点ははっきりと定められている。それがどんどん目標を変えていくのよ。捜し物をしているみたいにね。状況確認でしょう。
 で、問題は<じと期>なの」
 香坂は再び周囲を確認してから言葉を続けた。
 「<じと期>の間、心拍、呼吸、脳波、体温、全て低下しているわ。つまり魔性の波動で対象、つまり加賀壬さんの存在全てが押さえられている時間。パニック後の萎縮だと考えていたんだけど。でもね、室長がおっしゃるには<きょと期>がパニック、<あちこち期>が状況確認。これ等はそのまま。でも<じと期>は萎縮じゃなく・・・
 既に冷静になっている証拠だって」
 つばさは口をあんぐりと開けた。香坂の声に聞き入りながらも得られたデータが素早く彼女の頭を駆け抜ける。
 「<きょと期>と<じと期>の間。混乱があるでしょ」
 確かに1カウントか2カウントの間、データが不安定に移行する場所があった。それは波動の衝撃を受けた後、萎縮に至る単なる移行にすぎないはずだ。つばさはそう思い平均値測定範囲から削っていた。不要な部分だと思っていたのだ。
 「そこがポイントだと室長はおっしゃってる。これは状態が変化する経緯ではなく、ここで回復しているのだ、と。<じと期>と<あちこち期>の間には間隙が無いのが証拠だそうよ。加賀壬さんがハッと我に返ったのだ、と。この<ハッと期>で魔性の影響から離脱しているのだと」
 魔性の波動を真正面から受け、そこから即座に復帰する。しかもその間1.5秒? ありえない。どんなに強固な人格の持ち主でも、そんなに早く復帰できるはずがない! 彼らの元には百人以上のデータがある。それらが不可能だということを十分に裏付けしているのだ。
 「それはおかしいですよ、先輩。もし本当にそうなら、あいつは魔性の波動からそれこそ一瞬で回復する事になります。スイッチの切り替えじゃないんですから、ありえません! もしそうならあいつは歴史に残るほどの精神力の持ち主ですよ!」
 香坂は唇に人差し指をあて、「しーっ」と諭した。
 「あ、すみません。でもあの低脳に限って・・・」
 「つばさちゃん。今私は精進室長の読んだデータの解釈を伝えているの。それを考察する事もなく、表面上の印象で反発してはだめ。その先入観から加賀壬さんの精神力云々っていうのは飛躍しているしデータの読み間違いを起こすわ。
 まずはデータの認識から。被験者の事は今は考えないで。解釈はその後で、ね」
 しばしして、つばさが冷静に「はい」と応えるのを待ってから、香坂が言葉を続ける。
 「認識はいいわね。じゃここから仮説ね。まずは加賀壬さんが特別に魔性の影響に反応しにくい体質という説。おば研二年の美咲美由美君、彼女がそうなんだけど。彼女は波動のみならず、精神に影響する法術・催眠術の類も効き辛い。でもこれは美咲が、えっと会長の方ね、彼女が否定しているわ。加賀壬さんは常人並だって。
 仮説その2。頭の切り替えが早いって説。これには肯定を示す状況証拠もあるんだけど、これだけではあの反応は考えられない。<きょと期>と<じと期>の間。その一瞬で切り替わるのはさすがに無理。でも補助要素として可能性ありってとこね。
 3つめが克己心。つばさちゃんの言う、強い精神力ね。でも頑固者という程度で、超常に勝てるほど超人的ではないわ。これもあっても補助要素。
 4つめが克己心の逆。依存心」
 依存心? つばさはきょとん、となった。
 「他者に依存する。この場合、肯定的な意味だけどね。仲間を信頼しきってるって言い換えれば分かる? 魔性に負けない精神のよりどころ。よく言えば魔性すら付け入る隙のない絶対的な信頼関係。悪く言えば根拠のない誤った認識や他者への甘えからくる自信。それなら分かるかな?」
 「はい・・・。私は四っつ目の仮説を推します。みんなで渡れば怖くない式盲目的な自信。それならあの低脳でもありえるでしょう」
 香坂は口元に笑みを浮かべた。
 「そう言うと思った。でもね、室長は5つ目の仮説を出したの。
 <未知の理由による未知の反応>ってね」
 「は? えと・・・未知の? それでは何の仮説にもなってないのでは?」
 「そうね。でも室長はその説を選択したわ。まぁ一言で言ってしまえば・・・」
 「データが足りない?」と、先を読むつばさ。しかし、香坂は首を振った。
 「室長がおっしゃるにはデータは十分だって。それを解釈する方向性、可能性の認識が私たちに足りていない、と。私たちがまだ気づいていない、未知の理由で、加賀壬さんの未知なる特殊性が発揮されている、というのが結論よ」
 つばさはあまりに予想外の結論に我を忘れた。
 「ありえません! そんなはずないです! それは間違いです!!」
 その声は廊下中に響くほど。香坂は精進の発言を100%信じていたわけではないのだが、真正面から否定され、即座に反論してしまった。
 「探索時のデータ収集は終了。以後は平時の観察に切り替えます。これは室長の決定です!」
 神宮司はその長い髪を振り乱すほどに首を振った。横に。
 「いやです! 認めません! 今回のデータ自体信憑性が低いのに、これでいい? 終了? 絶対いやです!!」
 その叫びとも言える声に、あちこちの教室や上下の階からも、なにごとかと生徒が顔をだす。
 「この件はまた後で、ね?」
 そそくさと物理部室に向かう香坂。つばさは怒りに真っ赤に染まった顔で香坂の背中をにらんだ。
 どうして? あの低脳が特殊な存在なはずない。体力も気力も知性も常人以下。確かに状況判断は常人より多少は速いかもしれない。こちらの言葉で瞬時に対応が変わるほど、頭の切り替えも早いのだろう。しかし、超人的とまではいくはずがない。
 未知の理由? ありえない。これまで調査したどの被験者のデータにもその余地はない。間違っている。
 ここまで怒っていても。それでもつばさは尊敬している精進と香坂に間違いを押しつけることができなかった。そこで出た結論。これまでのデータは正しく、今回のあの低脳が持ち帰ったデータが間違っているのだ。そうに違いない。
 そう認識すると香坂の後を追いながら、小さな彼女の大きな頭脳はフル回転を開始した。

 一方、こちらは部室に残された加賀壬たち。「かきわり」連は所在なさげに加賀壬の後方に座り込んでいた。いや、実はやることはいろいろあるのだが、どうもそういう雰囲気ではなかったのだ。加賀壬はというと、ただぼけ〜〜っとモニタを見ている。ただただ、ぼ〜っと。
 「フレア、難航しているらしいのです。出来る限り協力してあげて」
 この前美咲会長から言われた言葉である。加賀壬にはその言葉が影縫いの様に効果してこの場に固定してたのだ。とはいえ、あの<陰険ちび>と面と向かっている状況で、熱心に協力などできるはずもなし。ふぅ。加賀壬はこっそりとため息をついた。
 と、廊下から喧噪が響いた。香坂とつばさが言い争いをしているようだ。それを耳にし、加賀壬の反応はなし。「かきわり」たちは真っ青になったが。
 がらっと扉が開き、香坂がまず入室した。
 「ごめんなさい、お待たせして。えっと、ゲートキーパーの部分はもういいわね。じゃ、無限階段の方で残ってるカウントね」
 後半は戻ってきたつばさに向けられたものだ。
 つばさは無言のまま椅子に座り、操作を開始した。
 「カウント873。魔性を視認したあたり。870で上下に目を向けて・・・」
 つばさは何事もなかったように作業を再開した。それを確認した香坂は後方の席に着き無言でその作業を見守っていた。
 加賀壬はやる気なさげな態度ながら、香坂がいる手前か、つばさの確認にうなづき続けている。室内にいる他のメンバーも香坂同様加賀壬の後方に位置しており、彼らからは液晶ディスプレイの端しか見えてないだろう。
 それを目の端で視認し、つばさは操作を続けながら、こっそりと行動を開始した。
 「873で・・・あ、これは違う、こっちだ」
 モニタに写っていた波状のグラフがぱぱっと切り替わった。その時、一瞬白地のウィンドウが見えた。しかし、すぐに本来の波状データが大きく写る。そこで加賀壬の眉がちらっと上がった。さっきの白地のウィンドウがモニタの中央、一番下に存在したままだったのだ。それはごく細長い物で、モニタ全体の5%程度しか面積をとっていない。そこにすごい速度でテキストが打ち込まれていった。
 <今夜8時、昭和通り下山楽器前で待つ。ヘルメット持参のこと>
 加賀壬はちらりとモニタの向こうにいるつばさを見た。しかしつばさはそのままカウントを進めているだけだ。
 「890。魔性の確認がここ。で注視した瞳の動きをフレアが読み、収束に切り替えたのが891。ここ」
 はぁ? なんじゃこりゃ・・・。
 困惑した加賀壬がもう一度ディスプレイを確認すると、そこにさっきの文字は既に無く、別の1行が記されていた。
 <お願い>
 見えたのは一瞬。そのテキストウィンドウは即座に閉じられていた。
 「で、信じられないのがここ。所在確認しといてまた周囲見てるでしょあんた。なんで?」
 加賀壬は目を点にするほどの驚愕から立ち直ると、先ほどまでと同様、渋々質問に答え続けた。そうしながらも加賀壬の心は混乱していた。
 お、お、おねがい? うそ。あの陰険ちびが? まじで? 罠か? いや、もしかすると誰かの混線・・・えっと・・・
 うにゃ〜〜〜!!! へるぷ み〜〜〜〜〜!!!


第五章

 部活を終えた北村は部の友人と帰路にあった。
 「じゃまたね〜」「じゃね」とバス停前で手を振り、北村は一人交差点を左に曲がる。重いバッグを担ぎ直した時だ。道の反対側に知人を見つけた。
 「恵ちゃ〜ん!」
 西中時代の友人、中野恵子は北村の声に俯いていた顔をあげた。「キタさん」とつぶやきながら、彼女は驚いた表情になる。
 道を横切り、中野の肩を叩こうとして北村はその表情にきづいた。
 「ん? どしたん?」
 「あ、丁度キタさんに電話しようかなぁって考えてたとこ」
 中野は明るい口調でそう言った。しかし北村は彼女の暗い顔つきに不安を覚えた。
 「なんか顔色悪くねぇ? どうしたの?」
 「ん〜、ちょっとね。気になることあって・・・」

 二人はすぐ脇にあった喫茶店に入った。客はまばらで、閑散としていた。人に聞かれるのもなんなので、隅の席を見る。奥に4人テーブルが三個並んでいた。一番左の席は丁度サラリーマン二人が立ち上がりかけ、「あ、ここは私が」「いえ、そういうわけにも」とレシートを奪い合っていた。中央は空席。右端も客が帰ったばかりなのか、空のグラスとお冷やが残ってはいるが、無人だった。
 北村と中野は真ん中の席に着いた。サラリーマンの戦いは、結局年長ながら腰の低い親父が粘り勝ったようだ。「領収書ください」という親父の声を聞き流し、二人はアイスティーを頼んだ。
 クラスメートの大半を友人にしてしまう北村にとって中野は特に親しいというわけではない。友人の友人、といったところだろうか。中学1年の時にはクラスも一緒だったのでよく家に遊びに行ったりもしていた。クラス替えの後には自然と疎遠になったが、今でもみんなでプールとか映画とかに行くとなるとメンバーの中にいる。そんな友人の一人だ。
 しばらく差し障りのない話題が続いた。TVドラマの人気俳優、級友の消息。先生の出産。
 中野がぽつりぽつりと話を始めたのは紅茶がなくなる頃だった。 
 「えと、父さん、うちの父さんね、関東中央軌道ってとこに勉めてて。一条電鉄の下請けやってるの」
 中野の口調で本題に入ったことを悟る北村。
 「んと、なんて言ったらいいのかなぁ、鉄道の線路、あれに上下のずれがないか、二本の幅がずれてないかって調べる仕事なんだけどね」
 確か中野恵子は以前は茨城に住んでいて、中学からこちらに転校してきたはずだ。ここの地下鉄工事が本格化した段階で父の転勤についてきたのだろう。北村はそう予想しながら、軽くうなづいて聞き手に回った。
 「んとね、今東二現場の、えと、地下鉄工事のね、東地区第二現場ってとこ担当してるんだけどね、その・・・なんかいろいろあるみたいで・・・」
 工事現場で様々な噂が流れていることは北村も知っていた。ちらっと聞いただけだが、美咲会長が本条先輩からの依頼で調査をしたことも知っていた。結果、魔性の痕跡はないという話だった。しかし、魔性がからんでいなくても超常現象は起こりえるし、その時と今とでは状況が違うかも知れない。北村は考え込んだ。彼女の父親がナニかに遭遇したのだろうか。
 「えっとね、いろいろ、ほんとにいろんな事あって・・・」
 中野の言葉は途切れた。北村はおひやを飲みながら、ちらりと彼女の顔色を伺った。考えている、というよりも、次の言葉を口に出すのをためらっている。そうふんだ。
 「噂、結構あるよね」と北村は中野同様、小声で言った。
 「信じられないような話、多いよね。でも、ガッコ・・・西中での事も、他の人には信じらんないよね、普通。私の場合、高校入ってから、もっと信じらんない事一杯見ちゃったけどね」
 「仕事人とこ、入ったんだよね、キタさん」と中野。うなづく北村。
 「まだぺーぺーだけどね」
 西中での怪異現象を解決したのは超常研の先輩たちだ。あの頃、北村たちは彼らを仕事人と呼んでいた。
 「おば研は学校霊専門なんだけどね、何か役に立てるかもしれない。
 お父さんの事、具体的になにか?」
 「う、うん。今会社休んでる。えっと・・・家で寝てる」
 北村の顔色があおざめた。以前救出された警備員を思い出したのだ。やせ衰え骨と皮ばかりになって発見された学校の守衛の姿も。その反応に気づいたのか、中野がすぐに言葉をつなげた。
 「あ、元気は元気なの。どうして出社禁止なのかって怒ってるし。健康状態に異常もないって。
 でも、でもね、夜2時近くなると、その・・・変になるの・・・」
 どう変に? と問いかけるように北村が少しだけ首をかしげた。
 「そのまま、部屋着のまま、外に出ようとするの。最初、いきなりいなくなっちゃって、現場、東二現場に無断で入って警備員に見つかったって電話きて。非番だったからIDで入ったのバレたみたい。で、その後も、毎日じゃないんだけど、2時くらいになると家、出ようとしたり、急がなきゃって口走ったり・・・。でもいつもは普通なの、変じゃないの、狂ってない! そ、その時だけ、2時って言っても毎日じゃないよ、時々だけ・・」
 「ごく一時的な行動なのね」と素早く言葉をさしはさむ北村。彼女は中野が見た目以上に混乱している事を理解した。
 「う、うん」と中野。
 「最初は現場で見つかったのね? で、それ以後、お休みなのに、深夜、2時になると出かけようとしたり、急いでるみたいな事があるのね?
 最初っていつ?」
 「先月。12日」
 「それから出かけようとしたのは何回くらい?」
 「えっと・・・。20回くらい・・・。布団で急がなきゃってつぶやき続けてたのが二回。足動かしてて、まるで寝ながら歩いてるみたいに・・・」
 中野の声は途切れた。
 会長に相談すべきではないか。北村はそう思った。しかし、事が学校霊でない以上、美咲家に依頼ということになってしまうのでは? プロの退魔士に依頼となると、多分とんでもない金額だろう。いや、まてよ、事が鉄道工事がらみなら・・・。北村は以前、駅前で加賀壬と一緒にメイドに出会ったことを思い出した。そうか、本条先輩に相談した方がいいのかな?
 北村がそう考えていたときだ。いきなり声が掛けられた。
 「面白そうな話だねぇ、詳しく聞かせてくれない?」
 間近でしたその声にぎょっとする二人。中野の背後から誰かがぬっと姿を現した。
 「あ、怪しい者じゃないから。僕はね、真声ネットの・・・」
 ズボンから名刺入れを出そうとかがむその人物。咄嗟に北村は跳ねる様に立ち上がって重い鞄をつかんだ。すぐに伝票を持ち、同じく立ち上がった中野の腕を抱えてレジに向かう。
 「あ、ちょっと!」
 背後の声を無視し、ほぼ走るような早歩きで財布を出す。びっくりしているウェイトレスに「お釣りいりません」と告げ、会計を終えて店外に飛び出した。
 「こっち!」
 北村が中野をひっぱるようにしてすぐに角を曲がり、路地に入る。さすがは地元民。開発の波が混沌を地図に捲き掛けているこのあたりでも、彼女たちには庭のようなものだ。
 数分後。
 「大丈夫? 何か忘れ物とかない?」 
 北村に聞かれ、中野が荷物やポケットをさぐり、首を振った。
 二人は大通りからかなり離れた路地裏にいた。通りの方を確認し、北村がほっとため息をつく。
 「もう大丈夫みたい。ごめん、人がいたの、全然気づかなかった」
 荒い息を整え、中野も詫びた。
 「ううん、キタさんのせいじゃないもん。あの人、後ろの席にずっといたのかな?」
 「多分。誰も近づいてないもん。あそこで寝てたんだと思う。ごろって。だから見えなかったんだよ」
 北村は状況を確認すべく、さっきの会話を思い出していた。どこから聞かれたんだろう。参った・・・。その困った顔を見て、中野が泣きそうな顔になる。
 「ごめんね、キタさん、なんか変な話しちゃって・・・」
 「あ、違う、違う。私が気を付けなきゃいけなかったのに。こっちこそごめん。誰にも聞かれてないって安心しちゃってた。近づく人いないかってずっと見てたんだけど・・・。情けない。ごめん」
 「ううん、そんなことないよ。えっと、じゃあたし、帰るね、ばいばい」
 言うが早いか踵を返す中野。しかし、その手をがっしと掴まれた。
 「今夜行くから。家、変わってないよね? マンション、五階だったよね?」
 中野は目を丸くしてかつての級友を見た。その目から涙がこぼれ落ちるのに数秒もかからなかった。
 「あたしじゃなんにも出来ないかもしれないけど。でも知り合いにすごい人たち、いるから。仕事人、いるから。行くね、えっと一時頃に。玄関のとこにいて」
 北村の言葉に小さく、震えるようにうなづく中野。北村は彼女の震える手を握りしめた。



 つづく