
von:秋澤 弘
第一章
「ただいま・・・」
茜が玄関を開けて声を掛ける。その声を聞いて母はダイニングの椅子から立ち上がった。玄関からは「おじゃまします」の声も続けて聞こえた。時計を見る。6時半。微妙な時間帯だ。夕飯を何人分用意していいのやら分からなかった母は、まず娘にその確認をしようと思い、廊下に出た。
「ど、どうしたの一体、その包帯!」
自室で母の素っ頓狂な声を聞いた陽一は階下に聞き耳をたてた。プール、大したこと無い、大水が、などなどの断片的情報が聞こえたが、その最後の方に魔性と幽体という言葉がかすかに聞き取れた。母の短い悲鳴で会話は終わったらしく、どうやら居間に移動したようだ。
陽一は眉を潜め、ためらいの表情を浮かべた。母を気遣ってである。しかし、結局立ち上がって階下に降りていった。
居間に行くと何気なくを装って扉を開けた。冬場は掘りゴタツになるテーブルに加賀壬宏子が座り、母がその顔や腕に巻かれた包帯や湿布らしき大きな白い四角形を確認していた。妹と鮎川紫織は部屋の脇に座布団を置き、その上に寝転がっている。いかにも疲れたという風情で。
陽一の姿を見ると紫織は照れて身を起こした。妹はぐてーとしたまま目線だけこちらに送ってきた。母もちらりと息子を見たが、まずは傷の確認を優先していた。加賀壬の方は反対側を向いているので陽一には気づいていないようだ。
無言のままテーブルに座る陽一。加賀壬も気づき、会釈しようとしたが、耳の外傷を見ていた母の手に留められていた。
「どうも・・・。お恥ずかしい姿ですみません」
陽一は思考しながら軽く首を振る。どうやら負傷したのは加賀壬だけらしい。超常研会員として当然の如く魔性と戦闘を行い、妹たちを守ったのであろう。彼はそう理解し、そのまま静かに座っていた。
ここは痛い? とか、肩を上げてみて等々。母は加賀壬に話しかけながら容態を確認していたが、彼女をひっくり返し足や臀部までチェックし出したので、仕方なく陽一はのそっと立ち上がり、妹の脇に座り込んだ。
「痣は三、四日残るかもしれないけれど、傷痕が残りそうなのはないわね。良かったわね」
母は元看護婦らしい手際よさで加賀壬の右足に新しい包帯を巻きながら言った。
「あ、お家に電話しなくちゃ、ねぇ」
「あ、い、いえ、いいです、帰って自分で言いますから」
「そうはいきませんよ、大事な娘さんを預かっておいて怪我をさせたとあっては・・・」
「え? いえ、でもあかねちんのお家で怪我したんじゃないですし、それにあの、かえって心配しますから」
「・・・。そうね、そうかもしれないわね。帰って元気な顔を見せてあげた方がいいのかもね。でも本当に良かったわ大事なくて。
茜、紫織ちゃん、貴方たちは大丈夫なの?」
「うん、全然平気・・・」
「かきのんが助けてくれたんや。せやから・・・、うちらは傷ないねんよ」
「そうだったの。でも、まぁ何て事でしょう、大事な娘さんを・・・」
包帯の残りを巻き取り、救急箱に入れて母はお茶を入れてくるからと足早に立ち去った。
無言のまま加賀壬は座布団に座り直した。その目は陽一を見ている。
「何があった」
テーブルに座りながら問いかけた陽一の声に、しんと静まりかえる室内。
「プールでMPタイプの魔性と遭遇しました。おそらく水妖級です」と語る加賀壬の声はシュンや美咲会長ならば聞き慣れているいつもの報告口調だった。しかし、紫織と茜は加賀壬の抑揚のないその口調にとまどいを感じた。今日は友人の見知らぬ一面を見せられ続けてきたのだからなおさらだ。
一方、報告を受けた陽一は昨年副会長だっただけに、会員のこういった口調には慣れていた。しかし、その内容は陽一に目を見張らせるに十分だった。水妖。単なる妖かしではなく、墜ちたりとはいえ神格を持つ精霊級だ。
「現場は密閉された二階にある小プールです。私たちを入れて八人の客がいました。まず水が溢れかえり、壁のように迫ってきました。全員そこに飲み込まれ、特に周辺にあった設備などは大変な破損でしたが、軽い人体は水流に巻き込まれた事でかえって怪我には至りませんでした。
魔性は出入り口付近を占拠、そこからおそらく結界を広げてゆくつもりだったようです。私たちは、あ、私と一緒に佐伯隊の山崎君がいたのですが、まず人命救助を優先しました。呼吸が停止していた男性が一人いましたが、短時間でしたので昆さんに教わっていた天使隊のライフガード方式で対応できました」
お盆を持って入室してきた母は会話の最中であると知るとテーブルにそっとお茶を置き、娘と鮎川にテーブルへと手招きをした。二人は加賀壬の報告の邪魔にならない様静かに四つん這いで近付くと、テーブルに五人が座ることになった。
「客が一名足りない事に山崎君が気づき、二人で探しました。私はその時になって結界があることに気づいたのですが、山崎君は渦巻き状の水柱になっている魔性の中にもう一名が取り残されているのを発見、救助に向かいました。魔性の攻撃は水鉄砲の様なMPタイプの攻撃です。探索時の装備がないので数度の接近、回避による観察の後、発射間隔と方向を見切って一気に接近し、中に取り残されていた最後の客を救出しました。しかし、その際に足を射抜かれました。私は彼が救出した女子高生らしい人を救いに行ったのですが、それが人ではなかったのです」
母はじっと聞いていたが、人ではない、という言葉に顔を青くした。
「彼女は助けてくれたはずの山崎君の肩にMPタイプの攻撃を仕掛けました。不意打ちを受け、立ち止まった所に魔性の攻撃が命中。彼は倒れました。私は前回チーム1が滅した二体による連携魔性と同じなのかと思ったのですが違いました。続いて魔性が彼女に攻撃をしたのです。でもその攻撃は効いていませんでした。痛いじゃないの、と言っていたので多少のダメージはあった様ですけど全然効果していない様子でした。
この段階で魔性と彼女が完全に敵対し、魔性は彼女を取り込もうとしました。MP体と認識したためでしょう。しかし、彼女は魔性の腕の中を難なく移動し、その胴体の真ん中で回転を始めました」
「回転!?」
黙って聞いていた陽一が目を見張った。
「回転していた時、腕は?」
加賀壬は不思議には思ったが、聞かれた事に素直に答えた。
「こんな感じで・・・」
両腕を肩の高さまで伸ばしてその姿を真似たが、右肩の打ち身がずきん、と痛みを訴えたので左だけにした。
「両方ともこうでした」
「そ、そ、それで・・・。足はあったか?」
「ずっと義足をしていたので気づきませんでしたが。カモフラージュでした。それが取れると膝から下が魂の尾になっていました。幽体だったのです」
開田はあからさまに緊迫を強めた。茜も母も見たことのないその表情。
「大回転ぐるりんこアタック・・・」
その言葉に吹き出しそうになった茜だが、兄は目を見張っており、その唇からもれた口調には全くギャグの印象がない。すぐにそれに気づき、笑いかけた口元のままで凍り付く茜。
「それで、どうなった?」
そう問われ、上げていた腕を降ろして加賀壬はまた続けた。
「魔性は徐々に削られ、最後は水の固まりになりました。しかし彼女は抵抗がなくなった段階で魔性との戦い、いえ遊びですね、それに飽きたらしく、魔性を無視し始めました。そのままでは再生しますし、なにより結界が開かないため、私が清めの塩を使って倒しました。
この魔性は人語を解し、自分でも話をしていたので知性がありました。言葉が現代語でしたので、魔性になったのは最近だと思います。予想ですが。水妖として封じられていたのがプールの工事で目覚めた自然発生的魔性では、と。なにかに執着していた感もありませんでしたので。でも、命尽きるまでただ戦うというのではなく、危機を察して一度撤退し、復讐を誓っていましたのでミスティッキンではなく、より高位の、おそらく水妖だと思います。
おなじく推測ですが、この水妖は出現時に八人の客を巻き込んだにも関わらず、水妖を倒した彼女だけを取り込んでいたので、彼女の存在が水妖を目覚めさせたのではないかと。強力な存在を察知し、自分のテリトリーを守るべく。まぁ、結局相手にもならなかったんですけど」
加賀壬はそこで一旦言葉を切り、礼を言ってからお茶をすすった。陽一は無言のままその様子を見ている。
すぐに加賀壬の言葉は続いた。
「えと、魔性の消滅で結界は緩みだしたのですが、問題は彼女です。山崎君があかねちんや倒れた人をそっと外に運ぶ間、私が見張っていたのですが、最後の二人、50代の夫婦だと思いますが、彼らを移動させている途中で、女性の方がパニックを起こしてしまったのです。その悲鳴で彼女が動き出してしまいました。私がその注意を引きつけ、山崎君が何とか脱出させました。
彼女はプールに唯一残った私を目標に決め、近寄ってきました。結界はすごくゆっくりと緩んでいったので、みんなが脱出するまでの時間を稼ごうと会話を試みましたが、いきなりMPによる攻撃を腹部に受けました。まるで猫が獲物をいたぶるように手加減したものでしたが。
私も装備がない状態なので、もう一袋あった清めの塩を腕に塗り、即席の結界にして戦闘に入りました。説得して聞く相手ではありませんので。接近戦に持ち込むしかありませんでした」
「接近戦・・・。待ってくれ、接近戦を仕掛けたのか?」
「はい。とりあえず術を使われたら負けなので、とっくみあいになりました。もう夢中で。結界が完全に消え、あかねちんたちが警備員さんを連れてきてくれるまで。プールサイドでごろんごろんって。
最後に覚えてろという捨て台詞と共に消えましたけど」
「とっくみあいは、ど、どれくらいの時間だ?」
「ほんの五分くらいです」
「五分も・・・。よく、無事で・・・」
「どこが無事なものですか、こんなに怪我して。引っ掻き傷に噛み傷。ひどいことを」
そういう母を無視し、陽一は加賀壬がテーブルの上に置いていた左手を握った。
びっくりする加賀壬、紫織に妹茜。母は嘆きに忙しく気づいていない。
「無茶なことを。いいか、加賀壬君、もう二度としちゃだめだ。彼女に、白石さんに接近戦を挑むなんて!」
「しらいし・・・さん?」
加賀壬はきょとんとして陽一を見返した。
第二章
「はい美咲でございます」
玄関に向かう廊下の脇でその電話を受けたのは、室町期にまで遡る退魔士の家系・美咲家の術者、真紗希冬美である。特に防御系に優れた彼女は有事には第二遊撃隊とでも呼ぶべき、撃手弐の指揮官である。ただし有事でない今、シンプルな茶系の和服にひらひらエプロンを付けたメイドさんだったが。
「由美お嬢様ですね、少々お待ち下さいませ」
真紗希は受話器を持ったままお辞儀をすると保留にした。
特別な術者でない限り、スピーカーや電話を通して言霊を伝えることは出来ない。しかし、その声が緊迫を持ったものであると悟った真紗希は屋敷の暗黙の了解に失しない限界という足早さで移動を開始した。御主一族の住居である奥のウィングに着くと電話の子器を手にして由美の部屋に向かった。
降って沸いた休日。部屋の模様替えを終え、勉強を始めようとしていた由美は丁度部屋にいた。
「由美様、超常現象研究会の副会長、開田様からでございます」
「ありがとう」
そう言って子器を取る由美。真紗希が知らないのは無理もないが、既に開田は副会長ではなかった。引退していたのだから。
由美は机に戻り、さっき手渡されたFAXを前に置いてから子器の通話ボタンを押した。
「美咲由美です。
はい。
世話をかけたようですね、編成の件で。
いえ、先ほど勝城からFAXが来ました。コンビニから送ったようですね。
そう、編成表の案です。どうやら知恵を貸してくれたようですね開田。
ええ、それは見れば分かります。勝城、前嶋、渡瀬。このメンバーの能力を最大限に生かした布陣。一見アンバランスながらきちんと筋の通っている案です。あなたらしいと思いました。
ご苦労様」
美咲由美は引退した身なのに手伝わせてすまない、という様な言い方は敢えてしなかった。OB同様、皆仲間なのだから。
電話の向こう側。
開田はテーブルに頬杖を突いた状態だ。注目の的、加賀壬はもちろん、母でさえ、あの美咲家に電話している息子を息を殺して見守っていた。
「いいか美咲、それとは別件だ。良く聞いてくれ。まずい事態になった」
開田の言葉で美咲由美は全神経をとぎすませた。この男が誇張などしない人物だと知っていたからだ。
「頑張りっこは俺の妹の級友だ。昨夜からうちに遊びに来ている。
今日の午後から夕方に掛けて。頑張りっこがSと接触し交戦した」
はっという緊張が電話から伝わる。
「信じられない話だが、頑張りっこは無事だ。白兵戦による実際の交戦時間は約五分。警備員が駆けつけて戦闘は終了。最後にな、Sはこう言ったそうだ。
覚えてろ、と」
美咲由美は沈黙したままだった。しかし、その頭脳がフル回転していることは間違いない。開田はそのまま続けた。
「あの移り気な奴の事だ、反撃は今日明日だろう。それ以上経って何も無ければ忘れているに違いない。
意見を聞きたい。三つ選択肢がある。
一つ目。頑張りっこを保護する。お前の所か本条会長の所でだ。一番安全だが、大ごとになる。頑張りっこの親への対応も練らなきゃならない。
二つ目。このまま俺が護衛して帰宅させる。幸い現役の頃の装備一式がうちにあるからな。頑張りっこの家は嘉木の市だそうだ。あれだけ遠ければSの活動範囲外だろう。だが、あくまで希望的観測だ。あいつは電車にだって平気で乗るからな。
三つ目。うちに泊める。昨日泊まっていったので、もう一晩泊まるというのは親に説明しやすかろう。今夜は俺が番をする。だが、俺だけではSに十秒と持たないだろう。お前か殿下会長、もしくはアタックチームクラスが必要だ。勝城隊と佐伯隊は連戦になる。篠木原隊だろう。
他に案があれば頼む」
電話を聞きながら加賀壬はどんどん蒼くなっていった。美咲会長か殿下会長。もしくはアタックチームクラス? そんな相手だったのか、と。
茜たちも脅えていた。話がとても深刻なものになってきたと察したからだ。特に茜には兄が別人に見えていた。
「うん。ああ、今俺の目の前にいる。ああ、傷は負っているが、Sと接近戦をしたとは到底思えない程の軽傷だ。清めの塩を有効に使ったようだ。現状なら親への説明も簡単だろう。うん・・・。
フルチューン済みのG17.5、ノクト付きだ。それとすっぴんのG17、ノーマルMAG三本に45連MAG一本、ガス大小三本。塩玉百発弱。雄崎先輩のお札付きのナックルに精霊銀のダガー。爆裂破三枚、封印護符一枚。お前の返し鏡一枚。霊水二本。それと頑張りっこが精神安定剤一本。以上だ。
うん。
うん、そんなところだろう。運が良くて、だがな。
ん、了解した。
ああそうだな。
うん・・・うん・・・。
あ、それは気にするな、お袋も昔は看護婦だった。怪我人を守るのに異存のあろうはずがない。
うん、じゃ」
電話を切り、陽一はすぐに立ち上がった。
「対策を協議するそうだ。すぐに連絡が来る。
加賀壬、来い」
茜と紫織がはらはらしながら見守る中、陽一と加賀壬は居間を出て二階に向かった。母は黙って座っていた。
美咲は電話を置くと、まず一言うなった。
「対S大作戦」が行われたのは丁度去年の今頃だった。それ以降、度々の遭遇はあったが、なんとか事なきを得ていた。一昨日会った時にも。そこに降って沸いた加賀壬との衝突。驚いたのは五分ものサシの勝負で加賀壬が倒れなかったと言うことだ。去年のあの作戦では超常研に生徒会、そして在校生有志含め、ほぼ全戦力で立ち向かい、それでもSを浄化できなかった。しかもあの時の超常研は殿下、精進、雄崎、佐倉井などなど、そうそうたる面々だったのに、だ。
美咲は電話のダイヤルを押し始めながら、S、こと白石春香と加賀壬宏子の二人を思い描いていた。二人は大きく性格が異なっている。水と油ほどもあろう。しかし、この二人に共通な部分もあった。それは・・・。
二人とも頑固者なのだ、そりゃもう、もんのすっごく。
美咲はまず殿下に電話をかけたが、「お客様の都合によりこの電話番号は現在使用できません」と女性音声に告げられた。次いで香坂に電話がなされた。Sの近況を確認するためである。香坂と元生徒会書記の井山は中学時代からSと親友であり、今でもちょくちょくお茶している事を美咲は知っていた。彼女はまだ大学の研究室におり、すぐにつながった。だがその返事はこのところ忙しくて会っていないというものだ。続いて美咲は篠木原に電話をした。
香坂は報を受け、パニックから立ち直ると隣室で仮眠しようとしていた精進に相談し、Sの波動を確認することにした。二人は残っていたスタッフ四人をかき集め、直ちにコントロールルームに向かった。実験中の波動確定装置「くみちゃん3号」はまだ試動段階だが、幸いSの波動はいやと言うほどデータがある。近距離にいれば分かるはずだ。精進は電源の緊急供給を受けるため奔走したが連休中である。すぐには大学職員との連絡は無理そうだ。そこで仕方なく本条を頼った。本条は科研の電源車の出動を指示すると共に天使隊を緊急招集した。しかし、その過程で昆と渡瀬にはその報は意図的に伝えられなかった。既に天使隊のメンバーではないからという理由ではなかった。彼らだけではない、佐伯隊と勝城隊には内密にという指示が付け加えられていたからだ。彼らが死線をくぐってきたのはたった36時間前。明日にも魔性狩りが発生するかもしれないのに、彼らを動かすわけにはいかなかった。特に佐伯隊はその報を受けたのなら這ってでも集まることは必至である。またSの件は自分の代の責任であり、新一年生に押しつけるわけには行かないという気持ちが先輩たちにあったのも確かである。
かくして「頑張りっこがSに喧嘩を売った」という伝言がOB、二・三年生に駆け巡ったのである。
第三章
加賀壬は開田陽一の部屋のベッドに座り、その持ち慣れない、冷たく堅い感触を味わっていた。言われたとおりに動かしてみるがいつ何が起こるのか怖くて仕方がない。おっかなびっくりという感じである。それも当然である。加賀壬はガスガンとは言え、銃など初めて持ったのだから。
ここにマガジンを入れて、向きはこっちが前。で、バチンって言うまで、言うまで・・・バチンって・・・
言わないよぉ!
「少し戻して。もっと勢いよくやってごらん」
「は、はぁ・・・
えいっ! お、おおっ、これでいいんですか!?」
「!
加賀壬君、銃口は人に向けないように」
「あ、はい、すみません先輩!」
開田は加賀壬のホールドをもう一度修正した。
「いいかい、ノクト・プラズマ・ビジョンは便利だが、一つ欠点がある。対象全体が光ってしまい、どこにレーザー光が当たっているか見にくいことだ。これは慣れるしかないのだけど、その時間がない。だから、相手が赤く染まったらとにかく撃つんだ。撃ってずれたらその分銃口をずらしてまた撃つ。ほんの少し、そう、これぐらいずらすだけで4メートル先では50センチはズレる。それで外れたらまた撃つ。で、当たったら引き絞って三発発射。正確に三発である必要はない、ダダダッという感じでいい。引き金が二重になっているだろ、この奥のが連射用の引き金だ。引き絞れば連射する。いいね、一発ずつ撃って着弾修正、当たったらすかさず連射だ」
加賀壬は弾の入っていないガスガンでそのタイミングを必死に覚えようとしていた。これは本来単射であるG17タイプのガスガンに二重のシアーを組み込み、連射式のG18同様の機能を付けてある。その両方に使えるので通称G17.5と呼ばれている改造タイプだ。当時アタックチーム隊長だった開田のため、スライドのすりあわせはもちろんバレルからチャンバー、パーツ一部金属差し替えに至る隅々まで手作業で調整された逸品である。
彼女の側には安物のコンパクトがある。美咲家の秘技、鏡返しを封じたものだ。そして霊水が二本。MP無限大のSにこの程度の装備でどこまで対抗できるかは分からない。もしSが本気になった場合、その恐ろしさを開田はよく知っていた。いや、覚えていたと言った方が正確だ。そう、あれはほんの一年前だったのだから。
美咲から電話が来た時、開田はすぐに子器でそれを受けた。
美咲の決定は開田の提案の折衷案だった。今夜加賀壬は開田の家に泊まることにする。そしてこっそりと美咲家に移送し、篠木原隊と美咲自身の結界で彼女を守るというものだった。
「Sに対し陽動効果を持つMr.Gondaは残念ながら相撲部屋の地方興行に同行のため不在です。殿下会長とも連絡が取れません。本条会長が出迎えの車を出してくれましたが、アパートにいるかどうかも不明ですので不在として進行します。
あなたの家には本条、仲田野、箕輪、田内の先輩方が迎えに行きます。加賀壬さんを車に乗せたら、あなたは自宅を警護してください。Sが足跡をたぐり襲撃してくる可能性があります。野木、森本、大下の三名と天使隊から二名が増援に向かっています。指揮はあなたに任せます。もし襲撃を受けても場所が市街地であり、かつ結界内ではありません。周辺の被害も鑑み、深追いはせず、時間稼ぎに専念してください・・・」
開田は黙したまま指示をメモに写していた。その後ろで加賀壬は開田が貸してくれたショルダーバックのベルトを調節していた。これは昆が使っているようなざっくりとした帆布製のバックだが、下部に切り込みが付けてあり、そこにベルトが追加されていた。ベルトは穴で固定する物ではなく、バックル自体で挟み込む黒い男性用の自由調節型だ。開田の物だったので長さが随分余るが、その分はバッグの切り込みに入れて調整した。袈裟懸けに肩に掛けた本来のベルトも一番短くし、どうにかまとまったので、早速霊水やコンパクトを入れ始める加賀壬。
開田家から電話が来た時。加賀壬家では丁度夕飯の準備が出来たところだった。宏子の分は無駄になってしまったがジップして冷凍しておけばいい。加賀壬母はそう思った。
「なんだ、また泊まるのか?」
「おしゃべりで盛り上がってるんでしょ、女の子ですもの。向こうのお母さんまで電話に出てらしてお預かりしますとか言われちゃったわ。もう何かおかえし考えないと。あの子ったら人様に迷惑かけてないといいんだけど」
その子が数十名に登る人たちに迷惑をかけだした所であるとは露知らぬ母。と、電話がまた鳴った。
「あらあら、今夜は忙しいこと・・・。
はい加賀壬です。
はい、はい・・・。あ、すみませんね、あの子今日はお友達の所にお泊まりで・・・。
え、あらあら、それはどうも娘がいつもお世話になっております、はい、はい。ええ、クラスメートの開田さんの所に・・・。そうなんですよ、ええ。
あ、はいそれでは今後とも娘を宜しくお願いしますね、はいお休みなさい・・・」
母は受話器を置いた。
「宏子も友達が増えてきたなぁ」と父は嬉しそうだ。
「でも、家に呼ぶわけにもいかないしねぇ、この狭さじゃ・・・。どうしましょうねぇ、おかえし。あぁ、せめて客間があったらねぇ・・・」
父はテレビに夢中を装う事にした。
三年の森本と大下は開田と家が近いこともあり、チャリですぐに到着した。OBの天使隊員、郭(くるわ)佐恵も同じ町内なのでこちらは文字通り駆けつけてきた。これで臨時ではあるが開田隊の新結成となった。
「諸君。いいか、相手はMP体だ。しかもそのキャパは無限大というあのSだ。まともにぶつかったら意味がない。とにかく一度仕掛けたらすぐに逃げろ。あの短絡思考だ、必ず追尾してくる。逃げて逃げて逃げまくれ。そして奴が本来の目標を思い出したらまた仕掛けろ。
諸君。臨時とは言え君たちは俺の指揮下に入った。開田隊の一員になったのだ。いいか、我が開田隊は壊滅したことがない。隊結成以来、病院送りになった者もいない。忘れるな。俺の指揮下にいる限り、倒れることは許さない。危なくなったら逃げろ。少しでも危険を感じたら助けを呼べ。
俺たちが守るのは仲間だ。だが仲間という言葉のその中に、自分自身も入っていると言うことを忘れるな」
開田は居間でその仲間たちの顔を見回した。
「よし、じゃ森本は勝手口を頼む。向こうは幽体だ、出入り口以外にも、地表も上空も十分に注意してくれ。大下は俺に付け。郭先輩、加賀壬をお願いします」
開田はてきぱきと指示を出し、開田家の防衛案を用意しだした。安全のために茜と紫織は近所の鮎川家に預けたかったが、この二人はどうしても加賀壬の無事を確認するまでここを離れない、と言い張った。今は説得している暇はない。そう判断した彼は母に全権を委ねた。危険だと思ったら二人を連れて鮎川家に行ってくれと。そして二人は母の決定に逆らわないこと。それを条件に三人は家に残った。今夜、父は取引先への接待で長野へ出張に出かけていった。二人は母に任せるしかなかったのだ。
森本はギターバッグに入れてノクト・プラズマ・ビジョン付きのG3を持って来た。現役時代には彼の弾幕は有名だった。長物は弾数が多いだけでなく射程が長い。かつ電動で安定射撃が出来る。大きな戦力だ。大下の方はお札付きの金属バットしかない。部屋の中で使えるシロモノではないので、開田の精霊銀製ダガーを持った。郭はアイテムはなかったが、天使隊として二年以上の経験があり回復は安心して任せられる。また彼女はバックアップを手伝うこともあったので、超常研のOB並に戦闘にも通じている。なにより加賀壬の側に誰か同性が付いていてあげるのは精神的に大事だろう。開田はそう感じていた。
どんなに兵力をつぎ込んでも。最後は加賀壬自身の気力がものを言うのだから。
「君はSと五分も対峙した。その意志の強さと自信があれば、大丈夫だ」
開田はそう言って加賀壬の志気を鼓舞したが、知り合ったばかりの彼女にどこまで効果があったかは分からなかった。
第四章
開田家から1ブロック先の住宅街。そこに表札を一件一件見て歩く女性の姿があった。
この辺のはず・・・。ここも違う。こっちも違う・・・。開田、開田・・・。
一つずつ一つずつ、表札を確認しては歩いてくる。
その影に最初に気づいたのは到着したばかりの野木だった。彼は指示されたベランダに陣取り、空中からの侵入に備えていたのである。
「のり子ちゃん、開田を呼んで」
彼は腹這い姿勢のまま、首だけ曲げて相羽のり子に告げた。野木が迎えに行き一緒にチャリに乗せて来たのだ。郭と二人でSに関する昔話を加賀壬に伝えていた相羽は緊迫した顔ながら黙って頷くと階下に走って行く。
「来たの・・・」と郭の声。
「分かりません。ただ近付いて来ている女の子らしい影があるんです」
加賀壬の肩をぐっと抱きしめる郭。
「開田君を信じて。ね、加賀壬さん。すぐにお姉さまも来てくださるから」
加賀壬は唇を噛みしめたまま、両手で握ったG17.5型ガスガンを見つめていた。
開田の指示で加賀壬と郭は裏口に近いキッチンに移動させられた。接近する者の丁度反対側の通りに出られるからだ。そこに大下を付け、森本は廊下の端に陣取った。玄関までの直線をG3で支配するためだ。その玄関付近に野木。中央にある階段に開田と相羽が潜んでいた。母と女子二人は二階の茜の部屋に移動していた。平面戦になる以上、二階の方が安全性が高いと思われたからである。それに緊急時にはベランダから物置の屋根を伝って庭に降りることもできるのだから。
「隣の家だ。はす向かいに行った・・・。
来る!」
玄関の覗き穴から見ていた野木はすぐに玄関脇に戻った。MP体にとってドアなど何の意味もないからだ。開田は階段側にあるインターフォンを見つめていた。通話ボタンは押してあり、モノクロの映像が小さなモニタに映し出されている。影がこちらに来る。どうやら門柱にある表札を見ているようだ。偽名に書き替えておくべきだったか。そう思うがもう遅い。モニタに写されていた景色が急に真っ暗になった。びくっと相羽が身を震わせたのを悟り、開田が軽く手を振った。カメラの真正面、至近距離に誰かが立ったのだ。それが分かっていたから。
すっと体を下げ、その誰かはドアフォンを見つけたようだ。
ピンポ〜ン・・・。
家中に満ちる緊迫感。
「違う!」
開田はそう叫ぶと野木の脇をすり抜け、駆け足で玄関に出ていった。相羽がそのモニタを見つめていた。そこにはポニーテールを揺らす細身の女の子が映っていた。
玄関を開けた開田陽一。門までは1メートル程の距離がある。がちゃっという音と共に不意に明るくなり、玄関が開かれたと知った来訪者は鉄格子状の門扉の前に立った。
「夜分遅くにすまない。開田茜の家はここか?」
はっきりとした声。
「君は?」と、周囲に素早く目を送りながらも来訪者の動きに注視する開田。野木はそのすぐ後ろで警戒態勢に入っていた。
「私は昭和高校一年D組、前原静音という。ここに加賀壬宏子が来ていると聞いてきたのだが・・・」
開田は躊躇した。この非常時に新規の来訪者。しかも加賀壬に会いに来ているという。彼女の精神に今、これ以上負担をかけさせたくない・・・。
そこまで考えたときだ。その名前に思い当たった。今日見たレポート用紙にあった名だ。来訪者の体格もその顔立ちにも見覚えがあった。
「前原の親戚か?」
前原はぱっと表情を明るくした。
「鈴ねぇの知人か? そうだ、私は前原鈴音の従姉妹だ。加賀壬宏子に渡したい物が・・・。
・・・。そうか、お前が勝城先輩の尊敬する男か?」
開田は門に近寄り素早く鉄扉を開けると前原を玄関に招いた。
「すまん、話は後だ。今は作戦行動中だ。助力して欲しい」
前原はきっと眉をつり上げ、頷くとすぐに玄関に飛び込んだ。鉄扉を閉め、もう一度周囲を確認して玄関を閉じた時、家の中から加賀壬の声がした。
「前原さん!」
郭の腕をすり抜け、加賀壬は腹這い状態の森本を飛び越え、G3の射線上を一気に駆け抜けて前原の背に飛びついた。まだ玄関でブーツを脱ぎ終えておらず、片足状態だった前原は一瞬ぐらりと体勢を崩し掛けた。だがその荷重をさらりと流し、次の瞬間、加賀壬の小柄な体は前原静音に正面から抱き留められていた。開田と野木は目の前で行われたその流れるような挙動に舌を巻いた。ものすごいバネとしなやかさを併せ持つその体に。
「あ、危ないぞ加賀壬宏子。急に来たら・・・」
「前原さん、よく、よくここが分かったね!」
加賀壬の顔は輝くほどに明るい。興奮に頬も紅に染まっている。さっきまでの蒼白さがウソの様だ。その加賀壬を見て、前原もぱっと表情をほころばせた。冷たい印象のあった端正なその顔に、光が灯ったかの様に。開田も郭も理解した。仲間なのだと。
「お前の級友、開田という者の家に泊まっていると聞いた。勝城隊の前身、開田隊の隊長の家だと思い、鈴ねぇに聞いてみたのだ。そうしたら去年の超常研の連絡網と地図を見せてくれた。でもこの辺りは来たことがなかったから、最後は一件一件表札を見てきたのだ。随分迷ったぞ」
「嬉しい。前原さん、来てくれて嬉しい」
前原の顔はより一層輝いた。笑顔と言うよりも有頂天という程に。
「そ、そうか? そう言って貰えると迷った事も無駄ではないな、加賀壬宏子!」
「そんなに迷ったの? でも、会えて嬉しい」という加賀壬は前原にしがみついたままだ。
「で、何が起きているのだ? 一体何の作戦だ? 開田隊長は引退したと聞いたが・・・」
「私を守ってくれてるんだよ。ちょっとわけありでね、私、なんかすごい幽体に睨まれちゃってて・・・」
前原はそれを聞くと不意に表情を戻した。そして加賀壬の腕をそっとどけ、すっとその前に跪いたのだ。
「ならば私が今夜ここに来たのは必然だ。私はお前に従う者だからな、加賀壬宏子。命じてくれ、守れと。我、前原静音は今度こそ必ず守り抜いてみせようぞ、加賀壬宏子を。我が誓いの主を」
その言葉に全員が凍り付いた。加賀壬も含めてだ。最初に呪縛から解き放たれたのはやはり陽一であった。
「はい、ストップ。加賀壬、感動の対面は後だ。前原が尾行された可能性もある。郭先輩と一緒に俺の部屋に行ってくれ。
みんな、対平面戦配置終了だ、元の配置に戻ってくれ!」
開田がぱん、と手を打つと、皆パラライズから解き放たれて動き出した。
二十分後。陽一の部屋で加賀壬はその鞘を見つめていた。朱塗りのその仕上げは骨董品、いや古美術品の様だ。
「お守りだと思ってくれていい。邪気を払う願が込められている。我が祖父照正の祈祷だ。必ずお前を守ってくれよう」
加賀壬はどうしてよいのか分からなかった。
「でも、これは前原さんが持っていた方が・・・」
前原は首を振った。その拍子に長い髪が郭の腰を打ったが気づいていないようだ。
「だ、だめだ、お前が持たねば。私は既に大君の加護を受けている。しかし、お前は守ってくれるものがいない。この鞘は我が祖父の願を受け、我が父照兼の代わりにお前を守ってくれる。頼む、身につけていてくれ。
魔王と・・・。
魔王と闘って分かったのだ。今の私では・・・我が拳だけではお前を守りきれんと。だがそれでも私はお前を守る。足りぬ力を父と祖父が貸してくれる。頼む」
前原がまた跪こうとしたのを察し、加賀壬は頷いた。
「う、うん、持っていればいいのね? 分かった」
「そ、そうか、持ってくれるか加賀壬宏子! よし、ならそうだな、腰かな?」
前原はいきなり加賀壬のブラウスの裾をキュロットから抜き取ろうとした。
「わ、わっ、ちょっと!」
「肌に直接付けておくのが一番だ」
「ストーップ! 前原。それは俺が出て行ってからにしてくれ!」
開田陽一が慌てて止めに入らなければ、加賀壬は危ういところだった。
「前原、これを使え」
開田が差し出したのはナックルだった。
前原はふっとその鋼鉄製らしき物体に目を向けたかと思うと、それをじっと見つめた。
「清められているな。方法は分からないが、破邪の波動がある」
「そのとおりだ。この線から二つの部品で出来ているな。取っ手というか、握りの方は鋼鉄。上は精霊銀だ。そしてその間に、三月に卒業した書道部の先輩が合唱部聖歌隊と組んで作った悪霊退散の札が埋め込んである。
どうだ、使えそうか? お前は拳で魔王を駆逐したと聞いたが」
前原はそれを手に取った。
「支障無い。方法は異なるようだが、これは私にも発現できる。しかし、この金属は不思議だな。何か、その、吸い込まれるような感じがある」
そう言い前原はナックルの表面を撫でた。何か指先に吸い付くような感触があるのだ。
「精霊銀ですから」と行ったのは郭。
「銀に隕鉄を混ぜてあります。その時に美咲の由美さんが呼んだ精霊さんに入って貰うのだそうです。精霊さんはすぐに帰ってしまいますが、その姿が中に写しとられているので、使用者の意志でまたすぐに寄りつかせることができると聞いています」
それを受け継ぐ開田。
「プラスお札の二重構造だ。札に込められた光と風の精霊との<えにし>がどんな闇の中ででも力を発揮する。魔王のゲートの中でさえ、だ。使っていた俺が保証する」
前原は右の拳にそれをはめた。彼女の手は加賀壬より随分がっしりしているが、開田よりは小さい。しかし、鍛えられたその拳は大きめの輪で作られたそのナックルを難無く押さえつけることが出来た。
「これを、私に?」
「俺よりもお前の方が効果が高いだろう。俺はこいつがあるからな」
そう言い開田はガルコのショルダーホルスターに収まっているガスガンを見せた。現役時代、メインに使っていたフルチューン済みの方は加賀壬に貸してある。彼の肩の下にあるのはインナーバレルも換えていないすっぴんのG17だ。ノズルとチャンバーを塩玉用に改造してある以外、市販品のままである。レーザーサイトも付いていない。だが開田は不安の色を微塵も見せてはいなかった。
「それに俺はここの守りが任務だ。もうすぐ先輩たちが加賀壬を迎えに来る。俺はここに残るが、お前は付いていてくれるんだろ?」
前原は力強く頷いた。
「無論。加賀壬宏子の隣りこそが我が場所、我が地!」
「OK。頼むぞ!」
そう開田が言った時だ。カーテンの向こうから野木の声がした。
「来た、車が二台! 多分先輩たちだ」
第五章
「待たせましたね開田」
道幅一杯という感じのリムジンから降りた本条百合恵は後輩に短くそう告げた。
「Sは来ていません。加賀壬をお願いします。開田隊は引き続き任を続行します」
開田は本条にそう答えると、玄関を警戒して待機中の野木に手を挙げた。
「すぐ加賀壬ともう一名が来ます。偶然加賀壬に会いに来た、佐伯隊の前原という者です。是非彼女も同行してください」
本条は予定が狂ったことにごくわずかに眉を潜めた。本条は何より「予定」を重視し、些細な変更や遅れも決して許さない人物だったから。ほとんど表情を表に出さない彼女だが、開田はその変化を見て取った。
「加賀壬の<盾>を自ら任ずる女性です。殿下会長が<モノホン巫女>と名付けた者で、巫女ゆえMP戦に有効です。なにより彼女の到着後、加賀壬が目に見えて緊張を減らしました。是非同行を」
そう開田が言う間に、どうやら玄関に二人が到着したようだ。前原により、加賀壬の下半身がひん剥かれていたので時間がかかったのである。
「分かりました。お前の経歴を評価して進言を受けましょう。
ところで開田。一つ質問があります」
「はい」
「昆愛姫さんをどう思っていますか?」
「は? D組の昆・・・ですか?」
突然の質問。どういう意味だ? 開田は一瞬困惑したが、すぐに答えた。正確な質問の意図は不明だが、開田はそれを想像したのだ。昆は本条の指示に背き、天使隊を辞めてまでアタックチームに入った。彼女の勇気ある行動を支援すべきだと思ったのである。
「入院者0を守り続けた我が開田隊は昆、渡瀬、相羽妹たち天使隊あってのものです。その天使隊で、我々と一番バックアップでの同行回数が多かったのが昆です。何度も助けられました。信頼できると思います。アタックチームに同行することで、安全性がより一層高まったと会員一同喜んでいます。
すみません、作戦行動時以外にはほとんど会話したことがないために、それくらいしか・・・」
本条はその鋭い目つきで開田を見ていた。
昆は殿下が唯一、個人識別できた天使隊の隊員だった。その真剣さを評価され、特に危険度の高いアタックに指名されていたのである。そして昨年夏以降、解散までの間、開田隊のバックアップにはほぼ毎回昆が配属されていた。それはつまり、開田隊の任務が重要なものだったという証しでもある。
開田自身、一年の時にアタックで入院したことがあり、そのせいか、彼は隊員の安全を最も重視していた。脱出による再挑戦も辞さぬため、初挑戦では出来ずとも、再戦で必ず任務を完遂してきた。現在のエース、篠木原隊も完遂し続けている。しかし、彼ら全員が無傷で戦闘終了したことはほとんど無かった。美咲の療術者のおかげで長期入院こそ無かったが。傷だらけでも最短時間で完遂する「常勝」篠木原隊。勝てぬとも決して負けない「無敗」開田隊。この二者は成果こそ等しいが、過程が大きく異なっていた。
その開田の実績を再び認識すると共に本条は隠し事はないと判断した。そこで彼女は頷いてその会話を終了させた。開田にはその質問の真の意味は生涯分からぬままだが、分かったら呆気にとられたことであろう。まさか自分が嫉妬と憎悪の対象になりかけていたなどとは想像もできなかったから。
「お待たせしました!」
加賀壬が背の高いポニーテールの女性を従えて玄関から姿を現した。すると本条に同行してきたOBの箕輪が清めの塩を一袋、すっと差し出した。「ありがとうございます」と貴重な袋を受け取る加賀壬。前原はその加賀壬のすぐ後ろに立ち、全周への警戒を怠らない。
本条は以前に二回、前原をちらりと見かけてはいたが、加賀壬や昆の方に気を取られていた。今、「予定を乱した者」として初めて前原を観察したのだ。加賀壬の頭越しに、きりりと表情を引き締めている、眼光鋭い彼女を見て、一学年下だった弓道部の前原鈴音を即座に思い浮かべた。そっくりだと思ったのだ。しかも鈴音よりもさらに純度の高い無垢さと誇り高さを見抜いた彼女の心はどきん、という感じで動揺した。
まぁなんて純粋そうな子。欲しい。
本条、欲望の一瞬。しかし、すぐにそれは識域下に沈められた。気配を察した仲田野美雪にいきなり背中から囁かれたのだ。
「お嬢・・・分かってるね、今がどういう事態か」
美雪の有無を言わさぬその声。いつの間に車を降り、そしていつの間に背後を取られたのか。本条は内心の驚きを隠すように体をひねり、さっとドアを指し示した。
「さぁ、宏子さん、前原さんもお乗りになって、急いで!」
玄関側を野木、道側を箕輪に守られ、加賀壬と前原は先輩たちへの挨拶もそこそこに車中の人となった。
「では開田。足止めを頼みます」
「はい。お任せ下さい。
車中のご無事を祈ります」
箕輪と田内が先行車に駆け寄り、本条と美雪が加賀壬たちの乗るリムジンに乗り込んだ。がっしりとした体格でスーツ姿の男がそのドアを閉める。ドアが閉じる瞬間、加賀壬宏子は開田と郭に頭を下げたが、すぐに偏光防弾ガラスの向こうに消えた。
走り去る二台の車。見送った開田は振り向いて宣言した。
「さぁ、俺たちの任務を継続しよう」
開田は母と妹たちを脱出させる為、野木を玄関に残したままで居間に向かった。
「や、やっぱりダメだ」
「せめて範囲がもう少し広ければ・・・」
零峰大学のプラズマ分離研究棟の地下でオペレーター二人はうめき合った。本条家からの電源車に同乗してきた科研の黒田主任の協力もあり、「くみちゃん3号Ver.4.53」はわずか四分で稼働状態に入った。これでSが近隣にいれば、暗闇の中に光る灯台の様に位置を特定できる。だがその反応はなかった。
しかし、その有効範囲はまだ実用予定値には至らず、町の南半分をカバーしているに過ぎない。開田の家はぎりぎりというところ。町の北端にある美咲の山は遠すぎた。
「く、黒田さん、三号車を出してください」
精進のその言葉の意味を理解できなかったのは黒田だけではない。高校時代からずっと精進の側にいた香坂でさえその意図するところが読めなかった。
「ええ。三号車は予備電源ですから大丈夫です。で、どこへ?」
「がっ、が、学校です!」
精進はそう言うが早いか、準備のために走り出した。
「え? 本校舎ですか?」と慌ててその背に問いかけた黒田に答えたのは、精進の行動をやっと理解した香坂だった。
「違います、高校、昭和高校です!
Ver.5を稼働するには電源車一台ではパワー不足ですが、あそこの講堂地下には分離器の試作1号機があるんです! あれで波動をブーストすれば三号車一台で十分に稼働します!」
香坂はすぐにスタッフから二名を選び、くみちゃん3号シリーズの最新試作機、Ver.5の移動を指示した。能力的にはVer.4シリーズに劣るが、大きなトランク一つ分で済むのが最大のポイントだった。巨大な部屋一杯のサイズがあるVer.4シリーズとは比較にならない。しかし、小型化を第一目標にしていたために電源は完全別供給になる。今はその電源の小型化にチャレンジしていたのだが、既存の電源を利用すればすぐに稼働できるのだった。
本条精機の科学技術研究所主任、黒田凛翔(りんしょう)は右手でその大きな額をパンと叩いた。
「なるほど、お嬢様の母校からなら北半分をチェックできる! 寺久貴君、凌菅君! 分離器に直付けする事になるでしょう。二号車からありったけのコネクタとケーブルを引っこ抜いちゃって、三号車に乗せるんです!」
「変圧器もいりますね!」
「あ、ツインのは一号車に積んでありましたね、よしそれは私がやりましょう。君は二号車のクロスの方を頼みます」
科研のチームも駆け足で出ていった。
「な、なぁ来須。俺たちはどうしたらいいのかなぁ・・・」
取り残された谷は相棒に語りかけた。
「うーん、安全域に乗せたまま、このまま稼働し続けるしかないんじゃないか? Sは電車にも乗るそうだし。駅と線路をカバーするにはこっちだろ」
「そっか、南北両方で同時にチェックしなきゃだめだよな」
コンソール前に座った白衣の二人は指示あるまで現状維持だろうと頷きあった。
香坂の携帯が鳴ったのはVer.5を専用ケースに収納している時だった。
バイブレーションする携帯を手にしながら、アンテナ線を内蔵している廊下に近付く香坂。
「はい。あ、かなちゃん・・・。
そうなの・・・。うん。
うん分かってる。るかちゃんを二度とあんな目に遭わせるなんてできないよ。
うん。見付からないの。
るかちゃん、怒ってるならなんとかしないと。うん。
あ、大学じゃだめ、これからプラズマ分離器、そう講堂に埋めてある奴、あれを稼働させに高校に行くの。うん、うん。
絶対。絶対だよ、かなちゃん。うん分かってる。
それじゃ学校でね。うん」
香坂は携帯を握ったまま立ちつくしていた。
中学時代、かなちゃんこと井山加奈子と白石春香は香坂の大事な親友だった。三人一緒に同じ高校に入り、そして三人一緒に三年間を過ごせると信じていた。白石の交通事故があるまで。何の疑いもなく。
あれから三年が経った。今でも香坂は白石の死をどこか信じ切っていない自分がいる事に気づいていた。手を握ることもできるし、一緒にお茶を飲んだり、ケーキを食べたり、ビーズ遊びもできる白石。しかし、その姿は記憶にある高一の頃のままだ。実体にしか感じられないが、それでも幽霊は幽霊なのだ。いつかは悲惨な消滅を迎えることになるだろう。その前に。なんとか彼女を昇天させてあげたかった。しかし、その方法は未だに見付かっていない。
「香坂さん、リフトに積み込んじゃいますよ!」
「あ、待って、点検するわ!」
香坂麻妃は携帯を白衣のポケットに突っ込むとVer.5の移動最終点検に向かった。
その頃、美咲家の前庭に篠木原隊が集合していた。彼らの前にたつ美咲由美の後ろには美咲家の戦闘服とでも言うべき呪い着と切り込み服に身を固めた女性が11名控えていた。妖し狩りの実戦部隊たる遊撃隊、「撃手壱」である。その指揮官小林由佳もまた呪い着を着込み、美咲家筆頭術者、由美の隣りに控えていた。
「諸君。今回の作戦は校内活動ではありません。殿下会長とは連絡がとれていませんが、校外活動である以上、封印呪法以外なら美咲の術法使用をお止めにはならないでしょう。ですから今回は私も参戦します。通例と異なり、私がフォワード、篠木原隊がバックアップです。
当屋敷の敷地内は呪法による要塞です。またそれだけではなく、魔性の結界内と異なり、時間はこちらに味方します。天候がどうであろうと夜明けから日没までは当家の結界で完全にカバーできます。宜しいですね、時間はこちらの味方です。夜明けまで防衛し続けること、それが勝利条件です。
美咲の結界内であることは篠木原隊にとっても大きく味方します。真由美の目は結界内総てを見ることが出来ますし、美由美も地の利があります。諸君の利点は大きいのです。
しかし、相手はあのSです。一瞬の遅れも許されません」
美咲由美は篠木原隊を前に最後の訓辞を述べていた。本条から加賀壬収容の報が入ったのは三分程前だ。彼らが美咲屋敷内に入った所から、最終防衛が始まるのである。
同刻。零上川通りの幸橋交差点の遙か上空で。Sはゆっくりと西進していた。その目はいつもの茶目っ気たっぷりの物ではなく、獲物を求める狩人の瞳だった。その姿は透明化しており、月明かりの中でも誰一人見いだすことはできなかった。
どこにいる? あの眼鏡。どこに住んでるんだ?
Sは加賀壬を求め、ゆっくりと、ゆっくりと市街地上空を移動していた。
つづく