<超かいき★くえすと>くえすたぁず

 

第十一話:加賀壬さん休戦す

 

von:秋澤 弘

第一章

 放課後。すでにこの時刻の風物詩と化している加賀壬の疾走姿があった。少しでも遅れると校内放送が待っているからである。
 図書室の前に着くと扉が開く。
 「加賀壬です」
 荒い息を整えながら名乗って入室すると、香土岐がファイルの山の向こうから顔を出した。
 「昨日はすまなかったな。急用があってな。
 よし、では早速続きから読め。ここで聞く」
 先生は忙しそうだ。上着を脱いで鞄から教材を出す加賀壬は先生が埋もれているファイルが随分古いものだと気づいた。多分超常研の事件簿関連ではないだろう。何か調査しているようだけど・・・何だろう。
 しかし、今の加賀壬には香土岐から与えられている課題をこなす方が先決である。座って前回のページをぺらぺらとめくり、頭の中を切り替えてから読み始めた。

 途中二回ほど発音を修正され、読み直したが、今日はすんなりと進んだ。よかった。昨日ベッドに潜り込んでから、念のためにもう一度読んでおいた甲斐があった。加賀壬は少し嬉しくなった。
 「舞い上がるな。とりあえず単語の発音は合っているというだけだ。アクセントはともかく、イントネーションは全然だめだ。情感の籠もった音読にはほど遠いぞ」
 香土岐はファイルに何か書き込みながらそう言った。
 うーん、そうだろうな。加賀壬は思った。話はもちろん分かっている。和訳を読んでいたから。だから会話等のシーンなら大体分かるのだが、この小説にはあんまり会話がない。それが成り立たない所がポイントなのだから。早く意味が分かるようになりたいな。
 「分かっているのなら練習あるのみだ。明日もしっかり練習してこい。日曜もさぼらずに自習はしていたようだな。お前は初学者だ。一日の間隙が数日分戻す事になりかねん。注意しろ。
 見てのとおり、私は忙しい。今日はここまでだ」
 え?! まだ一時間も経ってないのに?
 香土岐は俯いたまま答えた。
 「まずは毎日必ず継続することだ。アズブーカに対する壁が消えたところで、一気に本題に向かう。それまではまず慣れることだ。いいな加賀壬。まだ先は長いぞ、気を抜くなよ。ダスビダーニャ!」
 「ダ・スビダーニャ!」
 反射的にそう答えてから、加賀壬は思った。前に先生が言っていた。語学の最初の難関は文字だと。そう言えば、最近はこの33文字のアズブーカ(アルファベット)に抵抗感がなくなっているような気がする。なんとか前進してるのかな?
 鞄に道具を詰め直し、加賀壬は忙しそうな香土岐の邪魔をしないようにそっと図書室を出た。
 あ、そういえば!
 戸が閉まってから思い出した。この前見たあの右奥の書庫。今度調べようと思ったのに忘れてた。
 でも今日は無理だろう。そう悟った加賀壬はまた慌てて階段を降りていった。

 一旦部室棟に行き、トイレで体操着に着替える。靴を履き替えてすぐに弓道場に向かう加賀壬。
 「すみません加賀壬です」
 名乗って土間にあがると、奥から倉知先輩が現れた。
 「おっ、来たね、飛び入り。図書室の方は終わったの?」
 「はい。今日はなんだかすぐに終わっちゃいました。で、来ました」
 倉知は加賀壬を連れて道場の脇に向かった。下に茣蓙が敷いてある地面に裸足のまま降りる二人。
 「今日は見てのとおり場所がなくてね。ま、まずは昨日の型、やってみな」
 倉知は鬼コーチ宜しく、腕組みをして立ち、加賀壬の練習に付き合った。
 しばらく一連の動作を続けた後、今度は実際にスタッフ・スリング・ショットを持って同じ事を始めた。だが、リズム感も運動神経も鈍い加賀壬はすっかり最初に戻ってしまった。
 「下手くそ。もう、練習が何にもなってないじゃない!」
 倉知は呆れながら、今度は手で拍子を取り、それに合わせてスリングを引く訓練に切り替えた。
 「よし、もうちょっと早くするよ、いいね?」
 「は、はい!」
 加賀壬はもう汗だくだ。筋肉痛も肩こりもずきずき言い出している。
 「ほらまた顎が上がった。何度目だい! ばらばらでやるからだよ。ちょっと貸してみな!」
 倉知はこれまでスリングショットなど触ったこともなかった。だが、昨日から加賀壬に付き合っていて、すでにコツは会得していた。
 「まず構える。引く。放つ」
 まるでなんの抵抗もないかのように倉知はいとも簡単にスリングを放って見せた。すごい。なんてすごいんだろう。あたしもこんな風になりたい。加賀壬は目を見張った。
 一方の倉知はどうして基礎の基礎、流れの動作ができないのかと首を傾げていた。振り返って加賀壬に皮肉の一つでも言ってやろうと思ったが、その顔に新たなやる気と尊敬の眼差しを見て、口を開くのを止めた。
 まぁ、少しは根性はあるみたい。もう少し付き合うか。そう思ったからだ。
 「何度も言うけど、あんたはバラバラに動いてるんだよ。こっち来な!」
 加賀壬の背中に周り、その小柄な体を包み込むようにして動きをトレースさせる倉知。
 「ばか、どうしてそこで止まるの! それじゃリズムも何もあったもんじゃないでしょ!
 初めから行くよ!」
 しばらくそうしていたが、どうやら加賀壬は目に注意を向けすぎているようだ。体の各部の位置を目で見て、それに合わせて動きをとっているらしい。
 「仕方ないね」
 倉知は自分の髪の毛をまとめていた鉢巻きを外し、それで加賀壬に目隠しをした。
 「さ、行くよ」
 そんなに厚い布ではないので陽光の下では完全に見えなくなるわけではない。しかし、倉知が思いっきり締め付けたので、結果、加賀壬は目を開くことが出来なくなっていた。
 うわぁぁぁぁん、やっぱりこの先輩、いじめる人だぁ・・・
 加賀壬は途方にくれながらも先輩の手拍子に合わせて体を動かした。いや動かそうとした。
 「まだ早い!」
 へ? 何が?
 「音を良く聞く。自分にリズムをしみ込ませる。頭の中で浮かべてみな、動作を。
 いい、視点を外に置きな。自分を見るんだ。音に合わせて繰り返し繰り返し動く自分を」
 そう言いながら倉知の手拍子はタイミングよく続く。同じリズム、同じ音程で。
 加賀壬は倉知に言われたとおりにしてみた。さっきの倉知のお手本がまだ印象に強かったので、それはすぐに思い浮かべることが出来た。流れるように。なめらかに。先輩は全然力なんか込めてなかった。まるでゴムの抵抗なんて無いみたいにすんなりと。すんなりと。加賀壬は耳だけに集中し、その音の間にある間隙を感じていた。先輩の体は動いているのに動いていなかった。重心は全く動かなかった。そうか。そうだったな。
 加賀壬は左手を上げた。同時にゴムに右手を向ける。目隠しされていてもその場所は分かっていた。それを持つとすぐに音が鳴った。そのまま下げ、手を止めた瞬間音がした。一瞬の間。加賀壬の右手が開き、放った瞬間、音がした。
 「続ける!」
 倉知の声。加賀壬はそのまま音にだけ注意を向けて一連の動作を繰り返した。何度もずっと何度も。


第二章

 夕暮れになっていた。加賀壬はへとへとになりながら会室に姿を現した。
 「どーもー。かがみですぅー」
 へろへろと室内に入る加賀壬に、会員たちが口々に挨拶をする。どうやら今日は装備を整備していたらしい。たくさんあるロッカーはほとんどが開けっ放しで、机の上はガスガンやら金属バットやらで一杯だ。中には何に使うのかも分からないモノもたくさんあった。加賀壬は奥の机に座っている数人に見覚えがない。だが美由美と一緒になって銃を分解しているので、多分サバゲー部の人なんだろうと思った。
 「加賀壬さん、こちらへ」
 そう声が掛けられて、加賀壬は左手を振り向いた。会長だ。
 会長室に行くと奥に置いてある机にノートパソコンが三台も並んでおり、ケーブルがからみあっていた。椅子に座って何か懸命にキーボードを叩いているのは陰険チビ。
 「来たのね、加賀壬さん」
 声を掛けてきたのは脇にいた香坂だ。
 「どーもー、せんぱーい」
 「なんか疲れてるわね、大丈夫?」
 「たぶん」
 会長は加賀壬を椅子に座らせた。机に向かって置かれていたその椅子に彼女がくてっと座り込むと香坂が近付いた。
 「フレアの使用方法を説明するわ」
 ふれあ? なんだそれ・・・。
 ぼーっとそう考える加賀壬の前にある、ごたごたとコードやケーブル、何かの固まり、その他わけのわからないものが一杯つながったシロモノ。それが示された。
 「まずこれがセンサー。常時発光し、その反射光をこの受光部が受け取り、網膜の動きをキャッチするの。
 スイッチが入るとこのレーザー発光部からノクトプラズマレーザーが放たれ、ここの反射球によって弾かれる。ミラーボールの様なものね。で、このレンズを通して前方60度の角度に拡散放射されるというわけ。空気中のP濃度にもよるけど、霧や煙の中でない限り、5から6メートルは有効範囲のはずよ。ただし、それはスペック上。実際には視認できるのは3メートル前後ってとこね。今は残念ながらそれが精一杯なの。
 そしてこれが電源ケーブル。見てのとおりバッテリーにつながるわけ。このバッテリーの脇にあるのがメモリー。このケーブルによって、先のセンサーにつながり、センサーの動きとレーザーの発光状態を記録し続けるのよ。メモリーは容量の関係上三個付けられてる。ね、三つ繋がってるでしょ? これで15%の使用時間として約六時間単独稼働し、記録し続けるの。
 分かった?」

 ぜんぜん。

 キーボードに打ち込む手を休むこともなく、陰険チビが無言の加賀壬の代わりに答えた。
 「先輩、説明しても無駄です。そのために全くブラックボックスでオートにしたんですから、これには縛ってでも固定しておけばいいんです」

 これ。

 またモノ扱いか! 加賀壬の思考は復活した。彼女は今まで眺めてはいたが、見ていなかった目の前のシロモノに注意を向けた。
 「あの、先輩・・・。ずいぶんおおげさになってません?」
 加賀壬は途方にくれた。もうヘルメットは登山用と呼べるモノではない。これでは宇宙服だ。
 基になったのは確かに加賀壬のヘルメットだ。しかし、その周囲には配線やら基盤やら小さな箱やらでほぼフルフェイスヘルメットになっていたし、頭の上に当たる部分には小さなハンドバック程もある装置が無理矢理固定されている。機能美とか工業デザインという言葉を聞いたことがないかのようなその不細工さに、加賀壬は眉を潜めた。
 「こ、これ、あたしが被るんですかぁ?」
 「あら、お気に召さない?」
 「いやです」
 その言葉につばさが顔を上げた。ディスプレイの光を浴びている彼女はまるで幽霊の様に見えた。
 「あんたに選択肢はないの。データ取ってくればいいんだから。こんなすごい発明品を貸してやるんだから、文句言える立場だと思ってるの?」
 加賀壬は冷たい目で見返した。もうこの陰険チビとまともに会話する気もなかったから。
 「自分で行けば? 足あるんでしょ? その体でも」
 「ふぅ。本当に知性のかけらもないわね。これなら犬に持たせた方がよっぽどいいわ」
 神宮司は手を止めた。呆れた目つきのままで加賀壬に告げるつばさ。
 「あんたの頭じゃ分からないようだから教えてあげる。いいこと、これは試作品なの。これのデータを基に完成させるの。私がもしも怪我でもしたら、誰がこの子を育てるの? あんたに出来る? 出来るわけないでしょ? それが分かったら、言われたとおりにしてればいいの。どうせ魔性狩りしかできない殺し屋なんだから」
 神宮司はそう言うとまたキーボードに両手を置き、LANを組んだ三台のディスプレイを同時に見ながらプログラムを打ち込み始めようとした。その時である。真正面にあったディスプレイがいきなり畳まれ、つばさの両手はそれに挟まれた。
 「いたっ! なにすんの!」
 痛みを発する両手を胸に抱え、つばさの怒りに燃えた目が正面にある人影に向いた。その時、彼女の目は動きを止めた。
 加賀壬の瞳は氷の様だった。つばさはその目に射すくめられて身動きできない。
 「今・・・何て言った?」
 加賀壬の声。眼差しと同じく、絶対零度の化身。
 「今何て言った、あんた」
 つばさは瞬時に自分を取り戻した。暴力に屈する彼女ではなかったからだ。
 「なに? 何かご不満? あんたはすることをすればいい。そう言ったの。身の程を知りなさいよね、いい加減」
 「身のほど・・・」
 加賀壬の目に炎が宿った。いきなりつばさの肩をがっしと掴むと額がぶつかる程の距離に引き寄せる。
 「それを知るのはそっちだよ。
 この機械が出来れば超常研に役に立つ。そう思ったから手伝う気になってたよ。でもやめた。今、聞いたから。
 殺し屋? 殺し屋って言ったよね。
 ふざけないでよ!」
 加賀壬の眼鏡がつばさの鼻に当たっている。怒りで加賀壬がぶるぶると震えるのがつばさに伝わっている。だが、つばさも負けてはいない。こんな単細胞に言いくるめられる程お人好しではない。そう自覚していたからだ。努めて冷静な声を作るつばさ。こういう低俗な輩にはそれが一番簡単に煽ることになると知っていたからだ。
 さぁ、殴ってきなさい。あんたみたいな単細胞にはそれしかできないでしょ? そしたらあたしは平然と受けてやるわ。あんたの暴力になんか、誰が屈するもんですか! それを分からせてあげる!
 「ふざける? それはこっちの台詞。さっさと魔性狩りに行きなさい。それしか出来ないんだからね、あんたの頭じゃ。仕方ないからあたしが知恵を貸してあげるわ。だから死なない程度に殺してきなさい。ま、あんたは死んじゃってもかまわないから、データだけは持ってきてね。無事に」
 さぁどう? これだけ言ってあげれば手が出るでしょ?
 だがつばさの思惑と違い、加賀壬は目をつむり、掴んだ肩を離した。再び開いたその目にあるのは怒りの熱さでも冷酷さでもない。
 「かわいそうな人・・・」
 それは哀れみだった。一気に熱くなったのはつばさの方だった。
 「あんたねぇ・・・」
 スパーン・・・
 会長室に響く音。つばさは茫然と自分を平手打ちした姿を見つめていた。
 「せん・・・ぱい・・・」
 つばさは初めて見た。香坂のその表情を。激昂した表情を。
 「謝れ! 今の発言を取り消して謝れ!」
 香坂の口調はいつものおだやかさのかけらもない。
 「命よりデータが大事? ふざけないで! あんた、フレアの目的はいったい何?
 命を守ることでしょ! そのためのフレアでしょ!」
 驚愕に身動きできないつばさの頬をさらに平手打ちする香坂。さらにもう一度・・・
 「先輩!」
 美咲の声に手を止める香坂。その手を握りしめて下ろすと肩を振るわせて動きを止めた。
 しばしの間。崩れ落ちて床に座り込む加賀壬の嗚咽だけが狭い会長室に響く。
 すっと香坂が振り返った。美咲に向かって。そして加賀壬と、壁をへだてた隣室にいる全会員に向かって。
 「ごめんなさい。本当にごめんなさい・・・
 この子は・・・夢中になると何も見えなくなるの。手段のために目的を忘れたの・・・
 指導すべき私の責任・・・。ごめんなさい・・・」
 香坂はそれだけ言うとうなだれた。
 無言のまま美咲はかがんで加賀壬の身を起こした。数歩下がらせて椅子に座らせる。嗚咽にむせぶ加賀壬に顔を寄せ、静かにそっと語りかける美咲由美。
 「理(ことわり)は揺らぎ、うねり、変わってゆきます。人の心も同じです。
 加賀壬さん。彼女の心も今、この瞬間を期に変わるかもしれません。
 今の彼女を受け入れられないのは分かります。私も同感ですから。でも加賀壬さん、これだけは約束してください。もしも彼女の心が変わり、私たちと意志を同じくしたのなら、その時には今日の事は水に流すと。彼女の心の変化をそのまま受け入れると。そう約束してください。
 人は成長します。変わります。だから、今の彼女の発した言霊を、これからの彼女の姿に押しつけないと、そう約束してください」
 美咲はそう言うとじっと加賀壬を見た。言葉が加賀壬の中に落ち着くかどうかを見守るために。
 加賀壬は震える身でほんの少しだけ頷いた。彼女は美咲の言葉で思い出したのだ。目標を忘れて迷路を彷徨ったあの夜を。
 「ありがとう。
 香坂先輩。今日はお引き取り下さい。加賀壬さんと神宮司さんは、というよりも私たちみんなは、もっとお互いを知る必要があると分かりました。今後の課題にいたしましょう。
 とりあえず、今日のところはお引き取り下さい」
 香坂はゆっくりと肯き、未だに目を見開いて茫然としている神宮司を抱き寄せ、抱えるように歩き出した。
 彼等が開いたままの扉から会長室を出ようとした時、背を向けた姿勢の美咲が告げた。
 「室内は私の結界です。ここで起きた事は他の会員には知られていません。
 出来ればこのまま無かった事にしたいと思います」
 香坂はかすかに頷くと隣室に出て行った。美咲の言うとおり、開きっぱなしの扉の向こう側、ほんの数メートル先で起きていた事件は、会員には全く知られていなかった。だから、白衣の一年生を抱きかかえるようにして出てきた香坂に、みんな作業の手を止めてぎょっとした。
 「先輩! どうしたんです!」
 「大丈夫ですか、その子?!」
 口々に心配そうな声をかける後輩たち。香坂はなんとかいつもの笑顔を作ると震えを押さえながら告げた。
 「この子、ちょっと、無理してたみたい。新開発に熱中しすぎたのね。
 その・・・もう三日も徹夜だったみたいで・・・。今日は帰るわね・・・
 ・・・ごめんなさい」
 後輩たちの視線からつばさを守るようにして香坂は出ていった。会員たちはしばし好奇心の眼差しを向けていたが、「さ、続きつづき」というサーの声にまた作業に取りかかっていった。


第三章

 深夜。何にも集中できない状態の加賀壬は自分の机に突っ伏した。なんとか半分くらいは埋まった課題の上に顔を伏せ、目をつむる。まだ後グラマーの予習とロシア語の練習がある。でも、もう腕が動かない。体も痛いし、何より心がここにはないようだった。

 なんでだろうな。どうしてうまくいかないんだろうな。

 加賀壬は土曜日から今日までの出来事を思い返してみた。最初につばさに会った時からいやな予感はあった。でもあんな事を言う程ズレているとは思わなかったのに・・・。会長はああ言っていたけど、もう無理だな、あの子を仲間なんて思えないよ、もう。

 ノクトプラズマビジョン。あると便利だと思った。それが安易だったのかな。山崎君、ごめん。

 前原さん、元気になったかな? 放課後は会えなかった。主将もいなかったし。

 倉知先輩。超常研とは関係ないのに、ずっと教えてくれた。あたし、とろいのに、ずっと教えてくれた。先輩のためにもちゃんと成果みせなきゃいけないのに。

 香土岐先生、忙しそうだったな。図書館行きたかったな。先週頼んだ本、来てるって言ってたのに、斉藤さん。

 はぁ・・・。宿題、やらなきゃ・・・。

 加賀壬の心は千々に乱れていた。


 その頃。本条総本家の自室で、百合恵は考え込んでいた。彼女の手には携帯電話がある。そのディスプレイには加賀壬の番号が呼び出してある。だが、そこで通話ボタンに伸びかけていた細い指は止まっていた。

 す、すまない、本条君。ぼ、僕が急ぎすぎてたんだ。つい次のに手を付け始めちゃって、「見回し君」を後輩に全部任せたのは僕だ。き、君はその加賀壬って子と親しいんだろ? 頼む、とりもってくれないか? 神宮司君は、こ、こ、殺し屋なんて本気で言ったはずがないんだ・・・

 さっきの精進からの電話を思い出す百合恵。そんなことがあったのか。確かに香坂には荷が重いかもしれない。単なる後輩として指導するのはあの子には向かない。香坂はあの物理部の新人を精進同様の「天才」と認識しているから。香坂にとって自分以上に才能のある者は「神」と同義なのだから。
 しかし・・・。
 百合恵を躊躇させていたのは、その場に美咲がいたという事実だ。あの子は殿下の継承者。今自分が出ていって良いものか・・・。
 事は一年生同士。本条の卒業後に入学した二人だ。総ては現役の彼等に任せるべきでは・・・。
 「困りましたわね。卒業したのがこんなに不自由に思えるとは。
 ああ、宏子さん・・・。今すぐにでも行って抱きしめて差し上げたいのに・・・」
 その言葉に、ドア近くで控えていたメイドが控えめに声を掛ける。
 「お嬢様、二班の準備はできておりますが・・・」
 百合恵は顔を上げた。いつの間にか百合恵付のメイド頭が、彼女の私用車をガードマン込みで準備させていたらしい。
 「そう・・・。
 宮崎、今日は・・・
 私は外出しません。本間たちには下がって良いと伝えなさい」
 「はいお嬢様」

 その時、電話が鳴った。百合恵の手にする携帯ではない。部屋の電話だ。寝室とのドアの脇に控えていた別のメイドがすぐにそれを受けた。
 「お嬢様、山口様からでございます」
 殿下? こんな時間に?
 本条はいぶかしげに子機を受け取った。
 「はい、百合恵です」
 「いたか。もう出たかと思ったぞ」
 いつもながら挨拶もないいきなりのその言葉に百合恵は目尻を下げた。
 「そこまで短絡的ではないつもりですわ、会長」
 「なに、お前が頑張りっこに目の色変えてるってもっぱらの噂だからな。一応釘を刺しただけだ。で、どうする?」
 本条は今度はかすかに声を出して笑った。ふふっという含み笑い。しかし、滅多に感情を出さない彼女にはとても珍しい声だ。
 「ご存じでしょうに。わたくしには二つの選択肢しかありませんもの。一つ、介入する。二つ、見守る」
 「で、介入するからにはお前はなりふりかまわず、全力で行くだろうからな、今度の場合。家にいて、こうやって電話してるってことはもう決まってたって事だな。すまん、杞憂だったようだ」
 殿下はかかって来た時同様に、挨拶もなくいきなり電話を切った。
 「相変わらずですこと、あの方は」
 百合恵はそうつぶやいて子機と携帯をサイドテーブルの上に置いた。メイドがそれを手早く片づける。
 彼女は向きを変えてまたファイルに目を向けた。さて、続きの前に気持ちを入れ替えておかないと。
 百合恵は宮崎に紅茶を頼み、背もたれに身を寄せた。前生徒会長から本条総本家副当主の顔に戻るために。

 宏子さん、頑張って・・・ わたくし信じておりますから・・・ 皆さんを・・・


第四章

 早朝。裏門が開いて間もない時間だ。まだ正門は開いていないので加賀壬はいつもどおりに校舎を回り込んで部室棟の脇に来た。ぼーっとした足取り。それもそのはずだ。昨夜はほとんど寝た気にならなかった。結局ベッドには入らなかったし。
 茶道部の茶室の脇を過ぎた時、不意に背中に声が掛けられた。
 「加賀壬宏・・・子・・・?」
 はっとして振り返る加賀壬。本人はそのつもりだったのだが、茶室の垣根に立つ欅に寄りかかっていた小前原、つまり前原静音の目には、まるでスローモーションで壊れかけた人形が振り向くように映った。
 「ど、どうかしたのか加賀壬宏子。今朝は、その、なんだか印象が違うぞ」
 「前原・・・さん」
 加賀壬の瞳は前原の姿を認めた。揺れるポニーテール。きりっとした眉。鋭角的な顎。細い、だが華奢ではないその体。鞄を肩から下げた格好で加賀壬を驚きの眼で見つめる姿。
 ああ、元気そうだ。
 加賀壬の口元に弱々しく笑みが浮かぶ。と、すぐにそれは満面の笑みに変わった。
 「前原さん! 会いたかった。良かった、元気そうで!」
 加賀壬の輝かんばかりの笑みは一瞬で消えた。すぐに疲労が顔面をぬぐったのである。
 「すまん、心配させたか? いや、それよりも加賀壬宏子、どうした? 無理してないか?」
 「・・・。そうかな。分からない。でも、寝れなかったから、来たの。練習しないと・・・。
 倉知先輩、一生懸命教えてくれるの。だから、ちゃんと・・・ちゃんと出来るところを見せないと・・・先輩に悪い・・・」
 前原は加賀壬までの距離を一気に詰め、その肩を掴んだ。
 「何言ってるんだ、ひどい有様だぞ! こんな状態じゃ・・・・」
 「いい結果は出ないわね」
 言葉をとられ、ぎょっとして振り返る前原。
 「鈴ねぇ・・・」
 そこには弓道部主将、前原鈴音が立っていた。彼女は歩み寄り、加賀壬を見つめた。
 「主将・・・。おはようございます・・・」と加賀壬の声。
 「おはよう宏子君。
 体調も悪そうだけど、どうやら精神的なものね、君の問題点は。そんな状態では精神統一は無理だわ。
 気持ちの整理が着いてからまた来なさい。明日でも明後日でもいいわ。ただし、イメージトレーニングだけは三十分でもいい、毎日続けて。
 静音、昨日の話しはまた今度でいいわね? 今は宏子君をお願い」
 「う、うん、鈴ね・・・キャプテン・・・」


 二人は管理棟の影にある植え込みに向かった。そのそばに幾つかベンチがあるのだ。
 「あのな、加賀壬宏子。聞いてほしい。
 この前は済まなかった。まずそれを謝りたい」
 前原は頭を下げた。長い髪がはらりと揺れてその肩にかかる。まっすぐな綺麗な髪・・・。前原さんの性格もこうなんだろうな。そう加賀壬は思い、答えた。
 「・・・もういいよ。あなたの事、少し分かったから。だから、もういいよ」
 前原はがばっと身を起こして加賀壬を見つめた。
 「ゆ、許してくれるのか! 本当か、加賀壬宏子!」
 その迫力にびっくりする加賀壬。
 「う、うん」
 「そうか、良かったぁ。嫌われてたらどうしようかと思って、昨日の放課後は声もかけられなかった。いや、実はさっきもだ。お前が来るのが見えたから、咄嗟に隠れてしまった。でも、あんまり様子がおかしかったのでな、つい呼び止めてしまったんだ。でも、それで良かったみたいだ。ああ、良かった・・・」
 前原の顔は輝いてみえた。本当に心配してたんだな、この人。加賀壬はそう思った。
 「あのな、それで・・・屋上にいたあの小さな奴にも謝りたい。礼を言ってなかった。あいつの言うとおりだ。私はいろいろ考えた。その中であいつの言う事に近いのも考えはしたんだが、すぐに捨ててしまっていた。あいつも超常現象研究会の会員なのか?」
 「姫さんね。ええ、そう。でも、あいつ呼ばわりはまずいよ、前原さん。先輩だから・・・」
 前原は目を見張った。
 「先輩? 昨日、お昼に屋上にいて話しかけてきたちっこい奴だぞ! 先輩?
 まさか・・・」
 「ほんと」
 「三年とか、言わないよな・・・」
 「二年生だよ」
 「そうか。多分早生まれなんだろうな。そうか、あいつ、じゃない、あの人は先輩か・・・。ありがとう、よく教えてくれた。いやな想いをさせてしまうところだった、あの先輩に。
 あ、あのな加賀壬宏子、その件は会ったら礼を言うことにするから良いのだが。
 き、昨日の件とは別に、お前に頼みがある。聞くだけ聞いてくれ、頼む!」
 「いいよ。聞いてから考えるから・・・。なに?」
 前原は加賀壬から目を反らし、考え込んだ。決心がつかない様子だ。だが、今の加賀壬には促すだけの気力もない。そのまま待つ事数分。不意に前原は加賀壬に向き直った。
 「私を使ってはもらえないだろうか」
 「はぁ?」
 「私はまだ魔性というものがよく分かっていない。だが、それが実在する、それが分かった以上、知らんぷりもできないのだ。だから、私を使ってくれ。私はお前に従う。お前が戦えと言えば全力で闘う。お前が攻撃するなといえば絶対に従う。だから、加賀壬宏子、目になってほしいのだ、私の。倒すべき者と救うべき者を見分けてくれ」
 加賀壬は予想外の提案にきょとんとして目を見張った。
 「わ、わたしだって、まだ入会して一月で・・・。
 見分けるなんて・・・できないよ。間違えるかもしれないし・・・」
 「お前が間違えたのなら仕方がない。その罪は私も背負う。だから、頼む、私がお前の腕になることを許可してくれ!」
 「だめだよ、そんなの。自分で考えて、自分で判断して・・・」
 加賀壬は言いかけて言葉を止めた。前原の顔に哀しみが見えたからだ。
 「二月に零上川(れかみがわ)であった水死事故の事、覚えているか」
 そう言われても加賀壬には「?」としか反応のしようがない。加賀壬がこの美咲郷と親しくなったのは入学以来だからだ。零上川がこの街を分断して南北に走る大きな川だということは昔から知っている。でもそれはあくまで県内の地理程度の知識だ。
 零上川で水死? そう言えば受験の頃、何か新聞に載っていたような・・・
 「川に落ちた子供たちを救おうとして死んだのが私の父だ。実家に、上厳位に行った帰りの事らしい。
 だが私は信じなかった。父は水泳は得意だし、真冬でも毎朝禊ぎをしていたんだ。いくら二月とはいえ、そう簡単に死ぬはずがない。そう思った。
 父が救った子と親たちが来たよ。焼香にな。その姿を見た時、諦めがついた。父はこの子供たちを救って死んだのだ、と。だから誰も恨みはしなかった。うちは神社だったからな、父は人としてすべき道を見出し、それを全うしたのだ、力尽きるまで。そう思うことにした。
 私には母がいない。父が死に、私は叔父の家に引き取られた。キャプテンの家だ。中学を卒業してすぐにこの街に来た。
 そして聞いたのだ、あの川に巣くう魔性の話を。子供を引き吊り込もうとして、それを止めた男の心臓をえぐり出した魔性の話を。
 私は思いだした。父を確認するだけですぐに私は病院から追い出されたことを。顔しか見せて貰えなかったことを。不信死だから解剖して検視するから、と。家に帰宅した父は綺麗になっていた。父は元々あちこちに無数の傷があったが、さらに傷だらけだった。それを綺麗に縫合していたのだ。水流に水底を転がされてできた傷だと医者が言ってはいたが。
 でも私は思い出した。父の胸に大きな手術の跡のようなものがあったのを。丁度心臓の上に、だ」
 前原は震える手で顔を覆った。気力の沈みきっている加賀壬にはどうしようもない。そのまま見つめるしかなかった。
 「父は・・・」と、また話し始める前原。
 「もういい、もう言わないで。やめて、自分の傷をえぐるの・・・」
 加賀壬はなんとか声を振り絞ってそう告げた。しかし、前原は首を振って言葉を遮った。
 「聞いてくれ加賀壬宏子! 頼む。聞いてくれ。お前に聞いてほしいんだ。頼む・・・」
 加賀壬は唇を噛みしめて黙った。
 「父は本当に水死したのか。それとも魔性に・・・。それは分からない。父が助けた子供たちに聞くわけにもいかないからな。どちらであったにせよ、その子たちを苦しめるからだ。だから、だから諦めるしかないと思った。でも、諦められなかったのだ。
 一昨日、キャプテンと話した。キャプテンは知っていたよ、魔性の仕業という噂を。でも、本当にそうかは分からない。この街では異常な事件は総て魔性のせいと片づける事が多いのだから。そう言っていた。
 私は考えたよ。魔性を憎むだけではだめだ。そう言われて。いろいろと、そう本当にいろんな事を考えてみた。
 その結果、父は自分の意志で闘った事に気が付いた。やっと気が付いたのだ。大水であれ、魔性であれ、父は怯まず、戦ったのだ。そして救ったのだ、子供を。
 私は父の意志を継ぎたい。父の様にそしてお前のように人々を守りたいのだ」
 そこで前原の声はトーンダウンした。心持ち俯いて言葉をつなげる。
 「でもな、加賀壬宏子。恨んだ気持ちは・・・。まだ消えない。だから、もしも今目の前に魔性がいたら、きっと私は・・・。私は・・・。
 だからだ、加賀壬宏子。私を使ってほしい。父の魂に賭けて誓う。お前が待てというのなら、私は決して魔性を殺さない。
 私の誓いを受けてくれ、加賀壬宏子。私に、父の意志を継がせてくれ。頼む・・・」
 加賀壬は答えられなかった。今はこんなに真剣な話を即答できる状態ではなかったのだ。ふと見下ろした足元にアリの行列があった。懸命に歩むアリたち。加賀壬はそれを見つめながら口を開いた。
 「あのね、私ね、昨日殺し屋呼ばわりされちゃった。さっさと魔性を殺して来いって」
 「な、なに? 誰が? まさかお前のクラブの先輩か?」
 「ううん、違う。うちの子じゃない。先輩はそんな事言わないよ。言うはずないもの、みんな私より魔性の事を知ってるから。犠牲になった魂をたくさん見てるから」
 加賀壬は神宮司つばさとの昨日の一件をぼそぼそと話した。
 前原静音と神宮司つばさは同じ1−Dだ。だがどちらも進んで級友と親しくなるような性格ではなかったので、全く接触がなかった。よって当の相手がクラスメイトだとは前原は気づいていない。それを聞き終えてから彼女は呟くように話し出した。
 「世の中にはいろんな奴がいるんだ、加賀壬宏子。
 実はな、その物理部の奴と同じ様に考えているのも多いぞ。お前のクラブの事が知りたくてな、クラスメイトに聞いてみたのだ。超常現象研究会というのを知っているか、とな。
 大半の反応がそれだったぞ。魔性狩りをする所だ、とな。人にあだなす怖ろしい魔物を殺すところだとな。
 だがな、加賀壬宏子。それが大半ではあったが、他の反応の者もいたぞ。
 中には深入りするなと忠告めいた言い方をする者もいた。
 そして、二人だけだがな、もし何か怖ろしい目にあっているのなら、今すぐ生徒会室に行けと真剣な眼差しで告げた者もいた。必ず力になってくれると」
 前原は校舎を振り仰ぎ、生徒会室を見上げた。
 「ためらわずに全部生徒会に話せ、と。必ず助けてくれる。そう言っていたよ。
 お前のクラブがいろいろと噂になるのは仕方のないことだと思う。魔物退治という言葉に結びつけてしまうのは。なにしろ私自身がそうだったからな。魔性イコール倒すべき悪の化身。そう思っていた。
 だがな加賀壬宏子。中にはいるぞ、お前たちの行動を理解している者が。支持する者が。それだけではダメなのか?」
 加賀壬はぼーっと地面を進むアリの行列を見ながら答えた。
 「でも、あの子は超常研の協力者なんだよ。
 身近に、すぐ身近にいるはずなのに。あんな事言うなんて・・・。
 何にも信じられなくなっちゃったよ、あたし・・・」
 その肩に手が置かれた。顔を上げる加賀壬。きりっとした眉の下で、前原の目がしっかりと加賀壬を見つめた。
 「大丈夫だ、加賀壬宏子。私は知っている。お前は正しい。少なくともお前が行こうとしている目標、お前が目指すものは正しいと。誰が何と言おうと気にすることはない。そいつは知らないだけだ。お前の目が見ているのが正しい道であるとな。ただ知らないだけだ。見えていないだけなんだ。
 学校中の、いや町中のみんながお前の敵になっても気にするな。お前は正しい。たとえみんなが敵になっても私はお前を支持する。私はお前の側にいる。それに、私だけではない。お前の正しさを知っている者はきっといる。そしてそれは必ず増える。お前が正しい道を見つめているのだから絶対だ。
 加賀壬宏子。お前は正しい。今足元が見えなくても、周囲が真っ暗でも、お前ならきっと見えるはずだ。お前が目指そうとしている未来が。それが正しいと私は知っている。だから、私はお前の味方だ。たとえ世界を敵に回しても、私はお前に従う。

 今、我は総ての息吹に誓おう。
 天地を成す大君よお聞きあれ。我、前原照兼が子、静音は加賀壬宏子に従います。この言葉をお聞きあれ・・・。この誓いが紡ぐ先をご覧あれ・・・」

 加賀壬はその言霊を受けながら前原を信じることにした。そして前原が信じている自分を、もう一度信じてみることにした。


第五章

 お昼休み。加賀壬は開田と鮎川、そしてなぜか山崎と一緒にベンチでお昼を食べていた。
 山崎は場違いそのものの様子で弁当を黙々と食べている。おかずはあんまりない。大きな弁当箱の八割方がご飯である。ちらりとその様子をみた加賀壬は良くあんなに入るなと思いながらもリンゴパンを食べていた。
 山崎を連れてきたのは開田である。別に意図してそうしたのではなかったが、結果として四人でのお昼だ。
 昨日のお昼といい、その後、そして今朝。どうも加賀壬が変だ。まぁ、前から変は変なのだが、今回は開田には理由が見あたらなかったのだ。となると超常研での出来事だろう。そこで開田は最初の休み時間に山崎に聞いてみたのだ。
 「クラブで何かあったの?」
 「何かって?」と聞き返す山崎。
 「加賀壬の事で。昨日の昼も変だったし。いつも眠そうだし、忙しそうだけど、今日は極端じゃない? 多分、あの子、寝てないよ。何かあったんじゃない?」
 そう言われた山崎は知らなかった。彼は昨日は剣道部で一日つぶれていたから。
 とりあえず彼にも加賀壬が何かおかしいのは分かっていたので、次の休み時間にA組に行って北村を探したが不在だった。もう次の授業のために生物室に行ったらしい。彼女なら知っているかと思ったのだが。
 山崎はすぐに階段を上がり、副会長のシュンのクラスに行った。彼は生徒会と超常研の双方の副会長である。そのため、休み時間に尋ねてくる生徒も多かったので、超常研の会員だと名乗られた級友は何の躊躇もなく即座に篠木原を呼んだ。
 「加賀壬さん、だね」
 シュンは彼が切り出すより先に言った。うなづく山崎。
 シュンは昨日会長から聞いた話を伝えるべきかどうか悩んだが、非常階段の脇でおおまかな話しだけは伝えることにした。新装備のテストのために集まっていた時に起きた事件。魔性を殺すことが仕事の様に言われ、加賀壬が怒ったこと。開発に熱中するあまり、その目的を見失っていた物理部の生徒のこと。だが、結局この件は美咲会長とOBの香坂先輩が解決策を話し合う事になっていること。シュンはかいつまんで説明した後で、さらに付け加えた。
 「会長が言うには二人は最初から反発していたらしい。それでお互いにエスカレートした結果だということでね。売り言葉に買い言葉って奴だ。それで今回の事は公には出さない事になっている。個人レベルの問題なんだ。僕らが騒いで煽るのはまずいから。
 山崎君。だから君も知らない事にしておいてほしい。ただ、加賀壬さんを見守っていてほしいんだ。感情が高ぶっている時には思いもつかない行動にでるから。頼む」
 「先輩。加賀壬は大丈夫です」
 「え?」
 「今朝の加賀壬の心は穏やかです。疲れてはいますが」
 山崎の言葉に篠木原はほっとため息を付いた。
 「そうか、良かった。自分で解決できたのかな? あるいは誰かお節介焼きがいたのかもしれないね。OB連には昨日のうちに連絡が入っているらしいからね。
 相手の子には香坂先輩が付いているから大丈夫だろう。多少時間はかかるかもしれないけど、なんとかなるね、ありがとう。うれしい報告だったよ」
 山崎は階段を降りながら考えていた。要は当人同士の問題だ。でも、何かできるかもしれない。加賀壬の為に。
 戻るとすぐにチャイムが鳴ったので山崎は簡単に開田に伝えた。昨日の放課後、何かもめ事があったらしいとだけ。加賀壬はもう吹っ切れたようだが、多分それで寝れなかったのだろう。気を付けて様子を見ているから、と。
 開田も短く答えた。お昼、一緒に食べない? 元気かどうか、すぐ分かるから、と。

 かくしてこの事態だ。開田と鮎川はいつもと全く変わりがない。クラブのこと、授業のこと。おしゃべりの中心はこの二人だ。山崎は黙々と食べた後、ぼーっとしながら茶をすすっている。加賀壬はと言えば四人というシチュエーションに緊張し、ただ短い合いの手を入れているだけだった。
 「でもさぁ、山崎君、お弁当、迫力あるねぇ」
 不意に話を振られ、開田を見つめる山崎。
 「迫力?」
 「せや。白米どーんでおかずがちろっと。普通逆とちゃう? しかしほんま、よう入るなぁ、そんなに。なぁ、かきのん?」
 不意に話を振られ、山崎同様に目を点にする加賀壬。
 「う、うん。でも男の子のお弁当って、そんな感じなのかな」
 「あ、ああ。別に珍しくはないと思うけど・・・」
 「おかずの方が少ないなんて変だよー!」
 「せやせや。あ、かきのん、中学ン時お弁当とか習ったんやろ? 家庭部や言うてたもんな。山崎君のおかんに栄養バランスについて教えたった方がええで」
 鮎川が陽気にそう言い切った時、加賀壬がぎょっとした。
 「大事なチームメイトやろ? 健康状態チェックせなあかんで。手紙でも書いたらどうや?」
 「あ、あの・・・」と加賀壬が話をしようとしたが、それをさえぎって山崎が告げた。
 「うち、親父しかいない」
 鮎川は持っていたサンドイッチを落としかけた。開田も凍り付いた。そうだった。前に社会科で母子家庭の話題が出た時に、そう言っていたっけ。忘れてた・・・
 「ご、ごめん山崎君、変な事言うてもうた・・・えろうすまん事・・・」
 「かまわん。気にしていない。お前のとこは健在か?」
 「う、うん、うちとこ丈夫やから。ひい婆さん、まだおるねんで」
 「ひい・・? すごいな」と山崎が驚いた。
 「鮎川んとこ、大家族だからね。お正月なんかすごいよ」と開田も空気を変えるために話を振った。
 「せやけど今年は半分も揃わへんで。うちとこ、みぃんな出稼ぎむっちゃ好っきやからな」
 山崎が笑ったのを見て、加賀壬はほっとした。その時である。開田が首をひねった。
 「あのさぁ、じゃそのお弁当、誰が作ってるの?」
 「俺」
 「ええーっ!」「うっそぉ!」「ほんま?」
 一斉に上がった三人の甲高い声があたりにこだました。
 「び、びっくりしたぁ」
 山崎は耳元で三重奏の悲鳴を聞き、腰を浮かせていた。
 「ご、ごめん。でもすごいね、自分で作るなんて・・・」
 「そうか? 中学の時にもそういうの、いたが」
 「だったら早いじゃん加賀壬。栄養バランスって話しさぁ、基礎だけは教えといた方がいいんじゃない?」
 またそっちに振るかぁ! 加賀壬は真っ赤になった。
 「いや、あたし、下手の横好きだったから・・・、家庭部・・・」
 下手の横好き。その言葉に山崎はふっと前回の探索を思い出した。美術室で狂死にたんかを切る加賀壬の姿。そして今、赤面して開田の影に隠れるようにしている加賀壬の姿。どっちも同じ加賀壬である。不思議な奴だ。山崎はそう思ったが、少なくとも彼女が精神的に元気であることは分かった。寝不足は今夜にも解消できるだろうと思い安心する山崎だった。

 山崎と加賀壬がそれぞれの用事でいなくなった後、鮎川は開田とひそひそ話をしていた。
 「見た? 山崎君、かきのんじーっと見とったで。えー感じやないの」
 「ふっふっふ。こうしてとりあえず毎日お昼に誘って、四人でいるのが当たり前、ってして・・・」
 「プールやな、くっくっく・・・」
 「甘い」
 「は?」
 「お弁当。加賀壬に作らせよう。とりあえずプールの時、四人分」
 「きっつー、そりゃ無茶や!」
 「もちろんあたし等も手伝うの。つーかぁ、三人で作るって事にするの。でも献立とか味付けとか、家庭部だったんでしょ、って、みーんな加賀壬にやらせるの。で、結果、山崎君に加賀壬の手料理を食べさせる、と。どう?」
 「あんた、悪魔やな」
 「あぁーん、もっと誉めてぇ」
 「やっとられんわ!」
 肘鉄ががしっと決まる。それでも開田は不気味な笑いのままだった。


第六章

 加賀壬は図書室で次の段落を読み終えた。しかし、香土岐は動かない。ずっと机に向かい、何かを書きつづっている。
 放課後、図書室に駆け込んだ加賀壬はもうずっと音読させられていた。
 まだ先を読むの? もしかして最後まで読めってことかなぁ・・・。
 仕方なく続きを読み始める。香土岐は聞いていないわけでは無いようだ。時折読み違えると「やり直し!」と厳しく言ってくるから。もう後数ページで終わる。よーし。加賀壬は覚悟を決めて全部読み上げ通した。
 「はぁ・・・。
 終わりましたぁ、せんせぇ・・・」
 香土岐は記入しているページから目を離さずに答えた。
 「よし。少し休め。小休止だ」
 えっ! 休んでいいんですかぁ! 小休止が大休止になっても知りませんよ。
 「なんなら永休止にしてやろうか?」
 け、結構です! 
 加賀壬は教材の上に突っ伏した。ああ、休み。なんていい響き・・・
 即座に眠りに落ちる加賀壬。香土岐は一文を写し終わると立ち上がり、司書室に入った。戻って来た時、彼女の手には燭台があった。それには何やら黄色いものが練り込まれた蝋燭が刺してある。香土岐が指を鳴らすと炎がそれに答えて蝋燭に火を点した。加賀壬のすぐ脇に燭台を置き、自分はまた席に着いて複写を始める香土岐。
 蝋燭に練り込まれたものが周囲に香を広げている。既に眠りの中にあった加賀壬はその香の中でさらに深い睡眠に落ちていった。

 加賀壬はふと目を覚ました。ん? 何だ、この銀色の・・・
 目の前に何か銀製品らしい置物がある。身を起こしてみると台座から細長い首が伸びている物だ。はて、これ何だ?
 「起きたな、加賀壬」
 はっ! あ、あたしったら寝ちゃってた? がーん、なんかすっかり眠気が覚めてる。ああ、あたしったら何時間寝てたんだ?
 「45分というところだ。気分はどうだ?」
 気分・・・。
 加賀壬は肩をほぐして両腕を上げ、椅子の上で上半身を伸ばしてみた。
 ううーん、気持ちいいー!
 「よし、元気になったのならさっさと帰れ。邪魔だ。
 読みの練習はこれまでだ。明日からは文法を始める。一からおさらいしておけ。良いな」
 「は、はい!」
 加賀壬は邪魔だと言われて真っ赤になっていた。
 まさかいびきかいてたりしないよね、あたし・・・。なんか爆睡しちゃったみたい・・・。ほんとにたった45分? 信じらんないくらい元気になっちゃった。あたしってばナポレオン?
 図書室を出て、足取りも軽く階段を駆け下りる加賀壬。なんだかすっかり体の重さもとれていた。
 でも、あんなとこで寝ちゃうなんて・・・。よっぽど疲れてたのかな、あたし。
 そんな事を思いながらも着替えを終えて外に飛び出す。と、すぐに前原が待ち受けているのが見えた。
 「ああ、加賀壬宏子! 来たのか!」
 「うん。あれ、どうしたの? 制服? まだ着替えてないの?」
 前原静音はそう言われて瞬時目を伏せた。
 「あ、ああ。
 それよりも、どうだ、決心してくれたか?」
 はぁ? 何を?
 「まだだめか? どうしたらいい? どうすれば入れて貰えるのだ?」
 「えっと、何の話?」
 前原は目が点になった。
 「け、今朝話したばかりだろう! 私をお前のクラブに入れてくれ! それにはどうしたらいいんだ? どうしたら・・・」
 「あそこに部室棟、あるよね」と後ろを振り向いて指さす加賀壬。
 「あ? ああ、あるな」
 「左が運動部棟で右が文化部棟でしょ。その右の一番奥が超常研。そこに行って入会したいって言えばいいの」
 「・・・」
 「会室に行けば入会書類があるから・・・」
 「・・・」
 「??」と、加賀壬は怪訝な表情になった。前原が口をぽかんと開けてずっと部室棟を見ているから。
 「そ、それだけ・・・か?」と漏れる声。
 「うん。そう」
 「あ、あの、会員の推薦状とか、入会試験とか・・・」
 「ないよ。そんなの」
 前原の顔に驚愕が走る。
 「そ、そんなはずないだろう?! 魔性と闘うんだろ? 生徒会直属の秘密組織なんだろ? 裏家業の仕事人だって・・・」
 パニクる前原を見て、加賀壬は思った。なるほど、普通はこういう反応だよね、と。胸ポケットから生徒手帳を出す加賀壬。部活の項に三月段階でのクラブがアイウエオ順で列記されている。
 「ほら、ここにも書いてるでしょ? 超常現象研究会。これがうちのクラブ。会室には超常研って札も出てるよ」
 「秘密じゃ・・・ないのかぁ・・・」
 前原の声は急に情けなくなった。途方に暮れたようなその顔。
 「うーん、一応秘密。でも表の顔もあるの。新入生のオリエンテーリングでも会員募集の挨拶してたでしょ? そういうこと」
 「じゃ、じゃあそこに行きさえすれば・・・」
 「そ、仲間になれるよ。今の前原さんなら、ね」
 前原は肩をがっくりと落とした。
 「わ、私の、私の努力は・・・一体・・・。ずっとお前を待っていた。ここいいればきっと通ると思って・・・
 それは・・・無駄か?」
 「うーん、そうかな。でも私は嬉しい。前原さんに会えたから」
 それを聞いて前原の顔がぱっと輝いた。
 「そ、そうか? お前がそう言ってくれるのなら、待っていた時間も無駄ではないぞ、加賀壬宏子。
 弓道場に行くのだな? よし、私も行こう。お前のクラブに入会できると分かったのなら、善は急げ、だ」
 前原はすたすたと歩き出した。
 もう立ち直ってる。すごいなぁ。
 前原は随分背が高い。山崎には届かなくとも、美咲会長程はあるだろう。その長い足がすたすた歩くだけで、もう加賀壬は小走りにならないと追いつかない。
 ああ、あたしってば足短い・・・。
 ちょっと落ち込む加賀壬だった。

 弓道場に着くと、前原は土間に立ったまま主将を呼んだ。加賀壬は靴を脱ごうと思ったのだが、土間は前原に占領されていて入れない。順番を待っているとすぐに主将が来た。
 「決心したの?」
 開口一番。主将は従姉妹に聞いた。その顔が晴れ晴れとしていたから。
 「やはり超常現象研究会に入ることにした。全力で頑張るつもりだ。だからここは辞める。鈴ねぇが折角紹介してくれたのに、すまないと思っている。
 短い間だったが、世話に・・・」
 前原が主将とその奥でびっくりしている部員たち、そして弓道場全部に向かって頭を下げようとした瞬間だ。加賀壬の声が周囲を一瞬で支配した。
 「辞める? だめ、辞めちゃダメだよ前原さん! どおして、どおして辞めるなんて言うの? こんなにいいクラブじゃない! あんなに一生懸命練習してたじゃない! 弓道好きなんじゃなかったの?」
 腰を曲げかけた姿勢で凍り付き、目を見張る前原。主将は何も言わない従姉妹を見つめていたが、やがて身を震わせている加賀壬に話しかけた。
 「宏子君。ありがとう。そう言ってくれて。
 でもね、もう静音は決めたみたいです。自分のやる事を見つけたみたい。この子、叔父が亡くなってから、ずっと人が変わったみたいに無気力になって・・・。だからうちに入れてみたの。側で見ていられるし、それにこの子は体を動かすのが好きだから。気力・体力共に張りつめる緊張感がこの子を立ち直らせてくれると思ったから。
 やはり血なのでしょうね。この子、すぐに気に入ってくれたわ、弓道。すっかり元の静音に戻った。
 だから私はこの子を笑顔で送り出してあげたいの。自分で見つけた道だから、超常研は。
 宏子君。静音を宜しくね」
 静かなその言葉。静音は肩を振るわせていた。土間に落ちる涙。
 だが、加賀壬は納得しない。
 「おかしいです、それは。超常研は確かに掛け持ち会員が多くって、実戦力が無くって苦労してます。でも、それでも先輩たちは掛け持ちのつながりを大事にしてます。
 昨日、会室でみゆみ先輩が知らない二、三年生と一緒にガスガン調整してました。多分うちの会員じゃありません。サバゲー部の先輩です。みゆみ先輩が頼んで来て貰ったんだと思います。でもみんな楽しそうに手伝ってくれました。化学部の人もいました。清めの塩玉を持ってきてくれたんです。あの人たちもうちの会員じゃありません。でもみんな手伝ってくれてました。きっとうちの先輩に化学部の人がいるんです。あるいはOBに。
 昨日だけじゃありません。装備の整備とかなると、会員数の倍くらいの人が集まってくれてます。手伝ってくれてます。
 そういったつながりってとっても大事だと思います。それを・・・折角できたつながりを、自分で切るなんて、そんなこと・・・」
 加賀壬の言葉はつまってしまった。胸が一杯で。
 主将は従姉妹と、この飛び入り、二人の一年生を見つめた。そうか。あの人の意志はちゃんと受け継がれているんだ。そう思いながら。
 「そう言えば、前に生徒総会で殿下会長が言ってたわね。
 超常研は学生の輪だ、と。校内にある大小様々な輪。人の集まり。それらをつなぐ、より大きな輪だと」
 「主将・・・、殿下先輩、知ってるんですか?」
 「当然でしょ、宏子君。今の二、三年生で殿下会長と本条会長を知らない人がいて?
 確かあれは超常研が正式に発足するかどうかという総会だったわ。
 生徒一人一人では何もできない。でも集まれば力になる。魔性に対抗できる力になる。超常研はそういった輪をつなげるためのより大きな輪。何もできないはずの個人を、そして身を寄せて震えている集団をまとめる輪だ、と。
 宏子君。静音は不器用な子なの。この子は超常研に全力投入するためには掛け持ちはできない。そう考えたのよ。そうでしょ、静音」
 主将の言葉にこくんと頷く静音。
 「でも、分かったでしょ静音、宏子君の言葉。君にできる事を、総てを投入するには、逆にここを辞めない方がいいのかもね、やっぱり。
 私はその方が君のためになると思う。今はつらくとも、きっと後でここの輪が君を助けるかもしれないから」
 「でも、でも鈴ねえ・・・」
 ためらう前原に、道場の奥から声がかかった。主将のすぐ脇に出てきたのは三年生の比野と倉知だった。
 「どうしても辞めたいのなら、まずは弓道を身に付けてからにしなさい。中途半端で辞めて良い方向に向くはずがないでしょ」
 「そうだ。辞めたいんだったら私に勝ってからにするんだな。やりかけで放り出す気か、前原。それとも何か、弓道が嫌いになったか」
 二人は主将に並んで前原を睨み付けた。涙にかすむ目で二人を見返しながら首を振る前原。
 「わたしは・・・わたしは・・・」
 「前原さん・・・」
 加賀壬の声に振り返る。
 「前原さん。頑張って。手がけた以上、納得いくまでやってみる。それが前原さんらしいよ。きっとそうだよ」
 「お・・・お前がそう言うのなら・・・。
 やってみる」
 「うん」
 加賀壬は笑った。


第七章

 すっかり暗くなった。前原と加賀壬はシャワーを浴び、二人で超常研の会室に向かっていた。
 「しかし驚いたぞ加賀壬宏子。始めたばかりでよくあそこまで集弾できるな。びっくりしたぞ」
 「弓より簡単なんでしょ、射程短いし。でもやっぱり当たってびっくりしたのは私。まさかちゃんと当たるなんてね。今日まで実際に弾を込めたことは無かったから。倉知先輩も喜んでくれた。よかったぁ。
 でも、前原さんもすごいね。かっこよかったよ、射るところ。すごいなぁ。あんな距離まで届くんだから」
 「距離では洋弓にはかなわない。でも馬上とか、狭い空間とかでの使用には和弓が良い。ま、スリングの方が向くけどな」
 二人はもう会室の前まで来た。
 「ね、ちゃんと札あるでしょ?」
 「あ、ああ。でもこんなに遅くまで活動してるのか・・・」
 扉が開いて中の光景が見え、前原は驚いた。陸上部、テニス部、剣道部に柔道部。それぞれのユニフォーム姿の生徒たちに。理科系の白衣姿も、家庭部の割烹着姿までいる。皆自分のクラブが終わってから昨日の続きで装備品を手入れしていたのだ。山崎と佐伯も二年生の剣道部員と一緒にみんなで使うロープに切れ目がないか点検していた。昆も天使隊と一緒に救急箱を詰め直している。それを北村が手伝っていた。
 「わぁ、今日は随分いるなぁ」と加賀壬。周囲を見回す。と、奥に探している人物を見つけて声を掛けた。
 「朝臣先輩!」
 呼ばれた宮原は奥の机から顔を起こした。どうやら姫と二人で帳簿を確認していたらしい。
 「あ、加賀壬、丁度良かった。今夜電話しようと思ってたんだ・・・。
 あれ、その人は?」
 近寄る朝臣が前原を見上げた。加賀壬が説明しようとするより早く、朝臣の隣にちょこん、と立って前原に書類を差し出す姫。
 「はい、入会届け。これに記入してね」
 「あ、はい。先日は失礼しました、先輩。あの・・・、ありがとうございました」と頭を下げる前原。姫は笑顔でそれに応えた。「良かったね」と。
 「入会届け? え、じゃ、入会希望者?」
 朝臣の声に前原がしっかりと頷く。
 「はい。ぜひ」
 「そ、そうか、そりゃよかった。あ、元帥、そこどいて!
 さ、君、ここに座って。ペンある? じゃ、ここにまず名前と所属を・・・」
 座った前原の隣に立ち、朝臣が記入を助けるのを見ながら、姫と加賀壬が顔を合わせた。
 「姫さんの言うとおりでした」
 「うん。良かったね、間に合って」
 「間に合う?」
 聞き返した加賀壬に、会長の声が聞こえた。
 「加賀壬さん。こちらへ」
 昨日の様に会長室に行くと、そこにはなんと昨日同様につばさと香坂がいた。
 げげっ! こ、これはデジャブー?
 凍り付く加賀壬は昨日と同じ椅子に座らされた。目の前にあるフレアといい何もかも同じ。でも、一つ違いがある。会長室の奥に他の人影があったのだ。そこにいたのは四人。殿下、美雪、精進、そして本条。OB連の中核が全員集合していた。この狭い部屋で肩を寄せ合って立つOB達。
 つばさを見つけて眉を寄せ、イヤそうな顔をした加賀壬は即座に真顔に戻った。お嬢様は無表情だ。加賀壬を見ても何も言わない。緊張感が辺りを包んでいる。一体何が・・・
 「おい、あんた」
 声に、はっと我に代える。それは陰険チビ、神宮司つばさだった。白衣の彼女は腕組みしたまま昨日と同じく会長の椅子に座っていた。目の前にあるノートパソコンのディスプレイがその顔を照らし出している。
 「あんたが私をどう思っているのかは知っているよ。私もあんたみたいなのはだいっ嫌いだから。でも、昨日は言い過ぎちゃった。だから言い直すわね。
 あんたは魔性との実戦に黙って出てけばいいの。このフレアを付けてね。そうすればフレアはあんたを助けるよ。この際、これを組み立てた私の事は気にしなりゃいい。役に立つ。それは分かってるでしょ。利用すればいいじゃない。私も利用するから。
 あんたとあたしは道が違うよ。でも、結局先は一緒。あたしはあんたなんかと握手する気はないわ。だってあんたおかしいもん。絶対普通じゃないもん。だから仲良しこ良しになる気なんてない。あんたもそうでしょ」
 つばさの声は冷たい。でも。加賀壬は思った。モノ扱いだった昨日とは違う。少なくとも言葉が通じる相手だと思っている。ま、これなら分かりやすいや、と。
 「つまり互いの利益のために利用しあうってこと? 陰険チビ」
 「せめて共存と言ってほしいね、低脳」
 加賀壬は笑った。
 「じゃ、それでもいいや。私は言葉なんかどうでもいいから。日本語以外にもたくさんあるでしょ、言語。でもそれらは道具。大事なのは伝えようとしている意味。言霊だからね。
 分かったよ。今のあんたの話はすごく明快だったからね、言霊が。
 あんたは私を低脳な運び屋、データ収集マシンだって思ってる。私はあんたを高慢知己なマッドサイエンティストだと思ってる。
 それでもお互いの目的が同じことなら休戦しよ。超常研の活動時間内だけはね。で、あなたの目標は? 何が望み?」
 つばさは立ち上がった。
 「人が勝利すること。理性と知性。それこそが世界を救う。科学で解明できないことなんかない。今の科学が魔性に追いついていないだけだよ。私は追いついてみせる。魔性を科学で駆逐してみせる。それが目標。この世界は、地球は地球に生まれ育った私たちのもの。たった一つの故郷。この星を異世界のモノの好きになんかさせない。それが私の目標!」
 その言葉に奥にいた精進も脇に立っている香坂も頷いた。
 加賀壬も立ち上がった。
 「なんか世界征服宣言みたいだね。
 私は低脳だからね。あんたみたいに明確な野心はないよ。私の望みはみんなが助け合う世界。異界のものでも、ここの理(ことわり)に従うならそれでいいよ。でも、理を乱して、人の心を無理矢理固定する奴等は許せない。たとえそれが人間でもね。だからあるべき姿に戻す。それが私の目標」
 「未来ではかみ合わないみたいだね、私たちは。でも、今は違う。共通の敵がいる。それで十分なんじゃない? 加賀壬」
 「そうだね神宮司。それでいいや」
 二人はまた座った。他のメンバーはずっとそのやりとりを見ていたが、やがて美咲が口を開いた。
 「加賀壬さん、フレアの使用、宜しいですね」
 「はい。役に立つのなら。たたなかったら屑鉄にしてやりますけど」
 加賀壬は口元を歪めて神宮司を見た。鼻で笑い返すつばさ。
 美咲がさらに言葉をつなぐ。
 「同意するのなら早急に使用方法を覚えてください。まずあなたの網膜に合わせて調整する必要があります。
 事は一刻を争います」
 美咲の声に加賀壬はびくっと身をすくめた。そうか、それであんなにたくさん会員がいて、ここにもOBがいるのか。
 「今夜ですか、会長?」
 加賀壬の問いかけに美咲は首を振った。
 「まだ学校側からの正式な依頼が来ていません。向こうの生徒会長が個人的に報告してきたのです。明日、両校の生徒会長が向こうの学校側に実体調査を申し入れます。正規の申し入れがあり次第、魔性の巣を少人数の潜入で調査します。それは明日の夜になるでしょう。その結果、挑戦は明後日、金曜日の夜、正確には土曜日早朝になるでしょう。
 真由美から聞いたのですが、新規の会員が入会するそうですが。即戦力になる者だと。真由美の目ではMP戦もHP戦も可能な強力な戦力と言うことなのですが。彼女も佐伯隊に組み込みます。
 後二日。その間にメンバーとの輪を築かねばなりません。加賀壬さん、あなたから見て、その新人は間に合いますか?」
 「はい。大丈夫です。前原さんはさっき入会しました。必ず力になります。絶対です」
 「分かりました。ならば金曜夜の挑戦が彼女の初チャレンジになるでしょう。
 加賀壬さん、あなたの隊、佐伯隊はそのチャレンジで第二パーティ、つまりアタックチーム2になります。アタックチーム1は先日再編された一年生の混成部隊です。彼等が最初の魔性を撃破し、揺らぎを作ったところでチーム2が突入、可能な限りの魔性を排除してください。理想としては残り四魔性総てを」
 加賀壬は茫然としてそれを聞いていた。アタックチーム2。チーム2・・・。
 「篠木原隊は翌土曜日深夜から日曜日早朝にかけて対魔王戦に突入します。それまでに出来るだけ魔性を倒してください。可能であれば逆五芒星総てを排除してください」
 「そ、それじゃ、私たちは・・・主力・・・」
 「そうです。今回は佐伯隊に主力を担ってもらいます」
 加賀壬は茫然としたままだった。つばさは見下した表情で加賀壬を見ていた。やれるもんならやってみな。そんな顔だ。

 佐伯君のナイフはぎりぎり間に合う。茉莉ちゃんはライト付きの警棒で防御アップしてるし。昆先輩は初挑戦を無事こなしてる。私のスリングもなんとかするしかない。それに加え、全く新たな力、フレアに前原さん。それに・・・。それに山崎君もいる。
 確かに戦力はアップしている。でも、でも主力なんて・・・。そんな・・・

 「それぐらいこなしてもらわないと困るわ。けちなデータじゃいつまで経ったって完成しないからね」
 そうしれっと言うつばさ。その言葉が加賀壬の心に炎を灯した。
 くそぅ、このチビめ・・・。
 と、チビの向こうで殿下たちが加賀壬を見つめているのに気が付いた。熱意の籠もったその目。

 思いっきり暴れてこい、頑張りっ娘

 あんたなら出来るよ、新入り!

 見回し君を頼む!

 信じてますわ、宏子さん

 加賀壬はOBたちの言霊を受け取った。そうか。ここは美咲会長の結界内なんだ。だからみんなの言霊が分かるんだ。
 そうだ。みんながいる。みんながいれば大丈夫だ!
 「分かりました。精一杯頑張ります」
 彼女はしっかりとそう宣言した。

 かくして鹿沼町大山商業高校での作戦に向けて準備が急ピッチで進められたのである。



つづく