
von:秋澤 弘
第一章
月曜日の朝一番。裏門から入った加賀壬はとてとてと部室棟への道を歩いていた。あくびが出る。まぶたが閉じかけている。ああ、眠い・・・。
学校まで遠いのが今日はことさらつらく思えた。
本当に下宿したい・・・。どっかに安いお部屋ないかしら・・・。
その時、運動部棟の入り口が開いて、卓球部と書かれた揃いのユニフォームの生徒が数人出てきた。
「おはようございます!」
「おはようございます!。ご苦労様です」
彼等が加賀壬に口々に挨拶を送る。みんな元気一杯の声だ。
「あ、お、おはようございます!」
加賀壬もつられてそう返事をする。今通り過ぎたのはみんな先輩だ。もちろん見たことのない生徒だったが、まるで知り合いの様に声を掛けてきたのだ。どうやら加賀壬もどこかの部の朝練に来た生徒だと思われたらしい。
ま、確かにそのとおりなんだけど。そうは思うが加賀壬は誰がどう見ても運動部員風ではない。新人のマネージャーと思われたのかもしれない。それでご苦労さま、なのだろう。
この学校は生徒同士の連帯感が特に強いというわけではない。そう加賀壬は思っていた。嘉木の第二中の卒業生でここに来ているのは加賀壬だけだ。他の学年は知らないが、少なくとも加賀壬の知り合いはいない。そのため、中学時代の友達からいろいろな高校の話を聞くが、ここが特に特殊なイメージはなかった。ただし、事、超常現象の話となると別である。生徒会の指揮下、一致団結して魔性と闘うという話しだ。そんな学校はまずここしかない。そういった団結があるからか、生徒間の挨拶は当然の事だった。知らない生徒に街で会っても同じ制服を着ている同士ならお互いに頭を下げるくらいはする。でもさっきのはもっと親しげだった。同じ生徒というだけでなく、こんな通用門が開いたばかりの時間から朝練をする同じ体育会系の部員、という連帯感があるのかもしれない。そういう連帯感はあまり文化部系にはないのだろう。
そんな事を考えながら部室棟の奥を回り込むと、いきなり目の前にむき出しの足があって、加賀壬はぎょっとした。二、三歩たじろいで下がると視界が広がり、それが窓からにょきっと出ていることが分かった。と、人の気配を察したのかその奥から、ひょっこりと上半身が出てくる。
「おー、来たね!」
美咲美由美はにこっと笑むと、そのまま地上に飛び降りた。窓の中にいるらしい人物に「おじゃまさーん」と声を掛けて、加賀壬の前に立った。
「おはようございます、みゆみ先輩」
ぺこりと頭を下げる加賀壬。美由美はすぐに彼女を連れて校舎の裏手へと歩き出した。
はて、みんなは? そう思った加賀壬は少し前を鼻歌まじりで歩く美由美に尋ねてみた。
「先輩、昨夜の電話では、朝練ってお話でしたよねぇ」
「んー? そだよ」
美由美は両手を首の後ろに組んだ姿勢で振り向いた。そのまま後ろ向きに歩いているのに歩調は全く乱れていない。
なんか、先輩ってやっぱりすごい。少なくとも普通じゃないな。そう加賀壬は思った。
「えと、他のみなさんは・・・」
「へ? 宏子ちゃんだけだよ」
ぴくっと歩みが止まる加賀壬。あたしだけ? あわててまた歩き出した加賀壬に追い打ちを掛ける美由美の声。
「当然じゃん、宏子ちゃんの特訓なんだから」
美由美はまたにっと笑った。肩が上に持ち上がっている体勢なので、ウェストが本当に細いのが良く分かる。胸のボリュームがすごいのに、腹はスカートできゅっと締められているかのようなプロポーション。加賀壬とは頭身一つまるまる違う様な気がする。その後ろ向きに歩く足もすらりとしていて、そのくせ、めりはりもある。時折先輩が教室に来ると、クラスの男子たちが色めき立つのも良く分かる。だが、加賀壬はその魅惑的な姿の中にある非常識的な部分をよーく知っていたので、ここでくるりと背を向けて帰りたくなった。先輩があたしの方を向いて歩いているのはそれをさせないためだろうか。そう勘ぐりたくもなる。
美由美の運動神経の凄さは折り紙付きだ。初めて会った時、加賀壬は見とれてしまったほどだから。そして彼女がちゃらんぽらんな言動とは違い、すごい根性の持ち主で、肝の据わった人物だということは超常研の人間なら誰でも知っている。
その美由美先輩と二人っきりで「特訓」。体力、根性、気合い。そのいずれもが人並み外れている先輩と。それを聞いてたじろがない新入生はいない。もちろん加賀壬は三拍子揃って人並み外しているので普通なら真っ先に辞退する口だ。でも、もう来てしまった。しかも否応なく歩かされている。ああ、怖い・・・。
ここ、と言われたのは来たことのない場所に立つ建物だった。はて、こんな所あったっけ。ポジション的には第二校舎へ向かう道の側だと加賀壬は判断した。でも、いつもはこの脇の茶道部の茶室の前を歩いていたので、その影にこんな建物があるなど知らなかったのだ。
「あー、せんぱーい、おっじゃまっしまーす!」
美由美が玄関らしい土間で靴を脱ぎながら、奥に声を掛けた。加賀壬がひょいっとその細長い建物の中を見ると、そこには白っぽい服装の男子がいた。少し遠いのと、暗いので顔までは分からない。でも白い服装だから、制服の上着ではない。体操着だろう。
「おじゃまします」
美由美の様に交互に片足で立って靴を脱ぐ自信のなかった加賀壬はそう言って土間に座り込み、靴を脱いだ。
だがスリッパらしいものはない。奥は畳なのだろうかと思いながら、美由美を見ると、彼女はソックスまで脱いで裸足状態である。一瞬躊躇したが、仕方なく自分も裸足になった。床板がすごく冷たい。ぞくっと怖気に身を震わせながら先輩を追う加賀壬。
「先輩、こっちが宏子ちゃん。宜しく!」
美由美が側に立つ人物にそう言って加賀壬を紹介した。
「1年B組の加賀壬宏子です」
頭を下げる加賀壬。二年の美由美先輩が先輩と呼ぶからには三年だろう。さっき男子だと思ったのは彼女だ。背がすごく高いので、すっかり男性に見えてしまったのだ。近くで見るとその生徒は痩身の綺麗な女生徒だった。とても長い髪を後ろでまとめた、きりっとした印象である。その服装は片側しかない胸当てを除けば剣道部員の様だ。紺の袴姿もすごく凛々しい。
かっこいい。加賀壬はそう思った。
「弓道部主将、3−Dの前原です。よろしく宏子君。話しは聞きました。道具は違いますが確かに練習するのはここしかないでしょう。
昨日新人対抗戦があったので今日は朝練はお休みです。ですから始業まで付き合います。
ただし、最初に言っておきます。道場に入った以上は部員同等に扱わせてもらいます。いいですね」
外見同様、一直線な言い方で一気にそう言われ、加賀壬は「は?」と聞き返すしかなかった。
加賀壬のその態度に、先輩が一瞬凍り付いた。その時、美由美がぽん、と手を叩いた。
「あ、そっか、宏子ちゃんには何も言ってなかったけ。あ、わりぃわりぃ。
昨日さ、電話があって、出来たっていうから取ってきたんだぞ・・・と」
そう言って脇に立てかけてあった袋からがさごそと荷物を引っぱり出す美由美。それは一昨日加賀壬が買ったスタッフスリングショットだった。
「短くしただけだから、すぐに出来たみたい。例のナイフはまだ部品集め段階で手ぇ付けてなかったけどね。
つーわけで、はい」
美由美は片手でひょいっとそれを放ってよこした。両手で必死にそれを受け止める加賀壬。
「で、校内でそんなのを練習出来る場所って言ったらここっきゃないっしょ? ね、先輩!」
美由美は屈託のない笑顔を前原に向けた。部長は今の会話とさっきの加賀壬の表情で事態を理解したらしい。加賀壬に同情の目を向けた後で、今度は美由美を見た。
「美咲君、彼女の都合も聞かずにいきなり押しつけたんじゃないでしょうね?」
「は? えーと、その、そうなるのかな? でも今朝は都合良く空いてるって先輩言うから。すぐに使いこなせるようにならないと、ねぇ宏子ちゃん。魔性は待ってくれないもんね」
魔性。
その名を出されては加賀壬も前原も納得せざるをえない。
加賀壬は上着を脱いで、弓道の達人の指導の元、初めてのスリングに挑戦する羽目になった。
「顎を引く! だめ、下げすぎ!」
ぴしゃりと加賀壬の頬が打たれた。前原からすれば問題のある箇所を指摘しているにすぎないのだが、怯えている加賀壬には平手打ちに感じている。
「膝が曲がってる! それじゃ力が伝わらない! やり直し!」
まだ弾すら込めず、それどころかスリングそのものを持ってもいない状態だ。加賀壬はずっと立ち姿勢を修正され続けた。予鈴までずっと・・・。
もしかしたらあたしってば、いじめられているんじゃ・・・
第二章
「おはようさん! んー、かきのん、今朝はまたえらく眠たそうやね」
遅刻寸前で飛び込んできた鮎川の元気な声。机に突っ伏していた「かきのん」こと加賀壬は右手だけ上げて応えた。嘉木の市出身の子がそんなに珍しいかなぁ、と思いながら。
その短く揃えた髪をくしゃくしゃっとなで回し、鮎川は自分の席に飛んでいった。先生がドアの磨りガラスごしに見えたからだ。
HRが始まった。
「ごちそうさまっ!」
加賀壬はお昼のけつねうどんを一気にたいらげると、鮎川と開田を残して食堂を飛び出していった。お昼休みにまた弓道場を貸してくれることになっていたのだ。加賀壬は前原先輩が怖かったのですっとんで行った。途中お腹が痛くなったが、無視して走った。
その姿を管理棟の屋上でぼーっと見ている香土岐。
三つある校舎のうち、この管理棟の屋上は職員も基本的に立入禁止である。というよりも、通常の方法では上がる道がない。外階段の手すりからよじのぼるか、生徒会室の脇の天井にある点検用のハッチの鍵を外してからでないと入れないのだ。故に香土岐にはよい息抜きの場所だったのだが。
彼女は手すりにもたれながら加賀壬の疾走姿を見守っていたが、茶室の奥に消えたのを見てつぶやいた。
「また何か始めたな、あいつ」
だがその「何か」は大体想像が付く。その先には弓道場しかないのだから。
それに答え、小さいが耳障りな甲高い声がする。
「ズィー ヴィル シュッツェリン ズィント! ゼーア シュタルケ イェーゲリン! ハッハッハ」
「そうね。でも本当にそうかもしれないわよ」
香土岐の目は穏やかな色を湛え、その声も優しい。普段からは想像できないほどに。
「ダス イスト ヌーア トロイメ。トロイメライン! ハッハッハ!」
その聞き取りずらい笑いと共に、香土岐の右肩にかかる髪がかすかに揺れた。彼女の髪型は左右で極端に長さが違う。左はショートだが、右は肩が隠れるくらいの長さだ。赴任当初、ゲゲゲの香土岐というあだ名が付けられかけたのは右目まで髪に隠れているからだ。まぁ当然ながらその通り名は定着する前に消えたが。そう、香土岐が図書室担当であると分かった時点で、誰も彼女にあだ名を付けようとする度胸はなかったのだ。
「あら、そう思う? じゃ賭けてみる? 今度の仕事。どちらが片づけるかを。お前は不可能な方に賭けるんでしょ?」
「ナトゥーアリヒ! ジィー カン エス ニヒト! ガンツェン ニヒト!」
「グート! じゃ決まりね。ふふふ。甘いわね、ぴーちゃん。人の寿命は短いの。その分爆発的に成長するのよ。ずっと私に仕えていて知っているはずなのにね」
「ズィー イスト ズィー ニヒト! マイネ マイステリン」
「そうかしら。これからが加賀壬の面白いとこなのに。もう見飽きたの? 年寄りは気が短いのかしらね。
人間はね、お前が思っている以上にすごいのよ。全時空で人間程寿命の短い高位知生体はいないわ。でも、だからこそ、種として、そして個人としての成長は驚異的よ。見てなさい、ぴーちゃん。後で謝ってもしらないわよ、ふふふ
さて、と。そろそろ時間ね。遊んでられないわ。揺らぎが始まった。美咲の連中に見つからないうちに、行くわよ、ぴーちゃん」
「ヤーヴォール!」
声と共に、目をつむった香土岐の右側の髪の毛が一気に逆立つ。まるで突風に煽られたようにぶわっと。次の瞬間、香土岐の背中に大きな羽が一瞬姿を現した。ばさっと大気を揺らしてはばたく羽根が。
すっと香土岐が目を開く。その瞳は金色(こんじき)に輝いている。そのまま天に舞い上がる香土岐。
その姿は強力な結界と揺らし気の術法に守られている故、校内の誰にも見えない。丁度渡り廊下を歩いていた美咲家筆頭術者、由美にさえも気づかせない。普通校舎の屋上で美咲家の厨房担当、薪さんお手製のたまごサンドをかじっていた姫以外には。
あ、先生だ。集会かな? そっか、今夜は満月なんだ。
姫はのんきにパンを味わいながら、夜になったらお庭をお散歩しようと思っていた。
加賀壬が飛び出していった後で。食堂では開田達がまだ食事を続けていた。
「練習ねぇ」と、ランチのはんぺんを噛みながら開田がつぶやく。
「かきのん、部活入らんで正解やったな。おば研だけであれやもんな」
鮎川は親子丼のおまけのみそ汁を手にしながらそう答えた。
「よう体が持つもんやな・・・」
「気力、体力を越すってね。でも、休む事もどこかでないと・・・ね」
それを聞いて鮎川が不意に目を輝かせた。
「そやそれや。あんな、うちとこのねーちゃんがプールの只券くれたねん。昭和新町に出来たやん、新しいプール。そこがロハやねんで、ロハ! 四枚あるんよ。かきのん、温水プール出来てへんでぼやいとったろ? 誘お思うとるんやけど・・・」
「あー、あたしはぁ!」と、開田がハムカツをつかんだ箸を鮎川の眼前に付きだして叫んだ。
「誘う! 誘うて。せやから話しとるんやん。どーしてあんたは人の話、ちゃんと聞かへんの? 呼ばへんのやったら、こないな話しするわけないやろ? んでな・・・」
そこで鮎川はみそ汁をすすった。開田もハムカツを口に入れる。
「んでな、四枚あるやろ。あと一人誘お思うとるんやけど・・・」
「おねえはんは・・・ひひの?」と、ハムカツで口ごもる開田。
「うん。別にもう持っとる。んでな・・・
山崎君、どや?」
「!」
口をもぐもぐさせながら目だけで驚愕する開田。えらい器用な奴ちゃな。鮎川はそう思った。開田はコップの水を飲み、一息つけてから答えた。
「冴えてるじゃん、鮎川! ナイス!」
「せやろ! なら決まりや!」
にまーっと二人が満面の笑みを浮かべる。それは周囲の生徒に寒気を与える程の光景だった。
第三章
放課後になった。加賀壬はまず図書室に行ったが香土岐先生はいなかった。そのまま生徒会室に顔を出し、美咲会長か篠木原副会長に弓道場で特訓中との伝言を書記の宮乃先輩にお願いした。
「分かったわ加賀壬さん。今度は弓道を始めたの?」
宮乃は明るく加賀壬に聞いた。
「いえ、パチンコなんです。それじゃ失礼します!」
加賀壬はそう短く答えると急いで生徒会室を飛び出していった。
「パチンコ? あれって未成年もやってよかったかしら?」
宮乃は加賀壬がギャンブルに染まったのかと思って心配そうな顔だった。結局、数分後にやって来た近藤に相談して笑い飛ばされたのだが、このパチンコ違いの一件は宮乃の卒業後も伝えられる生徒会の伝説になった。合掌・・・
図書館で借りていたキャプテンフューチャーの三、四巻を返し、五、六巻を大慌てで借り、部室棟に飛び込んだ。そこのトイレで運動着に着替え、持ってきていた靴に履き替えてやっと弓道場に着いた。
そこには数名の部員が雑談しており、土間から上がってきた加賀壬の姿を見て怪訝そうな顔になった。
「あ、あの、主将は?」と、どぎまぎしながら聞く加賀壬に、部員たちはさらに怪訝な顔になる。主将は部室で先に事務を片づけてから来るのがいつもの事だ。それを知らないなんて。
「キャプテンは部室にいらっしゃるはずよ、一年生。でも何の用?」
なんだかすごく居丈高な先輩にそう詰め寄られ、加賀壬は口ごもった。
「あ、あの、練習・・・」
「練習? あんた新人? 何よその格好!」
体操着のままの加賀壬は身を縮こませた。こ、この先輩たち、怖い。前原先輩とは違う意味で、怖い・・・
加賀壬が怯えた目つきになったのを見て、さらに先輩が詰め寄る。
「新入生ならちゃんと掃除から始めてもらわないとね」
もちろん冗談なのだが、パニクっている加賀壬にはそうは聞こえなかった。
「あ、いえ、弓道部に入ったわけじゃないんですけど・・・」
そこまで言うのが精一杯。加賀壬がまた口ごもった瞬間、奥にいた目つきの特に鋭い部員がすたすたと加賀壬に近寄った。
「部外者立入禁止! 立ち去れ!」
鋭い一喝。加賀壬は一歩たじろいだ。
「練習の邪魔!」
続いてさっきの居丈高な人にそう言われた時、加賀壬は咄嗟にかちんと来た。今までだべっていたくせに、と。同時に加賀壬の思考が再起動を始め、パニックはすぐに終了した。
だがその時、加賀壬の目の前にいた目つきの鋭い女生徒がくるっと後ろを振り返った。
「まだ練習始めていませんが、間島先輩」
その思いもかけぬ反論に、居丈高な様子が一気に崩れる先輩。
「こ、これから始めるのよ、前原! いちいちうるさいわねっ!」
前原? 加賀壬は目の前にいる背の高いポニーテイルの生徒を見た。ほとんど背中しか見えないが、確かに痩身な感じは主将に似ている。今、異様な緊張感が高まっているが、この女生徒は臆した様子もない。その考察をするうちに、加賀壬の心は完全に冷静さを取り戻していた。
「あ、あの・・・」
加賀壬の声にまた全員が注目した。加賀壬は目の前にいる生徒に話しかけた。
「主将の妹さんですか? あ、あたしは1年B組の加賀壬です。今朝から主将にスリングの練習をしてもらっています。
続きをすると言われて、来ました」
加賀壬の言葉に困惑する部員たち。だが、「小前原」は再び振り向いて加賀壬を見ると眉毛一つ動かさずに口を開いた。
「それは間違いだ。私は妹ではない。従姉妹だ。
二つ質問がある、カガミとやら。
一つ、スリングとは何だ?
二つ、なぜそれをキャプテンが手伝うのだ?」
その口調は澱みが無く、確かに前原主将の親戚だと加賀壬は思った。その口調は高圧的だが、論理的だ。加賀壬はすぐさま貸して貰っていた隅のロッカーから荷物を出して答えた。
「一つ目、スリングっていうのはこれです。スリングショットっていう、パチンコみたいなもの。
二つ目、私の先輩がここの主将に頼んでくれたんです。で、前原主将もOKしてくれたんです」
スタッフ・スリング・ショットを物珍しげに見る部員たち。ああ、助かった。どうにかちゃんと説明を聞いてくれている。加賀壬がほっとしたのも束の間、前原がまた質問した。
「さらに不明になった。カガミ。質問は三つになった。答えて欲しい。
三つ、なぜそれを練習する? 試合でもあるのか?」
試合という言葉に加賀壬は理解した。彼等は彼等の常識の中のみを見ていると。
「試合ではありません。実戦です」
実戦。その言葉に場がしん、と静まり返った。加賀壬の声だけが弓道場に静かに響く。
「私は超常研の会員です。スリングを早急に覚えたいのは魔性と闘うのに必要だからです。そのために私の先輩が、美咲先輩っていうんですけど、ここで基礎を覚えるのが一番即戦力になると判断したらしいんです」
超常研と聞いてびくっと身をひきつらせた先輩たち。さらに続いて聞こえた言葉に凍り付いたかのように動きを止めた。「美咲」という言葉に。目を見開いて怯えた表情で加賀壬を見る先輩たち。
しかし、前原だけは違っていた。怯えるというよりも何かとりつかれたような・・・。
「超常研・・・。魔性? それは一体・・・」
どう説明しようかと考え出そうとした加賀壬よりも早く、前原のすぐ隣にいた先輩が彼女に向かって口を開く。
「その件についてはキャプテンから聞きなさい。私たちはあなたにそれを説明するつもりはないのよ、前原」
くるっと束ねた髪をなびかせて先輩を見る彼女の姿に、加賀壬は思った。あ、この人もかっこいい。
「どういう意味です? 近松先輩」
前原の鋭い瞳に貫かれるかの様に、近松佐江子はびくっと身をすくめた。すかさず奥にいた間島が助け船を出す。
「キャプテンにそう言われているの。超常研の件については折りを見てキャプテン本人からあんたに説明するって。それまであんたには何も言うなって。
だから私も佐江子も何も言えないのよ。キャプテン本人に聞きなさい、練習が終わったらね」
そう言われ、目をつむって考え込む前原はやがて納得した表情でうなづいた。
「そうします。先輩。
で、加賀壬、キャプテンが来るまでは少し時間がある。お前の練習は一人でできるのか?」
「は、はい、教わった型を繰り返すだけなら・・・」
「うむ。それはとても大事な事だ。キャプテンが承認しているのなら我々部員が文句を言えるものではない。必要だというのなら始めるが良い」
そう言って、彼女はこの一件は終わったというように振り返り、また自分の道具を磨きに行った。周囲にいた先輩たちはもう加賀壬の事よりも前原の事で気が一杯らしいので、加賀壬はそそくさとスリングをしまいだした。まだこれを持つ段階にすらいっていないのだから。
その時、新しい一群が姿を現した。そこに昼休みの練習で顔を合わせていた先輩がいたので加賀壬はほっとした。
「あら、飛び入り。感心ね。もう来たの」と三年生の、確か比野さんと言った先輩が声を掛けた。
「なぁんだ、つまんない。キャプテンのしごきに泣いてるかと思ったのに」というのは口の悪い、でも実は世話好きそうな倉知先輩。昼間、必死の加賀壬にいろいろ忠告してくれた先輩だ。でも口調はきつかったが。
「え、やっぱりあれってしごきだったんですかぁ!」
加賀壬の素っ頓狂な声に、笑いをこらえきれず爆笑する先輩たち。
「冗談よ! キャプテンはいつもああよ。
ちょっと待っててね、すぐ支度するから」
「はい?」
「次のステップ。今度は腕の練習よ。キャプテンに言われてるの。キャプテンが来るまで、私がしごいて、あ・げ・る!」
あ、いや、結構です。
その言葉は胸の奥にしまうしかなかった加賀壬である。
第四章
練習は遅くまで続いた。加賀壬は倉知先輩と主将の二人に左右から挟まれた格好で懸命にスリングを引く訓練をし続け、今はもう腕がみしみし言い始めていた。
「やっほー! 宏子ちゃーん、生きてるー?」
この陽気な声。美由美先輩だ。
「かろうじて・・・」
そう答えた加賀壬の背から美由美がびっくりした声を出す。
「なに、あんた、サマになってるじゃん! 今朝はどうなることかと思ったけど・・・」
「そ、そうですか? 全然分かりませんが・・・」
少なくともスリングを手にした練習までは進んでいるので進歩はあるのかも。でもサマになっている、まではどうかなぁ。そう戸惑う加賀壬に主将が言った。
「本当よ。構え、引き、放つ。一連の動作がずいぶん身に付いてきたわ。
総てはここからが勝負。単にスタートラインに立ったというだけではあるけど、一日でまずまずのところまで出来るようになったわね。
でもね、宏子君。一度覚えたとしても、完全に習得するには時間がかかるわ。まだ君は考えている。それなしで、自然に構え、引き、放つまでの動作を流れるように行うには練習あるのみ。ましてやあなたの的は動く。それに合わせてこちらも動きながら放つのは本当に大変よ。
反復練習。それあるのみ。明日は予定があって付きっきりでは手伝えないけど、また来て練習なさい」
主将に続いて倉知が加賀壬に声を掛ける。
「あんた筋肉ないからねー。よっぽど死ぬ気でやんないと物になんないよ。
私は前原と違って引退組だから、明日も付き合ってやる。だから気い抜いたらしごくだけじゃなくて、い・じ・め・る・からね!」
加賀壬はびくっと身をすくめた。この先輩、しゃれじゃないかもしんない。
「すみませんね、先輩」
と美由美がそんな加賀壬に気付きもせずにそばに来て倉知に向かって話し出した。
「うちの部、サバゲー部なんですけど、ほら、例のマヌケな先輩たちのせいでシューティングレンジ取り壊しになっちゃったから。ここしか思いつかなかったんですよ。ご迷惑おかけします」
美由美が頭を下げたので、加賀壬もあわてて真似しようとした時、左手に持ったままのスタッフが向こうずねに当たって悲鳴をあげることになった。
「何やってんの、あんたは」
加賀壬は倉知にこずかれた。
主将が今日の活動の終了を宣言した頃にはもう加賀壬はへとへとだった。へたりこんでいてもしょうがない。立ち上がったとき、二人の前原が何やら道場の隅で話し合っているのが目に入った。他の部員たちも心配そうに二人に注目している。
「なに? どうしたの?」
好奇心丸出しの美由美。
「ここではちょっと。後で話しますから、先輩、場を外しましょう」
加賀壬は美由美を連れて退場した。
部室棟への道々でさっきの会話を説明する加賀壬。美由美は不思議そうな顔になった。
「前原主将の従姉妹、ねぇ。そんなんいたんだ。でも超常研知らないんじゃ、この町の子じゃないね。
どっかから引っ越してきたのかなぁ」
部室棟に入り、美由美の顔で運動部棟にあるシャワールームを貸してもらえることになった。
頭からシャワーを浴びる短髪の加賀壬に対して、美由美はボリュームのあるその髪の毛をキャップに押し込め、鼻歌混じりで汗を流している。と、美由美がついたてに腕を乗せて話しかけた。
「あの小前原さぁ、この学校に来るんで大前原先輩んとこに下宿してるンじゃないかなぁ」
「さぁ・・・そこまでは・・・」と、加賀壬は口ごもった。
「きっとそだよ。でもさ、話し飛ぶけど、あそこに頼んでよかったしょ?」
「はい・・・」
加賀壬は髪の毛を絞りながら、ふと気になっていた事を聞いてみた。
「あの、まぬけな先輩って、何の話ですか?」
今日は特に超常研の活動は無かったようだ。各々の部活が終わった掛け持ち会員たちが三々五々と集まって各自の話題に盛り上がっている会室で、ジュースを飲みながら美由美がサバゲー部の汚点ともいうべき事件を話していた。
殿下先輩達の一年上。その部員たちが三年だった時、顧問の先生なしでは勝手に触れてもいけないとされていたエアガンを、個人的に持ち帰ったというのだ。土日の休みの間にどこかのチームとの対戦に参加したらしい。
エアガンは校内では持ち込み禁止になっている。サバゲー部は特に顧問の先生の管理下という条件で特例的に認められていたのに、それを破ったのがそのマヌケな先輩たちらしい。すぐに部の承認を外されてサバイバルゲーム研究会に格下げされ、射撃場も没収された。こうして事件は幕を閉じたはずだが、残った部員(正確には会員だが)はなんとか汚名返上の機会を狙っていた。
そしてその年の冬、化学部が開発した清めの塩を6ミリサイズに成形し、エアガンで発射するというアイディアを考案、理科系各部と協力して、超常研の活動に積極的に参加したのだ。彼等はHP戦用の実体弾(BB弾)とMP戦用塩玉の二種のマガジンを使い分け、創設間もない超常研にとってなくてはならない存在に浮上した。
美由美が入学した時、サバイバルゲーム研究会は失態を犯した先輩が卒業したのを期に新規まき直しをかけていた頃だ。そして5月の生徒総会で部に復活。以後も生徒会や超常研の作戦に精力的に参加していたのである。
だが、その立て役者だった先輩たちも殿下先輩と一緒に卒業していった。サバゲー部は復活はした。しかし、特典は何もないのが現状である。
「つーわけでね、あたしらもなかなか肩身が狭いんだ。仕方ないけどね。一人でもアホがいれば、みんなそう見ちゃうから。だからさ、宏子ちゃんの練習にはあそこしかないんだ」
「ありがとうございます、先輩。お手数をおかけしました」
「何言ってるの! お礼はまだ早いよ。やっぱ実績残さなくちゃね。魔性をぶっ倒すくらいしてくんないと」
加賀壬は少し考え込んだ。
「それは難しいです、先輩。でも、行方不明者を救助するというのなら・・・」
「くすっ。そうだったね、宏子ちゃんはそうなんだよね。
うん分かった。それで手をうってあげよう!」
そう言いながらぱん、と本当に手をうつ美由美。加賀壬は思った。この人もすごく素直な人なんだな、と。
加賀壬の髪は短い。一番長い前髪も顎の先くらいまでしかない。後ろに至っては襟元にも付かない。
超常研の会室で美由美の話を聞いているうちに、その髪もとりあえず眼鏡をかけるくらいには乾いていた。加賀壬の髪型では濡れたままだと、眼鏡にべったりと張り付いてしまうのだ。
と、視界が復活したその時、私服の香坂が現れた。
「あら、丁度良かったわ」
そう言って室内に入ってくる彼女に会員たちが挨拶をする。加賀壬も立ち上がってお辞儀をしようとしたが、その瞬間、凍り付いた。香坂の影からひょっこりと小柄な白衣の女性徒が出てきたからだ。
げっ、あのチビは・・・
「美咲はいる?」と香坂
「はーい、ここにも一人。
あ、そんな下げすんだ目で見ないで下さい、副部長。由美ねぇなら会長室にいますよ」
美由美の声に、はぁ、とため息を付き、肩をすくめて奥の部屋に進む香坂。だが、チビは付いていかない。それどころか、すたすたと加賀壬の真正面にやって来たではないか。
「ヘルメットは?」
いきなり、何だこいつは。加賀壬は無視を決めた。
「ヘルメットを持ってきてるかって聞いてるの。あんた耳ないの?」
「美由美先輩、あたし帰ります」
加賀壬はそう言って立ち上がった。
「ふっ、これだから単細胞は・・・」
鼻で笑うつばさ。脇で美由美が期待のこもった目線を向ける。なんか面白い事になってきた。そう顔に書いてあるのが読めて、加賀壬はため息をついた。そんな加賀壬にやれやれ、と言った感じでつばさが説明をする。
「あんたなんかには勿体ないけど、精進室長の新兵器を貸してやるって言ってるの。新型のプラズマノクトビジョン。拡散式のね。
頭部に付けるのが一番よさそうだから、ヘルメットして参加してる会員を選んだわ。そうしたら二人が上がった。でも三沢先輩は身長がありすぎて、射出点が高い。だからあんたになったの。いい、足りない頭でもここまで簡単に言えば分かるでしょ? 少なくとも高校には入れたんだから。それともあんた裏口入学?」
言わせておけば。加賀壬は眼鏡の奥で怒りの炎をめらめらと燃やす。その光景にぎょっとする会員たち。そしてわくわくしている美由美。その瞬間、凛とした声が室内を支配した。
「注目を、会員諸君!」
美咲由美は瞬時に会室をその配下に納めた。
「今、精進先輩から新しい装備の提案が申し入れられました。
名称は<ノクトプラズマビジョン・フレア>。開発コードは<見回し君>。
この装備はノクトプラズマビジョンのレーザー光を回転する反射板で拡散させ、前方60度の角度で照射するものです。
この装備により、ブランクアウトした魔性を広範囲にて発見することが可能ですが、現在の試作品では有効距離が3メートル強しかありません。また使用電力の問題で外部バッテリーが必要になります。とりあえず次回の探索にて試用し、その結果をフィードバックすることになりました。
加賀壬さん」
会長に呼ばれ、はい、と答えて前に出る加賀壬。
「あなたはヘルメットにバッテリー式のライトを付けていますね」
「はい、そうですが」
ヘルメット、と言われ、加賀壬は先が見えた。その時、ふふん、とまた鼻で笑うつばさも見えて、むっとする。
「ならばあなたが適任です。協力してほしいのですが」
会長にそう言われればうなづくしかない。しかし、つばさの態度がすっげーむかついていた加賀壬は素直になれない。とはいえ、試作品とはいえ、ノクトプラズマビジョンは欲しいところだ。この前の山崎との会話も蘇った。うーん・・・。
結局しぶしぶそれを受け入れざるを得なかった。
「分かりました・・・」
「感謝します。では明日、ヘルメットとバッテリーを持ってきて貰えませんか? 午前中に受け取りにあなたの教室まで行きます。コネクタ形状と電圧にもよりますが、遅くとも下校時間までには組み込みと調節が終了しているとの事です」
由美に続いて香坂が加賀壬に向けて口を開いた。
「バッテリーの容量にもよるけど、できれば長時間試用での状態を知りたいの。お願いね、加賀壬さん」
「あの・・・」
加賀壬はつばさをちらりと見た。
「この陰険チビも手伝うんですか」
加賀壬の声にはその辛辣な言葉以上に嫌悪感があったので室内にいる者は目が点になった。彼女がこんなに毛嫌いする相手は初めてだったから。
「ええ。この装置は室長が開発したんだけど、試作はつばさちゃんがしたのよ。もう室長は新しいアイディアに夢中だから、このフレアを実用化するのはつばさちゃんのチームなの」
香坂が告げるその言葉に、加賀壬は肩を落とした。
誰か、ヘルメット欲しい人いない? あげるよ。今だともれなく陰険女付きだけど・・・
第五章
その夜。満月の下。美咲の屋敷は静けさに満ちていた。そんな中、池の側の大石に座り、うれしそうに月光浴をしているのは真由美と美由美。
「ほーんと、まーんまるだねぇ」
美由美がそうつぶやくのは何度目だろうか。その度に姫は「うん」と元気に答える。
「加賀壬は今頃爆睡してんのかな? あいつ、スタミナないからね」
「練習はうまく行ったの?」
姫は月を見つめながら聞いた。
「うん。結構サマになってるよ、あいつ。
そういえばさ、弓道部の主将、知ってるっしょ?」
「前原先輩?」と、真由美がお月様から視線をそらさないままで返事をする。
「そうそう。あの人にさ、従姉妹がいてね、なーんかそっくりなんだけどさ。その子美咲って名前知らなかったんだよね。高校に入るんで下宿してるみたいだよ、先輩ん家に」
勝手にそう決めつける美由美。姫は「そうなの」とうなづいただけだった。何か先があると分かっていたから。
「それがさ、その従姉妹、なーんか変なんだよね」
「変?」
「うん。帰りにさ校門の所で二人を見かけたんだけど、なーんか変なんだよ。何か良く分からないんだけど」
姫は黙り込んだ。美由美には術力は全くない。美咲家の秘術、目に見えぬ縁(えにし)を読む「由見」の術も受け継いではいない。だが、そのカンは鋭い。野生のカンだ、と本人は言っていたが。
何かあるのかな。そう思い、少し暗い表情になる姫。それに気づいて、美由美が笑った。
「でも大丈夫だよね。だって学校にいるんだからさ。由美ねぇもいるし、あの香土岐センセもいるしさ」
香土岐と言われ、姫はふっとお昼に見た翼をはばたかせる先生を思いだした。
「今日は香土岐先生に満月だって教えて貰ったの。先生がまた飛んでたの。多分今日は集会ね」
「また猫集会? 最近多いね」
美由美はセンセの参加する集会を勝手に猫集会と呼んでいる。別に猫が集まるのではないだろうが、深夜に集会、と言われるとそういうイメージがあるのだ。
「ねぇ、センセって魔女なの? んで集会って、やっぱやーらしーことしてんのかな」
「みゆみぃ、下品・・・」
「だってあのプロポーションに色気でしょ、やっぱフェロモンすごいんだろうしさぁ・・・ねぇ」
「プロポーションなら美由美もいい勝負だと思うけど。
先生の集会は多分実際に集まるんじゃないと思うよ。きっと特殊な場を作って、お月様に何か念じるんだと思う。で、お月様がそれを他の人に伝えるの。そうやって一日で地球のあちこちにいるお友達とお話しするんだと思う」
美由美はそう言われ、月にウィンドウが開き、「新着メール、四通」とか出てるのを見てるセンセを想像して苦笑した。その時、姫がこともなげに言った。
「うん、そういうの」
美由美はきょとんとなった。
その頃。富士の山頂に近い霊穴で。香土岐は雪で描いた魔法陣の中心に座り、月を見つめていた。彼女の師からはまだ報告が来ていない。やはり敵もなかなか尻尾を出さないようだ。代わりに共に学んだ姉妹弟子の数名から半日ほど前の思念が残されていた。一つ目はアイルランドにいる姉弟子から。頼んでおいた紋章の照合が終わったらしい。これは香土岐の杞憂に終わったようだ。次はプロバンスにいる同期のミシュウから。やはり聖剣は姿を消していた。となると事が起こり始めているのか。香土岐はその細い眉を寄せうなった。
まだ他にも思念がある。それに集中すると、それは肩に止まるぴーちゃんの兄弟ともいえるピュリアティスからだ。その主である姉弟子はゲートの奥にいるらしい。使い魔を通して魔界で得た情報を伝えているのだ。人の言葉を用いず、純粋な思念で伝えられる膨大な量の情報。眉根を寄せていた香土岐の目はさらに鋭くなった。
そうか。事態はそこまで切迫しているのか。ひょっとすると年内にも、奴が、あの破壊の城が現れるかもしれぬ。まずい。ここまで進んでは私一人では・・・。やはり美咲家の力を借りるしかないか。
香土岐が考え込んだ時、肩に乗るぴーちゃんが注意を発した。まだ未読メッセージが残っていたのだ。というよりも、今来たようだ。
それは上海にいる妹弟子、風華からだ。月の下、今この瞬間に香土岐に宛てて思念を込めたらしい。
<ねぇさま、風華です。李主家の卜師からの報告をお伝えします。
ねぇさま、心してお聞き下さい。ねぇさまのライフワークであるあの者。日本に向かった様です。上海では足取りを追うのがやっとでした。お力になれずご免なさい、ねぇさま。
ただ、一つ不思議な事があります。あの者は僕(しもべ)を連れていないようなのです。
この地にてハイクラスを一体消滅させましたが、僕がいたらしい形跡がないのです。理由は不明です。しかし、その後ですぐに日本へ向かった事から見て、あの者の僕は日本にいるのかもしれません。
ただこれだけは確実です。ねぇさまの見立てのとおり、あの者のベースはやはり日本です。今の姿は黒髪に黒の瞳。流暢に日本語を話していたようです。ハイクラスを倒した後、力を蓄えにベースに戻ったものと思われます。ねぇさま、お気をつけ下さい。あの者はハイクラスを滅した前後二時間でミスティッククラスを少なくとも20体、消去しています。それに従っていた愚かな人やキン共で共に命を絶たれた数は二百を越えていたはず。
あの者はやはり触れてはならぬ者かもしれません。
ねぇさま、お気をつけください。風華もこちらでの痕跡を消しましたらすぐに戻ります。ねぇさま、お気をつけ下さいませ・・・>
「すまん、風華。私はどうしてもあの方に会わねばならないのだ。すまん」
香土岐は心を落ち着けて、風華への謝状を練り上げ始めた。報告にはないが、風華がその惨劇の場にいたのは間違いない。だからこう伝えることにした。無事に戻って来てくれるだけで嬉しい、と。
その頭上で。月は静かに輝いていた。
第六章
翌日の休み時間。朝練で疲れている加賀壬が机に突っ伏していると名前が呼ばれた。
ヘルメットの受け渡しかと思って立ち上がると、入り口のドアの所にいるのは見慣れない長身の一年生だ。はて? と?マークを顔に付けて歩み寄る加賀壬。
「加賀壬ですが、何のご用でしょうか」
そう言おうと口を開きかけた瞬間、彼女の方が話しかけた。
「昼休み、屋上に来て欲しい。話がある」
それだけ言って、すっと向きを代え、その女生徒は立ち去った。その後ろ姿に揺れる長いポニーテイル。そしてさっきの要点しか言わない声。そうだ、制服姿で分からなかったけど、あれは小前原だ。
はてな、一体何の話しだろう。加賀壬が首を傾げたとき、いきなりすぐ後ろから声がかけられ、彼女は飛び上がった。
「加賀壬さん」
ぎょっとしてたじろぎながら振り向く。そこにはいつの間にか足音も何の気配もなく、美咲がいた。
「か、か、かい、ちょう・・・」
「ごめんなさい、驚かせたみたいね」
当然です! その言葉は一応胸にしまっておいて、加賀壬はすぐに廊下のロッカーの鍵を開けた。
「一式、入っています」
「預かります」
美咲はその紙袋を受け取ってから、一瞬とまどった様に考え込んだ。会長のそんな姿はあまり見たことがなかったので、加賀壬はどきっとした。それに気付き、美咲はすぐにいつもの表情に戻って告げた。
「不安にさせましたか? 少し気になる事があったものですから。今立ち去った長髪の女生徒。彼女ですが・・・」
前原さんが? 加賀壬は眉を寄せた。一体、なにが?
「さ程気にすることでもないのかもしれませんが、彼女、闇に触れています」
「や み に?」
加賀壬は途切れながら聞き返した。
「ええ。しかしながら魔性に影響されている様子はありません。ただし、それにつけ込まれやすい状況ではあります。ですが、意志は強そうですから己の闇を見つめ切るかもしれません。でも気には留めておいた方が良いでしょう。
それだけです。では」
美咲は反語だらけの言葉を告げ終わるとすっと向きをかえて紙袋を持って帰っていった。廊下に立ったまま、加賀壬は会長に挨拶を返すことも忘れ、前原が消えていった方をじっと見つめていた。
その昼休み。今日はお昼には練習はない。その代わり、しっかりとイメージトレーニングを、と倉知に言いつけられていたが、どうやらそうもいかないらしい。
これもいつもながらにせっせとお昼を詰め込む加賀壬に、開田が話があると言いかけたのだが、加賀壬は先約があるから、と断った。
「ごめんね、なんか深刻な話しらしいんだ。気になっちゃって・・・」
そう謝る加賀壬の表情は暗い。開田と鮎川は目配せし合い、プール作戦は一時延期になった。
校舎の階段を上がりながら加賀壬は気持ちを入れ替えていた。どんな話なのかは分からないのだから。とにかく話を聞いてから。考えるのはそれからでいい。
管理棟とは違い、普通教室棟と特殊教室棟の屋上は、許可制ながら生徒に開放されている。特にお昼時には屋上の鉄扉は開けっ放しになっている。その入り口にも座り込んでお弁当を食べている先輩もいるほど、屋上は込んでいた。陽光を浴び、目を細めながら周囲を見回す。さて、どこにいるのかな? そう思った時、頭上から声が掛けられた。
「加賀壬。ここだ」
振り仰ぐ彼女の目に、頭上に立つ前原の姿が映った。
彼女は給水塔の部分に立っていた。加賀壬はぎょっとした。この脇にある梯子。まさかこれを上がってこい、と?
だが前原はすぐさま端に腰を降ろす格好になると、すっと身を躍らせた。次の瞬間、彼女は加賀壬の目の前に立っていた。揺れるポニーテイルだけがその運動量のすさまじさを物語っていた。
「あ・・・」
言葉を失う加賀壬。3メートルではすまない高さなのに・・・
「あそこが一番見晴らしがいいのだ。すぐに見つけられると思ったのでな。
うむ・・・。あの奥に行こう」
前原はすたすたと隅の方に進む。加賀壬は結った長い髪が揺れるその背を見つめながら、この先に待つ会話に心を向けていたので、薪さんお手製のおむすびをあんぐりとかじっている姫の目の前を通ったのにも気づかなかった。
比較的人の少ないその隅で。前原はフェンスに寄りかかって加賀壬を待った。
歩み寄る加賀壬。だが前原の顔は無表情だ。とても会長の言っていた闇の気配はないように見える。
「急に呼び出してすまない。聞きたいことがあるのだ。いいか?」
ここまで来てそう言われても困る。加賀壬は仕方なく頷いた。
「お前は闘うのに練習が必要だ、と言ったな」
再び頷く加賀壬。
「その相手が魔性だとも言ったな」
また頷く。
「その魔性というのは、本当にいるのだな。幽霊の様に個人にとりついたり、お化けの様に場所にとりつくのではなく、人を操り、殺め、成長するという知性のある魔物が」
加賀壬はためらった。しかし、前原の真剣な表情にウソが無意味な事を悟り、また頷いた。
「お前のクラブは魔性を退治する。そう聞いた」
多分主将からだろう。加賀壬はそう思った。
「なぜだ?」
予期せぬ質問に加賀壬は一瞬とまどった。何故? だがその理由は簡単なので、すぐに答える加賀壬。
「犠牲者を出さないため。魔性に捕らわれている人を救出するため」
「犠牲者は多いのか?」
「分からない」
加賀壬は考えた。正確な数は超常研でも把握できないからだ。ここは慎重に答えなければならない。加賀壬はそう悟った。
「被害者は魔性に操られる事が多いの。単なる行方不明にされていたり、ノイローゼでの自殺にされたり。でもこれだけは確か。この学校でも数名行方不明のままの生徒がいる。それに・・・。
私は見たの。殺された・・・生徒の・・・霊・・・。もう何人も・・・見て・・・」
加賀壬は言いきることが出来ずに口をつぐんだ。手錠につながれたあの子の姿。ほんのわずかな希望にすがり、狂死に付き従い続けたあの二人。加賀壬の目から涙が溢れた。
「すまん。思い出すのも辛いことだった様だ。すまん。
でもよく答えてくれた。誰も答えてくれなかったのだ。ありがとう」
その言葉は本心からのものに思えた。でも・・・。加賀壬は眼鏡を取って涙を拭きながら思った。でも、何かおかしい。この人はなにか想いを隠している。そう思った。それは前原の言葉からというよりも、態度から感じたことだった。彼女はずっと拳を握りしめたままだったのだ。
「お前のクラブ、超常現象研究会、だったな、そこに参加すれば、魔性退治に連れて行って貰えるのか?」
「え・・・?」
「魔性退治に行けるのか?」
加賀壬は頷いた。彼女の真意を知るにはこちらも真実を伝えるしかないと思ったからだ。前原の目はするどい。多分どんなウソも効かないだろうから。
「どうやったらその組織に参加できるのだ? 紹介しては貰えまいか。私を参加させてほしいのだ」
その言葉は真実の様だ。「魔性狩りに参加したい」。その言葉は。でも・・・。加賀壬は思った。何かある。言葉に出していない何かが。
じっと見つめる加賀壬に前原は慌てた表情になった。
「私は弓道は初心者だ。だからあまり巧くない。でも筋はいいとキャプテンに言われた。毎日修行している。精一杯役に立つよう努力する。それに私は体術も習ってる。これは子供の頃からだ。多分弓道よりもそちらの方が役に立つと思う。
その・・・、体術が効果ないのなら、破魔矢もある。あ、うちは神社なんだ。だから清めの基礎はできる。
きっと役に立ってみせる。頼む、私を仲間に加えて欲しい。頼む」
前原は最敬礼の姿勢になった。そのポニーテールが小刻みに揺れているのは屋上の強い風のせいだけではあるまい。
そして、加賀壬の目は見ていた。彼女が脇に添えている拳。最敬礼の形でありながらも握りしめられたままの拳が震えているのを。慌てた前原の態度。余程の事が無い限り、私のような初対面に近い者にそんな姿を見せる人ではないはずだ。そう加賀壬は理解していた。
超常研に参加した者のほとんどが、何かをしたくて、自分で出来ることをしてみたくて集まっていた。ただ怯えているだけの自分に戻りたくないから。北村はそう言っていた。しかし、前原は何か違う。何か思い詰めている。
闇に触れている。
会長の言葉が蘇った。
「このとおりだ、頼む!」とさらに頭を低くする前原。
加賀壬は無言だ。
「どうか力を貸してくれ。私は、私はどうしても参加したいのだ」
「質問があります」
加賀壬は前原にそう切り返した。
「あなたはどうして魔性と闘いたいの?」
その言葉にびくっと身をすくめる前原。答えはない。だが間違いない。加賀壬は確信した。
「駄目! 絶対ダメ!」
前原は明らかに身を震わせていた。もはや隠そうともしていない。怒りがその身に溢れ、目前の加賀壬にそれを叩きつける寸前、彼女の体は加賀壬に抱きしめられていた。上体を起こされ、前原よりも随分背の低い加賀壬の胸に顔が抱きすくめられた。前原は加賀壬の腕から逃れようとした。だがその時加賀壬のかすかなつぶやきが聞こえた。その言葉に体を凍り付かせる前原。
「復讐なんてダメ。それはもっと世界を暗くするよ。復讐の先には闇しかない。そんなんじゃ出来ないよ、助けるなんて・・・」
その言葉が前原の心にしみ込む。じゃ、どうしたら・・・そう思った時、加賀壬の声が続いた。
「私たちは非力だから、一人じゃ何もできないから。だから仲間は欲しい。一緒に闘ってくれる仲間が。でも、欲しいのはそういう仲間。殺しに行く人じゃない!」
加賀壬は腕の力を緩め、前原の顔を見下ろした。
「この前ね、魔性がいたの。男の人に・・・殺された子の魂。彼女ね、怖くて、怯えてて、そこから出ることも出来なくて・・・。近付く男の人に攻撃する魔性になっていたの。すごく哀しい。どうしようもなかった、わたし。生きてるうちに助けることが出来なかったんだもの。でもね、その子の魂、その一番嫌な記憶のこもった部屋から出たらね、光ったの。光って天に昇ったの。
分かる? 魔性はね、モノに取り付くこともあるけど、人の魂に、哀れな魂に取り付くこともあるんだよ。それを切り離すのはすごく難しい。とっても難しいの。だからね、魔性を殺すって事はそのまま魂も殺しちゃうかもしれないんだよ。
無理矢理殺したらその魂は傷つく。たとえ生まれ変わっても、その傷ついた魂はまた魔性に狙われる。それじゃ意味がない!」
加賀壬の目から涙が溢れている。熱い涙は前原の頬に落ちていた。いつの間にかそこに前原自身の涙も加わっている。
「一番怖ろしいのは、一番残酷なのは人の心。心の中の闇。
それを払う。その闇から魂を救う。それがわたしの目標。今はうまくできないけど、一人じゃ全然できないけど、仲間がいればなんとかなるかもしれない。わたしが欲しいのはそういう仲間。殺すなんて、復讐なんて、だめだよ・・・」
その言葉が前原の心に広がった。しかし、それを押しのけるように彼女の心の奥からわき上がる想い。許せない。やっぱり許せない。
その時、急に隣から声が掛けられた。
「許さなくてもいいよ。それができるようになるには時間がかかるもの。いつかその時が来たときに許せばいいの。今じゃなくても」
二人は魔法が掛かったかの様に身動き一つせずにその声を聞いた。
「でもね、覚えててほしいの。何を許さないのかってこと。全部許さないってのとは違うから。
交通事故で毎年たくさん死んじゃってるよね。人を殺してるのは車。でもね、車が悪いんじゃないの。居眠り運転してた人間が悪いの。交通事故でお父さんが死んじゃった子は車を憎むかもしれないけど、そうじゃないの。そしてね、それが分かったとしてもね、それでもね、結局運転していた人を憎んでも仕方がないの。だってその人は殺意があってやったんじゃないんだもの。
憎むべきなのはぁ、そういう事が起きる状況なんだよ。魔性はね、そういう隙を見つけてね、そこに来た人を故意にそういう状況にするの。
だからね、魔性を憎むっていうのはぁ、魔性に取り付かれた人を憎むのとは全然違うの。
それにね、魔性を憎むっていうのはぁ、魔性にとってすごく嬉しい事なの。魔性は憎しみが大好きだから。憎んで、復讐したくて来た人は簡単に取り込まれちゃうもの」
姫は二人のすぐ側で語りかけていた。その言葉は口語体の単純さ故に二人の心にすぐにしみ込んで行く。
「だからね、憎むのは別の世界から来てぇ、人間を食べる妖しだけにして。そしてね、妖しに取り付かれやすい人の弱い心だけにして。憎むなら、することは簡単だよ。その人を助けてあげればいいんだよぉ。そうすれば妖しは入って来れないもの。
今はそうじゃないことが多いんだけど。大事な、とっても大事な人が死んじゃった人が憎しみに染まってぇ、またとりつかれちゃう。そうして増えるんだよ、哀しみが」
姫はそこで言葉を切った。彼女の驚異的な「由見」の目は言葉が、言霊が二人の心にしみ込んで行くのを見守った。言霊が広がりきってから、また声をつなげる美咲家次期当主、すなわち姫。
「でもね、みんなが、みーんながお互いに助け合うようになればいいの。誰かが哀しいことで心に闇を抱いたらね、隣の人が助けてあげればいいの。加賀壬さんがあなたを抱きしめてるように。支えてあげればいいの。
生きてる事ってすごいんだ。みんなが幸せになれば自分も幸せになれるんだって、それが分かればね、妖しなんてここにはこないよ。だって来たって無駄だもの。
妖しが許せない。だから殺す。それはいけないこと。妖しが許せない。だからみんなを助ける。そうしないといけないの。そうすればね、妖しはこれなくなるんだよ。それが妖しには一番つらいことだから」
姫は思っていることを全部言い終えたのか、そのまま静かになった。しばしの間。やがて前原が身を起こした。加賀壬が引き留める事もできぬ程素早く、彼女は駆け出し、屋上を横切って鉄扉の奥に消えた。
「前原さん・・・」
差し伸べた手はまだ伸びたまま。加賀壬は哀しみを噛みしめた。届かなかったこの手。だめだった・・・
「ううん、届いたよ、ちゃんと。あの子の心に」
え、と振り向く加賀壬。姫は笑っていた。
「あの子は一人だったの。さっきまでは。でもね、加賀壬さんが側にいるのが分かったよ。隣にいる加賀壬さんに気づいたよ。今は混乱してるだけ。大丈夫だよ、あの子、分かったから。自分が世界に生きてるってこと。今日はぁ加賀壬さんに気が付いたの。だから明日は他の、あの子を心配して差し出されている手に気が付くよ。そしてねぇ、手を取り合うの。
そのうちね、あの子の方から一人でいる誰かに手を差し伸べるようになるよ。きっとだよ」
加賀壬は姫の言葉がまた心にしみ込んでくるのを感じて涙をこぼした。
「そうだと・・・いい・・・」
「そうだよ! 見えたもん、わたし。
よかったね」
姫にそう言われ、加賀壬はおもわずその小柄な先輩に抱きついた。膝をつき、姫に体を預けてわんわん泣き出す加賀壬。
とっくの昔にそこでもめごとらしき事態が起きているのは屋上中の生徒が気づいていたが、その一人があの美咲の娘と分かっていたので、皆知らんぷりしていた。ただ、誰も声を出すことが出来なかったが。
昼休みの屋上で。女の子同士、三角関係の修羅場があった事がその日のうちに噂になっていた。
つづく