
von:秋澤 弘
第一章
先程までの静粛とは異なり、講堂内はざわめきに包まれていた。中学時代からの友達を捜す者、渡された書類を読んでいる者、フリーの時間を最大限に利用すべくさっさと帰る者。
今、入学式が終わったのだ。
何人かが真新しい緑のラインの入った上履きを鳴らしながら渡り廊下を通り、早速校内見物に出かけて行く。
講堂は校舎から随分離れたところにある。渡り廊下は中庭を横切って進み、最初の校舎に続いていた。ここを右に折れるとグラウンドの方向に抜ける。正面はまた別の校舎が見えている。左には教室がずらりと並ぶ。そうここが一年の教室だ。
階段から上級生たちがにやにやしながらざわめく後輩たちを眺めている。多分二年生だろう。最初の後輩が珍しくてしょうがないのだ。二年前は中学で最上級だったにも関わらず、人の記憶というのは不思議なもの。まるで初めて自分の後輩ができたような新鮮な姿に映っていた。大抵の生徒がその視線を受けながら左に折れ、教室を見に行く。明日はここに集まるのだから。
加賀壬宏子は曲がらずにまっすぐ進んだ。ボブ風に揃えた髪。細い銀縁の大きな眼鏡。見た目だけではなく、本人の性格も真面目だが、特に誉められるほどというわけでもない。だが、真面目な性格ではあるが勉強はまぁまぁ程度。実は成績は中の下だ。読書は大好きだが数学と理科が大の苦手である。この学校へは「無理だ」という中学の先生の反対を押し切って、頑張り続けてなんとか入学できたが、多分下から数えた方が早い点数だったろう。身長は152センチ。体重は・・・。ま、あえて問うまい。まだ16才の乙女である(笑)。
特殊棟に向かう彼女は見学に当てもなく歩いているのではない。目的地は管理棟の隣。下見に来た時にその場所は覚えていた。まっすぐ特殊教室棟も抜け、管理棟の方に向かう。部室棟の入り口を右手に見ながら、彼女は管理棟側に曲がった。管理棟に入るとその中をまっすぐに進む。この先が目的地だ。突き当たりのドア。そのガラスの向こうに真新しい建物が見える。その少し手前が管理棟の玄関口。その脇に事務室がある。その前にさしかかった時、からりと扉が開き、生徒が一人出てきた。肩までの長めの髪に大きな眼鏡の男子生徒だ。その制服の左腕には「生徒会」と書かれた腕章をしている。彼は加賀壬のネクタイの色を見て、次いで彼女の顔を見た。ちょっと短いが髪型と言い雰囲気といい、自分に似てるな。そう彼は思った。眼鏡のフレームが似ているからだろうか。加賀壬の方は相手がとりあえず先輩らしいのでぺこっと頭を下げる。
「新入生だね? 別に道に迷ったって顔じゃないし、事務室の扉も通り過ぎようとしてるし」
そうつぶやいて廊下の反対側をちらっと見て、その生徒は笑顔になった。似ているのは外見だけではないらしい。
「なるほど。早速生徒の権利を楽しもうってことだね」
「はい」とだけ彼女は答えた。
「そう堅くならないでいいよ。僕ら生徒会はみんなのためにいるんだから。
実を言うとね、僕も去年、入学式の当日にまっすぐあそこに行ったんだ。お仲間がいてうれしいよ。
僕は二年で生徒会副会長の篠木原。ま、名前は覚えられないだろうけど、もしも何か分からないことがあったら遠慮なく僕らに言ってくれ」
そう言って彼は左腕の袖章を見せた。
「衣替えまで役員はみんな付けてるから。君ら新入生がすぐに分かるようにね。それじゃ」
そう言って立ち去り掛けた彼はすぐに足を止めた。
「あ、そうそう、多分まだ鍵かかってるから、右手に回ったとこにある部屋に声をかけた方がいいよ。それじゃね」
またぺこりと頭を下げて彼の背を見送ると、彼女はまた歩き出した。
ドアを出ると短い渡り廊下。その先が目的地だ。一昨年だか去年だかにできたばかりの大きな、ほぼ円形の建物。外から見ると四階建てくらいはありそうだが、実は二階しかない。それも下見の時に調べて置いた。
入り口に立ち、大きな観音開きの重厚そうな扉を引く。動かない。試しに押してみたが、さっきの副会長が言ったとおり、鍵がかかっていた。そこで建物の右に伸びる廊下を通ってゆくと、もう一つドアがあった。こっちは何の変哲もない普通のドアだ。その前に立つ。中から人の気配がしたのでノックした。しかし反応はない。
「すみません」
声を掛けると二度目で中から声がした。
「は、はーい!」
すぐに扉も開いた。そこに立っていたのは小太りの若い男だった。
「?」
彼は一瞬とまどいの色を浮かべたが、ネクタイの色を見て、すぐに加賀壬の希望が分かったらしい。
「お、入学式終わったの? ごめんごめん、ちょっと夢中になってたもんだから」
そう言って男は右手に持った文庫本をひらひらさせた。
「すぐに開けるよ。ちょっと待ってて」
奥にある別のドアを開けて男は姿を消した。こっちの戸は開いたままだ。一瞬考えたが、とりあえずそこを閉め、さっきのドアの前で待つ。がちゃりという音がして、観音開きの扉が開かれた。男はちょこまかと動いて戸の下にあるストッパーでそれを押さえ、ホールのライトを付けて脇にどいた。
「さ、いいよ。今年の新入生利用者No.1の君」
扉の内側の自動ドアを通って加賀壬は中に入った。下見の時にガラス越しにここを見てから、ずっと来たいと思っていた場所。右手側に広いカウンターがある。奥は先ほどの隣室とガラスで隔たれ、左手には椅子とテーブルがずらっと並んでいた。そして中央。加賀壬は歩みを進める。奥には大きな機械があり、その天井はとても高い場所にある二階までくり抜かれている。見上げたその二階には吹き抜けの部分があり、そこからたくさんの戸棚が見える。機械の左右にも並ぶ棚。
機械の真正面にはコンソールパネルがあり、コード入力のキーボードと、カードを差し込むスロットがあった。
「まずこっちに来てくれる?」
男の声に振り向くと、男は分厚いファイルを机に広げていた。歩み寄る加賀壬。
「まだ正規のカードができてないんだ。明後日の開館時間までには来るんだけどね。それまで仮登録しとくね」
何やらハンディプリンターのようなものをいじっている。これでバーコードを印刷するらしい。
「あ、今日はまだ使えなかったんですか?」と不安げな声を挙げると、男は笑いながら言った。
「うん、今日は午後からでね、利用方法の説明が明日、で、明後日のオリエンテーリングで正規のカード配布があるんだよ、新入生にはね」と言って男は壁に貼ってある大きな張り紙を見せた。開館予定表とあるその張り紙を見て、加賀壬は真っ赤になった。そうだ、そういえば入り口の脇にもなにか大きな張り紙があった。ここに来ることに夢中になっていて全然気づかなかったのである。
「ご、ごめんなさい、わ、私・・・」
「気にしない、気にしない。例年必ずいるんだよ。君みたいな子がね。で、大抵委員になって、そのカウンターに陣取ることになるんだ。君もその口かな?
えっとクラスは何組? それと名前も」
「は、はい。一年B組、加賀壬宏子です」
言われてファイルをめくり、名前を探す。
「あった、かがみ・ひろこさんね、えっと出席番号は12番、と」
男は数字の並んだボタンをそのまるまるとした指でちまちま押した。にゅーっとシールラベルが出てくる。それを器用にカードに張り付け、加賀壬に手渡した。
「はい、これでOK。まずはこれを入れてね。で、後は画面の指示に従って。うちの学校は他に誇れるところはあんまりない、普通の学校。けど、ここの図書館はちょっと違うからね。蔵書数は多分そんじょそこらの大学にも負けないよ! 僕はここで働くのを本当に誇りに思ってる。きっと探してる本があるはずだ。ま、学校だからね、系統は学問系に偏ってるけど。そこは勘弁。
さ、試してみて。随分検索項目が多いから、迷ったら言ってね」
そう言うと男はカウンターに入っていった。加賀壬が機械に向かって歩き出した時、男がカウンターから声を掛けた。
「あ、そうそう、ごめん、君の名前だけ聞いてて僕のを言ってないや。僕は斉藤。ここの司書教諭だよ。三年間、宜しくね」
加賀壬は振り向いてまたぺこりとおじぎをした。
再びコンソールの前に立つ。十台程あるうちの真ん中の方の椅子に座った。スロットにカードを差し込むと、「仮利用者」という文字が出た。まだ新入生のデータは入っていないのかもしれない。多分データは既に入ってるのだろうけれども、本当のカードが来るまで接続されていないのだろう。そう加賀壬は想像した。
検索項目をタッチパネルで指定する。今日は目的の物があるわけではない。だから利用方法を覚えるのが先決だ。
まずは分類コード。とりあえず適当に人文を押してみる。中分類コードと通常の分類コードが現れた。中分類はジャンルでさらに分化する形だ。画面下方にある「戻る」を押して最初の画面に戻る。今度は目録のパネルを開く。検索方式から登録日付順を選ぶ。昇順、降順の指定と希望年月日を入れる画面に変わった。総てに英語の注釈も付いている。交換留学生が毎年いるというのは本当らしい。そんなことを考えている時、生徒がどやどやと入ってきた。斉藤と名乗った司書と親しげな挨拶を交わす。どうやら常連が多いようだ。何人かはすぐにコンソールに入った。ピッピッという電子音が鳴り出す。お目当ての物があるのだろう。すぐに目の前の機械が動き出し、一分とかからずに二個のみかん箱大のケースがトレーに乗って現れた。そこから本を選ぶ生徒。なるほど、一冊づつ出てくるのではなく、書棚からブロック毎に出てくるのか。これなら本も傷まない。そう加賀壬は思った。
彼女はまたパネルに向かった。ここまでで、この操作はインターネットとあまり大差ないと加賀壬は思った。もちろんタッチパネルだし、ダウンロード時間が必要なわけでもないので非常にスピーディーだ。試しに最新のデータ検索をすると、瞬時に結果が出てくる。そのファイルを開けて見ると、一昨日の日付である。その数、実に82項目。新年度に備え、一気に蔵書を増やしたのだろう。そう思って一つ前のを開けてみる。日付は3月28日。その数46。その前は62。その前は3月10日でなんと227冊。一体二階はどうなっているのだろう。このペースで増えていったら、すぐに三階が必要になるのでは?
そんな事を思いながら内容を検索する。中分類コードに分かれたその分類は円グラフになって出てきた。その各色に塗り分けられた部分を押すと詳細が出るのだろう。そう思いながら眺めていると、奇妙な事に気が付いた。「その他」の分類がやたらに多いのだ。試しにそれに触れてみる。やはりその他の分類が円グラフで出ていた。そしてそのほとんどが一色になっていた。ジャンルタイトルは「超常現象」。
なんだろう。加賀壬は不思議に思ってそれに触れてみる。今度はタイトルが一気に現れた。それぞれがカード式の詳細データにつながっているらしい。内容を見てみると、ほとんどが通例オカルト物に入るものだ。しかも洋書が多い。いや、出版国日本、となっている方が少ないほどだ。それも表記言語欄が英語だけではなく、クロアチア語、ポーランド語、ドイツ語にデンマーク語、スペイン語等々。表題を見ても何がなんだかわからないものがずらりと。そしてそのほとんどに「室」という文字が末尾に付いている。「室」? むろ? しつ? 一体どういう意味だろう。その文字には青い色で下線が入ってるのに気づき、もしかしたらとそれに触れてみた。ぱっと小さなウィンドウが開いた。一番上にはヘルプを意味するのだろう、「?」マークが付いている。
<「室」は図書室所蔵書の略>
「?」に続いてその注が入っていた。図書室? ということはここに別の閲覧室があるのだろうか。多分教師用のものなのだろう。
ふと気になって、試しに最初の画面に戻り、蔵書全体のグラフを見てみた。やはりだ。最近入ったものだけそうなのではない。とにかく「超常現象」の項目書籍が非常に多い。どうなっているんだろう。
そんな事を考えているうちに、気がつくと周囲はずいぶん人が増えてきた。のんびりと検索していては邪魔かもしれない。そう思った時、隣のコンソールに女生徒が入った。コンソール毎にしきりで囲まれているが、その端からウェーブのかかったボリュームのある茶色がかった髪がのぞいている。染めた物ではない。綺麗な色だなと思った瞬間、その子がパネルを操作し出したらしい。ピピピピピと、すごい早さで音が鳴り続ける。ほとんど指が止まる暇もなく操作しているのだろう。このスピードはタッチパネルではない。その直ぐ下にあるキーボードのテンキーで直接コードを打ち込んでいるのだ。
と、しきいの上に手が現れ、にゅっと女生徒がその上から姿を出した。こっちに背を向けた状態でしきいに座ると入り口に向けて叫んだ。
「げーんすーい! 力仕事だ、はよ来ぉーい!」
手を振る女生徒。
「おいおい、美咲君、乗るのはやめてくれと何度も……」
情けない声は多分司書だろう。しかし、その女生徒は、「減るモンじゃなし、いーじゃん」と全く意に介していない。確かにしきいはその生徒の体重がかかっても揺れることもない。丈夫さは確認済みなのだろう。
「他のみんなに迷惑だろう」
そう司書に言われ、女生徒はふと加賀壬と目を合わせた。びっくりする加賀壬。
「あ、わりぃわりぃ、驚いた?」と言ってにっと笑むと、片足を上体に付けるように曲げてしきりの上辺に乗せ、そのままジャンプした。くるりと回転してすとんと降り立つ。加賀壬はその猫のようなジャンプと空中の回転に目が釘付けになり、首をぐるりと回して着地まで見てしまった。回転する椅子でよかったが、そうでなければ後ろに倒れていたかもしれない。
「ごめんね、そうだよね、今日から新入生、来るんだよね。いやぁ、みんな慣れてると思っとったわ、すまん」
彼女は両手を合わせてごめんのポーズをとった。加賀壬は口を開くこともできず、ぶんぶんと頭を振った。その女生徒はもう一度邪魔してごめんと謝ると、のっしのっしとやってきた柔道着姿の大男の袖をひょいとつかんで、運ばれてきた箱を開けさせている。
びっくりした。このしきいは2メートルはある。その上に乗るなんて。ましてやそこからジャンプするなんて。この建物は天井がとても高いからいいが、他の場所なら天井にぶつかっている高さまで身を躍らせていた。
驚いていると、彼女はすごい量の本を抱えた柔道着の大男と歩み去って行く。その時見えた彼女のネクタイは青。二年生だ。
「借りてくよーん」
手をひらひらさせてカウンターの斉藤にあいさつする女生徒。
なんかすごい人がいるな。加賀壬の美咲美由美(みさき・みゆみ)に対する第一印象はそうだった。
第二章
翌日。今日はホームルームだけだ。席順は身体検査後に視力と身長によって決めるらしく、まずは男女の列に分かれ、出席番号順に座ることになった。加賀壬は真ん中辺の少し前の方だ。
校内生活に関する各種の注意と質問への回答が担任の浦辺先生から告げられた。彼は男子ハンドボール部の顧問だと名乗っただけあって、若い頃はスポーツマンでならしたらしい。40近い今も、がっしりとした肩幅と太い首がそれを物語っていた。ただし、担当は地理。どこかギャップが不思議でなかなか面白そうな先生だった。
「では続いてクラブについて説明しますね」
話を切りだしたのはまだ20代の女性。栢野(かやの)先生という副担任だ。彼女はどっしりとした感じで、お世辞にもナイスバディとは言えないが、その声がすごくかわいらしい。言葉もとても丁寧で、ちょこまかとよく動くし、なんだか、かわいいおばさんのようだ。加賀壬はふとそう思ったが、失礼な想像なので頭の中で栢野先生に詫びた。
「クラブ活動は必修と課外に分かれます。必修は授業として月曜の六時間目になります。これは全員がどこかに所属しなくてはいけません。授業の一環ですからね。
次に課外クラブは自由参加ですから、入る必要はありません。でも先生としては皆さんに、是非どこかに所属することをお勧めします。クラブ活動でのお友達づきあいは人格形成にとても重要なことですし、その記憶は一生皆さんの心に残りますからね。
課外クラブは三つのランクに分類されます。まずは部。野球部とか、音楽部といった、クラブ活動の中心になるものです。部は必修クラブとしても認定されたものなのです。次いで研究会。そして愛好会です。その違いは、まず愛好会は顧問の先生を捜し、五人以上集まれば誰でも作ることができる、非常に自由な団体です。生徒会規約に定められた事項を守れば、皆さんでも設立できます。団体として認知されることで、会議室の利用、事務室のコピー機の使用申請などの特典が与えられ、校内での課外活動が認められます。
その一歩進んだものが研究会です。これに認知されるには学校が定めたクラブ活動規約に従わなければなりません。そのため、設立等は少し難しくなります。これに認知されると、部同様に部室、正確には会室が与えられ、学校側から一定の年間活動費も与えられます。さらにそれがクラブ設立規約に則ったものになると部に認定されます。部になると先ほどの必修活動に承認されますので、必修と課外を共通にできます。一定の活動費の他に、対外試合やインターハイ、研究費等の追加申請を学校側に出すことができます。簡単に言いますと、部と研究会の大きな違いはそこです。つまり、地区大会などに出た場合、研究会には交通費すら出ません。また会誌発行などでも、部には審査基準はあるものの、資金が学校側から出るのに対し、研究会では申請することができません。
一方、愛好会は学校側からの支援は少ないのですが、月度報告をちゃんとしていれば自由に活動できます。ちなみに、今、愛好会数がクラブ数全体の約60パーセントを占めており、研究会は10パーセント、部が30パーセントです。中間の研究会が少ないのは毎年部に昇格したり、愛好会に戻ったりしているためです。一方、生徒参加数では部が全体の70パーセント。愛好会は20パーセントに下がり、研究会が特殊な一サークルを除いて30パーセントです。合計数が100パーセント以上あるのは一人で複数のサークルのに参加している生徒もいるためです。
つまりですね、愛好会は数は多いのですが、そのほとんどが10人以内です。部は逆に数が少ないのですが、一つの部に参加している生徒が多いということです」
そこで先生は言葉を切った。すると、すぐ斜め前の男子生徒が手を挙げた。
「はい、金居君」と先生は発言を許可した。もう顔と名前が一致しているのか。加賀壬は栢野先生を尊敬してもよいと思った。
「さっきの特殊な一サークルって、超常研ですか?」
その瞬間、教室内がざわっとどよめいた。ちょうじょうけん? 何だろう? 加賀壬は驚いて周りを見た。隣の席の男子もきょろきょろしている。でも、大半の生徒が何かつぶやいたり、意味ありげに友達らしい子と目線を交わしたりしていた。なにより先生が驚いているのが分かって、加賀壬はとても気になった。
「ええ。そうです」
栢野先生は落ち着いた声でそう答えたが、びっくりしたことは隠しようがなかった。
「超常研って今、何人いるんですか? 今年も募集するんですか?」
今度は後ろの方から女生徒の声がする。と、一斉に話し出そうとする気配を察して、浦辺先生が声を出した。
「質問はちゃんと手を挙げてからすること。ホームルームも授業の一環だぞ。
今の質問の答えはたしか40人くらいだとしか分からない。一番人数が多かった三年生、あ、去年の三年生が卒業したから、多分それくらいだと思う。今は曖昧だが、それで勘弁してくれ。それと新入会員募集はもちろんするはずだ。
あと、超常現象研究会についての質問は今日はこれまでにしておいてほしい。明後日、直接説明があるから」
後を次いで栢野先生が発言した。
「明後日、クラブ活動のオリエンテーリングがあります。全部のクラブがPRを兼ねて自己紹介と新入生への勧誘をするはずですから、その時に詳しく聞けます。
ええと、次は体育館の使用についてですが・・・」
そう先生は新しい話題に入っていった。まだ部活動の説明が終わってないような気がした加賀壬はさらに不思議に思った。あわてて切り替えたような気がするのは勘ぐりだろうか? それに「超常現象研究会」という名称も昨日見た図書館の異常な蔵書を思い出させた。昨日は結局まだ読んでいなかった訳者による「優しい女」を借りてとても満足していたのだが、どうも気になっていた。
「超常現象」って、一体なに?
第三章
午前一杯かかったホームルームが終わってお昼になった。ここには食堂もあるし、お昼時には近所のパン屋が出店を出すという。加賀壬は中学時代には母がお弁当を作ってくれていたが、今日は試しに食堂かパン屋に行ってみるつもりだったので、お弁当は持ってきていなかった。
「ね、鮎川、学食行ってみない?」
「ええね、いこいこ!」
前の席の子が友達らしい生徒に声をかけた。二人で食堂に行くらしい。じゃ、私もそうしようかな、と思った時、そのポニーテイル風に髪をまとめた生徒が加賀壬を振り向いた。
「かがみさんだっけ、一緒に行く? ここの食堂、すぐ一杯になっちゃうらしいから、行くならすぐ行こ」
そういって手を差し出した。ちょっと馴れ馴れしい口調。でもここで断ると角が立つかも知れない。とりあえずうなづいて手を取った。
「私は開田茜。こっちが中学で一緒だった鮎川紫織ってゆーの」
そう言いながら加賀壬に手を貸して立ち上がらせる開田。
「よろしゅーに」と、ショートカットの鮎川が関西っぽい口調で言った。
「あ、加賀壬です、こちらこそ宜しく」
「鮎川はねぇ、小さい頃兵庫にいたんだよ。今でも時々大阪弁のイントネーションが混じってるでしょ」
いや、よろしゅーに、はイントネーションじゃすまないと思うけど。でも初対面で突っ込むのも。そう思った時、鮎川が開田に肘鉄を食らわせた。
「せやからうちとこ大阪ちゃうゆーとるやろ! 関東はみぃんな東京かいな、あんたん地図は」
「何すんの、痛いじゃないの、どーしてあんたはすぐ手がでるのかな!」
「あ、いかんいかん、席なくなってまう・・・はよしぃや!」
うーん、この二人、中学時代からのコンビかもしれない。そう思いながらひきつる笑顔の加賀壬は二人に引きずられるように教室を出た。
なんとか席にありつき、三人は食事を始めた。三つ並んで空いている席は全く無かったので、鮎川は正面に座っている。彼女はうどんを前にして箸を手に取った。ここは割り箸ではなく、普通の箸が小さな木箱に入って各テーブルに置かれている。加賀壬と開田の分はもう鮎川が取って配っていたので加賀壬も頼んだ親子丼を食べ始めた。
「まったくもう、鮎川がのたのたしてるからこーんな端っこの席になっちゃったじゃない」と開田。口ではそう言っているがその横顔には怒った気配は微塵もない。
「一杯あるんやもんお品書き。目移りしてもうて」
鮎川は汁をまずすすりながらそう答えた。そういえば関西の人はこっちのうどんや蕎麦は汁が濃くて気に入らないという話を思い出した。彼女は兵庫の出身なんだろうか? それともこっちの生まれでしばらく向こうで暮らしていただけだろうか? 鮎川の発音からするとどうも生粋の関西の話し方ではない。彼女の関西風の発音はこっちの発音と混じっていて、聞いているとなにかおかしい。神戸に住む加賀壬の叔父の発音と、こっちの発音をごちゃまぜにした感じだ。
「いつ頃こっちに来たの?」
「小六ん時。んでそん時から茜と一緒」
「その時から? ずっと?」
「ううん、違うわよ。中学1、2年は別だったの。ま、同じクラブだったんだけどね」
「地元?」
加賀壬の質問に二人揃ってうなづいた。
「チャリ組。加賀壬さんは?」
「私は嘉木の市。電車」
「嘉木の市? そういえばさぁ、前から知りたかったんだけど。ねぇねぇ、どうして<の>だけ平仮名なの? 気になってたのよ」
開田は目に興味津々というネオンを点滅させて加賀壬を見ている。そうか、すごく素直な子なんだ、この人。初対面でなんのてらいもなく手を差し出せるくらいに。
「前はね嘉木岡町と、きの町だったんだって。で、合併した時にくっつけたらそうなったんだって。漢字と平仮名でできている市町村名ってすごく珍しいらしいけどね」
そう答えると二人はそうか、分かると結構簡単なんだ、と納得しながら食事を進めた。
空席待ちの生徒がずいぶん増えているので、食事が終わると早々にパックの牛乳を買って中庭に出た。ベンチがたくさんあって、空いている所も多い。三人は上履きなので渡り廊下の脇にある日影のベンチに座った。
「夏はここがベストポジションやね」
二段式のストローを差し込みながら鮎川が言った。
「冬は地獄そうだけど」とポニーテイルを揺らしながらげんなりして言う開田。
「せやから夏は、言うたろ?」
また始まった。この二人はもう「相方」なのかもしれない。
まだ五時間目までは余裕があった。加賀壬は二人の会話が途切れたところで気になっていたことを聞いてみた。
「ねえ、さっきの超常会ってなんだか知ってる?」
二人の動きが止まった。
どきりとする加賀壬。失敗したか? そう思った時、鮎川が大げさにため息をもらした。
「はぁー、これやからよそんとこのお人は平和でえぇわ」
「平和?」
「うん。でも知らんのやったら、その方がええんやけどね。別にこっちから首突っ込むこともないし。世の中には知らへんほうがいいっちゅーこともぎょうさんあるんやしぃ」
「・・・」
加賀壬が口を閉じると、開田が鮎川の背を叩いた。
「ばか、脅してどうするのよ。
ごめんね加賀壬さん。この子のジョークって通じずらいのよね」
「何いうん? まずはジャブから入って、反応のうやったらすかさず・・・」
鮎川はボクシングのアッパーカットらしい動作をした。うーん、関西の人はしゃれが通じなかったら、パワーが足りなかったと思ってさらに先を行くというが、本当なのだろうか。
ともかく、加賀壬の質問で起こった暗い雰囲気は作り物だったらしい。もちろん、最初は本当に暗かったのかもしれないが。
開田が一気に呑んでしまったらしい紙パックを畳みながら説明を始めた。
「豆乳失敗! これ買わない方がいいよ、ここのは思い切りマズイ。
えっと超常研でしょ。通称おば研。おばけ研究会の略ね。
うーんとね、他の市から来た人には大抵信じてもらえないんだけどね、ここって、昔からいろいろ出るのよね、常識以外のものが」
学校霊? まず真っ先に思ったのはその言葉。でもまさか。
「一昨年から去年にかけて、ここだけじゃなくてこの辺一帯でいろいろおばけ騒ぎが起きてるの。ここも実はその口火を切ったところなんだけどね。
信じないと思うけど、一応言うね。
一昨年この学校でね、生徒が行方不明になったの。八人も。で、その時の二年と一年の数名が、おばけをやっつけたの。その人たちが作ったのが超常研。超常現象研究会ね。行方不明の子は二人だけそのまま。受験ノイローゼが原因の家出ってことになっちゃった。でも残りはその人たちが救出したの。それからね、おば研が中心になって学校中のおばけをなんとかやっつけて、ここは平和になったのよ。最近はうちのおば研は余所の学校に呼ばれて化け物退治に行ってるの。大人には内緒なんだけどね」
開田の言葉は加賀壬の耳を素通りしかけるほど信憑性がない。というよりも、こんな話をこんなに天気のいい桜の木を見上げる場所でのんびりすること自体、笑い出しそうに変だ。
「あの、冗談なの?」
加賀壬はどう答えて良いか分からずにそう言った。しかし、鮎川は首を横に振った。さっきまでとはうって変わった真面目な表情だった。これは本気なのか、それともコンビで私を騙そうというのか? 加賀壬は理解に苦しんだ。
「やっぱ、信じらんないよね。忘れて! ね、忘れても大丈夫だから。もうここは平気だから。折角クラス一緒になったんだから、楽しく高校生やろうよ、ね!」
「う、うん・・・」
明るい口調の開田に、逆にふと信憑性が沸いた。本当なのかも知れない。出所はいい加減なホラ話なんだろうけど、そういった噂があったのは本当なんだろう。そしてこの二人はそれを信じているだけなのかもしれない。そう考えていると開田が顔を近づけてそっとつぶやいた。
「でも、もし、もしも何かあったら言ってね。うちの兄貴が今、三年にいるの。兄貴はね、一年の時から、つまりおば研が出来た頃からの会員だから。三年になって受験勉強で会は引退しちゃったんだけど、頼めばきっと力になるよ。無口でちょっと近寄りがたいかもしれないけど、絶対に頼りになるよ」
まさか。じゃ、本当に?
図書館の蔵書。図書室という存在。午前中の先生の態度。それらが引き寄せた不安が心の底から染み出してきた時、予鈴が鳴って、加賀壬達三人はあわてて教室に戻った。
第四章
午後はクラス毎、担任に連れられての校内見学だった。まず普通校舎を一周、特殊棟に続き一旦下駄箱で靴を変え、校庭、中庭、プール、部室棟と周り、再び靴を履き替えて図書館と管理棟と見て行くらしい。順番は各クラス毎に変わっており、複数のクラスがぶつからないようにはなっているらしいのだが、特殊棟の家庭室に着いた時にはもう3クラスがそこに集まっていた。途方に暮れた家庭科の担当教諭を余所に、クラスの先生同士で順番を決めている。どうやらすごくアバウトな学校らしい。なんとなくそんな気はしていたのだが。
プールは室外のみだ。隣の工事中の場所に再来年室内プールが出来ると聞いてがっかりした。工事しているのは知っていたが再来年では三年だ。ほとんど使うこともなく終わってしまうだろう。
生徒達のブーイングを受け、浦辺先生は弁解していた。
「その気持ちは良く分かる。しかし、今までの在校生もみんなそうだったんだ。去年第二校庭の整備が終わったし、一昨年管理棟と図書館が出来たしな。その年その年で生徒はみんな今の君たちのような思いをしているんだ。学校はどんどん良くなっていく。でも、工事には時間がかかるんだ。理解してくれ」
その後をまた栢野先生が引き継いだ。
「でも皆さんは幸せですよ、新しいプールは休日に地域の人も利用できるようになります。特に卒業生には25メートルコース四本の競技用プールが優先的に使えるようになるんです。それに先輩たちが大切に使ってきたここのプール終いと、新しい屋内での最初のプール開きを体験できるんですよ」
なんだかそう言われると、そういうものかなとも思う。加賀壬はスポーツはぜんっぜん得意ではなかったが、暑い日にプールに入れるのは楽しみだった。まぁ、ここは大人の理由という奴で我慢して完成を待つか。もしも三年前に生まれていたら図書館が刻々と出来上がるのを見ながら学校に来ていたのだ。それに比べれば随分マシだから。
とはいうものの、もしもここの図書館が無かったら、彼女は間違いなく近所の嘉木の北高校に入っていただろう。中三の時の担任もそこを勧めていたし。でも、加賀壬はどうしてもここに入りたかった。ここの図書館がすごいことは有名だったから。
この街には一条電鉄やクェデユー電子の親会社にあたる本条精機の本社がある。日本でも有数、県下なら疑いなく一番の財閥だ。その地域貢献の一環としてこの地区の学校の整備促進に意欲的に出資しているらしい。特にそこの一人娘、つまり本条財閥のお嬢様が去年この学校を卒業している。ここの整備が急速なのはそんな理由があるのだろう。加賀壬には本条財閥はあまりに遠い存在だったので、世の中の不均衡を恨むよりも、この見たこともないお嬢様に単純に感謝していた。そんなお嬢様が県立高校に、というのも妙な話ではあるが、その恩恵があるのは素直にありがたい。多分このプールもそうなのだろう。まだ土台工事中のプールからテニスコートに向かいながら彼女はそんな事を考えていた。
校庭を大きく周回して再び上履きに履き替える。渡り廊下を歩いてさっき見た部室棟を右手に、管理棟に入った。
保健室の悠木先生は元気な声のおばさん、というか随分年輩の女性だった。白衣を着ていなかったら、スーパーの特売ワゴン担当が似合いそうな。
「三年間、一度もここに来ないで済めば一番だけどねぇ。でも自分の健康に盲目的な自信を持つのは考え物よ。君たちは成長してるんだから、気が付かないうちにどこかにムリが来てるかもしれないからね。おかしいなと思ったら、すぐに来なさい。特にそこのあなた、顔色青いし、目の下にクマ。そんなことじゃ彼女ができる一世一代の大チャンスに気づけないわよ!」
そう言って背の低い男子生徒の肩をどん、と叩いた。生徒たちがげらげら笑う。叩かれた生徒も笑っている。うーん、どうやら元気そうなのは声だけではないらしい。さらにそれを周囲に配る力もあるようだ。歳の効だろうか? いいなぁ。ああいう人に私もなりたいなぁ。加賀壬はそう思った。
続いては事務室だ。いろんな書類や手続きの為にこれから結構利用することになる。加賀壬も他の生徒も熱心に中年男性の説明を聞いていた。その隣にある購買はもう知っていた。制服も校章も新しいのはここで注文することになる。ついで図書館だ。
司書の斉藤は加賀壬を見ると笑顔を向けた。もう彼女は知っている利用方法を説明する斉藤。上級生が三人、機械の操作法を説明している。多分図書委員だろう。
「ね、あのにーさん、かがみさんの事狙うとらん? 今笑うたで」
と耳元でささやく鮎川。
「違うわ、昨日ここで本を借りたの。その時お話しただけ」
鮎川は腕を組んで一人で納得している。
「?」
怪訝そうな加賀壬の顔に鮎川が口を開いた。
「出会いはみんなそんなもんや。うんうん、しゃーないな、あのにーさん、悪い人やないようやから、よっしゃ、応援したるで」
「勝手に決めつけるな!」
いつの間にか隣に来ていた開田が鮎川をこづいた。
「そうそう。かっこいい人を見つけたら、絶対相談するから、その時、お願いね!」
「お、任せとき!」と鮎川はにまっと笑う。なんだか今日会ったばかりなのだが、加賀壬もなんとなくこの二人とのつき合い方が分かってきた。その間にも説明は続いている。加賀壬は斉藤に悪いような気がしたのでその声に耳を傾けることにした。
「館内では閲覧自由です。でも持ち出しは総て許可制で、返却が遅れると校内放送まで入りますから、恥ずかしい思いをしないうちに必ず返して下さいね。でも延滞料はつきませんからご安心を」
その斉藤のジョークに笑う者もいるし、馬鹿にした目つきで見る者もいる。でも斉藤は全く意に介していないようだ。そのまま今度は貸し出しの方法を説明する。その話し方から、彼が本当にここの仕事を誇りにしていることが加賀壬には分かった。
図書館を出て再び管理棟に戻る。階段下にある写真部の暗室を覗き、二階の放送室や視聴覚室、そして職員室を見て回り、突き当たりにある階段で三階に登った。ここには生徒会室がある。会長が挨拶をした後で、昨日会った眼鏡の副会長が説明を始めた。学校側に聞けないようなささいな事でも、どんどん相談してほしい。特に分からないことや、困ったことを。来年の新入生が同じ思いをしないように善処するから、と。
そう言って、その副会長が説明を終えた後で、書記だと名乗る二年生の女子が相談窓口の利用方法を説明してここも終わった。
「さ、今度が最後だ」
そう言って奥に進む。管理棟は一階も二階も廊下が南北に建物を貫いていたのに、ここだけ廊下がドアで仕切られている。特殊棟の端の生物室や美術室もそうだったが、ここは建物の半分以上をその部屋で占領しているらしい。反対側、つまり暗室の真上にある階段は二階までで終わっているそうだ。
「ここは旧図書室。と言っても外のは図書館と呼ばれていますので、ここの名称は図書室のままです。
ここには基本的に生徒会が使用する書籍や記録ファイルが管理されていますので、皆さんにはあまり縁がない場所になるでしょう」
栢野先生がそう言って説明を終えようとしたとき、また今朝の質問者、確か金居といった生徒が爆弾発言を投げ込んだ。
「図書室? じゃ、ここですね、生徒が六人血だらけになってたのは。血塗りの天井って、今でもあるんですか?」
「血塗り?」
「なにそれ!?」
「知らないの、有名じゃないよ。ここが使えなくなったから図書館建てたって」
「きゃー、じゃ、ここがあの開かずの図書室?」
「聞いた聞いた、縛られて天井から吊されてたんでしょ!?」
一気に暴走する生徒達のおしゃべり。先生が二人がかりで手を広げてそれを制しようとした時、加賀壬達の後方から突き抜けるような声がした。
「図書室の側で騒ぐな! 邪魔だ、どけ、新入生!」
振り向く生徒の目にスーツ姿の20代とおぼしき女性が写った。ミニスカートからのぞくすらりとした足にハイヒールを踏みしめ、腕組みして生徒たちを睨んでいる。目に映る彼女の全身が真っ黒に見えた。黒の靴、黒のストッキング、黒のスーツ、黒の手袋までしている。唯一ブラウスだけは白だったが、逆にそれが喪服を思わせた。もちろん、こんな派手な喪服はないが。
しかし、生徒が驚いたのは服装ではない。その視線だ。そこには殺気ともいえるような圧倒的な威圧感があった。しん、と静まり返る生徒たち。
「どけと言っている。耳がないのか?」
彼女の声に生徒があわてて道を開く。その中央をカッカッとハイヒールを鳴らして大股で歩く女性。その背中が見えた時、加賀壬はぎょっとした。背中は肌がむき出しなのだ。まるでカクテルドレスのように。前から見た時にはスーツとブラウスだと思っていたのに、後ろから見ると腰の寸前まで丸見えである。女子はその服の仕立てを想像し、男子はそれに包まれた肉体を想像して目を見開いていた。そんな視線を全く意にかえさぬまま、彼女は担任の横に来るとぴたりと足を止めた。
「浦辺先生。図書室では静かにといつもお願いしているはずですが・・・」
口調は静かで丁寧だが、有無を言わさぬ感があった。
「もうしわけない香土岐先生。今後はお騒がせすることもないでしょう。今日のところはご勘弁を」
そう言って担任二人は頭を下げた。生徒の何人かも一緒になって頭を下げる。
「私が赴任して二年目。まだまだここの<場>はもろいのです。いらぬ刺激を与えぬ様、細心の注意を要求します」
お願いではなく、要求。そう言い放って、彼女は図書室の扉を開けた。
いらぬ刺激を与えてるのはあなたの背中じゃないでしょうか。そう加賀壬が思った時、その背中越しに一瞬室内が見えるが、中は窓すらないのか、真っ暗だった。すぐに香土岐先生を吸い込むように闇が彼女の姿をかき消し、白い肌だけがぼんやりと見えたかと思うと扉が閉まった。彼女の手は扉に向かった形跡もない。まるで独りでに閉まったかのようだ。
その光景は生徒たちを、爆弾を投げ込んだ金居でさえも沈黙させるのに十分だった。
多分、これで彼が何か問題発言をすることもなくなっただろう。加賀壬はふとそう思った。と同時にさっきの栢野先生の説明に不可解な点を感じ、加賀壬は考え込んでもいた。生徒会用の資料やファイル? あの膨大な超常現象項目の書籍がそうなのか、と。
何かおかしい。絶対に。
第五章
放課後、掃除が終わった後で中庭のベンチに来て欲しいと加賀壬は開田と鮎川に頼んだ。超常研について聞きたいと小声で言った時、二人の表情がはっと堅くなったのに気づいたが、そのまま加賀壬は掃除に向かった。彼女の担当は二階までの階段だ。掃除が終わって教室に戻ると、丁度鮎川が鞄を持ち上げたところだった。
「鮎川さん」
振り向く彼女の表情が暗くなった。
「・・・」
「お願い。教えて」
加賀壬の真剣な口調に鮎川は無言のまま教室を出て、中庭へと向かう。
二人が着いた時にはもう開田がカフェオレのパックをすすりながら中庭にある渡り廊下に立っていた。
「あっち行こう」
そう言って開田は講堂の脇にあるコンクリの上にしつらえられた長椅子に向かった。
講堂の周囲には花壇があり、それを見下ろすように、講堂の全周にこういった椅子が置かれている。その奥の方は人気もなく、今は講堂も使用されていないので静かだ。加賀壬と開田は椅子に腰を掛けた。鮎川がリンゴジュースとジャスミン茶のパックを手にその脇に座った。加賀壬は頼んだジャスミン茶を受け取ると、礼を言った。その後で沈黙が周囲を支配する。
もう部活が始まったのか、かけ声らしいものが聞こえていた。中庭の向こうからは下校する生徒の話し声や笑い声が響いている。
「あのね、私、どうしても知りたいの」
加賀壬がようやく口を開いたのは数分経ってからだった。
「この学校に何があるの? キーワードは超常現象。この言葉が出るとみんな堅くなる。どうして?」
鮎川はパックにストローを通し、すすりだした。開田に任せたという意思表示であろうか。開田は仕方なく口を開いた。
「お昼に言ったとおり。生徒が行方不明になった。で、数人帰ってきたけど、二人はそのまま。それだけよ」
「・・・」
「もう終わったから。気にしない方が・・・」
「気になるわよ。だって、おかしい、みんな」
加賀壬の口調は静かだが、熱がこもっている。開田はじっと、この新しいクラスメイトを見つめた。
「鮎川が言ったでしょ、知らない方が幸せなこともあるって。行方不明になった生徒にも、帰ってきた先輩にも、家族がいるの。今更蒸し返すのは止めた方がいいって分からない? 終わったことなの、もう全部」
加賀壬はしばらくの沈黙の後で言った。
「終わってないわ。だってみんなおかしいもの。今も何かが続いている。そうでしょ?」
「興味本位で蒸し返すのはやめて! 余所から来た人には分からないのよ、この街のことは!」
開田が不意に叫んだ。加賀壬はびくっとして身を縮めた。その間に開田が立ち上がろうとした。すぐにその袖を押さえ、加賀壬が言う。
「興味本位なんかじゃない! それに私だってここの生徒よ。余所に住んでるのは確かだけど、この街で三年暮らすのも確かなの!
お願い、教えて!」
開田は立ち上がり掛けたまま、動きを止めた。
「話しとった方がええんちゃう? いらんことする前に」
沈黙を守っていた鮎川がそう言った。開田はまた座ってから考え込む。
と、鮎川が加賀壬の方を向いて話し出した。
「加賀壬さん、あんね、みんなが口を閉ざしよるんは、よくわからんからなんよ。私もやしね。いろーんな噂、あったん。どれがホンマでどれがウソかなんて、分かるはずないんよ。せやけどね、確かにここに、ううん、ここだけやない、この辺りの学校でお化け騒ぎがあって、犠牲者が出たんはウソやないんよ。今でも帰ってこん子もおるんやし」
加賀壬はうつむいたままその言葉をかみしめた。そのままぽつりとつぶやくように言う。
「知ってるだけでいいから・・・。教えて」
開田がため息を吐き、こう言った。
「どこまで本当かは分からないよ。でもね、噂では、一昨年、ここに何か目に見えない悪者が巣くったんだって。
昼間は何でもないんだけど、夜になると校舎に入れなくなったり、夜警さんが行方不明になったりね。写真に手だけ写ってたり、第二校庭の脇にある旧校舎で夜中悲鳴が聞こえたりとか、よくあるでしょ、そういう話。そんなのが広まったの。そのうち生徒にノイローゼが始まって、学校も先生たちで原因究明っての、始めたんだけど何も分からなかった。そしたらね、今度は生徒が行方不明になったの。しかも授業中に、不意に。プールに潜ったと思ったらそのまま浮かんでこなかったり、美術準備室に入ったはずの美術部員が消えちゃったり。
それで警察が調べに来たけど、やっぱり何も分からなかった。
どういう経緯かは知らないけど、その時にここの生徒たち、先輩ね、その人たちが何人か集まって、消えた生徒は絶対に学校の中にいるはずだって、真夜中に忍び込んで調べ出したの。でね、幽霊とかポルターガイストと闘って、この学校を歪めてたお化けをやっつけたの。その時に何人かが救出されたわ。でも、もう手遅れだった子もいたらしいの。
それから・・・。
ここにおば研が出来たの。二度とこの学校が襲われないようにパトロールしたり、他の学校からのSOSでおばけ退治に出てったりもしてるのよ。
この街の人でも信じてない人、多いけど、私は信じてる。だって去年兄貴が死にかけたもの。病院でね、私と母さんが飛んでいった病室でね、兄貴は笑ってるの。嬉しそうに。
今度は全員救出したよって。先生が言うには傷が後2センチ上だったら頸動脈が切断されてたって。応急措置が素早くて適切だったから無事だけど、遅かったら出血多量で危なかったって。なのにね、自分が死にかけたってのに兄貴は笑ってるの。全員無事だったって。
待合室でおば研の人が集まってた。会長だって言う人に母さん、ヒスを起こして。兄貴の怪我の責任をとれって。みんな困った顔だったけど、会長さんは違ってた。全員自分自身の意志でやっている事だって。だから誰にも責任はとれないって。でも怪我をさせたのは自分の指示ミスだったって頭を下げたけど」
開田が言葉を切った。唇をなめて、次の言葉を探す。
「私、よく分からなかったけど、母さんの言葉より、会長さんの言葉と兄貴の笑顔の方が正しいって思った。でも、それでも兄貴がもし死んでたら。そう思ったら、私、泣き出しちゃった。
でもね、でも、そこにいるみんな傷だらけなの。真っ青な顔で、それでも、みんな、みんな信念っていうの、それを持った顔だった。だから、私ここに入学したの。兄貴が体を張って守った学校。だからきっといいところなんだって思って」
開田と加賀壬が沈黙した時、鮎川が口をはさんだ。
「うちはね、ここなら安心や思うたんよ。なにせ超常研のベースやもん。うちとこの中学、あかねもおったんやけど、そこでも一回、騒ぎがあったねん。せやから、ここなら安心や思ったん。
そういう子、ここにはぎょうさんおるねん」
鮎川と開田が帰った後も、加賀壬はそこでずっと考え込んでいた。
やがて部活の生徒以外はみな下校したらしく、中庭には人の気配がなくなった。加賀壬は決心した。確認しようと。
第六章
超常研の会室は文化部棟の奥にある。決心してそこに向かった彼女だが、ドアには鍵が掛かり、ご用の方は生徒会室へという紙が貼ってあった。
生徒会室。加賀壬はふとその隣にある図書室を思い出した。その足で管理棟に入って保健室のすぐ脇にある階段を登る。二階は職員室と放送室。そのまま三階に出る加賀壬。目的地はこの反対側だ。何やら騒々しい生徒会室の前を素通りして、突き当たりにある「入室禁止」の札が貼られたドアの前に立った。階段を上がっている最中は生徒会室に行くような顔をしていればいい。そう思っていた。しかし、今は言い逃れは出来ない。生徒会室を背にし、彼女は立ちすくんだ。
ノックしようとしたが手が上がらない。自分がタブーなことをしているような気がした。ノックした瞬間に全校生徒に白い目で見られるような。開田と鮎川でさえ、軽蔑の目を向けるような。
しかし、それでも彼女は確かめたかった。噂にすぎないのか、本当の事なのか。本当なら、どこまでが?
意を決し、重い腕を持ち上げる。ノックしようとしたその瞬間、右側の壁が動いた。心臓が止まるかと思う衝撃。
振り向くとそこにはドアがあり、ゆっくりと開いている。
ドア? こんなところにドアが。ついさっきまでは全然気づかなかった。クラスのみんなと来たときにも。間違いない、ここは壁だったはずだ。全身の血の気が失せるのが分かった。めまいがして一歩後ろに下がり、窓枠によりかかる。それでも腕にも足にも力が入らず、窓ガラスに上半身がもたれた。もしも窓が開いていたならそこから落ちただろう。そんな恐怖に目を見開く中、ドアからゆっくりと、本当にゆっくりと黒ずくめの女性が現れた。
これが今でなければきっと悲鳴を挙げていただろう。それ程にその女性は人間離れして見えた。しかし、図書室に入ることは過程に過ぎない今の加賀壬にとっては違っていた。加賀壬はこのカトキとかいう女性に会いたかったのだ。
意識がそこにたどり着いたとき、加賀壬の心は落ち着いた。振るえる体を起こしてなんとか直立する。肺に、喉に意識を集中して、何とか声を出そうと努力するがなかなか言葉にならない。そんな加賀壬を香土岐はじっと見つめていた。
「あ、あの・・・。し、質問が・・・」
「図書室は生徒会役員以外入室できん。以上だ」
そう言い放つ香土岐。加賀壬は首を振った。
「そ、そうじゃなくて・・・
先生、お、おば、おばけは・・・」
お化け。そのキーワードをやっと口にした加賀壬は、かろうじて自分を取り返した。まるで呪縛が解けたように。
「お化けは本当にここで悪さをしていたのですか? 教えて下さい。
この学校。図書室の存在。蔵書の異常なバランス。行方不明の生徒。
これらの中心にある<超常現象>という言葉。その意味を!」
香土岐は加賀壬の目の前に立って、その顔を見下ろした。この一年生、別段術者の気配があるわけでない。ましてや魔性の気配も。妖しの残滓すらない以上、被害にあったこともないようだ。
なのに、ここの結界に耐え、なおかつ自分が放つ気にも耐えている。どう見ても一般人なのに。ならば、それ程意志が強いのか。あるいは・・・。
「新入生。お前には二つの選択肢がある。
一つ。このままここを立ち去って、二度と首をはさまない事。
二つ。私が図書館に本を取りに行く間、ここは誰もいない。図書室には鍵もかかってはいない。入室禁止の文字たる常識を越え、私の許可なく、自ら足を踏み入れてまで求めるものを得ることも出来る。これが二つ目の選択肢。
己で決めよ。よく考えてな」
彼女は不意に向きを変え、階段に向かって歩み去った。その背中を唖然として見送る加賀壬。床にぺたんとへたり込み、首だけで振り向くと、いつのまにか戸は閉まっていた。何の変哲もない、開き戸。これがどうして見えなかったのか。
しかし、今の加賀壬にはそれを不審がるよりも、突き当たりにある大きな扉に意識を集中していた。
鍵はかかっていない。
ここまで来た以上、今さら立ち去ることなどできない。しかし、ここに、この奥に本当に入って良いのだろうか? あの先生の許可無く。
窓枠をつかんだ手で体を支え、やっとのことで立ち上がった。ふらつく足で扉に向かう。
目の前に「入室禁止」の文字がある。これを先生は「常識」と呼んでいた。
「常識」
対する言葉。
「超常」
加賀壬は自分の選択が、そのままこの二種の選択であると知った。
「常識」と「超常」。
一方を選べば、一方を捨てることになる。
「常識」を選べば総てを噂に封印し、開田たちと学園生活を送ることになるだろう。そして「超常」を選べば自分の望みが叶う。知りたいことが分かるであろう。加賀壬は立ちつくした。
第七章
図書館の司書室で斉藤は汗を拭きながら先ほど到着した梱包を台車に乗せていた。それを見ながら、すらりとした脚を組み、茶をすする香土岐。
「ふう、これでよし。香土岐先生、全部乗りましたよ」
「ご苦労様、斉藤先生」
斉藤は香土岐の前にあるスツールに腰を降ろした。
「でも珍しいですね、先生が自分で来るのは」
「あいつら、今日は下調べに行っています。明日の夜新入会員の初チャレンジがあるのでね。でも明日まで待てなかったので、早速来てしまいました」
普段から斉藤は香土岐に近寄りがたいものを感じていた。冷たさというか、寒さというか。だから二人切りになるのが怖かったのだが、今の彼女の表情には、身近なものを感じて微笑み返していた。来た本を早速取りに来る香土岐。明日まで待てないところはやはり同じ本の虫のなせるわざなのだろう。
斉藤もテーブルに手を伸ばし、紅茶をすすった。三口目を飲んだとき、ふと気になった。いつもなら用件だけを終わらせるとすぐに帰る彼女が、茶を飲み終わった後もガラス越しの図書館の様子を眺めている。今日は珍しく暇なのかな。そう思った時、香土岐が答えた。
「今は生徒の一人が一生に関わる選択をしているので、しばらくここにいようと思ったのです」
「一生に?」
目を丸くする斉藤に視線を戻し、香土岐がつぶやいた。
「ええ。道を誤らないといいのだけど。諦めればよし。さもないと・・・。
でも、もしかすると第三の・・・」
そう言いかけた時、外に直接通じる司書室のドアがノックされた。「はぁい」と斉藤が答えると、扉が開いた。
「失礼します」
姿を現した加賀壬に、香土岐は密かな笑みを浮かべた。
「香土岐先生、えっと、何かお手伝い出来ることはありませんか?」
とまどう斉藤を無視して、香土岐が立ち上がった。
「それがあなたの選択ね」
一瞬きょとんとする。だが、すぐに理解して加賀壬は答えた。
「はい!」
「よろしい。じゃ、その台車を運んで頂戴。
斉藤先生、ご馳走様」
香土岐は奥のドアを開けて加賀壬を促す。加賀壬のいる、直接外に出る戸では段差があって台車が出せないからだ。加賀壬はすぐに斉藤の脇を素通りしてその台車のハンドルを掴んだ。ぐっと押すが最初はびくともしない。でも、そろそろと動き出したが、今度は曲がらない。
「あ、僕が押そうか?」
声を掛ける斉藤に首を振り、加賀壬がふんばって向きを変えた。
「バックしながら、そうそう、そうすれば回転するよ。
ずいぶん重いから、慣性に注意して」
斉藤はせめてアドバイスをと思ったらしい。香土岐が押さえてるドアを抜け、台車を懸命に押す加賀壬に付いてカウンターの裏に来た。そこでは図書委員たちが好奇の目でその光景を見ていた。
「それでは斉藤先生、失礼しますね」
香土岐は加賀壬を先に行かせ、図書館の出口に立った。
「あ、それじゃ」
別れの挨拶をする斉藤に、香土岐は意味ありげな視線を向けた。
「あの子、私がもらいます」
「は? はぁ」
斉藤はちょっとがっかりしてうなずいた。またか。あの子はいい図書委員になってくれると思ったのに。斉藤は口の中でそうつぶやいた。
第八章
人気がなくなった時間なのが幸いした。もっと早い時間だったら加賀壬は何人か生徒を牽いていたかもしれないから。管理棟をなんとか突っ切ると、北側の外階段に入る寸前、トイレの脇にエレベーターがあった。中に入り、加賀壬は香土岐と二人っきりになった。先ほどの威圧的な態度はもうこの先生からは感じられなかった。エレベーターを使って三階まで台車を上げると、また北側に向かってそれを押す。図書室の戸を香土岐が押さえ、その中に入ると、加賀壬は漆黒の闇に包まれた。だが、すぐに蛍光灯が付けられ、室内がぱっと明るくなる。
「そのテーブルの上に置いて。包みはそのままにしておいて」
香土岐はそう言いつけて、自分は奥の戸から司書室に入っていった。
図書室の窓には総て鎧戸がかかっている。入ってすぐ右に閲覧用だろうか、会議テーブルが二つと折り畳み式のパイプ椅子があった。入った正面はパテーションで仕切られており、その奥からすぐに書庫が並んでいる。そこには見る限りファイルがぎっしりと詰まっていた。図書室と言うよりは資料室というイメージだ。
血塗られた天井という言葉をふと思いだし、振り仰ぐが、古ぼけた蛍光灯があるだけで、特に変わった物はない。
加賀壬が懸命になって台車の向きを変え、テーブルの脇に付けた時、上着を脱いだ香土岐が現れた。それでもその服がどうなっているのかよく分からない造りだ。どう見ても袖が縫いつけられている場所が分からない。
加賀壬と二人で台車の上の本の束をテーブルに並べる。加賀壬が包みを持とうとすると、それを留めて香土岐が自分でその茶紙で包まれたものを持った。
司書室から持ってきたらしいハサミで梱包の紐を切ると、包みの中から何か細長い紙が出てきた。短歌を書き記すような長方形の立派な紙だ。その上に、何か不思議な感じのする模様がある。短い線の組み合わせで出来たマークが並んでいるのだ。
「ヒエログラフ?」
「いえ、初期ルーンよ」
そう香土岐は答え、何かを口中でつぶやいた。と、その文字が一瞬輝いたような気がして加賀壬は反射的に目をつむった。再び開けたとき、その光りは消え、単なる紙にすぎなくなっていた。すでに香土岐はその下にあった古い本を手にしている。古い本といっても紙を束ねたようなものではない。羊皮紙だろうか、なにか博物館のショーケースにあるのが似合いそうな本だ。
「これでよし、と」
そう言って香土岐は本を持ったまま司書室に消えた。
加賀壬はテーブルに乗った本のタイトルを眺めたが、20冊程ある本のどれもが洋書。しかも英語ではない。
それを見ている時、不意に奇妙な事に気づいた。ここにある本は総てが薄い。大きな辞書並の厚い本ならともかく、ここにある本とさっき香土岐先生が持っていった本だけで、どうしてあんなに重かったのだろう。試しに台車を押してみると、スムーズに動く。台車自体が重いわけではなさそうだ。どうして?
そんな事を考えていると、左側から声が掛けられた。
「重さはその状態によって変化するものよ」
振り向くと司書室の戸から香土岐が出てきたところだ。その手にはマグカップが二つある。
「いろいろ封印があったから、実際の重さ以上に重く感じたはず。移動することを拒んでいたからね」
そう言われても理解できない加賀壬を椅子に座らせて、香土岐はカップを一つ、手渡し、自分は本をどかしてテーブルの上に腰を降ろした。その姿勢で脚を組む。ミニスカートからのぞく脚にちょっと赤面する加賀壬。
「で、あなたは労働の報酬として何を望むの?」と香土岐に頭上から声を掛けられ、どきっとする。
「私に協力する代わりに情報をもらおう。それがあなたの選択でしょ?」
首を振って弁明する加賀壬。
「い、いえ、そこまでは考えてませんでした。
ただ、ただ先生と親しくなれれば、いずれ自然に分かると思って・・・」
「成る程ね。後退する事もできず、かといって無謀な前進の危険性も知っている。だからね、知恵者の助力を得ようとしたのは」
「助力、ですか?」
「そう。それがあなたの選んだ道。第三の選択肢ね。
おめでとう。それが正解よ」
「正解?」と加賀壬は再びおうむ返しのようにつぶやいた。
「向こうに行かずに、あくまでこっちにいながら向こうの事を知ろうとしたこと。
知識欲。それも立派な欲望。それに流されずに、かといって諦めずに、あなたは新しい道を見いだした。そういう人でないとここへは入れないわ。よかったわね、間違えなくて。間違っていたら今頃あなたも行方不明の仲間入りだったかもね」
そうさらりと良いのけ、香土岐はマグカップのコーヒーをすすった。
「行方不明・・・」
「そ。結界によって弾かれてたわね、あなたはパンピーだから。あなたの欲望の深さ次第だけど、最悪の場合、狭間に落ちていたでしょうね。拾いに行くのが大変だったから助かっちゃった」
「狭間、ですか?」
香土岐は眉を潜めた。
「そう。こことあそこの谷間。普通の人には見ることもできない場所よ。
ここはかつて魔性の巣だった。だからその狭間への道も開きやすいのよ。私が居る時は私が押さえているけどね」
「あなたは・・・、あなたは誰?」
加賀壬は恐怖を再び感じ、彼女に問うた。あなたは何者?
そんな加賀壬の内心の怯えを知ってか知らずか、香土岐はさらりと答えた。
「別にミスティックじゃないわ。私は人間よ。あなたよりもっと多くのものを見て、もっと多くのことを知っているだけ。
私は術者。魔性とか鬼とかいわれる異次元生物と闘う魔法使いのようなものよ。といっても箒で空を飛んだり、姿を消したりはできない。私は結界と調査専門なの。他にも妖し退治の専門とか、未来を見る専門とかいろいろいるけどね。
私は本条総本家に雇われてここにいるの。知ってるでしょ? 本条精機で有名な財閥。この学校で起きた事件や、各校で起きた事件の資料をまとめて報告し、さらにここに保管している様々な魔性の痕跡を封印するためにね。
ま、私は番人のようなものよ、この学校を守るためのね。でも世界史の教師でもあるのも本当。司書の資格もあるわ。だから私が選ばれて雇われたの。去年までここにいた本条総本家のお嬢様にね」
香土岐はもうコーヒーを飲み干してカップをとん、とテーブルに置いた。
「一昨年、この学校で起きた怪事件を解決したのは三人の生徒。当時二年生の山口京太郎。彼は鬼斬りとして有名な祖先を持つけど、本人はすっかり血が薄れちゃって、特にこれといった特徴のない、普通の学生だったわ。意志が強いだけのね。ただ、伝家の宝刀を持っていた。鬼を一太刀で切り裂いたという霊刀をね。彼の相棒が同じく二年の仲田野美雪。彼女も元を正せば退魔師の家系。でも第二次世界大戦中に従うべき主を失い、ここに来てからは商業に商売替えした家の娘。だから彼女も普通の学生だったわ。ただ、行方不明者の一人が知り合いだった。だからその救出への熱意が妖しの術を破ったのね。
最後の一人。彼女は他の二人とは違う。遠く室町時代から存在している術者の家系、美咲家のお嬢様」
ここで言葉を一旦切り、彼女は加賀壬の表情を見つめた。
「?」
「美咲って知らない?」と香土岐は加賀壬に聞く。しかし、加賀壬の顔には困惑が浮かんでいた。
「七人ミサキとかの、アレですか?」と考え込んで答える加賀壬。
「ううん違うわ。ま、近い部分もあるけど。
あなたはここの生まれじゃないわね、美咲を知らないんじゃ。
街の北側に山があるでしょ。あそこが美咲の御山。江戸時代からここを守っている術者、美咲家の総本山。この街は元々美咲のお屋敷のためにできた開拓地なのよ。この辺りが昔、みさき郷といったのはそこから来ているの。今もみさき町っていうけどね。
美咲家は由諸正しい術者の家系。うちの香土岐家なんかの数倍の長さの家系図の、ね。超常現象、特に異界から現れる魔性という異世界知性体相手の専門として、今では世界中の術者が相談やら鑑定に訪れる名門よ。そこのお嬢さんが当時一年だったの。鬼狩りの技法を今も持つ彼女が、二人の二年生と協力したことでここに巣くう妖しは全滅したわ。その後で生徒会に事実を報告したのよ。八人の行方不明者は救出されたわ。でもそのうち二人の体はもうだめだった。魂だけはちゃんと浄化されたけど。その一人が当時の生徒会副会長だった本条総本家のお嬢様の友人。
すぐに生徒会が中心になり、再発防止と、近隣学校の同様のケースを解決するために特別な組織を発足したわ。それが超常現象研究会。本条総本家のお嬢様はさらに図書室に資料を、封印しておかねばならない資料を集めたわ。一方で図書館を設立して、この図書室は生徒会の専属にしたの。で、私が司書として雇われたのよ。それから私はここで資料と妖しの断片を封印し続けているわけ。
私が番人といったわけが分かった?」
加賀壬はしばらく考え込んでからうなづいた。どうやら理解したらしい。かろうじて、であろうが。
「で、あなたの質問は?」
加賀壬はかすかに首を振った。
「もういいです。分かりましたから」
「何が?」
「超常現象というもの。それが本当にあるという事が。そして、多分超常現象研究会というクラブが、それに対抗しようとしていることが。それが確認できればいいんです」
香土岐は首をひねった。確認できればそれでいい? 自分の目で見たいのではなく?
「答えなさい一年生。あなたはどうしてそれが知りたかったの?」
加賀壬はすぐに答えた。
「単なる噂に踊らされているのか、あるいは本当の事に尾鰭がついているのか。それが知りたかったのです」
なるほど。未知のものを見たくて来たわけではないのか。知識欲というよりも、知性的に、超常現象があるという確証を求めていたのか。香土岐はそれを知って笑んだ。
「じゃ、あなたはこれからどうするつもり? この世ならざることがある。それの確証を得たあなたは、これからどうするつり?」
今度は加賀壬が首をひねる。これから? それは考えていなかった。気になった。ただそれだけだったのだから。
「分かりません」
そう素直に答えるしかなかった。
「ならそれでいいわ。今日分からない事でも、明日は気づくかもしれない。それが成長だから」
そう言って香土岐は微笑んだ。
「あの・・・、先生、質問というか、知りたい事はあるんですが・・・」
「何?」
「その服の前身頃と袖、どうやって止まってるんですか?」
つづく