von:秋澤 弘
生徒たちがゲートに姿を消した後も、殿下はそのまま霧の立ち込めるその中を見つめていた。数分して仲田野美雪がやって来た時にも、まだ立ちつくしたままの姿勢だった。
美雪は殿下と共に超常研結成当初からのメンバーで現在はOB会の主要人物だ。在学時代には姉御と呼ばれ、男女問わず舎弟というか取り巻きというか、彼女を慕う者がいつも周りにいる、そんな女だった。四季折々の色に染めた髪。十本総て色の違うマニキュア。相手が誰であれ思ったとおりを口にする物怖じしない性格。常に隠し持つメリケンサック。同窓生に彼女の印象を問えばそんな答えが返ってくるだろう。レディースのヘッドらしいという噂まであるほど、とにかく話題の中心にいた。しかし、本人はそんな噂は全く気にしていなかった。人の目など気にしない、いわゆる自己中心的な性格ではあったが、自分を慕ってくる者たちは大切にしていた。舎弟たちにとっては面倒見のいい、頼れる姉御そのものだったのだ。
魔性が現れだした頃。ある事件で彼女の取り巻きの一人が行方不明になった。その調査中に、殿下と現会長の美咲由美と知り合い、三人の協力で事件を解決したことが超常研結成の一因ともなった。卒業後、一流企業のOLになったので周囲は驚いたものだが、実は、成績は良い方だった(まぁ、その成績にも疑いを持つ教師も多かったが)。これで少しは角がとれるかと周囲は思っていたようだ。だが、OLになってもその性格は相変わらずだった。
「行ったの? あの子たち」
「ああ」
殿下はつぶやくと、懐から封印の護符を取り出し、ゲートの門を閉じた。
「大丈夫。あの子たち、見た目よりもしっかりしてるから」
そう言いながら彼女は床にどさりと座り込んだ。
「はいよ!」
声に殿下が振り向くと、美雪がコンビニの袋から缶を出し、殿下に放ってよこした。放物線を描いて飛ぶそれを無造作に受け取りながら、殿下も床に座り込む。
「サンクス」
二人はリップルを開けて一口、また一口と飲み出した。無言のまま。
その缶が軽くなり始めたとき、周囲の闇に大きな声が響き渡った。
「HAHAHA! Nice to meet you!」
巨体をゆるがし、ジェームズ・権田がのっしのっしとやってきた。スモウレスラーを目指し、修行をしているはずだが、権田の体格は相撲取りというよりも格闘家といったほうが似合いそうな、全身筋肉の塊。髷を結うために伸ばしだした頭頂部にだけ短い髪があるが、そこ以外は上半身総て筋肉の固まりと言えよう。その塊がゆらりと揺れたかと思うと、巨体からは想像も付かないなめらかさで正座姿になった。
「お茶なかったんだ。ウーロン茶で勘弁」
美雪の言葉が分かっているのか、分からないのか、権田の顔はいつもの笑顔で判別は不明だったが、「Gottsan-desu」と言い、手で礼を切ってから缶を受けとった。そのバスケットボールも握りつぶせそうな大きな手に持たれると、ウーロン茶の缶はまるで乾電池程度の大きさにしか見えない。こりゃ本当にスケール違いだな、と殿下が思いながら見つめる中、権田は背筋を伸ばしたまま行儀よくお茶をすすり出した。南の島国にある姉妹校から交換留学生として来た時の、全くの異邦人だった権田からは想像もつかない、その日本的な態度に美雪がぼそっとつぶやく。
「部屋じゃ真面目にやってるみたいね。そうやってると、すっかり日本人だわ、大きさを除けばね」
殿下は無言でうなずくとゲートを見詰め、残り少なくなった缶を傾けた。ゆっくりと飲み込みながらも彼の目はじっとゲートを見ていた。いや、その奥、ずっと先にいるはずの後輩たちを。深淵とも呼べるほどの異界に挑んでいった後輩の背中を。
「Don't worry! Die-job!」
声と共にどすんという大きな衝撃が殿下の背中を襲い、彼はむせかえりかけて顔を歪ませる。振り向くと権田が笑っていた。
「HAHAHA!」
「ダイジョーブって言いたいみたいね」と美雪。不意打ちをくらった殿下の表情を笑いながら見ている。
「わーった、わーった」
殿下は照れ隠しのようにそう言うと、くるっと体の向きを変え、ゲートを背にして二人の方を向いた。すかさず美雪がビニール袋をざざっと開け、ポテチやら揚げ煎餅やらを三人の真中で山にした。待ってましたとばかりに権田がぽたぽた焼きの封を開ける。権田は食事はすさまじい速度で食べるのだが、デザートというか、こういう菓子の類は一つ一つ味わって食べる。今もまず一枚を口に放り込み、うれしそうにもぐもぐと顎を動かしていた。つられて殿下もポテチの袋を手にする。
深夜の校舎。人気はないが、無数の気配が漂う中、しばらくバリバリとスナック菓子をかじる音が続いた。ふっとその音が止まる。かすかな靴音に気づいたのだ。瞬時の緊張。しかし、その聞きなれた歩調に三人が元の表情に戻り、手にしたままの菓子をほおばり出す中、カツンカツンという靴音が高まった。闇の中からハイヒールを鳴らし、まるで日本人形のように無表情な女性が近づいてくる。
「お嬢、おひさ」
美雪が横に体をずらし、隙間を開けて手招きした。毎日顔を合わせていた時代から思うと、ほんの一週間会わないだけで長く感じるものだ。互いにどんどん印象が変わって行く。こうして新しい生活に慣れていくのであろう。
「ご無沙汰でしたわね、美雪さん。こんばんわ、会長、Mr.Gonda」
すっと床に広げたハンカチの上にそっと座りながら、靴音の主、本条百合恵が言葉をつなげる。
「どれくらい経ちますの?」
「んー、三十分くらいかな」と殿下。
「ではそろそろ到着した頃ですわね」
「どうかなぁ、昔と違って随分小細工してるみたいよ、あちらさんも」
そう言いながら、美雪は百合恵に紅茶の缶を手渡した。礼を言い、別のハンカチでそれを包んでから、百合恵はごく自然に隣に座る美雪の肩にそっとしなだれかかった。びくっとして身を固くする美雪。百合恵の「趣味」を忘れていた自分を呪うがもう遅い。そっと百合恵に目を向けると、体重を支えるかのように床に置かれた百合恵の右手も、美雪の左手に触れるか触れないかという距離にある。肌と肌が接触しているわけではないが、温もりは伝わるという微妙な距離に。
本条百合恵。地元財閥の一人っ子で、静かな物腰と丁寧な口調から、お嬢様と呼ばれている。事実、お嬢様なのだが。特に異性には厳しく、同性に優しいことで有名で、在学時代から周囲には後輩の女生徒が、しかもとびきりのかわいらしい系ばかりが集まってくるのでも有名だった。彼女が卒業した時、涙に目を真っ赤にはらした後輩たちは百人を下らなかったと伝説になっている。その性格からか、それとも事実なのか、ユリだともっぱらの噂だった。
まずは左手を口に添え、こほん、と咳払いした美雪はその手を自分の太股の上に置き直した。ひょっとして追ってくるのではと一瞬硬直するが、百合恵は静かに紅茶を味わっている。ふぅ、と美雪の口から漏れるため息。
「あのねお嬢。何度も言うけど、あたしにゃそのケはないから」と美雪の低い声。
「ええ。理解しております。ですから、せめてお側にいさせてくださいましね」と百合恵の静かな声。総てを見ていた殿下は笑いをかみ殺した。
「あたしはストレートなんだよ。お嬢みたいにあっちの世界の人じゃないの。本当に理解してる?」
「はい。もちろん」
そう言いながらも百合恵の状況は変化ない。肩にもたれかかってはいるが体重をかけずにそっと触れているだけの状態。美雪はふぅともう一度ため息をつくと、諦めてスナック菓子の袋を開けた。
その時。あたりが急に明るくなった。
「何? まぶしっ」
「What?」
手で目に影をかざしながら、光の刺し込む方向を反射的に振り向くと、その光の中から聞きなれた甲高い声がした。
「おっ、皆んなここにいたのか。やっと着いた。こ、この学校は特に迷路みたいだったよ。ふむ。ここがゲートだね。じゃ、もうあいつらは、い、行っちゃったのかい?」
「ああ。とっくにな。それよりそれを消せ! まぶしくてたまらん」
「お、そ、そうか、すまない、えっと、あれ、スイッチは・・・、あ、あったあった」
殿下の声に、あわててぼそぼそとつぶやきながら、よれよれの白衣を着た男が背中に背負ったわけの分からない装置というかガラクタというか、とにかく色々ごちゃ混ぜになった荷物を降ろした。
男の名は精進徹。「しょうじん とおる」と読む。在学中は物理部の名物部長で、清めの塩玉を開発したのも、ノクト・プラズマ・ビジョンを開発したのも彼の指揮によるものだ。全国高校生発明大会に出品した「プラズマ分離式発電器」は、その突拍子もないアイディアで周囲の困惑を一手に集めたが、通産大臣奨励賞という当たり障りのない賞で終わった。だが、そのアイディアを生み出す頭脳を買われ、卒業後には研究室まで与えられるという特例待遇の奨学生として大学に所属している。しかしながら、天は二物を与えず。確かにアイディアはすごいが、それが空転ばかりしているのは本人以外、皆が知っている事実だった。
「目が痛いぞ、徹!」
言うなり美雪が上半身を動す。邪魔にならぬよう、すっと身を引く百合恵。次の瞬間、美雪が精進徹の膝に後からチョップをくらわす。荷物を降ろすのに夢中だったその華奢な体は、あっという間に美雪と百合恵の間にペタンと尻餅をついた。「きゃっ!」という甲高い悲鳴と共に。
「男だろ! キャアはないだろ、キャアは!」
「ら、乱暴はよしてくれたまえ、な、仲田野君! ど、どうして君は、いつもそうなんだ!?」
ズレ落ちた眼鏡を元に戻し、ひとしきり抗議の言葉を叫ぼうとした時、精進の右手に缶が握らされていた。
「あったから買っといたから、アレ。感謝しなさいよ」
美雪の言葉にハッとして缶のラベルを見る精進。一瞬にしてその顔から怒りの色が消え、変わって口元に、にまっという笑みが浮かんだ。驚きに目を見張りながら。
相変わらず表情は器用なヤツだ。殿下はそう思った。
「もう、本当に恥ずかしかったんだから。コレを好きこのんで飲んでるのかって感じで店員も見つめるしさぁ。ちゃんと感謝しろよ、徹」
感動のあまり無言で首だけを縦にぶんぶん振り、同意を示す精進。やがて少しは落ち着いたらしい。
「ど、どこにあった? 駅前の自販機からは、せ、先月なくなったはずなのに!」
「西口の裏手にあるでしょ、コンビニ。古い方。あそこにあったよ」
「そ、そうか、そうだったのか。よし、朝になったら行ってみよう」
言い終わらぬ内に精進は一度ほお擦りをしてから缶を開けた。
「本当にお好みなんですね、その銘柄」と、お嬢様が語り掛ける。静かな口調ではあったが、その裏には美雪との距離が離れたことへの思いがこもっていた。
「うん、最近見なくなっちゃったしね。ああ、ま、また、の、飲めるなんて」
百合恵の趣味だけでなく、色恋ざた全般に全くウトい精進は、その残念な口調にも気づかずに百合恵に返事を返した。
「あ、そ、そうだ、本条君、研究室への寄付金、ありがとう。が、学、学部長も大喜びだったよ」
「それはようございましたね」
そう言い、本条は少しだけ目尻を下げた。よく見ないと気づかぬほどのささいな変化だが、親しい者だけは、それが彼女の笑顔だと分っている。どうやら機嫌はすぐに直ったようだ。もともと異性と話しをすることなど、百合恵には滅多にない。だが、超常研の仲間だけは別格なのか。少なくとも精進に特種な好意を持っていることだけはあり得ないが、百合恵は精進との会話を疎んではいないようだ。あるいは社交辞令が完全に染み付いているのかもしれないが、それは見守る殿下にも分からなかった。
「いつも本当にありがとう。す、すまないね、予定よりずいぶん大金になっちゃって。ぼ、僕の見込みが甘かったんだ」
「かまいませんわ。あの放射式の測定器が完成すれば、魔王が現れる前に先手を打つことができるのでしょう? それは大きな進歩ですわ。そしてその市販権がうちのコンツェルンに与える利潤を考慮すれば、十分に安全な投資と理解しております。なにしろ、こちらが先手を討てるのですからね」
「そ、そうなんだ! <くみちゃん3号>が稼動すれば予測が立てられるんだよ! でも、まだ電源部が大きくなりすぎてね、ちょっと持ち運びは無理なんだ。でも、こ、今度の<くみちゃん3号Ver.5>がその問題を解決してくれると思う。こ、この、この前の大学への寄付金でめどがたちそうなんだ! 最大のポイントは電源を、ぼ、僕のプラズマ分離式発電機にするため、電圧の調整に難航していたことだったんだ。でも君のとこの科研の黒田さんが解決してくれそうなんだ。それがね、す、すごい方法なんだよ。あ、あの人は本当に職人だね、す、すごかったよ。不安定な電圧の修正回路をブーストし続けることでね・・・」
精進が目を輝かせながら、どもりつつも息する間もなく説明を続ける。百合恵は表情を変えず、無言のままその解説に聞き入っていた。
「ねぇ殿下。百合、話しについていってると思う?」
小声でささやく美雪に、殿下は大きく首を振った。
「そうだよね、分かるわけないよね」
「だが、精進の力の入れぐらいで開発の難航度、もしくは進行度を測ること程度は可能だろう。本条ならな。ゆくゆくは本条財閥を背負う身だ。それくらいの技は付けてるさ」
腕組みをし、そう言ってうなづく殿下。
「そんなもんかね? どーも徹のすることは分かんないよ」
美雪の返事は小声ではあったが、運悪く丁度説明の合間に息を整えようとした精進の耳に入ったらしい。
「な、仲田野君、ど、どういう意味だ! ぼ、ぼ、僕の<くみちゃん3号>が役にたつことは分かってるだろ?」
しまった、とばかりに舌をこっそりと出す美雪。面倒なことになったと思っているのが表情からはっきりと分かる。助け舟を出すようにと、殿下にそっと眼差しで語り掛ける本条。それを受け、とりあえず話題を変えようかと口を開きかけた殿下だが、一瞬早く、床に巨体が揺れた。
どどーん。
地震のような振動が起こり、痩せた精進の体は一瞬床を離れた。
「・・・」
開いた口をそのままに、彼の目は振動の中心、床に大の字で寝込むジェームズ・権田に注がれていた。
「び、びっくりした・・・」
精進の口からはその言葉だけが出た。彼同様に口を開けたままだった殿下は、それに気づいて苦笑しながら権田を見た。意図的にしたのか、あるいは偶然か。こいつの行動はどうも理解不能だ。そう思いながら、ちらっと精進を見る。彼は権田の巨体に「どうやったらそこまででかくなるのか・・・」とつぶやきながら、振動で缶の上面に飛び出てしまった貴重な液体をなめ取るのに忙しそうだ。すでに美雪の事は頭から消えているらしい。目の前のことしか見えていない。それは精進のいいところなのか、欠点なのか、それも不可解な謎だ。殿下はかすかに首を振った。どうしてこうも妙なヤツばかり揃ったのか。「類は友を呼ぶ」という言葉を心のシュレッダーにかけて久しい彼には、それは永久に原因不明のままだった。
「まったく、昼は部屋で猛稽古して、その上夜更かしばっかしてたら、いつか体壊すよ、権田」
美雪が立ち上がり、上着を権田にかける。その巨大な上半身を覆うことは当然できないので、仕方なく腹にかけておく。
「あんたは丈夫だけど、裸のままコンクリに寝るのはよくないぞ!」
そう言いながら権田の大きな体に似合わぬ、人並み程度の大きさの頭を両手で持ち上げ、ペタンと座り込んで自分の膝の上に載せた。とうに寝入っている権田は膝枕の姿勢に安心したのか、さらにいびきまでかき始めた。
「そう言えば美雪さんたち、連日はつらいのではございませんの?」
本条の問いかけに、軽く右手を振って答える美雪。
「だーいじょーぶ! どーせ大した仕事ないしさ。なーんか、暇なんだよね、あたしんとこ」
「そ、そーなのか? き、君の所、あんなに大企業なのに、暇なんて」
「うーん、大企業だからこそ、暇な部署もあんでしょ。徹んとこみたいにやりたい事があって集まるわけじゃないからね、総務部ってさ」
美雪は見た目と違い、ふわふわと、とても柔らかい権田の短い髪を弄びながら答える。
「それにさー、なーんかあたしって怖がられてるみたいでさ。係長なんか、今でもあたしがお茶持ってくと、ありがとうございます、なーんて言うのよ。んで、手が振るえてたりするの。おっかしいったらないわ、別にかみつきゃしないのに」
「き、君は雰囲気というか、そ、その外見で損してるんだよ。マニキュアとか髪型とか」
「いーんだよ、好きでやってるんだから」
「そうですわ。人を外見で判断するなど、上司としては失格ですわね」
「だから係長留まりなんだろ」と殿下がきっぱりと。
「おいおい、そこまで言っちゃう? 普通」
殿下に苦笑を向ける美雪。
「俺に意見するな。お前同様、言葉をオブラートで包むのが嫌いなだけだ」
「おっけーおっけー。んで、どうなの、君は。最近仕事来てるの?」
美雪につっこまれ、口を閉ざす殿下。
「あー、また干されてんな。君」
「編集者が気にくわん。それだけだ」
「それはいけませんわね。編集者さんと絵描きさんは以心伝心の仲でないと、良いイラストは上がりませんものね」
「あいつは編集長のイエスマンでな。面白くない」
「で、でも、仕事ないと、こ、こ、困らないのかい?」
「困る」
きっぱりとそう言いきる殿下。その無表情を装う顔の下にあるであろう実情を悟り、三人がぷっと吹き出す。
「笑うな!」
「だってさぁ、君ってやせ我慢するからさぁ、ははは。でも、だからか。毎晩来てるんでしょ、君」
「それとこれとは関係ない。例え明日が締め切りでも、来る時は来る」
「ふふふ。会長らしいですわね」
「そ、そういえば君の方こそ大変だろうに、本条君。学校だろう」
「わたくしは三限からが多いんですの。どちらかと言えば学校よりも夕方からの稽古事の方が忙しいという状況ですわ、最近は」
「君は、なんて言うか、き、期待されてるからね、た、た、大変だろうね」
「あら、期待されているのは精進さんの方ですわ。必ず実用化してくださいましね。わたくしも、本条本家も、出来る限りご協力させていただきますからね」
「そ、そうだね。はぁ、元気付けようと思ったんだけど、逆にハッパをかけられてしまった」
「似合わないことするからよ、徹。あんたが他人を心配するなんて、百年早いよ」
「な、な、仲田野君、ど、どうして、き、君はいつも・・・」
落胆していた表情から一瞬にして真っ赤になって怒り出す精進。その百面相のように早代わりする表情を見ながら、本当に器用なヤツだと殿下がつぶやいた。その声は美雪の笑い声にかき消されはしたが、百合恵はかすかにうなづいていた。
「なに、なに。何やってるの? 楽しそーじゃん」
不意に頭上からした声に、皆びくっとして振り仰ぐ。
そこには天井から逆さまにぶら下がる女生徒の姿があった。いや、ぶら下がっているのではない。天井を擦りぬけて降りてきているのだ。その生徒の制服にはとても見覚えがあった。なにしろ去年まで美雪と百合恵は自分で着ていた制服だからだ。そしてもちろんその服の上(この場合は下だが)にある顔にも、当然ながら見覚えがあった。いやというほど。
皆の目が、やれやれという表情になるのを見とめると、その制服姿の女生徒、正確には女生徒の霊の頬がぷっとむくれる。
「なによぉ、その顔は。またこいつかって思ったでしょ?」
「ピンポーン・・・」と美雪。しかし、トーンは下がり気味だ。
「帰れ」と殿下。百合恵は無表情のままだが軽く会釈だけはした。残る精進はいつもどうりに彼女を無視するつもりらしい。
「ひっどーい、帰れはないでしょ、今来たばっかなのに。ねぇねぇ、なんでこんな学校にいるの? 今日は何の集会? 何かの記念日?」
「別に集会ではない。偶然に出会っただけだ」
そう言いきって、殿下はしまったと思った。母校ならともかく、こんな学校に偶然集まるはずがなかった。しかし、彼女はその点について全く意にしていないようだ。
「じゃ、いいじゃない。あたしもみんなと一緒。偶然ここに来たの。だから仲間よ」
「偶然? ウソつけ。楽しそうだから、だろ」
「ぴぃんぽぉーん!」
美雪の下り気味とは違い、完全にハイテンションで決める女生徒(の霊)。
「どこの学校にでも顔出す無節操なヤツめ。お前、出番のない<左>のパッケージやら、取り説用の魔性の集合写真にもちゃっかり出てたろう。魔王の配下でもないくせに。あきれてたぞ、ピアノが」
「何わけ分かんないこと言ってるのかなぁ、このヒトは。<左>って何よ? ま、とにかく、みんなが集まる記念写真にはちゃんと写ってあげるのがお約束でしょ、やっぱ」
車座になった皆の中心に逆さまのままで降り立つ女生徒(の霊)。殿下が呆れ顔を隠しもせずつぶやく。
「さっさと成仏しろ」
「だって行き方知らないもん」
にっこり笑んで答える幽霊。
「道は俺が開いてやる。さぁ、そこに直れ」
「いやだもーん。だってアッチが楽しいとは限らないじゃない? 多分コッチより退屈だもーん」
「お前は死んでるんだよ、白石春香! 何度言ったら分かるんだ!」
「無駄だって、殿下。真面目に相手するだけ疲れるって」という美雪は肩をすくめている。
「そうですわね。ご自分が死んだという認識がないのですから」
「とーぜんじゃん」
そう言って白石はくるりと回転し、床にペタンと座り込んだ。しかし、膝から下はないので、実際には無音のまま、そして宙に浮いたままの状態に見える。
「ま、車に轢かれたショックで幽体離脱するのも珍しいけど、その状態のまま、病院の火事で体が消えちゃったんじゃ、自覚のしようがないわ。せめて自分の死体でも見てればねぇ」
美雪の諦めた口調と反対に、殿下はちょっと熱くなった口調で反論する。
「そうはいかん。やはり理(ことわり)に反したことはいかん。お前は死んだんだよ白石。ここはお前のいる場所じゃないんだ。いいか、そうやってるってことは転生できないってことだぞ! 次の人生を自分で後送りしてるだけだぞ!」
「またその話し? 聞き飽きた、聞き飽きたぁ!」
女生徒(の霊)はオーバーアクションで答える。
「どーして山口はそうジジむさくなっちゃたのかなぁ。昔はあんなに愉快なヤツだったのにさ。友達だったじゃん、あたしたち。あんたよく歌ってたじゃない、じーんせーいっ楽ばーかりーぃってさ。楽しく行こうよ」
「お前は人生終わってるの!」
「ひっどーい、花の16歳の乙女に、なんてこと言うの!」
「何回目の16歳でしたかしらね」
「あ、お嬢、今ぼそっとすごいこと言ったぁ。もう、みんなどうして遊んでくれないのかなぁ。あたしってばこんなにかわいいのにさ」
そう言ってシナを作って流し目を決めた時、きょとんとして動きを止める白石。どうやらこの時初めて、床にダイナミックに寝込む権田の姿に気づいたようだ。
「あー、ひっどぉぉぉぉい、あたしのゴンちゃんに何すんのよぅ、ヤンキーおばさん!」
「お、おばさん? あんたタメ歳にそう言いきる?」
「タメ歳、ねぇ・・・」
むっとする美雪に白石はぺろっとスカートの裾を思いきり持ち上げ、16歳のままのつやつやした肌を美雪に見せつける。同時に、あかんべーをしているうさぎさんのプリントパンツも見せ付ける結果になったが。
うさぎ・・・。どーゆー感性してんのかね、この子は。そう美雪がうなった時、白石は勝ち誇った声を上げた。
「ふっふっふ。言葉もないな。勝ったぁ!」
「はぁ。好きに言ってな。言葉どころか、下半分ないくせに」と呆れながらむくれる美雪。
「しかし、どうやったらこの小山のような体に今まで気づかないんだ?」
そう言う殿下の言葉には全く聞く耳持たない女生徒(の霊)。
「ゴンちゃんにひざまくら。ひっざまっくら!」
妙な調子で歌いながら、美雪を押しのけ、熟睡したままの権田の頭を自分の膝に乗せる白石。押されて殿下によりかかる美雪は呆れっぱなしの表情でつぶやく。
「あんたもたいがい器用ね。どうやって乗せてるの?」
「へっへーんだ。膝まではちゃんとあるもんね」
「MP体のくせに。どうして出来るのかなぁ。あんた、絶対おかしいよ」
「通常の幽体なら不可能なことだが、か、体が消滅したという自覚のない白石君は、その意思でHP体もどきのプラズマ体を形成、し、しているのだ。不条理極まりないことだよ、全く」
無視を決め込んだはずの精進がついつられて説明してしまう。
「ま、おかしいという点には疑いようもない」
そう言い、美雪を膝の上に乗せたまま、殿下は腕組みして大きくうなづいた。だが白石は聞く耳持たぬの状態のまま、上着のポケットから50円玉を5枚取り出していた。そして権田の分厚い胸板の上に、よっこいしょっとばかりに上半身を乗せ、彼がベルトに巻いている50円玉の束にその5枚を追加してやった。
「うーん、ゴンちゃん驚くかなぁ。いつも数えてるもんね。急に五枚も増えたら、きっとびっくりするよね。うふふ」
「うふふってなぁ、お前・・・」
そう殿下が切り込もうとした時である。「ワーニング、ワーニング・・・」という、くぐもった女性の声が響いた。すぐに白石を除く全員が精進を見る。彼はびっくりした後、大慌てでごちゃごちゃといろいろ付いた荷物から端末を取り出し、LCDを起こした。
「なに、一体ナンなわけ? このアニメの声優さんって声は?」
「いや、多分パソゲーのおまけWaveデータだろう。で、精進、どうしたんだ?」
「・・・」
「?」
精進からの返事がないので、仕方なくディスプレイを覗き込む殿下。ちょっとアブナイ服装をした、女の子の壁紙の上に開いているウィンドウには20桁程の数字が上から次々と現れ、下に消えて行く。その間にも、精進のお気に入りのデスクトップマスコットがウィンドウの上をてくてくと歩いている。わ、わからん。殿下はそううなった。
「ねぇねぇ、何? 何があったの」
美雪も気になったのかLCDを覗きこもうとしたが、彼女の角度からではよく見えなかった。
「ど、どうして・・・。ペンタグラムは消失したはずなのに・・・」
精進はやっとそれだけ言うと殿下を見た。真剣な表情で。
その眼差しに緊張の色を浮かべる美雪と百合恵。精進同様、真剣な眼差しで見返す殿下。
権田の胸板によりかかり、口を半開きにしたまますーすー寝息を立てる女生徒(の霊)。
緊張しているのか間抜けているのか分からない状況下で、精進が説明する。
「エ、エネルギーがプラズマを形成しようとして・・・、ぺ、ペンタグラムに集中し始めてるんだ。もうずいぶん集中している。こ、このままだと・・・
このままだとゲートがまた支配されてしまう」
「そ、それって、あいつ等が戻って来れないってこと?! そんな!」
「ま、まだそこまでのフェーズには至ってないけど・・・。こ、このままだと、そ、その可能性も・・・」
精進の言葉を最後まで待たずに美雪が立ち上がる。
「行こう!」
言うなりポケットから出したナックルをはめる。声に応え、百合恵もハンドバックからトムキャット型のガスガンを出して立ちあがった。精進もすぐにフィールド形成器とプリズマティック・スプレー・キャノンを荷物から外し始めた。
しかし殿下は動かない。
「会長・・・?」
「殿下?」
声には応えず、美雪がやっとどいてくれたおかげで血が通い出したものの、今度はしびれ始めた足をさすっている殿下。その目はつむったままだ。
「ご、ごめん、待たせたね。準備できたよ、さ、さぁ、行こう!」
状況を理解していない精進は、装置に付けたスリングを肩にかけて元気にそう言った。
「殿下、どうしたの?」
美雪が身を屈め、殿下の顔を覗き込む。
「早くしないと。あいつら閉じ込められちゃうよ!」
耳元でそう叫ばれ、殿下の顔が歪む。その後、やっと目を開くが、その視線は空になった缶を見つめていた。
「ど、どうしたんだい山口君。は、早く、早く中に・・・」
「行かん」
殿下のその低い声に、はっと身を固める三人。
「お前たちも行かせん」
「き、君ねェ、こんな時にまでこだわるかい?」
「学生は学生が守る。そう決めたはずだ、あの時。
もう俺たちは高校生じゃない。手出しはするな」
「手出しじゃないよ、協力だよ! OBとして当然だろ!」
「わたくしも美雪さんに賛成ですわ、会長。人として、救助に向かうのは当然の行為です」
「そ、そうだよ山口君、強情張っている場合じゃないぞ! すぐに行こう!」
顔を上げ、三人を順に見る殿下。しかし、彼のその決意は少しも揺るいでいない。
「だめだ。もう随分経った。あいつ等は多分魔王を追い詰めているんだろう。魔王は奥の手のつもりで、校内全体の妖気を一気に高めようとしてるんだ。魔性なしでは流れをコントロールできない。だから全体の量を増し、結果としてヤツらの結界を強めようとしているんだ」
「それが何だってのよ! 後輩が危険に、すごい危険にさらされてるのは変わんないよ! こんなこと、今までなかったじゃないか! やばいよ、すぐに行かないと」
美雪の声は悲鳴に近かった。それでも殿下は動こうとはせず、静かに言葉を続ける。
「そうだ。今までになかった。それはつまり、それだけ、魔王がなりふりかまわなくなってるってことだ。そこまであいつ等が追い詰めてるんだ。今俺たちが行ったら、俺たちが魔王を倒しちまったら。
それではあいつ等の頑張りが無になる」
「命には換えられないでしょ! 行くよ、止めても!」
「そ、そうだ、命が一番大事だ! 山口君、ぼ、僕も行くよ! さ、行こう仲田野君、本条君!」
精進が一歩足を前に踏み出した時、その靴のつま先に殿下の札が飛んでいた。
「う、うわぁ! や、山口君!」
札に仕込んだ力を解放する呪を唱えてはいない以上、不発なことは分かっている。しかし、何度もその威力を見ていた精進の心臓を凍えるばかりに驚かせるに十分だった。
「行かせん。あいつ等に任せるんだ」
「殿下! あんたってサイテーだよ! 仲間に札投げるなんて!」
その叫びと共に殿下の額めがけて正拳を叩きつける美雪。しかし、キン、という金属音と共にナックルは宙で止まった。唖然として、しびれる自分の拳を、そして殿下を見つめる美雪。だが殿下も驚いていた。
「な、なにコレ?」
「結界?」
つぶやく百合恵の視野に人影がちらりと見えた。
「美・・・咲・・・」
皆が振り向くと、先ほど精進が入って来た通路の入り口に、たたずむ制服姿の女生徒(こっちは生きてる)が見えた。彼女は先輩たちに会釈をすると右手に持った紫水晶の小さな杖をしまった。
「私たちにお任せください、先輩」
そう行って近づいて来たのは現会長、美咲由美だった。
「大丈夫です。確かに倒れた者もいます。でも、戦意は消失していません。むしろ士気は高まっています」
彼女が歩みよりながら見つめている左手の掌には、漢字がぎっしりと書き込まれた八角形の板の上にオートジャイロのようなコマがくるくる回転している、奇妙な装置があった。
「彼等の意思が一つの目標に向かっています。全員の意識が集中しています。倒れた者までも仲間に意識を送り続けています。
大丈夫です。あの子たちは、勝ちます」
そう言って美咲由美は微笑んだ。
「ほ、本当かい? で、でも、もし・・・」
「後輩を信じてください、精進部長。仲田野先輩。そして本条先輩も」
由美の微塵も揺らぎのない表情に、美雪は拳を下げた。百合恵は無言のまま、また座り込む。
精進は決心がつかずにそのまま立ち尽くしていたが、やがて由美が目前に来た時、諦めたかのように肩から武器を降ろした。
「学生は学生が守るんだ。俺たちでさえ、サポート以外、何もしてはいけない。
そうしなければ、本当の自由は勝ちとれん・・・」
ゆっくりと、つぶやくような殿下の声を受け、美咲由美が後を引き継ぐ。
「与えられた自由に意味はない。勝ち取った自由にこそ価値がある。校内は聖域である。そこは学生の聖域である。学生によって守られなければその聖域は消滅する。自分たちで守ろうという意思そのものが聖域の源だからだ・・・
生徒総会でのあの演説。忘れたことはありませんわ、会長」
それまで八角形の装置を見ていた殿下の目が美咲に向いた。
「会長はお前だ。美咲」
「はい、そうでしたね、前会長」
「なるほどね。会長としての意思はちゃんと引き継いでるってわけね」
ナックルを外した手を腰にあて、二人の会長を見比べる美雪。精進は今一つ諦めきれぬ複雑な表情で端末の電源を落とした。
その肩を美雪がポンと叩く。
「大丈夫だよ。美咲がサポートしてるんだから」
「で、でも・・・。もし・・・」
それだけ言うと、泣き出しそうな顔を上げる精進。
「ンもぅ、男だろ、徹!」
身を降ろして片膝立ちになり、無精ひげだらけの精進の頭を胸にきゅっと抱きしめる美雪。
「大丈夫だって。運悪く最悪の状況になりかけたら、その前に美咲が呪法でなんとかするって。それに殿下もいるんだよ。最強タッグじゃん! 大丈夫だよ。絶対」
顔を上げ、すぐ目の前にある美雪の瞳を見つめる精進。
「ぜ、ぜったい?」
「うん、絶対だいじょーぶ! だからシャンとしな!」
「そ、そうか。わ、分かった」
美雪はその精進の言葉を聞いて、そっと腕を広げて彼を解放するとハンカチで顔をごしごしと拭いてやった。精進はおとなしくしていたが、やがて落ちていた眼鏡を拾い上げ、自分のしわくちゃのハンカチで、ありもしない汚れを丁寧に拭くと顔にかけた。それは冷静な自分を呼び起こそうという精進のいつもの儀式のようなものだ。
「しまった。か、彼等に端末を持たせておくべきだった。き、貴重なデータが取れたのに」
そう悔しそうな口調でつぶやく精進。美雪はにやりと笑むと、ぼさぼさ髪の頭をこずいた。
「残念だったね。でも後悔先にたたずって言うジャン」
「い、痛いじゃないか、どうして、き、君はいつもそう・・・」
二人のやり取りを、目尻をちょっと下げながら見ていた百合恵は殿下が立ち上がったのに気づいて振り向いた。
二人の会長は並んでゲートを見ていた。百合恵にはさほど「気」を感じる力はない。だが、それでも確かに気が、膨大な気がゲートに集中しているのが分かった。
「ど、どうしたの?」
全く妖気を察することのできないパンピーの美雪は、その場の気配で緊張感に気づき、精進のようにどもりながら尋ねた。
「どうやら大詰めのようですわ」と百合恵が答える。
精進も抗議を止めて、美雪と一緒に会長たちとゲートを見つめた。白石はゴンちゃんと鬼ごっこをしている夢を見ながら微笑んでいた。その権田は夢すら見ぬ深い眠りの中にいた。
「わ、分かるのかい? 本条君」
「はっきりとは分かりません。でも、間違いなく、今までで一番激しく妖気が動いているのは分かりますわ。聞こえる、と言った方が良いでしょうかしらね、わたくしの場合」
「でも美咲って、確かケンキ、だっけ、気配を察する能力、ないんじゃなかった?」
小声で問う美雪に本条も小声で答える。
「確かに見鬼の力はないはずですわ。でも、今戦っている生徒さんたちの意識をトレースしている、あの八方理心輪を通して状況を読んでいるのでしょう」
「そんで、殿下の方は野生のカンで察してる、と」
「その表現には賛成できませんが、意味は合っていると思いますわよ」
「べ、便利なヤツらだよな、全く」
三人が見つめる中、会長たちはじっと立ち尽くしていた。どれだけ経ったであろうか。美咲が、手にする装置をぎゅっと握り締めた。瞬時遅れて殿下の叫び声が校舎に響き渡る。
「そこだ! 行けーッ!」
ゲートの前で Ende