<超かいき★くえすと>くえすたぁず

時の奥津城・後編

von:秋澤 弘

第四章

 ふと気が付くと、辺りは真っ暗だった。足元はしっかりとしている。周囲はどうやら密閉された空間の様だ。周囲にあった思念との接触も断たれている。封印か? 由美の心に不安が根付く。どうするか。まず、何をすべきか。
 精霊を確認する。地、水、火、風。総てが由美の中にあった。光と闇。これも護符の中にある。時。その名に答えて額にある宝玉がちりりと刺激を返した。自分はまだ七剣(ななのへのつるぎ)のままだ。しかし、精霊たちはそのほとんどがごくわずかな力しか現していない。大地と闇の精霊が周囲の地形に答えて力を増やしているが。そして時。星を見るものと呼ばれる第七の精霊も力を増しているようだ。
 周囲の精霊と自らの身の内を確認した美咲は、続いて何をすべきか考えた。光を呼んで周囲を照らすことも考えたが、それによって周囲の注目を浴びるのはまだ避けたい。そこで左手の闇の護符に意識を集めた。
 ミサキの鈴を左手に握り、札に心を集める。闇の精霊が周囲の闇にその影響を及ぼし、あたりの景色を美咲に見せる。どうやら自然洞窟ではない。石畳というにはお粗末だが、地面は人の手によって作られたものだ。道と思しきこのあたりは予想以上に狭く、幅は2メートルとない。一方、高さはずいぶん高く、4メートルはあるだろう。一瞬美咲は90度地軸がねじれたのかと思ったが、壁と床は明らかに造りが違っていた。
 ここで待っていてもどうしようもない。ではどちらに行くか。
 自分がここへ来たのはあの男の声に共鳴したからだ。ならばまずは男を捜そうか。
 感覚を周囲に伸ばそうかとも思ったが、何か異質な感の残るここで、精神のみを解き放つのは危険である。美咲はそう判断して、自分の装備を確認した。
 真由美の様に見る力もなく、美由美のように卓越した運動力があるわけでもない。由美が己の身を守るには知恵と術力しか武器がない。そのために綿密で用意周到な準備が彼女の命をたびたび救っていた。先ほどのひまわりの種しかりである。
 今回は地の底に赴くという。そこで一応いろいろ準備はしてきた。携帯食料、簡易マスク、そしてカンテラにも警棒にもなる懐中電灯。これは美由美が貸してくれたものだ。そして常にバックにあるノートパソコンには昨夜のうちに可能な限り、新宿地下街のマップなどと共に鉱物や地下で発生するガス等に関する情報をコピーしてきた。予備の充電池を合わせても4時間しか持たないのが問題だが。
 実際の話、美咲の術で大抵の対応は出来る。しかし、術力は回復に随分時間がかかるし、すでに大量の術力を放出した状態だ。精神力を高める御神酒もあるが、これは最後の手段だ。
 ついでポケットを確認する。精霊が七つ総て揃っている以上、術法に関しては問題がないが、その精霊をいつまで留めていられるかが問題だ。ちょっとした術力の消費で召還術が解けてしまうかも知れない。ここは慎重に行くしかあるまい。

 周囲の闇に溶け込みながら美咲はまずこの場所をラーニングする。続いて大地の精霊によって北と分かった真正面に進んでみる。
 その道はすぐに扉で遮られていた。大きな石の扉である。地の精霊がこの先が今まで同様の廊下というか、通路になっていることを教えた。ここは後だな。そう思い今度は振り向いて南に進む。まっすぐ行くと東西に道が分かれていた。正面は壁の様だ。
 「よくゲームでは隠し扉とかあるものだけど」
 そうつぶやくが、事実は変わり様がない。何しろ大地の精霊がそこにソリッドを認めているのだから。
 今度は東に進んでみる。しばらく行くと、前方に下への広がりを大地の精霊が伝えてきた。道は見たところ平坦なのだが。ゆっくりと近づき、立ち止まる。この先の下に大きな空間がある。美咲は懐中電灯を出し、闇の精霊との接触を元に戻してからそれを灯けた。
 道は先ほどまでと同じ荒削りの石だ。しかし、間違いなくこの数メートルだけ異質である。落とし穴なのは分かるが、どうやればそれが反応し、どうやれば回避できるかが分からない。地質を読み、何か情報がないか調べるが、それ以外特に手だてはなかった。
 ゲームならばともかく、実際に本当に通れないトラップをしかけることなどあり得ない。もしあるとすればいわゆるデストラップ。つまりこの先は行き止まりのはずだ。そこで大地の精霊の及ぶ限りを見てみるがこの先10メートル以上はそのまま続いている様だ。おかしい。さらに先があるのか?
 まだもう一方の道がある。美咲はそう思い、懐中電灯を消してスカートの内側に巻いてあるベルトに差した。このライトはL字型にもなるのでこういう時に便利だ。再び闇の精霊を通して辺りを見る。転進して先ほどのT字路を通り越し、さらに進んだ。
 今度は随分長い道だった。途中、気温が下がるのを感じた由美は大気の精霊を通して見たが、周囲の空気は淀んで久しく、言葉が通じないようだ。
 「つまり、もう空気じゃないってことね」
 彼女は風の精霊と一体化しているので何の支障もないが、もしかすると一般人なら酸素欠乏や中毒状態になっているかもしれない。
 より一層の注意を払い、一歩づつ確認しながら前進する。緊張感が漲ってくるのが分かった。間違いなく、この先になにかがいる。それもおぞましい意識を持つものが。ここに来てから理の乱れを感じていたが、この前方からはそれがひしひしと感じられた。立ち止まって、思考を巡らす。ここは後の方が良いだろう。そう決断し、ゆっくりと再び慎重に後方に下がる。目で見ているのではない今の由美にとって、前進も後退も同じ事だった。闇に溶け込みながら後ろに向けてゆっくりと戻る。やがてその異様な気配が薄れてから、美咲は振り向いて歩みだした。
 T字路を曲がり、スタート地点に戻った。先ほどラーニングした場所だ。
 彼女はそこで歩みを止めた。自分はここに出てきた。ならばここで意識を解放し、拡散させれば何かがつかめるかもしれない。しかし、今の術力でいつまで精霊をつなぎとめておけるであろうか。特に時の精霊とは会話する術すらない。美咲一族の術にはその部分がないからだ。これではどれだけ術力を失えば召還術が解けるか分からない。ましてやこの地では一度解けた七精霊を再召還することは絶対に不可能だ。炎も光も、風すらもほとんど存在していないのだから。
 美咲はバックを右手で持ち、その中にある御神酒の小さいとっくりを出すかどうか悩んだ。この酒で術力を回復すれば、当分不安はないだろう。しかし、探索に力を使いすぎ、いざ戦闘という時に力及ばず、七剣が解けたら元も子もない。理想的なのは召還が解けるぎりぎりまでの術力を今ここで放出して、行くべき道を見いだし、すぐに御神酒で回復することだ。しかし、自分の残存MPと最大MPを数値化して見せてくれるステータス画面を持たない美咲にはそれは危険な賭けだった。
 仕方がない。術力を極力使わず、かつ危険を回避しつつ、調べるだけ調べてみよう。それが結論だった。
 そこを通り抜け、石の扉の前に立った。ここ以外は落とし穴に異様な気配の場所。となればこの先を確認するのが第一だろう。
 再び地の精霊と会話する。この先には通路があることは分かっていた。今度はさらに詳細に扉の構造を地の精霊に確かめてもらう。と、幾つか地の精霊では不明な構造が現れた。予想に反して、この扉は上下に移動するらしい。だがその移動方法がよく分からない。どうやら術がからんでいるようだ。それなら術力をぶつければ破れそうだ。しかし、石の戸はこの地の精霊にしっかりと組み込んでおり、相当な術力を放出しなければならない。それは最後の手段だ。
 扉が下がるということは、これは退路を塞ぐための罠なのか? 美咲は考えた。このあたりに発動するための装置なり、場なりがない以上、他に考えようがない。となれば、この手前側にそれを解除する何かがあったのか?
 今度は大地の精霊のみと交信しながらゆっくりと戻ることにした。先ほどの戦いで力を使ってしまった現在、詳細に調べるには術力の消耗が予想される。それに闇を通して見てきた時には見えなかったものが分かるかもしれない。そう思い、腰のライトを付けて戻り始めた。
 その地点はすぐに分かった。壁の一カ所だけ、微妙に色が違っていたのだ。そこに意識を集中すると、その場所は狭い空間があることを大地の精霊が伝えてきた。術で隠されていたのである。そっと手を伸ばそうとするが、ふと気になって、背中に手を回した。スカートの内側に巻いているベルトに留めてある懐刀を逆手で抜いた。まずは懐刀でそこを探ってみる。十センチ程の溝のようだ。今度は手で探ってみる。なにかがっしりとした物に手が触れた。その感触は壁とは異質なものだ。
 触ってみても動くとは思えないし、なにより手を掛ける部分もない。これ自体を押すのかとも考えたが、それには元帥並の腕力がいるだろう。よく考えようと手を戻してみる。さてどうするか。電池が勿体ないのでライトを消した。と、右手の指がぼんやりと光るのが見えた。静電気かとも思ったが違う。ぼんやりとした緑色の淡い光。どこかで見たことがある。何だったか。意識を集中してその光を見るが、自分の術力しか感じなかった。はっと気づく。これは死人苔の光だ。すぐに炎の精霊で指先をぬぐってその光を消した。苔と呼ばれてはいるが、実際にはバクテリアの一種である。死者に残る生命のかけらを吸い込む苔。術者にとっては気づかぬ内に術力を吸われる怖ろしい苔だった。
 こんなものまで用意してあるとは。結界よりもたちが悪い。これもトラップだったのか。そう思うが、どうもそれにしては苔の濃度が薄すぎる。一般人でもあの程度の吸収では死にはしないだろう。せいぜい疲れるのが関の山だ。
 「吸収!?」
 はっとして思考が駆け巡る。術者なら、この苔が術力吸収の代名詞だと知っているはずだ。となれば・・・。
 再び先ほどの溝に手を近づける。今度は左手だ。その溝のすぐ手前で掌を返し、ミサキの鈴をそっと鳴らした。からころと。その音色は周囲には広がらず、そのまま前方、溝の中に吸い込まれて行く。やはりそうか。美咲はそのままそっと鳴らし続けた。と、ばくんという音と共に、石の扉が姿を消したことが分かった。用心のためそのままもう少し術力を送ると、不意にその吸収が止んだ。終わったようだ。
 ほんの微妙な量ではあったが、今の美咲には十分な疲労感を伴う行為だった。
 「ふぅ・・・」
 ため息をもらすと、また闇の精霊と共にその道を進み、扉をくぐった。

 その先は相も変わらぬ通路だ。わざわざ石の扉まで用意してあった以上、何かあるのかと予想していた美咲は少し拍子抜けした気分だったが、ほんの数分で今度は前方が階段になっているのが分かった。下に降りていくのだ。ここまでには何も無かった。もう一度確認した彼女は階段を調べ出した。特に異様な点がないので、そこを降りて行く。ゆっくりと。下には空間が広がっている。それが分かった時、光がちらりと見えた。ごく弱い光。立ち止まり、そっと下を伺う。しばしの間。再び光が見えた。今度は光の精霊も感じたが、それよりも炎の精霊を強く感じた。たき火だろうか? その光の方向から影になるように壁に身を寄せ、一歩づつ降りてみる。絶縁も兼ねゴムを張った靴底は音もなく美咲を運ぶ。そっと、そっと。やがて階下の様子が見えてきた。荒削りの地面は先ほどまでとは趣を異にしている。そこで息を潜める美咲。耳をすますが何も聞こえない。大地の精霊がここが随分広い場所だと伝えている。
 光が見えた以上、人か? しかし、こんな所になぜ? そう思うが、自分もどうしてここにいるのかはよく分からない。それに少なくともあの声の主はいるはずだ。仕方ない。美咲は心を決めた。
 「誰かいますか?!」
 そう声を発する。途端に反応する光が踊った。行くしかない。そう思った美咲はライトを灯けて階下に降り立った。
 小さめのの体育館くらいの広さがある階下には一人の姿があった。右手に松明を抱えている袴姿の者。しかし安心はできない。人間こそ最大の怪物になりうることをよく知っていたから。
 「だ、誰だお前? お、女かぁ?」
 男の声がする。この声だ。間違いない。私が追ってきたのはこの男か?
 「失礼な奴だな。人に名前を聞くのなら、まず自分が名乗るのが筋であろう」
 美咲は自分の口調にびっくりした。口をついて出てきたのがこの話し方だ。どうしてこんなにぞんざいなのだろう。もっと礼儀を持って語るべきなのに。そうは思ったが、どうも目の前まで来たこの男、礼儀という言葉とはほど遠いようだ。ぼさぼさの髪、乱れた服装。
 小汚い男だ。それが第一印象だった。ぞんざいな口調はそのせいか? 自分で自分が不思議だった。古神道系なのだろうか、袴姿の男の右手には服の袖を破いて作ったらしい松明があるが、もう消える寸前だった。その左手には刀が握りしめられたままだ。こんな所で刀を持った人影を見ればまず逃げるのが当然。そう意識のどこかで思ってはみたが、不思議と恐怖はなかった。殺気がないのだ、この男には。
 しかし、それでも用心して術力は極力抑えている。これも美咲の技だが、実際のところかなり消耗している今の美咲には必要ないかも知れない。
 「それもそうだな。俺は啓介だ。お前、学生か? なんだ迷い込んだのか、こんなとこに」
 啓介と名乗った男は美咲の服装に目を丸くした。
 「おいおい、よく生きてたな。いつ来たんだ? どうやってここへ?」
 口数の多い男だ。それが第二印象。
 「・・・。お前・・・。本当に人間か?」
 啓介の目が鋭くなる。どうやら少しは頭も切れるし、術力もあるようだ。女学生がこんな結界だらけの中にいたら、そう思うのが当然だろう。美咲は名乗らなくて済みそうでほっとした。美咲はすなわち見前を、由美はそのまま由見を示す。相手が術者である以上、その言霊が読まれるのは必至だった。この男の正体が分かるまでは極力手の内は明かさないに限るのだ。
 「お前が呼んだのだろうが! 私はお前の声を聞いてここに来たのだ」
 「へ? 俺? じゃ、ひょっとしてお前錦隠岐の・・・って、女がいるはずねえな。じゃ、他家からの見届け人か?」
 「そうだ。お前こそ参加者か? それにしては見なかった顔だが」
 もちろん全員の顔など覚えてはいない。しかし、女学生の姿を見ていない以上、あの斎場にいたとは考えられなかった。そう思いかまを掛けてみたのだが、あっさりと男は答えた。
 「ああ。斎場にはいなかったよ。
 ま、こうなってはもう隠してもしょうがないな。俺は儀式の万一の事態に備えて呼ばれてたのさ。昔の失敗を繰り返さないためにな。斎場の地下に隠し部屋があってさ、俺と相棒がそこで異常事態に備えて結界を作ってたんだ。んで、あの訳分からん奴が現れたんで、その道をたぐってここまで来たのはいいが、前に死人の山、後ろは岩戸に塞がれてにっちもさっちもってな。
 んで、祭司たちを呼ぼうとしたが誰も答えない。仕方なく戦闘に入って、このざまだ」
 「お前・・・。なぜ京都弁じゃないんだ?」
 「へ? 京都だぁ? おいおい、俺んとこは太田公の時代から岩槻、川越、江戸と守ってきた家系だぜ。遷都したからって明治になってのこのこ出てきた連中とは訳が違うんだよ。あいつ等、こっちに来てもお公家言葉を誇りにしてやがる。やれ分家だの江戸弁だの町人文化だのと抜かしゃがって。ヒとシの区別が付かなくて悪いか? 無理矢理発声までやらせやがって。
 ま、俺も修行は上京でやったがな、だったら俺も意地でも京言葉なんて覚えるもんかよ。こちとら年期が入ってんだよ、関東守護のな」
 啓介はそう言って美咲を見ている。わがままな奴らしい。心も狭い。印象はともかく、彼女はその話の論理性をたどりながら信憑性を決めかねていた。この者が本当に生者という保証はない。たとえ生きていたとしても、操られていないとは限らない。自分に見る力があればとも思ったが、それはどうしようもないことだった。
 「ならば啓介とやらが本当に術者である人間だと認めたとしよう。で、その啓介とやらが魔性に操られていないと、どうやって証明するのだ?」
 その言葉に答えて男はゆっくりと剣を鞘に戻して懐からなにやら取り出した。それは八卦板だった。男が手に術力を集中するとその中心に立つ独楽のような指示板がくるりと回った。そのなめらかな動き。なかなかの術力だ。こうなっては美咲も納得するしかなかった。操られているのならここまでスムーズに術力は出せないから。この男自身が何かたくらんでいる可能性はあるが、それならもっとうまくやっているだろう。仕方ない。ここは信用するしかあるまい。
 「しかし、お前こそ本当に術者か? 確かに術力はあるみたいだが」
 男の目は美咲を値踏みするように見た。ふとその目が一点に止まる。はっとして自分の胸元を見る美咲。地の精霊を納めたとき、胸元が大きくはだけた事を思い出したからだ。おもむろに襟元を正すが、ペンダントヘッドを隠せない以上、ブラの上端が見えるのは仕方がない。いやらしい奴だ。それが第三印象。
 「あ、すまん、つい。その・・・。悪かった」
 男は素直に謝った。どうやら本心らしい。しかし、美咲の印象の天秤は悪印象に傾いたままもう揺るがなかったが。
 「しかし、その程度の術力でよくここまで来れたな。ま、時の精霊が寄り付いてるから何とかなったのか?」
 美咲はその言葉にびっくりした。時の精霊。今、力を抑えている状況で時の精霊が感じられるのか、この男は。その視線はまっすぐに額に向かっている。間違いない。この男は時術の使い手だ。それ以外に考えられない。と、その手にする松明に気が付いた。あんなものでは五分と持つまい。それがずっと同じ明るさで燃えている。時を緩めているのか。やはり相当の使い手だ。それなりの術者というレッテルは「相当の」に張り替えられた。もちろん天秤は微動だにしないが。
 「この空間はやはり時の力によるものか?」
 「あ? なんだ気づいてねえのか。ここは時が隔離した離れ小島みたいなもんさ。来れたはいいが、戻り方が分からない」
 男はそう言ってため息を漏らしながら首を振った。神道の術者らしく後ろで結んでいる腰よりも長い髪が大きく揺れた。
 「で、お前の相棒とやらはどうした?」
 男は無言のまま広場の奥を顎で示した。その先に何やら地面が盛り上がっている。土饅頭か・・・。
 「錦悠哉。いい奴だったよ。俺と違って真剣でさ。なんとかここを調査して、あの悪意の元を探すんだって。
 口は悪かったが仕事には誇りを持ってたよ。最後の最後まで、な」
 錦悠哉。錦家の三男か。そしてこの男の名は啓介。なるほど、そういうことか。美咲は事態をやっと理解した。
 「敵は死人と言ったか?」
 「ああ。なんとか全部消去はしたがな。力尽きて相棒はあのざまさ。と言うか、命を削った最後の術力で死者共を消し去ったんだろうな。あいつはそういう奴だったから・・・」
 男はそう言って奥を見た。つらそうな瞳で。
 「ふむ。で、ここは行き止まりのようだが」
 美咲はぞんざいな口調のままで会話を続けた。どうもいつもの話し方には戻れなかった。何かがおかしい。そうは思ってみたが、今それを確かめる術はない。
 「ああ。だから言ったろ、前に死者、後ろは岩戸ってさ。死者は消えたけどな。すまんな、俺の呼びかけにあんたみたいな女が来るとは思ってもみなかったんでな」
 「女、女とうるさい奴だ。性差別がしみついているな、お前。
 本当にこの先は何もないのだな」
 「ああ。多分な」
 多分、か。美咲は注意を男に払いつつも大地と会話を始めた。答えはすぐに出る。ここは行き止まりだ、と。
 「仕方ないな。残り二方に行くか」
 「? どこへ行くって?」
 「南に分かれ道がある。東はトラップ、西は化け物が待っているがな。ここにいても仕方あるまい」
 「お前、人の話を聞かない奴だな。大岩が落ちてきてて、行けないんだよ、どこにも」
 「数分前まではな。今はもうないぞ、それは」
 男は目を丸くした。
 「ど、どうやって・・・」
 「ここ自体がトラップだったのであろう。閉じこめられた者が死ぬと再び開く仕掛けだろうな。お前たちが倒した死者とやらはお前の先輩たちだ。閉じこめられて死したな。
 だがもう既に解除してある。私は戻るぞ。お前がここにいたければいればいい」
 「い、いや、行くよもちろん。しっかし驚いたな、どうやったんだ、その解除ってのは」
 美咲は無言だった。今余計なおしゃべりの時間はないし、自分の手の内をさらけ出す程、この男を信用はしていなかったからだ。確かに筧啓介という名は参加者の中にあった。しかし彼が本物の筧啓介かどうか、判断しようがないのだから。
 階段を上がり、通路を進む。岩戸をくぐる時、啓介はまだ信じられないようだったが美咲は無視して進んだ。
 T字路に着く。さて、どっちが先だ?
 考え込む美咲から少し離れて、啓介は周囲に注意していた。どうやら警戒態勢らしい。
 「なるほどな。お前の相棒とやらが術者で、お前は戦士系か」
 「ん? ま、一応俺も術者だけど、俺の術は戦闘向きじゃないからな。どっちかって言うと、ま、確かに剣士の方かな」
 「知的労働は全部相棒がやっていたのか?」
 「時に関する事以外はな。時の術法はそう滅多に使える奴はいないからな。お前程度でも日本に十人といないだろうよ」
 その口調から、美咲は二つの事を理解した。まず美咲が力を抑えているのに男が気づいていないこと。二つ目はこの男は術者としては時の術専門だということ。要約すれば専門分野ではひょっとすると一流なのかもしれないが、それ以外は三流ということだ。
 美咲はため息を吐いた。決心して右に進む。しばらく行くと、例の落とし穴に出た。
 「この先が落とし穴だ。どうすれば作動し、どうすれば解除できるのかは不明だがな。単なる物理的なものではなく、術系がからんでいるのは間違いないのだが」
 「・・・。
 どこが落とし穴だって?」
 男は地面をまじまじと見ていた。
 「お前の靴のすぐ先からだ」
 美咲の声に驚いてそそくさと二歩三歩下がる。
 「驚かしっこなしだぜ、お嬢ちゃん」
 とうとうお嬢ちゃん呼ばわりか。何かこの男と一緒にいるのも疲れてきた。美咲はそう思ったが、二人で行動した方が有利なことは間違いない。そう思い込み、男を振り向いた。
 「どうする? 足を踏み込んでみるか?」
 「はぁ? だって落とし穴なんだろ? 向こうに分かれ道があったじゃないか、あっちを見てみようぜ」
 無言で首を振る美咲。
 「向こうはもっと危ない。強力な邪念に満ちていた」
 「おい、そっちが当たりじゃないのか? あの怨念の本体がいるなら・・・」
 再び首を振る美咲にとまどう啓介。
 「あの先の思念は全く別物だ、あの念とはな。波動が違う」
 「じゃ、別のがいる、と」
 「実に嫌らしいのがな、おそらくは」
 啓介はしばらく考え込んでいたが、やがて意を決して腰の剣帯を解き、それを杖の様にして床を叩きながらゆっくりと進んだ。
 「そこだ。そのすぐ先から下に空間がある」
 美咲の声に立ち止まり、鞘で地面を叩く。コツコツという岩の感触。それを確認してまた腰に剣を戻す。
 「これが幻影なら、術者は相当な腕だな」
 そう言いながら、体重を掛けぬように右足を一歩踏み出す。石床にその靴底が触れた。
 その瞬間、天井が落ちてきた。しかも後方にいた美咲の頭上あたりまで広範囲に。同時に啓介の右足の先の地面が消滅する。
 「げっ!」
 退こうとするが、それでは天井の下敷きだ。足元に注意を払っていた分反応が遅れ、全体重を左足に掛けていた今の彼には瞬発力がない。
 「突!」
 美咲が後ろにジャンプしながら前に右足を突きだして命ずる。つま先から突風が舞い起こり、美咲はその風の反作用で後方に弾かれる。一方の啓介は追い風をまともにくらい、あっという間に前に吹き飛ばされた。
 ずん、という衝撃と共に天井が落ち、すぐにまた頭上に戻って行く。土埃の中、立ち上がった美咲は前方に松明の火を認めた。あれだけの突風の中でも消えないとは、一体どういう仕掛けだ? そんな事を思いながら、それを持った男に語りかける。
 「無事か、啓介」
 揺らぐ松明の火に照らされた男の顔は興奮で真っ赤だ。
 「お前なぁ、俺が跳んだからいいものの、あれじゃ穴に真っ逆様でもおかしかねぇぞ!」
 男は落とし穴の向こう側で叫ぶ。
 「声が大きい!」
 低い声でそう言われ、啓介ははっと口をつぐんだ。周囲から自分の声を聞きつけて何か来ないか、耳をすましているようだ。
 愚か者。美咲はそう思った。聞く者がいればさっきの天井の衝突音でとっくに来ているだろうが。
 「ちゃんと仰角を付けて打ち出してやったのだ。少しは感謝しろ、剣士」
 「けっ、お前、あいつの親類か?」
 そうぶつぶつ言いながら啓介は先を調べに向かった。松明の炎がちらちらと揺れて小さくなったかと思うと、すぐに戻ってくる。
 「壁だ」
 「当然だな」と、事もなげに言う美咲。あの大がかりな術では誰も通れない。七剣たる今の美咲なら風の精霊に運んでもらうことはできたが、途中で術が解けたら一巻の終わりだ。自分の術力の消耗はよく分かっていた美咲は挑戦する気にはなれなかった。ここはデッドエンド。なら、もう進むべき道はただ一つ。
 美咲が振り返って立ち去ろうとした時、啓介が声を掛けた。
 「おい、嬢ちゃん、いるんだろ? おおい!」
 何を言っているのかと思ったが、ふと彼には自分が見えていない事に気づいた。仕方ない。腰のライトを付けた。拡散板を付けてカンテラ状態にすると男に別れを告げる。
 「じゃあな。縁があったらまた会おう」
 「ち、ちょっと待て! 俺はここにおいてけぼりか? ってゆーか、お前、一人で向こうに行く気か? やばいんだろ、そっちは」
 「ではどうやってこっちに来るつもりだ? 巨大な磁石でもないと、お前は戻れまい」
 「ちっと待ってろ。えっと、おい、どこから穴だ?」
 男は袴の裾を巻き込んだ。
 「おい、まさか・・・」
 「他に方法無いだろうが。で、どこからだよ」
 ふぅ。仕方ない、やりたいのなら好きにしろ。美咲はそう思い、地面に集中した。
 「もう少し先だ。もう少し・・・ そこだ!」
 啓介はびくっと身を縮ませると、そこに松明を置いた。冷え、そして濡れている地面に置いてもなお、松明は燃えている。結構便利なものだな。そう思いながら見ていると、啓介の姿は闇に消えた。そしてすぐに全力で走ってくる。松明を踏み切り線に見立て、幅跳びをする気だ。
 「ふんっ!」
 気合いと共に松明の寸前で大地を蹴る。踊る体。美咲は唖然としてその姿に見とれていた。まるでアクション映画でも見ているようだ。男の体は優に4、5メートルは跳び、美咲のすぐ手前で着地した。さすがに勢い余ってばたりと倒れはしたが。その様は美由美以上にしなやかだった。これなら最初からジャンプさせればよかった。
 「ふう。見たか、俺様の華麗な妙技を。ははは」
 「松明はいいのか?」
 「あ、ああ」
 男は後方を見た。彼の術の及ぶ距離を過ぎ、もうそれは消えていた。
 「ま、いざとなったら鞘ともう片袖で作るさ、ははは」
 美咲は無言で振り向き、西に歩を進めた。
 「お、おい、待てよ」
 啓介はあわてて付いてくる。
 なるほど、見た目ほど考え無しではないようだ。ひょっとすると、この男、実は使えるのかも知れない。そんな想いがふっと沸いていた美咲だった。


第五章

 「こりゃ、確かにやばいな」
 啓介のひそひそ声を背に受けながら美咲は黙したまま頷いた。
 「おい、ちょい待ち。こっから先はまずいぜ。すごい澱気だ。その主に会う前にお陀仏だぞ、これじゃ」
 男は目の前の霧でも払うかのように手を動かす。どうやら彼には空気の濁りが見えているようだ。見えない自分を恥じるが、今はそんな思いにひたっている余裕はない。私は七剣なのだから。自分に自信を取り戻し、袈裟懸けに掛けたバックの周囲にあるジッパーを開いてマスクを出した。
 無言で差し出されたその平たい物を見て啓介がとまどう。
 「何だ、そりゃ?」
 「そうか。そうだったな。お前は東宮会もセンスコムも知らないのだな。仕方ない」
 そう言い、美咲はSNSCOM、つまり米国務省対超自然現象統合本部が開発したマスクを開き、啓介の顔に付けてやる。後ろのベルクロで調節し、呼吸器のずれが無いか確認した。
 「よし」
 「へぇ、ガスマスクか? こんな薄いんでよくこんだけの効果があるな」
 啓介は深呼吸した。見えるだけではない。体で汚れを感じるだけの力もあるらしい。
 無言で先に進もうという美咲に、啓介があわててくぐもった声を掛ける。
 「お、おい、一つしかないのか、これ」
 そう言って外そうとするが、ベルクロをどうしていいのか分からずにおたおたする男。
 「私は術者だぞ」
 そう言い切ってそのまま前に進む。少し言い過ぎたかなと美咲が思った時、啓介は大きなため息をついたらしい。
 「どうせ俺は半人前さ」
 そうぼやきながらも歩を早め、美咲の前に立つとすらりと剣を抜きはなった。
 「俺の前に出るなよ、嬢ちゃん」
 かっこつけおって。そう美咲はつぶやいた。
 啓介の剣は術に使う古式刀ではない。日本刀だ。その鋭い刃が美咲のライトの照り返しでぎらぎらと輝く。
 しばらく進むと、どちらからともなく、歩が遅くなった。啓介の目が左右に素早く動く。美咲はライトを右手に持ち直し、左手に握った鈴に神経を集めながら、ゆっくりと歩く。
 「嬢ちゃん、ここで待ってな。来るぜ」
 啓介はそう言うと、すすっと前に出る。明かりなしでどうする気だ? そう美咲は思い、拡散板を外して前方をよく照らすようにした。と、突然啓介が弾けるように飛び出した。一瞬遅れて美咲も走る。前に。
 前方に広がる部屋はまさしく死霊の巣だった。先手をとろうとして構えていた幽鬼の意表をついた啓介が刀を振りかざす。返す刀で天井で待ちかまえていたモノも一刀で切り捨てる。そのまま入り口に立ち、続けざまに刀身を煌めかせると、待ち伏せ組は総て消滅した。刀には間違いなく術が込められていた。その術は美咲の知らぬものだったが、MP体のはずの死霊がやすやすと切り裂かれている。相当高位の術法か、高位術者が込めたに違いない。
 「はーっ!」
 啓介はマスクの中で気合いを込めると、数メートル跳んで、部屋のまっただ中に転げ込む。中央にかたまっていた死霊がふわりと浮かぶ。煌めく刃を逃れ、青く不気味に輝く数本の手が啓介に向けられた。
 「はっ!」
 短い気合いと共にくるりと回転する啓介。瞬時に総ての手が切り落とされていた。
 すごい。刀の威力だけではない。啓介もそれに見合った凄腕なのだ。
 美咲は啓介に光を当て続けながらもその運動量のすさまじさに目を見張っていた。ライトで追うだけで手一杯という状況。右に踏み込んだかと思うと真上に切り上げ、身をひねったかと思うと左手だけで刀を振り回す。ついで両手に持ち直すと真正面に跳び、死霊を数体、一気に串刺しにする。数分とかからず、死霊は総て消滅した。
 「ふぅ・・・」
 啓介が額の汗をぬぐおうとした瞬間。いきなり空間から巨大な手が現れた。気配を察し、飛び退く。すぐさま体勢を整えて追ってくるはずの手を弾こうとする啓介。しかし、手は白煙を上げて左に吹っ飛んでいた。
 わけがわからぬままながら、体は即座に反応し、その手の持ち主が潜むであろう空間を一刀の元に切り裂く。空間がねじれ、巨大な鬼が肩から腹にかけて漆黒の煙をはきながら現れ、目をむいたままどうと倒れた。もうもうたる澱気が巻き起こるが、すぐにそれは消えて行った。
 啓介は入り口を見た。そこには美咲がライトを口にくわえながら、右手で銃を構えていた。
 「ひゅう・・・」
 短く口笛を鳴らす啓介。
 「助かったぜ。しかし、物騒なモン持ってるな。でもどうなってんだそれ。今、こいつは幽体状態だったぜ?」
 それには答えず、シングルカアラムに直してあるM84タイプのガスガンをショルダーホルスターに納め、マグライトを右手に持ち直す美咲。二発撃った。まだマグチェンジの必要はない。もう少し撃っていたなら、最後に回しておくのだが。連射中に切れたら隙を生むからだ。今回は実戦を想定して薬室内にも装填してあったので残りは7発。右胸に吊っている二本の予備弾倉と合わせて23発。美咲はすばやく残弾数を頭に叩き込んだ。
 その間に啓介は倒した部屋の主、死鬼に近づき、その腕あたりにちらばる白煙の素を見て言った。
 「こりゃ塩か? なんかすごいの持ってたんだなぁ。ちっ、いいとこ見せようと思ったのによ」
 そう言って刀を納め、頭をかく男。しかし、美咲はそう言う男が決して自分の背後に死霊を残さなかったのを知っていた。美咲を守るために。
 「理解したか? 別に守ってもらう必要はない。お前は自分の身を案じろ。私は私でなんとかする」
 美咲の言葉に苦笑する男。
 「分かった。頼りにしてるぜ、相棒」
 にやりと笑う啓介。その笑みに、ふと美咲は気づいた。彼の笑顔は自分に向けられているのではない。それは錦家の三男に向けられていたのだ。
 「なるほど、そういうわけか。どうして私がこんな口調なのか気にはなっていたのだが」
 「? なんだって?」
 「この話し方は錦悠哉のものであろう?」
 「はぁ? どういう意味だ?」
 近づきながら首を傾げる啓介。
 「普段の私はもっと丁寧に話すぞ。お前に会ってからなぜかこういう口調だ。おかしいとは思っていたが。お前が私に押しつけていたのだな、これは」
 「何言ってるんだ、お前」
 啓介は全く分からないらしい。
 「つまりだ、相棒を失ったお前は、私に出会った時、無意識に私に相棒の姿を当てはめたのだ。自分で埋葬した以上まさか蘇るとは思っていなかっただろうが、錦隠岐家のだれか、つまり相棒の親類が来てくれることを願ってはいたろう。その時にお前から発せられた念が私に強制的に相棒の代わりを務めさせようとしたのだ」
 「おい、ちょっと待て。なんで俺が……」
 「お前の声に同調してここへ来た私はその思念を真っ正面から受け入れてしまった。その結果がコレだ。
 言っておくぞ。私は錦悠哉ではない。その親類縁者でもない」
 「わ、分かってるよ、そんなことは最初から」
 「いや、最初は分かっていなかった。私の姿を見るまではな。が、その時には私は既にお前の術中にあったということだ。因り意のな」
 「黙れ! 俺がいつそんな事をしたっ!」
 始めて啓介が本気で怒鳴った。しかし美咲は怯むこともなくその目を見つめていた。しばしの沈黙。啓介は瞬きをすると目を反らした。
 「すまん。そんなつもりじゃなかったんだが。ただ・・・。ただ、その・・・」
 「一人がさみしかったのだろう」
 美咲の言葉にびくりとする男。
 「今の戦いぶりでよく分かった。お前たちが闘った死者とやらはもの凄い敵だったのだろうな。生前、この<時の疑似空間>に至る事が出来るほどの実力者だったのだ、死して尚、強大な力を有していたのだろう。結果、相棒は命を捨ててそれを封じた。しかしお前は生き残った。生き残ってしまった。たった一人で。相棒への想いと自分の力の及ばなかった事への無念。それが、その場に現れた私にお前の念を生じさせたのだ。一人は嫌だ。相棒にいてほしいという念をな」
 啓介は無言だった。この男の心に触れ、それを信頼することにした美咲はそのまま話し続ける。
 「すまんが私は錦悠哉ではない。私はその者の代わりにはなれない。なぜなら私は私で背負うものがあるからだ」
 そう言いながら左手を前に差し出し、掌をかえした。ミサキの鈴がからりと鳴る。それを見た啓介が目を丸くした。
 「土鈴か? まさか、それは・・・ミサキの鈴?」
 「私の名は美咲由美。美咲の退魔師にして御主ユミが孫。次期御主である我が叔母、真由美の知恵者になる身だ。故にお前の悠哉にはなれん。
 しかし、今しばしの間、お前の相棒にはなろう。ここを出るまではな」
 そう言い、美咲は啓介に近寄った。目の前まで来ると、大して変わらぬ身長の男の肩を叩く。
 「頼りにしているぞ、啓介」
 啓介は苦笑すると答えた。
 「任せろ、相棒」


第六章

 二人はここに何かないかと調べ尽くしたが、結果行き止まりであることが分かっただけだった。
 「こういう場合、RPGではよくこの死鬼が鍵を持っているものだがな」
 「よせやい。幽体が何か持ってたら驚きだぜ。で、そのアールなんとかって、何だ?」
 陰気の消えたこの場所で、二人は美咲が持っていた乾パンと水で小休止をしていた。
 「金平糖かぁ。懐かしいな」
 うまそうにその小さな粒を口中の舌で転がすその姿は、権田先輩を思い出させた。美咲はチョコを割り、片方を差し出してもう一方を食べ始めた。
 「お前準備がいいな。ミサキの退魔師ってのはみんなそうなのか?」
 チョコをかじりながら問う啓介。
 「私は美咲の者でありながら、由見の力がないのだ。見鬼の力がないのだよ、まるでな。
 だから生き残るには物に頼るしかないのだ」
 美咲はその頼る物の中で最も貴重なもの、小さな御神酒とっくりを出しながらそう言った。
 「酒か?」
 「神酒だ。理を正す力がある。つまり術力を一時的に回復できる。これを使うしかあるまいな、こうなった以上は」
 「?」
 「鈍い奴だなぁ。ここも行き止まりだった。こうなればどこかによほど高位の術で隠された通路があったのか、あるいはあの落とし穴の下の空間に道があるかのどちらかであろう? それを調べるには術力が足りんのだ、今の私にはな」
 そう言い、封を切る。
 「これだけは使いたくなかったのだが」
 「そんなに貴重なのか? でも仕方ないだろ。ここをなんとか抜けないとな」
 「その前に、あの怨念の元を絶たねばならん。そう錦なら言うのであろうな」
 ふっと啓介が笑った。
 「お前、ひょっとして本当にあいつに似てるんじゃないのか、性格がさ」
 「知らん。私はそいつに会った事もないのだぞ。分かるはずがなかろう。
 ふぅ。しかし、結局これを飲むしかないのか」
 そう言いつつ、美咲は呼吸を整え、神酒に口を付けた。決められたとおり三度に分けてその液体を口に溜め、一息に飲み干す。
 「ひょっとしてまずいのか、それ」
 声を無視して体に入ったその液体に神経を集める。ぶわっという感じで、一気に美咲の体が膨れ上がるかのように気が増した。
 呆然とその変化に目を見張る啓介。なめていたチョコを落とし掛け、あわてて手で受け止め、パクンと飲み込んだ。
 「ふぅ・・・」
 美咲は息を吐き、壁によりかかった。
 「参ったな、お前すごい術力だったんだな。これ程とは・・・。って、おい、大丈夫か?」
 「大丈夫じゃない。私は未成年だぞ。こんなに強い酒を飲んで平気でいられるか」
 「はぁ? じゃ何か、嫌がってたのは、酒そのものか? なんだお前下戸か」
 「未成年にウワバミも下戸もあるか」
 「俺がお前くらいの時には・・・って、お前、一体幾つだ?」
 「教えない」
 「けちだな」
 「女は謎が多い方が良いのだぞ。ミステリアスでな」
 「・・・。お前、ひょっとして酔ってないか」
 啓介は真顔でそう尋ねた。


 T字路に戻った二人はそこで周囲を確認することにした。啓介が刀を構え、警戒する中、七剣である美咲はその本来の力を解放した。地、水、火、風、光、闇。そして時。総ての精霊を纏ったまま、一気に感覚を広げる。その中で、突風にあおられたように啓介が身を縮ませた。莫大な術力に吹き飛ばされそうな気がしたのだ。
 総ての道が見える。死鬼がさまよい込んだ次元の割れ目、かすかな歪み。そして足元に広がる空間。そして・・・。
 美咲は風の精霊に乗ってその身を舞わせた。
 「お、お前、術者ってより魔法使いの方が似合ってないか?」
 美咲の術に巻き込まれる形で宙に浮いた啓介が、足場のない状態に不安げな顔でつぶやいた。
 「魔法使い? 安易なやつだな、せめてウィッチと言え」
 美咲は口ではそう言いながら精神はすでに目標に固定されていた。今の美咲には落とし穴の構造も分かっていた。術力でそれを無理矢理押さえ込むと難なくすり抜け、一気にその穴に身を投じる。頭から奈落の底に落ちるような感覚に啓介は身を縮込ませていたが術の流れには決して逆らわなかった。異様な感覚の降下が終わるとそこは荒涼とした沼地だった。二人はそのままホバー状態で一気にこの地の中心、奥津城に突入した。
 「こ、ここは・・・墓か?」
 「そうだ。誰のかは知らぬがな。ま、すぐに会える」と言いながら美咲は啓介を伴って地面に降り立った。周囲は沼を囲んだ壁だった。その一部、彼等の目の前に、壁をくり抜いた大きな扉がある。触れると暗黒術法がかかる仕組みのようだ。精霊がその解呪方法を告げるが、非常に込み入っており時間がかかりすぎる。ならば破壊してしまった方が簡単だ。扉はその巨大さ故に、自重で歪みかけていたのが分かっていたからだ。呪札を出し、さらにその中に封じた風と光を練り上げ、その手から雷を放った。水平に飛ぶ雷撃は扉の根本をうち破り、轟音と共に弾き飛ばした。
 「その破片に触るなよ。まだ罠の術は生きている」
 壁に空いた通路に入りながら美咲が言った。
 「ちょ、ちょっとこりゃ無茶苦茶だぜ。人間技越えてねぇか?」
 「私の今の状態は私一人で組み上げたものではない。私など及びもしない高位術者七人が共に練り上げてくれたものだ。つまり私は高位術者の集合体の様なものなのだよ、今の私はな。こんな経験は多分二度とあるまいよ」
 そう言いながら、歩を進める。するとすぐにまた石戸があった。不気味な文様のついたその戸にも、また術法がかかっている。しかし、今度の回避は簡単だった。表面を熱で中和してやればよい。美咲は右手をかざして炎の精霊を集めようかとも思ったが、術力を温存するに越したことはない。そこで短い輪切りにした小さな蝋燭を二つ、制服のポケットから出し、戸の前の地面に一つを置き、数歩下がるともう一方を戸の天辺に向かって投げた。そしてそれが戸に当たる寸前、パチンと指を鳴らした。二つの蝋燭はその音に反応して一本の2メートルはある蝋燭の端と端になった。と同時に火が付いたかと思うと、轟と一気に燃え上がった。呪は弾け飛んだ。
 啓介が力でその戸を開けるとそこは玄室だった。
 狭い空間に歪みがある。棺の真上に。
 「お前がここの主か?」
 闇の精霊を通し、美咲が語りかける。歪みがゆうらりと人の形をとってゆく。まだ幼い童女だ。しかし、その目は怨念に燃えていた。

 <倒せ   倒せ   倒せ>

 瞬時にその両手から闇の術法が練り上げられ、巨大な人型になる。一つ、二つ、三つ。三体の漆黒の巨人がこの狭い玄室に現れた。すでに空間の歪みは周囲全体に及んでいたのだ。
 続けて主は黒い放流を巻き起こした。それはこの現世に住まう精霊たちを怯ませる程の異質なもの。闇のものの波動だった。この主は美咲が樹氷と虹で封じた者とは訳が違う。けた外れの波動だった。あれは多分この者の「影」に過ぎなかったのだろう。この本体はその影を現界に投じていたのだ。
 本体の深さと暗さは底知れなかった。闇のものというだけではない。間違いない。王族だ。幼いとはいえ闇の姫君なのだ。しかも死霊と化している。美咲の集めている精霊の術力をもってしても適わぬかもしれないほどの存在感。手強い。怖ろしく手強い。
 「成る程。お前、現界のものではないな。良かろう、ならば容赦はせぬ。封印し、その世界に戻してやろう」
 美咲は闇の波動に力をそそぎ落とされながらも光りを放ち、周囲を明るく照らし出すと同時に術を練り始めた。襲いかかる巨人。抜刀して立ち向かう啓介。決戦が始まった。


第七章

 闇の波動は、闇とは言うが現界の闇とは根本的に存在が違う。負とも陰とも異なるものだ。それはエナジーそのものの奔流である。精霊の造る結界も弾き返し、その漆黒の刃が美咲を襲う。次ぎ次ぎと術を練り上げ、それを避けながら美咲は奔流の中心を探った。啓介は巨人の足元をかいくぐり、その脛を切り裂いた。別の巨人が振り下ろす拳を横に跳んで避け、飛び上がって腰のあたりを切り裂く。刀は深々と切り込んではいるが手応えが弱い。本質というか本体というか、巨人を形作っているものには届いていないのだ。二体を相手にしながら啓介は運動量でその巨体を翻弄しつつ斬りつけ続けた。急所はどこだ?
 巨人の一体が美咲に迫る。闇のものと闘っている美咲はそれに気づくと右手の先から光の剣を形作り、一気に頭部から両断した。瞬時に消滅する巨体。
 しかし、その術に気を集中した僅かな隙を突かれ、鞭の様に伸びた奔流に弾かれてしまった。光の剣も消滅した。そのバックファイアでさらに衝撃を受け、壁に激突する。
 「ぐっ!」
 なんとか大地の精霊への指示が間に合い、その石壁は泥になりはしたが、それでも気を失いそうなショックが美咲を襲う。
 「前!」
 啓介の声に意識を集中すると、奔流が鞭となって正面から迫っていた。身を起こそうとするが、泥に埋まった彼女の体は咄嗟に身動きできない。大地の精霊に力を及ぼして再び石に戻しながら、風の精霊に呼びかけて舞い上がろうとする。だが苦痛が邪魔して精神統一ができなかった。
 「たぁっ!」
 気合いと共に飛び込んできた啓介がその鞭の先端に斬りかかる。がしっという手応え。しかし、力では闇のものに到底かなわない。かろうじて鞭を受け流し、その進路を逸らす。鞭はすぐさまコースを戻すが、舞い上がった美咲の靴のすぐ下をなぎったにすぎなかった。啓介は戻り来る鞭を避けて身をかがめる。そこへ二体の巨人が背後から殴りかかった。咄嗟に刀でその拳の一つを受け止める。だが、二体目のフルスィングはその刀をへし折った。
 ぱーんという乾いた音と共に、刀に籠もっていた膨大な光の術が飛び散る。二体目の巨人はその直撃を受け、片腕を溶かされた。だがその影にあり、無傷だったもう一体の巨人が得物を失った男の自由を奪おうと覆い被さろうとした。その時、周囲に白煙を巻き散らし、清めの塩玉が続けざまに撃ち込まれた。天井に逆さに立った美咲は意識の大半で次の呪を練りながら、一部だけでマグチェンジを行い、次の弾倉全部をのけぞる巨人の体の各所に叩き込む。その中で、首の付け根の下に命中した塩玉が黒い煙を吐き出させた。
 「そこっ!」
 美咲の声に答え、折れた刀を力任せに投げる啓介。ずぶりという嫌な音と共にその煙の中心に突き刺さる。ぐらりと揺れたかと思うと四散する巨体。
 美咲が跳ぶそのすぐ後に漆黒の鞭がうなる。一度地面に降り、今度は水平に飛びながら美咲の左手の鈴が鳴る。音に答えてスカートの内側に隠してあった懐剣がその手に滑り込む。腕を振り、すぐにそれを投げる。ひゅんと音を立てて飛ぶその懐剣は啓介の足元に刺さった。
 「切れ! 啓介!」
 空中で投撃したためバランスを崩しながら美咲が叫ぶ。咄嗟に左手で剣を拾い上げた啓介は右手だけをバネに横転し、美咲を狙う鞭に斬りつけた。その短い刀身はまるで粘土でも斬るかのようにやすやすと闇に食い込んだ。その瞬間、啓介は顔を歪ませる。術力が吸い取られたのだ。刀身を深く食い込ませたまま、啓介は着地すると、無理矢理その鞭を切断した。
 ふっと意識が遠のく。そのホワイトアウトしかけた視界の隅で片腕の巨人の姿を認めた啓介は気力を振り絞って身構えた。なぐりかかる巨人の腕をかいくぐり、その首下を狙って跳ぶ。だが、その行動を見抜いた玄室の主が叫ぶと、巨人は身をよじって短い切っ先の届かぬ上方に首を持ち上げる。
 「とどけーっ!」
 左手を思いっきり突き出す啓介。その時、懐刀の刀身が輝き、刃が一気に伸びた。槍のようなその一撃は巨人の首に突き刺さった。そのまま真下に切り下げる。ばふっと黒い煙が舞い上がり、巨体が崩れ落ちた。
 啓介は立っているのすら辛いほどだった。力を吸われたのだ。やっと分かった。吸っているのはこの剣だ。術力を吸収してそれを刃に変えていたのだ。啓介の折れた愛刀は、すでにあった銘刀に術をかけてもらったものだ。しかし、この懐刀は術そのものを練り込みながら造られていたのである。いわゆる「霊器」だ。それが分かった啓介は必死で残った術力を振り絞った。精神を集中させるため、手に八卦板を持つ。全神経をとぎすまし、その上で回る独楽のような指示人形に注ぐ。
 玄室の主と戦いながらもその精神集中を悟った美咲は一気に勝負に出た。総ての精霊を表に現し、その力を刃にする。七つの剣がその名の通りに七本の刃の姿をとりつつほとばしる。今、美咲を中心に七つの剣が美しく花開いた。
 「な な つ た ま ざ ん ふ る べ!」
 力ある言葉と共に、その七つの剣は一斉に弾けた。闇のものの中心に向かって。精霊を失った美咲がどうと地面に落下する。しかし、意識を飛ばしている彼女にはその痛みは感じなかった。彼女の意識は七つの刃になって飛んでいたのだ。美咲流練術法唯一にして究極の直接攻撃技。奥義「七魂斬振」となって。
 音もなく七つの刃が闇の姫君の皮膚である最後の結界に食い込む。玄室の姫君は全力でそれを防いだ。叫び、手を振り、足を鳴らして、可能な限りの呪を同時に呼び覚まし、現界の存在そのものに立ち向かった。力は均衡し、精霊は姫君の実体のない肉に食い込んだところで抑えられた。進まず退かず。美咲たる精霊の刃と、闇のものの怨念との術力勝負だ。両者は全く動かない。
 その時、啓介の懐刀の刀身が一気に伸びた。数十メートルも。七つの剣の一つ、時の剣に向けて。啓介の術力が生んだ剣はその本質から時に吸い込まれていったのだ。がすっとその刃が時の剣に差し込まれたかと思うと、一つに溶けた。啓介は自分の手元から「時の剣」が伸びているのを感じた。
 「っりゃ!」
 啓介のその気合いが均衡を微妙にずらした。最初はほんの少し。しかし、すぐにそのズレは一気に膨れあがる。七つの剣総てがその刀身に繋がった時、啓介は一気に姫君の怨念を両断した。
 そして・・・。そして姫君はその力の総てを失った。そこにあるのは土と化した屍。そして力無い魂だった。七つの剣も去った。気力体力術力の総てを消失した由美と啓介を残して。力尽きながらも由美は這うように前に進む。すでに精霊を失った彼女はただ七つの剣が残した残照を頼りに進んだ。手にも、足にも力が入らない。それでも、老いた蛇のようにのろのろと地を這う由美。
 大丈夫。大丈夫だから。怖がらないで。今あなたの世界に帰してあげるから。そう念じながら。
 やっとその魂にたどり着く。震える腕を伸ばし、ミサキの鈴を鳴らす。その音に残ったわずかな意識を集中させようとするが、手が震えて思い通りに鳴らせない。右手を添えてみるが、逆に震えが増すだけだった。
 その時、がっしりとした手が美咲の左腕をつかんだ。啓介だ。気力を振り絞り、美咲の腕を固定している彼に身を委ね、自分は左手の中指に集中する由美。
 からころ、からころ。
 鈴が三度鳴った時、魂がふっと揺れた。さらに三度鳴った時、魂はゆっくりと音に合わせて揺れだした。さらに三を三回繰り返した時、魂は振り子の様に揺れながら、空間に溶けていった。

 総てが暗闇に包まれる。魂が三界に帰った今、ここは現界の者に拉致され、力を奪われて命を散らした哀れな姫君のむくろだけが眠る奥津城に戻ったのだ。数百年の時を経て。今やっと。


第八章

 地鎮祭の祭場上空。場の上で、美咲由美は崩れ落ちた。咄嗟に彼女の心を囲んで守ろうとする思念たち。しかし、怨念も同時に消えていた。困惑する術者たちは倒れた美咲を抱える者の出現にさらに驚愕した。

 由美は第一休憩室で目を覚ました。焚かれた香が彼女の気力をずいぶん回復していた。ゆっくりと瞼を開くと、周囲にはたくさんの術者がいた。中に見知った印象の一群があった。彼等だ。私を支えてくれた思念たち。美咲は再び瞼を閉じて、肉体に意識を集中した。指、手、腕、肩。足、脚に腰。首筋に痛みはあるが、どうやらすでに療術が施されていたようだ。大丈夫だ。美咲はそう判断し、身を起こした。
 いつのまにか襦袢に着替えていた。彼女は裾を揃えてソファーからゆっくりと身を床に降ろすと、そのまま正座し、彼女を見つめている先輩たちに頭を垂れた。
 「美咲が退魔師、由美にございます。若輩者故今後ともご指導を御願い申し上げます」
 伊蔵を含め錦隠岐家の者も、居並ぶ術者たちもそれに応えて頭を垂れてから部屋を出ていった。


 しばらく香を嗅いでいるうちに歩けるようになった美咲は二人の療術者に手伝ってもらい、服を着替えた。制服の泥は払われてはいたがもうぼろぼろだ。実際には彼女の肉体はずっと見届け人席にあったのだが、物質を構成する精霊は彼女の思念と共にあった。結果、思念体が受けたままの損害を物質体も被っていたのだ。療術者は用意してあった別の着替えを勧めてくれたが、由美は急ぎ購入されたらしい新品の下着とブラウスだけ借り、制服はそのまま着込んだ。体も綺麗に拭われていたが、髪の毛は濡れタオルで拭いただけなのでシャワーを浴びたかった。だが、それよりも先に確認しなければならないことがあったのだ。由美はノートパソコンを引っぱり出した。トップカバーが歪んでいたが、ちゃんと起動した。文字を検索し、情報を読み返す。記憶に間違いはなかった。
 廊下に出ると錦隠岐家の従者が別室に案内してくれた。そこには錦隠岐家の当主以下重鎮たちと啓介がいた。実体のまま場に躍り出た啓介はそのまま落下したのだが、術者たちのおかげで脚を捻挫しただけですんでいた。つくづく丈夫なやつだ。由美は思った。
 「お、もう立てるのか! 驚いたな」と啓介の方も由美の回復力に驚いているようだ。由美は言葉を返そうとして一瞬躊躇した。すでに術は解けている。錦のぞんざいな話し方である必要はない。なにしろ相手は年長者である。しかし、と由美は思った。今更この男に敬語を使うのもなんだな、と。
 「驚くのはこれからだろう? 話は聞いたのか?」
 「ああ、まぁ。よくわからんが。一体どうなってんだ? 俺は誰だときやがる。どこから来たって、呼んどいてそりゃないだろ」
 「啓介。お前は、前の様な事故がないために呼ばれたと言っていたな」
 錦隠岐家の者たちは美咲にこの場を任せたようだ。じっと会話に聞き入っている。
 「ああ。そう言われたが」
 「で、その前というのはいつだ?」
 「だからこの前に地霊御伺があった昭和2年の事故だよ」
 「昭和、か。啓介。これを見ろ」
 そう言い美咲は500円玉を投げた。受け取る啓介はその硬貨を見た。と、突然口をあんぐりと開ける。
 「それはヘイセイと読む。昭和はもうとっくに終わったよ。今は平成なんだ。祐仁天皇は死んで昭和は終わった。で、それに次ぐ元号が平成だよ。明治、大正、昭和、平成、だ」
 由美が天皇に敬語を付けなかったことで、居並ぶ重鎮の数名が抗議の目を向けたが、帝に忠誠を誓っているわけではない美咲家の退魔師、由美は動じなかった。啓介の前にパソコンを開き、スリープを解除する。
 「ここに記録がある。この項目だ。前回の儀式の際の死者、並びに行方不明者のリストだよ。
 お前の参加した儀式はもう20年以上も前だ。その時事故が再び起こってな、錦悠哉と筧啓介は行方不明者リストに載っている。分かるか啓介。あの空間が再び開くまでこっちでは20年以上経っているんだ。お前は時見の術者だ。そうだろ? だから時の精霊を通じてお前と私の時間が重なったのだよ。そしてお前は時を越え、今ここにいるんだ」
 美咲が指さすパソコンの画面に出ている自分と相棒の名を見て啓介は目を疑った。
 「うそ・・・だろ?」
 「おまえを騙して何の得があるというのだ、私に」
 「まぁそれは確かに・・・。でもあんまりじゃないか?」
 「事実は事実だ。認識しろ」
 美咲はそう言い放った。
 「知ってたのか?」
 「お前が参加した儀式の事次第は目を通していたからな。名前を聞いて分かった」
 「で、何も教えてくれなかったのか?」
 「どうせ信じないくせに」
 由美の冷たい言い方に啓介はとまどいを越え、怒りを覚えた。
 「最初はそうかもしれねぇが、後で教えてくれる機会はあったろうが! お前だけ分かってて、俺には内緒か?」
 「当然だ。それが当たり前だろう?」
 「何でだよ!」
 「言わなかったか? 女は謎めいた方がいいんだ。ミステリアスでな」
 きっぱりと真顔でそう美咲に言いきられ、啓介はあきれて二の句が継げなかった。しばらくして、掌の500円玉とノートパソコンを興味深げにながめ、居並ぶ者たちを見た後で、ぽつりとつぶやいた。
 「成る程な。じゃ、俺は本当に20年も未来に来ちまったのか。
 親父、心配したかな? それより、まだ生きてるのかな?」
 「昨年亡くなりました。今は叔父上が岩槻を支えておいでです」
 独り言に答えたのは啓介の脇に立っていた中年の術者だった。きょとんとしてその男を見る啓介。
 「? どなたです? 岩槻の筧ゆかりの方で?」
 「兄上、私です。末弟の彦介です。ご無事で、よくぞご無事で・・・」
 男は啓介の前に跪き、涙にくれた目を向けた。
 「お、おい・・・。そんな・・・」
 年上の弟に、啓介は言葉も無かった。

 錦隠岐家は美咲の屋敷まで送ると申し出たが、由美は丁重にそれを断った。彼女はハーフコートにその汚れた制服を隠し、新宿の街に出た。この街を自分の足で歩きたかったのだ。休日の夜、ビル街は静まっていたが、やはり部分的に喧噪が残っていた。その中を由美は歩いた。地下通路を通らずに、その上に伸びている地上の道を。高層ビルの根本を縫うように。生きている都会の息吹を感じながら彼女は歩を進めた。
 高層ビル街を抜ける時、前方の十字路の角に留まるリムジンが見えた。ふと気づくと、地下通を越えた反対側の路上にも同じ形に見える黒塗りのリムジンがあった。多分斜め後方にもあるのだろう。ずっと右側にも。気づいたが、今の由美にはこの結界を破る気力は残っていなかった。なにしろ足を踏み込んだ時に気づかなかった程である。仕方なく歩みを乱さずそのまま進む。体力ももうほとんどない由美には闘う力がない。しかし、無論むざむざやられる気はない。ガスガンはさっき1弾倉残っているのを確認した。術符もある。しかし、もしも意識を失っている間に何か細工をされていたら。美咲にはそれを確認する気力すらなかった。
 美咲は錦隠岐家が自分を襲ってくる理由を考えたが、どうも霧がかかっているようでうまく思考が動かない。御神酒の後遺症だ。もちろん術者も多く参加していたし、あれだけ大っぴらに支援者を招いたのだ、今回の祭事は秘密にしようがなかったので他家の手の者という可能性もある。美咲よりも錦隠岐家を恨む者かもしれぬ。いや、ひょっとしたらさっき天皇に敬語を付けなかったからか? 美咲家は見前の一族と呼ばれていた時代から、理を正すという依頼さえあれば相手が帝であれ将軍家であれ、大商人であれ、それをこなしてきた。綿々と天皇家に仕えてきた錦の一族とは違うのが分からないのだろうか?
 考えがまとまらぬまま、前方のリムジンが目の前に来てしまった。すると黒ずくめの運転手が車道側に降りてきて回り込み、歩道側、つまり由美の方にあるドアを開け、すぐにボンネットの脇に控えた。その開いたドアの隣をすりぬける時、車内から声がかけられた。
 「美咲の方とお見受けするが」
 それは若い男の声のようだった。車内は暗く、スーツ姿らしい下半身が歩道の街灯に照らされて見えるだけだ。
 「違うと言ったらどうする気だ?」
 美咲は立ち止まり、ぼそりと答えた。
 「それは考えなかったな。嘘と分かることをわざわざ答えるとは思えない」
 「認識しているのなら別に確認の必要はあるまい」と美咲。
 「こういう時にはああ言うのが常套句だろう? 電話で、もしもしと言うようなものだよ」
 「顔も見せず、結界の中で一方的に質問するような者と世間話をする義務はないな」
 「義務、か。確かにそうだな。ではこうしよう。質問に答えて欲しい。これはお願いだ」
 由美は苦笑した。
 「ずいぶん身勝手なお願いだな」
 「質問は簡単だ。裁きの時は近いのかね?」
 その言葉に、今まで眠っていた由美の思考が一気に動き出した。これまでに読んだ過去の記録、他家の立場と目的について知る限りの情報を思いだし、それを当てはめる。世の理が大いに乱れる日。ユミたちが一番恐れ、なおかつそれに抗おうとしている日。来るべきその日を「裁きの時」と呼ぶ一群。それについての対応方法で美咲家と異なる方法を採ろうとしている一派の存在。そしてその中でなお錦隠岐家ともつき合いの古い一族。さらに言霊を一切伝えずに音だけで話すことのできるだけの術力を持つ若い男。大体、この人物の素性が推察できた。その間、二秒。
 「美咲の者と知っていて未来の事を聞くのか? 見前のサキは前、つまり過去の事だぞ。<見先>ではない。由見の技は過去の縁を見るものだ。未来の事はお前の叔父に聞けばよかろう」
 その言葉は男の興味を誘ったようだ。
 「ほほぅ。なるほどな。ではそうするとしようか。
 ではもう一つだけ聞きたい。
 その時、お前はどちらに立つのだ? あくまで理を守るのか、あるいは人を守るべく理を自ら乱すのか」
 その問いを予期していた由見は冷たく言った。
 「愚かな。美咲にとって理とは神。美咲の者でなくとも、すべからく神とは人たる身のものが認識できるようにした理の一面なのだからな。お前の望みが何かは知らぬが、美咲の望みは理に従うことだ。すなわち現界を守ること。人もその中にある。故にお前の先ほどの質問は美咲にとって全く意味を成さぬ」
 男はしばし沈黙した。
 「問い方が悪かったようだな。質問を言い換えよう。
 人が、いや人類が自ら理を乱す存在となり、それが故に裁きの時が来るとしよう。人類総てとは言わぬが、その文明を破壊せねば理を守れない。そうなったら、お前はどちらに付く? 文明を一度破壊し、大量の人間を抹殺することで人としての種を守るのか。あるいは世界をねじ曲げてでも人命を守り、新たなる理を築くのか」
 「すなわち、新たなる時代のために現代を破壊するのか、それとも世界を破壊してでも現代を守るのか、か?
 無限か永遠かということか?」
 「そうとも言えるな。成長、発展、破滅、そして再び成長。これが無限。発展が行き着き、悠久の時を同じ姿で過ごすのが永遠、だとしたらな。
 で、どちらに付く?」
 「どちらにもつかん」
 由見は軽くそう言った。
 「日和見を決めるのか? くっくっく。お前ほどの術者がそれはあるまい」
 「お前の質問は先ほど同様、意味を持たぬ。お前は理に真理を求めているようだ。コンピューターのように0or1、無か有かという様にな。しかし、美咲の者にとってはそうではない。なぜなら理とは変化そのものだからだ。理とは調和。ながれ。変化あらずしてうねりにはならぬ。総ては変わり、流れ、うねる。その総てが調和、つまり理だ。
 無限と永遠。この二つがうねりあってこその理である。故にお前の問いに対する答えはこうだ。
 無限と永遠。美咲はどちらにもつかぬ。
 どちらにも手を貸そう。そしてどちらとも闘おう。必要ならばな。二者の、そして現界にある総てのものの発する不協和音、それがすなわち真の調和。それが美咲にとっての理だ」
 「なるほどな。赤と青を混ぜて紫にするのがお前たちか。赤が強いなら青に付き、青が強ければ赤に付くのか?」
 「白と黒の方が近いな。澄ませば白になる。濁り起こせば黒になる。美咲はその二つがからみあう灰こそに従う」
 「そう簡単に行くかな?」
 「行かぬであろうな。完全な灰色などない。一瞬そうなったとしても、あるものはより白きを望み、またあるものはさらに黒きを望む。現界という円盤が傾き過ぎ、崩れぬ様にするのが手一杯であろう。しかし、それで良いのだ。その不安定の中にこそ、うねりがあるのだからな」
 「成る程。良く分かった。疲れているところをすまなかったな。また会おう、調和を尊ぶ者よ」
 運転手がすっと近寄るとドアを閉め、美咲に一礼するとまた車道側に回って車内に消えた。そのままするっと動き出すリムジン。すぐに角を曲がり、消えた。美咲は何事もなかったかのように再び歩き出す。
 疲れた。本当に疲れた。もしかしたら電車の中で寝てしまうかもしれない。ふとそんなことも考えながら、由美は新宿西口改札に向けて歩いていた。

 こうして由美のデビュー戦は幕を閉じた。

 一週間後。御主に呼び出された由美は錦隠岐家からの謝意の書状を手渡された。その後で明日から新しい術法の修行に入ることを告げられた。
 「以前からお願いしてあったのですが、京の筧家の傍系、岩槻の筧家から時見の術者にしばらく逗留してもらいます。傍系ですが、その時の術力は一級です」
 そう言われ、由美は頭を抱えたくなった。一級の時見の腕でありながら他家にしばらく逗留できるほど暇な者。すなわち何の任にも就いていない者。思いたくないことだったが、奴以外いそうもない。あいつを「師」と呼ぶのか? 孫の途方にくれる顔を見てもユミは顔色一つ変えなかった。総てを理解しているという表情だ。多分筧の叔母を動かしたのだろう。その結果は総てお見通しという顔だ。
 いや、もしかすると本当に大事な部分には気づいていないのかもしれない。もしかすると・・・。
 「御主様、質問があります」
 「なんです?」
 「もし、もしもですよ。この屋敷で美由美さんが二人に増えたのなら、屋敷の静けさはどうやって守れば良いのでしょうか?」
 美咲家当主ユミの扇子が、ぽとりと落ちた。





 

時の奥津城 ENDE


<超かいき★くえすと>くえすたぁず