<超かいき★くえすと>くえすたぁず


時の奥津城・前編

von:秋澤 弘

第一章

 電車が新宿駅に着いた。いつ来てもこの街は人人ひと。どこを見ても人の群。自分もその人ごみの一つなのだと認識せざるをえない所だ。歩く者、座り込む者、立ち去る者、流される者、話しかける者、カメラを肩にたたずむ者。そしてゆらりとうごめくもの。
 美咲由美は地下道へと歩きながら思っていた。見る力のない自分にすら感じられるほどの歪みたち。彼らの干渉を受けながら、かつ彼らに干渉しながら生活すること。それは人にとってよいことなのだろうか、と。
 「んじゃ、あたし等は東口行くから。ホルスター見てから西口行って、中古ソフト見てくるよん」
 「ええ。それじゃDVD−RAM2枚、お願いね」
 「おっけぇ! おっしゃ、行くよ!」
 ここまで一緒だった美由美とシュンたちが手を振りながら右に折れて行く。由美も軽く手を振り、後輩たちと別れ、一人左に折れていった。
 地下通路を進みながら腕時計を見る。約束の時間に丁度よい。ここから待ち合わせの場所までは五分程。丁度定刻五分前に着くだろう。
 長身の由美は地味なハーフコートに小さ目のショルダーバック、そして書類鞄を抱えて、いつもながらすたすたと歩いて行く。人込みの中でもほとんどまっすぐに進む。周囲のささいな動きを察しながら進む由美ならではの歩き方だった。学校指定のハーフコートは校章をモチーフにした七宝焼きの飾りがあるだけで、地味で目立たない。しかし、そのなめらかな長髪といい、目鼻立ちの整った顔といい、モデル並の長身といい、由美は目立つ存在のはずだった。しかし、彼女はまるで人目につかないベールの様な物を纏っているかのように誰の注目も浴びてはいない。
 階段を上がって地上に出る。とはいえ、そこは外ではなく、オフィスビルの一階だ。軽食中心のレストランとブティックの並ぶテナントブロックを通り過ぎ、20階以上専用のエレベーターホールに入る。丁度ラピッドの扉が開いた。並んでいたビジネスマン風の男たちにまざってその中に身をすべりこませた。
 十五人乗りのエレベーターの中には八人の姿がある。祝日だというのに、みなスーツにネクタイ姿だ。その中でたった一人、ハーフコートを着込んだ女性の姿は浮き立つはずだが、周囲にすんなり溶け込んでいた。たとえその姿を気にする者がいたとしても、すぐに気に留めず他の事を考え出す。彼女の姿はそうして彼らの記憶からも消えていた。

 地上遙かに舞い上がった個室が停止する。目的のフロアに着いた由美は数人のビジネスマンと共にそこを離れ、教えられていたとおりすたすたと目的のドアに向かった。途中何重もの結界の存在を感じたが、書類鞄の中にある依頼の書状が鍵となって美咲をすんなり通していた。
 20台後半とおぼしき受付嬢が彼女の名前を確認し、通路を示した。廊下をまっすぐに進むとそこに待っていた男が挨拶をする。
 「美咲家の方ですね。お待ちしておりました。会長がお待ちしております。どうぞこちらへ」
 一礼すると目の前に広げられたドアの中へと進む。一瞬強大な結界の壁を感じたがそれもすぐに退いた。
 そこは会長室というにはあまりに異様な場所だった。窓から外の街並みが見下ろせなければ、どこかの座敷にしか思えない造りであった。靴を脱ぎ、畳に上がる。ハーフコートを側に控えた侍女に預けるとバッグと書類鞄を脇に置き、勧められた鶴の絵が描かれた座布団のすぐ前に正座し、頭を下げる由美。古いちゃぶ台の前には由美の祖母と同年代とおぼしき男性が座っていた。彼は神棚と掛け軸を背にしている。
 「お初にお目もじいたします。美咲が退魔師、由美にございます。お呼びにより参上いたしました」
 目前の男性は無言のまま会釈する。由美が座布団に座ると彼、錦隠岐伊蔵がゆっくりと口を開いた。
 「ようおこしやす」


 錦隠岐(にしきおき)家は京の都を鎮護する家系に端を発する名家である。明治期に時の都、東京に活動の場を移し、鎮護国家を司るものの中に今でも属していた。古の昔は美咲家の本家筋、御崎一党のライバルであり、互いにその存在を否定し合ってきたが、その御崎一党も歴史のうねりに消えていった今、両家に敵対的な感情は失せていた。江戸時代には当主同士が共に肩を並べて闇のものと闘った記録すらある程だ。
 美咲の一族は過去からの「由」を見て理(ことわり)を正す。錦隠岐家は来るべき世界の姿を読んで理を明らかにする。行程は違えど、共に理に仕える同士だった。特に近代に入り、術者の存在が希少になってから両家の協力関係は自然に深まっていった。
 美咲家に術者派遣の依頼が来たのは先月の事だ。新宿西口高層ビル街に程近い空間。地下30メートル程の場所で「歪み」が出現する。その予兆を読んだ錦隠岐家が中心となり、かの地の地霊の霊力を高め、土地自身に抵抗力を与える計画が進行していた。美咲風に言えば地脈を活性化させることで、歪みの影響を減らすということだ。しかし、西新宿の「地層」は混沌の極みに達している。術法の正否にはあまりに複数の事例がからみあい過ぎていた。そこで儀式を円滑に行うために、可能な限りの協力者による支援を要請していたのであった。
 美咲家当主、ユミに宛てられた書状では、突発事態に備え、一時的にせよ地霊を治められる能力の術者を派遣してほしいと記してあった。儀式そのもには参加せず、登録上は見届け人としながらも、いざという時には斎場の「場」そのものを抑えるだけの術力の者が望ましいとまで。ユミはその書状にひっかかるものを感じた。これまでにも錦隠岐家からは何度も依頼があったし、逆に当家から、かの家系に依頼の書状を出したこともある。しかし、この書状はもっとストレートな内容だ。端的に意訳すると、「まずいことが起きたら頼む」と言っているのも同然。美咲家に依頼していながら由見の力よりも術力を要求している。しかも、正規の依頼状に加え、当主から当主へ、個人宛のお願いの誼まで同封してある。錦隠岐伊蔵が書面には書けぬ何かを伝えたいのは間違いなかった。
 ユミはすぐさま知恵者たちに事態を伝え、事の背後を調べさせた。まだ長老会に進言する状況ではなかったからだ。長老はみな美咲家に全忠誠心を傾けている。美咲の歴史そのものなのだ。一方知恵者は当主、美咲風に言うと御主(みす)に忠誠を誓っている。当主が変わっても長老はそのままだが、知恵者は当主交代に伴って共に引退するのが慣わしだった。国に仕える国会と、総理に仕える内閣のようなものです。ユミ自身、かつて真由美にそう教えたことがある。
 知恵者たちはさまざまなつてを伝い、あるいは自身が赴いてその由見の力を使い、儀式について、参加する術者について、そして起こるべき歪みについて、さらにはその土地の歴史について調査した。その結果、そこはかねてから一つの<場>であり江戸時代から何度も地鎮祭が行われていた。そして前回、20年前に執り行われた同様の儀式で事故があったことが判明した。地霊を高めるべく術を練っていた時、突如精霊が暴走し、死者や行方不明者が4人出ていたのだ。しかもその原因は不明のままである。術そのものはかろうじて成功した。しかし、成功とはいっても20年間、歪みを封じたに過ぎなかったのである。
 ここに至り、ユミは長老会に議題を持ちかけた。術者の派遣をすべきか否かである。
 慎重を第一義とする長老会は知恵者たちの調査をさらに進めることをまず決定した。数日後、集まった報告は知恵者が集めたものと大して変化はなかった。集められる情報は既に集めてあったということだ。夜を徹する審議の末、派遣は行うが、万一に備え、御主は行かぬ事に決まった。
 誰を派遣するか。その人選は御主の仕事である。先の分からぬ事態であるので、最も由見の力が強い真由美が最適な人選ではあった。しかし、長老会は次期当主の派遣を渋るであろう。それになにより場所が悪すぎる。あんなに歪みの激しい都会では、真由美が何を見るか分かったものではなかった。いらぬものを見て、藪をつついて蛇を出すのはありえぬことではない。真由美の能力はユミにすら計り知れぬ域なのだから。それを恐れ、中学の修学旅行すら参加させることはできなかった。近隣ならば知恵者クラスが同行することで対応できる。しかし、新宿となると、すでに美咲の波動の及ぶところではないのだ。せめて分家であった、東美咲家が今でもあればよかったのだが。東京大空襲で滅んですでに半世紀が過ぎている今、力の制御を知らぬ真由美を東京に出すことは当主として、そして母として出来ることではなかった。
 「術力ではあなたが当家一。しかし、既に暗い色に塗られた事のある儀式。命令はしないし、頼みもしません。あなたが断れば術者を三名派遣することにしています。一晩考えてみてください」
 ユミは淡々と事の次第を語り、御主としてではなく、祖母として由美にその結論を委ねた。由美は渡された調書を丹念に読んだ。
 「御主様、見る力は不要なのですね」
 「それは確認済みです。美咲家のみに依頼が来たのではありません。頼める限りの術者の家系に依頼を送ったようです。<見前>の者を特に呼んだのではありません。可能な限りの高位術者を集め、手を尽くして20年前の再来を防ぐのが錦隠岐家の希望です」
 「それなら参りましょう。私には見ることはできません。しかし地脈を読み、その力を受け流すのであれば私の派遣が最良の選択肢でしょう。
 それに・・・。それに私が本当にお役に立てた暁にはきっと自分を誇りに思えるでしょうから」
 そういう孫娘を見ながら、誇りに思ってほしいのは母、和嘉子たちであろうと感じた。その気持ちを汲み取ったユミは頷いて孫娘の派遣を先方に通知した。

 錦隠岐の当主、伊蔵はその返事を受け、当家秘蔵の術者に関する人材調書から由美のファイルを取り寄せた。しかし、そこにその名がなかったため、急遽「美咲由美」なる人物を調査させることになった。早急に出来上がった調書を読みながら、伊蔵はしばし考え込んでいた。当主ユミの孫娘であるが、見鬼の力が欠如していること。そのために美咲家では疎んじられ、幸薄い幼少を過ごしたこと。しかし、当主自らが師となって導いたその術力は、美咲家の歴史でも突出した域であること。「由見」ではないため他家からの依頼に出た事はないが、すでに退魔師として闇のものすら封じている豊富な実戦経験があること。精霊呪法、特に合成術法の卓越した使い手であり、驚くべき事に単独で雷精や雪精の召還すらやってのけること。伊蔵は特にその調書の最後に記載された一行にじっと目を留めていた。
 当年18歳。
 若い。調書のみ見れば相当の手練れだ。その戦歴は錦織家に知られただけでも相当な修羅場をこなしていた。美咲家内部しか知らぬ事例を含めれば現在、国内で最高位ランクの術者であろう。彼女が知られてなかったのは美咲でありながら見前でないからだ。かの一族でははみ出し子なのだから対外的な事例に出なかっただけである。もしも美咲家ではなく、男子として錦家に生まれていたのであれば間違いなく上主の地位に就いて白袴を纏うだけの実力である。なのに若い。
 伊蔵は考えた。若さ。そう、この若さが足りなかったのかもしれない。20年前、あの儀式の場には中堅以上の者しかいなかった。前回術を練った者の平均年齢は35は超えていたはず。直接参加しない他家からの見届け人でも一番若くて27歳。その前の記録でも中堅以上の者のみのはずだ。予想もつかぬ事態が起きた時、経験こそがものを言う。彼も美咲ユミと同じ考えであった。しかし、それでも誰もかつて経験したことのない事態では、若さがそれを克服する鍵になるやもしれぬ。この若い術者の派遣にユミの意を感じた錦隠岐伊蔵は、誠意をもって自ら美咲家からの見届け人を迎え入れたのだった。


第二章

 当主と会見した後、由美は車で現場に案内された。ビルの工事現場を装ったその斎場は地下深く、無数の結界に守られてひっそりとたたずんでいた。見届け人という立場の由美はVIPルームとでも言うべき第一休憩室で時を待った。そこには既に二十人程のお仲間がいた。本家と分家本流で共に男児出生の記録のない美咲家では当然退魔師はほとんど女性である。特に術者は女性のみだ。一方錦隠岐家の術者は例外なく男性。錦隠岐に限らず、術者は男性が多い。今ここにいるものも女性は由美の他に二人しかいなかった。みな一言も語らず、沈黙を守っている。由美が室内に入ってもちらりと一瞥しただけで、またそれぞれの瞑想に戻って行った。
 由美も彼らに習い、空いていたふかふかの椅子に腰を降ろすと、鞄を抱えて周囲を見ながらも沈黙を守った。皆それぞれに礼服にあたるらしい服装を着こなしている。錦隠岐家縁の者らしい白袴や、ちはや姿の者が多かったが、中には薄黄色や紫の僧服に山伏姿、それにキリスト教の司祭らしい碧眼の者まで混じっていた。その隣にいるのはアラブ系だろう。さらにその奥にいるのはロシア聖教だろうか? 国外の宗教人にあまり接触したことのない彼女にはよく分からなかった。しかし、ここ東京が世界のTOKYOであることは実感できた。
 出身がどこであれ、この地に住む以上、皆東京人なのだ。その土地を守ろうとする意志に人種はない。そう由美は悟った。

 やがて迎えの者が現れ、彼らは一群となってエレベーターに乗り込み、さらに地下へと降りていった。大きな体育館並のそのスペースには一面に真新しい檜の臭いが、香に混じって広がっていた。木張りの床にはもうすでに百人近い術者が三重の円を成し、静かに座っていた。祭壇の向かい側の二階席部分に見届け人の席がしつらえてある。畳を一畳づつ並べた細長いその席に、矍鑠たる老人が一人づつ見届け人の名を読み上げて案内してゆく。
 眼下では術者たちがじっとその様子を見守っていた。見届け人の中には20代はおろか30代の者すらいない。その中で、由美は目立つ事この上ない存在だ。彼女の存在感を薄れさせる揺らし気の呪法は居並ぶ術者たちには効果がなかったので、由美は自分が注視されていることを痛い程感じていた。見届け人はさすがに各流派の実力者揃いで経験豊富な老練たちだった。彼らが由美に注意を向けていたとしても、それは見事に自然な行為にまぎれていた。だが、今円陣を成す術者たちは他家の者を見るのも稀だった。そんな彼らにとって、制服姿の女学生は無視するのが無理といえよう。ましてや彼らは錦隠岐家が特に選んだ実力ある術者揃いである。その目にはこの長身の女学生が明らかに自分たちの師匠並の術力を秘めているのが見て取れたのだから、注目するのはやむを得ない。
 美咲家には礼服に当たる服装はない。そのため、依頼には私服か戦闘服で向かう事になっていたのだが、呪(まじな)い着と呼ばれているその服装を由美はどうしても好きになれなかった。美咲家の術者は総て女性である。当然その服も女性用の和服だ。短い白襦袢に黒に見まごうばかりの濃い紫で、これまたとても裾の短い狩り衣である。その上に各家位によって定められた色、由美の場合本家を示す漆黒の帯とたすきに鉢巻き、そして白足袋がその服装なのだが、ノーブラはまだ我慢しても、ノーパンはどうも違和感が残った。和服用のパンツもあるが、穴あきまでしてある違和感がどうも気になる。あまりに裾が短いのもその不安を煽った。それに何より由美にとって致命的なのはポケットがないことだ。札程度なら懐に入れられるが、鏡や香、蝋燭などの小物はリュックのような雑嚢に入れて背負うことになる。それでは由美の様に器物移しを得意とする術者は咄嗟に対応できないのだ。そのため戦士が着る忍者の様な斬り込み着と呼ばれる服を着ようとしたが、本来戦士は下位の家のため美咲本家用は当然なかった。結果、由美は中学・高校を通し、その制服で退魔業を行なってきたのである。着慣れていたし、この方が精神的に緊張できた。専用に別途購入し、裏地や袖に多数のポケットを縫い付け、中には呪符まで仕込んだ特製品であるが、外見上は制服姿の女生徒にしか見えないのは仕方がなかった。
 「美咲家より、美咲本家御当主様が直系にして退魔師、美咲由美様」
 その名が読み上げられ、由美への注目は一気に高まった。その視線の中、由美は自分を恥じた。彼らの眼差しには由見の技に対する敬意がはっきりと感じられたからだ。
 ごめんなさい。私は由見ではないのです。それでも私は美咲の名に賭けて精一杯のお手伝いをいたします。
 そう心でつぶやいてから皆を真似て祭壇に一礼すると、自分にあてがわれた場所に立った。由美は最後の方だったので、さして待たずに全員が所定の場所に収まり、錦隠岐家の祭主による来訪者への謝意が述べられた。皆に習ってこれまた一礼する。その後、見届け人たちはある者は座り込み、ある者は聖書らしき書物を抱え、またある者は矢のない弓を構えた。こういった公の場に出たことのない由美ではあったが、とにかく周囲の行動を察知する事には長けていたので、これまた皆に習っておくことにした。そこでまずショルダーバックをいつものように斜めに袈裟懸けに掛けてから、既に伊蔵に手渡した祖母からの親書などを入れて来た書類鞄を足元に置いた。これは儀式には必要ないからだ。次いでブラウスの第二ボタンを外し、左手を胸元に差し込んで首から下げている組紐を指にからめてミサキの鈴を出した。胸元を正し、足を肩幅に広げて詠唱の姿勢に入ると左腕を前に伸ばし、掌を返して中指に差した組み紐から鈴をそっと降ろした。から・・・という静かな音。すぐに由美の精神が一気に広まり、この広い斎場全体に伸びる。既に多数の意志がこの空間に満ちているのを感じた。自分もその中に身を置きながら、由美は儀式の進行を見守った。
 由美の意識は既に肉体を離れている。正確には肉体から四方八方に伸びている。まるで魚眼レンズで見たような広い光景の隅々にその感覚を伸ばしている彼女には、祭司の呪文や集った術者たちの光景など、肉眼で見たものと感じたものがだぶって見えている。真由美の様にそれらがはっきりと見えているわけではないが、術力がみなぎり、呪の練り上げに伴う力のうねりは流れとして感じていた。
 彼女の意識が拡散している中で、儀式は進んで行く。既に時の間隔を失っている由美にはただ大きな力のうねりが見えているに過ぎない。しかし、それに意識を集中することなく、由美は周囲全体に感覚を拡散し続けていた。ともすれば自分自身がそのうねりに巻き込まれそうな強大な流れの中、時折鳴らすミサキの鈴の音が由美の心を平常心に保っていた。
 儀式は徐々に終盤に差し掛かっているようだ。うねりがはっきりとその形を取り始めていた。大地の精霊たち、錦隠岐流に言えば地霊の念が練り上げられ、組み上げられて一つにまとまろうとしていた。
 その時、不意に誰かの思念が警告を発した。

 <来る・誰か>

 由美は、いやその周囲に広がる意識の持ち主たちは皆その思念に反応して外周を確認した。だが、その出現は外からではなく、なんと結界に守られているはずの中心に突如として現れた。
 恐怖に震える悲鳴が辺りの気配をかき乱す。どす黒い敵愾心そのものと言える何かが、地霊に襲いかかったのだ。それは由美には女の長い髪に見えた。辺りに舞う意識がその感覚を解放し、今見たモノの姿をトレースする。由美も周囲にならい、自分が見た姿を意識した。黒い何かの上に。
 複数の意識がそこに集中し、それぞれが断片的に感じた姿をそこに合わせる。目、牙、髪、角、青ざめた皮膚。皆の思念がその姿を、まるで術を練るように組み上げて行く。意志の中のどれか一つが、正確には誰か一人がそれをまとめているのだ。美咲の技にはない、この人の意識の練法に由美が唖然として見守る中、敵対者がはっきりと姿を現した。
 それは般若の面を着けた若い女の顔だった。長い髪を振り乱した女。その目は血走り、般若の顔と一体化しているようだ。周囲の誰かがその声を捉えた。聞く者がいたのか。そう由美が思ったとき、彼女の心にもその聞き取られた声が伝わった。

 <倒せ   倒せ   倒せ>

 その途端、周囲がぼけ、由美は、いや由美たちの視点は地上を越え遙か上空に舞い上がっていた。足下にどす黒い思念が地霊にまとわりつくのが見える。その姿が一つに溶け込んだかと思うと、地脈を一気に膨らませて周囲に飛び散る。
 中央公園が瞬時に陥没し、そこから駅までの地下街に沿って無数の亀裂が発生する。西口ロータリー付近が土煙に覆われ、周囲のビルが呆気なく崩れ落ちる。その波がそのまま広がり、繁華街を飲み込んだ時、由美は美由美の悲鳴を聞いた。びくんと思念が揺れる。その間にも地脈の歪みは八方に広がり続け、かろうじて揺れに耐えていた都庁が崩れたかと思うと、高層ビル群が弾け飛んだ。またびくんと思念が揺れる。あそこに誰かの親しい者がいたのであろう。そう由美は悟った。
 亀裂が集まり、そのまま大久保方面へ伸びた時、始まり同様、突然にそれは終わった。土煙に覆われた街。いや、廃墟。

 ふっとビジョンが途切れ、由美たちの思念は地下の現実へ戻った。敵対者の言葉に込められた言霊に引き込まれていたのだ。今見えたものが錦隠岐家の予知したものか。それは由美の意識をかき消すほどに巨大なものだった。かろうじて気絶せずにいられたのは周囲の思念が刺激して支えてくれたのと、かすかに聞こえた美由美の悲鳴だった。あれを現実にしてはならない。全員がそう誓った。

 <倒せ   倒せ   倒せ>

 禍々しい念の言葉が、今はっきりと分かった。ビルを総て倒そうというのだ。
 視界には怨念の波にうち倒された無数の錦隠岐家の術者が映っていた。まだ祭壇にいた祭司たち数名は必死で地霊を御そうとしていたが、もはや暴走は時間の問題だった。この地霊は既にその怨念を受け入れ始めていたのだから。

 <風・集まる・今・風・ここ>

 誰かの思念が術法を始めたらしい。意識が触れているところから言葉ではなくその心が流れてくる。風の精霊を集めて土の精霊に対抗しようというのか。四精霊術の使い手か? その時、別の思念が詠唱を始めた。

 <土・根付く・伸びる・伸びる・伸びる・芽生える・木!>

 錦家縁の五業の使い手であろうか。金ではなく木によって土を制するつもりらしい。

 <光・満ちる・願い・消去・闇・神よ!>

 <炎・灼熱・炎・闇・土・解かす・炎>

 <力・集まる・我・力・急々>

 一気に思念がそれぞれの術法に集中する。力強い詠唱が辺りの空間に満ちて行く。しかし、由美はその状況に危機感を抱いた。今まで集まっていた意識が乱れ、ちりぢりになって行く。既に幾つかの思念が彼らを離れ、単独で土の精霊を抑えようとしていた。しかし、それはどう見ても不可能なことだ。地霊はすでに膨大な気を集めているのだから。真っ向から立ち向かって適う相手ではない。由美はそう悟った。その思念を読んだか、誰かの心が触れてきた。

 <この他・有りや・手段・より良い・手段>

 探してみます。そう答える。複数の心が同意を示した。
 由美は意識的に思念を拡散させた。全体が見たかった。何か見落としていないかと。今でも由美と触れあっていた思念は彼女の意に添い、周囲から順に注視しつつ、全体に視野を広げた。まるで複数のカメラがばらばらに捉えた画像を集めて一つの映像を成すように、すっと全体像が見てとれた。念はすでに土霊と一体化している。その中心に周囲から向かう流れはないか? 念が伸びた先に源がないか? 念はどの場を足がかりにしているか。地霊はどの方向に伸びようとしているのか。
 二年間、殿下の脇で彼の決断の方法を見てきた由美は、今、彼の思考法を真似していた。仲間たちによってあらゆる情報を集め、それを一つ一つ合わせて行く。欠けた場所があればまたそれを探し、重なり過ぎた場所があればそれらをまとめた認識の言葉に置き換える。こうしてあるべき場所に総ての情報を置いて行くのだ。これが殿下のやり方だった。ずっと一人で退魔業をしてきた由美には彼の手腕は学ぶものが多かった。
 総てが治まる部分に治まると、由美に一つのアイディアが生まれた。さっき、誰かがしたように、周囲にある人の思念を練り上げながら、一つの形を形成した。荒ぶる地霊の波のすぐ上に、静かな思念による場が完成した。斎場の天井が非常に高かった事も幸いし、基本的に下に降りようとする地霊の薄い天井付近にその場をゆっくりと持ち上げる由美。その頭上には自然の地面はない。周囲はコンクリと鋼が覆い、地脈との直接的接続を可能にする部分もなかった。ここならできる。そう彼女は確信した。
 由美は意識をさらに集中した。荒ぶる地霊の及ぶあたりが頑強な大地である様に。今組み上げた場がそのしっかりとした足場の上にあるかのように。そして自分自身がその中心に立っているように。彼女に従って来ていた意識はそれに応じて彼女を中心とした円陣の様にあたりを囲んだ。
 「かごめかごめ・・・」
 由美は意識ではなく、自分の口からぽつりとそうつぶやいた。
 それを耳にした者がいたのか、これも意識ではなく口で答える者がいた。
 「かごめかごめ・・・」
 その低い声が耳に入った時、由美は肉体ごとその場の中心にあった。
 ゆっくりとミサキの鈴を鳴らす。ゆっくりと。今や心拍数30程度に落ちた自分の心臓の鼓動に合わせて。周囲の意識もその音に合わせてさらに場が固定する。由美が目を開くと、そこは円形の舞台だった。影のような人たちが十人程、彼女の周りに立っている。由美はうなづくと制服のポケットからマッチを出した。片手で一本引き出すとその燐を肩にすりつける。マッチをしまい、ついで内ポケットから小さな瓶を出して、中の水を左肩にふりかけた。次いで小袋を出し、鳥の風斬り羽根を一枚、そっと足元に落とす。今度は緩く締めておいたネクタイをずらし、ブラウスの胸元をはだけ、ミサキの鈴と一緒に下げていた紫水晶を外気にさらす。次には二枚の札を出し、剥がしやすい様に折って止めてある両面テープの保護幕を歯で取り、一枚を、鈴を定期的に鳴らし続ける左手の袖に差し込む。もう一枚は口を使って右手の袖に差し込んだ。最後に前髪で隠してあった細いティアラ状の髪飾りをさらすように髪をピンで留めた。
 実体ではない肉体の準備を終え、場の形成に集中していた周囲の思念と再び溶け込みながら、由美は鈴を強く鳴らした。
 音の増大に比例して彼女の意識が膨大な量に跳ね上がる。さらに鳴らすと再び比例して拡大する。つながっていた周囲の意識もそれに呼応するかのように巨大化する。総てが安定するのを待って、由美の口が開き、七年術法(ななとせのじゅほう)を唱え始めた。

 「ななつの御霊よ聞き給へ・・・。理の現身達よ、聞き給へ・・・。我が掌にあるこの鈴の音を・・・」

 周囲が一斉に息を潜め、その言霊の広がりを受け止める。

 「ひととせ風に乗るもの、我が脚に・・・」

 足元に置かれた羽根がふわりと舞い上がった。場に風の精霊が満ちて行く。

 「ふたとせ炎の担い手、我が右に・・・。みとせ水の源、我が左に・・・」

 声に合わせて炎と水の精霊が満ちて行く。

 「よとせ地の守り手、我が胸に・・・」

 言葉が終わらぬ内に、すでに膨大な量になっていた地霊の内で、ミサキの鈴の音に惹かれたもの、破壊者に触れていなかったものが一気に集う。足下で暴れるもののごく一部ではあったが、その莫大な量にバランスを崩しかけた美咲は、反射的に残り三精霊の力を高め、平らかにしようとした。その行為を読んで、すぐさま周囲の意識から三つの言霊が発せられ、水と風と炎は美咲の手中から離れた。しかし、その三精霊は美咲自身が呼び出した時よりもさらに強固に、なおかつ純粋に由美の心に従った。
 さすがに熟練者は違う。意識を地霊のコントロールに置きながらも美咲は舌を巻いた。
 一方で周囲の術者は美咲が地霊を呼び出した事に驚愕していた。この荒々しい地霊の雄叫びの中で、誰が地霊をさらに呼び出そうとするだろうか。その呼び出したほんの少しの地霊で、足元にいる地霊の、まだ純粋なままであった部分を総て呼び寄せてしまった。結果、もうあの邪心は地霊を強化できなくなったのだ。こんな突拍子もない抑制法があったのか。
 周囲の老練な術者たちはこの若々しい魂が次ぎに何をするのか、期待を込め、固唾を呑んで見守っていた。

 「世のはらからたる四精霊よ、我が身を因り代としその御力を現し給へ・・・」

 美咲の言葉によって地・水・火・風の四大精霊は一つの形になって美咲を包み込む。決して混ざり合わず、さりとて反発せず。静かに、ゆっくりと美咲の体に溶け込んでいった。これだけの容量の精霊を飲み込むのは初めてだった。あまりの大きさと違和感に声が漏れる。
 「あ、あぁ・・・。くぅっ・・・」
 しかし、自ら動かしている土の精霊だけでなく、他者に操られている残りの三精霊もすぐに由美の存在に溶け込むよう、その波動を微妙に変化させ、数秒で彼らは一つになった。
 「ふぅ・・・」と息をもらす。一瞬無理かとも思ったが、飲み込むと意外とすんなりと由美の中に収まった。周囲の者たちが術力の器、つまりキャパシティを広げてくれているのだろう。大きな存在を身の内に落ち着かせると深呼吸をして息を整えた。そして無意識のうちに鳴らし続けていたミサキの鈴の音に意識も整え、由美はさらに高位の段階に入った。

 「いつとせ光生むもの、我が前に・・・。むとせ闇満つるもの、我が身の背に。黄昏と彼は誰にて代りし御方々よ、今ひととき共に我が身に集いてその力を示し給へ・・・」

 二つの放流が彼女の体を包み込む。白と黒の流れ。光と闇。その一方が強くなればもう一方も力を増し、どんどん収束する。やがて光は彼女の右手にある札に宿り、闇は左手にある札に宿った。
 今、美咲の周囲は光と闇の二極がそれぞれに絡み合いながら回っている。しばらくすると、その二つの流れが徐々に速くなり、激流のように乱れあって、美咲の体の中に溶け込んでいった。その間に、すでにこの二つは彼女の意志ではなく、周囲の術者の識域下に属していた。六大精霊をまとめてなお、さらに召還を続けようとする彼女の意志に気づいたからだ。総ての精霊が平らかに治まった時には地の精霊すら、美咲自身のコントロールを離れていた。今、彼女は自分の中にある六精霊を感じながら、その背後に七人の術者の意識を感じた。集っている術者や宗教人にとって闇はタブーの領域である事が多い。力の均衡を持ってよしとする者のみが御する精霊だからだ。そのため闇の精霊を単独で美咲並にコントロールできる者がいなかったので、これだけは二人の術者の協力で治めていたのである。こうして八人の意志と六つの精霊たちが一つになった。それが今の「美咲由美」である。
 彼女は息をも鈴の音に合わせ、最後のチャレンジに向かった。

 「最後にして最大の力。七魂が司、星を見るもの! 我が額に宿りて時を示し給へ!!」

 これには周囲の熟練者たちもぎょっとした。瞬間、意識が薄れかけるのを悟ってすぐに集中を再開する。しかし、「時」を召還するとは! どよめきと不安があたりに満ちるが、美咲と心を通わしている術者たちは彼女の平常心を感じ、落ち着いた。いや、むしろわくわくしていた。まだ見ぬ次元への期待によって。

 人の目には見えぬ時の精霊が寄り付いた。それは目もくらまんばかりの圧倒的な存在感で彼らにも実感できた。由美の額にある宝玉がその力を宿し、熱く、なおかつ冷たく由美の体を飲み込んだ。まだ慣れぬこの召還に顔を歪ませながらも、術者たちの協力でそれを成し遂げる由美。ついに七精霊がその体に総て宿り終えた。

 「我、美咲由美が我が名と我に流るる血によって偉大なる御方々に願い奉る! 集い給へ七つのつるぎ! 我が身に理を現し、我をその守護者と成さんことを! いにしえの盟約を今こそ叶え給へ!」

 七年術法が終了し、美咲は七剣(ななのへのつるぎ)になった。美咲流の奥義であり練術法を用いるための最高位形態である。由美の練術法訓練では基本技だが、ここに至るまでに隙が出過ぎるため、実戦でこの状態になったことは数えるほどしかない。訓練時、一人で成した時の数倍もの力を身の内に感じている由美は周囲の術者たちのすごさに感動すら覚えていた。多分祖母並の手練ればかりなのだろう。始めてサポートするはずの七年術法をいともたやすく支えているのだから。由美はふとそう思ったが、その間にも無意識の内に七つの剣を収束しつつあった。時を中心に四精霊がその周囲にあり、光と闇が螺旋状に舞っている。その形が集まりうる最小の大きさ、つまり自分の体にまとまるのを感じ、由美は最初の攻撃を開始した。


第三章

 炎と大地を練り上げ、それを眼下に投げる。乱れ狂う地霊はその大地の性質故にそれを受け入れた。

 「覚!」

 由美の、いや、七剣の気合いと共にマグマの精霊がそこに出現する。地霊のまっただ中に。地霊はすぐにそれを飲み込んで、何事もなかったかのようにかき消してしまった。
 美咲はさらにマグマを召還する。二度、三度。
 五度目の攻撃が終了し、今度は水と大地を練り始めた。できあがった霜の精霊を投げる。二度、三度と。
 再び五度投げ込み、七剣の意識は地霊のうねりをトレースし始めた。無数の触手のように伸びる地霊の「手」を、そして渦の中心にある地霊以外の存在を一つ一つ認識し、その濃度を悟る。そしてその動きの総てを七剣は理解していった。
 流れを読む。総ての流れを。望む瞬間を待って。やがて希望どうりの配置になった瞬間、七剣が口を開いた。
 「覚!」
 再び気合いを込める。その途端、地霊が飲み込んでいた炎と水の精霊が地の精霊から分離した。しかも同一地点で。
 どんっという鈍く、深い衝撃音。地霊が四方に弾け飛ぶ。中心で、怨念のただ中で水と炎が衝突しあったのだ。一気に水蒸気と爆風に転換される二精霊。
 「いざっ!」
 七剣の足元から風の精霊が叩き込まれた。まるで台風の目の様に地霊を押しのけたその中心に。爆風から発した風の精霊と呼応し、竜巻を形成する。その中心に取り込まれた邪心は一瞬にして地霊から切り離された。
 すかさず水を大量に繰り出す。その間にも右手は制服に縫いつけられた無数のポケットから一つの種を出し、水の流れに乗せて送り込んだ。それはひまわりの種だった。本来闇の中で光の術法を用いるために用意してあったものだ。その落ちて行く種の中に意識を集め、水を、そして風をその意に添うように形作る。
 邪心は無理矢理手足をそぎ落とされた事で驚愕していた。痛みはない。実体ではないから。しかし、自分の望みを絶ちきろうとする者の意志がその心に傷を付けた。深くえぐるような。許せない。そう決意した。だが、そこまでの心の動きが反応を鈍らせた。全力を持って風の結界を弾こうとした途端、別の結界が周囲を包み込んだのだ。
 芽生えた種が一気に幻の大樹を生み出した。それはひまわりの姿ではなく、先ほど美咲が嗅いでいた檜の姿に似ていた。水が一瞬にして固体化し、それを風が吹き固めた。邪心が、そして荒ぶる地霊が水と風を押しつぶそうとした時、既に時の精霊によって反応を早められた幻の大樹はしっかりと地霊に根を張っていたのであった。
 「樹氷?」
 だれかが口でつぶやいた。そう、そこにあったのは水と風、大地と木の複合体。巨大な樹氷であった。上空からは続々と風と水が送り込まれ続ける。種にあった意志はただ一つ。地から養分を吸い取って成長し続けんとすること。それだけだ。無造作に大地に根を伸ばすと、水と風による強制的な成長を支えるべく、無慈悲に大地の力を吸い取っていゆく。あれほどまでに荒れ狂っていた大地の精霊も、根に分断され、そこから続々と力を吸い取られ、見る見るしぼんでゆく。
 由美たちが形成する場まで伸びると樹氷はその成長を止めた。本来の樹氷は木に氷が着いたものだが、この幻の樹氷は総てが氷でできていた。まるで水晶でできているかのように。大地の力を吸収し、地の要素を深めていたためだった。その形が安定すると、残っていた地霊たちが自ら望んでその中に加わっていく。水晶の形成に力を貸そうとして。時が一気に加速し、地霊は水晶に形を変え、消えていった。
 七剣が最初に攻撃を開始してからほんの五分程。あれだけ猛威を振るっていた地霊は美しい水晶の大樹に姿を変えていた。
 しかし由美の周囲の術者たちは緊張を高めていた。七剣が次の術法を練りつつあったからである。今度は四種もの精霊を練っていた。より高位の精霊を召還しようというのだ。まず光がその中心に立った。次いで風と水。最後にわずかながら炎の精霊が加わった。その精霊を身の内に治めながら、七剣は動きを止めた。来る。全員がその予感を感じていた。
 ぱぁん、という大きな音。一瞬にして大樹は砕け散った。その壊れて行く幹の中心を駆け上がって来る黒いもの。怨念が美咲を敵と認識し、襲いかかったきたのである。精霊を動かしていない者たちは即座に防御結界を強めた。その合間から、練り上げられていた精霊が弾き出て、怨念のコースを塞ぐかのように立ちはだかった。
 新たなる高位精霊。その名は虹。
 砕けた樹氷のかけらが瞬く間にその指揮下に入り、虹を照らし出す。
 虹は光と水と風のハーモニー。光の精霊を中心にしたその構成は闇の波動を纏う黒い念のスピードを鈍らせた。こうして念は自ら罠に落ちたことを悟った。自分が今まで軽々と破壊して通ってきた樹の幹。それはすでに水と風の性質故に虹を強化し、なおかつ虹の光を反射していた。念が周囲に注意を向けた時、既に全周を虹が十重、二十重に包み込んでいたのだ。
 そこに七剣が光と炎、風と水を送り込んだ。虹は七色と言われるが、その色数は地域によって呼び名が異なる。六色であったり、四色で現されたりもする。今、美咲たちが練り上げた虹は四色だった。水、火、風、光の四精霊の力を持っていたからである。もちろんその他に目には見えぬ時の精霊も関与していたが。一方闇と土は敵対者に力を与える可能性があるので、その中に加えられていなかった。今、四色の虹の牢獄に閉じこめられた怨念が、付け入る隙を見出せなかったのは道理だ。
 念はすぐさま最後の勝負に出た。すでに地表を破壊するだけの力は残っていない。ならば、己の夢を砕いた者、あの者だけは破壊してやらねば気が済まぬ。全身の波動を凝縮し、虹の結界に挑む念。光が、炎が、水が風がその身を削り、引きちぎる。
 

 おあああああああーっ

 不気味な声と共に虹を貫き、飛び上がる念。炎に焼かれ、光に解かされながらも迫る。水に削られ、風にまき散らされながらも。虹の結界を一つ破る毎に四度の攻撃を受ける怨念。それでも舞い上がり続ける。一直線に。二十枚もの結界を貫き、その怨念は純然たる念の姿に戻りつつあった。

 <助けて>

 また虹に体当たりする。四つの壁にさらに細く、弱くなる念。

 <怖い>

 さらに二枚の虹を破る。

 <帰りたい>

 ついに虹の本体に衝突する。四精霊の壁は、いや、時によって強化されているその圧倒的な五精霊の壁は念の中核すらも引きちぎり、その人格を、心を無造作に吹き飛ばそうとした。

 <ああっ>

 そのコアにあたる最後の球体にヒビが入ったとき、美咲の声が響いた。
 「還!」
 声に答え四散する虹。指揮者を失い、水晶がばらばらと落ちて行く。それを背に念がふんわりと舞い上がる。じっとそれを見つめる七剣。術者たちは美咲の意志に従って防御結界を解いた。やがて場に至り、念が姿を現す。既に般若の面は砕け散り、涙を湛えた悲しい表情の女の首がゆっくりと近づいてくる。ミサキの鈴の音がなる度にその姿がはっきりと見えてくる。からころ、からころと鳴る度に。その姿に美咲が声をかけるが反応はない。ここまで来てもまだ己の殻に籠もっているのだ。
 美咲は決めかねていた。この念がかつて人であったことは間違いない。それを強制的に転生することは可能だった。しかし・・・。

 「強制転生は魂を歪める。ぜったいに駄目だ」
 殿下の言葉が美咲の記憶にあった。
 ならば封印か。しかし、すでにこの者の念は説得すら応じない。
 多数の意志が美咲に語りかける。
 封印以外にないと。
 だが、この者を知らぬ以上、封印も遺恨が残るであろう。何がこの者を念としたのか。
 真由美。あなたがいれば。
 由美は己に由見の力が無いのを悔やんだ。何か、何か他の方法はないのか。何が怖いのか? どこへ帰ろうというのか。何とかこの者の念を払うことは出来ないか。どこかにこの者の過去を知るヒントはないのか。
 そう思った時、額の宝玉がちりりと刺激を送ってきた。「過去」の言葉に反応したのだろうか?
 七剣である美咲は額に意識を集中した。何かが聞こえる。声か?

 その声はなにかの術法を唱えているようだった。男の声? となれば念のものではない。
 一体誰の声?
 術法の波動は規則的に動いている。その波動の流れはミサキの鈴の音に近いが、微妙に狂っていた。由美はその流れに意識を集中し、鈴の音をそれに合わせた。その時、周囲が一瞬にして暗転し、消えた。





つづく

<超かいき★くえすと>くえすたぁず