
Von:秋澤 弘/イラスト:平井 久司
その二 美由美の場合
美由美は自分の名前が好きではない。初対面の人間は「美咲美由美」という名をまず大抵ビサクビ・ヨシミと読む。だがこう読むのはよそ者の証拠である。なぜならこの街の住人なら美咲家の名を知らぬはずがない。しかし彼らでもミサキまではすらすら読むが、その後が読めない。「美由美」が。
美咲家は当地最古の家系である。本を正せば街自体が「美咲のお山」に仕える人々が切り開いてできた村から始まっているので、街よりも古い。そういう旧家である以上、きっと小難しい名前に違いない。そう当地の人々は考え、まさか「ミユミ」と単純に読むとは夢にも思わないらしい。一昨日も隣町の、ある商業高校の生徒会長に「ビヨシビ」と訳の分からない読み方をされ、むっとしていた。
もともと、名字と名前で同じ漢字が三つもあるのが気にくわない。百歩譲っても、それが全部同じ読み方というのはもっと気にくわなかった。あまりに芸がないではないか。母に昔抗議したことがある。なんでこんな変な名前にしたのか、と。母はげらげら笑いながら、「そう、あんたも自分でそう思うの。そーだよねぇ、変な名前だよね」と人ごとのように言ってのけた。きょとんとする美由美に、母は真犯人を告げた。美咲本家の子の名は総て御主(みす)様が決めると。芸がないのは、あのばばぁだったのか! 祖母の偉そうな態度が元々気に入らなかった美由美の怒りはさらに高まった。
彼女は中学一年の時担任だったイワオハジメの名前をすごいと思った。「巌甫」と書く。二文字である。こっちはなんか真面目っぽい。ムダをはぶきながら濃縮したというか、いかにも数学教師っぽくて好きだった。本人もすごく頭が固そうだったので、名前に似合っている。そう思って好きだった。
それに引き替え「美咲美由美」はなんかくどい。まぁ、三つもある字が「ビューティ」であるので許してやろう。小学生の頃、そう決めた。巌先生にその事を語ると、先生は「うむ。許す事は良い事だ」と言って賛成してくれた。先生はこの街の人ではなかったから、当然「美咲」の文字に怯えたりしなかった。多分校長あたりから旧家の生まれだから注意しろとか言われてはいたろうが、美咲の名が持つ意味は知らなかったようだ。別に美咲家全員が「見る」力を持つのではないし、それは読心術なんてのとは全く違うのに。小学校ではずっとエスパーかミュータントを見るかのように扱われていた美由美はこの先生が好きだった。そういえば、あれが初恋だったっけ。先生が恩師に呼ばれ、大学の研究員になって北海道に引っ越すと聞き、美由美はちょっと泣いた。ちょっとだけだけど、隠れてだったけど確かに泣いた。自分の涙はしょっぱかった。
不意に目覚ましが鳴った。懐かしい夢を見ていた頭よりも体が先に反応し、一時停止ボタンを叩いて瞬殺する。ああ、静かになった。そう思った時には眠っていた。五分して次の目覚ましが鳴った。これも瞬殺。
ああうるさい。寝かせろよな。こっちはさっき寝たばっかなんだから。
三つ目の目覚ましが鳴った。これはちと厄介だ。反射神経だけでは倒せない。手が届かないように机の上に置いてあるからだ。しかも、さっきまでの電子音と違い、うるさい。大きな二個のベルをがしがし叩くタイプだ。もうそのうるささといったら。
「じゃかぁーしー!」
叫びと共に飛び上がり、がっしと時計を掴む。これは止めるのも面倒くさい。裏蓋を開け、レバーを反対に入れなければならないのだ。寝坊が激しい美由美に、真由美が送った誕生日プレゼントだった。
「えーい姫、覚えてろっ!」と叫ぶと時計を持ったまま、後ろのベッドに倒れ込む。背中が痛かったが気にしない。足を投げ出した体勢で、なんとか右手で布団を引っ張り込み、また寝る。この状態でベッドの上にあるのは頭だけである。これはちと苦しい。おかげでそのうち目が覚めてくる。すると最初の目覚ましが息を吹き返した。
「ゾンビかよ・・・。寝かせてよ、もうちょいさぁ・・・」
仕方なく起きあがり、今度はちゃんと止める。隣にあるのももうすぐ鳴りそうなので、それも止める。そこで安心してまたベッドに倒れ込んだ。今度はすぐに眠った。やっぱ寝るならベッドだよな。薄れる意識でそう思った。
しかし、大事なことが抜けていた。布団は床にあることを忘れていたのだ。ぐーぐー寝ていたが、やがてくしゅん! とくしゃみを一つ。寒さに目覚めた。うーん、ベッドと布団。それに、枕がセットでないといかんな。三位一体が基本である。それを忘れたのが敗因だ。美由美はそう思いながら仕方なく起きることにした。
「はぁ・・・。六面までにしとけばよかった」
美由美は足下に転がるコンシューマーゲーム機のコントローラーを見てそうつぶやいた。面クリした段階でセーブしたのだから、あそこでやめておけば良かったのだ。七面の敵の配置だけ見ておこう。そう思ったのが失敗だった。敵の数がなにか少ないと思った。これは増援が来るな。何ターン目だろう。確認せねば。そう思ったのはもっと失敗だった。まさか七面が中ボス戦でノンセーブぶっ続けの三連続バトルになっていたとは・・・。
どうも彼女は攻略法が雑誌に掲載される前にクリアしないと気が済まないタチだった。その結果がこの睡眠不足。毎朝起きる時には、今夜こそ一時前に寝よう。そう決心しているのだが・・・。
「ふぁーぁ・・・」
大きなあくびと共にのびをする。美由美は本質的には寝覚めはよい。のびが終わると腰に手をあてて上半身の回転運動。ついで軽く屈伸。仕上げにもう一度のびをすると、もう完全に目覚めていた。その時初めて時計を見た。通い始めた血も凍るかと思った。
「ち、こ、く・・・」
パジャマを引きちぎるように脱ぎ、裸になる。実際、ボタンが飛んでいった様な気がするが、今はそんな事を気にしている場合じゃない。髪も学校のトイレでなんとかなる。すぐに制服に着替え、鞄を用意しようとしたところで気づいた。今日は日曜だった。
力が抜け、ぺたんと座り込む美由美。しばらくそのままだったが、制服のスカートがしわになったのが気になり、座り込んだまま脱ぐ。バランスを崩し、ばたりと倒れる。と、そこでこの前買ってきたダットサイトが袋に入ったままなのがベッドの下に見えた。専用マウントが無かったので取り寄せを頼んだが、ずいぶんかかるらしい。それで放っておいたのだ。
「待てよ・・・」
美由美はGMに付けようと思っていたのだが、そういえばセンチメーターマスターにタスコのリングをはめたままだった事に気が付いたのだ。善は急げ。飛び上がり、ガンラックと化している本棚の上に天井まで積み上げてある箱の一つを引っぱり出す。外見は似ていたしフレーム幅も同じならいけるんじゃ。メーカーは違うが、多分スペーサーかましてねじを締めればなんとか・・・
引き抜いた勢いで上に載っていた箱がばらばら落ちてきた。それを左手と肩で止め、ベッドに放り出した後、センチメーターマスターの箱を開ける。中には・・・。コマンダーが入っていた。
「どっしぇー! なんじゃこりゃー!」
誰かが適当にしまい込んだに違いない。
「許せん」
その誰かはそうつぶやくと、コマンダーの箱を探した。ざっと見渡して4つある。さて、どれだ? とりあえず手近のを出す。はずれ。次。はずれ・・・。三つ目を出した時にはあたりは箱で一杯だった。その時に気が付いた。コマンダーの箱にセンチメーター、入ったっけ? いやそれよりも、リングを着けたガンが、そもそも箱に入るんかい? ということは・・・。美由美は混沌と化しているガンケースやホルスターで埋もれた押し入れをちらりと見る。
捜索終了。諦めたとも言う。
「何やってんのあんたは」
急に背後で母親の声がして、美由美は飛び上がりそうになった。
「どたばた、どたばたと。日曜の朝くらい静かにできないのかねぇ、この子は。それにその格好」
母親に言われ、自分の姿を見る。上半身は制服だが、下半身は・・・。確かに、ちょっとこれはみっともない。スカートは・・・。箱に埋もれていた。
「あ、い、いや、しわにならないように、脱いだんだけど・・・」
美由美がわたわたしている間に母がスカートを引っぱり出した。
「それで逆にしわだらけになった、と」
「ごめん」
美由美のしおれた顔に母、美紀子は明るい声をかけた。
「バカだねぇ、本当に。誰に似たのかねって、あたしだろうね、あははは。
あ、そうだ、あんた、いいのこんな時間に。みんな集まってるんじゃないの?」
言われて時計を見る。だが、三つある時計総てが埋もれていた。仕方なく机の上に置いたままの腕時計をつかんでまた血が凍る。
「しょえーっ! どいてかーちゃん!」
母親を突き飛ばすように部屋を出ようとする美由美。しかし、美紀子はその首をがっしとつかんだ。
「ちょ、ちょっと、かーちゃん、急いでんだよ、あたし」
「その格好で、どこ行く気?」
「ひぇぇぇぇー!」
二階がやけに騒がしい。そう思いながらも父、啓一はコーヒーをすすっていた。別に気にすることもあるまい。いつものことだから。美咲家に婿養子に来て以来、よほどのことでないと動じなくなった彼だった。
美咲家の屋敷には外堀がある。裏山も含んだ敷地自体を、山裾を流れる川から水を引き込んで、ぐるりと周回しているのだ。堀と言っても小川程度しか水は流れていないので、初めて見る人なら泥棒よけにもならないと思うだろう。しかし、これは泥棒よけではない。流水による魔除けの術法なのだ。その内側にある塀もそれほど高いものではない。視界をさえぎるには十分だが、手練れた盗人なら簡単に忍び込めそうに見えるだろう。だが、実は塀の大半は地下にあった。地上に出ている分の数倍が地下に埋め込まれているのだ。地脈の道だけを残して。
もともとこの土地は風水的にいえば龍穴だった。その上、江戸時代にあったとかいう合戦以来、何重にも結界が張り巡らされた屋敷は呪術的な要塞と化していた。一般人でも門をくぐると、敷地内だけ気温が違うと感じる人もいるほどに。
ここは、ここだけで一つの世界だった。屋敷の作りも、そして木の植え方までも総て計算されて配置されていた。門をくぐり、屋敷に延びる道を歩きながら見る風景は、まるで箱庭のような異世界に見える。初めて訪れた客人は日本の古き文化を感じ、決まって途中で立ち止まってあたりを見回す。
そんな時、うっそうとした木立が茂って客人の視界が遮られているあたりの先に、日本の古き文化とはほど遠い美由美の家があった。そこに至るには必ず屋敷の裏手に回らないと入れないように造られている中庭の一角に。
派手な赤い屋根。大きなフランス窓。毛むくじゃらの犬が寝そべるテラス。欅の木の下には白いガーデンテーブルにイスが三つ並ぶ。日よけのパラソルまで差してある。そのすぐ脇の庭園では竹林をバックに獅子脅しが鳴り、鯉が泳いでいるというのに。
京都の古寺の枯山水。そのすぐ隣に麻布の高級住宅をぽん、と置いたような感覚、といえば分かるだろうか。とにかく、総てが統一されているこの敷地内で、「違和感」そのものの存在。それが美由美の、正確にはその母美紀子の家だった。
一族の者は幾つかの建物に身分に応じて住んでいるが、総てが渡り廊下などで結ばれており、言うなればみな屋根を同じくしている。しかし、彼らは独立した一軒屋を建てて親子三人(+犬一匹)水入らずで住んでいたのである。
姫曰く、「みゆみったらわがまま」。しかし、ユミに言わせれば「美紀子の方がもっとわがまま」。
その結晶がこの家だった。
その扉を開けて美由美が飛び出してきた。Tシャツにジーンズという、街ではなんの支障もない格好で。だが、屋敷の中では違和感ばりばりの格好で。
目的地である食堂まで、直線距離を走れば3分とかからない。もちろん、美由美が池と生け垣を走り抜けられれば、であるが。大きくうねる池を回り、遙かに見える橋を目指す。全力疾走というわけではないが、それなりのスピードで走りながらいつも思うこと。それは屋敷内が馬留めの内側にあるため、自転車すら使ってはいけない、という不条理への怒り。ちなみに走ってもいけないのだが、美由美は子供の頃にそれを無視することに決めていた。
いつもながらその怒りを速度に変え、走っていた時、山裾にぽつんとある東屋の屋根がちらりと見えた。そこには現当主ユミの姉が一人で住んでいる。今疾走している若干一名を除き、一族皆から「大叔母様」と呼ばれているこの老女は、美由美一家の他に、屋根を同じくせず、単独で住んでいる例外仲間だ。
久しぶりに後でばーさんのとこでも寄ってみるか。ふっとそう思いながら美由美はひた走った。
うーむ、まずい。15分遅れだ。
朝食は全員揃ってから始まることになっている。もちろん部活の朝練とか、会の探索とかで朝食を共に出来ないこともあるが、それは前日の朝に、「明日はこれこれで来れません」と厨房の蒔さんに宣言しておかなければならない。それを忘れたりすると、当然ばばぁの小言である。ま、小言はいい。適当に聞き流して返事しておけば済むから。だが、あの蒔さんの顔を見るのがつらい。だから遅刻魔の美由美も食事だけは遅刻しないように気をつけていた。ただし、定刻十分前には必ず到着している由美と違い、美由美時計では5分程度は遅刻に入らないが。
食堂が見え始めた頃、美由美の怒りは別の方向へ向かっていた。そもそも、一体どうしてあたしが一緒にメシを食わにゃならんのだ、あのばばぁと。小さい頃はあの小さくつつましい家で、両親と一緒に食事をしていた。狭いながらも楽しい我が家。前にそう言ったら元帥が怒りだしたな、と思い出す美由美。なにしろ美由美の部屋だけで12畳もある家を狭いと言い切ったのだから。だが、それは比較の問題で、母屋に比べれば本当に小さく見えるのも確かだったが。
自分の考えが脇道にそれたのに気づき、また怒りの本質へと探究を続行する。
ばばぁから急に食事を共にせよという指令が発令されたのは中学に入ってしばらくしてからだった。なにやら長ったらしい理由がみっしりと書きつづられていたが、母が翻訳したところによると由美が一族の朝食に出席することになったから、つき合え、ということらしい。
美由美は由美が嫌いではなかった。でも、自分と違い何でもできる才女だと思っていたし、すっと伸ばした背筋とか、真面目そのもののするどい眼差しとかでつき合いづらそうなので、以前は口をきくのも稀だったが。
むかーしむかし(といっても五年と経ってはいないのだが、美由美には遠い昔)、姫を無理矢理連れ出して電車で30分程のアミューズメントセンターに行った帰り、呆気なく迷子になった。パトカーに乗せられて帰ってきた二人は大広間で大人たちに取り囲まれ、こっぴどくしかられた。ただでさえ泣きじゃくる姫と、かろうじて我慢していた美由美に、大人たちは難しいことを次々と言い、本気で怒って怒鳴った。でも由美だけはどこか違った。いつもちゃんとしていた服装が泥だらけで、髪もぼさぼさのまま。特にその表情が違っていた。由美もまだ子供だったから、何も言わずそこにいるだけだが、大勢の中で由美の表情だけが気になった。
家に帰ると母が待っていた。自ら一族の集いに参加しないことを決めていた美紀子は冠婚葬祭以外、決して大広間には足を向けない。娘が見つかったと聞いた後も、じっと娘が解放されるのを待っていた。
「おなかすいたろ?」
そう言ってダイニングで待っていた母に美由美は情けなさと恥ずかしさで顔を上げられなかった。お菓子とお茶を用意する母をちらっと見ると、服も、そして綺麗にカールする髪も乱れたままだった。裏山に入ったのではと総出で山狩りをしていたところだ。そう大人が言ってたのを思い出した。ふと気が付いて、美由美は母の伏し目がちな顔を振り仰いだ。
由美と同じ表情だった。
「一族の食事ねぇ。由美ちゃんが出席するなら、仕方ないか。ま、行って来なさい」
母のその言葉にうなづいたのも、あの時の由美の顔が浮かんだからだ。
「でも、本当に嫌だったら、帰ってからどうして嫌なのか説明するんだよ。ちゃんと説明できる<嫌>だったら、母さん、怒鳴り込んで来てやるからね」
母のそんな物騒な言葉を背に、中学生の美由美は母屋に向かった。今走っているこの道を。
食堂はすごく広かった。よく裏口からこっそり忍び込んで、蒔さんにお菓子をもらっていた場所だ。食堂の真ん中にでん、と座り、もらったお菓子を食べていると、必ず蒔さんが一言注意を発した。
「お嬢様、奥のふすまは開けちゃだめですよ」
奥のふすま。以前、だれかの結婚式で、ここに両親と来た時、開いているのを見たことがある。なんだか大きな仏壇みたいに食堂のつきあたりにででん、とある小部屋だった。そこにばばぁとばーさんが、ででーん、と座り、偉そうにしていたのが記憶にある。自分もでんと座りながら、なーにを偉そうに、と子供心に思ったものだ。
初めてのおよばれでちょっと緊張しながら食堂に入った時、誰もいないのにびっくりした。あれ? と思った瞬間、奥のふすまが開いているのにぎょっとした。ちっ、まだばばぁ共しか来てないのか。早すぎたか。そう思ったとき、蒔さんが美由美に気づいた。
「おやまぁ、お嬢様、かわいらしいお服ですねぇ。さ、さ、どうぞ、皆さんお待ちかねですよ」
皆さん? 手を引かれながら奥の間に向かう美由美は本能的な恐怖を感じた。あの小部屋に、皆さん・・・
奥の間ではその皆さんが一斉にこっちを見た。
姫、由美。そしてばばぁ。蒔さんに末席に座らされ、事態の意外な成り行きに身動きできずにいた時、蒔さんがふすまを閉めた。かくしてここは密室になった。封印されるというのはこんな感じか。
こ、これは・・・。一族の朝食って・・・。四人? 他の人たちは? あの、うじゃうじゃ、その他おーぜーって感じでいる連中は一族じゃないの? ひょっとして集団食中毒で死んだのか。それで補欠のあたしたちが呼ばれたのか?
蒔さんに失礼な想像でぱにくっている中、ばばぁが何か言っていたが耳を素通りしている。やがてばばぁが脇にあった鈴を鳴らすと、蒔さんが膳を運んできた。まずユミに。そして姫に。続いて由美。最後に自分の前に置かれた。蒔さんが会釈して出ていくのに続いて自分も出ていきたかった。
何を食べたのか全く覚えていない。でも、蒔さんのことだ、今と全く同じものだったろう。姫は嬉々として食べていたはずだ。あのバカはいつもそうだから。由美がどうだったかなど見る余裕もなかった。とにかく、ただそこにいるだけだった。
「美由美さん」
お茶になり、会話が流れる中で、急にユミに呼ばれてびくっとする。
「は、はい」
ちっ、これがあたしの声かい? どこかに妙に覚めた自分がいるのが分かったが、それが体を支配するには緊張が邪魔をしている。その時の美由美は借りてきた猫に支配されていた。
「昔いろいろなことがあってね。それで、あなたたち三人は別々に育てられてしまった。でも、皆美咲の子。それに変わりはない。これからは三人皆で仲良くしておくれ」
祖母の言葉の内容よりも、その口調に、覚めた自分もどこかに行ってしまった。
「しておくれ」? あのばばぁが、「せよ」でも、「と決めました」でもなく、「しておくれ」?
その口調はいつもの命令ばかりの御主(みす)の口調とも、時折真由美に向ける母としての声とも違っていた。初めて聞く声のようだ。そうか、祖母としての声か。ばばぁは祖母として孫の自分を呼んだのか。御主としてではなく。だが、それが分かったとしても、嫌なものは嫌だ。ふすまが開いて解放された時、美由美の心は決まっていた。
ぜってーヤダ。もー来るもんか。そんな美由美がスカートを翻し、でしでしと廊下を歩き出した時、背に声がかけられた。
「美由美さん・・・」
振り向くとどこか困ったような、はにかんだような由美がいた。
「来てくれてありがとう。本当は私、心細かったの」
美由美は何か適当に答えたと思う。なにしろ、初めて見た由美の困った顔と、別れ際の笑顔に困惑しきっていたからだ。家に帰り、母に報告すると、母は初めて「由美」と「由見」に関する話しを娘に教えた。こうしてそれから毎日出向くことに決まった。無論美由美にも異存はなかった。
で、この事態だ。
ついにゴールインし、ぜーぜー息を切らしながら小部屋に飛び込むと、ばばぁは無言で鈴を鳴らした。
食事が始まる。この連中と違い、体を鍛えている美由美様にとって、こんな疾走は朝飯前だ(事実そうだが)。すぐに息を整えて食事にかかる。こう毎日同じものじゃ飽きるというよりも嫌になる。なにか変化がないとな。そう思い、美由美はふと甘塩しゃけに見入った。切り身の向きを変える。おー、今日は真ん中に二本、綺麗なすじが入ってるぞ。向かいの由美のにもそれが見えた。ちらりと横目で見ると、上座に座るばばぁのには無かった。もう一度由美のと自分のを見比べる。似てはいるがどうもつながってはいないようだ。となると……
隣にいる姫のが怪しい。ミッシングリングはこいつか? でも、向こう側に回らないと見えないし、こいつは食うのがとろい。皮の模様が見えるようになるのはずいぶん先だ。そこでみそ汁をすすってから身の方を観察する。骨の位置が大体同じだ。やはり、つながっていたのか。だが、その推察が実証されるのはしばらく後だ。姫はいつもどうりに嬉しそうに白飯をのんびりと味わっていたから。
おかずなしでよく食えるな。
美由美はそう思いながら食事を続ける。
膳が片づけられ、お茶が出る頃、美由美は己の失敗に落ち込んでいた。姫がしゃけの身をちょこっと、そしてまたちょこっとほじって、ようやく皮がぺろん、と倒れたとき、比較すべき自分の切り身は跡形もなかったのだ。その皮と脂身は残ったご飯に載せて、茶漬けにして食べてしまった。失敗した。せめて由美のと比べてみようかと思ったが、几帳面を絵にかいたような従姉妹はご丁寧に皮で骨をくるんで畳んでいた。
今日はつまらない食事だった。最後の茶漬けで満足していながら、美由美はそう思った。探求心が満たされなかったのだ。その時、姫がユミに話しかけた。
「おかぁさん、どーして真由美は怒られたのに、みゆみは怒られないの?」
はぁ? 隣を見ると、頬がぷうっと膨れているのが見える。おもわず指でそれを突つきたくなったが、まずは話の展開を認識するのが先だ。
「あたしとおんなじなのに。ずるい」
姫の母は黙って茶をすすってから、教育者としての凛とした態度でそれに答えた。
「あなたとは違います」
きょとんとする姫。美由美には全然話が見えない。由美を見ると、どうやら彼女は理解しているらしい。ちくしょう、頭の回転が速い奴はいーなぁー。
「いいですか、遅れた事は罪として認識しているはずです。私が注意したのは廊下を走った事です」
「だって、みゆみも・・・」
「最後まで話を聞く」
「はぁい・・・」
「美由美さんはそのまま飛び込んできました。遅刻してしまったという罪を購うことに全力をあげていたのです。そこで回りが見えなくなっていたのは問題ですが。
でもあなたは入り口で立ち止まった。そして走って来た事を隠そうとした。
あなたたち二人の行為が同じと言えますか?
それに私は怒ったわけではありません。注意したのです」
どうやら遅刻そのものではなく、「廊下を走るな」という小学校の張り紙並の問題らしい。いいじゃん、別に誰ともぶつからなけりゃ。ま、気にしないどこ。美由美がそう決めた後も、姫はまだぶちぶち言っている。
「みゆみも走ったのにぃ。あたしだけじゃないのにぃ」
「美咲家では娘の躾は母の仕事。美由美さんに注意するのは美紀子さんの仕事です」
急に出た母の名。美由美の血が凍る。
それはつまりかーちゃんの躾がなってないってことかい? かーちゃんが悪いっていうのかい、ばばぁ!
美由美の豹変を悟り、すかさず由美が言った。
「でも美佐子叔母様は立派な方です」
その言葉でレッドゾーンに突入しかけていた美由美の怒りゲージが停止する。
「そぅだよねぇ。美佐子姉様は廊下を走ったりしないよね」
姫は反省してる口調でそうつぶやいた。
違う! だまされてるぞお前等。かーちゃんは遅刻したぐらいじゃ走らないだけだ。「ま、今更焦ったってしょーがないじゃない」、とか言いながらいつもの足取りでやってきて、「寝坊して遅刻しました。すみません」と平然と言ってのける人なんだ。ぜんっぜん偉かねぇぞ!
美由美はそう考えながら、自分が母の味方なのか、敵なのか分からなくなった。まぁ、身内という者はえてしてそんなものなのだが。
「美由美さん」
ユミの静かな声に、我に返る美由美。
「娘の躾は母の責任。美佐子さんのあの豪快さは、取りも直さず母たる私の責任。いろいろ迷惑しているだろうけれども、勘弁しておくれ。あの子は確かにわがままだけど、いいところもたくさんある。それは娘のあなたが一番良く知っているはず」
うん。そうだ。だって親娘だから。
美由美はとりあえず、明日は遅刻しないようにしようと決心した。
その後で由美と姫が授業の話を始めた。去年由美の担任だった現国の暮橋先生の話題だった。美由美はそれには加わらず、ユミを見ていた。
ひょっとすると。このばばぁにもいいところがあるのか? 姫やかーちゃん、そして和嘉子おばさんだけが知ってるのかもしれない。親娘だから。
しかし、一体どこに? 偉そーにしてるだけじゃないことは美由美にも最近やっと分かってきた。すっごく細かいことまで気に留めている。うちのムクの誕生日にガムの玩具をくれたりしたもんな。あたしが忘れてたのに。
この白髪頭のどこにいいとこが眠っているんだろうか。うーむ、分からん。姫みたいに一緒に暮らしていれば分かるのもしれないな。ま、分かりたくもないけど。なにせあたしにこんな変な名前を付けた張本人だ。許せん!
そう思いながら見つめていると、どうやら祖母はぼーっとしているらしい。会話も聞いちゃいないようだ。「モーロクしたか」。その言葉に成績の事で切り替えされたが、なんとか三人、一致団結して立ち向かった。
ま、そんなんで大学に入れりゃ楽だけどさ。
食事が終わってから、美由美はさっき思いついたとおり、ばーさんの家に行ってみた。外見はなんか暗くて陰気だったが、入ってみると結構こぢんまりとしていていい家だった。
なにせすごいパソコンがある。サーバ用のもすごい。CPUは常に最新のに載せ変えてたし、入れ替えた古いハードディスクを外付けであたし専用にしてくれたりしたし。家じゃできねーゲームもここなら出来る。いい家だ。ま、あるじが変な奴だがな。
顔を出すと、丁度そのあるじは縁側で茶をしようとしていたところだった。
そだな、天気がいいからな。よっしゃ、あたしも混ざろう。
「ばーさん、なんかくれ」
「お早うくらい言ってからにしな」
怒った口調でそういいながらも、大叔母はすあまの皿を出してきた。こには必ず食い物がある。ちょっと今日のは甘そうだが、たいてい渋好みのだ。かーちゃんがよく買ってくる駅前のミヨシヤのケーキよりずっとカロリーは少ない。そう思っている美由美は、時折ここに来て、朝食の足しにしていた。
歳のずいぶん離れた二人は、並んで縁側に座り日向ぼっこをしながら茶をすすり始めた。
大叔母はユミの姉だ。本来、彼女が美咲家を継ぐはずだったが、「由見」の力が劣っていたので妹に負けたらしい。以来、長老格にも知恵者にもならず、事あるごとにユミにたてつく、一族のはみ出し者になったとか。ユミが当主として新しいことを始めようとすると、なにかにつけて過去の事例を持ち出しては反論する頑固婆だ。ユミの提案には絶対に反論する。一族ではそう言われていたが、事実ほぼそのとおりだった。前当主の長女であり、現当主の実の姉である。ましてや長老として退いたわけでもない。未だにミサキの鈴を身につけている、ばりばりの現役退魔師なのだ。その術力も由見の能力も、不幸にしてユミという天才が妹にいなければ十分御主(みす)に就ける程だった。さらに実行力と、いざという時のカリスマ性・統率力も備えていた。それには実例がある。
昭和40年代の終わり頃、どこぞの企業に雇われた産業スパイと中国出らしい道士の一群が当主の留守を狙ってこの屋敷に夜襲をかけたことがある。結界と呪力の源を同じくする道士は敷地内に潜入し、時代遅れの合戦になった。当主の代理は長老会であったが、大叔母はその実行力で直ちに全権を掌握すると、これを陽動と判断。剣士による一隊を速やかに組織し、山の裏側から古墳に入ろうとしていた学者たちを全員難なく捕縛した。同時に正面から来る道士には退魔師たちで無数の即席結界を組んで対抗し、銃を持つエージェントには自ら伝来の霊器を用いて地脈を目覚めさせ、池に叩き込んだ。
かくして駆けつけた警官隊はすでに無抵抗と化した暴徒の身柄を受け取るだけだった。一族の者は大叔母の統制力に心からの敬意を表しはしたが、皆この先を思い不安がった。結果的に大叔母は当主の椅子に納まっていたからだ。クーデター成功という図式である。ユミが帰還した時どうなるのか。どちらに付くべきか。撃退に成功したものの、暗い顔で一族の者は自室に籠もり、ただ夜明けを待った。
翌朝。急ぎ帰還したユミが広間に入ってくる。一触即発の緊張、のはずだが、それは周囲だけだった。ユミが御座の前まで来ると大叔母はいつもの口調でこう怒鳴った。
「この火急時におらぬとは何事か! 何のための由見の力じゃ! 二度とぬかるでない」
そう言い切ると、大叔母は御主の座から立ち上がり、何事もなかったようにすたすたと自分の家に帰っていった。ユミはその背に頭を垂れると、これも何事もなかったかのように自分の座に着き、昨夜の報告を受け始めたのである。この話しを筧の叔母から聞いた時、美由美は当然だと思った。ばーさんはばばぁのやり方には文句を言う。でも一族のこととして決定した事に口出ししたというのは聞いたことがない。今でも不思議に思っている口調の叔母を、美由美の方が不思議がった。一族では誰も御主に直接逆らうことはない。御主はばばぁと決まった。その時からばーさんはただ一人姉として御主に小言をいう役に回ったのだ。別に御主の座を狙ってるわけじゃない。簡単な事だ。なんでそんなことが分からないかなぁ。そう美由美は思った。
ユミのことを「御主」ではなく、「御主様」と呼ぶ者たちはその地位に恐怖しながらも、無意識のうちにその権力に魅力を感じているのを美由美は理解していなかった。
結局大叔母はまた隠遁暮らしに戻った。日がな一日マウスを握っている。みょーなハンドル名だが、なんだかその手のネット上では有名な存在らしい。幾つもチャットやBBSも主催している。だが、生身の人間とはほとんど接触しなかった。美由美くらいである。ここに出入りするのは。
ま、あたしもはみ出し者ってことかね? 美由美はすあまを頬張りながらそうも思ったが、別段いやじゃない。もともとなんの力もないんだから。その点では美咲本家どころか分美咲家、いや、もっと下位の家の娘にも劣るのだ。ただ血筋だからここに住んでいる。でもそういうことは自分で決めて産まれたわけじゃない。気にしてもしょうがないことだ。
美由美にはアウトローが似合っていた。大叔母は美咲家のご意見番という立場が似合っていた。結局似た者同士なのだ。この二人が妙にうまがあうのは当然かもしれない。
初めてここに来た時はすっごく怖かった。美由美はその時の事を思うと笑いがこみ上げてきた。その恐怖の対象は話してみると変人ってだけで、全然怖くはないただの偏屈婆さんだったから。
最初、タブーを犯すかのようにここに来たのはどうしても知りたいことがあったからだ。
幼い頃。虫干しのために姫と納屋の掃除をしていた美由美は、ふとある記録の文字に目が止まった。
みゆみ
その書き付けの表紙にそう書かれていたのだ。でも、中の漢字はみみずのようで何が書いてあるのか全く分からない。仮名らしいところもかろうじて幾つか分かる程度だ。単に見出しだけ大きく書いてあったので、みゆみの文字が読めただけだ。
「わたしの記録? でも古いし。違うよね」
「どぉしたのぉ、急いで終わらせないと、怒られちゃうよ」
立ちつくす美由美に姫が箱を片づけながら声をかける。
「ねぇ、これ、何て書いてあるの?」
姫はそう言われ、書き付けを受け取った。次期当主として教育をばばぁから受けている姫はこーんな訳分からない文章もすらすらと読み始める。どうやらこの書き付けは30年くらい前の退魔業の記録らしい。みゆみという娘が退治した妖しがその所行と末路に分けて書かれていた。
「すっごーい、この人、この一ケ月だけで六体も封印してるよ。しかも木土形まで」
「なにそれ?」
「うーん、変化したりぃ、周りにしもべを作ったりするの」
「強いの?」
「うん。人間の心も操るんだよ、この階になると」
美由美には良く分からなかったが、どうやら強敵も倒すすごい退魔師だったらしい。他の記録もめくってみる。美由美には適当にあさっているように見えたが、どうやらこの記録にはちゃんとした法則があるらしい。下の方にある箱を引き出して、ごそごそやっていた姫が、目当ての一冊を取り出した。さっきのより随分薄い。
「これが続き。うーんと・・・」
そう言ってぺらぺらとめくる。
「んー、これが最後かな? あ、あった・・・」
そう口にしたまま、姫は動かなくなった。
「なに、何が書いてあるの?」
問いかけた美由美は姫の目がかっと見開かれ、その肩が震えているのを見た。やばい。そう咄嗟に判断した美由美は大人を呼びに飛び出そうとした。
「だいじょうぶ。だいじょうぶだから・・・」
姫の声に振り向いて近づくと、見開いた目からぽろぽろと涙がこぼれている。泉からわき出すみたいに止まることなく。
自分のせいで姫にイヤなものを見せてしまった。そう感じた美由美は本を取り上げ、元の場所に戻そうとしたが、どこに入ってたのか分からない。まぁ、ちゃんと箱さえ間違えなければいいだろう。そう勝手に決めつけて箱に入れ、元に戻した。
側に戻ると、姫はまだ目を見開いたまま、涙を流していた。
「目をつむるとね、こっちが見えなくなるの。それでね、向こうばかりが見えるの」
前に姫がそう言っていたことを思い出す。今、彼女は必死で意識をこの世界に留めようとしているのに違いない。一切の力のない美由美には、そのつらさがどんなものか想像すらできなかったが、責任は感じていた。
やっと落ち着いた後で、美由美は同い歳の叔母に謝った。
「ごめん。イヤなもの見せちゃったみたい。ごめん」
しかし、彼女は微笑みを美由美に向けた。
「ううん、違うの。嫌じゃなかったの。ただね、とっても哀しかったの」
「かな・・・しい?」
「うん。あのね、あの人。死んじゃってたの。最後にね、闇のものを封印したの。その時にね、死んじゃったの。とっても哀しい死に方だったの。記録を書いている人が、涙をこらえながら、一文字一文字書いていくのが見えたの・・・。その人がとても大事だったから。みんなも、とっても悲しかったの。だから・・・。だからここにしまっておいたの・・・」
皆が涙をこらえていた。それでこの子は代わりに泣いたのか。悲しいのに泣けなかった人たちの代わりに。死んでしまったみゆみを悼んで。
美由美は姫を抱きしめた。
「ごめん。ごめん」
そう言い続けながら。
以後は姫のいない時にいろいろ聞いてみたが、母も誰も「みゆみ」という娘を知らなかった。こっそりと帳場に忍び込んだり、家系図もひっくり返してみたが、「みゆみ」の文字は無かった。あまりに悲しくて、その存在も消してしまったのか。自分の名前はその思い出に因んで付けられたのか。どんな娘だったのか。その親戚は残っているのか。
気になる。とっても気になる。ご飯のお代わりを忘れるほど、気になってしょうがない。そして新作ソフトの発売日を忘れて友達に先を越された時、これを解決しないと自分の人生が終わると信じ、最後の希望として大叔母の家に忍び込んだのだ。
初めて見る大叔母は山姥そのものだった。不機嫌極まりない顔で、出ていけと怒鳴られた。お邪魔しましたーと叫んで走り出したかったが、なにしろ自分の人生がかかっている。なんとか持ちこたえ、口を開いた。
「あたしは美由美っていうの」
「そんなことは知っとる。出てけ!」
挨拶と思われたのでさらにどぎまぎする。だが、同時に、人の話を聞かないばーさんだな、と怒りも込み上げてきた。なんだか怒りと共に自信も込み上げてくる気がする。あたしの人生かかってんだからね! 美由美は両足を踏ん張って怒鳴り返した。
「ばーさん、みゆみって名に覚えないか! 昔、あたしと同じ名前の奴がいたんだ! どーいう奴だったんだ? あたしの名前はそいつがオリジナルなのか!」
予想より大きな声が出た。もう大丈夫だ。怒りと自信が全身にあるのが分かる。たとえ妖怪だろうと山姥だろうと、臆する美由美さんじゃない。
「ほう、誰から聞いた?」
「し、知ってるのか! お、教えろ、どんな奴だった? どうして死んだ? 闇のってのはそんなに強かったのか? ドジ踏んだのか? どうして死んだんだよぉ!」
不意に大叔母がそのしわだらけの手を伸ばした。反射的に身を反らす。だが、それよりも早く、その手は美由美の頭の上にあった。ゆっくりと髪をなでるその手。美由美は落ち着いた。
「どうしても知りたかったんじゃな。自分の前世のようで、切っても切れないような気がして。でも誰も知らん。それどころか、一族の記録にみゆみなぞという者はおらん。まるで自分が産まれてすらいないような気がして、不安で不安でたまらなかったんじゃな。誰も自分のことを知らないような気がしたんじゃな、おぬし。
安心せえ。わしが知っておる。昔みゆみがおったのも、そして今ここにお前がいるのもな」
手を添えたまま土間に降り、美由美の顔を見る大叔母。美由美は目の前に自分の理解者がいることを知った。頭をなでてくれる手は力強く、頼りがいがあった。外見は最低だが、どうやらいい奴らしい。美由美は涙をこらえながらそう評価すると、この老婆を信じることにした。
出されたかりんとうをがしがしとかじっていると、老婆はなにやら本のようなものを持って戻ってきた。ぺらぺらとめくり、その一ページを美由美に向ける。
「これじゃ」
そう言われて見ると、黄色というか、茶色というか、色褪せて変色した写真があった。アルバムなのか。そう思いながらも老婆のしわだらけの指が差す写真を見た。女学生、というのだろうか。和服を着た三人の娘が写っていた。ま、まずまずの顔だな。あたしにゃ負けるが。そんなことをふと思った時、老婆が言った。
「この一番右。これがわしじゃ」
誰もンなこたぁ聞いてねー! そう叫びそうになった時、老婆が続けた。
「で、そっちがみゆみじゃ」
はっとして写真を見る。三人の一番右は既に心のフィルターがかかり見えていない。真ん中の娘か? なにやらすごく繊細で、サナトリウムあたりでひっそりと暮らしてるお嬢様って感じ。印象としては由美に似ていた。それとも一番左? 当時としてはずいぶん長身で、筋肉もありそうだ。髪は他の二人同様、長髪を結っているが、ばっさり切り揃えた方が絶対似合う。そうすれば国体参加レベルのスポーツ選手に見えるだろう。どっちだ? 病弱っぽくて賢そうな方か、それとも運動選手か?
美由美は答えを知りたくてばーさんを見た。
「どっちだ?」
「どっち、ではない。両方じゃよ」
「はぁ?!」
「誰も知らんのは当然じゃ。みゆみというのは人の名ではない。この二人が組んで退魔業をする時の鈴の音、つまり組の名じゃ。おまえがいくら探しても見つかるわけがない」
そうか。そうだったのか。だから家系図にもなかったのか。急に安心感が込み上げてくる。よかった、本当にいたんだ。そう言われてみると、この二人、チームを組むには丁度いいかもしれない。戦士と術者のペアだ。強かったのだろう。あれだけの戦績を残していたのだ。でも、最後は死んでしまった。哀しいと誰もが思う死に方で。
食い入るように写真を見つめる美由美の表情でその想いを読んだのか、老婆は茶を入れながら話しを続けた。
チームみゆみ。彼らは向かうところ敵なし、常勝の切り札的存在だった。間違いなくエースだった。他のチームが失敗したミッションのみに派遣される、スィーパーのようなものだった。ばーさんが難なく英語を使うのでちょっと面食らったが、美由美は写真に見入りながら解説を聞いていた。
最期の戦いは霊穴封じだった。魔性クラスではなく、間違いなく闇のものがからんでいると知れていたから、彼らが向かった。「闇のもの」。真由美もそう言っていた。それは異界よりも深淵から現れる、強大な存在らしい。この屋敷のある場所で江戸時代にあった一大合戦も闇のものとの戦いだったという。
ボスキャラだな。美由美は勝手にそう決めつけた。
チームみゆみの他に、四つの組と美咲家に従う家の戦士の一群、総計三十人強が出立した。それ程に闇のものは強大だったのだ。ばーさんも術者としてそこにいた。闇のものを封印するその戦いの場に。
敵は圧倒的だった。予想していたよりも遙かに大物だった。術をことごとく跳ね返し、剣士をかるがると切り捨てた。絶望的だ。こうなったら最後の手段しかない。決心したみゆみたちは残った皆に陣形を指示した。サナトリウム娘が中心に立ち、ばーさんたち術者がそれぞれに唱える呪を組み上げ、練り始めた。集団術法。奥義である。闇のものはそれに気づいたが、せせら笑った。その手に闇の球体を練り上げながら。
奥義と闇の球体。どちらか先に形になった方が勝つ。戦士たちは時をかせぐため必死に闇のものに斬りかかるが、その足下に記された闇の結界の呪陣をやぶれず、全く手が出ない。そして・・・。先に組み上がったのは闇の球体だった。全員が絶望した。闇のものの手が上がり、生きとし生ける者総てを腐敗させる腐気の珠が、術者の中心、サナトリウム娘に放たれた。終わった。皆がそう思った。
その時。
みゆみのもう一人、体育会系が飛び上がり、その珠にくないで斬りつけた。珠はその形を変え、くないを包んで、肉体を求め彼女の右手に這い上がる。身をもって仲間を救おうというのか。だが、それでも珠は彼女を食らいつくした後、すぐに襲ってくる。ほんの数秒、生きながらえただけだ。奥義にはまだ時間が足りない。そうばーさんも、そこにいる皆も思った。しかし、体育娘の思惑は違った。彼女は右半身を結界に叩きつけた。自分の右手を覆い尽くそうとする闇の力で同じ闇の結界を破ったのだ。そのまま闇のものの足下に飛び込む娘。しかし、時既に遅し。瞬時に闇の結界は戻り、その中で彼女の体は腐敗して崩れた。その時、まだ十分に練り上げられていないまま、奥義が放たれた。闇のものは球体を即座に呼び戻して結界に取り込み、闇の結界を強化した。その漆黒の壁に奥義が触れた瞬間、術力では圧倒的に勝るはずの結界がそこだけ退いた。まるで呪を招き入れるかのように。唖然とする闇のものは空間を乱す奥義によって、その力を奪われた。同時に結界も消えた。
「突撃ー!」
娘の声で戦士が一斉に斬りかかり、闇のものは封印された。総てが終わった時。ばーさんは娘がじっと見つめている物を見た。床に転がっている肉片。あの娘の左手だった。みゆみと命名されたミサキの鈴をその手はしっかりと握っていた。
うずくまり、腕を取る。そして強ばったその指を伸ばそうとする娘。しかし、しっかりと握っており、なかなか外れない。
「最後まで、最期までようこの腕で我に仕えてくれた・・・。よう誓いを守ってくれた。
だがもうよい。終わったのだ。もう・・・もう戦わずしてよい・・・」
泣きながらその手から鈴を取ると、根本が腐敗した腕を抱きしめ、術者はそのままじっと動かなかった。
「あやつはな、闇のものの足下に飛び込むと、かろうじて自由に動く左手に握ったミサキの鈴を闇の結界陣に押しつけたのじゃろう。鈴は二人の物じゃった。当然、その一方が放った術はもう一人のもとへ行こうとする。二人で一つだったのじゃからな。結界はその理の力に作用され、術を通したのじゃよ。それが当たり前のようにな。
結局、闇のものは奥義の直撃を受けた。みゆみのチームワークでな」
美由美はあまりに現実離れしたこの話に驚愕した。そうか、それでみんな哀しかったのか。絶望に染まった自分を恥じたのか。最後まで諦めなかった彼女の行為に己を恥じ、その死を嘆いたのか。自分たちが絶望さえしなければ。その娘が動いたとき、一斉にそれを支援できれば、娘は助かったかもしれない。片腕は失ったかもしれないが、命は助かったかもしれない。でも、皆希望を捨ててしまっていた。それで哀しかったのか。
待てよ。サナトリウム娘はどーした? ひょっとして後追い自殺? それとも生きてるのか、今も。
「こうしてみゆみはなくなった。みゆみとは字ではこう書く」
老婆は机からこの家に似合わないものを取り出した。先月出たばかりのPDAである。美由美も雑誌で知っていたが、実物は初めて見た。はっとして机を見ると、21インチはあるディスプレーが2台並んでいる。げげっと驚く美由美の前で大叔母は付属のスタイラスペンを取ると、そのパッドにこう書き付けた。
美有ミ
「二人の名を重ねたものじゃ」といいつつ、その下にさらに二つの名を書いた。
美有佳 ユミ
まさか・・・。そんな・・・。
「生き残った術者の方はそれを期に現役を退き、御主となった。あやつの最後の戦いじゃったよ」
老婆の言葉を聞きながら、美由美はサナトリウム娘の顔を見た。そうか。由美に似てるだけじゃない。真由美にも似ている。この美しい娘が・・・。そうだったのか。
「歳はとりたくないな・・・」
美由美の頭はPDAでこづかれた。
「ばーさんさぁ、美有佳っての、どんな奴だった?」
縁側で、三つ目のすあまを頬張りながら、ふと前から気になっていたことを聞いてみた。
「御主に聞け。あ奴が一番よう知っとる」
そうぶっきらぼうに答える大叔母はユミと全然似ていない。確かに昔の写真では似ているところもあったが、背筋もしゃんとして、いかにも女丈夫という妹と異なり、この姉はすっかり日本昔話の山姥だ。その声も外見にぴったりのしわ枯れ声だし。
「あのばばぁに聞いたって、当たり障りのないこと言われるだけじゃん。ばーさんもあのばばぁの性格、知ってるっしょ?」
あ奴が「ばばぁ」でわしは「ばーさん」か。ま、ちっとは尊敬しとるということかの?
大叔母はそう考え、仕方なく年長者としての知識を披露することにした。本来、折りが来ればユミが話すことであろう。しかし、この小娘だけが自分を恐れないのにも、何か必然があるのやもしれぬ。そう結論し、大叔母は昔話しを始めた。
美有佳。「みゆか」と読む。彼女は仲田野家の三女として産まれた。分美咲家の一つで東京大空襲で滅んだ東美咲家の傍系である。戦後寄るどころをなくして本家のあるこの街に越してきたのだ。
そう言えば美雪先輩が仲田野という名字だった。ひょっとすると親戚かもしれない。美由美はそう思ったが、口をはさまず、ばーさんの話を聞いていた。
美有佳はばーさんより二つ年下だった。ユミが修行を終え、実戦に赴く頃にはすでに若いが中堅の一人だった。14才から実戦に参加していた彼女は、術力を持たぬという欠点を、その剣技で十分に補っていたのである。
彼女の名のミユという音にも意味がある。本来は「未由」とかく。未だ由なきもの、の意だ。
時として美咲の一族にも術も由見の力も持たぬ者が産まれる。大抵は少しでも何かの素養は持って産まれるというのに。一般人でさえ、意志がとてつもなく強い者とか、モノが見える者とかがいるのにだ。
ただ血が薄くなった場合もある。そういった娘は大抵同格か下位の家に嫁いで行く。婿養子が基本の美咲家にとっては例外である。だが、中にはごく稀にだが、本当に全くサラの状態で産まれる者がいる。そういった者は長く人間として産まれていなかったのか、あるいは精霊なり器物神なり、人にあらざるものが人として転生したと考えられていた。人としての前世、つまり「由」を「未だ」持たぬ者。ミユとはそういう意味だ。
単にユミを逆にしただけじゃ? 美由美はそう思ったが、かろうじて口に出すのは思いとどまった。
美有佳もそういった一人だった。術がない。由見の力もない。一族としては「ハズレ」の子。しかし、そのマイナスがプラスになることもあった。
術者としての修行中、先輩たちに守られながらユミが実戦訓練を受けていた時。幻影を操る妖しと戦ったことがあった。非常に技に長けた妖しで、現界のみならず、異界にまでその影を見せ、先輩格の術者もユミも翻弄された。実体はどこだ? 誰も見抜けなかった。撤退しかないか。そう思ったとき、一人の剣士がいきなり飛び出し、壁を切り裂いた。幻影が解け、妖し本体が現れた。すかさずユミの呪が飛んで戦いは終わった。
どうして場所が分かったのかという問いに、剣士が答えた。あそこだけ松明の影が揺れていなかった、と。
その手練れが美有佳だった。
彼女は一切術力を持たない。逆に言えば幻影など、精神に及ぼす術は効きにくいのだ。
後に修行を終え、実戦に赴く事になった時、ユミは単独で退魔業をするのではなく、美有佳をパートナーに選び、組になることを望んだ。ユミ自身は次期当主として十分な由見の力と術力を併せ持つ。ならば術者と組ませるまでもあるまい。美有佳は術は全く持たぬが剣技にかけては申し分ない。いや、むしろ補い合うよい組となろう。家柄は全く持って差がありすぎたが、ユミの強い希望で時の御主はそれを許可した。
美咲家の退魔師としての証、ミサキの鈴に名を掘るとき、美有佳は「美有ミ」と記すのを強固に反対した。三文字のうち自分の名が二文字もある。しかもそれが先に来ていては・・・。立場も極端に違う。美有佳はパートナー自体辞退したかった。
しかし、ユミは意見を譲らなかった。自分は初心者である。美有佳に助けてもらわねばならない。その自分が前に名を記すのはおかしい。
「口に出してもみよ、ゆみゆ。これはちとおかしいであろうが」
「しかし、次期様、かといって・・・」
「ならば仮名で印そうぞ。それでどうじゃ」
「そうは申されましても・・・」
「我は死ぬわけにはいかぬ。我が身は我のみの物ではない。一族の物なのじゃ。頼む。我を育てるのに力を貸せ。頼む! お主のその腕が必要なのじゃ!」
「・・・。
分かりました。我が腕、常に次期様の御為に」
次期当主にそこまで言われては拝聴するしかなかった。
美由美はほっとした。ああ、「由美由」じゃなくてよかった。ちっとは偉いぞ、ばばぁ。誉めてやる。
美有佳は生真面目で与えられた任務を着実にこなす。決して器用ではないが上からの信頼は篤かった。またとても面倒見がよく、訓練や集団戦でひとたび美有佳の隊に入った者はそのまま彼女の部下になることを強く望んだ。術が使えぬ美有佳が部隊長であること自体、風あたりが強かったが、常に身分をわきまえ、決して奢らぬその性格故、大きな波風はなかった。欠点といえば自分からは何も言わず、何もしないこと。質問はと皆に問うても口を開くことはない。「美有佳、質問は」と名指しで指定して始めて「恐れながら・・・」と言い出すタイプであった。
そのため戦闘中はユミが美有佳の動きを常に見て取って指示するという形であった。一見するとユミが総て仕切っている様に見えたが、実際には次の手を決めていたのは経験豊かな美有佳の方だった。ユミは周囲の状況を判断しつつ、美有佳の行動を予測し、そのタイミングを許可していたのだ。そのため、指示をユミが発した時にはすでに美有佳は動いていた。最後の頃にはユミが頷くだけで美有佳はその任務を着実にこなしていた。
美有佳の忠誠について、一つの逸話がある。みゆみとなって間もない頃、泉水家から支援の要請があった。奥州にある旧知の家で陰陽道に連なる術者の家柄。同じ退魔師として美咲家とはいわばライバル関係であったが、共に情報源として重宝しあっているという仲の家である。前御主様の命で大叔母とユミがその側近と出向き、「由見」の力で魔性の結界の源を見い出し、それを滅した。後は泉水家の術者たちが妖しを封印し、事件は解決した。その祝いの宴の席上、不意に悲鳴と騒音が響いた。駆けつけた大叔母とユミは泉水家の衛士にその身を縛された美有佳の姿を見た。驚愕する姉妹。美有佳が泉水家の術者の一群に殴りかかったというのだ。
一歩遅れてやって来た家の主は説明を求めた。襲われた術者たちは大半が美有佳の拳で床に伸び、運び出されていたが、残っていた者たちは金切り声で美有佳を指差し、今日の戦さの出来事を友と語っているといきなり殴りかかってきたのだと言う。当主が今度は美有佳に説明を求めたが、美有佳は口を開かなかった。すかさずユミが何があったのか答えよと言うが、美有佳は「次期様のお耳に入れるくらいなら、黙して死にまする」と黙秘を宣言した。美有佳がユミの命に反したのは初めてのことであり、姉妹は途方に暮れた。
その時、一部始終を見ていた者たちがあらましを告げた。彼らの会話は今日のユミと美有佳、つまりみゆみの戦い方をあざけるものだったと。戦闘中ユミが発したのは「待て!」「守れ!」「倒せ!」の三語だけであった。美有佳はその指示に忠実に従い、結界のほころびを待ち、放たれた敵の呪文を弾き、そして次の呪文を唱えようとした隙を付き、結界の守り手を一刀の元に倒したのだ。
「まるで犬」。その戦いぶりをそう評して美有佳を挑発しようとしたらしい。術力が総てである泉水家の者にとって、それを一切持たぬくせに、重用されている彼女へのさげすみであった。だが美有佳に無視され、彼らは酒の勢いもあってさらに言をつなげた。「あれなら犬や猿でもできる」。そして最後にこう一座の者が言って笑い合った時、美有佳が飛びかかったのだ。
「猿回しと猿」と。
「まだ言うかっ! 次期様を大道芸人呼ばわりする者は許せん! 離せっ!」
美有佳が不意に暴れたので、衛士は咄嗟に呪縛の法で美有佳の動きを封じようとした。しかし、影縫いなどの半物理的術法ならともかく、精神を麻痺させる泉水家伝来の呪縛法は「未由」たる美有佳には効かない。驚愕に一座の者がどよめく中、大叔母は怒鳴った。
「虚け者っ! 美咲と泉水の間を血で汚すかっ!」
言葉を聞き、瞬時にひれ伏す美有佳。知恵を求めて大叔母は妹を見た。だが彼女は微動だにしない。
「ああいう頭で考えすぎる者はな」と大叔母が美由美に言う。
「自分の事となると全思考がフリーズしてしまうんじゃよ。自分の名誉を守るため美有佳が大変なことをしでかした。それが分かった途端、普段冷静なあ奴が阿呆になってしもうた。困った。わしも途方に暮れかけたよ。ところが、そこにいい御仁が立っておったのじゃ」
その混乱の中、大叔母が美有佳を救う手だてを求めて周りを見回すと、泉水家と美咲家との仲立ちに入っていた大仁木家の当主がはらはらしながら見守っているのが目に入った。大仁木家は江戸時代からの情報屋、いわゆる草といった下忍たちの元締めの一つで、今度の依頼も大仁木家からの斡旋という形であった。
大叔母は皆の注目を集めるようにわざとゆっくりと美有佳に近づき、あたりが静まり返るのを待って、美有佳のひれ伏す背を力任せに杖で叩いた。崩れる美有佳。失神しかけるユミ。
「美有佳。お主、大道芸人呼ばわりと申したな。その言葉、大仁木の一党を軽んじたものとなぜ分からぬ! さぁ、ご当主殿に謝罪せい」
血を吐きながら振り仰ぐ美有佳の顔は、先ほどまでの怒りで真っ赤にしていたのが嘘のように蒼白だった。大仁木家には軽業師や旅芸人一座に身を窶し、情報を収集する者が多かったのである。時の当主自身も若い頃には諸国を旅していた。大道芸人として。それに思いあたり、紙のように白くなった顔を大仁木の者に向け、美有佳は動かなくなった。そこにユミが、やっと呪縛から解かれたように弾き出て、大仁木の当主に深く頭を垂れた。当主はその家業柄、非常に頭の切れる人物であったので、大げさに憤慨したそぶりを見せた後、ユミの謝罪を受け入れて美有佳の身柄を預け、今後よく監督すべしと言い渡した。これでこの先美有佳の処分について言い出す者は大仁木の当主の決定を軽んじることとなった。
さらに彼は泉水の当主に向かい、事の仲裁をかって出てくれた。翌日、美咲家次期当主への雑言を吐いた術者たちはユミに謝罪し、ユミは家人が騒動を起こした事を泉水家当主に謝罪して総ては終わった。
「家への帰りがてら、わしは美有佳に聞いてみたもんじゃ。猿よ犬よと、畜生呼ばわりされてなぜ怒らなかったのかと。美有佳はこう答えた。もしも次期様の飼う犬が、次期様の命により妖しに牙を向け、次期様を守るために身をさらすのなら、自分にはそれは畜生とは思えない。それは我が姉妹であると。そう真顔で言うのじゃ。わしはもう呆れてものも言えなかったよ」
そう言って大叔母はけらけらと笑った。
「あの二人の性格は水と油のようじゃった。しかし、自分というもののあり方に常に真剣じゃった。この点では美咲の鈴のごとく、二人で一つであったよ」
大叔母はそこまでは語ったが、その鈴に関する話しは口にしなかった。あの闇のものとの戦さの後、前当主たる母と娘たちだけでいた時だ。ユミがぽつぽつと語ったことがある。
常日頃、美咲の鈴はユミが持っていた。術を使う時、その音で精神統一を促したり、その音そのものが触媒の術もあったからだ。しかし、あの霊穴に赴く朝、ユミは鈴に違和感を覚えた。自分が持っていてはいけない。そう由見の力で悟った彼女は自分の死を覚悟した。自分は次期当主である。死んではならぬ。しかし、この霊穴を沈めることこそ急務である。他の何を置いても。
ユミは美有佳を朝餉に誘って総てを語り、鈴を美有佳に預けた。自分の亡き後には姉に仕えてほしい。そう告げた。美有佳は黙ってうなづいた。いつもの無表情のまま。涙だけをこぼしながら。
「あの時、死ぬのは私と思っておった。だが・・・その逆であった。私は・・・。私はこれと共に告死を渡しておったのか・・・」
ユミは鈴を握りながらそう言ってまた泣いた。母たる当主はその手から鈴を取ると、懐にしまいこんだ。
「退魔師としてのそなたは死んだのだ。それに変わりはない。今より後は当主として歩むがよい。我は退く」
妹は激しく首を振って嫌がった。
「御主様は私にまた告死をせよと言うか! 一族の者が死ぬと分かっておる戦に出向けと告げよと!」
「そうじゃ。それ故、そなたに任せる。今から後は死すべきものが一人でも生き長らえるようにするのじゃ。それがそなたの勤めとなろう」
母はユミの隣に来て座った。そして娘の手を取り、こう続けた。
「いかに御主の勤めがつらく哀しいか、そなたは知った。あの娘が教えてくれたのじゃ。そのそなたであればこそ、一党の生死を委ねる。母は年老いた。長老に入り、そなたを支えることにしよう。ユミ、そなたが一族の定めを選ぶのじゃ」
大叔母は覚えていた。あの時の母と妹の姿を。今目の前にしているかのように。
ばーさんの家を出てから、美由美は敷地の中をぶらぶらしていた。いつものように街のゲーセンに行く気も起きず、気が付くと裏山の入り口に立つやぐらに登っていた。丸太を組んだような塔だ。ここは禁忌らしく、誰も来ないので、何か考えるのに丁度いい。
ぼーっと屋敷を見降ろしながら美由美は物思いに耽っていた。
どーしてだろう。なんでばばぁはあたしにみゆみの名を付けたのだろう。ばーさんはこう言っていた。
「おぬしが未由じゃからだろう。わしにも分かるぞ」
そーかなー。それだけかなー。だってうちのかーちゃんだってそうなんだろ? よく分からないがきっとそうだ。だからかーちゃんにはなーんにも期待せず、好き勝手やらせてるんだ。
なんでだろう。ひょっとしてあたしに真由美を守れってことかい? それとも、あたしが美有佳の生まれ変わりとか。あ、そりゃないな、だってそれじゃ由がないってことにならん。
うーん、混乱してきたぞ。あたしゃ、結局何者なんだい? あたしゃ美咲美由美。それは間違いない。でも、ばばぁはあたしに何を期待してこの名にしたんだ? これで、思いつかなかったから適当に、なんてのだったらぜってー張り倒す!
美紀子の娘で、由美の次に産まれた。だから美由美。だったらまぁ、意味は通る。
でもやっぱおかしい。何で「由見」でないあたしにユミの音を使ったんだ? それ自体タブーだろうが。これにはぜってーなんかある。ゲーマーの勘がそう告げている。
その時、足下から声がした。
「お昼ご飯だよぉ、降りといでよぉ」
この間の抜けた声。見るまでもない。姫だ。
「いらなーい。言っといて」
朝食と違い、昼食は基本的に参加自由だ。バイキング形式、っていうのか、好きにおかずを選んで、好きに食べる。時間も12時から2時までならいつでもいい。だから別に行かなくてもいい。
「そんなぁ。探してたのにぃ」
別に探してくれと頼んだ覚えはない。ま、そう言ってもこいつは膨れるだけだろうが。
今あたしゃ忙しいんだ。邪魔するな。
姫は何とか登ろうとしているが、なにせ最初は手がかりも足がかりもない。あんたにゃぜってー無理。ということで無視して考察続行。
美由美。この名をどう解釈するか。美・由美だとばかり思っていたが。由美より美しい子になるように。いい願いだ、うん。でも多分コレは違うな。残念だが。すると美由・美か? 未由・み。なんか意味があるか、最後の「み」に。力がないけど美しい子になるように。うーん、ま許してやってもいい願いだ。でもこれも違うだろう。そんな世間の母並の発想のハズがない、なにせ相手はあのばばぁだ。
時期的に見て、由美が1才になろうとし、ばばぁが真由美を身ごもっている頃のはずだ。いい名前は自分の子にとっとくだろうからな。やっぱてきとーか? 美佐子の美を見由に付けたのか? でもそれではタブーの「ゆみ」という音になるのは変わらないはずだ。美見由じゃなくてよかったが。
どうやらポイントはなぜ自分に「ゆみ」の音があるかだろう。御主にしか分からない、何かの力をあたしが持ってると踏んだのか。でもそれじゃ「みゆ」は使うまい。未由と見由が一緒だったからこそ、あのペアはみゆみだったのだ。それを一人に付けるなぞおかしい。矛盾している。分からん。あのばばぁにやぜってー聞きたくないし、聞いたところで素直に答えまい。てきとーなことヌかしてだますのは目に見えている。頭のいい奴ぁいつもそうだ。
分からん。分からん。あー、いらいらするっ!
その時、下でなにやらじたばたしているのが目に入った。
ん?
見ると姫がどうやったのかは分からないが、最初の段にからまってにっちもさっちも行かないでいる。あそこまで2メートル近い。よじ登ったのか? あのどんくさい奴が?
「みゆみぃ・・・助けてぇ・・・」
両手両足でナマケモノのようにぶら下がりながら姫がわめいている。バカだ、あいつは。腕の力がなくて体重を支えられず、さりとて飛び降りる勇気もなし。ちっと考えればそうなることくらい分かるだろーが!
「みゆみぃ・・・みゆみぃ」
こいつはいつもそうだ。あたしの後ばかり付いてきて、結局こーなる。自分が運痴だとなぜ気づかん。いつもああやってあたしの名前を呼ぶんだ。ああやって・・・
「みゆみぃ。みゆみい・・・」
みゆみぃ。
その声を美由美は何度聞いたか。一万回くらいかもしれない。だが、今、初めてその言葉を聞いたような気がした。
み・ゆ・み・ぃ
それは美由でも由美でも、未由でも由見でもない。総てが平坦な発音。「み・ゆ・み」。そしてその最後の語尾が微妙に延びる、間の抜けた「い」の音。「み・ゆ・み・い」
今、自分が命名されたような気がした。そうか。「未由」と「由見」の間に「居」るもの。自分の立場がはっきりと見えた。美咲家の主系であり、なおかつ世俗の中にも居るもの。内と外をつなぐ橋。
ばばぁは美有佳にそうなって欲しかったのか。自分が御主となった後で、血を引く者とそうでない者、その二者の橋渡しとなる存在。未由と由見の双方に信頼され、双方の軋轢を薄める潤滑油。だから「みゆ」と「ゆみ」の音が必要だったのか。
いや、あのばばぁが何を望んでたってあたしの知ったことか。急に今までの悩みがばからしくなってきた。17年も前の話だぜ? そんなの知るか! だって、あたしゃ、姫に呼ばれたんだ。「みゆみぃ」って。ばばぁがどう思ったかなんて関係ない。だが、少なくとも姫があたしをどう認識してるかはハッキリと分かった。
姫にとって美咲家が「内」、世間が「外」。でもサーたちには世間が「内」で、美咲が「外」。でもあたしゃ、どっちも「内」だ。組織に所属しないアウトローにはアウトローなりの存在意義がある。由美ねぇも姫もあたしのダチだ。でシュンもサーも、元帥や朝臣も同じダチ。それがあたしの意義なんだ。一般人でも退魔師でもない。その双方の仲立ち。どちらにも属さないが、どちらでもあるもの。それがあたし。美咲美由美。それが姫から見たあたし。美咲美由美。
「なぁんだ、そっか。じゃ、今までどうりでいいんじゃん」
大笑いする美由美に、助けを求めて情けない声を出す姫。しかたねーなー、という感じで美由美は膝でやぐらの材木をはさみ、くるっと回転し、素早く下の段を手で掴んでさらに下へと回転する。あっという間に姫の脇をすり抜けて地面に飛び降りた。
姫を降ろしてやりながら、美由美は思った。
美有佳は18才で死んだ。でも、あたしは老衰で死んでやる。ばばぁやばーさんよりずっと長生きしてからな、美有佳。あたしゃあんたの生まれ変わりじゃない。由美ねぇも姫も守ってやるさ。でも、あたしもぜってー死ぬもんか。何が来ようと、あんた同様絶望なんかしない。さらに、あたしゃ死なない! あたしを誰だと思うんだ? あたしゃ天下無敵の美由美さんだぜ。
また大笑いしながら、昼飯時だったことを思い出し、ずしずしと食堂に向かう美由美。その後を真由美が付いて行く。とことこと。まっすぐ歩く美由美のちょっと後を、とことこと。
いつものように。
彼女の日常 その二 美由美の場合 Ende
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