von:秋澤 弘
第十五章
美咲の山の麓。市民公園にほど近い空き地に仮の社が建てられ、尾宇部の太刀はそこに祭られた。すでに夕刻が近い。魔性たちに儀式を邪魔されることを恐れ、また分美咲から十分な数の術者を集める時間も必要だったので、封印の儀は明正午からと決められたのだ。
一夜にせよ目的不明な強大な存在を美咲の屋敷内に置くことは危険すぎた。結界は侵入を阻止するためのものだからだ。トロイの木馬の例もある。そこで帰還した御主、ユミの指示でここに社が造られたのであった。周囲には既に術法結界が張り巡らされている。
ドライブの途中で休憩を兼ね、人目を避けるように若いアベックやってきた。しかし、いつもの空き地を目にした途端、雨が降り出しそうな気配を感じて大慌てで車に戻っていった。外からは普段と変わらぬ様に見える結界の内部では八名の退魔師が珍入者撃退成功に安堵していた。夜は永い。太刀の波動は全く感じられなかったが、己の意志で入った以上、同じく出れるはずである、己の意志で。
退魔師たちはまんじりともせずに朝を迎えることになろう。
夜のとばりが訪れた。山際の屋敷では明日の封印の儀に備え、己の眠りを意志で操れる由美たち術者がぐっすりと眠っていた。美由美も爆睡中だ。大宮での疲れも残っていたし、ずっと白石に緊急事態を伝えるべく、仲間と探し回っていたのだ、熟睡は当然の結果だ。
真由美は母と共に一室にいた。大叔母と今後の対策を相談していたのである。既に大宮と館林から応援が到着している。明日早朝には築館と越前の分美咲の術者が集う。西日本の分美咲の御主やその代理も本家の次期を襲った事件のために集っていたのも幸いし、結界術者の総数は三桁に及ぶ。彼等の意志を統率し、練り上げて緋色の刃を封印せねばならない。その間に、他の妖しが美咲の山に至る可能性も有り、屋敷の結界も強化しながらだ。事の進行は慎重に慎重を要する。
しかしながらある程度の危険を察知できる真由美の発言もあり、なんとか式次第が形になった。
一服することになり小林が茶を用意して退室したすぐ後で、啓介が現れた。彼は一礼すると、美咲の作法に従って前口上もなく早速本題に入った。
「実家の甥と電話していたのですが、奴が言うには明日、こちらで事が起こる予兆があると。その事をお伝えしたいのですが」
ユミも大叔母も無言でうなづいた。真由美はきょとんとしている。啓介は扉を閉め、皆の前に立つとメモを取りだして語りだした。
「甥はうちの星見の司です。奴の見立てはこうです。
<四つの星がぶつかる。三つは赤。一つは無色。赤が集い、三つが一つになる。赤と無色の二つになる。
二つがさらにぶつかる。しかし弾けず争わず、それが一つになる。無色と赤が溶けて薄紅の鴇(とき)色になる。
四つが溶けて一つの星になる。鴇色の大いなる星に>
以上です。甥は星見ですので、見た事の読みはしません。俺にも分かりません。俺がお伝えできるのはここまでです」
啓介は頭を下げ、来たとき同様にすたすたと退室していった。
ユミと大叔母。歳相応に豊富な知識を持つこの姉妹は視線を合わせた。美咲の由見の技と違い、星見はそれなりの用意が出来ていなくては見えない。既に芸術の域に達しているほどの古典的儀式である。また星見である以上、時と方角、そしてその司る星座を先に指定して準備しなくてはならない。ましてや星見の術者が当主の許可なく儀式をすることもありえなかった。
「どうやら筧に借りを作ったかな?」
大叔母はにやにやしながらそう言った。ユミは頷いた。しかし、真由美は即座に首を振った。
「ううん、けひふけふぁんはぁ、かひをかえひたたけだよ」
お茶と一緒に出された小さな練り菓子を頬張りながらそう言う真由美に母が厳しい目を向けた。あわててお茶をすすり、飲み込むともう一度言い直す次期当主。
「あのね、啓介さんは借りを返したかったの。筧の人たちは啓介さんを時間から出してくれたお礼がしたかったの。それだけだよ」
「借りとは何です?」と母。
「刀」
真由美の答えに大叔母がまた笑った。
「なるほどな、余程<七つの剣>が気に入ったか。今時珍しい、生粋の剣士じゃからの」
「それだけじゃないよ。あのね、啓介さんはぁ美咲になるつもりなの。だから美咲が啓介さんに美咲の剣を貸したのですごく感激してるの。もともと封印されてたみたいな啓介さんを由美ねぇさんが連れて帰ったでしょ? あの時から啓介さんは、ずっと考えてたの。自分はお返しに何ができるのかって。筧では啓介さんの居場所はもうないもの。だから美咲の啓介になりたいの。だから、自分で出来ることは何でもしようって思ってるの。だからだよ」
「ほほぅ、あ奴、由美の夫君になるつもりか? うむ、祝言で組みになることもある。名実共に同じ道を歩むのもよいかの?」
「しかし、姉(あね)様、由美にはそのつもりがないようですが」
「男女の仲など、誰にも読めぬものじゃよ」
「それはそうですが。しかし、由美は啓介さんを幸せにできるでしょうか? どうもあの子には妻とか母と言った色が見えないのです」
「それも変わるものじゃ。お主自身、現役だった頃には妻の色など毛程も読めんかったぞ」
姉妹が会話するその間に真由美はもう一個頬張った。今度は口で溶けるのをゆっくり楽しんだ。さっきのは慌てて食べてしまったから。そして味わった幸せの表情のままで老婆の会話に口を挟む。
「ううん、それはないよ。二人は結婚しない。啓介さんは他の人と結婚するもの。でも、それでもずぅっと由美ねぇさんの相棒だよ。ずっとね」
真由美の言葉にきょとんとする二人。
「で、では誰と? いや、それよりも由美は誰と?」
「知らない。だって男女の仲って難しいんでしょ? あの二人は結婚しないよ。でも誰とするのかは分からない」
真由美の言葉に目を合わせる二人。こほんと母が咳払いをし、話を変えた。
「さて、では先ほどの読みはどう思われますか、あね様」
「お、おお。うむ、三つの赤とは真由美がおうたものと大宮を通った例のものじゃろうな。使い魔、のっぺら坊、そして太刀に籠もった赤い光。だが無色のものが分からぬ」
「太刀かと思ったのですが」
「うむ。しかし、まず三つが合わさるという。先に光りと太刀が合わさってしもうたからな、それはないじゃろう。門という可能性もあるがな、無色の門。意味がわからんぞ、ふむ。
ましてや鴇色の、ときた。ピンクの薄い色。そう言われても、何も浮かばん」
「知恵者に問いただせましょうか?」
「そうじゃな・・・どちらかと言えば無色だったと言う方が大事かの」
大叔母の言葉に頷くユミ。
「ええ。今すでにあるものでしょうから。無色。白でも黒でもないという意味でしょうか?」
「赤い物に封印というか、何か術がなされ、その存在が薄まるという解釈もできるがな。
真由美はどう読む?」
「全然分かんないの。さっきの言葉には言霊がなかったもの」
それもそのはずだ。星見の言葉には読みを違えぬように言霊を廃することになっているのだ。啓介も時見の術者。甥の言葉そのままに言霊を廃して伝えていた。となれば由見の技でどうなるものでもない。
「弾けず争わず、か。つまり四つが一つになるが、初めは敵対しているということか」
「途中に選択の余地がないということは既に決定事項ということ。つまり読みたがえはできぬということ」
「うーむ。そのようじゃな」
大叔母はうなった。
「逆に言えば予定どおり続けるしかあるまい。じゃが、儂とお主は持ち場を換えた方がよかろう。儂が長老たちと屋敷を守る。お主は退魔師と封印の儀を司れ」
「はい、あね様。そこに総てが集うと読んでよいでしょう。もしも無色が門だとしても、まず総ての赤が集うようです」
「そうじゃな。小林の隊もそちらに置いた方がよかろう。儂は真紗希の隊を従える。実戦には小林の方がよかろう」
「弓枝の隊は馬止めあたりで待機ですね」
用意した遊撃隊の割り振りも決め、真由美が茶をすする間に御主姉妹は総ての予定を組み上げた。
「ま、読みについては一晩考えるかの。なんとかは休むに似たり、というがな。では御主よ、儂は寝る」
大叔母はそう言って真由美の肩を軽く叩いて挨拶すると部屋を出ていった。
「真由美さん、夜も更けました。あなたも今日はお休みなさい」
母にそう言われ、真由美はさみしそうな顔になった。車椅子に座る上半身を母に傾け、よりかかる。母はそっとその頭をなでた。
「あなたの体は休息を必要としています。お医者様の指示を曲げて同席していたのですよ、早く寝なさい」
「でも。でもおかぁさんと少しでも一緒にいたい。いられる内に」
真由美は母の胸に顔を埋めた。この子には何も隠せない。母は言葉を失い、その短い髪をそっとなで続けた。
その日は近い。自分の亡き後、この子はどうやって乗り切るのだろうか。一番大事な時に自分はもういない。ユミはそのまま娘の髪をなで続ける。
「おかぁさん。おかぁさん」
真由美は時折そう呼びかける。その髪をなでながら、母が口を開いた。
「私は母失格です。母よりも師を選んだのですから。それでも、あなたはおかあさんと呼んでくれるのですね、私を」
「うん。だっておかぁさんだもの。
おかぁさん、和嘉子姉様も美紀子姉様も、わたしもおかぁさんが大好きだよ。みんな覚えてるもの、おかぁさんのこの手」
そう言って真由美は自分の手を添えて母の掌を頬に寄せた。すり寄せながら思いを告げる。
「おかぁさん、わたしたちはみんなおかぁさんの子だよ。おかぁさんの手をずっと覚えてるよ。いつまでも。だから、だから・・・
泣かないで、おかぁさん」
ユミは涙を流しながら娘の髪をなで続けた。それしかできなかったから。
第十六章
翌日、正午きっかりに封印の儀が始まった。東日本にいる美咲一族の結界術者がほとんど集っている。いないのは留守を守る最低限の人数のみと言えるほどに。上座には御主と次期が座る。その脇に分美咲の御主やその代理が集っていた。儀式の間、屋敷を守るのは大叔母と長老たちだ。
美由美は学校に行っているのでこの場にはいない。彼女は彼女なりの協力の仕方を考えていたのだ。
放課後になった。電話で儀式が予定通り進行中と知った美由美は、彼女もまた予定通りの行動に移った。
超常研のメンバーと、約束の駅前ロータリーに向かうと、既にOBが八人集まっていた。時間的に自由な者だけだが、みな心の通じた仲間である。彼等は自分の担当する地域を確認すると、ある者は自転車で、ある者は徒歩で、そして原付で出発した。バックアップチームはシュンと朝臣、そして本条百合恵。三人は繁華街の外れにあるさびれた喫茶店に向かう。去年、殿下たちのたまり場だった店だ。マスターとも顔なじみ。ばらばらに集まってくるOBに指示を出す以上、いつまで陣どることになるか分からない。となると、そこしか無かったのだ。
目標は確認されただけで後二種。特に大宮で逃した例ののっぺら坊は大体進路も判明していた。超常研は全力でその探索に入っていたのである。
駅の反対側のバスターミナルに、制服姿の高校生の集団が降り立った。背中には弓でも入っているような細く長いバッグがある。これから大会会場に向かう運動部員のように、綺麗に八つの列に並んだ。
彼等を前にして、二人の男が立つ。その一人、長身でがっしりした体格の男が静かな声で宣言する。
「最後にもう一度念を押す。決して手を出すな。自分たちの任務は索敵、及び一般人の避難である。各人心せよ」
全員を見回して、もう一人、背の低い華奢な男が後を次いだ。
「あー、そういうことだ。小田の言葉を忘れるな。よし、一高、二高各隊予定通りに出発せよ」
鳴綾第一高霊性会の桂の言に彼等は八隊に別れて歩き出した。
かくして総数百名に及ぶ索敵隊が予定進路を虱潰しに移動し出した。赤い人型を求めて。
街の中央を流れる零上(れかみ)川。人々に単に川と呼ばれているその河原沿いを下校途中の中学生の一群が歩いていた。帰ってきたテストの成績で盛り上がりながら、一人が何気なく平たい小石を拾い、河面に投げた。三回跳び、水に消える小石。
「ばーか、何ガキみてぇなことしちょるん?」
級友にそう言われたが、その子は立ち止まって河面を見つめたままだ。数歩進み、彼が付いてこないのを知って仲間がもう一度声を掛けるが、彼は河を指さして立ち止まっている。
こうして赤い人型の第一発見者はそれを仲間に伝えた。広い川面は大雨の時には濁った茶色の濁流になるが、今はずいぶん透き通って見えている。その水面が急激に濁っている場所があった。そこには時折人の様なモノが見える。アクアラング姿でもないし、エアチューブを引っ張っている形跡もない。周囲を見るが、別にTVカメラも局の車もない。
中学生たちは恐怖に心臓を鷲掴みされるのを覚えた。去年、学校であった怖ろしい出来事を思い出して。
一人が走り出すと、それを合図に、まるで蜘蛛の子を散らすように逃げ出す生徒達。しかし、そのうちの二人だけは元来た道を引き返し、学校に駆け込んだ。報告を受けた担任は真っ青になった。去年の忌まわしい、一生忘れられぬ事件はまだその爪痕が深かったのだ。すぐに教頭に連絡する。彼もまた青ざめ、校長室に飛び込んだ。校長は報告を受けると引き出しにしまってあった手帳を開けた。まさかまたこれを開くことになろうとは。去年、事件を解決してくれた彼等にまた頼ることになるとは・・・。こうして発見は校長から校長へと電話で知らせられた。その報は生徒会を通じ、ただちに超常研へと伝わった。
「こちらベース。索敵員全員に告げる。昭和新町橋と斎戒橋の間、零上川内に水中を進行中の人型あり。繰り返す、昭和新町橋と・・・」
朝臣が無線で報告する間に、シュンが携帯で桂に発見を伝える。その地域は霊性会の受け持ちだったのだ。その脇では本条が美咲家に電話を掛けていた。
零上川はほぼ南北に流れているがそれを遡ると街の外れ付近で大きく東に迂回する。丁度その先をまっすぐ進めば美咲の御山だ。知らせを受けたユミは待機していた小林の退魔師隊を出し、水際でその正体を確認し、可能ならば足止めすることを命じた。封印はまだ整っていない。あと二時間はかかるだろう。今乱入されたら総てが水の泡だ。ましてや相手は歩くだけではない。美由美の推測では短時間ながら飛ぶことも可能である。しかし、この敵は肉弾戦しかできないらしい。遠距離から肉体を止める術法をかけ続けるしかない。指令を受け、遊撃隊として待機していた小林は七名の部下と共に出撃した。
目的地である蛇行部分の河川敷は大水に備え、特に広く取られている。普段は市民の憩いの場だ。まずは市民を安全な場所に誘導せねばならない。この先はすぐに市民公園。だが、丁度森林部分なのでここの避難は簡単であろう。そしてそこから屋敷までは美咲の土地である。となると最大の危険地帯は河川敷だ。
二台の車に分乗した退魔師隊が河川敷脇の道路に車を留めた。すぐさま美咲の呪い着に身を固めた一団が河川敷へ向かう。しかし、そこに集っているはずの一般市民はいなかった。そこにいたのは広い河川敷一杯に広がって棒術の稽古をする男子生徒たちだったのである。
「よし、一高、組になり手合い開始!」
「せやっ! せやっ!」
騒がしい気合いが周囲に満ちている。反対側の河川敷では憩いの場を奪われたらしいカップルや親子連れがかたまっていた。向こう側はえらく狭いのだ。
「ほほぅ、今日はメイド服ではないな」
柳が稽古の指導を続けながら小林に話しかける。
「柳様。これは一体?」
「美咲に頼まれてな。索敵を、そして発見後は市民の誘導を。とりあえず目標には美咲たちが張り付いている。後十分程でここへ来る。それまで安全確保するには、これしか思いつかなかったのだ」
小林は唖然として周囲を見た。霊性会のメンバーは高校毎に二つに別れ、河の中心から美咲の山までの直線上を開けたまま、一般人が入れないように位置に付いていた。美咲のものとは根本的に性質が異なるが、これは結界である。その中心を注視した目に、その光景がまやかしであることが映った。由見の力で、である。力を持たぬ者は、霊性会のメンバーが作り上げた幻の河川敷を見るだけであろう。彼等はここを封じているのだ。進行を、ではなく、視界を。ここで目標が上陸しても、由見でない者にはそれが見えない。それを悟った小林は、今朝の美由美の張り切った顔の謎が解けた。成る程、他家の者、美咲にあらざる者を友とする。これが美由美様のお力か。その間に桂が美由美と連絡を取り、小林に携帯を渡した。
「美咲の元気者が出ている」
小林はそれを受け取った。
「こちら小林です。美由美様・・・。はい。・・・。はい。
よろしいですか、決して・・・。はいそのとおりです。ではここはお任せします。我々は公園の安全を確認後、その外の私有地で仕掛けます。人が入らないようにご協力願えますか?」
河沿いの道を遡りながら赤い人型を追跡する美由美はPHSに向けて言った。
「協力? いまさらなに言ってるの。ここはあたし等の街。守るのは当然じゃん。大丈夫、みんなあいつが手に負えない暴れモンだって分かってるから。誰も手を出したりゃしないよ。
・・・。うん、じゃ!」
美由美はPHSを切り仲間に声を掛けた。
「うちらの担当は公園まで。合戦場は公園の北側のあたしんちの雑木林だって。そこに誰も入れないようにあたし等で頑張るよ!」
「おう!」
元帥は元気に答えた。美由美はついでベースに事態を告げるべく電話を掛けた。そしてベースから河の反対側を進むOBたちと河川敷で陣取る霊性会に状況説明が行われ、全員がその指示に従った。
朝臣は指示の最後にこう付け加えた。
「まだもう一種、飛行タイプが未発見。小さな赤い影。羽根有。スピードは随分速い。上空にも注意されたし、以上!」
12分後、赤い人型は人々の視界から外れたまま霊性会員たちの中心で上陸し、公園に入っていった。美由美たちは全員合流し、その後を追って公園に消えた。
社では封印術法が最終段階に入ろうとしていた。周囲の空間からここを分断し、総ての精霊を社内から薄め、霊的な真空状態の作成が終了したのだ。築館の分美咲の代表、白鳥ユウカが諸手を挙げ、ついに結界術者の練り上げた封じの球体が姿を現した。ゆっくりと社に向かう球体。周囲の精霊をそっとどかしながらゆっくりと進む。
その進行を見守りながら、ユミは不安を拭えなかった。真由美を見るまでもない。何か、絶対的な対立者の存在を感じていたのだ。それはこの美咲の総力を挙げた術法結界の外に、すぐ外にあるような感じがしていた。
真由美は母がそれに気づいていると知ると、車椅子を転がして啓介の元へ進んだ。相棒の由美は最後の仕上げのために七剣に、しかも単独ではなく、長老たちの助けを借り、陣形による集団術法で強力な七剣になり、待機している。そこでなす事のない啓介は万一に備え、相棒からほど近い場所でずっと立ちつくしていたのだ。
「啓介さん」
急に後ろから真由美に声を掛けられ、啓介は振り向いた。太刀に全神経を集め緊張していたために車椅子の音も気が付かなかったのだ。
「どうした、真由美ちゃん」
「お願いがあるの」
見上げる真由美の目は真剣そのものだった。啓介は即座に理解した。これはあの甘えん坊のあの子ではないと。彼は跪きすっと頭を垂れると答えた。
「何なりと、次期様」
「わたしが合図したら、わたしを運んで。すぐにこれを押して」
真由美は車椅子の車輪を少し回転して前に出た。
「もうすぐ、もうすぐ来るよ。あの子が。だからわたしが行かなくちゃならないの」
啓介は断らねばと頭では判断した。しかし、真由美の言葉は既に御主のものであった。
「それは非常に、非常に危険です・・・」と口ごもる啓介。
「うん。でもそれしかないの」
その静かな声。啓介は覚悟を決めた。
「お供します、次期様」
だが、真由美はかぶりを振った。
「大丈夫。もしあの子が受け入れてくれなくても由美ねぇさんがいるし。わたしは走れないから、啓介さんに足になってほしいの。多分、一瞬しか時間がないから。突き飛ばしてもぉ、投げてもいいから、私が合図したら一番早く私の言う所にわたしを届けて。お願い、啓介さん」
絶句し掛け、啓介はなんとか答えた。
「御意」
球体は社のすぐ前に来た。術者の鈴が鳴り、すっと社の戸が開く。周囲の精霊がその結界にゆっくりと脇にどかされ、とうとう球体は社に入り、尾宇部の太刀の真上に来た。
その時。まず反応したのは由美だった。きっと上空の一点を見据え、飛び上がる七剣たる由美。風の精霊に乗り、一気に侵入者との距離を縮める。ユミの右手が挙がり、退魔師たちが一斉に術を練り始めたとき、封印の儀の場全体に張られた結界を全く無視してそれが出現した。カラスくらいの大きさの赤い影。そのはばたく翼が由美の放つ風の精霊を軽くしのぐ。瞬時遅れて術者の攻撃呪文が一斉に周囲に弾けるが、まったく意にかえさず、そのまままっすぐに社に向かう。由美はその進路を遮り、光りと闇の密集地帯、陰陽方陣を組んだ。そこに飛び込み掛けたが、影はひらりと身をかわすと、由美の反対側をすり抜けようとする。それを読み、時の集中陣を張る七剣。捉えられ、その動きは遅くはなったが、それでも術者の攻撃は全く効果がない。
白鳥ユウカの鈴が高らかに鳴らされ、球体で太刀を包み込む結界術者たち。しかし、それが閉じる寸前、結界が乱れた。術法陣が乱されたのだ。振り向くユミの目に、身を持って進路を塞ごうとする小林たちを凪ぎ払い、出現した赤い人型が写った。その足が張り巡らされた結界を強化する霊器たる錫杖を踏み倒したのだ。
時間がない。そう認識した白鳥は力でねじ伏せるしかない事と悟り、術者に命じた。
「塞げ!」
百もの鈴が一斉に鳴る。再び球体が身震いし、その周囲を閉じようとうごめく。それを目指して舞い飛ぶ影を阻止せんとする由美は後方に集まる異常な気配に瞬時気を逸らし、貴重な一瞬を逸した。
人型が翼を伸ばし、羽ばたいたのだ。一瞬にして周囲の大気の精霊が暴走し、場が崩れ、宙に舞う由美はバランスを失した。その瞬間、太刀が鞘走った。
由美の目前で。尾宇部の太刀が飛び込み、小さな赤い影に刺さった。いや、刺さった様に見えた。しかし、それは一瞬で解け合い、深紅の光りを発した。次の瞬間、由美の放つ方陣をかすめ、飛び上がろうとしている人型に一直線に向かった。
「今!」
真由美の叫びに啓介は動いた。車椅子では間に合わない、奴は飛ぼうとしているのだ。啓介は真由美の小柄な体を右手に掴み、そのまま走った。五歩進んだ所で人型は太刀を迎え撃つかのように飛び上がった。間に合わない!
「南無三!」
およそ神道の術者とは思えない叫びを発し、啓介は真由美を投げた。力一杯に。その華奢な体はまるで風の精霊に運ばれているかのように一直線に飛ぶ。
「真由美!」
ユミの悲鳴が響いたその瞬間、小柄な体は舞い上がる人型と飛び来る太刀の中間にあった。
ずぶぅっ!
身も凍る不気味な音と血しぶきのごとく真っ赤な閃光。
それが退いた後、そこには。
地上五メートル程の空中。そこには胸部から背中を尾宇部の太刀で貫かれた真由美がいた。
七剣も御主も、そして啓介もまばたき一つできずに凍り付く。時が止まったかのような一瞬。
真由美の両手がゆっくりと動き、その乳房の中心から生えているような柄を握った。その柄の端には強大な翼が付いている。そのまま、柄を上に上げる。背中から長々と伸びる深紅の刃がゆっくりと下がり、腰を、尻を切り裂き、股間に抜けた。しかし真由美の手は止まらない。そのまま腕を伸ばす。切っ先はつま先の遙か先で両足の間を抜け、腹部がまっぷたつに切り裂かれた。しかし一滴の血も出ていない。太刀が、真由美の半身を縦に切り裂いた太刀が真由美の正面にあった。その刃は深紅。その柄の端から伸びる真っ赤な翼は差し渡し4メートルはある。真由美は剣を大地に突き立てるかのように垂直に持つと、微笑んで腕を曲げ、自分の胸に抱きかかえた。
第十七章
真由美はお友達と一緒にお昼の三色パンを食べていた。屋上のお気に入りの場所で。
「いい天気ぃ。こーんな日は遊びにいきたいよね、姫」
お友達が笑い掛ける。真由美もうん、と大きく頷いた。
「公園がいいなぁ。ベンチに座るの」
二人は市民公園の噴水の奥にあるベンチに座っていた。
側に水と戯れる子供たちがいる。その母たちは世間話で盛り上がっているようだ。
「ねぇ、姫、あなたは大きくなったらなにがしたい?」
紅茶の缶を飲み干して、お友達が聞いた。
「えー、大きくなったらぁ? うーんとね、うーんと。
うーん。考えても仕方ないんだ。わたしは美咲のおうちの御主になるから」
「御主? 当主ってこと?」
「うん」
「そっか、姫だものね。じゃあさ、何がしたい? 何か望みはないの?」
「望み? うーんと、ミヨシヤのザッハートルテが食べたい!」
お友達はけらけら笑った。
「なによぅ、何で笑うの?」
「そういうんじゃなくてぇ、えっとね、そうだ、じゃ夢はなあに?」
「夢?」
「うん。こーんなことしたいとかぁ、こーんなになったらいいなぁっていうの、ない?」
考える真由美。
「うーん、そうだなぁ。みんなが幸せになろうって思える世界になるといいなぁ」
「みんなが幸せに?」
「うん」
「でもぉ、誰かが幸せだと、誰かが不幸になるよ。試合でもぉ、負ける人がいないと勝つ人ができないもの」
「うん。だから、世界中のみーんなが、周りのみんな全部が幸せになろうって思えるのがいいの」
「? 自分じゃなくて?」
「自分もだよぉ。みんなだもん」
「それって無理だよぅ。だって鷹はご飯を食べて幸せかもしれないけど、子供を食べられちゃったネズミは不幸だよ。世の中弱肉強食なんだから」
「うん。そうだよ。でも、あたしたちだっていろんな生き物を食べてるもの。
でもね、でもきっと出来ると思う」
お友達は首をかしげた。
「自分だけじゃなくて、周りの全部がお互いに幸せになるようにって思う事、ねぇ。難しいよ、姫」
「でも、きっと出来るよ。いつか」
「だめ、絶対無理だよ、そんなの」
真由美はちょっとムキになった。
「そんなことないよぅ」
「だって世界はいつか時に呑まれちゃうもの」
そうだ。世界は無限でも永遠でもない。いつか時に書き換えられる。
「でもいいの。確かにできないかもしれないけど、みんながそれがいいって、そう思って生きることは出来ると思うの。いつかきっと」
「だから? だからなの、周りのもの、人間以外も含めて、みーんなを守りたいのは」
「ううん、守りたいんじゃない。あたしそんなに強くないもの。守ってもらうことの方が多いの、きっと。
でも守れるなら守りたい。
あのね、この前、白石さんが言ってたの。一生懸命頑張れば、きっと誰かが助けてくれるって。頼まなくとも助けてくれるって。だって仲間だから」
「姫の言う仲間って、つまり、周り全部ね? 理を守る総てが仲間なのね?
姫にとって、理って全部のことなのね」
「うん、そうだよ!
わたしはねぇ・・・」
二人は何もない空間にいた。他には誰もいない。大切な主人もいない。どこにいるんだろう。そう二人の片方が思った。
主人は見つかったの?
ううん。いないの。どこにも。
どんな人? 一緒に探してあげる。
分からない。覚えてないの。
忘れちゃったの? じゃ、迷子なの?
うん。
困ったね。
うん・・・
じゃ、わたしが見てあげる。ね?
うん!
二人の意志が重なる。由見の力にその意識が集う。周囲が揺らぎ、ゆっくりと、ぼんやりと封印されていた記憶が見えてきた。
ここはどこ?
分からない。でも、哀しい。とっても哀しい場所。
二人は周囲を見回す。荒野である。木一本ない。しかし、由見の目には見えていた。ほんの数週間前まで、ここはうっそうとした緑に包まれた雑木林だったのだ。それを腐気がなぎった。闇のものの腐気が。戦さはそれ程までにすさまじかった。数千の戦士と数百の術者がここで魔性の軍勢と闘ったのだ。それはつい一昨日の事だった。
二人の目は一人の人影を見てとると、翼をはばたかせ、飛んだ。その前にひざまずく。
「主(ぬし)、門を見つけましてございます」と、今や一つである二人の口がそう告げた。
振り仰ぐ二人の目に、その男が映った。年の頃は40程だろうか。背は低いが肩幅が広く、がっしりした体躯。腕も太く、いかにも剛の者というオーラを発している。胸に傷だらけの甲冑をつけ、その獅子を模した兜の下で、鋭い目が開かれた。髭をたくわえたその口がにっと笑む。
「うむ、でかした。ではただちに滅せよ!」
二人は不安に貫かれた。ここには主人しか残っていない。仲間はすでにほとんどが死に絶えた。残ったほんのわずかな手勢は今囮となって魔性の生き残りを引きつけている。主人と共に潜入した十八名の剛の者もみなここに至るまでに倒れた。総てを主人に託して。こうしてここにはただ一人、主人だけが残った。それなのに、主人はここで奴等を迎え撃つ気なのだ。たった一人で。
「主、我も、我もここにて・・・」
共に枕を並べて、そう言いかけ、主人の目の優しい色に気づく。
「その方だけが地に潜れる。その方だけが門を滅せられる。儂はここで時を稼ぐ。頼むぞ、総てはその方にかかっておる」
囮に踊らされた闇のものたちが猛り狂い、ここに迫っている気配がする。もうすぐ側だ。淀んだ風が腐臭を運んできた。
「されど、されど・・・」
「儂の頼みがきけぬか?」
「・・・」
「ならばその方に儂の誓いをさずけよう。葉(よう)の御霊に誓おう。その方が戻るまで、儂は決して倒れぬと」
そう言い、主人は重伝の槍を天にかざした。闇のものの手に掛かり無惨な最期をとげた奥方の名を出されては、二人はその誓いを受けるしかなかった。
「疾く使命を果たし、はせ参じます! 御免!」
二人は地に潜った。途中幾つもの結界があったが、傷も省みず、そのまま突っ込んだ。門は四体の闇のものに守られていた。つい先日までは数百の闇のものがここにいた。この国を守ろうとする多くの戦士たちが命を捨てて闘い、ついにこの門の守り手はたった四体にまで減ったのだ。最後の四体。それぞれが王クラスだ。一つになった二人は全力で闘った。腕が刃になり、翼が針になり、必死で門を守る王たちを倒し、その中心に迫る。背中に闇のものの右手が突き刺さったがそれをも無視し、この場を突き崩す。
そしてついに門の中心に至った。この世界にいる二人と、その先にいる自分が共にその場に立つ。そして門の両側から真なる力を解放させた。二つの世界をつなぐ歪んだ理を乱し、それぞれのあるべき場に戻す。そして、この門を完全に消去する。初めから無かったかのように、有を無に帰す。向こうの世界にある自分とも接触が絶えた。門は消えたのだ。永遠に。
四体の闇の王の死骸を乗り越え、二人は門に至る道をも完全に滅した。右腕は無く、翼も半分程しか出ない。それでも舞い上がって地を突き上がる。未だ残る結界に身を削られながらもまっすぐに。主の下へ。
不意に地面が終わり、二人は空中高く舞い上がっていた。周囲には無数の妖魔が惨めな屍をさらしている。槍を抱えた主人を見つけ、一直線に降下すると、まだ蠢いていた魔性を左手で切り裂き、主の前に舞い降りて盾になった。
「むっ!」
気合い一閃。主に斬りつけようとしていた最後の闇のものの首をはねる。周囲に目を向けながら二人は叫んだ。
「主、ご無事で!」
返事はない。二人は周囲に全く生の気配がないのを悟った。今のが最後の一体だったのだ。そう、周囲には全く生の気配がなかった。何一つ。
振り向く。
二人の目に、主の姿が映った。己の肩に槍を突き刺し、それに寄りかかりながらも、それでもしっかと大地に立ったまま物言わぬ主を。その目はかっと見開き、その口元には笑みがあった。そして、そして主はゆっくりと崩れた。二人の目の前で。
その方が戻るまで、儂は決して倒れぬ
主の最後の言葉が耳に蘇る。
「主・・・。お見事です。見事に誓いを守られましたな・・・」
一つである二人はその場に崩れ落ち、泣いた。涙は出ない。二人も妖魔だから。でも泣いた。
やがて、囮隊が駆けつけた。みな満身創痍だ。囮隊の長であった主の長女の旗印は彼女の背にはなく、片腕を失い、息も絶え絶えの従者が残った腕でしっかりと抱いていた。甥の宝であった長弓もだ。おもだった者は最後までその任を尽くしたのであろう。
「父上ー!」
主の最後の血族たる次男が叫ぶ。父のその壮絶な最期を目に焼き付けて。
一人である二人はよろめきながら集う生き残りに声をかけた。
「主の同胞たちよ。聞け。主は誓いを守った。門は閉じ、現界に現れた闇のものどもは総て屍をさらした。
主の言葉通り、この地は守られた。
されど、我が主も逝った。幾百とせ、我が待ち望み、心から仕えた我が主。
主が子よ。そなたに我が剣を預ける。世の理乱れし時、主が、転生した我が主が再び我を望む時まで、我は黙する」
二人は自分の「器」である太刀を尾宇部の次期当主に授けた。そして自らに封印を施した。心・技・体の三身に己を分け、封印を誰にも解けぬようにして。
「我が封印を解くのは時と転生した主の言葉のみ。
理乱れる時、我は、いや我等は再び目覚めん。主のあの御言葉のみが三つに別れた我等をつむぐ。
出会いし時のあの御言葉のみが。
さらばだ」
二人の視界はふっとかき消えた。
真由美は公園のベンチの上でそのお友達に言った。
「わたしはねぇ・・・
この世界ぜんぶを守りたい。みんなが幸せに暮らそうって思ってるみんなを守りたい。そうすればみんながわたしを守ってくれる。
理はね、そうやって生まれるの。わたしは理を作りたい。より強い理を。時に書き換えられても、どんなに世界が変わっても、揺るがない理。
それはねぇ、世界が好きってこと。世界に好きになってもらうこと。それがわたしの願い」
お友達は顔を上げた。それは真由美自身の顔だった。
「姫、その言葉が聞きたかったの。ずっと待ってたの。だって尾宇部の人は滅んじゃったから。でも、尾宇部の人はあなたの祖先にわたしの剣を預けた。だから、主の血筋じゃなくても、主の生まれ変わりじゃなくでも、その言葉を言ったあなたがわたしの主になるの。
総てを愛し、総てに愛される。時を越える理を作りたい
その言霊を待っていたの。ずっと」
美咲の術者たちの注視の中で。真由美に剣が溶け込んで行く。刃がその背骨になり、その柄から伸びた羽根がその背に移る。腕は自分の胸を抱くようにそっと重ねられている。
緋色に真由美の体が輝いていた。そしてその輝きを受け、薄紅色の羽根がゆっくりと羽ばたき、真由美は宙に浮かんでいた。
真由美の口がゆっくりと開く。
「世界が好きってこと。世界に好きになってもらうこと。それがわたしの願い」
真由美の口が閉じる。しかし、口は閉ざされているのに真由美の声が辺りに響いた。
「総てを愛し、総てに愛される。時を越える理を作ろう。新しき主よ。共に!」
真由美は目を開いた。翼が力強く羽ばたくと、その朱鷺色の羽根が真由美の体をふんわりと持ち上げ、そのまま地上にすっと降り立った。畳まれるように小さくなる翼。姫はゆっくりと母に向かって歩いた。そのすぐ前に来て、母にお友達を紹介する姫。
「おかぁさん、あのね、新しいお友達。えっと、名前は・・・、えっとぉ」
答えて姫の中から真由美の声がする。
「他の人からは妖しとか、紅とかぁ、紅蓮って呼ばれてたよ。でも主は名前を付けたりしなかった。いっつも<その方>って。
だから姫の好きで良いよ」
今度は姫自身が口を開いた。
「うーん、じゃ、おかぁさんに決めてもらえばいいね。美咲の子はみーんなおかぁさんが名付けるの。
おかぁさん、この子に名前をつけてね。
あのね、おかぁさん、分かったの。三つの赤いのは心と、体と、技! でね、色が無いのは主人なの。でね、ピンクなのは今のあたしなの。太刀はねぇ、約束の証だったの。新しいお友達がね、わたしにはお友達だけど、お友達はわたしが主人だって言うのよ。
えっと、実はまだよく分からないけど、わたし、この子と一緒にいることにしたの。だって、だってきっと叶うから。わたしたちの願いが!」
母は涙を流しながらその姿を見守った。緋色の刃。朱鷺色の翼。その強大な力が今、真由美に宿っている。生まれながらにあったが、どうしても発現しなかった真由美の膨大な術力の器。術力はないのに、それを納める巨大な器だけが真由美にはあった。由美すら及ばぬ深淵たるキャパシティ。それはこの姿が理由だったのだ。
しかし、どんなことよりも真由美が、真由美のままでいてくれるのが一番嬉しかった。
ああ、この子は変わっていない。このまま御主になるのだろう。そして、「その日」に翼がこの子を守ってくれる。刃がこの子の思いを形にしてくれる。この子は変わらずにすむのだ。どんな事に出逢っても。この子はずっとそのままで。母はそう悟った。
終章
夕刻である。儀式の後は美咲の術者たちが乱れた理を正すべく術法を掛けていた。美由美は超常研のメンバーや霊性会の友人達と修練場にいた。シュンたちバックアップ係りも全員集合した後でメイド姿の術者、野村が彼等に事態を説明し、総てが終わったことを告げた。撃手壱術士隊の長である彼女はいつものメイドさん、重傷を負った小林の代理だった。野村が謝意を述べて立ち去った後、美由美はそろそろ会社も終わったろうと思い、美雪先輩にPHSでそれを伝え、その後でママにも報告していた。その後ろで桂と小田が携帯をしまって立ち上がった。
本家と分家の御主たちは一族の主だった者と他家への報告書をどのようにまとめるかを協議していた。筧、金剛巽、そして錦隠岐。さらに市民を守るために協力した霊性会の属する教団にも事の収束の報告を送らねばならない。そこへ知らせが来た。その霊性会の二人のリーダーが面会を求めてきたのだ。ユミは大叔母と長老に進行を任せ、東二の間で二人を迎えた。
開口一番、小田と桂は重大な話であると切り出した。既に教団に電話で許可も得ている。すぐにお知らせしたいと。
ユミは頷くとその話を聞いた。小田が代表し、教団の聖書を広げた。
「創世記・終章 創世の杖、終末の剣となる事」
小田はとうとうと読み始めた。
創造主が世界を造った時、その手にはジェネシス、つまり創世の力があった。人には杖の形に見えるその力。創造主が新たなる平行世界を造るためにこの世界を去った後にも、その力は世界を守るべく残った。創世の力は無と有をチェンジするもの。すなわち、既に出来ている世界ではそのまま有を無にする力となる。破壊するのではなく、デリートする力。その創世の杖は総ての平行世界にある。しかし、あまりに強大故、一つの世界の崩壊が周囲に影響を与えそうな場合にのみ、姿を現するという。そしてその元凶を滅するのだ。完全に無に帰すのである。創造主がこの世界を完成させ、世界自体にその行く末を決めさせる事にして去って以来、創世の力は唯一創造主の意志に従う、究極の守りの力、消去の力になった。それ故、杖から剣に姿を変え、<終末の剣>となった。それは炎のごとく赤く燃える刃で、柄から伸びる夕日のごとき薄紅色の翼でそれと知れる。
世界が乱れ、終わりの時が、本来決められている終末よりも早く訪れ掛けた時にのみ、それは現れる。紀元前のインドに、14世紀のプロバンスにそれは現れた。最後に現れたのは17世紀のこの国だ。しかもその時には再びこの国で乱れが起こるという予言を成したという。それ故、教団は全世界の志を同じくする宗教集団の力を借りて、この国に強大な術者の予備軍を設立していた。終末の剣が現れた時、その助けになるために。教団に諸外国からの莫大な投資があるのはそのためだった。
現れた剣は主を決め、その<救世主>の意志に従って世界を救うという。しかし、もしもそれが叶わなかった時。終末の剣は世界そのものを消去する。周囲の世界に影響を与える前に。それ故、その剣の出現はラグナロクの幕開きをも意味するかも知れぬ。故に教団ではその剣をこう呼んでいた。<夕暮れの使者>と。
霊性会の二人は教団に伝わる言葉を語り終えると、思考を巡らす美咲家当主を残し、立ち去った。
ユミは深く思いをはせた。鴇色の大いなる星。あまりに大きすぎ、ユミにすらその実感が掴めなかった。さて、一族にどう伝えるか。報告書は予定よりも随分長い物になりそうだった。
やれやれ、とユミはため息をついた。尾宇部の一族もとんでもない物を預けてくれたものだ。
真由美は母に休息を命じられ、自室にいた。しかし、全く疲れを感じていなかったし、新しいお友達ができて嬉しかったし。寝るなんて勿体なかった。でも部屋の外には出られない。そこでとりあえずお話しすることにした。一人なのに二人。だからお話しもできる。それがとても嬉しかった。
「これがそのソフト。早くやりたいなぁ。ね、猫さん、かわいいでしょ?」
「命の無いものも<総て>に入るの?」
「うーん、どうだろう。でも、かわいいのは好き」
「ふーん」と真由美の声。実際に動いている画面を見ないと良く分からないらしい。
「ねぇ、どうしてあの時と話し方が違うの?」と姫本人。
「だって姫があたしを固定しないから。だからあたしには姫の事しか分からないの」
「固定?」と言って姫本体が首をかしげた。
「うん。姫には従者はこうあるべきっていう概念がないの。尾宇部の主に仕えていたときはぁ、それを鏡にして自分を作っていたから。でも姫にはそれがないの。だから姫自身を写すことしかできないの。わたしには形がないから」
「本当の形がないの?」
「うん。最初に見た時、見えたでしょ? わたしは影なの。全部の世界に居るの。乱れを修復するために。その意志を持つ者の剣となるために。
それがわたしの存在理由」
「いいなぁ。ちゃんと理由があって。わたしはこの前、自分の理由が少しだけ分かったばっかりだから」
「少し? みんなに見たことを伝えることが少しなの?」
姫は真由美の声にちょっとびっくりした。
「違うの?」
「だってそれはすごく大きな事。わたしを全部受け入れられるなんて他にいないよ。尾宇部の主も、その前のイディアルの主も、わたしを全部は納められなかった。だから剣に宿していたの。でも姫にはその必要がないよ。器たる聖剣ごと入っちゃうんだもの。こんな人は初めて。
そのあなたが見たもの。すなわち真理。真なる理(ことわり)。それを伝えるのはどんな人にでも難しいこと。それができるんだよ。小さくないと思う。とっても大きな事だよぉ」
「そうかなぁ。分かんない。わたしは楽しい夢をくれるソフトを作れる人の方が、もっとすごいと思うけどなぁ」
姫は嬉しそうにソフトをなでた。このお部屋にはゲーム機もテレビもないので、美由美のおうちに遊びに行くのが楽しみだった。
「どんなものでも、どんな事でも、受け手次第なんだよ、姫。人の意志は単独では意味がないの。伝わって初めて意味を生んでぇ、その受け手がそれからさらに意味を見つけてくれるの。
姫、あなたの言葉がみんなに伝わるといいね。姫の夢が叶うといいね。それに向かって少しでも進むといいね」
「うん!」
姫はお気に入りのクッションを抱きかかえてそう元気に答えた。
啓介は儀式の社が撤去され、総てが元に戻るのを手伝っていた。彼は他家の者である。故に会議には関係ない。療術者でもないので治癒にも力を貸せない。そこで力仕事と結界造りを手助けしていたのだ。それを終えるとまっすぐに食堂に向かった。
食事の時間はもう少し先だが、薪がいた。労働を終えた人々が憩うために来るのを予期して三人のまかないさんと共に準備万端整えていたのだ。啓介はどっしと座ると料理を頼んだ。夕食は鯖の煮つけだと言うので好物の芋の煮転がしを追加した。美咲は筧と違い、殺生禁止の習わしが全くない。故に肉料理もあるのだが、肉食禁止とある筧の風習に染まっている啓介はどうも魚と卵以外が未だに馴染めていない。
啓介には常にどんぶり飯が出てくる。専用に大きなどんぶりまで薪が用意していたのだ。啓介はこのまかないのおばさんとは妙にウマがあった。彼女の一直線で頑固な生き方が幼い頃に死んだ母の思い出に似ていたのだ。
「おばちゃん、お代わり!」
そう大声で叫ぶとすぐに薪がおひつを持って出てきた。
「いつもながら、そんなに食べて大丈夫ですか? 筧様」
「んー、今日は腹減ったからなぁ。大丈夫、大丈夫。
ああ、そういやぁこないだ、娘さんに会ったぞ」
みそ汁をかき込みながらそう言うと、薪の顔に微妙な表情が浮かんだ。療術者である薪の娘、由宇理は下屋敷の担当だ。多分滅多に会えないのだろう。そう悟った彼はたくわんをつまみながら言葉を続けた。
「元気そうだったよ、娘さん」
薪の顔が輝いた。その時、三人の退魔師が食堂に入ってきた。薪はいつもながら元気に彼等を出迎えた。しかし、その足取りは目に見えて軽かった。
満腹した啓介は腹ごなしに庭先に向かい、素振りをした後で早々に部屋に帰ることにした。離れに付くとすぐにシャワーを浴びた。出てきて浴衣に着替えている時に扉がノックされた。開けるとそこには俯いた由美が立っていた。
「どうした、会議は終わったのか?」
啓介は明るく声を掛けた。しかし、振り仰ぐ由美の顔色はずいぶん悪い。土気色と言ってもいいほどだ。それも当然か。啓介は思った。なにせ連日して七剣になったのだ。ましてや鍛錬ではなく、実戦体勢で。ふらつく足取りも当然なのだ。
「大丈夫か? 相棒」
啓介は彼女に手を貸して自室に入れた。とりあえず椅子に座らせる。
「どうした、一体?」
「先の会議で決まったことを・・・
伝えようと思ってな」
そう言って由美は持って来た七つの剣を啓介に手渡した。
「?」
「その剣は正式に私の物になった。退魔師、美咲由美の管理下に入ったのだ。つまり、お前の剣になった。
嬉しかろ?」
由美は少し笑った。啓介はその言葉に複雑な心境になった。
それを伝えるために、俺を喜ばせるためにこの体でまっすぐに来たのか? こいつは。休まなきゃいけないところを押して。俺に剣を一刻も早く届けるために。
無茶しやがる。本当にこいつは。
しかし、そう分かった以上、啓介のすべき事は素直になることだった。
「すげぇ。そうか、俺が持ってていいのか。うん、すぐに使いこなしてみせるぜ。昨日みたいに縁がなくて困るのは嫌だからな」
そう言って笑い返した。由美はその表情を見て、青ざめた顔ながら微笑んだ。
「おい相棒、大丈夫か? 顔色悪いぜ」
「いつものことだ。香を焚いて一晩寝れば直る」
だが、その声にいつもの張りがない。ついでに言うといつもの棘もない。
「飯は食ったのか?」
「無理だ。今は胃が受け付けない。少し、無理をさせすぎた」
風の精霊に乗り、飛んだ上に結界陣、特にまだ慣れぬ<時>の結界陣まで使ったのだ。その体はぼろぼろだろう。
「んじゃ、ひとっぷろ浴びて寝ちまえ。それが一番だ」
「成る程な。そうさせてもらおう。シャワーを借りるぞ」
「おう」
啓介はそう答えると床に正座し、七つの剣を目の前に置いた。両手に捧げるとすらりと抜き放つ。自分の物になった以上、手入れも啓介の仕事だ。だが今日の所はその必要はない。刃には一点の曇りもない。当然だ。まだ何も斬っていない。しかし、できれば斬らずに済みたいものだ。昨日会った大学の女性。彼女は心底恐怖していた。彼の剣技に。命を奪うことに。
それが本当なのだ。例え妖しでも命は命。斬らずにすむならそれが一番だ。しかし、世の中は完成されていない。
啓介はその刀身をじっと眺め続けた。新たなる世界。真由美ちゃんの望んだ世界を造るために自分の成すこと。それを考えながらじっと見つめていた。
ドアの開く音がした。鏡のような刀身に缶を持ったバスローブ姿の由美が移る。その足はまだふらついている。
「ずいぶん消耗したな、相棒」
ふぅとため息を付き、椅子に腰掛ける由美。髪を包んだタオルの巻き方を正し、ウーロン茶の缶を開けた。それを喉に流し込むとそのまま背もたれに身を預け、首を後ろに傾ける。剣を納め振り向く啓介。おとがいが天を向いた状態の由美。その首は本当に細く、たよりなくさえ見えた。バスローブから覗く鎖骨もとてももろく、はかなげだった。美咲家筆頭術者も結局は女子高生に過ぎない。そして今日、あのとてつもない力を身に宿した真由美もそうだ。それをバックアップした美由美も。この娘たちがどれほどの宿命を持つのか。啓介には想像だにできない。
「ああ、そうだ、啓介。次期様のお体はなんとかなったがな、やはり学ぶことにしたよ」
由美はその姿勢のままでぼそぼそと語った。療術の事だろう。
「ああ、それがよかろう。剣は俺に任せろ。お前は盾になるといい」
「そうだな。術戦ならともかく、HP戦ではそれがよいな。剣はお前に任せる。
そういえば剣と言えばお前にもう一つ言っておくことがあった」
「あ?」
「長老たちはお前を当代屈指の剣士と認めたよ。今回の事件でな」
啓介は考えた。俺、何かしたか? 奥義を一つ披露したが、今回、皆が成した事に比べれば造作ない。はて、何だ?
「事の発端はお前が起こしたのだ」と由美。
「何で? 訳分かるように話せよ。説明はお前の担当だろ?」
由美はゆっくりと顔を啓介に向けた。
「あの赤い奴等、心・技・体の三身に分離した奴等はしばらく前に目覚めていたのだ。しかし主人がいない。そこでぼーっとお呼びがかかるのを待った。そこへお前が尾宇部の太刀を振るった。あ奴等はお前に呼ばれたと思い、まっすぐにここへ来たのだ。まず飛べる心が。ついで徒歩で体が。技は途中でいろんな歪みに引き寄せられて随分遅れて出てきたがな。本当なら心のすぐ後に来れるだけのスピードのはずだが。
ま、つまりお前が事の発端なのだ。奴等は美咲の御山を目指してたんじゃない。尾宇部の太刀を求めていたのだ。約束の証をな」
「でもよ、それがどうして? 俺じゃなくても誰かが抜いててもそうなったんだろ? 単にそいつらが目覚めてから最初に抜いたのが俺ってだけで・・・」
「いつもながら最後まで話を聞かぬ男だな。
いいか、奴等はお前の意志に呼ばれたのだ。単に抜刀しただけではだめだ。お前はあの剣に気が宿るのを望んだ。あ奴等はお前を尾宇部の当主と同格、あるいはそれ以上の剣豪と踏み、お前を確認しに来たのだよ。主か否か、をな。
故に、お前が当代屈指の剣士と認められた。それで剣を預ける気になったらしいぞ。七つの剣をな」
啓介は再び己の剣に見入った。俺が剣豪? 俺は確かに剣技では筧の総ての皆伝だ。でもそれは時見の技のため。時見は精神のみ鍛えればよい星見とは違う。心身共に鍛え上げ、高みに登ることで己を捨てる。無になって初めて時が感じられるのだから。剣の修行はその過程にすぎないはずだった。俺が剣士? 俺は術者ではないのか。
しかし、そのとおりかもしれない。時見の技はそのまま筧の技だ。美咲の啓介になるには時見の術者を捨てねばならない。そうであっても、その前に総てを相棒に伝えておけばなんら不安はない。修得さえすれば相棒の方がよりよく時の術を使いこなせるだろうから。相棒が開発した新たな時の技。それを会得するのもよかろう。筧では伝来の技を高めることのみに執心する。新たに技を開発することなど過去数百年なかったから。それでもいい。剣の道を進む限り、一度見えた時が見えなくなることはないのだ。時見でなくとも、時を感じられればそれでいい。
「筧の時見、美咲の剣士になる、か」
そうつぶやくと蹲踞(そんきょ)の姿勢になった。剣をすらりと抜く。ぴたりと留めると結ばれた諭壬の鈴がからりと鳴った。
あれ?
啓介は不思議に思った。反響がない。山のてっぺんで叫んだのにこだまが返らなかったようなさみしさ。相棒の鈴が答えなかったのだ。振り向く啓介の目に床に落ちたタオルが見えた。サイドテーブルにウーロン茶の缶がある。それを置いたまま力を失ったかの様に由美の手がだらりと垂れている。耳を済ますと寝息が聞こえた。
「おいおい、寝るなら母屋に帰れよ」
剣を置いて由美を揺さぶろうとしたがとどまった。寝顔があまりに幸せそうだったから。己で支配せぬ眠りに就いたなど久方ぶりなのかも知れない。
啓介は由美を抱え、ベッドに寝かせた。布団をかぶせてからその中に手を潜らせて結び目を解き、バスローブをよっこいしょと引き抜く。続いて反対側。乱れた髪もできるだけ整えた。よし、これでいいか。
啓介は受話器を取り内線を掛けた。いつもなら小林が出るが、今彼女は一番の重体で治癒を受けている。代わりに出たのは同じメイドの野村だった。
「筧です。術者の眠り用の香、ありますか?
はい。相棒が、由美が俺の部屋で寝こんじまいまして。すっかり消耗してるんで起こすのもなんなんで。ええ、宜しく」
受話器を置くと啓介は再び剣を前に正座した。そのまま瞑想に耽っていると扉がノックされた。
「開いてるよ」
その声に深々と一礼して現れる中年女性。啓介は瞑想の姿勢のままベッドを指さす。女性は歩み寄ると手早く布団を正し、枕元に何かの干した葉と香炉を置いた。それが終わるとじっとやつれた由美の顔に見入る。額にかかった前髪をそっと直した時、由美がうっすらと目を開いた。
「お休みなさい、ゆっくりと」
そう女性に言われ、微笑む由美。
「母様・・・。私、疲れちゃった」
母? 啓介はその女性を見た。成る程、御主に顔立ちも似ているし、なにしろ結った髪が由美そっくりだ。
「明日は元気になってね」
そう言うと娘の頬にそっと掌を添えて母が微笑む。由美はかすかにうなづくとそのまま深い眠りに入った。
啓介は和嘉子を見つめた。先ほどの薪同様、この親子も役割が違うために滅多に会うことはないらしい。美咲のしきたりは筧のものよりも遙かに自由だった。それが気に入っていたのだが、ただ、その一点だけが啓介には納得いかなかった。分業。専門化。セクショナリズムが進みすぎていると思っていたのだ。
「御主様の長女、和嘉子さん、ですね?」
帰り掛けた女性に声を掛ける啓介。
彼女はその場で啓介に向き直り、頭を垂れる。
「あの、俺なんかがこんな事聞くのは失礼だと分かってるんですが、どうしても聞きたいのです。
その、娘さんと別れて暮らすのは我慢できることですか?
あ、俺はその、母がいないもんで」
和嘉子は啓介を見つめた。
「親子が別れて暮らすのは良いこととは思えません。でも、親子が同じ目的に向かって努力するのは良いことだと思います。特に娘が母以上に能力を持つ場合には。私にはこの子の修行を手助けするだけの力はありません。でも私はこの子の母です。娘の生き方云々を言えるだけの縁はあるはずです。
筧様、この子が昔どんな子だったか、もしもあなたがご覧になっていたなら、今の私の気持ちが分かると思います。
この子はまっすぐに生きている。自分のできる事を成し、さらに今はできないことを成せるように。しかも、この子は自分でそれを望んでいるのです」
和嘉子は寝入る娘に視線を送った。
「初めは多分私たちの為に術者になったのかもしれません。この子はいつもそうでした。自分がいらない子だとそう思っていましたから。私たちのためだけに一生懸命だったのです。
でも、今は違います。この子は次期様や美由美さん、そして大勢のお友達の為に努力しています。懸命に毎日を生きています。私も自分に出来ることでこれを支え続けたい。それで十分です」
和嘉子の言葉に啓介は言葉を失った。親子の縁。それは傍目では分からない。しかし、この親子は本当に強い絆で結ばれている。それを知った啓介は深々と頭を下げ、非礼を詫びた。
和嘉子が出ていった後も、啓介はじっと七つの剣を見つめていた。
自分のできることを成す。和嘉子はそう言った。
基本だが、一番難しい。
自分に出来ること。
剣と術。双方を極めた者にこの剣はその真の力を見せるという。御主ユミですら現しえなかった真の力を。相棒は術。ならば俺の道は・・・。
啓介は決心し、剣に手を掛けた。
緋色の刃、朱鷺色の翼 Ende